第1節 J男の成長過程の対象関係論的考察(まとめ)
第3章第3節,第1項では,J男が,如何に「偽りの自己」を形成してきた かを母親の発言を踏まえて分析,考察し,その精神内構造をマスターソンら の理論モデルを参考に図式化(第4図)した。第2項では,母親の主訴概要で 述べられたJ男の家庭内暴力を発端からたどり,J男のとる防衛機制から, J 男の家庭内暴力の無意識的な意図と,その成立・持続要因について考察した。
第3項では,母親の面接過程からえられる情報をもとに,J男の動きを,母親 からの分離と, 「自転車」をとおした個体化としてとらえ,J男の精神内界に 現れた「新たな父親像」を指摘し,母親父親の動きと合わせて分析,考察し た。この節では,これまでの整理を兼ねて,J男の成長過程を,より対象関係 論的に考察してまとめとする。
1. J男の「偽りの自己」形成について
J男は,親たちの3重4重の安全指向的,エリート指向的なレールを敷かれ,
自発的な自己の個体化が妨げられるという犠牲の上に,潤たちの価値観を取り 入れ,それに適応(偽りの適応)することで,親たちの価値観に見合う個体化 をすすめ,誇大な自己表象を肥大化させてきた。一方,親たちに承認されず個 体化が妨げられた自己の自発的な側面も,無力な自己表象として形成されてい るが, 「偽りの適応」を維持するためには,それはスプリッティングないし抑 圧され(第4図参照), 「体験のないことに由来する貧困化を被っている」
(ウイニコット1955−56,p199)。そして,結果的には,高い学力と,外食も出 来ないような無力を合わせ持つ,アンバランスな自己を形成している。
J男の「適応感」は,多かれ少なかれ,誇大な自己表象を鏡映してくれる
「対」としての全能的対象表象の支えによって満たされる全能的・誇大的情緒 に彩られたものであり,全能的対象表象の支えが外されると,一気に「不適応 感」に陥るような脆いものである。何故なら,一方のスプリッティングないし 抑圧された無力な自己表象は,親によって見捨てられた「価値のない」自己表 象であり,J男を支えきるまでには育っていないからである。
J男のこの「偽りの自己」「偽りの適応」を生んだマイナス的要因として,
次のようなことが関係していよう。
第一に, 「弟よりかまけた」はずのJ男に,基本的な安心感をもてていない 不確かな母子関係。これは, 「実権を握る」祖父母と「波風を立てない」父母
の葛藤を孕んだ三世代家族内力動のなかでの,初孫J男の養育をめぐって,
「わしらが育てる」という祖父母に対して,J男を取り上げられた思いととも に,それに乗っかってしまった「ひけめ」をもつ職業婦人としての母親の,子 育てにおける精神的不安定さが背景にある。
第二に,エリート指向的な家庭環境で, 「大人4人,5人でレールを敷い た」といわれるような,J男の自発的な個体化を妨げることになった親たちの 無意識的,自己愛的な投影的操作性。マスターソン(1981p12)の言葉を借りる
と,干たちのJ男に対する理想化投影。これにJ男が共鳴するにつれて,J男 の真の個体化欲求は損なわれていったが,誇大自己は保存され,この誇大自己 によりJ男は親たちの機能不全とそれにともなう自分の抑うっも知覚しないで 済んでいた。また,母親が, 「物凄い忙しさの中に追われ,子の要求に適切に 対応できなかったのでないか」(#8)と反省するように,J男は心理的に満 たされない上に,短い時間に能率のよい操作的子育てを受けざるを得なかった
ことや,不安の強い母親自身のエラボレイトされた操作性も見逃すことができ ないように思われる。
第三に,理想化の対象として取り入れるべき男性性モデルが希薄ななかで,
3重の母親的対象に囲まれ,細やかな保護的,安全指向的配慮が優先され,現 実原則が内在化しにくい環境にあったこと。父親は多忙で不在がちなうえ,
「祖父に従属する」ものとして価値の引き下げが起こっていたであろうし,
「甘さと厳しさが両極端な」祖父は,最初は, 「権威のある祖父」であっても,
やがて「家を追い出されても同情されない」ような祖父として価値の引き下げ が起こっていたであろう。コフートの重視する父親の被理想化機能の不全は,
J男の個体化を「導く機能」の不全でもあり,一方,母親祖母にくわえて,
離婚した伯母がJ男を囲み,保護者的な関わりを現在も続けているというよう な母性性過剰な環境にあったことは,誇大自己の「駆り立てる機能」ばかりが 過剰で, 「統合不全の誇大な自己概念と強い顕示的・自己愛的緊蒙をかかえた,
野心家で成功にとりつかれた」(コフート,1966,p149)精神状況を形成する土 壌になったものと思われる。
2. J男の家庭内暴力の発現について
大学受験という,もはや親たちの援助の届かない現実的課題に,J男は,誇 大な自己表象を脅かされる体験をし,「適応感」が崩壊する不安を一人で処理
しきれず,今まで誇大な自己表象を「対」として支えてくれていた全能的対象 表象の外的モデル(即ち,最もJ男にとって親密な人物)を巻き込んで,それ を処理しようとする。J男が, 「家を触られて,人生台無しにされた」「お祖 父ちゃんを追い出すか,僕が死ぬかどっちかだ1」と母親に迫ったのが,父親
不在のとき,伯母の家でなされたのは示唆的である、,J男を操作し矯正する母 親については,既に考察し,それはJ男にとっては,締め出されるべき「悪
い」母親像であった。しかし,J男が危機に際して,親しい伯母を援軍に,最 も混乱に巻き込んだのは,無論父親ではなく,母親その人である。これはJ男 にとって, 「最も親密な人」が母親であり,全能的対象表象の外的モデルが第 一に母親であることを示唆するものである。よって,J男の母親像も,祖父像
と同様, 「悪い母親」と「良い母親」とに分裂しており,現在は「悪い」母親 像が前:景に立っていると言える。これを,穿った見方をすれば,母親の締め出
しは,内的な「良い母親像」を守るための無意識的な防衛として,見るこ.とが できるかもしれない。
J男の攻撃性は,ある意味で,自発的な個体化を封殺された被害感情に根ざ す正当性をもつものとも考えられるが,怒りの理由が彼自身明確に意識化でき ていないために,言うことに明らかな論理的矛盾をもち,社会的に容認される 形になっていない。ただ直観的な「怒り」をJ男は親たちに向け,父親一人が
「祖父と子どもを比べること自体が間違っている。息子に対して(わしは)謝 ることはない」(#6)と通すのに対して,祖父は「あれの言うとおりして やってくれ」(#インテーク)と自ら家を出,母親は, 「何か突かれたような 思いがして」その「ひけめ」から「あの子に対して弱くなり」何も言えなくな る(#8)。このことは,J男を縛る「偽りの適応」に,祖父と母親が,父親 より強く関与していたことを示唆するもののようにも思われる。実際,J男の 見る父親像には,祖父と母親におけるような分裂したものが見られない。
母親の「ひけめ」は,怒りを忘れて,J男に隷属する心理を生み,それが,
むしろ家庭内暴力の成立・持続因子になりうることは,既に考察した。また,
J男のとっている全く異なる二種類の動き,即ち「家庭内での攻撃性」と,E 先生との関係に象徴されるような「外での良い関係」が,実は統一的には,個 体化を妨げられた無力な自己表象に付随する見捨てられ抑うっを回避ないし緩 和するものとして,とらえることができることも,既に考察した。
3. J男の分離・個体化について
J男の母親締め出しは,退職によって,職をもつことでバランスを保ってい た母親の関与が,さらに強化することを恐れてのものと思われ,J男は母親の 身の回り一切の関与を退け,自炊,洗濯の生活に入り,文字通り母親からの分 離をして,i登校を開始する。一方で,友達から誘われた「自転車」 今まで の親の価値観とは無縁のものをとおして,J男自身の喜び(自発的な個体化)
を確かなものにしていく。友人関係は広がり,基本的生活習慣にみられた無力 さが消え,J男の積極性,能動性の高まりを,母親は, 「今までだと親にして
もらわないと面倒臭くて,何も出来なかった子が,自分で電話をかけたり,服 を買ってきたりしている」(#8)と認める一方, 「勉強だけに集中しておれ ばいい時期なのに,自炊,洗濯,風呂も自分でして,可愛そう」と,J男の分 離を淋しがり,J男の行為を「意地」になっていると述べる。ここには, J男 の自立を無意識的に引き止めようとする心理がみられ,Co.にく意地こそ自 立。自分に犠牲を強いて,敢えて意思をとおすのが意地。それも駄目というこ
とになると,本人のすることは皆駄目という恰好になる〉と言わしめている
(#9)。自立を無意識的に引き止める母親の心理には,「今まで淋しい思い しただろうから,辞めて大事なときぐらい家にいてやって,子どもの面倒を見 て,お帰り言うてやろう」(#2)と述べるように,幼子に対する親心が残っ ており,これらには,母親の無意識的な自己愛の投影に加えて,退職によって 何も無くなった自らの空虚感を充足させる無意識的な子に対するしがみつき分 離不安がみられる。マスターソンは,分離・個体化の再接近期において, 「個 体化が高まると,それにつれて母親からのより強い支持が必要となるが,実際 には,この個体化の高まりが母親の支持の撤去をまねいてしまう」(1981,p16 3)ことの障害を指摘しているが,母親は,当初,J男の個体化への動きに上 手く対応できずに,r食事」をとおして執拗な関わりを強め,再接近期の母親 の課題であるべき見守ることができず,これは必然的に,J男が母親の関与の 締め出しを強化することと並行している(#1,2)。
J男は,母親の関与を断ち,「自転車」をとおした個体化の動きのなかでは,
見捨てられ抑うつに(従って,無力な自己表象にも)積極的に向き合っていた ものと思われる。
例えば,Z県旅行のあと従姉に, 「(旅行中)孤独だった」 (#7)と述べ ているが,これは現実的な社会の中では通用しない誇大な自己表象を放棄する
「喪の体験」でもあろう。また,自転車屋の若い店員に「お前が直してやれ」
と言われて,素直に従う(# 12)J男の姿には誇大感はなく,現実の対人関係 の中で,自らをそれに適応させて誇大な自己表象を放棄し,無力な自己表象を 修復していくプロセスが伺える。
また,この頃並行して,J男の論理の成長が伺える。従姉や祖母に諭され,
口を喋んだり,黙って聞く(#7,8)のは,自らの全能的な論理のおかしさを,
知的には受け容れつつある証であり,従姉に母親を無視するのは,「ものを言 うと腹が立つから,無視するのが一一as怒らんですむのだ」(#7)と,親子関係 がこれ以上悪化するのを回避する,J男なりの方略であろう。
J男が,母親への拒否的態度をゆるめ,頻繁に納屋の方へ姿をみせる(#9
)のは, 「最近何も言わなくなった」(#6)母親の変化や,J男の冒険談を 喜んで聞く母親(#7)の変化とも対応し,その様ななかで,デビューレース