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定年を迎えての雑感

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Academic year: 2021

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 ここ数年、準硬式野球部の部長をさせていただい ている。前任の地理学の藤田先生が長年部長を務め ていただいた後を継ぎ、次代とのいわば中継ぎでは あったが、何とかまっとうできそうである。これは ひとえに監督はじめOBの御協力のおかげと感謝し たい。

 これまで、フランス語教育、フランス文学研究の 活動を長らく行っていたが、それらは多くの同僚と のコミュニケーションが有益であったとしても、基 本的には個人が責任をすべて背負って行うものであ り、先行研究を参照するのは当然ではあっても、部 活動のように多様な協力関係を必ずしも前提として はいなかった。唯一、他分野との共同研究といえる のが、パスカルのデータベース作成であったが、こ れ以外は少なくとも私の研究方法はそのようなもの ではなかった。文学とは最終的には一人の作家が孤 独に行う創作活動であるように、文学研究もそのよ うなものとして向き合ってきた。この小文を書いて いる今も、耳にはイヤホンでお気に入りの音楽をか すかに流し、窓のブラインドを閉め、外部との接触 をなるべく少なくして一人でパソコンに向かってい る。その意味で部活動は学生との関係を含め新鮮で あったし、楽しくもあった。それに少しでもかかわ る事ができたことは幸いであったと思う。

 私が文学研究の対象としてきたのはパスカルで あった。17世紀に活躍したパスカルは前世紀後半の ユマニストであるモンテーニュが書きあらわした

『エセー』から多くの影響を受けていた。モンテーニュ は宗教戦争と疫病の時代を生き、行き過ぎた信仰の 狂気を目の当たりにし、その後公職から早々に引退 し、ブルボン王朝の初代国王のアンリ四世からの顧 問要請も断ってみずからの城館にこもり『エセー』

執筆に後半生をすごした。

 パスカルはモンテーニュを非キリスト教的である

として非難している。「だらしなく軟弱に死ぬこと しか考えていない」と言って批判したのである。パ スカルの宗教観では回心すること、回心して新しい 生を生きることこそキリスト教徒としてのあるべき 姿であった。それゆえモンテーニュの描くあるがま まの人間の生き方を堕落と捉えたのである。これに たいしパスカルは呻吟しつつ神を求めるように促し、

キリスト教徒としての、あるべき人間を復活させよ うとしたのである。そのような意図をもって、神に ついて無関心なひとびと、あるいは意図的に無神論 であるひとびと、つまり当時の言葉で言えばリベル タンを説得しようとして『パンセ』は構想された。

 さて、私自身はどうであるかといえば、まさにパ スカルが説得する対象としたリベルタンであったし、

今もなおリベルタンであることに変わりはない。心 の中をのぞいてみると、どうもパスカルよりもモン テーニュに親近感をいだいている自分に気づくこと がある。パスカルのきわめて厳しい宗教観がパリの ノートルダム大聖堂のような、ゴシック様式の高く 屹立した峻厳な建造物のイメージなのに対し、モン テーニュの書にはむしろその前の時代のロマネスク 様式のような、柔らかい暖かみを感じるのである。

実際、ロマネスク様式はゴシック様式に比べ脆い石 材で建てられ、それゆえ高い建築には不向きであっ た。15年から一年間、在外研修を利用させていた だきパスカルの生地であるクレルモン・フェランに 滞在した。その町で印象的であったのは、パスカル が気圧の実験を行った円錐形のピュイ・ド・ドーム の山であり、また町の中心にある黒く陰気なゴシッ ク様式の聖堂であった。この聖堂のすぐそばにパス カルは幼少時を過ごしていたが、私が惹かれたのは むしろそこから少し離れたロマネスク建築の教会で あった。

 モンテーニュ自身によれば、この書は私的なもの

―  ―2 研究雑話

定年を迎えての雑感

人文学部教授 輪 田   裕

(2)

であること、身の回りの身内や友人が「私の生き方 や気質の特徴」を見出すようにと「単純な、自然の、

平常の、気取りや技巧のない自分」を書いたもので あって、一般の読者が「こんなにつまらない」もの のために時間を費やす必要はない、と語る。実際、

彼が書こうとしたのは「自己」であり、変わりゆき、

揺れ動くあるがままの自己であった。

 ところで、話はまったく変わるが、最近つくづく 思うのは、余暇が少なくなったなぁ、ということで ある。特に、事務的業務に伴う書類作りにかなりの 時間が割かれることと、学内的には会議の多さ、さ らには講義回数の増大にともなう長期休暇の減少な ど、のんびり考える時間が減ってしまった。勤勉が 日本人の美徳であるとしても、果たして研究にとっ てじっくり考える時間は無駄な時間なのだろうか?

少し、話をずらしてみると、教育にとって、余暇は 必要ないものなのだろうか?学生を社会人として自 立させるために、大学で求められるのは単なる知識 の詰め込みであるはずはない、と考えるのだが、そ うした考えは時代錯誤なのだろうか?

 時代は変わるもの、老いたるものは若い世代に席 を譲る。それは当然のこと、自然の流れに逆らえば 溺れてしまう。だからといってモンテーニュが「こ んなにつまらない」もののために時間を費やす必要 はないと語るとき、その言葉を真に受けていいはず はないだろう。文学を経済原理から判断して「こん なにつまらない」ものは価値がないなどと切り捨て れば、人類の文化遺産である偶像を偏狭な宗教的狂 気によって破壊する蛮行と変わりないのではないだ ろうか。知の拠点である大学がまさかそのような偏 狭な経済原理のみに支配されることはありえないと 信じたい。

 さて、定年を迎える。余暇は有り余るほどあるの に、年金だけで生きていけるのだろうか?社会はボ ケ老人を受け入れてくれるだけの余地を許すだろう か?心配すればきりがない。モンテーニュはそんな 問題に悩まされることはなかったろう。まして、ロ マネスク様式の教会のように脆い材料で作られた私 自身は「単純な、自然の、平常の、気取りや技巧の ない自分」のまま生きるしかあるまい。

 最後に、長年お付き合いくださった福岡大学およ び人文学部の教職員の皆様、とりわけ暖かくお付き

合いくださったフランス語学科のスタッフの皆様に 感謝の気持ちを伝えて、この稿を閉めることとする。

感謝。

―  ―3

(3)

 私の中心的研究テーマは、昆虫を中心とした節足 動物の湿度感覚のしくみを解明することである。昆 虫は、体が小さいため体積に対する体表面積の比が 大きく、体の大きい動物よりも体の単位体積当り失 われる水分量が大きい。そのため頻繁に水分を補給 する必要があり、水を補給する場所を捜し当てるこ とができるかどうかが生存に関わる。水を補給する 場所を探しあてるには、大気中の湿度勾配を検出で きればよい。10年代から昆虫の湿度感覚について たくさんの行動実験が行われてきた。これらの行動 実験ではいろいろな昆虫の湿度嗜好性や湿度感受性、

湿度感覚器(以下、湿度感覚子)の存在場所や感覚 子の推定などが行われたが、湿度感覚子が同定され るには、電気生理学的な研究を待たなければならな かった。湿度受容についての電気生理学的な研究が 行われるようになったのは、10年代からである。

 私は12年に大学院に進学し、昆虫(ワモンゴキ ブリ)の湿度感覚について研究することになった。

先ず先行研究を調べてみると、14年にドイツの研 究者(Lacher)がミツバチの触角にある湿度感覚子 から電気的応答(インパルス応答)を記録すること に成功していた。更に10年にドイツの別な研究者

Waldow)がバッタの触角にある湿度感覚子から電 気的応答を記録し、湿度感覚子には湿受容細胞と乾 受容細胞の2種類の受容ニューロンが含まれている ことを明らかにし、湿度強度と応答の大きさの関係 も調べていた。既にこれだけのことがわかっていた ので、ミツバチやバッタでわかっていることをワモ ンゴキブリで再確認するだけの研究はやりたくな かった。上記の2つの先行研究論文を丹念に読みな がら、何を明らかにすべきかを考えた。現在はほと んどの重要な科学論文は英語で書かれているが、当 時は昆虫の感覚生理学の研究はドイツが世界をリー

ドしており、上記の論文はドイツ語だった。

 昆虫も含め動物の体内には多量の水があり、いわ ば水浸しなので、嗅覚や味覚のようなしくみで湿度 を受容するのは無理なのではないか。そうであれば、

空気中の水分量である絶対湿度に対して反応してい るのか、あるいは飽和水蒸気量に対する現在の空気 中の水分の比率である相対湿度に反応しているのか を明らかにすれば、湿度受容のしくみを解明する手 がかりになるのではないかと考えた。そこで、先に 述べた Waldow が示した湿度応答のグラフからその 測定値を読み出し、その値を絶対湿度と相対湿度に 対する応答としてグラフを書き直してみた。あまり 明瞭ではなかったが、相対湿度に対する応答とした グラフの方が適切なようだった。研究室のゼミで

Waldowの論文を紹介し、あわせて私の思考実験の

結果も報告し、ゼミ参加者に検討していただき、湿 度受容について解明すべき課題が大体決まった。

 修士課程1年生の晩秋頃から実験装置作りを始め た。当時の私の所属研究室では測定に使うアンプは 自分で作製することになっていた。作ったアンプは まだ真空管式のもので、使う真空管には性能のばら つきがあり、何本もの真空管を購入してそれを取り 替えては性能試験を繰り返し、やっと所定の性能の アンプができあがった。次いで Waldow の論文を参 考に湿度刺激装置を作製した。いよいよ実験を始め ることになったが、まだまだ難関が待ち構えていた。

ゴキブリの湿度感覚子が触角にあるのはわかってい たが、ゴキブリの触角には何千もの感覚子があり、

どれが湿度感覚子なのかはわかっていなかった。そ れを探さなければならなかった。幸い当時本学にい た下東先生が別の種のゴキブリの湿度感覚子を形態 的特徴と行動実験の結果から推定していたので、あ る程度の目星はついた。しかしながら、その感覚子

―  ―4 研究雑話

未完のライフワーク

理学部地球圏科学科教授 横 張 文 男

(4)

に似た形状のワモンゴキブリの感覚子をねらって、

その感覚子から湿度刺激に対する電気的応答を記録 することを試みたが、なかなか成功しなかった。そ のため、湿度感覚子から応答を録る事をしばらくや めて、触角全体からの電気的応答を録るEAG(触角 電図)法による実験に切り換えた。これは、刺激に 対する大雑把な応答特徴をつかむ方法で、湿度受容 器が相対湿度に対して応答していることを示唆する 結果が12年末頃までに得られた。しかし、EAG は国際的には一流の水準の実験方法ではなく、満足 できるものではなかった。再び感覚子から電気的応 答を直接録る実験に戻った。悪戦苦闘が続き、指導 教官からもこの方法での実験はやめにしようと1 年6月始めに通告された。1週間の猶予をいただき 執行猶予6日目の13年6月8日の夜に初めて記録 に成功した。既に修士課程2年生になっていた。そ の後は次第に記録に成功する頻度が高まり、目的の 実験ができるようになった。その結果、昆虫の湿度 受容器は相対湿度の受容器であることが明らかに なった。走査型電子顕微鏡観察の結果、感覚子先端 に帽子状の構造があることもわかった。この観察で は富永先生にお世話になった。湿度受容機構として、

この帽子状の構造が吸湿性で相対湿度の高低によっ て膨潤・収縮し、その物理的変化が受容細胞を刺激 して、受容細胞が電気的応答をするとの仮説を得た。

詳しくは述べないが、透過型電子顕微鏡を用いて調 べた微細構造の特徴もこの仮説を支持している。こ の結果をドイツで開催された国際昆虫学会議とマッ クスプランク研究所で招待講演をした。手応えを得 た。これが最初に参加した国際会議だった。

 一方、この我々の研究成果とモデルに納得しない 研究グループもいる。感覚子先端にある帽子状の構 造が湿度変化に応じて膨潤・収縮することを示す説 得力のあるデータを我々が提示できていないことを 突いて、彼らは別なモデルを提示した。しかしその モデルでは、この感覚子の構造についての重要な知 見を無視しているだけでなく、提起したモデルを強 く支持するデータを示しているわけでもなかった。

 感覚子先端の帽子状の構造は直径が 1µm以下の構 造なので、光学顕微鏡では見えず、まして湿度変化 に伴う形態変化は計測できない。これを観察するに

は原子間力顕微鏡は有力な装置になり得ると思い、

装置の特徴を調べた。しかし、凹凸の激しい場所に ある構造の微小変化の測定が難しいこと等から、こ の顕微鏡での研究はあきらめていた。ところが我々 のモデルに懐疑的な上記の研究グループが、原子間 力顕微鏡を使ってミツバチの湿度感覚子の先端部の 相対湿度変化に伴う構造変化を測定した論文を1 年に発表した。彼らは構造の有意な形態的変化は観 察できなかったと報告した。この研究では非常に狭 い部分を高倍率で観察し、S/N 比の悪い画像を画像 処理によって鮮明化したもので、問題の多い研究だっ た。

 ごく最近の26年になって、我々は、感覚子先端 部の帽子状の構造が相対湿度変化に応じて膨潤・収 縮することを環境制御型走査電子顕微鏡観察によっ て示すことに成功した。この顕微鏡は電子顕微鏡で ありながら、試料室に水蒸気を入れ、水蒸気分圧と 温度を変えて、試料室の湿度をコントロールできる。

この機能を利用した。実験は、当時4年生の岩元桃 子さんに実施していただいた。この研究では、地球 圏科学科の地球物理学分野のこの電子顕微鏡を使わ していただき、使用法も丁寧に教えていただくなど、

林先生と原先生にはたいへんお世話になった。

 昆虫の湿度感覚に関する中枢神経系による情報処 理の一端についても世界に先駆けて示すことができ た。15年のことである。湿度受容細胞(ニューロ ン)の神経繊維(軸索)が中枢神経系のどこまで伸 びているかを感覚子から染色して探ったところ、湿 受容細胞の軸索と乾受容細胞の軸索が、嗅覚の第一 次中枢である触角葉の特定の別々の場所に終末して いることが明らかになった。結果がわかってみると 納得できる終末場所であったが、当時の常識では、

触角葉は嗅覚の受容細胞の軸索が終末する場所であ り、我々の研究は湿度受容細胞が機械受容細胞であ ることを示していたから、やってみるまでどこに終 末するか予想できなかった。ついで、より上位の中 枢神経系での湿度情報の処理経路を調べた。その結 果、昆虫の嗅覚情報処理経路とよく似た経路を経て、

我々の大脳にあたる前大脳と呼ばれる最高次の中枢 に伸ばす神経繊維の終末先を明らかにすることがで きた。神経繊維が終末する場所は嗅覚情報を運ぶ神

―  ―5

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経繊維の終末場所とは異なっていた。この結果を20 年に発表したが、この研究成果を超える研究は未だ 行われていない。これらの研究では、本学の西川先 生、北海道大学の西野先生および水波先生にたいへ んお世話になった。

 湿度感覚系の進化を知るために、昆虫の最も原始 的な仲間であるシミの一種の湿度感覚系も調べてい る。このような原始的な昆虫でも湿度を受容するし くみがあることは突き止めたが、詳しい研究はまだ できていない。今後の課題である。

 我々の研究ではないが、27~27年にかけて、

紆余曲折を経てショウジョウバエの湿度受容に関わ るタンパク質が同定され、その遺伝子発現を利用し て受容細胞軸索の終末部位が調べられた。その結果 は我々がゴキブリで明らかにした15年および2 年の研究成果と大筋一致していた。しかし、この受 容タンパク質属の機能は多様なため、湿度受容のし くみが分子レベルで解明されたわけではない。この 受容タンパク質が、我々が調べてきたワモンゴキブ リの湿度受容細胞でも発現しているかどうかを調べ ることも、今後の課題である。私のライフワークは まだ完成していない。

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参照

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