子どもの世界を理解するための研究方法論に関する基礎的考察(1)
一序論:子どもの自然認識に迫るためには *
若松 裕一**・小川 正賢**
(1991年9月13日受理)
AFundamental Study on Research Methods for
Understanding a Children s Worldview:1.How to Approach a Children s Perception of Nature
Yuichi WAKAMATsu and Masakata OGAwA
(Received Sieptember 13,1991)
は じ め に
科学教育の分野では,近年,子ども達の自然認識の実態を探ろうとする研究が世界中で精力的に 行われてきている1)。日本においても,このような研究動向にいち早く呼応し,子ども達の自然認
識の様々な側面を掘り起こそうとする数多くの追試研究が精力的になされてきている2)。しかし,このような研究は,多くの場合,子ども達の自然認識体系というよりも,子ども達が,
特定の身近な現象をどのように説明するのかということに関する研究であるといえる。しかも,そ の多くが科学的には体系的な説明が可能な現象を取り扱っているのである。このことの意味は重 要である。科学的説明という暗黙の枠組が研究者の側に事前に存在していることを示すからである。
「科学的に説明されている事象・現象について,子ども達はほんとうはいかなる認識をしているの であろうか?そのことをきちんと理解しておかないと,彼らにその事象・現象に関する正しい(科 学的な)認識を教えることはできないのだから。」という発想が背後にあるのである。このような 発想においては,「子ども達の固有の自然認識体系」など問題にならないのである。なぜなら,科 学的自然認識体系を教え込むことが究極の目標である科学教育の文脈では3),科学的自然認識体系
に組み込まれた,基本的事象・現象に関する特定の認識の理解を妨げる説明様式としての子ども達 の考え方のみが問題になるだけで,それが,彼らの固有の世界認識のなかでどのような位置を占め ようが,そのようなことは,究極的には科学的世界観に改変させていくのであるから,意味のない ことなのである。このような研究動向は,ひと言でいえば,「子ども達の固有の自然認識体系」そ
*本研究の一部に文部省科学研究費補助金(一般研究(C)課題番号02808054)を使用した.
*本研究の一部は平成2年度日本理科教育学会第29回関東支部大会において口頭発表した.
**?髑蜉w教育学部理科教育講…座理科教育研究室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).
のものを問題にしているのではないといえるのである。
「子ども達の固有の自然認識体系」それ自体を問題とする研究は,このような研究とは異なった ものであるはずである。そのような研究では,科学的自然認識の側に研究者の枠組や視点をおくの ではなくて,子ども達の自然認識体系(そのようなものが存在するとして)の側に研究者め枠組や 視点をおくべきであろう(少なくともそのような努力を払うべきであろう)。こうして,我々はこ
のような科学教育の研究とは全く異なった研究方法を模索する必要に迫られるわけである。子ども達の自然認識とその理解とは
ここで,我々は, 「子ども達の自然認識とはいかなるものであるか」,また「それを理解すると はどういうことであるか」という問題に関する考察を改めて迫られることになる。具体的にいえば,
子ども達はそれ自身完結した自然認識の体系を持っているのか否か。また,持っているとすれば,
その枠組は我々の自然認識の枠組と同じか否か。さらに,違うとすれば,それを理解するための方 法とはどういうものか,という問題である。残念ながら,これらの問題に関する解答を,我々は今 のところ持ち合わせていない。したがって,子ども達の自然認識をありのままの形で理解しようと する場合,子ども達の自然認識が我々の自然認識の枠組とは,全く異なった枠組に基づいているか もしれないという可能性を残しておかなければならない。この点を無視してしまっては,子ども達
の自然認識を理解したといい得なくなるのである。従来の子ども達の自然認識を探ろうとする研究では,この点について明確に意識されていたかどうか は疑問である。この疑問に関する直接的な報告はされていないが,この疑問が意味を持つことは,これ まで行われてきた子ども達の自然認識に関する実態調査の方法を振り返ることによって明らかとなるよ うに思える。実態調査の方法は,これまで面接法や質問紙法を中心として様々な方法が考案され,改良 されてきている。しかし,それら多くの方法に共通していることは,実態調査の方法がある特定の枠組 にのみ立脚して組み上げられているということである。このある特定の枠組とは,簡潔に言えば科学の 枠組である。さきに述べた理由から,子ども達の自然認識が科学の枠組のなかで理解可能であるという 根拠はない,といわざるを得ない。それでもなお,その枠組を用いて子ども達の自然認識を捉えようと する態度から推察できることは,このような従来の研究においては,我々が追い求める子ども達の自然 認識それ自体とそれを理解するという点が意識されていたとはいえないということである。
我々は,子ども達の自然認識を探るためには,それ以前に子どもの世界を知るという根源的な問 題まで立ち返る必要があると考える。また,子どもの世界を探るに際しては,調査者である我々自 身の側の枠組ではなく被調査者である子ども達自身の側の枠組に基づいて捉えることが少なくとも 必要なのではないかと考える。そして,最終的には,そのような過程を経て捉えられた子どもの世 界から彼らの自然認識なるものを抽出し,抽出された自然認識を我々が我々自身の自然認識あるい
は科学的自然認識と比較(比較それ自体が可能であるかどうかも問題ではあるが)してはじめて,それがいかなるものであるのか理解することができるようになるのではないかと考えるのである。
以上のような考えから,我々の当面の課題は,「子どもの世界をありのままの形で理解するため
にはどうすればよいか」ということになる。そして,その考察を踏まえて,そのような子どもの世
界にアプローチするための具体的方法とはいったいどのようなものがありうるのだろうか,また,
そのような方法にはどのような長所,短所があるのだろうか,さらに,そのような方法を用いると,
子どもの世界に関して,どのようなことが明らかになるのだろうか,という点に関する知見を得よ
うとすることになるのである。子ども達の固有の世界に迫るために
以上述べてきたことから,第一に「子どもの世界とはいかなるものか」ということ,第二に「そ れをありのまま理解するとはどういうことか」ということ,この二点を十分に検討することが必要 になる。第一の問題では,子どもの世界を把握することが可能となる枠組についての検討が重要と なるであろう。第二の問題では,子どもの世界を理解する場合に,我々の側に依拠した解釈を持ち
込まない方法についての検討が重要となるであろう。そこで,まず,第一の「子どもの世界とはいかなるものか」という問題について検討してみるこ
とにする。最近の子ども研究に特徴的なことは,子どもを「異文化」としてみる立場4)が登場したことであ
る。従来の子ども観は, 「大人」に対して「子ども」, 「成熟」に対して「未熟」, 「発達」に対して「未発達」というように二分法的に境界線が引かれ,区別されていた。そして,「子ども」は 発達あるいは適応という尺度に沿って連続的に成長し,いつしか境界を越えて「大人」の仲間入り を果たすものと捉えられていたのである。しかし,子どもを「異文化」としてみる立場では,現在 のように多様化した社会の中では,これまでのように明確に境界線を引くことが困難となり,それ ゆえ大人に理解不可能な子どもに関する社会問題が増大してきたというのである。そこで,もはや 子どもにかえることのできない我々が,子どもを「異文化」として突き放して捉え,そこから子ど
もの生きた世界を探ろうというのである。
子どもを「異文化」としてみる立場に立つならば,彼らが自律的な存在であるということを我々 は認めなくてはならない。この立場に立つことによって,伝統的な発達観とは違った観点から子ど もを捉えることが可能となる渕。そこで,我々は「子どもの世界とはいかなるものか」という問題 に対しては,上述した子どもを「異文化」として捉える子ども観に基礎をおいて対処しようと考え る。具体的にいえば,子どもが自律的な存在であるとし,彼らは彼ら自身によって感得された世界
を所有していると仮定する立場に立つのである。また,第二の「ありのまま理解するとはどういうことか」という問題を解決するための方策とし て,我々は民族誌的研究方法の可能性を追求しようという立場を採用することにする。この方法は,
簡単に言えば,多くの人類学者が自身とは異なる文化に属する人々の文化理解に用いてきた方法と いうことになるが,それゆえ,我々の当該問題を解決するための方法として妥当性と有効性を持っ
ているように思えるからである。こうして,民族誌的研究方法とは具体的にどのような方法であるのかについて,我々は知らなけ
ればならなくなった。そこで,以下においては,民族誌的研究方法とその特徴について,簡単に概
観しておくことにしたい。民族誌的研究方法とその特徴
従来の「科学的研究方法」は,いわゆる 表1科学的研究方法ど民族誌的研究方法の公理系の比較
論理実証主義的科学観に基づいた研究パラ
公 理 系 科学的研究方法 民族誌的研究方法ダイムである。これは,本来自然現象を対
象としてい燃その圧倒的成果の故に,現実とは
@編灘な分茎灘灘された
研究対象を社会現象にも拡大してきた研究
方法である.ところが近年盛んになって舗1灘鴎者は独立二元論雰灘互作用をし
きた「民族誌的研究方法」は,いわばボス
一般化は可能か時間や文脈に依存 時間や文脈に依存し ト論理実証主義の科学観に影響を受け,こ しない一般化(法 た作業仮説(個性記 のような研究方法とは根本的に異なるパラ 嵜壽位的言明)が籠的言明)のみが可 ダイムに立脚しているといえよう。両者は,
い械その拠って立つ公理系が異なるの原因と結
サ関係靱鵜蔽講畠籍蟹難,
である。LincolnとGubaの議論7)を参考 実的原因が存在 因果の区別は不能
に,この点について両者を比較すれば表1 価値の役割 探求は価値中立的 探求は価値拘束的のように総括できる。 °
次に,民族誌的研究方法という術語に含まれている「民族誌」とは何かということについてみて
おこう。 「民族誌」を,明確に定義することは予想外に困難であるが, 『文化人類学事典』8)に取り上げられたいくつかの定義を紹介してみよう。Diasは,民族誌(ethnography)とは「個々の文 化の叙述的研究ないしは一個の文化のいくつかの側面の叙述的研究」であると述べ,Hoebelは,
「文化を叙述的に記録する人類学の一分野」と定義し,Winickは, 「個々の文化の研究で基本的に
は解釈をまじえない叙述的研究」と定義している。簡潔にいえば,「民族誌とは,ある社会の文化 を,研究者の目を通して見たままに,できるだけありのまま記述し描き出そうとする研究形態であ
る」といった定義になるであろうか。このような研究形態を採用する具体的な研究事例には,「民族誌的調査」「フィールドワーク」
「自然誌研究」 「事例研究」などの定性的な展望に立つ研究が挙げられる9)。これらの研究に共通
する特徴は,そのデータ収集法である。そこで,次に民族誌的研究で用いられるデータ収集法につ
いて,簡単に述べておくことにする。民族誌的研究と呼ばれるほとんどすべての研究では調査者のフィールドワーク1°)によってデータ が集められる(以下に述べる多くの研究伝統の場合も同様であるが)。データ収集法の特徴とは,.
このフィールドワークの際に,使用頻度の差こそあれ「参与観察」11)「インタビュー」12>「ドキュ メント」13}の三つの手法から二つ以上の手法を組み合わせることによって,網羅的・総合的・多角 的にデータを得るという方法を使うことであるといえる。
これら三手法については,後に詳述するので,ここでは簡単に触れておこう。参与観察とは,古
くから人類学者が用いてきた基本的な調査手法である。具体的には,調査者が,「調査対象となっ
ている社会の中で暮らし,そこで営まれている社会生活に関するデータを,人々と交際を行う過程
で収集することである」14)。したがって,これによって得られるデータは,調査者と被調査者との相互関係がより親密なほど,彼らの実態を反映するものと考えられている。また,インタビューと
は,調査者が被調査者と面接し,その会話のなかから必要な情報を得る手法である。インタビュー も参与観察と同様に調査者と被調査者の相互関係が重要となる。さらに,ドキュメントとは,既存 の文献・資料等の記録,ビデオ,テープレコーダー等の記録に基づき調査対象に関する情報を得る 手法である。この手法は,調査者が被調査者と直接的な相互関係を持たないという点で,先の二つ
の手法と大きく異なるといえる。これら三つの手法は,個別にみると特に民族誌的研究に独自な手法というわけではない。科学教
育の分野でもインタビューなどは既に試みられている研究方法といえる15)。しかし,ここで注意しなければならないことは,どの手法をもってしてもそれだけで研究対象を完全に把握できるという 性格のものではなく,それぞれに一長一短があるという問題である。そこで,さきに述べたように,
民族誌的研究では,これら三つの手法のうち同時に二つ以上の手法を採用して,対象にアプローチ していくことでこの問題を解決しようとしている。つまり,複数の手法を採ることでそれぞれの持 つ短所を補い,研究方法の妥当性とデータの信頼性を高めようとするのである。このようなデータ
収集の方法はとくに,triangulation 6}と呼ばれる(図1参照)。そこでtriangulationについては,もう少し詳しくふれておこうと考える。
ある方法の持つ固有の短所(weakness)やバイアス(bias)を克服するために,調査において様 々な方法を併用することは,triangulahonもしくはmultiple operationalismと呼ばれ社会科学の
分野では一般的であった17)。このような研究方法の採用の仕方は,社会的な世界における「事実」と「その事実の意味すること」が常に変化しているという認識に由来している18)。そこで,より的
確に対象を把握するために,個々の方法によって明らかとされる輪郭からその全貌を捉えようとす るのである。したがって,こうして明らかにされる社会的な世界は,ある特定の方法によって見い
だされた世界よりも,より強力な説得力を持つと考えられているのである。triangulationの戦略は,以下の基本的な四つのタイプに分類される。一つめのタイプは, Data
triangulationと呼ばれ,時間,場所,人物に関するデータをいくつかtriangulateさせることで,
主に,データ自身が持つ短所とバイアスを克服しようとする戦略である19)。二つめのタイプは,
Investigator triangulationと呼ばれ,何人かの研究者が同時に調査にあたることで個人的な偏見を
蹴::互罹::::5::::虚::::≒≒靴聴≒:5:::卍:;::≒::i鑑i:蘭・
灘i;参与観察:難1
グ1響蒜響ll,喚
:::::::i:iミ1:i:二:・
一撒撒撒鱒融一・・ レ_一_闇 鰍鞭 撒熈
インタビユー一一7三1ドキュメン㌧
描*憩…曲:::…
図1 データ収集の手法とTriangulation
排除しようとする戦略である2°)。三つめのタイプは,Theory triangulationと呼ばれ,見いだされ
た現象の解釈に対していくつかの理論枠組をあてはめて,個々の枠組のもつ問題を克服しようとす
lateさせ,個々の手法の短所とバイアスを克服しようとする戦略である22)。この四つめのタイプ が,いわゆるtriangulation として広く知られているが,研究者がこれらの四つのタイプを組み合
わせることによって,さらに多様なtriangulationが生まれるのである。民族誌的研究方法を用いる様々な研究伝統
ここでは,民族誌的研究方法を積極的に用いる,いくつかの研究伝統について概観しておくこと にする。それらの研究伝統の基本的立場を知ることが,子どもの世界を理解する方法を模索しよう
とする我々に有益な示唆を与えてくれる可能性があるからである。1)教育人類学
教育人類学を簡潔に定義すれば,「教育現象を人類学的視角・概念・方法を用いて研究する人類
学の一部門」23)ということになる。これまで,教育という営みは,社会学や心理学のなかで論じられてきたが,教育に対する人類学的アプローチを試みる学問が教育人類学である。この教育人類学 は,教育をひろく「文化伝達」の制度・過程・慣行という一つの文化現象と捉えるところに特徴が
ある24)。また,そのアプローチの仕方は,社会学や心理学の方法とは「非実験主義と全体的接近法 の伝統に基礎づけられた定1生的な民族誌的な方法と,通文化的比較の視角・方法」25)の採用において決定的に区別される。「学校民族誌」は,その代表的な研究形態である。学校民族誌とは,人類 学者のデータ収集における最大の武器である「参与観察」を中心に,確認された事実を「民族誌」
として記述したものである。例えば,Hammersleyは,授業中,先生の発問に対して子ども達が答 える様子を丹念に観察し,子ども達が答えを見いだす過程には文化的な背景が強く関わっているこ となどを明らかにしている26)。また,科学教育の分野においても,OlsonとRussellらは,カナダ のいくつかの高校での科学教育の実態を学校民族誌集として描き出し,各高校でどのように実態が
異なっているのかということを明らかにしている27)。さらに日本においても,西田は,ある漁村部落社会のフィールドワークを通して,地域社会における学校の役割および地域文化と学校文化との
関連を明らかにしている28)。2)認識人類学
人類学においては,我々の認識や行為そのものが分類活動であるとする立場が存在している29)。
我々のあらゆる行為が,特定の状況において,特定の対象に対して,特定の様式をもって行われな
くてはならぬ故というのが,この立場の拠り所である3°)。しかも,この立場は,人類学にとって本 質的な重要性を持つといわれている31)。この立場がより明確に主張されている分野が認識人類学である。認識人類学も他の民族誌学と同 甲
様に,いかに異文化を理解するかという問題意識の上に成り立っている32)。ここでは,文化を,次
のように定義している。つまり,ある社会の文化とは,その成員が認知し,関連づけ,解釈するた
めのもろもろのモデルである,というものである33)。換言すると,文化を「知識の体系」として捉 えるものである謎)。そのアプローチの仕方は,文化の内包するものの分類である35)。その分類体系 を解明してきた民俗分類学(folk taxonomy)やそれによって明らかとなった民俗科学(ethno−science)は,認識人類学のもとに統合されつつある36)。
このことから,子ども達の自然認識を探ろうとする研究において民族誌的研究方法の導入を試み る場合,この認識人類学の理論的な枠組は,かなり有効な手段になると考えられる。なぜなら,認 識人類学が,いまのところ問題としている当該文化の知識の体系とは,まさにその成員を取り巻い
ている世界についての知識体系,つまり,自然認識なのであるから37)。例えば,松井は徹底的なフイールドワークから琉球諸島における動植物の民俗分類の論理と体系,さらに,その土地の人々の
動植物についての知識を明らかにしている38)。また,福井はアフリカのボディ族の色彩と模様に関する認識を調査し,ボディ族の世界観はすべての対象が色と模様によって認識されていること,そ のような世界観は彼らの生活を支える家畜である牛の毛並と関係が深いことなどを明らかにしてい
る39>。
3)エスノメソドロジー(ethnomethodology)
エスノメソドロジーは,現象学と社会学の問題関心を結びつける4°)ことにより「人々の,主観的 世界をまさに彼らが生きているままの形で把握する」41)ことを研究の主眼におく学問分野であると
いわれている。しかし,エスノメソドロジーには,必ずしも研究者の間の共通認識が存在している わけではない。ここでは,提唱者であるGarfinke1の定義に従っておくことにする。彼によれば,
「エスノメソドロジーとは日常生活の巧妙な組織的実践の偶発的営み(contingenf accomplishment)
としての文脈規定的表現(indexical expression)やその他の行為の合理的性格の研究」42)と定義さ
れる。他の民族誌的研究伝統が厳密に研究方法を定式化していないように,エスノメソドロジーも 様々な角度から,対象とする「日常生活における人々の解釈・意味付与活動」にアプローチするの である。しかし,エスノメソドロジーは研究対象に「ドキュメント」を中心としてアプローチする
という特徴によって他の研究伝統と区別される。これは,インタビューや参与観察などの手法では,調査者と被調査者という関係は拭えず,行為者の見地を徹底化できないという独自の認識によるも のである。このことについて,Garfinkelは以下のように述べている。
社会の成員は解釈図式として背後期待を用いる。その期待の関係から,現実の外
見は彼にとって身近な出来事の外見として認識され理解される。彼はこの背景に
反応していることが論証できる。だが同時にその期待が特にどんな期待から成り
立っているものであるかをわれわれに言おうとしても彼にはわからない。われわ
れがそれについて彼に聞いても,彼は殆ど,あるいは全く何も言うことはできな
いのである。/こうした背後期待が見えるようになるためには,われわれは日常
的場面の 平常通りの生活 という性質に対して異邦人になるか,その場面から
遠ざからなければならない43)。従って,データ分析においては,既存の文献・資料の他,ビデオやテープレコーダーなどに記録
された「生のデータ」が用いられるのである。えられているか」や「人がいかに状況を意味あるものにし,一貫性をもつものとして仕立て上げて いくか」を明らかにしている44)。また,科学教育の分野では,Frenchが理科授業における教師と
生徒の相互作用(生徒達の科学的技能,科学的知識に対する教師の働き掛け)45)を,この方法を用 いて明らかにしている。4)民俗心理学
この民俗心理学は,さきの教育人類学,認識人類学やエスノメソドロジーなどの純然たる民族誌
的な研究とは異なり,心理学の中に民族誌的な方法を導入した研究伝統であるといえる。民俗心理学は,実証的,実験的方法では人間の心理現象を明白に解明できないという,従来まで の心理学研究に対する批判の上に成り立っている。そこで,これまでの厳密で実験的な自然科学的
アプローチとは異なる,あまり厳密でなく非科学的な機能主義的なアプローチを採用する46)。この アプローチは,人間の心理現象やそれに基づく行為の説明に対して, 「日常水準の信念」に焦点を あてるのである47)。また,民俗心理学では「子どもの認識について民俗心理学的アプローチを適用する可能性」の検
48)「がなされている 。民俗心理学の立場からは,ピアジェ流の「臨床法」についても,従来までの
研究方法と同様に「科学的論理」が働いているものと批判される49)。そして,独自の研究方法として「哲学的対話」を重要視している5°)。哲学者であるMatthewsは,この哲学的対話を用いて,子
51)
ヌも達の文脈に沿った彼らの概念操作,思考様式を明らかにしている 。
以上,民族誌的研究方法を採用するいくつかの研究伝統をみてみた。これらの研究のなかに,我
々の問題に対する民族誌的研究方法の検討材料がいくつか含まれるものと思われる。子ども達の世界を理解するための方法としての民族誌的研究方法の可能性
ここでは,民族誌的研究におけるデータ収集法を振り返り,上にみてきた様々な研究伝統におけ る具体的研究戦略のいくつかを参考としながら,我々の対象である子ごもの世界に適用可能な具体
的な研究方法について考察することにする。まず,民族誌的研究を特徴づける三つのデータ収集の手法のそれぞれのねらいを明らかにしてお
きたい。民族誌的研究方法のもっとも基本的でかつ重要なことは, 「調査者が対象となる社会において生活を営む」ということである。つまり,フィールドワークを行うことが条件となるのである。
表2 子どもの世界を探る具体的方法とそのデータ収集の手法
データ収集の手法
参 与 観 察 法 ○ ○
絵 画 分 析 法 (○) (○) ○ 写 真 分 析 法 (○) (○) 0
V T R 分 析 法 (O) (○) ○ エピソード分析法 0 0
会 話 分 析 法 O O
表中の○は,直接的に採用されるデータ収集の手法であることを示す。 (○)は,間接的に採用さ れているデータ収集法であることを示す。これは,絵画分析法,写真分析法,VTR分析法は,ドキ ユメントが中心となる分析であってドキュメントのみでは成立しないからである。参与観察,インタ ビューなどの情報が考察には必要不可欠であり,子どもの社会への参入つまりフィールドワークが前 提条件となるのである。
そこで,まず調査者に要求されることは,彼らの生活を極力干渉しないということと調査者自身の 解釈の枠組を持ち込まないということの二点である。これらの点に関して,参与観察,インタビュ
一,ドキュメントの三つのデータ収集の手法は独自にその要求を満たそうとしている。参与観察は,観察という手法を採ることで人々への干渉を避けるというねらいを持つ,しかし,調査者の解釈の 枠組が入り込むことは免れない。また,インタビューは,調査者の解釈の枠組を持ち込むことを避 けて,多少の干渉を覚悟でインフォーマント(情報提供者)に対して質問,面接を試みる。ドキュ メントは,人々に対する干渉をなくすために,直接的な接触を避けて,既存の文献・資料を分析の
対象とするカ㍉情報源は限られることになる。上にみてきた様々な研究伝統においては,これら三つのデータ収集の手法のいずれかを中心に研 究方法が立案され,対象へのアプローチがなされていた。どの手法にウエイトをおくかということ
は,研究の目的に大きく依存しているように思われる。
以上の事柄を参考にして,我々が子どもの世界ヘアプローチするための具体的な方法を考えてみ たい。表2は,考えられる具体的方法とその方法に取り入れられているデータ収集の手法を表して
いる。
1)参与観察法
この方法では,調査者が対象となる子ども達の社会のなかに身を置き,長期間にわたり共同生活
をすることがまず必要とされる。そして,その共同生活を通して観察によって情報の収集活動を
行う作業が中心となるのである。この方法の主な特徴は,こうした作業を通して,対象である子ど
もを我々自身が直接的な体験として理解しようとすることである。この方法では,量,質ともにあ
る程度の情報が期待できるものと思われる。ここでいう量とは全体的なデータの量をいい,質とは
実際的な(生きた)データであることをいう。しかし,その反面で,調査者の主観が紛れ込みやす
いという危険もはらんでいる。そこで,インタビューの手法も同時に採用する。つまり,共同生活
の中で親しくなった子どもをインフォーマントととし,子ども自身の解釈を随時取り入れることで,観察データの妥当性と信頼性を高める努力をするのである。ただし,ここでいうインタビューとは,
改まったインタビュー形式を取るものだけでなく,調査者自身も意識しないような情報収集活動を も含んでいる。この方法の免れられない短所(短所というよりも宿命や限界と呼ぶ方が適当かもし れない)としては,子ども達と生活を共にすることで,我々が彼らに対して無意図的,無意識的な
何らかの働きかけを持ってしまうという点である。2)絵画分析法
この方法は,子ども達の描いた絵画を主たる題材として,その中にどのようなもの(対象)が,
㌧どのような文脈(テーマ)において,どのように捉えられているか(表現されているか)を探るド
キュメントが中心となる。そして,子どもの絵画の中の世界と,そこには子どもの世界がどの様な
形で反映されているのかということを明らかにすることが,この方法の目的である。具体的には,特定の個人により描かれた作品群を分析する方法と,子ども達が特定の対象に対して描いた作品群
を相互比較する方法の二種類が考えられる。実際の分析には,それぞれの作品についての,子ども達自身のコメントが必要不可欠である。ま た,調査者がそのコメントを理解し,補うという点で参与観察などによるその子どもの情報が必要 となる。さらに,調査者の視点という固定的な観点に限ってその作品の分析を行うのではなく,他 の様々な視点からも分析を可能とするために,先生のコメントや友達のコメントを集めておくこと も必要なのではないかと考えられる。例えば,これらの情報を集めることによって,その子どもの 作品が,本人以外の人にどのように解釈されているのかという観点を設定することができるだろう。
問題点としては,子ども達は知っていることや表現したいと思っていることを,自身が納得のい くように描くことができているかということである。この問題は,子どもの世界と子ども達の絵画 のなかの世界との相互関連の問題である。つまり,絵画という題材は,子どもの表現能力の問題を はらむので,もしかしたら,子どもの世界のごく限られた側面しか捉えることはできないのではな
いかという疑問を我々に投げかけるのである。3)写真分析法
写真分析法と一口にいっても,その適用形態には二つの立場がある(これは写真に限らずVTR,
カセットテープなどあらゆる記録媒体にあてはまることなのだが)。一つは,調査者がカメラを子
どもの活動の記録媒体として使用し,撮影された写真をドキュメント分析に持ち込む方法である。もう一つは,子どもがカメラを表現媒体として使用し,調査者は子どもの手によって撮影された写 真をドキュメント分析に持ち込む方法である。本研究の子どもの世界をありのまま理解するための 方法を追求するという主旨からは,この二つの用法のうち,子ども自身の世界の見方を直接的に反
映する可能性を持つと思われる後者を採用し,子ども達に適用してみたいと考える。具体的には,この方法では,子ども達各自にカメラを与えて自由に写真撮影をさせ,得られる写 真を題材として子ども達の興味・関心の対象とそれらに対する視点を探ることをねらいとする。
分析としては,先の絵画分析法と同様な観点から,ドキュメントを中心とした方法を採用するこ
ととなるだろう。ただし,この方法では絵画分析法とは異なる側面からも分析が可能なのではない かと考えられる。というのは,子ども達は,自分の興味・関心の対象のすべてをうまく言語や絵画 で表現することは困難である。しかし,写真という媒体は,そのような表現能力の有無(個人差も 含めて)を問題としないので,子ども達に彼らの見ている世界を表現させることは十分可能である と考えられるからである。また,絵画が時間的には断絶した作品群(善し悪しは別として)であり 作品間相互の関連が不明瞭となるのに対して,写真では子どもの一連の活動のなかで作品が表現さ れうるので,その点で絵画作品とは異なる観点を持つ作品であると考えられるからである。
また,分析にはすべての写真について子どものコメントが必要となり,それゆえ,調査者が参与 観察あるいはインタビューによる情報を集めておく必要があるといえる。さらに,絵画分析と同様
の理由から,先生や友達のコメントを集めておく必要もあるだろう。この方法の問題点としては,子どもの見たものと写真に写ったものがイコールかどうかという点
(例えば,写真の中心に写ったものが必ずしもその子の興味の対象とはいえないケースがでてくる など)が挙げられる。写真という媒体が,子どもの表現能力(言語や描画の)を問題にしないとい う利点を持つ反面,子どもの興味や関心の対象のみならず,それら以外の対象(これは分析にはバ
イアスとなる)をも写しだしてしまう可能性があるからである。4)VTR分析法
この方法は,Joseph J. Tobinによって考案された民族誌的研究方法の一つである。実際に,この 方法を用いて,アメリカ,日本,中国の幼稚園の子ども達の世界を調査している52)。この方法では
次の二つの特徴がある。一つは,フィールドワークを通して得られた情報を,観察者の行う記述に よってではなくVTRの映像として民族誌を表すことである。もう一つは,記録された映像を,子 ども達自身や先生,家族など周り人に見せることで観察データの妥当性を高めようとすることであ
る。この二点は,Visual AnthoropologyとMultivocal Ethnographyと呼ばれている 53)。このような作業を通して,子ともの日常的な行為の世界を表現し理解しようとすることが,この方法の目
的である。民族誌がVTRの映像という形をとるこの方法では,当然のことながら観察データもVTRの映
像で残されることになる。このことは,参与中は行うことのできないような細かな観察を後に可能 にする(VTRの記録がある限りドキュメント的な分析が可能である)という利点を持つ。しかし,
あくまでも,VTRの画像として記録されたデータにおいては,子ども達の活動に対して調査者
(VTR撮影者としての)は消極的な参与者でしかないという短所もあわせ持つのである。
5)エピソード分析法
このエピソード分析法は,スペルベルの象徴論を拠り所として,調査者が得た事実諺を記述,分
析の対象とする研究方法である54)。事実謳とは,フィールドにおいて調査者が情報提供者から入手 する「実際に起きた出来事であるという印象を受けるような語り」ということができる55)。実際に起こったという印象を聞き手が受けるのは,伝説や神話と異なり,この語りの中に具体的な時代・
場面・登場人物等が言及されているからである56)。
事実潭は話者の日常世界の出来事が取り上げられるが,聞き手にとっては聞き手自身の世界とは
異質あるいは異質であるように思われる出来事として受け取られる場合が多い。それゆえ,このよ うな特質を持つ「事実謂を記述と分析の対象として,事実課の形成プロセスをさぐり,それを象徴
するのである。
6)会話分析法
この方法を端的にいえば, 「会話分析は,対面的相互行為の組織を研究するための一方法である」
ということになる58)。このことは,人間(調査者も含めて)も世界を構成する一部であり,我々の
研究対象や経験の対象は静的なものではなく常に動的なものとして存在している,という考えに基
、ついている。それゆえ,このような世界を理解するためには,出来上がったものとしてではなく過 程として,名詞ではなく動詞として,与えられたものではなく社会的に構成されるものとして,対
象を捉えようとすることが必要である59)。そこで,子ども達の進行中の社会的な相互行為である会話を分析の題材として,話の意味がどのようにつくりだされ,交渉され,強要されるものかを見い
だす6°)作業が中心となる。このような作業を通して,会話そのものの一貫性から生きた世界の一貫 性をも明らかとすることが目的である。以上,いまのところ考えられる子どもの世界を探るための具体的方法をみてきた。これらの方法 のなかには,ただちに適用を試みることが可能なものから単なる可能性の有無の指摘にのみとどま るものまで含まれている。が,我々は,とりあえず参与観察法,写真分析法,絵画分析法などの方
法を用いて子どもの世界に接近を試みてみたいと考えている。お わ り に
これまで,我々は,最近の科学教育の関心事の一つである子ども達の自然認識にどう迫るかとい
うことについての考察を通して,以下の点について論じてきた。つまり,子ども達の自然認識を知 τ
るという問題の解決には,子どもの世界を知るという根源的な問題まで立ち返る必要があるという こと。また,子どもの世界に対する接近方法としては民族誌的研究方法が有効かつ妥当であるとい
うことである。しかしながら,本稿においてあげた子どもの世界を探るための具体的な方法は,いずれも確立さ れた方法ではなく,これから方法として試され追求される必要があるものである。そして,その過 程を踏んではじめて子どもの世界をありのまま理解するための武器となる可能性を持つということ
を断わっておきたい。次報以降においては,しばらく,ここで提案したいくつかの研究方法を具体的に利用してみて,
その妥当性と有効性について論じていくことになろう。
注
1)大きく分けて,Waikato大学のOsborneを中心としたグループとLeeds大学のDrive,を中心としたグ ループの二つが研究をリードしてきた。それぞれの研究の理論的立場に関してはRoge, J. Osborne and
M・・li・C・Witt…k・ Th・Generative L・・rni・g M・d・l and lmplicati・n・f・。 S。ience Ed。,ati。n・,∫∫。4,顔。
5dθπcεE4配cα oπ,12,(1985),pp.59−87.とRobin Millar and Rosalind Driver, Beyond Processes ,3∫砕 4 8∫ η3c eπc8 E伽cα∫ oπ,14,(1987),pp.33−62.を参照。また,主な研究成果としては, Roger Osborne and
P・ter Freyberg(Ed・・)・L・・伽9 ・5・厩 翫Z川卿伽・・σα〃4・・ガ・3伽。。(A。ckland, N。w Zea一 1and:Heinemann Publishers Ltd.,1985),R.オズボーン, P.フライバーグ編(森本信也,堀哲夫訳)『子ども達はいかに科学理論を構成するか 一理科の学習論」(東洋館出版社,1988),Rosalind
D・iver・跣ぬ卿・5・∫・・琵・・2(Milt・n K・ynes, E・gl・nd・OP・・U・iversi・y P・ess,1983),R。。ali。d D,ive。,
Edith Guesne and A・dree Tib・・gh・i・(Ed・」・α〃4・・ガ・14・繍5・厩(Mi1・・n K・ynes, E。gland、 Open University Press,1985).などがある。
2)例えば、その主なものには次のような報告があげられる。松浦典文,遠西昭寿「水の沸騰・蒸発・結露に 関する子供の認知」『日本理科教育学会研究紀要」27(3)(1987),pp.1−10.,森本信也,森藤義孝「中学生に おける粒子概念の習得に関する基礎的研究」『日本理科教育学会研究紀要』29(2)(1988),pp.1−9.,森本信 也「理科授業における学習者のPreconceptionの変容に関する一考察」『日本理科教育学会研究紀要』30(2)
(1989),pp.1−8.,森本信也,角井治朗「認知論的アプローチによる基本的科学概念とプロセス・スキルズと の統合化の試み及びその意義」『日本理科教育学会研究紀要』31(2)(1990),pp.9−13.,福岡敏行,宮脇一利「力 概念に関するオルタネイティブフレームワークの研究 一面接法による6学年児童の事例」『日本理科教育 学会研究紀要』31(3)(1991),pp.49−57.,高橋徹雄,木谷要治「中学生の生物現象理解についての研究 一物 質循環における分解者の働きについて」『日本理科教育学会研究紀要」31(3)(1991),pp.59−69.
3)例えばR.オズボーン,P.フライバーグ編前掲書, pp.150−164.を参照。
4)本田和子『フィクションとしての子ども』(新曜社,1989),pp.235−244.
5)原ひろ子『子どもの文化人類学』(晶文社,1989).
6)飯島吉春『子どもの民俗学』(新曜社,1991).
7)Y・・nna S・Li…ln and Eg・n G・G・b・,罵・伽1な・ ・1・9吻(B・・erly Hill・, C。hf。rni。, S。g。 P。blica、i。n。,
1985),PP.36−38.
8)黒田信一郎「民族誌」石川栄吉,梅悼忠夫,大林太良,蒲生正男,佐々木高明,祖父江孝男編『文化人類学事典』
(至文堂,1990),pp.756−757、
9)R・yC・Ri・t・ 0・th・ApPlicati・n・f Etb・・graphi・1・q・i・y t。 Educati。n、 P,。ced。。es and P。ssibiliti。。・
ノo配rηα 6ゾR{3∫8α7cぬ η3dεπcθ7セαc乃 η8,16(6)(1982),pp.439−440.
10)フィールドワークとは,調査者が当該社会の中で現地の人々と共に生活を営みながら研究を行うというこ とであるが,それ自体を方法として論じたものに松田素二「方法としてのフィールドワーク」米山俊直谷 泰編『文化人類学を学ぶ人のために』(世界思想社,1991),pp.32−45.がある。
11)Rist,01λc肱, p.443.
12) 1わ 4.,pp.443−444.
13) ∬わ 4.,pp.444−445.
14)渡邊欣雄杉島敬志「フィールドワーク」石川栄吉他編前掲書,p.641.
15)例えば,R.オズボーン, P.フライバーグ編,前掲書, pp.15−23.を参照。
・6)T・i・ng・蓋・ti・nの詳細1こついては, N. K. D・n・i・,・T・iang・1・t童・n・,1。 J。h。 P. Keeves(Ed.), E伽。、,。。。, R。一
∫8・κ棚蜘4・1・g抑4・撫・…鷹・M・1・ ・…伽・1H・・4わ・・ん(0・f・・d, E。gland、 Perg。m。n P。ess,
1988),pp.511−513.の他, Louis Cohen and Lawrence Manion, triangulation ,、R8∫εα7cん1しfε ん04ε πE伽cα一
∫oη(Second ea「ition)(Sydney, Australia:Croom Helm,1985),pp.254−270., Martyn Hammersley・and Paul Atki。、。n,・t。i。。g。1。ti。n・,石伽・9即妙肋・ψ ・・ 〃P・礁・(N・w Y・rk・Tavi…ck P・blicati・n・・1983)・
pp.198−200.などを参照せよ。
17)Denzin, oμd ., p.511.
18)1わ∫4.,P.512.
19)乃 4.
20)1b 4.
21)1わ 4.
22)1わ 4.
23)江淵一公「教育人類学」祖父江孝男編『現代のエスプリ別冊 現代の文化人類学 医療人類学・映像人類
学・教育人類学』(至文堂,1982),p.134.
24)同論文,p.137.
25)同論文,p.210.
26)M。rty。 H。mmers1・y, C1∬・…配E伽・9吻μ現卿・1・・4 M蜘4・1・8 ・・ E∬・y・(Milt・n K・ynes・Phi一 1adelphia:Open University Press,1990).
27)John Olson and Thomas Russel1(Eds.),5c∫8πcεE4曜α oπ1ηCαηα4 伽5cんoo 5γo 配〃1θ、皿, Cα∫θ5伽4 85 6ゾ51dθπc8丁顔c配πg,(Quebec, Canada:Science Council of Canada,1984).
28)西田芳正「地域文化と学校 一ある漁村部落のフィールドノートから」長尾章夫,池田寛編『学校文化 一 深層へのパースペクティブ』(東信堂,1990),pp.123−146.
29)松井健「エスノ・サイエンスとフォーク・タクソノミー 一その方法論的諸問題」谷泰編『人類学的方法 の研究』(京都大学人文科学研究所,1979),pp.1−2.
30)同上.
31)同上.
32)福井勝義「認識人類学」綾部恒雄編『文化人類学15の理論』(中央公論社,1988),pp220−223.
33)同論文,p.223.
34)同論文,pp.223−224.
35)同論文,p.224.
36)松井健,前掲論文,pp.46−53.
37)松井健『自然認識の人類学』(どうぶつ社,1983),pp.311−312.
38)同書,pp.31−57.
39)福井勝義『認知科学選書21認識と文化 色と模様の民族誌』(東京大学出版会,1991).
40)林芳樹「エスノメソドロジーと教育調査」松原治郎『教育調査法』(有斐閣,1985),p.248.
41)同書,P.249.
42)H。。。1d Garfi。k。1,5 嘘・∫・E伽・繍・4・1・gy(E・gl・w・・d Cliff・, N・w Jersey・Prentice−H・ll・1967)・
p.11,(なお、本引用の翻訳文は,下田直春『増補改訂社会学的方法の基礎』(新泉社,1987),レ111.による).
43)Har。ld Garfi。k。1,・St。dies・n th・R・utine G・・und・・f Everyd・y A・・i・iti・・ ・5・・ ・ P・・伽・・11(3)・
(1964),p.226,(本引用の翻訳文は,下田直春,同書, p.113.による).
44)山口は,その著書(山口節郎『社会と意味 一メタ社会学的アプローチ』(勤草書房,1982),p.105.)で,ガー フィンケルの研究(Garfinke1,3伽4∫ω加E∫加01ηε 肋40108y,(1967).)をこのようにまとめ,紹介している。
45)Jane French, Accomplishing Scientific Instruction , In Robin Millar(Ed.),Do加85dθπcε 加αg8∫qプ5cレ 飢c8 E4配cα∫ oη(Philadelpbia:The Falmer Press,1989),pp.10−37.
46)小島康次『認知発達の理論と展望』(青弓社,1987),pp.86−87.
47)同上.
48)同書,pp.90−91.
49)同上.
50)同書,pp.91−97.
51)Gareth B. Mattbews, Pん 05ρ助yαπ4 んθyθμπg Cぬ〃4(Cambridge, Massachusetts:Harvard University
Press,1980),(マシューズ(鈴木晶訳)r子どもは小さな哲学者』(思索社,1990).).52)Joseph J. Tobin, David Y. H. Wu, and Dana H. Davidson, Pアε∫choo 加7施reθα ∫㍑7θ5ゴμραπ,α加α,αη4
53)Joseph J. Tobin, Visual Anthropology and Multivocal Ethnograophy:ADialogical Approach to Japanese
Preschoρl Class Size , D α 8α∫cαL肋漉rgρo ogy,13(2)(1989),pp.175−177.
54)宮脇幸生「象徴表現と事実謂 一スペルベルの象徴表現を手がかりとして」谷泰編『文化を読むフィール ドとテキストのあいだ』(人文書院1991),p.207.
55)同論文,p.214.
56)同論文,pp.214−215.
57)同論文,pp.227−228.
58)マイケル・モアマン(藤田隆則訳)「会話分析とともに 一ある民族誌家の自伝」谷泰編前掲書,p.313.
59)同論文,ゴ.298. ,