Title
「資本概念」とイギリス法
Author(s)
金子, 勲
Citation
沖大法学論叢 = OKIDAI HOGAKU RONSO, 1(1): 33-75
Issue Date
1975-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6442
「資本概念」とイギリス法
金子勲THECoNcEPToFCAPITALANDENGLIsHLAw
IsaoKanekoはじめに.…….………・………34
「永久資本制」の成立………34
「永久資本」と損益計算……・……・……・………47
制定法上の展開….………….………..……..……55現行会社法における「資本」……・…・……..….….61
配当規制の概要.….…………..…・…・………66
1234567 , む・すびにかえて ̄アメリカ法との比較による若干の指摘一……69
-33-1,はじめに わが国の株式会社法において,「資本」とは,法定の手続によって定められ, (商法284条の2参照)かつ登記および貸借対照表によって公示される一定 の数額であり(商法188条2項6号。285条),会社資産を会社に留保さ せる最小限度を示すものであるとされているが,本稿は,この株式会社法の本 質的基礎概念である「資本」というものがいかに生成,発展したかということ を,主としてイギリスについて沿革史的に検討し明らかにすることを目的とす る。「資本」という用語は,周知のとおり法律学・経済学・会計学等において, 多くの意義に使用されている。そこで,本稿では,まず,イギリスにおける会 社企業の発生から株式会社制度の確立に至る時期に,経済的意義のいわゆる 「永久資本」制の成立とそれによる損益計算の成立という点について検討する。 つぎに,ここから物的会社たる株式会社の「資本」概念を法はいかに形成した かということを問題にし(有限責任制度とのかかわりは当然問題となる),現 在の法状態に及ぶつもりである。以上の検討により,会社法における「資本」 概念の明確化とその機能把握のための基礎資料としたい。 2,「永久資本制」の成立 中世イギリスにおいて,海外貿易に従事する商人の採用した組織には,2種 類のカンパニーcompany形態があった(1)。いわゆるregulatedcompany とJoint-stockcompany1である。:regulatedcOmpanyは海外貿易に まで拡大されたギルドといいうるものであり,カンパニーは自ら貿易を行ったの ではなく,その関係した貿易をregulate(規制)するだけであった。その 成員は自己の「資本」をもって自己の「計算」において,各自取引し,ただカ ンパニーの制定した自治法による規約および制限に服すことだけが要求されて いた。たしかに,このようなカンパニーも,成員の加入金admissionfeeB や特別徴収金BPeCia11eviesから成る共同使用のための団体財産を有して はいたが,この財産は成員がその事業経営に用いた財産と比較するならほとん -311-
ど問題とならなかった。すなわち,すべての成員の出資から成る「1つの資本」
をもち,団体が「単一人」として事業を営み,その「利益」を成員に分配して
いたのではない(2)。16世紀中葉,イギリスの遠隔地貿易の発展にともない,従来のregulat-edcompany内部の商人の間に§「共同計算」にもとづく,partnership
の取引原則が起り,しだいに大規模なものとなっていった(合本企業joint
-stockenterpriseの発展)。カンパニー内部の任意のjoint-stock
'からカンパニーを-体とするjoint-Btock,へと進んだところにjoint-Btockcompnyが成立し,ここで,はじめて,:成員のすべてが,そ
の「資本」を結合して,団体が「単1人」として事業を営むという企業形態が
発生した(5M)。Joint-stockcompanyにおいては,事業はカンパニーが行い,カン
パニーは成員の「出資」を基礎としていた。しかし,特許状(5)についてみるか
ぎり,当時のregulatedcompanyの特許状と異るところはなかったといわ
れる(6)。たとえば,1555年に組織されたRussiacumpanyは,通常,「最
初のjoint-stockcompanyといわれるが,その1555年の特許状は
joint-stockについて何の規定も含んでいなかったのである(7)。
当時のカンパニー(とくに貿易会社joint-stockcompanyと呼ばれ
たもの)の特許状には,「会社の資本capitalofthecorporationに
ついては何の定めもなかった(8Uし,配当dividendsについての規定もみら
れなかった(9Lこれらのカンパニーは,いまだ近代的な継続企業going-concernではなく(いわゆる当座的な合本企業制limitedjoint-
stock),各航海ごとに個別に「資本」が調達され,-航海が終れば,投下した
「資本」と「利益」はすべてその成員に払い戻された001.ここでは「会社事業」
は多かれ少かれ「当座企業的」性質を有していたのであり,清算と決算,「資
本の払戻」と「利益の分配」とが分化していなかった(11)。すなわち,「触
れずにbekeptintact維持されるべきものとしての「資本」という観念idea
ofcapitalはいまだ知られていなかった(12)」のである。
さて,東インド会社TheEastlndiaCompanyもまた,当初は同じよ
-35-うな性質の企業体であった。この会社は,1600年12月51日,218人 の貴族および商人に対して付与された特許状によって成立した(15)。その持 分adventureorshareは101個に分たれ,1持分の最低引受額は20 0ポンドとされた。第1回の航海は全員の出資を求めることができず,現実に 払込を行った者のみによって,当座的な合本企業として出発し,1612年ま でに8回の「航海企業」が結成された。この各航海とも,「出資」は1航海の みのものであり,航海終了とともに「利益」と「投下資本」すべてを成員に分 配し,解散するのが原則であった(14)。 しかし,実際には,各航海ごとに,清算しきれない「残余」があるのが普通 であり,これは次の航海分に吸収され,このような不完全な清算がくりかえさ れた結果,毎回の残高の整理と成員(出資者)の持分との関係がたえず混乱し たという(15)。 そのうえ,当時のオランダ東インド会社は1602年には永続的な株式会社 として成立していたため,このオランダ東インド会社との競争がするどく対立 してくるにしたがって,従来の個別seperateかつ当座的terminableな 企業制の弱点は顕著となり,より永続的な「結合形態」をとる必要が生じた(10. 当座的な「出資形態」をとっていたイギリスの場合には,オランダと異り,全 資産を分配するためには,資産を流動状態が少くとも流動化しやすい状態にお く必要があったと考えられ,これは,当然不利な競争条件をつくりだしたわけ である07)。 成員(出資者)の責任は無限責任であり,必要資金を出資額に比例して追加 徴収された(特殊イギリス的な「徴収levy」という間接無限責任(13)。しかし, その出資証券billofadventureは「総会」の承認によって譲渡すること ができた(一種の萌芽的な株券(19)。 1615年にいたり,はじめて,カンパニーすべての成員の出資による合本 企業である第1次合本theFirstJointStockが形成された201。この成 立にさいしては,以後の4年にわたる4航海につき「一括的」な出資申込がカ ンパニーのすべての成員に勧誘され,418,691ポンドという巨額の申込 を得,払込方法は4年にわたり4回に分割されて,各航海ごとに4分の1ずつ -36-
徴収されたという。 さらに1617年には期間8年の第2次合本が募集されたが,これは,第1 次合本の資産assetsをそのまま継承して航海を開始し,その出資者は第1の 場合とほとんど同じであったことから>両者は,事実上,「永続的」な同一の 会社企業であったといわれるCl)。この間の事I盾をリトルトンは次のようにいう。 「これは継続的資本として世に公けにされた最初のものであり,joint-BtOck companyにおける持分観念が「商品持分」から譲渡性をそなえた特定 金額持分へ移行すべき-段階を画するものであった。それは資本金額において 不特定かつ株主数において制限のある出資形態から,資本金額において特定な かつ株主数において不特定なる出資形態へと転換するはじまりであった221」とb しかし,ここでも依然として企業の「当座性」はぬぐいきられず,決算と配
当は清算と解散から明確に区別されていなかったのであり(分割制度diviBion),
「永続性」を増した企業も,その内部の数回の航海は,独立した企業 のように,相互に別々の計算がなされていたl28L ところで,当時は,「資本」の返還を含む配当が通常のやり方であって,配 当についての規制はいまだ現われなかったが,ある事業ventureが50%の 利益を生ずるなら,配当は資本プラス2分の1acapita1andhalfとい うように宣言されたe4I251。しかし16世紀には,イギリスの会社関係のいかな る文書にも「資本capital」という用語はみられず,かわりにstockとい う語が,きわめて多義に用いられていたという(261.stockという語は,一般 には,全財産wholepropertyと同意義に用いられたが,営業用資本tra- dingcapitalまたは流動資本floatingcapitalをとくに指[ていた 場合も多かった。stockは,当初,「出資者たちによって実際に払い込まれ た金額sumsprovidedbyshareholders」を意味していたが,その後 多額の借入金を用いるようになると,通常,「株主」によって払い込まれた金 額より大なるものを意味するようになって複雑なものとなり,さらに,161 5年の第1次合本の成立にあたりこの語は,100ポンドの「株式」そのもの をも意味するようになってますます混乱を生じた。この混乱の解決のために, stockにかわる用語として,新たに碗capital,,という語が導入さ柵71, -37-1614年の東インド会社の記録中に,その最初の使用例がみられるとされて いる28)。 1657年,クロムウエルのプロテクトレート制のもとに,東インド会社は 新たに特許状を付与された力氾91,この直後,「設立趣意書preamblefor subscription」により,出資は,従来の東インド会社およびコートン商人 団301の成員のみならず「ひろく国民一般」に公開された。これがいわゆる新合 本NewGeneralStockである。出資は最低額100ポンド,総額759, 782ポンドであって,従来のような-航海はないし数航海についてだけのも のではなく,「恒久的」に使用しうるものとなった。さらに設立趣意書はつぎ のように規定した,「…7年目の終りに…[そのために総会によって選任せら れた]役員coImnitteeによって現存の全資本の公平無私な評価がなされ,退 社せんとする出資者にはこの評価に従って彼の帰属分remainが貨弊で支払わ れろ。また他の誰人でも欲するならばこの評価に従って新たに出資しうる。な お同様な評価は…のち5年どとに行われる(51)…」と。 ここに,東インド会社の当座性は完全に廃棄され,「永久資本permanent capital」の制度が成立したのであるG2)。東インド会社は,この「新合 本」において,はじめて,「カンパニー制」とその内容たる企業が合一し永続 的なgoingconcernといいうるものとなった(55)。 したがってb配当についても,従来の清算と決算の未分化な状態にあった府 配division」制は廃止され,「利益」を定期的に支払う,「配当divi-dend」制へと移行し,さらに,この配当の支払も「現物」によらずに,[現金」 によって行うことになった(54)。 そして,企業の永続性と配当性により,出貿(株券billofadventure あるいはshare)は,明確な「配当証券」となり,「確実な収入をもたらす 売買しうる証券amarketablesecurityonthebasisofassert- ained(55)」となった。ただし,等額面化は完成していなかったが(勝式」 として未完成),出資最低額が100ポンドであったことから,払込金額10 0ポンドについての「株価」が成立していたといわれる。 こののち,1661年,チャールズ二世の特許状のもとで,1661年から -38-
62年の配当を行うさいに,総裁と理事は,以後,旧来の(「資本」と「利益1
の無差別な)「分割」を廃止し,「利益金profitsearned」のみ分配する
という原則の宣言を行った(配当制の確立(56))。 0,Jさら}と1662年,チャールズ=世によって発布された「破産者に関する布・
告の条例AnActdeclaratoryconcerningBankrupts」の「何人に
ても東インド会社,ギネア会社(アフリカ会社)あるいは何らかのjoint-stockに幾何かの額の貨弊を投資または出資し,あるいはするであろうもの
は,破産法のもとにある商人と考えられるべきではなく,またその責任を負わ
ざるべきではない」という現定によってこれらのjoint-Btockcompa-nieBの出資者たちは破産法の適用から除外された。この時点で「有限責任制
度」が確立されたとみるかいなかは説が分れるが,一種の有限責任を規定した
ものとみるなら,「この頃をもって東インド会社がいうところの株式会社に進
展しえたものと解して大過ないであろう」といわれろ(57)。
1668年には,東インド会社は株式の移転を証明する「株式譲渡簿trans-
port」をそなえつけていたというが,さらに1698年の新東インド会社
EnglishcompanytradingintotheEastlndies(58)では,端
数のない,「資本金額」を有していた。このことから,大塚教授は,「確定資
本金制(59)」と「等額株式制」がほぼこの時期に成立したと推定され,つぎ
のように述べられろ,「新東インド会社は,いわゆるfundofCredit(40)
の方法で,すなわち国債の一部をその資本金に転換することによって設立せら
れたのであるが,おそらく直接にはその影響によってであろうか,資本金額か
らは端数が消失しかつそれが額面100ポンド端数なしの等額株式へ分割せら
れていたことが推測せられうる。というのは,まもなく右の100ポンドに対 して55%の割で払込をなさしめられたのであるが,このばあい,かくして生 じたいわゆる「新株」(newadditionalstock)の総額は581,700 ポンドで,まさに55ポンドの倍数となっているからである。したがってこの新東インド会社以降,近代的な確定資本金制と等額株式制にほぼ近づいたもの
と見てよかろう」と。 このように,17世紀中葉の東インド会社に「永久資本」の成立をみたので -39-あるが,これ以前のJoint-stockcompaniesにおいても,事業の性質
上,自然に,比較的永続的な出資形態をとったものも存在していたのであり,
たとえば,鉱山企業をいとなんだTheMinesRoyal(1568年特許状付与),IY1eMineralandBatteryworks(1568年特許状)および
neNewRiverCompany(1609年特許状)はこの例である(41)。
これらの会社の特許状に,はじめて,「配当規制」があらわれてきたことは 注意されねばならない。1568年のMinesRoyalの特許状が,取締役に, 「商品および利益の分配・tomakedividendoftheconmnodities andprofits”」をなす権限を与えたのはもっともはやい例である。また, 1620年のNewRiverCompanyに対するジエームスー世の特許状には11配 当は利益からoutofprofitsなされるべきである」という規定があらわれ ていた(42)。 なお,「初期的株式会社」の一つとして有名なイングランド銀行neBank ofEnglandは,1694年の制定法(5&6WilliamandMaryc、20) にもとづく特許状によって設立されたが,同銀行は,政府に対する貸付120万ポンドを「資本化」して成立しり特許状はこれを“thecomnoncapital
andprincipalstock”と称していた。出資は現金で払込まろべきことが要求され,これに対しては株式(持分interestorshare)が与えられ,
譲渡可能とされた(45)。この会社の1694年の特許状は配当について,「総裁ならびに会社は,い
かなる場合といえども,資本capitalstockもしくは資金fundより生ずる利子interesも利益profits,成果produce以外から,もしくは,こ
れらが本法により許されている取引,売買によって生ずる場合以外からは配当
を支払ってはならないものとする」と規定し,さらに,同年の制定法25条は,
債務が120ポンド(すなわち銀行の「資本」をこえるときは,各株主はかか
る金額の払戻repaymentにつき自己の株式または引受額に応じて個人的に,
individuallyに責任を負うものと規定していた。そして1697年には,制定法49条(8&,Williammc.、20,§49)で,議会が銀行の「資本
増加」を授権authoriZeするにさいし,「資本から支払われる配当の受領に
-40-つき,その限度で,銀行債権者に対して責任を負うかぎり…」という限定が加 わった(44)。 ところでこれまでみてきた諸カンパニーは法人格を有していたが,それでは 「有限責任」はどの程度達成されていたのであろうか。17世紀の後半までは, regulatedcompanyとjoint-stockcompanyの区別,法人格の与 えられないパートナーシップpartnershipと法人桁を認められたカンパニー の区別は確立してはいなかった。当初パートナーシップとして結成された多く のjoint-stockcompaniesには,編度の差こそあれ,穣渡可能な「持 分」も認められていた。パートナーの数に制限はなかったが実際にはあまり多 くなく,「追加資金additionalcapital」は公募によるよりも,現成員 から追徴leviationsorcallsされた(45)。 他方,法人形態をとることには明らかに利点(40があったが,法人化によ って与えられたメリットのうちで最大のものである有限責任は,むしろ「あと から考えられたようにみえる(47)」ということに派息しなければならない。 すなわち,「パートナーシップにおいてはメンバーの個人|ソtが決定的に優先し ているために客観的な「特別財産」Sonderverm6genがいまだ形成されてお らず,したがってメンバーの私的な負債の責任が無限に会|(|:企瑳そのものの上 に責任としておちかかってくる」(48)。そこで当初は,成皿がカンパニーの
債務を免れるためというよりはむしろ,成しiの佃人憤務の支払のために,カン
パニーの財産が差押えられる危険を回避するという慮味のほうがiiW111jされたの である。このことは,多くの特許状がカンパニーに,成11に対して追徴できる 権限を明示していたことから明らかであるといわれろ(49)。こうして社員個人と債権者との「外部関係」がまずⅢ|隙にされ(社員の対外
的無責任),法人形態をとることによって,「成し』の個人的債務に対する責任
を免れうる一層安定した特別財庫」が形成されることになった(50)。 その後,先に述べた「破席者に関する布併の条例」が公布され,「当時漸く 頻繁化してきた持分の譲渡と相まって,出浅瀬を限腿とする株打丁限責任の原則(51)」が形成されていった。しかし,イギリスにおいて,有限(ti係が全般
的な制度として,明確に法文化されたのは,1855年の有限責任法(Limit- -41-edLiabiUtyActの制定の後であり,有限責任をめぐる論争(52)に終 止府をうったのは,1862年に制定された会社法(CompaniesAcM8 62)であった。すなわち東インド会社において1662年にはじめて制度化 された初期の有限責任制度は,泡沫法(BubbleAct,1720)の施行に よるunincorporatedjoint-stockcompanyの一般化の結果,有名 無実となり,19世紀なかばにいたり,ようやく,近代的な一般法の規定とし て確立されたのである。
ぐ主>(1)このcompanyという用語は,今日の会社企業としてのcomPa-
nyとは異り「特殊イギリス的」な意味を有する,星川・英国会社法序説55頁
以下6 (2)星川・前掲書87頁,大隅健一郎・株式会社法変遷論昭和51年27頁。 (5)星川・前掲書89頁以下,大隅・前掲書27頁。Warren,Safeguardli ingtheCreditorsofCIorponationB,56HarvardLa満Reviewb l925,P,509(4)joint-stockconpany成立の他の発展過程はPartnershipが
特許状によって法人格を付与されることであった(たとえば,マインズロイヤ
ル会社,アフリカ会社等),星川・前掲書129頁以下。塵joint-st9ck',
については大塚久雄.株式会社発生史論(大塚久雄著作集第一巻)469頁以 下参照。衝joint-8tock”という語は唾partnership”という語とともに
古くからあったが,これが特許状にはじめて用いられたのは1668年のジエ
ームスニ世の特許状においてであるという,星川・前掲書177頁註56,
Warren,,op6cit.,p、510.(5)regulatedcompany及びjoint-stockcbmpanyはともに国,
王の特許状によって法人格を付与されていた,星Ⅱ1.前掲書206頁以下。
(6)星川・前掲書1,5頁,Warren,opocit.,p・511. (7)星川・前掲書105頁,Warren,opocit.,p、51ZirRussiac・mpanyはjoint-stockの原則が最も大規模に適用せら
-112-れたイギリス最初のカンパニーであり,このようにして開かれた例が,後の多
くのカンパニーによって模倣されるようになった」,星川・前掲書104頁。
(8)Warren,op・Cit。,po511j(9)Kehl,TheOriginandEarlyUevelopmentofAmerican
DividendLaw,55Harv・LRev.,1939,p,37.UO)Kehl,opocit.,po58・片野一郎訳,リトルトン会計発達史(昭和
44年11版,原著Littleton,億AccountingEvolutiontol90
0"’’1955)512頁。(1,大隅・前掲書59頁,大塚・前掲書452頁以下,Holdsworth,AHist-
oz丁ofEnglishLaw,1925Wolo8,pp、206.207.
(pKehl,op・Cit.,po58.(13東インド会社については,星川・前掲書146頁以下)大塚・前掲書457
頁以下。M)星川・前掲書146頁-15'4頁。
設立当初の東インド会社についてHoldsworthは次のようにいう,「当初
東インド会社は,有期出資terminablestockの形態にあった。出資者は,
-特定航海についてのみ引受をし,各航海の計算accountsは別個に行われ
た。成員はそれに出資することも,しないことも自由であった。永続的かつ不
変なpermanentandconstantなのは,stockではなく,カンパニーの
管理機構governmentalmachineryであった」と,HoldBworth,op
cit.,vol、8,P、206(15)片野・前掲訳514頁。
06)星川・前掲書154頁,大塚・前掲書470頁,片野・前掲訳514頁。
(lnKbhl,op.cit.,p、58.によれば「固定資産についての投資inveBtment
infixedassetsを清算するときには多大な損失をこうむった」という゜
U8I星川・前掲書159頁,大塚・前掲書459-462頁。
Ⅲ大塚・前掲書465頁なお大塚・前掲書445,465頁参照。
201第一次合本については,星川・前掲書160.161頁,大塚・前掲書4
72-474頁。 -43-伽大塚・前掲書474頁。
鰯片野・前掲訳514島
四大塚・前掲書488頁oI2QjWarren9op・Cit.,p、515.
25出資額の5倍の分配なら,diBtributionofthreecapitalsある
いはdividendof5,0%というように宣言された.Dewing,The
FinancialPolicyo宝CorporationB,5thed,▽OL1,1955,p、45
note(a).剛たとえばヮ1564年には,capitalという語が,productivereal
estateを指して用いられた例があるという,Dewing,,。p・Cit.,p、44
note(a).剛FOrmoy,TheHistoricalFoundationsotModernCompany
Law,1925,p6.津守・配当計算原則の史的展開55-54頁。
田DewingDop・ci6・p45note(a).この間の事情を簿記の発達状況か
ら,津守・前掲書(54-55頁)は次のように説明している。「ついに「資
本」という語が採用されたのであるが,その際ほかならぬとの語がとりあげられた
のは,つぎのような事情によるものと考えられる。当時,収益と支出との残高
表(balancesheetsofthecrownrevenueandexpenditure)
がまったくといってよいほどそなえつけられていなかったばかりでなく,くわ
うろに帳簿の記載にあたって誤謬がむしろあたりまえのこととされていたのが
実情であったので,東インド会社は,それに先行する諸会社間で普通のことと
されていた方法よりもさらに科学的な方法でその勘定を系統立てようとつとめ
ていたのであった。…16世紀の中頃には(「資本」という語の使用もふくめ
て)イタリア式複式簿記をイギリスに導入しようとする試みがなされたが,当
時との努力はついに実をむすばず,かなりのちに地中海方面の貿易にたずさわ
っていた商人たちがイタリア式簿記の有利さを確信するようになってはじめて,
それが研究されるようになったのだと思われろ。イギリス東インド会社の場合,
その成員の中に多くのレヴアントの商人たちがおり,したがってかれらとイタ
リアとの間には1つのつながりがあり,そのためにおそらく同会社の若干の職
-44▲貝は地中海貿易でイタリア式簿記を学び,それを導入したのであろう。憤本」 なる語もこのような事情で採用されたわけである(以上Scott,TheCon- BtitutionandFinanceofEnglish,ScottishandlriPsh ComPanieBtol720,1912,voL1,ppl58-159)」. なお初期の会計に関する著作においてはイタリアにならって,“capital” とは「所有している財産goods」と「債権者に負うていろものwhathe oweshiscreditors」の差額。i茸erenceと定義されていた,DeWing oPcit.,P44note(a). 剛星川・前掲書164頁以下,大塚・前掲書489頁以下。 (30コ-トン商人団CourteIfsAssociationについては星川・前掲書168 頁。 (51大塚・前掲書496頁。 (32)Holdsworth,op・Cit。,voL8po206.「永久資本」という用語は つぎの諸著作にみられろ,大塚・前掲書506頁「永続的資本」,星川・前掲 書175頁「永久資本制」,片野・前掲訳515頁「無期限株すなわち今日で いえば永久資本の原則」,本間・イギリス株式会社法形成史論10頁「恒久資 本制」。また,Warren,op・Cit.,p、514,Levy,PrivateCorpo- rationsandTheircontrol,vol、1,1950,p、27,Dewingop. cit,p45,Kehl,CorporateDividends,1941,p4には唾aperma- nentcapital”HO1dsworth,op・Cit.p、206,Gower,The PrmciplesofMOdernCompanyLaw,3rded.,1969,p25, KehLop・Cit.,Harv.p、38.notel3には,mapermanentjoint stock”というように示されている。 この「永久資本」の成立年時は,諸著作により,若干異なる。たとえば, Levy,p27,Kehl,Harv.p、38,notel2は1657年,Mitchell, GEarlyformsDfthepartnership”inSelectEssaysin Anglo-AmericanLegalHistorympl94,Hein,TheBritsh BusinessCompany:ltsOriginsandltsControl,l5Uiniv・ ofTrontoLawJournal,1963,p、44は1654年,Williston, -45-
HistoryofLawofBusinessCorporationsbeforel80q2Haw. L・Rev、1888,po110'は1692年としている。 ㈱星川・前掲書168頁。,なお,Gower,op・Cit..p、25は,私的な貿易 取引privatetradingが成員に対して完全に禁止されたのは1612年に なってからであるという。 (鋤大塚・前掲書499頁,500頁。, 鯛星川・前掲書169,170頁。 (30星川・前掲書169-171頁。 87)星川・前掲書171-172,214-215頁,大塚・前掲書504頁。 88)のらに,1702年,従来の東インド会社と合併して合同東インド会社 UnitedEastlndiaCompanyとなった,Levy,op・Cit.,p,29, 69Iここに確定資本金とは,今日,われわれが「株式会社の資本」という場合 の「資本」にひとしいと考えられる,大塚・前掲書25-24,571,40 5,426-452頁の各用例参照。また,大塚教授の前掲書を論じて,つぎ のように述べているものもある,「有限責任制と相関的に考えねばならないの は何も陰社機関の確立」ということだけに限らない。同じような意味で,「確 定資本金制」もまた重要であるということができる筈である。けだし,個人企 業や合名,合資会社では無限責任制がとられる一方,資本の持ちだしについて は別段の制約がおかれなかったのに対し,株式会社では無限責任制をはずす代 償として、確定資本金制」が確立されねばならなかったからである」(馬場・ 株式会社金融論)。 UOfundofcreditについては星川・前掲書182,192頁注,参照。
qDWarrenoop・Cit.)p、515,星川・前掲書158頁。
(42ILevy,。p、Cit?2VoL2p485,Kehl,opbcit.,Harv・pp、58-59.
鯛イングランド銀行については星111.前掲書179-186凰 叫KeM,opLcit.,Harv、pp、59,41,42Warren,。p・Cit.,pp515 `,514,Levy,op・Cit.,vol、2P、485, q3GoweEbop・Cit.,p、25. (40法人化の利点については星川・前掲書212.215頁。 -46-l4nGOwer,op・Cit。,p、26. ⑬大塚・前掲書198.199頁
(49Gowerpp・Cit。,p26.社員は依然として,会社に対し無限に追徴に
応ずろ義務を負い,社員の責任は間接無限責任limitedpersonal:lia- bilityであった,星川・前掲書214頁。 (50I星川・前掲書215頁。 (5、星川・前掲書215頁。田星川・前掲書266頁以下,大隅・前掲書75頁以下参照。
5,「永久資本」と損益計算
東インド会社の発展過程に典型的にみられるように,出資形態がしだいに長
期化し,「永久資本」が成立した。いわゆるventureのような単純な投機売
買の段階でも,それが営利を目的とするかぎり,元本たる出資とそれによる投
機の結果発生した所得という意味での,「資本と利益の区分」は当然存在しえ
たであろう。しかしそこでは,そのventureの終りに,「資本capitaUと
「利益profit」の双方を含む,entirereturnが出資者の間に分配され
るのが通常であった。したがって「触れずに(不変に)維持されるべき資本」
の観念は存在しなかった。このような状態は,さきの東インド会社にかぎらず
一般には,1600年代のかなりのちまで支配的であった。ところが「投資」
が長期のもの画investment”となり,「固定された資本“Eixedcapi-
tal”」となると,新しい問題が生じた。長期投資を基礎とする事業は,そこから生ずる「定期的果実」を分目Miるこ
とを目標として存在すべきものとなり,それまでの「完全な分配complete
divisionlにかわり「利益profit」のみが分配しうるものとなった。これ
より事業は「定期的利益annualprofits」の生ずる源泉たるこの「投下資
本CaPitalinVeBtment」を出資者(株主)のために維持preSerVeす
べ〈運営されなければならないことになる。いいかえるなら「資本」と「収益
income」とを区別することが可能となり,必要となったのである530-時的
-47-な▽ontureから「継続性(永続性)」の企業形態へと進んだときが「資本と
利益の区別」⑧起源といえる。ここに「損益計算の基準としての資本」概念が
明らかとなってぐる(54)。さらに,-法人形態をとることによって構成員の個人財産とは分離した「客観
的な特別財産」が形成された。これに有限責任原則が加われば企業は株式会社
といいうるものになり,出資者と区別される会社自体の独立性が明確になる。
出資の返還による「退社」は認められなくなったかわりに,持分(株式)の自
由な譲渡が認められるようになった。しかし,18世紀の段階では,いまだ一
般的に有限責任は認められておらず,個々の特許状および特別法によるほかは
なかった。特許状で認められていた有限責任は,今日のそれとはかなり意味あ
いの異るものであった(55)。したがって,会社の「資本」についても,「損益計算の基準」としての意義
は有していたとしても,今日のわれわれの会社法の観点からいう「債権者保
護のための責任数類Haftungs-sirrer(56)」たる意義をも有していたか
ということは問題である。この点の検討のために,'つぎ1に,当時の「配当規制
(および一般的に「損益」の計算方法)についで孫』ておきたい。
さきにもふれたように,特許状の規定のうちに「配当規制」が含まれるよう
になったのは17世紀であり,脇当は利益からなされるべきである」という
趣旨のものであった。この例としてはさきのNewRiverCompanyの1620
年の特許状,BankofEnglandの1694年の制定法による特許状,16
61年の東インド会社の配当宣言などがある。さらに18世紀にはいると,1
720年の泡沫法は,TheLondonAssuranceCompanyとTheRoyal
ExchangeAshlUranceCompanyの2社に法人格を付与するにあたり「株
式資本capitalstockに付加される利益profitsおよびadvantages
の比例的持分proportionalshare」を配当にあてうると規定した。17
47年のConnpanyfor噸vigationofRiverDeeにおいては,区Clear
内OritB”という語がみえろ。こうして「「fU益」の枠内への配当制限
・profitslimitation”」は,18世紀をつうじて,ますます一般化し
ていった(57)。 -48-一方,BankofEnglandの1697年の制定法は,「「資本」からの配 当支払を禁止したものと考えられ・EngishLinnenCompany設立のため の1764年の制定法(4G°C.Ⅶco5ス§12,(1764))も同様の制限 を課している。このイングランド銀行の例は,英米法上,配当について「資本
減損capitalimpairment」を考慮した最初の例である(58)。ここに
は,配当に対する制限項目として機能する「資本」概念があらわれていたと考 えられる。 hpかしこの趣旨の規制は,このほかには,18世紀にはまったく特発的Bbo-radicでiらづらてbとの方式のじゅうぶんな発展は後のアメリカにおいてであった (59)。 .ところで右の二方式は,今日,それぞれ純利益基準netprofittestおよび資本減損基準capitalimpairmentteBtと称される計算方式に相当
すると考えられるが(60)純利益基準においては「順益計算書」上の利益」
が問題とされ,資本減損基準では「「貸借対照表」上の憤本」」が問題とな
るという「差異」がある(61)。この「差異」は「資本」概念を考察する場
合に重要である(62)。ここでは,まず,当時の損益計算はどのようになさ
れていたかを検討しておきたい。「資本」および「利益」が当時においても,「損益計算書」あるいは「貸借対照表」を基礎として考えられ(計算され)て
いたかということが問題である。 ̄ さきに述べたように中世の企業形態は,一般には,当座的,短期的であって, 蝋ntureの終了時に清算するものであった。したがってここに機能する「簿劉は脾系性」はもつとしても「期間性」はもたなかった。すなわち「中世簿
記は,企業実体の公準entityconventionの根拠の上に立って成立したも
のであるが,いまだ会計期間の公準accountingperiodconventionの根拠の上に立っていなかった」(65)のである。企業活動の全体が「-くぎ
り」であり,計算上の対象とされていた。「会計期間の公準」は近代会計の一
つのメルクマールであるが,この成立には,やはり,継続性企業の形成がその 基盤となっていた。企業の継続性にともなう「資本」の出資関係は,あたらしく利潤分配の定期化を問題とし,「期間損益計算」の必要を生じた。当座性企
-49-業においては「口別計算(64)」が行われ,清算的=解散計算であったが,継
続企業においては解散計算が目的ではなく,損益計算は企業活動の中簡約=人
為的区分計算として行われることになる(。5)。
「複式簿記」がイギリスに導入されたのは16世紀なかば頃であるといわれ
る渦配当規制が行われれば当然「利益」の算定が問題であった。もっとも,初
期には,当時の土地法thelandlawからの類推であろうか,純理的に,法
人企業の利益corporateprofitsはその企業によって生産された(事業経
営から生じた)「総額grossamount」(元本capitalと果実incomeの
関係のごとく)を意味するとされたこともあったらしい(66)。しかしこの
ような類推は,当然ながら,実際には適用不可能であった。配当支払のときに
「総収入grossreceiPtB」をそのまま残せるはずはなく,必ずそれにさきだ
って,費用expensesが控除されていなければならない。より実際的な利益
決定方法は「単純に現金収入cashreceiptsから支出disbursements
を控除する」方法一単純な収支法thesimplereceiptsanddisburse-
mentsmethod-であった。この計算方法はすくなくとも1650年まで,おそらくはもっと後まで一般に用いられた形跡があるという(67)。MineB
Royalの1576年の会計記録によれば,総売上高grosssaiesに対して
2つの借方項目debits(必要総経費。thewholechargesofthe
workofthisyear”および諸口億sundryotherdebtsowingby
theminesindiverswavs")が控除されており,1620年のNewRiverCompanyの特許状では,thetreasurer(会計係)は「必要総経費なら
びに役員の報酬,手当を第一に控除したのちに生ずる純利得および利益⑤clear
gainandprofittherebyari・Bing,allnecessarycharges
andexpensesandtheofficers,feesandallowancesfirst
deducted"」を配当すべき旨が規定されていた。ずっと後,1791
年になってもOxfordNavigationCompanyはこの収支法を用いていたと
いう(68)。17世紀に,「永久資本」が採用されると,(イタリア式)「複式簿記は,
…資本と収益の二要素の分離を達成すべき組織的機構を提供した(69)」とい
-50-われる(70〕L複式簿記は,それ自体,「配当可能利益」の決定のいくつかの異 った計算方法を可能にする。当時は,元帳損益勘定⑤theledgerprofit andlossaccoun七”が利益計算の唯一の基盤であり,しばらくは通常の 方法でありえたという(71)。ケールによれば「1656年にRDafforne は元帳がいっぱいになったとか事業が終了したとかいう場合に締切られるのが
通常であったと述べているが,このことは関心の焦点が利益の計算にあり,実
体勘定の総括表あるいは貸借対照表厨asumnaryorbalancesheetof
therealaccounts”の有用性が認められたのはかなりのちになってから
であった(72)」。すなわち,当時,貸借対照表は年単位に作成されたのでは
なく,元帳が完結したときとか,事業が終了したときに作成されたということ
は注意を要する。けつきよく,利益は,一般に,収益revenueと費用expenditureの差額
としてとらえられ,配当の規制として「純利益基準」がとられられていた。問
題となったのは損益計算書方式による「利益」であった(この損益計算書方式
は現在のイギリス会社法につらなるが,19世紀以降については後述)。
しかし,当時のように損益計算書的利益計算を配当可能利益計算の唯一のよ
りどころsolecriterionofprofitとする場合には,明らかに欠陥の
生ずることが予想される。というのは,たとえば,資本的損失capitalloss
が発生し,それが損益勘定theprofitandlossaccountに借記debit
されなかったときには,「資本減損」は貸借対照表によってのみ示され,損益
鐡淀にはまったく影響を与えないからである(いわゆる’「ニンプル・デイヴ
イデンWQnimbledMdend鰯の問題)。このように作成された損益勘定にもとづ
いて配当が支払われるなら,これは「架空利益illusoryprofitSlからの
配当となってしまい,事実上,「資本」を減損することになろう(75)。
なお,NewMillsCompanyが1675年から減価償却depreciation
を計上しているのは,当時においては異例であり,泡沫法のさきの配当規制に
おいても減価償却は考慮されていなかった(74)。
このような事情から,17世紀についてであるが,ケールはつぎのような見
解を述べていろ。「初期の特許状は,企業運営のために資本を維持すること
-5ユーthemaintenanceofcapitalを保証する目的で,株主のために,配当
を利益の枠内に制限していた。相当期間,株主が望むなら部分的清算PartiaI
liquidationの形で資本を減少するととreducingcapitalは,まったく
禁じられていなかった。資本は,1700年以前には,債権者保護のために不
変のまま維持すべきであるtObekeptintactという(WbodvDummer
(75)事件における)信託基金trustfundの意義をまったくもたなかった。
とくに配当制限について債権者への配慮がなされたのは,ずっとのちのことで
あった(76)」と。またWarrenは,1825年の「泡沫会社廃止法(6GeoJ,cb91)」
にいたるまでの制定法,特許状および判例を検討したのち,「わずかな例外は
あるが,一般には,資本の設定・維持rasingormaintainingcapital
については何の規定もなかった(77mと結論を下している。さらにWarrenは.
この時期には,いわゆる追徴が困難(あるいは不可能)だったとみているので,
右の事実から,会社債権者の「保護手段safeguards」が欠けていたことは
重大であるという(78)。したがって「一般に,会社債権者に対しても,個人
商人individualsに対する債権者に与えられた保護手段以上のものはまった
く与えられていなかった」としている。資金調達は株式発行によって行われ,
株式は額面を有していても,額面についていかなる種類,いかなる額の対価を
受領するかについてはまったく規制がなかったため額面以下の発行issues
belowparもしばしば行われた(79)(80)。ここで,以上検討してきたことから,当時の株式会社の「資本概念」につい
て二,三指摘しておきたいが経済上の観点からは,17世紀なかばに,「永久資本制」が成立したことか
ら,必然的に,「分配divisiona」ではなしに継続的「配当dividendB」
が行われるようになった。また,この「経済上の意義の資本」を維持せねばな
らないことは当時においても明らかなことだったと思われる。これは,たとえ
ば,1776年のWealthofNations”(8,においても,利益の引出
にさきだって「固定資本fixedcapitaUと「流動資本floatingor
irculatingca餌tal」の維持されたことを知る必要があるという主旨の主
-52-張がなされていることからもうかがえろ。したがって,経済上,会社の「資本j は「損益計算の基準」として認識されていたといえよう。 ところが,法的には,明確に「損益計算の基準」であったとはいえない。配 当規制の基礎となっていたのは,損益計算書的利益計算方法であった6また陰 社債権者保護のための責任数額」という意義ももたなかった。むしろ,設立に ロ・ 関する特許状または議会の私法律PrivateActが明文をもって'7資本額」を 定めたときに,これは会社が株主から「徴収」をなす楕限を制限する機能を果 たしていた(82)。 法の立場から維持されるべきもの,あるWま法的規制の対象としうるものは, 「拠出資本contributedcapital」である(8つ。これは株主の「出資」 によって形成されるが,当時,「出資払込」についての規制はじゅうぶんな$ のではなかった。さらにさきに述べたように配当によってこの「資本」が減損 される可能性も大であった。 けつきよく,われわれの「損益計算の基準」としての資本概念も,法的には, 何ら明確にあらわれていなかったし,また,当然,「債権者保護のための責任 数額」としての機能も認められていなかったのである。Warrenも「会社の 資本について,経済史上のものから区別しうるようものは,法においてin thelaw。ほとんど何も見いだせない(84)」と結論を下していろ。 (53Kehl,op・Cit.,Harvopo58片野。前掲訳515頁。なお,リトル トンは,収益incomeは期間の継続に関連する概念であり,利益profitは確
定期間に関連のすぐない概念であるとしていろ,片野。前掲訳521頁。
剛「企業の営利性と継続性という2つの属性は,資本に対する利廻り討算で
ある償本的計算方法」を契機として,企業における資本と利益の本質的な関
係を基礎づけろ」,西山。株式会社における資本と利益154頁。 (5518世紀においても,,会社が株主から徴収をなす権限call-makingpowerを有することがイギリスの会社の1つの特徴であった大隅・前掲撞測5頁。
I561西山・前掲書26頁。 (57)Kehl,op・Cit.,Harv・p.m. -53-鯛Kehl,op・Cit.,Harwpp、41.42.
(59KehLop・Cit.,Harv・pp、42.45.
'60両陛準」については西山・前掲書98頁以下,酒巻・「アメリカ会社法
における剰余金概念の発展」(「取締役の責任と会社支配」所収)258頁以
下6 m西山.前掲書101頁。 621西山・前掲書16-19頁.631黒沢・近代会計学29頁,「会計公準」については同書5頁以下6
脚「口別計算」については,黒沢・前掲書52.55頁。 16日黒沢・前掲書50頁ql66IKehlDop・Cit.,Harv.p、59.
67)Kehl,op・Cit.,Harv・pp、59.40.
I68IKehl,op.cit.,pp・59.4qKehLCorporateDividends
pP55・56notel74,Levy,opbcihvoL2,ppo485、484
169片野・前掲訳517頁。さらにリトルトンは「資本と収益を区別すること
の重要性は,当時すでに経済的側面からいちじるしく表面化してきていた。経
済上の必要から,耐用命数の長い資本財を使用,するようになったことは,不可
避的に資金の長期投資を必要とした。この永久投資に株式の移譲性が手つだっ
て,ここに資本と収益の明瞭な分離が経済上必然的な運命をもって登場し」こ
れにこたえたのが「イタリー式複式簿記」であったとしている。
、この間の事'肩をケールはつぎのように述べていろ,「初期OL、joint-
stockcompanyにおいても利益算定のための満足しうる方法は,今日と同
様,複式簿記であり,これは1545年にはじめてイギリスに導入された。当
座企業制がとられていたあいだは,複式簿記に対する真の必要はみられなかっ
たが,17世紀に永久資本制permanentjointstocksが採用されるや,
ロンドンでは複式簿記に関する11冊の書物が発刊された。
1700年までには複式簿記のもっとも複雑な問題についての完全な知識が
できあがっていたようである」Kehl,oncit.,Harv.,p40.
71)Kehl,op・Cit.、Harv、p41q
-54-(721Kehl,CD・Cit.,Har▼・pb41.なおLeW,op・Cit.,▼o1...2pp、483
4M.片野・前掲訳221頁。大塚・前掲書500頁参照。 『3)lLehLop・Cit.,Harv・p41ご津守・前掲書66頁b (74)Levy,op・Cit.,pp、485.484 (75[1824J5Mason508Fed、CasND17,944● (76IKehl,oPcit.,Harv.、41 (771MrreLop・Cit.,DP、5146516 (781ハbrren,opdcit.,P522 v9IMrren,op・Cit.,PP・522.525,Levy,op・Cit.,vol、1.p、52 80|同じく当時の事'盾をリトルトンはつぎのように述べていろ,「初期の■易会 社のあげ得た利益というものは,おどろくべき巨額に上るのをつれとした。… -万会社の債権者もその数がきわめて少かつたがゆえに,正確な利益計算に対 する真の刺激は,今日想うほどには,そこでは生じなかったのである。今日に おいて考えるからこそ,およそ正確な利益計算ということは,有限責任の会社 につきもののごとく思われるのである」,片野・前掲訳548頁。 I8DSmith,AnlnquiryintotheNatureandCausesofthe WealthofNationB,1776,▽o1.1p、124。 (82大隅・前掲書45頁。B3Cf・Levybop・Cit.,p、295.
B4Warren,op・Cit.,p、522. 4制定法上の展開 1において東インド会社を中心とする会社企業の生成発展の過程に「永久資本」制の成立をみ,つぎに2においては,この結果として,配当規制の出現
という点を確認してきた。そして,これより後,19世紀半以降,会社企業を 規制する法制は次第に整備・発展し,一般会社法の成立に至るわけであるが, ここでは,この段階での諸法律が,会社の「資本」に関しいかなる規制を加え ていたか(ならびに配当に関する規制)について概観しておきたい。これに先 -55-立って,1つだけ注目すべき点を結論的に指摘しておく。それは,資本からの 配当支払を禁ずろ趣旨の規定(いいかえれば資本は維持されなければならない
という原則)が1845年の法律に現われており,しかもこれは_「有限責田
が一般法で承認される以前であったという点である。 ①会社登記法TheJointStockCompaniesRegistrationandReg-ulationAct,1844(7&8Vict.,c、110) 1857年のいわゆる「特許会社法(85)」煙「法人格なき会社unincorpo-ratedcomDaniesIに対し,かなりの程度に法人格を有する会社と同等の権利を与えた。しかしこの時代の経済上の発展のなかで「鉄道会社」をはじ
のとして,多数の会社企業が計画設立されたが,これらの企業の大半は同法の保
護を求めることがなく,いぜんとして「詐欺事件」が少〈なかったといわれる。
そこで1841年には,「詐欺防止の視点を含めて,公衆の安全をよりよく守
るための,会社(銀行を除く)関係法の状況調査」を目的とする特別委員会が
議会に設置された。同委員会の報告書を基礎として制定されたのが1844年
の「登記法」である。ここに,株主の有限責任制度以外の近代的株式会社の特
質をそなえた会社企業が,本法によって認められることになった。さらに,会
社設立にあたっての「準則主義」と,会社内容の「公示主義」という近代会社
の基本原則が形成された(86)。本法の主要内容はつぎの点である。(1)ジョイント・ストック・カンパニーを,
25人以上の構成員からなる,譲渡自由な株式に分割された持分を有するパー
トナーシップであると明確に規定した。(2)ジョイント・ストック゜カンパニーは,仮登記および本登記の終了によって法人格を取得する。に澄記事項の一般
大衆への無料閲覧制,貸借対照表その他会計書類の株主閲覧権など会社の内容
を公示させること,以上であった。この法律には,「最低払込資本。minimumpaid-upcaPital”」の
要件はなかったが,同日,別に成立した,銀行を規制する法律(7&8,Vict c、115)には,「名目nominalおよび払込資本」について厳しい要件が課 されていた。この「最低払込資本」についての規定があったということは,の ちのイギリス会社法の展開と比べて興味あることである(87)。 -56-ところで,1845年に,特別法上の会社を一般的に規律する画the CompanieBClaueeBConBolidationAct(8&,Vict.c、16)”が 成立している。同法には公益事業publicutilitiesについててはあるが, 「会社はその資本capitalstockの減少をきたすような配当をしてはなら ない(88)」と規定していたのは制定法上の配当規制としては特異な例である。 ここにいう⑤capitalstock”とは「払込済資本鼠paid-upcapi- tal,,」のことであった(89)。 ②有限責任法(90)LimitedLiabilityAct,1855(18&19 Vct.,c,155)鋤 議会の委員会における多くの論争と研究ののらに,1855年の「有限責任 法」は,さきの登記法による本登記を終了した会社に,つぎの条件のもとに, 株主の有限責任を認めた。イギリスの「一般法」において株式会社を認めた最 初のものである。その条件は,(1顧面1○ポンド以上の株式を有する25人以 上の株主が設立証書に署名し,(2)公称資本nominalcapitalの4分の5以 上が引受けられ,かつ引受けられた額の2割が払込まれた会社の社員に,設立 証書の明示規定をもって株式の額面を限度とする有限責任を認め,さらに,(5) かかる会社の商号には必ず愚Limited”の語を附すべきこと,(4)会計監査役 の任命は商務省theBoardorTradeの認可を得べきことであった(91)。 債権者保護の見地から配当についての規制(art.,)と「資本」の4分の 5以上の損失をこうむったときは会社を解散すべきことが定められていた。こ れらの規定は,実際には,直後の1856年のtheJointSto⑪kCompany Act(19&20Vict.,c、47,§5)によって。minimumnominalor
paid-upcapital,,に関する要件が,また,1862年のCompanieB
Actで「資本の損失」に関する規定がともに削除された(92)。 利益配当に関する規制はこののらも持続されるが,この「有限責任法」では つぎのように規定していた。「会社が支払不能insolventの状態にあるかも し<はその配当を支払うことによって支払不能におちいるおそれがある場合に は,かかる会社の取締役が配当を宣言し支払うならば,各取締役はその職にあ るかぎり,当該時に存在する会社の全負債ならびに以後契約されるすべての負 -57- -、]償につき,連帯責任を負わねばならない。ただし,取締役が責任を負うべき額
は配当をこえないものとし,また配当決議のときに出席せず,もしくはそれに
反対し,会社の書記clerkに書面により異議を提出した取締役は当該責任か
ら免除される(95)」。この規定は,配当規制についてのいわゆる「支払不
能テストinBolvencyteet(94)」の方式である。ここに「支払不能」とは
エクイテイ上の意味に用いられていろ(95)。⑤1862年会社法(96)CompanieBAct(25&26Vict,c、89)
1862年にいたり,全イギリスの各種会社立法を総括統一して「会社法」が
成立した。これは近代的統一会社立法の最初の完成といわれる、
同法によって1855年法倦廃止され,配当に関するさきの「支払不能Jに
ついての強行規定も削除された。かわりに任意規定たるテーブルA唾Table
A”(97)が定められ,この75条はつぎのように規定していろ。「会社の営
業から生ずる利益侭profitsarisingoutofthebusinessofthe
company”によらないかぎりいかなる配当も支払ってはならない」と。ただ
し,テーブルAが任意規定であるということは,これからただちに,テーブル
Aを採用しない会社においては「利益」以外からの配当も自由になしえたとは
いえないであろう。同法の他の規定をも考慮すべきであろうが(たとえば,臓
資」に関する規定がなかったこと),75条にかぎっても,一般に会社は「利
益」からのみ配当をなすことを前提として,テーブルAを採用した会社には,
「利遡についてさらに「営業上の」という制約が加わったものとも解釈でき
るからである。ただし,後にみるように,1908年会社法(TableAi97)
では「営業上」という語句は削除されている。
④1867年会社法(50&51Victo,、151)および1877年会社
資本の減少に関する法律(40&41Vict・co26)(98)
1862年会社法は資本減少(reductionofcapital)についてはま
つ〈規定していなかった。1867年の会社法改正によって,会社は株主総会
の特別決議および裁判所の確認confirmationを条件として「資本」を減少
することができるようになった。債権者は減資に異議を申し立てる権限を有し,
商号には儀andreduced”なる語が付加されねばならなかった(99)。
1877年法は,「資本の概念を明確にし」,資本減少のみを規定していろ。
-58-1867年法では,会社の「資本」が払込街であった場合にも「減少」できる か否か疑問であったという。新法は損失その他により「公称資本nomina] capital」と会社資産の価格瞳thevalueoftheassets〃との間に くいちがいを生じたとき,会社は「払込株金」の-部払民または株主の責任軽 減等により,「資本」を減少しうると規定した(100)。 1877年の事件(101)において,Jessel(MasterofRolls)は 「減資」についてつぎのような見解を示している。「1877年法によって付 与される権限は,この権限なくしては配当が不可能となるような場合にも,会 社をして配当宣言を可能ならしめるということにより,著しくbeneficialで ある」と。この見解をReiterは,以下のように敷桁した。すなわち「187 7年法の趣旨は,資本に損失をこうむっている会社がその損失を除去し,それ