「日本語教師のキャリア形成における
大学院進学の意味づけ」
The meaning of studying at graduate school from the view point
of Japanese teacher’
s career development
若 杉 美 穂
「日本語日本文学論叢」 第 14 号 抜刷「日本語教師のキャリア形成における
大学院進学の意味づけ」
The meaning of studying at graduate school from the view point
of Japanese teacher¶s career development
若杉美穂
1.研究の背景 近年、社会人に対するリカレント教育が推進されており、平成 27 年度の文 部科学省(2015)の資料によると、社会人の大学院入学者数数は 17.517 人で あると報告されている。また、リカレント教育受講の目的として現在の職業 に必要な知識を身に付けるため、キャリアチェンジのため、視野の拡大や人 的ネットワークの構築離職した後復職を目指すため(文部科学省 2018)が挙 げられている。そして、リカレント教育の受講には、自己の意思によるものと企 業からの派遣の場合があることが調査の結果から明らかにされている。 日本語教師も職を得た後に大学院へ進学する者が多いが、その場合は職場 からの要請ではなく、ほとんどが自己の意思によるものである。 筆者は 4 年間、日本語学校で非常勤日本語教師を経験した後、大学院へと 進学した。当時、日本語教師として働いているものの、自分は日本語教師に なることができているのか、このままでは日本語教師になれないのではない かという思いを抱いていた。そのような中、今後も非常勤講師を継続するの か専任になるのか、海外の教育機関で勤務か大学院へ進学するのかというい くつかの選択肢が浮上していた。そして、大学院進学を選択した。このよう な筆者自身の経験から、日本語教師になるうえで大学院進学という選択はど のような意味があるのだろうかという問いが生まれた。 本稿では、日本語教師がどのようにキャリアを選択し、またどのように意 味づけるのか、とりわけ大学院進学というキャリアに注目して考察する。 2.先行研究 2.1 日本語教師のキャリア研究 金田(2009)は、自身の周囲にいる日本語教師の実態を基に、一般的に日本語教師が辿ると思われるキャリアの道のりを 3 つのコースに分けて示して いる(図1)。示されたコースからは、日本語教師は養成課程を必ず通り、そ の後は日本語学校や海外の日本語教育機関、大学機関、大学院進学など多様 なコースを歩むということがわかる。 図1(キャリア形成 金田, 2009) そのうち「コース C」を見ると、一度日本語教師の職に就いた後、大学院へ 進学する道のりが示されており、日本語教師のキャリア意識の中に大学院進 学があることがうかがえる。 奥田(2011)は、これまで日本語教師のキャリア形成は、専門的職業能力 の発達や開発、あるいは就職という「外的キャリア1」の観点からは検討され てきたが、「内的キャリア2」についてはほとんど検討されてこなかった点を指 摘し、日本語教師のキャリアは二つの側面が相互に関連しながら発達するも のであると述べている。その上で、経験年数 7 年∼20 年の日本語教師の語り から、経験年数に伴う日本語教師自身の価値づけの変容を明らかにし、また、 日本語教師の価値づけの変容は周囲の教師や学習者だけではなく社会文化的 な影響も受けていることも示している。奥田の研究からは、日本語教師のキ ャリア形成を理解するためには、外的キャリアだけではなく、内的キャリア にも注目する必要性があり、さらには日本語教師を取り巻く人間関係だけで はなく、社会文化的な文脈で日本語教師のキャリア形成を捉える必要性が理 解できる。 1 外的キャリアとは、その人が経験した仕事の内容や実績、組織内での地位などのことで ある(シャイン 1991)。 2 内的キャリアとは、職業生活における歩みや動きに対する自分なりの意味づけである (シャイン 前掲)。 −61−
一方、末吉(2012)の研究では、待遇面に不満を持ちながらも非常勤職の 継続を選択する女性日本語教師の姿が、質的な調査分析方法によって明らか にされている。その結果から、不満を持ちながらも非常勤日本語教師を継続 するのには、女性が自由に職を選択できないという日本の社会的な構造が関 係していることが考察されている。さらに、小林(2016)は、日本語教師の 離職の要因について質的な研究方法を用い調査分析をしている。分析の結果、 日本語教師が離職を選択する要因は「努力が行き場を失った」ということで あり、それは当事者個人の要因だけではなく、日本語教育界の教師の成長を 止める構造に問題があることが指摘されている。末吉、小林の研究は奥田と 同様に、日本語学校で働く日本語教師について調査分析がされており、日本 語教師自身の語りから非常勤講師の継続や離職という外的なキャリアに伴う 日本語教師自身の意味づけが明らかにされている。さらに、日本語教師のキ ャリア形成において、社会的な構造や日本語教育界の構造が関係しているこ とが示唆されている。 2.2 先行研究のまとめ 日本語教師のキャリアコースからは、日本語教師がどのように職務経歴を 歩むのかという外的キャリア形成について理解することができ、また、日本 語教師の一般的なキャリア意識を把握することができた。そこから、職を得 た後に大学院へ進学するという日本語教師のキャリア選択は珍しくないこと がわかった。しかし、外的キャリアだけでは具体的に日本語教師がどのよう な経験をして、キャリアを選択しているのかまではわからない。 奥田、末吉、小林の研究では質的な調査分析を用い、外的キャリアと内的 キャリアの相互作用から日本語教師のキャリア形成が捉えられ明らかにされ ている。さらに、日本語教師のキャリ形成には社会的文化的な影響、社会構 造も関係していることが示されていた。また、先行研究からは日本語教師の キャリア形成における、継続年数、離職、継続という外的キャリアに対する 日本語教師の価値づけ・意味づけを理解することができた。しかしながら、 日本語教師として働き始めた後の大学院進学というキャリアの選択について はまだ明らかにされていない。 以上から、本研究では日本語学校で日本語教師として働き始め、その後、 大学院進学という外的キャリアの選択をどのように行うのか、また日本語教
師自身はその経験をどのように意味づけるのかについて明らかにする。その ため質的な調査分析方法を用いて、日本語教師の外的キャリアおよび内的キ ャリアを捉えることとする。 3.本研究におけるキャリアの定義 本研究では、キャリアの定義に金井(2002)の定義「成人になってフルタ イムで働き始めて以降、生活ないし人生全般を基盤として繰り広げられる長 期的な仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と節目 での選択が生み出していく回顧的な意味づけと将来構想・展望のパターン」 を用いる。しかし、日本語教師の場合フルタイムだけではなく非常勤として 働き始める者も多いため、キャリアの開始を「フルタイム」に限定すること は難しい。そこで、2節の金田(2009)が示した日本語教師の3つのキャリ アコースのように、どのコースにも養成課程が必ず含まれていることから、 本稿においてはキャリアの開始時期を養成課程とし、金井の定義を改変した もの、つまり「日本語教師養成課程を受講して以降、生活ないし人生全般を 基盤として繰り広げられる長期的な日本語教師生活における具体的な職務・ 職種・職能での諸経験の連続と節目での選択が生み出していく回顧的な意味 づけと将来構想・展望のパターン」をキャリアの定義とする。 4.事例研究 4.1 調査方法 研究協力者は、大学で日本語教師養成課程を修了後、非常勤日本語教師を 経験し大学院へと進学した鈴木(仮名)さんである。鈴木さんと筆者は大学 院での授業を共にしており、またインタビューをする前から研究や、日本語 教師経験、将来などについて話す仲である。鈴木さんと同様に筆者も大学(鈴 木さんとは異なる出身大学)で養成課程を修了後、日本語教師として働き大学 院へと進学している。調査は非構造化インタビューを3回行い、養成課程の ことから大学院進学までにどのような経験をし、どのようなことを考えたの かを中心に聞いた。 −59−
表1 鈴木さんのインタビュー実施の概要 調査方法 非構造化インタビュー 調査協力者 大学で日本語教師養成課程を修了後、日本語学校で非常勤 講師として働き、大学院へ進学した鈴木さん(仮名) 調査時期 1回目 2 回目 3 回目 2018 年 3 月 8 日 2018 年 3 月 22 日 2018 年 4 月 5 日 インタビュー時間 40 分 68 分 63 分 4.2 分析方法 文字化したインタビューデータの分析には、複線経路等至性モデリング (Trajectory Equifinality Modeling:以下、TEM)(安田・サトウ,2017)を 用いた。TEM とは、「個々人がそれぞれ多様な経路を巡っていたとしても、 等しく到達するポイント(等至点)があるという考え方を基本とし、人間の 発達や人生径路の多様性・複線性の時間的変容を捉える分析・思考の枠組み のモデルである」と定義されている(荒川ら,2012)。TEM の基本概念には、 等至点(Equifinality Point:EFP)分岐点(Bifurcation Point:BFP)、非可逆的 時間(Irreversibl)、必須通過点(Obligatory Passage Point:OPP)がある。等 至点(EFP)は、研究者が関心を持った現象として設定されるものであり、 描かれた径路が収束するポイントとなる。また決して戻ることのできない非 可逆的な時間の流れの中で、等至点までに通る必須通過点(OPP)は、制度 や法律やきまり、明文化されていない慣習などの制約的な影響を受けた行 動・選択や、ある出来事によって生じる実際の結果としての行動や選択とい う必ず通過する点が当てはまる。また分岐点(BFP)は異なる選択肢が発生 し、径路が分岐する点となる。そして、等至点への歩みを後押しする力とし て示される社会的助勢(SG)や、阻害する力である(SD)などの社会的諸力に よってその径路は最終的に等至点へと到達する。 境ら(2012)は、TEM を分析に用いることによって「個々の事例に含まれ る対象者の具体的な経験や時系列を保持しつつモデル化し、それに対する理 解を求められる」としており、本研究では鈴木さんの日本語教師のキャリア 選択と意味づけのプロセスを明らかにするというように、事例に含まれる具 体的な経験や時間的変容を捉えるため、分析方法に TEM を用いた。また、 TEM では、社会的助勢や社会的方向付けという社会的諸力も描くため、日本
語教師を取り巻く、社会文化的な環境や社会の構造を理解するのに適してい ると考えた。 分析の手順は、まず一回目のインタビューデータを文字化し、意味のまと まりごとに切片化した。その後、似ている意味のものをまとめて、コード化 したものを「大学院に進学する」を等至点として TEM の概念に基づき並べ、 図を作成した。2 回目のインタビューの際、鈴木さんに作成した TEM を見て もらい、修正を行った。さらに 3 回目のインタビューでも同じことを繰り返し、 最終的な TEM を完成させた。 5.結果 鈴木さんのインタビューを TEM の概念に沿って整理し、図を作成した。イ ンタビュー当初は等至点を「大学院へ進学する」、両極化した等至点を「大学 院へ進学しない」としていたが、インタビューを重ね TEM を修正するうちに、 鈴木さんにとっての大学院進学の意味が明らかになってきた。そのため、等 至点は「自分の求めるための軌道修正としての大学院進学」、また両極化した 等至点は「こなすだけの日本語教師を続ける」と変更した。 作成した TEM より、鈴木さんが等至点に至るまでには、第Ⅰ期「日本語教 師に関心をもつ」第Ⅱ期「大学院進学を断る」第Ⅲ期「海外赴任を延期」第 Ⅳ期「教師観・教育感の意識」第Ⅴ期「大学院進学を決める」という時期を 経験しながら進んでいることがわかった。 次節からは、TEM から見られた時期区分に沿って鈴木さんが経験した出来事 と社会的諸力を合わせて記述する。文中の「」はインタビューデータの内容を表 している。 なお、以下、表2に改めて TEM で用いられる用語の意味をまとめ、本研究 のデータから見えた具体例を示す。 −57−
表2 TEM の用語、ならびに本研究における意味 概念と TEM 図 概念の意味 本研究における具体例 等至点:EFP 多 様 な 経 験 の 経 路 が い っ た ん 収 束 す る地点 自分が求める教師になるための、軌道修正 をするために大学院に進学する 両 極 化 し た 等 至 点:P-EFP 自分の求めない、こなすだけの日本語教師 を続ける 分岐点:BFP ある選択によって、 各 々 の 行 動 が 多 様 に 分 か れ て い く 地 点 ① 国語教員のイメージが下がる ② 大学院を勧められる ③ 海外の赴任先が決まる ④ 自己の求める教師像を再確認する ⑤ 批判的に振り返る ⑥ 母校の大学の先生、院生に話を聞きに 行く 必須通過点:OPP 論理的・制度的・習 慣 的 に ほ と ん ど の 人 が 経 験 せ ざ る を えない地点 ① 日本語教師という職を知る ② 日本語教師養成課程のある大学に進学 する 社会的助勢:SG (抜粋) 個 人 の 選 択 や 行 動 を 後 押 し す る 認 識 や認知、援助的な力 ① 海外で活躍する日本語教師のイメージ ② 学校の枠に縛られる教師像 ③ 成長を実感できる ④ 成長の可能性 ⑤ 養成時代の経験 ⑥ 大学での経験 ⑦ 日本語学校はどこも同じ ⑧ 励まし 社会的方向付け: SD(抜粋) 個 人 の 選 択 や 行 動 に阻害的・抑制的に 働く事象、認識や認 知 ① マニュアル化 ② 自分で考えなくなる環境 ③ 学生に合った授業ができない環境 ④ 研究への不安
5.1
図2
鈴木さんの
TEM
5.2 鈴木さんが大学院進学を選択するまでの出来事や行動 5.2.1 第Ⅰ期 「日本語教師の関心を持つ」 図 2-1 鈴木さんの TEM 図抜粋、分岐点① 鈴木さんは、大学に入学後、教職課 程(国語科、以下、国語教師養成課程) と日本語教師の養成課程をどちらも受 講していた。国語教師養成課程を受講 したのは、「学生を理解してくれようと する高校時代の国語教師に共感を抱い ていた」からである。一方、日本語教 師の方は自宅でホストファミリーをし た経験から、「海外に憧れ」を持ち、海外でできる職業である日本語教師とい う職を知り、関心を抱いていたからである。二つの養成課程を受講する中で、 国語教師養成の授業では「学校の枠に縛られる教師像」や「先生が求める教師 像に自分はなれない、共感できない」と、授業や実習に苦痛を感じていた。そ れにより「国語教員のイメージが下がって」いき、単位をとるだけとなってい た。一方、日本語教師養成では知識を得ながら日本語教師という「未知な世界」 を知っていくことに、おもしろさを覚えていた。 また、外国人学習者と交流する機会が数回あり、徐々に「(相手と)意思疎 通」ができるようになり「自分も向こうに(相手に)合わせて話せる」ように なっていくという、自身コミュケーション力の成長を実感し「おもしろ」く「楽 し」かった。さらに、日本語教師の教育実習では授業に合わせた教材を「自作 す」るという創造性に魅力を感じていた。このように国語教師のイメージが下 がるのと対照的に、日本語教師のイメージが上がる経験が鈴木さんを日本語教 師の道へと進ませていった。 5.2.2 第Ⅱ期 「大学院進学を断る」 図 2-2 鈴木さんの TME 図抜粋、分岐点② 鈴木さんは、高校生の頃に雑誌で見た「海外で活躍する日本語教師」とい うイメージをこれまで保持しており、それを実現するためにシンガポールの 日本語学校に応募し、内定をもらっていた。その後、ゼミの指導教官から大 学院へ進学することを勧められる。ゼミには大学院へ進学した先輩がおり、鈴 木さんもお世話になっていた。指導教員から研究はやりたいことをやればいい
と言われたものの「海外で経験した い」「卒論が大変だった経験」「研究 したいことがな」く、大学院へ行く ことの意味を自分の中には見いだせ なかったため大学院進学を断った。 5.2.3 第Ⅲ期「海外勤務の延期」 図 2-3 鈴木さんの TME 図抜粋、分岐点③ その後、事情によりシンガポールの 内定が取り消しになってしまったが、 海外で働くということを目標に持って いた鈴木さんは、ほかの海外の日本語 学校に応募して内定をもらうことがで きた。しかし、その赴任先は「誰でも いい採用基準」で、「貯金ができない」 という経済的な問題が帰国後の不安を 感じさせる点もあり条件に納得できな かった。そのため、内定を辞退し海外で働くことを延期することにした。そ して知り合いからの紹介を受け、まずは日本の日本語学校で働くことを決め た。 5.2.4 第Ⅳ期 「教師観・成長観の意識」 図 2-4 鈴木さんの TME 図抜粋、分岐点④ 働き始めると、それまで使ったこと のない教科書を指定され、どう使うの かが分からなかった。使い方を先輩に 聞いて、考えることなくそのままする ことで授業を進めることが続いてい た。 その後、日本語学校からの派遣で大 学の授業を担当したが、それはテキス −53−
トを指定された授業ではなく、学生のレベルや授業の目的に合わせて自分で 授業や教材を作る自由さを感じるものだった。その経験に自己の成長可能性 を感じ、また成長や創造できる日本語教育というのは、養成時代に経験した ものでもあり「私のやりたかったことはこれ」だと自分の求める教師像を再 認識した。同時に、これまでの自分は「言われたことをこなすだけ」であっ たことに気づき始めた。 5.2.5 第Ⅵ期 「大学院進学を選択する」 図 2-5 鈴木さんの TME 図抜粋、分岐点⑤⑥ 日本語学校に戻ると「自分で考 えなくなる環境」「学生に合った 授業ができない環境」であること に気づき、将来について考えだし た。ベテランの先輩たちを見てい ても「教え方は上手になる」がそ れだけでは不満であり、先輩教師 のようになりたくないと思った。 同僚から「日本語学校はどこも同 じ」だと聞いていたこともあり、 このまま日本語学校で続けてい ると、成長が終わることを予期した。大学での授業を通して自分の求める実 践ができた経験をしたため、今後のキャリアとして大学での授業をすること や、延期していた海外での日本語教師という道が浮上してきた。その後、母 校の指導教員に相談に行く。その際、指導教員から修士論文について「教師 経験から問題が研究テーマになる」と聞き、それならば研究テーマが見つか りそうだという可能性を抱いたいことに加えて、指導教員や先輩から「励ま し」をもらったことで、大学院進学という選択にいたった。 6.考察 鈴木さんは養成時代に、学習者に合わせることや、授業を自分で考えるこ とにおもしろさや成長を感じ、それらを日本語教師の中に見出していた。し かし、日本語学校の日本語教師としては、言われたことをこなすだけで進め ていく日本語教師を続けていた。ある時大学で授業を行う機会があり、そこ
で自己の求める日本語教師像を再認識し成長の可能性を実感した。その後元 の日本語学校の環境に戻ると、これまでの自分(教師)と、自分がいる環境 を批判的に振り返るようになった。このままでは日本語教師として成長する ことができないと予期し、将来について考える中、自己の求める教師になる 道として海外や大学で働くという選択肢が浮上し、指導教員との相談で大学 院の道が開かれたため、大学院進学を選択したという径路が TEM から見られ た。この径路から、鈴木さんにとってキャリア形成における大学院進学の意 味は、こなすだけの日本語教師をやめて自分の求める日本語教師になるため の軌道修正であり、反対に大学院へ進学せず場所を変えないことは、こなす だけの日本語教師を続けるという意味であると考えられた。 鈴木さんは、養成課程の大学、日本語学校、大学の授業、日本語学校とい う教育機関を移動していた。その中で「大学での授業経験」が分岐点となり、 「自己の求める教師像を再認識」した。その際、「養成時代の(日本語教師に 関する)経験」に後押しされ、気づきを得ることとなっている。このことか ら、異なる教育機関を移動することにより、自己の教師観や成長観を意識し ていたと考えられる。また意識化が起こる気づきは、過去の日本語教師像や 日本語教師養成時代の経験が影響していることが考えられた。そして、鈴木 さんは大学での授業を経験した後、日本語学校に戻ると、自己の教師像の意 識化に後押しされて自分や自分がいる環境を批判的に振り返るようになって いる。その結果、現在の日本語学校では成長することはできないと予期し、 次のキャリア選択へと向かっている。このことから、自分や自分のいる環境 を批判的に振り返る機会が重要であり、またその結果、新たなキャリアを選 択するというような自己キャリアを管理する必要があると考えられた。鈴木 さんはキャリアを選択する際、指導教員から「励まし」をもらったことと、「教 師経験の問題が研究テーマとなる」という研究の説明をうけたことにより「研 究に対する不安」が解消され、「研究テーマが見つかりそう」だという可能性 を持ったことが後押しの力となっている。このことからは、キャリア選択に は、相談する機会や励ましをもらう存在が重要であり、そのような環境がキ ャリアを形成していくためには必要であると言えるだろう。 7.展望 本研究では、日本語教師にインタビューを行い、TEM で分析することによ −51−
って日本語教師がどのように大学院進学を選択するのかというプロセスと、 その意味づけについて理解することができた。その結果から、日本語教師の キャリア形成には自己の教師観や成長観の意識化や、批判的に振り返る機会、 キャリアについて相談できる環境が重要であることが考えられた。今後は、 そのような環境をどのように作っていくのかについて考える必要がある。 また、鈴木さんが日本語学校で経験した成長が終わる感じは、「学生に合っ た授業ができない環境」や「自分で考えなくなる環境」が社会的諸力として 現れていた。これらについては、現在執筆中の修士論文で更なる調査、分析 を重ね考えていきたい。 参考文献 ࣭荒川歩・安田裕子・サトウタウヤ(2012)「複線径路・等至性モデルの TEM 図の描き方の一例」『立命館人間科学研究』p. 95-107 ࣭奥田純子(2011)「日本語教師のキャリア形成―日本語教育機関の教師への インタビューを手掛かりに」『異文間教育 33』p. 60−80 ࣭金井壽宏(2002)『働くひとのためのキャリア・デザイン』PHP 新書 ࣭金田智子・浜田真理・市瀬智記・徳井厚子・斉藤ひろみ(2009)「多様な言 語文化背景をもつ子どもたちへの日本語教育に携わる教員および教員養成 系大宅の学生の認識―教師のキャリアの視点から―」『日本語教育学会秋季 大会予稿集』 ࣭金田善弘(2018)「社会福祉専門職を目指すための福祉教育の展開プロセス −複線経路・等至性モデルによる分析」『福祉教育開発センター紀要 15』 ࣭小林浩明(2016)「日本語教師のキャリア分析」諸富祥彦・末武康弘・得丸 智子・村里忠之(編著)『「主観性を科学化する」質的研究法入門:TAE を中心に』 金子書房 ࣭境愛一郎・中西さやか・中坪史典(2012)「子どもの経験を質的に描き出す 試み:M-GTA と TEM の比較」広島大学大学院教育学研究科紀要第三部 教 育人間科学関連領域 61 197-206 ࣭シャイン, エドガー・H(二村敏子・三善勝代訳)(1991)『キャリア・ダイ ナミクス−キャリアとは、生涯を通しての人間の生き方・表現である』白 桃書房
࣭末吉 朋美(2012)日本語教師のキャリア形成 : 日本の社会構造における 性別役割『待兼山論叢 』(46),97-114 大阪大学大学院文学研究科 ࣭安田裕子・サトウタツヤ(2017)『TEM でひろがる社会実装―ライフの充 実を支援する―』誠信書房 ࣭文部科学省(2015)「社会人の学びなおしに関する現状等について」 ࣭文部科学省(2018)「リカレント教育の拡充に向けて」 −49−