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山口平四郎先生を悼む

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立命館地理学 第 22 号 (2010) 1 1

山口平四郎先生を悼む

鈴 木 富志郎

名誉教授 山口平四郎先生(元・人文地理学会会長、勲 3 等瑞宝章)は、平成22 年 1 月 17 日、 逝去された。享年 100 歳であった。明治 43 年 1 月 9 日、ご父君の任地であった横須賀で誕生され たが、当時の山口家の本宅は東京・原宿にあり、その後東京市赤坂区青山高樹町に移転したので、 先生ご自身は青山に愛着があったようである。ご父君の転勤にともない各地を転々とされたが、 幼少のころの度重なる転居が、地域によって生活にちがいがあることに気づかれ、また浦和高校 (旧制)に進学してからは内田寛一教授による講義も地理学への関心をもたらしたという。 先生の生い立ち、経歴などは、定年にあたって、ご自身で執筆され一部の関係者に配布された 「回想 65 年」(私家版)に詳述されている。昭和 50 年立命館大学の定年規定により専任教授を退 職されたが、つづく 5 年間を特任教授として勤められた後、名誉教授となられた。在任中には文 学部長ならびに学校法人理事、人文科学研究所長などの学内要職を勤められた。 学会活動では 西日本地理学会を改組しての人文地理学会の発足に参画され、その機関誌であ る「人文地理」誌の発刊と頒布にあたっては、戦後の出版事情がきわめて悪かったなかを、多大 の尽力をされた。またその後も、人文地理学会会長、「地理学文献目録」編集責任者、各種の委員 をつとめられ、学会の発展に貢献された。 明治生まれの江戸っ子らしいサッパリとしたご性格の故か、一旦しりぞいた公の場に再登場す るのを潔よしとされなかったようで、特任教授の期間が終わったのちは、学位論文審査などの特 別の場合をのぞけば、教室にはほとんど立ち寄られなかった。 平成9 年に奥様を亡くされてからは、下鴨北園町のご自宅で一人暮らしを続けておられたが、 数年前からは日常生活や病気を心配して、少しでも近いところでの居住を望まれた倉田葉子様(先 生のご長女)のお考えから、横浜市緑区にある NPO 法人が運営する老人ホームに入所されたが、 そこでも手のかからない、おだやかなお人柄であったとのことであった。 これというご病気があったわけではなく、いわば老衰による大往生をとげられたといえよう。 心からご冥福を祈り上げる。

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