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ベトナムの国家機構改革 -- 県、郡人民評議会不組織試行の論理背景

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全文

(1)

ベトナムの国家機構改革 -- 県、郡人民評議会不組

織試行の論理背景

著者

寺本 実

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

182

ページ

38-45

発行年

2010-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004383

(2)

  ベトナムの経済発展が注目され て久しい。同国では共産党による 一 党 支 配 が 続 い て い る。 し か し、 経 済 領 域 に 比 べ て 地 味 と は い え、 政治領域でも省庁の統廃合、行政 手続きにおけるひとつの窓口政策 の実施など国家機構の効率化、簡 素化に向けた取り組みが進められ ている。   二〇〇八年一一月一五日、第一 二期第四回国会で県、郡、坊の人 民評議会不組織の試験的実行に関 する国会決議が可決された(図 1 参照、人民評議会はベトナムの地 方議会) 。本稿では同試みのうち、 県級に位置する県、郡人民評議会 不 組 織 の 試 験 的 実 行 に 焦 点 を 絞 り、試験的実施が決められた背景 にどのような論理・アイデアが存 在 し た の か を 考 え る こ と に し た い。   県級は中央、省級、県級、社級 の四層で構成される現在のベトナ ム国家機構にあって、省から始ま る地方制度の中間級を構成してき た。試験的不組織の結果いかんで はこの中間級の約九二・七%を占 める県(約八五 ・ 六%) 、郡(約七 ・ 一%)の人民評議会がベトナムの 地方行政機構から取り除かれる可 能 性 が あ る( 表 1参 照 )。 も し そ うなれば県級として残されるのは わずか七・三%を占める市社・省 直属市のみとなる。ベトナムの国 家機構の将来像に関する政府の具 体的な諸方針に関する資料は入手 し得ていない。しかし、この動き 図1.ベトナムの国家機構 (出所)1992年憲法(2001年12月25日、第10期第10回国会で修正・ 補充)118条に基づいて筆者作成。 (注)丸枠の数字は各級に対応する。中央に国会と政府が設置さ れるほか、省級から始まる地方行政級の行政単位それぞれに地方 議会である人民評議会、地方行政を担う人民委員会が設置される。 各級、行政単位にそれぞれ共産党機関が設けられている。 表1 ベトナムの行政区分構成 行政レベル 名 称 数 省 級 中央直轄市 5 省 58 県 級 郡 46 省属市 44 市 社 47 県 553 社 級 坊 1,327 市 鎮 617 社 9,111 (出所)参考文献③15ページより筆者作成。 (注)数字は2008年12月31日現在。

(3)

ベトナムの国家機構改革

 ― 県、郡人民評議会不組織試行の論理背景 ― は 四 層 構 造 か ら 三 層 構 造 を 基 本 と す る 形 へ の 転 換 と い う、 現 行 の ベ ト ナ ム 国 家 機 構 に 対 す る 大 き な 変 更 を 視 野 に い れ た 動 き で は な い か と 推 察 さ れる。   先 に 記 し た 予 想 される残存県級行政区の圧倒的な 少なさ以外の上記推察の根拠は以 下の通りである。   ひとつには、市社・ 省属市(省 に属する市)は通常、坊(都市部 の末端行政単位)と社(農村部の 末 端 行 政 単 位 ) か ら 構 成 さ れ る。 省の中心地を構成する市社・省属 市は都市化が進んでおり、例えば 二〇〇〇年の状況を見ても半数超 ( 後 者 に 至 っ て は 七 割 超 ) が 坊 に より構成されてきた。こうした坊 における人民評議会が消失した場 合、市社・省属市の人民評議会の 傘下に入ることは現実的かつ無理 の少ない選択肢として考えられる こと。   二つには、省の中心地である市 社・省属市と同様にこれまでベト ナムの第三級行政区を構成しそれ ら都市部の周りに位置してきた県 において、中心地を形成する市鎮 と、農村部の末端行政単位である 社については、今回の実験対象か らは外れており、これらについて は独立した形で人民評議会が維持 される公算が強いと考えられるこ と。   三つには、筆者のこれまでのベ ト ナ ム 各 地 訪 問 の 経 験 に 基 づ け ば、市社・省属市は中央直下に位 置する第二級行政区である省の中 心地区を形成する。また、省の中 心地区である市社、省属市と同様 に第三級行政区を構成し、それら の周辺に位置する県において、市 鎮は中心地区を形成している。そ して社は農村部における末端行政 単位を形成している。例えば日本 の普通公共団体の市町村もそれぞ れその規模は異なれど、国家機構 において同じ第三層を形成してい る。ベトナムにおいて市社・省属 市、市鎮、社が同じ第三層を構成 表3 県、郡、坊の人民評議会不設置が試験的に実施される地方の地域区分 地域名 数 名 称 北部内陸・山岳地域 1(7.14%)  ラオカイ省 紅河デルタ地域 3(27.3%)  ヴィンフック省 ◆ハイフォン市  ナムディン省 中部北方・沿海地域 3(21.4%)  クアンチ省 ◆ダナン市  フーイェン省 中部高原地域 0 南部東方地域 2(33.3%)  バリア=ブンタウ省 ◆ホーチミン市 メコンデルタ地域 1(7.7%)  キエンザン省 (出所)参考文献③15〜17ページに基づき筆者作成。 (注)地域区分も参考文献③に従った。数の欄のカッコ内の数字は当該地域内の省・中央直轄市総数に占め る割合。◆は中央直轄市。 表2 県、郡、坊の人民評議会不設置が試験的に実施される地方 国会常務委員会への政府答申案 決定案 全国:10省・中央直轄市、67県、32郡、483坊 全国:10省・中央直属市(15.9%)、67県(12.1%)、32郡(69.6%)、483坊(36.4%) ラオカイ省:8県、12坊 ラオカイ省:8県(100%)、12坊(100%) ヴィンフック省:7県、13坊 ヴィンフック省:7県(100%)、13坊(100%) ハイフォン市:7県、7郡、70坊 ハイフォン市:7県(87.5%)、7郡(100%)、70坊(100%) ナムディン省:9県、20坊 ナムディン省:9県(100%)、20坊(100%) クアンチ省:7県、13坊 クアンチ省:7県(87.5%)、13坊(100%) ダナン市:1県、6郡、45坊 ダナン市:1県(50%)、6郡(100%)、45坊(100%) フーイェン省:7県、12坊 フーイェン省:7県(87.5%)、12坊(100%) バリア=ヴンタウ省:5県、24坊 バリア=ヴンタウ省:5県(83.3%)、24坊(100%) ホーチミン市:5県、19郡、259坊 ホーチミン市:5県(100%)、19郡(100%)、255坊(98.5%) キエンザン省:11県、15坊 キエンザン省:11県(91.7%)、15坊(100%) (出所)Nhan dan紙2009年1月16日、2月27日付、参考文献③15〜17ページに基づき筆者作成。 (注)決定案部分のカッコ内の数字は当該行政単位の当該地域内行政単位数に占める割合。参考文献③掲載の2008年 12月31日現在の数字に基づき計算。政府答申案と決定案は同じ内容のため、決定案部分にのみ記す。

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を 基 本 と す る 形 」 へ の ても、そうした理解を妨げるもの ではないと考えられること。以上 である。   本 稿 の 構 成 は 次 の 通 り で あ る 。 は じ め に 二 〇 〇 八 年 一 一 月 一 五 日 に試験 的な実 施が決められた施策 の 内 容 に つ い て 見 る 。 つ ぎ に 、 県 級 人 民 評 議 会の不 必 要 性に つ い て 一 九 九 九 年の 段 階で 既 に 論 じて い た レ ・ ミ ン ・ ト ン ( 国 家 と 法 研 究 所 副 所 長 = 役 職 当 時 ) の 「 各 級 人 民 評 議 会 ・ 人 民 委 員 会 の 組 織 と 活 動 の 刷 新 」( 参 考 文 献 ① 、 以 下 ト ン 論 考 ) に 注 目 し 、 そ の 内 容 を 吟 味 す る 。 そ し て 、 同 論 考 を 手 が か り と し て な ぜ 県 、 郡 の 人 民 評 議 会 の 不 組 織 が試 験 的に実 行される こ と が 決 め ら れ た の か 、 そ の ア イ デ ア の 論 拠 に 迫 る 。 最 後 に 、 ベ ト ナ ム における国 家 機 構再 構 築 の模 索に おい て同 試 み が 持つ含 意に つ い て 考 察 し 、 結 び と す る こ と に し た い 。

 

  本稿で注目する県、郡、坊の人 民評議会不組織の試験的実行に関 する国会決議は、二〇〇八年一一 月一五日、第一二期第四回国会で 可決された。同決議は二〇〇九年 四月一日に発効し、二〇〇九年四 月二五日から試験的実施が行われ ることになり、国会常務委員会が 中心的な任務を果たすことが定め られた。同実験の終了時期は、国 会により定められる。   二〇〇九年一月一五〜一六日に 開催された第一二期第一六回国会 常務委員会において、県、郡、坊 県、郡、坊における人民評議会不設置の試みが実施されているベトナム中部のダナ ン市(写真上下とも)。生活環境が変容する中でべトナムの人々は日々暮らしている (筆者撮影)

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ベトナムの国家機構改革

 ― 県、郡人民評議会不組織試行の論理背景 ― の人民評議会不組織の試験的実行 が実施される地方リストについて の政府答申が提出され、同試験的 実行は一〇省・中央直轄市、六七 県、三二郡、四八三坊で実施され ることが決められた(表 2参照) 。 全国レベルでは実行される割合が 行 政 単 位 に よ っ て 異 な る も の の、 対象地として定められた省・中央 直轄市では、管轄内の該当行政単 位のほとんどすべてで実験が実施 される。   試 験 的 実 施 の 対 象 地 に は 北 部、 中部、南部に位置する中央直轄市 がそれぞれ含まれ、山岳地方、沿 海地方などベトナムの地理的特徴 に沿った候補地の選択がなされて いる。また、選択数、選択比率に ばらつきはあるものの、中部高原 地域を除く、ここで挙げた六地域 のすべてから試験的実施の地が選 ば れ て い る( 表 3参 照 )。 こ う し た配慮がなされたのは、試験的実 施の結果いかんでは、ベトナム全 土における同施策の適用を念頭に おいているからだと考えられる。   続いて二〇〇九年三月六日にズ ン首相が県、郡、坊人民評議会不 組織の試験的実行中央指導委員会 の設立を決定し、自ら委員長を務 めることになった。そして二〇〇 九 年 三 月 一 二 日 に は 党 政 治 局 が 県、郡、坊の人民評議会不組織の 試験的実行の領導について指示を 出 し て い る。 同 指 示 に お い て は、 同試みの実施目的は「民が豊かで 国が強く、公正で民主的で文明的 な 社 会 の 実 現 と い う 目 標 の た め に、 そ し て 人 民 の、 人 民 に よ る、 人民のための社会主義法権国家の 建設、工業化・現代化事業を推進 す る と い う 要 求 を 満 た す た め に、 国 家 行 政 機 構 の 統 一 性、 通 暁 性、 効率、効果を保全する」ことにあ るとされている。

 

論考

  それではこうした施策はどのよ うな論理・アイデアを背景に登場 してきたのだろうか。   本節以降、先に記したように県 級人民評議会を組織することの不 必要性について一九九九年の段階 で既に論じていたトン論考(参考 文 献 ① ) を 手 が か り と し て、 県、 郡における人民評議会の不組織を 試みるというアイデアの論拠につ いて考える。同論考はベトナム政 府に属する現在のベトナム社会科 学院傘下の「国家と法研究所」が 発行する専門誌に掲載された論考 である。先にも述べたように、今 回の試験的不組織の結果いかんで はこの地方行政級における中間級 の約九二・七%を占める県(約八 五・ 六 %) 、 郡( 約 七・ 一 %) の 人民評議会がベトナムの国家機構 か ら 取 り 除 か れ る 可 能 性 が あ る。 残された県級行政単位と社級行政 単位を合わせて日本の普通地方公 共団体である市町村に相当するレ ベルを設定し、ベトナムの国家機 構を現行の中央政府から基礎レベ ルに至る四層構造から、三層構造 に転換することを模索した動きで はないかと考えられる。筆者が海 外派遣員として一九九九〜二〇〇 一年にベトナムの首都ハノイに赴 任中、同論考の考え方に政府筋高 位の老幹部も賛同し評価を示して いた。したがって、この構想は少 なくとも一部の政府関係者の間で は長らく温められてきたものだと 考えられる。この背景には、古田 元夫東京大学大学院教授がベトナ ムの地方国家機構は「制度として はきわめて中央集権的で、厳密な 意味での地方自治体は存在してい ないわけだが、実態としては地方 の自律性はきわめて高い」と指摘 する現実がある(参考文献②、四 一ページ) 。今日的、 将来的な「地 方分権」の意義を否定するもので はないと思われるが、中央政府を 中心とする国づくりという観点か らすれば、現状を肯定的には捉え 難いという当局の立場が反映され たものと考えられる。   トン論考をここで取り上げるの は、試験的な段階とはいえ、そこ で考察されたイニシアチブの一端 が約一〇年という時を経て、実施 に向けて動き出したことを筆者が 直に確認し得たことを契機として いる。 いうまでもなくこのことは、 一〇年以上前に認められたトン論 考がすぐれて今日的な問題を論じ ていたことを示している。   二〇〇〇年七月一三日の越米通 商協定の締結(ベトナム時間の二 〇〇一年一二月一一日発効)を大 きな契機としたベトナムの国際経 済への参入は、二〇〇一年一一月 二 七 日 の 党 政 治 局 指 示 に 基 づ く、 国 内 に お け る 新 た な 状 況 へ の 対 応、適応を促した。そして一九九 五年の加盟申請以来一〇年を越え る交渉を経て、二〇〇七年一月一 一 日、 ベ ト ナ ム は 世 界 貿 易 機 関 ( W T O ) へ の 正 式 加 盟 を 果 た し た。このように国際経済参入の流 れ が 一 層 本 格 化・ 加 速 す る 中 で、 ベトナム当局が国家機構の効率的 な機能、作動の実現を目的とした より根本的、本格的な動きが必要 と判断する段階に達したのではな いかと思われる。   それでは、以下、同論考の全体 的内容について見た上で、当局が 県、郡の人民評議会不組織を試す 必要があるとの判断に至る、その 論 拠 に つ い て 考 え る こ と に し た い。

 

論考

概要

  トン論考(参考文献①)はベト

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機 構 に つ い て、 中 央・ 的 に 明 ら か に す る 必 要 と指摘する (二 。 国家主権は唯一であり、 権 力 に よ り 代 表 さ れ thuo c ) の 政 府 体 系 二 七 ペ ー ジ )。 し か し、 は な く、 「 各 級 地 方 政 。 。 民 主 集 中 原 則 」 と は、 る こ と が 認 め ら れ る、   た だ、 こ の「 民 主 集 中 の 原 則 」 は法的には内容が未だ明確にされ ていない。そのために、国家機関 の活動の実践においては、 時に 「集 中」が強調されすぎて官僚主義と なるか、あるいは逆に「民主」が 強調されすぎて無紀律に陥るとい うことが、避けられない。   中央と地方の文脈でこうした問 題を解く方式としては「分級」が あ る。 「 分 級 」 と は「 上 級 の 管 理 機 関 か ら 下 級 の 管 理 機 関 に 管 轄・ 任務 ・ 責任を移すことである」 (二 八ページ) 。   ここで「中央による統一的管理 と地方による自主権を保障すると いう要求を満たすために、部門に したがった国家管理と領土にした がった国家管理を結びつける原則 をどのように定めるのか、という 実践的問題が浮上する」 (二八ペー ジ) 。   トンはこうした問いかけをした 後、ベトナムの文脈において、ま ず国会と地方議会である人民評議 会がどのような関係として定めら れているのか、つぎに地方の行政 執行機関である各級人民委員会と 政府の関係はどのように定められ ているのか、について考える。前 者 に つ い て は、 「 国 会 の 最 も 重 要 な機能は立法であり、人民評議会 の主たる機能は自ら管理し、法律 を 執 行 す る こ と で あ る 」。 ま た、 人民評議会の活動に対して国会は 検査、監視、活動の指導を行うも の の、 「 権 力・ 代 表 機 関 の 縦 関 係 ( he thong do c ) は 存 在 し 得 な い 」 と両者の関係を結論付ける(二九 ページ) 。   つぎに、後者の政府と各級人民 委員会間の関係については、国会 と 人 民 評 議 会 の 関 係 と は 異 な り、 法理論上も実践上も各級人民委員 会 は 直 属 の 秩 序 関 係( quan he thu bac truc thuo c ) に 従 っ た 政 府の下級機関であるとする(二九 ページ) 。   こ う し た 制 度 に 対 す る 理 解 は、 前者については中央政府の地方政 府の活動に対する統一的指導性と 検察を保つことができないのでは ないか、後者については各級地方 政府の自主権、創造的可能性を失 わせてしまうのではないか、とい う二点の現実的可能性を想起させ る。これらの懸念を克服するため に、トンは「国家行政機関に対す る集中的要素の強化、各級人民評 議会に対する民主的要素の強化と いう二つの方向性に従って、中央 政府と地方政府間の関係における 民主集中原則をより明確に定めな ければならない」とする(三〇〜 三一ページ) 。 ⑴ 人民評議会 の 位置付 け   つ ぎ に、 人 民 評 議 会 の 考 察 に 戻ったトンは、人民評議会につい て文言上定められた権限とその現 実的執行の間のギャップについて 指摘する。法制度上、人民評議会 は権力的性質、代表的性質の二つ を帯びるが、地方における一国家 権力機関という意味において、人 民評議会は文言上の管轄と実際の 能力の間にかなり大きな開きがあ る と い う( 三 一 ペ ー ジ )。 な ぜ 上 記 の よ う な 状 況 が 生 じ る の か?   それは、ひとつには人民評議会は 法律を制定する権利を持たず、他 方で会期において決議を可決する ことによって法律を執行する義務 を持つが、その執行面は行政機関 である人民委員会が担うためであ る(三一〜三二ページ) 。二つには、 人民評議会の業務機構は未だ具体 的に定められていない。人民評議 会 の 活 動、 活 動 の た め の 機 構 は、 実際には省級、県級の人民評議会 常任、人民評議会の各委員会、社 級人民評議会の議長、副議長のみ であり、自身が活動を組織するた めの現実的な力は未だ生み出せて は い な い。 「 そ の た め、 人 民 評 議 会の役割は会期と可決された決議 の リ ス ト の 下 に 確 立 さ れ る の み 」 という状況となる(三二ページ) 。 その結果として、現実には、地方 における国家行政機関である人民 委 員 会 が 実 権 を 有 す る 機 関 と な る。 三 つ に は、 「 人 民 評 議 会 は 地

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ベトナムの国家機構改革

 ― 県、郡人民評議会不組織試行の論理背景 ― 方予算案を決定し、決算を承認す る機関であるにも関わらず、地方 予算を直接把握してはいない」 (三 二 ペ ー ジ )。 そ の た め、 現 実 に は 人民委員会がこの側面でも実質的 な役割を担うことになる。以上の 認識から、人民評議会の権力の性 質について検討する必要が出てく るとトンは指摘する。   人民評議会は、地方における国 家 権 力 機 関 で あ る と さ れ な が ら、 実際には連邦国家構造内の制限さ れ た 一 国 家( mot Nha nuo c thu hep cua cau truc lien bang )のよ うにさえも自身を組織することが 認められていない。そのため、 「人 民評議会の国家権力性は、人民評 議会を本当に国家権力機関の実行 におけるひとつの実権機関とする ための法理・組織・物質・技術的 条件の確定が伴っていない」ので ある(三三ページ) 。   そこでトンは、ベトナムが法権 国家( Nha nuo c phap quyen )を 建設するという観点から、人民評 議会が地方の問題を解決するため の十分な能力を有する実権機関と して機能し、それと同時に領土全 体における国家権力も保全されな ければならないと考える。そして 以下のような結論の方向性を見出 す。 「 人 民 評 議 会 は 地 方 に お け る 自 己 管 理 機 関( co quan tu quan ) であり、人民の意志、願望、主人 となる権利を代表し、人民によっ て選出され、地方人民と上級国家 機 関 に 対 し て 責 任 を 負 う 」( 三 三 ページ) 、「人民評議会は、自己管 理制度の管轄範囲において地方の 人民を代表し、地方の問題を自ら 解決する、地方の自己管理機関と なる」 (三六ページ) 。   これは、人民評議会を「地方に おける国家権力機関」と位置付け る の で は な く、 「 地 方 に お け る 自 己管理機関」と規定し、地方人民 に対して責任を負う形とすること で、実権機関として人民評議会が 機 能 し 得 る 地 歩 を 与 え る と と も に、その一方で「上級国家機関に 対して責任を負う」とすることで 一国内における人民評議会の公的 な役割を担う形を整え、国内的統 一性を担保するように構想したも のだと考えられる。 ⑵ 人民委員会 の「 二重 の 直属 」   つぎに、縦の権力関係における 中央政府と地方政府間の関係を理 解 す る に は、 人 民 評 議 会 の 役 割・ 性質を理解するだけでなく、人民 評議会と人民委員会の関係をさら に検討する必要があるとの考えに 基づき、考察が行われる。   ここでトンが注目するのは、ベ トナムの人民委員会が持つ「二重 の 直 属( song trung truc thuo c ) の問題である (三〇、 三四ページ) 。 「 二 重 の 直 属 」 と は、 人 民 委 員 会 が法規定上、以下の二つの性格を 持つことに由来する。 ひとつには、 人民委員会は人民評議会により選 出されるため、同級人民評議会の 執行機関としての性格を有するこ と、二つには、上級行政機関の執 行機関としての性格を与えられて いること、である。トンは以下に 記す理由により、このような人民 委員会の「二重の直属」は、人民 委員会に対する指揮、監視活動に おける限界、不足を生じさせると 考える。   まず人民評議会との関係につい て は、 「 人 民 委 員 会 は 人 民 評 議 会 の執行機関であるが、相当程度の 独立的位置を占めており、地方の 問題のほとんどを解決しているよ うに見える」 (三四ページ) という。 人民評議会は、人民評議会・人民 委員会組織法(一九九四年第九期 第五回国会で可決。現行法は二〇 〇三年第一一期第四回国会で可決 されたものであるが、制度の根幹 は維持されている) の規定に従い、 経 済、 文 化、 社 会、 生 活、 科 学、 技術、環境、国防保安、社会的安 全秩序、民族政策、宗教政策の各 領 域 で 非 常 に 多 く の 決 定 を 行 い、 法律を執行し、 地方政権を構築し、 行 政 的 地 境 を 管 理 す る。 し か し、 これらの決定は人民評議会の各会 期で行われるものの、人民委員会 に よ り 人 民 評 議 会 に 提 出、 準 備、 説明されたものであり、人民評議 会で可決された後は、人民委員会 によって組織、実行される。した がって、 地方政府の活動の重心は、 明らかに人民委員会の活動自身に ある。そのため、人民委員会の活 動は、人民評議会の地位、役割を かすめさせ、人民評議会の『実権 で は な い 権 力( quyen luc ma khong thuc quyen )』 状 態 の 形 式 的病根の発生は避けられない。さ らに、 人民委員会は政府の統一的、 集中的領導を受ける地方国家行政 機関という位置付けにあることか ら、 同 級 人 民 評 議 会 に 属 さ な い、 多くの管轄を有している。このた め、人民委員会は人民評議会の検 査・監視を超えて、人民評議会に 対し容易に圧力を行使できる。こ うしたことは、形式的であった人 民評議会の活動を、益々形式的な ものにする」 (三四〜三五ページ)   二つめに、人民委員会と上級機 関との関係については、人民委員 会は人民評議会の執行機関として の性格を持つことから、制度上は ともかく、実際には必ずしも上級 機 関 と の 関 係 は 権 威・ 服 従 関 係 (

quan he quyen uy va phuc tung

になるとは限らない。特に国家の

利益と地方における利益に衝突が

生じた際には、人民委員会は上級

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法 の 強 化、 憲 法、 法、 。 質 が 刷 新 さ れ た 場 合、 検 討 す べ き で は な い 具体的な歴史的条件に沿って、地 方における国家機関の構造が確立 さ れ る 必 要 が あ り、 「 膨 大 で 無 駄 が多く、本当に効率的ではない形 式病は避ける必要がある」との認 識がある(三六〜三七ページ) 。   トンは、どのレベルで人民評議 会を組織する必要があり、どのレ ベルで取り除くことができるのか という設問を設定し、ベトナムの 地方行政級を構成する省級、 県級、 社 級 に つ い て さ ら に 考 察 を 進 め る。   省級については、中央と地方の 架橋であり、地方制度の始まるレ ベルとして重要であり、中央の政 策・法律を初めて地方で生活する 民に伝え、 地方で中央の政策路線 ・ 政策を具体化し、実行組織するの に 際 し て 重 要 な 役 割 を 持 つ と す る。社級については、国家権力体 系の最終レベルであり、国家と人 民の架橋であり、人民が自身の自 己管理権を直接実行するレベルで あ る と し て 重 視 す る。 そ の 一 方、 県級については中央からも、人民 か ら も 離 れ、 自 己 管 理 権 の 範 囲、 程度を確定することが難しい中間 級であるとして、県級人民評議会 の 設 置 は 必 要 な い と 結 論 付 け る (三七〜三八ページ) 。   こうして、トンは「県級人民評 議会を廃止し、基礎レベル(社級   筆者注) に自己管理権を集中させ、 また、省級人民評議会については 自己管理責任を向上させる」こと を 自 身 の 最 終 提 案 と す る ( 三 八 ペ ー ジ )。 そ し て、 同 構 想 の 実 施 は「地方における自己管理組織を 簡素化できるだけでなく、国家と 人民を結びつけ、人民の、人民に よる、人民のための国家であると いうベトナムの国の本質を現実の ものとするためのひとつの条件で ある」としている(三八ページ) 。

 

不組織

論拠

抽出

  これまで、トン論考の全体像を 見てきた。本節ではトンが人民評 議会、中でも県級の人民評議会を 既存の国家機構から取り除くべき と判断した背景にある論理、アイ デアに焦点を絞って見てみること にしたい。   トンは先に見たように、人民委 員会が、上級人民委員会と同級の 人民評議会の両者に従属する形と なる制度上の「二重の直属」を原 因として、各レベルの人民委員会 の上級機関に対する力、同級人民 評議会に対する力を膨張させ、結 果として地方割拠ともいえるよう な状態を招いていると考える。こ うした状況を招く具体的な要因と しては、ひとつには上級機関との 関係において、人民委員会は中央 政府から末端の人民委員会まで権 威と服従による縦のラインで制度 上 は 結 ば れ て い る は ず で あ る が、 人民評議会の執行機関という立場 を付与されていることにより、後 者の立場を強調することで上級機 関からの指示に従わないという選 択肢も留保していること。二つに は同級人民評議会に対しては、人 民委員会が同級人民評議会よりも 上位の機関より発するラインに連 なる機関であるばかりでなく、人 民評議会の会期に提出する諸文書 の準備で中心的な役割を担い、人 民評議会会期で方針が一旦可決さ れれば、その執行を担うことにな るため、実質的には人民委員会が 人民評議会に対して優位に立つこ とになることが指摘される。この ように地方の執行機関である人民 委員会が独自の力を増大させるこ とは、 中央が進める、 中央の方針 ・ 政策が地方に速やかかつ十分に浸 透し得る、一国家としての機能的 かつまとまりを有する国家の建設 という目的にとって、けっしてプ ラスには働かない。そこで県級の 人 民 評 議 会 を 取 り 除 く こ と に よ り、 このレベルの人民委員会の 「二 重の直属」を解消し、中央政府か ら末端行政単位に至る縦のライン の強化を図るという方向性が見出 される。   なぜ県級の人民評議会を除去す べき対象と考えたのか。これにつ いては、現在ベトナムの国家機構

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ベトナムの国家機構改革

 ― 県、郡人民評議会不組織試行の論理背景 ― は、中央、省級、県級、社級の四 層よりなっており、地方行政は主 に後三者により担われる。省級は 中央のすぐ下にあって、中央の政 策・法律を国民に伝え、浸透させ るための最初の段階に位置し、中 央と地方を結びつける役割を有す る。すなわち、中央の政策を地方 の 文 脈 に 即 し て 具 体 化 し、 組 織、 実行を行っていく重要な役割を持 つ。 したがって人民評議会を組織、 強化することは欠かすことはでき ない(三七ページ) 。   末端行政単位である社級は、国 家との関係において国民が直接自 身の管理する権利を実行する場で ある。 政府が日々国民と結びつき、 交流、 対面し、 国民の権利を守り、 その意見・願いに耳を傾け、大衆 運 動 を 直 接 組 織 す る レ ベ ル で あ る。 こ の レ ベ ル の 人 民 評 議 会 は、 重要な自主管理、 代表機関であり、 現体制における民主の本質を表す も の で も あ る( 三 七 〜 三 八 ペ ー ジ) 。   一方、県級は中央から遠く、社 級からも離れた中間級であり、自 身で管理する範囲、程度を定める ことも容易ではない(三七〜三八 ペ ー ジ )。 そ こ で、 「 二 重 の 直 属 」 により生じる、中央による地方の 統一的管理を妨げる要因を可能な 範囲で取り除き、中央の政策、意 図が末端まで貫徹しやすくさせる ためには、県級の人民評議会を廃 止することが得策であるという結 論が導き出される。

  最初に第一二期第四回国会にお いて二〇〇八年一一月一五日に試 験 的 な 実 施 が 決 め ら れ た 県、 郡、 坊における人民評議会の試験的な 不組織の内容について見た。つぎ に、予想される影響の大きさに鑑 み、考察の対象を県、郡に関わる 動きに限定し、県級人民評議会の 不必要性について今回の試験的実 施が行われる一〇年以上前から論 じていたトン論考に注目し、なぜ 県、郡の人民評議会の不組織が試 験的に実施されることになったの か、そのアイデアの論拠について 理解しようと努めてきた。   今回の考察によれば、県、郡の 人民評議会不組織の試みが実施さ れる背景には、上級機関・同級人 民評議会からの人民委員会に対す る指導、管理が「二重の直属」を 起因として十分機能しなくなる状 況を、地方における自己管理を損 なわない形で取り除き、国家機構 上、行政上の「無駄」を排除する とともに、中央政府から末端行政 単 位 に い た る 縦 の ラ イ ン の 統 一 性、機能性を強化する方途を模索 しようとの狙いがあるものと考え られる。本稿では特に論じなかっ たが、都市部の末端行政単位であ る坊における人民評議会の不設置 の試みも同じ狙いの下に実施され たのではないかと考えられる。も し今回の試験的実行において、十 分な成果が確認されることになれ ば、同施策は正式な方針、政策と してベトナム全土で実施される可 能性が高まる。   ベトナムは二〇二〇年に工業国 に な る と の 目 標 を 掲 げ、 工 業 化・ 現代化を進めている。国際経済参 入が一層本格化する中で、中央政 府を中心としてより効率的、的確 に機能し得る国家機構作りを目指 して今後も模索が続けられると思 われる。   ベトナムの人々はさまざまな意 味で変化のただ中で暮らしている (二〇一〇年六月九日脱稿) 。 ( て ら も と   み の る / ア ジ ア 経 済 研 究 所 東 南 ア ジ ア Ⅱ 研 究 グ ル ー プ) 《参考文献》 ① Le Minh Thong (レ ・ ミン ・ トン) [1999] 〝 Doi moi To chuc va Hoat do ng c ua H oi do ng N ha n da n va Uy ban Nhan dan cac Cap ( 各 級 人民評議会・人民委員会の組織と 活動の刷新) 〟 , Nha nuoc va Phap luat (国家と法律) 6(134) ② 古 田 元 夫[ 一 九 九 九 ]「 政 治 」 石井米雄監修、桜井由躬雄・桃木 至朗編『ベトナムの事典』同朋舎 ③

Tong cuc thong ke

(統計総局) 20 09 ., N ien g ia m th on g k e 2 00 ( 年 鑑 統 計 二 〇 〇 八 年 版 ) , Nha

xuat ban thong ke

(統計出版社) 〔付記〕   本稿ゲラ確認作業中の二〇一〇 年一〇月七〜一四日に開かれた第 一〇期第一三回ベトナム共産党中 央委員会総会冒頭の開幕演説にお いて、ノン・ドゥック・マイン書 記長は、県、郡、坊人民評議会不 組織の試験的実行中央指導委員会 が第一段階の総括を行い、実行一 年半を経て、同施策を国家行政機 構改革実行の要請、社会主義志向 市場経済の発展に相応しく妥当な ものとして評価していること、地 方においても同試みの継続的な実 施をほとんどの幹部・党員・人民 が支持していること、に言及して いる。   結局、同党中央委総会の議論で は、最終的な結論を出すにはまだ 時期尚早との判断に到り、同実験 を引き続き実行するとの結論が出 された。   最後に、初めてトン論考に接し た海外派遣中にご理解、ご協力を い た だ い た 皆 様、 本 稿 の 検 討 者、 編集の労を執っていただいた皆様 に対し、 記して御礼を申し上げる。

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1 Library, Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (3-2-2 Wakaba Mihama-ku Chiba-shi, Chiba 261-8545). 情報管理 56(1), 043-048,

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