﹃ 世 間 胸 算 用 ﹄ 再 論
矢 野 公 和
は じ め に
野間光辰氏は﹃世間胸算用﹄を評して﹁ほのかな温かさと明るさが本書全体を領してゐる﹂とし﹁作者の態度に
も︑どこかゆとりのある落着が認められ﹂﹁物静かな安息と諦めに充ちた西鶴を想はせるのである
る︒中下層町人の悲劇的な生態を取り上げたこの作品が︑悲惨な暗さではなくむしろ喜劇的に明るく描かれている点 ﹂と述べておられ 1
に関しては︑諸説の一致する所であるが︑その所以に関しては紛々としている︒森山重雄氏は﹁にもかかわらず︑﹃胸算用﹄が何か明るい感じがするのは︑徹底したエゴイズムや陋劣さを︑隠さずに露出している庶民気質によるも
のであろう﹂とし︑﹁西鶴と対象との距離がある意味で接近し︑読者に極端な異化作用を起こさせない﹂としておられる
旨を論じておられる 正体をさらけ出せば出すほど滑稽なのだという認識を持っていた﹂西鶴によって﹁きわめて客観的に描かれてい﹂る ︒一方で暉峻康隆氏は︑この作品の﹁クールな笑い﹂は﹁人間の生き様というものは︑惨めであればあるほど︑ 2
が︑この客観性は﹃西鶴評論と研究﹄に所謂﹁傍観者の立場を守りぬいてゐるあの強い態度﹂に通 3
じるものであろう︒野間氏の云われる﹁どこかゆとりのある落着﹂﹁物静かな安息と諦め﹂に相当するものは︑森山氏によれば対象と近い距離に居る西鶴の﹁庶民気質﹂によるとされ︑逆に暉峻氏は︑対象と距離を置いて客観的に描
く作者の覚めた認識とされているのである︒これを要するに︑作品の読み乃至評価の問題に関してはほゞ定まった観があるものの︑作者は何故そのように書いたのか︑或いは﹃胸算用﹄の世界はどうして悲劇でもあり同時に喜劇でも
ある悲喜劇として成立しているのかという点に関しては︑解明し尽されてはいないということなのであると考えられる︒筆者は嘗て︑この作品を﹁繁栄する社会の傍観者﹂としての西鶴が大晦日を軸に構想したものであるとする論を試みたことがあるのだが
︑その時点では﹃胸算用﹄の主題は何なのかというテーマの問題︑西鶴がここで訴えかけてい 4
るのは何かという創作意図乃至モティーフの問題に関しては︑今一つ把捉出来ていないという思いを禁じ得なかった︒本稿は︑この作品に﹁あはれ﹂と﹁おかし﹂が並存している理由を明らかにし︑その成り立ちを説明すると共
に︑それが西鶴の周到な用意による表現であり︑そこには全く新しい作家主体が成立している点を論じようとするものである︒本論に入る前に確認しておきたいのは︑この作品に取り入れられた話が多くの類話の中から選び出されたものであるという点である︒これ以前にも西鶴は︑特定のテーマを設定して話を集輯するという方法をしばしば試みていた︒今回はそれが﹁大晦日﹂だったと云ってしまえばそれ迄であるが︑その基準はどうもそれ程単純なものではなかったと考えられる︒全部で二十章という数は︑生前に刊行された作品としては﹃本朝二十不孝﹄と並び最少である︒にも
かかわらず︑後に触れるように﹃西鶴織留﹄には﹃胸算用﹄の類話と認められる話が多数残されており︑大晦日乃至年末・年始に言及するものだけでも巻一
–
二・一–
三・一–
四・二–
一・二–
三・三–
一等を数えることが出来るし︑他の遺作の中にも利用可能な類話は決して少なくなかったはずである︒だとすれば︑ここに於いて西鶴は極めて厳格な判断の下にそれらを排除し︑限られた素材を選び抜いて﹃胸算用﹄一篇を執筆したことになるはずである︒
一
この作品に談理・教訓的な要素が乏しいことは夙に指摘されている通りである︒片岡良一氏は﹁其処︵筆者注̶
﹃永代蔵﹄や﹃町人鑑﹄︶には比較的抽象的な談理乃至はそれに類するものが重要な位置を占めてゐた︒それが̶
さういふものゝ影が﹃胸算用﹄には︑無くなってゐる
̶
その推移を論じた中村幸彦氏も又﹁この二作品︵筆者注﹃置土産﹄﹃胸算用﹄︶では︑も早西鶴はどのやうな人心を ﹂とされ︑談理と説奇という説話的要素を軸に西鶴の創作意識と 5も批難しなくなってゐると云ってよい
ふものにはあはれみをかけ︒我物喰ば竈将軍といへど︒京も田舎も住なせる町人其所〳〵の作法ひとつも漏る事 神國の日月まことを照し給へば︒世に萬人の心すぐなる道に入て正直の頂をさげ︒恐るゝ人には礼儀をたゞし順 あるが︑﹁本朝町人鑑﹂と副題された﹃織留﹄巻一・二には特にその傾向が顕著である︒ 義・礼・智・信の五部から成るとされる﹃甚忍記﹄が極めて教訓性の強い作品であることは容易に想像されることで に見られる創作態度からの路線変更であるとして差し支えないであろう︒﹁人は一代名は末代﹂と副題され︑仁・ ﹂と述べておられる︒そうした現象は︑﹃甚忍記﹄予告及び﹃西鶴織留﹄前半 6
なかれ︵巻一
–
二﹁品玉とる種の松茸このような高飛車な教訓的態度は﹃織留﹄前半に於いて枚挙に遑がないが︑正直・慈悲等々の徳目を云々する一方 ﹂︶ 7
で作者は︑天乃至天下の恩恵に頻繁に言及している︒しかも︑人徳に優れているが故に成功したとされる町人の鑑たる商人の致富の経緯は︑その殆どがたわい無く︑単純なものばかりである︒商人として生き抜くことの困難さは︑高潔な人格や智恵・才覚によっていとも軽々と乗り越えられるとする安易な発想は︑成功譚のリアリティを著しく稀薄にしており﹃永代蔵﹄と比較しても格段に後退している︒﹃織留﹄前半の現実を無視した教訓的・教条主義的な在り
方には﹃永代蔵﹄とは異質なものが感じられ︑編者団水の加筆訂正を想定したくなる程の顕著な差異が見出される︒これに対し﹃胸算用﹄には︑そうした教訓性は全く見られないが︑云う迄もなくそれは作者が致富は儘ならぬもの であるという現実の厳しさを痛感しているからに他ならないであろう︒人の分限になる事仕合といふは言葉 00000000まことは面〳〵の智恵才覚を以てかせぎ出し其家栄ゆる事ぞかし是福の神の ゑびす殿のまゝにもならぬ事也︵巻二
–
一︶利発にて分限にならば此男なれ共ときの運きたらず仕合がてつだはねば是非なし 0000000000000︵巻四–
四︶︵傍点引用者︒以下も同じ︶この撞着した二つの物言いから透視されるのは︑﹁銀でかねもふくる事ばかりにて只とるやうな事はひとつもな﹂
く︑元手の乏しい商人は﹁皆銀の利にかきあげ人奉公して気をこらしける﹂という世の中の厳しさはどうにもならないという認識である︒そのような現実を直視するが故に作者は教訓的態度を放棄せざるを得なかったわけであり︑こ
の作品中殆ど唯一例外的に才覚による致富談を取り込んだ︑巻五
–
二﹁才覚のぢくすだれ﹂でさえ次のように結ばれているに過ぎない︒おなしおもひつきにて油がはらけと油樽と人の智恵ほどちがふたる物はなかりし最早ここには﹁明の年は商売に油断なくそれより次第に家栄て︒後には手前にてしめさせけるにおのづから正直の首に付る髪の油もよく︒関の明神へ灯明あぐれば和光の影清く十四五年のうちに山崎の長者となり云々﹂︵巻二
–
一﹁保津川のながれ山崎の長者﹂︶のように﹃織留﹄特有の︑正直にして油断なく働き信仰心が厚ければ商人としての成功は間違いないといった発想の入り込む余地は全くないのである︒西鶴の現実認識は︑もう一つの脱倫理・教訓放棄を彼に迫っている︒﹃西鶴織留﹄巻三–
一﹁引手になびく狸祖母﹂には︑﹁以前﹂は各々の家業の為に分際相応の資金を借り︑商売の後に全額を返済していたので金銭的なトラブルは発生しなかったが︑﹁此程の人﹂は遊興費の為に分別なしに借金をするので返す金の出所がなく紛争となり迷惑をか けることになるが﹁明白に御掟あればこそおそれて我まゝいふ事なし﹂のように記されている︒ここで﹁むかしは十人寄れば皆物每にうとく︵中略︶今時は物かゝぬといふ男はなく﹂と書き起こされた﹁以前﹂と﹁此程﹂の対比は金融関係一般について為されたものであるが︑巻一
–
二﹁品玉とる種の松茸﹂に萬事に偽りなき御代の掟をまもりけるためしには︒よろづの売掛あるひは当座借の金銀︒手形なしの事なれば借請ぬといふとてもむつかしき出入りなるに︒心覚の帳面ばかりにて請払を済しぬ︒とあることを勘案すれば︑同種の事情は掛売掛買に関しても想定されているとして差し支えないであろう︒以上を総合すれば︑昔と変わって人々が悪賢くなった現在では︑貸借金や売掛金に関するトラブルが発生し勝ちではあるが︑﹁偽りなき御代の掟﹂の前ではそういう身勝手は断じて許されない︑という立言になるであろう︒同趣の事情を芸事の上に敷衍した巻三
–
二﹁芸者は人をそしりの種﹂はさりとてはかしこ過て今うたての人心にはなれり のように結ばれている︒このように﹁御掟﹂を遵守することによって世の中の秩序は完結しているという道義的発想からは﹃胸算用﹄の主要なテーマとも云うべき大晦日の金銭をめぐるドタバタ騒動は論外の現象となるはずである︒巻三–
四﹁何にても知恵の振売﹂で﹁此行先の節季何と分別いたしても︒さし引算用して弐拾貫目余もたらぬに極まりける︒爰の談合相手に頼みたき﹂と持ちかけられた知恵自慢の何でも相談屋でさえ﹁此談合は埒が明ぬ﹂と退散しているのは︑そうした事態を奸計によって回避するのが作品世界の想定外の手段だったからに他ならないであろう︒これに対して﹃胸算用﹄巻三
–
二﹁年の内の餅ばなは詠め﹂には次のような記述が見出される︒むかしは売がけ百目あれば八十目すまし此二十年ばかり以前は半分たしかに済しけるに十年此かたは四分払になり近年は百目に三十目わたすにも是非悪銀二粒はまぜてわたしける人の心次第にさもしく物かりながら迷惑はいたせ ど商ひやめる外なく又節季わすれて掛帳に付置けるよろづ時世に替るもおかし 000000000000︵中略︶義理外聞を思はぬからは埒のあかぬ事見定め古掛は捨て当分のさし引それをたがひに了簡して腹たてずにしまふ事人みなかしこき 0000000世 0とぞ成け 0000
る 0
ここでは売掛金の回収が年を追う毎に難しくなるという情勢に於いて︑回収不能になった古い売掛は放置し︑互いに納得づくで当面の収支だけを問題にするという現象を﹁よろづ時世に替るもおかし﹂﹁人みなかしこき世とぞ成ける﹂のように評している︒﹁数年功者のいへり﹂として開始された長談義に続くこの件りを語り手乃至作者自身の感懐を示したものとして良いかどうかに問題がなくはないが︑こうした把え方が﹃織留﹄の発想とは全く正反対であるのは云う迄もないであろう︒﹁おかし﹂﹁かしこき世﹂といった揶揄的表現に西鶴の批判精神が見え隠れしないわけではな
いが︑事態がここ迄進行しているからには︑﹁御掟﹂を持ち出した所でどうしようもないわけで﹁借りたものは返さなければいけません︒それが人の道です﹂といった教訓は自ら放棄せざるを得ないのである︒
にもかかわらず︑西鶴が教訓的発想を全く捨ててしまったというわけではない︒序文に於いて﹁元日より胸算用油断なく一日千金の大晦日をしるへし﹂と記したのに呼応するかのように︑次のような記述は繰り返し為されている︒
人みな常に渡世を油断して毎年ひとつの胸算用ちがひ節季を仕廻かね迷惑するは面〳〵覚悟あしき故なり︵巻一
–
一︶これ常に胸算用して随分始末のよき故ぞかし︵巻三
–
一︶神にさへ此のごとく貧福のさかいあれば況人間の身の上定めがたきうき世なれば定まりし家職に油断なく一とせに一度の年神に不自由を見せぬやうにかせぐへし︵巻三–
四︶これを思へば年中始末をすべし日に壱文づゝ莨菪にてのばしければ壱年に三百六十文十年に三貫六百なり此心から算用すれば⁝⁝︵巻五
–
一︶こゝを見れば世界は金銀たくさんなるものなるにこれをもうくる才覚のならぬは諸商人に生れて口おしき事ぞかし︵巻五
–
四︶しかしながら︑ここで重要なのはこれらの教訓が何ら実効力を伴ってはいないという点である︒巻五
–
一の記述に続く部分では﹁むかしより食酒を呑ものはびんぼうの花ざかりといふ事有﹂との指摘にもかかわらず︑﹁火ふくちか らもなき其日過の釘鍛冶﹂は﹁世中に下戸のたてたる蔵もなし﹂と居直っているし︑巻五–
二﹁才覚のぢくすだれ﹂冒頭には﹁宵の年のせつなき事をわすれがたく来年からは三ケ日過たらは四日より商売に油断せす万事を当座ばらひにして銭のないときは肴も買ぬがよし諸事を五節供切と胸算用を極め﹂その通りに実行したにもかかわらず﹁あをちひんぼう﹂で﹁日なたに氷﹂のような身代の商人が描かれている︒既に明らかなように︑致富に成功して分限になる
ことが難しいだけでなく︑渡世・家職に油断をせずにどう働いた所で資産の減少を喰い止め家計を維持することすら難事であるような局面のあることに作者は気付いていたのである
節季の胸算用違ふ事なきに不断は手をあそばして足もとから鳥のたつやうにばたくさとはたらきてから何の甲斐 分別らしき人目をさましてあれ〳〵あれを見たがよい人みなあの水車のごとく昼夜年中油断なくかせぎければ大 000000 ︒ 8
なしと我ひとり智恵有顔 00000000にいひける︵巻四
–
三﹁亭主の入替り﹂︶船の中の人々は耳を澄まして﹁是尤﹂と聞いていたとはされているが︑ここに於いて﹁分別らしき人﹂﹁我ひとり智恵有顔﹂と記した作者自身は︑そうした分別や智恵が無用の長物であることをはっきりと認識していたはずである︒巻一–
四﹁鼠の文づかひ﹂では﹁世のつゐへせんさく人に過﹂る人物を﹁利発がほする男﹂と評しているが︑そうした利発も又何の役にも立ちはしないということなのである︒教訓を施すことの無意味さを百も承知でありながら︑何故作者はそうした局面に敢えて焦点を合わせ︑智恵・才覚
を云々し始末や胸算用を説き続けることによってこの作品を書き進めようとしたのであろうか︒又それはどのようにして可能だったのであろうか︒
二
西鶴を﹁無産町人大衆の同情者﹂と位置づけた暉峻康隆氏は︑巻三
–
三﹁小判は寝姿の夢﹂一篇に﹁絶望を承知で彼に残された最後の幸福を︑愛情を守り抜かうとする生き方を肯定してゐる西鶴のヒューマニティを指摘せざるを得ない
的シチュエーションが︑はや喜劇的なものに可逆しかけ﹂﹁女房取り返して泪で正月を迎えた︑という結末にもコミッ ﹂としておられる︒これに対して︑この話が主題論的には﹁もっとも悲惨な説話﹂であるにもかかわらず﹁悲劇 9
クなものが感じられる﹂とされたのは森山重雄氏である
一見目立たないようではあるが︑この作品では人の死について繰り返し言及されており︑本章に於ける﹁それは銀 問題があると考えられる︒ 確実に死が待ち受けている︒にもかかわらず︑それが明示されていないという点にこそ﹁小判は寝姿の夢﹂の最大の 実問題とすれば事情は極めて深刻であり﹁たとへ命がはて次第﹂と女房を取り返し﹁泪で年を取﹂ったこの一家には を暗く見ないという点だけである︒そこに救いを見るか笑いを見るかによって論が分かれてしまうわけであるが︑現 ︒この全く異質な把握の仕方に共通しているのは︑この結末 10
がかたきあの娘は死次第﹂﹁たとへ後世は取はづしならくへ沈むとも﹂﹁たとへ命がはて次第﹂の他にも次のような事例が挙げられる︒
是を見るにも貧にては死れぬものぞかし︵巻一
–
二︶どなたの御死去なされた̶
いかに愚智なればとて人の生死を是程になげく事では御座らぬ︵巻一–
四︶是が㒵の見おさめ十四五匁の事に身をなけるといふ︵巻二–
二︶借銭にて首切られたるためしなし̶
自害する用にも立事も有べし̶
腹かき切て身がはりに立̶
死出のかど でにと細首うちおとせば̶
無用の死てんごうと存た̶
人死が二三人もあるが合点か︵巻二–
四︶又ひとりは自害しそこなひてせんさくなかば︵巻三–
一︶千貫目に首きられたるためしなし︵巻三–
二︶おのれ主のころさるゝに̶
浪人の年を取かね妻子さし殺したる所ことに哀れに悲しくいづれ死もしさうなるものと我身につまされ︵巻三
–
四︶正月〳〵と待てから死ぬるを待ばかり︵巻四–
三︶宿にいますれば方〳〵よりいけておかぬ身なり̶
箱屋の九蔵今のさきに掛こひと云分いたされまして首しめて死れまして御ざる︵巻五–
三︶こうした記述からは︑多くの貧者が紛う方なく死と直面しているという厳然たる現実が浮かび上がって来るはずである︒にもかかわらず︑そうした事態は間接的に触れられているだけであって︑登場人物はだれも死なない︒妻子を刺し殺した美濃の国の浪人は﹁因果物語﹂に書かれていたし︑箱屋九蔵の死も葬礼の為の報告でしかないというように巧妙に薄められている︒﹃西鶴織留﹄巻四
–
二末尾の﹁此子おち入ければ皆々泣出す中に︒亭主は彼米屋をさしころして置我も果ける﹂という結びを参照すれば︑恐らくこれは意図的な操作によるものである︒そうすることで西鶴は︑多くの人々が崖っぷちで死に直面しているという現状を然りげ無く喚起し︑そこで筆を止めているのである︒
﹁小判は寝姿の夢﹂の結末も又その例に洩れるものではない︒最も悲惨であるはずの話の結末が暗くないのは︑一つにはその為である︒本章と同趣の話柄を取り上げて﹁此男其覚悟なきゆへにさしあたつてかゝるひとり身とはなりぬ﹂と結んだ﹃西鶴織留﹄巻六
–
三﹁子をおもふ親仁﹂と比較するならば︑作者が﹁女ほう取返して泪で年を取ける﹂としたこの一家の方により共感を寄せているのは疑いのない所であり︑その死を描かないことによって西鶴は自らの表現を完結させたのである︒この﹁さる貧者﹂が﹁かしこき世﹂を生き抜く逞しさのない﹁心の弱い人間﹂であることは嘗て論じた通 りであるが︑巻五–
三﹁平太郎殿﹂には︑貧困から這い上がることが出来なかった駄目人間の語るもう一つの夫婦の在り方が提示されている︒ここに登場する伊勢の男は︑三歳の男の子を抱えた小間物商人の後家に入婿したが︑半年余りで元手も無くして途方に暮れ︑故郷での貸金を取り立てて節季仕舞いをしようとの目論見も外れ手ぶらで帰った所︑食べかかった箸を取
り上げられて追い出されてしまった︒聞けば︑女房は自分の身体を抵当に書き入れて正月の準備をしたのだという︒﹁そなたのどんなるゆへにかゝる仕合持て御座つたものはふんどし一筋何もそんのまいらぬ事夜に入ば闇ふなります足もとのあかひうちに出て御座れ﹂と云い︑﹁小男でも本のとゝさまは利発にあつたとおもへ﹂という当て擦りを云う女の姿が決して見苦しくなく︑むしろさばさばしているのは彼女も又命の瀬戸際で懸命に生きているからに外なら
ないであろう︒女房の逞しさに比べ﹁どんな﹂この男は︑やはり弱い人間だったのである︒しかも︑﹁あまりかなしくて泣れもせず﹂という状態に追い込んだこうした女房の対応が︑例えば﹃織留﹄巻四
–
一﹁家主殿の鼻ばしら﹂の喧嘩別れのように悍しい感じがしないのは︑一つには話全体が駄目な男の懺悔話として設定されているからに他ならないであろう︒実に巧妙な構想によって西鶴はここを﹁さてもおそろしの人こゝろや﹂ではなく﹁哀れにも又おかし﹂と結ぶことが出来たのである︒同趣の事例としては十四五歳も年上の女房に入縁する等惨憺たる境遇にありながら遊興に耽った挙句に破滅し物笑いとなった﹁川西のやつら﹂の様子が平土間の観客の噂話として語られ︑芝居茶屋 の失敗談として記されている巻三
–
一﹁都の㒵見せ芝居﹂後半等が挙げられるであろう︒巻二–
二﹁訛言も只はきかぬ宿﹂の掛乞いとの遣り取りから逃れて色茶屋に遊ぶ﹁たはけ﹂以下とされる男が﹁人間味のある存在﹂であることは既に論じた通りであるがいるのではないかと考えられる︒次章﹁尤始末の異見﹂には﹁わけ里は皆うそとさへおもへばやむもの爰見付る若世 ︑﹃胸算用﹄全篇には︑そうした愚かさへの共感が潜在して 11
のおさまる所﹂と結ばれる﹁京都物になれたる仲人口﹂の長物語が﹁耳の役に聞てもあしからぬ事なり﹂と示されている︒しかしながら︑長々と続けられる﹁尤始末の異見﹂とは全く裏腹な次のような記述が為されてもいるのであ
る︒女郎ぐるひする程のものにうときはひとりもなし其かしこきやつか此もうけにくひ金銀を乞つめらるゝ借銀目安付られし預かり銀のかたへは済さずして大分物入の正月を請あひ万事の入用をはや極月十三日にことはじめとてつかはしけるよく〳〵おもしろければこそなれ爰は分別の外ぞかし胸算用に油断するなとする作品世界の基調と矛盾するこの指摘と﹁わけ里は皆うそとさへおもへばやむもの﹂という﹁尤始末の異見﹂が共存する本章は五百貫目を譲られた兄弟の内︑弟は程なく二千貫目の身代となったのに対し︑譲り銀を蕩尽し︑紙子頭巾で顏を隠して山椒・胡椒の粉を売り歩く兄が︑うかうかと丹波口まで行き﹁世にある時の朝ごみ思ひ出してそ帰りし﹂との結びによって締め括られている︒四年間で五百貫目を遣い果たしたこの男の末路を非難することなく︑然りげなく記すに止めたのが西鶴の表現であったとするならば︑彼はここで﹁世界の偽かたまつてひとつの美遊となれり﹂として好色に生きた男達の真実を描いた﹃置土産﹄の世界
の入口に到達していながら敢え 12
てそこに踏み込むことを回避していると云えるであろう︒それこそが﹃胸算用﹄の世界なのであった︒しかしながらそこに遊蕩によって家産を破却した者への共感が伏流しているのは間違いないはずである︒そうした愚かさへの共感 は︑商人を失格し或いは世の中から零れ落ちた者達の上にも一様に投げ掛けられているのであると考えられる︒巻三
–
二﹁年の内の餅ばなは詠め﹂には﹁請取普請の日用かしら﹂﹁ふるなの忠六﹂が金策に失敗する様が笑話として描かれ︑巻四
–
一﹁闇の夜のわる口﹂前半には削掛の神事で発せられる悪口を通して下層民の失態の数々が滑稽に描かれている︒巻四–
二﹁奈良の庭竈﹂の﹁鮹売の八助﹂と四人掛りで﹁くらがり峠﹂に追剥に出た浪人達のせこい悪事は︑いずれもコミカルに描き出されている︒これらは︑未だ生活に余裕が残されているであろう人々への感情移入が笑いの中に表現されている事例であるが︑巻一–
二﹁長刀は昔の鞘﹂のように文字通り死に直面している者達の様子は︑やはり軽妙に描かれてはいるものの︑流石に﹁浅間敷哀れなり﹂﹁脇から見るさへ悲しきことの数〳〵﹂と評されている︒売りに出された品々から持ち主の境遇を示唆する巻五–
一﹁つまりての夜市﹂も総体的にコミカルではあるが﹁こよひになつてうるほとのものよく〳〵さしつまつて皆あはれなり﹂のように記されている︒﹃胸算用﹄に登場する無名の人々の多くは落伍者であり︑彼らは常にその置かれた状況に於いてしか生きられない立場にある︒生活の問題に直面して生きなければならないが故にその人間性が顕になるように作品世界は設定されており︑時に悪事さえ働くそうした敗者にこそ共鳴し︑これを批難するのを潔しとしなかった西鶴に出来ることと云えば︑不毛であると知りながら教訓的姿勢を維持することだけだったのである︒貧者に同情して共に泣くのではなく︑彼らを滑稽化して胸算用を説き続けるという作者の基本姿勢が以上の諸篇を悲喜劇として成り立たせているのである︒
三
この作品に取り上げられているもう一種類のタイプの話は︑金が敵の世の中を逞しく生き抜こうとする者達を笑いの中で表現した諸篇である︒彼らも又必死であり︑その生き様は﹃胸算用﹄の基調と整合性を有するが故に認めざる
を得ないにもかかわらず︑そうした行動には付いて行けないと自認している西鶴は︑賢明にして 00000逞しい商人達を笑いの対象に据えている︒既に検討した﹁よろづ時世に替るもおかし﹂﹁人みなかしこき世とぞ成ける﹂といった感懐を導き出した巻三
–
二﹁年の内の餅ばなは詠め﹂の長年経験を積んだ掛取りの上手は﹁女房共は銀親の人質になして手代に機嫌をとらせ云々﹂と述べているが︑予め女房を抵当にして資金を借りて商売しているこの男の人柄は︑前節で取り上げた伏見の貧者や伊勢の男とは全く性格を異にしているであろう︒銀二十五貫目を原資とする振手形で八十貫目の負債を処理す るという挙に出た巻一–
一﹁問屋の寛濶女﹂の当主は︑分散を覚悟して密かに丹波に田地を買い込んで隠棲所を準備するという﹁よしなき悪事﹂を枕神に立って戒めた親仁を笑い飛ばしているが︑そればかりでなく︑タイトルにもあるように彼は分散時の処分から除外される女房の持ち物に金を掛けること迄しているらしいのである︒その姿を西鶴は帯﹁一筋につき銀二枚が物を腰にまとひ小判二両のさし櫛今の直段の米にしては本俵三石あたまにいたゞき云々﹂
のように戯画化して表現し﹁我と我心の恥かしき義なり﹂と結んでいる︒見せ掛けだけ立派に取繕った嫁入り道具に騙されて二十貫目を預けてしまった男は︑その銀が一貫六百目程になって返って来るだろうと云われ﹁顔色かはつて箸もちながら集め汁喉を通らず今日の寄合に口おしき事を聞けると様子をきかぬ内から泪をこぼされ﹂たが︑一部始終を聞かされた帰り際には足腰も立たない有様であった︒上々の紬一疋に中綿まで添える約束で授かった﹃伊曽保物
語﹄上
–
十五﹁長者と他国の商人の事於いても︑貧者の死が省筆されている例に倣うかのように︑破局は描かれてはいない︒しかしながら﹁誰いふともな
–
乃至は騙し合いを最もドラマチック且つ美事に描き出したのが巻二四﹁門柱も皆かりの世﹂である︒いずれの話に–
たんさし出して中わたは春の事といひ捨て帰﹂ってしまったという︵巻二一﹁銀壱匁の講中﹂︶︒こうした駆け引き ﹂を想起させる手段によって元利共に無事回収したこの親仁は﹁白石の紙子二 13く後には大宮通りの喧嘩屋とぞいへり﹂との結びに見られるように︑そうした事態がいずれは破綻するであろうことは目に見えているはずである︒巻四
–
三﹁亭主の入替り﹂の末尾は次のように結ばれている︒是を大つごもりの入かはり男とて近年の仕出しなりいまだはし〴〵にはしらぬ事にて一盃くはせける乗合いの一同が金策に窮して物思いに沈んでいる中で︑一人小歌機嫌のこの男が﹁大笑ひして﹂打ち明けた﹁近年 の仕出し﹂も﹁はし〴〵にはしらぬ﹂間だけしか通用しないのは自明の事と云えるであろう︒既に論じたことではあるが︑それこそが繁栄する社会 000000を生き抜く商人の偽らざる姿だったのである︒そうした在り方の虚しさを知り抜いたうえで西鶴は︑逞しく生きる者達の姿を落語タッチの軽妙さで描き出しているのである︒巻一後半の二話に描かれた老婆を頂点とする家族も又懸命に生きている︒万事を現銀買いにして﹁われ一代のうちに高ひもの買たる事なし﹂と豪語する親父は︑父親の葬儀に際して樽屋の云いなりに棺桶を買い被ったことを未だに後悔しており︑無用の失費を穿鑿して﹁利発がほする男﹂を生んだ﹁其しはき事かぎりなし﹂とされる老婆も﹁いか
に愚智なればとて人の生死を是程になげく事では御座らぬ﹂と広言して︑妹に貰った﹁年玉銀一包﹂の紛失を﹁泪をはら〳〵とこほし﹂て悔やんでいる︒こうした現象を﹁人間と物の転倒であり︑物の物神化である﹂としたのは森山重雄氏であるが
の意味ではあるのだが︑彼らも又命懸けだったのである︒ ︑この人達にとっては人の生死よりも金銭の方が重大事なのであり︑前節で検討した人々とは全く逆 14
高価な伊勢海老の代りに紅絹で張子の海老を工夫した親父の﹁是程に身体持かためたる人の才覚﹂は予め本物の海老を用意しておいた母親に海老の代を請求され長々と意見される破目に追い込まれるし︑大騒ぎした挙句漸うのこと
で鼠が喰え出したことを納得した母親は︑母屋に言い掛りをつけて一年分の利息をせしめ﹁ひとり寐﹂をしている︒このように︑金銭に対する執着心が強い方が勝ちを収めるというのが紛う方ない世の中の実情だったわけであり︑そ
うした現実を執拗に生きようとする彼らも又﹃胸算用﹄の基調に添う存在であるのは間違いない︒にもかかわらずその一方で西鶴は︑息子の利発・才覚も︑その上を行く母親の周到さと長々とした意見も︑母屋に言いがかりをつける老母の強かさも︑所詮は家族というコップの中の嵐でしかなく︑況してや大局的な経済状況の下では殆どナンセンスでしかないことをはっきりと見抜いていたはずである︒そうした人々の姿を︑作者は微に入り細をうがって描くこと
で戯画化し︑人命や家族の絆よりも金銭の方を尊しとする者達を突き放し︑滑稽化して描いているのである︒そうした西鶴の覚めた意識によって︑﹁伊勢海老は春の栬﹂は︑始末を説く老婆の長々しい科白が何時の間にか地
の文となり﹁神さへ銭もうけ只はならぬ世なればまして人間油断する事なかれ云々﹂というお決まりの教訓の中へ解消する形で︑﹁鼠の文づかひ﹂は落語的なサゲを付ける形で︑作者としての主体性に韜晦することによって締め括ら
れているのである︒
四
﹃世間胸算用﹄には︑これ迄に検討した中下層町人乃至は無産者や細民とされる人々の他に︑もう一種類別の人間
が書き込まれている︒巻二
–
一﹁銀壱匁の講中﹂の﹁後世の事はわすれて只利銀のかさなり冨貴になる事を楽しみ﹂にしている﹁諸國の大名衆への御用銀の借入の内談﹂をする大坂の﹁大黒講﹂の講中は︑全員が二千貫目以上の分限であるとされている︒巻二
–
三﹁尤始末の異見﹂で兄弟息子に五百貫目づゝ譲ったとされる﹁烏丸通り歴〳〵﹂は冒頭の﹁所務わけのたいほ う﹂を参照するに︑居宅の外に千貫目以上の分限となるが︑既に触れたように弟は二千貫目持ちに成長している︒巻三–
一﹁都の㒵見せ芝居﹂に引かれている﹁われひとり見るために銀十枚の桟敷を二軒﹂取って﹁加賀の金春﹂の勧進能を見物する﹁江戸の者﹂の﹁此人大名の子にもあらず﹂と評される贅の尽し様は以下のようであったという︒猩々皮の敷もの道具置の棚をつらせ腰屏風枕箱其後ろに料理の間さま〴〵の魚鳥髭籠に折ふしの水菓子次の桟敷に風炉釜を仕かけ割蓋の杉手桶に宇治橋音羽川と書付してならべ医者ごふくや儒者唐物屋連歌師など入まじり其うしろの方には嶋ばらの揚屋四条の子共宿都にしれたる末社按摩取兵法つかひの窂人迄ひかへたり桟敷の下は供駕籠かり湯殿かり雪隠何にても不自由なる事ひとつもなきやうに拵らへ栄花なる見物この人物の場合資産額は明記されてはいないが︑﹁かゝる人は跡のへらぬ分別しての楽しみ﹂とあるように︑財産
の減少を気遣う必要のない︑超が幾つも付く程の大金持であると考えられる︒巻四
–
一﹁闇の夜のわる口﹂後半︑京都の親旦那の銀を運ぶ手代が﹁我〳〵が見て此かた旦那兄弟金銀手にもたれたる事なしまして我分限の高をしられず九人の手代まかせなり﹂と語っている大分限の旦那が﹁さても初心な年男どの蔵に灯明などゝいふは纔か千貫目の事也二十五六も灯明とぼすか﹂と云っている所から見て資産高は二万五六千貫目となるが︑これは新しく分家した次男のことであり︑﹁向ひ屋敷の内ぐらを見れば寛永年中の書付の箱ばかりも山のごとし﹂とされる﹁惣領どの﹂はその上を行く大金持のはずである︒
この中で︑大黒講の面々に対して﹁仏とも法ともわきまへず欲の世の中に住り死ば万貫目持てもかたびら一つより皆うき世に残るぞかし﹂と邪揄している以外︑作者はこれらの人々に対し殆ど何のコメントも発していない︒それば
かりか︑年男を指差して笑い﹁二十五六も灯明とぼすか﹂と発言した弟旦那を唯一の例外として︑親旦那即ち隠居様も﹁惣領どの﹂も︑更には﹁烏丸通り歴〳〵﹂も成功を収めたその弟息子も作品内には登場しない︒勧進能を見物す
るはずの﹁江戸の者﹂にしても既に引いたような贅沢ぶりが並べ立てられるだけで︑御当人の姿は一切描かれてはいない︒これら最上層の人々は一様に顔を見せないのである︒云う迄もなくこれは意図的に為されたものである︒元禄五年当時の現実社会に於いて︑右に見たような大分限が実在し︑彼らの経済力が商人の世界に厳然たる支配力を持っていたことは間違いないはずである︒こうした人々の場合︑﹁闇の夜のわる口﹂後半に描かれているように自
ら金に手を触れることがないにもかかわらず︑金銀の方から吸い寄せられるように集まって来るわけで︑﹁江戸の者﹂のような贅沢三昧に日を送ってもその身代はびくともしないのである︒それも又金銀にまつわるもう一つの現実なの
であった︒そのような社会の全体的な構図をはっきり視野に入れていた西鶴は︑自らの作品世界のリアリティを確保するためには︑そうした人々の存在に言及せざるを得なかったのである︒しかしながら︑彼等の営為や人間性に殆ど何の魅力も感じなかったであろう西鶴は︑正面切ってその人物造形をする必要性を認めなかったのである︒既に見たような中下層町人や無産者の姿が生き生きと描かれていたのに対して︑そうした大金持の顏が見えないのは極めて鮮
やかな対照を為しているが︑それこそが西鶴の構想であり︑表現だったのである︒その意味では︑﹁只利銀のかさなり冨貴になる事を楽しみ﹂にしている大坂の大黒講の面々は︑一匁講の構成員に比べればほんの僅かでしかないが曲
りなりにも姿形を見せており︑捓揄されている分未だ人間扱いされているということなのであると考えられる︒
五
暉峻康隆氏は﹃西鶴評論と研究﹄に於いて﹃胸算用﹄を︑氏の所謂﹁集約的リアリズム﹂等々の近代的な方法による
みごとな作品であると高く評価されたが︑そうした位置づけが多くの研究者の受け入れる所となっているのは周知の通りであり︑氏自身﹃西鶴新論﹄で﹁他の追随をゆるさない悲喜劇﹂と評しておられるように︑基本的に修正の余地 を認めてはおられないと考えられる︒これより先︑片岡良一氏はこの作品を﹁西鶴作中殊に傑れた作品の一つ﹂ではあるが︑︵筆者注
̶
後に暉峻氏が高く評価することになる︶数編以外は﹁布置と整頓の如何にもルーズなものが多﹂く﹁結構上の不緊密さ﹂を﹁僅かにもつてゐる缺点﹂であるとしておられる
﹃胸算用﹄を﹁意識的に編集された作品﹂であると論じておられる され﹁作品としての内的な統一性や︑一作品としての書誌的統一性に対する懐疑﹂も多数提出されているとした上で ︒杉本好伸氏は︑その後の研究史を整理 15
まで︑すべて一章と二章のブロック︑三章と四章のブロックに分けて意識的に編集した﹂とする論 ︒同種の把え方は︑森田雅也氏の﹁巻一から巻五 16
の構成の特色があり︑西鶴が貧富の固定化した現代の町人の営み自体を描こうとしているとする論 一・二の各章が連鎖的に取り上げられ対比・対照してるのに対し巻三以降は同一章内に対立・対照が存在する全五巻 や︑広嶋進氏の巻 17
流動と偏在の様相︑カネの極端な過剰と欠如の対比を云う森耕一氏の所論 ︑或いは︑貨幣の 18
旨論じたことがあるのだが に描かれた商人の姿からは︑貧富の差が隔絶して行く一方の﹁ゆたかなる時世﹂が幻想でしかない現実が透視される などにも見出される︒筆者自身︑この作品 19
作意図を解明するに至らなかったことは冒頭にも触れた通りである︒今そうした問題を改めて整理すれば︑以下のよ ︑その時点では右のような西鶴の編集意識には思い至っておらず︑この作品のテーマや創 20
うになるであろう︒西鶴は﹃世間胸算用﹄の各章に於いて︑登場人物の人柄や人間性及びその人間ドラマを描き出す一方で︑作品総体
として彼の生きた同時代の世の中そのものを描こうとしている︒従って︑各章を単独に読むだけでなく︑それらを相互に比較し重ね合わせることで︑例えば既に指摘されているような貧富の差や金銭の偏在等々の新たな局面が浮かび
上がるように設定されており︑一見ランダムに提示されているようでありながら︑随所に布置された情報を集約することで人間の在り方や世界像が完結するように描かれている︒前引した例で云えば︑﹁小判は寝姿の夢﹂と﹁平太郎殿﹂に描かれた二組の夫婦のどちらかではなく︑どちらもが人間の有りの儘の姿なのだということである︒或いは︑巻一
–
二﹁問屋の寛濶女﹂の﹁ねだりもの﹂の浪人夫婦と巻三–
四﹁神さへ御目違ひ﹂の﹁年を取かね妻子さし殺し た﹂﹁貧なる浪人﹂及び巻四–
二﹁奈良の庭竈﹂の追剥浪人︑巻一–
三﹁伊勢海老は春の栬﹂と巻一–
四﹁鼠の文づかひ﹂の矍鑠たる老婆達と巻五–
三﹁平太郎殿﹂の讃談に身を寄せ︑涙をこぼして﹁お祖母を返せ﹂を懺悔する老婆等々枚挙に遑がないが︑恐らくこれは偶然の所産ではなく仕組まれたものであろう︒その意味では︑暉峻氏の所謂﹁集約的リアリズム﹂は各章内に止まるものではなかったのである︒各巻毎のテーマとしては次のように考えられる︒巻一では︑一家内乃至は一つ屋根の下の家族及び合壁の人々の人間ドラマを扱い︑巻二では︑商人同士の交際や駆け引きの実態を描いている︒巻三では︑川西の連中の奢りと末路︑ふるなの忠六の失敗談︑涙で年を取った伏見の貧者︑納戸に隠れていた堺の商人等破局に直面する人々をテーマにしており︑巻四には︑京都・奈良・伏見の下り船・長崎といった全国各地の年越風景が描かれ︑巻五では︑夜市の売り立て︑寺子屋の子供の身の成り行き︑門徒寺の懺悔と喧騒に捲き込まれる僧侶︑江戸の町の繁昌ぶりといった定点に於ける人々の様子が描かれている︒中で最も異質なのが最終話﹁長久の江戸棚﹂である︒この話は︑消費都市として
の江戸そのものをテーマとすることで﹃胸算用﹄の世界を完結させる役割を持たされていると考えられる︒天下泰平國土萬人江戸商ひを心がけ其道〳〵の棚出して諸国より荷物船路岡付の馬かた毎日数万駄の問屋づき
こゝを見れば世界は金銀たくさんなるものなるにこれをもうくる才覚のならぬは諸商人に生れて口おしき事ぞかしさるほどに十二月十五日より通り町のはんじやう世に宝の市とは爰の事なるべし
このように書き起こされた一篇が︑浮世草子の巻末を祝言で締め括るという常套に則したものであることは云う迄もないが︑以下に展開される江戸の活況は形式的に謳歌されているというわけではない︒﹁諸國ともに三十年此かた世界のはんじやう目に見えてしれたり﹂︵巻五
–
一︶﹁さるほどに大坂の大節季よろづ宝の市ぞかし商ひ事がない〳〵といふは六十年此かた何が売あまりて捨たる物なし﹂︵巻一–
三︶という指摘や︑巻三–
四﹁神さへお目違ひ﹂に於ける︑京江戸大坂の三ヶの津や奈良堺・長崎大津伏見から﹁一國一城の所あるひは船着山市はんじやうの里〳〵を見たて﹂て派遣される﹁年徳も上方へは面〳〵に望み田舎の正月は嫌い給ふぞかし﹂との記述に見られるように︑田舎に比べて商業の発達した都会が確実に繁栄しているというのが﹃世間胸算用﹄全般に共通する認識である︒この作品で西鶴は︑全国的規模に於ける商業経済発展の様子を描き分けており︑その頂点に位置する
のが﹁通り町のはんじやう﹂を謳われた江戸だったのである︒しかも西鶴はその繁昌が何に由来するのかをも的確に見抜いていた︒一とせ江戸中の棚にせきだか一足たびか片足ない事有幾万人はけばとてかゝる事は日本第一人のあつまり所なれば也宵のほどは一足七八分のせきだ夜半過には壱匁二三分となり夜明けがたには一そく弐匁五分になれ共買人ば
かりにしてうるものなし一とせ掛小鯛二枚十八匁宛せし事も有代々ひとつ金子弐歩づゝせしに高ふて買ぬといふ事なし京坂にては相場ちがひのものはたとへ祝儀のものにしてから中〳〵調ふへき人心にはあらす爰を以て大名気とはいへりこの文章が︑需要と供給の関係で上下する価格に注目して商機を見定めるべきであり︑この地には商いのチャンス
が潤沢であるという脈絡に於いて記されているのは確かであるが︑ここで云われているのはそればかりではない︒前引した冒頭部に続く形で﹁はま弓一挺を小判二両などにも買人有けるは諸大名の子息にかぎらず町人までも萬に大気
なるゆへぞかし﹂と記されているように︑この件りは︑江戸の人間が﹁萬に大気﹂で﹁大名気﹂であるという点にこそ眼目があったのである︒隠されたヒントは︑二匁五分の雪踏や十八匁の掛小鯛はどなたがお買いになるのでしょう ねという点にある︒巻一
–
三﹁伊勢海老は春の栬﹂には大坂のこととして︑品薄になった橙一つが四五分づゝで売買されたので替りに九年母で埒を明けた話が記されているが︑江戸では﹁ひとつ金子弐歩づゝせしに高ふて買ぬといふ事なし﹂とされているのと対照的であるばかりか︑双方の値段は桁が違い過ぎているであろう︒﹁はま弓一挺を小判二両﹂は比較の対象が見当らないのだが︑恐らくは巻頭﹁問屋の寛濶女﹂の﹁年中につもりてはきだめの中へすたり行はま弓﹂と首尾照応させられているのであろう︒このようにして浮き彫りにされるのが桁外れの高額で品物が売買される江戸の浪費ぶりであり︑﹁萬に大気﹂な﹁大名気﹂なのである︒ここで西鶴は︑真意があからさまになるのを避けるかのように︑周到に﹁諸大名の子息にかぎらず町人までも﹂のように断り︑その実例を巻三
–
一﹁都の㒵見せ芝居﹂で﹁此人大名の子にもあらず﹂として描いてはいるが︑恐らくそれは裏問いであり︑巻末近く﹁されば歳暮の御使者とて太刀目録御小袖樽さかな箱入のらうそく﹂のように武家の歳暮贈答の使者を点出しているのを勘案すれば︑彼が浪費の主体を諸大名と想定していたことは間違いないであろう
市江戸の経済が繁栄していることを西鶴は見抜いていたのである︒ ︒そうした武家階層の途方もない失費による購買力によって消費都 21
そのようにして得られた江戸棚での売り上げ金は﹁上方への銀飛脚﹂によって既に見たような﹁闇の夜のわる口﹂後半の京都の大金持や﹁銀壱匁の講中﹂の大坂の﹁手前よろしき者共﹂の手に回収されるという構図によって︑全国的な金の流れが一順するのである︒そればかりでなく︑そのような大名の暮し向きは大名貸となって跳ね反っているわけであり︑既に論じたことではあるが︑元禄初年には京都の豪商が破産や撤退の止むなきに至った結果︑大名貸の
主軸は大坂の商人が共同で担当する事態に変化していたという歴史的な事実がある
–
め﹂の﹁借銭は大名も屓せらるゝ浮世千貫目に首きられたるためしなし﹂との発言と︑巻二一の大黒講のメンバー–
︒巻三二﹁年の内の餅ばなは詠 22が﹁諸国の大名衆への御用銀の借入の内談﹂に集まっている様を揶揄している件りを当て嵌めるならば︑そうした大名達の財政破綻を見通し︑﹁小判一両もたずに江戸にも年をとるもの有﹂という現実に念押しした上で西鶴は︑次の
ようにこの作品を目出たく謳い上げたのである︒何を見ても萬代の春めきて町並の門松これぞちとせ山の山口なを常盤橋の朝かげ豊かに静かに万民の身に照そひ
くもらぬ春にあへり
お わ り に
広末保氏は﹃西鶴の小説時空意識の転換をめぐって﹄に於いて次のように述べておられる︒西鶴における話の方法は︑口誦的な話術の方法化
̶
読まれることばへの転化̶
であったが︑それはまた︑作意の妙を見せる作り話 000の方法化であった︒そして町人物はそれを最大限に活用することによって︑スリルに富んだ世相の活写を可能にした︒︵七六頁︒傍点原文︶既に検討したような﹃世間胸算用﹄の世界は︑その全てが作者が操作し作り上げたものであった︒西鶴は︑自らの意図に従って場面を設定し︑登場人物を選び出して行動させ︑話を閉じることによって︑多種多様な人間像を描き出し︑様々な情報を作品内に縦横に布置することで︑貧者を輩出しつゝ繁栄する世の中の実態を見事に展開してみせて
いる︒確かにそれは﹁作為の妙を見せる作り話の方法化﹂であり︑それによって﹁世相の活写﹂が可能になったと云えるであろう︒そうした﹁口誦的な話術の方法化﹂によって獲得された文体は︑変幻自在とも云えるものである︒
広嶋進氏は前引した論考に於いて﹁奇数章の末尾と偶数章の冒頭が︑言葉の上でもつながりをもっていること﹂や連続する各章の間に﹁字句上の連係﹂が見られることを実証しておられるが︑﹃胸算用﹄全般に於いて西鶴はそのよ
うな連繋を駆使して自在に文章を進めていると考えられる︒語り手の連想や視点の移動に伴って次から次へと進んでいく文章の展開は︑論理的であるというよりは感覚的であると云えるであろう︒この作品には︑登場人物の長談義が地の文即ち語り手自身の言述へと流れ込んで行く例や作中人物の言なのか語り手の説明なのか見極め難い構文が頻出するが︑見方を変えればそれは語り手が作品世界に入り込んでしまっているということなのであって︑そうした語り手は﹁つまりての夜市﹂に潜入して思いも掛けない残り福を手に入れて見せることまでしているのである︒そのような広末氏の所謂﹁意表をつき転調しながら増殖していく﹂︵一一頁︶文体によって語り手に語らせることで作者は︑軽妙に描出した下層民の姿に時に哀れを表明し︑逞しい商人を戯画化して笑い︑自分では殆どその実効を認めていないはずの教訓や巻末の祝言等々をも盛り込むことが出来たのである︒作者自身の生な感懐や教訓が作品内に吐露されているような例は︑西鶴作品に於いて珍しいものではない︒しかしながら︑﹃胸算用﹄の場合他と異なるのは︑語り手が生身の西鶴自身とは切り離された仮託の存在だという点である︒
この作品の世界が西鶴の虚 フィクション構であったように︑語り手も又自らの役割を演じ切るように要請されているのである︒逆に云えば︑仮託の語り手に全てを委ねて身を引くことで西鶴は作者としての主体を確立しているのである︒西鶴作品
に於けるそのような語り手乃至案内者の前例としては︑﹃懐硯﹄の一宿道人伴山や﹃男色大鑑﹄の﹁手習屋の一道﹂等が挙げられるであろう︒だがこの作品にはそうした人物は設定されておらず︑論理的には序を認めた﹁難波西鶴﹂
がこれに相当するはずであって︑それこそが西鶴が生涯の最後に到達した作家主体だったのである︒﹁物静かな安息と諦めに充ちた﹂﹁どこかゆとりのある落着が認められる﹂﹁難波西鶴﹂の語る﹃世間胸算用﹄の世
界が﹁ほのかな温かさと明るさ﹂を基調としているというのはその通りである︒だがそれは︑繁栄する社会の裏側で呻吟し苦悩する人々の悲惨な現実を直視していた生身の西鶴が︑それを在りの儘にではなく︑如何に偽りなく表現す
るかという文学的な問題と苦闘しながら創造した虚構の世界だったのである︒
注
︵
1
︶﹃補刪西鶴年譜考證﹄四四八頁︒︵
2
︶﹃西鶴の世界﹄︵講談社現代新書︶一九六頁︒︵
3
︶﹃西鶴新論﹄二三九頁以下︒︵
4
︶﹁繁栄する社会の傍観者̶﹃世間胸算用﹄試論̶﹂﹁共立女子短期大学文科紀要﹂昭和四九年一二月︑拙著﹃西鶴論﹄所収︒︵
5
︶﹃井原西鶴﹄三五一頁︒︵
6
︶﹃近世小説史の研究﹄九八頁︒︵
7
︶以下一々断らないが︑西鶴作品からの引用は定本西鶴全集所収本によっている︒猶︑一部私に表記を改めた箇所がある︒︵
8
︶中嶋隆氏に﹁﹃世間胸算用﹄でも︑教訓と裏腹な大晦日の︿状況﹀が描かれる﹂との指摘がある︒﹁﹃世間胸算用﹄の作品構造﹂﹃元禄文学の開花
︵
I
﹄所収︑二七二頁︒9
︶暉峻康隆注
︵
3
前掲書二二〇頁︒﹃西鶴評論と研究﹄下一七三頁︒10
︶森山重雄注
︵
2
前掲書二〇二頁以下︒11
︶注
︵
4
拙稿参照︒12
︶拙稿﹁﹃西鶴置土産﹄論﹂注
︵
4
前掲書所収参照︒13
︶仮名草子集成第二巻三八八頁︒︵
14
︶﹃西鶴の研究﹄一八三頁︒︵
15
︶片岡良一注
︵
5
前掲書三五七・三五八頁︒16
︶﹁﹃世間胸算用﹄試論﹂安田女子大学紀要第
︵
15
号︒17
︶﹁﹃世間胸算用﹄の編集意識﹂﹃西鶴浮世草子の展開﹄所収︒
︵
18
︶﹁﹃世間胸算用﹄の章相互の関連と構成﹂﹁﹃世間胸算用﹄と上層町人﹂﹃西鶴探究町人物の世界﹄所収︒︵
19
︶﹁﹃世間胸算用﹄論̶流動と偏在̶﹂﹃西鶴論性愛と金のダイナミズム﹄所収︒︵
20
︶注
︵
4
拙稿︒21
︶﹃西鶴置土産﹄巻二
–
二には﹁金魚︒銀魚を売ものあり︒︵中略︶中にも尺にあまりて鱗の照たるを金子五両︒七両に買もとめてゆくをみて︒また遠國にない事なり是なん大名の若子様の御なぐさひに成ぞかし﹂との記述がある︒︵22
︶ 拙稿﹁﹃日本永代蔵﹄に提示された武家像̶﹁むかしは掛算今は当座銀﹂の表現構造﹂︵拙著﹁虚構としての﹃日本永代蔵﹄﹂第三部第二章︶参照︒キーワード教訓︑滑稽化︑虚構︑経済状況