国・府県間人事交流の制度形成
稲 垣 浩
目次序章課題と視角
第一節 課題の設定
第二節 先行研究と分析視角 ︑・ ︑ ° ︑
︵一︶先行研究
︵二︶分析視角と本稿の内容
第一章戦後初期における人事交流をめぐる議論
第一節 戦後改革と内務省
第二節 フーバー勧告と内務省の解体
第二章地方公務員法での規定と人事交流斡旋の制度化 ︑ ︑
第一節 人事交流の要請と地方公務員法立法時の議論
第二節 人事交流斡旋制度案に対する地方自治官庁と府県
第三節制度化の挫折と地方自治官庁
国.府県間人事交流の制度形成 ・ ︵都法四十四ー二︶ 五四三
五四四
第三章人事交流関連諸制度の整備︵1︶⁚恩給在職年限通算問題
第一節 府県職員への国家公務員恩給制度の適用問題
第二節 恩給在職年限通算措置の成立
第四章人事交流関連諸制度の整備︵2︶⁚任用制度問題
結語序 章 課題と視角
第一節課題の設定
本稿は︑戦後日本の国と府県の間で行われている人事交流制度の形成過程について分析を行うものである︒ ︵1︶ 人事交流による中央省庁から府県への出向者は︑二〇〇一年七月現在において︑五一一人にのぼっている︒なかで
も総務省︵旧自治省︶からは︑戦後一貫して︑多くの職員が都道府県︵以下府県とする︶の総務部長・財政課長など
の主要ポストに派遣されるなど︑中央地方関係における自治体職員と各省庁の人的ルートとして︑重要なものとなっ ︵2︶ ︵3︶ている︒しかし︑サミュエルズが﹁制度化された慣行であるが︑驚くほどインフォーマルである﹂と指摘したように︑
国家・地方両公務員法︵あるいは関連諸法制度︶上に交流についての公式の規定はほとんどなく︑地方公務員法の任 ︵4︶用規定において︑交流により地方自治体に採用する際の選考採用が見られる程度である︒このように人事交流は︑実
際の交流の規模に反して︑法制度上の規定がほとんど見られないという大きな特徴を持つ︒
ただ︑人事交流は当初からこのように﹁制度化された慣行﹂として︑行われることが予定されていたわけではない︒
− 戦後の地方制度が形成された詞度の形成の鱗﹈においては・内務省や・地方自治庁をはじめとした地方自治髭
と府県の連合体である全国知事会との間で︑人事交流の具体的な法制度について様々な提案が行われた︒しかし︑こ
うした提案はほとんど実現することなく︑人事交流はその具体的な実施や運用についての︑法制度上の規定をほとん
ど持たない﹁制度化された慣行﹂として現在まで続いている︒
本稿の課題は︑人事交流の制度形成過程を具体的に描写すると共に︑こうした人事交流の大きな特徴である﹁制度
化された慣行﹂となった原因を制度形成過程の中から探り出すことにある︒以下では︑これまでの先行研究について
概観し︑分析の基礎となる分析視角を設定した後︑具体的な形成過程について見ていくことにする︒
第二節 先行研究と分析視角 −
︵一︶先行研究
国と地召治体間での人事交流三いての主な先︹仔研究としては・稲継織・秋月璽・猪木亀などの研究があ
る︒こうした研究の多くは︑雑誌等に取り上げられた具体的な人事交流のデータや︑︑個別の状況などを素材として分
析を行っており︑現状の人事交流の実態の解明に一定の成果を見せている︒しかし︑前節で指摘したような人事交流
の法制度的側面や︑制度形成過程についての歴史的な分析はほとんど見られない︒そうしたなかでほぼ唯一︑稲継裕 り 昭が地方公務員制度の形成過程の中から︑人事交流の制度形成について分析をおこなっている︒稲継は︑戦後改革に
おいて国と地方との人事交流は政府側を中心にその重要性が認識されていたが︑結果として国家公務員と地方公務員
との間の人的交流に関する制度的な保障はなされず︑両者は規定上分断されるものとなったとする︒しかし︑稲継の
国.府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四ー二︶ 五四五
五四六
研究では制度形成過程における関係アクターの動向や意識の違いについてほとんど触れられていないこともあって︑
制度的な分断が行われた具体的な要因について明らかになっていない︒そこで本稿では︑戦後の人事交流が︑府県の
自治体化や内務省の解体といった︑戦後の新しい地方制度や国と府県の関係が形成される中で生まれたことから考え︑
こうした新しい状況における人事交流についての地方自治官庁と府県の意識の違いが︑結果に大きな影響を与えたの
ではないかと仮定し︑地方自治官庁と府県の動向に焦点を当てて形成過程の分析を進めていくこととする︒
︑︵二︶分析視角と本稿の内容
本稿では︑この地方自治官庁と府県のうち︑地方自治官庁を中心アクターとして分析を進めていくことにする︒そ
の理由は︑形成過程での地方自治官庁をめぐる三つの事情が︑過程に大きな影響を与えていたと考えられるからであ
る︒第一に︑人事交流の制度形成が︑主に地方公務員関連諸制度の形成過程の中で行われたため︑地方公務員制度の
所轄官庁である地方自治官庁が制度形成を主導したこと︒第二に︑その地方自治官庁が︑内務省から地方自治庁・自
治庁への組織の変遷の中でその性格を変化させたこと︒第三に︑そうした地方自治官庁の性格やそれを取り巻く環境
の変化に伴って︑制度形成における関係アクターとの関係に変化が起こったことである︒そこで分析を行うにあたり︑
地方自治官庁の行動様式についての︑西尾勝と伊藤大一の議論を紹介する︒
︵H︶
西尾勝は︑戦後の内務省解体によって省庁の分立化がもたらされ︑こうした分立化した省庁が地方政府における専門部局と結びつき︑地方政府においても分立化の傾向が見られることを指摘した︒こうした分立化を抑制しようと志
向するものが︑中央政府における内務省︵自治省︶や大蔵省等の総轄機関であり︑地方政府における首長と企画総務
部門であるとする︒さらにこうした縦の関係に対して同レベルの地方政府を横断的に結合しているのが︑わが国の地
︵12︶方六団体に類似の全国的な自治体連合組織であるとした︒ お 次に伊藤大一は︑専門官庁と府県の専門部局の関係が機関委任事務を通じた﹁隠れた階統制﹂となる点を指摘し︑
これを防止する必要性から︑自治省という地方自治専門の中央官庁をもうけることによって問題に対処するという方
向が選択されたとした︒伊藤はこうした自治省の働きが有効な方法であったとしながらも︑地方交付税の配分の決定
などを例に取り︑自治省自身が中央官庁の一つであるために︑その活動にもおのずから制約や偏りが課せられるとす
る︒また﹁自治体に対する自治省の統制力の源泉は中央官庁のうちにあって︑地方自治に無頓着な各省庁に対し牽制
力を発揮しつるというところにあるが︑この牽制力自体は自治省が自治体の主張や立場を有効に代弁しているという
了解に基礎付けられている﹃自己否定型官庁﹄である﹂と指摘した︒
本稿では︑これらの研究に基づいて地方自治官庁についての二つの分析視角を設定する︒一つは︑西尾の述べる総
轄機関︵ここでは地方自治官庁︶による省庁−地方部局の結びつきに対する分立化抑止の動きが︑人事交流の制度形
成にどのように見られたのかについてである︒もう一つは︑伊藤が﹁自治省が自治体の主張や立場を有効に代弁して
いるという了解に基礎付けられている﹂とする中央政府レベルにおける自治省の影響力が︑制度形成をめぐる地方自
治官庁と府県の態度の違いとどのように関係していたかについてである︒本稿では︑中心アクターである地方自治官
庁の行動を中心として形成過程について具体的に描写したのち︑これらこっの分析視角をもとに分析を行うことにす
る︒ なお本稿では︑以下のように叙述が進められる︒第一章では︑内務省にょる公務員制度の国・地方一本化や地方制
度調査会での議論など︑占領初期の人事交流の制度形成過程について考察する︒ここでは内務省による︑府県自治体︑
化後の公務員制度の一本化による︑実質的な府県の人事権確保を図る動きとその挫折を示す︒第二章では︑人事交流
国.府県間人事交流の制度形成 ︑ ︵都法四十四ー二︶ 五四七
五四八
斡旋の制度化構想とその挫折について見ていく︒ここでは自主的な人事交流によって︑府県における人事の停滞を解
決しようとする全国知事会と︑交流の斡旋を通じて全国的な国・府県間人事の統制を図ろうとする地方自治庁の態度
の違い︑さらにこうした考え方の違いから制度化が挫折したことについて明らかにする︒第三章と第四章では︑自治
庁が︑交流の障害を取り除くための関連諸制度の整備を行う過程を見ていく︒第三章では︑恩給在職年限通算制度︑
第四章で任用制度の整備過程を取り上げ︑両過程において︑自治庁は主導的な役割をとりつつも︑最終的な決定には ︵41︶府県の態度が大きく関係していたことを明らかにする︒そして最後に︑前述した分析視角を元に︑制度形成過程にお
ける地方自治官庁の動きと︑それに対する府県側の動きの中から︑人事交流の制度が形成された要因について分析す
る︒最後に本稿での研究を踏まえて︑戦後の人事交流に関して︑および今後の分権型社会における人事交流制度のあ
り方の二つについて︑若干のコメントを試みることとしたい︒
第一章 戦後初期における人事交流をめぐる議論
第一節 戦後改革と内務省
戦前の旧憲法下においては︑府県庁は国の地方官庁として位置付けられ︑その人事は内務大臣が握る高等官︵勅任
官・奏任官︶と知事が握る判任官人事とに分かれていた︒勅任官・奏任官などの幹部人事は内務大臣によって行われ︑
異動命令一つで全国の府県に派遣されていた︒
GHQによって行われた占領改革では︑こうした集権的な地方制度・人事制度の改革が求められたが︑当初内務省
は改革に否定的であった︒自治体化によって知事の公選・公吏化や︑府県職員の公吏化を行えば︑行政上・人事上に
ぐ おける全国的な統制が取れなくなり︑また公選知事に不信感をもつ中央官庁が︑地方出先機関を濫設することによっ
て︑中央のセクショナリズムが地方にまで波及し︑内務省−府県体制による総合的な内務行政が崩壊してしまう危険
があると考えていた︒そのため内務省は︑地方分権の要請を認識しつつも︑緩やかな改革によってできるだけ現状を
︑ ︵15︶ .維持することを考えていた︒
こうした方針から内務省は︑一九四六年の地方制度改正において︑従来官選官吏であった都長官及び府県知事を公
選としながらも︑その身分は官吏のままとする改革案を帝国議会に提出する︒しかし︑これに対して衆議院の審議で
は各政党から批判が続出し︑知事の官吏としての身分は﹁改正憲法施行の日まで﹂と修正された︒さらにこの修正と
ヵ へ ︑ 共に衆議院は︑附帯決議において﹁政府は都道府県の首長及び部下をすべて公吏とする都制︑府県制改正及びこれに ︵61︶ 必要なる法律を急速に整備し︑来るべき通常国会に提出すべきこと﹂とした︒結局大村内相は︑知事の身分切替に伴
う府県組織や運営の確立について声明を発表し︑これによって府県知事及び府県職員が公吏化され︑事実上府県が自
治体として国から分離されることが決定した︒
これを受けて内務省は︑一九四六年一〇月︑内務大臣の諮問によって地方制度調査会を設置し︑新しい地方制度に
ついて外部有識者や関係者を集めて検討を行うことにした︒この地方制度調査会の第三部会において︑都道府県のブ
ロック対立の弊害を避け︑府県やそこで働く公吏の能力向上を目的として︑国と府県の人事交流が初めて本格的に討
︵17︶
議された︒第三部会の幹事であった小林與三次内務省地方局職員課長は︑検討の対象となるのが知事の身分切替・都道府県の完全自治体化への移行にともなう都道府県と五大市の公務員制度であることを明らかにし︑また都道府県と ︑
五大都市は国家公務員と同一の制度にすべきとした︒さらに人事交流の問題について︑任用︑給与など︑基本的な根 0 本規定を︑官公吏を通じて一本にするのが理想であるとし︑﹁任用条件を一つにしてしまう︒そうするとその間に交
国・府県間人事交流の制度形成 ︑ ︵都法四十四ー二︶ 五四九
五五〇 ︵18︶流しうる基礎だけは一応成立する︒⁝恩給なども当然通算する︒勤続年数も通算する﹂とのべた︒当時内務省は︑こ
の人事交流通じて︑府県自治体化後においても内務省が実質的に府県人事を統制することを考えていた︒具体的には︑
人事交流の必要性の名目で公務員制度を国と府県で一本化し︑上級公務員の任免を国で行い︑下級公務員の任免を地
方で行うことによって︑これまでの国・府県間の人事制度を実質的に維持することを考えていたのである︒
地方制度調査会では︑新生府県における職員の能力向上等の理由から︑人事交流の必要性それ自体について委員全
体に共通了解はあった︒しかし︑内務省の考えに対しては︑地方自治の観点から反対意見が表明された︒知事の人事
権を重視する小野眞次︵衆議院議員︶や︑地方代表の高石幸三郎︵川口市長︶などは︑府県知事に任免権を持たせた
上で︑府県と内務省との対等な協議︑あるいは協議機関を設置して︑そこで人事交流を行うべきとした︒また︑後に
人事院総裁となる浅井清︵行政調査部公務員部長︶は︑任用における中央・地方間の分離を訴えた︒浅井は内務省の
主張する国と地方を一体化した公務員制度について﹁下級の公吏は︑府県自ら決めることができる︒上級の公吏は国
家によって支給せられるということは︑自治の精神からみてどういうことになるか︑⁝私は若しそれを他の組織でや
る︑中央の組織でやるというならば︑その組織は国家の組織ではなくて︑全国的な一つの自治的な組織がなくてはい ︵19︶かぬ﹂とのべ内務省の主張する中央集権的な官公吏一本化に対して反対した︒
しかし︑調査会の答申は内務省の意向に沿ったかたちで作成され︑﹁府県知事は︑組織法とし︑これと別箇に身分
法として公務員法を制定すること︒但し︑なるべく官公吏を通じた公務員に統一すること﹂﹁官吏及び公吏は相互に ︵20︶平等に交流することとし︑そのために必要な機関を設置すること﹂とされた︒内務省はこれを受けて﹁公務員法案要
綱﹂を策定し法制局に提出した︒この公務員法案要綱の適用範囲は﹁国並びに都道府県五大市及びそれらの複合地方
団体の公務員﹂とされた︒さらに一級官吏の詮衡および二級以上の公吏の任用事務については中央公務員委員会が︑
三級の公吏の詮衡および任用事務については地方公務員委員会が行うこととし︑二級以上の官公吏の交流は中央公務
︵21︶
員委員会の助言によるとした︒内務省は︑公務員法案によって国と府県職員を一本化し︑さらに公務員委員会を自ら ︵22︶の所管とすることによって︑府県に対する人事統制を維持しようとしたのである︒この内務省による公務員法案に対して浅井は︑﹁国と︵地方︶公共団体は別個のものである﹂ため組織法上の一本
化には﹁必然的基礎がない﹂と反論した︒さらに﹁内務省の﹃公務員法案﹄は︑主として都府県五大都市を目標とし︑
その他の市町村には及ばない︒自ら一本建の意義を失って居る﹂として一本化に強く反対した︒浅井はこのように︑
内務省の公務員法案のねらいが︑国による府県職員に対する人事統制にあることを指摘し︑﹁官吏が公吏に対して優 ︑ ︵23︶越する地位に在り公吏は官吏よりも劣等なる地位に在ると謂うやうな思想と制度とは厳に之を蔓除すべき﹂とした︒°
同法案は︑一九四七年二月︑国家公務員制度の制定のために来日したフーバー顧問団と民政局係官が協議を行い︑﹁ ︵24︶国家公務員法の制定は総選挙後の新国会以降に延期することを決定したため実現しなかった︒しかし︑府県職員を国
家公務員の制度に統合バあるいは同型化︶しようとする考え方は︑その後も人事交流の制度形成における内務省や後
継の地方自治官庁の基本的な認識となっていく︒ r
この後︑この地方制度調査会答申をもとに地方自治法が立案されること乏なり︑一九四七年一月七日に﹁地方自治
︵25︶
法案要綱﹂が閣議提出された︒地方自治法は五月三日︑日本国憲法と同時に施行され︑府県は正式に普通地方公共団・体となり︑知事以下職員がすべて公吏とされることとなった︒ ︑ ︑
ノ 目第二節 フーバー勧告と内務省の解体
地方自治法の制定と前後して︑総司令部から内務省の分権化が要求された︒内務省は五月二三日﹁﹃内務省の分権
国・府県間人事交流の制度形成・ ︵都法四十四ー二︶ 五五一
、
五五二
︵26︶
化﹄に対する内務省意見﹂を作成し︑公吏制度の立案をフーバー勧告の中間報告で明らかにされた中央人事院へ移管することを打ち出すなど自主的な組織改革を試みた︒しかし六月二一日︑前田行政管理部総務部長︑ケーディス次長
らの会談において︑総司令部側から内務省による改組案に対する不満と責任者の処分が要求され︑これ以降内務省の
解体が決定的となる︒
この内務省解体の過程のなかで︑人事交流の関連法制度として重要な位置を占める地方公務員制度の立案方式と︑
所管官庁が確定することになった︒ここでは︑こうした点が︑具体的にどのようにして行われたかについて見ていく
事にする︒
六月二一二日︑六月=日に勧告された︑人事院の設置などを盛りこんだフーバーの国家公務員法草案に対する各省
意見が取りまとめられ︑GHQに提出された︒各省が人事院の設置に反発する中で︑内務省だけが﹁本法を地方庁職
員にも適用すること﹂としてフーバー草案を容認した︒内務省は︑府県職員に国家公務員法を適用させることに
よって︑国と府県の人事制度を一本化しようとしたのである︒しかし︑人事院の独立性に疑問を感じていた片山首相 ︵27︶は︑この内務省の人事院賛成論を各省意見から削除したため︑国家公務員法の府県職員への適用は見送られた︒こう
して法制度の一本化が望めなくなると内務省は︑地方公務員の制度を国家公務員の制度とほぼ同じものとすることで ︵28︶両者の交流を活発化させようとした︒こうした方針に基づいて一〇月二一二日︑最初の地方公務員法の要綱案を作成し
︵29︶ている︒
また︑内務省は解体後も何らかの形で中央政府レベルにおける地方自治の所管官庁を残そうとした︒内務省は︑七
月に地方局の後継組織として︑地方自治委員会を設立することなどを定めた﹁内務省官制の廃止等に関する法律案﹂
を作成すると︑総司令部民政局のケーディス次長は︑これを内務省の温存ではないかと批判した︒これに対して内務
省は︑中央政府と地方政府との関係を断ち切り︑国会と地方団体との法律関係のみとすることは不可能であること︑
中央と地方は行政組織やその実情からもその間の交渉はなくなるはずがないこと︑さらに地方自治を発達させる上で︑
中央政府内部において地方自治体の実情を代弁し︑利害・発達について企画立案や調整をおこなう役割は必要である
として同委員会の必要性を主張した︒しかし︑この案は棄却され︑地方財政委員会︑全国選挙委員会に所管されるも
︑︑ ・ ︵30︶ ︵31︶
の以外の地方局の権能にっいては︑政令で内事局を設置してそこで暫定的に取り扱うこととなった︒こうして内務省は一二月三一日をもって正式に廃止された︒
翌一九四八年一月一日に内事局が︑九〇日の期限つきで設置された︒内事局は官房・第一局.第二局で構成され︑
このうち官房は︑内務省官房及び地方局の事務のうち︑全国選挙管理委員会に移管される事務以外の事務を掌ること
とされ︑庶務︑会計︑自治︑職制の四課がおかれた︒当初職制課の所掌する地方公務員法の関連事務については︑国
家公務員法の施行事務ともっとも密接な関係があるので︑これをそのまま人事委員会に移管するものとされたが︑二
月一八日の林内事局長官とフーバーの会談において︑職制課が地方公務員法の立案作業を行うことが決定され︑三月 ︵32︶六日の内事局解体後︑自治課とともに総理庁官房自治課に一括して移管された︒
しかし三月L一日︑GHQマーカム少佐から前田行政調査部総務部長に対して︑自治課と職制課の廃止及び両課の
事務をどこでやるのか忙ついて今後なお再考慮すること︑両課の職員は待命のような形にすること等︑内事局の廃止
に関するインストラクションが出された︒これに対して政府は︑﹁内事局及び内事局令を廃止する政令案﹂を作成す
るとともに︑自治課および職制課の仕事を継続してやっていかなければならない旨を記した報告書を作成し︑GHQ ︵33︶に提出した︒さらに︑芦田内閣の官房次官であった福島慎太郎と総司令部との交渉により︑官房自治課は正式な組織
・ ︑ ︵34︶
として認められ︑自治課長には閣議や次官会議への出席が認められた︒こうして一旦消滅したかに見えた中央レベル国・府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四ー二︶ 五五三
五五四
における地方自治官庁は︑その規模は大幅に縮小されながらも︑総理庁官房の一課として存続することになった︒総
理庁官房自治課や地方財政委員会には︑ほとんどの幹部職員が内務省地方局から引き続き配属され︑人事面において
もつながりを維持することとなった︒また︑地方公務員制度の立案についても︑官房自治課が所管し︑公務員法は国
家公務員法と地方公務員法の二本立てとなることが確定した︒さらに内事局の解体後︑徐々に全国町村会や全国市長
会などで地方自治の専門官庁の設置が要望されるようになり︑一九四九年︑官房自治課と地方財政委員会は統合され︑
総理府の外局として地方自治庁が設置された︒
こうした府県の自治体化と内務省から戦後の地方自治官庁への変化は︑これ以降の人事交流の制度形成に大きな影
響をもたらすこととなる︒内務省解体後の地方自治官庁の任務は︑地方に対する統制機関から国と地方の連絡調整機
関へと変化し︑その任務も﹁地方自治の本旨の実現に資すること﹂︵地方自治庁設置法︶となった︒そのため︑これ
以降︑地方自治官庁は人事交流の制度形成を主導しながらも︑内務省時代に比べ府県の意向が制度形成の結果を大き
く左右することとなっていく︒第二章以降では︑地方自治官庁による人事交流の制度形成と︑それに対する府県側の
反応に焦点をあてながら︑形成過程を追っていくことにする︒
第二章地方公務員法での規定と人事交流斡旋の制度化
第一節人事交流の要請と地方公務員法立法時の議論
府県の自治体化・内務省の解体によって︑国と府県との法制度上の人事関係は消失したものの︑実際には内務省0 ︵35︶Bや地方自治庁による非公式な人事の斡旋・仲介として関係は続いていた︒当初︑こうした国と府県間の人事関係
︵36︶ は︑﹁従来の随性もあって︑中央︑地方及び地方相互間の人事の交流がある程度は行われてきた﹂という︒また︑地
方自治庁・地方財政委員会・全国選挙管理委員会は︑職員の新規採用にあたって︑共同で﹁地方公務員幹部候補生試 ︵37︶ 験﹂を行い︑採用者を﹁見習﹂として地方に斡旋していた︒
しかし︑次第に交流の規模は縮小し︑一九四三年には三九四人が国から地方へと異動していたが︑一九五一年には
︵38︶
一五七人まで減少した︒そのため︑従来幹部職員のほとんどを中央官庁からの官僚の派遣によって占めていた府県で ︵39︶ は︑徐々に幹部人事の停滞が問題となりつつあった︒このように交流の規模が縮小した原因には︑人事交流の関係法令をめぐる二つの問題があった︒まず一つは︑中央官僚と府県職員がそれぞれ国家公務員・地方公務員に身分が切り
替えられたため︑府県に転出する場合一旦中央官庁を退職しなければならなくなったことである︒福田善次によれば
﹁中央官庁で採用されたものが︑一たん見習として地方出されると︑いつ中央に呼び戻されるか保証がない︒いわば
・ 遠島に処せられたのも同然な状態﹂であったと以弛・二つめは・恩給や退職手当などの支給基準となる在職年限が通叫゜
算されないなど身分保障に十分な措置が取られていなかったことである︒こうした理由から︑当事者である官僚たち
は地方への派遣に大きな不安を抱えており︑中央官庁内において地方自治体への赴任希望者や︑赴任に同意するもの
が現れにくいという状況にあった︒ ・
これらの問題点を解決し︑交流を円滑に行うために︑人事交流の制度整備を行う機運が高まり︑地方自治庁は制度
整備に着手した︒交流の制度化には︑大きく分けて二つの作業が行われた︒一つは具体的な交流斡旋制度の飢設︒も
う一つはこうした職員の不安を招いていた関係法制度の整備であり︑︑特に問題となったのはへ地方公務員法における
任用制度と︑退職年金の支給基準となる在職年限の通算制度であった︒本章ではまず︑地方公務員法の立法過程にお
ける人事交流についての議論と︑そこに現れた地方自治官庁による人事交流の制度形成の特徴について明らかにする︒
国・府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四ー二︶ 五五五
五五六
次に︑ほぼ同じ時期に行われた交流斡旋制度について︑全国知事会及び地方自治庁双方からの提案とその制度化の挫
折について見ていくことにする︒ ・
地方公務員法では︑交流を円滑化するための制度として︑交流等による中央官庁出身者の任用を︑通常の任用制度 ︵41︶と別の選考採用とすることが定められた︒人事交流の問題は︑地方公務員法案の公聴会において︑諸方面からその必
要性が訴えられた︒田中二郎︵東大教授︶は﹁国家公務員も地方公務員も︑若し本当に適当な人を得︑又地方的にの
み片寄らないで全国的な視野を持った人が地方に入って︑地方の行政をやり得るというような態勢をとることが実質 ︵42︶的には必要ではないか﹂として地方・国家双方の職員の視野や能力の向上という点から人事交流の必要性を訴えた︒
また内山岩太郎︵神奈川県知事︶は︑公選知事になってから部長の人事がうまく行かないことを指摘し︑﹁すなわち︑
現在の部長をどこへ持っていくか︒休職させるわけにも行かなければ︑退職させることも具合が悪い︒どこかにいい ︵43︶ところがないかというのが第一の問題であります﹂と述べた︒この二つの意見は︑当時人事交流を支持する理由の代
表的なものであった︒このうち︑田中の意見は︑前述の地方制度調査会に見られたように︑地方自治官庁が表面上主
に主張していたものであった︒これに対して内山の述べた意見は︑人事の停滞に悩む府県側から特に主張されていた︒
両者とも全国的な人事交流に賛成する点では同じだが︑府県があくまで人事停滞の解消策として交流を求めた点で微
妙に異なっていた︒こうした違いは︑後に人事交流の制度化や関係諸制度の整備における様々な場面で具体的な対立
点として表面化してくることになる︒
また︑同法での人事交流の規定について否定的な意見も表明された︒熊倉武︵法政大学講師︶は﹁第十八条第一項
又は第二項の規定は︑人事交流ということを通じて︑中央と地方との間に依然として中央の支配が及ぶようなかつて
のような官僚的中央集権体制︑中央集権というものに再び持っていかれる危険があるのではないか﹂とのべた︒熊倉
較 比 の 級 職 の 員 務︐ 公 家 国 と 員 務 公 方 地 表
7
仕給 割員仲係締︵
8 6
員係︶員酷係㈱
7 5
員係
4
員係 剰員伏係締︵
6 3
長係
5 2
長課長佐課補
4
長課
3 1
長部長局
2
官次
1
級等 員務公方地員務公家国
級等 ︶ はさらに︑国の職階制を基準とした地方公務員の職階制の制定が地方の特性や事情を考慮し 頁 ︑ ︑ 軌たものではないものとなる恐れや︑地方自治庁による地方公務員制度に関する助言と協力 号 ︵第五九条︶についても﹁地方自治庁というものが︑現在の日本の国家機構において持つ位 月 四 地あるいは地方公務員の従来から持っております中央尊重と言いますか︑卑屈な心構えとい
年 ︵44︶
二 うようなものがまだ日本には相当あると思う﹂と指摘した︒ 五 ︑ 寸・︑うした国家公務員と地方霧員の格差について︑当時の藤井莫地方自治庁公務員課長 則 は︑現状において地方公務員の採用試験が国家公務員と﹁同様の権威﹂をもっていないこと 蠕.を認めて㌧酷・また表−に見るように・職階制の準備作業においても国家公務員と地方公務 ﹃ 剛員の職級を比較した場合︑国家公務員が上位にあるものとされていた︒職階制は国家・地方 階 職 とも実施されなかったので︑法制度上に明文化されたわけではないが︑当時地方自治官庁内の ︵46︶
員 では︑制度上国家公務員を地方公務員に対して上位に位置付ける考え方が支配的であった︒ 務 舩・﹂うした認識は︑地方公務員のレベルが低い・﹂とはあくまで現時点での問題とされたこと︑ 随 具体的な人事交流策が明らかになっていなかったこと︑府県をはじめとして人事交流の緊急 典 性・必要性が強く指摘されていたことなどから︑特に外部から批判されることはなかったが︑ 出 ︵ その後も地方自治官庁の基本的な考え方として受け継がれた︒しかし︑こうした地方自治官 庁の考え方は︑後に任用制度の改革案などにおいて府県からの反発を受けることになる︒国.府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四−二︶ 五五七
五五八
第二節人事交流斡旋制度案に対する地方自治官庁と府県 ︑
地方公務員法の立法作業が進められた一九四九年から五二年にかけて︑府県・地方自治官庁双方から具体的な人事
交流の制度案が提起された︒この制度案では︑交流斡旋の主導権をめぐって︑地方自治官庁と府県側との間で明確な
意見の違いが現れた︒
前節で触れたように府県側の全国連合体である全国知事会は︑国・地方︑地方相互間を通じた自主的・全国的な人
材の流通によって︑主に人事の停滞問題を解決する手段として人事交流を考えていた︒こうした交流の第一歩として
知事会は︑一九五一年三月に︑他の地方団体の連合体等とともに︑日本地方自治研究所を設立し︑同研究所において ︵47︶地方公共団体間の人事交流の斡旋をおこなうことを明らかにした︒さらに国との人事交流の制度化を同年五月の全国
知事会議で提案し︑°その結果︑﹃人事交流斡旋要領﹄に基づいて年一回︑人事交流連絡協議会において人事交流の斡 ︵48︶旋を行うことが決定された︒同協議会は︑関係各省︑地方自治庁︑全国知事会事務局︵府県︶が参加し︑人事交流に ︵49︶ついて府県と関係省庁が協議会を通じて交渉を行う組織であった︒
しかし︑衆議院地方行政委員会において︑この協議会方式による人事交流の制度案について尋ねられた地方自治庁
の小野哲政務次官は︑﹁ただいまお話になりました人事異動の点について︑何らか協議会︵人事交流連絡協議会を指
す︶のようなものができたということは︑地方自治庁が関興いたしておるのではないのでありますことを申し上げて ︵50︶おきたいと思います﹂と答弁し︑地方自治庁の関与を明確に否定した︒この知事会による人事交流への関与を否定し
た背景には︑当時の地方自治官庁の状況と︑それに起因する人事交流を通じて府県人事をコントロールしようとする
戦略があった︒
一九五〇年から五三年にかけて地方自治官庁は︑戦後の国と地方の調整官庁としてその組織の再編・拡大の真っ只
中にあっだ︒一九五〇年五月︑地方自治庁はシャウプ勧告によって再び地方財政委員会と分離したが︑五一年八月の ・
政令諮問委員会の答申において︑﹁地方自治庁︑地方財政委員会及び全国選挙管理委員会を統合し︑総理府の外局と
して地方自治庁を設けること﹂とされ︑一九五二年八月一日自治庁が設置された︒こうした組織や機能の拡大のなか
で地方自治官庁は︑並行して戦後の行き過ぎた地方自治を是正するために︑府県の国家機関としての性格を強化しよ
うとした︒さらに地方庁を代表することで各省と対等の発言権を獲得することを考え︑人事交流はこうした戦略の一 ︵51︶ 環とされた︒そのため新設された自治庁では︑その組織規程において︑戦後の地方自治官庁としては初めて地方公共
− ︵52︶
団体への人事の斡旋が自治庁の人事を扱う総務課の事務として明記されている︒このように地方自治官庁は︑自らの人事制度に地方への派遣を組み込み︑さらにそれと連動して人事交流を自らコントロールすることによって︑人事面
︵53︶ −
で府県との結合と府県人事に対する一定の統制を図ろうと考えていたのである︒そのため地方自治庁は︑自らが人事交流の主導権を握ることを重視しており︑交流協議会が主導する知事会が提案した交流方式を認めることはできな
かった︒こうした考えから地方自治庁は︑日本地方自治研究所による府県間人事交流斡旋の発表から約一ヶ月後︑府
! ︵54︶
県間の人事交流の斡旋を地方自治庁において行う意向であることを明らかにし︑さらに一九五二年二月︑世話人知事会議において地方自治庁次長による集中的な人事交流の斡旋を提案する︒この地方自治庁の提案した人事交流案であ
る﹃昭和二十七年定期人事交流斡旋要領﹄・では︑各府県が転出希望者調書及び後任者採用希望調書を地方自治庁次長
︵55︶ .
宛に提出し︑地方自治庁次長がこの調書に基づいて候補者を定めるとしている︒こうした地方自治庁による交流斡旋案に対して︑知事会はさらに引き続き人事交流の具体的な制度化の方策を検討
︵56︶
した︒しかし知事会は︑人事交流について︑﹁国家公務員と地方公務員︑及び地方公務員相互間の人事交流は緊要のことである﹂としながらも︑﹁地方公共団体の代表者である首長の意に反してまでも︑これを強制できるとすること
国・府県間人事交流の制度形成− ︵都法四十四ー二︶ 五五九
五六〇
は人事面から中央統制を強化することとなるから︑これはあくまでも地方の自主性においてなされねばならない﹂と ︵57︶して︑人事交流の制度化を断念し︑府県ごとに自主的に行うこととなった︒
次節では︑以上の過程を踏まえ︑当時の地方自治官僚の言説をとりあげながら︑もう少し詳しく人事交流に対する
地方自治官庁の考え方を明らかにし︑さらにそれに対する府県側の対応を検討することによって︑人事交流の制度化
が挫折した原因について明らかにしていくことにする︒
第三節 制度化の挫折と地方自治官庁
当時地方自治官庁内部では︑地方行財政の悪化が︑公選知事による地方自治の未成熟と中央各省によるセクショナ
リズムによるものと考えられていた︒そのため︑自らの組織・権限の拡大と並行して︑知事に対する国の指揮監督強
化と︑知事自身の権限強化による地方行政の総合性の確保することによって︑各専門官庁による縦割りの中央集権体
制とそれに伴う地方財政の悪化を始めとした諸問題を克服しようとした︒たとえば鈴木俊一︵当時地方自治庁次長︶
は府県を地方公共団体と認めつつも︑その性格は市町村と異なるとして﹁府県という地方公共団体は︑国と市町村の
中間団体としていわば国の地方出先公共団体というような面の性格を持つ﹂として︑戦前の内務省−府県体制が行政 ︵58︶効率上は有効であったことを述べている︒
また岸昌︵当時地方自治庁行政課長補佐︶は︑府県の自治体化によって生じた無駄な組織や費用として︵1︶地方
出先機関の濫立︑︵2︶府県の独立化に伴う中央機構の膨大化︑︵3︶府県の機構及び経費の膨張をあげた︒岸はこう
した状況を改善させる手段として︑﹁国と府県の一体化をつよく推し進めることによって地方自治法のゆきすぎを改
め﹂ることと︑﹁地方自治の強化と国家行政目的の達成﹂という二つの目的を設定し︑それらを達成させるため﹁地
方自治と﹃社会的中央集権﹄の接合点として︑府県の性格を再構成﹂し︑知事に対する国の指揮監督権︑知事への部
内の行政事務処理権の付与︑人事制度の合理化と国の統制による職員の人事交流によって︑二つの目標を達成させる
︵59︶
べきであるとした︒こうした地方自治官庁における人事交流に対する考え方を具体的に述べたものとして松村清之︵当時自治庁官房調査課長︶は︑自治庁が人事交流の斡旋主体となり︑﹁地方団体との間に人事を交流する各省庁の協
ト ママ
力体制をつくりあげなければならない︒各省庁はべ地方団体からの受け入れ︑地方団体えの送り出しについて自治庁に申し出て自治庁はこれに基づいてその実現を図るという方式を確立しなければならない﹂と述べている︒さらに中
央地方を通じた全国的な名簿を作成し自治庁に具備し︑名簿登載者について﹁地方の当局者はある時期に当然交流が ︵60︶ 行われるものであることを了承しておくものとする﹂とした︒このように人事交流は︑前節でのべた自治官僚の地方
への派遣と地方自治官庁による国・地方間および府県相互間交流の統制を行うことによって︑地方行財政の悪化をも
たらす公選知事による府県ブロック化と中央各省庁と府県部局との人事面での結びつきによるセクショナリズムの発
生を阻止する手段として考えられていた︒そのため︑知事会の主張するような府県の自主的な人事交流を認めること
はできなかったのである︒
これに対して︑府県側の希望はあくまで対等・自主的な人事交流であり︑地方自治庁による人事︵交流︶の統制に
つながるやり方を認めることはできなかった︒鈴木の述べた内務省−府県体制と︑自治庁ー府県関係の決定的な違い
は︑後者において職員の任免権が公選知事にあるという点にあった︒そのため︑知事会が述べたように人事交流を
﹁地方公共団体の代表者である首長の意に反してまでも︑これを強制できるとすることは人事面から中央統制を強化
することとなる﹂ため︑内務省時代のように人事交流を府県に対して強制することはできず︑また制度化に対して府
県側の支持を得られなかったために地方自治庁による人事交流の制度化は失敗した︒また︑こうした地方自治官庁の
− 国・府県間人事交流の制度形成 − ︑ ︵都法四十四ー二︶ 五六一
五六二
﹁斡旋﹂を通じた全国的な人事管理の構想は︑内務省時代の制度と同一視されることによって︑府県の反感をもたら
していた︒たとえば︑山形県は︑﹁人事の刷新︑一般行政職員の練磨の機会賦与﹂という点では︑人事交流が組織的
におこなわれなければならないとしながらも︑﹁唯︑昔の内務省人事に見る様な人事の一元的中央統制によって中央 − ︵61︶官庁が一方的に地方に君臨する形は困る﹂と指摘している︒こうして︑地方自治庁・府県︵知事会︶双方による人事
交流斡旋の制度化案は実現されず︑﹁地方の自主性﹂において各府県が個別に交流を行うこととなった︒
しかし︑交流自体は実際に行われている以上︑人事交流の障害となる諸法令の改正は依然として問題であった︒鈴
木は人事交流を円滑に行うために整備すべき制度として︑試験の共同施行乃至は国家機関への委託︑退職年金及び退 ︵62︶職一時金制度の共通化と︑これらの支給基準となる在職年限の相互通算方式の確立などを挙げている︒また知事会に
おいても﹁人事交流を円滑にするために︑恩給︑退職手当等の給与︑その他︑職員の待遇︑ひいては社会保障制度を
合理的に改善し︑人事交流の障害を除去する⁝が適当である﹂として︑関係法令の整備を中心に取り組むことに
︵63︶なった︒次章ではこのうちもっとも問題となった︑恩給在職年限通算制度と任用制度の経過について︑問題に応じて
国・府県の対応がどのように異なるのかということに着目しながら見ていくことにする︒
第三章 人事交流関連諸制度の整備︵1︶⁚恩給在職年限通算問題
第一節 府県職員への国家公務員恩給制度の適用問題
地方自治法の制定以前においては︑国から府県に派遣されていた旧官吏には恩給法が適用され︑その他の府県吏員
・ については府県ごとに条例によって退職年金が決められていた︒これが地方自治法によって府県が自治体化されると︑
同法の施行時点までに官吏から公吏になったものについては恩給法が準用され︑もともと吏員︵府県職員︶であった
者については都道府県毎に恩給条例が適用されることになった○しかし︑これ以降︑恩給法の適用を受ける職員︵国
家公務員︶と都道府県退職年金条例の適用を受ける職員︵府県の地方公務員︶との間で身分変更を伴う異動が行われ
た場合︑年金の支給基準となる在職年限が通算されなくなったため︑人事交流の大きな障害となっていた○そのため︑
諸方面から改善が要求されていたが︑国家公務員の新恩給制度がなかなか進んでいなかったことから︑改善は遅れて
︵64︶ ︑ いた︒
当初恩給通算は︑国家公務員の新恩給制度を府県職員にも適用することによって通算させることが考えられていた︒
しかし︑この適用を府県の意思に任せるか︑全都道府県に強制的に適用するかによって︑府県.人事院と︑地方自治
庁とで意見がわかれていた︒
国家公務員の新恩給制度の作成を進めていた人事院は︑一九五〇年八月十五日﹁新恩給制度作成要綱の基本方針﹂
を発表し︑若干の修正を経た上で恩給制度案要綱を作成した︒同年一〇月末に︑総司令部民政局の招きで恩給制度の
確立に対して助言と勧告を行う為に来日したマイヤースは︑この要綱と関連資料をもとに﹁日本政府職員に対する恩 ︵65︶ 給制度に関する勧告と保険数理的分析﹂︵いわゆるマイヤース勧告︶を同年一二月七日に民政局長宛提出した︒マイ ︐︐ ︵66︶ ヤース勧告では都道府県職員への国家公務員恩給の適用は︑府県による任意包括適用とされた︒勧告後︑人事院は若
干の修正をへて︑一九五三年年=月一七日に正式に新恩給制度の勧告を行・った︒
これに対して︑国家公務員と府県職員の実質的な一体化を進めたい地方自治庁は︑恩給制度を府県職員に強制適用
させることを考えていた︒角田礼次郎︵当時地方自治庁事務官︶はべ﹁国家と地方の両公務員法を結びつける必要が
・ あるのは国家公務員と都道府県公務員の間﹂とし︑その理由はあくまでも国と府県間の人事交流の問題であると述べ
国・府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四ー二︶ 五六三
五六四
︵67︶ている︒また恩給制度を整備することによって︑地方公務員の待遇を向上し︑優秀な人材を地方公務員に誘致すると
︵68︶した︒こうした方針から地方自治庁は︑一九五一年九月に各府県に対して︑人事院の新恩給制度へ都道府県職員を包 ︵69︶括加入させることを通知した︒
しかし︑地方自治庁の推進する恩給制度への統合に対しては︑府県側の反対に遭う︒たとえば東京都は︑人事課長 ︵70︶名で角田宛てに︑府県職員の包括適用に対する反対意見を提出した︒その中で︑﹁国家公務員に関する新恩給制度に
地方公務員を包括加入させることは︑政府の好意的意図としてのみ理解されるところであって︑地方自治法及び地方 ︵71︶公務員法の趣旨からいっても︑強制されるべきものとは考えられないのであります﹂と訴えている︒
また人事院も︑府県職員への包括適用に反対であった︒人事院給与局次長であった慶徳庄意は︑人事交流の現状を
認めつつも︑﹁本来から言いますというと︑年金制度の特異性からいたしまして︑地方公務員といい︑或は公社職員
といい広い意味におきまして国家機関でもございまするので︑でき得べくんばこれら全体を摂する年金制度であるこ
とが望ましいであろうとかんがえるのでございますが︑地方自治法の精神或は公社法の精神︑更にまた現在人事院が
与えられておりまする権限等から考えまして︑これを俄かに強制適用というふうに持って参ることに困難があります ︵72︶ので︑先ほど申し上げたような任意包括加入というような線にした次第であります﹂と述べている︒
これに対して自治庁は﹁地方公務員の退職年金制度はその特殊性から統一的な制度を樹立する必要があること︑国
と地方公共団体および地方公共団体相互間の人事交流を円滑にするには在職期間を通算することが必要であるとの観
点から都道府県の職員にも準用すべきである﹂として人事院の任意包括適用に対して反対する見解を明らかにして
︵73︶
いる︒このように恩給制度の通算を巡る過程は︑﹁地方自治法の精神﹂の立場から府県の自主性を重んじた府県・人事院
と︑全国的な人事交流を行うために︑国家公務員年金への強制加入を図ろうとした自治庁の間で意見の食い違いがみ
られた︒ しかし︑人事院による新恩給制度の勧告以降︑国家公務員の新しい恩給制度をめぐって︑人事院のほか大蔵省︑自
治庁︑社会保障制度審議会とその所管官庁である厚生省を巻き込んで先行きが不透明な状況にあった︒当時恩給制度
は︑制度自体が保険数理を基礎としたものではなく︑きわめて恩恵的な色彩が濃いため︑計画性に欠け不健全であり︑
− ︵74︶
国庫依存度が強すぎるなど様々な角度から批判が高まっていた︒また社会保障制度審議会は︑一九五三年一二月﹁年金制度の整備改革に関する勧告﹂をおこない︑そのなかで恩給制度は共済組合の年金制度に一元化して整備すること −
や・共済組合における年金給付において資格期間は国と府県で通算し得るよう措置することを勧告して擁・こうし
た結果︑恩給の通算問題は公務員制度調査会においてさらに検討されることになった︒
第二節恩給在職年限通算措置の成立 ︑
公務員制度調査会では︑地方公務員制度をめぐる問題の一つとして︑国家・地方両公務員制度間の恩給在職年限通
算問題について検討が行われた︒第六回の審議において鈴木俊一︵当時自治庁次長︶は﹁︵人事︶交流の必要がない
︑ という声は︑全然きかない︒人事交流は現在機構的に行われてはいない︒制度的な欠陥を除けば︑それぞれの官庁で ︵76︶ も円滑に行いうるものとおもう﹂と述べ︑恩給をはじめとした人事交流をめぐる制度的欠陥を整備する必要を訴えた︒
公務員制度調査会はさらに小委員会を設置し︑それまでの議論をまとめた公務員制度改正案大綱について検討を行っ ︵77︶ た︒この大綱では︑恩給制度について﹁地方公務員には国の恩給制度を適用すること﹂とされたbしかし︑この小委
員会での審議を取りまとめた公務員制度改革要綱案︵小委員会案︶では︑国家公務員の退職年金制度は︑国家公務員
国・府県間人事交流の制度形成 ︵都法四十四ー二︶ 五六五 ・
五六六
のみに適用されるものとされ︑地方公務員は別個に法律を定めることとされた︒また人事交流の必要性から︑恩給や ︵78︶給与制度等についても都道府県の公務員が国家公務員との画一性を採るものとした︒適用範囲が国家公務員に限定さ
れたことから︑小委員会案に対する府県側からの大きな反対はみられず︑小委員会はさらに約二ヶ月にわたって審議
を行った後正式な答申を発表し︑恩給通算については小委員会案とほぼ同様答申が出されることとなった︒
公務員制度調査会での審議を見ながら︑恩給在職年限通算制度の立案作業を行っていた自治庁は︑一九五五年六月
地方自治法の一部を改正する法律案を第二二回国会に提出した︒自治庁は︑国家公務員の制度との統合に対する反対
や︑恩給制度の共済組合制度への移行の動きなどを考慮し︑とりあえず国家公務員と府県職員との間および府県相互
間で︑恩給在職年限を通算させる規定を︑この地方自治法改正案に盛りこんだ︒審議は地方議会の常任委員会の全廃 ︵79︶案などをめぐって激しい攻防が繰り広げられたが︑恩給通算問題に関しては︑ほとんど異論が出ることはなかった︒
特に橋本正武参考人︵自治労書記長︶は﹁この自治法の中で︑われわれとしてぜひ実現してもらいたい問題が一つあ
ります﹂として恩給の通算を指摘し︑﹁現在私たちが高知県におりまして︑香川県に転勤いたしますと︑そこで恩給
年限が切れまして︑新しく香川県では恩給年限が一年から始まっていく︑こういう不合理なことが現実に行われておっ
たわけであります︒これはわれわれ将来の生活権の問題でありますので︑いろいろ今日まで要求して参りましたが︑
今まで日の目を見ないという状態でありました⁝ぜひとも恩給の通算ができますような措置を先生方にお願いし
︵80︶たい﹂とのべ︑実際に異動させられる職員の間に︑恩給制度の不備による不満があったことを明らかにした︒この第
二二回国会に提出された地方自治法改正案は︑野党の反発から一旦廃案となる︒しかし︑第二四回国会に一部修正の
うえ再提出され︑一九五六年六月三日︑参議院本会議において賛成多数によって可決された︒こうして国と都道府県
職員および都道府県相互間の恩給在職年限通算措置が採られることになった︒
︑
第四章人事交流関連諸制度の整備︵2︶⁚任用制度問題
第二章で見たように︑地方公務員法の任用規定では︑人事交流を円滑にするため︑交流によつて地方自治体に派遣
された職員の選考採用が定められた︒しかし︑依然として任用制度は︑地方自治官庁を中心に人事交流の障害である
︵81︶
と考えられていた︒そのため︑地方自治官庁では︑採用試験などをはじめとして︑任用制度を国家・地方両公務員制度間で統一することが検討された○以下では︑こうした任用制度問題の経過について︑第一次地方制度調査会から︑
公務員制度調査会に至る期間を中心に見ていくことにする︒
第一次地方制度調査会は︑.一九五二年=一月一七日︑第一回総会が行われ︑人事交流の問題は第六回行政部会
︵一九五八年七月一五・一六日開催︶において︑地方公務員制度の問題の一つとして検討された︒地方制度調査会で
は︑人事交流の制度化について大きな方向性を打ち出すことは無かったものの︑任用制度を始めとして︑人事交流の
円滑化のために関連諸制度の整備を行う必要について議論された︒
元内務官僚の高橋雄射委員は︑﹁実際交流をしようと思えば︑現在のような任用試験の制度では事実できないのじゃ
ないか﹂とのべ︑さらに︑﹁本当にいい人があって自分のほうにとろうと思えば︑資格試験にしてしまって︑資格を
持っておる人ならいい人を相当の条件でもってもらって来れるというようにしなければ一..ほかのひとも試験をして通
︑ らなければ採らない︑そうことではいい人が行きやせんという想像ですけれども﹂と述べ︑現在の制度が人事交流に
とって障害になっているのではないかということと︑有資格者による交流を行うべきであるということを指摘した︒
これに対して山野自治庁公務員課長は︑有資格者による交流について明言は避けたものの︑高橋委員の言うように︑
国・府県間人事交流の制度形成