はじめに 生体部分肝移植(以下,生体肝移植と略)とは, 生きた健康なドナー(臓器提供者)の肝臓の一 部を摘出し,肝機能不全に陥ったレシピエント (臓器受容者)の肝臓のすべてを取り除いて移植 する先端医療である。本研究の目的は,夫から 妻へ夫婦間の生体肝移植の事例において,妻の 余命告知から終末期の時間軸上におけるドナー の意味付与が,どの時間軸上で,どの関与者, どの要因によって肯定感から否定感に変化した のかについて明らかにすることである。 この事例を紹介する理由は,レシピエントが 終末期にいたるまではあらゆる面で理想的な肯 定的モデルであった。だがレシピエントが終末 期にいたったとき,ドナーの語りは否定的に変 化し,私の立ち位置からみて非常に残念な結果 となった。たとえレシピエントが亡くなっても ドナーが肯定的に受けとめる方策を考察するの に適切な事例として A さんの事例を紹介し考察 する。 Ⅰ.私の立ち位置 私は看護師の立場で移植医療になんらかの形 で約 20 年間かかわってきた。私の立ち位置は患 者から依頼を受けたわけではないが,患者の問
原著論文
生体肝移植後終末期の医療的フォロー体制の重要性
―ドナーの肯定感が否定感に変化した事例から―
一 宮 茂 子
(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 本稿の目的は,A さんの事例を通じてドナーの意味付与が,どの時間軸上で,どの関与者によって, どのような要因が影響をおよぼして肯定感から否定感に変化したのかについて検討することである。 その検討にあたって本稿では,半構造化面接によるインタビュー調査でえられた語りをナラティヴ・ アプローチで分析した。その結果,以下のことが判明した。移植前はドナーの意思決定過程やイン フォームド・コンセントにおいて家族・親族間葛藤はなかった。移植後はドナーとレシピエントの 回復状態は順調で,家族・親族・職場・医療者から人的・心理的・経済的・社会的支援を受け,関 与者との関係性は良好で両者とも社会復帰した。しかし,レシピエントの終末期に医療的フォロー 体制の問題がみられた。移植施設と地元病院の連携不調により,地元の医師は移植医療の専門知の 差から治療に不慣れで A さんは不安感,不信感をいだいた。さらに移植施設は終末期患者を受けい れない方針となり,A さんは見放された感をいだいた。否定的な状況下でレシピエントは地元病院 で死亡した。A さんは医師にたいして,医療的フォロー体制の不備,それにともなう関係性の変化, レシピエントの死亡の三つの要因によって自己評価が否定的に変化した。 キーワード:生体肝移植,肝移植,ドナー,レシピエント,終末期 立命館人間科学研究,No.31,1 17,2015.題を直接見たり聞いたりした看護師として,そ の問題の軽減や改善にとりくむ義務と使命があ るといえる。 患者は移植施設で治療を受けている期間は医 師・看護師・移植コーディネーターのみならず 医療者にたいして「世話になっている」という 認識によって言いたくても言えない現実がある, ということを私は経験してきた。ここに患者と 医療者の権力関係がすでに存在していることを 私は認識していた。なかでも先端医療の移植専 門職として知識が豊富で技能が高い医師たちは, 無自覚かもしれないが命を預けている患者にた いして権力をもっている,ということを私は研 究をとおして垣間見ることができた。看護師は ケアや診療の補助を担っているが,入院期間中 は患者と接する時間は圧倒的に看護師が多いた め,とくに患者・家族から情報をえやすい立ち 位置にある。したがって医師たちと同じ病院組 織に属する一看護師であった私は,ドナーやレ シピエントやその家族の側に立って,医師たち にたいするクレーム申し立ての重要性の一端を 明らかにする立場にあるといえる。 Ⅱ.先行研究からみた本稿の位置づけ 生体肝移植ドナーの医学・看護学分野の先行 研究は,患者・医療者の心理的サポートの必要 性(佐藤他 1996),ドナーの倫理的問題(菅原 2003; 赤林 2006),患者・家族の当事者同士の支 援の意義(柊中 2004),ドナーの同意のあり方(藤 田・赤林 2006),ドナーおよび家族の意思決定 過程のように(一宮 2006; 渡辺 2007),移植前 後の期間に限った研究が多くみられる。日本肝 移植研究会(2005)は,国内の生体肝移植全ドナー 2,667 名を対象とした郵送による大規模な質問紙 調査をおこなった。その結果,移植後の健康状 態の配慮や費用などの経済面,家族やレシピエ ントとの関係性の変化にたいする医療者側の配 慮不足などが明らかになった。そして,退院後 のドナーの健康管理の指導改善,ドナー外来ネッ トワークの構築,ドナーの健康管理手帳の必要 性などの提言がおこなわれた。しかし,その後 の実態調査はなされておらず詳細は不明である。 社会学分野の先行研究では,臓器提供による 家族関係の歪みの顕在化,家族関係の悪化,問 題解決や支援や援助の仕組みの欠如(西河内 1991),家族制度に依拠した「愛」の強制による 家族関係の悪化(岩生 1991),家族愛の名のも とでドナーとなる自発性の圧力についての研究 があるが(細田 2003; 武藤 2003),これらも移 植前後の期間に限られている。 先行研究の知見をもとに(一宮・平井 2003), 一宮(2014)は 2005 年から 2010 年まで Y 病院 の ド ナ ー 体 験 者 19 名 に 半 構 造 化 面 接 イ ン タ ビューをおこない数名の事例についてはすでに 報告した(一宮 2006; 2010; 2011; 2012)。その後, 全事例を分析して俯瞰した結果,肯定的な語り と否定的な語りがあることがわかった。そこで 全事例からえた語りのデータを KJ 法でカテゴ リー化した結果,語りには移植前,移植後,お よび移植後 1 年以上から終末期までの 3 つの時 間軸があり,余命告知から終末期までのドナー の意味付与に影響をおよぼす要因は 21 のカテゴ リーであり,その要因には専門職,非専門職あ わせて 17 の関与者がいることが明らかとなっ た。これらを時系列チャートとして作成したの が分析モデル(図 1)である。時間と要因は図 の左から右へと移動し,関与者もまた時間軸に よって異なるが,いずれも要因をめぐるドナー と関与者の相互作用によって関係性が変化し, ドナーの意味付与に影響をおよぼすことが明ら かとなった。本研究はこの分析モデルにそって 事例分析をおこなうこととする。
Ⅲ.研究方法 1.対象と方法 対象者は Y 病院で生体肝移植ドナー手術を受 けた A さんである。 方法は半構造化面接によるインタビュー調査 である。インタビューの設問内容は,移植医療 の臨床経験と先行研究よりえられた知見(一宮 1999a; 1999b; 2000a; 2000b; 一宮・平井 2003; 一 宮 2006; 2010; 2011; 2012),および予備面接より 次の五項目とした。それは,(1)ドナーの意思 決定過程を把握するために「移植医療を受ける 決断の経緯とその時の感情」について,(2)移 植にたいする医学的な理解を把握するために「イ ンフォームド・コンセント(IC)の理解度」に ついて,(3)ドナーの負担と犠牲の状況を把握 するために手術前後をとおして「最も苦痛であっ たこと」について,(4)ドナー家族,レシピエ ント家族,その親家族について,家族が移植に どのように巻き込まれているのかを把握するた めに「家族支援の状況」について,(5)その後 の生の営み状況を把握するために社会復帰後の 「日常生活の変化」についてである。A さんへの インタビューは,私自身が 2010 年代に 1 回 3 時 間おこなった。本稿には A さんの妻の語りが登 場するが,私と彼女はインタビュー以前から患 者と医療者という関係性で移植後より折に触れ て相談に応じていた。そのため私と A 夫妻とは 相互連絡可能なラポールがとれていて,インタ ビュー後も電話,郵便物,メールなどで情報を えている。 2.分析方法 ドナーの語りは,ナラティヴ・アプローチを 心理的 支援 余命告知 生体肝移 植の選択 移植前 移植後 移植後1年以上から終末期 回 復 状 態 生 存 死 亡 人的支援 経済的 支援 社会的 支援 ・・・ 代替療法 地元医師 移植医 内科医 移植コーディネーター 看護師 関与者 (専門職) DR RT 家族 親族 事業主 職場の人たち 移植体験患者・家族 知人 近隣地域住民 宗教者 国と地方自治体 NPO 関与者 (非専門職) 図 1 本研究の分析モデル (DR =ドナー RT =レシピエント Co =移植コーディネーター 地元医師=地元の病院や診療所の医師 移植医= Y 病院の移植外科医師 内科医= Y 病院の内科医師 NPO = NPO 移植患者家族団体)
用いて分析モデルをもとに分析する。ナラティ ヴは通常,「語り」または「物語」と訳され,「語 る」という行為と「語られたもの」という行為 の産物の両方を同時に含意する用語である。そ のナラティヴには三つの特徴がある。第一は「時 間性」である。ナラティヴという形式は出来事 の時間的順序を伝える。われわれは出来事の連 鎖を語りながら,ある連鎖には因果関係を見出 し,ある連鎖にはそれがないとみなすことで, それぞれのナラティヴを構成する。こうするこ とでわれわれは「生きられた時間」を他者に伝 えようとしている。第二は「意味性」である。 ナラティヴが伝える意味は一義的には確定でき ず,聞き手によって異なる意味を伝える可能性 をつねに含んでいる。第三は「社会性」である。 ナラティヴは通常,具体的な誰かに向かって語 られる。その聞き手が誰であるかによって語り 方は変わる。ナラティヴは語り手と聞き手の共 同作業によって成立する社会的な行為であり, 社会的な産物である[野口 2009: 2-10]。 本稿では野口の論考を参考にして分析するの であるが,本稿における「社会性」とは以下の ように定義する。語り手であるドナーと聞き手 である研究者との共同作業によってえられた社 会的な産物として,ドナーと関与者の「関係性」 が意味付与に影響をおよぼす要因であることが 明らかである[一宮 2014]。したがって本稿の ナラティヴ・アプローチではドナーの語りから 「時間性」「意味性」「関係性」をみていくことに する。またドナーの語りには,語られた内容と 同時に行為の時間軸が含まれている場合があり, その状況を図示したのが分析モデルである。 3.倫理的配慮 私は在職中に Y 大学の倫理委員会の承認をえ て研究を開始したが,その後退職した。そのた め本研究は,当時所属していた立命館大学大学 院先端総合学術研究科の複数の指導教員の指導 のもとに新たに作成した研究計画書を A さんに 説明して同意書に署名をえた。同意書には本研 究の同意はいつでも撤回できること,プライバ シーは最大限に尊重されることなどを明記した。 4.用語の定義 本論文で用いる肯定感と否定感は一宮[2014] の先行研究と同様に以下のように定義する。そ れらはドナーの経験にたいする主観的な意味づ けをさしている。主観的な意味づけを知りうる データは当事者による肯定的な語りもしくは否 定的な語りが基盤となる。その肯定的な語り, 否定的な語りをもって肯定感,否定感と定義す る。その理由は,私とドナーは長年にわたって 連続的に高いラポールがとれていることと,そ れまで近親者や他の医療者などにも語らなかっ たことを初めて私に語ってくれたことで研究は なしえたため,ドナーの肯定感と否定感は私が 主観的に判断することが可能と考えたことによ る。 以下,ドナーの語りは「 」内になるべくそ のままの形で挿入したが,分かりにくいところ は単語を省略したり( )内に私自身の補足を 加えた。〈 〉内は対象者の語りではなく,私が 強調したい語句である。 Ⅳ.術後 10 年目の夫婦間移植のゆくえ まず対象事例を紹介し,その後ドナーを引き 受けた A さんの語りを引用しながら分析する。 移植施設におけるドナーやレシピエントの患者 間の情報網は一般人が考えているよりも濃密で あるという私の臨床経験をふまえて,個人特定 をさけるため移植を受けた年代や年齢は大まか な表記とした。なお対象者の年齢は手術当時の ものである。
1.家族背景 移植当時の A さん(60 歳代)は妻(50 歳代) と二人暮らしであった。子どもは娘三人であり, 長女と次女は結婚して子どもがいたが,三女は 未婚で海外に居住していた。A さん夫婦も娘た ちも全員が同じ血液型であった。今でもそうで あるが,血液型一致移植は免疫学的にも移植が 成功する要因の一つといえる(辻 1988)。 A さんは会社員として長年就労し,移植当時 は県外単身赴任の会社役員であった。A さんは 家計支持者として家族を養い,閑静な住宅街に 一戸建ての住宅を購入し「仕事にかまけて…… 家庭をほとんど振りかえってなかった」と語っ ている。一方,A さんからみた妻は,育児や家 事全般を担う主婦業であり,近所でパート勤務 をして家計を助け「なりふり構わず生きてきた」 と語っている。 これらの語りから,家族制度の観点からする と,A 家は核家族であり,A さんの主な役割は 社会で働いて家族の経済的基盤を担うことから, A さんは公共領域,妻は家内領域という役割分 担は性別分業といった近代家族制度の特徴がみ られた(落合 2002:18)。 2.生体肝移植の選択とドナー決断の経緯 妻は 40 歳代後半に健康診断で C 型肝炎から すでに「肝硬変の状態」になっていることが判 明した。A さんは近所の診療所の医師(以下, 近医と記す)から「なぜ一緒に生活をしながら 気がつかなかったんだ。これは 5 年や 10 年でな る状態ではありません」と叱責されたという。 A さんは近医から,このまま放置すれば「100% 近い確率で癌になる可能性がある」が,医療は 日々進歩しているため期待はもてるような意味 内容の説明を何度も受けていて「励まされた」 とも語っている。そして近医から「時期は覚え ていない」が移植情報をえたという。 移植までの 10 年間,妻は肝硬変による食道静 脈瘤1 )の治療などで,地元病院へ入退院を繰り 返していた。妻の治療が限界となったころ A さ んは,近所に親子間の生体肝移植が成功して元 気になった娘さんが住んでいて,彼女はその後, 結婚して子どもが二人いるという現実を目の当 たりにすることになった。このような背景のも とで移植を選択した経緯を A さんは次のように 語っている。 A さん「(妻が死ぬには)若すぎるぞという思い が一つあった。もう一つは 1 年かけてジワジワ, ジワジワ弱っていくということは,見てられない という気持ちになった……1 週間くらい(悩んだ のは)手術にたいする不安があったんですよね。 まぁこの歳まで生きたんだから,これでええわみ たいな,ある意味ではヤケクソのような結論がで たときがあった……それで移植しようと決断しま してね。」 A さんは家庭を妻に全て任せて仕事中心の生 活を営んでいた。その間,妻の健康状態は徐々 に悪化していたのだ。A さんは近医から妻の健 康状態に気づかなかったことを叱責されたので あるが,A さん自身も「仕事にかまけて」と語っ ていることから妻の健康状態を気遣えなかった 自責感をもっていたことがうかがえた。 この頃の妻は「食道静脈瘤がでまして……そ の都度それを処置してきたという経緯があり相 当体調不良があったようなんですよ……(その 時は長女が)真夜中に来てくれた……あるいは ここへ(長女)家族が来て一晩一緒にすごした こともあ」ったということを当時の A さんは「そ ういうことがあったんか」と事後に知ることに なったという。 この語りから,妻も長女も夫であり父親であ 1 ) 肝硬変のため血流が悪くなり,食道の粘膜を流れ る静脈が瘤のようにふくらみ蛇行している状態の こと。
る A さんには適時に連絡していないことになり, 妻も長女も家庭内のことは女性たちが協力して 対応し,男性である A さんが仕事に集中できる ように配慮していたのではないかと推察する。 そのことがまた A さんの家庭を顧みることがな かった自責感を強化していたのではなかろうか。 肝不全状態となった妻は,何もしなければ死 亡するのは確実であった。妻の年齢は当時 50 歳 代と若いうえに,近医から救命可能な方法とし て移植医療を知りえた A さんの立ち位置からす ると,不作為な態度をとることはできなかった と推測する。一方で A さんはドナー手術に不安 を感じていた。結果的に妻を助けたいという思 いと,そのためには生体ドナーが必須という葛 藤状態は「1 週間」続いたうえで,A さんは移 植を選択したのだ。 移植医療は否応なく家族を巻き込むといわれ ているが(春木 2008:161),これは生体ドナーを 誰が引き受けるのかという問題から派生してい る。だが A さんの語りには,生体肝移植のドナー 決定をめぐる問題を他者に「相談する形でした ことはない」と語っていることから,結果的に すべて一人でかかえこみ苦悩しながら生体肝移 植を選択したともいえる。 その動機は A さん自身が「仕事にかまけて ……家庭をほとんど振りかえってなかった」夫 であり家長である A さんの自責感であり,「妻 の病気を発見してくれた先生(近医)から移植 情報をえていた」こともあり,「死ぬには若すぎ る(妻が)ジワジワ弱っていくのを見てられな いという気持ちになった」との語りから,あら たな治療法を知りえたうえで不作為な態度は自 ら求めておらず,「近所に生体肝移植が成功した」 家族がいたことも後押しして,A さんは「すぐ コンピュータ開いてだったらもうココだ」と自 ら納得したいという思いもあったのだ。このよ うなことを含めて A 家の家長,夫として,A さ ん自身が妻を〈助けないわけにはいかない〉と いうジェンダー規範によって肝移植を選択した といえるだろう。そして肝移植を選択したとい うことは,自らドナーを引き受けることを内々 に決断したことを意味していた。 以上の結果から,A さんがドナーを引き受け た意思決定過程は,移植前の 1 週間はドナー決 断に苦悩した否定的な語りがみられたものの, 移植後 10 年近く生きてきたインタビュー時点で 当時を回顧すると,ドナーとしての「苦痛はほ とんど残ってい」ないとの肯定的な語りから「経 験の再定義」がおこなわれたといえる[上野 2011: 190]。だが移植後終末期となった妻の医療 的フォロー体制や妻の死亡にかんする語りが否 定的に変化したことは 6. で紹介し分析する。 3.IC で印象に残った説明内容 IC は米国の医療過誤訴訟における裁判基準と して発達してきた(Faden and Beauchamp 1986 = 1994: 77-78)。IC に基づく医療は民法上の契 約と同じで医師の責任回避の傾向が強くなって いくという側面も考えられるが(森岡 1994: 35), 医師にとっては重要な意味づけをもつことにか わりない。 Y 病院の IC は医師が患者・家族に何をどの程 度説明するのか「生体肝移植手術にかんする説 明書」として資料が用意されている。ドナーに かんしては,ドナーとして受ける医学的処置(検 査・手術)の内容,手術の危険性と合併症,ドナー の利益,他の治療法の可能性についてなどであ る。レシピエントにかんしては,手術内容,手 術の危険性と合併症(拒絶反応と感染症),免疫 抑制剤の長期間の服用とその副作用,退院後の 定期的通院と検査の必要性,生体肝移植の成績, 手術による利益,他の治療法の可能性などであ る。さらに「肝臓の解剖図」や「肝臓切除の範囲」, 「手術の傷跡」などの資料も提示する。 A さんによると IC に同席したのは,数名の医 師,移植コーディネーター,A さん,妻,娘た
ちとその家族であり約 10 名が同席していたとい う。以下は私が「IC は理解できましたか」とい う問いかけに,A さんが答えてくださった語り である。 A さん「成功率……ドナーは 100%,これに事故 が起こるようになったら,この治療方法というの が許可されませんと……レシピエントの成功率は 80%。私はもっと低いのだと思っていたんです ……80%と聞いたときにパッと明るくなりました わ。ヨッシャーということでね。すぐその場で申 し込みをしたということなんですけども。それに は 1,000 万(円)いりますとかありましたけど。 そんなものは,どうでもよかったです。申し込ん で初めて子どもたちに(移植を)するぞと説明し たわけですよ……ウワーと向こう(に医師が)大 勢おるせいか,その雰囲気にかまけてね(医師の 説明は)ほとんど聞いちゃあいないですよ。」 生体肝移植は医療内容が高度で複雑であるた め,素人の患者にとって IC の説明内容は多量で 複雑で難解な内容になると推察する。さらに医 師と素人の患者,この両者の専門知の相違は, 医療者側から一方的に大量の情報を提供すると A さんのようにその場の雰囲気でドナーは混乱 することがうかがえた。そのなかでも唯一 A さ んの記憶に残っている内容を全体の語りから掬 いとると「成功率」,「医療費」,「代替ドナー」,「手 術内容」であった。そして,A さんに強烈な印 象として記憶に残ったのは移植による「成功率」 であったといえる。この「成功率」は,妻の救 命のために他者利得である生体肝移植ドナーを 引き受けることを自己決定する A さんにとって, もっとも重要かつ必要な主観的基準の情報で あった(Faden and Beauchamp 1986=1994: 31)。
A さんが移植術を受けた当時は,国内で死亡 したドナーはいなかったため,医師および移植 医療関係者は自信をもって「ドナー(手術)は 100%成功する」と説明していた。この情報はド ナー候補者として決断さえすればレシピエント は救命可能な医療として,ドナーには心強い情 報であったに違いない。だが 2003 年,国内初の 生体肝移植ドナーの死亡例があり(日本肝移植 研究会ドナー安全対策委員会 2004),100%安全 とはいえなくなった。この場面では,レシピエ ントの成功率は A さんが想定していた成功率よ りも高い「80%」と説明を受けた結果,移植医 療に強い期待感をいだいて決断したことがうか がえた。逆説的にいえば 20%は死亡する可能性 があるが,何もしなければ妻の死は確実である ためか,このことについての語りはみられなかっ た。 また,のちに問題となる移植後終末期状態と なった妻の医療的フォロー体制について,IC で 説明を受けたという語りは掬いとれなかった。 医師たちは Y 病院で移植したあとは地元病院で フォローするという認識であったとしても,患 者・家族の耳には届いていないことになる。 さらに 1,000 万円という高額の医療費は,A さんにとってその金額で妻を救命できるならば 「どうでもよかった」と意に介さない語りとなっ ている。なぜならば当時の A さんは会社役員と して経済的に豊かであったことを別の場面で 語っているからである。健康保険が適応されな かった当時は,医療費が用意できなければ移植 は受けられず,患者は死と直面していたのであ る。 そして A さんが移植を決断した目的は,なに よりもレシピエントである妻の救命であったこ とから,IC は「ほとんど聞いちゃあいない」状 況で上記のような理解の程度であったとしても, 自発的意思で同意書に署名・捺印していたこと になる。IC は医師にとって情報提供と説明責任 と患者の同意をえるという重要な仕組みであっ たとしても,A さんにとっては妻を救命するた めの単なる関所ともいえる通過点にすぎず,ま
た A さん自身もさほど重要な内容とは受け止め ているような語りはなかった。結果的に A さん にとっての IC の要因は,医師にたいして救命の 期待という肯定的な関係性の変化をもたらした ものの,この時点のドナーの意味付与にさほど 影響をおよぼさなかったといえる。 4.移植後の回復状態と関与者の支援 医学界の知見では生体肝移植の治療効果はド ナーとレシピエントが順調な経過をたどること だ と さ れ て い る( 国 際 移 植 学 会 2008; 堀 内 2012)。健康体のドナーの入院期間は約 2 週間で あり,数ヶ月の休養後に社会復帰するのが通常 であった。ドナーの休養期間は事務職などの場 合は約 1 ヶ月で復帰する場合もあるが,できれ ば体力が回復し,肝臓がもとの状態にほぼ回復 する 3 ヶ月ごろをめどに職場復帰するほうがよ いとされている(京都大学医学部附属病院移植 外科・臓器移植医療部 2004: 47)。 (1)ドナーの順調な回復状態 ドナーである A さんの回復状態は,極めて順 調で約 2 週間で退院となった。レシピエントで ある妻の回復状態も順調で術後 1 ヶ月過ぎで退 院となった。私は A さんに,ドナーの負担と犠 牲の状況を把握するために手術前後をとおして 「最も苦痛であったことは何ですか」と尋ねると A さんは以下のように語ったのである。 A さん「全くないんですよ……仮に思うことが あったとしたら……手術したことで天寿がまっと うできるのかなぁと。私はドナーとして精神的に も,肉体的にも,いわゆる苦痛というものは思い 出としては,ほとんど残っていません。社会復帰 後も,それが原因で仕事がうまくできなかったと かゆうようなこともありません。」 A さ ん は 移 植 後 約 10 年 近 く な っ た イ ン タ ビュー時点でも,手術前後をとおして「苦痛の 思い出」はないという。A さんはこれまでの期間, 健康状態に大きな問題はなかったことと,会社 役員として術後約 2 ヶ月で職場復帰した後も安 定した生活を営んでいたことが,この語りに反 映されていると考える。しかし,ドナー手術を 受けたことで将来の健康に不安を感じているド ナーは 38.9%と報告されていることから(日本 肝移植研究会ドナー調査委員会 2005),やはり A さんも将来の健康状態に不安感をもちながら 日常生活を送っていることがわかった。 (2)レシピエントの順調な回復状態 レシピエントである妻の回復状態について多 くは語らなかった A さんではあるが,インタ ビュー中に三女がレシピエントに付添って闘病 日記を書いていたことを語っている。私は A 夫 妻の了解をえてその日記を読ませていただいた。 日記から読みとれた三女の視点に立つと,父親 はドナーとして「勇気ある」決断力があり,レ シピエントである母親は,移植後の「しんどい」 治療に耐えて「頑張」っている状況から 1 ヶ月 という短期間で劇的に回復した。その治療効果 にたいする驚きや,母親が急変しても医師や看 護師の適時で適切な対応によって回復する日本 の医学や看護学のレベルの高さのみならず,対 応した医師や看護師にたいする信頼感,安心感 が記されていた。三女の献身的なケアの負担軽 減のために,ドナーである A さんは退院後に昼 間のみ三女に替わって妻に付添い,夜間は三女 が付添っていた。そこには家族の一致団結した 凝集性と家族の絆を読み取ることができた。三 女の闘病日記は,医療の目標が達成された幸福 感に満ちていて医療者との関係性が良好であっ たことがうかがえた。ドナーとレシピエント, どちらかの回復状態が悪いと,シャム双生児効 果(Siamese-twins effect)といって一方の心身 の機能が低下すると他方も同様に感じる感応現 象がおこるため(春木 2008: 168),こうはいか ないことが多い。
5.周囲からえた支援の効果 核家族が多い現代において,ドナーとレシピ エントの近親家族の二人がほぼ同時に手術室に はいる生体肝移植は,当事者だけを巻き込む問 題として治まらない。ドナーもレシピエントも 入院期間中は患者としての療養生活支援を必要 とし,なかでも両者が命がけの移植術によるス トレスフルな状況を乗り越えるために心理的支 援が重要であり,さらに家庭に残された未成年 者や高齢者などの家族支援,今後の生活保障な どの金銭的支援や社会的支援などが必要となる。 これらの多くは家族,親族のみならず職場や患 者の周囲の人たちなどからの支援である[一宮 2014]。移植前後から社会復帰までの時間軸上に おいて,A さんはどのような人たちによって, どのような支援を受けたのか,語りから考察す る。 (1)移植前の支援―人的・心理的・社会的支援 A さんが県外に単身赴任していたとき,妻の 体調不良時には,妻自身の自助努力と長女の泊 まり込みの世話を受けていたが,さらに近所に 妻の親友がいて「多少助けてもらった」ことも あるという。長女は仕事も子育てもしながらの 母親の看病であって,それは嫁ぐ前から継続さ れていたため「長女の負担は大きかったのでは ないか」と A さんは語っている。さらに海外在 住であった三女は,手術のために帰国して手術 前後をとおして,「合計 2 ヶ月間(母親に)付きっ きりでいた」との語りから家族や周囲の人たち から友好的な人的・心理的支援を受けていたと 推察できた。 また A さんのドナーが決定した後は,万全の 体調で手術に臨む必要性から「長期出張など無 理な仕事はしない」ようにスケジュール調整を おこない,職場では部下に風邪症状があるとき は「休ませ」て自ら感染しないように対応した うえで「風邪をひかないように」自己管理して いたという。当時の A さんは会社役員であった ことから職場の理解と支援をえて,このような 権限をもっていたのである。 また近医は妻の病気を発見し移植情報を提供 してくれた医師であり,この医師の情報提供が なければ今回の決断もできなかったと A さんは 語っている。さらに近所に移植が成功した患者 の存在自体も A さんの心理的支援になっていた と考える。 このように移植前の支援は,長女と三女の人 的・心理的支援,職場の社会的支援,近所の親 友の人的支援,移植成功体験患者の心理的支援, 近医の心理的支援をえており,A さんの語りは 肯定的であった。 (2) 移植後の支援 ―人的・心理的・経済的・ 社会的支援 移植後の妻は,ICU(集中治療室)から病棟 の個室に収容された。その間,三女は「夜はう たた寝式に過ごして,朝,私(A さん)と入れ 替わった。彼女のほうはマンスリーマンション のほうで寝て,また夜になったら入れ替わる。 こういうことを繰り返していた」という。移植 の成功か失敗か,どちらに転ぶかわからない不 安定な病状のレシピエントを一人にしておけな いという家族の心情と,レシピエント自身も精 神的安寧を求めることもあいまって,家族の付 添いは病院側の許可があれば認められていたの である。医療者の移植後の関心はレシピエント に集中する傾向にあるが,A さんも家族もやは りレシピエントに集中した人的・心理的支援を おこなっていたのである。 A さんの語りには,子どもたち以外の親族は ほとんど登場しない。子どもたちはすでに独立 していたため,入院中は特に三女の人的・心理 的支援が大きかったといえる。なぜならば当時 の長女と次女は結婚していたため家族の都合も 考慮する必要があった。しかし,当時の三女は 未婚であったことから時間的な制約が少なく母 親に集中的に付添うことができたと推察される
ことと,ドナーもレシピエントも経過が順調で あったことから,A さんと三女の二人体制で「交 替」して付添っていたとの語りから,親族に支 援を依頼しなくてもなんとか移植後の療養生活 が可能であったことがうかがえた。 また,レシピエントの病状が急変すると「先 生が入れ替わり立ち替わり」やってきてその後 の対応をチェックする専門知の高さ,「どの看護 師に聞いても(ドナーである)私自身がどうい う状態にあるかというのを知っている……徹底 した患者にたいする知識」によって,移植後の A 夫妻や家族は,医師や看護師によって信頼感, 安心感といった心理的支援をえていたといえる。 また A さんは職場から約 2 ヶ月の休暇をえて いたし,その後は復職したことから経済的な生 活の保障もえていたことになる。このような職 場の社会的支援や経済的支援,医師や看護師の 心理的支援,家族の人的・心理的支援について, A さんの語りは肯定的であった。 本来なら移植後に高額の医療費の語りがなさ れるのであるが,A さんの場合は,ドナーとし て当時は最高年齢であったことと,妻の肝機能 が著しく悪化していたため「劇症肝炎の扱い」 となって研究費で賄われ,結局,医療費として の支払いは数十万円で事足りて「大助かり」で あったという。ただし「退院してからどれくら いかかるのか……これはまた別の話になってく る」との語りから,入院中は対応可能な医療費 であったとしても,退院後の医療費は懸念材料 であったことがうかがえた。 (3)社会保障制度からえた医療費の支援 A さんは 60 歳代半ばで定年退職となり,その 後は年金生活となったため妻の医療費用にかん する負担感について以下のように語っている。 A さん「今の生活レベルからいきますと年金だけ では足りません……今年の 4 月以前までは,医療 費が足らない。その医療費は交通費も含めてだい たい年間 100 万くらいが赤字になっていく……去 年の 6 月 1 日以降からインターフェロン補助制度 という適応を受けたわけです。そうするとなんぼ かかろうと 1 万円までということで,今まで月平 均約 10 万いっていたものが,一気に 1 万になった。 おぉ助かったって思いました。今年の 4 月 1 日か ら移植を受けて免疫抑制剤を服用している者につ いては,無条件で 1 級身障者だという扱いを受け た結果……ここの自治体では,通院の場合は月間 200 円,最高 4 回までつまり 800 円の負担で済む と……入院の場合は最高 2400 円までなんですけ ど,ベッドの差額代とか,食事代とかは適応され ませんので(妻は)今回約 40 日間入院して 4 万 円ぐらいいりましたね。」 A さんの社会復帰後の支援の語りは,全体的 に A さんが退職した後の妻の医療費についてで あった。レシピエントである妻は,生涯にわた る免疫抑制剤と定期的な外来通院検査が必要で あったし,ときどき体調を崩して入院もしてい たのである。妻の医療費は,「移植後 1 ∼ 2 年間 は年間 200 万円,移植後 3 年∼ 4 年の間は年間 120 ∼ 130 万円」を要したが,「そのうちの 50 ∼ 60 万円は Y 病院への交通費」だという。「移 植後 5 年∼ 7 年の間は年間 100 万円」の医療費 を要したという。 その後の医療費は,社会保障制度の助成金に よって月 1 万円までとなり,2010 年からは肝臓 移植を受け,抗免疫療法を実施している患者に は,身体障害者手帳(1 級)が交付された。そ して,肝移植術,肝臓移植後の抗免疫療法とこ れに伴う医療については,障害者自立支援法に 基づく自立支援医療(更生医療・育成医療)の 対象となり,肝移植の入院費用と肝移植後の外 来費用に適応され,原則 10%自己負担と自己負 担の上限が低額に設定さたのである(日本移植 学会 2013)。この社会保障制度の支援によって A さんの妻の医療費は外来通院の場合は月間
800 円,入院の場合は最高 2400 円までとなり, その恩恵を実感した語りとなっていた。生体肝 移植が開始されて 20 年以上経過したころから社 会保障制度の支援によって医療費の負担はずい ぶん軽減されたといえる。 6.ドナーとレシピエントの医療的フォロー体制 ドナーもレシピエントも移植後の医療的フォ ロ ー 体 制 は 重 要 で あ る。 日 本 肝 移 植 研 究 会 (2005)は,ドナーの定期的な外来受診とその指 導の必要性,ドナー外来の設置,ドナー健康手 帳の配布などの提言をおこなったのであるが, その後の実態は調査されていないため詳細は不 明である。 A さんは会社役員の期間は職場での健康診断 を受けていたと推察されるが,退職後は自ら外 来受診するか,健康診断を受けない限りその機 会はかぎられていたといえる。A さんの語りに はドナーよりもレシピエントのフォロー体制が 主に語られたことと,A さん自身は移植後 10 年 近く経過したインタビュー時点でもその後の経 過が順調であったため,ここではレシピエント の医療的フォロー体制について論考する。 (1)地元病院と Y 病院の連携体制 通常レシピエントは地元病院からの紹介患者 がほとんどである。A さんの妻も同様であった。 Y 病院には専任の移植コーディネーターが数名 いて地元病院と Y 病院の医師との仲介役を果た している。したがって移植後のレシピエントは Y 病院の情報提供を受けて地元病院で検査治療 を受けることになる。必要時に移植コーディネー ターが仲介して地元病院と Y 病院が連携しなが ら治療することになっている。 レシピエントは,移植した肝臓の拒絶反応を 抑えるために原則として生涯にわたる免疫抑制 剤の内服が必要である。その薬剤の微調整や体 調管理のために定期的な外来通院と検査が必要 なのである。レシピエントである妻は Y 病院か ら遠方に居住していたが,移植後 9 年間にわたっ て地元病院ではなく Y 病院へ定期的な外来通院 を続けていた。通院には約 3 万円の交通費を要 し,移動時間,検査時間,診察待ち時間を含め ると 1 日仕事になるという。体調が悪ければ前 日からホテル滞在となることもあったという。 それでも妻は Y 病院に継続して通院していた。 その意味づけは,妻の「見落とされたらいけん けん」という語りから,信頼している Y 病院の 移植外科や内科の医師の診察を受けることは移 植した肝臓の異常の早期発見と早期治療につな がるととらえ,夫から提供された肝臓を大切に したいという思いの反映であったと推察する。 (2)Y 病院の方針変更による〈見放された感〉 しかし,妻の病状が徐々に悪化して終末期に 近づくと,Y 病院の医療者の対応が変化してき たという。たとえば医師から「無理して外来に 来なくてもデータだけ送ってくれればよい」,「内 服薬は地元病院でもらえばよい」などである。 また A さんは長年にわたって移植コーディネー ターと親密な関係性を保持していたが,このこ ろより彼らの対応時の「言葉(使い)が丁寧語 になって……エライ雰囲気が変わったなぁ」と 疎遠感を感じていた。あるとき妻が体調不良と なり A さんが Y 病院の医師に連絡すると,今ま でとは異なった対応を受けたという。以下はそ のときの A さんの語りである。 A さん「(Y 病院は)入院を無条件に受け入れて くれると思っていたんですよ。そのことを先生に 電話したら……突き放すような言い方だったんで すね。要するに移植をしようとしている人は受け 入れるけれども……今の家内のような状態では受 け入れませんと……今まで 9 年間に体調不良が何 度もあったんです。その間 Y 病院へ行って話をす れば……入院はできていたんですね。ところがこ の度はダメだというわけですね。」
A さんの移植後 9 年間の経験の語りは,Y 病 院に定期通院をしておれば,なんとかしてもら える〈最後の砦〉という意味づけをもっていた といえる。だが妻が再度肝不全状態となったこ の期に及んで状況が一変した。Y 病院は移植専 門の病院となったため移植後終末期状態となっ た患者は,再移植でもしないかぎり入院できな いことになり,A さんの立ち位置からすると「突 き放された」感情をいだいたという。そのため A さんは自己納得できない状況を以下のように 語っている。 A さん「これは何が変わったんだと……国の医療 制度がそうさしてしまったのか,その医療制度が 原因で個々の病院が判断してつくったのか。国は 必ずしもそうしなさいといっている訳じゃないけ れども……独立採算制が原因でそういうことをせ ざるをえなくなったのか,それとも病院長の基本 的な考え方がそうさしているのか,なぜ(Y 病院は) この 10 年間にあれほど優秀な先生が転勤してし まったのか……ちょっと考えてしまいますよね。」 過去の既成事実の延長線上からみた A さんの 立ち位置からすると,Y 病院は移植後のフォロー 体制が突然変更したことになり,その現実に A さんは困惑感と不信感を語ったのである。私は この背景に四つの要素があると考える。一つは 数年前に Y 病院の責任者が交替したことで移植 医療にたいする方針が変更したことが考えられ ること。二つ目は,それに伴う人事異動があり, A 夫妻が尊敬する医師は他病院へ転勤となった ため在職中のような権限がなくなったこと。三 つ目は,診療と研究と医療者の育成を担ってい る特定機能病院であり移植基幹病院である Y 病 院の性質上,終末期の患者は転院していた既成 事実があること。四つ目は,医師は地元病院の 検査データの送信を希望していることから,入 院は不可能であっても移植後の肝機能は気がか りな様子が推察されることである。類似のこと は腎移植患者の体験記にも記されている。腎不 全のため人工透析→腎移植→人工透析→腹膜透 析となった経験をもつ澤井は「ドナーの方から 臓器をいただいてレシピエントと呼ばれるまで はよかったが,予後の応接が外科医には能力を 越えた作業であると……わかってきた……彼ら の関心は『臓器の生着率』にあって,私という 移植を受けた一人の人間にはなかった」のだ(澤 井 2005: 161)。心と身体の統一体である一人の 人間としての A さんの妻が終末期状態となれば, 移植医はもはや手に負えないと判断したのだろ う。このような状況は A 夫妻にどのような結果 をもたらしたのか,その後の語りをみていこう。 (3) 地元病院の医師にたいする〈不安感〉・〈不 信感〉 移植後は本来なら地元病院にかかるべきとこ ろを,A さんの妻は時間も経費も気力も体力も 要して Y 病院に長年通院していた。だが,それ には理由があった。以下の語りは,あるとき体 調不良で地元病院へ入院したおりに A さんの妻 がいだいた感情であり,インタビュー以前にも ドナーのインタビュー時にも彼女が私に直接 語った内容である。 A さんの妻「地方の先生なんかは移植のことなん かは,わからん先生ばっかりじゃろう?……今ま で地元に入院していた病院は『よう診きらない』, 『感染症にもかかっても対応の仕方が分からん』, 『もしもの時の責任がとれない』とも言われたん よ……Y 病院へいろんなこと聴いてくださいとい うと,先生はいい顔しなかった。」 地元病院と Y 病院は連携しているといわれて いるが A さんの妻の語りは,その連携体制に懐 疑的にならざるをえない。もちろんスムーズな 連携体制によって治療を受けているレシピエン トがいるのも事実である。
妻の語りからみえてくる地元病院の医師は移 植医療に不慣れであり,移植医療の専門知に差 があるため医師自らが不安感をもっていたとも いえる。だからこそ地元病院と Y 病院の連携体 制という仕組みがあるのだが,A さんの語りに は地元病院の医師が積極的に Y 病院の医師や移 植コーディネーターに連絡をとっているような 語りは掬いとれなかった。A さんの妻の語りか らみえてくる地元病院の医師の対応は A 夫妻に 不安感や不信感をもたらしたばかりではなく, 移植専門医のいる Y 病院は A 夫妻にとって最後 の砦となる特別な病院としての認識がより一層 強化されたともいえるだろう。A さんの妻はこ のような地元病院の医師にたいする不安感や不 信感を相談する場も,機会も,その相手もいな かったことから,移植医療の経験があり入院中 から顔見知りであり,現在は一研究者である私 にたいして話を聴いて欲しかった,不安を受け とめて欲しかったのではないかと推察された。 (4)生体肝移植後終末期のレシピエントの決断 腎移植患者には再度腎不全となっても人工透 析という代替療法がある。だが肝移植後に再度 肝不全となった患者は医学が発達した現代にお いても代替療法はなく,再移植をしなければレ シピエントの死は確実である。A さんの妻は医 師から再移植を勧められ,三女からドナーの申 し出もあった。私はインタビュー前に A さんの 妻に電話で当時の心情を直接尋ねる機会があっ た。以下はその時の妻の語りである。 A さんの妻「(再)移植はしない……(A さんが) 『それでいいんか』と聴いてもしない(と断言し た)。だから好きなように生きさせて……(私: 脳死移植の登録はしないの?)しない。移植の後 のあのしんどさ,年齢がもうすぐ 70 歳じゃけん。 お友達の(レシピエントである)○さん,◇さん, △さん,みんな 2 回移植しても,そのあとがよく ないし 70(歳)まで生き(ら)れたらいいよ。」 A さんの妻はこのとき移植後 10 年近くなって いた。この時期の語りを時間軸でみると,Y 病 院は肝移植後終末期の患者の入院は受け入れな いと断言される前の段階であった。したがって 妻の語りは,体調悪化時には従来どおり Y 病院 に「入院させてくれる」と思っての語りである と思われる。また妻の「70(歳)まで生きれた らいいよ」との語りから,当時の妻は 70 歳まで まだ数年あり,その期間は生きられると思って の語りであったと推察された。A 夫妻からみた このような経緯の帰結は「Y 病院が最後まで(面 倒を)みてくれると思っていた」ことであるが, その期待を裏切られた A 夫妻は医師に見放され た感をいだくことになったのである。 その後の妻は体調が悪化し地元病院に入院し た。A さんは毎日妻の病室に通い,見守ってい たことをメールで知らせてくださった。インタ ビューから半年後,A さんから妻の他界を知ら せるメールを拝受した。メールには「妻は 長い 病との闘いでしたがまだ大丈夫,本人も頑張っ ていると思っておりましたのに残念です。まだ 狼狽えております」と書かれていた。A さんの 立ち位置からすると Y 病院に見放された感をい だいて妻が亡くなったことは,否定的なキーワー ドで自らの無念感を表出せざるをえなかったと 推察する。妻の死亡後 3 年経過したおりの電話 連絡で A さんは終末期の医療的フォロー体制の 要因によって「妻を苦しめた」と語りその後も 自責していることがわかった。 インタビュー当時の A さんは,ドナーとして 「苦痛の思い出」はないと肯定的に語っていたが, 妻が見放された感をもって亡くなったことで経 験の再定義がおこなわれ,否定的な語りに変化 した。医師たちの努力によって妻は長年生きな がらえたにもかかわらず,このような結末となっ て私としては非常に残念に思う。
Ⅴ.おわりに 以上,分析モデルにそって A さんがドナーと して経験した語りを時間軸に応じて分析してき た。A さんは移植前,移植後,移植後 9 年間ま では,移植が成功したレシピエントの生存事例 として肯定感をもっていた。その要因は五つで あった。一つは生体肝移植の選択,ドナー候補 者の選定,ドナー決断といった移植決断の意思 決定過程において家族・親族間の問題は派生し なかったこと。二つ目は IC は十分理解できな かったが結果として移植によって妻を救命でき たこと。三つ目は移植後の回復状態がドナーも レシピエントも順調であったこと。四つ目は移 植前から移植後にかけて家族・親族・職場・医 療者などから人的・心理的・経済的・社会的支 援を受けたこと。五つ目はドナーもレシピエン トも社会復帰を果たすことができたこと。これ らの五つの要因によって,移植後 9 年間の時間 軸上において A さんの事例は典型的な肯定的意 味付与をもたらしたモデルケースであった。 A さんの語りが肯定感から否定感に変化した 要因は三つあった。一つは移植後 10 年近くなっ たレシピエントの終末期医療の医療的フォロー 体制そのものであった。A さんからみた Y 病院 の終末期医療を受けいれない方針は,IC で予め 説明を受けていた記憶はなく突然であったため, それまで地元病院に移植後のかかりつけ医を見 つける必要性がなかったし,信頼できる馴染み の医師もいなかった。また A さんからみた医療 的フォロー体制は,地元病院と Y 病院とが必ず しも連携しているという状況ではなかったこと から,双方の医師にたいする不信感や不満感が 生じていたことがあげられる。 二つ目は終末期医療の医療的フォロー体制の 要因から派生している医療者との関係性の変化 であった。この要因は A さんの立ち位置からす ると信頼感や安心感をいだいていた Y 病院の突 然の方針変更は,終末期の妻の入院治療が不可 能となったことを意味していたため不信感や不 満感に変容した。このことが A さんと医師や移 植コーディネーターから見放された感をいだか せる否定的な関係性の変化となっていた。そう かといって地元病院の医師は移植医療の専門知 に差があるため,A さんは地元医師にたいして も不安感や不信感をもっていた。だが否定的な 関係性であったとしても,結果として地元病院 に頼るしかなかったといえる。 三つ目は覚悟していたとはいえ再移植を望ま なかったレシピエントの妻の死亡という不幸な 状況が重なったことで,A さんは移植後終末期 の妻を苦しめたという自責感によって否定的自 己評価につながったといえよう。 レシピエントは地元病院で死亡したが,同じ 死亡であっても医療者に対して見放された感, 不安感,不信感といった負の感情をいだかない ような医療的フォロー体制がなされたならば, A さんは妻の死が不幸な出来事であったとして も,移植によって 10 年近く生きながらえた妻の 死をそれなりに受けとめられたのではあるまい か。 これらの対策として以下のことが考えられる。 一つは IC で遠い将来のことではあるが移植した 肝臓が再度肝不全となったとき患者・家族はど のような選択肢をとるのか,Y 病院の運営方針 として終末期医療は受けいれていないことを予 め説明をしておくこと。二つ目は,レシピエン トは原則として生涯にわたる免疫抑制療法が必 要であるため自己管理が重要となる。そのため 住み慣れた地元にかかりつけ医を見つけておく /見つける努力も必要であること。三つ目は, 移植医療関係者は Y 病院と地元病院は連携して いると捉えていて実際に緻密な連携体制がとれ ている事例がある一方で,A さんのようにうま く機能していない事例もある。移植患者数は今 後も増加すると推察されるため,移植施設と地
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Original Article
The Importance of End-of-Life Medical Follow-Up
Systems after Living Donor Liver Transplantation:
A Case Study of a Change in a Donor s Attitude from
Positive to Negative towards Organ Transplantation
ICHINOMIYA Shigeko
(Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University)
The present study was conducted to identify factors and persons associated with a change in donors' attitudes from positive to negative toward organ transplantation. A semi-structured interview with a donor was conducted, and the responses obtained were analyzed using a narrative approach. The following are the analysis results: Prior to the transplant, the donor did not have any conflict with their immediate family and relatives regarding their decision-making process and informed consent. Following the transplant, the donor and recipient steadily improved as a result of personal, psychological, economical, and social support from their family members and other relatives, colleagues, and health care professionals, had positive relationships with the people concerned, and were able to return to their positions in society. However, there were problems with follow-up services related to the health care system while the recipient was receiving end-of-life care. The physician of the local hospital in charge of a recipient had little expert knowledge about medical transplantation and poor treatment skills, partly due to a lack of collaboration between the local hospital and the health care institution where the recipient had undergone surgery, causing the donor to develop a sense of anxiety and distrust. Furthermore, the hospital where the surgery had been performed published its policy to refuse end-of-life patients, leaving the donor feeling that the recipient had been abandoned. The recipient died at the local hospital under these unfavorable conditions. The donor thus developed negative feelings about organ transplantation because of the following three factors related to physicians: poor follow-up services related to the health care system, changes in relationships with others due to the lack of follow-up, and the death of the recipient.
Key Words : living donor liver transplantation, liver transplantation, donor, recipient, end-of-life