いわゆる「経営者革命論」について : C.A.R.クロ スランドの所説を中心として
その他のタイトル An Essay on the Theory of the Managerial
Revolution : in C. A. R. Crosland, "The Future of Socialism".
著者 木村 雄二郎
雑誌名 關西大學經済論集
巻 8
号 5
ページ 357‑376
発行年 1959‑01‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15614
よく
︑
t
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
現代の︑特に第二次世界大戦後の資本主義を如何に把え如何に理解すべきかという問題が︑久しく論議され︑今
日で
は︑
それぞれの立場においてそれぞれの把え方はあろうとも︑ともかくも現代資本主義のうちに著しい変化を
﹁混
合経
済﹂
五
﹁人民資本主義論﹂等々をもつて呼ばれる一連の研究は言うまでも
マルクス主義経済学の側においても︑かのスターリン批判を契機とする︑公式主義の殻を突き破つての再検
討︑レーニンの﹁帝国主義論﹂をその理論的基盤として︑その上に現代の新しき局面を構成し体系化しようとする
努力が為されている︒だが︑今日的な意味において︑我々が特に注目すべきは社会民主々義に属する人々のそれで
あろ
う︒
第二次大戦後の資本主義における繁栄の中で︑
ては資本主義の典型として描かれ︑ 認めている点では共通している︒
そして一方では近代経済学におけるケインズ﹁一般理論﹂以後の
発展の︑他方ではマルクス経済学における上記の機運の中で︑彼らは理.論的な踏台を見出したのである︒特にかつ
そして今日も新しい資本主義の典型として成長しつAある英国においては︑労
木 村 雄
│ c . A . R
・ ク ロ ス ラ ン ド の 所 説 を 中 心 と し て ー
│
いわゆる﹁経営者革命論﹂について
郎
3!18
仇党敗北後の冷却期間の中で︑その社会民主々義は現代資本主義の再検討を通じて︑労佑党の依つて立つべき理論
的基盤を提供しようと試みつAある︒その見解は︑彼らの間において必ずしも同一ではない︒労仇党内部に左派と
右派という政治的見解の差異を見出す如く︑現代資本主義に対する評価も著しく異つている︒右派の人々︑例えば
この稿で取扱うクロスランドは現代の資本主義はもはや資本主義ではないと主張し︑左派の人々︑例えばストレイ
チーは資本主義の最後の段階としてそれを把える︒
党が過去のそれに較べていかに変質したかを読みとるのであるが︑ ところで一昨年十月に開かれた労仇党大会において討議された綱領﹁産業と社会﹂において︑我々は今日の労仇
その基本的な考え方は︑社会主義の本質的条件
であった生産手段の国有化からの後退を示し︑党内における右派の勝利を物語っているようである︒そこで我々は
この稿において︑右派の理論的指導者の一人であるーー'そしてこの網領の起草者の一人と伝えられるlクロスラ
ンドの所説を中心に若干の考察を試みよう︒右派の人々は勿論︑左派の人々においても︑その力点の置き方に著し
い差異はあれ︑彼らの主張する現代資本主義における主たる変化を︑次の三つの命題に要約することが可能であろ
︵ 二 ︶
う︒即ち︵一︶国家の経済的権力の増大︑いわゆる﹁経営者革命﹂︑
( 1 ) ( 2 )
そうである︒この稿は主としてこの第二の問題にかかわるものである︒
そし
て(
‑︱
‑︶
いわ
ゆる
﹁所
得革
命﹂
が
註(1)M
・ドップも次のように要約している︒﹁
H
いわゆる﹁経営者革命﹂口こ
4数十年来のいわゆる﹁所得革命﹂国として
第二次世界大戦以来の根本的に変化した国家の経済的影響力﹂^^
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,
1957•
D ec .
p .
79
(2 )
﹁経営者革命﹂なる言葉はいうまでもなくジェームス・バーナムの同名の書物に由来する︒英国労佑党の理論家たちに おいてこれが公然と現れたのは
Ne wF
ab
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s sa y
s ,
1 95 2
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おいてであった︒ いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶
五
化 ︒
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
きわだった特異性をもつて発展してきた︒
観的な評価が彼の立論の基礎になつていることを先づ留意しておこう︒
︵ 一 ︶
五
( 1 )
一九五六年に出版された
C.
A.
R・
クロスランドの﹁社会主義の将来﹂と題する書物であ
る︒この書は次の五部︑①資本主義の変形︑岡社会主義の諸目標︑③福祉の増進︑④平等の探究︑固経済成長と能
率︑及び結論から成つているが︑彼の現代資本主義論を構成するのは主として第一部である︒
彼の議論は言うまでもなく︑労佑党内閣の指導の下に社会改良の途を歩んできた戦後の英国資本主義をその背景
としている︒基礎産業の国有化︑社会事業︑経済統制等を通じて英国資本主義は︑世界的な規模での繁栄の中で︑
り︑不安定性は大いに少くなり︑そして成長率は更に急速となった︒⁝⁝英国経済は現在著しく活気に溢れかつ生
( 2 )
産的に活動を続けている︒私の見解によれば︑少くとも現在の成長率は継続するであろう﹂と︒かようないわば楽
いわゆるレッセ・フェールの終焉︒国家ないし政治権力による経済諸決定の基本的掌握ー経済統制力の強
︵二︶国有化による基礎産業における資本家権力の駆遂︒私企業での非所有者的サラリーマン重役階級への経済
いて
把え
る︒
さて
︑
クロスランドは現代の英国資本主義における変化を︑ こA
で取
扱う
のは
︑
﹁古典的﹂な資本主義と比較しつA︑次の諸点にお そしてクロスランドは次のように言う︒﹁完全雇用は不況にとつて代
360
によ
れば
︑
公的であるかは大した経済的意義を持ち得ない︒現在 彼の上記六つにわたる変化のうちには︑それらを貫く一本の糸として彼の所有形態の軽視がある︒彼 クロスランドの私的所有に対する見 ︵四︶経営者階級における経営動機の変化
1
1自己の威信︑地位︑権力達成の手段としての利潤追求︑及び社会的
利益にもとずく動機︒主として財産所得の犠牲による所得分配の平等化︒
︵五︶個人主義︑競争︑私有財産権等の古い資本家的イデオロギーの消滅︒
( 3 )
︵六︶階級対立の緩和︒
以上の六つの点において変化した資本主義は︑彼をして︑極めて重要な結論に導き入れる︒﹁これは今なお資本
( 4 )
主義であるのかという疑問に対して私は否と答える﹂と︒だが彼の列挙した諸点を仮りに承認するとして︑果
してこう言えるだろうか︒
勿論︑彼の言うようにこれは古典的な現象形態をもつ資本主義ではない︒だが﹁資本主義﹂なる概念はその諸々
の現象形態においてではなく︑
積ー
投資
︑
て規定される︒こAに資本主義における決定的なモメントたる資本制的な私的所有形態︑剰余価値
1
1利潤︑資本蓄
ところで指摘しておかなければならぬのは︑
解で
ある
︒
等々が内包される︒ その基底に横たわるところの最も基本的な生産関係ー—'資本と労仇ーーーにもとずい
所有が私的であるか︑
では他の諸要因︑ーー.産業の経済構造︑雇用水準︑労佑組合の力︑社会的風潮︑
﹁︱
つの
要因
とし
ても
︑
そして就中政治権力の性格の如き
ーよりもはるかに重要でなくなっている﹂のである︒それは何故か︒いわゆる生産手段の労仇者階級からの分離 ︵三︶産業資本の私的所有における経済的重要性の減少︒ 的権力の移行︒及び政府と労仇者階級とによる彼らへの圧力︒
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
五四
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶ の問題を取扱う︒ を︑彼は巨大な産業的資本による大規模生産というテクノロギカルな事実にもとずくいかなる社会においても存在
﹁法的に誰が生産手段を所有するかにかかわりなく︑
対立と分離とは不可避であり︑労仇大衆以外の誰かが窮極的には生産決定を行わねばならない︒基本的な要因は所
有ではなくては大規模化であり︑何らの私的所有を持たぬ集産主義経済も︑資本主義経済と同様︵生産手段に対す
( 5 )
る︶支配の分離によって特徴づけられる︒﹂かAる大規模化にもとずく労仇者からの生産手段の分離は︑確かに社
会主義においても存在するであろう︒だが︑問題は単なる技術的なあるいは管理的な分離ではなくして︑資本主義
的な分離であり︑資本主義的な私的所有にもとずくところの分離なのである︒だがクロスランドにおいては︑更に
もう︱つの理由がある︒即ちいわゆる﹁経営者革命論﹂である︒大規模化は労仇者のみでなく︑生産手段の所有者
をも分離する︑という︒
五五
この経営者革命論が︑彼の現代資本主義論の基本的な性格を決定している︒以下我々はこ
註
(1 ) Ch ar le s A nt ho ny Re va n C ro sl an d 元労仇党下院談員︑元オックスフォード大学トリニティ・カレッヂ経済学講師︒
^ ^
Th e F ut ur e o f S oc i a li s m ,
•'1956この宰H晉の原型はNew
Fa bi an
Essays~!
収の華〖文Transfer
fr om Ca pi ta li sm
に見
出される︒
(2 ) Cr os la nd , Th e F ut ur e o f S oc ia li sm
1
95 5, pp.
2223.
(3 ) 先にあげた左派に属する
Jo hn St ra ch ey はその著
Co nt em po ra ry Ca pi ta li sm ,
1956
において現代資本主義の諸特徴 として次のものを挙げている︒彼は現代資本主義の基本的な構造的特徴を︑企業規模の拡大と企業数の減少の過程が進展 し︑巨大な少数の構成単位
1
1寡占によって現代の経済が支配されていることに求め︑それが以下にあげる七つの理由によ
つて﹁資本主義体制の古い段階における発展の法則がもはや新段階には充分妥当しない﹂
( p.
25)ほどに経済体制の性格を
変貌せしめたと主張する︒田競争の形態変化̲ーl
罪占の経営者たちは価格に対してある程度まで能動的に影響を与えるこ
するところの所有形態にかかわりのない概念として把える︒
362
とが可能となり︑言葉の古い意味における競争︑即ち価格競争はひそかに捨てさられた︒現代の資本主義は広告・サーピ
ス・製品の改善等はともかくこの価格競争だけは断じてしない︒そしてこのことは︑利潤を目的とする経済において︑重 要な意味をもつ︒即ち︑価格操作を通じて大会社は自己の利潤水準に対してある程度の影轡を及ぼすことができるからで
ある︒この価格に対する影響力は以下の六つの理由を規定する︒②国内的な発展の不均等性ーー︑なかんずく労佑の分野に
おける発展による資本対労佑の勢力関係の均衡化︑③対外的な発展の不均等性︑④国家との結びつき︑固技術の進歩と集 団的蓄積︑⑥所有と経営との分離
m
統制の可能性︒
か4
る変貌をとげた資本主義を彼は﹁この後には資本主義と呼ぶこと自体が言葉の濫用であるような体制が来る﹂という
意味での﹁資本主義の最後の段階﹂
l as t st ag e o f capitalism
(p .
41)と名づけている︒そして彼はこの現代資本主義の基
本的な矛盾を﹁権力の集中への傾向﹂をもつ経済と﹁権力の分散への傾向﹂をもつ政治との間の矛盾に求める︒経済自体 は放置されるならばますます不安定化への必然性をもつている︒これを安定した制禦された管理可能な有機体として成立 せしめるのは政治ー民主々義である︒現代はこの二つの一種の対抗的な均衡の内にある︒だが﹁こうした共存がいつまで も続くとはほとんど考えられない︒結局︑現代民主々義の力は︑資本主義とその最後の段階もまた終了するまで蚕食する に相違ない︒あるいはその代りに資本主義は民主々義を︑この若く傷つきやすい実険的な統治方法が破壊されるまで蚕食
するにちがいない︒﹂︵
p .
255)かような相克が彼のテーマなのである︒
(4 ) Cr os la nd , o p. cit••
p .
76
彼はニュー・フエピアン・エッセイズにおいて資本主義に代る言葉として
St at is m
なる名称
を与えている︒
(N ew Fa bi an Essays,
p.
43)ちなみに︑彼の資本主義の定義をみよう︒﹁資本主義とは国家の干渉をう
けず︑底的利潤の剌戟のもとに活動するところの乱的所有の諸企業によって︑経済活動の大部分が営まれる進歩した産業 社会⁝︑換言すれば現実資本の所有と管理が民間資本家階級に属し︑レッセ・フェールの条件下では自由に佑く市湯勢力
に応じて︑彼らの経済的決意がなされるような産業組織が資本主義である︒﹂
( Ib i d . p .
33)
ク ロ ス ラ ン ド の
﹁ 経 営 者 革 命
﹂ 論 は
︑ 過 去 に お け る 資 本 家 階 級 の 経 済 的 権 カ ー ー
' 少 く と も 生 産 と 分 配 と に 関 す る
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶
五六
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
基礎産業の国有化︒彼は現在の国有化については幾つかの問題点1私的企業に比してその能率や成果が不充分であること、資本蓄積率が低いこと、低価格;・高賃銀の問題等ー~を示しつAもこれを一応承認しながら、
他方ではこれ以上の国有化の拡大は現代の英国経済においては却つて逆効果を招くとして︑その拡大の主張を破棄
( 3 )
しようとする︒これは彼の所有に対する見解より当然派生するものである︒がともあれ︑この国有化は基礎産業に
おける経済決定権を資本家階級の手から国有産業経営者へ︑従って︑国家の手へ移行せしめ︐る︒
かようにして︑国家権力における経済的権力の増大は︑資本家階級のそれをますます弱めてゆく︒
は︑言うまでもなく資本主義における自動調節機能の衰微にもとずいて説明される︒これは正しい︒だが︑
︹ 二
︺
意識における変化︑を彼は挙げる︒ 制限を加える︒所得分配は国家の責務とな
( 1 )
り、国家は今日では「能動的な、少くとも責任を負った国家…•••経済生活の最終的裁定者」となった。しかもこの
国家は過去の資本家的国家ではなくして︑その経済的権力を中立的に︑むしろ労仇者階級にとつて好都合に行使す
( 2 )
るところの超階級的な国家である。その証明として(イ)所得分配ー配当の制限•利潤税等財産所得の犠牲によ
る所得の再分配︑︵口︶恐慌時における犠牲の両階級間の平等化︵ハ︶社会主義に対する企業者の態度ー企業者の フィスカル・ポリシイその他によって完全雇用︑
成長
率︑
︹ 一
︺
な要因としては︑左の三つがあげられる︒ 諸決定を行う権カー~の衰退、それの新しい経済的権力のにない手への移行における︱つのモメントとして描かれ
ている︒この経済的権力の移行を彼は二つの観点︑私企業にとつて外的な要因と内的なそれとから考察する︒外的
経済的権力の国家への移行︒国家ないし公的権力は諸々の経済統制を通じて私企業の経済的権力に対して
国際
収支
︑
五七
かAる変化
この自
`~.
,.
364
動調節機能の消失によって自然的に︑即ち国家権力自体の欲求にもとずいて外的に国家の千渉が独立的に生ぜしめ
られるのではなくて︑ーー勿論︑これも―つの契機であるが、—_ー主としては資本主義体制維持のため、従って資R 本家階級の経済的基礎を維持し強化するために不可避的に国家権力が介入せしめられるのである︒彼はこれを軽視
︹ 三 ︺
産業内における経営者から労仇者への権力の移行である︒これは主として完全雇用の下における労佑市場
の結
果で
あり
︑
それを中心とする両者における政治勢力のバランス︑
の如き表現をとる︒ その組織の度合等にもとずく︒この移行は次
︵口
︶威
圧手
段︑
ストライキ及びロックアウト
このように労仇者階級における権力が著しく強力なものとなったことは事実である︒しかし彼自身認める如く︑
彼の画く状態は完全雇用ないしはそれに準ずる時期におけるそれである︒解雇の問題その他は基本的には依然とし
以上の如くクロスランドは三点にわたって私企業外の経済的権力の移行について述べた後︑次いでその内部的要
因に
進む
︒
これが我々の主題であるところの﹁経営者革命論﹂であり︑ て労仇者にとつて右のごときものではないであろう︒
そして彼の右派的色彩の濃厚な個所である︒
註
(1 ) Ib id ., p .
63 .
(2 ) ストレイチーもまた国家を中立的なものとして把えているが︑しかしクロスランドのそれの如き極端なものではなく︑
それは民主々義的勢力がそこにおいて優位を占めることによって資本主義を蚕食し社会主義への道を切り開くところの斗
協議の上に行われるようになったことである︒ に対する両者の態度における変化︑︵ハ︶賃銀決定における同様の変化︑︵二︶更に産業立法さえも労佑組合との ︵イ︶解雇の問題に対する両者の態度の逆転︑
する
︒
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
五八
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶ 争の場としての機関である
(C on te mp or ar y Ca pi ta li sm , p .
255)
(3 )
Ib
id
.,
pp.
462483
クロスランドによれば︑私企業内部における資本家階級の経済的権力の衰退は︑いわゆる非所有者的経営者階級
のそれの増大によってもたらされた︒近代企業の大規模化︑複雑化︑技術的高度化の増大は企業における管理的諸
決定の専問化を要求する︒技術︑調査に関する問題の重要性が高まると共にプラント・エンジニャ︑市場調査専門
家︑リサーチ・ケミスト︑会社弁護士その他の勢力を増大させた︒﹁決定作成機能におけるかAる変化は伝統的な
( 1 )
資本家とは異った見識と外観︑従つてまた異った利害と動機とをもった人々を必然的に求める︒﹂重役会が窮極的な
経済的権力をもつとはいえ︑かかる専門的経営者はますます多くその一員として任命されてゆく︒そして経営の指
導者たちは今日ではそのほとんどが非所有者であるところの俸給重役であり︑
五九 その勢力もまた株式所有にではなく
て経営機構内におけるその地位に負うている︒しかも資本は大部分︑社内留保利潤にもとずく﹁自己金融﹂によっ
て調達される︒かくて﹁卜●︒フ・マネージメントは今日では企業自体の株式保有者のみならず︑諸々の金融機関を
( 2 )
含む総体としての資本家ないし財産所有者階級からもますます独立してゆく︒﹂そして一方株主の側においても︑
今日の株主は﹁機能せざる株主﹂となった︒﹁所有者は能動的な企業者であることから︑実際は彼の企業を統制せ
( 3 )
ず︑またたとえそれを欲したとしてもそうすることのできぬ受動的な株主となった︒﹂それは次の理由にもとずく︒
①彼らの数はあまりに多く︑またあまりに拡散している︒図その大多数は事業について無知であり︑またそうでな
366
要性は倍加された︒﹂そして﹁大会社は自己金融の幅を相当にーー'ときには完全にーー.拡大さしたが︑他方ますま 株主が細分されて団結することができなくなり︑彼等自身の利益を直接にまもることができなくなった時その重 一握りの株主が年次総会に出席し︑あるいは代理人を任命するだけであり︑彼らとて﹁重役会の決定に
対して押されるゴム印﹂にすぎない︒かくして株式保有は経営からますます分離する︒
( 4 )
くとも大企業においては消滅している︒﹂
資本家階級の経済的権力は技師や専門家に︑いそしてその殆んどが非所有
( 5 )
者であるところの経営者階級に移行した︒彼のこの主張は一昨年の労佑党大会において討議された網領﹃産業と
( 6 )
社会﹄の中に取入れられている︒これを英国労仇党の公的﹁経営者革命﹂論として︑その結論的な部分を引用して
おこ
う︒
﹁会社が大きくなり彼らの仕事がますます複雑となるにつれ︑経営はますます重要となり︑ますます段階制度を
強め︑ますます専門化され︑ますます職業化される︒⁝・:今日では経営のエキス︒ハートは重役室そのものの中に継
( 7 )
続的に必要となった︒⁝⁝既に重役の大多数は自分の会社または会社集団以外の重役の職を兼ねていない︒﹂﹁大会
社はその会社の株主としては少しばかりの︑あるいは全然関係をもたぬ人々によって次第に多く統制されている︒
⁝⁝重役室は株主との関係においてますます独立的となった︒重役自身が重要な株主でなくなったという事実は︑ 以上のようにクロスランドによれば︑ ﹁古典的な資本家階級は少
うに
して
︑ いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶
い人々も他の職業に就いている︒③そしてまた大多数は企業に対する統制を欲して株式保有者となるのではない︑
むしろ彼らは種々の企業に株を分散させることによって一定の会社と運命を共にするようなことはしない︑④また
彼らは自らの古い権利を守るために自らを組識しようとするあらゆる試みに対して無関心かつ冷淡となった︒かよ 六0
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
はどうであろうか︒ 以上はあまりにも短い結論的部分の抜き書きだが︑これによってもクロスランドの所説と瓜二つであることが理
解され得よう︒だがクロスランドや﹃産業と社会﹄の言う如く﹁経営者革命﹂は現実に起つているのだろうか︒
もちろん︑株式会社は社会の遊休資金を株式を通じて集中し資本に転化し運営するところの企業形態であり︑従
つて株式の分散化は必然的にそのうちにふくまれる︒
は︑多数の株主
1
1所有者と少数の支配者ー経営者として現れる︒
る︒だが問題はこの支配者
1
1経営者である︒ 一方における株式の分散と他方における資金の集中・支配
これは︱つの大企業化に伴う必然的な現象であ
経営者は果して所有と切り離されているだろうか︒これについては匿名の筆者︵インサイダーズ︶による一論文︑
( 9 )
﹁誰も企業を所有しない﹂が有力な解答を与えている︒それによれば先づ第一に︑大企業における管理機構は
確かに新しい職業的な経営エリートを増大せしめた︒だがこのエリートは重役会を通して決定されたところの広汎
な経済的政策の諸決定ーー`投資水準︑生産物価格︑技術革新の性格︑留保利潤の割合︑配当分割の大きさと時期及
び賃銀の一般水準と構造等ーー'の管理と技術的な実施を行うところの︱つの巨大な低次な管理機構に属する︒クロ
スランドもこの点を注目し︑彼らがますます多くその上の機構たる重役会に入ってゆくことを指摘した︒だがこれ
を以つて非所有者的経営者による支配の有力な論拠とすることは可能であろうか︒彼は﹁機能せざる株主﹂につい
て幾つかの理由をあげている︒群小の株主についてはこのことは適用されうるとしても︑
( 8 )
す⁝⁝外部金融に対する必要を減じた︒﹂
六
いわゆる大株主に対して
言うまでもなく株式の分散化は決して平等な分散化ではない︒従ってそれは支配権の分散ではなく︑却つて相対
368
家
11
経営
者形
態を
とる
重役
が存
在し
てい
る︒
︶
こA
では
︑
その他の大会社における分析は︑ 所有と経営とは密接に お互いに持株会社の重役を兼任していることを見出した︒ 的に小なる議決権株の所有即ち相対的な集中による企業支配を可能ならしめる︒資本三百万ポンド以上の大会社においては平均して約二十の最大株主グループが約二十彩の議決権株を所有するならばーー代表的企業においては最大株主二十以下ではその保有数が急激に低下しているIその会社の政策を支配
しうることが可能であり︑ フローレンス教授によれば︑払込
そしてまたこれら二十の最大株主の多くは家族的関係その他の結合関係によって︑しば
しば︱つの密着せる集団を形成している︒
更に
︑ インサイダーズは現代の株式保有における最も顕著な形態ーしばしばある大会社における最大株主が他
の大会社︵金融機関をふくむ︶である事実︑1を指摘し︑そしてまたこれらの会社株主の重役は同時に株式を保有
する会社の重役をしばしば兼ねているという事実︑即ちいわゆる重役交流について考察している︒現代英国におけ
る典型的な大企業である
I m
p e
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Ch
em
ic
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In d
u s t r
i e s (
及び
Me
ta
l
Bo
x
Co•
L td .
) を例にとりー﹃産業と社会﹄
もこれらを例にとつている1詳細にその大株主︵一人か二人の個人と約十仕どの会社や銀行で普通株の約一割以上を占め
る︶と重役会を検討した結果︵別表参照︶I.C.Iにおける重役会は各会社の重役によって占められ︑かつ彼らが
︵ま
た
M.B.C
にお
いて
は他
の会
社の
重役
の他
に︑
古い
企業
大株主による経営支配が明確に現れ︑
結合されている︒これは上記の二会社に止まるものではなく︑
(10) とを確証せしめる︒以上がインサイダーズの批判である︒ ますますこのこ
かくて︑経営者革命が︑たとえ存在したとしても︑全体からみれば極めて少数の場合であり︑所有と経営との分
離をなにか完全なものであるかの如くみなしまた非所有的経営者が別箇の独立的な階級を形成するものと考えるこ
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
六
、二.‑‑‑‑‑・ 一
̀
..
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(哀崇)Inperial Chemical Industries
I. C. I. の株を保有せる他の会社での坂締役の職S. P. Chambers……National Provincial Bank, Ltd.*• • • • • ……….... 1,344,282
Royal Insusance Co. Ltd. • • • • • • • • • • • • • • • • • •· • • •· • • • • •· •·· • • • • • •·186, 000
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A. Fleck・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・Midland Band Ltd.**・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ …・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …・・. 1,544,875
*これらの重役会の各々にBaringBros. Ltd. マネージング・デ'
イレクタ・ーが列している。それ故にBaringBros, Nominees……5,542,425 (最大株主)
**この重役会にSir.F. W. Morgan (Chairman, Prudential
Assurance Ltd. それ故にPrudentialAssurance Ltd. ………2,703,476 Total 11, 650584 主たる取締役普通株保有
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370
註
( 1 )
Cr os la nd , o p. c i t . , p .
34 .
(2 ) I b id . p .
34.
( 3 )
I b
i d. p .
32
5.
(4 ) I bi d . p .
63 .
(5 ) スト>イチーもまた﹁経営者革命﹂を承認する︒﹁大会社の代表的な株主は︑会社の工場ないし製品の創始について︑
彼が月の創造について持つと同程度の関心しか持たない﹂云々︒
(C on te mp or ar y Co np it al is m,
︑p
p.
189189及び
pp .
3536)
(6
)^ ^
In du st ry a nd So ci et y"
1
95 7.
(7 ) I b id . p :
1
6.
(8 ) I bi d . p .
23 . ( 9 )
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一w
19 58 ,
wi nt er . pp.
2632 , (10)重役交流の問題についてはアーロノピッチ「独占」第二章に詳しい。•
(1 1) P . M . Sweez
y, h T e T he or y o f C a pi t a li s t D ev el op me nt ,
19 46 ,
p . 262なお「経営者革命論」~」対するかような見地に
立つ批判としては︑
M .
Do bb ,‑ St ud ie s i n t he Dev el op me nt f o C ap it al is m,
1
94 6,
C
ha p. 8
,
][;
P .
M . S
we ez y, r P es en t as Hi st or y, 1 95 3, C ha p.
̲
3.
竿
すが
ある
︒
さて
︑
クロスランドはかような経営者革命の必然的な結果として経営者の心理に大きな変化が生じたと言う︒先
づ第一に利潤動機について︒経営者における経営の動機は著しい修正を受け︑従来の所有者的企業家のもつていた
利潤極大化なる目的は大いにその意義を減じたと主張している︒彼によれば︑経営者はもはや高額の個人所得ない
し消費の源泉としての極大利潤を欲するのではなく︑また株主の報酬を極大化するために行動するのでもない︒も
四
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶
六四
しかも︑クロスランドによれば︑今日の経営者階級は世論ーー国家及び民主々義的諸勢力その他のーーに対して
敏感であり︑かつ公共の利益に関して大いに考慮を払つている︒例えばその価格政策︒価格はもはや利潤極大︑消 っ
た︒
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶
権力
︑
六五
ちろん利潤動機そのものが全く無くなったというのではない︒しかし︑それは経営者にとつては自らの主たる諸目
的を達するためのいわば手段的動機となった︒彼は言う﹁それではいかなる動機から︑近代的企業の指導者たちは
自らの利潤を極大化しようとするのか︒彼は時には彼自身の報酬を極大化せんがためにそうするかもしれないが︑主として彼は……心理的および社会的諸動機の混合からしてそうする。彼は•…••株主所有者の利害とは全く異つ
た利害をもつて︑自分自身をその企業と一体化して考える傾向がある︒そして彼のその企業に対する忠誠のみなら
自己
実現
︑
ず︑彼のすべての個人的動機ー職業的な誇り︑
する欲求ーーも︑企業の威信に対する源泉であり企業権力の窮極的な源泉であるところの高水準の生産高と急速な
( 1 )
る成長︑従ってまた高利潤のうちにそれら諸動機の充足を見出すのである︒﹂つまり彼によれば︑経営者は主とし
て自らの社会的地位︑
る︒
そこ
で︑
および威信が企業の利潤水準に直接依存するが故にそれを求めるにすぎないのであ
この動機の変化からして︑クロスランドは当然経営者にとつて重要なのは︑利潤の絶対的な水準より
もむしろその相対的水準であると云う︒﹁純利潤の絶対的水準は相対的水準よりも重要性をもたぬものである︒企
業の権力及び威信は年間の生産高及び利潤の増大率もしくは一企業の利潤とそのライバルの利潤との間の関係によ
( 2 )
つて判断され︑またそれに依存する﹂と︒かくして利潤はなお動機として存在するとはいえ︑企業及びその経営者
たちの権力と威信の具と化し︑かAる意味での利潤追求は最大限の利潤追求ではなく相対的な利潤水準の追求とな 実業界における威信を得ようとする欲望︑権力に対
372
( 3 )
費者搾取を目的とするのではなくて︑公共の利益にそいうる公正かつ合理的な水準に規定される︒投資政策︑小売
商対策︑労仇対策等の他の分野においても同様である︒
( 4 )
として現れた︒もちろんこの傾向をすべての経営者がもつているわけではないが︑最も明白にその変化を示してい
るところの経営者たちが︑総体としての産業の歩調を決定するのである︒
クロスランドの経営者の動機の変化についての見解は以上の如きものであり︑
らの関心は︵株主とちがつて︶利益配当よりは︑はるかに多く︑利益をあげること拡張することと並んで生産その
( 5 )
ものである︒俸給︑年金︑地位︑勢力︑昇進等が富よりもむしろ彼らの活動の剌戟となっている﹂と述べている︒
経営者革命
1
所有と経営との分離から必然的に随伴せしめられる経営者の動機におけるかような変化を我々はどの1
ように理解すべきであろうか︒
先程も触れた如く︑職業的な経営者ーー'重役会の決定した一般的政策に対する管理と技術的な実施を行うところ
の経営階層が︑巨大な管理機構として︑だが低次の機構として存在すること︑
ムバーであることは事実であり︑
は︑主としてこの点に注目する︒ そして彼ら自身しばしば重役会のメ
それは現代の経営機構において重要な役割を果している︒いわゆる経営者革命論
この理論の命名者であるバーナムにおいてもかAる意味での﹁経営者階級﹂即ち
(6) 主として﹁指揮と調整﹂を司るところの経営者が支配的な経済的権力を持つに至ったことを述べているのである︒
この階層は明らかにそして大部分所有者ではない︒重役としての彼らもまたサラリーマン重役である︒この種重役
の果す役割は一般的な政策とそれの管理との間をつなぐピボットたることである︒だがこれら新しい経営者は大会
社の経済的権力︑支配権を握り︑かつその経営動機を変革させてしまったのだろうか︒
いわ
ゆる
﹁経
営者
革命
論﹂
につ
いて
︵木
村︶
﹃産業と社会﹄もまた例えば﹁彼 ﹁私的産業は遂にヒューマナイズされ﹂社会的良心の持主 六六
・・..
373
いわゆる﹁経営者革命論﹂について︵木村︶ 社会的統制から更に離れた︱つの経済的︑社会的利益集団を構成する︒﹂従ってかような﹁コーポレイト・︒ハワーの
( 8 )
新しいエリートを構成する人々'~経営する人々と所有する人々|—、は今日の私有財産権の執行者である。」取締
役︑大株主︑及び経営者重役は私有財産に対して多かれ少なかれ同じ関係にある︒
そもそも︑資本主義社会においては生産手段の所有は︑資本の所有として現れる︒資本はそれ自体のうちに拡張
の必然性を持つ︒この拡張は企業者に対し︑競争のうちで生存するための︑また支配的な階級として存続するため
の強制的な法則として現れる︒そこで︑蓄積が資本にとつて︑企業者にとつて第一義的な重要性をもつ︒クロスラ 通な利害に包摂されている︒
六七
先づ第一に︑経営者は所有から独立して行動するのではない︒前述した如く︑今日の経営に対し窮極的な力をも
つ支配株は依然として大株主の手中にある︒勿論大株主は自ら経営や管理業務に直接携わることなくそれを職業的
重役に委ねることができ︑またその必要性は存在する︒だがあくまでこの指揮系統に対する権利︑すなわち権力的
地位への合法的接近は私的所有にもとずくのである︒彼らは︑基本的には大株主の代理人であり︑大所有の権力の
執行者である︒所有と資本の論理にさからうものは︑資本主義的企業における経営者としては失格者であろう︒
( 7 )
﹁彼らの野心は︑所有者としてであれ︑重役としてであれ︑資本の真正の代理人となることである︒﹂
更に︑現代の資本主義経済における私有財産は巨大な株式会社︑金融機関の手に集中され︑寡頭的グループによ
つて支配されている︒即ち今日の︒ハワ・エリートは単なる個人的株主やロバー・バロンよりも︑会社という集団的
権カー~コーポレイト・。ハワ1|—を構成するグループの手にある。彼らはそれぞれ異った金融的・経済的利益を
代表するが︑しかし彼らの間の自然的競争は︑彼らのより大なる利害の問題︑即ち会社財産を守るという相互に共
﹁彼らが一緒に行動する時︑資本主義がかつて知らなかったほどより強力な︑そして