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親鸞の教化的姿勢

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Academic year: 2021

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(1)親 鸞 の教 化 的姿 勢 士. 正. 1。. 序. 一般に眼よりは耳を重ん じるとい うことは ,東 洋的の ものではないであろ うか。西洋では ,古 代 ギ リシア人の考 え方であ ったテオ リアの思考態度が現 代 にまで流れているが ,東 洋においては,耳 順 とか ,耳 根清徹 などの言葉 によ って ,道 の成就 した ことを示 しているように ,見 よ りは間を重ん じて いると 言 えるようである。特に仏教では この傾向が強 い と思われる。かの膨大 な仏 教経典 のほとんどが ,そ の 冒頭 において「 如是我 聞」 のごとき言葉では じま っているように、その経説は耳を通 して の聞 くことを中心 として展開 して い ると言 ってよいと思 う。また仏教 における三学 の うち ,一 番重要な真如認識 の学 としての慧学 の方法論 において ,聞 思修の三慧をあげ ,「 思 0修 の慧 も 聞慧によりて導か るる」 もの として重要視されている。 日本において も,最 澄が山家 の教育を規定 した『 山家学生式』 において ,聞 を重ん じた ことはよ く知 られていることである。また教外別伝・ 不立文字・ 直指人 心 0只 管打坐 2). を 強 く説 く禅宗 において も ,か の道元禅 師 は「 身命をか へ りみず 聞法す る」 よ うに と ,聞 を も強調 して い る。 この よ うに仏教 は聞法を重ん じて い るが ,仏 教各宗派 の うち において ,こ の 間を特 に重 要視 して い るの は浄土真宗 で あ ろ う。 しか も強 くこの 間 の重要 性を考 え ,こ れを身 に行 じて い ったの は ,浄 土真宗 の開祖親鸞 で ある。 親鸞 に とって ,信 心 とは聞法にほかな らぬ と考 えて いた。彼 は F一 念多念文 意』 の 中にお いて. ,. 1)金 子大栄著『 仏教 の諸問題』 岩波書店 昭和 9年 330頁 2)今 村延雄編『 本山版正法眼蔵』 鴻盟社 昭和 12年 325頁.

(2) 親鴛 の教化的姿勢. 46θ. 3). 「 きくというは信心をあらわす御のりなり」 と述べているよ うに ,聞 即信 の立場 に立 って 聞を強調 している。 これにつ い ては真宗史 の権威 であった故山田文昭氏が「 聖人 の生涯は聞法で一貫 してい 4). るとい うて もよ い」 と言 って い るが ,こ れ と同 じよ うな言葉 は ,親 鸞 を語 る 人 の多 くが述 べ て い るところで あ る。従 って 親鸞 の教 え は 聞 の宗教 で あ ると 言 われ ,彼 自身 聞法 の行者 と も言 われ るので あ る。 この よ うに 聞を重 ん じる親 鸞 の態度 は ,同 時代 の道 元や 日蓮 とは趣 きを異 に して いた。道元 も間を重ん じて はいるが ,そ の 中心 は只管 打坐 で あ り ,多 く寺院 内において ,求 法者や指導者 の養成 に力を つ くし ,日 蓮 は法華経 の行 者を もって 自任 し,政 治権力 の 中心地であ る鎌 倉 の街頭 に立 って ,お れ につ いて こいの 意気を も って 獅子吼 した もので あ った。 しか し親 鸞 は内熾 烈な煩 悩 の炎 に焼かれなが らも,外 静 かな ること林 の如 くな ろ うと努 め る内愚外賢 の 自 己の姿 に涙 しつつ ,「 文 字 の こころ もしらず ,あ さま しき愚痴 きわ ま り 5). な きゐなかの ひとび と」 の 中 に は入 りこんで ,共 ど もに専心 に ,法 を 聞 き弥 陀 の本願 の声を 聞 きとって い ったので あ った。 私 は この特異 な人 とな りと姿 勢を もつ 親鸞 に引 きつ け られなが ら,親 鸞 の 宗教 を形成 した 根本的要素 と思 われ る間を 中心 と して ,彼 の教化 的姿勢 につ いて ,若 干 の考察をすす めて み た い と思 う。. 2.間. の. 姿. 勢. 親鸞 は一生涯 ,聞 の 姿勢を貫 いて い った 人で あ る。彼 は法を説 くよ りは. ,. む しろ法を 聞 く姿勢 で ゆかれた人 で あるとい って よい。 この こ とは彼 の著作 の上 に も強 く感 じられ るところで あ る。 しか らば親鸞 は間を い か に考 えたで あろ うか。 聞につ いて の親鸞 の領解 に はおよそ次 のよ うな ものが あ る。 3) 金子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 4) 山 田文昭著『 親鴛 とその教団』 法 蔵館 5) 金子大栄編『 親鴛著作全集』 地蔵館. 昭和39年 513頁 昭和23年 133頁 昭和39年 532頁.

(3) 46」. 吉 川 正 三. 「 聞 といふは仏願 の生起本末をききて ,疑 心あることな し。 これを聞とい 6). ふなり」 「 きくといふは本願をききて ,う たがふ こころなきを聞といふなり。また 7). き くといふ は信心を あ らわす御 の りな り」 「 聞 といふ は如 来 の ちか いの 御 名 を信ず るとまふ す也」 これ らによ ると ,聞 とは仏願す なわ ち弥 陀如来 とい う絶対者・ 無 限者 の十 方衆生 に か け られた願 いの生起本来を 聞 いて ,疑 いのない ことで あ る。仏願 はわれを超えた眼 に見 えな い無 量の光寿者・ 無 限者 の言葉 と して現わ された 願 いで あ るか ら,見 るよ りは聞 くこ とよ りほかな い もので あ ろ う。元 来 聞 9). の 語義 に は「 姿 は見 えないが ,声 が き こえて来 るとい う意味を含む」 とあ る が ,本 願 を聞 くこ とはま さに この 間 の語義 に相 当す る もの と思われ る。 また この こ とは如 来 その ものを信 じるよ りは ,そ の声 の表現 と して の本願を信 じ て 疑 わぬ と ころに重点 が あ ると思 う。 もし如来 その ものを信 じるとなれば. ,. 観 とか見 とかが表面 に出て くるので あ るが ,そ の本願を信 じるとなれば ,本 願 は言葉 と して表 現 されて い るか ら,聞 くとい う こ とが 中心 にな ると思 う。 故 に親鸞 はそ の著作 中 において ,「 願力を き く」 とか「 本願 の 名号を 聞 く」 とい う言 葉な どを よ く使 って い るよ うに ,本 願 は聞 くべ きもの と して領解 し て い るので あ る。 この 眼 に見 えな い絶対者 の声を 聞 くこ とにおいての間 は ,聞 いて 聞 いて 間 きぬ いた 結果 ,窮 極的 には 聞 くよ りは聞 こえ る ,聞 こえて くるとい う意味を もつ よ うで あ る。真宗 において よ く使 われ る聴 聞 とい う言葉 は ,聴 はき く, 聞はき こえ るとい う意味 で あ り ,従 って聴 聞 とは聞 こえ るま で聴 くこ とで あ って ,こ れが信で あ るとされて い る。従 って 親鸞 の 間 は聴 くか ら聞 こえ るへ の転換 で あ り ,仏 願 の声す なわ ち「 わが 名を称 えよ ,必 らず救 う」 とい う声 の 聞 こえて くると ころに成立す る もので あ ろ う。 この ことは聴 くとい う自力. 6)金 子大栄編『 親鴛著作全集』「教行信証」 法蔵館 昭和39年 124頁 7)金 子大栄編『 親鴛著作全集』「 一念 多念文意」 法蔵館 昭和39年 513頁 8)金 子大栄編『 親鴛著作全集』「 尊号真像銘文」 483頁 9)藤 堂明保著『 漢字語源辞典 』 学燈社 昭和40年 741頁.

(4) 親鷺の教化的姿勢. 462. か ら聞 こえるとい う他力への転換 であ り,親 鸞 が帰命 とか欲生を如来招換 の 10). 勅命 と解 しているの も,こ の意味であると思われる。 また「 疑 いな し」 ということも,金 子大栄先生 によると ,「 疑 いないとい 11) う こ とは ,本 願 の言葉を 通 して大悲 の声 が 聞 こえた とい う こ とで あ る。」 と 述 べ て お られ るよ うに ,如 来招 喚 の声が そのまま素直 に 聞 こえ ることで あろ う。故 に この疑 いない心 とは全 く虚 心にな り ,己 れを空 しう した絶対的 自己 否定 の態度 において の 聞 く姿 で あ ると思 う。 か の 日常普通 の意 味 での聞 くと は ,自 己本位 に 己見 にあわせ て 聞 くことで あ るか ら ,聞 く人 によ って 同聴異 聞 とい う現象 も出て くるので あ る。 親鸞 の 間 はそれで はな く,実 に一切 の 執 着を な くして 無我 にな って 聞 くことで あ る。 F歎 異抄」第 2条 の世界 は この 間 の世界 の極致を あ らわ して い るので はなか ろ うか。 そ こには「 よ き人 の 仰 せ をかぶ りて 信ず るJ世 界が あ らわ されて い る。 また彼が『 浬槃経』 中 にあ る聞不具足 の説を F教 行信証』 中 に 2回 に わた って 引用 して い るの も ,彼 は 自 己の姿を反省 しなが ら,己 見にあ わせた り ,功 利的な名利 の ため の 誤 った 聞法 を い ま しめ ,疑 い な く虚 心 にな って 聞 くこ とをすす めて い るので はない か と思われ る。 また親鸞 の 間は言葉 の 中 に含 まれ るひび きを 聞 きとる聞で あ った と い え る。 彼 は聖教を読み とる場合 ,そ の聖教 の言葉 の 中 に含 まれ るひび きとか語 感を鋭 く聞 きとった ので あ る。 いわば言葉 の もつ パ トスを 聞 きとる こ とにお いて ,非 常 にす ぐれ た ものを も って いたよ うで あ るが ,ま たそれを 聞 きとる た めに苦 心 もして い る。従 って 彼 の 間は知的理解 でな く,自 分 の 身 に引 きあ て て ,自 分 の胸 にひび く言葉を 聞 きとって い ったので あ る。 いわ ばそ の 語感 を感 じとる聞 き方で あ り ,本 願 や聖教 の言葉 の 中 に含 まれ る言葉 の ひび きを 聞 きとった ので あ る。 この 間 き方 読み方 は時 には無理な 読み方 と考 え られ る. 10)『 教行信証』「 行巻」中の南無阿弥陀仏の解釈 において「 南無 の言 は帰命な り. (中. 略)帰 命 とは本願招喚の勅命な り」と解 し,同 じく「信巻」において「欲生 という の勅命な り」と解 している。 は,す なわち如来諸有 の群生を招喚 したま遮、. 11)金 子大栄著『 教行信証 の研究』 岩波書店 昭和31年 273頁 12)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 124頁 及び274頁.

(5) │1 正 三 吉 り. 463. こ とが あ るが ,親 鸞 に とって はそ のよ うに 読 まざ るを得 な い ものを 感 じと っ た 結果 で あ った と思われ る。 そ して このよ うな読み方 が親鸞 の 宗教 の 中核を 形成す るまで にいた って い る。 その代表的 な例 は F教 行信証』 の 中心 で あ る 三心の仏 意釈で あ る。 ここに は自分 の力 で はな い ,如 来 の廻施 によ る他 力廻 向 の 思想が鮮 かに示 されて い るが ,そ れ こそ は彼が如来 の願 の音声 のひび き の 中 に ,如 来 の真実 心を 聞 きと った にほかな らない もので あ る。 また親鸞 のよ く用 いた 転声 釈 は ,普 通 の漢文法 で は到底読み得 ない もので あ り ,彼 の 曲読 とまで言われ る もので ある。 しか し彼が この よ うに読 まざ る を得 なか った のは ,か の他力廻 向 の立 場 か ら ,自 分 の身 に引 きあてて感 じと った 結果 の読み方 で あ ったので あ る。 この 転声 釈 は教行信証 のいた ると ころ で 見 られ ることで あ るが ,こ れが また親鸞教義 の 重要な 一翼 を形成 して い る ので あ る。 しか らば親鸞が他 の高僧 に比 して特 に聞法 に親 しみ ,聖 教 の声 を 聞 き得 た 理 由 は何で あろ うか。親鸞 は叡 山時代 ,経 典 読誦 の堂 僧 と して 若 き青春時代 を送 って いるが ,こ の 読誦が彼を して 耳 か ら聞 くことに親 しま しめ ,こ れが 聞へ の 手 引にな った こ とも考 え られ よ う。 しか し彼を して真 に 聞 に親 しま し めた もの は ,彼 の徹底 した愚禿 の 自覚 であ ると思 う。親鸞 は越 後流罪以 後か ら愚禿 を 名告 り ,晩 年 に F愚 禿抄』 を作 り ,そ の最初 に 「 賢者 の信を ききて ,愚 禿 が心を あ らわす 賢者 の 信 は内は賢 に して外 は愚な り 14). いは内は愚に して 外 は賢 な り」 愚禿 が ノ と述 べ ,内 愚外賢 の心 を もつ 親鸞 が ,内 賢外 愚の法 然 の信を 聞 く こ と に よ り ,真 実 の行信を獲 得 した喜 びを述 べ て い る。親鸞 に とつて は師法然 の 明快 直哉 単純 な念仏為 本 の教 えが ,愚 鈍の 自分 に は必 らず しも素直 に理解す るこ とがで きに くか った よ うで あ る。 従 って彼 は法 然 の教 えに遇 い得 た ことを心 か ら慶 び ,絶 対 随順 の謙虚 な気持 にな って 法を 聞きつつ も ,何 度 も何度 も法. 13)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 106頁 ∼ 115頁 14)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 363頁 ∼364頁.

(6) `64. 然 の教 えを 身 に 引きあてて ,聞 きぬ き理 解 して い った と思われ る。 それ は彼 の性格 に もよ るよ うで あ るが ,彼 の 愚禿 の 自覚 がそ のよ うに させ た もの と思 う。 親鸞 の この よ うな聞 の姿勢 は ,当 時 と して は珍 らしか ったよ うで あ る。 当 時 の宗教 は身で行 な う行 の宗教 か ,心 で思 う観念 の宗教が主流 を 占めて お り. ,. 親鸞 の よ うな聞 の 宗教 といえ るよ うな もの は ,他 になか った と言 って よい。 また 当時 の僧 侶 の 生活 の道 は祈祷・ 読経 。唱道 (説 教 )で あ った といわれて い る。 そ して 当時 はこの唱道 家が 中心 で あ り , 彼等 は人 師を も って 自 ら 任 じ,唱 道 の 内容 も自己の体験 か ら出た もの は少 なか ったよ うで あ る。 この点 親鸞 は当時 の 唱道家 のよ うな職業 的説教 師 で はな く,利 他教化 の 念 は強 くあ った けれ ど も ,人 に進んで道 を説 くよ りは ,む しろひたむ きな求道者 と して 聞法 の生涯を歩んで い った人 であ った と思 われ る。 そ して この生涯を通 じて の 間法 の姿勢 こそが ,名 もな き多数 の群崩 の心 を と らえたので は な か ろ う か。 ここに彼の教化 的姿勢 の根本 に 聞 の 姿勢が あ り ,そ して そ れが彼 の教化 的意識を放れて ,お のずか ら大 きな教化 とな った と思われ る ものが あ る。. 3。. 弟 子 な き姿 勢. F歎 異抄』第 6条 に「 親鸞 は弟子一人 ももたず さふ らふ」 とい う言葉が あ. ることは ,よ く知 られ て い ることで あ る。 これ は親鸞 が人 師を否定 した 弟子 な き姿勢 として注 目す べ きもので あろ う。彼が この よ うな特異 な言 葉を発 し た直接 の 背景 と して は ,関 東 にい る有 力 な 門弟間 において ,わ が弟子人 の弟 子 とい う相論や ,信 者 の奪 い合 いが あ った こ とによ るもの と考 え られ る。 し か しその思想的 背景 は ,同 じ『 歎異抄』第 6条 や ,彼 の 消息 の 中 において. ,. 次 のよ うに示 されて い る。 「 その ゆへ は ,我 が はか らひにて ,ひ とに念仏を ま うさせ さふ ら は ば こ そ ,弟 子にて もさふ らはめ。 ひ とへ に弥 陀 の 御 もよほ しにあづ かて ,念 仏 ま うしさふ らふ ひとを ,わ が弟子 とま うす こ と ,き はめた る荒 涼 の こ とな り。 (中 略)如 来 よ りたまは りた る信心を ,わ が ものが ほに ,と りかへ さん と.

(7) │1 正 三 吉 り. イσ5. ま うす にや。 返 々 もあ るべ か らざ ることな り。 自然 の ことわ りにあいかな 15). はば ,仏 恩をもしり,師 の恩をもしるべ きなりJ 「 そのところに念仏のひろまりさふらはん ことも,仏 天の御はからひにて 16). さふ らふ べ し。 」 これ によ って わか るよ うに ,親 鸞 に とって は信心 は如来 よ り賜 わ りた る信 心で あ り ,念 仏 は弥 陀 の催 し (は た らき)に よ って 称 え る もので あ り ,ま た 念仏 の弘 ま るの も仏天 のはか らいで あ ると して ,す べ てを 自分 の力 で はな く 弥 陀 の廻 向 の働 きに帰 して い る。従 って 自分 はただ如来 の本願を 聞 いて ,そ れを讃 嘆す るにす ぎず ,強 いて 言 えばただ 信 心を得 させ る縁 にな ったにす ぎ ず ,自 然 の こ とわ り (お のずか らしか らしめ られ る本願 の御 もよお し)に か なえば ,師 の恩 を も知 ると して ,す べ て の 因 は如来 にあ ると考 えてい るので あ る。 そ こに は親鸞 の姿 は後 にか くれて ,如 来 の教説 が常 に前面 に 出 て お り ,本 願 を仰 ぎ念仏 を称 え る こ とが 中心 で あ って ,私 的な人 間関係 とか師弟 関係 な どは考 え られ て いない。 もし考 えて い るとすれば ,共 に法を 聞 いて ゆ く同朋 と して の立場で ,門 弟達 に対 して い ったよ うで あ る。 これをた とえて 言 うと , 親鸞 は手本 と して の 師匠 で は な くて , 見本 と して の同朋 とい うよ うな感 じを も って いたので はないで あろ うか。 したが って 「 愛欲 の 広 海 に 沈没 し ,名 利 の大 山 に迷惑 して」 い るこのよ うな親 鸞 で さえ ,救 われ るのだ か ら,如 来 の本願 0念 仏を共 々に 仰 ぎ称 え る こ とが根本 で あ ると考 えた と思 われ る。 親鸞 が このよ うな考 え方 や態度を もつ にいた った根底 に は ,彼 の 強 い 愚悪 の 自覚 が あ った と思 われ る。 彼 は和讃 において 「 小慈小悲 もな き身 にて. 有情利益 はお もふ ま じ」. 「 よ しあ しの文 字を もしらぬ ひ とはみな 善 悪 の字 しりが ほ は. ま ことの こころな りけ るを. おほそ らご とのかた ちな り. 15)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 改版 43頁 ∼44頁 16)石 田瑞磨著『 親鴛 とその妻の手紙』 春秋社 昭和43年 158頁 ∼159頁 17)金 子大栄編『親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 139頁 18)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和11年 231頁.

(8) 親鴛 の教化的姿勢. `66. 是非 しらず邪正 もわか ぬ 小 慈小悲 もな けれ ど も. この みな り 名利 に人 師を この むな り」. と うた って い るところをみ ると ,自 己の醜 い姿をみ るにつ け ,弟 子を もたず よ りは もてな いのだ とい うよ うな感懐 もあ ったので はないか。従 って 野間宏 氏が F愚 禿 に徹 しきった ところに「 親鸞 は弟子一人 ももたず さ ふ ら ふ 」 と い う ,こ の仏教史上 ,誰 一 人 と して言 った こ とのない言葉が 出 されて きたの 20). ので ある。』 と言われ る所以であろ う。 この如来 の本願力廻向の働 きを中心とした親鸞 の態度は ,ま た人よ りは法 を重ん じる考えであるといえる。 この考えは龍樹 の著 した F大 智度論』 中の. 4依 説 の第 1と して「 法 によ りて人に依 らざるべ し」 に示 されて いるよ うで ある。親鸞は これを F教 行信証』 の「 化身土巻」中に引用 し,そ の終 りに 21). 「 しかれば末代の道俗よ く4依 を しりて ,法 を修すべ きな り」 と結んでいるように ,彼 は深 くこの言葉を身に引きあてて感 じとったよ うで ある。彼が晩年に諸仏等同の説を唱えた時 ,信 者 の中にはこの信心を与え ら れた親鸞を善知識 としてあが めよ うとした ことにたい して ,彼 は 「 如来 とひとしといふは ,煩 悩成就 の凡夫 ,仏 の心光 にて らされまい らせ 22). て信心歓喜す。信心歓喜す るがゆえに正定衆のかずに住す。 」 と述べて ,す べてを仏の心光に帰 し,自 分の力でないと説き,門 弟達が親鸞 を師主知識としてあがめようとす ることを極力否定 して い る。か の F歎 異 抄』第 2条 中の有名な箇所である 「 親鸞におきてはただ念仏 して弥陀にたすけられまい らすべ しと,よ き人 23). のおほせ をか ぶ りて 信ず るほかに別 の子細 な きな り」 19)名 畑応頃校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 247頁. 20)野 間宏著『 歎異抄』 筑摩書房 昭和44年 76頁 21)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 280頁 22)石 田瑞磨著『 親鴛 とその妻の手紙』 春秋社 昭和43年 84頁 23)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 版 38頁.

(9) 467. 吉 川 正 三. の意味 も,師 法然とい う人へ の絶対随順 の姿勢で もあろうが ,そ の本質はよ き人 の「 おほせ」す なわち法へ の絶対随順 と考え らるべ きであろう。 このよ うに彼 は常に愚悪なる親鸞個人を見ずに ,如 来 の法を弥陀の本願を仰 ぐべ き ことを人 々にすす めた もので ある。近角常観師が常 の言葉 として「 この近角 という人間をみるな。仏 のお慈悲を聞いて くれ」 とつ ねづね言われた と伝え られて いるが?こ れは親鸞 の この態度 と同 じものであると思 う。 この人 よ りは法を尊重 し,聞 法 を重ん じ,人 師を否定 した親鸞 の姿勢 は. ,. 中村元博 士が指摘 して お られ るよ うに ,釈 尊 の 姿勢 と相通 じるものが あ る。 釈尊 は臨終 に 際 して こ 「 それ 故 に ア ー ナ ンダ よ ,こ の世 で 自 らを 島 と し,自 らを よ りど ろ とし て ,他 人を よ りど ころとせず ,法 を 島 と し,法 を よ りど ころと して ,他 の 25). 」 ものをよりど ころとせず にあれ。 と述べ ているように ,彼 は弟子達に対 して ,自 分 よ りも正法を よ りど ころと すべ きことを説 き,自 分が教団の指導者であることを否定 している。中村博 士 は これにつ いて ゴー タマ ● 「 親鸞 は弟子一人 ももたず とい う告 白が ,歴 史的人物 としての ブ ッダ の右の教えと何等直接 の連絡 はないに もかか わ らず ,論 理的 に何か 26). しらつ ながるものである」. と述べているよ うに ,法 の尊重 ,人 師の否定 とい う点 において ,親 鸞 の宗教 が釈尊 の教えの根本 にまで触れているのは注 目すべ きもので あると思 う。 しか し,弟 子一人 ももたず といった親鸞 は ,特 に良 き師一人を一生涯 もち つづ けたのである。彼 は F高 僧和讃』 において 「 砿劫多生 のあいだに も 出離 の強縁 しらざりき. 本師源空いまさずば. 27). このたびむなしくすぎなまし」. 24)福 島政雄著『 歎異抄感銘録』 明玄書房 昭和43年 49頁 25)中 村元著『 ゴー タマ ●ブ ッダ』 法蔵館 昭和 33年 192頁 26)中 村元著『 ゴー タマ 0ブ ッダ』 法蔵館 昭和33年 193頁. 27)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 164頁.

(10) イ 68. 親鴛の教化的姿勢. と、 師法然 との 出会 いによ り,出 離 の 強縁を知 った あ りがた さを 法 然 との生 別40年 後 の晩年 にな って うた って い るよ うに ,終 生法然を 師 と仰 いだので あ る。 また F歎 異抄 』第 2条 中にあ る「 よ き人 のおほせ をかぶ りて ,信 ず るほ か に別 の子細 な きな り」 のよ き人が法然であ ることは ,よ く知 られて い ると こ ろで あ る。 従 って 親鸞 は弟子 は一人 ももたぬが ,た だ この人 とい うよ き師を もたれた といえ るよ うで あ る。 ここに は師あれ ど も弟子な しと言 って よい彼 の特異 な 姿が認 め られ る。 この 師弟関係 に つ いて ,金 子大栄先生 は同 時代 の道元 0日 蓮 のそ れ と比較 して. ,. 「 道 元 の 行修 は師あ り弟 子あ る もので あ り ,親 鸞 の 間思 は師あ りて 弟子 な き もので. 亀F,日 ととな った」. 蓮 の身読 は恰 も弟子 あ りて人 師な きが如 き形態を取 るこ. と述 べ て お られ る。 この 3人 の比較 は興味 あ ることで はあ るが ,そ れ は他 日 にゆ ず り,親 鸞 の この よ うな法 然 へ の絶対的な 敬慕 と随 llkの 姿勢 ,ま た は師 は求 め るが 自己は師 で はない とい う姿勢 は ,常 に親鸞 の教 えを 聞 くもの に と って ,彼 の心 境 と姿勢を ぢか に 強 く感 じとった こ とと思 われ る。 従 って 親鸞 に は 師 と して の 意識 は全 くな く,師 た ることを極 力否定 した と して も,親 鸞 の 教 えを 聞 くものに は ,常 に親鸞を師 と仰 ぐ感 情がわ いて くるの は 自然 の こ とと思 われ る。 これ は親 鸞 自身が言 って い るよ うに、. 「自筏?こ とわりにあいかなわば,仏 恩をもしり,ま た師の恩をもしるべ きな り」. で あ って ,願 力 自然 と い う法 の 中 に あ って ,自 ら師 の恩 を 知 るよ うに な るの で あ ろ う。 こ こに 師 に あ らざ る師 に お いて こそ ,逆 に 師 へ の 敬 慕 と感 恩 の. 情. の 深 い もの が あ る と思 われ る。 か く考 え る と き ,弟 子 一人 も もた ず と言 った 親 鸞 に ,万 を 越 す 信 者 ,数 十 名 に の ぼ る有 力 な門 弟 が あ った と言 われ て い るの も当然 の こ とで あ り ,親 鸞. 28)金 子大栄著『 日本仏教史観』 岩波書店 昭和 15年 443頁 29)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 改版 44頁 30)赤 松俊秀著『 親鴛』 吉川弘文堂 昭和36年 231頁 ∼234頁.

(11) 469. 吉 川 正 三. を 中心 とす る師弟 間 の きず な は非常 に強 く,ま たそ の愛情 の 深 い ものの あ っ た こ とが認 め られ る。 F歎 異抄』第 2条 には「 を のを の十余 か国 のさか ひを こえて ,身 命をか へ りみず して」遠 く関東か ら京都 ま で ,命 が けで 師説を 聞 かん と してや って 来 た門弟 の状況 が鮮 かにえがかれて い る。 また親鸞 の消 息 集をみ ると ,師 を思 う弟子 の純情 と ,弟 子を思 う師 の純情 とが流露 して ,そ こに は師 弟 関係 とい うよ りは ,む しろ父子関係 ともみ られ るよ うな愛情 の こ 31). ま やか さが あ る。 また弟子 一人 ももたず と言 い切 って いなが ら,反 対 に永遠 32). の 弟 子 永 遠 の 友 を も って い る と言 え るよ うな もの を 思 わせ る消 息 が あ る。 この よ うに 彼 は指 導 者 意識 を 否定 した けれ ど も ,し か し利 他 教 化 の 念 もま た 強 い もの が あ った 。 彼 は和 讃 に お いて 33). 「 仏慧功徳をほめ じめて 十方の有縁にきかしめん」 34) 「 自力の廻向をすてはてて 利益有情はきはもなし」 「 如来 2種 の廻 向を. 35). 十方 にひと し くひろむ べ し」. と うた ってい るよ うに ,利 益有情 0度 衆生心 の念 の 強 い もの が あ る。 しか し 前述 した よ うに ,信 心 も念仏 も如来 よ りの賜物 で あ るか ら,決 して 自分 の 力 で弘 め るので はな くて ,仏 天 の御 はか らいで あ るとの信念を もち ,自 分 と し て は仏慧 功徳を ほめ る仏徳 讃嘆 の行を つ とめ るにす ぎな い と考 え ,弟 子 一人 ももたず の意 識 において ,聞 法 の道 に精 進 し ,親 鸞 の教 えを 聞 こ うと して集 ま って くるものを 同朋 同行 と して相対 して い った と思 われ る。. 4。. 後 姿 の 姿 勢. 親鸞 は F教 行信証」 の本文 の最初において ,浄 土真宗の大綱を次のよ うに 31)蓮 位 か ら慶住 に送 った書翰. (石 田瑞磨著『 親鴛 とその妻 の手紙』 79頁 ∼88頁 )中 に 特 によ くあ らわれ て い る。 32)『 末灯抄』第 12通 及 び『 御消息集拾遺』第 2通 の 中 には「 浄土 にてかな らず かな ら べ し」 とか,「 かな らず かな らず ひ とところへ まい りあふ ず ま ちまい らせ さふ ら応、 べ く候」 とか と述 べ て ,浄 上で の再会を期 した永遠 の交 りを信 じて い る文章 が ある。. 33)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 68頁 34)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 191頁 35)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 225頁.

(12) 親鴛 の教化的姿勢. 47θ. 述 べ て い る。. 「 謹んで浄土真宗を按ず るに ,二 種 の廻 向あ り。 ひ とつ には往相 ,ふ た つ 36). には還相な り。往相 の廻 向につ いて ,真 実 の教行信証あり」 ここに往相 とは浄土 に生れよ うとしての現在 の修行 の姿であ り,還 相 とは浄 土か ら再 び この世界へ還 って衆生を救済す る姿である。 これを親鸞 の他 の言 葉を もってす るな らば ,往 相 は願作仏心・ 自信であ り,還 相 は度衆生心・ 教 人信にあたる。彼は この往相 と遠相 の両方を共 に弥陀の廻向として うけとっ ているのであるが ,こ こではこの両者を彼 の教化的姿勢 の観点か ら一考 して みた いと思 う。 親鸞が この両者 につ いての関係を端的 に述 べているのは ,次 の和讃であろ う。 「 往相廻向の利益には. 還相廻向に廻入せ り 37). 往相廻 向 の大 慈 よ り 還相廻 向 の大悲を う」 この 和讃 において ,親 鸞 は往相廻 向 の利益 の 中 に ,還 相 の徳 が おのずか ら備 わ って お り,往 相廻 向 の結果 か ら還相廻 向が 出て くると言わ ん とす る ものの ご と くで あ る。 これ はただ一筋 の往相 の生 活 の 中 に ,お のず か ら還相 の姿が あ らわれ て くるもので あ ると考 えて よいで あろ う。 しか しこれ はただ単純 に 自 己完成を先 にす るとい う小 乗的な エゴ イズ ムで はな く,往 相 あ って の還相 で あ り ,還 相を前提 と しての往相 で あ って ,両 者 は一 枚 の紙 の表裏 と もいえ る もので はな いで あろ うか。故 に親鸞 に と って は自分 さえ助かればよいので はな くて ,自 分が助か らなければ周 囲 の人 も救われな いか ら,ま ず も って 自 分が助か る道を 求 めて ゆ こ うとされ た と思われ る。従 って 彼 において は人 に 信 心を 教 え るとか ,人 を救 うな どの考 えに先 立 って ,た だ真剣な純粋 な願作 仏 心 とい う往相 の姿全体が ,如 来悲願 の廻 向によ って ,そ の まま に度衆生 心 とい う還相 の姿 におのずか らな ってゆ くと感 じた ので あろ う。 この こ とを彼 は和讃 において ,次 の如 くうた って いる。 「 浄上 の大菩提 心 は. 願作仏 心をすす め しむ. 36)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 12頁 37)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 205頁 ∼206頁.

(13) 吉. │1 正 り. 471. 三. す な はち願 作仏心を. 度衆生 心 とな づ けた り. 度衆生心 といふ こと は. 弥 陀智願 の廻 向な り. 廻 向 の信楽 うるひ とは. 大般涅槃を さとるな り」. 38). この こ とは願 作仏 心 の願 いの もとに ,西 へ と浄土を指 して の 真剣 な往相 の後 姿 その もの が ,こ れを見 る人 に とって は還相 の姿 とうつ って くるので はな い で あろ うか。 それ は恰 も善導 の 2河 白道 上 の行者 の後姿 で もあろ う。 これ は 親鸞 自身 の 自覚 において は ,あ くまで往相 の姿 で あ って も ,そ の往相が信者 達 に とって は還相 の はた らきと して感 じと って くるので あ ると思 う。 しか し更 に考 えを 押 しすす めてゆ くと , F歎 異抄』第 4条 において ,「 お 39). もふが ごとくたす けとぐること,き はめてあ りがた し」 というこ と を 反 省 し,「 いそ ぎ仏にな りて ,大 慈大悲心を もて ,お もふが ごとく衆生を利益す る」 と言 っているよ うに ,一 生涯にわたって求道 の間法をつづ け ,死 後 に仏 になるな らば ,そ の一生涯の姿その ものと共にその人が仏 と観ぜ られて ,そ の後 の ものに対 して利他教化 とい う大 いなる働 きになると考 えていた と思わ れ る。 このことは F高 僧和讃』 において ,親 鸞 は善導を弥陀如来 の化身に. ,. 源空を勢至菩薩 の生まれかわ りと考えて、 「 大心海よ り化 して こそ. 善導和尚 とおはじけれ」. 「 智慧 光 の ちか らよ り. 本 師源 空 とお は し けれ」. 41). と うた って い るよ うに ,親 鸞 に とって も 7高 僧や聖 徳太子 はす べ て 自分を救 って くれ る還 相 の仏 と して うつ って いるよ うで あ る。親 鸞 に は自分の愚鈍・ 煩悩熾盛 の凡夫 の相を深省 してみ るとき ,ど うして も「 いそ ぎ仏 にな りて 」 と表現せ ざるを得 ない ものが あ り ,生 きて い る間 はただ 自分 の救 われ る道 を 求 め ,聞 法一途 にゆ くこ とよ りほか ない と領解 し,還 相 の 働 きを死後 に求 め ざ るを 得 ない ものが あ った と思 われ る。 このよ うな親鸞 の 姿勢 は彼 の周 囲 の人 々に 強 い 印象 と深 い感銘を与えた も 38)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 190頁. 39)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 改版 41頁 40)名 畑応順校注『親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 144頁 41)名 畑応順校注『 親鴛聖人和讃集』 岩波文庫 昭和 11年 163頁.

(14) 472. 親鴛の教化的姿勢 42). ののよ うであ る。 その最 も代表的な例 は妻恵 信尼が娘覚 信尼 にあてた 消息 の 中 によ くあ らわれて い る。 親鸞 と妻 の恵 信尼 は親 鸞 の帰京以後 の 晩年 に ,京 都 と越 後 とに別居 して暮 した ので ,親 鸞 の死 は末娘覚 信尼 の 手紙 によ って恵 信尼 に知 らされた ので あ った。 恵信尼 はそれ へ の 返信 の 中で ,長 い 間 恐 ら く胸 に秘 めて いたで あ ろ う親鸞入信 の状況 とその 後 の経 過な どに つ いて 書 き じる した あ とで ,常 陸 国下妻 においての夢 と して ,堂 供養 の 時 に勢 至 菩薩 と して法然上人 が ,観 音菩薩 と して夫 の親鸞が堂 内に立 たれた夢 をみた こ とを しる して い る。 杖 と も柱 と も頼 んで いた 父を失 な って ,悲 歎 の涙 にか き くれ て い る娘 覚信尼 に ,数 十年前 の記憶を胸 に懐 きつづ けて いた 夫親鸞 の人 間的 成長 の思 い 出を示 した この消 息 は ,親 鸞 伝 の上で 貴重 な意味を も って い るが. ,. その反面親鸞 の欠点を知 りつ くしたであろ うと思 われ る妻恵信尼が ,夫 に対 して この よ うな敬慕 の念を懐 いて いた こ とを知 らされた こ とにお いて ,非 常 に重 要 な意味を もつ もので あ る。 そ こに は親 鸞が 日夜血 の 出 るよ うな努力を 重ね ,一 心 に絶対他力 へ の往相 の道 へ と精 進 して い ったその 後姿 に ,恵 信尼 が感動 し,わ が夫 はただ人で はな くて 或 は観 音 の化 身 で はないか とまで想 像 す るにいた ったので あ ろ う。 このよ うな例 は他 にあ ま り見 られな い ことで あ る。 なお前述 した聞の姿勢 と ,弟 子 な き姿勢 も,以 上述 べ て きた後姿 の 姿勢 と相通 じてい る ものであ り ,親 鸞 へ の魅 力 の一 半 はこれ らの 姿勢 の 中 に あ り ,そ れが お のずか ら大 きい教化 の 役割を果 た したので はないか と思 う。. 5。. 一 視 平 等 の姿 勢. 法 然 において仏教 は一部 の人 々か ら放れて人間 の 宗教 と して ,す べ て の人 々に平等 に救 いの 門戸を開 くよ うにな った。 そ こに は法 然 の 人 間愛 へ の ヒュ ー マニ ズ ム精神が認 め られ るので あ るが ,親 鸞 においてそれが 更 に徹底 され るにいた った。親鸞 は師法然 の 清僧 的生活 とは行 き方を異 に して ,肉 食妻 帯 を 断行 し,自 分 も名実共 に俗人 と同 じ人 間 であ ることを 身を もって示 した よ うに ,そ の精神 的態度 において も ,一 視平等 のノ、間愛 の 姿勢を貫 いた もので. 42)石 田瑞磨著『 親鴛 とその妻の手紙』 春秋社 昭和43年 213∼ 218頁.

(15) 473. │1 正 三 吉 り. あ る。 彼 は F教 行信証』『信巻』 の 中 において. ,. 「 おほよそ大信海を按ずれば ,貴 賎綴素を え らばず ,男 女老少 を いはず. ,. 43). 造 罪 の多少 を とはず ,修 行 の久近を論ぜず云 々」. と述 べ て ,大 信海 の世界 は社会 的身分 ,門 地 ,性 別 ,年 令 ,善 悪 ,学 歴 ,教 育な ど一切の差 別を認 めず ,す べ てが 弥陀 の本願 とい う法 の前 に平等 で あ っ て ,一 視平等 に救済 せ られてゆ くこ とがで きる こ とを主 張 して い る。 これ は あたか も教育 の機会 的均等を となえた教育基本法第 3条 の精神を発髯 せ しめ る もの が あ る。 これ は 日本仏教 史上 の一大転 回 で あ り,こ の こ とは貴族 な ど 上流 階級を対象 と した階級的差別的 救済を説 いた他宗 と大 き く相違す る点 で あ って ,彼 の宗教が庶民大衆の 宗教・ 群萌 の 宗教 といわれ る所以 であ る。 また歎異抄』第 五 条 において 「 親鸞 は父母 の孝養 のため とて ,一 返 にて も念仏 ま うした る こ と ,い ま だ さふ らはず。 その ゆ へ は一切 の有情 は ,み な もて世 々生 々の父母兄弟 な り。 いづ れ もいづ れ も順 次生 に仏 にな りて助 けさふ らふ べ きな り」 と述 べ て い るが ,こ れ は歴 史的見地 で は従来 の家族 的人 間関係 に結 び つ い た 祈祷 的仏教を否定 した もの と考 え られ る ,し か しその思想的意 味 は世 々生 々 の 父母兄弟 とい う広遠 な人 間愛 の発露を示 した もので あ り ,人 間性解放 の一 視 平等 の ヒューマニズ ム精神 の あ らわれであ ると考 え られ よ う。 これ らの考 え方 はまた 日本仏教 にお ける一 乗思想 といわれ るもの と深 い 関 連 を もつ もので あ る。親鸞 は F教 行信証』 の「 行巻」 において. ,. 「 一 乗海 といふ は ,一 乗 は大乗 な り。大 乗 は仏乗 な り。 一 乗を得 るは阿褥 多羅 三 貌 三菩提 を得 るな り。 (中 略)大 乗 は二 乗 三 乗 あ ることな し。 二 乗 三 乗 は一 乗 にい らしめん とな り。 一乗 はすなわ ち第一義乗な り。 ただ これ. 誓願一仏乗なり ∫を. 43)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 119頁 44)金 子大栄『 歎異抄』 岩波文庫 昭和 33年 改版 42頁 45)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 72頁 ∼73頁.

(16) 親鴛 の教化的姿勢. 474. と述 べ て ,一 乗 は誓願 一 仏乗 よ りほかない との立 場を明示 して い る。親鸞 に とつ て は万 人 が等 し く平等 に救 われ るの は ,弥 陀 の誓願 よ りほか ない との 強 い信念を もち ,こ の 信念 こそが彼を して絶対平等. 0-視 平等 の教化姿勢を と. らしめた もの とな ったので あ ろ う。 これ は彼 の本願 一 乗思想 とい われ る もの で あ って ,日 本仏教史 上聖 徳太子 の万善 同帰 の一 乗か ら,最 澄 の 悉有仏性 の 一 乗 へ ,更 に親 鸞 の本願 円頓 一 乗 へ の 日本 にお け る一乗思想 の展 開 と して注 46). 目さるべ きものである。 親鸞 の一視平等 の思想はまた いわゆる忘れ られ見捨 て られた者へ の愛 とな るので はなかろうか。親鸞 は F教 行信証』』「 信券」 の末巻 の部 の大部分を 『 涅槃経』 中の阿閣世王入信 の箇所 の引用に費 しているが ,そ の中にある 「 もろもろの衆生において ,平 等な らざるにあ らざれども,し かるに罪者 47). にを いて ,心 すな はちひ とへ にを もし」 との如来 の大悲 の言葉 には深 い感銘を覚 えた と思 はれ る。 これ は絶対平等 の 愛 の 現 はれ方 が現実 において は ,善 人 よ りは悪人 に重 い こ とが示 さ れ て い る。 親鸞 が「 い し・ か は ら・ つ ぶて 」 の ご とき群崩 の 中 に は入 って い ったの も当然 の ことで あ り ,有 名な悪人 正機 説 も これ と何等か の かか わ りあ いが あ ると思 う。 従 って 親鸞 の この平等思想・ 一視平等 の姿勢 の根底をなす ものは ,人 間 は 生 れなが らに して ,皆 平等 で あ るとい うよ うな考 え方 で はな くて ,実 に 彼 の 深 い機 の深信 の所産 で あ ると私 は思 う。彼が「 欲 も多 く,い か り・ は ら だ ち・ そねみ・ ねたむ心 のお ほ くひま ない」 と ころの「 底下 の凡 愚」 と して の 位 置 に 自 己を 見 出 した時 には ,人 を見下 げ るよ うな気持 は到底起 こ らず に. ,. 人 は皆 同 じ く平等 で あ り,同 朋で あ るとの考 えの上 に立 た ざ るを得 な い もの が あ った と思 われ る。何故 な ら人 は機 の深信がな いか ら他 の人 を見下 げ る も ので あ り ,い わゆ る差別感情 も この機 の深信 の不足か らくる もので あ ろ うか 46)こ の ことは金子大栄著『 日本仏教史観』 (岩 波書店 昭和 15年 )の 58頁 か ら75頁 に わ たる「 一乗思想 の展開」 の項 に くわ し く述 べ られて ある。. 47)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 152頁.

(17) 475. 吉 川 正 三. ら。元来人間 の もつ 優越感 や 劣等感 こそは ,不 平等感情 の源泉 であろ う。親 鸞 におけ るこれ らを も含んだ機 の深信 こそ は ,彼 を して以上述 べ たよ うな広 い人 間愛 と しての平等感情を培 った 根底を なす もので はなか ろ うか。 この 見 地 に立 つ とき ,次 の「 共 に歩 む姿勢 」 の根底を なす もの も,こ の機 の深 信 で はないか と思 う。. 6。. 共 に歩 む 姿 勢. 親鸞精神 は同朋精神 で あ るとは ,た えず 言 われ ることで あ る。親鸞 が同朋 48). とい う言葉を使 って い るの は , F末 灯抄』第 19通 において 3回 使 って い るだ け のよ うで あ るが ,こ の言葉 は真宗教 団 の精神を あ らわす もの と考 え られ て い る。 真宗 は聞法 の教 団 と して ,本 当に法を喜 び ,如 来 の 慈悲を喜 ぶ もの が 集 ま って ,そ の あ りが た さを語 りあ お うで はな いか とい うと こ ろに成立 した もので あ る。 従 って 弟子 とか門弟 とかで はな く,た が いに法 を 同 じくす る同 法 と して ,ま た法を 聞 く友 と して の 同朋 と して成立 した教 団 で あ った。 それ 故親鸞 は伽藍仏教を否定 して お りT)強 固 な教団組織 な ど も作 って いない。 そ こに は同 じく仏弟子 と しての「 善 き親友」 と して の気持を も って ,信 者達 に 対 して い ったので あ る。 このよ うに親 鸞 において は ,人 を指導す ることはで きな い とい う人 師 の 否 定 と裏 は らに,共 々に法 を 聞 いて ゆ こ うで はな いか ,共 々に歩 んでゆ こ うで はないか ,手 を取 りあ って共 に悲 しみ共 に喜 こんで ,法 を 聞 いて ゆ こ うで は ないか ,皆 は同朋 同行 で あ るとい うよ うな ,今 で い う民主主義的な人 間愛 の 行 き方が あ った といえ る。 この点 は 日蓮 の よ うに「 おれにつ いて来 い」 の 姿 勢 とは非常に違 って い るところが あ る。. 48)石 田瑞磨著『 親鴛 とその妻の手紙』 春秋社 昭和43年 109頁 49)金 子大栄編『 真宗聖典』「改 邪抄」 法蔵館 昭和35年 856頁 覚如 の著わ した『 改邪抄』中に「 されば祖師聖人御在世 のむか し,ね んごろに一流 を面授 □訣 したまへ る御門弟達 ,堂 舎を営作す るひとなかりき。ただ道場をば ,す こ 」とある。 し人屋 に差別あらせて ,小 棟をあげてつ くるべ きよしまで御諷諌ありけり。.

(18) 476. 親鴛 の教 fヒ 的姿勢. この同朋的な姿勢 は高い所に立 って人を指導す るのではな く,相 手 のす ぐ 傍 らまで降 りてきて ,共 に喜 び共に悲 しんで ,私 もそうだとうな ず き な が ら,共 に歩んだ姿勢で もあ った。 F歎 異抄』第 9条 において ,唯 円房 の もつ 悩みの質問を聞いた親鸞 は「 親鸞 もこの不審ありつ るに ,唯 円房おな じここ 50). ろにて あ りけ り」 と答 えて い るよ うに ,自 分 も同 じ悩 め る人 間で あ ると ,相 手 と同等 の地位 にた ち ,相 手 の姿を 自己の 中 に認 めて ,共 々に法を 聞 いて ゆ こ うと して い る姿を示 して い る。親鸞 の著 作中に多 く出て くる親鸞 自身 の罪 悪深重 0煩 悩具足 の 姿 のあ りの まま の告 白は ,自 分 は皆 と同 じ人 間 で あ ると の 自己開放的な明 けつ ぱな しの態度 とい えよ う。 そ して この こ とはこれを 聞 く人 に とってみれ ば ,親 鸞 も同 じくそ うで あ ったか と思 って 勇気ず け られ る 面 の あ った こ と も否定 で きな い と思 われ る。 これ に対 して他 の多 くの高僧達 に は この よ うな態度 はな くて ,一 段高 い所 に立 って歩 んで い られ るよ うで あ る。親鸞 は自己の愚悪性を露呈 しつつ ,相 手 の苦悩 に同感 しなが ら,そ こか ら相手を救済 しよ うとされた ので はなか ろ うか。従 って F一 念多念文 意』 と 『 唯信抄文意』 の最後 の言葉 と して. 「 ゐなかのひとびとの ,文 字 のこころ もしらず ,あ さま しき愚痴 きわま り なきゆへ に ,や す くこころえさせむとて ,を な じきことをたびたびと りか へ じとりかへ しかきつ けた り。 こころあ らん ひとはおか しくおもふべ し。 51). 云 々」 と しるされて い るよ うな懇切 丁寧 な態度 と もな ってい るので あろ う。 しか しこのよ うに共 々に歩 み ,相 手 の位 置にまでな りさが った とい う こ と は ,決 して相手 に迎 合す ることで はな く,ど こまで も相手を一人 の人格者 と して独立者 と して扱か い ,相 手 の主体性 ,相 手 の選 択決 意を 尊重 した こ とを も示 して い る。 この こ とは前述 したよ うに 「弟子一人 ももたず」の言葉 の底 か らもうかが う こ とがで きるが ,特 に はつ き り示 されて い るの は F歎 異抄』第. 2条 の精神 で あ る。 この条 におけ る親鸞 の姿勢 に は非常 に きび しい もの が あ 50)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 46頁 51)金 子大栄編『 親鴛著作全集』 法蔵館 昭和39年 532頁 569頁.

(19) 吉. 川 正 三. 477. る。 そ してその最後に 「 詮ず るところ愚身 の信心にを きては,か くのごと し。 この うへ は ,念 仏 52). を と りて 信 じた て まつ らん とも ,ま た す てん と も,面 々の御 はか らひな り」 と突 っ放 な した と ころが あ るが ,こ れ はそ うで はな くて ,わ が法を縁 と して 各 自の道を求 めよ との,教 え られ るものの 自覚 選択 に まかせ た ことを 示す も ので あろ う。 そ してそ の底 に は相 手を 思 い,相 手 の人格を尊重す る深 い愛情 が あ ると思われ るので あ る。. 7.現. 代 教 育 へ の反 省. 以上考察 した よ うな親鸞 の教化的姿勢か ら現代教育を反省 してみ ると ,そ こにい ろ い ろ と考 えさせ られ ,ま た示唆 に富んだ多 くの もの が あ るよ うで あ る。 まず 聞 の姿勢 につ いてで はあ るが ,現 代 の教育 は教 え るもの も教 え られ る もの も ,こ の姿勢 に欠 けて い るので はないか と思 う。敗戦後 日本 は戦前 の 間 答無用 0言 論統制か ら脱 して ,問 答 の尊重・ 言論 の 自由が叫 ばれ ,教 育界 も それ に呼応 して ,い わゆ る「 話合 い学 習」 な どが ,全 国を風靡 した もので あ った。 しか しその学 習 の実態を よ くみ ると ,そ こに は話す こ と発言す ること の みが徒 らに多 く,他 人 の言葉を静か に 聞 き入 れ るとい う こ との如何 に少 な か った こ とで あろ うか。 そ こに は独 断 と排他 が あ り ,真 の話合 い学習 とはお よそ程遠 い ものが 感ぜ られ た もので ある。 この こ とは単 に教 育界 のみで はな く,政 治や言論 の領域 において も顕著 に認 め られ るところで あ る。私 は話 し 合 う ことは,ま た聞 き合 う こ とでな けれ ばな らぬ と思 う。何故 な らば聞 くこ とが あ って ,は じめて話 す ことが成 りた つ ので あ るか ら。 現代 は この こ とを 忘 れて ,徒 らに話す ことばか りに力が は入 って ,い わゆ る聞 く耳を もたぬ人 間が多 くな りつつ あ りは しないか。 それ は自己中心的で あ って ,誤 れ る主 体 性 の発現 で あ る。 聞 くとは ,一 般 に はそ の根底 に相手 の人 格識見を認 め る も のが あ り ,従 って少 な くと も自 己抑制 とか謙虚 な気 持が働 いて いな ければな. 52)金 子大栄校訂『 歎異抄』 岩波文庫 昭和33年 改版 39頁.

(20) 478. 親鴛の教化的姿勢. らぬ と思 う。 そ こに 聞 の人 間形成上 の重 要性が あ る。要す るに話 し合 いは 聞 き合 いで もな ければな らず ,話 しなが ら聞 き ,聞 きなが ら話す とい うよ うな 態度が大切で あ る。従 って 用語 の 周到性か らみ ,ま たその誤 解 と逸脱を 防 ぐ 意味 において ,「 話合 い学 習」を「 聞合 い学 習」 と して いたな らば ,現 在 と は も っと違 った 結果が 出て いた か もしれな い。 しか しなが ら現代 の学校教 育にお いて ,聞 くとい う こ とが全然顧 りみ られ な いので はない。 一 般 に学習 は教 師 の話を 聞 くこ とか らは じま り ,こ れが根 底をな して い るとい って も過言で はない。 ただその 聞 き方 に問題があ るとい え る。元来 ,聞 き方 に は 3種 類 あ ることが 考 え られ る。 そ の第 一 は記 憶 と し ての 聞 き覚 えで あ り ,第 2は 理解 と して の 聞 き分 け るで あ り ,第 3は 体得 と して の 間 きあて るで あ る。現代 の学校教育 において は ,こ の 3種 の うち ,第. 1の 聞 き覚 え るが最 も盛ん に行 なわれて ,第 2の 聞 き分 け るが少 な く,第. 3. の 聞 きあて るに至 って は ,ほ とん どみ られな い とい って よいで あろ う。 もっ と も現代 の学校教育 において は ,こ の第 3の 聞 き方を用 い ることにはその学 習形態・ 学 習 内容上か らみて 困難な点が多 い こ とで はあ るが ,し か し少 な く と も教 師 の側 において は,こ の第 3の 聞 き方 の態度を身 につ け る必 要が あ る こ とは言 うまで もな いで あ ろ う。 なぜ な らば ,教 師に その態度が あれば ,自 ずか らに学習者 に影 響す る もので あ るか ら。 その点前 に述 べ た よ うに ,親 鸞 は この第 3の 身 に 引 きあてて の 聞 き方を 非常 に重ん じた もので あ った。 この 点 において も ,現 代 の学校教師 は親鸞か ら学 ぶ べ きで はないか と思 う。 なお 親鸞 は第 2の 聞 き分 け るとい う態度を も重ん じて いた こ とは ,彼 の著作 中 に. ,. 「 そのゆえ は」「 ここを もて」 な どの表現 の非 常 に多 い こ とによ って 容 易に 推 察 され うる。 これ は彼の思 考態度 の合理性を示 す もので あ り ,彼 の宗教 に は阿片性 の ひ とか け らもな い と言 われた一理 で もあろ う。 この点 において も 学 ぶ べ き面 が あ るので はなか ろ うか。 また昔か ら説 くは聞 くな りと い う言葉が あ るよ うに ,教 師 も話 しなが ら聞 くとい う態度が必要 なので はなか ろ うか。 自分 はこんな風に考 えてい るが. ,. い かがで しょうか と ,相 手 か ら聞 こ うとす る態 度が あ って よいの で は な い.

(21) 吉 川 正 三. 479. か。普通 に知識 の教育 は説明す ることによ って ,教 え こむ こ とが で き よ う が ,道 徳 や宗教 の教育 は知識 のよ うに教 え込む こ とがで きるか ど うか には間 題 が あろ う。 この こ とはプ ラ トン以来 ,道 徳教育 の根本 問題 と して ,そ の論議 は現代 にまで 続 いて い るもので あ る。 これを親鸞流 に解釈すれば ,道 徳 や宗 教 は 聞 の上 に成 りた つの で はないか と思 う。蓮如が言 って い るよ うに「 ただ 53). 仏法 は聴 間に きわま ることな り」 で あろ うか。道徳や宗教 はただ説 くこ とに よ って はその 目的 は達 し得 ない。教 えよ うと意識 した ときに は ,か え って 教 え られな い とい う面 が あ る。 従 って謙 虚 に共 々に法を聞 き道 を求 め るそ の 間 に ,自 然に教 え るので はな く化 せ られ るとい う こ とが あ るので はなか ろ うか。 次 に弟子を もたぬ姿勢 につ いてで あ るが ,親 鸞 が弟子 一 人 ももたず と言 っ た底 には ,君 達 自身 の道 に 目ざ めてほ しい とい う願 いが秘 め られて い ると思 われ る。従 って この法 によ り汝 の道を行 け とい うよ うな法即 ち真理尊重 の精 神 が 出て い る。親 鸞 のよ うなあ くま で も法 中心 の弟子を もたな い姿勢 は ,現 在 の大学教育な どで は ,特 に取 って も って 範 とす べ きもの が多 い と 思 わ れ る。初等 や 中等 の学校 において は ,師 弟 の 関係 に はあま りむ つ か しい もの は な いで あろ うが ,大 学 院や講座制な どを採用 して い る大学 教育 において は. ,. 師弟 間にお いて 相 当複雑微妙 な問題がでて くる可能性が あ るよ うで あ る。最 近 に全 国を風靡 した 大学紛争 もその原 因に は多角的な もの が認 め られ るが. ,. 大学 は真理探究の 場 と して弟子一人 ももたず ,共 々に真理を求 めて い くとい う精神 が徹底 して いたな らば ,い くぶん 変 った形 で 現われ は しなか ったで あ ろ うか。 これ につ いて 教 え られ考 え さされ るの は ,大 阪大学 の釜洞醇太郎前 学長が言 われ た とい う次 の言葉 で あ る。 「 私 は歎 異抄 に傾 倒 して い るので すが ,中 で も親鸞 は弟子一人 ももたず候 の一 句 に心 打 たれ ま した。爾 来私 は研究室 において ,そ の心で 仕事をす る よ うにな りま した。す ると協 力者 た ちの 研究態度がか わ って きた ので す。 54). 熱意が ちが い ます よ。 」. 53)金 子大栄編『 真宗聖典』「御一代記聞書」法蔵館 昭和35年 1064頁 54)加 藤弁二郎編集『 在家仏教』 昭和48年 10月 号 83頁.

(22) 親鴛の教化的姿勢. 48θ. 事実大阪大学 の釜洞研究室 は民主的 に運 営 され活気 に満 ちて いて ,立 派 な 研 究成果が多 くあ らわれ ,師 弟 間 の きず な も強 く,弟 子を もたな い と は 反 対 55). に ,「 先生 はよいお弟子 さんを も って幸 せ で すね」 と ,多 くの 人か ら言 われ て い るので あ る。 ま た 後姿 の教化的姿勢 で あ るが ,現 代 の教 育 で は後姿 はあま り顧 りみ られ ず ,前 姿 に 中心が あ るので はなか ろ うか。言 いか え ると教 えよ うとす る こ と にのみ注 意が払 われて ,自 ら自分 の道 を求 め ,人 間完成 へ の努力が おろそか に され よ うと して い るので はないか。 た とえば女 の人 は合 せ鏡を 用意 して. ,. 少 しは後姿 に も眼を 向け るが ,ほ とん どは前姿 に注 意が 向 いて い るの と似 て いよ う。 現代 のい わゆ る教育 ママ の 姿 も これ と同様 で あ る。 彼女 らの姿 は全 く前姿 で あ る。子供を 叱 った りさと した りすか した り して ,勉 強 させ よ うと 涙 ぐま しい努力を して も ,ほ とん ど効果がな いの は ,そ の 前姿 よ りは後姿 に 問題が あ るので はないか。 この場合 ,前 姿 とは母親 の 目で あ り口で あ ろ う。 その後姿 とはわが児を思 う真情 で あ り,無 言 の教訓 と実践 で はな いで あ ろ う か。子供 は簡 単 にそれを見分 け るもので あ る。 なぜ かな らば後姿 は自分 に は 見 えないが ,自 分以 外 の人か らはよ く見 え る もので あ るか ら。 これ こそ は親 鸞 のい う往相 の裏 にあ らわれ る還相 の姿 で はあ るまいか。学校教育において も これ と同様 の ことが あて はま ると思 う。現代 の学校教 師 はただ の学働者意 識 で はな く,更 に 自分 の 身を慎 しみ ,自 己の人 間完成 に努力す べ きで はなか ろ うか。 自分が まず真理を求 め ,人 間を完成す るとい う努力が必要な ので は な いか。教育 とい うこと も結局 は自分 のためにす るのであ って ,教 育が徹底 しな いの は人 のためにのみ語 ろ うとす るか らで はなか ろ うか。「 自分 の後姿 で 次 の世代を しつ け よ」 とい う言 葉が あ る。親 鸞 の教化 は この こ とを も示 し て い ると思われ る。 戦後 の 日本 は自由平等 の思想を 中心に して動 き ,特 に現代 は人間す べ て平 等 で あ るとの考 えが強 くあ らわれ て い るよ うで あ る。教 育界 もその例外 で は な く,差 別教育 の 問題 は特 に大 き く取 りあげ られ て い る。 この平等 の思 想 は. 55)釜 洞醇太郎講演記録『 暁に聞 く』 難波別院 昭和49年 77頁.

(23) 吉 川 正 三. 481. ヒュー マニ ズ ムや デ モ クラ シーな どによ って思 想界を にぎわ して い るが ,そ の根本 的解決 はなかなか困難 の感が深 い。 従 って 第 5節 に述 べ た よ うな貴賎 絡素・ 男女老少・ 造 罪多少・ 修行久近 などを え らばす 問わな い (そ れ は教育 基本法第 3条 の精 神 とよ く似 て いるとは前述 した ので あ るが )如 来 の本願 を 信 じる こ とを 中心 とす る親 鸞 の宗教が特 に見直 され る必要が あ るので はない で あろ うか。 また現 にその傾 向が進歩 的な人 々 ,例 えば林 田茂雄 ,野 間宏. ,. 加 藤周 一 等 々の 間 にみ られ る ことで あ り ,ま た歎 異抄 はか くれた ベ ス トセ ラ ー とな ってい るので あ る。しか しここで問題 とな るの は ,こ の絶対平等 の如 来 の本願 の 思想を この世 に実現す るに は ,念 仏 を別 に して は不可能 な こ とで あ るが ,現 代 の知識人 はそれ に は抵抗を感 じ反擁 して ,た だその絶対平等 の考 え方 の みを取 ろ うとす る親 鸞 主義者 にな って しま う こ とで あろ う。 そ こに親 鸞 の宗教 へ の不徹底 さが あ らわれ る。何故 な ら如来 の本願 はただ声を大 に し て ,そ の主義思想を主張す るところに弘 ま る もので はな く,あ くまで も聞法 を 中心 と して ,個 人個人が念仏を 申 し本願 を信 じる行信 によ ってえ られ るも ので あ るか らで あ る。 ま た 第 5節 に述 べ たよ うに「 もろ もろ の衆生 において 平等 な らざ るにあ ら ざれ ど も ,し か るに罪者において ,心 すな はちひ とへ にお もし」 の言葉 は. ,. 現代教 育におけ るいわゆ る忘れ られた子や不良化傾 向の 子 に対す る彼 の教化 的姿勢を あ らわせ る もの と して注 目す べ き もので あ るが ,こ の精神 は現代 教 育 にお いて 非常 に遅れて い る一面で はな いで あろ うか。 戦 後 の民主主義教 育 は子供 こそが教育の 中心であ り ,す べ て は子 供を 中心 に 回転す べ きで あ るとの理 念が強 く叫ばれ た もので あ る。従 って 教 師 も自 ら 子供 た ち の位 置 に ま で 降 りてゆ き ,生 徒 の 中 には入 って ,生 徒を友 とす る考 えを もった もので あ る。児童生徒 も先生 に対 して は戦 前 のよ うに敬 して遠 ざ け るので はな く,友 達 の よ うな言葉遣 いを して接 して い るものが多 い。 しか しそ こに見逃 せ ないの は教 師が生徒 に迎合 した り ,ま た反対 に生 徒が教 師に 対す る尊 敬 の念 の少 な くな った こ とであろ う。親鸞 の共 に歩 む姿勢 に は ,前 述 した よ うに ,「 親 鸞 も この 不審 あ りつ るに ,唯 円房同 じ心 にて あ りけ り」.

(24) 482. 親鴛の教化的姿勢. とい うよ うな ,若 い人 々の 心 に共鳴 し,こ れ に 同感す る若 々 しい 心 情 が あ る。 この場 におけ る親 鸞 と唯 円とは共 に 同 じ悩みを解決 してゆ こ うとの 共通 の 場 において ,共 に学 び ,共 に道を求めよ うとの世界が開かれ て い る。親鸞 自身決 して高 い所 に立 って ,己 れ独 り善 しの態度で はな く,相 手 の立 場 に下 って ,共 に学 ぼ うとの 姿勢が は っき りと出て い る。金子大栄先生 は自分が大 学 の教官生活を は じめた頃において ,自 分 は到 底 その 機 でない こ とを反省 さ れ ,転 職か否か と惧 悩 の末 に 到達 された こ とは「 学生 は学 問 の友だ ちで はな 56). いか」 との声 によって ,自 分 の道が開かれたと述 べてお られる。 およそ大学 とは限 らず ,一 般 に教師としては ,共 に学ぶ という姿勢 ,教 えることは教え られることであるという姿勢が大切ではなかろうか。. 56)金 子大栄著『 教行信証総説』 百華苑 昭和39年 1頁.

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参照

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