• 検索結果がありません。

アメリカにおける性的精神病質者に関する法律(2) -精神病質者に関する刑事学的考察の予備的研究-: 沖縄地域学リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "アメリカにおける性的精神病質者に関する法律(2) -精神病質者に関する刑事学的考察の予備的研究-: 沖縄地域学リポジトリ"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Author(s)

神山, 敏雄

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 49-78

Issue Date

1969-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11002

(2)

一精神病質者に関する刑事学的考察の予備的研究ー

神 山 敏 雄

目 次

第工主主 性的精神病質者に関する法律の分析……....・H ・-…・……

5

1

1. アメリカ諸州の立法理由………・・……・・・……・…一… 52

2

.

制定法上の性的精神病質の概念・…...・H ・-……...・H ・

5

5

3. 性的精神病質者の診断資格者....・H ・...・.H ・-… 62 4. 裁判権の基随…-……H・H・H・H・...・H・...…・・…・…..64

5

.

裁判所と手続…… ・……-・……・・・…....・H ・………...66 (以上は沖大論叢第7巻第l号 に 掲載) 第2章性的精神病質者に関する法律の検討・……-… ...・H ・....50 1. 立法理由の当否………-・………-……...…..… 50 2. 性的精神病質者の定義と鑑定の問題… … … 54 3. 処遇と施設の問題…・…・………...・.H ・....65 4. 憲法上の問題… …H・H・..…………...・…....・.H・...68 むすび …...・H・-……...・.H・...……-…………・・ 73

- 4

9

(3)

2章 性 的 精 神 病 質 者 に 関 す る

法律の検討

1.立法理由の当否

第l重量 においては、当該法律の立法理由及びその内容を分析してきたが、 本稿ではアメリカの刑事学及び関連分野における学者の本法に対する批判 的見解を紹介した上で私見を述べることにする。 最初に問題となるのは、本法を立法した理由が果して妥当であるか否か である。これに闘し、ササがランドは変質的な性犯罪者が幾万人ものこの固 に野放しになっているとの主張は統計上きわめて不正確であるとして、次 の2つの面から指摘する。第ーに法令上の強姦ぞ全べて変質者による犯罪 的襲撃の事例として算入することは不合理である。伺故ならば、女性の性 行為についてのキンゼイの予備的調査報告は法令上の強姦が一年に平均し (1) て幾百万と起っていることを指摘しているからである。更に連邦調査局は 合衆国の警察に知られている全べての強姦のI↓1、約

50%

が暴行による強姦 であると報告しているが、ニューヨーク市では1930年から1939年までの10 年間に強姦罪として有罪判決を受けた18%のみが暴行による強姦であっ (2) た。叉、公衆の恥をかくという理由で、暴行による強姦の事実をかくした り、実際には合意で

I

n

t

e

1

'

c

o

u

r

s

e

をおこないながらも、ゆすりの為に暴 行による強姦として報告する場合がある。医者遥によれば、暴行による強 姦は薬品叉は傷害によって無意識にさせられない限1)、実際不可能である ことが繰り返し明言されてきた。暴行による強姦として報告された多くの 事件は消極的抵抗に過ぎないものを確かに含んでいた。以上のことからし (3) て強姦の統計はきわめて信頼がおけない。 第2に性犯罪は全くの不知の者によって犯されるよりは一定の人的関係 を有する場合に多発する。例えば、 324人の女性の殺害中、 102人は犠牲者

50

(4)

-の夫により、37人が父又は近い血縁者により、49人が恋人叉は求婚者によっ て犯されてきたと報告されている。かくて女性の殺人数の60%近くが血縁 者及び親密な交際仲間によって犯された。このことから血縁者叉は親密な1 仲間による殺人の危険性は不知の性的耽溺者による殺人よりはるかに大き (4) いことが分る。 更に彼は重大な性犯罪は変質者によって犯されるということは誤ってい るとして次のように述べている。フーパーはl年聞に犯された l万 8千件 の強豪犯人は変質者としているが、これらの強姦の中、少くとも半分又は 4分の3以上は法令上の強姦であり、幾百万の法令上の強姦が発生してい ることが思い起きれるとき、性犯罪を精神病質叉は変質と同一に取扱うこ (5) とは不合理である。また、性的精神病質者に関する法律の制定は、重大な 性犯罪を犯す者が類似の犯罪を反復して犯し続けるという信念に基づいて いるが、しかし次の3つの証拠は性犯罪者は他の犯罪者と比較して累犯の 割合は低いことを示している。 第lの証拠・連邦調査局は、一年に逮捕された者が前科を有する割合 に関して25種類の犯罪について報告しているが、麻薬常用者が第l位を占 め、以下窃盗、浮浪罪、酪町、強盗の順で強姦は第四位である。その他の 性犯罪は17位。更に性犯罪に限定してみると、 1937年に強姦で逮捕された 1447中、たったの 5.3%が強姦の有罪判決を受けていたことが分る。そ れは全べての他の犯罪の平均より常習犯の割合ははるかに低い。 第

2

の証拠・ニューヨーク市の性犯罪調査委員会は調査に碁づき次のこ とを結論した。即ち、性犯罪者は他の犯罪を犯す者に比較して初犯者の傾 向があると。例えば、この委員会は1930年から1939年までの10年聞におけ るニュ{ヨーク市の全性犯罪者の調査において、性的重罪で二度有罪とさ れた者は6人の常習者のみでみり、二度以上の者は見出きれなかった。更 にその委員会は工.930年に性犯罪で有罪判決を受けた555人中、 たったの31 人即ち、 5.5%がその後の 12ヶ年聞に重罪叉は軽罪の性犯罪で有罪判決を

(5)

-51-受け、その中、2人が 3問、 4人が 2回、その他がた,,'1囲のみであること を発見した。常習犯の最も高い割合を有している性犯罪者は一般的に露出 症患者であり、兇暴な性犯罪を犯す者ではなかった。 第3の証拠・これはニューヨーク市の少年審判所に持ち出された少年犯 罪者の特別な調査である。性犯罪のみで7包訴された工08人の少年の中、 3 人がその後に犯罪を犯したが、これらの犯罪は何れも性犯罪ではなかった。 一方、種々な犯罪{性犯罪に限らない)を犯した148人の少年の中、 109人 はその後に犯罪歴をもっていた。 以上の3つの証拠は、性犯罪者は反復して同種の性犯罪を犯し続ける事 が非常に低いことぞ実証している。しかし、性犯罪を犯す常習者が殆んど いないと云っても幾らかの性犯罪者は性犯罪を続けて行き、そうして性的 精神病買者と呼ばれている人々は婦女子に対して重大な危険となっている (6) との主張は後に性的精神病質者の定義と鑑定において反駁されると。 タッパンも性的精神病質者に関し、サザランドとほY同様な見解をもっ てお今り、次のように論述している。 性犯罪者の行動は他の重罪者よりも危険であること、性犯罪者は性犯罪 を繰り返し、又は二者担一的により重大な犯罪に進むなりの傾向を有しで いること等の事実は、現実的臨床及び矯正の分野における権威者の聞で、 一致してこれらの事実は真実でないということである。性犯罪者の集団は 他の重罪者よりはるかに危険でなく、常習性もないという証拠は増々明ら かとなっている。ごく少数の最も重大な性犯罪者さえも他の犯罪者よりは (7) 危険が少ない。我々が初めに注目し、支持されなかった仮説と対照される ような事実一一注意深い権威者によって証明されたーーは次のようなもの である。

'

.

1

.

犯罪者の中で攻撃的で危険な性犯罪者は非常にわずかにいるだけであ る。 Deviateの殆んどは温和で素直であり、社会に対する脅威よりは、む しろどうしたらよいかとまどっている。 n t F

J V

(6)

2

.

性犯罪者は全べての犯罪者タイプの中で最も少い常習者の中に入る。 (8) 彼等は性格的に強盗・放火者・刺客が犯罪を繰り返すようにはしない。 当該法律の立法理由の一つは、いくつかの野獣的性犯罪を契機に、公衆 によってこのような残虐行為を抑制するために要求されたものであった。 そこでミームは次のように云う。 。新しくてもっとも厳軍な法律に対する公衆のゴウゴウたる声とアジテ イショシに答えて社会的立法を通すことは比較的容易であるかも知れない (9) が、合憲性と実用性の要求を満足させることとは全く別の問題である' o e現在の性的精神病質に関する法律の効果のないことは、これらの法律が 適切なる科学的調査をせずに立法された性急な態度と、異様にもこれまで 存続している多くの誤謬に困る'。 ‘公衆の熱の炎l土誤り伝えた著述家達 ( 1聞 によってかなりあおられてきた砂。 そこで・更に本法の立法理由のーっとして性犯罪が激増する傾向にあるこ とであったが、カープマンはそのことを次のように反駁する。‘性犯罪は増 加の方向にあるという主張が、妥当な統計上のレポートによって証明され 得ることは疑問である。性犯罪は人口の増加の故にのみ増加しているので (11) あり、比例以

t

の多数ではない'。 更にリンドマンとマツキンタイヤーも性的精神病質者に関する法律の制 定にとって必要な仮説は多くの研究によって攻撃されていることを述べて おり、サザランドやタッパンの論証したニとを引用している外に、l この仮 説に対する反論として次のような資料を提供している。 ホ

I

l

li

n

o

i

sCom

11'l

i

s

s

i

o

n

.

R

,ゆ

o

r

t

は有罪の性犯罪者中、およそ6 %が危険であるに過ぎな いと結論している秒。叉、 山

C

a

l

i

f

o

r

n

i

aR

o

r

t

の1963年工月号の21ペー ジには、以前に犯罪行為を犯してない性犯罪者たる囚人の割合は、

S

o

d

o

m

i

s

t

の37.9%から近親姦で投獄された者の58.6%までの範囲を占めていたこと を示しているか。 ‘

C

a

l

i

f

o

r

n

i

a

P

r

i

s

o

n

に掬禁された全べての性犯罪者の 2分の lが何らかの犯罪タイプの

P

r

i

o

rCommitment R

e

c

o

r

d

を有し、 q a E 円 J V

(7)

約5分のlが

P

r

i

o

rP

r

i

s

o

n

R

e

c

o

r

d

を有することが結論されている'。従 って、 *参照している統計が妥当であると仮定するならば、性的精神病質 i 121 者に関する法部について強調している仮定の全べでは役に立たない。。 これまで分析してきたアメリカの刑事学者の結論よりして、性的精神病 質者に関する法律の依って立つ茶盤は薄弱になってきたことが理解でき る。しかし、たとえ立法理由が不十分であったと云っても現に当該法律が 諸州に存在し、運用されており、叉いつでも運用され得ることは無視でき ない。そこで我々は当該法律の内容を吟味する必要性に迫まられる。当該 法律の検討に際して、先づ問題となるのは、精神病質者の定義と診断方法 である。この点に関してアメリカの刑事学者はどのようにみているかを概 観してみよう。

2

. 性的精神病質者の定義と鑑定の問題

性的精神病質者とは一体、如何なるタイプの者をさすのか。本法の存立 碁盤は、性的精神病質者が実定法上、明確に概念づけられ、鑑定され得る という前提でなければならない。それ故に、性的精神病質者の定義と鑑定 における成功、不成功はそのま、本法の是非につらなるー要素となる。 そこで性的精神病質者に関する法律は、法文上出来る限り、ていねいに 性的精神病質者を定義づけるのを試み、それと同様に銭定人及び鑑定方法 についても細かく規定して自信ありげに見えるが、実は本法の最大の難点 はそこにあり、その点に関し、アメリカの刑事学者はこぞって批判的態度 にある。 先づサザランドは次の如く批判している。マサチューセッツ州の法律に おいては、性的なことにおける不品行の常習的過程において、 自 ら の 性 的衝動をコントロールする力の完全なる欠乏を証明した人々を指して性的 精神病質者とし、コロンピア地区の法律も性的なことにおいて繰り返され

(8)

-54-た不品行の過程によって、他の人々に危険であるような自己の性的衝動を コントロールする力の欠乏を証明した狂人でない者を性的精神病質者と定 義している。このような諸定義はいくつかの性犯罪争犯している者は、難 でも性的精神病質者であると明白に叙述している。即ち、

F

i

n

g

e

r

-

P

r

i

n

t

R

e

c

o

r

d

:

が犯罪者を精神病質者として診断するために必要とされる唯一の証 拠であり、精神病医の職務は必要とされなくなる。常習的性犯罪者を性的 精神病質者と同一に取扱うことは正当ではない。このことは丁度繰り返し 窃盗を行い、

A

n

t

i

t

r

u

s

t

法を犯し、叉はコ勺レフの得点を誤開化すような常 習的犯罪者を精神病質者として取扱うことが正当でないのと同様である。 精神病医遣は殆ど一致してこの定義に反対するのが常であった。しかし、 彼等は度々法律の中に叙述はされてないが、これと同じような機械的定義 を受け入れている。そこで人聞は幼少の頃から次のような段階を経て性行 為のノーマルな発展過程をたどると主張している。即ち、種々な形でひね くねる段階、自己の賛美の段階、同性愛の段階そうして異性愛の段階を経 る。この主張に従えば、人間の性行為は他の何ものに色関係せずに、パー ソナリテーの一般的発展段階を示し、その結果、パーソナリテーはその人 の性行動から診断され得る。例えば、向性愛は青春期前の発展段階の停止 の証拠としてみられ、露出症は幼少期への逆行とみなされ、両方とも人格 が病的としてみなされる。此の理論の不合理性は、性行為における変動と 人類の歴史を通しての性に関する法典についての知識ある人は誰にも明ら かになる。実際、現在の性犯罪は幾つかの社会では成人にとって認められ た行為であった。同様に我々の社会内においても性行為に関する

d

e'V

i

a

n

t

c

u

l

t

u

r

e

は亜界においてはやっている。少年達が他の場所でと同じように 学校のトイレット、運動場、寄宿舎において、これらの亜界の知識に導び かれていく方法が少年の性行為に関する多くの研究報告において示されて ( 13) きた。いやしくも精神病質に関する文献に接した者ならば、誰でも多くの 精神病医が此の概念の使用において決定的な標準が欠けている故に残念に ~55 ー

(9)

思ってきたことを知っている。此の2用語の不明きは次のようえよ事実からも 明らかとなる。一人の精神病医の下で、イリノイズ州刑務所に収容された 入獄者中、 98% は精神病質的 r~ーソナリテーと診断された。一方、他の精 神病医のいる類似の施設においては、

T

こYの

60%

がそのような者とじて診 断された。更にニューヨーク市の

P

s

y

c

h

i

a

t

r

i

cC

l

i

n

i

c

0

1

t

h

e

C

o

u

r

t

0

1

G

e

n

e

r

a

l

S

e

s

s

i

o

n

によって診断された性犯罪者のI'j:I、 15.8%は精神病であ ったと報告された。一方、ニューヨーク市の

B

l

l

e

v

u

e H

o

s

p

i

t

a

l

の精神病 (14) 医によって診断された性犯罪者中、 15.8%は精神病として診断されたー 従って、性的精神病質者の概念に関する此の分析からの結論は、それを 抱設への拘禁叉は完全に且つ永久的に回復したものとして釈放する為K司 法上叉は行政上用いるには余りにも駿昧であることである。殆んどの州の 法律に従えば、裁判所は性的精神病質を決定するには、二人の精神医に頼 らねばならない。精神病医は、此の問題に関する明白な結論に到達する診 日5) 断方法叉は標準を有していない。 以上の如く、サザランドによれば、精神病質者という用語はその概念の 不明確さと鑑定方法が確立されていないために、裁判上及び執行上、使用 に耐え得ないということであった。彼と同じような考え方はリンドマン及 びマツキンタイヤーにも見られる。彼等は性的精神病質者の標準について 法的面と医学的面からおよそ次の如く述べている。 性的精神病質者に関する法律の重大な機能はその法律が適用される者の クラスを明白に定義づけることであった。ところが、その法律はこの点に 関し失敗してきた。およそ 27の ル

r

i

s

d

i

c

t

i

o

n

s

は、

S

e

xD

e

v

i

a

t

e

Laws

の 中で同一者を取扱うことを主旨としているけれども、その者についてのお の異った定義をしている。医学上の観察者は、殆んど一致して効果的定義 叉は性的精神病質者を見分けるような法律上の標準ぞ確立している性的精 神病質者に関する法律の失敗を非難する。当該法律はこの致命的仕事にお いて無残にも失敗する。法令上の定義に関する法的不十分さの認識は医学

-

(10)

56-上の職業に局限きれない。殆んど全べての立法研究委員会もその問題を指 摘してきた。更に妥当な定義の欠乏は、漠然さについての憲法上の問題を提 (16) 起してきた。 定義における多くの困難は、精神病医の聞で精神病質者という言葉の内 包に関して広く不一致を示している事実から起っている。 ‘性的精神病質 者砂という言葉についての医学上園乱している現在の状態は1950年のニュ ージャージーレポートから確め得る。 そこには29人の医学の権威者が29 の異った定義を与えている。精神病質に適用される2∞以上の用語につい ての表記と研究は、精神病医が適正に個人をして性的精神病質者として隔 離することが出来るか否かについて大きな疑問があり得ることを示すに十 分である。医学の現段階において、精神病医は性的精神病質者を認識する ことは困難であることを見出している。正確な診断に根拠を有する法律 は、精神病学の研究と用語の明瞭化を通して更に発展させた場合にのみ可 能となろう。要するに多くの著者は次のように結論した。 法的手続及び精神病治療の手続において採用された。性的精神病質者。 という用語は、殆んどの性犯罪者に適用される為の十分にして明白な診断 ( 1官 上の実体ではなく、叉性犯罪者に関する立法も正当化しない。 更にスワンソンの論評を追ってみよう。これらの法律で使用された種々 な概念はほとんど意味がなく、理解出来ない。というのは、これらは客観 的医学又は法的基準に従ってなされる異常性の評価を可能にしないから である。それ故に法令上の規定の中で誰が性的精神病質者であるかを決定 することは非常に困難である。このような漠然きは、判事、陪審員並びに 相対的道徳及び社会的、文佑的偏見、そうして伺がもノーマル、であるかに ついての偶然的、主観的考えに従ってあいにく決定する臨床医の判断に委 ねられる。かくて

d

u

e

ρ

r

o

c

e

s

s

は性的精神病質者に関する法律によって 否定されることについて議論がなされ得る。何故ならば犯罪者はいわゆる 法的・医学的専問家達の単なる主観的決定によって不定期間拘禁され得る

- 5

7

(11)

からである。実定法に使用された諸概念は明らかに暖昧であるゆえに、こ れらの概念に基づいた類別は等しく駿昧である。裁判官・陪審員・医者及 び性的精神病質者に関する手続の中に登場する他の人々が、客観的標準に よって支配され得ないという事実は、法の下の平等の否定に導ぴくことも もっともである。叉重大な犯罪を犯す者は誰でもいくらかの精神的異常に 遭遇しているのである故に、この類別は不合理で・あることが更に意見とし て述べられてきた。性犯罪を犯す傾向を有する者が、他の犯罪タイプを犯す 傾向を有する者からいくらか異って取扱われるのは何故か。何人色合理的 理由のある場合を除いて他の者と異って類別きれない権利ぞ有している。 精神的に異常な性犯罪者を別のカテゴリーに置くことは、これらの者は他 の犯罪者タイプとは特に異って病気に遭遇していると仮定している。たぶ んそうであるかも知れないが、しかし全べての犯罪者は、この領域におけ る類別の基礎であるべきところのなんらかの根本的精神異常に遭遇してい 日 目 るように思われる。例えば、放火犯人、殺人者叉は泥棒のような他の犯罪 者グループも彼等自身の方法で同じような根本的病気を表わすかも知れな い。何故彼等も同様に処遇の特別なタイプが与えられないのか。特殊な性 犯罪を犯した人々に実定法の適用を制限することは誤っているように思わ れる。もしも性犯罪者が、

.

d

B

罪を犯す傾向を有する人々。についてのよ り大きなカテゴリーに属するならば、性的精神病質者に関する法律は不合 理で正当イじされ得えよい区別にもとづいてなされる類別を許していることに なり、その結果、申し立てられた性犯罪者に法の下の平等の保護を否定し ていることに必然的になる。それ故に性犯罪者は他の犯罪者タイプと異っ て取扱われるべきではない一一叉はむしろいっそうのこと、全べての犯罪 者タイプは性的精神病質者が処遇されると同様な方法で効果的に処遇され るべきである。結局、恐らくは性的精神病質者の処遇は‘犯罪者。として 類別された全べての者の処遇への道を聞くことになろう。しかし、現在に おいては、現段階の医学卜.及び精神医学上の知識で・もってはこのようなこ -

(12)

58-とは実行し得ないであろうことを現実的に認識しなければならなし、。更に 公衆には処罰よりかは矯正の新しい理念を受け入れる準備がないゆえに、 日目) 全体としての市民は恐らくはその理念に同意しないであろう。 以上の如く、スワンソンは性犯罪者と他の犯罪者とを区別することは合 理的根拠がなく、憲法上の法の下の平等に反すると指摘しているが、その 論には一理はある。これまでの刑事学者はこぞって性的精神病質者の概念 の漠然さについて批難を向けてきたし、スワンソンもその例に漏れず、そ の点を論破してきたことに変りはないが、このような特別立法が性犯罪

r

けに限ることは法の下の平等に反することを主張した点において、ユニー クな批判を展開していることが云えよう。 そこで次に異常心理学者の

N

a

t

h

a

n

i

e

lT

h

o

r

n

t

o

恨 の、犯罪と精神病質 的人格との関係についての見解に目を転じてみよう。彼もこれまでの刑事 学者と同じように、精神病質の概念が知何に不正確であるかを指摘し、そ の明確さを強く望んでいる。先づは彼の論述を追うことにしよう。 精神病質的人格と犯罪への傾向との聞に、いわゆる親近性があると考え られてきたように思われるが、しかし私は第ーに精神病質的人格の実際の 概念は、行動現象の研究者によってそれ自身種々と定義され、種々と解釈さ れ、種々と理解されていることを指摘する。丁度上述された近親性は信ず べきものであるかも知れないが、犯罪は。精神病質的人格。のカテゴリー に厳密に関係させられ得る人々よりは、外の者によって時折犯される可能 性を即座に排除することを正当イじすることは不十分であろう。 きて、正確には精神病質的人格とは何であるか。我々は知伺にしてそれ を認識し、診断するか。何のような本質的明確さてe他の

D

e

f

e

c

t

i

v

eC

h

a

r

a

c

-t

e

r

.

S

t

r

u

c

t

u

r

e

s

からそれは異なるのか。 精神病質的性格という名称に対して、私は観察と経験を通して特殊な種 類の性格学的叉は気性上の構造を理解するようになってきた。その構造は 厳格にはノイローゼの分野にも精神病の分野にも属していない、ある散慢 - 59ー

(13)

な徴候に特色づけられている。即ち、一般的な道徳的及び倫理的感覚叉は 社会によって採用されて一般的に承認された義準に従って、何が正しいか 何が悪いかの基本的差別をする能力の明らかな欠如によって特色づけられ ている。これらの上述の散慢な徴候の聞に、人は次のようなことを列挙す るかも知れない。いわゆるある種の奇癖叉は他の奇癖、社会的要求に対す る無関心及ひe社会的責任の不知、他人の要求や権利のはなはだしい無視‘ 極端な自分本位や思い上った利己主義、適応の詩みの欠乏、放浪、不安定、 怠け等。勿論、このような性格学的叉は気性学的特徴が正確に同じ結合叉 は同じ割合で存在することが常に発見されること、叉はこれらの同じ特徴 が精神病質的性格の如何なる所与のケースにおいても、不可避的に同じ程 度の強調を正確に表わすことを私は主張さえする気はほとんどない。その 上、ちょうど列挙された、ある徴候は、より正確には神経患者か、又は精神 (20) 病者とレて類別され得る者によゥてしばしば示されたかも知れない。 しかし、究極的な分析においては、恐らく精神病質的人格における主と してきわだつ特徴は、著しい欠陥以外の何ものでもなく、さもなくば、す べての意図及び目的に対して社会的に望ましい行動と社会的に望ましくな い行動との区別する感覚によって、全く心が動きれない精神病質的人聞に 帰着するところのほとんど完全に発達してない Su

ρ

er-egoの伺ものでも ないだろう。即ち一一別の言葉でこのことを示すと一一善悪の基本的区別 を認識する力によって心が動きれない精神病質的人間である。それ故に、 精神病質者に対する著しい対照において、神経症患者はしばしば、未発達の 超自我よりかは、むしろ余りにも厳格なことの命令及び Suρer-Egoの要求 において設定される抑圧からなやむ。誇大盲組狂 (Paranoia)、精神分裂 症 (Schizo

ρ

hrenia)、ソウウツ病の反応及ぴ一定のオーガニックに決定さ れる精神錯乱 (Psychotic Disturbance)等の場合において、他方におい ては、衡突はEgoとSuρer-Egoの両方の機能巻実質的に失わしめるほど激 烈であった。私の見解によると、精神病質的人格における Su

ρ

er-Egoの 一 印 ー

(14)

働きの欠如は、フロイドの意味における機能的抑圧に基づくよりはむしろ 生まれつきの欠陥に基づくことになる。それで精神病質的人格者は、犯罪上 の多様な行動を排除する安全手段としてつとめるかも知れないSuper-Ego 自由 をつくる土台の失天的犠牲者であるという印象を我々に与えている。 私がこの論文の最初で指摘したように、もしも我々が精神病質的人格 は、大部分の犯罪を犯す可能性を有する唯一の欠陥ある人格タイプである という樟捻を採用することを許すならば、大変なミスをおかすことになる だろう。レかし、他のタイプは、少くとも Super-Egoの機能のいくらか目 の名残を表わす行動の若手在によって純粋の精神病質的人格から区別され るσ例えば、誇大盲額的人物が法的仕組と衡突する場合に、彼等はある人 人の手から害をこうむった故に、これらの人々に正当な恨みをはらすこと 以外に何もしなかったことを、ときには声を出して、しかし常に激しい強 調で主張することによって彼等の行動に対して大きな苦痛で理屈をつける ことになる。彼等は全能の神自ら彼等が為したと同じような行動を命令し たと主張することによって自分等の行動を更に正当イじすることを読みるか も知れない。このような誇大盲想的人々によって行われた犯罪は、その場 合、勿論附加的要素も同時に働くかも知れないが、原則としてしばしば報 復叉は恨みに対する病的な自己正当佑の望みを有しているように思われ る。。一種叉は他種の犯罪に駆り立られる種々な変質的タイプを示すような 追加的例として、同性愛、サジズム、性欲倒錯等のような性的異常の犠牲 者が亡、で引用され得る。しかし、もし我々が、倫理的欠陥が恐らく精神 病質的人格の第一の区別する特徴であるとのほとんど不可避的見解を承認 するならぽ、この場合、大部分の犯罪者のカテゴリーからむしろより多く の性的異常者を除外することを余儀なくされるであろう。何故ならば、経 験的考慮は我々に次のようなことを教えるからである。即ち、例えば、e多 くの同性愛は深い罪の感情の支配をしばしば受け、彼等は法との衡突を避 け、社会の明らかな不認を招かないために出来る限り性的衡動を抑圧する

(15)

-61-ために意識的な努力をすることが可能であることを教える。同性愛の人々 は彼等自身が法的手続に含まれていることを見出す場合にさえ、彼等は一 般に現実的犯罪者というよりは、むしろ単なる法律違反者であることを証 働 明している。 この論文で全く明かに述べられてきた理由によれ 。精神病質的人格' とあいまいにレッテルを貼られたカテゴリーは根本的な再吟味の必要性に 立っている。幾人かの研究者は、他の多くのカテゴリーによって科学的に 明自に分類され得た種々な特徴ゃ反応を精神病質的人格の標題の下に無差 別に一つにまとめる悲しむべき習性に明らかに陥っている。他方におい て、分類についての極度に厳格な体系は、現在のかなり混沌とした分類よ りも害にさえなるかも知れない。我々は、行動上の変形を科学的に取扱う 努力をしているときはいつでも相関的なこと、重復叉は徴候の構遣を構成 闘 している個々の要素の一定の混合を考慮する用意がなければならない。 先づ、この論文の目的は精神病質的人格と犯罪への傾向との関係を吟味 し、精神病質的人格の概念が現在一般に与えられているものよりも明白に 鋭く、より合理的定義をいかにはげしく必要としているかを示すことであ った。数学的正確さは人格研究の分野において達成されることはないと いうのはもっともであるが、しかし確かに今白しばしばおそらく科学的問 題として普及しているルーズな用語はたとえいかなる理由にせよ

E

当佑出 帥 来ない。 きて、ソーントンのこれまでの論述から明らかとなったように、精神病 質的人格の概念がいかに不明瞭であるかを異常心理学の立場からも知るこ とが出来た。精神病質者以外の神経症患者による犯罪も、無差別に精神病 質者による犯罪として取扱ってきたこれまでの軽率な方法論に対して少く とも反省を促すことが要求される。 神経症患者と精神病質者との混聞についてはワイホーフェンも注意を促 している。即ち、彼は「精神病質的人格として診断された多くの人が恐ら

- 6

2

(16)

く神経病的性格のDisorderで悩んでいたものとして考えられたであろう。 この2つの条件にか〉わる相違点は常に明白には定義づけられない。この 倒 相違は特に病的情緒の事例において困難であるJと述べている。しかし、 彼は精神病質者のク。ループの存在を認め、精神病質者の行動の特質や原因 について割合積極的に取組んでいる。そこには精神病質者の概念について の力強い不信感は一片も見られず、むしろ理組的には Treatmentに処す べきとさえ主張している。精神病質者は生まれつきだとするのが一般的考 方であるが、精神医学者の中には精神病質者は生まれつきであることを否 定する者もあり、ワイホーフエンもその一人と思われる。彼は次のように 述べている。勿論、生まれつきの才能は個人として精神病質的人格に向け るか、叉はそれを如何なる精神的条件にも向き得るようにその発展から向 きを変える。しかし、実際にその条件を発展させるためには、その有機体 はある特殊な有害な影響に支配されるにちがいないことを彼等(精神病質 者は住まれつきではないとする立場の精神医)は信じている。有害の影響 は幼少の頃の実質的情緒の飢えから成立つている。著しく敵意があり、叉は 攻撃的である精神病質者の事例において、彼等の背景においてこの情緒の 飢えのみならず、その上、しばしば加虐性変態症的残忍な両親がみられる。 その子供は、冷たい残忍な世界で生き残るための本能的努力において原始 的種類の攻撃、利己主義の異常な程度及び情緒の孤立、忠誠や暖さの欠乏、 正直さ及び誠実さ、そうして将来、刑罰を受ける危険があるにも拘らず、 欲望の直接的満足を欲する傾向等ぞ示す。精神病質者は中年に入ると、活 動的に反社会性が少くなる。それは体力の喪失によるのか、又は情緒の成

ω

熟の遅い発達によるのかはは不明確である。ワイホーフェンは叉精神病質 者の犯罪的特徴については次のように見ている。精神病質者及び神経症患 者の反社会的行動は、それが実際に目的のあるものではない点において、 通常の犯罪者のそれとは異っている。しかし、精神病質的人格又は神経症 は、精神病質者が社会に対して反動ぞ‘実現する。ような種々な犯罪にお

-

(17)

63-いて、重要である。しかし、我々が観察するであろうように、犯罪者の精 神異常に対する伝統的テストはこのような

D

i

s

o

r

d

e

r

を含むほどに広くは ない。多くのぽん引きはこのカテゴリーに属し、そうして訴追すること を好まない親戚ゃ友人に犯行を限るので、刑事法廷に決して入らない多く の詐欺師もそうである。彼等の表面的な魅力や口達者な理知は、通常の犯 罪者が処刑を受ける場合に、同情を引き、そうして容赦をしてもらってい る。多くのアルコール中毒者、麻薬常習者、放浪者、病的虚言癖者及び種 々の種類の不適応な人格は精神病質者ク・ループに属する。多くの性的倒錯 帥 者もそうである。以上の論述よりして、我々は、ワイホーフェンが精神病 質者の存在、原因及ぴ犯罪的特徴を懐疑的にとらえることなく、素直にこ れらを把握していることを注意せねばならない。彼の著書からは、アメリ カ諸州の性的精神病質者に関する法律の下での性的精神病質者の概念及ぴ 鑑定に対する批判を見出すことはできなかった。これまでの学者はこぞっ て性的精神病者の実体の不明確さに対して痛烈な批判を加えてきたのに対 し、ワイホーフェンの立場はその点で異っている。 何はともあれ、本節で分析した結果によると、アメリカ諸州で立法され た

S

e

x

u

a

l P

s

y

c

o

t

h Laws

の基盤となっている性的精神病質者の概念 設定と鑑定可能性は少くとも成功したとは去えない。しかし、だからと云 って、此の社会に性的精神病質者が存在することを否定することにはなら ない。ただ精神病質者を法の下で特別に処遇し得るためには、その実体が精 神医学及び心現学上、いまだ十分に解明されていないことを示しているたe げである。我々の経験を通しでも、正常人では考えられないような残虐極 まる性犯罪が発生していることは認めぎるを得ないし、か与る犯罪は少く とも異常者によるものがその一部分を占めることが容易に推測できる。 アメリカの

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

p

a

l

h

Laws

が成功したとは云えない理由の 一つに、性的に重大な犯罪を犯した者は直ちに性的精神病質者のク'ループ に屑させられたように、性的精神病質者の概念が不明確なため、その適用

-

(18)

64-が不。当に拡大されたJ誌にもある。我々が、たとえとく一部とは云え、性的 精神病質者が社会的に存在することを認め、その対策を講ずることの必要 性を認めるならば、先づは精神病質者の実体の解明が急を要する。しかも、 その鑑定においても疑問の余地を残さない程の科学的基準が確立されるこ とが必要である。この点において、アメリカの

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

ρ

a

t

h

Laws

は問題を残したま'>I乙急ぎ過ぎた感じがする。

3

.

処遇と施設の問題

第2節で既に検討してきたように、性的精神病質者の概念は漠然として つかみ所がなく、従って鑑定においても科学的基準が確立されないため

S

e

x

u

a

l

P

s

y

c

o

ρ

a

t

h

Laws

の立脚基盤は根本的に揺いでいることが論証され た。然るに、処遇と施設の問題はここで論ずるまでもないと思われるが、 しかし、これらについて、アメリカの現状を吟味することは何らかの参考 になるであろう。アメリカの各州における施設の不十分さ及び処遇専門家 の不足は多くの学者・を膜かせている。例えば、リンドマンとマッキンタイ ヤーは次のように述べている。性的精神病質者の病院収容は患者の通常の 殺到に加えて

m

e

n

t

a

l

l

yi

l

l

の治療のための現存する医学上の施設に重荷 を負す結果になっている。このような施設はほとんど常に収容力の限度で 操作している。これらの施設に収容される人々の1:

1

:

:

力は、もし性的変質者 に闘する法律が立法府が予期したと同様な頗度でもって適用されるなら ば、かなり増加するだろう。このような事情の下に、批判が次の様に度々 出されている。既に病院に収容された者は、入院してくる患者のために単 に部屋をあけるために、適当な回復もせずに釈放されるだろう。叉、正規 に入院させられるであろうような人々は単に部屋があいていないという理 仰) 由で入院させられないであろう。 イリノイ州のレポートは

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

ρ

a

t

h

Laws

を施行するために

-

(19)

65-もっと多くの治療施設が必要であることを念入に述べている。しかし追加 される物的施設は十分ではない。たとえ追加される病院のスペースが提供 されても、適当な治療はす・ぐには聞に合ないかも知れない。ニュージャー, ジー州0)レポ『トは、施設がある所においで、§え、治療は、ほとんど純粋 に保護的であるキということを結論している。多くの権威者は、文多くの

ω

それ相当の訓練された職員の欠乏を嘆いている。 そこでリンドマンとマッキンタイヤーは施設欠乏の理由を次の

2

つに帰 している。第ーに、効果的治療を施するに十分な資格のある者がいない。 これは通常入院前ω調査官の資格と関連して論ぜられる。前に報告された ように、たった'.2"'~

3

ω

刊が特殊なトレイニングをしでい芯医者が性犯罪 者を調査するごとを要求している。ミシガン州のレポートは次のように述 べている。

J

i

l

l

組的には、精神状態は精神医によって決定されるべきであ る。しかし、このような要求はこのような専門家の欠陥がある限り不可能 であると。更に若手在する精神病院に持込まれる事件の重荷は全くぐらぐら レている。イリノイ州の委員会は、一つの縮設が4∞人の患者を有し、た だ一人の非常勤の精神病医ぞ有しでいることを。そうして他の精神病院は 通常のベットの収容力を47パーセシトも越えて操作しており、相当数の性 的精神病質者の拘祭に匹敵する程のスタッフが欠けていると。第二に、ヂご と定適当なスタッフを仮定しでも、重大な問題が移しい数の性的精神病質 者を治癒じ、叉は実質的に改善するための医学の能力について起ってき た。例えば、ネプラスカ州の法律の下で、凶一人の

c

o

m

m

e

n

t

a

t

o

rは自分の

取扱った事例を通して、このタイプの精神病質者に対する薬志叉は特別な 治療もなく、実際にこの様な者の病院収容は医学的事柄というよりはむじ ろ法的事柄であると述べているふ更に二ュージャーヲー州のレポートは、 強調されている困難な精神病質的犯罪者を効果的に取扱うに採用され得る 方法についての今日の精神医学の知識の欠乏にあると述べている。同レ ポートは、更に次のように続けている。しかし、実際に性的精神病質者の

-

(20)

66-大部分はたとえ'心現学的に異常であると考え得るような者

3

えも¥精神病, 患者に適用されるような通常の意味におけ;;;;病気ではない。精神病上の施 設は、精神病質者、神経症患者、精神分裂病者、生まれつきの性的変態者 のような多様な者を受けスれ、治療する場所と方法において、現在では適 (湖 合じない。治癒は単なる病院収容によっては期待きれ得ないと。 結論主レて、リンドマンとマッキンタイヤーは次のように結んでいる。 即ち、治療の欠提'突が SexDeviate Law 1(.対する根本的な非難である。伺 故ならば、このよう足並法の背後にある哲学は、守これらの犯罪者は処罰さ 机るよりは、かしろ治療されるべきであるということであるから。治療の 欠留たほど'性的精神病質者についての特定の考慮のfこめの、如何な右異った 有効的な理由をも失わしめる。法律は、このような知識がいまだ存在しな いか、交は不正確であることが発見されるのみで司ある。このような領域で

1) 問題解決のための医学上の知識をあでにしているように思われる。 同じく、タッパンも治療方法及ぴ施設の不十分さを次のように指摘して いる。我々は更に追加される困難と立ち向わきれる。我々は、性的変費者 を治療によづて処置する効果的処遇方法を開発してこなかった。実際に、 医学的精神療法にづいての此の特別に困難な領域ばおいて、合衆国におけ る実験的仕事についてさえ、非常にわずかばかりの仕事がなさ料でいるに 過ぎない。此の分野で専門家として一般に認められている精神医学の権威 者は十二人もいなく、一方、不幸にもこれはヤブ医者の活動をひきつける 分野である。性犯罪者と彼の危険性の性質に関してどんな不一致が対立し ようとも、次のような点については不一致があり得ない。即ち、我々は治 療学的化その問題を取扱う方法も職員も保有してなく、これらを開発する

ω

仏かなる実質的努ガもしセな仏ということについて。しかも性的精神病質 者に関する立法の下で実施される、 open-ended sentenceによる不愉快 な治療は、他の犯罪者よりも性的変質者をより厳格に処罰することを強調 する必要性iを反映しでいる。治療に対しでのぞんでいる考え方は、恐怖や - 67ー

(21)

嫌悪を隠すための外観上の慈悲深い合理化であるとして手厳しく彼はこれ (鉛) を非難している。そうして彼は結論において次のように結んでいる。終り に、我々が性犯罪者の保護的拘禁より外に野心的な何かを目指すζとがで きる限りにおいて、我々は研究のための施設と職員を採用することを通し てのみ、そうすることが可能となることが特に強調さるべきである。特殊 イじされた治療センターにとって必要なことは、遅かれ早かれ、治療の方 法、診断の基準、釈放のための基準、職員のトレイニング等を実現するこ とができることである。我々が立派に開発された制度上の、この種の施設 を有、しないならば、そうして有するまで病院や監獄への不定期の拘禁につ いての我々の方法は、正義を実現し、矯正をもたらし、精神上の回復をも 側 たらすことはないであろう。 以上のように、リンドマン、マッキンタイヤー及ぴタッパンの論述にもあ った如く、精神病質者の治療方法が確立されておらず、そのよ、治療施設 もいまfご不備の段階において、性的精神病質に関する法律の適用がいかに 危険であるかは多言を要せずとも了解できると思われる。最早二こにいた っては SexualPsycho

ρ

ath Lawsを支える柱は一本たりとも残らないと云 つでも過言ではない。更に、我々は当該法律を憲法の下で合憲、違憲の面 から検討することに迫られる。

4

.

憲法上の問題

Sexual Psychopath Laws においては、性的精神病質者は彼の犯した犯 罪の犬小と関係なく治療に必要なだけの期間、拘禁され得る。通常の刑事 手続においては、憲法及刑事手続法上の厳格な規制を受けて犯罪事実が認 定され、それに相応する刑罰が科されていくが、当該法律においては、そ れが要求されなし、。そこで、当該法律は、 duetrocess及ぴ法の下の平等 の保護を否定し、陪審による裁判の権利及び自己負罪に関する特権をそこ - 68ー

(22)

ない、犯罪者を二重危険に曝らし、残忍で異常な刑罰に対する窟法上の保 障を否認するものであるとして攻撃が加えられてきた。 上のような憲法

1

:

.

の疑義に対して、アメリカの裁判所はどのような態度 で臨んできたかを先づ紹介することにしよう。此の点につき、リンドマン とマッキンタイヤーは判例の歩みを適切にまとめているので、それを次に 引用させてもらうことにする。 1937年にミシガン州が性的精神病質者に適用され得る法律を制定した が、その法律は二重危険及び陪審裁判の欠在実の理由で憲法違反と宜言され た。この事件における被告人一一以前に

g

r

o

s

s i

n

d

e

c

e

n

c

y

で有罪とされ たーーは

I

o

n

i

a

r

e

f

o

r

m

a

t

o

r

y

s

e

n

t

e

n

c

e

tこ服していた。 1937年、法の 通過後、

C

o

r

n

m

i

s

s

i

o

n

e

r o

f

P

a

r

d

o

n

s

a

n

d

P

a

r

o

l

s

は、被告人はも

i

n

s

a

n

e

ではないが、性的変質者のように思われ、公衆の安全に対して危険な傾向 を有し、顕著な

s

e

xd

e

v

i

a

t

i

o

n

によって特色づけられる

m

e

n

t

a

l

d

i

s

o

r

-d

e

r

をわずらっているように思われる、という理由で州病院に拘禁させる ようにと申請した。そこで裁判所は違憲判決をしたのであるが、非合憲性 の決定は主として当該法律はミシガン州の刑法典の部分修正であり、追加 であるという事実に基づいていた。検事総長は、その法律で認められてい る手続は

i

n

s

a

n

ep

r

i

s

o

n

e

r

に関する法令上の審理に類似している民事手 続であると主張したけれども、裁判所の大多数はその手続は性質上、刑事 手続法であることを支持した。このように当該法律は憲法によって保障さ れているような犯罪の場から被告の陪審による裁判の権利を侵害し、そう して叉彼をして宣告される地位に、同じ犯罪で二度置くことになるとし た。 1937年の法律が非合憲として判決された後、まもなくしてミシガンの 立法府は

C

i

v

i

lC

o

d

e

の一部として新しい法律を制定した。此の新しい法 律は、旧法律にほとんどの面で同じであった01942年、新しい法律は

P

e

a

l

e

v

.

Cha

仰 仰n事件において合憲であると支持された。この事件におい - 69一

(23)

ては次の2点において問題主なった。(1)ヨ該法律は刑事犯罪で嫌疑がかけ られている人に対してのみ適用される規定内に導かれ得る、刑事上の性的 精神病質者のクラスに限定していみゆえに、1.1;の下の平等の保護を否定し た。 (2)当該法律は検事総長叉は

ρ

rosecutingattorneyfこ、手続開始の場 合の判断を与えることによって、このクラスから特殊のクーループを任意的 に作り出した。 裁判所は、第ーの主張に対し、立法府はもしこのような分類が合理的且 つ実質的区別に基づき、達成されることが求められている目的と合致して いるならば、それらの人々の分類をすることが出来るのはよく認められて いることであると判断した。第二の主張に対しては、このような判断の委 任は法の執行にとって合理的で本質的であり、被告人に対して法の下の平 等の保護を否定しないと判断した。 1940年には、ミネソタ州の法律の合憲性がMinesotaex rel, Pearsort v. Probate Court

0

1

Ramsey County事件で合衆閏の最高裁判所によっ て支持された。 Pearson事件におけ石申立人は次のようなことを主張し た。当該法律を適用すべき者4の定義が余りにも漠然としており、 due Processの標準に応じおに不明瞭であること、更に当該法律の一つのクラス から特殊なクツレープを分ける故に、法の下の平等の保護を被告人に及ぼす ことに失敗したと。これに対して、合衆国の最高裁判所は、ミネソタ州の 最高裁判所によって述べられている、当該法律の解釈を採用して次のよう に判決した。ミネソタ州の裁判所によって解釈されているような法律は非 合憲的であるほど漠然とはしてないし、更に当該法待は被告人から法の下 の平等の保護を奪うものではない。伺故ならば、立法府は害の異った度合 を認めることは自由であり、立法府が必要性が最も大きいと思うような場 倒 合のクラスに当該法律の制限を限定することができろかちである」ーも かくの如く、アメリカの判例は SexualPsychoρath Lawsは合憲であ るとの見解を採っているのであるが、アメリカの刑事学者の中広はなおも

70

(24)

-憲法上の疑義があるとの意見をもっているのが多い。先づ、法の下の平等 に当該法律が触れないかどうかを検討してみよう。性的精神病質者に限ら ず、その他の精神病質者・がこの社会に容在するならば、何故に前者に対し てだけ特別立法をなし、後者にはそれがなされないかという疑問が当然に 湧いてくる。そこに法の下の平等の原則が侵されてはないかとの問題が提 起きれる。ニのことにつき、スワンヅンは次の如く痛烈な批判を展開して いる。例えば、放火犯人、殺人者叉は泥棒のような他の犯罪者グループも 彼等自身なりの態様で同じような根本的病気をあらわすかも知れない。に も拘らず、何故に彼等にも同じように処遇の特別なタイプが与えLられない か。特殊の性犯罪を犯した人々に実定法の適用を制限することは誤ってい るように思われる。もしも性犯罪が,~犯罪を犯す傾向を有する者'とい う、より大きなカテゴリーに属するならば、性的精神病質者に関する法律 は不合理で

E

当化され得ない区別にもとづいてなされる分類を許している ことになり、その結果、申じ立てられた性犯罪者に法の下の平等の保護を 否定していることに必然的になる。それ故に、性犯罪者は他の犯罪者タイ 側 プと異って取り扱われるべきではないと。 スワンソンは、性的精神病質者と他の精神病質者とを区別して前者にの み特別処酒を加えるのは法の下の平等の原則に反すると主張しているが、 ぞれならば、すべての精神病質者に特別処遇を与えるならば合憲となるの か。当該社会で発生する、犯罪現象の中で特に重大な犯罪者につき特別処 遇を要する場合には、当該犯罪者群に特別に適用される立法が制定された としても、当該特別法自体に合理的根拠さえあれば、別に憲法上の法.の下 の平等の原則に反するとは思えない。従って、

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

p

a

t

h

Laws

が性的精神病質者を特別に取扱ったといーう理由で憲法違反の問題が起ると いう形式で議論をすることは誤っており、ひしろ当該法律自体の合理的根 拠の存否に論点を絞り、その上で合憲、違憲の判断を下さなければならな い。‘この点でミームの次のような問題把握のしかたは妥当であ ると恩われ

'-71

・ ー

(25)

る。彼の論述の概要は次の通りでゐる。性的に無責任の者まで含む znsa・ nityの概念についての立法府の拡張は、外観上、州警察権力の合法的行使 の縮問内にいかにもあるかのように思われ乙。以前には、大法官を過して 法によって実行されていたが、今は州の役割において

ρ

'arens

ρ

atriaeと して州によって実行されている。多くの最高裁の判決によって引用されて いるように、立法府は害の度合を認識し、必要性がもっとも明らかと思わ れるようなクラスにその制限を局限することは自由である。 SexPsycho

ath Statuesの合憲性を決定するにおいて、我々の考えの要点は当該法律 の下の手続が刑事

t

のものか、更は民事

t

のものかの裁判上の決定によっ ている。平和と社会の安全に危険となっている、精神的に不均衡な者を拘 禁する州の権力については誰も疑問はない。発狂し、精神的に撹乱し、情 緒的に叉は精神的に病気である者の看護、治療及ぴ不定期拘禁は、長い間 刑事との手続というよりは、民事

k

の手続と考えられてきた。州の問的は、 彼等を治癒するにおいて都合がよいように拘禁するととによって彼等から 社会を保護するための方法を提供することにある。この拘禁は、刑罰叉は Sentence としてみなされていた。その結果、刑事手続において、裁判所 によって注意深く護られる通常の保障は civil commitment

ρ

rocedure には適用きれない。この

ρ

arensdoctrine (これは民事

k

の拘禁手続を適 して掘行されるが)は SexPsychopath Lawsの背後にあって、薬礎とな 伺 っている理論である。 以

k

の如く、当該法律の憲法

k

の問題は当該法律自体及びそれが予定す る制度的条件にあり、従って、それらを検討することが先決である。そこ でミームは当該法律は残忍な刑罰の禁止に触れるのではないかとの疑閣を 投げている。即ち、適切な治療施設の欠映のゆえに、変質者が訴えられた 犯罪に比例することなしこれとは全く離れた期間、しかも治療方法に乏 しく、叉はその完全なる欠般に等しい条件の下で拘禁される場合に、非常 に電大な疑問がこのように保障されない長期に延ばされた拘禁が、残忍な

(26)

-72-倒 刑罰叉は異常な刑罰と考えられないか否かに関して起ると彼は指摘する。 更に、リンドマンとマッキンタイヤーも

r

S

e

x

u

a

l

P

s

y

c

h

o

p

a

t

h

Laws

は 個人の権利の防禦を保障する基本的手続上の保護に欠けている。民事上の 病院収容を受ける必要のある、これらの者の概念を拡張するための刑事裁 判所の使用は、憲法上の保護に関する軍大な問題を提起している。

h

e

a

r

-i

n

g

a

.

ρ

ρ

o

i

n

l

m

e

n

t

0

1

c

Ou

n

s

e

l

c

o

u

r

t

e

x

p

e

r

t

を交互尋問する機会等に 側 関する規定は多くの実定法から除外されている」として憲法上の疑識を投 げている。 (ω その他の学者も憲法上の議論は展開せずとも、当該法律の不当性を厳し く追究しているのが一般的であるように思われる。私見としても、当該法 律の下での性的精神病質者の概念の不明確さ、施設の不完備及ぴ精神医学 上の治療方法の貧弱き等を勘案した場合に、性的精神病質者をして通常の 刑事手続によらずして、犯罪事実及ぴ性的精神病質を認定し、不定期閣の 拘禁をなすことは、被告人の憲法上の地位保障を根底から揺振っている感 がする。特別の取扱いをするには、それなりに合理的根拠がなければならな い。然るに、当該法律はそれが依って立つところの基盤に多くの亀裂を残 しているゆえに、性的精神病質者を特別に取扱うことは憲法上、大きな疑 義を残すものと思われる。

む す ぴ

これまで検討してきたことによると、

S

e

x

u

a

l

P

s

y

c

h

o

p

a

t

h

Laws

の立法 根拠となった種々な条件は、多数の学者ーによって脆くも打ち崩されてき た。特に当該法律で処遇の対象となっている性的精神病質者の概念の不明 確さについては、精神病学者、心理学者及び刑事学者によってあらゆる角 度から指摘され、精神医学及ぴ心理学の分野においても、それについては いまだ使用に耐え得るような客観的基準が確立されていない状視にある。

73

(27)

-精神病質の原因については、初期のドイツの精神医学者は環境というより は、むしろ生まれつきの欠陥にそれを求めていたが、今日では生まれフき の素質だけにそれを求める理論は大方放棄され、素質と環境にその原閣を 融自 求める理論が多くの賛同者を得ている。 ところが、たとえ精神病質の原因が素質と環境に求められようとも、ど の程度の異常性をもって精神病質者というかは依然として漠然としてい る。そのことは既に第二節において検討した通りである。しかし、やこのよ うに精神病質者の概念が知何に陵昧であるにせよ、我々の社会には犯罪行 動を通して極端な異常性を示す者が存在することは否定できないであろ う。もとより、犯罪行動そのものが異常であるには違いないが、しかし、 通常の犯罪手口は普通人をもってしでも了解可能であるが、場合によって は、それが我々の常識では了解不可能か、叉は了解困難な犯罪が発生する ことがある。例えば、アメリカにおけるアルパート・フッシュ事件にみら れるように、百人以上ρ子供を性犯罪の犠牲に供し、その上、犠牲者の幾 人かの肉を食う残虐極まる事件があり、本土においては、性行為後に拒殺 し、女性の局部を訣り取り、その上、乳房の下に十字形を切り込むような 犯罪を3度とも同じ手法で犯した事件があり、沖縄においても、過去に強 姦罪を犯した者が就寝中の子供を運ぴ出して辱め、局部を扶り取った事件 があったように、少くとも、まれではあるが、我々の常識では考え及ばな いような犯罪行動に駆りたてられた一群がいたことだけは確かである。こ れらの性的異常者に対して単なる通常の刑罰のみをもって臨むならば、彼 等は再び同じような危険行為を繰り返す羽目になるかも知れない。我々は これらの者を手をこまぬいて放置するわけにはいかない。現代におはる、 刑罰の目的は責任主義を加味しながらも、改善、更生、社会復帰にあると いう点にほとんど一致している。それならば、精神病質者はー積の危険な 素質をもヮ

T

こ異常者であるので、その異常性が除去されない限れ犯人切 改善、更生、社会復帰は不可能となる。要すみに、異常者の治療のために

(28)

-74-は、通常の刑罰でもってしてはほとんど期待ができず、そこには一種独特 の治療処分が必要となってくる。かかる観点からすれば、私見としても、 政策的には精神病質者に対して伺らかの対策を講ずべきだということであ るが、問題となるのはその対策において実効性を収めることができるか否 かである。 アメリカにおける

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

ρ

a

t

h

L

a

w

s

は処遇の対象となるべき 者を余りにも並大しすぎて、処遇の必要性のない者までも当該法律の下で 不当な処分がなされたとして批難された。更に、精神医学界及び心理学界 において、いまだ精神病質者に対する治療処分の方法が確固なものとして 樹立されてなしそれに伴い、治療センターの施設の不完備が当該法律の 違憲性の主張にまで結びつけられてきた。法律家はやhもすると、法律的 側面からのみ、危険な性格を有する精神病質者に対する保安処分の必要性 を強調する傾向がみられるが、しかし、その前提条件となるべき精神病質 者の概念、原因、治療方法の解明及ぴ治療施設の完備がなされない限り、 それは意味がないことである。 我が固においては、刑法改正作業の過程で精神病質者を独立の保安処分 の対象にするか否かで大いに議論が展開されたのであるが、一様それは廃 案にされ、間接的 lこではあるが準備草案第 110条の心神耗弱者の概念を拡 張して、その中に精神病質者を含め、保安処分の対象とする考え方に意見 がまとめられているようである。いずれにせよ、精神病質者を保安処分の 対象とするには、その実体が精神医学及ぴ心理学の面から解明され、改善、 更生の素地ができ上って初めて成功するものであるが、我が園で果してそ れだけの素地が準備されているか、はなはだ疑問である。従って、我が国 でもアメリカにおける

S

e

x

u

a

lP

s

y

c

h

o

p

a

t

h

L

a

w

s

が辿ってきた過程を十 分に検討した上でよ精神病質者には対処してもらいたいものである。幸い にして、最近に到って、漸く、精神病学者、心理学者及び刑事学者の閣で 精神病質の研究が急速に進められているので、近い将来、精神病質者を特

75

(29)

-別処遇に附するに十分なる研究成果が提供されるものと期待される。我々 は、いかに現状打聞に法的措置の必要性を感じるとしても、右の関連分野 が精神病質者の実体を解明してくれない限り、舵のない船に乗っているの に等しい。このことは、何よりも先づ、アメリカ諸州の SexualPsycho -仰

t

hLaws

が明自に謂ってくれた。従って、我々は法的技術としての保 安処分の確立を急ぐのではなく、精神病質者の実体追究のための実証的研 究に全力を投じなければならないことを強調すべきである。 以上でもって本稿の目的は運せられたのであるが、資料の不備やらで説 明し尽きれない商もあったかと思う。それにしても、刑事責任の分野にお いて、いまだに取り残された精神病質の問題について関心を寄せている者 にとって本稿が何らかの参考になれば、これほど馨しいことはない。今後 とも筆者は精神病質者の刑事的責任につき研究を続ける積りでいるが、本 稿はその予備的研究とでもいうべきものであった。多くの批判を仰ぎたい と思っている。 (完) 設 (1) E. H. Sutherland.“The Sexual Psychopath Laws." The Journal of Criminal Law. Criminology and Police Science. 40: 545. 1950. (2) E. H. Suther1and. ibid.. pp. 544

.

.

.

.

545. (3) E. H. Suther1and. ibid.. p.545. (4) E.H. Suther1and. ibid.. p. 546. (5) E.H. Sutherland. ibid.. p. 547. (6) E. H. Sutherland. ibid.. pp.547'"'"' 548. (7) Paul W. Tappan.“Sentences For Sex Criminals" The Journal of Criminal .Law. Criminology and Police Science. 42 : 334. 1951. (納 PaulW. Tappan. ibid.. P.336.

(9) F. P. Mihm. ‘'A Re-Examination of the Validity of Our Sex Psycho' path Stiltutes in the Light of Recent Appeal Case and Experience"

参照

関連したドキュメント

ƒ ƒ (2) (2) 内在的性質< 内在的性質< KCN KCN である>は、他の である>は、他の

「父なき世界」あるいは「父なき社会」という概念を最初に提唱したのはウィーン出身 の精神分析学者ポール・フェダーン( Paul Federn,

 神経内科の臨床医として10年以上あちこちの病院を まわり,次もどこか関連病院に赴任することになるだろ

(注妬)精神分裂病の特有の経過型で、病勢憎悪、病勢推進と訳されている。つまり多くの場合、分裂病の経過は病が完全に治癒せずして、病状が悪化するため、この用語が用いられている。(参考『新版精神医

が作成したものである。ICDが病気や外傷を詳しく分類するものであるのに対し、ICFはそうした病 気等 の 状 態 に あ る人 の精 神機 能や 運動 機能 、歩 行や 家事 等の

[r]

また、学内の専門スタッフである SC や養護教諭が外部の専門機関に援助を求める際、依頼後もその支援にか かわる対象校が

既存の精神障害者通所施設の適応は、摂食障害者の繊細な感受性と病理の複雑さから通 所を継続することが難しくなることが多く、