一 「
宗 教 的 な も の 」・「 政 治 的 な も の 」 の フ ァ ナ テ ィ ズ ム
ヘーゲルは、 『法の哲学 要綱』 (一八二〇年。 以下、 たんに 『法 の 哲 学』と い う。 )
(1)の 導 入 論 に お い て み ず か ら の 自 由 論 を 展 開 す るにあたり、 〈わたし〉の「純粋な無規定態」 (
§5)をその出発点 とする。 この段階の 「自由」 を、 ヘーゲルは 「否定的な自由」 、「悟 性 の 自 由」と 位 置 づ け る(
§5 Anm.)。そ の 特 徴 は、 「〈わ た し〉 が ど ん な 規 定 の う ち に み ず か ら を 見 い だ す と し て も、あ る い は 〈わ た し〉が み ず か ら の う ち に ど ん な 規 定 を 設 定 し て い た と し て も、その規定を捨象することができるという絶対的な可能性、す なわち、いかなる内容もなにか制限であるとしてこの内容から逃 避すること」 (
ebd.)にある。 こうした「純粋な無規定態」の「自由」が「現実的な形態にま で、ま た 情 熱 に ま で 高 め ら れ る が、厳 密 に い う と た ん に 理 論 的 (
theoretisch)で し か な い と き」 、こ の「自 由」は、 「宗 教 的 な も のにおいては (
im Religiösen)」 「インド的な純粋観想 (
Be schauung)と い う フ ァ ナ テ ィ ズ ム」に な る と さ れ る(
ebd.)。こ う し た「純 粋 な 無 規 定 態」の「自 由」は、 「空 虚 の 自 由」だ と も い わ れている。ただし、このさい、これらが「 理論的
000」 な問題
000だとさ
論 文宗 教 的 フ ァ ナ テ ィ ズ ム の 非 イ ン ド 的 想 定
― ― ヘ ー ゲ ル 『 法 の 哲 学 』 第 五 節 と ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 王 国 ― ―
神 山 伸 弘
れていることには、とくに注意しておきたい。 つ づ い て、こ の「自 由」が、 「現 実 へ と 向 か う と き」
――つ ま り「理論的」なものとは真逆のベクトルで 実践的に
0000ということで あ ろ う が
――、「政 治 的 な も の に お い て も 宗 教 的 な も の に お い て も(
im Politischen wie im Religiösen)、い っ さ い の 既 存 の 社 会 的 秩 序 を 粉 砕 す る フ ァ ナ テ ィ ズ ム に な る」と ヘ ー ゲ ル は 断 ず る (
ebd.)。 「い っ さ い の 既 存 の 社 会 的 秩 序 を 粉 砕 す る」と は、 「秩 序 派の嫌疑のある個人たちをかたづけ、ふたたび台頭しようとする ど ん な 組 織 を も 根 絶 す る」 (
ebd.)と さ れ て い る よ う に、 『精 神 の 現 象 学』で い え ば、い わ ゆ る「教 養」章 の「絶 対 的 自 由 と 戦 慄」 の 議 論 を 想 起 さ せ る も の で
(2)、藤 野・赤 沢 訳 註 の 指 摘 通 り、 「フ ラ ン ス 革 命 の い ろ い ろ の 思 想 と 行 動 が ヘ ー ゲ ル の 念 頭 に あ っ た」 (一九五頁) といえるであろ う
(3)。 じっさい、 ガンス編集になる 「補 遺」では、第五節のところで「フランス革命の恐怖時代」につい ての言及があ る
(4)。 し か し、こ の さ い、 「政 治 的 な も の」に お い て「社 会 的 秩 序 を 粉砕すること」が「フランス革命の恐怖時代」だと想定できると しても、ヘーゲルが同時に明言する「宗教的なもの」については、 同じ「註解」においても「補遺」においても、なんらかの具体例 が与えられているわけでもない。こうしたことの延長線上で考え ると、問題とする「宗教的なもの」は、先にヘーゲル自身が明言 した「インド的な純粋観想というファナティズム」を念頭に置き な が ら 理 解 す る し か な い の で は な い か。こ の よ う に、 「政 治 的 な もの」は「フランス革命の恐怖時代」 、「宗教的なもの」は「イン ド的な純粋観想というファナティズム」だとするなら、加藤尚武 が 指 摘 す る よ う に、 「イ ン ド 人 が フ ラ ン ス 革 命 を す る 」
(5)と い っ た イメージをヘーゲルがあえて結ばせているといえなくもないので はなかろうか。 ただ、このように考えることには、案外に不都合なところがあ る。 「イ ン ド 的 な 純 粋 観 想 の フ ァ ナ テ ィ ズ ム」が「い っ さ い の 社 会的秩序」の「粉砕」を唱え実践するものとして妥当なのかどう か、という点である。先に注意しておいたように、インドについ ては、あくまで「理論的」な問題としてヘーゲルが引きあいに出 し た も の で あ っ て、こ れ は、 「現 実 へ と 向 か う」こ と と は 違 っ た 水 準 の も の な の で は な い か。し か も、実 際 の と こ ろ、イ ン ド の 「ファナティズム」は、 「社会的秩序」の「粉砕」に向かうどころ か、周知のようにそれを正当化し、それを自然的なものとして
――カ ー ス ト と し て
――固 定 化 す る の で あ る。そ れ は そ れ は、 「粉 砕」するどころの話ではな い
(6)。 じ っ さ い、 『法 の 哲 学』の「世 界 史」の 議 論 に か ぎ っ て み て も、 「オリエントの国」においては、 「身分の編成は、自然的に固定し た カ ー ス ト に な る」 (
§355)と し て お り、こ こ に は 当 然 な が ら イ ン ド も 含 ま れ る か ら、 「社 会 的 秩 序」は、あ く ま で「自 然 的」で あ る に せ よ、 「粉 砕」さ れ る ど こ ろ か 固 定 的 に 維 持 さ れ て い る と
ヘーゲルは理解しているはずである。 むしろ、 インドの場合、 「宗 教 的 な も の」は、 「社 会 的 秩 序」を 形 成 す る も の と し て す ら 理 解 さ れ て い る の で あ る。こ の こ と は、の ち の「世 界 史 の 哲 学 講 義」 に お い て き わ め て 明 白 に な る が
(7)、『法 の 哲 学』の 形 成 過 程 に 照 ら してみても確認することができる。一八一七・一八年にハイデル ベルク大学でおこなった「自然法と国家学講義」において、ヘー ゲルは、 次のように言明する。 「インドでは、 身分が多岐に分かれ、 君主が祭司長と別になることがしばしばである。世界の成立に関 する表象では、それがカーストの区別を神的なものとして登場さ せている。 」
(8)このように、 「純粋な無規定態」 の「自由」 が 実践的な意味で
0000000「政 治的なものにおいても宗教的なものにおいても、いっさいの既存 の社会的秩序を粉砕するファナティズムになる」とヘーゲルが断 ずるさい、 「政治」はフランス、 「宗教」はインドの事例が想定さ れていたとしてよいのかどうか、本論は、このことを問うもので ある。
二 第五節補遺の構成
一般に流布している『法の哲学』では、節によってはガンス編 集 の「補 遺(
Zusatz)」が 付 さ れ て お り、我 々 が 問 題 と す る 第 五 節に対しても幸いにしてこれがあ る
(9)。しかし、ヘーゲルが念頭に おいた
――「理論的」 とは違った水準の
――実践的な意味での 「宗 教的なもの」がこの「補遺」を読むことでより具体的に理解でき るようになるかといえば、すでに指摘したように、それはまった く 無 理 と い わ ざ る を え な い。そ こ で 指 摘 さ れ る「宗 教 的 な も の」 は、 「イ ン ド 人」が 信 奉 す る「ブ ラ フ マ ン(
Brahman)」の み だ からである。 周知のように、ガンス編集の「補遺」は、ヘーゲルの「法の哲 学講義」に関するホトーの一八二二・二三年講義ノートやグリー スハイムの一八二四・二五年講義ノートを継ぎ接ぎして作り上げ たものである。もっとも、問題とする第五節の補遺は、第一 文
)(((
の みがホトーに依拠していて、それ以降はグリースハイムからの抜 粋と再構成からなっている。今日では
――といってもすでに久し いが
――くだんのホトー・ノートやグリースハイム・ノートを容 易に参看することができるか ら
)(((
、直接それに依拠してヘーゲルの 真意をつかむことが我々にもできるかもしれない。 ホ ト ー・ノ ー ト の 第 五 節
)(((
は、イ ル テ ィ ン グ の 概 括 に よ る と、 「一.意 志 の 三 つ の モ メ ン ト」 、「二.純 粋 な 無 規 定 態」 、「三.絶 対的な抽象」 、「四.思考」 、「五.否定態としての自由」 、「六.み ず か ら へ の 折 れ 返 り(
Reflexion)」に つ い て の 議 論 か ら な っ て い る。こ の う ち、ガ ン ス が「補 遺」と し て 採 用 し た 一 文 は、 「二」 の最初の部分である。 このノートでは、 我々の関心事のうち、 「宗 教 的 な も の」が 登 場 せ ず、 「政 治 的 な も の」の み が「五」に お い
て言及されている。イルティングによると、ここは三段落からな る。その第二段落が「ファナティズム」に言及している箇所であ り、次のとおりである。
「フ ァ ナ テ ィ ズ ム は、あ ら ゆ る 現 存 在 の う ち に 制 限 を 認 識 す る し、自 由 で あ る た め に こ の 制 限 を 破 壊 し よ う と す る。し た がって、ファナティズムは、こうした否定的な形式での自由で あ り、あ ら ゆ る も の を 破 壊 す る こ と で あ る。こ う し た 自 由 は、 フランス革命の時代であった。 フランス革命では、 根絶 (殲滅) することの大きさにしたがってのみ自由の大きさが測られたの である。 」
)(((
ホトー・ノートに依拠するかぎり、 「フランス革命」 という 「政 治 的 な も の」の み が 話 題 と な っ て、 「フ ァ ナ テ ィ ズ ム」は「あ ら ゆ る も の を 破 壊 す る」 「自 由」と し て 語 ら れ て い る。 『法 の 哲 学』 で 明 言 さ れ て い る 「 宗 教 的 な も の 」 に つ い て ヘ ー ゲ ル が 一 八 二 二 ・ 二三年の「法の哲学講義」でどのように扱ったのか
――議論自身 を 省 略 し た の か、そ れ と も 言 及 し て も ホ ト ー が ノ ー ト に と れ な かったのか
――は、ホトー・ノートからは窺う由もない。 もう一方のグリースハイム・ノートの第五節は、イルティング の 概 括 に よ る と、 「一.純 粋 な 無 規 定 態」 、「二.否 定 的 な 自 由」 、 「三.否定的な自由の歴史的な諸形態」 、「意志の特殊態への移行」 に つ い て の 議 論 か ら な っ て い る。ガ ン ス は、 「一」~「三」の そ れぞれから抜粋し文章を調整して「補遺」としている。このうち、 「三」が「フ ァ ナ テ ィ ズ ム」に 言 及 し て い る 箇 所 で あ る。グ リ ー スハイムは、 『法の哲学』 第五節註解における 「空虚の自由」 、「イ ンド的な純粋観想というファナティズム」 、「政治的なものにおい ても宗教的なものにおいても、いっさいの既存の社会的秩序を粉 砕するファナティズム」 、「秩序派の嫌疑のある個人たちをかたづ け、ふたたび台頭しようとするどんな組織をも根絶する」といっ た一連のテキストを書写したのち、次に掲げるように講義を写し 取る。若干長いが、ガンスの編集した「補遺」との差異をつかむ ために、 イルティングが判断したその 「補遺」 部分を 【隅付括弧】 で 括 り な が ら 示 し て お く。ま た、 「補 遺」に 採 録 さ れ な か っ た 部 分を 教科書体 で示し、本論でとくに注目したい部分を
太字体で示 し て お く。な お、 傍 点
00は、原 文 で イ タ リ ッ ク(ノ ー ト で は 下 線) の部分であり、 圏点
88は、ヘーゲルの註解が書き写されている部 分
)(((
である。
「【インド人のところで最高のものだとみなされているものは、 みずからとの単純な同一態を知ることだけで不動となることで あり、みずからの内面態がもつこうした空虚な普遍態、こうし た空虚な空間で不動となることであり、生命がもついかなる活 動態も断念することであり、いかなる目的もいかなる表象も断
念することであって、純粋な直観のうちに色のない光のように し て と ど ま る こ と な の で あ る。 】 純 粋 な 直 観 は 純 粋 な 思 考 で あ り、な ん 年 も こ れ を 維 持 す る こ と が、イ ン ド 人 の と こ ろ で は、 最 高 の 立 場 な の で あ る。 【こ れ は、ブ ラ ー ム(
Bram)、 ブ ラ ー
000マ
0(
Brama) であって、 単純態のかたちをした神であるが、 次 いで、人間は、こうした空虚な自己意識のかたちでみずからの ブラームそのものである。この点で、有限な人間とブラームに は区別がない。すべての区別は、この普遍態のなかで消失して し ま っ て い る。 】 こ の よ う な あ り 方 で 現 実 存 在 す る こ と は、一 面でとてつもない強さであるが、純粋な意識は、意識の一面で しかなく、ここでは対象を欠いており、私そのものだけが対象 であり、このため対象は区別をもたない。だから、意識は、対 象 を 欠 い た 意 識 で あ る。 【
つぎに、具体的な現象は、政治的でもあれば宗教的でもある生活における(im politischen wie religiösen Leben)活動的なファナティズムである。】 こ の 否
888定的な意志は
888888、 なにものかを破壊することによってのみみずか
888888888888888888888らの現存在の感情をもち
88888888888、 もちろん
8888、 なんらかの肯定的な状態
88888888888、 たとえば
8888普遍的な平等の状態やら普遍的で宗教的な生活の状態 888888888888888888888888やら 88
を意志しようと思いついている
88888888888888。 しかし
888、 否定的な意志は
8888888、 実 際 に は
8888、 そ の 状 態 の 肯 定 的 な 現 実 態 を 意 志 す る こ と が な い
8888888888888888888888。 というのも
88888、 肯定的な現実態は
88888888、 仕組みであっても個人であっ
8888888888888ても
88、 ただちになんらかの秩序
88888888888、 なんらかの特殊化を導き出す
8888888888888ものなのだが
888888、 この特殊化や客観的な規定こそは
888888888888888、 そうした否
88888定的な自由が根絶するものであって
8888888888888888、 否定的な自由の自己意識
88888888888は
8、 この根絶に由来するのである
8888888888888。 したがって
88888、 否定的な自由
888888が意志しようと思いついたものは
888888888888888、 それだけで独立してみれば
888888888888、 抽象的な表象でしかありえないし
888888888888888、 否定的な自由がする現実化
888888888888は
8、 破壊という狂乱でしかないのである
8888888888888888。 このことは
88888、 歴史が
888示している
88888。
普遍的な平等という普遍的で宗教的な生活が成就すべきなのだが、この目的がファナティックであるため、この目的は、存立するあらゆる秩序を廃棄することと結びついている。たとえば、宗教改革に応じてミュンスター ((((で起こった騒擾とか、自由と平等を目的としたフランス革命とかは、あらゆる区別を廃棄することだった。
所有や占有などとの関係では、人 格 の 平 等 と い う も の が あ る。 【し か し、こ の 関 係 で は(
hier)、 才 能 や 権 威 と い っ た あ ら ゆ る 区 別 は、廃 棄 さ れ る べ き も の で あ っ た。 】 フ ァ ナ テ ィ ズ ム は、な ん ら か の 普 遍 的 な も の を 意 志 し、ただ普遍態の形式のうちにあるということで特徴づけられ る。 【フ ァ ナ テ ィ ズ ム は、抽 象 的 な も の を 意 志 す る の で あ っ て、 区別が頭角を現す分節化を意志することがない。ファナティズ ム は 、 こ う し た 分 節 化 を み ず か ら の 無 規 定 態(
Unbestimmtheit) に 反 す る と 思 い、こ れ を 廃 棄 す る。 】 普 遍 的 な も の は、あ ら ゆ る特殊なものに反対する否定的なものである。革命の現象をと らえて理解するには、 無規定態 (
diese) が革命 (
Revolution)
の 主 要 な 側 面 だ と い う こ と で あ る。 【革 命(
Sie)は、震 え で あ り、おののきであって、いかなる特殊なものとも相容れないも の で あ る。革 命(
sie)は、 】 自 由 と 平 等 と い っ た 【抽 象 的 な も の だ け を 意 志 す る も の で、 】 こ の こ と が、革 命 に よ る さ ま ざ ま な変転のなかで、とくに革命の第一期において示されたのであ る。国民議会が選挙されたが、これが主要権力となってしまい、 これと結びついて、都市が当局者を任命し、武装した威力であ る国民軍を選任したのだが、同時に、こうしたそれぞれの勢力 は、見かけとして、ふたたびなにか固定したものを形成しよう とするみたいだし、あるいはそのようにすることができるみた いだったので、対立することになってしまって、抽象的なもの に対して敵対的であるとみなされてしまった。抽象的なものが、 普遍的に思いついたことであったり求められるものであったり し た の で あ る。 【人 民 は、み ず か ら が 作 り 上 げ た い か な る 権 威 に も 先 ほ ど の 制 度 に も、つ ま り 市 長 に も 国 民 軍 に も 役 所 に も、 選ばれたことに基づき、指示する権能を授けたが、しかしなが ら、このことは、平等という抽象的な自己意識に反するものと なったし、この手の制度は、作られるやいなや、ふたたび人民 に よ っ て 破 壊 さ れ た の で あ る。 】 こ れ が フ ァ ナ テ ィ ズ ム で あ る。 ファナティズムは、あらゆる特殊なものをみずからに敵対する ものとみなし、それ自身みずからの固有の仕事をあきらめるの である。我々は、こうした現象のうちに、意のままである支配 権を抽象的なものが行使するのを見る。しかし、それは、もち こたえることのできないものであり、自滅するものである。 」
((((
グ リ ー ス ハ イ ム・ノ ー ト は、 『法 の 哲 学』第 五 節 註 解 の 筋 書 き を正確になぞっているといってよいだろう。そこでは、 まず
00「理 論 的」な フ ァ ナ テ ィ ズ ム に つ い て イ ン ド の 宗 教 に 言 及 し、 「 つ ぎ
00に
0」、 「政 治 的 で も あ れ ば 宗 教 的 で も あ る 生 活 に お け る 活 動 的 な ファナティズム」に議論を移す。 ここでとくに刮目に値するのは、註解で述べられた「普遍的な 平等の状態やら普遍的で宗教的な生活の状態やら」を実現しよう と す る 歴 史 的 な 具 体 例
0000000と し て、 「 ミ ュ ン ス タ ー で 起 こ っ た 騒 擾
0000000000000」 と「 フランス革命
000000」が挙げられていることである。これにしたが うならば、 ヘーゲルが 『法の哲学』 において実践的なレベルでファ ナティズムを指弾するさい
――つまり「政治的なものにおいても 宗教的なものにおいても、いっさいの既存の社会的秩序を粉砕す るファナティズムになる」と指弾するさい
――、それはけっして インドにおける政治や宗教のことではなく、すぐれてヨーロッパ 的な政治や宗教をあげつらっている、としなければならないであ ろう。 こ の う ち、 「政 治」に つ い て は、前 掲 の グ リ ー ス ハ イ ム・ノ ー トに基づいたガンスの 「補遺」 によって、 それを 「フランス革命」 と 理 解 す る の は い わ ば 常 識 的 な と こ ろ で あ ろ う が、 「宗 教」に つ
いても、ヨーロッパの歴史事例が関わっている
――それもキリス ト教・カトリックの司教座があるミュンスターが関わっている
――と は、 『法 の 哲 学』を 素 直 に 読 む か ぎ り
――す く な く と も 日 本 においては
――思いもよらないことではなかったか。しかも、こ の 「宗教」 は、 「普遍的な平等」 を実現しようとするものとしては、 当然ながら同時にすぐれて「政治」的でもあったのである。ヘー ゲ ル は、 「ミ ュ ン ス タ ー」を 持 ち だ す こ と で「政 治」と「宗 教」 をいわば一体のものとして取り扱うことのできる事例を提示して いるのである。
三 宗 教 的 フ ァ ナ テ ィ ズ ム と ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 王 国
も っ と も、グ リ ー ス ハ イ ム・ノ ー ト 第 五 節 に お い て な さ れ た 「ミ ュ ン ス タ ー で 起 こ っ た 騒 擾」へ の 言 及 は、た だ そ の 指 摘 に と どまるものでしかない。その場で歴史的事例として詳しく紹介さ れた
――あるいは記録にとどめられた
――のは、圧倒的にフラン ス革命のものであるから、ひるがえって『法の哲学』第五節註解 に お い て「政 治 的 な も の に お い て も 宗 教 的 な も の に お い て も、 いっさいの既存の社会秩序を粉砕するファナティズム」に言及す るさいにも、その「宗教的なもの」の役割は低く見積られていた とみられてしまうかもしれない。しかし、おそらく、こうした理 解は、当を得ていない。 つとに三浦和男らは、その箇所に対して、第二七〇節註解の参 照を求めてい る
)(((
。 そ こ で は、 「国 家 に 反 対 し て あ く ま で 宗 教 の 形 式 に と ど ま ろ う と す る 人 び と」 (五 〇 〇 頁 以 下、
S. 418)へ の 言 及 が あ る。こ の さい、 「宗教の形式」とは、 「絶対的なものへの関係」として「感 情や表象や信仰の形式」をとることだとされる。この形式を「国 家」に 通 用 さ せ る と、 「存 立 す る も ろ も ろ の 区 別 や 法 律、機 構 に まで発展した有機組織としての国家が、動揺や不安定、混乱に委 ねられてしまう」とする。というのも、そうした主観的な「宗教 の 形 式」に と っ て は、 「客 観 的 に し て 普 遍 的 な も の で あ る 法 律」 が 通 用 せ ず、 「否 定 的 な も の」と み な さ れ る か ら で あ る。こ う し た「否定的な態度」が「たんに内的な心情や見解であるにとどま らずに、現実態へと向かい、そこで力を発揮するときは、宗教的 なファナティズムが政治的なファナティズムと同様に生じる」と す る。そ し て、こ の「フ ァ ナ テ ィ ズ ム」は、 「い っ さ い の 国 家 機 構 と 法 律 的 秩 序」を、 「内 的 な 心 情 で あ る 心 の 無 限 態 に ふ さ わ し くない偏狭な制限として放逐し、私的所有や結婚、市民社会のも ろもろの関係や労働などを、愛や、感情の自由を汚すものとして 追放する。 」 こ の 第 二 七 〇 節 に 対 す る グ リ ー ス ハ イ ム・ノ ー ト で は、 「ク エーカー派、再洗礼派、ヘルンフート派」を具体的に挙げ、
――『法 の 哲 学』の ヘ ー ゲ ル 自 註 で は「兵 役 拒 否」な ど の 国 家 へ の 無
関 与 の み が 言 及 さ れ る が(五 〇 七 頁 以 下、
S. 421)
――「こ れ ら のセクトは、敬虔さをみずからにしまいこんでいる場合には、さ しあたりたんに否定的に振る舞うだけのものだが、こうした抽象 的な原理は、活動的になることもできて、そうなると、国家の諸 制度そのものに対して敵対的になる 」
)(((
としている。そして、ひき つづき、次のようにいう。
「敬 虔 さ は、心 胸 の う ち に 実 体 的 な も の を 設 定 し、敬 虔 な 心 胸をすべての行為の原理として受け取るから、財産の不平等や、 ほかの人間に対する法律的な関係をいとも簡単に不正とみなす ようなことが起こり、人は硬直した法ではなく心胸にしたがっ て他者に関わるべきだという要求をする。ようするに、敬虔さ は、現実態に対して内面的であることに固執するならば、ファ ナティクになるのである。このことは、歴史が示しているとこ ろである。たとえば、 再洗礼派
0000がそうであり、イギリスの狂信 者がそうである。 このイギリスでは、 〈地の穏やかな人びと (
die Stillen im Lande)〉
)(((
が 先 頭 に 立 っ た。し か し、ク ロ ム ウ ェ ル は、 この人びとを意のままによく操って、現実態ではただちにふた たび世俗の秩序を通用させたのである。 」
)(((
(傍点引用者)
こうした第二七〇節におけるヘーゲルの指摘は、まさしく、第 五節における「政治的なものにおいても宗教的なものにおいても、 いっさいの既存の社会的秩序を粉砕するファナティズム」に相当 するものである(この点、三浦らによる参照指示は、きわめて適 切 で、慧 眼 に よ る も の で あ っ た) 。ヘ ー ゲ ル は、ヨ ー ロ ッ パ に お ける宗教的ファナティズムを排撃すべくここにぴたりと照準をあ て て い る。そ し て、グ リ ー ス ハ イ ム・ノ ー ト 第 五 節 に 記 さ れ た 「ミ ュ ン ス タ ー で 起 こ っ た 騒 擾」こ そ は、こ の 宗 教 的 フ ァ ナ テ ィ ズムによるものであり、けっして同じ轍を踏んではならないもの として挙げられていたわけである。また、第二七〇節のグリース ハ イ ム・ノ ー ト に 見 ら れ る よ う に、ヘ ー ゲ ル は、宗 教 に お い て ファナティズムに走る再洗礼派と、政治的なピューリタン革命の 担 い 手 た ち と が 同 根 で あ る こ と を 見 通 し て い た。こ の こ と は、 ヘーゲルのほかのテキストを解釈するうえでも重要なので、のち に改めて取り上げる。 さて、ヘーゲルが排撃する「ミュンスターで起こった騒擾」と は、ほかならぬ「ミュンスター再洗礼派王国」のことである。こ れ は、 「一 五 三 四 年 二 月 末 に 出 現 し、翌 三 五 年 六 月 の 落 城 ま で、 帝 国 諸 侯 軍 の 包 囲 下 で 存 続 し た 」
)(((
。倉 塚 に よ る、こ の「王 国」が 行った「変革」についての簡明な紹介を次に示しておく。
「そこでは政治、 経済、 家族、 文化などあらゆる領域にわたっ て、文字どおり全面的な「変革」が行われた。既存の一切の制 度は背神のシステムであるとしてこれを廃棄し、神の預言に基
づいて、政治的にはヤン・マティアスのカリスマ的支配から発 し、ヤン・フォン・ライデンのダヴィデ王朝樹立にいたる。経 済的には貨幣も売買もギルドも廃棄され、財産共有制(共同食 堂、現 物 支 給、貴 金 属・生 活 物 資 の 供 出 摘 発)が 強 行 さ れ た。 既存の一夫一婦制も解体され、悪名高き一夫多妻制がテロの恐 怖 の も と に 実 現 さ れ た。 「霊 が 肉 と な っ た。聖 者 は 罪 を 犯 す こ とはない」として、既存の道徳的基準も転倒される。聖書を除 く一切の書物文書も焼却され、街路や出生児の名前もアルファ ベット順に変えられた。 」
)(((
こ の よ う に 紹 介 さ れ る「ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 王 国」こ そ は、 「政 治 的 な も の に お い て も 宗 教 的 な も の に お い て も、い っ さ い の 既存の社会秩序を粉砕するファナティズム」だとヘーゲルが指摘 す る も の と、ま さ し く 一 致 す る と い え る の で は な い か。こ れ は、 ヘーゲルが構想する、家族、市民社会、国家からなる人倫を見事 に粉砕するものであろう。
四 ガンスによるミュンスター再洗礼派王国の隠蔽
ヘーゲルは、 「法の哲学講義」にかぎらず、 「ミュンスター再洗 礼派王国」を政治的・宗教的な「ファナティズム」の典型として 位 置 づ け て い た と 思 わ れ る。 「ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 王 国」は、 それを示すだけで学生が得心する格好の「ファナティズム」だっ たのだ。このことは、ヘーゲルの息子カール・ヘーゲルが編集す る「歴史の哲学講義」からも見えてくる。 第一に、宗教改革の影響により「教会の世俗的支配に対する反 抗 が 各 地 に 起 こ っ た」と し て、 「ミ ュ ン ス タ ー で は 再 洗 礼 派 が 司 教を追放して、独自の支配権をうち建てた」と指摘してい る
)(((
。 第二に、ヘーゲルは、ピューリタン革命に言及するさいに
――グリースハイム・ノート第二七〇節と同様に
――「ミュンスター 再洗礼派王国」を次のように引きあいに出している。
「国王はただ神に対してのみ(すなわち聴罪司祭に対してのみ) 釈明する責任があるとする絶対権の主張に対して、ファナティッ クになった人民は立ちあがり、外面的なカトリック教に対抗して、 ピューリタニズムのかたちで内面性の頂点に達した。この内面性 の頂点は、傾いて客観的な世界に転ぶと、一方ではファナティッ クに高揚し、他方では笑うべきものとして現象した。 このファナ
00000ティストたちは
0000000、 ミュンスターのファナティストと同様に
000000000000000000、 直接
00的に敬神の念で国家を統治しようとし
00000000000000000、 また
00、 兵士たちも
00000、 同様
00にファナティックになり
00000000000、 戦場で祈りを捧げながらみずからの任
00000000000000000務を闘い抜かなければならなかった
0000000000000000。」
)(((
(傍点はカール・ヘーゲル 版で追加されたテキストを示す。 )
ところで、この「歴史の哲学講義」は、当初ガンスが一八三七 年に編集・出版したものと、一八四〇年にカール・ヘーゲルがこ れを訂正・出版したものとがあり、部分においては相当な違いが ある。先に掲げた第一の例については、ガンスとカール・ヘーゲ ルが同様の記述をしている が
)(((
、第二の例については、引用で示し た よ う に、カ ー ル・ヘ ー ゲ ル に よ っ て「ミ ュ ン ス タ ー の フ ァ ナ ティスト」への言及が追加され た
)(((
。 このうちぜひとも注目したいのは、第二の例における取り扱い の 違 い で あ る。カ ー ル・ヘ ー ゲ ル は、 「ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 王 国」とピューリタン革命とがファナティズムにおいて似たものを もつことを指摘するかたちで編集するわけだが、ガンスは、そう していないのである。これは、依拠するノートによって生じたこ となのか、あるいはそれぞれの編集者の個性によって取捨された 結果であるのか、それとももっぱら記憶の程度によるものなのか、 我々は知る由もな い
)(((
。 しかし、ガンスが『法の哲学』の第五節補遺を作成するさいに グリースハイム・ノートにある「ミュンスター」への言及を省い ている事実に照らして考えると、ガンスが「歴史の哲学講義」で これと同様の措置をしていることには、なんらかの意図を感じざ るをえない。ヘーゲルが講義で一貫して含意していることを、ガ ンスは一貫して隠蔽しようとしている、と思わざるをえないから であ る
)(((
。 このさい、改宗ユダヤ人であるガンスの宗教信条やその共和主 義的な政治信条に立ち入ってガンスの姿勢を問うことは、本論の 目的をはるかに越えてい る
)(((
。ただ、少なくとも、ガンス編集のテ キストでは
――「法の哲学講義」 でも 「歴史の哲学講義」 でも
――、 再洗礼派が宗教的なファナティズムとして理解されないかたちに なっているという事実がある。 どうしてそのように一貫するのか? これはあくまで一つの推測にすぎないが、ガンスは、政治革命 がつねに宗教的ファナティズムと結合していることを十分に理解 していたがために、とくに民衆を動員する力がある宗教的ファナ ティズムを表立って批判することを差し控える、という政治的配 慮を働かせた、ということがありはしないか。 この推測の当否はともかく、少なくとも、講義録の編集をめぐ るガンスの取り扱いは、結果的にいって、 ヨーロッパにおける政
0000000000治と宗教が抱える同根の問題
0000000000000――つまり 意志の
000「 無規定態
0000」 とし
00ての自由への固執
00000000――を読者がつかみ損ねるものにしてしまって いることだけは、確かだと思われる。
五 韜晦と隠喩としてのインド
しかし、元を糺せば、それはヘーゲルがしたことなのである。 ヘ ー ゲ ル は、 『法 の 哲 学』に お い て、第 二 七 〇 節 へ の 自 註 で こ
そ再洗礼派に言及してはいるものの、これを宗教的ファナティズ ムとして公然と指弾しているわけではない。そうである以上、師 匠に忠実なガンスは、ヘーゲルが口頭でのみ伝えようと決意した ことをあえて印刷公表するまでもない、と判断したとしても、そ れは咎められるべきことではないだろう。ガンスは、ヘーゲルの 考えの機微を十分に弁えていたのである。むしろ、息子は要らぬ ことをしてくれた、ということになるのかもしれない。 だとすると、ヘーゲルは、我々が文章の流れでまさに自然に理 解する内容こそを伝えんと狙ったのではないか? すなわち、理 論的に宗教的なファナティズムとしてインドが指摘されているの だから、実践的に政治的・宗教的なファナティズムも、インドの こ と が 指 摘 さ れ て い る の で は な い か、と。 (政 治 的 フ ァ ナ テ ィ ズ ムがフランス革命のことであるとは、 明示的にはガンスの 「補遺」 を も っ て は じ め て 知 る こ と で あ る。 )こ れ は、イ ン ド 批 判 に よ っ て は 少 な く と も ヨ ー ロ ッ パ の だ れ も が 傷 つ き は し な い の だ か ら、 これにとどめておいて、あとは「もって知るべし」と決め込む韜 晦である。 し た が っ て、 「イ ン ド」の「宗 教」は、ヨ ー ロ ッ パ で 実 際 に 生 じている政治的・宗教的ファナティズムの隠喩なのである。この 意味で、まさに「インド人がフランス革命をする」のであった。
註(1)使用するテキストは、次の通り。G. W. F. Hegel, Werke in zwanzig Bänden, Bd. 7, Grundlinien der Philosophie des Rechts oder Naturrecht und Staatswissenschaft im Grundrisse, Mit Hegels eigenhändigen Notizen und dem mündlichen Zusätzen, Auf der Grundlage der Werke von 1832―1845 neu edierte Ausgabe, Redaktion Eva Moldenhauer und Karl Markus Michel, Theorie Werkausgabe, Suhrkamp, Frankfurt am Main 1970. 邦訳は、おもに次のものを利用し、引用にさいしては、原文に照らして適宜改変した。ヘーゲル「法の哲学」藤野渉・赤沢正敏訳、『世界の名著 四四 ヘーゲル』、中央公論社、一九七八年。引用・参照箇所は、節数等(必要に応じて邦訳頁数もしくはアズーアカンプ社版頁数)を本文中に示す。(2)ドラテも同様の指摘をする。Cf. G. W. F. Hegel, Principes de la philosophie du Droit, ou Droit naturel et science de l‘État en abrégé, texte présenté, traduit et annoté par Robert Derathé, seconde édition revue et augmentée, deuxième tirage, Paris 1986, p. 74.(3)高峯一愚、上妻精らも同様。ヘーゲル『法の哲学 自然法と国家学』高峯一愚訳、論創社、一九八三年、二九六頁参照。ヘーゲル『法の哲学』上巻、上妻精・佐藤康邦・山田忠彰訳、岩波書店、二〇〇〇年、二六五頁参照。(4)上妻精ほかは、「ジャコバン主義」とする。上妻精・小林靖昌・高柳良治『ヘーゲル法の哲学』、有斐閣新書、一九八〇年、六四頁参照。(5)加藤尚武『ヘーゲル「法」哲学』、青土社、一九九三年、三四頁。(6)インドでは、「社会的秩序」が「自然的」であるから、そもそも「社会的秩序」なるものはない、と強弁すれば、「社会的秩序」は、すでにして「粉砕」されているという理屈になるのかもしれないが。(7)ヘーゲルは、一八二二・二三年の「世界史の哲学講義」で次のようにいう。「諸個体の区別と配分は、いかなる国でももろもろの普遍的な業務で必要である。インドでは、この区別と配分が一定の仕方で現れる。すなわち、インド人の場合、概念のこれらの規定態が自然的な区別に、つまり生まれの区別になる。」Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Vorlesungen Ausgewählte Nachschriften und Manuskripte (Abgek. VANM.), Bd. 12, Vorlesungen über die Philosophie der Weltgeschichte, Berlin 1822/1823, Nachschriften von K. G. J. v. Griesheim, H. G. Hotho und F. C. H. V. v. Kehler, Hrsg. v. K. H. Ilting, et al., Hamburg 1996, S. 175. ヘーゲル「一八二二・二三年「世界史哲学講義」抄訳註、『ヘーゲルとオリエント――ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界像の反歴史性――(科学研究費補助金基盤研究(
S. 259. schrieben von P. Wannenmann, Hrsg. v. C. Becker, et al., Hamburg 1983, Heidelberg 1817/18, mit Nachträgen aus der Vorlesung 1818/19, Nachge VANM., Bd. 1, Vorlesungen über Naturrecht und Staatswissenschaft, (8) 研究成果報告書』、二〇一二年、五五六頁。 B))課題番号二一三二〇〇〇八 G・ W・
( Grundrisse, Hrsg. v. Dr. Eduard Gans, Berlin 1833 Google, 39f.() Philosophie des Rechts, oder Naturrecht und Staatswissenschaft im einen Verein von Freunden des Verewigten, Bd. 8, Grundlinien der Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Werke, Vollständige Ausgabe durch (9) 二八一頁。 学一八一七・一八年』高柳良治監訳、法政大学出版局、二〇〇七年、 F・ヘーゲル『自然法と国家学講義――ハイデルベルク大
すべての目的を放棄し、いっさいを捨象しうる、ということの実質があ 10)「意志のこのエレメントのうちに、私があらゆるものから自分を解き放し、 ( 5 Zu.§る。」()
義録―一八二二/二三冬学期、ベルリン―― る。『ヘーゲル教授殿の講義による法の哲学Ⅰ・Ⅱ『法の哲学』第五回講 ノートについては、手稿そのものに依拠した邦訳が次のように出されてい abgek. Griesheim., etc., StuttgartBad Cannstatt 1974. ()なお、ホトー・ des Rechts nach der Vorlesungsnachschrift K. G. v. Griesheims 1824/25 nachschrift von H. G. Hotho 1822/23 abgek. Hotho.; Bd. 4, Philosophie () KarlHeinz Ilting, Bd. 3, Philosophie des Rechts, Nach der Vor lesungs philosophie 18181831, Edition und Kommentar in sechs Bänden von 11Vgl. Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Vorlesungen über Rechts)
H・ ことを明示した邦訳が次のように出されている。 グリースハイム・ノートについては、イルティングの翻刻に依拠している 大学翻訳叢書一九・二〇)尼寺義弘訳、晃洋書房、二〇〇五年、二〇〇八年。 G・ホトー手稿』(阪南
G・ W・
( 哲学講義』長谷川宏訳、作品社、二〇〇〇年。 F・ヘーゲル『法
( 12Vgl. Hotho., S. 111115.)―
( 13Vgl. Hotho., S. 113f.)
( 14)これは、イルティングの指摘にないものである。
( 掲書、四一頁参照。けだし、誤訳であろう。 15in Münster)長谷川は、原文の「」を「大聖堂は」と訳す。長谷川訳、前
( 16Vgl. Griesheim., S. 113115.)― 二七〇節脚註を見よ」として、それらを参照するように求めている。 ママ17)三浦和男らは、このファナティズムに関し、「二五八節補註および
G・ W・ 一九九一年、一三九頁以下参照。この参照指示は、第二五八節註解でいわ の基本スケッチ』三浦和男・樽井正義・永井健晴・浅見昇吾訳、未知谷、 F・ヘーゲル『法権利の哲学――あるいは自然的法権利および国家学
れる「抽象」、第二七〇節註解 00でいわれる「狂信〔ファナティズム〕」への参照だと思われる。同書、四一七頁、四三六頁以下参照。(
( 18Griesheim., S. 648.) sind; oder der Huthischen Sonn und FesttagsPredigten, Dritter und worinnen die MarienApostel und andere geringere Feiertage enthalten Johann Georg Krafft, Gesammlete FeiertagsPredigten, な人びとである。」 とで穏やかな人びとであり、隣人とのつきあいにおいて他人に対し穏やか 神のみ前で穏やかな人びとであり、その職業の仕事において自分自身のも そこでは次のようにいわれる。「〈地の穏やかな人びと〉は、信仰において (一七一一生~一七六〇没。エルランゲン大学聖書学正教授)の説教があり、 の「真正な像」を定式化した試みとして、カスパール・ヤコブ・フート die Stillen im Lande年王国』、同文館、一九九〇年、一一五頁。なお、「」 ヴェラーズ・シーカーズ・セクト――」、田村秀夫編『イギリス革命と千 を示している」。大西晴樹「反律法主義者の霊的千年王国論――軍隊とレ ‘antinonianism’主義」という対決すべき異端神学がわきあがっていること と呼ばれたバプテスト派などの諸セクトが根をおろし、そこから「反律法 ‘anabaptists’証言は、「革命期の議会軍のなかに、独立派や「再洗礼派」 タン正統派神学者バクスターやスコットランド長老主義神学者ベイリーの 介されている。大西晴樹の研究によると、ピューリタン革命期のピューリ と知っており、彼らに対して神事のために決起を促す演説を行った、と紹( die Stillen im Landedie Fanatikerで、クロムウェルは、「」が「」であるであろう。 der englischen Revolution,6 Aufl., Leipzig 1853 Google, S. 186. ()この箇所舎の隠者生活」と訳す。長谷川訳、前掲書、五一五頁参照。けだし、誤訳 Vgl. F. C. Dahlmann, Zwei Revolutionen, Bd. 1, Geschichte die Stillen im Landeたと思われる。「」としてまとめている。長谷川は、当該箇所を「田 Google, S. 294. 二〇節に由来し、狂信者集団を呼ぶさいの慇懃なイロニーとして用いられ()ここでは、ヘルンフート派、クエーカー派、再洗礼派を 19die Stillen im LandeDeutschlands Wohlfahrt, Eine Schrift für gegenwärtigen Zeitpunkt, 1804 )「地の穏やかな人々()」は、「詩編」第三五編第 Vgl. S. H. sc. Hohenhausen und Hochhaus, Sylvester Joseph von, ある。[] die Stillen im Lande「」をプロテスタント諸セクトの総称としている例が letzter Theil, Schwabach 1771 Google, S. 133. ()十九世紀初頭において、
( 20Griesheim., S. 649.) 年王国の惨劇――ミュンスター再洗礼派王国目撃録』 21)倉塚平「訳者あとがき」、マイスター・ハインリヒ・グレシュベック『千
C・
( 219. 1830/1831abgek. Heimann., Hrsg. v. K. Vieweg, München 2005, S. )() Philosophie der Geschichte, Vorlesungsmitschrift Heimann Winter ( 3Nachschrift Karl Hegel, in: Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Die “ Vgl. „Anhang ちなみに、カール・ヘーゲルによるノートに同文がある。 長谷川宏訳、岩波文庫、一九九四年、三一八頁参照。けだし、誤訳であろう。 派の大聖堂では司教を追放して」と訳す。ヘーゲル『歴史哲学講義』(下) Die Wiedertäufer verjagten in Münster den Bischof文の「」を「再洗礼 の哲学』研究にとって必読の書であると思われる。なお、長谷川宏は、原 ス編、倉塚平訳、平凡社、二〇〇二年、三〇三頁。本書は、ヘーゲルの『法 A・コルネリウ
( 22)前掲箇所。
集』一〇 Philosophie der Geschichte, Frankfurt am Main 1970, S. 499. 『ヘーゲル全 23G. W. F. Hegel, Werke in zwanzig Bänden, Bd. 12, Vorlesungen über die ) b「改訳歴史哲学」下巻、武市健人訳、岩波書店、一九五四年、
二七五頁参照。(
( 界史の哲学講義」には、「ミュンスター再洗礼派王国」への言及はない。 頁参照。けだし、いずれも誤訳であろう。なお、一八二二・二三年の「世 また、長谷川は、「大聖堂の信者たち」と訳す。長谷川訳、前掲書、三四二 die in Münsterンスターのファナティスト()」を「僧院の狂信者」と訳す。 24A. a. O., S. 516. )武市訳、前掲書、二九六頁参照。なお、武市は、「ミュ
( Abgek. KarlHegel., S. 504.) Gans, Zweite Auflage besorgt von Dr. Karl Hegel, Berlin 1840 Google, ( Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte, Hrsg. v. D. Eduard Google, Abgek. Gans., S. 420. Vgl. Georg Wilhelm Friedrich Hegel, () über die Philosophie der Geschichte, Hrsg. v. D. Eduard Gans, Berlin 1837 durch einen Verein von Freunden des Verewigten, Bd. 9, Vorlesungen 25Vgl. Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Werke, Vollständige Ausgabe )
( 26Vgl. Gans., S. 433. Vgl. KarlHegel., S. 522f.) も忠実ではない。とくに、そこには、「ミュンスター」への言及がない。 27)なお、カール・ヘーゲルによる追加は、みずからのノートにかならずし Vgl. „Anhang 4Nachschrift Karl Hegel (28. 3. bis 1. 4. 1831)“, in: Heimann., S. 223. アッカーシジェクのノートにも、これはない。Vgl. „Anhang 5Nachschrift Ackerschijek (Vorlesungen 28. 3. bis 1. 4. 1831)“, in: Heimann., S. 214. カール・ヘーゲルは、ほかのノートによってか、みずからの記憶ないしステレオタイプによってかして、テキストのように補足した可能性がある。(
うな処置は、むしろ自然で適切だともいえる。このさい、カール・ヘーゲ の講義諸ノートに「ミュンスター」への言及がないとすると、ガンスのよ 28)前註と関連して、カール・ヘーゲルの補足にかかわって、「世界史の哲学」 ( ルの証言をどう評価するかが問題となるであろう。
二〇〇七年。 ト・ガンスとドイツ精神史――ヘーゲルとハイネのはざまで』、風行社、 29)本邦におけるガンス研究として次のものを参照。川﨑修敬『エドゥアル