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青年期の対象関係と分離・個体化に関する一考察 : 家庭内暴力等に悩む母親の面接を通して

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Academic year: 2021

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(1)学位論文. 青年期の対象関係と分離・個体化に 関する一考察 一家庭内暴力等に悩む母親の面接を通して一. 学校教育専攻. 学籍番号. 生徒指導コース. M921541. 木佐貫 正博.

(2) 目. 次. はじめに. 1. 第1章問題と目的. 3. 第1節家庭暴力をどうとらえるかをめぐって(先行研究から) 1.家庭内暴力の(現象的)定義 2.家庭内暴力の特徴 3.家庭内暴力の原因 4.家庭内暴力の発現機制. 3. 第2節問題と研究の目的. 7 7. 1.家庭内暴力における素朴な疑問 2.問題の整理と研究の目的. 第2章家庭内暴力を説明する対象関係理論 第1節 スキゾイド現象と家庭内暴力 1.対象関係論とは 2.分裂的機制について 3.スキゾイド現象とは 4.スキゾイド現象としての家庭内暴力. 第2節正常な対象関係の発達論と対象関係障害 1.対象関係の発達段階 1)マーラー等の分離・個体化理論 2)正常な対象関係の発達段階(カーンバーグら) 2.アンビバレンスが活発となる時期の対象関係障害 3.対象関係の障害と「偽りの自己」(ウイニコット) 4. 「誇大自己」の病理一一コフートの自己愛人格構造モデル. 第3章母親面接からえた親子の対象関係障害事例 一家庭内暴力,不登校傾向の高校3年J男をめぐって. 3 4 5 6. 8 10 10 10 11. 12 13 14 14 14 15. 20. 25 29. 第1節母親の主訴概要 1.来談者と主訴 2.家庭環境 3.成育史・問題の発端と経緯:. (1拗少期. 30. ②中1年時の登校拒否. (3)高2年時の問題の発端と経緯(3睨在の親子関係状況. 第2節母親面接経過とスーパービジョン 1.治療構造 2.面接経過とスーパービジョンの内容. 34 34.

(3) 第3節事例の分析と対象関係論的考察 1.J男の成育史分析一「偽りの自己」形成史分析 1)葛藤を孕んだ家族内力動 (1)家族内力動 (2)J男にとっての祖父母像 (3)J男にとっての父i親像(4)J男にとっての母親像 2) J男の「偽りの自己」形成史分析 (1)幼年期・児童期. 63 63 63. 66. (2)中学時代∼高校2年 3) J男の精神内界構造(「偽りの自己」形成) 2.J男の家庭内暴力の分析と考察 1)発端と経過の分析 2) J男の防衛機制からみた家庭内暴力の意味 3)家庭内暴力を持続させる要因トー投影性同一視の過程. 3.J男の分離・個体化と母親父親の動きの分析と考察 1) 母親からの離反意識が強烈な時期 2)「稲刈り」「自転車」をとおした個体化の動きが顕著な時期 3)家族関係を回復しっっ安定へ向かう時期. 第4章総合考察とまとめ. 第1節 1. 2. 3. 4.. J男の成長過程の対象関係論的考察(まとめ). J男の「偽りの自己」形成について J男の家庭内暴力の発現について J男の分離・個体化について J男に残された課題. 第2節 家庭内暴力の対象関係障害と発達促進的要因 1. 2.. 家庭内暴力の怒りの非論理性とエラボレイトされた操作性 対象関係の発達促進的要因一二者期の父親の果たすべき役割. 第3節家庭内暴力における素朴な疑問への考察 1.何故「ある日突然」か?また何故思春期・青年期か? 2.何故「良い子」としての成育史をもつか?「良い子」とは? 「良い子」「悪い子」の極端な使い分けが出来るのは何故か? 3.何故最も親しい入物(母親)に照準した攻撃性と,同時に 強い依存性とを基調にもっか? 4.家庭内暴力は,自立の試み?周りを操作する手段?目的は? 何をやり直しているのか? 要. 旨. 69 72 72 76 78 78 79. 87. 87 87 89 91. 93 93 94. 97 97 98 99 1OO. 102. 引用文献参考文献. 104. おわりに. 110.

(4) は じ め に. 乳幼児期に,母親との共生的融合から脱出して,一個の独立した個として心 理的に誕生し,個体的な性格とアイデンティティ感覚を確立するまでの精神内 的過程を,Mahler, M. S.(1975)は分離・個体化過程と名づけ,なかでも,自立. と依存の両価的菖藤が激しくなる「再接近期」を,心理的に最も重要な意味を もつものとして記載した。この両価的葛藤は,人間が依存から独立に向かうと き,不可量的に付随するものと思われる。. よって,親からの自立が問われる青年期は,従来,第二の分離・個体化期と して,幼児期の個体化過程との関連で論bられてきた。Blos, P.(1985)は,乳. 児は外的対象の内在化によって表象の世界を獲得することで,外的対象からの 相対的な独立をなしとげるが,青年期の個体化過程では,内在化された幼児期 対象からの独立,即ち幼児期依存性を放棄しなければならない,と述べている が,青年期一般の課題とされる幼児的依存性を放棄して自立し,アイデンティ ティを確立するための試行錯誤を,最も華々しい臨床像で現しているものが家 庭内暴力であるとも思われる。. 本研究は,青年期の対象関係分離・個体化の様相を,それが最も誇張され た形で現れていると思われる登校拒否に随伴する家庭内暴力の事例において, 対象関係論的に考察したものである。. 対象関係論から家庭内暴力現象をみたとき,それはいわゆる「スキゾイド現 象」を呈しており,対象と自己の双方はそれぞれが,良い・悪いに分裂(spli t)され,良い側面,悪い側面が,それぞれ対となって,二種の部分的対象関係 が起こっていることになる。対象においても自己においても,良い側面と悪い. 側面とを一つに統合させ,全体的対象全体的自己としてまとめ,そこに全体 的対象関係を営むためには,それに伴う抑うつ様の両価的葛藤に耐えなければ ならない。この葛藤に耐えきれず,抑圧もかなわぬとき,それを回避するため に,例えば家庭内暴力が起こりうる。こういつた状況で活性化される防衛機制 は,境界例が固執するとされる分裂(splitting)を中心とした原始的防衛機制 群であるが,しかしこのことは,家庭内暴力=境界例を意味しない。なぜなら, 精神的障害の程度は,どの程度,どの防衛機制によりかかるかの,量的な依存 度の問題である,と考えるのが,対象関係論の基本的な考え方であると思われ るからである。つまり,ここでみられる精神力動,分裂を中心とする原始的な 防衛機制は,決して家庭内暴力やその他の精神的障害に固有のものではなく, 「人間一般がかつて体験したもの」(辻悟1984)であり, 「人間心理の内奥で 活動していて,自我状態によってはいつでも表面に出てくる」(牛島定信197 9)ものであるとされる。卑近な例をあげれば,例えば我々が,青少年を相手 1.

(5) 第1章問題と目的 第1節 家庭内暴力をどうとらえるかをめぐって(先行研究から). L. 家庭内暴力の(現象的)定義,意味. 米国社会におけるrViolence in the Family」とはいささか様相を異にする 日本の「家庭内暴力」は,江幡玲子,高橋義人(1977,1982),清水将之(1983). らによると,昭和30年代の後半あたりから精神科医療機関でない各種相談所に. 現れ始め,世俗的な注目をあびだしたのは,1977年10月に起きた「開成高校生. 事件」以来であり,最初この用語は,警察関係者によって使用され始め,ジ ャーナリズムの領域に広がっていったものらしい。疾病であるか否かも定かで なく,精神医学的用語としての合意も得られていない。独立した疾患や症候群 というより,一症状ないし徴候としてとらえるのが一般のようである。 稲村博(1980)は, 「家庭内暴力は,字義からすれば家庭内で起きる暴力全般. を意味しているが,近年わが国で用いられる場合には,もっぱら子どもがその. 家族に向けて行うものを指している。すなわち,子どもがその親またはきょ うだい,祖父母などに対してふるう暴力のことである」と簡素に定義し,その 内容から4つのタイプに分類しているが,この研究を踏まえ皆川邦直(1991)は,. 自らの臨床経験からみて,その病態水準,経過,転帰によって,家庭内暴力を, (1)反応性障害,(2)神経症,(3)青年期境界例,(4)精神病,(5)その他の精神疾患と. いう5群の疾患にともなう一症状として分類している。. また皆川は,家庭内暴力を,大枠として,子どもから両親家族への「援助 を求める訴え」として捉え,その意味「何故,家庭内暴力か?」を理解するた めに,①家庭内暴力を用いて,どのような不安を回避し,何を疾病利得として 得ているかという精神力動 ②家族の結束と動的平衡状態を維持するために, それによってどういう役割を引き受けているのかという家族力動 ③子どもの パーソナリティの発達水準,即ち超自我,自我,欲動からなる3層構造の発達 水準の充分な評価,という3っの観点をあげている。 若林慎;一郎・本城秀次(1987)らは,稲村(1980),岩井寛(1980),佐藤達彦ら. (1981)の研究を踏まえて,家庭内暴力の表現する意味内容を,①親への抗議. ②自立の試み ③周りを操作する手段 ④親との共生関係の再構築の試み,と 4つの局面に整理して述べ,親への復讐,或いは親を巻き込んでの欲求・不安 の処理,更には「分離・個体化」のやり直し,という観点を示唆している。ま た後に,本城(1992)は,これに ⑤脅威に対する反撃 ⑥衝動のコントロール を求める救助信号,としての意味を追加している。 3.

(6) 笠原嘉は,早くもr青年期 精神病理学から』(1977)において家庭内暴力 にふ礼これを, 「本来心のr内側』に『体験として』保持されてしかるべき 不安や緊張がr行動として』 if外へ』発散される」アクティング・アウトの一. つであり,原則としで①家庭内で起こり,家庭という境界を越えてなかなか外. へ出ず,内と外との使い分けは完全②最も親しい人物へ照準した意味あるア ンビバレントな行為(acting out)であると指摘し,これらは青年期一般にみら. れる能動的退行現象の一つであり,精神病にみられる暴力も基本的には家庭内 暴力で,両親の面前でなされる点で軌を一にし,違いはただ暴力の程度である と述べ,アンビバレントな葛藤,不安をどう処理するか,その巧拙によって精 神病理現象の種々のパターンが決まると解説し,精神発達水準の広いスペクト ルのなかで家庭内暴力をとえている。また笠原(1983,1988)は,中・高校生の 登校拒否に随伴する家庭内暴力にふれ,彼らの二重性を記述する概念としての 「分割(分裂,sp1。i tting)」の有用性を示唆し,大人の境界例や自己愛性格に. おけるほどではないが,軽度なスプリッティングがおこる場合を「神経症性家 庭内暴力」とでも呼んで,単なる「ワガママ的家庭内暴力」と区別してはどう かと述べている。. 2. 家庭内暴力の特徴 家庭内暴力の様相は,病態水準により一概には言えないだろうが,清水(198 3)は,それまでの精神科医からの発言の要約として,次のような特徴をあげて いる。. ・. ①素直な,親の期待通り一に「良い子」として育ってきた青年が,ある日突然 に,家庭内で暴力をふるいだす。. ②暴力行為の対象はもっぱら母親であり,行為が拡大してくると,家具,さ らに父親に向かう例も若干あり。同胞に対する暴力はほとんどない。. ③暴力の程度は,小突ぐなどのいやがらせの程度から,撲る蹴る,器物を用 いて傷を負わせるものまで様々。母親はしばしば外科的治療の対象となる が,生命の喪失に到ることはほとんどない。 ④激しい暴力を加える反面,強い甘えや依存的な態度を示すことが少なくな い。. 「. ⑤家庭の中では悲惨な状況が生じているのに,家庭外での当人は「良い子」 としての外面を維持している。 ⑥暴力行為の初発は,43歳から17歳の間に多い。知的水準は高い。. 3. 家庭内暴力の原因 塚庭内暴力の原因としてはt一社会的背景,本人の性格特性,.家族関係など多 4.

(7) くの観点から理解がなされてきている。例えば,稲村(1980)は,家庭内暴力は. 「本質的に父性欠如から生じている… それを補完しようとして行われる母 親の密着的な子どもへの対応とも深く関連している。しかし,後者はむしろ二 次的であって,父性欠如こそ一次的ではないかとみられる。… さらに今日 のわが国全体が・・家庭と類似の特徴をおびてきて・・社会のもつ父性が弱ま. り,母性過剰ともいえるような過度な干渉や管理的な状況が進行しているjと 述べ,家庭内暴力における「父性欠如」の一次的要因を強調し,戦後の社会構 造の変化による社会の超自我的役割の希薄化を示唆するとともに,家庭内暴力 を生む「病理的な日本型親子関係」を次のように図式化している。 (1)i. (2). 一貫した父親の心理的不在(父性欠如):一次的要因 母親の欲求不満の代償を基礎とした養育(母子の密着):二次的要因. @. 幼児期の過保護. @. 学童期以降の勉学面に偏った過干渉. 稲村が,どちらかと言えば,エディプス期の幼児と両親との間で展開される 外的葛藤状況の未解決さを示唆しているのに対して,ほぼ同じ文脈でも,精神 分析的,自我心理学的発達論の立場にたっ皆川(1991)は,微妙に強調点をかえ て, 「父親が家庭から排除され,母子の密着が起こること,すなわち,夫婦関 係の希薄化と母子関係の濃密化に注目する立場」をあげ,以下に述べる木田恵 子の「母親の子どもへの過度の感情的支配」因,福島章の「前エディプス的反. 抗」の見解とともに,これらは精神分析的発達論上,生後2∼3年間の早期母 子関係上の不適合と家庭内暴力とが密接に関連することを示唆するものと述べ ている。. 木田(1979)は,カール・メニンガーの「愛こそ妙薬」という言葉を引いて, 「実際には過保護の親は自分の感情本位の自己中心性のために本当に子どもを. 愛する力がなく,子どももそれを感じていて,愛情不足の精神的栄養失調に なっている」と述べ,「過保護」は愛情の名を借りた身勝手な「親の暴力行為 のひとつ」であり, 「赤ん坊のときから,こういう暴力を愛情の名で与えられ. た子どもが,無意識内に怒りと憎悪を蓄積し,一方では過保護の結果としての 依存性も強く,内面の軋礫が高まった極限で,暴力という形の爆発を起こすの も無理がないと思われる」と,過度の愛情と甘やかしより,感情的支配が問題 とし,家庭内暴力児の本質的な愛情不足,淋しい心情を指摘している。. また木田は,思いつくともう口と手が出てしまうという母親に,口と手を いっさい慎むように注賊すると自律神経失調症になってしまった事例に触れて いるが,これは,言わば親のアクティング・アウトとしての育児を示唆してい 5.

(8) るようにも思われる。. 福島(1979,1981)は,家庭内暴力に見られる攻撃性は,なぜ暴力をふるうの か,その目標性や論理性がはっきりしない「前エディプス的反抗」だとして, 論理性の見られる「エディプス的反抗」と区別している。. 即ち,福島は,ラカン,Jの表現をかりて,エディプス状況を「養い育て, 包み,護るといったエロスの原理が支配していた世界に,社会的規範・文化・. モラルなど,いわばロゴスの原理が参画する」状況として述べ,自立や社会性 の獲得のためには, 「父親」を介して社会的な規範や道徳性などが自我の中に 内在化され「超自我」が形成されるなかで,攻撃的衝動を十全にコントローール. する力が育たなければならないと解説し,「正常の成長過程において青年期に 認められる反抗は,エディプス的反抗の再燃なのであるが,一般にそれは幼児. 期におけるようなエロス的・原始本能的な要素をほとんど含まないので一と いうのは,それらの要素はエディプス期にすでに抑圧されているから一,よ り精神的な側面に限定される。すなわち,人生観・世界観的葛藤とかイデオロ ギーをめぐる対立などに限定され,無用な肉体的暴力が発動されることはまず ないといってよい。」と述べている。それに対して,前エディプス的反抗では, 論理的な要素は認めがたく「甘えと攻撃とが密着」していて,何のために甘え, 反抗しているのか,自分にも親にも分からない状況が続くとしている。. この「甘えと攻撃の密着」という表現は矛盾し,解説を要するが,ここでは 愛と憎しみが表裏の関係にあり,いずれも対象関係を求める行動として,根本 のところでは繋がっているということであろう。. 4. 家庭内暴力の発現機制 稲村(1980)は,家庭内暴力が発現するためには,以下のような親の要因,. 本人の要因,契機・誘因となるものの三つがそろう必要があるとして,現象記 述的に発現機制を述べている。 ①父性が(心理的に)欠如しているうえに,母親の過剰な本人への対応がみ られ,それらが悪循環的に組み合わさっている。 ②小心,過敏,強迫的,柔軟性がなく,耐忍性に乏しい本人の性格特徴。身 体に関する劣等感,過敏さ。成育史上の父親喪失体験や,ほめられて小児 万能感を増大させる条件下で成長していることも多い。 ③学業不振などの挫折体験,自信喪失,生活基盤の急変などで,従来から次 第に危機に陥り始めていた小児万能感や自尊心が決定的な危機に陥る。 さらに稲村(1983,1985)は,家庭内暴力の研究を発展させて,次の5つの主 徴候をセットにした「新しい精神障害」として「思春期挫折症候群」を提案し, これらの主徴候が,以下のようにほぼ一定の順序で発現するとしている。 6.

(9) ①「神経症様症状(または抑うつ症状)」から始まり,②「逸脱行動(家庭 内暴力等)」が出始めるころから③「思考障害」が目立ち始め逸脱行動はいっ. そう進み,そのあと④「意欲障害」が表面化しっっ,緊張度が減り無気力と なって,⑤退行現象が目立ってくるというのである。 清水(1983)は,提示した家庭内暴力の事例「勇」を検討して,1歳半から3 歳あたりにかけて起こる第一の「分離・個体化」の時期での成因を予想しなが らも,もっと巨視的に「勇」の事例を大略以下のようにまとめている。 幼少児期に「手のかからぬ良い子」として反抗期がなかった「勇」は,小学 校高学年から中学にかけての第二反抗期も良い子として過ごす。親に立ち向か うことによって自己を確立してゆく機会を逸した勇は,青年期の自立という課. 題も乗り越えることはできず,言わば,自立を企てる前に「母親に呑み込ま れ」てしまった状態にあった。これは「心理的に金縛りに逢った」状態で, 「外国からの侵略により内政権を完全に放棄させられた状態である」。従って 勇は自らが如何なる状態に置かれているか,自己の客観視もできず,同一牲拡 散の状態にあった。それは,被支配者が異邦人による不当な干渉や弾圧にさい なまれて,常時潜在的な不満を内蔵蓄積させ,何らかの契機によって反乱・暴 動を起こす可能性を秘めていることに似ると。. 第2節問題と研究の目的 1. 家庭内暴力における素朴な疑問 いわゆる「家庭内暴力」といわれる現象には,素朴に様々な疑問が涌く。順 不同で思いつくままに書き出してみると,次のようなものである。 (1)何故「ある日突然」?また何故,思春期・青年期なのか?. ②何故「良い子」としての成育史をもつのか?ここでいう「良い子」とは? (3)何故,最も親しい人物(母親)に照準した反抗,恨み,攻撃を基調にもつ のか? (4)何故外では「良い子」,家では「悪い子」の,極端な使い分けができるの か?. (5)何故,親に対する反抗,攻撃性と同時に,強い依存が併存しているのか? (6)家庭内暴力は,親への抗議?恨み?自立の試み?周りを操作する手段?そ. の目的は? (7)自立の試みだとすれば,発達課題の何をやり直しているのか?. 7.

(10) これらの矛盾を孕んだ,一見「特異」な家庭内暴力を,論理的に納得できる ものとして,即ち誰にも共感可能なものとして,統一的に捉えることは出来な いだろうか?この素朴な疑問に答えてみることが,この研究の一つの目的でも ある。. 2. 問題の整理と研究の目的 青年期の挫折のなかでも,最もはなばなしい臨床像を示す家庭内暴力を中心 に,先行研究を概観したところを筆者なりにまとめ,問題点の整理をしてみた い。. (1)臨床像としての現象面での特徴は,①「良い子」としての成育史をもち,. ②問題は突如として起こり,③攻撃や敵意は,最も親しかるべき(母)親に照 準されるとともに,依然と強い「依存関係」が併存し続け,④家庭内では悲惨 な状況が生じていても,家庭外では「良い子」として適応可能な現実検討能力 は維持されている,といったことが特徴的である。 ② その原因としては,日本の特殊な心理社会状況下のもとでの,①父性欠 如と母子の密着をセットとしたエディプス葛藤の未解決を重視する立場と,② エディプス期以前の分離・個体三期での成因を重視する立場とがある。 (3)その発現機制としては,稲村(1983)の「思春期挫折症候群」に代表され. るように,現象記述的に徴候の経過を静的に述べたものと,清水らのように心 理力動的な解釈を試みたものとがある。 さて,(1)に関して,家庭内暴力は基本的に「スキゾイド現象」として理解が. 可能であると思われる。福島(1988)が紹介するように,家庭内暴力の精神力動 は, 「境界例」や「自己愛人格障害」との比較で理解することができるように も思われる。. ②に関して,筆者は,家庭内暴力や重篤な青年期挫折は,前エディプス的な 母子間を中心とする不適切な対象関係の障害まで原因をさかのぼるのが適切で あると考える(このことはエディプス的問題を相対的に低めはするが,それが 無関与とするものではない。必然的にエディプス的葛藤の未解決も含んでいる。. )。その根拠として,①マーラーの記載した再接近期は,自立すれば分離不 安,依存すれば呑み込まれ不安という,自立と依存をめぐるアンビバレント葛 藤が活発となる時期であり,これは人のライフサイクルにおいて,自立に伴う 葛藤,不安が表面化する第一の起源であると考えられること。② エディプス 期以降の抑圧を中心とした防衛機制とちがって,エディプス期以前に活発に働 くとされる分裂(splitting)を中心とした防衛機制の結果としてのスキゾイド 現象が,自己および対象にはっきり見られること,の二つをあげることが出来 8.

(11) る。. また,このことは必ずしも,即,母親自身の原因説を意味するものでない。 「関係」の障害である。さらに,青年期の問題を全て幼児期に還元するもので もない。従来,青年期は, 「疾風怒濤」,同一性危機の時代として危機的に論. じられてきたが,にもかかわらず多くの統計的研究はこのことを支持していな い(ウェイナー,LB.,1970,pp. 51−92)。多くの平均的青年は,青年期の混乱を. 柔軟にくくりぬけ,臨床的に問題になることはない。臨床的に問題となるレベ ルの挫折は,幼児期以来形成されてきた奪格構造との間に生じる相互作用の産 物として捉える方が納得がゆく。 (3)に関して,前者は,・何故,どうしてそうなるかに対しては必ずしも説明し. ていない不満が残る。つまり,現在,家庭内暴力が滅少しており(鑛1988),そ. れは周りがいたずらに刺激して追い込まなくなった結果だとすれば,家庭内暴 力は「反応性のもの」であり,徴候の経過は,治療的介入や親の態度といった 周りの対応とセットにして記述しなければ客観的なものとはならない。従って 鰻止と徴候をつなぐ間に力動的な説明なりが必要であると思われる。後者は一 応の納得のゆく説明がなされているがかなり巨視的であり,筆者としては,心 の中でどういうことが起こっていると考えられるかについての,より微視的な 防衛機制に興味が引かれる。. 従って,本論文においては,次の3点に関して研究を進めたい。 (1)家庭内暴力の心理力動の理解に応えるべき理論の模索のために, ①家 庭内暴力をスキゾイド現象として論じ, ②その防衛機制の理解の基礎として の正常な対象関係の発達論(マーラー,M. S.,カーンバーグ, O.ら)を整理し,. ③家庭内暴力のスキゾイド現象を説明する理論モデルとして,マスターソン, J.F.の「自我による防衛同盟」,ウィニコット,D.W.の「偽りの自己」論, コフート,H.の「自己愛人格」の構造モデルをとりあげ論考する。. (2)高3年J男の家庭内暴力等に悩む母親の面接経過を記載し,親子の対象 関係障害を考察し,(1)の理論モデルの有効性を示す。即ち, ①J男の成育史 を「偽りの自己」の形成という観点から分析し, ②J男の家庭内暴力,一連 の動きを,第二の分離・個体化過程として対象関係論的に考察する。 (3)(1)で論じた理論モデルと事例を振り返り,家庭内暴力の対象関係障害を. 総合的に考察し,対象関係の障害的要因,発達促進的要因についても考察する。 また,第1項で羅列した素朴な疑問に答えることを試みる。. 9.

(12) 第2章 家庭内暴力を説明する 対象関係理論. 第1節スキゾイド現象と家庭内暴力 1. 対象関係論とは 明確にはクライン(Klein,M)に起源をもち,フェアベーン(Fairbairn, W. R. D.. ),ウイニコット(Wi皿icott, D. W.)らに始まるとされる対象関係論は,現在で は,ガントリップ(Guntrip, H. J. S.)(1971)の言う「対象関係的思考」として,. フロイト以来の精神分析発祥の初期から既に内在していた基本的な視点の発展 として,特定の学派を超えたものと捉えられている。 岩崎徹也(1973)の展望によるとカーンバーグ(Kernberg,0.)は対象関係論を. 「それは,対人関係の内在化に対する精神分析的接近であり,対人関係がいか. に,精神内界の諸構造を決定するかに関する学問である。また,これら精神内 界の諸構造が,過去の内在化された他者との関係および現在の対人関係との脈 絡において,いかに保存され,修正され,あるいは再生されるかを研究する学 問である。対象関係論は,精神内界の諸対象の世界(精神内界に内在化された 他者との関係)と,個人のもつ現実の対人諸関係との相互作用をとりあつかう ものである」(p42)と定義している。. 岩崎(1981,1973)は対象関係論の本質は,フェアベーンの「自我は本能の満. 足のために対象を求めるのでなく,本来対象希求的object seekingなもので ある」という言葉に最もよく表現されているという。本能理論に基礎を置いた 伝統的な精神分析では,自我は,エスすなわち本能衝動に促されてエスを満足 させるために対象を求めるとされるが,これに対比して対象関係論は,自我そ のものに一義的に対象とのかかわりを求める機能があるとの理解に立ち,エス と自我の二元論を止揚した考え方であり,自我心理学の基礎としての人格をエ ス・自我・超自我から成るとする人格構造論に対する批判も含んでいる。つま り自我心理学の自我概念は,体験から離れた精神装置,機能としてのシステム 自我であり,体験に近いものとして,全体的存在としての人間をとらえること はできないと批判している。. 本能論的精神分析においては,人格発達を,口愛期,肛門期,男根期といっ た生物学的本能の発達段階を基礎として人格発達を考えるのに対して,対象関 係論においては,これらの器官領域は,あくまで対象との関わりを媒介する門 としてとらえ,自我の発達は対象の取り入れや投影などの対象との連続的な関 わりの中で形成される観点を強調する。自我が体験する第一の対象である母親. 10.

(13) との関係においても,本能としての口愛よりも,対象としての母親との関わり, 自我の体験のあり方が:重視され,フェアベーンは対象と対になった自我を想定 した人格論(1944)を示し,この考え方はカーンバーグ,マスターソン,リンズ レーらに決定的な影響を与えている(R insl ey, D. B.1977, pp.56−60)。. カーンバーグ(1976)は,対象関係論を「対象関係論はまた,…. 二極的な. 精神内界表象(自己イメージと対象イメージ)の形成を,最:初の幼児一母親関. 係とその後の二者との間,三者との間,さらには多くの他者との間の内的,外 的対人関係の発達の反映として強調し,精神分析的メタ心理学の中のもっと限 定されf研究を意味している」(p46)と述べ,対象関係論における本質的な対 としての自己と対象,およびそれに付随する情緒を,一つの「単位」として重 視する立場を,最も強調している。 従って,対象関係論では,現実に観察される客観的対人関係よりも,それが. 内在化され心の中に表象化された内的対象(対象表象そして自己表象)との 関係に重点が置かれる。自我によって内在化される対象表象は,基本的には現 実の対人関係に裏打ちされているが,あくまで内的主観的な産物であり,本能 的衝動の投影によって,客観的現実から幾分歪曲された心的現実として,幻想 的,錯覚的意味合いを持つことは避けがたい。. 2. 分裂的機制について クライン(1946)によれば,生後数カ月以内の乳児は,無意識的な幻想の中で. 「満足な状態では,愛の感情が満足を与える乳房に向けられ,欲求不満の状態 では,憎しみと迫害的不安が欲求不満を引き起こす乳房に向けられる」(p10) とされる。この迫害的不安は,自らの攻撃的衝動の対象への投影であり,従っ て非現実な妄想的不安であるが,これを防衛し,幻覚的な満足を得るために,. 早期幼児心性の本質的な特性である強力な全能感を通して,次の2つの相互に 関連し合う心的過程が生じるとされる。つまり「理想的な対象と状況とを全能 的につくりあげる過程と,悪い迫害する対象と苦痛な状況とを同じように全能 的に絶滅する過程である。これらの過程は,対象,自我双方の分裂にその基礎 をおいている」(p11)。クラインは,こういつた妄想的不安や分裂(splittin. g)を中心とした原始的防衛機制などの精神力動の総称である分裂的機制の優 勢な精神的傾向を「妄想的・分裂的態勢」と呼び,この分裂的な対象関係は, 人生最早期に最も活発に働くものだが,その後の健康な精神発達過程において も何らかの形で働いており,単なる発達の段階とか時期とは異なるという意味 で, 「態勢(position)」なる言葉を用いている。. ここで用いられる防衛機制は,先にあげた分裂を中心とし,それを強化する ように働く原始的な理想化,投影の初期の形式とくに投影性同一視,全能感と. 11.

(14) 価値の引き下げといった原始的防衛機制であり(クライン,1946,pp. 11−16, カーンバーグ1977,pp.107−111),人間に必然的に起こってくる不満足や葛藤,. 不安を処理する心的機制として,後年の自我の発達により可能となる「抑圧」’ に代わる適応的役割も果たしている。. 3. スキゾイド現象とは 牛島定信(1983)は, 「分裂spiittingをひとつの防衛schizoid mechanismと. して使用し,その結果生じた状況をスキゾイド現象」(p19)と呼びその理論. 的モデルとして,クラインの妄想的・分裂的態勢フェアベーンのパーソナリ ティ3分割モデル,ウィニコットの「偽りの自己」論を解説し,これらのスキ ゾイド現象が,境界例や分裂病に特徴的なものとしっっも,その後の研究から, 正常ないし神経症的な人格にも等しく認められるとするのが一般的な見方であ ることを述べている。. また,牛島は臨床的に観察される分裂現象として,精神と身体の分裂(アレ キシチミア,行動化),一過性の意識の変容(手首自傷家庭内暴力)をあげる ほか,健康な分裂現象の一例として,思春期の第2次性徴の発達の過程でみら れる変化した「身体像の所有化」をめぐって展開される身体と精神とを分裂さ せる防衛機制として,少女に見られる「お転婆性」,少年に見られる「汚いも の(身体)」に対する特有な態度と関連した自我理想追求的態度をあけ,いず れも自らの身体性を否認し切り捨てsplit offするものとしている。その他に 牛島は,戦時中の日本人に認められた敵国と同盟国に対する態度をあげている が,こうしてみると,スキゾイド現象は,我々大人の普通の生活の中にも無意 識的に入り込んでおり,茶の間に流れる勧善懲悪的な時代劇や,子どもに話し て聞かせるメルヘンの世界の登場人物は,全き悪か,全き善のいずれかであっ てアンビバレンスは無い(相沢博1969, pp.102−129)。従ってその家族にとって. は良き父,夫であるかもしれない「悪の代官」や「悪い継母」が無残に殺され ても,我々には葛藤が無いのである。 スキゾイド現象の病理は, 「全て良い」か「全て悪い」のAIl or Nothing. の病理であり,この妥協を排して白黒をハッキリさせたがる心性は,対象を( 従って自己についても)良い側面・悪い側面の混合した全体像として捉える複 雑な精神的能力の不全でもあり,辻悟や笠原の言う形式的明確さに寄り掛かり, 内容的曖昧さ,アンビバレンスに耐えうる能力の不全,つまり自らを支えとす る主体性の後退である。万能的幻想を放棄して,自己および対象の現実をあり のままに受け容れ,対象との間に全体的対象関係を形成するためには,自己も 対象もスプリットさせずに,良い・悪いを含んだ全体像として捉え,それに付 随するアンビバレント葛藤に耐えなければならない。その抑うっ様の葛藤に耐. 12.

(15) えられないときは,いずれかが抑圧されるか,スキゾイド現象が露呈する。牛 島(1983)は,分裂現象は即境界例を意味するものではないが,境界構造を形作 る分裂的機制の重要性を指摘し,クラインの態勢概念をもちいて,「スキゾイ. ド・ポジションは,人生のあらゆるストレスフルな状況で出てもおかしくな い」(p24)と述べている。. 4. スキゾイド現象としての家庭内暴力 家庭内暴力の研究の初期の頃には,多くの場合に家庭内暴力は,精神分裂病 と誤解されるほど普通には考えられないことであったことを,稲村(1980)や 河合隼雄(1982)は述べている。何らかの挫折体験があるにしても,家庭内暴力. は,ある日突然の如くに,しかも最も親しい入物(母親)に照準を合わせた反 抗,恨み,攻撃といったニュアンスを基調にもつ。(母)親対象は,制裁すべ き全き「悪い対象」であると同時に,依然と全面的に依存する「良い対象」で もあり,対象は統合されずに分裂したまま,いずれかが抑圧されることもなく 併存している。それが一つの全体像として統合されておれば,攻撃性にも抑制 がかかるし,万能的な対象関係を求あ続けることもない。. 母親対象は状況により時間により分裂され,その分裂した母親の部分対象の それぞれに,攻撃する「悪い子」と甘える「良い子」という二つの分裂した自. 己が対応して対になっている。そしてこの二通りの部分的対象関係には,それ ぞれに対応した否定的,拒否的な情緒と追従的,情愛的な情緒がそれぞれ付随 している。このような同一対象との関係における対象の分裂,自己の分裂とい う図式がみられるばかりか,家庭内での「暴君」,家庭外での「良い子」とい う自己分裂も併存する。 笠原(1977,pp.125−163)は,家庭内暴力は,本来心の内側に体験としてキー. プされてしかるべき不安や緊張が,行動として外へ発散されるアクティング・ アウトの一つであることを指摘しているが,この無意識的な衝動の発散という. べき行動化によって,本来体験すべき苦痛なアンビバレント葛藤は,一時的な り内的な体験から免れる。つまり家庭内暴力は,アンビバレントな葛藤の一方 を切り離して(split off)外在化させたものであり,抑うつ様の葛藤から免れ る一つの防衛機制としての役割を演じているといえる。. 若林,本城(1987pp.74−80)は,家庭内暴力の表現する意味内容として, 「親への抗議」と「周りを操作する手段」を取り出しているが,親への抗議の 中には,復讐的な意味合いとともに,周りを操作する手段としての意味合いが みられる。つまり本来なら自分で解決すべき葛藤を,無意識的に切り離して相 手に投げ込み,相手を巻き込み操作支配することによって,自らの葛藤を支配 しようとする投影性同一視の機制が働いている。つまり葛藤の処理のための攻. 13.

(16) 撃性であり,相手を攻撃している限りにおいて葛藤からは免れるのである。家 庭内暴力にはたらくこういった原始的防衛機制は,スキゾイド現象のあらわれ であり,家庭内暴力は,まさにスキゾイド現象を呈していると言わなければな らない。. 第2節 正常な対象関係の発達論と対象関係障害 1. 対象関係の発達段階 1) マーラー等の分離・個体化理論 マーラー(Mahler, M. S.)等(1975)は,回顧的,再構成的研究方法でなく,健. 全な乳幼児と母親とを直接観察することによって,対象関係的自我心理学の観 点から,母子関係を中心とした発達論を集大成し,乳幼児が「母親との共生的 融合から脱出」し(分離),一個の独立した個人として心理的に誕生して「個. 体的な性格を確立する」(個体化)までの精神内的過程を「分離・個体化過 程」と名付け,対象関係論に客観的な基礎を与えた。そしてこの過程は, 「生 涯を通して反響し,決して終わることはなく,常に活動し,ライフサイクルの. 新しい段階には,今なお活動中の非常に初期の過程の新たな派生物がみられ る」(p10)と述べている。 マーラーは,誕生直後の「正常自閉期」,「正常 共生期」を経て,生後大体4∼5カ月から30∼36カ月ぐらいの期間を「分離・ 個体化段階」として,これを4っの下位段階①分化期②練習期③再接近期④個 体性の確立と情緒的対象恒常性の始まる時期に分け,第4下位段階の個体性の 確立は,終わりのない過程であり,生涯を通して完成してゆくものとしている。 このうち,自立と依存のアンビバレンスが顕著に観察される「再接近期」は, 精神病理学上重要視され,カーンバーグ(1976)やマス単一ソン(1972,1980,198 1),リンズレー(1975, 1977,1980)らの境界例理論では,境界例障害の発生の. 起源をこの時期の発達的停止ないし固着として論じている。またプロス(Blos, P.)(1967)は,親からの精神的自立をめぐる葛藤が表面化する青年期を「第2 の個体化過程」と呼び,マスターソン(1972)はドイチュ,H.の見解を引いて,. 「青年はすべて自我の急激な成長のために,第2の分離・個体化期を前思春期 に経験する」(p64)とのべている。さらに橋本雅雄(1983)は,早期幼児期,青. 年期とともに中年期を対象喪失を経験しやすい時期として,「第3の分離・個 体角材」として論じるなど,正にマーラーの言うように,分離・個体化過程は 螺旋階段を昇るがごとくに,新しい発達的課題とともに一生涯続く過程として 捉えることが出来る。こうしたとき,乳幼児期の分離・個体化理論は,青年期. 14.

(17) 理解のみならず,人間理解の基礎として欠かせない理論モデルであると思われ る。. マーラーの分離・個体化理論の紹介は,小此木(1980),伊藤洗(1980),皆川 邦直(1980),成田義弘(1986)らによってなされており,既に翻訳(1981)もある。. 次項では,自閉期から共生期をへて,自己愛的対象関係から部分的対象関係, 全体的対象関係へと至る対象関係の発達段階を,主としてマーラー(1975), カーンバーグ(1976)によって概観する。. 2) 正常な対象関係の発達段階 マーラー等(1975)によって集大成された正常な子どもの分離・個体化過程の. 研究を,さらに対象関係の発達という観点から発展させたのは,カーンバーグ (1976)やマスターソン(1972)だが,筆者(1985)はかってこれを図式化(第1図. 参照)したことがあり,それに基づいて対象関係の発達段階を概説する。各段 階はカーンパーク(1976)の区分に対応するが,第3段階は,理論上,前期の 「練習期」と後期の「再接近期」に分けている。. 注).当然のことながら,各段階は互いに重複し,相応する年齢にも個人差 があり,およその時期。最近の乳幼児精神医学の成果(Field, T. M. 1991)によれ. ば,子どもの発達に関しては,マーラーが考えたよりもっと早期から驚くほど エラボレイトされた心的生活が存在するとされているようだが,人間の共生的 な起源が普遍的なものであり,そこからの脱出である分離・個体化とアイデン ティティ感覚の獲得も普遍的な課題だとすれば,伊藤(1991)の言うように,分 離・個体化理論は依然と有用性を失っていない。. (1)第1段階 正常な自閉期 自他未分化で,対象関係の成立しないObjectlessの段階。 乳児はまだ生理学的存在で,精神内界と外界の区別も存在しない未分化な時 期として,マーラー(1975)が,「正常な自閉」期と比喩し,「新生児の欲求満 足は,無条件の全能的,自閉的球に属しているように思われる」(p51)と述べ. た時期(誕生∼生後1,2カ月)。マーラーはこの時期の発達障害と児童分裂病 との関連を指摘した。. ② 第2段階 分裂した融合的な自己・対象期 快体験と不快体験は分裂(split)され,自己表象と対象表象がまだ未分化で 融合した段階。マーラーの「正常共生期」と「分化期」を含む時期。 カーンバーグ(1976)は, 「正常な共生」期(2カ月頃から6∼8カ月)と名付. け,快的で充足感に満ちた体験と,欲求不満をもたらす苦痛な体験の二つの異. 15.

(18) 対象関係の発達段階 年齢. マー九リンルー. かンバ. }スターソン. [グ. 対 象 関 係 の 発 達 段 階 ㈱. k正常な自閉期. 正常な. 鵬L. @. ・ /.・・一・.’、 P ● o 喚. 顯. 磁. 0:撫象. ヤ織・. ゥ閉期. S:白磁・. ∫∴∴摂. 鴨1:{ジ鰯. 1.2. σ. ρ ■. .. f・...・・◎. カ月. 正常な. 鵬2.. 2分裂し編姶的な 燃快嚇一/門. 箔、 不椥㈱分自己・対象期. 〆αi←→. 快と不快が分裂all〔r酬晦. 鼠6. 10.㌧購鰍. 、. iS..!. 自己対象). カ月. (鱗堀§勲影’鋼㈱. 自i}対象). 、・一」 分 ・・…一’. 分化期. 投影される傾向. 裂. をもつ. 羅灘鐵㈱ 徊一[塗 練習期. 鵬a. 羅轡. ’幽踏継. 撃潔T. 邸胡. 囎 痴胡. 4.全体的対象関係期 諸際 (欄粘り). 個体三期. 飴さ醐 統合された臼己表象. L一一一… (〕三. 全体対象. o 全燃. 臓膿. 鵬. S土 蜘己. 4.. 第1図 対象関係の発達段階. 16.

(19) なった情緒状態のもとで,未分化な, 「よい」自己一一対象表象と, 「悪い」自. 己一対象表象とが,切り離(split)されて組織化されることを強調している(p. 50)。カーンバーグが,第2段階に分化期を含ませるのは,分化期ではまだ 「自己表象と対象表象のお互いからの分化が比較的不十分なためであり,・・. 『よいs自己イメージとrよい』対象イメージの防衛的な退行的融合が持続す る傾向があるため」。このことは「自己イメージと対象イメー・一ジの間の境界が. 安定した状態で分裂機制が働く後期の防衛組織(境界パーソナリティ構造)と は対照的である」(p50)と述べている。つまりこの第2段階への固着,退行は,. 臨床的には自我境界の喪失によって特徴づけられる精神分裂病などとの関連が 考えられている。. マーラー(1975)の幼児観察では, 「自分と母親が一つの全能の組織. つ. の共通した境界をもつ二者単一体一であるかのように行動し機能する」(p5 3)共生段階から,やがて,子どもは「比較吟味を開始」し, 「『母親』に興 味を持つようになり,母親と『他入』,見慣れたものと見慣れないもの」とを 区別しはじめ,人見知りstranger anxietyが生じる。共生期の母子二者ユニッ トの中で,母親と子どもは分化し始めるが,まだ乳児は母親の側にいることを 好む(pp67−68)。この分化の過程は,母親にしっかり包まれていた子どもにお. いて順調に始まり,正常な自閉と,正常な共生は,正常な分離・個体化過程に 欠くことができない前提条件とされる。 (3)第3段階前期 自己と対象の分化,再融合の不安定期(練習期) 「よい」自己・対象表象と, 「悪い」自己・対象表象のそれぞれの内部にお. ける自己表象が対象表象から分化するが,容易に再融合を繰り返す時期。従っ. て「自我境界は,・・不安定で,・・自己表象と対象表象との融合が,・・不 安を招くような悪い状況に対する早期の防衛として容易に起こりうる」(カー ンバーグ1976,p56)。. この時期はマーラー(1975)の「練習期」に相当し,子どもの世界は,直立歩 行によって劇的に広がり,母親から離れ,その存在を忘れているかのように, 自分自身の活動に夢中になる。 「子どもは自分自身の技能や自律的な・・能力. を練習し修得することに集中する。彼は自分の持つ能力に元気づけられ,広が. りっっある世界での発見に絶えず歓喜し,世界と自分の威光と全能感に半ば 酔ってしまう」(p84)。いわゆる「世界との情事10ve affair with the worl. d」(Greenacre,1957)が始まるが,時々は,「情緒的補給emotional refuelin. g」のために, 「基地」である母親のもとにもどって身体的接触を必要として いる。この時期は分離・個体化への動きが強く,欲求不満に対する耐性が高ま り,転んでも余り気にせず,母親代理なども比較的簡単に受け容れる。 (4):第3段階後期 部分的対象関係期(再接近期). 17.

(20) 自己表象と対象表象が明確に分化し,自我境界がはっきりするが,自己にお いても対象においても, 「よい」表象と「悪い」表象の統合された「全体的」 表象は形成されず,部分的対象関係にとどまっている段階。 カーンバーグ(1976)は,「自己要素と対象要素との分化は,・・確固とした. 自我境界の確立を決定的なものにする。しかし,そこではまだ統合された自己 や他者についての統合的な概念というものは成立していない(したがって,こ の段階は“部分対象関係”の段階である)。・・この段階への病的な固着か退. 行は,境界パーソナリティ構造を決定的なものにする」と述べ,この時期, 「母親との理想的なよい関係を悪い自己表象と悪い母親表象から保護するため に働く」主要な防衛操作として,分裂あるいは原始的解離と,それと関連する 投影性同一視,万能感,否認原始的な理想化,価値の切下げなどの防衛をあ げ,これらの分裂を中心とする原始的防衛機制が,第4段階でみられる抑圧を 中心とした高次の防衛構造と対照をなす,と述べている(pp54−57)。. マーラーの再接近期に相当するこの時期では,子どもは,自分と母親との 「身体的分離を認識し」,分離意識が発達するにつれて, 「母親の存在に対し. て比較的無頓着でなくなるばかりでなく,フラストレーションに対する以前の 鈍感さも減少する。そして分離不安の増大が観察される」。練習期とちがって, 「母親の居所に対する・・絶え間のない関心と積極的接近行動」が起こる。不 安の質的変化が見られ, 「対象の愛を失うことの恐怖が,対象喪失の恐怖に代. わって次第に明白になる」。「母親はもはや単なる『基地』ではなく・・共に 世界についての絶えず広がる諸発見を分かち合いたいと願う人間になりつつあ る」。しかし,同時に「母親の願望が必ずしも自分の願望とは同一のものでは ない」ことに気づきだす。幼児が自律機能と外界への冒険に喜びを感じうる程 度は,母親の情緒的対応と関心の程度にかかっている。 また, 「母親を押しのけたい欲望と母親にしがみつきたい欲望が急速に交互 するのがこの時期の特徴である」。後追い(shadowing)と飛び出し(darting a way)が見られ,これは, 「愛情対象との再結合への願望と愛情対象に再び呑み. 込まれることの恐怖を示す」。こうしたアンビバレントな葛藤は,行動化され,. しがみつきと拒絶的行動が急激に交替する。母親を強制的に動かし,自分の全 能性の延長として機能させようとしたり,しがみついたりが交互する。「これ. らの交替する行動(両機傾向)は,・・対象世界をr良い』とr悪い』に分裂 させてしまった事実の反映であるかもしれない。この分裂によってr良い』対 象は攻撃衝動の派生物から保護される」(マーラー一1975,pp90−127)。. 自立と依存をめぐって,母親と自分の距離を調整し,呑み込まれるでもなく 見放されるでもない適当な距離を見出すことが,母子双方の課題となる。. 18.

(21) 注). カーンバーグの第3段階を二つに分けたのは,自己愛人格障害の固着,. 退行段階を,マスターソンに従って,再接近期より早期の前期(練習期)に置 けばよいと思われるからである。自己愛人格障害が,融合した自己・対象表象. をもちながら,境界例人格障害より見かけ上は高い自我機能をもち,社会適応 もよいのは,発達理論上の矛盾とされ,論争が起きているという(マスターソ ン1981,p10)。リンズレー(1980, p243))の図式や,カーンバーグ(1976)を整理. したという前田重治(1983)の図式でも,自己愛人格障害の固着点は,境界例人 格障害より後に置いているが,マスターソンは, 「自己愛パーソナリティ障害. 患者には再接近危機が訪れないようである」と述べ,固着点を再接近期より前 の段階に置く理由として, 「臨床的には,(自己愛人格)患者は対象表象があ たかも自己表象の構成部分(万能な一対の単位)であるかのように行動するか らである」(p11)と述べている。. 練習期の子どもの, 「世界と自分の威光と全能感に半ば酔って」(マーラー. 1975,p84)自分自身の技能や能力を修得することに集中する様は,再接近期の. 平価的葛藤に巻き込まれてアクティング・アウトする子どもより,表面的には 適応が良いように見える。自己愛規格の良好な社会的適応も,誇大自己が維持 できている限りにおいてであり,それが破綻すると一気に危機的になると考え れば,マスターソンの見解が理に適うと思われる。. ⑤ 第4段階 全体的対象関係期 自己表象対象表象のそれぞれにおいて, 「良い」部分と「悪い」部分とが 統合され,一つの全体的表象となり,初めて本当の自我境界が確立し,現実的 な全体的対象関係が可能となる。 マーラー(1975)は,分離・個体化の最終段階を対象恒常性の「始まり」と表 現し, 「対象恒常性は,愛情対象が不在のときに,その表象を保持すること以. 上のものを意味している。それはr良い』対象と『悪い』対象を一つの全体と しての表象に統合することをも意味している。そしてこのことが… 攻撃性 が高まったときには対象に対する憎悪を和らげる。… たとえ愛情対象がも はや満足を与えられない時でも拒否されたり他の対象と取り替えられたりする ことはない」(pp. 128−i29)と述べ,この対象恒常性が確立して初めて可能とな. る全体的対象関係は,対象関係の発達における終わりなき過程であり生涯を通 して完成していくものとしている。 この段階での防衛操作は,カーンバーグは,「これらのすべての統合過程に よって,分裂機制の使用が減少し,…. 抑圧が(分離,取り消し,反動形成. といった関連する機制によって強化されながら)自我の主要な防衛操作にな る」(p59)と述べている。. 19.

(22) 2. アンビバレンスが活発な時期における対象関係障害一一一部分対象関係. への固執 アンビバレンスが活発な状況において,自我がどういう防衛操作を用いるか は,自我の強さ,統合の程度による。クライン(1946)が明らかにした分裂を中. 心とした原始的防衛機制を発動させて,容易に対象と自己を,部分対象と部分 自己に解体し,部分的対象関係の操作により,斯うつ的葛藤を回避するか,あ るいは,全体的対象,全体的自己を保持したままで現実に直面し, 「抑うつ的 態勢」に入っていくかである。クラインは,「抑うつ的感情の正にその体験が,. 自我をより統合するのに役立つ。なぜならばその体験によって,内的状況と外 的状況との間がより統合されるだけでなく,心的現実に対する理解が増し,外 的世界に対する優れた認識が生じるからである」(p19)と述べているが,この 語うつ的不安に対応しきれないとき,自我は抑うっ的態勢を通過できずに,妄 想的・分裂的態勢へ退行せざるをえなくなり,両者の態勢の間を行ったり来た りすることになる(pp20−21)。. マスターソン(1980)は,全体的対象関係に付随する克服されなければならな. い「見捨てられ窺うつ」を回避する防衛操作としての意味を持つ,部分的対象 関係に固執して,二つの対立する部分的対象関係を交互に繰り返す人格構造を 「境界例」と呼び,境界例の示す臨床像を,二つの防衛的自我同盟で上手く説 明している(pp24−28)。ここでは,マスターソンのモデルを借りて,部分的対 象関係のメカニズムを見てみたい。. 第2図は,マスターソンの「境界例』に見られる部分的対象関係を,マス ターソン(1980,p.25)に従って図式化したものである。. マスターソンは「境界例」をつくりだす母親自身の境界例的要因を重視し, この母親の対象関係の特質を,子どもが自己主張等の分離・個体化を試みる際 には承認や愛情的供給を手控え(撤去型),受け身退行的な振る舞いには承認 支持的な愛情報酬を与え続ける(報酬型)とする。撤去型母親には,それとの 関係によってもたらされる見捨てられ抑うっ,怒り,恐れ,罪悪感,絶望,無. 力感空虚といったネガティブな情緒が自己像を彩り,それに対応した不適切 で,悪い,無力な,罪ある,空虚な自己像が形成され一つの関係セットとなる。 報酬型母親には,それとの関係によってもたらされる再融合した愛されている 良い気分といった情緒が自己像を彩り,それに対応した受け身的で素直な良い 子としての自己像が形成されひとつの関係ゼットになる。この二つの部分関係. 単位からなる分裂的部分対象関係(撤去型部分対象関係,報酬型部分対象関 係)が,分裂機制によって意識には残っていても互いに影響し合うことなく持. 20.

(23) 山撤退型・・一一・…. 酬型一tttt. ・・. 対象関係単位. 対象関係単位. 餓翻ものとして島. 自我異和的なものとして体験. 。. 。 (+). (一). i欝ゆ. i慌堵的に甚し東. i. 1切り蔭されていてi. i影響し合うことが{. iない i. i. 見捨てられ擁うa怒り i. 駄顯勧感i 三三i. 繭_1漏グ嬢臨 S I. iS 嘉応,. i(+). 情絡構冠腰素i. 鼠. (一) 11. ∼i一部批. 第2図 境界例の部分的対象関係(マスターソン1980). 続すると,全体的対象関係の発達を妨げる。二つの分離した部分対象関係の持 続は病的であり,報酬型部分対象関係単位がますます自我親和的なものとして 経験される。撤去型部分対象関係単位に伴う見捨てられ感情を軽減し,充足し た「良い気分」をもたらすからである。こういつた現実の否認,従って結局は 芽生えてくる自己に対する信頼の欠如は,この「良い気分」を手に入れるため のわずかな代価に過ぎないかに見える,とマスターソンは述べている(1980,p2 6)o. マスターソンは,部分対象関係が持続する要因として,基本的には境界例的 な母親の対象関係要因を強調し,その影響を見事に受けて観察される相反する 二種類の臨床像,一つは対象への過度の理想化ともいうべきしがみつきや盲従. 的行為,もう一つは価値の引き下げともいうべき非難がましく敵意に富んだ 様々な行為を,次のような二つの防衛的同盟として説明する。いずれも自らの. 21.

(24) 全体からある属性が切り離され(split off),理想化ないし否認されて投げ込ま. れることに基礎を置く防衛である。. 対象を全休として認識する全体的対象関係が保持できない状況下では,自己 も全体像として把握できず,いずれか一方が自己となる。このことを念頭にお くと,この自我の防衛同盟は理解しやすいであろう。 ①報酬型部分単位一病的自我の同盟 報酬型部分単位と病的自我の結びついた防衛操作であり,撤去型部分単位が 内在化されて, 「悪い自己」が活性化されると,その結果見捨てられ抑うつが. 活性化する,これに対して,環境への報酬型部分単位の外在化(行動化)とし て,対象を過度に理想化した対象関係をとることによって防衛するもの。つま り,報酬型部分単位の部分対象表象を周囲の人物に投影し,自らは従順な態度 で振る舞い,その人物が自己愛的な投影に共鳴と承認,支持を与えてくれるこ とを期待する。これは分離や誇大な自己の喪失といった現実の否認を持続させ, 見捨てられ抑うっを軽減するのに役立つ。. ②撤去型部分単位一病的自我の同盟 撤去型部分.単位と病的自我の同盟。報酬型部分単位が内在化され,誇大な 「良い自己」を維持するために,撤去型部分単位は,投影と行動化によって外 在化される。このことは臨床的には,従順な行動としてでなく,非難がましく,. 敵意に富んだ態度として観察され,これは撤去型部分単位の部分対象表象を周 囲の人物に投影したものである。 前者の防衛同盟は,結局は相手に裏切られたり,あるいは失望(脱錯覚)し たり,破綻する必然性を持っている。また,悪いのは周りであって自分ではな いとする後者の防衛同盟は,決して他者から受け入れられることはない。いず れの場合も,自己の解体という犠牲を強いた上での防衛であるが故に,自我の 成長は阻止されざるを得ない。 3. 対象関係の障害と「偽りの自己」(ウィニコット) ウィニコット(1954,1960)は,子どもの心身を抱える環境(holding environ. ment)や母親の側の失敗による対象関係の障害によって発現する「偽りの自 己ゴの発生起源を,次のように記述している。 「人間の早期発達においては,ほど良く振舞う(つまりほど良い積極的適応 を行う)環境が,私的な成長が生じるのを可能にする・・そうすれば,自己過. 22.

(25) 程は中断のない生きた成長の流れの中で活動的であり続けることができる・・ ・もし環境がほど良く振舞わなければ,・・個体は侵襲に対する反応に携わる. ことになり,自己過程は中断してしまう。もしこの状態が量的に限界に達すれ ば,自己の核は保護され・・停止してしまう・・本当の自己は保護されたまま, 防衛としての迎合の基盤のうえに,すなわち侵襲に反応することを受けいれる ことのうえに,偽りの自己がそこに発達する。偽りの自己の発達は,本当の自 己の核を保護するために工夫された最も有効な防衛組織の1っであり,・・個 体の活動の中心が偽りの自己にあるうちは不毛感が存在する・・活動の中心が 偽りの自己から本当の自己へ移行する瞬間に,人生は生きる価値のあるものだ という感覚への変化が生じる」(1954,pp192−193)。. ほど良い母親(good eRough mother)1ま,幼児の身振りのなかに現れた幼児の. 万能感と交流して,幼児がその万能感を表現できるように手助けして,幼児の 万能感を満たしてやる。それによって,幼児の弱い自我に強さが与えられ,真 の自己が活動し始める。一方,ほど良い母親でない場合は,幼児の身振りに応 じることに繰り返し失敗し,そのため幼児の万能感を働かせることができず, 逆に,自分の身振り(万能感)を幼児に押しつけ,従わせることになる。幼児 の側のこの服従が偽りの自己の出発点であって,これは母親が幼児の欲求を感 知できないことに基づく(1960,pp177−178)。. 人生最:早期の段階では,真の自己は,自発的な身振りや独自の気持ちがそれ. から生じてくると考えられるような理論的概念であって,ウイニコットは「自 発的な身振りは,行動に現れた真の自己を表している。真の自己だけが創造的 であり,実在感,現実感をもてるのに対して,偽りの自己の存在は,非現実感 や空虚感という結果に終わる」(1960,p181−182)と述べている。偽りの自己の 発生は,真の自己(ないしは幼児の内的現実)の暴露が,想像を絶する不安を 招くときに,真の自己を隠蔽し保護するための防衛機能として,環境からの要 求に服従するという形をとって発生する。従って,ほど良くない母親のもとで の幼児は,環境からの要求に服従する関わり方で, 「偽りの自己を通して,一 連の偽りの関係をつくりあげる」(1960,p179)と言う。. ウィニコットは,偽りの自己,真の自己の概念は,フロイトが自己を,中心 にあって本能に圧迫される部分と,外界に向かって世界と関係を持つ部分に分 けたのと関連することを述べており(1960,p171),本能によって動かされる部分. が真の自己で,外界と関連をもつ部分が偽りの自己であることを示唆している。. また,偽りの自己の防衛の程度を,最も極端な場合は,真の自己が完全に隠蔽 されて,偽りの自己が真の姿と見誤ってしまうほど実在のものとして確立して いる場合をあげ,最も軽度な場合は,健康な幼児における服従する能力,妥協. 23.

(26) する能力をあげて,正常な情緒発達のなかでも,子どもの社交術といった適応 的なものも偽りの自己に相当すると考えている(1960,p184)。. これらのウィニコットの考えに対して,マス七一ソン(1980,1981)は,偽り の自己,真の自己の発生を,彼の理論的文脈のなかで,. 「真の自己は分離・個体化に向かう歩みに報酬と承認を与えられることで,. 活動を開始する。このことは,個体化に拍車をかけ,子どもが母親から分離を 始めるにつれて真の自己の感覚を与える」。「分離・個体化に対して承認を撤 去する母親は,見捨てられ抑うっをつくり出す。しかし,母親が退行的なしが みつきに報酬を与えるので,子どもは,母親の投影に退行的に従うことで抑う. つから自らを防衛し,退行的・病的防衛機制 回避1否認 しがみつき,行 動化,分裂,投影等一一の体系を作り出す」(1980,pp38−39)。. と,読み替えたうえで,ウィニコットとは違う幾つかの見解を述べている。. そのウィニコット批判の第一は,偽りの自己の防衛機能が,真の自己を隠し たり守ったりするという点に関して,マスターソンは,「子どもは,真の自己 を隠すために偽りの自己を発達させるのではない」。なぜなら,真の自己はこ のような時点では全く存在せず,活動しない状態にあるもの,ただの潜在能力 であり,「偽りの自己の防衛機能は,(分離不安や見捨てられ抑うつを防衛する ための)退行的で強迫的な行動を合理化し,偽りの同一性感覚を与えることに ある」(1981,p126)と述べている。ここの「退行的で強迫的な行動」とは,見 捨てられ抑うっを防衛するための「報酬型部分単位と病的自我の同盟」によっ てとられる行動をいい,マスターソンは,この同盟を, 「偽りの自己の基盤」 と考えている(1981,p127)。. 第二は,本能によって動かされる部分が真の自己という点を批判して,マス ターソンは, 「真の自己とは,個体化される過程を反映する実体として出現す. るのであり,本能とともに,内在化される外界部分をも,おそらく含んでい る」(p125)。真の自己は,「良いものも悪いものも含む全体で,現実に根づい ている自己表象である」(P129)と述べている。しかし,この批判はウイニコッ. トを正しくとらえていないかもしれない。何故ならウイニコットは,他の論文 (1955−56)では, 「偽りの自己は,本当の自己の一側面」であり, 「それ(偽. りの自己)がそれ(本当の自己)を自分で隠して護るのである・・この隠され た本当の自己は,経験のないことに由来する貧困化を被る」(p199)と,述べて いるからである。. ヒ. 第三は,〈正常な人々において,偽りの自己に相当するものは何か〉と いうウィニコットの設問に,マスターソンは,「何もない」。「子どもに体質. 24.

参照

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