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第2部アフリカ開発援助の新アプローチ―経済開発への道 - 第5章アフリカ開発とキャパシティ・ディベロップメント―ケニアの経済開発戦略と貿易政策を中心に

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第2部アフリカ開発援助の新アプローチ―経済開発

への道 - 第5章アフリカ開発とキャパシティ・ディ

ベロップメント―ケニアの経済開発戦略と貿易政策

を中心に

著者

吉田 栄一

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

情勢分析レポート

シリーズ番号

10

雑誌名

アフリカ開発援助の新課題−アフリカ開発会議

TICADIVと北海道洞爺湖サミット

ページ

103-142

発行年

2008

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00014744

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アフリカ開発援助の新アプローチ

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アフリカ開発とキャパシティ・ディベロップメント

―ケニアの経済開発戦略と貿易政策を中心に―

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第1節 アフリカ開発

― 過去と現在―

アフリカ諸国(1)の多くは、18841885年のベルリン会議により、西欧列強 の引いた人為的国境線によって区分され、植民地となった。その後、1920年代 には一次産品輸出と生産性の低い脆弱な農業および工業に特徴づけられる植民 地型経済構造が形成されたといわれている(北川・高橋[2004])。1960年の「ア フリカの年」を中心として多くのアフリカ諸国は独立を勝ち取った。本来、ア フリカ諸国の独立は農業開発や工業開発による単一産品輸出経済(モノエクスポ ート)からの脱却と社会経済開発による貧困からの脱却を目指したものであっ た。 しかし、実際には1970年代の2度のオイル・ショックまで続いた一次産品ブ ームによる経済成長により本格的な農業開発や工業開発はなおざりにされた。 その後、農産物を中心とした一次産品価格の停滞と干ばつなどの気候変動や急 激な人口増加、さらには経済のグローバリゼーションの中で1980年代の「失わ れた10年」を迎え、多くのアフリカ諸国は貧困、飢餓、疫病、紛争、環境破壊 といった負の言葉に特徴づけられることとなった。 1990年代後半以降、とりわけ21世紀に入ると鉱物資源価格の高騰や規制緩和 などによるビジネス環境の改善により、アフリカ経済は全般的に上昇傾向にあ り、5%から6%程度の経済成長率を記録する国が多くなっている(2)。こう した経済成長が単なる一過性のものなのか、それとも持続的なものなのかは、 何よりも長年、アフリカ経済が抱えてきた一次産品依存型輸出構造と生産性の 低い農業部門と工業部門という脆弱な経済構造を脱却できるのかどうかにかか っている(平野[2007])。 昨今のアフリカ開発支援をめぐる国内外の議論は、貧困や紛争などへの直接 的なアプローチを重視した「社会開発」を中心としているが、それだけでは歴 史的に形成されてきたアフリカ開発問題を解決することは不可能ではなかろう か。しかし急いで付け加えなければならないが、いわゆる「社会開発」だけで は不十分だからといって、伝統的な「経済開発」の重要性を指摘するだけでは、 時代錯誤と言われても仕方がないであろう。

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経済・社会・文化の急速なグローバリゼーションと地球気候変動や砂漠化な どの地球環境問題が深刻化するなかで、いま私たちは地球全体としてのグロー バルな持続性とアフリカの持続可能な開発との両立をどのように考えるのかが 問われている。アフリカの持続可能な開発なくしてグローバル・サステイナビ リティの実現はあり得ない(松岡[2006])。 もちろんアフリカ開発問題に最も責任を持つべきは、かつてアフリカを植民 地支配したイギリスやフランスなどの西欧諸国であることは言うまでもないが、 アジアの先進国である日本は、グローバル・サステイナビリティという観点か ら一定の役割を果たす必要がある。東アジアの開発を中心的に援助してきた国 として、あるいはアフリカの植民地支配という負の歴史問題を持たない国とし て、積極的にアフリカの持続可能な開発を支援する責任と能力が日本にはある。 本章は、アフリカの持続可能な開発にとって基本的な政策課題である輸出志 向経済開発戦略および貿易振興とキャパシティ・ディベロップメント(Capacity Development: CD)のあり方に焦点を当てる。輸出志向経済開発戦略とは、通常、 外資導入による輸出型工業の育成を中心とした輸出志向工業化(Export Oriented Industrialization)といわれる開発戦略であり、途上国経済に歴史的にみられた 一次産品依存からの脱却を具体化するには輸出型製造業の育成が眼目であると する考え方である。韓国、タイ、マレーシア、中国などの「東アジアの奇跡」 は輸出志向工業化戦略の典型的な成功例と考えられる。 しかし、あえて「輸出志向工業化戦略」という用語ではなく、「輸出志向経済 開発戦略(Export Oriented Economic Development Strategy)」という用語を主に使 用するのは、アフリカの開発においては、従来議論されてきた狭い意味での工 業開発だけを成長のエンジンと見なすことには限界があり、人材形成を基礎と した農業、観光業やサービス産業といった幅広い輸出(外貨獲得)志向の経済 活動を考えるべきではないかとの仮説を持っていることによる(3)。またそれ だけではなく、今後の地球環境を考えたとき、アフリカが東アジアと同じよう な資源浪費型で環境汚染型の輸出志向工業化を行うことは、地球社会全体に破 壊的な影響をもたらす可能性が強く、20世紀の工業化戦略を超えた21世紀の経 済開発戦略を考えることが必要だとの考えに基づくものである。 輸出志向経済開発戦略は、ビジネス環境の改善による外資導入と競争力ある 民間セクターの形成による輸出振興、輸出拡大による外貨の獲得および経済的

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自立という発展経路を想定するが、ここでの中核的ポイントは輸出能力の形成 である。輸出能力は直接的には企業が担うが、企業の輸出能力形成には、政府 の経済財政政策や貿易政策だけでなく、教育などの人材育成政策や人々の貯蓄 などの社会全体として貿易振興に関するキャパシティ・ディベロップメントが 重要である。 1990年代以降、アフリカにおいて本格的に取り組まれるようになった輸出志 向戦略が必ずしも順調な成果を上げていないのは、どのような産業をターゲッ トに、どのように産業を育成するのかという「産業政策」上の問題だけではな く、戦略そのものに内包すべきキャパシティ・ディベロップメントという視点 が明確でなく、援助機関との整合性も不十分であることが大きいのではないか と考えられる。 キャパシティ・ディベロップメントの議論は、まさに1980年代の西欧ドナー のアフリカ援助の失敗を契機とし、1990年代の国際開発援助分野において国連 開発計画(UNDP)などが主導してきた新たな開発アプローチである。UNDPは キャパシティを、個人レベル、組織レベル、制度および社会レベルというミク ロからマクロにいたる3層構造として定義しているが、筆者は政府(部門)、企 業(部門)、市民(部門)という3つの社会的アクターそれぞれの能力とそれら の関係性から構成される「社会的能力(Social Capacity Development: SCD)」とし て定義した(松岡他[2004]; Matsuoka[2007])。

本章は社会的能力形成論に基づき、アフリカ開発のために「貿易分野におけ る社会的能力の形成(Trade Capacity Development: TCD)」をどのように進める ことが必要なのかを考察し、アフリカ開発の新課題として提言する。 研究対象としては東アフリカのケニアを取り上げる。多くのアフリカ諸国に おいて採用されたアフリカ型社会主義が、国家部門に依存した輸入代替的成長 戦略による政府部門の肥大と非効率・腐敗によって必然的に破綻したのに対し て、ケニアは1963年の独立以来、相対的に市場に依拠した自由主義的戦略によ って経済成長を行い、1980年代初めまで「アフリカの優等生」と言われてきた (北川・高橋[2004])。また、ケニアは東アフリカ共同体(EAC)の中心国であ り、アフリカにおける開発とキャパシティ・ディベロップメントを考えるうえ で、重要な教訓を示してくれるのではないかと考えられるからである。 本章の構成は以下である。まず第2節において、サブ・サハラ・アフリカと

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東アジアおよび南アジアの成長の軌跡を対比することによって、アフリカ開発 問題の背景をみる。次に第3節で、ケニアにおける経済開発戦略の展開とこう した開発を担う公的開発組織の形成を観察する。さらに第4節において、輸出 志向経済開発戦略の要を形成する貿易振興におけるキャパシティ・ディベロッ プメントの現状と問題点を社会的能力アセスメントという視角から考察する。 また、イギリス、日本などの援助機関による貿易分野の援助と教訓を明らかに する。最後に「おわりに」で、新たなアフリカ開発援助の課題としてアフリカ 社会の自発性を踏まえた、包括的かつ持続可能なキャパシティ・ディベロップ メント・アプローチの重要性を指摘する。

第2節 アフリカとアジア

表1に、1日1ドル以下で生活する絶対的貧困層人口の比率の推移を示した。 1981年の東アジア途上国(太平洋諸国含む)の貧困層の割合は57%を超え、南 アジア地域の51.5%より高い。他方、サブ・サハラ・アフリカの貧困層の割合 表1 アフリカとアジアの貧困層人口と割合(1日当たり1ドル以下) 1981 1984 1987 1990 1993 1996 1999 2002a 東アジア・ 8.0 5.6 4.3 4.7 4.2 2.9 2.8 2.1 太平洋諸国 (57.7) (38.9) (28.0) (29.6) (24.9) (16.6) (15.7) (11.6) 南アジア 4.8 4.6 4.7 4.6 4.8 4.6 4.3 4.4 (51.5) (46.8) (45.0) (41.3) (40.1) (36.6) (32.2) (31.2) サブ・サハラ・ 1.6 2.0 2.2 2.3 2.4 2.7 2.9 3.0 アフリカ (41.6) (46.3) (46.8) (44.6) (44.0) (45.6) (45.7) (44.0) 世 界 14.8 12.8 11.7 12.2 12.1 11.0 11.0 10.2 (40.4) (32.8) (28.4) (27.9) (26.3) (22.8) (21.8) (19.4) (単位:億人) (注)カッコ内は%。 東アジア・太平洋諸国は、日本、香港、シンガポールを除いた途上国である。南アジ アは、アフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、インド、モルジブ、ネパール、パキ スタン、スリランカである。サブ・サハラ・アフリカはサブ・サハラの48カ国である。 (出所)World Development Indicators[2006]より作成。

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は41.6%と、世界平均の40.4%と遜色ない数字である。1970年代頃まではアフ リカは極端に深刻な貧困地域というわけではなかった。 しかし、その後の3地域の数字の動きは極めて対照的である。東アジアが 1980年代に急速に貧困層の割合を減少させ、続いて南アジアが着実に貧困層の 割合を減少させているのに対して、アフリカは1980年代に貧困層の割合を増加 させ、その後は一進一退を続けている。アフリカは1980年代の「失われた10年」 において決定的に後退してしまった。「失われた10年」の要因は、直接的には 2度の石油危機による工業生産物と農産物の価格差の拡大に起因するものであ ったが、このことは東アジアや南アジアにおいても同じであり(4)、アフリカ にはこうした悪状況に対処し得る社会的能力や社会経済的条件が形成されてい なかったことが大きい。 こうした状況を1人当たりGDPという視点から、より長期的に示した(図1)。 人口規模の大きな東アジアや南アジアの1人当たりGDPの成長は、絶対的貧困 層の減少に比べると緩やかで、東アジアがアフリカを上回るのは1992年、南ア 図1 1人当たりGDPの推移(1960―2006年) 0 200 400 600 800 1,000 1,200 1,400 1,600 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 (年) (ドル) 東アジア・太平洋諸国 南アジア サブ・サハラ・アフリカ (注)単位は2000年固定USドル。

(出所)World Development Indicators database(http://www. worldbank.org/)より 作成。

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ジアがアフリカを上回るのは2005年になってからである。 しかしより注目すべきは、東アジアや南アジアの途上国が程度の差はあれ、 一貫して右肩上がりの成長経路を示しているのに対して、アフリカの1人当た りGDPは1974年の595ドルが最高値で、21世紀に入ってからの成長がみられる とはいえ、2006年においても583ドルに留まっている点であろう。 経済成長の停滞・後退だけではなく、表2に示したように、アフリカの人口 増加率は1970年以降の30年間で年平均3%という異常な高さを示し、人口爆発 はアフリカ発展を妨げた大きな要因である。1人当たりGDPからみると、アフ 表3 アフリカとアジアの産業別GDP構成比率 1960 1970 1980 1990 2000 2005 東アジア・ 農 業 31.4 32.9 24.4 20.0 12.6 13.0 太平洋諸国 工 業 30.5 32.5 42.5 40.3 46.0 45.0 サービス業 38.1 34.6 33.0 39.8 41.4 42.0 南アジア 農 業 45.8 44.8 38.0 30.5 25.1 19.0 工 業 17.6 19.9 23.8 26.6 26.2 27.0 サービス業 36.6 35.3 38.2 42.8 48.8 54.0 サブ・サハラ・ 農 業 27.1 21.0 17.6 18.1 17.0 17.0 アフリカ 工 業 28.2 29.3 38.2 34.2 30.0 32.0 サービス業 45.4 49.7 44.2 48.0 53.1 51.0 (%)

(出所)World Development Report各年版より作成。

表2 アフリカとアジアの人口と人口増加率の推移 1960 1970 1980 1990 2000 東アジア・ 人 口(億人) 9.0 11.2 13.6 16.0 18.0 太平洋諸国 年平均の増加率(%) 2.2 2.2 2.0 1.1 南アジア 人 口(億人) 5.6 7.1 9.0 11.1 13.5 年平均の増加率(%) 2.0 2.0 2.0 2.0 サブ・サハラ・ 人 口(億人) 2.3 2.9 3.9 5.2 6.7 アフリカ 年平均の増加率(%) 2.6 3.0 3.0 2.9 世 界 人 口(億人) 30.2 36.7 44.2 52.4 60.7 年平均の増加率(%) 1.9 2.0 2.0 1.1

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リカは「失われた10年」ではなく、1970年代後半からの30年間を失っており、 「失われた30年」と言わなければならない。 表3に産業構造の比較を示した。注目すべきは、工業部門のGDP比率である。 東アジアが1960年の30.5%から2000年の46.0%へと急速な工業化を遂げ、その 後、脱工業化傾向を示し、南アジアが1960年の17.6%から2005年の27.0%へと 着実な工業化を示している。しかし、アフリカは1960年の28.2%から1980年の 38.2%へと工業化が進んだものの、その後はずるずると後退(工業衰退)を示し、 21世紀に入って再び上昇傾向にあるが、2005年においてもまだ32.0%と1980年 水準に回復していない。アフリカの工業化の難しさを如実に示している。 1970年代後半からの「失われた30年」という現象は、1人当たりGDPや工 業化をめぐる指標だけでなく、図2に示した貿易指標においても確認できる。 東アジアが1970年代後半から世界貿易に占める比率を急速に拡大し、長らく停 滞していた南アジアも1990年代以降、増大基調にある。これに対して、1960年 図2 世界貿易に占めるサブ・サハラ・アフリカ、東アジア、南アジアのシェア (1960−2006年) 0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 (年) (%) 東アジア(輸入) 南アジア(輸入) 東アジア(輸出) 南アジア(輸出) サブ・サハラ(輸出) サブ・サハラ(輸入)

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代のアフリカは輸出・輸入ともに東アジア、南アジアを圧倒していたが、1980 年初頭以降、急速に後退を続け、21世紀に入って回復基調にあるとはいえ、い まや南アジアを下回る存在となっている。 図3は外国直接投資(FDI)の動向を示している。FDIでは、1985年のプラザ 合意以降の東アジアへのFDIの洪水的流入を別にすると、アフリカの動きは今 までの指標とは様相が異なる。南アフリカ経済の成長や金・銅・石油・レアメ タルなどの鉱物資源価格の高騰を反映したFDIに引っ張られ、アフリカへの FDIは南アジアを上回る動向を示している。 図4には政府開発援助(ODA)の動向を示した。ODAという点では、アフリ 図3 サブ・サハラ・アフリカ、東アジア・太平洋諸国、南アジアへの 外国直接投資(FDI)(1970−2006年) -10,000 0 10,000 20,000 30,000 40,000 50,000 60,000 70,000 80,000 90,000 100,000 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 (年) (100万ドル) 東アジア・太平洋諸国 南アジア サブ・サハラ・アフリカ (注)単位:Current USドル。

(出所)World Development Indicators database(http://www. worldbank.org/)より作成。

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カは1970年代後半以降、一貫して東アジアや南アジアを大きく上回るODAを 受け入れている。冷戦終結後の「援助疲れ」により1990年代後半の援助が減少 したものの、2000年の国連ミレニアム総会におけるミレニアム開発目標

(MDGs)の採択や2001年の9・11テロなどにより、いまやアフリカには年350

億ドルに迫る巨額のODAが集中している。こうしたOECD・DACのODA統計 の対象外であるゲイツ財団などの民間NGO、湾岸産油国や中国などのいわゆる 新 興 ド ナ ー の ア フ リ カ 援 助 も 増 大 し て お り 、 い わ ゆ る 「 援 助 氾 濫(A i d Proliferation)」現象が再び引き起こされる懸念が強い。 以上のアフリカと東アジアや南アジアとの歴史的比較から、アフリカの開発 問題を分析する際、以下のような点に注目する必要があろう。 第1に、アフリカ経済の停滞・後退は1970年代後半頃から生じており、いわ ば「失われた30年」として歴史的に問題を把握する必要がある。 第2に、この30年間において、世界経済はグローバル化の流れの中で構造変 図4 サブ・サハラ・アフリカ、東アジア・太平洋諸国、南アジアへの 政府開発援助(ODA)(1960−2006年) 0 5,000 10,000 15,000 20,000 25,000 30,000 35,000 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 (年) (100万ドル) 東アジア・太平洋諸国 南アジア サブ・サハラ (注)単位:Current USドル。

(出所)World Development Indicators database(http://www. worldbank.org/)より筆者作成。

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化を遂げ、東南アジアだけでなく、長年、アジア的停滞を象徴してきた中国や インドが急速な経済成長を遂げ、途上国の開発問題を一律に語る時代は終わり を告げた。20世紀の経済開発理論や開発戦略論の前提条件や枠組みが21世紀に なって変化しており、従来の開発理論の根本的な問い直しを抜きにしては、こ れからのアフリカ開発を語ることはできない。 第3に、21世紀に入ってからのアフリカへのFDI増大とODAの集中現象は、 アフリカ開発における新たな時代の到来を示すものであり、こうした現象をオ ランダ病や援助氾濫に帰さないためのアフリカ社会の能力向上が重要となって いる。

第3節 ケニアの開発戦略と貿易振興

グローバリゼーションの進展に伴い、輸出志向成長戦略の具体化がケニアを 含む多くの途上国で課題となっている。輸出部門の多様化の努力は続けられて きたものの、ケニアの輸出構成はいまだに農産物を中心とした一次産品が半分 以上を占めている。本節ではケニアの開発戦略の歴史的展開とこうした開発を 担った組織の形成史を観察することによって、問題の所在を確認する。

1.ケニアの開発戦略の展開

ケニアの開発戦略は、大きく言って1960年代(1963年独立)から1970年代の 20年間は輸入代替経済開発戦略、1980年代は世界銀行(以下、世銀)・IMFの構 造調整を主とした移行期、1990年代以降は本格的な輸出志向経済開発戦略の採 用と特徴付けられる(Kibua[2007])。 輸入代替経済開発戦略は1963年の独立から開始されるが、独立前の1950年代 のイギリス植民地時代において輸入代替的政策はすでに採用されていた(Were et al.[2002])。宗主国イギリスは、インドや日本などからの安価な工業製品の 輸出攻勢からケニア市場を守るため、工業製品輸入への高関税などの各種の国 内産業保護政策を実施し、これが独立後の輸入代替政策へと引き継がれること となった。 表4にケニアの開発政策史を示した。1963年の独立後は他のアフリカ諸国と

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表4 ケニアの国家開発計画の展開 期 間 政策目的 工業化政策 政策手段 1964-1969 1970-1973 1974-1978 1979-1983 1984-1988 1989-1993 1994-1996 1997-2001 2002-2008 (出所)Kibua[2007]より作成。 経済のアフリカ化 農村開発 社会的公正、経済的自立と生 活水準の向上 貧困軽減 均衡のとれた開発のための国 内資源の流動化 発展のための参加 持続可能な発展のための資源 の流動化 持続的発展への急速な工業化 持続可能な経済成長と貧困削 減のための効果的な管理 ・輸出の多様化 ・付加価値 ・輸入代替 ・経営管理や所有権への参加 ・付加価値 ・輸入代替 ・政府のオーナーシップと政 府融資 ・工業化の分散 ・多様化 ・工業製品輸出 ・競争力のある輸入代替 ・税収の作成 ・工業の多様化 ・国内資金への関連 ・管理/技術スタッフのケニ ア化 ・半官半民を通じて政策参加 ・小規模かつ地方労働を促進 させる産業 ・輸出志向、労働集約型産業 ・効率性の促進 ・産業/商業活動への政府関 与の低減 ・輸出志向 ・産業の多様化 ・設備稼働率の強化 ・小規模企業の促進 ・地域市場をターゲットとし た工業 ・環境保全 ・市場主導の工業化 ・競争力のある工業の発展に 対する組織的な援助 ・投資と輸出促進(特に海外 直接投資) ・付加価値 ・品質管理と品質基準 ・調査と技術の進歩の強化 ・公共と民間のパートナーシ ップの促進 ・経営管理/技術研修 ・投資顧問業 ・融資限度額 ・経営者養成 ・能力開発 ・産業保護(幼稚産業保護) 数量的輸入管理 ・輸入規制を行うための関税 による保護 ・海外投資と国内投資の促進 ・国際的に競争力のある工業 の構築を促進させる関税組 織 ・工業企業家をターゲットと した金融機関の発展 ・研修と諮問支援 ・産業拡大サービス対策 ・海外投資許可 ・政策減税 ・市場価格による合理化と経 済改革 ・輸出促進 ・マクロ経済の自由化 ・予測可能な財政・金融政策 ・支援活動(例えば、セキュ リティ)に関する対策 ・投資へのインセンティブや 法体系の強化 ・投資へのインセンティブへ の調和 ・投資促進センターの強化 ・海外直接投資の重視 ・投資における法体系のまと・積極的な投資促進

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同様に、経済のアフリカ化(ケニア化)が標榜された。1965年のSessional Paper No. 10 of 1965, “Africa Socialism and its Application to Planning in Kenya”

は当時の代表的な政策文書であるが、この中で、ケニア政府は貧困・文盲・疾 病を撲滅するため、全ての開発分野における国家介入の実施を宣言している。

国家の経済介入手段としては、利子率、外国為替、価格統制、関税、輸入割 当などが採用され、上記の政策文書では輸出品目の多様化にも言及されている が、基本的には輸入代替工業化を目指したいわゆる「内向きの開発戦略

(Inward-looking Development Strategy)」であった。しかし、ケニアは社会主義を スローガンとしては掲げたものの、タンザニアなど他の多くのアフリカ諸国の 採用したアフリカ型社会主義路線とは異なり、農業の集団化や産業の国営化な どの社会主義的経済政策は行わず、資本主義的市場経済(民間企業)の育成と 国家介入といういわば混合経済(Mixed Economy)路線を歩んでいった。 独立後のケニアは、早期に経済のケニア化(Kenyanization)という独立の最 大の目標を達成することを課題としており、輸入代替経済開発戦略を採用せざ るを得なかったという事情がある。しかし、政府による輸入許可制度(Imports, Exports and Essential Supplies Act, 1958)、為替管理制度(Exchange Control Act, 1950)、商業ライセンス制度(Trade Licensing Act, 1968)、価格統制(Price Control Act, 1956)や関税制度は、輸入代替経済開発戦略の骨格を形成し、内向きの開 発戦略に伴うこれらの「制度の束(Bundle of Institutions)」は、工業製品の輸出 振興の障害となった。その結果、国際競争力のある工業は育たず、コーヒーや 茶を中心とした一次産品依存というケニアの伝統的輸出構造を固定化させるこ ととなった。 こうした内向きの開発戦略にもかかわらず、1960年代から1970年代までは一 次産品市場の好況に支えられケニアの経済成長は順調に推移し、工業部門の成 長率も年平均8%と好調で、東アフリカ地域においては相対的に競争力のある 工業部門となった。 しかし、1977年の東アフリカ共同体(EAC)(5)の崩壊による近隣市場の喪失 と1978年・1979年の第2次オイル・ショックなどにより、ケニアの国際収支は 急速に悪化した。 国際収支危機と経済危機に伴う失業問題などに対処するため、ケニアは他の アフリカ諸国より早く、1980年3月に世銀と、同じく1980年10月には国際通

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貨基金(IMF)と構造調整融資に関する調印を行い、いわゆる構造調整期に入 る。IMF・世銀からの融資条件として、ケニア政府は財政赤字削減、価格統制 の撤廃、金利や貿易の自由化などを求められ、1986年にSessional Paper No. 1 of 1986, “Economic Management for Renewed Growth” を作成し、内向きの開発 戦略から「外向きの開発戦略(Outward-looking Development Strategy)」を目指 した。しかし、すでにこの時期までにケニア工業は国際競争力を失っており、 GDPに占める工業品輸出比率は1970年代の19.6%から1980年代前半は16.9%、 1980年代後半は13.6%へと減少を続けた(Were et al.[2002])。 1980年代は、構造調整期における輸出志向経済開発戦略への転換に向けた試 行錯誤の時期であり、輸出志向戦略の実施は1990年代になって本格化する。 1987年に工業生産に関連した原材料・中間財・資本財の関税率が25%から 12%に削減され、その後、1991年から段階的に関税制度の合理化・簡素化が進 められた(Kibua and Nzioki[2004])。1992年には輸入許可制度が基本的に撤廃 され、1994年には為替管理法(Exchange Control Act, 1950)が廃止され、為替取 引が自由化され、本格的な貿易自由化政策へと転換した。また、価格管理制度 も1988年に法律が改正され、1994年には価格管理の完全撤廃がなされた。商業 ライセンス制度では、1998年に中央政府のライセンス料を廃止するなどの抜本 的改正が行われた。 このように1990年代に本格化した経済自由化政策(貿易自由化政策)によっ て、GDPに占める工業品輸出比率は、1990年代半ばには20%を超えるところ まで回復した。工業品輸出比率の復調は、ケニア国内における輸出志向経済開 発戦略の本格化だけでなく、これと連動した1993年の東アフリカ共同体の再建 といった東アフリカ地域における「自由貿易」市場創出効果もあった(6)

さらに、1997年のSessional Paper No. 2 of 1997, “Industrial Transformation to the Year 2020” において、ケニア政府は2020年までに新興工業国(NIES)の仲 間入りをすることを宣言した。この政策文書において、工業化の主人公は民間 部門であり、政府は基礎的インフラ、人材育成、環境保全などの公的サービス の供給に専念し、政府は持続可能な開発を可能にするビジネス環境を整備する 役割を担うとした。続いて、新しいキバキ政権の下で、2003年には“Economic Recovery Strategy Paper of 2003” が作成され、2020年の新興工業国入りを目指 した政策体系が示され、現在、援助機関の支援を受け、民間セクター開発戦略

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(Private Sector Development Strategy: PSDS)やケニア工業開発マスタープラン調 査(Master Plan Study for Kenyan Industrial Development: MAPSKID 2007-2020)な どの作成・実施が試みられている。また、2007年には“Kenya Vision 2030” と いう長期構想が作成され、2030年までに中所得国となることを打ち出してい る。

2.ケニアの開発組織の形成と展開

表5に、ケニアの開発戦略に係る組織の形成史を示した。1960年代から1970 年代の開発政策は、高関税・高為替・輸入許可・価格管理などの直接規制

(Command and Control: CAC)を特徴とする輸入代替経済開発戦略であった。経 済のアフリカ化・ケニア化という独立当初の目的を実現するため、政府は多く の開発投資プログラムを立ち上げ、ケニア人の工業分野への進出を支援した。 こうした国家介入の背景には、ケニア経済における工業開発のための資本不足、 マネジメント能力の不足、道路・電気・水道など必要な経済インフラを備えた 工業用地の不足といった独立当時のケニアの現実があった。 輸入代替経済開発戦略に基づき、工業開発に必要とされる資本不足やマネジ メント能力の不足に対応する組織として工業商業開発公社(Industrial and Commercial Development Corporation: ICDC、独立前からの組織)および工業開発銀 行(Industrial Development Bank: IDB)が作られ、工業用地の供給組織としてケ ニア工業団地庁(Kenya Industrial Estates: KIE)が作られた。以下、輸入代替経 済開発戦略を担ったこれらの組織の機能・役割・現状について述べる。 工業商業開発公社(ICDC)は独立前の1954年に作られ、独立後にケニア人の 工業部門参入を金融的に支援する組織として再編された。ICDCは市場金利より 低い譲許性資金の供給やその他の補助金制度を持ち、q ケニア人工業家育成を 目的としたジョイント・ベンチャー創設のためのエクイティ・ファイナンス、 w 工場設備や機器購入のための長期低利融資、e新規産業の立ち上げのための 中短期融資、r 経営支援のためのコンサルタント業務などの活動を行ってきた。 I C D Cは2 0 0を 超 え る 大 規 模 な 企 業 向 け 融 資 を 行 い 、 こ れ に はU c h u m i Supermarkets、General Motors Kenya(GM)、Kenya Wines Agency(KWAL)、

Everedy、Kisii, Rift Valley and Mount Kenya、Kenya National Trading Corporation(KNTC)などの大企業が含まれる。また、1万5000を超える中小

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企業への融資も行ってきた。こうした中小企業向け融資の多くは農産物加工業 分野であったが、今後は輸出志向戦略に合わせた多様な企業の支援が期待され ている(Kibua and Nzioki[2004])。

工業開発銀行(IDB)は世銀の支援の下に1963年に作られ、工業化のための 中長期融資を行う銀行である。ICDCが3年から6年の融資であるのに対して、 IDBは5年から10年の低利融資とともに、原材料購入のための短期の融資や事 業のつなぎ資金、輸入代金の保証なども手がけてきた。IDBは、観光、金属、 繊維、食品飲料、園芸作物、化学薬品、鉱業、木材加工、紙パルプ、印刷出版、 ゴム・プラスチック加工、通信・運輸、エネルギーなどほぼ全ての産業分野を 対象としてきた。しかし、近年、融資の長期化や不良債権の増加などにより、 抜本的経営改革の必要性が指摘されている(Kibua and Nzioki[2004])。

ケニア工業団地庁(KIE)は1967年にICDCの関連会社として作られ、1978年 に独立した公社となった。KIEは地方の工業化による地域間格差是正を目的と しており、その対象地域は、ナイロビ、モンバサ、キスムといった主要都市を 除いた農村地域である。投資の80%以上がこうした地方の農村部ネットワーク 形成のために使われてきた。KIEは以下の5つのプログラムを行ってきた。q 地方中小企業への融資、w 零細企業(Jua Kali)融資、e 工業団地の造成と販 売、r 中小企業へのビジネス支援(Business Development Service: BDS)、t 中小 企業と大企業との仲介業務やISO認証取得の支援、である。KIEは、地域間格 差やジェンダー格差の解消を目的に1万1000の中小零細企業への融資を行い、 25の工業団地を作り、さまざまな経営研修コースを提供し、工業分野における ケニア人企業家の育成と地方資源の有効活用を支援してきた。1990年以降の輸 出志向経済開発戦略においても、KIEのプログラムに対する社会的ニーズは大 きいが、KIEの業務遂行能力は低く、投資資金の不足や他の商業銀行との競争 の中で、その存在意義が問われている(Kibua and Nzioki[2004])。

1960年代から1970年代の輸入代替経済開発戦略の時期に作られたこうした開 発組織の多くが、経済自由化の中でその歴史的役割を終えつつある。キブア

(Kibua)の研究は、特に政府系金融機関において改革が必須であり、ICDCを除 き、IDBやKIEの役割は終わったと評価している(Kibua[2007])。

ケニアは1980年の世銀およびIMFの構造調整融資の受け入れを契機として、 徐々に輸入代替から輸出志向へと戦略を転換していった。新たな戦略に合わせ

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表5 ケニアの開発組織の形成

組 織 設立年 概 略

工業商業開発公社 (Industrial and Commercial

Development Corporation: ICDC) 工業開発銀行

(Industrial Development Bank: IDB) ケニア商工会議所

(Kenya National Chamber of Commerce and Industry: KNCCI) ケニア中央銀行

(Central Bank of Kenya)

ケニア工業団地庁

(Kenya Industrial Estates: KIE)

ケニア工業開発研究所 (Kenya Industrial Research and

Development Institute: KIRDI)

ケニア投資庁

(Kenya Investment Authority: KIA)

投資促進センター

(Investment Promotion Centre: IPC)

工業化のための産業金融。 工業化のための中長期の産業金融。 中小企業を中心とした商工業者の自治組織。 金融政策の形式化と実施。 市場主導の財政組織を適切に機能させること を保証。 1967年にICDCの補助金として始められ、独 立した国家事業となる1978年まで、そのスタ ッフのもと運営された。KIEは以下の5つの プログラムを行ってきた。 ・地方中小企業への融資 ・零細企業(Jua Kali)融資 ・工業団地の造成と販売 ・中 小 企 業 へ の ビ ジ ネ ス 支 援 (B u s i n e s s Development Service: BDS) ・中小企業と大企業との仲介業務やISO認証 取得の支援 土木、機械工学、電気工学、電子技術、化学 工学、織物技術、採鉱電源開発、工業化学、 食品技術、セラミック/粘土技術を含むすべ ての工業と関連した技術の中で研究と発展に 取り掛かるためにScience and Technology Act, 1979のもと設立された。 1983年に財務省の一部門として設立され、の ちの1986年6月に国会制定法によって本格的 な半官半民の組織となる。 投資促進センターは、地元および海外事業家 によるケニアにおける民間投資の促進を目的 とした投資促進法(1986年)により設立され た。1992年の法改正によりIPCは健康や環境 への影響を評価し、問題のない投資にはすぐ に許可証を発行できるようになった。 1954 1963 1965 1966 1978 1979 1986 1986

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て、1980年代から1990年代にかけて輸出志向経済開発戦略の中核を担う貿易投 資や技術開発(R&D)に係る組織が形成された。その代表的なものが、ケニア 投資庁(Kenya Investment Authority: KIA)、輸出加工区庁(Export Processing Zones Authority: EPZA)、ケニア工業開発研究所(Kenya Industrial Research and Development Institute: KIRDI)、輸出振興協議会(Export Promotion Council: EPC)

(出所)Kibua[2007]より作成。 資本市場庁

(Capital Markets Authority)

ケニア特許庁

(Kenya Industrial Property Office) 輸出加工区庁

(Export Processing Zones Authority: EPZA)

輸出振興協議会

(Export Promotion Council: EPC)

投資者の信頼を高めるために効率性を高 め、公平かつ秩序ある市場の創造や支援 のために適切な法制/規制的な枠組みの 開発や維持を確かにすることによって資 本市場の規則的な発展を管理し、そして 監視する。 独創的かつ革新的な活動を促進し、技術 の習得を容易にする。 輸入代替から、輸出主導型成長路線へ経 済を移行するために、政府によって実施 されている輸出開発プログラム(EDP) の一部として1990年に発足。輸出加工区 庁(EPZA)は、ケニアに国際的な供給 網をよりいっそう統一し、供給網内の輸 出志向の投資を引きつけることを目的と している。このようにして、雇用創出や、 輸出の多様化や拡大、生産力のある投資 の増加、技術移転、供給網と国内経済間 の後方関連の構築といった経済発展を達 成する。 輸出に係るボトルネックを取り除き、輸 出の促進を図ることを目的とし、EPCの 主な活動は以下の5点である。 ・輸出市場の調整と開発などの市場戦略 の形成 ・輸出に伴うボトルネックの除去に関す る政府等への勧告 ・輸出促進の文化と啓発活動による国民 理解の促進 ・個別の輸出業者への支援 ・官民の協力関係(PPP)やさまざまな 関係者による輸出促進ネットワークの 構築 1989 1989 1990 1992

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である。

ケニア投資庁(KIA)は、もともと1983年に外国直接投資(FDI)の受け入れ 業務を行う財務省の一部門として設置され、1986年の投資促進センター法

(Investment Promotion Centre Act)により独立した組織となり投資促進センター

(Investment Promotion Centre: IPC)が設立された。当時はまだ政府による経済活 動の規制が強く、煩雑な官僚的手続きにより、ケニアへの投資に伴う時間と費 用は大きく、FDI促進の障害となっていた。IPCはこうした官僚的障壁をなくす ために作られ、いわゆる投資手続きの円滑化を目指したワンストップ・オフィ スの機能を担うものであった。しかし、実際にはIPCだけで手続きは完了せず、 他の省庁との調整などに時間を要するケースが多発した。こうした問題の解決 のため、1992年にIPC法が改正され、投資に伴う手続き権限全てに責任を持つ 組織としてKIAが作られた。KIAにより投資手続きの改善がみられるものの、 道路・鉄道・電力・通信などの経済インフラの状態の悪さ、ビジネス環境の悪 さ、蔓延している汚職などにより、投資環境の改善は進んでいない。

輸出加工区庁(EPZA)は1990年の輸出加工区法(Export Processing Zone Act)

により、輸出加工区(EPZ)を一元的に管理運営する組織として設立された。 2005年の数字では、43の輸出加工区が設定され、68企業が操業し、直接雇用が 3万8000人、間接雇用が1万3000人となっている。なお、進出企業の90%が AGOA(7)に基づきアメリカへの輸出を目的とした衣類縫製garment産業と なっている。 EPZの経済効果について、伝統的に主流派経済学(新古典派経済学)は疑問視 してきたが、ケニアにおいては時代条件の違いも含めて議論されている。東ア ジア諸国の輸出加工区制度の導入が、台湾の1966年を筆頭に、韓国(1970年)、 フィリピン(1970年)、インドネシア(1970年)、マレーシア(1971年)、タイ (1977年)、中国(1979年)などと1970年代に相次いで導入されたのに対し(広 島大学・三菱総合研究所[2006])、ケニアの輸出加工区制度の導入は、グローバ リゼーションが進み、規制の撤廃と経済自由化・貿易自由化の進んだ1990年に なってからである。もはや一部の「飛び地(Enclave)」だけを対象にした投資 環境の改善が意味ある時代ではなく、国の経済制度の改革を進め、より魅力あ るビジネス環境を作ることが課題となっている。こうした観点からすると、ケ ニアのEPZはいささか時機を逸した取り組みであり、特にAGOAとの関係で進

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出した企業は地元経済との関係が希薄で、ケニア経済全体へのインパクトはほ とんどないと評価されている(Kibua and Nzioki[2004])。

ケニア工業開発研究所(KIRDI)は、1979年の科学技術法(Science and Technology Act)に基づき設立された。KIRDIは全ての工業分野を対象とした研 究開発を目的としており、特にケニアの中小企業(SME)に適した技術開発の 促進をターゲットとしている。しかし、政策の一貫性のなさ、財政不足による 研究開発資金の不足と優秀な人材の不足、企業側の技術への関心や技術革新に 対する意欲の不足などにより、KIRDIの効果は極めて限定されたものであると 評価されている(Kibua[2007])。 輸出振興協議会(EPC)は、輸出に係るボトルネックを取り除き、輸出促進 を図ることを目的として1992年に設立された。EPCの設立は、JICA工業開発調 査報告(1991年)の提言を受けたものである。EPCの主な活動は以下の5点で ある。q 輸出市場の調整と開発などの市場戦略の形成、w 輸出に伴うボトルネ ックの除去に関する政府等への勧告、e 輸出促進の文化と啓発活動による国民 理解の促進、r 個別の輸出業者への支援、t 官民の協力関係(PPP)やさまざ まな関係者による輸出促進ネットワークの構築である。 それでは、このような輸出志向開発戦略の具体化を担う組織の形成は、貿易 分野の社会的能力の形成(SCD)という観点からどのように評価できるのであ ろうか。なお、工業化および貿易振興の所管省庁である貿易産業省(MOTI)に ついては、以下の社会的能力アセスメントにおいて述べる。

第4節 ケニアの輸出志向開発戦略と

「貿易分野のキャパシティ・ディベロップメント(TCD)

本節は、「貿易分野のキャパシティ・ディベロップメント(Trade Capacity Development: TCD)」を分析する方法論を述べ、1990年代以降、本格的に展開さ れた輸出志向経済開発戦略がTCDとしてどのように評価できるのかを考える。 最後に、TCDにおける援助機関の動向を分析し、アフリカ開発援助における新 たな課題としてTCDの重要性と配慮事項を指摘する。

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1.キャパシティ・ディベロップメント(CD)と社会的能力アセスメント(SCA)

1980年代のアフリカ開発の失敗経験から、国連開発計画(UNDP)や西欧ド ナーは失敗の要因を、以下の2つの点に求めた。第1は、途上国の伝統的な知 識・技術を先進国の知識や技術によって一方的に置き換えようとした置換アプ ローチ(Replacement Approach)である。この点は、途上国のオーナーシップの 問題でもある。第2は、個々のプロジェクトがばらばらに行われ、プロジェク トが終了すると、その効果も雲散霧消してしまうというプロジェクト・アプロ ーチである。この点は事業の包括性と持続性という問題である。 こうした従来型の開発援助アプローチに代わる新たな開発協力アプローチと して提唱されたのが、途上国自身が歴史的に形成してきた能力の向上を支援す るキャパシティ・ディベロップメント(Capacity Development: CD)・アプローチ であり、その具体化としてのプロジェクト・ベース・アプローチ(Project Based Approach: PBA)である(Fukuda-Parr[2002])。

紙面の関係上、ここで詳しく論じることはできないが、CDアプローチの対象 とするキャパシティ(能力)とは、途上国社会が持つマクロ的能力(社会的能力)

であり、個人や企業のミクロ的能力とは異なる。こうした社会的能力は、簡潔 に定義すると、社会を構成する政府部門(公共部門)、企業部門(営利部門)、市 民部門(非営利部門)などの社会的アクターが有する能力と、こうした社会的ア クターの関係性(例えばPublic Private Partnership: PPPなど)によって規定され る(8)

こうしたCDアプローチの議論は、やがてさまざまなセクターや分野におい て具体的に展開されることとなる。環境分野では、経済協力開発機構(OECD)

により「環境分野におけるキャパシティ・ディベロップメント(Capacity Development in Environment: CDE)」が議論され、筆者らはこれを社会的環境管 理能力の形成として概念化・理論化してきた(松岡他[2000])。 貿易分野においても、OECDなどが貿易分野におけるキャパシティ・ディベ ロップメント(TCD)としてその具体的展開を試みてきた。OECDのTCDの定 義は、政策担当者、企業、市民社会という三者の協力による、貿易政策と貿易 システムの強化・向上過程であり(OECD[2001])、筆者の社会的能力の定義に 近いものである。 貿易分野におけるCDアプローチへの注目の背景には、単に輸入代替から輸

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出志向へ戦略を表面的に切り替えるだけでは、戦略の実効性は保証されないと の認識がある。政策や制度(法律などのフォーマルな制度)を変えるだけで、実 態(慣習などのインフォーマルな制度)が変わらないのであれば、何も変わらな い。輸出志向戦略の大きな柱である輸出振興を遂行しうる社会的能力の向上な くしては、戦略は単なる絵に描いた餅となってしまう。 かくして、輸出振興策を遂行するケニアの社会的能力の現状と問題点を科学 的にアセスメントし、政策の実現にとって不足している能力要素を向上させる ため、ケニア社会が自らの資源を動員して行うべき部分とドナーが協調して支 援すべき部分を明確にすることが必要となる。こうしたアセスメントを社会的 能力アセスメント(Social Capacity Assessment: SCA)と言う(Matsuoka[2007])。

社会的能力アセスメントは、まず図5に示したように、政府、企業、市民と いう3つの社会的アクターと「政策・対策要素」、政策・対策の作成・実施に係 る「組織的要素」、政策・対策のコアをなす「知識・技術要素」という3つの能 力要素からなる3×3のマトリックスに基づいてアクター・ファクター分析を 行う。 さらに、表6に示したように、現在の社会的能力水準の段階を把握し、次に 図5 社会的能力アセスメント(SCA)とアクター・ファクター分析

Factors Policy & Measure Human & Organizations Knowledge & Technology Gov. Existing Capacity Critical Minimum Project

Firms Capacity Gap Project

Citizens G - F G - C F - C G - F - C Actors (出所)Matsuoka[2007].

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目指すべき社会的能力水準を明らかにする発展段階分析を行う。発展段階分析 では、それぞれの社会のたどった歴史的・制度的な経路を分析することも重要 である(経路分析)。 多くの途上国は、輸出志向開発戦略が効果的に稼働するための基礎となる貿 易制度や貿易振興組織の形成という「システム形成期」にあり、本格的な「シ ステム稼働期」に入り得る能力形成が目標である。システム形成期のどのレベ ルにあり、システム稼働期に至るまでの「社会的能力の差(キャパシティ・ギャ ップ:Capacity Gap)」を測定し、キャパシティ・ギャップを「だれが(who)」、

表6 社会的能力アセスメント(SCA)と発展ステージ分析 (Development Stage Analysis)

(出所)広島大学・三菱総合研究所[2006]より作成。 システム形成期 システム稼働期 自律期 ・社会的管理システムの規範が形成される時期である。例えば、政府部門 の能力形成では、輸出振興関連法の整備、輸出振興機関の整備、輸出振 興に関わる中期計画の整備をベンチマークとする。 ・ただし、これらの整備に当たっては、輸出企業や民間の輸出支援サービ ス提供者による大きな貢献がある場合もありうる。その意味では、現象 として行政部門の能力として現れているにもかかわらず、その背景には、 より広範な社会的能力が存在していると考えることができる。 ・これらのベンチマークのいずれかが整備された時期をもって、同期が始 まったとみなす。全てのベンチマークが整備された段階で、社会的シス テムを稼働するためのクリティカル・ミニマムが達成されたと考えら れ、発展ステージは次のシステム稼働期へと移行する。 ・システム稼働期は、制度の整備を受けて、輸出が本格的に促進されてい くステージである。輸出パフォーマンスも改善傾向をみせる。企業によ る輸出経験の蓄積やそれを支える政府等による輸出支援を重ねることを 通じて、社会としてのノウハウが蓄積され、新しい問題を含むさまざま な内容に対処する能力が形成されていく過程といえる。 ・政府部門、企業部門にかかわらず、直面する問題の変化に伴って適切に 組織改革などを行うことができるようになった段階(自己修正・改編能 力の形成)で、自律期への移行が始まったといえる。 ・政府・企業等の相互関係が強くなり、システムとして自立的に展開して いく時期である。国際協力の側面においては、途上国が他国の援助に頼 らず、自国の資本・資源を活用することが自律期への移行において重要 な点である。

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「なぜ(why)」、「何で(what)」、「何によって(which)」、「どのように(how)」、 「いつまで(when)」に埋めていくのかが、「ギャップ・フィリング(Capacity Gap Filling)」であり、この包括的プロセスを計画するのがキャパシティ・ディ ベロップメントのプログラム化である。 システム形成期は、一般的に、課題に対処する法制度や政策などの整備(制 度形成を中心とした第1ステップ)、法や政策の実施に責任を持つ実施組織の整備 (組織形成を中心とした第2ステップ)、現状を正しく評価し、情報を社会に公開 し、企業や市民の関心や意識の向上を図る情報公開・意識醸成(情報整備を中心 とした第3ステップ)という3つのステップを持つ。システム形成期は基本的な 「制度の束」を形成する時期であり、3つのアクターの中でも政府部門の果たす べき役割が大きく、以下の分析では主として政府部門に焦点を当てる。 以上の方法論を応用し、ケニアの輸出志向経済開発戦略およびその柱を形成 する貿易振興に関する社会的能力について検討する。

2.ケニアの輸出志向開発戦略と社会的能力アセスメント(SCA)

筆者らは2004年から2005年に、東南アジア諸国連合(ASEAN)の主要国で あるタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンを対象とし、貿易分野のキ ャパシティ・ディベロップメント(TCD)という観点から、日本の開発援助事 業の評価を行った(広島大学・三菱総合研究所[2006])。その際、ASEAN4の輸 出志向工業化にかかわるTCDを、政府部門の能力形成に焦点を当て、以下のよ うな具体化を試みた(表7参照)。 政府の「政策・対策要素(P)」におけるクリティカル・ミニマムの制度的指 標は、「産業・貿易の中長期計画(国家開発計画)の策定」、「輸出振興に関する 基本法(基本計画)の制定」、「中小企業振興に関する基本法(基本計画)の制定」、 「政府と企業の間の対話・会合の実施」という4つがチェック項目である。輸出 志向経済開発戦略の基本を形成する開発と貿易(投資)に関する基本計画の策 定がなされているかどうかを、まず評価しなければならない。次に、輸出を担 うのが外資系企業や大企業だけでは不十分であり、地場の中小零細企業の振興 制度が整わないと、雇用拡大による貧困削減は進まない。最後に、こうした輸 出の担い手である企業と政策や制度形成を担う政府との間にしっかりとした意 思疎通がないと、政策や制度はしばしば現実離れし、企業の能力を向上させ、

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輸出へのインセンティブを働かせることには作用しない。 政府の「組織的要素(R)」のクリティカル・ミニマムを評価するチェック項 目は、「輸出(投資)振興機関の設置」、「輸出振興機関の海外事務所の設置」、 「中小企業振興機関の設置」、「自律的な組織編成」という4項目である。輸出志 向を組織的に担う振興・促進機関が、意欲の高い専門職員(ヒト)や情報技術 や海外事務所などの物的基盤(モノ)、財政的基盤(カネ)を持って設立・運営 されているのかどうかが、政策の実施にとって重要な点である。中小零細企業 振興機関についても同様である。単なる振興組織の設立だけでは政策は実施で きないし、システムは稼働しない。この点では、こうした振興機関が環境変化 に合わせて、自律的に柔軟に組織改革を行っているのかどうかも重要な評価ポ イントである。 政府の「知識・技術要素(K)」のクリティカル・ミニマムを評価するチェッ ク項目は、「統計書の発行」、「貿易白書の発行」、「輸出振興機関による年報の発 行」という3項目である。輸出志向経済開発戦略を遂行し得る知識や技術がど れだけあるのかを計測することは難しいが、政府が事実にもとづく実行可能で 表7 ケニアおよびASEAN4の貿易分野における社会的能力水準(システム形成期) 能力要素 能力評価のチェック項目 ケニア インドネシア マレーシア フィリピン タイ 2007 2005 2005 2005 2005 ✓* ✓ ✓ ✓ ✓ ✓* ✓ ✓ ✓ ✓ ✓* ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ― ✓ ✓ ✓ ― ✓ ✓ ✓ ✓ ― ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ― ✓ ― ✓ ✓ ✓ (注)項目が達成されている場合、チェックを記入した。*は不十分だがほぼ達成。 (出所)広島大学・三菱総合研究所[2006]より作成。 政策・対策 (P) 産業・貿易の中長期計画(国家開発計画)の策定 輸出振興に関わる基本法の制定 中小企業振興に関わる基本法の制定 (政府−企業の関係性) 政府と企業の間の対話・会合の実施 輸出振興機関の設置 輸出振興機関の海外事務所の設置 中小企業振興機関の設置 自律的な組織編成 統計書の発行 貿易白書の発行 輸出振興機関による年報の発行 人的・財政 的・物的組 織資源(R) 知識・技術 (K)

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科学的な開発計画を作成するためにも、また企業や市民への的確で正確な情報 公開を通じた輸出志向の社会意識の形成という点でも、関連する統計書、白書、 年報などの公刊が重要である。 これら3つの能力要素のクリティカル・ミニマムに関するチェック項目がほ ぼ埋まる時点が、輸出志向経済開発システムが形成期から稼働期への移行を完 了し、経済開発と輸出拡大が実現するときである。こうした移行期の判断につ いては、経済成長や輸出動向、輸出構成といった実際の経済成果を示す数字の 変化も慎重に検討する必要がある。 以上のTCDに係る方法の整理を踏まえ、ケニアについて具体的に検討する。 a 政府の「政策・対策要素(P)」 まず、「政策・対策要素(P)」における「産業・貿易の中長期計画(国家開発 計画)策定」については、1997年のSessional Paper No. 2 of 1997, “Industrial Transformation to the Year 2020” や2003年の“Economic Recovery Strategy Paper of 2003”、2007年の“National Trade Policy(Draft)” などの政策方針があ り、現在、方針を具体化する工業開発計画の策定が進められている。工業計画 の策定は、日本の国際協力機構(JICA)が開発調査プロジェクトとして協力し、 「ケニア工業開発マスタープラン調査(Master Plan Study for Kenyan Industrial

Development: MAPSKID 2007-2020)」として、2007年末に最終報告書が作成され ている。

「工業開発や貿易振興を含む民間経済の活性化計画」については、イギリス 国際開発省(DFID)やデンマーク国際開発庁(DANIDA)の支援で、2006年に 策定された「民間セクター開発戦略(Private Sector Development Strategy: PSDS 2006-2010)」があり、現状ではPSDSが最も包括的な開発戦略として位置づけら れている(この点はまた後で述べる)。したがって、正式な工業開発計画の策定 にはいまだ時間を要すると考えられるが、PSDSの策定という点から、不十分 ながら基本計画は策定していると考えられる。

「輸出振興に関する基本法(基本政策)の制定」については、政策として

National Export Strategy 2003-2007やNational Export Strategy: Implementation Action Plan 2005-2008が貿易産業省(MOTI)により策定されており、一応の制 度的枠組みができている。

(31)

「中小企業振興に関する基本法(基本計画)の制定」については、零細小企業 対策法(Micro and Small Enterprise Act)があり、2001年の中小企業対策を規定 したSessional Paper on SMEsや2005年のSessional Paper No. 2 of 2005, Development of Micro and Small Enterprise for Wealth and Employmentが存在 し、基本計画は存在すると考えてよいであろう。

「政府と企業の間の対話・会合の実施」という点では、中小企業を主な会員 とするケニア商工会議所(Kenya National Chamber of Commerce and Industry: KNCCI)および大企業を中心とするケニア工業連盟(Kenya Manufactures Association: KMA)がそれぞれ政府との対話を定期的に行っている。また、1990 年代の輸出増大を担ってきた業界団体であるケニア切花協会(Kenya Flower Council: KFC)に対するインタビュー調査でも、1990年代に比べ、現在では政府 も大変前向きになり、多くの懇談の場を設置し、熱心に企業経営者の意見を聞 くようなったということである(2007年9月12日KFCインタビュー調査)。 以上のような4つのチェック点から、政府能力における「政策・対策要素(P)」 は、システム稼働期に入るのに近い能力レベル(クリティカル・ミニマム)にあ ると言えよう。 s 政府の「組織的要素(R)」 「組織的要素(R)」の「輸出振興機関の設置」については、1992年に輸出振 興協議会(EPC)が貿易産業省(Ministry of Trade and Industry: MOTI)の下に設 立されている。「輸出振興機関の海外事務所の設置」、「中小企業振興機関の設置」、 「自律的な組織編成」については確認できなかった。これらの能力要素に関して は、実質的に貿易産業省(MOTI)が担っており、貿易産業省の組織的能力につ いて検討することが必要である。 貿易産業省は2006年大統領令第1号により、以下の7つの役割を担っている。 q 商業振興政策、w産業振興政策、e貿易振興政策、r特許・知的財産権政 策、t 品質管理、y 消費者保護、u 零細小企業振興、である。 図6に貿易産業省(MOTI)の組織図を示した。輸出志向開発戦略の中核を担 うのは国際貿易局(Department of External Trade)と工業局(Department of Industry)である。

(32)

地域貿易協定課(Regional Division)という3つの課があり、貿易政策の作成、 実施、モニタリング、評価を行っている。貿易局の組織的能力を示すヒト、モ ノ、カネに関する具体的なデータは得られなかった。

工業局には、工業登録経営課(Industrial Registration and Management Division)

と工業振興課(Industrial Promotion Division)があり、49名の専門職員と20名の 地域産業振興担当者(District Industrial Development Officer: DIDO)がいる。しか し、JICA開発調査では、ケニアの工業開発政策の実効性を担保するには、工業 局は現在の2倍の人員が必要であるとしている(JICA[2007])。2006/07財政年 度では、人件費などの経常経費は前年度比30%増であるが、逆に開発予算は 19%減となっており、財政状況は苦しい。全国20カ所にある地域事務所も、人 員削減と予算不足から十分に機能していないと評価している(JICA[2007])。 実際のケニアにおける経済開発においては、工業部門だけでなく財政部門

(Ministry of Finance)、計画部門(Ministry of Planning and National Development)、 インフラ部門(Ministry of Roads and Public Works)、農業部門(Ministry of Agriculture、Ministry of Livestock and Fisheries Development、Ministry of Water and Irrigation)、観光部門(Ministry of Tourism and Wildlife)、地域開発部門(Ministry of Local Government、Ministry of Regional Development Authorities)など多くの省

図6 ケニア貿易産業省(MOTI)の組織構造 KNTC KIA EPC NMC IDBC KIPI ICDC EPZA KIE KWAL KEBS EAPCC KRDI 国内取 引局 国際貿 易局 総務・ 計画局 工業局 計量局 事務次官 大臣 ケニア 商業研 修所 ケニア 工業研 修所 商業裁 定所 審議官 審議官 (出所)JICA[2007]より作成。

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庁が係ってくるが、MOTIの省庁間の調整能力は低い。こうした点を克服する ため、政府は2003年のERS(“Economic Recovery Strategy Paper of 2003”)で、工 業 振 興 の 省 庁 間 の 調 整 機 関 と し て 工 業 開 発 協 議 会(National Industrial Development Council: NIDC)の設置方針を打ち出した。しかし、MOTIと財務省 の縄張り争いなどにより、いまだ設立できていない。こうした点からすると、 政府の輸出志向経済開発に対処する能力の「組織的要素(R)」は、いまだ不十 分であると評価せざるを得ない。

d 政府の「知識・技術要素(K)」

政府の「知識・技術要素(K)」のチェック項目である「統計書の発行」につ いては、中央統計局(Ministry of Planning and National Developmentの下のCentral Bureau of Statistics)が『工業・貿易統計』を発行しており、輸出振興協議会 (EPC)が『貿易統計』を発行している。「貿易白書の発行」と「輸出振興機関 による年報の発行」については確認できなかった。 MOTIやEPCなどを中心に経済開発や貿易振興に関する多くの文書が出され ているものの、工業開発計画の作成をJICAに頼らざるを得ないなど、政策形成 のための知識・技術要素の形成は十分ではない。 以上の分析から、ケニア政府の輸出志向経済開発戦略や貿易振興を遂行する 社会的能力の形成水準は、「政策・対策要素(P)」についてはJICAやイギリス 国際開発省(DFID)などのドナーの協力により一応のレベル、システム稼働期 へ入るのに近い能力水準にあると評価できる。しかし、「組織的要素(R)」や 「知識・技術要素(K)」においては、いまだ十分な能力形成に至っておらず、 全体としてはシステム形成期の第1ステップ(法や計画などの制度整備)を終え つつあるところで、組織能力要素の向上(第2ステップ)や情報整備とその活用 による知識要素の向上(第3ステップ)は今後の課題である(表7参照)。 こうした点を、実際の経済パフォーマンスという点から検証するため、表8 に最近のケニアの輸出構造を示した。輸出構造は依然として一次産品依存構造 であるが、工業品輸出もEACやCOMESA地域を中心として増加しており、 徐々に輸出志向戦略の能力が向上していることが確認できる。

(34)

3.ケニアの貿易分野への開発援助とキャパシティ・ディベロップメント

ケニアの輸出志向開発の実施に係る政府部門の社会的能力アセスメント

(SCA)から、DFIDやJICAなどの開発援助により「政策・対策要素(P)」の能 力向上が観察されることを述べた。最後に、主要なドナーとしてDFIDとJICA

の援助動向を検討し、ケニアの開発や貿易振興に関するキャパシティ・ディベ ロップメント支援のあり方を考える。

a イギリス国際開発省(Department for International Development: DFID) イギリスはケニアの旧宗主国として、ケニアの開発援助のリーディング・ド ナーとして活動してきた。近年のDFID の「貿易に関連したキャパシティ・デ ィベロップメント(Trade Related Capacity Development: TRCD)」としては、

KTPP(Kenya Trade and Poverty Program)、EEB(Enabling Environment for Business)、BPP(Business Partnership Program)がある。また、ケニアの経済開 発全体を対象とし、特に民間セクターの開発戦略支援を目的としたものとして 民間セクター開発戦略(Private Sector Development Strategy: PSDS)がある。

KTPPは、サブ・サハラ・アフリカのケニアを含めた12カ国で計画された事 業で(マラウイ、ケニア、タンザニア、ウガンダなどで実施された)、DFIDの TRCDのフラッグシップ・プログラムと言われてきた。KTPPは、政府の能力 だけでなく、貿易政策に影響を与えるNGOや研究機関といった民間部門のキャ 表8 ケニアの輸出構造(1998―2005年) 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 食品・飲料・タバコ 合計 65,135,197 64,796,860 69,285,294 62,329,476 71,259,247 72,504,797 78,477,958 93,412,005 % 56.9 56.4 57.9 51.3 54.2 53.0 49.3 48.2 一次資材・鉱物燃料・ 合計 22,468,120 22,295,780 23,045,298 29,117,535 243,981,240 24,846,530 41,468,735 32,858,114 潤滑油 % 19.6 19.4 19.2 24.0 185.7 18.2 26.1 17.0 工業製品 合計 26,510,200 27,261,100 26,882,593 29,012,082 34,930,085 38,299,808 49,417,428 51,316,303 % 23.2 23.7 22.4 23.9 26.6 28.0 31.1 26.5 その他 合計 331,800 487,940 552,689 975,355 823,693 1,059,360 416,016 613,295 % 0.29 0.42 0.46 0.80 0.63 0.77 0.26 0.32 総 計 114,445,317 114,841,680 119,763,714 121,433,882 131,394,055 136,708,767 159,048,102 193,692,436 (単位:1,000KSh)

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