学校組織存立における「信頼の論理」に関する一考察 : J.W.マイヤーらのアプローチを中心に
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(2) 序章 本研究を行うにあたって. 3. 第1節研究の動機. 3. 第2節研究の目的. 5. 第3節本論文の組立. 8. 第1章 従来の教育組織論の検討. 10. 第1節伝統的官僚制モデル. 10. 第2節ルース・カップリング論. 14. 第3節教師専門職組織論. 22. 第2章 「合理的神話」論における「信頼の論理」. 27. 第1節 「合理的神話」とは. 27. 第2節教育組織「神話」の起源. 32. 第3節 「合理的神話」論の3つの効用. 35. 第4節乖離解消のための「脱連結」と「信頼の論理」. 37. 第3章 日本の学校組織を取り巻く環境と「信頼の論理」. 43. 第1節階層社会の中の学校と「信頼の論理」. 45. 1.学校と社会階層. 45. 2.学校と社会選抜. 52. 第2節産業社会の中の学校と「信頼の論理」. 61. 1.子どもへの教育. 61. 2.工業化と学校制度の定着. 63. 1.
(3) 第3節地域社会の中の学校と「信頼の論理」. 72. 1.・地域と学校の歴史. 72. 2.地域の教育力と学校. 77. 第4節日本の教育行政と「信頼の論理」. 83. 1.教育行政の組織化. 83. 2. 中央における教育行政組織. 85. 3。地方における教育行政組織. 92. 終章 今後の展望と課題. 100. 第1節本研究の要旨. 100. 第2節今後の研究に向けて. 106. 注釈. 110. 引用および参考文献. 117. 2.
(4) 序章 本研究を行うにあたって. 第1節 研究の動機. 組織とはいかなるものであるのか。この問題は私が学部生、いや中学・高校生の頃から 抱いていた疑問である。これに1つの解答を与えてくれたのが、学部時代に研究した、マ ックス・ウェーバーの官僚制論であった。. 現代社会において、公的、私的を問わず、多くの巨大な組織が存在している。それらの 中でも、教育組織は、数的にも規模的にも非常に大きな組織である。このような大規模な 組織を運営していくためには、官僚制を導入しなくてはならないことは、容易に想像でき る。もちろん教育組織、特に学校組織は、官僚制的特質を多分に有している。. しかしながら、一般的な官僚制的組織と比較した場合、教育組織はある意味において特 殊な組織であるといえる。その理由は、現代社会における学校に関する問題、例えば、い じめ、生徒の不登校、教師の体罰等、を考えると自ずと見えてくる。一般的に組織内部に おける問題が明るみに出て、それに対する批判が社会から起こると、組織は衰退、もしく は存亡の危機に立たされることが多い。例を挙げれば、組織の業務停止・取締役の更迭・. 罰金等の刑事処分などである。しかしながら学校組織は、上述したような組織内部の問題 に対する社会からの批判に屈することなく、今現在も存立し続けており、今後も存立し続 けると考えられる。なぜなら、一般的な組織が存立の危機に立たされるような処罰を受け るのに対して、学校組織においては、当事者本人に対する処罰はあるものの、組織に対し. 3.
(5) ては文書による注意もしくは処分なしというのがほとんどだからである。. ではなぜ、組織内部に問題をはらんでいるにもかかわらず、それを批判されることなく. 済ますことができるのか。もう一歩踏み込めば、なぜ学校組織は、社会的批判を回避し存 立し続けることができるのであろうか、という疑問が湧き起こる。この疑問こそ本研究の. 動機である。もちろんこの疑問は、学校が社会的真空の中にあるのではなく、様々な影響 力を持つ社会的文脈の中に存立しているということを前提にしている。ここで言う社会的 文脈とは、学校に種々の影響を及ぼす社会的環境であり、そこには、全体社会の諸特徴、 学校の属する地域社会、教育制度、学校の歴史や特色、学校組織の構造・権威構造そして 分業体制などが含まれている。. 4.
(6) には説明してくれなかった。. そこで、本研究においては、日本の教育・学校組織存立の原理を、」.W:マイヤーらの新. 制度派組織論に求めることにする。なぜなら彼らの理論は、藤村が述べるように「わが国 の教育・学校組織研究に静かに浸透しつつある」(藤村:1995,p.327)上に、彼らの研究. の基礎であるアメリカの教育・学校組織のみならず、日本のそれについても十分に描き出 していると考えるからである。詳しい内容は以後順を追って述べていくが、ごく簡単に彼 らの理論について説明すると、組織の公式構造をその技術的優越性のみならず、広範にわ たって抱かれた信念システムとして正当化された「合理的神話」(rationalized myth)と. して捉えるというものである。そしてこの「合理的神話」論は、「脱連結」と「信頼の論 理」という2つの論理によって支えられている。. 日本の教育・学校組織存立の原理を「合理的神話」論に求めるということは、これを支 えている「脱連結」と「信頼の論理」という2つの論理も、日本の教育・学校組織におい て成り立っているということを意味する。つまり「脱連結」や「信頼の論理」において説 明される現象が、日本の教育・学校組織においても発生しているということである。しか しながらマイヤーらの理論は、これらの現象の理論的説明のみであって、これらの現象が 何に起因するかについては説明してくれない。したがって、「r脱連結』とr信頼の論理』 は、日本の教育・学校組織においては何に起因するのか」という疑問が生まれてくる。. 本来ならr脱連結」と「信頼の論理」の両方について、これらが何に起因するのか分析 しなければならない。しかしながら、本研究においては「信頼の論理」のみに限定して分 析することにする。. 6.
(7) 日本の教育・学校組織は、社会と密接な関係にある(近藤・有本編:1984および片岡編:. 1989)。なぜなら法的拘束が存在しているといえども、社会はインプットとして子どもを. 学校に送り込み、学校での教育において必要な援助・支援をし、アウトプットとしての卒 業生を受け取る。この過程で学校は、社会の中で必要不可欠な構成要素となったからであ る(小林:1986)。このように社会と密接な関係にある日本の教育・学校組織において「信. 頼の論理」が成り立つ場合、社会構造がそれに関連していると考えるのが妥当であろう。. 社会構造といっても、様々な要素が考えられる。数多く存在する要素が、何らかの形で 「信頼の論理」に関連していると考えられるが、特に、学歴主義による獲得的地位の階層 構造と、高度経済成長期に起こった社会構造の転換が、「信頼の論理」を成立させている. 原因ではないかと考える。なぜなら是正されつつあるとはいえ、現代の日本において高学 歴であることが、経済的な安定や多くの社会的威信を与えてくれる側面があることは、経 験的に理解できるところであろう。また、社会構造の転換によって子どもを教育する機能 を持つ存在が、学習塾や予備校といった特別な形態を除いては、学校以外ではほぼ皆無に 等しいこともまた然りである。. よって本研究においては、「日本の教育・学校組織における『信頼の論理』が、獲得的地 位の階層構造と、社会構造の転換に起因する」ということを、明らかにしていきたい。. 7.
(8) 第3節 本論文の組立. 本研究は、既存の文献資料をもとに、先行研究を整理するという形で進めていくことに する。まず第!章においては、官僚制論、ルース・カップリング論、教師専門職組織論に ついてまとめていくことにする。これらの理論の解釈には、多種多様なものがあり、必ず しもそれらが一致しているとは言えない。よって、本研究においては、日本の教育組織・ 学校組織を取り巻く環境に即していると筆者自身が考えるもののみにとどめることにする。. 第2章においては、よW:マイヤーらの理論についてまとめることにする。筆者の知る 限りにおいては、彼らの理論についての際立った先行研究は見あたらなかった。したがっ. て、彼らの代表的な論文と考えられる、“lns批utionahzed Organizations::Formal Structure as Myth and Ceremonゾ’(Meyer&Rowan:1977)と“The Structure of. Educational Organization8”(Meyer&Rowan:1978)をもとに彼らの理論についてま とめる。. そして、本研究の中心となる第3章においては、日本の学校組織を取り巻く環境的・制 度的条件を明らかにしつつ、日本の教育・学校組織におけるr信頼の論理」が、獲得的地 位の階層構造および社会構造の転換に起因しているか否か、について考察・検討していく。. 本章においては、日本の教育組織・学校組織とそれらを取り巻く環境との関連を中心に展 開していくわけだが、、教育組織・学校組織を取り巻く環境的・制度的条件といっても様々. な要素があり、すべてを完全に網羅することは到底不可能である。そこで、前述した獲得 的地位の階層構造と社会構造の転換に関連が深いと考える、階層社会、産業社会、地域社. 8.
(9) 会、教育行政という要素について、各節で「信頼の論理」との関連を論じていきたい。第. 1節においては階層社会に関連づけ、学歴主義による獲得的地位と「信頼の論理」の関係 について明らかにしていく。第2節においては産業社会に関連づけ、社会構造の転換と「信. 頼の論理」の関係について明らかにしていく。第3節においては地域社会に関連づけ、社 会構造の転換と「信頼の論理」の関係について明らかにしていく。第4節においては教育 行政に関連づけ、学歴主義による獲得的地位と「信頼の論理」の関係について明らかにし ていく。. 以上3章構成による論文である。また、マイヤーらの「合理的神話」論を支える「信頼 の論理」が、日本社会においては何に起因するのかについて明らかにする本研究は、マイ. ヤーらが明らかにしてくれない部分に焦点を当てており、今後の教育・学校組織存立に関 する研究に貢献できるものであると考える。なぜなら、前述したように彼らは「信頼の論 理」について、理論的説明のみでそれが何に起因するものであるのかについては明らかに してくれない。さらに、彼らが研究の基礎としたのは、アメリカの教育・学校組織であっ て、日本のそれではないからである。. 9.
(10) 第工章 従来の教育組織論の検討. 第1節 伝統的官僚制モデル. 一般的に、組織研究は、マックス・ウェーバーの官僚制組織論を摂取する形、つまりそ れを出発点にすることによって展開されてきたことは、よく知られたところである。官僚 制組織には、官公庁を代表とする行政組織、営利を目的とする企業組織、病院や診療所と いった医療組織などがあるが、もちろん本論文で扱う教育組織研究も例外ではなかった。. よく知られているように、官僚制組織は合法的支配体系のもとでの行政機能として登場し てきたものである。そのために正当性の源泉は、制定された法や規則のもとでの在職者の 法的権限にある。このような前提のもとで存在する官僚制組織の構造的特性をまとめると 以下の7項目になる。 1.. 抽象的かつ一般的な法や規則に基づく職務の遂行。. 2。. 職務は機能的に専:門分化している。. 3.. 職務活動のためには、そのための能力を養うための特殊な専門的訓練と教育とが必要 である。. 4.. 職務上の人間関係は没人格的である。. 5.. 権限体系と、それに基づく命令服従の関係は規則に基づき機能的かつ限定的なもので ある。. 6.. 職務遂行者と職務遂行のための手段とは分離している。. 10.
(11) 7.職務は文書を媒介として遂行される 以上のような構造的特徴を持つ官僚制モデルは、組織の青写真とでもいうべき構造化さ れた部分に焦点を当ててきた。例を挙げれば、資源の最適化、顧客の類型化、職務の階層 化、権限体系、分業システム、技術といった組織の公式の部分である。つまり、官僚制モ デルでは、組織はこうした公式構造に従って機能し、調整されることが要請されるのであ る。. 教育組織が、もちろんその末端に位置する学校組織が、こうした官僚制的性格を持つこ とは、つとに指摘されている(麻生:1976)。ビドウェル(Bid:we珪1965,p.947)によれ. ば、学校システムは次の4点で官僚制的構造を持っている。. 1.学校システムにおける役割構造が生徒とスタッフとの役割に分割されることである。 つまり、新たに入学してきた生徒に対し、教員は教育的課題へ、管理職は調整的課題 へと配分されている。. 2.スタッフには、法に基づく保有条件や期間が保障されるとともに、生徒に対しては感 情的に中立な相互作用が要求される。. 3.階層的構造を持つことである。つまり、自由裁量権が上位に委託され、コミュニケシ ョン・ラインが権威構造の中で認知されている。. 4.手続きが規則によって規定され、職務の自由裁量が制限されていることである。 さらに、ビドウェル(ibid.)は、教育組織が官僚制化していく理由は、以下の3点であ るとする。. 1.教育組織が標準的な教育活動の成果を、最低限社会に送り出す責任を負っている点で. 11.
(12) ある。すなわち、教育組織は技術的かつ道徳的な社会化に対する生徒個々人の既習知 識に差異があっても、いや、差異があるからこそ、そのサービスの内容を手順化させ る。. 2.そうした社会化の期間が延長していく傾向にあるからである。教育組織は卒業年限が あがるほど、ますます長期にわたり専門化した教育サービスを提供しなければならな くなるからである。. 3.教育組織がなによりも公的な教育の担い手であるという事実にある。教育組織が官僚 化するのは、教育組織が政府の部局であるためで、国民に対する責任に応えるべきも のであるという政治的な意味が込められているからである。. その一方でビドウェル(ibi{玲は、教育組織がこの官僚制モデルではとらえきれない側 面のあることも指摘している。彼は、「構造的弛緩性」(structural looseness)という用語. を用いることによって、官僚制的特徴を持つ学校における教師の自律性を表現している。 つまり教師の職場であり、生徒にとっては教育サービスを提供される場である教室では、. 教師の仕事は日常的活動においてもっとも切迫した急務から遂行されるから、その仕事自 体が経営的指揮のもとから独立しているのである。またエチオニー(エチオニー:訳1966) によれば、教育組織内における統制の方法は、官僚制組織における統制の方法とは異なる。. それはいわゆる上意下達による官僚制的統制ではなく、栄誉、成績、表彰などの威信の象 徴の操作、教師の個人的な影響、校長との面会といった規範的価値を使用しつつ、服従関 係の副次的な源泉として強制に依存するのである。. 以上より、教育組織、学校組織を官僚制組織論によって捉えることによって、如何なる. 12.
(13) ことが明確になりえたのかをまとめると以下のようになる。 1.. 教育組織は、ウェーバーの理念型的な官僚制組織の特徴を多分に持っている。. 1.職務の専門分化。つまり、教員は教育職員免許状取得者であり、教育的課 題に対して配置される。同様に、事務職員は、公務員試験合格者であり、 調整的課題に対して配置される。. 2.教員や学校の事務職員も、官僚と同じく、顧客に対して非人格的に接する こと、顧客の社会的地位や血縁関係によってサービス内容の質を変えては ならないことが、公平さの源泉となっている。. 3.校長、教頭、主任、教諭といった階層構造を持った組織である。 4. 教育基本法、教育指導要領といった規則によって、職務遂行上の手続きが 記載されている。 II.. 教育組織は、その職務内容が非常に莫大な量であるたあに官僚制化している。. III,. 教育組織は、構造的弛緩性、組織の緩みといった官僚制では捉えきれない側面を持 っている。. 1. 日々の急務に対応するために、教師にある程度の自律性が要求されている。. 2。法に則った正当的統制ではなく、規範的価値を用いることによって統制さ れている。. 13.
(14) 第2節 ルース・カップリング論. 官僚制モデルは、テキストとしての教育組織のある特徴を指摘する上で有益なモデルで ある。しかし、同時にこのモデルは、次の点で教育組織研究に限界ないし曖昧さを残した といえる。つまり、伝統的官僚制モデルの問題は、技術的意味での合理的前提ではとらえ. きれない構造的弛緩性を、組織の残余カテゴリーとしてとらえるため、それが組織全体に どのような意味を持つか説明できない点である。この問題を、組織の全体の存立(survival). という観点から見た場合、官僚制組織として教育組織をとらえることの限界がより浮かび 上がる。官僚制モデルでは、教育組織の独自性から見て、教育組織はきわめて不完全な組 織として過小評価されるのである。. ところが、現実の教育組織は他の組織と比較して衰退するどころか、今日莫大な資金を 投入されて人材を配分するシステムとして存在している。この官僚制モデルには、教育組 織に対する過小評価と過大評価の混同がある。教育組織が、内部での非合理的側面を持ち つつもなぜ均衡を保っているのか、この官僚制モデルでは説明が不十分である。理性的・ 理念的な官僚制モデルの脆弱性が、教育組織において露見したということである。. そこで、こうした官僚制モデルの限界を克服する代用モデルとして、官僚制モデルにお いて残余部分として扱われた組織の非合理的側面が組織の動態として大きく取り上げられ た。組織社会学の分野では、プラウ、マーチとサイモン、ダウンズらによって、官僚制の. 自己調整機能が指摘されている(プラウ:訳1963;マーチとサイモン:訳1979;ダウン ズ:訳1975)。こうした組織の動態に着目する試みは、人間関係的側面の強い教育組織の. 14.
(15) 中で研究が蓄積されていった。たとえば、コーウィンによれば、教育組織にとって目標が 曖昧であることは、確かに公の合意を得にくい面を持つが、むしろ、目標が曖昧であるた めに、そのうちのどれかが達成される確率を高めることができる(Corwin:1974)。その 結果、教師の自律性が確立される。キングが教育組織の存立を官僚制的な側面にのみなら. ず、教師による主観的な状況の決定との相互作用に求めたのも、こうした文脈から解釈で きる(:King:1973および苅谷:1981)。. 近年、こうした組織の動態や弛緩性に着目した研究は、「ルース・カップリング」(緩や かな連結:loose−couphng)と総称され、伝統的な組織の合理モデルに対するオープン・ システムモデルに注1コとして位置づけられている(Scott:1987)。ウエイク(Weick:1976). の研究は先駆的なものである。ウエイクが、ルース・カップリングなる名称で示そうとし たものは、連結される組織の各要素は反応的であるけれども、各々の要素は、それ自身ア イデンティティを保持し、物理的にも理論的にも分離されている、という観察である。具 体的に述べれば、Aという組織の中にX、 Y、 Zという3つの要素が存在するとしよう。A という組織がある職務を遂行する場合、Xだけがその職務を遂行し、 YとZは何の活動も しないということではなく、X、 Y、 Zいずれの要素も各要素に与えられた役割を遂行する. ということである。これは、まさに伝統的な官僚制モデルによる前提ではとらえることの 困難な現実であり、「関係性」のモデルである。特に、ウエイクがこの観察を教育組織に おいて発見したことは注目されるべきことである。. たとえば、学校におけるカウンセリングのための職場と校長のための職場、校長一教頭 のシステムと教師一クラスー生徒一父兄一教育課程のシステムとの問、教育理念と手段の. 15.
(16) 間に何らか共通した変数が見いだせない場合、あるいは、一方のシステムが他方のシステ ムと比較して重要性を欠いている場合、両者は、ルース・カップリングの関係にあるとい. われる。ウエイクによれば、こうした2つのシステムの結合に見るような、限定され、相 互の影響も弱く、時間をかけてゆっくりと反応する緩やかな結合は、一時的、分離可能性、. 暗黙性という特性を持っている。そして、これらの特性が組織をまとめる上で、決定的に 重要な要素となると指摘している(Weick:1976)。. 彼によれば、教育組織に従事している人々を含め組織で働いている人々は、組織につい て理論的に提示されているような合理的事務の例を見いだすのに苦しんでいる。ところが、 研究者は組織のそうした非合理的な側面に気付いてはいるが、組織の曖昧性(uncertainty>. や緩やかな連結に対して消極的なスタンスをとっていると指摘する(jbid.)。それは、組 織は合理的なものだから、それに基づいた合理的分析をしない限り組織を理解できないと. 考えたからである。ウエイクは、組織としての学校を次のような風変わりなサッカーの試 合のたとえで説明する。. 「あなたは、新しい方式によるサッカーの試合で、審判、コーチ、選手、観客の、何に でもなり得る。試合は、丸く仕切ったグランドで行われ、そこにはいくつものゴールがあ る。人々はいつでもゲームに参加したり、戦列から離れることもできる。投げたいときに はいつでもボールを投げることができるし、何回でも『それは私のポールだ』と主張でき る。試合は緩やかな傾斜のグランドで行われ、ゲームは行われる」(ibid.,p.1)。. ウエイクのこのアイディアは、組織の生態学的進化における変異の重要性を示唆したも のだが、合理性に関する研究者の先入観を明らかにした点で、組織研究の伝統的な合理モ. 16.
(17) デルに対するパラダイム転換として位置づけられている(Corwin:1981およびBoyan: 1982)。とりわけ、ウエイクは緩やかさを強調することで、組織研究が伝統的な官僚制モ デルに見られる決定論的な統制メカニズムから解放されることを意図している。そして、. 組織内部の構成要素に自律性を認めて様々な変異(変化、葛藤、エラー)に対処できる組 織化過程として組織を位置づけようとしている(ウエイク:訳1981)。. ルース・カップリングであるシステムが、以下要約する3つの機能の点で、変動する環 境に適応する優れた戦略であると評価されている(田中:1981)。 (1)額面保持。ルース・カップリングによって、組織は、環境の小さな変動にいちいち対. 応ずる可能性が低くなる。たとえば、「当選者」という要素は、アイデンティティと分. 離性を持つが、当事者は任期の間、委任された緩やかな責任によって選挙民の監視か ら保護される。この保護機能が、「当選者」という類型化ないしは額面によって査定を 免れる。. (2)部分的適応による危険の分散。ルース・カップリングによって、組織は部分的な条件. に適応しやすくなる。すなわち、個々の要素が相対的に独立しているから、システム 全体に影響を及ぼすことなく部分的な修正が可能となる。先回りしていえば、この機 能はマイヤーが、アメリカにおける大規模な教育官僚制存立のメカニズムを説明する 際に、〈地方分権(localism)=部分〉とく連邦制二全体〉という政治環境を念頭に置. いたことと関わっている。連邦主義により、名目上、学校は国家の教育システムと地 方のそれとを「脱連結」しておくことで地方の要求に適応した教育が可能になる、と. いう説明がそれである(Meyer&Rowan:1978)。. 17.
(18) (3)自律性。ルース・カップリングされた組織の各要素においては、個々の行為が自律性. を持つ。教育組織における活動は、少なくとも高等教育システムにおいては、この自 律性が特筆される。教育と研究活動における大学教員の自律性によって、個人の自由 裁量の余地が多くなり、個人の曖昧な活動が正当化される。. ところで、ウエイクがルース・カップリングという概念で示したもう一つの重要な示唆 は、緩やかに連結した組織がなぜ安定したまとまりを見せるのかという点である。緩やか に連結した世界は、ある意味で奇妙な世界である。それは決して強固に連結されていない ものの、秩序を持っているからである。. 問題は、こうした緩やかな構造が、いかなる要因によって社会的な現実味があるように 構成されているのか、いかなる条件の下で組織が緩やかな結合として存立するのか、を明 らかにすることである。この点については、ウエイクが組織進化論の立場から、変異、淘 汰、保持という3つの組織進化の過程によって組織存立のメカニズムを明らかにしている。. だが、ウエイクの所論には、彼らの組織化のアイディアに見られるように組織の構成要素 を特定化しない象徴的相互作用論E注2コの影響が読みとれるが、マイヤーとの違いは、 ウエイクがあくまでも方法論的個人主義⊂注3]にたっている点である(ウエイク:訳1981)。. 緩やかに連結した組織を個人ではなく、なぜ社会が認めるかは、次章において述べるマ イヤーらの「合理的神話」論に有益な示唆があると思われる。だが、その前に、ルース・. カップリングを、〈従属変数〉として扱うこと、すなわちルース・カップリングの規定条 件を探ることによって、教育組織の特徴を析出する有益な枠組みが提示される。そして、 その枠組みはマイヤーの描き出す教育組織の特徴とも重なっている。. 18.
(19) 一般に、ある概念が打ち出されるとそれは説明変数として扱われる場合が少なくない。 この場合、組織はルース・カップリングの機能の点で分析される。ところが、ルース・カ. ップリングを従属変数として扱うことにより、我々は、どのような条件の下で組織の各要 素が分離したり、結びついたりするのかを議論することができる。すなわち、従来からい われてきた組織構成要素間の緊密な結びつきであるタイト・カップリングも変数として組 織の分析に用いることができる。そこで、さしあたり問題となるのは、組織のどの部分で 「タイト」なあるいは「ルース」な結合を見せるのかという点である。. 初期オープン・システム論者、トンプソンによれば、タイトな結合は、組織の実際的活 動を行う技術的中核にある。そして、これと分離しつつ技術的中核を支援するのが、意味 や正当性を付与された、デリケートな構造を持つ制度レベルである(Thompson:1967)。. トンプソンは、あくまでも組織の効率的技術的過程を、組織の第一義的目的として重視す る。. ところが、教育組織を扱うウエイクの場合、トンプソンの位置づけとは逆になっている。. すなわち、教育組織の場合、タイトな結合は制度レベルたる「資格」である。「資格」は 一般に、〈誰〉が実際に何をするのか、〈誰〉が行為できるのか否かを決定するものであ る。教育組織が、ウエイクにしたがって緩やかな組織だとすれば、すなわち組織内部では 実際の活動に対する評価の基準が曖昧で何ら統制がないものとすれば、緩やかに結合した 要素がそれでもまとまりを示すのは、「資格」への信頼に他ならない。「資格」により、組 織外部との間に理解や正当化された意味を組織は取り込むことができる(Weick:1976)。. だとすれば、我々は、スコットが組織環境の概念を制度的環境と技術的環境に区分した. 19.
(20) ように(Scott:1987)、以上の従属変数としてのルース・カップリング論から組織の分析. 評価(査定). Tight. :Loose. Tight. 王. Loose. 皿. ∬(教育組織). 資格. w. 図1−2−1 資格と評価による組織の分類枠組(Soo枕:1987,p.126). 枠組を手することができる(図1−2−1参照)。制度=「資格」の厳しさの程度を1つの軸と. して、これに「評価」の軸を加えて組織一般の分析枠組を作ることである。むろん、この. 種の枠組がいつもそうであるように、2つの軸は相互に排他的なものではなく、連続的な 分析枠組である。教育組織はタイプ聾に該当するが、それは「資格」においてタイトな統 制がなされ、かつ「評価」においては緩やかな統制がなされるからである。 ロワンがアメリカの学校改革の文脈で、教育技術(educational technology)の特性を整. 理したのも、こうした教育組織一般の特徴にある。ロワンによれば、教育技術は送り込ま れる教師の資格において評価されるのであって、生徒の輩出や教育活動の過程に対する評 価ではない。だから、こうした直感的性格を持つ教育技術を前提にする限り、教師の力量 を合理的に向上させようとする改革運動は挫折することになるという(Rowan:1991)。. 以下、先廻りしていえば、マイヤーらの組織の制度モデルの特徴は、教育活動に見られ るように、組織の技術的な実践の結果を効率といった市場的価値からは査定しにくい組織. 20.
(21) 環境に、焦点化した議論であるといえる。それは組織の評価を輩出されるものの量や質か ら分離しつつ、社会環境のルールや定義から正当性や支持を取り付けるような現代の教育 組織の特徴である。. 21.
(22) 第3節教師専門職組織論. 前節までは、教育組織研究の二大パラダイムの一方である、教育官僚制論及びその問題 点を克服するための理論としてのルース・カップリング論について整理・検討してきた。. 本節においては、もう一方のパラダイムである教師専門職組織論について整理・検討して いくことにする。. 教師専門職組織論について整理・検討する前に、まず一般的な官僚制の論理と専門職の 論理の違いについてまとめてみよう。官僚制は、前節までに述べたので省略することにし て、いったい専門職とはいかなるものであろうか。その定義は様々であるが、その概略を 整理すると以下の4項目になり(岡崎:1986)、このような条件を満たす専門職にいかな るものがあるかというと、医師、弁護士、検事、学術研究者などをあげることができる。 1.高度な知識・技術を必要とする仕事。. 2.長期で特別の教育訓練と不断の自己研修が求められる仕事。 3.社会的になくてはならない、公共性の高い仕事。. 4社会的に高く評価される仕事。. この2つの論理は、相対するものとして理解される。これを職務の標準化、専門化の基 礎、権威:について、2つの組織モデルとして類型化すると、以下の図1−3−1となる。また、. この2つの論理は、全く異質なものとして捉らえられているのではなく、原理的に連続性 のあるものとして理解されている(図1−3−2参照)。. 以上簡単ではあるが、官瞭制と専門職との比較を行ってみた。では、学校における専門. 22.
(23) 官僚制型組織 専門職型組織 職務の標準化. 1.クライアントの同質性・共通性を強 @ 調する。 Q.記録・帳簿や先例を強調することに @ よって、組織の連続性と安定性を強 @ める。 R.どんな場合にも適用する規則、ある @ いは細かな規則。 S 人間関係はインパーソナル。職員は @ 相互に互換的なものと見なされる。 T.管理者が必要と考えた仕事を行う。. 1.クライアントの個人的差異に注目す @ る。. Q.研究によって知識を増進し、技能を高 @ め、多様性や変化に対応しようとする。. R.選択の余地のある規則、あるいは大ま @ かな規則。. S.職員は強固な人間関係、チームワーク @ を展開する。 T,各人が必要と考えた仕事を行う。. 専門化の基礎. 1.能率を強調する。課業志向(仕事の. 1.目的の達成を強調する。クライアント. @ 遂行が中心)。. @ 志向。 Q.主として理論に基づく技法。. Q.主として実地に基づく技能、熟練。 R.規則を日常の問題に適用することに @ 関する決定。. R.専門的方策および個々のユニークな問 @題に関する決定。 権威. 1.代表制管理。. 1.懲罰中心の管理。 Q.組織や上司に対する忠誠。順位に由 @ 来する権威。支配一服従関係。 R.公衆による裁定。. Q.専門的団体やクライアントに対する忠 @ 誠。個々人の能力に由来する権威。敬 @ 意による権威の受容。. R.強力かつ公認の専門職団体による裁 @ 定。. 図1−3−1組織モデルの2類型(伊藤:1970,p.p.111−112). B・高. 官僚制. 専門. P・高. ・原理. 理. P・低 注:P…専門職原理. B…官僚制原理. B・低 図L3−2組織原理(名越:1986,p.129). 23.
(24) 職組織論とはいかなるものなのであろうか。現代の学校は、近代国家による公教育制度と. して出発し展開されてきた。その成立とともに、有資格教員という専門的職業が新たに生 まれ、彼らは官僚制的な教育組織のなかで、その職業活動を遂行することになった。ここ に教員は、一方で国家の規則に縛られ、他方ではその直接の対象となる生徒と親に対して、. 専門職としての使命を果たすという二重の責任を負うことになった。学校組織は、そのシ ステムとして官僚制を採用し、それをもとに確立されている。このシステムとしての官僚 制は、大規模な学校組織を維持・運営していくためには必要不可欠であり、不変であった し、今後もそのように考えられる。教師は、このような組織環境のなかで、彼らの専門的 知識・技能を駆使し、生徒を教育し、生徒と親からの信頼を得ようとするのである。もち ろん、教師が彼らの職務を達成するためには、生徒個々人の個性に対応しなくてはならな いので、臨機応変な対応、つまり教師の専門職的自律性が発揮されなくてはならないので ある。換言すれば、教師専門職組織論とは、学校という官僚制組織内における教師の専門 職的自律性に関する議論である。この教師の専門職的自律性に関して、2つの議論がなさ れている。以下それについて整理することにしたい。. 専門職的自律性は、専門的知識や技術の水準と切り離して考えることは不可能である。 高度な専門性ゆえに、人々はそこに権威を認め、信頼し、業務を委託するのである。しか し、ステネットによれば、「専門的自律性が、完全な独立とか主権を意味しているわけで はない。そうではなく、それは業務が能率的に遂行されるところへの責任の配分であり、 主権者または当局による専門家集団への権限の分化を意味」(Sthmet:1968,p.276)して. いる。そしてそこには、完全な独立ではなく、相対的な自律としての専門職的自律性が想. 24.
(25) 定されているのである。. ステネットと同様市州も、専門職の権限は、前もって委任された権限というよりは、専 門的技術性に基づくものと考えられるべきという前提にたったうえで、「教育に関する教 師の専門自律性も、決して公衆の教育関心を無視したり、教育に対する正当な統制権限ま. で否定するものではなく、むしろ公衆との問の正しいパートナーシップを確立していくこ とに他ならない」としている(市川:1969,p.36)。そして専門職にとっての自律性とは、. 厳密に専門職的性質の事象を管理するための、専門職集団に認められた権i限と責任を意味 するという、見解を示している。. 以上のような、教師の専門職的自律性といっても、その内容は相対的な自律性であると いう自律性論は、「機能論的自律性論」(名越:1986,p,221)と呼ばれている。では教師. の専門職的自律性に関するもう一つの議論とはいかなるものか。勝野は、教育専門職の理 論は、専門職の自律性をめぐる理論であり、教員集団の教育権をめぐる理論であると捉え たうえで、次のように述べている。. 「教育専門職の理論は、『専門職労働者』理論を基礎に据えて、そこから一定の理論的 必然性をもって、『教育専門職労働者(集団)』には、『専門職の自律性丑が保障されてし かるべきである」(勝野:1976,p.14)。勝野によれば、教育専門職である教員の社会的存. 在は、賃労働者であり、この賃労働とは、国家資本に専門職の自律性の保障を期待するこ とは見当違いであり、教員自身の力でこれを確立していく以外にない、と主張する。. さらに彼は、自律性をめぐる教員と行政や立法との関係について、次のような認識をし ている。教員に授権された権限は、教育に「直接責任を負う」者であるがゆえに享受せざ. 25.
(26) るを得ない、譲り渡すことのできない専門職的権限である。換言すれば、相手の人権保障 に対して直接的な責任を負わざるを得ないために生じた専門職的権限、ということである。. 従って、教員集団の専門職的権限は、行政や立法に対して、その不可侵性を主張すること ができるということになる。. 以上のことから、先にとりあげた「機能論的自律性論」の立場が相対的な自律性に関す る議論であったのに対して、このような議論は絶対的な自律性に関する議論であるという ことがいえる。このような立場は「葛藤論的自律性論」(名越:1986,p.222)と呼ばれて いる。. 以上のような教師専門職組織論は、自律性について、どちらの立場をとったとしても官 僚制論に対峙する理論として理解されてきた。具体的に述べれば、前述したような「効率. の論理対教育の論理」というものである。しかしながら、少し先回りして、マイヤー らによれば、教師専門職組織論は、官僚制をその基礎とする彼らの理論を補強するものと して考えられている。つまり彼らの理論が正しいと考えれば、「教育組織・学校組織に適 合する理論は官僚制論と教師専門職組織論はどちらか」といった論争は発生するはずもな く、これらの理論の優劣を議論することは無意味であろう。したがって、マイヤーらの理 論を中心に進める本論文においては、いずれかの理論を排除し、もう一方の理論のみを視 野に入れるということはせず、両方の理論を視野に入れなくてはならないと考える。. では、マイヤーらの理論とはいかなる理論であるのか。その詳細について次の第2章に おいて述べたいと思う。. 26.
(27) 第2章「合理的神話」論における「信頼の論理」. 第1節 「合理的神話」とは. マイヤーらは、教育組織を緩やかに連結したシステムと捉えており、これは前章で述べ たウエイクと同様である。すなわち、組織を緊密なネットワークではなく、「隙間」や「逃. げ場所」も存在するナチュラル・モデルとして捉えている。そして、マイヤーらの議論が ウエイクのルース・カップリング論を発展させた理論であるといえるのは、現代の巨大な 教育組織を考えた場合、伝統的な官僚制モデルと同じく公式の部分が必要不可欠であると. いう前提にたったうえで、組織の公式構造が、従来の官僚制モデルの前提とする純技術的 な意味での合理性や優秀性とはある意味において関係なく生じていると捉えているからで ある。. この組織の公式構造に対する注目は、実際には中央集権化を欠いたアメリカの官僚制の. 分析を基礎としている(Meyer&Rowan:1978およびScott&Meyer:1983)。そして理 論的には、バーガーとルックマンの知識社会学[注4コに依拠し、組織存立のメカニズム を解明しようとしたものである。バーガーとルックマン(バーガーとルックマン:訳1987) は、人々を取り巻く現実は個人によって認知され、解釈され、意味づけられ、秩序づけら. れた環境であると見なす。つまり、人々の持つ知識や常識が社会的現実を構成し、人々の 社会活動それ自身が知識の産物であると見なすのである。 マイヤーらによれば、組織の公式構造は「合理的神話」(rationahzed myth)(Meyer&. 27.
(28) Scott:1983,pp,265)に他ならない。ここで組織の公式な構造が「合理的」であるといえ. るのは、それが必ずしも日々の活動に対して有効に機能するからではない。公式構造での 実践に、曖昧ではあるが何らかの組織目標が規定されており、組織においていかなる活動 が遂行され、どのプログラムが採用されるのかという文化的に決定された手段と目的の因 果的連鎖が記されている限りにおいてである。. 同時に、組織の公式構造が「神話」であるといえるのは、近代社会においては公式構造 それ自体が、何よりも役柄と演技という実質的な意味を持たない存在として誰の目からみ てもわかるからである。しかしながら、公式構造には広く近代に共有された信念、すなわ ちマイヤーらがいうところの、「進歩」と「公正」に向けての合理化についての共通の了 解が「超越的」かつ「普遍的価値」として与えられている。したがって、少なくともその 構造を決定する資格と権利を持つ他者によって、それが真実であると信じられている。だ からこそ、組織の公式構造は「神話」なのである。. もっとも、マイヤーは公式構造が、近代社会において実体的な意味で合理性を失ってい ると述べているわけではない。それどころか、近代の組織社会はたいへん合理性に満ちて いるという。しかしながら、マイヤーが注目するのは、「社会のあらゆる面での合理化そ れ自体が、組織の公式構造の合理性を制約し、抽象化する」(Meyer&Scott:1983,p.269) という事態である。. そこで、マイヤー(ibid.)によれば、公式の教育組織の有効性に関する我々の信念も、. 以上のような「合理的神話」のようなものとして理解される。すなわち、教育組織の公式 構造は、一方で個入の能力や技術を同定し標準化するものとして了解される。重要なこと. 28.
(29) は、公式構造が実際の各個人の能力の真偽や有無を確認することなく、各個人の地位、そ. の地位に伴う役割と責任を定義し、個人についての信念にも影響を及ぼすことである。つ まり、個人の身体性が他者の承認によって編み変えられるのだが、公式構造にこそ、廣松 の主張する「役割一配備一演技一構成態」(廣松:1991,P.166)が存在するということで ある。. だとすれば、資格とこれに対する査定との問には乖離が存在する。これは明らかに無秩 序な状況を呈しているといわねばならない。資格とそれに対する査定が一致している限り において合理的なはずの教育が、実は神話のような機能を果たしているということである。. さらにいえば、社会の公式構造は、学歴ないし資格という「制度化された教育」、すなわ ち社会的に構成されている信頼関係によって存立しているということである。. ここに公式の教育組織の「合理的神話」論が成立する。実際、我々は、現代社会におい. て教育組織の公式構造が、儀礼的に機能していることを知っている。例えば、10年前に 大学を卒業し、教師の資格を得たものは、その能力の有無に関わらず、現在も法的かつ社 会的に大学卒であり、教師の資格取得者であると他者によって了解され続ける。この意味 で、「学歴と資格」は、本質的に個人の能力にはある意味において無関係な永続的な儀礼 効果を持つといえる。. 儀礼は制度の原初形態といえるが、こうした「合理的神話」論をマイヤーらが唱えるの は、彼らの属する新制度学派の知識社会学的な組織環境の捉え方に理由がある。この組織 環境を「制度化されたルール」(Institutionahzed rules)(Meyer&Rowan:1977,p.341). という概念でもって彼らが定義づけるのは、. 29.
(30) (1)実際的行動的次元とは厳密に区別されるもの (2)分類や解釈として社会の中に組み込まれているもの (3)公的な信念や法により支持され、自明視されているもの. (4)規範や義務を伴い、行為者により考慮に入れるべき事実として社会生活の中に入り込ん. でいるもの を意味している。つまり、この「制度化されたルール」という概念は、組織の外部だけ、. または内部だけに存在するというものではない。むしろ、組織内部の関係者により、「い まここにある」べきものとしてきわめて浸透的かっ現象学⊂注5コ的な概念として位置づ けられている。要するに、部分つまり要素が全体つまりシステムであり、全体が部分の集 合であるということである。しかも、ここでいう全体は何ら実体的なものである必要はな い。. このような「制度化されたルール」は、制度の持つ創発性の故に、社会の中で公式の教 育組織を容易に作り出すことができる。例えば、今日の情報化社会においてコンピュータ に関する知識が必要不可欠であるという公の信念が作り出されると、これに関係するプロ グラムが法的にも制度化される。そして、正当な資格を持つと見なされた教師、生徒、公 的に採用された教育課程が、教室という公の場の中に集められ、学校という制度的分類が 構成される。そして、一度制度化されると、実際には何が教育されるのかについては、検 査や評価をされることはほとんどない。しかし、外部を周到に内部化したこの公式の一覧 表こそが、教育行政機関の合意をとりつけるのである。こうして先に述べた「合理的神話」 とは、「制度化されたルール」(文化的環境)が投影されたものであるといえる。. 30.
(31) マイヤーは、この点について次のように述べている。. 社会における合理化された制度的構造の成長が、フォーマルな組織をより一般的か つ精巧なものにする。そのような制度が、フォーマルな組織をより簡単に創造する ようにし、より必要性の高いものにする神話なのである。例えば、建物のブロック. は、社会的風景といってもいいほど我々に馴染んでいる。ブロックを集めて1つ の構造を組み立てることには、それほどエネルギーを要しない。しかし、ここで大 事なことは、こうしたブロックを使うことは、正しく適切であり合理的でしかも必 要なものと考えられている点である。そこで、建物はこうしたブロックを使わない ことについての批判を回避するために、それを取り入れなければならなくなる。ブ ロックを使用すること、換言すると「制度化された環境」には、「合理的神話」が 写像(同形化)されていることになる。詳しくいえば、建物とは、ブロックの持つ 直接的なネットワークによる効用よりも、合理的に組織化しようとする必然性、機. 会、そして衝動によって作り出されたもの、とも考えられるのである(Meyer& Rowan:1977,p.345)。. 31.
(32) 第2節 教育組織「神話」の起源. それでは、いかなる過程を通ってこのような「合理的神話」が教育組織の中に生まれる. のであろうか。マイヤーとロワン(Meyer&Rowan:1977)によれば、社会の合理化の 解釈に関わる3つの過程が存在する。. 第1は、官僚制組織の拡大それ自体にある。ウェーバーの官僚制論においては、組織の 規模が拡大し、事務の範囲の外延的・量的な拡大と、その内包的・質的な拡大と内面的な 展開が、官僚制化の前提であった。そこでは、官僚制のもたらす合理性の高さとそれのも たらす威信や権威にこそ、官僚制の、より広い意味で考えると社会の合理化の正当性があ. ったはずである。しかし、新制度主義者のパウエルとディマジオ(Powe■&DiMaggio: 1983)によれば、一度走り出した20世紀後半の官僚制化のエンジンは、ウェーバーが「鉄 の濫」として悲観的に表現した実質的合理性(科学技術)から正当性へと修正されてしま った。官僚制、なかんずく統治に関わる行政官僚制やプロクェッション組織がそうである。. そこでは、複雑な手続きを標準化し、道義的な匿名性を与えてくれる認証を必要とする(バ ーガー他:訳1978)。. その結果、資格や免許といった認証による匿名化、すなわち資格や免許によって人間を 類別し個人的差異を無視すること、が進行する。それはまた、業種に応じた実効性からで はなく、類似した認証を有する人を採用する同形化がみられるのである。この同形化の概 念は、シュッッのいう「料理本的知識」、ないしは「直接の知識」とほぼ同じである(藤 村:1995)。官僚制機構では、誰もがほぼ共通したイメージなり名目をもてる方が便利だ. 32.
(33) からである。この意味で、官僚機構に埋め込まれた「資格」による委任や契約の中には、 神話に似た現実を維持する過程が存在するといえよう。. 第2の「合理的神話」興隆の過程は、国家の持つ集合的権威に求められる。国家が社 会生活のあらゆる部分に浸透するにしたがって、人々を市民としてまた責任ある合理的な. 個入として社会的、政治的、そして経済秩序に組み入れるための教育システムが確立され てくる(ベンディクス:訳1981)。そうなると教育は単なる生徒と教師の間の私的で恣意 的な関係ではなくなってしまう。つまり、教育は、国家建設のためにナショナリズムとい う集合的アイデンティティを創り出すものとして了解されるのである。. このような社会的背景のもとでは、教育とは、合法的教師が、字句通りの正当化された 教育課程を正当な教育理論に基づく教授法で教えるという一連の合法的連鎖の上に築かれ たものと見なされる(Meyer:1980)。そして、その合法的連鎖の各部分で、特に義務教 育において、生徒は実際の能力の有無とは無関係に「卒業生」として合法的に分類され、. 教育が運用可能な標準化された通貨となるのである。「例えば、6年生は5年生における 課程を習得したということを、必須条件としなければならないように見えるかもしれない。 しかし実際は、生徒たちがどれだけ習得したかにほとんど関係なく、彼らは進級していく」 (Meyer&Rowan:1978, p.82)のである。. 第3の過程は、この集合的権威を獲得しようとする経営者の戦略にみることができる。 大学に限らず、多くの教育組織は、組織外部の集合的権威から設置認可をもらう。ところ が、組織外部にそうしたお墨付きによる明示的な権威が得られない場合、経営者は、組織. 内部に様々な儀礼的行為を行うことがある。カメンス(Kamens:1977)によれば、エ. 33.
(34) り一トを輩出することをもって自認する学校は、その卒業生が在学中エリートにふさわし. い訓練を受けてきたかのような印象操作を行うのである。例えば、選抜を激化させ、教養 課程を提示し学寮制を採用する。また、技術的な専門家を養成する大学は意図的に多様な 職業課程を構成し、複雑な単位認定制度を採用し、さらに男女別学にすることがあるとい う。特に、寮生活の及ぼす劇的効果は小さくない。寮が象徴的に権i威の主体を親から学校. へ移行させて、学校側に権威が宿ることを明白にする。つまり、それは大学側に学生のア イデンティティを付与する能力があることを再認識する戦略といえる。. また、かつてエリートを輩出していた大学は、自らの典型的な卒業生の類型に注目する ことにより、学生・教師の心性の中に、伝説・儀式・大学の雰囲気・伝統といった集合的 権威の根拠を見いだした。もっとも、「マイヤーによれば、大学が自らの伝統の中に正当 性を見いだしていく努力は、アメリカのような一次元的評価基準を持たない、いわば外的 な認証の弱い社会の特徴であるといえるのかもしれない」(藤村:1995)。. このように、マイヤーら(Jepperson&Meyer:1991)によれば、組織の拡大と複雑化 に伴う一般化と抽象化、集合的権威の興隆、そして経営者の戦略の中に、教育組織の「合 理的神話」出現の過程を跡づけることができるという。このうち、その後のマイヤーらの 展開で強調されていくのが、集合的権威による「合理的神話」の形成である。それは、教 育組織のみならず、広く公式的な組織の存立が、合理化のプロジェクト遂行のために自明 視された手段と目的ないしは機能を備えた近代の政体(polity)による「定義」を欠いて は説明できないと考えているからである。. 34.
(35) 第3節「合理的神話」論の3つの効用. いずれにせよ、前節のような「合理的神話」論の公式の教育組織にもたらす確信は》次. の3点の現実的効用として生まれる(Meyer&Rowan:1977)。 第1の効用は、分類効果である。教育組織は、社会の中に共有された信念(例えば、資 格付与)を取り込むことにより、組織内部の活動に対する懐疑を防ぐためのまじめで合理 的な説明を準備できる。例えば、「エンジニア」という分類により、いかなる個性を持つ 人が実際何をするのか知らなくてもよい。「エンジニア」という組織言語によって「脱肉. 化」されることで、エンジニアは何か特殊な問題を解決するのだろうという相互了解が得 られるからである。こうして教育組織は、日々の活動に言語的分類をすることで、その活 動が慣習的なものとなり組織内外の人々からの委任を高めることができるのである。. 第2の効用は、外的評価の採用である。経営者が、威信の高い人物や機関のお墨付きを 取り付けようと政治的な行為にでることがある。このことで、組織の信用や社会的地位を より好ましいものにすることができる。ガービン(Garvin:1980)が、非営利(non−profit). 思考の組織としての大学の行動原理を、大学の威信、学生の質といった効用の最大化に求 めたのも、「合理的神話」の経済的効用に気付いてのことである。大学の昇格運動がそう. した実践である。こうした認証の調達によって、組織は外部からの投資、信用、そして威. 信を容易に得ることができる。会計学とは、マイヤー(Meyer:1986)によればそうし た正当性を環境から取り付けるために生まれたのである。. ところが、逆に、経営者がそうした外的評価基準を無視したり、独自の構造をもうけた. 35.
(36) りすると、組織は、内部の教育活動に関する正当な説明を欠き、評判を落とすことになる。. 例えば、ある教育問題に妥当と見なされた指導を行わない場合、経営者は正当な手続きを. 怠ったという批判を免れることができない。こうした正当性から逸脱すれば、社会から理 解が得られず、組織の存立が危ぶまれることは必至である。これは要するに、経営者は何 が正当な経営理論と実践であるのか、についての社会の言語ゲームに参加せねばならない ということであり、外的評価に感応しゃすく傷つきやすいということである。. 第3の効用は、何よりも組織の安定である。教育組織が外部の権威を得ようとすること は、上位システムに適応(adaptaもion)することに他ならない。教育組織は、国家にせ よ、私的な連合にせよ、こうした上位システムと結合することで組織の複雑さが縮減され る。そして、教育技術、目標、課題、そして評価など教育組織固有の多様性や曖昧さから 生じる制裁が回避できるのである。. 以上、3つの効用に支えられて、一応、教育組織は存立(survival)するとマイヤーら は理解するが、こうした理解の方法はまさに上位の安定した合理的神話という普遍的カテ ゴリーに下位システムの存立をみる構造機能主義E注6コ的認識に他ならない。. 36.
(37) 第4節 乖離解消のための「脱連結」と「信頼の論理」. 前述したような「合理的神話」論は、教育組織の日々の活動の中で直面する実効性と矛 盾する。教育組織の存立には、なお、次のような基本的な問題が残されているのである。. それは、組織の儀礼的活動が、一般性のレベルで決定されるのに対して、日々の教育実践 がきわめて特殊な個々の状況に左右される現地化(locahzation)の問題である。例えば、. 中央で決定された教育課程が、現場の状況と合致しない場合である。あるいは、普通教育 という理想論的ともいうべき教育目標と受験体制による業績志向的な目標、具体的には、 習熟度・進路別編成との乖離の問題である。これらの点については、マイヤーら自身(Meyer. &Rowan:1977)が日々の教育活動と「合理的神話」との乖離解消に関する戦略を提示 している◎. その第1の戦略は、「脱連結」(de−couphng)である。つまり、額面と実体とを一致さ せようとすれば、矛盾が露呈するから、両者の問に意識的に緩衝(buffbr)を設けること である。具体的には、管理と教育、教育課程と教育成果とを切り離すことである。この「脱 連結」により、教育組織は、. 1.日々の教育活動から生じる不安から額面を守ることができる。そもそも教育に関わる 価値の多くは、教授行為の効率性とはなじまない性格のものが少なくない。「脱連結」. により、額面維持に実際にかかるコストを削減できるし、教育組織内部あるいは現地 で生じる障害を組織全体に波及させることなく局部的に対応できる。. 2.したがって、教師による自己決定の余地があるから、教師への委任を高めることがで. 37.
(38) きる。. 3.環境で生じる些細な変化や、外部からの相矛盾する様々な要求に組織全体として対応 する必要がなくなる。. こうして、「脱連結」することにより教育組織はその公式構造を実際の活動から分離す ることにより、儀礼的分類の有効性に関する不確実性を曖昧なままにしておくことができ るのである。. ところが、このような「脱連結」の戦略によって、教育組織の存立は一見成功するかの ように見える。だが、ここにはきわめて危険な内部矛盾ないしは無秩序な状況をはらんで いる。すなわち、組織内部において、日々の教育活動が額面と一致しないとき、あたかも. 一致したような虚偽が組織内の人々に要請されるからである。例えば、たとえ教育成果が 上がっていなくとも、教師にはそれが十分に達成されているようなふりをすることが要請 されるのである。この点で重要なのは、非公式な人間関係の持つ調整能力である。従来、. 官僚制モデルでは、非公式な人間関係は組織の逸脱として扱われてきたが、その後、グー. ルドナー(グールドナー:訳1963)の構造緊張モデルにおいて、当局と交渉する下位集 団として積極的に取り上げられた。しかし、「合理的神話」論では、組織の非公式構造こ そ公式構造を額面通りに機能させるものとして関係づけられる。それは、ゴフマンやガー フィンケルらエスノメソドロジー[注7]の立場をとる研究者たちが観察したように、状 況が合理的であるように努める人々によって組織の秩序が創り出されるのである。その結 果、組織内部での論争と葛藤が回避できる面も多いであろう。. しかし、組織内部での調整は可能だとしても、組織外部との関連を考えると、マイヤー. 38.
(39) らの「脱連結」の考え方には大きな逆機能がはらまれている。例えば、「脱連結」の陰に は教育組織の何が温存・隠蔽されているかは、組織外部の人には理解できない。さらに、 組織個体群エコロジー(population ecology of organization)〔注8]という立場をとる. ハナンとフリーマン(Hannan&:Freeman:1989)が批判するように、マイヤーら制度 的同形化説のシナリオ通りに組織が存立するのは、比較的短期間で外部環境に競争がない. という制約された条件下にすぎない。だからペロー(Perrow:1985)がいみじくも批判 するように特に制約された資源環境にある場合、外部の人々には、組織内部の人よりも大 きい忍耐や葛藤を強いられる。その結果、教育活動の中で生まれた事態の重大さに気付く のが遅くなる場合もあり得る。 ここに、マイヤーらの第2の戦略である「信頼の論理」(logic of co㎡idence)(Meyer&. Rowan:1977,p.357)が、換言すれば外部からの組織への信頼関係が強調される。この 「信頼の論理」は、ルーマン(ルーマン:訳1990)がシステム分化にともなう複雑性を 縮減するメカニズム、とりわけ時間を超えてシステムの安定性をはかる機能として捉えた こと、未開人にとって魔術師の呪術的な手続きの意味が隠されているとウェーバー(ウェ. ーバー:訳1984)が看破したことと相通ずるものがあるであろう。 すなわち、実際的活動を統制し査定しなくても、学校では教育をしているように見なさ. れるのは、柳(柳:1991)の指摘するように学校という機械原理特有の不可視性による ものであるにしても、何よりも教育を支援する人々の信頼ないし誠実さによっているから である。つまり、額面に対する誠実な配慮であり、経験的実効性がなくてもあるものとし て了解する人間の結びつき方である。. 39.
(40) こうした誠実さは、委託、専門家、目標の回避、自由裁量、看過、寛大さとして、組織 内部の人々にとどまらず、外部の人々によっても実践されている。それはゴッフマン(ゴ. ッフマン:訳1981)が「額面保持」と呼んでいることである。つまり、他人の額面もし くはアイデンティティーを維持する過程、組織それ自身の多元性を維持する過程である。. そしてそれは、困った出来事を避け、幾人かの行為者による信じられないほど分裂した行 為遂行から、組織を守ってくれるのである。. 例えば、教育においてこの「信頼の論理」がもっとも明示的になるのは、教師の専門職 性である。大学の教師さえ、教師としての訓練を受けていないにも関わらず、教師の専門 職性に対する信頼が保障されている。それは、:専門職主義に対する信頼により、教師の教. 授能力を実際的な能力の点で査定することから生じる実効性が吸収され、額面が維持され るからである。この意味で、教師の専門職性は、教育官僚制と矛盾するものではない。む しろ、前者は後者の存立にとって必要な説明を準備すると解釈されるのである。それにつ いてマイヤーらは、「教師の専門職主義の神話が、教師に位置づけられた信頼を正当化す ることを助け、そして教育組織における子供と教師の能力の不確かさを和らげることを合 法化することを助けているのである」(Meyer&Rowan:1978,p.104)と述べている。. だとすれば、学校という1個の組織構造にとって、この「脱連結」と「信頼の論理」は きわめて都合がよいことになる。例えば、教室のドアの向こうで何が行われているのかに ついて、外部および社会と遮断されているという事実がある。伝統的官僚制モデルではこ の教室を「構造的弛緩性」もしくは「残余カテゴリー」という用語で説明し、もっとも経 営困難な部分としたところである。しかし、孤立した教室という世界でこそ教師の専門職. 40.
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ハイデガーがそれによって自身の基礎存在論を補完しようとしていた、メタ存在論の意図
戦後考古学は反省的に考えることがなく、ある枠組みを重視している。旧石 器・縄紋・弥生・古墳という枠組みが確立するのは
従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ
ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を
このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本
学校に行けない子どもたちの学習をどう保障す
このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた