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イギリス木炭製鉄業の地理的分布

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イギリス木炭製鉄業の地理的分布

その他のタイトル The Distribution of the Charcoal‑Iron Industry in England

著者 小杉 毅

雑誌名 關西大學經済論集

14

2

ページ 203‑232

発行年 1964‑06‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/15406

(2)

203 

イギリス木炭製鉄業の地理的分布

本稿はイギリス木炭製鉄業の地理的分布と地域的構成について簡単なスケッチをこころみたものである︒

ここにいう木炭製鉄業とは︑木炭送風炉の普及をみた一六世紀中葉からコークス製鉄法の普及する一八世紀中葉

までの約二世紀にわたる製鉄業を指すが︑

この時期はイギリスにおいて資本主義の生誕をみる初期資本主義という

経済発展段階にあたり︑その意味で当時の製鉄業の地理的分布や地域的構成も初期資本主義時代における生産技術

(1 ) 

や経済法則に対応した様相を呈しているといえる︒

この時期における製鉄業は︑生産技術的には︑製銑︵送風炉︶︑鍛造︵鍛造炉︶︑圧延裁鉄︵圧延裁鉄工場︶の三部

門︵エ程︶よりなり︑送風炉においては鉄鉱石を熔解して銑鉄を生産し︑鍛造炉では銑鉄を鍛造し︑

(2 ) 

においては棒鉄︵棒状にされた鍛鉄︶を需要に応じて圧延裁断していた︒燃料は含有物の関係から︑製銑︑鍛造両部

門においては木炭以外には使用できず︑圧延裁鉄部門においてのみ石炭(pit

c oa l )

が利用された︒動力は専ら水車

に依存し︑貨物の大量輸送は河川を利用するという技術的段階にあった︒以上のことから︑森林︑鉄鉱石および河

川の分布といった自然的条件が製鉄所を立地する上に強い制約力をもっていたことは瞭らかである︒重量物を生産

圧延裁鉄工場

(3)

204 

縣西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第二号

対象とする製鉄業にとって︑自然の制約的条件は他の諸産業におけるよりも遥かに重要な意味をもっていたわけで

しかし︑製鉄所の建設にとって自然的諸条件よりも一層重要な要因になったのは社会経済的条件である︒初期資

本主義といっても資本主義に固有の経済法則が強く働いていたことには変りはない︒たとえば︑資本主義の特質の

︱つは︑商品生産が支配的形態をとることであるが︑貨物が商品として生産される以上︑それはなによりもまず市

場と結びつかなければならない︒従って当時の製鉄業にとって唯一の市場であった鉄加工業の分布が製鉄所を建設する際に強力な吸引力をもっていたのである。•このように商品生産の経済機構は、当時すでに製鉄業の立地を極め

それでは︑当時の木炭製鉄業は上述した自然的︑社会経済的諸条件のもとで具体的にどのような地理的分布と地

域的構成を示したであろうか︒二︑三の特徴を指摘するとこうである︒

総括して製鉄業全体としてみるならば︑その地理的分布がすぐれて分散︵非集中︶

製鉄業が鉄鉱石を主たる原料とし︑圧延裁鉄部門を除いては木炭を唯一の燃料とするためにイギリス各地に散在し

ていた森林地域や鉄鉱石産地を指向して炉の建設がおこなわれたことによる︒製鉄業三部門のなかでも︑森林︑鉄

鉱両資源に直接関係をもつ製銑部門︵送風炉︶がもっとも分散的分布を示し︑鍛造部門︵鍛造炉︶がこれに次ぎ︑森

林鉄鉱両資源ともに間接的関係しかもたない圧延裁鉄部門が一番集中化していたこと等はこの間の事情をなにより

もよくものがたっている︒二つには︑今も触れたように︑製鉄業三部門のあいだにおいて製鉄所の集中度が異って

いたことである︒いいかえれば︑製銑部門よりも鍛造部門︑鍛造部門よりも圧延裁鉄部門というように蚊終工程に て市場指向性の強いものとした︒

的であったことである︒これは ︱つは︑製銑︑鍛造︑圧延裁鉄の三部門を

(4)

205 

イギリス木炭製鉄業の地理的分布︵小杉︶

一 九

一方では当時の生産技術の水準を媒介 近いほど集中度が強化されていることである︒これは︑製銑部門が森林︑鉄鉱石の分布という自然的条件の制約性をより強く受けて工場が未開発森林地域に分散して立地したのに対して︑圧延裁鉄部門においては市場要因の拘束性がより直接的となり︑鉄加工業の分布に対応して一︑二の鉄加工業地帯に集中的立地を示したためと考えられる︒三つには︑第二の特徴と関連するが︑製銑部門中心型と鍛造︑圧延裁鉄部門中心型の二類型の製鉄地帯が形成されたことである︒前者は概して都市から遠く離れた森林地域にみられたが︑これは鉄鉱石需要の増加と森林涸渇とい

う条件の下で市場に結びつく範囲内で森林および鉄鉱石の資源地を指向して立地したためであり︑後者は在来の鉄

加工業を市場に求めた市場指向型の製鉄地帯として発展したために鉄加工業の繁栄する都市の周辺に鍛造および圧

延裁鉄工場を凝集せしめて形成されたものである︒

イギリス木炭製鉄業は︑初期資本主義という経済発展の一段階において︑

に︑森林︑鉄鉱石︑河川の分布といった自然的条件の制約を受け︑他方ではすでに資本主義に固有の市場要因の強い

拘束を反映して上記のごとき地理的分布と地域的構成を示したのである︒木炭製鉄業の地理的分布と立地条件との

関係そのものについては︑別稿﹁イギリス木炭製鉄業の地理的分布と立地条件﹂に譲る予定であるため︑本稿では

専ら焦点を製鉄業の地理的分布と地域的構成自体にしぽり︑製鉄所の建設過程を跡づけながら論考をこころみたい︒

( 1 )

﹁経済現象は︑つねに経済発展の各段階に固有な︑またその発展の特異性に応じた︑地理的分布の態様をもつ︒このいみ

で一国あるいは一地域の︑経済の地理的構成は︑なによりもその国︑あるいはその地域の︑経済発展段階の投影であり︑ま

た経済発展の特異的性格の反映である︒工業の地理的分布や地域的構成についても︑同じことがいえる︒﹂︵川島哲郎﹁日

本工業の地域的構成l

とくにその局地的集積・集中の問題を中心にー﹂﹃経済学雑誌﹄第四八巻第四号昭和三八年四月

(5)

206 

一八世紀にいたるまでの木炭製鉄業の発展と地理的分布

鵬西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第二号

( 2 )

送風炉の導入以後︑製鉄業では技術工程に基づいて︑送風炉︑鍛造炉︑圧延裁鉄工場の三つの作業所で製鉄作業がおこな

われていた︒

(B la st Fu rn ac e) これは熔鉱炉であって現代製鉄業で高炉と呼ばれているものと作業内容では基本的には変わ りはない︒すなわち︑鉄鉱石を熔解して銑鉄をとり出す工程である︒送風炉で精錬された銑鉄は︑大部分が次の生産工程 である鍛造炉へ送られて鍛造された°勿論︑炉からとり出した湯銑をただちに鋳型に流し込んで大砲︑アンカーその他鋳 造品を製造する場合もあったが︑生産羹は極めて少なく︑全製銑量の約五彩程度であったといわれる︒

(F or ge ) これは現代製鉄業の平炉にあたるもので︑炭素の含有量が多くて加工の困難である銑鉄を脱炭鍛造し て鍛鉄を作る工程である︒炉は精銑炉

(F in er y)

と鍛鉄炉

(C ha fe ry ) で構成され︑脱炭鍛造作業はこの炉で加熱された 銑鉄を繰返し鉄製の大ハンマーで打つことによっておこなわれた︒鍛鉄は通常棒状にして阪売されていたために棒鉄 (b ar   ir on )

と呼ばれている︒

③圧延敬鉄工場これは棒鉄を加熱し︑圧延したうえ適当なサイズの線材に戴断する工程である︒通常︑鍛造炉では︑棒 鉄を四分の三平方インチ以下に引き延ばすことができなかったために︑鉄加工業で加工するにはさらに細く祓鉄されなけ ればならなかった︒棒鉄は戴鉄機にかけられて︑先ず圧延ローラーで圧延され︑次いで別の載鉄ローラーで細い角線材に 切断された︒なお︑載鉄機の詳細については︑次にあげるツューバートの著書中の図︵三

0九ページ︶を参照︒

以上極めて簡単に製鉄業の一ー一部門︵三技術工程︶について説明したが︑詳しくは次の文献を参照︒

H .  

R.   Sc hu be rt ,  Hi st or y  o f  t he  B ri ti sh  I ro n  an d  S t ee l   Industry

  fr om 4  c 50 .  B C.   to   A•

D . 

17 75 ,  1 95 7 

pp

. 

23 0 31 3.   T. S.  A sh to n, I  ro n  an d  S t ee l   in   th e  In du st ri al   Revolution, 

1 92 4 ,  pp

. 

23 3 23 4.  

^河}内呻盆男﹃千12

l溶出丈証5

究﹄七五ー七七ページ他︒

イギリスにおける鉄の生産は︑紀元前四

00

年頃ケルト人によってはじめられたといわれる︒それ以来︑製鉄業

(6)

207 

ム地域︑ディーンの森林地域︑

(3 ) 

産地は極めて散在していた︒

しかしながら︑再び製鉄業のみに焦点をしぽって一六︑

地として指摘できる︒しかも︑

(b

lo

om

er

y)

一七世紀になってもなおニューカッスル地方︑ダービーシャー︑

七世紀における地理的分布をみると︑

地域︑南ウェールズおよびモンマスシャー︑ディーンの森林地域︑シェフィールド地域︑ミッドランズ等をその中心

(4 ) 

これらの製鉄地帯の発達は従来の製鉄技術に大変革を起した送風炉(blast

f u r n

a c e )

  の都入と極めて密接な関係を有していた︒従って︑当時の製鉄地帯の発達を跡づけるためには︑送風炉の建設過

程の考察が必要となる︒勿論︑各地域に建設された送風炉の数が︑ただちにその地方の鉄の生産量︑

地帯の規模を表示するものでないことは言うまでもない︒

イギリス木炭製鉄業の地理的分布︵小杉︶ 拡散していたし︑

ウィールドの森林地域︑南ウェールズ︑

ま ︑

 

一層明確にその分散的特徴を看取できる︒ は鉄鉱石と森林に恵まれた地方で盛んに営まれるようになった︒を刺戟するところとなり︑

モンマスシャーというように生 ローマ人のイギリス侵入は︑さらに製鉄業の発展

ディーンの森林地域︑ダービーシャー︑ウィールドの森林地域︑ノーザンプトンシャー

(1 ) 

およびクリープランド地方ではRoman, r

un

  bloomeryと呼ばれる炉が盛んに夜空を染めていた︒各地に現存する

鉱滓の跡はこの間の事情をよくものがたっている︒その後一三世紀頃には︑

(2 ) 

中心地を形成したが︑

とともにその中心地の移動をみたけれど依然として各地に分散していた︒ いちじディーンの森林地域が製鉄業の

一四世紀頃にはウィールドの森に重心を移行している︒このように︑製鉄地術は時代の推移

これを製鉄業に限定せずに︑最終鉄製品を生産する鉄加工業をも含めて広く鉄産業の地理的分布としてみるなら

一五︑六世紀においては︑鉄産業はその中心地を指摘できないほど

シェフィールド地域バーミンガ

ウィールドの森林

ひいては製鉄

(7)

208 

1 地域別送風炉数の変遷

I1s14  1600116 1653  1664  1717  1790 

南 ハンプシャー

ウィールド 51  49  39  36  29  14 

南西部および南 14  18  14  14  16  11 

ウェールズ

ミッドランズ 11  12 

, 

10  13 

チェスターおよ

び北ウェールズ

シ域ェおフよィびー北ル東

10  10 

, 

北 西 部

゜ ゜ ゜ ゜ ゜

58  85  78  73  68  61  24 

閥西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第二号

めていた︒ところが︑この地方は︑一六二0年頃 r t  e e 5帯の繁栄の好個の指標となるために︑ か︵鍛造炉をも併せて︶の建設過程を今少し詳述し

Ir

l 

sh

7 

i t .  

虹てそれぞれの製鉄地帯の発達を跡づけてみたい

e 7

O D  

第一表は製鉄地幣別送風炉数の変遷を表示し

y A   o r  ist

HLたものである︒この表において瞭らかなように

m o B  

be

45

一六世紀の中葉から一八世紀の,0年頃までは

Sc

m

ゥィールド地域が送風炉数においても生産量に

おいても他地域を遥かに凌駕し圧倒的比重を占•Hf

的分布の考察には︑送風炉の建設数が製鉄地 たからである︒にもかかわらず︑製鉄業の地理 も優れた生産能力をもっていたとはいえなかっ 量がまちまちで︑すべての送風炉が塊鉄炉より 場合においても炉の規模の大・小によって出銑 よる鉄の生産が広く行われていたし︑送風炉の

(8)

209 

成するにいたった︒ を境にして衰退の一途をたどり︑過日の巨姿を失いつつて八世紀を迎えるのである︒

(5 ) 

ウェストミッドランズ︑ディーン地域︑シェフィールド地域が︑

入をおこない︑紆余曲折を経ながらも次第に製鉄業の中心地を形成しはじめる︒そして一八世紀に入ると︑

トミッドランズ︑ディーン地域およびシェフィールド地域が︑

それではもう少し立ち入って︑製鉄所の規模や年間生産量はどうであったか︒

規模は︑駁者その他工場に直接関係のあるものをすべて含めて︑一工場三0名前後の労働者を雇用する程度であっ

(9 ) 

た︒その後一六

1

10年頃までは︑製鉄業の発展に伴って生産規模の拡大はみられたけれども︑のちにウェストミッ

0年頃における工場の平均

00

年頃より漸く送風炉の導

一 方

モンマスシャーおよび

ウィールド地域に代ってイギリス三大製鉄地帯を形

この地域に製鉄業の中心地が形成されはじめたのは一五四0年頃と考えられる︒そして︑早くも一五四八年頃ま

1

基乃至110

二基の送風炉と

1一八基の鍛造炉が建設されており︑既にこの頃にはイギリス最大の鉄の生産

(6 )

7

) 

地になっていた︒宏大なロンドン市場︵具体的には鉄加工業および鉄輸出商の存在︶を背景にもち︑豊富な鉄鉱石や森林

資源︑水量の比較的豊かな河川という製鉄業を立地するうえの好条件に恵まれたこの地域が︑イギリス製鉄業の中

心地を形成したことは必然的であった︒さらに炉数は︑送風炉︑鍛造炉ともに︑一五七0年代にはそれぞれ五0

(8 ) 

基に急増し︑一六0七年には別の史料によると両炉数で一四0基を数えた︒一五七四年におけるウィールド地域の

送風炉五一基に比して︑西南部および南ウェールズの四基︑ウェストミッドランズの三基という数字は︑ウィール

ド製鉄業の重要性を端的に示したものといえよう︒そして︑この状態は約半世紀にわたって続いたのである︒

.—. '

(9)

2 Io 

も ︑ な兵器生産地域であったことを示しているC

, ', ' ,  

開西大學﹃網清論集﹄第一四巻第二号

ドランズやディーン地域にみられた数百名の労働者を雇用するような大規模の工場は建設されなかったと考えられ

0年頃で年間出銑量一

00

余トン︑鍛造量五0トンと推定される︒従って︑この地域全体の

( 10 )  

生産量は︑銑鉄約六︑000トン︑棒鉄約三︑000トンとなり︑衰退の傾向を現わしはじめた一六二0年の直前

( 11 )  

イギリス全生産量の半ば以上を占める繁栄を誇っていた︒

か︑兵器生産の事情を通じて今少し触れてみよう︒この地域の主たる生産品目は︑

を中心とする兵器類であった︒殊に︑大砲の鋳造は品質の良いことで国の内外に広く知られていた︒従って︑兵器

( 1 2 )  

類の生産と輸出については国防上早くから国家管理が行われてきたが︑製鉄業者の巧みな政治工作によって国家の

( 14 )  

管理政策は絶えず骨抜きにさ加︑海外諸国および海賊に対して盛んに密輸出が行われていた︒このような事情にあ

一六世紀の中葉から一七世紀の二0年頃にいたるウィールド製鉄業の繁栄はどんな様相を呈していた

ウィールドの製鉄業が隣接諸国にとって脅威の的であったことはいうまでもない︒植民地争奪史上有

名なスペインとの戦において︑アルマダ艦隊の将校が受けた厳命の一っは︑

が不可能であれば︑敵の製鉄能力を粉砕するためにサセックスおよびミッドランズの森林を焼き払うこと﹂であっ

ウィールドの製鉄業がただたんなる鉄の生産地であったのではなく︑国防上最も重要

( 1 5 )  

たといわれる︒このことは︑

一六世紀中葉から一七世紀初葉にかけて︑

0年頃を境に漸次衰退しはじめ︑

ロンドン市場向けの棒鉄と大砲

イギリス製鉄業をまさしく首}咄してきたウィールド製鉄業

イギリス製鉄業の主報権を主としてウェストミッドランズとディーン

( 16 )  

地域に譲るにいたる︒特に一六

1

0年頃から一六六0年にいたる約四01年間は衰微の最も顕著な時期であった︒一 ﹁若しイギリスを完全に占領すること 四四

(10)

2 I 

イギリス木炭製鉄業の地理的分布︵小杉︶ このようにして︑

ち︑シュロップシャーではクリオベリとモーティマーの近傍に1

一 基

00

年を過ぎる頃には大・小︱︱基 ウォリックシャーでは︑︑ドルトンに一基というごと

シフナル附近に一基

いうことである︒

0

一五六一年から六三年にかけてス いちじ繁栄を取り戻したかにみえた製鉄業も︑過日の姿はすでになく︑

細々と余命をとどめながら一八世紀を迎えるのである︒

0ウェストミッドランズ︺ ただ製銑部門と鋳造部門が

ウェストミッドランズは古くから金属工業が盛んに営まれていた地域の︱つである︒石炭と鉄鉱石に恵まれたこ

すでに一六世紀の中頃にはバーミンガム地域一帯に数多くの鍛冶屋がみられ︑

﹁ダドリー城の周辺一0マイル以内に︑釘︑蹄鉄︑鍵︑錠前および農機具を作る約1一万人の鍛冶屋と鉄加工業者が

( 1 7 )  

いた﹂といわれる︒このことは︑衰をかえしていえば︑すでに一六世紀頃より製鉄業が相当盛んに営まれていたと

この地方では送風炉の導入がウィールド地域に比べて遥かに遅く︑

タッフォードシャーのキャノックに建設された炉が蚊初であったといわれる︒その後一六世紀を通じて︑送風炉は

宏大なバーミンガム地域の鉄加工業を背景に︑森林と鉄鉱石と河川に恵まれた地域に相次いで新設された︒すなわ

スタッフォードシャーではウェストプロムウィッチ︵一五九0

ストーン︵一五九

11

)

ゴーナル(‑五九五︶にいづれも一基︑

くである︒そして︑送風炉の近くには銑鉄を鍛造する鍛造炉が附設され︑

( 1 9 )  

の送風炉とほぽ同数の鍛造炉が操業していた︒

一七世紀を迎えたウェストミッドランズの製鉄業は︑ ォーカモア(‑五九

1 ‑

バーミンガムを中心に農機具︑鍵︑錠前︑

(11)

2 I 

1 16世紀におけるミッドランズの送風炉および鍛造炉の分布

地方に数基の送風炉と鍛造炉が相次いで建設さ らシェフィールドにいたるダービーシャー東部 こなわれたのが最初であった︒その後ヒーナか おける送風炉の建設は︑一五八二年ヒーナでお は製鉄業発展の基礎を築いていた︒この地域に

8 0

においては二三%を占めるイギリス最大の製鉄

P地帯に発展するのである︒

c t

︹シェフィールド地域︺ここは︑中世の頃よりハラムシャーの刃物でt r  u b 有名な鉄加工業が栄えてきた地域であり︑良質

のスウェーデン鉄を材料に︑ナイフ︑鋏︑斧等

S c  R 

Hの製造をおこなって︑すでに一六世紀の末期に 頭には鍛造量では全国生産量の四0%︑製銑量 鉄地帯を形成していく︒かくて︑ も鍛造︑圧延裁鉄部門の比重を高めながら大製 市場として背最にひかえ︑次第に製銑部門より 釘︑蹄鉄等の生産をおこなう宏大な鉄加工業を

閥西大學﹃繹済論集﹄第一四巻第二号

一八世紀の初

(12)

213 

2 17世紀および初期18世紀のシェフィールド地

域における製鉄所の分布

イギリス木炭製鉄業の地理的分布︵小杉︶

● HARROGATE 

FOREST of  j{NARESBOROUGH.L● SPOFFORTH 

~ . J . . ? E A C R O F T

IRKS TALL 

c ~

..L  Furnace 

)(Forge

0  Slitting  Mill 

●  Towns 

SHEFFIELD 

BARLOW

H. R. Schubert, op.  cit., p. 182. 

(13)

214 

上流にこの地方で最初のタッフ送風炉が︑

ポーティリンに一基︑ペンターチに二基の送風炉が新設されたほか︑ に向って西漸しはじめた︒そして︑フォックスブルーク︑ 鍛造炉の新設は︑

れ ︑

を謳

閥西大限﹃網済論集﹄第一四巻第二号

一五八五年にはシェフィールドの近郊に二基の送風所が操業を開始していた︒この新製鉄所の建設はシェフィ

ールドの鉄加工業を輸入鉄依存の状態から解放し︑国産鉄の使用を普及せしめた︒勿論︑この地方における送風炉

ただちに輸入鉄を完全に排除したのではないし︑在来の塊鉄炉による匝接生産法

(d ir ec t Pr oc es s)  

逐してしまったのでもない︒鉄の輸入量は一八世紀中葉にいたるまで全国使用量の約三分の二を占めていたし︑

( 2 0 )   六︑七世紀を通じて塊鉄炉は依然として送風炉と平衡して操業していた︒しかし︑相次いでおこなわれた送風炉と

一七世紀の初頭にはロンドンの鉄加工業を謳逐するほどの勢を示してくる︒ところが︑

著な発展はみられず︑ の地域の製鉄業は︑伝統的産業である刃物生産に固執した鉄加工業に市場を求めていたために一七世紀を通じて顕

刃物生産を中心とする鉄加工業を背景に次第にタンカスリ鉱山に近いシェフィールド中心部

ク等に送風炉を新設しつつ漸次鍛造︑圧延裁鉄部門指向型の製鉄地国軍を形成し一八世紀を迎えるのである︒

公グラモーガンおよびモンモスシャー︺

この地方における送風炉の沿入はウェストミッドランズとほぼ同じ頃であった︒先ず︑

コイティアングリアに一柚

その後こ

一五六四年カーディフの

つづいてディフリンに第二の送風炉が建設されたが︑以後一六世紀には

ウンティンアッシュ︑ランボノおよびボンティリンにはそれぞれ鍛造炉が送風炉に対応して建設され生産を開始し ( 2 1 )  

また︑グラモーガンにおける送風炉の祁入はすぐモンマスシャーに波及し︑ポンティ︒フールを中心に製鉄地山軍が

キンバワース︑ワズリーチャペル︑バン u

"

r /  

(14)

215 

3 16世紀におけるグラモーガンおよびモンマスシャーの製鉄所の分布

ft Towns and Villages  J..  Furnaces  )(.  Forges 

H. R. Schubert, op. cit., p. 176. 

地帯がこれにとって代った︒以後︑この地方は 鉄所の多くは次々と姿を消し︑ディーンの製鉄

0

Cw

mf

rw

do

er

(

の建設がおこなわれた︒一方︑鍛造炉の新設も

モンクスウッド︑クライダッ

Rh

yd

'X

cw

er

n 

等で棒鉄の生産を開始し

一七世紀の中頃になると森林涸渇と市場喪

( 2 3 )

 

失のために次第に衰微しはじめ︑わずかの炉︵ク

ライダッチ︑トロスナント︑タッフ︶を残して製

. 1

製鉄業はいちじ顕著な繁栄を示した

かくて︑グラモーガンとモンマスシャーの両 a

o ~ ,

ポンティモール︑ 送風炉と平衡してすすめられ︑ボンティプール にはベドウェルティとクライダッチにも送風炉 アバーカーンに︑

0年代 を皮切りに︑一五七六年にはトロスナント︑ポ

に送風炉が新設されたの

(15)

2 I 

型の製鉄地帯に発展した︒ 一八世紀の初頭には銑鉄生産量において全国第一位

1

一七世紀の末期には大・小︱︱基の送 送風炉と鍛造炉がそれぞれ一基づつ新設されたほか︑ に沿って相次いで製鉄所の建設がおこなわれた︒

一八世紀を迎えるまでかげをひそめていた︒

禰西大學﹃網済論集﹄第一四巻第二号

この地方もまた古くから製鉄業の営まれてきた地域の一っであるが︑ウィールド地域の顕著な繁栄の蔭にかくれ

てさほど重要性を示していなかった︒しかも︑送風炉の導入は当時の製鉄地帯のうちで最も遅れ︑送風炉の建設が

はじまるのは一六世紀の末期にいたってであった︒この地方において送風炉の導入が遅れたのは︑

製鉄に関する鉱山業者の共同的独占という特権が根強く残っていたために新技術の導入が阻止されたこと︑二つに

( 2 4 )  

は造船用材を確保するために国家の森林保護政策が採られており自由な伐採が許されなかったためである︒

0年リドプルークとセヴァーン川の河口附近にそれぞれ一基の送風炉が建設されて以来︑河川

してきた︒勿論︑ 一六︱二年過ぎにはリドプルーク︑パークエンド︑

風炉を擁する製鉄地帯を形成するにいたる︒しかも︑ サウドリーに

一六二八年から二九年にかけてホワィトクロフトとプラドリ

ーに鍛造炉の増設をみている︒その後一六四四年には市民革命の嵐の中で︑

( 2 5 )  

撃にあって破壊されたが︑革命の終結後再び繁栄をとりもどした︒そして︑ ほとんどすべての製鉄所が議会派の攻

ここに建設された送風炉の出銑能力は他のいづれの地方のそ

を誇る製銑部門中心

一八世紀にいたるまでの製鉄業の発展と地理的分布について五つの製鉄地帯を指摘しながら概観

この時期において︑上述の地域以外に鉄の生産がおこなわれていなかったというのではない︒た ︱つには採鉱や

(16)

217 

4 17世紀および初期18世紀におけるディーン地域の

製鉄所の分布

イギリス木炭製鉄業の地理的分布︵小杉︶

ーに~LL

NEWENT 

,ALON OPE MIT̲CHELDEAN 

H. R. Schubert, op.  cit., p. 184. 

ていることは周 地を指摘したまでである︒送風炉の建設を一瞥

この地

ークシャー

ロゲイト︑リーズ

鉄所の新設をみ

知のごとくであ プシャー等に製

︵ ハ

ビーシャー︑ヨ ェールズ︑ダー 域のほかに北ウ 業の主要な中心 時における製鉄 だここでは︑当

(17)

218 

覇西大學﹃網漬論集﹄第一四巻第二号

一八世紀以前におけるイギリス木炭製鉄業は時代の推移とともにその重心の移動をみたけれども︑

製鉄地帯は上述した数個の地域に分散するという非集中的特徴を有していたのである︒

(1 )  F .   G eo rg e  K ay ,  P io ne er s  o f  B ri ti sh   Industry, 

1 95 2 ,   p .   1 08 .  

( 2 )  

Th e  Ca mb ri dg e  E co no mi c  History

  of   Eu ro pe ,  I I ,   1952•

p .  4 47 .  

(3

) 

H.C•

Da rb y, An  

R ・' i s to r i ca l   G eo gr ap hy   of   En gl an d  b ef or e  A. D. 18 00 ,  1 95 1 ,   pp. 1  4 5  │  4 16 ;   H. R.  Schubert,  Hi st or y  o f  t h e  Br it is h  Ir on  a nd   St e e l  Industry

  fr om .  c 45 0B .C .  to  

A•D.1775.各所参照。

( 4 )

T  

.S .  As ht on ,  Ir on  a nd   St e e l  i n  t he  I nd us tr ia l  R e vo l u ti o n ,  1 92 4 ,   p . ̲   3 .   Ca mb ri dg e  E co no mi c  History

  of u  E ro pe . 

I I ,  

1 95 2 ,   p .  465•

H. .  R  S c h ub e r t' ,   o p c i t .   . ,   p .  1 73 .   従来︑鉄の熔解技術は︑一五世紀の末期にいたるまでは︑イギリスにおいては知られておらず︑後年︑ドイツより導入さ れたものと考えられていた︒ところが︑スターキー・ガードナーは︑それより遥か以前に︑サセックスで鋳鉄製の墓の文字

(g ra ve 's la b) や大砲の部分品が製造されていたことを示して︑従来の華入説を批判した︒そして︑送風炉の出現は︑イ

ギリスにおける︑

Ca ta la n He ar th

Os mu nd Furnaceー’—Stiickofen•J

̲ ;   うような︑長期に亘って徐々に改良された技 術的進歩の成果であるという見解に導いた︒しかも︑導入された時期は︑一五

0 年以前であるとしている︒熔解技術が0 導入されるまでは︑鉄鉱石は熱せられて︑糊状になった状態で︑不純物が鉄槌でたたき出され︑直接

ma ll ea bl e ir on

d ir e c t pr oc es s) がおこなわれ︑極めて不経済な製鉄法に依拠していたが︑送風炉︵間接生産法

I

in di re ct  process)

の導入以来︑原料の無駄がなくなるとともに︑生産量も急激に増加した︒送風炉においては︑鉄鉱石は 完全に熔解されるために︑鉄分は不純物と分離して取出され極めて無駄の少ないものとなった︒

(5)W•

H. B Court, 

Th e  R is e  o f  t he   Mi dl an d  I n du s t ri e s ,  16 00   1838•

1 93 8 ,   p .   3 .   大雑把にいって︑ここではパーミンガム地域を中心とするミッドランドの西部四州︑ウォリックッャー︑シュロップシャー スタッフォードッャー︑ウスタージャーをウェストミッドランズとして捉え︑考察の対象と

t

た ︒

(6

) 

H. R.  S ch ub er t,  o p c i t .   . ,   p .   1 73 .  

ウィールド・地域では︑すでに一五四三年までに

l0

基の送風炉が操業していたが︑つ

づく五年間には一︱基の送風炉が相次いで新設され︑一五四八年には鍛造炉をも含めると四八基乃至四九基の炉がみられた︒

参照

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