シュプランガーの民主主義思想 一ワイマール期を中心に一
田 代 尚 弘
(1980年10月20日受理)
Der Demokratiegedanke Sprangers zur Zeit der Weimarer Republik
Takahiro TAscHIRo
(Received October 20,1980)
1 は じ め に
ワイマー一ル期ドイツにおいて,民主主義はきわめてボレーミッシュな問題の一っであった。進歩的 思想家はもとより,ドイツ・ナシ・ナリスト達でさえ,「民主主義」を唱え,自らを民主主義者と見 なした。民主主義についての種々の批判と解釈がなされ,民主主義に関する認識が高まったかぎりで,
民主主義思想は,共和国の精神的支柱として定着していくかと思われた。しかし,民主主義論争の果した 政治的役割は,結果として共和国の内面的不安定をさらに高め,最後には共和国の思想的基盤そのものを浸 食して行った。その原因は,民主主義思想の多様な展開過程の中で,反民主主義的思想そのものが,
「民主主義」思想として偽装され,さらにはこの反民主主義思想が「ワイマールにおける健全で安定 した民主主義的状況の醸成を妨げた他の精神外的諸要素と結びつき毘また一定の政治集団のイデオ ロギー的な隠れみのとして作用したことにある。たしかに,このことが,人々の心の中に反民主主義 的な認識を高める絶対的要因だったとはいえないとしても,民衆の中にデモクラシーの信念と行動力 をつくり出すチャソスは消えていった。そうして,こうした状況の中で,ワイマ『ル国家を「克服」
2)しようとするドイツ・ナシ・ナリズムの諸集団の煽動が成功するための道が開かれていく。
また,このことを逆に見れば,ワイマール民主主義は,それを担うある階級が自主的・主体的に勝ち 取ったものではなく,11月革命が社会主義革命へと発展するのを阻止するために,社会民主党(SP D)が保守勢力と妥協した結果として実現されたものなので,いわば「上から」与えられた面が強く,
したがってきわめて保守的な基盤に立つ民主主義でもあった。しかも,その民主主義はまた,各政治 的・社会的集団間の戦争的妥協あるいは同盟の産物でもあったがゆえに,自らの存在を積極的に主張
しうる程の強さを持っていなかっぜをいうこともできよう。
こうしたワイマールの政治的・思想的状況の中で,教育思想家としてのシュプランガーも,そのワ イマール期の論文の随所で,民主主義的な思想を表明している。それは,議会制及び政党に対する批 判的言明,あるいは国家論という形をとって展開されている。
シュプランガーをはじめとする当時の教育思想家達,とくにディルタイの精神科学論の流れを汲む教育思 4)z家達は,どちらかというと「新人文主義及びドイツ観念論の伝統的な思考の継承としていわゆる
『個人』の精神的一道徳的自己規定の問題をその社会的諸条件や諸前提から引き離して解釈していた
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が故に?激育を取りま偲想的状況}こ対する彼らの認識には的確さが欠け,彼らの教育思想その ものが, 「講壇教育学」として,国家社会主義の台頭に対して有効な抵抗の手段になりえなかったと いう指摘がなされてい魂
本稿の課題は,ワイマールの,民主主義をめぐる論争的状況の中で,シュプラソガーが,民主主義 をどのように認識し,理解していたのか,あるいは民主主義ということで何を守ろうとしていたのか を明らかにすることにある。このことは,シュプランガーの民主主義思想の軌跡をたどり,彼の思想 を反民主主義的思想の特徴と対比することによって,彼の民主主義思想を析出することになる。また このような考察は,シュプランガーが,ワイマール期に,教育に何を託し,何を教育から排除しよう としたのかを明らかにするための前提に関わることにもなろう7!
皿 シュプランガーの民主主義認識
1 民主主義批判の意味
ワイマール民主主義の内面的不安定と,そうして最後にはその不幸な挫折をもたらした原因の一つ は,民主主義の概念がきわめて多様に解釈されたこと,反民主主義的思想家による民主主義概念の偽装,
すり替え,あるいは民主主義の明確な否定によるものであった。たとえば,カール・シュミットは,議 会主義批判のさいに民主主義と自由主義を区別することによって,ファシズムをすら民主主義と規定 8)したし,メラー・ファン・デン・ブルックは,「おそらくわれわれは,いわゆるく民主主義者ども》
がいなくなった時にはじめて,このドイツで民主主義への信仰を告白することができるであろう」9芝 述べ,民主主義という言葉の内容をすり替えてしまった。また周知のごとく,オットマール・シュパ
ンは,『真正国家論』を著し,その中で身分制国家の構想を展開することによって,ワイマール民主 主義にはっきりと逆行した。こういった状況の中で「ワイマール共和国における民主主義の脆弱さは,
それが民主主義者と反民主主義者を区別せず,民主主義の敵に対して適切な措置をとることができなか ったという事実から説明される雪)というゾソトハイマーの指摘は,きわめて正鵠をえたものであろう。
シュプランガーは,その論文「学校改革の三つのモチーフ」(1921年)の中で,「民主主義は合理 主義から生じ,政党の政治算術に終る……民主主義は精神を一層原子化し,つねに個人の利己主義ど ころか更に貧欲な政党の利己主義に堕落する]1)と述べ,民主主義のもつ合理性と民主主義の政党的堕 落を批判した。さらに彼は,「民主主義は,所与の国家を諸政党の対立抗争に委ねることにより……
国民生活自体を脅威してきた。以上の二つのどの点についても,平等思想は権力意志と階級的個人主 義の偽装にすぎないことが明らかとなった」2延して,民主主義の根本原理である平等についても批判 的見方をとっている。シュプランガーによる,この民主主義批判の表現スタイルは,D多元的政党の 存立によって共和国の基盤が弱められ,ii)平等の原理こそが人間精神の質を低下させるとする反民主 主義思想のライト・モチーフを表わす言明と同じスタイルである。この点でシュプランガーの民主主 義認識は,反民主主義者のそれと同じ近因をもつものなのだろうか。シュプランガーの,この民主主 義批判の動因は,何であったのかQ
当時の民主主義に対する批判の一つは,民主主義が形式主義に堕するというものであり,それは啓 蒙合理主義精神に対する反動として現われた。こうした動きの中で,非合理主義運動が喚起され,民 族共同体的思想が胚胎されていくことになる。シュプランガーも,「民主主義的な範疇は啓蒙主義の 世界からきてf)いるとレまた「民主主義は万事につけて,実際にはただ有機的に生成した精神生活
からのみ生じうるものをさえ,合理主義的機構を介して達成しうると思っている甘)と述べ,啓蒙合理 主義を批判する。たしかに,このようなシュプランガーの言明を見るかぎりでは,彼の思惟様式は反 民主主義者のそれと共通の基盤を有しているといえよう。しかしわれわれは,シュプランガーの「人 々はますます決定的に権利の平等の恢復に努力している。所得分配や所有権の変革が問題となってく るにしたがって,民主主義はますます明瞭に自由主義から社会民主主義へと」動いて行く鬼いう言葉 の中に,彼の,歴史必然性の基盤に立った合理的な民主主義認識を見ることができる。
では,シュプラソガーの,民主主義に対する批判は何を意味しているのか。結論的にいえば,彼の批判 は,「政党的社会主義者」のいう民主主義,つまりワイマールの社会民主主義の現実に対する批判で あった。シュプランガーは,このワイマールの社会民主主義の欺隔性を「政党的社会民主主義干)とレ
トリカルな表現で批判する。
シュプラソガーは,フラソス革命のスローガソであった,自由・平等・博愛が,11月革命後のドイ ツの「精神的及び社会的全体運動」の中に継続されているとみなし,「今日もなお,三つのものはす べて動・反動の形式をたもって活きぞ」)いるという。自由は自由主義の原理として,平等は民主主義 の原理として作用しているが,博愛を原理とする「体制」はまだできていないとする。シュプランガ 一によれば,この博愛の原理は「先ず体験として,人間の人間に対する全体関係としてある。それは 人間の利害関係のみでなく人間の本質を包含する共同生活の有機的形式予の中にあり,個人主義的個 別化や国家的機構による外的平等の関係だけではなくて,人間の間に内的本質のきずなをつくり出す ものである。シュプランガーにとって,博愛に基づく体制こそが,自由主義と民主主義を結節すぎ粒 会体制であり,彼はそれを,11月革命によるワイマールの社会民主主義の体制に期待したのであった。
事実,1918年までのシュプラソガーの政治的歩みは,自由主義的方向の,確信に満ちた君主制者 から,社会民主主義に共感しつつも,社会民主主義に一歩を踏みだすことなく,社会民主主義に対峙
20)
オている民主主義者への転向と見ることができる。第一次大戦中のシュプラソガーの態度は,当時の 指導者層の大部分とはきわめて対立している。シュプランガー全集第8巻の編者であるヘルマン・ヨ
セブ・マイヤーは次のように述べている。 「われわれは,シュプラソガーのいかなる戦争演説も知ら ないが,彼の,状況の冷静な評価についての,相互理解の意志についての,また支配層批判の,及び 民主主義的かっ平和的志操についての多くの証言を知っている了1を。
またシュプランガーは,1918年10月15日付のアロイス・リールへの手紙の中で,「あなたと私の 古い理想とさしあたっては相入れない」社会主義がなぜ古い体制と交替しなければならないかを述べ ている。彼は社会主義を,崩壊から生じてくる未来ある力と呼んでいる。「われわれは,ブルジョア ジーのわれわれにとってなじみ深いラソトと並存する新しい世界を耐えしのぶだけでなく,むしろそ の新しい世界を評価することに慣れてみよう。その新しい世界は,私が集団責任の理念と呼んだ,あ る大きなものを萌芽として内蔵している」と語ってい潔そうして彼はすでに1918年9月6日に,
公式に民主主義的・社会的国家理念への信仰告白を行ったのである。
シュプランガーは,博愛を原理とする社会主義を「有機的社会主義」と呼んで,ワイマールの社会
23)
民主主義つまり「政党的社会主義」と区別した。シュプランガーにとって社会主義とは,「単なる理 論的構成物や権力渇望的な階級的個人主義の一形式ではなく,真正な愛の精神仔)を体現するものと考 えられている。したがって,シュプランガーの思念する「有機的社会主義」は,ワイマール憲法とい う国法的規範から演えきされるものではなく,「共同社会体験」を土台として成立するものであり,
彼はこの「共同社会体験」の中でこそ,民主主義的な自由と平等が体現されると考えている。
しかし,現実のワイマールの社会民主主義が,こうした共同体験を土台として生じる博愛を原理と
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する「有機的社会主義」とは全く異なった,政党的利害に左右される「政党的社会民主主義」であっ た時,シュプランガーは,現実のワイマール民主主義を欺隔的なものと批判することになる。しかも 彼は,当時の青年運動の中に,この共同社会体験の場を見ており,青年運動に期待を託し次のように 述べている。「共同社会体験は……今日の青年運動のただ一つの明白な,しかもそれだけで充分注目 に値いする根本特徴である」。 「この体験の中で新しい類型の人間が生れる。なぜなら青年運動は…
25)
Vしい種類の精神一新しい霊性,新しい民族性の稲妻だからである。」「多くのものが青年運動にふ さわしく優れて芸術的である。エロス,自然の歓び,月明の夜,火の魔術野
シュプランガーの,こうした青年運動の賛美あるいは「共同社会体験」のとらえ方は,きわめて芸 術的であり,ロマン主義的であるといえよ82そうすると彼のいう「共同体」あるいは「有機的社会 主義」という考え方そのものも,本質的には,反民主主義思想の土壌となった非合理主義の政治化を 内在的に含んでいたのであろうか。いいかえれば,彼の民主主義認識の中には,「民族共同体」を容 認する契機が含まれていたのであろうか。
2 オットマール・シュパン批判 」
ワイマール時代に「共同体」とか「有機的」とかいう言葉は,一つの魔術的響きをもっていた。ゾ ントハイマーによれば,「共同体」思想はすでに顕在化している近代産業社会を前提とした上で,利益 社会の中で大衆的原子に分解してしまった個人に,再度古いプロイセン的雰囲気を与える役割を果し
た。そうして,その思想は容易に「民族共同体」の思想と結合していった弩〉
上述のごとく,シュプランガーは1921年の論文で,博愛のモチーフに基礎づけられた民主主義こ そが真の民主主義であると見なした。そうして,この博愛が共同体の中での共同社会体験によってえ られるものであるとし,青年運動の中にこそ共同社会体験の場があると考えた。しかし彼の青年運動 に対する認識は,きわめて非合理主義的・ロマソ主義的であり,そのかぎりで彼の民主主義認識は,
たとえ彼の民主主義批判の意図がワイマールの現実の腐敗に対して向けられたものであろうとも,民族 主義的因子を含んでいたのではないかという疑問が提起されたのである。
しかし,1928年の「現代ドイツの国家哲学について」という論文では,民族共同体の思想にふれて
「民族共同体からの国家の再生」を「歴史的に考察してみると,やはりロマソ主義の再生であるのみ ならず,むしろ現実に,青い花の咲くロマソ主義であぎ1)と冷静な評価を下している。シュプラソガ 一によれば,このような有機的民族共同体はもはや現実には存立しえないし,もし存立しえても,そ こから国家の再生は行われないのである。こうした意味でシュプラソガーは,現代世界及びドイツの 歴史的.社会的諸事実つまり臥の究極的な機械イヒ,社会の原子化は瞳景によっては解決されな謂
と述べ,ロマソ主義的・非合理的運動としての民族共同体思想を否定している。さらにシュプラソガ 一のこうした態度は,彼の,オットマール・シュパソの普遍主義の思想に対する批判的言明の中に,
はっきりと読みとることができよう。
周知のごとく,シュパンは,ワイマール期の反民主主義的思想家の一人とみなされている。彼は,
その著『真正国家論』(1921年)の中で,身分制的に編成された国家の建設を主張した。一般に身分 制国家観は有機的国家観として現われるが,「シュパンの場合も同様で,自由・民主主義的国家秩序 の中では機械の法則,したがって原子化と孤立化と人工性の法則が働いているのに対して,彼の国家 像は生けるものの法則を体現するも6?であると考えられる。彼の国家観の背後には,アリストテレ スの普遍は個に先行するという普遍主義的な哲学の命題がある。シュプランガーは,このようなシュ パンの普遍主義の意図を見抜き,次のように述べている。 「オットマール・シュパンのいうような普
遍主義だけが,個人主義に対抗するのではない。個人はどこかで孤独な存在であるにちがいないし,
人間は平凡であるという命題でもって,まさしく今日一般には何か特別なことが考えられている。つ まり,社会全体は個人の単なる集合体,個人の総体として理解されるべきではなく,また技術的に意 図された社会化あるいは自然的意味での集合体として理解されるだけではなく,むしろ社会全体は個
々人に先立って存在し,それは一つの有機的で本性的な連関であるということが考えられている」32を。
このようにシュプランガーは,シュパンのいう普遍主義の中で民族共同体思想の論理化が行なわれる ことを指摘し,「このような考え方は,国粋的な人々の間に(in nationalon Kreisen)強い影響 を及ぼしたf匙述べている。
シュプラソガーによれば,そもそもテンニースによって考えられたゲマイソシャフトとゲゼルシャ フトという二分法から,一般には民族的原理の,つまりある形而上学的民族心の作用として新ロマン 主義的意味で考えられる民族共同体(Volksgemeinschaft)の思想が引き出されているのであり,
このことによって個人主義の否定と共通の国家意志の基盤の獲得が望まれているのである。かくして シュプランガーは,シュパソが真正国家のための基礎として,動力学的普遍主義あるいは全体性の理 論を意図的に宣告し,こうした器官学に立って再度一つの新しい身分制国家を構築しようとしたのだ
と批判する。
シュプランガーの,このシュパソに対する批判的言明の中に,真の民主主義を追求しようとしたシ ユプラソガーの思想的軌跡を見ることができる。また彼の民主主義認識が反民主主義者のそれとは明 確に区別されるべきであるし,彼のいう「共同体」,「共同社会体験」,「有機的社会主義」は,反 民主主義的「民族共同体」とは全く異なったものであると,私は考える。たしかに,上述のごとく,
シュプランガーの民主主義認識,特に青年運動によせる期待の中には,きわめてロマソ主義的色彩が 強く反映していることは否定できない事実であろう。しかしそのことによって彼の思想を反民主主義 的と考えることはできない。
次に,シュプランガーの民主主義認識の問題は,彼が国家をどのようにとらえていたのかという,い わば国家観の問題へと収敏していく。
皿 民主主義的法治国家論
1法治国家の認識
ワイマール期の反民主主義思想傾向から見れば,「国家」は民族共同体の外部形態と考えられてい た。ゾソトハイマーは,反民主主義的国家思想の特徴を次のように述べている。「反民主主義的同志 たちが打ちたてたいと願った真の国家は,国家自身に由来する国家であった。つまりそれは,往時の の契約思想が想定したような国家一所有権と肉体と生命に秩序と保護を与えるために一つの支配団 体を創設した人々の委任に由来する国家_ではなかった曹と。つまり,反民主主義者達をいらだ たせたのは国家と個人の契約による国家の成立という近代国家理論の思想的前提であった。彼らは,
まず何よりも,国家の個人に対するアプリオリな優位を主張する。
シュプラソガーは,国家と個人の関係について,「国家は個々人によって支えられているのでは決 35)
36)
@秩序により全住民を統一的作用へとまとめるものである」と述べている。この言表から見るかぎり たしかにシュプラソガーも,国家の個人主義的出発を否定する基盤に立ち,権力国家的発想をもって いるかのように思われる。しかし,シュプランガーの「国家は客観的・精神的構成体」という表現は,
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国家そのものが歴史哲学的に基礎づけられ,ルソーのいう意味での一般意志つまり正義の理念が国家 の中に歴史的に具現されているといるということを意味する。シュプランガーは,ルソーの一般意志 の中に,国家意志形成のための倫理的規範を想定する。したがって,この一般意志は多くの人々の個 人意志の単なる総体ではなく,この意味で一般意志は超個人的で規範的な正義の理念を含むものであ るといえる。それゆえに,この一般意志を含む国家は,超個人的な歴史的産物として,歴史哲学的に とらえられることになる。
一方シュプランガーは,「国家が個人を飛びこしてどこかでその生命をもつというのは,やはり一 っの神秘的観念である」,「現代はまさに,……きわめて同権的に考えられる個々人を前提にしてい るう7)と述べ,現代国家の個人主義的出発の契機を明確に認識している。しかも国家が個人と無関係に 構想されるという考え方を「神秘的観念」と表現する。こうしたシュプランガーの国家についての思 惟は,ワイマールの中で胚胎された「身分制国家」の思想や「権力国家」及び「全体国家」の思想的 基盤とはまったく別の次元に立っている。
近代国家の原則は,国家とその成員としての個人の関係が,法治国家と市民との倫理的な相互依存 関係としてとらえられるところにある。組織としての国家は,その諸要求と成員の諸要求との調整が 可能となる時にのみ,統一体として機能する。そのためには,国家は諸個人の自己実現を保障する法 秩序を実定化し,保証しなければならない。他方,成員としての個人は,公共性の秩序に反してその 自己実現を達成しようとしてはならなV響このような近代国家の原則について,シュプランガーも,
次のように述べている。 「個人の基本権は,倫理的に重要なかつそのかぎりで国家自体にとっても重 要で,国家によって守られた,個々人の権力領域である」。「個人のきわめて私的なことを度外視す れば,各人は今日国家の働きを頼りにしている。個人の権力あるいは自由は,国家権力の(個人に保 障された)一部分にすぎず,国家権力は逆に個人の自由な意味ある支持的共働作用に依存する」3窪。
このような言明に見られるシュプラソガーの国家と個人の相互依存関係の理解は,法治国家と市民の 関係を示したものに他ならない。この点で,シュプランガーの国家認識は,近代法治国家論に基盤を 置いていることが明らかとなろう。
ところで,法治国家は,その存立の要件としてきわめて多様な世界観的要求,いいかえれば政治的 信念の相違を内包し,さまざまな国家観の存立を許容している。そうしてシュプラソガーによれば,
「この諸々の国家観は,社会的諸力及び政治的諸力として影響し」,「民主主義的・議会主義的意志 形成においてこの諸々の国家観は……国家の方向づけに決定的に関わるために,いわんや本来的に真
の国家意味を得るために櫃に努力しあず肪である.シ。プラソガーは湘剋する国家観力緬的
になんらかの方法で排除されるのではなく,そうした種々の国家観の内在する国家そのものを対立の 統一体とみなさねばならないと考える。したがってシュプランガーは,国家自体を完結した静止状態 ととらえるのではなく,矛盾を含む統一体,あるいは弁証法的契機を内在させる柔構造社会としての 国家を考えているのである。国家の内で引き起こされる「諸々の緊張と葛藤は,解決されえないので ある。なぜなら,それらは,国家自体における倫理的諸力の運動であ蓄ヨと,シュプランガーは述べている。
シュプランガーは,政治的信念の対立を排除的に取り扱うことは,まったく政治的未成熟の現れと し,諸々の信念はあまねく,こうした差異と対立の下に置かれているものと見なしている。さらにシ ユプランガーは,「民主主義的・議会主義的意志形成においても,相互に関係しあっている種々の世 界観の拮抗作用が,十分に分化された統一へと達しないならば,破局が生じるであろう。つまり国家 そのものが……分裂してしまうであろう」と述べている。そうして彼は,こうした破局が生じた時に
●
拍W団のアナーキーかあるいは独裁制が生じてくると指摘し,「誤った弁証法の最後には,危機の非 合理的形態として一つの新しい絶対主義がおそらく国家意味を救済する軍部独裁という形をとって」
出現すると予告謂)柔構造社会としての現代の法治国家の中に秘む危険性を指摘した。
法治国家としての現代国家は,その市民の自由で倫理的な賛同の上に立ち,国家の意志形成は,その市 民の倫理的な志操をできるだけ制約せずに,自からの意志形成を行なわねばならない。この点に,シ ユプランガーは,「現代法治国家の意志形成の最大の課題」を設定した。次に,こうしたシュプラソ ガーの法治国家に対する認識を,ルードルフ・スメント及びハンス・ケルゼンに対するシュプランガ 一のコメントを通して見てみよう。このことによって,シュプランガーの民主主義的法治国家の理念 が明らかにされてくる。
2 スメント及びケルゼンに対する批判的距離
周知のごとく,スメソトは,ワイマール期ドイツにおいて,ケルゼソの「純粋法学」の方法論的基 礎である新カント派を批判し,国家を一つの状態性でもなく,静止した秩序体系としてでもなく,不 断の自己形成過程とみなした。その自己形成過程は,自然に生じるのではなく,人為的な統合による ものである。スメントは,この統合を人的統合,機能的統合,物的統合という三つの型に分け,憲法 を,こうした統合過程の法的規範化とみなした。ゾントハイマーによれば,スメソトの意図は議会制 原理による民主主義国家の否定であり,精神的生の統一体としての国家の再生であり,国家をそれ自 体の価値にまで高めることであった誓)そうして彼の統合理論は国家生活の統合過程を強調することに よって,逆説的にワイマール共和国の多元的分裂をきわ立たせる効果をもった。したがってそれは,
ファシズム出現過程の実践理論として大きな役割を果したのである。たしかにスメソトは,シュミッ トのように権威主義的リーダーシップをもった国民的権力国家に公然と賛成することはなかった。し かし現実には彼は広く反民主主義的国家思想のもち主と見られ遣ぎ
シュプランガーは,スメソトの統合の過程という概念を社会学に由来するものとし,「その概念は 多様に分化した土台における統一の形式ということを意味しうるにすぎない」と述べ,スメントの
「国法の第一の課題は,国家的全体の統合である」という文を引証する。シュプラソガーにとって,
スメソトの考え方は,国家的個性の発展と影響つまり,換言すれば国家のエソテレヒーの意識化と行 為化として,理解されている。シュプランガーは,「私はこうした概念で国法的思惟の一定の方法が 表現されたかどうか,あるいはきわめて多様な問題がはっきりしたかどうかわからない」とし,スメ ソトの思想に一定の距離を保とうとする誓)このようなスメントに対するシュプランガーの批判的な距 離は,シュプランガーがワイマール期の国家思想の混乱と,それに伴なう「新しい国家」つまり民族 主義的国家の思想的偽装に学問的次元で疑問を投げかけているものと見ることができよう。
一方,シュプラソガーは,法と国家についてのケルゼソの見解にも批判の眼を向ける。ワイマール 中期のドイツ国法学の争点の一つは,法と国家をめぐる実証主義的傾向に対するものであった。実証 主義の側に立つ者としてケルゼンは,イエリネックの方法論的要請を徹底化し,存在と当為,意志と 規範を峻別した。彼は法を一切の政治的・社会的実質から切り離された当為的規範と見る方法一元論 の立場,っまり「純粋法学」を主張した。この立場から見れば,国家は法学的視点からのみ認識され 国家は法秩序の擬人化されたものであり,結局は法秩序そのものに他ならないと考えられる。その結 果,法と国家が同一視されることになり,「現行法こそ国家である」ということになる。シュプラン ガーは,ケルゼンのこの「純粋法学」に対し「ケルゼソは……固有な国家社会学の可能性を否定した し,また国家を純粋に法実証主義的に,実証的に妥当する法秩序の体系と単純に同一視しだ守と批判
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キる。またシュプランガーによれば「極端な法実証主義は,政治的なものを異物として国家の本質か ら排除することに響なる。こうした言明の意味は,官僚によって担われる強い国家権力,っまり国家 の「首脳部の意舖)槻行の実定法に艮ロしてすべて合法的とされてしまうという危険性の指摘である。
したがって,ケルゼソのように「現行の実定法に即してすべてが合法的に異論なく生じるだろうと答 えるしかないならば,これは確かに究極的承認ではない。なぜなら,その背後に,義務的な法基盤を 問う,また現行法自体の合法性を問う問題がでてくるのであぎ?。そうして,ケルゼンの存在と当為 とは別であるとする考え方に対し,シュプラソガーは「存在と当為は精神的なものの中では全く分離 されな謂と反論する.シープランガーの危惧は,法と国家の同一視から生じる,国家権力と法規範 の一体化であり,このような一体化の中での国家権力の倫理的正当化及び「法治国家思想の否認と空 洞化野)であった。まさにこうした法と権力の一体化による,国家の絶対化的傾向こそ,シュプラソガ 一の反対して止まないものであった。次にこのシュプラソガーのスメント及びケルゼン批判から出て
くる問題は,シュプラソガーが国家における権力と法との関係をどうとらえているのかということである。
3 法治国家の理念と政党の問題
シュプラソガーは,権力の倫理性を考察して,「権力はその本質から見れば反倫理的ではなレ署),
「権力そのものは,個人の生活意志や個人の健康への衝動と同様に反倫理的ではない7)と述べている。
そうして「権力に対する憎しみはただ,自分の存在を個人主義的に自己肯定することがあたかも決定 的な権力意志をも含まないのではないかという錯覚から,あるいは失望した権力意志のもつ弱々しい そねみから生じるのである智とし,「権力への意志」を「あらゆる生物に備わっている」ものとみな す。シュプラソガーによれば現代はこのような権力の正当性を粗野な暴力と一緒にさせることによっ て,倫理的に権力を失墜させようとしているという。この権力が国家権力として出現する時,その正 当性,倫理性は,何よりもまず法との関係によって規定される。シュプランガーにおいては,「あら ゆる時代に,国家は権力と法という奇妙なヤマスの顔を示してきた。法という形の中に権力があり,
国家権力によって法が行使されるというのは国家の本質予)であると考えられている.このような意味 で権力と法は本質的に関連しあっており,「国家における権力と法の関係は弁証法的である。一方は 他方なしでは存在しえなレ丹)とシュプラソガーは述べるのである。このようにシュプランガーは,権 力と法との拮抗作用によって両者の特質をとらえようとしている。シュプラソガーのいうように,法 と国家権力が相互に弁証法的媒介なしに対立させられたり,法と権力が同一視されるかぎり,法の特 質と権力の特質のどちらも正しく把握されないであろう。つまり法の権力形成的性格がなければ,法 の効力も国家権力も存立しえないし,一方,国家権力の法形成的性格がなければ,法の実定性も,国 家も存在しえないことになる。こうした意味で,たしかに法と権力は弁証法的性格をもっているとい える。このような権力の正当性,倫理性は,まさに法的良心によって規定され,そうして,こうした 法と権力が倫理的に拮抗するかぎりで「法治国家の理念の基礎には,理念的に倫理的正義の思想があ 罰)ということができる。
シュプランガーにとって,法治国家とは,法と権力の弁証法的関係を含む「高度な倫理的制度とし
58)
トの国家」であり,個人の良心を拘束することなく,また「良心の自由の活動が,私の良心の自由に 対してだけでなく,他者の良心に対しても認められ調)国家であった。そうしてシュプランガーにお いて,法治国家の理念の現実化の問題は,なによりも政党の問題と結びついている。
シュプランガーは,ワイマールの議会制が結局は比例代表制の下で数による多数決主義に堕し,議 会主義的手続は単純な技術的手段になり,その結果,国家の意志がきわめて種々の世界観へとそのつ
ど変化することになるとして議会制を批判する。彼は,その原因を「諸々の政党が世界観的に基礎づ けられている」ところにあると指摘する。彼は,ワイマールの社会民主主義の現実を「政党的社会民 主主義」であると批判し,そこから政党に対しても種々の鋭い批判を行なっているが,しかし決して 政党そのものを否定するのではない。政党こそは,近代民主主義的法治国家の意志形成における重要 な要素であり,議会制の機能の良否を規定するものである。この意味でシュプランガーも次のように 述べている。「国家的意志形成は,わが国つまり議会主義的体制では,多くの個々の選挙人の自由な 共同行為あるいは職業的集団化以上に,政党の意志にはるかに左右され8雪と。
ワイマール国家が政党国家である以上,その国家は政党のイデオロギーに支配される。シュプラソ ガーは政党のイデオロギー性を認めつつ,政党が一つの部分であり,部分は他の部分との関係の 中でこそはじめて機能し,政党が一定の社会的・文化的地盤から必然的に生じてくる精神的な力であ ると考える。ここからシュプランガーは,議会制における与党と野党の機能を次のように見ている。
「与党には,しばしばそれが国家の支配権をもっていると思っているかのごとく印象をうけ,野党に は,それが国家に対する反対行為をとるよう義務づけられていると思っているかのごとく印象を受け る。しかし,与党と野党は,国家の為に,国家意志の同じ実体によって結束され有意義に機能しなけ ればならないし,また自からをこうした同じ意志方向の種々の解釈と見なければならなぎ1)と。シュ プランガーは,このように与党と野党の議会制における機能を確認することによって,政党間の不毛 な単なる権力闘争を排除し,民主主義的な法治国家理念の具現化を政党そのものに託しているのである。
以上,シュプランガーの民主主義思想を,彼の民主主義認識と法治国家論という視点から考察して きた。彼は,ワイマールの政治的現実と民主主義思想の錯綜の中で自己の民主主義思想を反民主主義 的傾向の思想からきわめて注意深く峻別していった。彼は,ワイマール国家の不安定さを,法治国家 思想の未定着の結果ととらえ,内乱と独裁を避けて,ドイツ国家を再生させようとする自由・民主主 義者であったQ彼の民主主義思想の軌跡をたどると,時として「国家や政治権力に対しては微妙なゆ
らめ野槻られる.しかしこれは,シープランガ_もまた,当時の民主主瀦あるレ、は塒流に
敏感であった多くの現実的理論劉)と同様に,その理論的鞭の繍、腐らしているものと解すべき であろう。注
1)KSontheimer,.Aπ dθmoんrαε sんθs 1)eπんεηぬderワ7e mαrer RθpμわZ ん,1968.
邦訳.K.ゾントハイマー,河島幸夫,脇圭訳『ワイマール共和国の政治思想』(ミネルバ書房,1976年),
PP.6−7.
2)同書,P.3.
3)安世舟『ドイツ社会民主党史序説』(御茶の水書房1973年),p.351.
4)H.ノール,Th.リット,ヴェーニガー, W.ブリットナー等が挙げられる.
5)小笠原道雄『現代ドイツ教育学説史研究序説』(福村出版1974年),p.、291.
6)長尾十三二『西洋教育史』(東大出版会1979年),p.264.
7)村田昇「国家と教育』(ミネルバ書房1969年)はシュプランガーの政治思想を体系的にとらえている。
8)宮本,初宿編『カール・シュミ。ト論集』(木鐸社1978年),p.252. ●
9) ゾソトハイマー,邦訳,pp.168−169.
106 茨城大学教育学部紀要(教育科学)30号(1981)
10)同書,P.183.
11) シュプランガー,村井実,長井和雄共訳「丈化と教育』(玉川大学出版1970年)・P.194.
12)同書,P.191. 13)同書, P.197. 14)同書, P.191. 15)同書, P.189.
16)同書,P.185. 17)同書, P.184, 18)同書, P.195.
19)長井和雄『シ昌プランガー』(牧書店1957年),p.134.
20)Spra㎎er, Gε8α醜me伽8cんr諺eπ「肌1969. S.415.(以下GSと略)
21) Ebenda, S.416.
22) Spranger, GSVE S.91.
23) シュプランガー『文化と教育』p.185.
24)同書,P.195.
25)同書,P.195.
26)同書,P.196.
27)長井和雄『シュプランガー研究』(以文社1973年),P.51.
28) ゾントハイマー,前掲書pp.261−26a 29) Spranger, G S V. S.112.
30) Ebenda, S. ll2.
31) ゾントハイマー,前掲書,p.204.
32)Spra㎎er, G S V. S.111.
33) Ebenda, S.111.
34) ゾソトハイマー,前掲書,p.200.、
35)Spra㎎er, GSV, S.110.
36) Spranger, G S細, S.169.
37) Spranger, G S V, S 110.
38)ヘルマソ・ヘラー,安世舟訳『国家学』(未来社1977年),p.483.
39)Spra㎎er, G S皿, S.173.
40)Spra㎎er, GSV, S.121.
41) Spranger, GSI, S.143.
42)Spra㎎er, GSV, S.124.
43) ゾントハイマー,前掲書pp.76−77.
44)ヘラー,前掲書,p.418. 45)GSV, S.120. 46)Ebenda, S. ll6.
47) Ebenda, S.118. 48) Ebenda,S.108. 49) Ebenda,S.108. 50) Ebenda, S.116.
51)H.ヘラー他,宮本他訳『ヴァイマル民主主義の崩壊』(木鐸社1980),p.13.
52) GSV皿, S.173. 53) GSV, S.128. 54) GS田, S.173.
55) GSV, S.116. 56) Ebenda, S.120. 57) Ebenda, S.117. 58) GSV皿, S.178.
59) GSI,S.159.
60) GSV, S.121. 61) GSV皿, S.190.
62)教育哲学会,『教育哲学研究』1977年,p.6.
63) 『カール・シュミット論集』,p.58.
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