1. はじめに 一般的に言って,具体的な差別行為を記述する ことは困難だ.なぜなら,差別は「悪いこと」と されているので大っぴらに行われることは少な く,多くは意図的ではないため事前にその発生を 予測することも困難だからだ.そのため,これま で私は文書として記された「差別表現」(とされ るもの)などを取り上げて分析してきた. しかし,それらは私たちが日常生活の中で出会 う「差別的なふるまい」との乖離が大きく,差別 を理解するための題材としては限界があると思っ ていた. そのようななか,2017 年に生じ,マスメディ アやインターネットでも大きく取り上げられたあ る出来事は,差別行為を理解するための題材とし てうってつけであるように私には思えた. 本論は,その出来事の分析とともに,その分析, つまり差別行為の記述という試みの意義も考察し たいと思う. 2. 「こんな人たち」発言の概要 本論で取り上げる事例は,2017 年 7 月の東京 都議選最終日に,安倍首相が行った街頭演説であ る.当時の安倍政権は,いくつかの不祥事や疑惑 によって強い逆風の中にあり,その中での街頭演 説は,一部の聴衆が「安倍やめろ」「帰れ」など と叫ぶ,異様な雰囲気の中で行われた.そして, そのような「野次」(あるいは「コール」)に対抗 する形で,安倍首相の「こんな人たち」発言がな されたのだ.まず,その様子を比較的詳細に伝え ている記事を紹介しておこう. ロータリーの一角に陣取った 100 人以上の 集団は,首相の演説前から,「9 条壊すな」 などのプラカードや横断幕を掲げ,「安倍や めろ」などのコールを繰り返した.自民党側 も,集団を覆い隠すようにのぼりを密集させ て対抗した. 首相は選挙カーの上で聴衆に手を振りなが ら演説を始めたが,「帰れ」コールが続くと ヒートアップ.「人の主張を訴える場所に来 て,演説を邪魔するような行為は自民党は絶
特集Ⅰ 差別の生成メカニズムに関する理論研究・質的研究・計量研究の対話
「差別の方法」の記述とワクチン
――安倍首相「こんな人たち」発言の分析から――
佐 藤 裕 「差別をする」というのはどういうことだろうか.私の研究テーマは差別論であるが,私の関心は 差別「されている」実態を明らかにすることではなく,差別を「する」こと,あるいは差別の方法・ 技術を描くことに向けられている. 差別行為の記述は,差別に対抗するワクチンとしての意味を持つと私は考えている.本論では,具 体的な事例の分析を通して,差別行為の記述がどのような意味を持つのかを明らかにしていきたい. 【キーワード】差別,三者関係,ワクチン対にしない」と怒りをあらわにした.「誹謗 中傷したって何も生まれない.こんな人たち に負けるわけにはいかない」と語気を強める と,聴衆から「そうだ!」と合いの手も入っ た(1). この発言は,新聞やテレビで報道され,そして 批判もされた.最も批判が向けられたのは,「こ んな人たちに負けるわけにはいかない」という部 分であったが,それがなぜ問題なのかはそれほど 明確ではないし,私の知る限りはこれを「差別」 であると告発したものはなかった(2). それでは,当時マスメディアはこの発言をどの ようなものとして報じたのだろうか.まずこのこ とをいくつかの記事から確認しておきたい. 先程記事を引用した毎日新聞では「怒りをあら わにした」「語気を強める」としか書かれておら ず,首相の発言が何であるのかを直接表現してい ないが,他の記事では「聴衆の『辞めろ』コール を『演説を邪魔する行為』と批判し,『こんな人 たちに負けるわけにはいかない』と激高した」(3) と書いている.つまり,「批判」の流れの中で,「こ んな人たち」発言がなされたという理解だ.朝日 新聞は「『人の演説を邪魔するような行為を自民 党は絶対にしない.憎悪からは何も生まれない. こんな人たちに負けるわけにはいかない』と反 論」(4)と,「反論」という表現を使っている.「反論」 という表現は他にもあり,日経新聞は「ヤジを飛 ばす聴衆に向かって指を指して『こんな人たちに 私たちは負けるわけにはいかない』と反論する一 幕もあった」(5)と,「こんな人たち」発言それ自体 が「反論」だと表現している(6). このように,新聞による表現の多くは,聴衆の コールもしくはヤジに対して,安倍首相がそれを 批判,もしくは反論した,という形になっている が,このような理解は妥当だろうか.もし妥当だ とすれば,批判や反論をすること自体が不当だと いうことはないはずなので,なぜあの発言が問題 なのかについて説明が必要になる.そこで,さら に後の記事まで含めて,問題である理由がどのよ うに表現されているのかを見てみよう. 日経新聞 都議選で首相が初めて街頭演説に立った 1 日,JR秋葉原駅前は騒然となった.「安倍辞 めろ」「帰れ」と声を上げる安倍政権に批判 的な勢力.首相は「相手を誹謗(ひぼう)中 傷したって何も生まれない.こんな人たちに 負けるわけにはいかない」と指をさして反 論,今回の選挙を象徴する場面だった.受け 入れにくい批判の声でも,耳を傾ける姿勢こ そ必要ではなかったのか.(7) 毎日新聞 首相がマイクを握ると「帰れ」コールが起 き,途中で「辞めろ」の大合唱に変わった. 首相は選挙カーの上から指差し,有権者を批 判した.(8) 朝日新聞 「こんな人たちに負けるわけにはいかな い――」.安倍晋三首相が東京都議選の応援 演説で,自らを激しく批判していた人たちを 前にこんな一言を発した.多様な世論に耳を 傾け,意見をまとめ上げる立場の最高権力者 が,有権者を敵と味方に分けるかのような発 言,「丁寧に説明する」と強調していた首相 の言葉はどこへ行ったのか.(9) これらの記事から浮かび上がってくるのは, 「有権者」という言葉だ.日経新聞の記事ではこ の言葉は使われていないが,「受け入れにくい批 判の声でも,耳を傾ける姿勢こそ必要」だと主張 する背景には,やはりその声が「有権者」のもの だという認識があると思われる.つまり,批判的 勢力とはいえ,「有権者」に対して,「批判」「反論」 したことが問題視されているようだ.でもそれだ けで,そんなに問題視されなくてはならないこと なのだろうか.もし本当に反論や批判であったの なら,それがそんなに責められることだとは思え ない.安倍首相の弁明は,選挙を妨害する行為が あったのでそれを批判したのだ,というものであ
り(10),菅官房長官もこの発言を「極めて常識的」 だと擁護している(11).選挙妨害かどうかは見解が 別れるだろうが,それを選挙妨害として批判する こと自体は,許容されるはずだ.そのため,「批判」 とか「反論」という表現は,「こんな人たち」発 言の問題性を十分に表現できていないと私は考え る.有権者を批判した,という言い方ももちろん 同様だ. では,問題はどこにあるのか. 多くの新聞では,「指差し」についての言及が あった.「辞めろ」などの声を上げている人たち を指差し,「こんな人たち……」と言った,その ときの指差しという行為そのものが問題であると いう可能性はないだろうか.確かに人を指差すと いう行為は,状況によっては相手にとって失礼に 当たる可能性のある行為だ.私もまた,指差しは 注目すべき点だと考えているが,指差し行為それ 自体が問題だというのは,やや説得力に欠けるよ うに思う.あとで示すように,私は指差しと他の 要素が組み合わさっていることに注目するべきだ と考えているのだ. 他には,「分断」という言葉を用いて「こんな 人たち」発言を批判するものもあった.「敵」と 「味方」に分断する(12),あるいは「こんな人たち」 と国民を分断する(13)といった表現で,国民ある いは有権者を分断することが問題であるという主 張がなされた.この「分断」という論点について も,私は基本的に賛成だが,やはりそれだけでは 不十分だ. それでは,これまでの批判や評価に不足してい たもの,「指差し」と組み合わせて考える必要の ある要素とは何だろうか. それは「視線」だと私は考える. 安倍首相の発言はテレビでも報道されたし,写 真や動画はインターネットでも多数投稿され,そ のためこの発言は発言内容(言葉)だけでなく, その発言をしている安倍首相の姿とともに人々の 知るところとなった.おそらくこのことは,この 発言の受け止められ方に大きな影響を与えたと私 は考えている. では,発言をしている安倍首相の姿とはどのよ うなものだったのか.安倍首相は「こんな人たち に負けるわけには行かない」と発言する際に,聴 衆の一部を指差している.これはすでに触れたこ とだ.しかしだからといって,安倍首相は指差し た人々に語りかけているのではない.「こんな人 たち」を指差しつつ,別の人々に語りかけている のだ.そしてそのことを如実に示すのが安倍首相 の視線である.テレビ画面やインターネットの写 真は,ある方向を指差しつつそれとは別の方向に 視線を向けて「こんな人たちに負けるわけには行 かない」と話す安倍首相の姿を明瞭に映し出し, そのことがこの発言への大きな反発の(少なくと も一つの)原因になったのだ. 以上のことを踏まえ,本論では,「こんな人た ち」発言の仕組みをより詳細に分析するため,「こ んな人たち」に関わる安倍首相の発言を捉えた動 画から,発言内容,手の動き,視線の動きの 3 つ の要素を記述したデータを作成し,それに基づい て議論を進めたいと思う.動画はインターネット ニ ュ ー ス の「イ ン デ ィ ペ ン デ ン ト・ ウ ェ ブ・ ジャーナル」が 2017 年 7 月 1 日に掲載したもの(14) を使用し,オンライン上でスロー再生を繰り返し ながら発言内容や手の動きなどを読み取った.作 成したデータ(トランスクリプト)は次ページの とおりである(15). このデータは,3 行が一組になっており,1 番 上の行が発言内容,2番目の行が首相の視線の向 き,3番目の行が首相の右手の動きを示している. 視線は右正面を表す「右」や左正面を表す「左」 という文字によって方向を示している.「こんな人 たち」と指し示される人々は安倍首相から見て右 側に陣取っていたので,「右」と書かれている部分 では安倍首相が「こんな人たち」の方向を向いて いることになる(この部分に網掛け).「――」と いう表記はその動作が継続することを示している. 右手の動きは,「手」と書いてあれば手を開い た状態のままある方向(「こんな人たち」の方向) を指し示す動作,「指」は同じ人たちを指差す動 作を表す,と言った具合に文字によって動作を示
す(手や指を向けている箇所に網掛け). また,この 3 つの行は,同じタイミングが上下 に並ぶように作ってある.例えば最初の部分は, 安倍首相は正面左を向きながら右手はマイクを 持って「みなさん」と話し始め,次に右に顔を向 けてその方向を手で指し示し,視線を左側に戻し つつ(手はそのまま)「あのように……」と話し 出すことを表している. なお,本論では文字数の制約と,分析そのもの だけでなくその意義の検討も行おうという趣旨の ため,分析の説明は最低限にとどめた.より詳細 な分析については拙著(佐藤…2018)を見ていた だきたい. 3. 指差しと視線による分断 最初に,「こんな人たち」発言の核心的技術で ある,指差しと視線の連動について考えたい. トランスクリプトを見ると,安倍首相が「こん な人たち」を手または指で指し示したのは3回だ. 1 回目は,「あのように」から始まる部分で,最 初は手で指し示しながら「あのように」と語り始 め,「演説を邪魔するような」の部分で指差しに 変化する.2 回目は,「憎悪からは」の部分で, ここでは指差しだけが使われている.そして最後 は,「こんな人たちに」から始まる部分で,指差 しから始まって途中から手に変わっている. トランスクリプト 2017 年 7 月 1 日 安倍首相東京都議選応援演説の一部 (安倍首相)みなさん,あのように,人の主張の,訴える場所,に来て, 左―――右左――――――――――――――――――――― マ―――手―――――――――――――――――――――― (安倍首相)演説を邪魔にするような行為を,私たち自民党は絶対にしません. 左―――――――――――――右――――――――――左――― 指――――――――――下――――――――――――――――― (安倍首相)私たちはしっかりと,政策をまじめに訴えて,いきたいんです. 右―――――――――――――――――――左――――――― 下――――――――――――――――――――――――――― (安倍首相)憎悪からは,なんにも生まれない,相手を誹謗中傷したって, 左――――――――――――――――――――――――――― 指―――――下――――――――――――――――――――― (安倍首相)みなさん,何も生まれないんです. 左――――――右―――――――― 下――――――――――――――― (安倍首相) こんな人たちにみなさん,私たちは負けるわけにはいかない. 右―――左―――――――――――――――――――――――― 指――――――――――――――――手――――――――――― (安倍首相)都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか. 右―正―――――――上―――――右―――――― 手―――――――――上―――――下―――――― ※ 1 行目 発言内容 2 行目 視線(左-左正面,右-右正面,上-正面上) 3 行目 右手(マ-マイク,手-手を向ける,指-指さす,下-下に降ろす, 上-上で振る)
それでは,手や指で指し示している間,視線は どのようになっているのだろうか.トランスクリ プトを見ればわかるように,大部分は左正面,つ まり「こんな人たち」とは異なる方向を向いてい る.例外は 3 箇所で,その中でも「あのように」 「こんな人たち」という言い出しの部分で「こん な人たち」の方向を向いていることに注目してほ しい. 「あのように」の部分は先程も説明したよう に,まず「こんな人たち」とは異なる方向に向い て「みなさん」と呼びかけた後,「こんな人たち」 を手で指し示しながら視線を向け,すぐに視線を 左に戻しながら「あのように,人の主張の,訴え る場所,に来て……」と「批判」を始める.この とき,一瞬だけ「こんな人たち」に目を向けたの はなぜだろうか. 実は,安倍首相は,この発言よりも前の部分で も,視線を左右に振りながら話をしているし,ト ランスクリプトでも「私たち自民党は」に続く部 分では視線を左右に向けている.これは,左右に 大きく広がった聴衆にまんべんなく視線を注ぐと いうことであり,そのこと自体には大きな意味は ないだろう. このような,大きく広がった聴衆に語りかける ための視線の動きと,あえて「無視している」こ とを示すための視線の動きを明確に区別するため に,一瞬「こんな人たち」に目を向けることは有 効だったのではないだろうか. 手で指し示すと同時に視線を向けることによっ て,その一瞬安倍首相の視線は「こんな人たち」 を捉えていることが明確になる.そしてそこか ら,手はそのままにして視線だけを別の方向に向 ける,そのことによって,「あえて視線を外した」 ことが聴衆にもはっきりと示される. 「みなさん」と語りかけ,一瞬視線を右に振っ て「こんな人たち」を捉えるとともにその人たち を手で指し示し,「あのように」と言いながら視 線を外して「演説を邪魔する行為」だと規定する. これは確かに内容的には「批判」あるいは「非難」 なのかもしれないが,重要なことはそれが批判の 対象となる人々に向かって(二人称的に)語りか けているのではないということだ.そうではな く,(「こんな人たち」が目の前にいるにもかかわ らず)明らかに「こんな人たち」以外の人に向かっ て(三人称的に)語りかけている.言い換えれば 「こんな人たち」は語りかける対象から除外され ているのだ.そして,その除外が「分断」なので あり,視線と手の動きによってそれが成し遂げら れているのだ.「こんな人たち」はその場にいる にもかかわらず,視線と手の動きによって「いな かったことにされている」のだ. それでは,「こんな人たち」の部分については どうだろうか.基本的には,「あのように」の部 分と同様に,最初は「こんな人たち」の方を向き, その後視線を外すのだが,違っている部分もある. トランスクリプトの「こんな人たち」という発 言の直前の視線を見ると,視線は発話よりも前 から右側,つまり「こんな人たち」の方向を向い ていることがわかる.そして,一瞬の「ため」の 間に(発声する前の動作として)指を突きつける ように指し示し,「あのように」のときよりはや や長く視線を向けてから,左側に向き直っている のだ. ここで注目してほしいのは,以下の2点である. まず,先に視線を向けている状態から指を突きつ けたことであり,このことによって,指を突きつ ける動作がより攻撃的に見える,ということだ. 視線を向けた状態から指を突きつけるので,指差 しの動作が単に対象を指し示しているという意味 ではなく,一種の攻撃として印象づけられるの だ.これは,視線と手が同時である「あのように」 や,視線を向けずに指差す「憎悪からは」の部分 と比較すればよくわかるだろう.そして,2 つ目 は,視線を向けている時間が「あのように」より も長く,指と視線が同時に向けられている瞬間が 存在することがはっきりと分かる,ということ だ.これもまた,「こんな人たち」を直接攻撃し ているような印象を与える技術だと考えられる. ただ,それはあくまでも一瞬であり,すぐに視線 は左側に向けられ,「みなさん」と語りかけられ
る.そのため,こちら(視線を外す)のほうが本 筋であることには変わりはない. 私の考えでは,これは「見せるための攻撃」だ. 「ほら,この通り私はこいつらにビシっと言って やったぞ」という訴えなのだ.ほんの一瞬だけ攻 撃的な態度を見せ,相手がそれに反応する間を与 えずに視線をそらして,「こんな人たち」以外の 人たちに語りかける.ここでもやはり,「こんな ひとたち」はいなかったことにされている. 4. カテゴリー化 ここまでは,指差しと視線によって,「分断」 が可能になることを示したわけだが,実はそれだ けでは「分断」が完成するわけではない.多くの 人々を「いないかのように」扱うためには,複数 の人々を一括りにする「カテゴリー化」が必要だ からだ. 4.1 「自民党」というカテゴリー 「こんな人たち」という印象的な言葉が注目さ れた安倍首相の発言だが,このようなカテゴリー 化は,関連する発言の最初からなされていたわけ ではない.一連の発言の出だしは,「あのように」 であり,「こんな人たち」ではないのだ.両者の 違いは,「こんな人たち」が人々を指し示してい るのに対して,「あのように」は行為(演説を邪 魔するような行為)を指し示しているという点に ある.つまり,最初はまだカテゴリー化は行われ ていないのだ.実際に持ち出された最初のカテゴ リーは「こんな人たち」ではなく,「自民党」と いうカテゴリーであり,このことは非常に重要な 意味を持っている. よく考えてみると,ここで「自民党」というカ テゴリーを持ち出すことは,奇妙だ.「自民党は (演説を邪魔にするような行為を)絶対にしませ ん」という主張は,ある意味当然のことを言って いるに過ぎないからだ.おそらく他のどの政党で あっても,他政党の応援演説を邪魔するようなこ とはしないはずであり,わざわざそのことを主張 しないのは,それが当然すぎるからだだろう.そ れにも関わらず,この発言に対して,「そうだ!」 などの賛同の声が上がったり拍手が起きたりする のはなぜだろうか. それは,「自民党はしない」ということは,自 民党ではない人たちが邪魔をしているということ であり,自民党ではないということは,自民党に 対抗する勢力,もしかしたら,他の政党が選挙妨 害をしているのかもしれないといった受け止め方 がなされたからだと考えられる.もしストレート に,いま演説を妨害しているのは○○党の関係者 に違いない,などと主張すれば,大変なことにな るのは目に見えているので,そんなことはできな い.そこで,相手ではなく自分たちを「自民党」 と言葉で表現して,相手が何者なのかを暗に示 す,というやり方をしたわけだ.これが少なくと もある程度は伝わったからこそ,「そうだ!」な どの賛同や拍手が起こったのだろう.対抗勢力は 卑怯な手を使っているが自民党はまっとうな訴え をしようとしている,と見えるのだ. 4.2 「こんな人たち」というカテゴリー それでは,「自民党」の対極に位置づけられた 「こんな人たち」というのはどのようなカテゴ リーなのだろうか. ここで,問題にしたいのは,実際にどのような 人々が「こんな人たち」と名指しされたのか,と いうことではない.「左派団体」が動員をかけた ものだと主張する人もいるし(16),たまたま通りか かった人も「コール」に加わっていたという証言 もある(17).しかし,完全に組織だった行動だった わけではないので,多様な人々が多様な関わり方 をしていたとしか言いようがない.ここで問題に したいのは,そういったことの詮索ではなく,安 倍首相がどのような意図で,どのように「こんな 人たち」を規定したのか,ということだ. では,安倍首相は「こんな人たち」をどのよう に規定したのか.それはトランスクリプトから明 瞭に読み解くことができる. まず,「演説を邪魔にするような行為」をして
いる人たち,というのが最初の規定だ.先に説明 したように,この段階ではまだ言葉としては「行 為」を指し示しているだけだが,この部分は指差 しをしているので,その行為を特定の人たちに帰 属させていることは明らかだ.そして,先ほど説 明したように「自民党」ではない人々という規定 をし,そのことから自民党に対抗する勢力である ことを匂わせている. 次に,指を指しながら「憎悪からは」と言うこ とにより,憎悪を持って妨害をしていると非難を し,さらに,「誹謗中傷」という言葉まで持ち出 している.この部分では,「憎悪」「誹謗中傷」と いうかなり強い言葉が用いられているが,これ は,「こんな人たち」がいないことにされている からこそ可能になった表現だということに注意し てほしい.相手に面と向かって,「あなたは憎悪 から妨害している」とか「誹謗中傷している」と 非難することは相当に強い表現なので,強い反発 を覚悟しなくてはならないはずだ.しかし,安倍 首相は「こんな人たち」に向かって話しているの ではなく,「こんな人たち」はその場にいないか のように無視されているので,これほど強い表現 でも安心して使えてしまうのだ. そして,「憎悪」「誹謗中傷」という非難の言葉 を受けて,「こんな人たち」というカテゴリー化 が行われる.つまり,「こんな人たち」は演説を 妨害する自民党の対抗勢力であり,憎悪から行動 し,誹謗中傷を行うような人たち,という意味を 持たされているわけだ. 「こんな人たち」が自民党の対抗勢力であると いうイメージは,一連の発言の最後でもう一度補 強される.それは,「都政を任せるわけにはいか ないじゃありませんか.」という部分だ.この発 言からは,安倍首相が「こんな人たち」を都議選 で戦っている相手だとみなしているように見え る.これはかなり強引な主張だが,ここまでの流 れ(勢い)のなかで,疑問を持ちにくいようになっ ていたのだろう. 5. 同化メッセージ 「こんな人たち」を指差しと視線を利用して分 断し,「憎悪」「誹謗中傷」などの言葉で「悪者」 だと規定する.そのような技術をこれまで見てき たわけだが,それでは,最終的に安倍首相の目的 は何だったのだろうか.もちろん,「辞めろ」「帰 れ」などと野次られて腹に据えかねていた,とい うこともあるかもしれないが,ただ感情のままに 発言してしまったということではないだろう.応 援演説として,何らかの意味がある発言をしてい たはずであり,そのことは,「都政を任せるわけ にはいかないじゃありませんか」という締めくく りにも現れている. では,この一連の発言は,応援演説としてどの ような意味を持っていたのだろうか.この問いに 答えるには,「みなさん」と「私たち」という言 葉に注目する必要がある. まず冒頭の,「みなさん,あのように,人の主 張の……」という部分に注目しよう.このとき, 「みなさん」と「あのように」が連続して使われ, しかも「みなさん」と呼びかけた方向を向いて, 指差しながら「あのように」と語ることにより, 「みなさん」と「こんな人たち」が分断される. つまり,これ以降の「みなさん」は,「こんな人 たち」以外の人々を示すことになるわけだ. 一方,「私たち」は最初,「私たち自民党」「私 たちはしっかりと,政策をまじめに訴えて,いき たい」というように,安倍首相を含み,「みなさん」 を含まない形で規定される.つまり,「私たち」(を 代表する安倍首相)が「みなさん」に訴えている 構図だ. しかし,この構図は最後には変わっていく.そ れがはっきりわかるのが,「こんな人たちにみな さん,私たちは負けるわけにはいかない」という 部分だ.この発言の「私たち」は誰だろうか.誰 が「負けるわけにはいかない」のだろうか. 「こんな人たち」を,攻撃的に指差しながら, 「みなさん」,と呼びかけ,「私たちは負けるわけ にはいかない」と主張する.このときの「私たち」
は,「みなさん」を含んだ「私たち」だと解釈す るのが妥当だろう.つまり,「こんな人たち」に 対して,「私たち」は戦っていこうと呼びかけて いるのだ. このように,主語がいつのまにか「自民党」か ら「聴衆を含む私たち」にすり替わっており,あ る意味では聴衆の視点から語るように変化してい るからこそ,最後の「都政を任せるわけにはいか ない」という表現が意味を持つのだ.都政を任せ るのは自民党ではなく,有権者のはずだから,こ の部分の表現の主語は「聴衆を含む私たち」でな くては意味が通らない.もし「私たち自民党」が 「みなさん」に語りかける構図のままなら,「(み なさんは)都政を任せてもいいのですか」とか「都 政を任せてはいけません」といった表現になるは ずだ. つまり「こんな人たち」を敵とすることによっ て,自らと聴衆を一体化した「私たち」を形成し, 聴衆を自分の側に取り込んでいるのだ. 以上の分析から,私の結論は,「こんな人たち」 発言は,聴衆を「われわれ」として自分の側へ取 り込むためのものであった,ということだ.この 「取り込み」を私は「同化」と呼んでおり,同化 のための具体的な発言が「同化メッセージ」だ. 本論の最初の方で,「分断」だという評価は間 違いではないがそれだけでは不十分だと書いた が,これは「分断」(他者化)と「同化」がセッ トになって,「排除」という営みを作り出してい るからだ. 6. 「こんな人たち」発言の分析の意義 本論で分析した事例は,最初にも説明したよう に,一般的には「差別」であるとは認識されてい ない.このような事例を取り上げて「差別事例の 分析」を行うことは,差別問題研究のあり方とし て(さらにはもっと大きく,社会学研究のあり方, と位置づけることも可能だ),重要な問題提起を もたらすものだと思う.本論では最後のこの点に ついて私が考えていることを明らかにしておき たい. まず,この事例を「差別」だとして分析するた めには差別の定義が必要だ.本論ではこれまで定 義の問題には踏み込んでこなかった(その理由は 後で説明する)が,ある事例を差別だと規定する ためにはその理由が必要なのは当然のことだ. 差別の定義を巡る議論が複雑なのは,これは他 の社会問題についても同様だと思うが,定義その ものが政治的な意味を帯び,また研究の目的とも 関わってくるためだ. 差別問題の研究者すべてがそうだというわけで はないかもしれないが,私を含めて,私の知る多 くの研究者は,差別の実態に対する憤りや怒り や,あるいは被差別者に対するシンパシーなどの 感情を持ち,現状を変えたい,差別をなくしてい きたいという思いを持って研究を行っている(の だと思う).そのため,ある事実を「差別」であ ると規定することによって,差別の「告発」とし ての意味を持たせたいという誘惑に駆られるのは 当然のことだろう. 私は告発としての事例分析の意義を否定するわ けではないが,そこにはある危険性があると考え ている.それは,差別であるという規定にこだわ り,あるいは,差別の厳しさや被差別の苦しさ(そ れらは告発の要だろう)を強調することによっ て,「差別される側」への注目を促してしまうと いうことだ.確かに,差別の厳しさなどを理解す るためには,「差別される側」に注目するべきだ し,それは必要なことだろう.しかし,差別の「原 因」は「差別する側」に求められるべきであり, 差別をなくそうとするなら「差別する側」に注目 する必要がある.つまり,被差別の実態を記述す ることによって差別を告発しようとすることは, 「差別する側」から注意を逸らせてしまう危険性 がある,と私は考えているのだ. そのため,私は基本的に「差別する側」を意識 した差別の定義を提案しているのだが,実際には これでは誰もが納得するように差別を定義するこ とは難しい.本論の事例分析も,そこから結論と して「こんな人たち」発言は差別であると主張し
たとしても,それに納得していただける自信はな い.それはやはり,一般的な感覚としての差別の 定義はやはり被差別実態に基づくものだからだろ う. それでは本論の事例分析の目的は何か.私はこ れを「差別をなくすための研究」であると位置づ けようとしているのだが,それはどのように結び つくのだろうか.その答えを説明するためのキー ワードが「ワクチン」だ. 私は「こんな人たち発言」を “What”,つまり それが差別かどうか,という観点ではなく, “How”,つまり「方法」の記述という観点から 分析を行っている.そして,「差別の方法」に関 する知識こそが,私の考える「ワクチン」なのだ. 「こんな人たち発言」を方法として記述すると いうことは,その前提としての目的,あるいは意 図と結びつける必要がある.目的がわからなけれ ば方法として理解することができないからだ. 「こんな人たち」発言の場合は,聴衆を自分の味 方につけようとする目的のために,「こんな人た ち」を聴衆から分断し,悪者に仕立てることに よって自らと聴衆の一体化を図ったというのが分 析の結論だった. では,この分析がもたらす知識は,どのように して差別の解消に寄与するのだろうか. 私は,差別はある種の「まやかし」によって成 立していると考えている.この「まやかし」は非 常に単純なことであるにもかかわらず,いったん 成立すると非常に強力に作用し,なかなか抜け出 すことができない.それは,見る「対象」が操作 されているのではなく,見る「主体」が操作され ているからだ.被差別者のイメージとか,カテゴ リー化とかが問題なのではなく,被差別者を「ど の視点から」見るのか,見る側がどのようにカテ ゴリー化されているのかが問題の核心なのだ. そのため,この「まやかし」から抜け出すため には,「見る側のカテゴリー化」を解体する必要 がある.「こんな人たち」発言に引きつけて説明 するなら,安倍首相の指差す先を一緒に見てしま うのではなく,指差している安倍首相が何をして いるのか,彼が聴衆としての自分に対して何をな そうとしているのかをしっかりと見ることが必要 なのだ.私は「ワクチン」にそれを助ける作用を 期待している.いったん本論の説明を理解すれば (「ワクチン」を摂取すれば),同じように指差し と視線を組み合わせたやり方に接したときに,た だちに「これはこんな人たち発言と同じだ」と気 が付き,その目的も理解できるようになるだろう (ということを私は期待している). 本論の分析は,それ自体が一応は「ワクチン」 としての意味を持つと私は考えているが,トラン スクリプトを用いた説明など,社会学の専門的知 識を持たない人たちにもわかりやすいものだとは とても言えないだろう.そのため,より有効なワ クチンを作るためには,本論のような分析をより 噛み砕いて説明する努力が必要だと思う.私には これ以上わかりやすくする自信はないので,その ような取り組みをしてくれる人が現れることに期 待したいと思う. 注 (1) 毎日新聞 2017 年 7 月 2 日 29 面「首相演説アキバハラ ハラ 『やめろ』コールvs『負けない』」. (2) この発言そのものが差別だと主張したものは見つけ ることができなかったが,ヘイトスピーチと共通点があ るという見解は見られた(毎日新聞 2017 年 7 月 10 日夕 刊 2 面「特集ワイド『こんな人たち』と国民を分断 安 倍さんの本質」). (3) 毎日新聞 2017 年 7 月 4 日 29 面「首相遠い『丁寧な説 明』 こんな人たちに負けるわけにいかない」. (4) 朝日新聞 2017 年 7 月 2 日 2 面「首相,初の街頭応援 演説 都議選最終日秋葉原で」. (5) 日経新聞 2017 年 7 月 2 日 3 面 「首相『帰れ』コー ルに反論 こんな人たちに負けない」. (6) 読売新聞では「『人が主張を訴える場所に来て,演説 を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない.誹謗中 傷からは何も生まれない』と語る一幕もあった」(2017 年 7 月 2 日 31 面「最後は党首戦 重点区で街頭演説」) と,「こんな人たち」発言への言及自体がなかった.また,
産経新聞では,安倍首相が演説をした会場でのある出来 事についての記事はあったが,安倍首相の発言について の言及はなかった(2017 年 7 月 2 日 27 面「首相演説の 場に籠池氏『100 万円直接渡したい』」). (7) 日経新聞 2017 年 7 月 4 日 3 面「おごり・緩み,もろさ 露呈 安倍1強い危機感薄く 保守層,都民フに流れる」. (8) 毎日新聞 2017 年 7 月 4 日 29 面「首相遠い『丁寧な説 明』 こんな人たちに負けるわけにいかない」. (9) 朝日新聞 2017 年 7 月 6 日 32 面「首相発言問題ある? ない? 都議選応援 聴衆の批判に反論」. (10) 毎日新聞 2017 年 7 月 25 日 29 面「安倍首相『こんな 人たち発言』陳謝」. (11) 朝日新聞 2017 年 7 月 6 日 32 面「首相発言問題ある? ない? 都議選応援 聴衆の批判に反論」. (12) 同上 (13) 毎日新聞 2017 年 7 月 10 日夕刊 2 面「特集ワイド『こ んな人たち』と国民を分断 安倍さんの本質」. (14) https://iwj.co.jp/wj/open/archives/387185 (15) トランスクリプトの記法については,視線の動きを 分析した山崎敬一氏のトランスクリプト(山崎…1994) を参考にした. (16) 産経ニュース 2017 年 10 月 24 日配信「安倍晋三首 相の演説を妨害した『こんな人たち』を封じた聴衆の 『声』 『選挙妨害をやめろ』はメディアにも向けられ た」(https://www.sankei.com/politics/news/171024/ plt1710240088-n1.html). (17) 朝日新聞 2017 年 7 月 6 日 32 面「首相発言問題ある? ない? 都議選応援 聴衆の批判に反論」. 文献 佐藤裕,2018,『新版差別論――偏見理論批判』明石書店. 山崎敬一,1994,『美貌の陥穽――セクシュアリティのエ スノメソドロジー』ハーベスト社.
Description of “Technique of Discrimination” and Vaccine: Prime Minister Abeʼs Speech “Kon-na Hitotachi” SATO Yutaka My…research…theme…concerns…discrimination,…but…I…am…interested…in…“discriminating”,…not…“discriminated”.…… Describing…discriminatory…acts…has…significance…as…a…vaccine…against…discrimination.……In…this…thesis,…I…would… like…to…clarify…what…the…description…of…discriminatory…acts…means…by…analyzing…concrete…examples.…… Keywords: discrimination,…triad…model,…vaccine