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変 動 す る 社 会 の 大 学

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はじめに

 世界が激しく変動している。自然も人間の社会も、そ して人間自身も変動している。品物と情報が巷にあふ れ、流れ去り、それがくりかえされる。人もあわただし く動き、やがてこの世界から去って逝く。

 大学はこのような変動する世界の只中にある。大学に おいてもすべてが変わりつつある。普遍(Universitas)

を求める教育と研究の共同体・組合(Universitas)全 体が変容している。この構成員である教師も学生も、組 織、その運営も、教育の内容(カリキュラム)も方法 も、評価の仕方も新しいものに変わりつつある。大学の 理念・目的も変わっている。

 こうした情況において、大学は何を期待されるのか。

また、期待されるもののなかで何に応えるべきであるの か。さらに、大学それ自体は、どのように変わるべきで あるのか。

 本論は、これら湧出する問いを踏まえて、大学の現在 と将来を明らかにするものである。

1 大衆の大学の登場

 大学の進学率が50%に迫ったとき、大学は大衆の大学 となったのである。ここで、大学は大きく変貌した。大 学の根本理念としてあったもの、すなわち学問研究、真 理の探究、自由な精神の形成、人格ないし人間性の涵養 といったものは衰退し始めた。それに代わって、専門職 業能力の習得、学生の就職が浮上してきた。これは当然 のことであった。一般大衆は生きる糧を得るために職を もたねばならず、大学においても多くの者が職のために 学ぶのである。大学は、生活に困窮せず、求職から開放 されて、自由に学び、学生生活を享受できる一部のエリー ト層のものではなくなったのである。

 周知のように、わが国では昭和46年4月7日、連合国 総司令部(GHQ)が第一次米国教育使節団の報告書を 公表して以来、教育は急速に拡大してきた。もっとも、

わが国では、教育の普及は世界でも飛びぬけていた。都 市部の寺子屋、地方の藩校、そして都市や地方の私塾な どが教育のある人びとを生み出していた。これは、明治 5年からわずか35年後の明治40年(1907)に小学校(六

年制)の就学率を97%にまで高める要因にもなった。こ れは当時としては世界1位であったという。さらに、第 二次世界大戦における敗戦、昭和20(1945)年から35年 後の昭和55(1980)年には高等学校進学率は93%に達し たのである。これは、ヨーロッパの70%を越えており、

世界でも最高率であった。そのうえ、高学歴への志向は 教育の平等・機会均等によって一般化されて大学まで及 び、いまでは大学進学率は50%に迫っている。

 大衆社会において、わが国の人びとが高等教育を望む ようになったことには、いくつもの原因がある。大学と いえば、明治19年、東京帝国大学が開設されたが、翌年 の20年には卒業証書に「学士」の称号が記せられた。学 士という称号は、明治4年の廃藩置県によって職を失っ た士族層の子弟にとっては、武士という身分にかなう格 好の称号であった。それゆえ、学士はエリートであるこ とを示すだけではなく、身分や地位をも表すものであっ たのである。

 第二次世界大戦後、教育の機会均等、単線型の学校制 度が成立して、大学の門戸が開放されて以来、学士とい う肩書きは庶民が志望するものとなった。「学士」は、

たんなる憧れの対象ではなく、いまや手に入れることの できる志望の対象となったのである。庶民の多くが、自 分の子弟、子女に学士の肩書きを得させたいという望み は高まる一方であった。

 経済的成長は、豊かな市民中間層を形成していたので、

大多数の市民が自分の子弟・子女を大学で学ばせるだけ の資力を手にしていた。1960年を境に、大学への進学が 増大して各地に大学が林立したのである。

 この時から、大学は変貌を速める。経済の成長は、都 市および地方の協同体を壊して、個人を析出し、大衆を 輩出した。この大衆は中間層を意識する豊かな大衆で あった。これらの人びとは、学士という称号の内実を求 めるようになった。それは、生活の糧を得るために、割 の良い稼ぎ口、すなわち職を手に入れることである。大 学は就職を可能にしてくれるものとして期待されるので ある。

 大衆は、就職に有利になる大学を目指す。このため、

大学の間の格差が広がる。強力な学閥をもっている伝統 のある大学がピラミッドの頂点に立つ。政治、官僚、企 業・財界、学界などあらゆる分野に人脈を形成してい

高 田 熱 美

変 動 す る 社 会 の 大 学

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て、これが就職を有利にしているからでる。この学閥の 強さが大衆の志望を決め、偏差値をうむ。このため、熾 烈な受験競争が続く。

 したがって、学閥もなく、学生の就職が思わしくない 大学は避けられ、専門学校への入学が増加する。専門学 校は、即戦力になる人材の養成を目指して、知識・技能 を教え、資格・免許をだす。専門学校は経済的に豊かで ない人びとの希望をかなえている。脆弱な基盤にある大 学は、こうした希望に応えるため、専門学校化すること になる。

 さらに、経済のグローバル化が進んでいるので就職に 有利になる実学志向の学生が増えている。そして、グ ローバル化は社会を分節して多様な職能・技術を要求し ている。これは、個人の能力ないし実力に着目するので、

学閥の力を削ぎ始める。このため、巨大な学閥を擁した 大学でさえ、実学を強化し、学生の専門能力の養成に力 を注ぐようになった。大学は、真理を探究し、教養を培 い、人格の涵養に努め、大衆の社会に義を唱えるという ことよりも、大衆の要求に応えることを第一とするよう になったのである。

2 大学の変容

 かつて、もの作りは手の業であった。これは技能であ る。ちなみに、わが国における手の職といえば、和ろう そく職、かんざし職、漆器職,釜師、扇、筆、酒職、家 大工、船大工、桶職、鵜飼など多数にのぼるが、こうし た手の職は、言葉によるのではなく見よう見真似で身に つけるものであった。もの作りは分析的理知ではなく身 体的知によるものであった。

 やがて、科学技術の発達はこれらの身体的知を解体し て、分析的理知としての言葉を登用したのである。ここ では、事象及び事物についての知識や理論を学び、それ らを操作することが重要になる。こうして、職人の技能 は分解されて、大量の技術職が排出された。このよう な情況は、間断なく高度な知識を有した技術者を要求す る。そのうえ、情報を入手し、作り出し、送り出す技術 はすべての人びとに要求される。そのためには、多様な 記号・言語、外国語の知識も必要になる。大衆が職を得 るために大学で学ぶ情勢は出来上がる。大衆の大学は、

大衆が良い職を得るために知識や技術を学ぶところであ る。

 教育哲学を探究したルブールは、学ぶということを大 きく三つに分けたことがあった1)。それによれば、一つ は情報を手に入れることである。この情報は、何かのた めに役立ってしまえば要らなくなるという点で、学びの

なかでは軽度の意味しかもたない。二つめは、技術や技 能を身につけることである。機器や機械の操作もこの なかに入る。第三は、理解することである。理解は、さ らなる問いを生み、探究へ誘う。大学が大学である所以 は、この理解による問い、探究すなわち研究があるため である。回答の教育ではなく問いの教育が大学の使命で ある。大学のおけるこの問いは、終局には人間性の探究 に収斂して、人間性の形成を可能にする2)

 ところが、大学においても、問いではなく回答の教育 拡大している。学生の学力が低下しているため、基礎学 力をつける補講教育がなされる。そのあと、職業に役立 つ既存の知識や技術の習得が進められる。こうして、大 学は小学・中学・高等学校の延長線に止まって、そこか ら一歩も出ないことになる。大学は初等・中等学校に連 続し、同質化したのである。

 大学の機能の一つは、支配層の子弟を除けば、職業の ための学問を提供し、専門職者の養成であった。多くの 学生は職業のために学んだのであった。学問を愛し、真 理を求めて大学に入った者も、研究職や教育職に就いた のであった。職業のために学ぶということは、学ぶ意 欲を低下させるわけではない。学びのなかで将来の職を 考え、将来の職を視野に入れて学ぶことは十分に可能で あった。したがって、1960年代までは、大学の講義を欠 席する者はほとんどなかった。大学においては、授業で はなく講義があった。学生は聴講し、ひたすらノートに 講義の内容を筆写したのである。これは強度の精神的集 中と手の筋肉の持久力を要した。私語などありようもな かった。

 当時の学生は、まだエリートの層にあつた。政治に関 心を持ち、デモを企て、社会はその動きに関心を示し、

何ほどかの政治的影響を社会に与えていた。男子の学生 は学生服と学帽を常用した。これはエリートのシンボル であった。アルバイトの収入は生活費と学費に当てられ たが、それは、ほとんど家庭教師などの知的仕事による ものであった。皿洗いや出前、店員などの仕事は敬遠さ れた。それは、賃金が安いためであったが、学生として の何ほどかの矜持もあったのである。また、女子学生に は制服はなかったが、服装は質素で、一般の女性がする 化粧も見られなかった。

 学生の変貌は、1960年代以降に始まる。経済的成長が 大衆を生み、その子弟を大学へ導入することが可能にな ると、大学は多様な学生に対峙することになる。良い職 に就くために大学に来る者、社会に適応するのを先送り するためにくる者、学歴がほしくてくる者がある。これ らの学生のうち、かなりの大学において、その二割ほど がまじめに授業に出て学ぶことができるが、そのほかの

1)O. Reboul 『学ぶとは何か』石堂常世・梅本洋訳 勁草書房 1984 p.4

2)G. Gusdorf 『問われている大学』片山寿昭・郡定也訳 法律文化社 1971 p.219

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学生は、欠席か、出席しても居眠り、私語などで時を費 やす。このような大学が増大して、いまや大学において も授業崩壊が日常化している。かくして、大学の間のみ ならず、学生の間にも大きな格差が生まれている。

 このことは、学生の生活の変容にも現れている。もう、

かつて、エリートのシンボルとして着用した制服や角帽 は消え、着るものは普通の若者と同じになった。女子学 生は身の回りを飾り、化粧をするようになった。アルバ イトは、コンビニエントストアやガソリンストアなどの 店員、出前のような一般の人びとの仕事のなかに広がっ ていった。

 しかも、わが国において、経済的成長が停滞し、生活 が弛緩し、生きる目標が見えなくなり、希望が失われか けているところでは、知的好奇心や学ぶ意欲が著しく低 下するのは避け難いことであった。問いかつ学ぶことの 意欲が低下すると学力の低下になることも自明であっ た。大学で学ぶことの意味も目標も考えず、大学の日程 表をこなすだけの生活では、まなぶ意欲も起こらず、学 力の低下をきたすのも当然であった。授業の時を漫然と 過ごし、私語による授業妨害、遅刻、欠席がさらに拡大 する。

 学ぶ意欲や学力の低下、自己中心性(大人になってい ないこと)は、社会が生みだしたものである。生産を至 上として効率、利潤を追い、働く者に競争を強いる社会 は、リストラを進め、サービス残業を日常的にしている。

これは、子どもたちの人間的ふれあいを奪い、大人が子 どもとともに暮らす時を放逐した。人間がいても、ほん とうは、人間がいない家庭や地域になってしまったので ある。

 この前兆は高度経済成長期に見ることができた。社会 の全体が物の豊かさや便利さを得ることに執着して、人 間の教育を顧なかったのである。ここでは、子どもの自 由を尊重すると称して、「子どもを好きなようにさせる」

人びとが陸続と現れたのであったが、これは、子どもの 教育を放置して、大人たちの生産、自分たちの仕事に精 を出すのに都合の良い用語であった。新児童主義、児童 中心主義の教育を唱える人びとがこれを後押しした。共 同体を喪失して、人と人との出会いを欠いた情況におい て「好きなようにさせる」ということが、いかなる結果 を生むかを考えることもなかったのである。

 人びとは、自分たちの幼いころには、のびのびとした 自由があったという。たしかに、日本の伝統的文化に は、子どもの世界を大切にして、それに干渉せず、子ど もの育ちを見守るところがあった。だが、これは子ども が隔離され、放置されることではなかった。子どもは、

仲間・集団のなかで遊び、生活のなかでは大人の世界に 触れ、生きることを身につけたのであった。子どもは、「好 きなようにさせられる」とはいえ、これは、人と人とが 出会う場において、そうしてきたのであって、それゆえ、

子どもが「好きなようにする」とは、自ら生きることを 学ぶことであった。

 他方、現在では、「好きなようにさせる」「好きなよう にする」ことは、何も学ばないことである。学ぼうに も、学ぶ場がなくなったのである。「生きる力」を育む といったことが教育の問題になるのは自明の結果であ る。子どもの生きる力も、自立も、ここでは生まれない。

 こうして、大学は、社会が人間すなわち大人であるよ うに育ててこなかった若者たちを引き受けることになっ たのである。これは、社会の衰退を招くのみならず大学 の衰退でもあった。

3 大学の対応

 大学を真に大学らしくするのは、そこで学ぶ人間であ る。大学の問題は何よりも人間の問題である。大学に よっては、およそ、八割の学生が授業を休むか、授業に 出ていても無為に過ごし、私語で授業を中断させるよう な情況がある。その結果、大量の留年者を生み出す事態 が生まれる。これに対して、大学は手をこまねいていた わけではなかった。一般職を希望する学生にはいうまで もなく、目的をもって入学する医学や歯学、看護などの 医療職を学ぶ学生にも、従来とは違った対応が施される のであった。授業は、可能な限り分かり易いものにし、

教える方法もテキスト、プリント、映像機器などを用い て学生の理解を進めるのである。板書でも、話す内容を 出来る限り書き、大事なところは赤や黄色のチョークで かくのである。さらに、勉学を支えている生活の指導・

援助にも配慮して、学生やその保護者との連絡を蜜にす る。

 もっとも、このような作業は十分な効果をあげてはい ない。そもそも、学ぶということは自ら問うということ であって、問いに対する回答は、安易に、労せずして得 られるものではない。苦心し、忍耐して学んだ人だけ が、学びを成就する。それがその人の身になるのであ る。それゆえ、手をこまねいていても、すぐ分かるよう な授業は本来の学びを逸脱している。視聴覚機器を用い た授業は、特定の教科・場面を除いては、学びを受身に する。これは、知識を一方的に流して、情報にしてしま う。大量の印刷物を与えることも同様である。こうした 授業になれると、ますます労して学ぶことをいとうよう になる。

 古典的な教育が、講義すなわち語ることを中心にして いたとき、学生はひたすら書くことに終始した。これ は、精神を集中させ、耳と目と手、いわば身体の視聴覚 を全開させたのであった。これは、学びの可能性を限り なく豊かにしたのである。

 ところが、いまや、大衆の大学においては、学力の低 下、学ぶ意欲の衰退、精神的成熟の遅滞によって、古典

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的教育は一部の学生にしか用いられなくなった。そのほ かの多くの学生には、分かり易く、手をとるようにして、

あらゆる教材を使い、労せずして学ぶことが出来るよう に工夫されるのである。だが、この試みはますます真に 学ぶことから学生を遠ざける。もっとも、このような試 みさえも無視して、授業の時を無為に、やり過ごす者も 多い。

 大学が、かぎりなく授業のレベルを下げ、労せずして 分かるように学生に教えるようになった時、大学は本来 の在り方を失う。ここでは、問いではなく回答の教育が 広がり、既成の知識だけが教えられ、教える者も学ぶ者 も探究する意欲を枯渇させる。知識や技術の伝授・学習 だけの授業が学ぶことの喜びを消去する。学校教育法第 52条は、大学の目的として次のように謳っていた。すな わち、「大学は、学術の中心として、広く知識を授ける とともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的 及び応用的能力を展開させることを目的とする。」現在 の大学は、これからも遠いところにある。

 大学は、義務教育と同質化し、その延長線上に存在す るようになった。なにかの職を求めるということにおい ては、専門学校に近い。ただし、学習の意欲は専門学校 の学生の方に明瞭に見られる。専門学校は、実社会が要 求する職を教えるからである。しかも、専門学校には、

能力があるにもかかわらず、経済的貧しさのために大学 で学べない人たちが大勢いる。これらの人びとの学習意 欲は高い。であれば、大学は専門学校に対しても機能の 面で劣っていることになる。大学は、知識と技術を身に つけた学生を社会に送り出すことができていない。専門 学校に比べれば、大学はその半数以上の学生を未完成の まま社会に出している。大学には責任を果たしていない という事実がある。

 この事実に対して、大学は責任を回避しようとする。

責任をもって教育することを避け、安易な方法をとる。

それは、教師と学生との共同体をサービス関係に変容す ることである。すなわち、学生は受益者・顧客、教師は 学生への奉仕者・サービス係である。学生はサービスを 教師に要求し、教師はそれに応える。教師のサービスが よくないと学生は不満を抱くようになる。こうして、信 頼に基づく教育の純粋に対話的関係が崩れる。我と我が 対峙し、相互に不満を抱き、他に求めることに終始する。

これは教育の不在である。

 教育は、医療と共通した構造をもつ。主として、教育 は魂の生育を助成し、医療は身体の回復を助成する。こ こでは、教師も医師も、学生・生徒や患者と共に目標に 向かって歩む同行者である。この人たちは、同盟を結ん でいる。教師も医師も助成・支援・協力・同盟という関 係を生きている。

 ところが、医療において医師と患者の主客・上下関係 を批判し、それを転倒する関係が浮上した。すなわち、

上・主が患者、下・客が医師というものである。こうし て、医療活動は患者へのサービス・奉仕になる。そのた め、医療施設においては、患者を「さん」づけで呼ぶの ではなく、「さま」と呼ぶようになってきた。患者様、

○○様というのである。

 共に協力して、病に立ち向かおうとする関係がサービ ス関係に転倒された時、患者の側から医療に対する不 平・不満が増幅される。それは、理不尽な文句、非難、

暴力(とくに看護師への)になる。このとき、共に病気 に立ち向かおうという協力関係は崩れたのである。  

 本来、真に自分の病気に立ち向かおうとする患者だけ が医療者と協力関係を結ぶことができる。よって、この 患者は「○○様」と呼ばれることを嫌うのである。

 このような転倒は教育においても起こる。共に学ぶ関 係がサービス関係に転倒したとき、学生、生徒・児童が 主となり、これらの人びとは「○○様」と呼ばれる存在 になる。すると、ここでは、学ぶ者が教える者にサービ スを一方的に要求するようになる。このとき、学ぶ者 は、教える者が投げかける問いを受け止め、忍耐強く探 究し、自分の力を培うことを放棄する。学ぶ者は、真の 意味で学ぶことを止め、直ぐに回答を求める。これは、

既存の知識を労せずして知ることである。これに従う限 り、教える者は既存の知識の切り売りをすることにな る。そして、学ぶ者が安易に覚えられるように、学習の マニュアルを示し、手厚く指導する。こうして、学ぶ者 は自ら学ぶことを忘れ、受身の学習に落とされる。

 これには、児童中心主義、いわば新教育なるものも加 担している。もともと新教育は学ぶ者の自発ないし内発 性を原理とするものであったが、それを無思慮に唱える 人たちは、これを、学ぶ者が主で、教える者は従である と見なして、教えるとは、学ぶ者に仕え、サービスを提 供することと解するのである。このことについては、か つて教育は助産であると弁じたソクラテスでさえ、同意 しないであろう。なぜなら、ソクラテスにとって、学ぶ とは自ら生み出すことであったが、これは独りで出来る ことではなかった。ここには、必ず、生むことを援助す る助産が不可欠であったからである。ソクラテスにおい ても、教育は純粋に対話的関係であったのである3)  大学が、学生に対して行う「授業アンケート」なるも のは学生へのサービスを充実させることになる。学生は、

顧客として、大学および教師に自分の要求を語る。ここ では、学ぶために共闘し、忍耐を重ねながら共に学ぶと いった関係は消える。教学に欠かせない信頼関係もなく なる。もっとも、アンケートによって、学生の興味、学 力、やる気などはうかがい知ることは出来る。これに

3)M. Buber Über das Erzieherishe 1929 In:Werke 1. Bd., Schriften zur Philosophie, Kösel Verlag 1962 p.803

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よって、教師の側が、教えるに際して工夫するべきこと も、ある程度明らかになる。こうして、教師は学生とい う顧客の好みにあったものを与えるようになる。このこ とは、一層、学力の低下を生み、学ぶ意欲の喪失を促す。

 本来、アンケートなるものは、教師と学生における教 学の実態を知ることによって、いかにして共に学ぶ意欲 を起こし、学ぶ力を高めるかということに収斂されるべ きものである。この目標を欠いたアンケートはマイナス の効果を生む。これは、真に学ぶことを志している学生 を落胆させるであろう。これらの学生はアンケートに記 入することを拒否するであろう。すくなくとも、1960年 以前の学生たちであれば、こうしたことが為されるとす れば、誇りを傷つけられたであろう。

 大学は根本的な変革を迫られている。いかなる学問・

科学の分野を学ぶにせよ、その根底に、真の知識を共に 探究するということがあるとき、大学は大学の名にふさ わしいものとなる。このためには、教える者が、探究の 先達として、この方向と道筋とを示さねばならない。

 現在の大学の陥穽は、学ぶ者の大半が学ぶ目標をもた ず、将来、自分が生きるために何をし、どのような職に 就きたいのかも定かでないということである。また、一 応の目標があるにしても、それを実現するための学ぶ意 欲が乏しい者もある。これは、自分自身に対して責任を 負うこと、すなわち自由であることの遅滞である。この ことは、自己の成熟、いわば大人であることもしくは大 人になることの遅滞である。

 大学の教育は大人であること、つまり自己の成熟を前 提としている。それを不可欠としている。こうした大人 であることの教育は、そもそも、大学に入る前になされ ているはずのものであった。

 大人である者になるということは、書物ではなく、現 実の体験によって促進される。書物が促進するといえる のは、現実体験に支えられているからである。書物が単 独で大人であることを可能にするわけではない。もちろ ん、現実体験とは人間との出会いの体験である。周知の ように、現在の社会はその特異な生産構造によって、現 実の生活を分節して、子どもが共に働く経験を奪い、子 どもの集団をも崩壊させてきた。生活のなかで人間に触 れる経験を子どもは失ったのである。

 こうして、多くの学生が、大人になるために最も重要 な人間の経験を経ずに、大学に入ることになった。この 陥穽を地域・家庭、そして学校は埋めねばならない。

 学校がその任務を果たすべきであるとすれば、本来、

小学・中学・高等学校のカリキュラムにおいて生活協 同・勤労体験を行うべきであった。それは、数日ではな く、一年に及ぶものである。このためには、高等学校ま での修業年限を一年延長するべきであろう。

 これらの学校に修業年限の延長を期待できないとすれ ば、これは大学のカリキュラムに取り入れるべきであ る。このため大学の修業年限が一年増えて、五年制を採 ることになる。現に、医学部や歯学部などの医療系学部 が六年制をとっていることを見れば、五年制は不自然で はない。この一年間は五年間のカリキュラムに組み込ま れ、医療・介護、教育、環境・自然に関わる勤労および 専門に関連した職業体験として活用される。

 ちなみに、十五世紀、パリの学院(コレージュ)で は、学生は一般教育(ラテン語、ギリシア語、文法、論 理、修辞学、算術などの基礎教養)を学んだという。も ちろん、学生は書物の勉強だけではなく、音楽、スポー ツ(馬上試合、ウサギ狩、棒術、弓術、剣術、水泳、球 技など)を学び、さらに、職場での実習(干草の束ね方、

鋸の使い方、巻き割り、小麦の脱穀、金属の鋳造、鍛冶、

薬の調合、薬草採集、ぶどう酒の醸造、そのほか職人た ちの仕事場の見学、農場や牧場の見学など)、著名人や 外国人などの講演、裁判所における弁護士の弁論や審判 についての研究、名士の公開演説の聴講、外国旅行者の 体験談の聴取、学内でのラテン語による演説会や芝居な どによって、実践的判断力、いわば生きた生活教養を身 につけたのであった。そして、その後、二十歳ほどで学 生は、神学(ソルボンヌ)、法律(トゥルーズ)、医学(モ ンペリエ)などでの勉強に進んだという4)

 現実の体験は、実践知としての生活教養を培う。これ は臨床実習や教育実習を経験する学生たちに顕著に見ら れる。臨床の現場は人と人とが織り成す情況である。こ こに学生は立つ。そこで学生は、課題に出会い、それを 果たすために実践的判断力を行使する。これは、情況へ の投企であり、それゆえに他者への責任を喚起する。そ れだけに、書物の学習とは違って、不安と緊張を生む。

実習経験前の不安、体験の只中での緊張と葛藤、課題を 果たした後の感動、喜び、後悔、反省、これらは自己を 形成し、生きる力を醸成する。実習の後の学生に、人間 としての飛躍的成長が見られるのはそのためである。こ の人たちは、大人である者として生きることを学んだの である。大衆の大学は、このような生活教養、生きた実 践的知の形成を企画しなければ、その存在意義を失う外 はない。

4 探究の大学

 大衆の大学は、将来、職に就くときに有利になること を求めてやってくる人びとに支えられている。したがっ て、大学は、大学に入れば、職業に就くときの資格が医 療、教育、司法、電気・化学など、多くの分野で資格が 可能になるように、配慮している。もちろん、職業のた

4)堀田善衛『ミシェル 城館の人』(争乱の時代) 集英社 1991 pp.153-154

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めの基礎学力を高め、専門的知識や技術を豊かにするこ とに、大学は教育をしている。それゆえ、このことから 見れば、大学は小・中・高等学校の教育の延長線上にあ る。この意味は、大学は普通の学校と同質である、とい うことである。

 ところが、大学の歴史を見れば、大学は、たんに職業 のために資するだけではなく、学問・芸術の創造によっ て、文化と社会の形成に寄与してきた。しかも、大学は、

果てしない探求によって、高度の専門的能力を有した人 材を養成しながら、同時に、知ることそのものを愛する 探求の人、いわば、自由な批判的精神を育成したのであ る。これは、社会に自由と寛容の気風をもたらし、社会 の通俗に対して真と義をうち立てることになった。こう して、大学は、いかなる学問の探究であれ、それは、人 間性の探究に収斂し、このことにおいて人間性の育成に 関わるのである。

 学ぶことは、究極には、「学ぶことを学ぶ」すなわち、

技術や知識を学ぶことを越えて、探究すること自体にな る。その意味では、小中学校や高等学校の教育にも探究 することはありうる。ただし、高等学校までは、探究す ることが教育の目標として前面にでることはない。ここ では、まず、既存の知識を理解すること、つまり、科学 や芸術などの文化的財産、社会の構造や仕組み、などを 理解し、考える力、生き方、生きる力を学ぶといったこ とが求められる。したがって、ここでは、持続的に問う こと、探究すること、研究することが求められているわ けではない。

 大衆の大学も、探究することを目標にしてはいない。

だが、大衆の大学とはいえ、学生の二割ほどの者は、職 業のためであれ、知的好奇心からであれ、学ぶことに意 欲をもっている。ここには、学ぶことを学び、問うこと を学び、学ぶことを問うこと、すなわち探究への志向が 見られる。大衆の大学は、これら優れた学生の志向にも 応えなければならない。

 この探究において、教える者と学ぶ者とが共通の地平 に立って、共に学ぶ者として対話的関係を築くことがで きる。これは、既存の知識や理解を越えて、新しいもの を創造する。新しいものとは、世界の知のみならず人間 性の開示である。人間性の開示とは、人間性の発見であ る。

 創造において、はじめて、大学は独自の地位を社会の なかに定位し、社会に屹立することができる。この時、

大学は、学生を顧客に見立て、サービスに精を出す施設 ではなくなる。また、学生を素材と見立て、商品として 社会・市場に送り出す施設でもなくなる。大学は、教え る者も学ぶ者も、共に探究する者として、学びの過程に あって、同行し、共闘する関係を生み出す。同行し、共 闘するとは、対話的関係に立つことである。対話的関係 は、相互に責任を負う関係である。教える者も学ぶ者も、

自らの責任において探究する。したがって、探求の遅滞 や失敗を相手の責任に帰することがない。責任は自らに 課せられる。古典的な大学が有していたのは、このよう な自己責任を負う対話的関係であった。そもそも、学ぶ とは自ら学ぶことに他ならないのである。

 大学は、優れた学生に対して、特別の施策および方法 を施すことはいうまだもないが、これに、真に応えると すれば、大学院が不可欠であろう。大衆化された大学で は、大学院において、はじめて大学としての独自性を顕 すことができる。高度の専門及び学問的探究に耐えうる 能力と意欲をもった学生が学ぶことのできる場を、大学 が構築し、学生の可能性を顕現する時、大学は、大学と して、現実の社会に存在意義を開示するのである。

むすび

 日本国憲法の23条、「学問の自由は、これを保障する」

という条文は、大学が長い歴史を通して勝ち取ったもの であった。これは、ヨーロッパではキリスト教という宗 教に対して、近代においては国家に対して、抗い、手に 入れたものであった。「学問の自由」とは、まさに学ぶ こと、探究し、問うことの自由、そしてその成果を明ら かにする自由である。これが大学の生命である。これな しには、大学の存立は危機に瀕する。それゆえ、大学に は、文部科学省の指導要領も検定教科書も課せられない のである。

 この自由において、大学は、探究と批判を超えて信を 要求する宗教や大衆を支持基盤とする国家に対峙するこ とができる。大学における探究の自由が探究を豊かに し、宗教、国家を含む世界のすべての創造に寄与するの である。

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 対象としたのは文学部の全1年生と全4年生である。1年生と4年生とを対象にしたの

座として一般市民の聴衆を念頭に置きながらも,記念事業にふさわしく,高い学術的水準を保ったお

鮫 島 :大学のあ り方 をめ くる一考察 ( 3) とを防 ぐために組織 した教師 ギル ドであった こ とはか くれ もない事 実 とされている。」 1 4 1 梅根氏は

る。日本の大学は世界一学費が高く、生活費がかかるという点ではほとんど共

ているが、それでも本稿の大学類型は十分な「切れ味」を発揮することが確認できる。初職 JSEI についての Model 1 をみると、私立大学 B 群+C