• 検索結果がありません。

オーストリアにおける労作教育実践の歴史 : 陶冶学校のカリキュラムに着目して

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "オーストリアにおける労作教育実践の歴史 : 陶冶学校のカリキュラムに着目して"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)オ ー ス トリアにお け る労 作教育実践 の歴 史 一― 陶冶学校 の カ リキュラム に着 目 して一―. 伊. 藤. 実歩子. The History of the Activity― centered]巳 ducation in Austria. ITO Mihoko Abstract:This paper is about the history of the act市. ity―. centered education(Arbeitsschule)in Austria,spe―. cially focusing on the practice of`Bildungsschule',which is the key concept of the educational reforlm after the world war Ⅱ . Therefore the former of this paper is discussing about the history of the activity―. centered. education in 1920's. In the latter part of this paper, I focus on the principle of the cunriculun■ `Bildungsschule',which is the concentration―. of. principle(Gesamtuntericht/Konzentrationsprinzip)and the theory. of evolution(Entwicklungsgedanken/Evolutionsgedanke)were selected.And then l also refer to the way of the practice `Bildungsschule'. That is group― learning.The end of this paper l try to analyze that the differ―. ence between Arbeitsschule in 1920's and Bildungsschule in 1945-60。. 教育改革 の教育方法お よびカ リキ ュ ラム改革 の柱 と し. 1.は. て労作教 育が導入 された。それ は,ド イツを中心 と し. わ に じ せ. た改革教育学 の流 れ を くむ と同時 に,国 家 の 成立 を担 近年 の一 連 の 国際学力調査 (PIsAな ど)に よって. ,. う教育 として,独 自の教育改革 の 道 を歩 む もので あ っ. して い る。 この状 況下 ,学 力向上政 策 の ひ とつ と して. た。 この 点 は 同時代 の 日本 の 文献 な どで も確 認 で き るつ。 また現代 にお い て も,エ ル カ ース (Jurgen oelk_. 取 り組 まれて い るのが ,教 育 ス タ ンダー ド. ers,1947-)が 『改革教 育学』 の 中 で ,ド イ ツの改 革. 日本 と同様 に ドイツ語 圏諸 国 は学力低下 の 問題 に直面. (Bildungs―. standard)と ス タ ン ダ ー ドテ ス ト (Standardtest)の 導. 教育学 の特徴 を「ジ ャー ナ リズム 的 であったが ,実 践. 入 で あ る。 ドイツをは じめ本稿 で検討す るオ ース トリ. 的で はなか った」 とす る一 方 で ,オ ース トリアの学校. アにお い て も,こ れ まで教育 の過程 を重視 して きた こ. 改革 につい ては「 フォル クス シュ ー レ全 体 を変容 させ. の地 域 の教育 は,成 果重視 の教育 へ と大 き くシフ トす. る もので あ った」 とその違 い に注 目 して い る"。. るこ とで ,こ れ まで 自負 して きた教 育 の歴 史 の転換 点. 1920年 代 の オ ース トリア の 学校 改 革 の特 徴 を,同 時代 の ドイツの動 きと比較 して ま とめ るな らば, ドイ. を迎 えて い る. 1)。. この よ うな現代的 な背景 を踏 まえ,本 稿 では,ド イ. ツが 特定 の 地域 あ るい は教育者 に限定 されて い た こ と. ツ語 圏 の小 国 で あ るオ ース トリアの教育 の歴 史 に焦点. に対 し,オ ース トリアは小 国なが らもひ とつ の 国家 と. をあてた い 。 と りわけ,前 世紀 末転換期 か ら勃興 した. しての改革 を実現 させ た ことにあ る。 また,も う一 つ. 新教 育運動 の ひ とつ で あ る労作教 育 の展 開 の歴 史 を. の特徴 と しては,こ の 改革 が社会 階級 を問わず ,貧 し. ,. 戦 間期 と第 二 次世界大戦後 とに分 け,比 較 ,検 討す る. い労働者 階級 の子 どもたちに も平等 にひ らかれて い た. ことを課題 と した い 。. こ とが あげ られ る。 す なわち,国 家 の改革 (政 治 )と. オ ース トリアで は,第 一 次世界大戦 の敗戦 に よ リハ. 改革教 育学 (理 論 )が 学校改革 と して結実 した のが 戦. プス ブル ク家が崩壊 した後 に成立 した第一共和 国 での. 間期 オ ース トリアの改革 の特徴 であ った。そ して この.

(2) 甲南女子大学研究紀要第 47号. 人間科学編 (20H年 3月. ). 特徴 が成立 した要 因 の ひ とつ には,エ ル カース に よつ. 後者 は,ザ イデ ル (Robe■ Seidel,1850-1933)や ザ イ. て 「 実践 的」 と評 され た よ う に ,他 の 地域 とは 異 な. ニ ヒ,エ ス トライ ヒ (Pau1 0esterich,1878-1959),. り,「 教 育実践」 に改革 の重 点 を置 い て い た こ とが 考. ロ ンス キ ー (Pawel Pctrowitsch Blonsk増 ,1884-1941). え られ る。それが 労作教育 に よる教育方法及 びカ リキ ュ ラムの 改革 で あ り,筆 者が これ まで この戦 間期 オ ー. な どの 社 会 主 義 的 労 作 学 校 と生 産 学 校 の 流 れ を指 力 す 。 ふ た つ の 労作学校 運動 の流 れ は,以 下 の よ う に. ス トリアの学校改 革 に注 目 して きた理 由 で もあ る。. 労作概念 の相違 に よって分類す るこ とがで きる。. ブ. 小 林 澄 兄 は ,モ イ マ ン (Eo Mcumann,1862-1915). 2.戦 間 期 オ ー ス. を引用 しなが ら,労 作 を,経 済的 ・生産的労働 と同一. トリ ア の 労 作 教 育 の 特 徴. 視す る もの ,教 育 上 の 手工 的労作 の重 要性 を強調す る 筆者 は これ まで戦 間期 オ ース トリアの労作教育 に関 中 して少 しず つ で は あ るが 研 究 を進 めて きた 。 以下 で. もの ,自 己活動 に よる 自立性 へ の形式概念 とす る もの とい う三 つ に分類 して い る°。経 済 的 ・生 産 的労働 と. はその成 果 に拠 りなが ら,労 作教育 の概 念 ,カ リキ ュ. 同一視 され る労作 は,ノ ールの分類 ではマ ル ク ス主義. ラム,教 育実践 の 点か ら,戦 間期 オ ース トリアの労作. に よる労作 の概念 にあた り,労 作 を労働 につ なが る も. 教育 の特徴 を概 観 してお きた い。. の とみ なす もので あ る。 ノールの分類 に よるペ ス タ ロ ッチか らの流 れ は,小 林 に よれば,ケ ル シェ ンシュ タ イナ ー とガウデ ィ ヒの二つ に分 ける ことがで きる。. (1)労 作教育 の分類 オ ース トリアの労作教育 は,エ ドゥアル ト・ ブル ガ. ノール と小 林 の分類 の差異 は,ノ ールが運動上 の労. ー (Eduard Burger,1872-1938)と い う人物 が 理 論 と. 作学校 の種類 に よって分類 し,小 林 が労作 の概念上 の. 実践両面 にお い て牽引 した。 同時代 の労作教育論 とい. 区分 に よって分類 して い るこ とか ら出て きた ものであ. えば, ドイツの ケル シ ェ ン シュ タイナ ー (Georg Ker―. る。で は,ブ ルガーの労作教育論 は,そ れぞれの分類. schensteiner,1854-1932)や ガウデ イ ヒ (Hugo Gaudig,. の どれ に相 当す るの だろ うか。 まず ,ブ ルガーの労作. 1860-1923)が 有名 であ るが ,ブ ル ガー はその どち ら. 教育論が マル クス主 義 の それで ない ことは明 らかであ. とも異 なる労作教育論 を主張 して い た。. る。次 に,ノ ールの分類 で はペ ス タ ロ ッチか らの流 れ. 表 1「 労 作 教 育 の 分 類 」 は ,ノ ー ル (Herrnann. に,さ らに,小 林 の分類 で は,労 作 を自己活動 に よる. Nohl,1879-1960),小 林 澄 兄 (1886-1971)お よび戦. 自立性 へ の形式概念 とす る もの に,ブ ルガー は相 当す. 間期 オ ース トリアの労作教育 を研 究 した グラー ツ大学. るだろ う。. の ハ ックル (Bemd Hackl,1953-)が それぞれ の 観 点. ブル ガーの労作教育論 の位置 づ け をよ り明確 にす る. か ら労作教育 を分類 した もの を筆者が まとめた もので. ため に,以 上 の分類 に,ハ ックルの分類 を重 ね合 わせ. あ る。. てみ る。. ノール に よれば,ペ ス タ ロ ッチか らの流 れ とマ ル ク. ハ ックルは労作学校 の理論 とモデル を大 き く 6つ に. ス 主 義 の 流 れが ,労 作 学校 のふ た つ の 「源 泉 」 で あ. 分 けて考察 して い る。 ケル シェ ンシュ タイナ ー ,人 格. る。前者 は,ペ ス タロ ッチ ,フ レーベ ル か らケル シェ. 教 育学 (ガ ウデ イ ヒ,シ ャイプナ ー ),手 工 教授 (ザ. ンシュ タイナ ー や ガ ウデ イ ヒ らに い た る流 れ を指 し. イニ ヒ),オ ース トリアの学校 改革 (ブ ル ガー),徹 底. ,. 学校改 革者 同盟 (エ ス トライ ヒ),総 合技術 教 育 (ブ 表 ノー ル. 1. 労作教 育 の 分類 (筆 者作成 小林澄 兄. 手工 的労作. ロ ンス キ ー)で あ る。括弧 内は,ハ ックルが 取 り上 げ. ). た労作 学校論 者 を示 して い る"。 ハ ックルの 分類 は労. ハ ックル. ケル シェ ンシュ タイナ ー 手 工 教授 (ザ イニ ヒ. ). ペ ス タ ロ ッチ か らの流 れ. 自己活動 に よる 自立性 へ の形式概 念. 人格教育学 (ガ ウデ イヒ 0シ ヤイプナ ー) オ ース トリアの学校改革 (ブ ル ガー ). マル クス主義. 経 済的 ・ 生 産的労働 と同一視. 徹 底学校改革者 同盟 (エ ス トライ ヒ) 総合技術教 育 (ブ ロ ンスキー). 作学校 の型 に よる もの で あ り,小 林 に よる労作概念 の 分類 に したが えば,徹 底学校 改革者 同盟や総合技術教 育 は,マ ルクス主 義 に よる労働学校 として合 わせ る こ とがで きる。 また ,手 工 教授 はケルシェ ンシュ タイナ ー と合 わせ る こ とがで きるだろ う。 以上 をまとめ る と,オ ース トリアの学校改革 は,ペ ス タ ロ ッチか らの流 れ を くみ ,職 業陶冶 で はな く自己 活動 を 目的 とす る労作 教育論 を採用 した。 ブル ガーの 労作 の 定義 は ,「 精本 申的 ・ 身体 的活動 」 で あ る。 そ の.

(3) 伊藤実歩子 :オ ース トリアにお け る労作教育実践 の歴 史. 精神的活動 によ り重点 を置いたのがガウデイヒの人格. けて行 われ る。一単元 の 中で 4要 素 に関わる内容が置. 教育学的労作教育論 であるが,ブ ルガーは労作教育 の. かれ ,単 元 間 は子 どもたちの生 活 に よ り身近 な場所 あ. 目的 を「人間陶冶」 に置 い た ところにその違 い があ. るい は小 さな場所 か ら,よ り広 い あ るい は遠 い場所 へ. る。. と同心 円状 に拡 大 して い く。表 2は ,フ オル クス シ ュ. 「人間陶冶」 とい ういわば非常に抽象的な目的を掲 げる労作教育を主張 したブルガーは,た だしその実践. ー レ第 3学 年 の郷土科 の カ リキ ュ ラムで あ る。 ここで. には非 常 に具体 的 な理論 を構築 して い た。それ は彼 が. 多 くが住 む共 同住宅 の住 人 とそ の仕事 ,街 の 通 りと横. ガウデ イ ヒに代 表 され る子 どもの 自己活動 だ けに任 せ. 道 (Gassc),ウ イー ンの ク リスマス と新年 ,リ ン グ通. る労作 教 育 を批判 して い た こ と,ま た ,先 述 の 通 り. り(ウ イー ンの環状 道路 )の 周辺 ,ウ イー ンの鉄道 ………. 国家 の 教 育改 革 の全 国的 な普 及 (そ れ もか な り急 い. とい うように郷土科のカリキュラムは編成されてい. で)が 課題 であった こ とと無 関係 で はない だろ う。 ブ. る. は学年始 ま りの 2単 元 を示 したが ,次 に子 どもたちの. ,. 9)。. ルガ ー は,具 体 的 な労作教育の技術 ・方法 を示 す こと. 上記の ような郷土科 に代表 される労作教育 を実践す. に よって ,改 革 を担 う普通 の教 師が普通 に実 践 で きる. るにあた り,ブ ルガーは教師の能力 について以下のよ. 労作教育 の 方法 を考 えて い た。 ただ し,本 稿 では,紙. うにい う。「労作学校 の教師 は,教 材 をつ か さど り. 幅 の 関係 か らこれ につい ては言及 しない. 教材 にいの ちを吹 き込む ことがで きなけれ ばな らな. ,. 9。. い。 しか し,そ の場合 の教材 の知識 は,そ れだけでは 前提条件 に過 ぎない。 よ り重要な ことは,教 育的な能. (2)労 作教育 の カ リキュラムー郷土科 一 で は具体 的 に労作教育 は どの よ うにカ リキ ュ ラム と. 力 ,つ まり生 きた教材 をつ くる とい うことは,こ れま. して具体 化 され たのか。 1920年 代 の オ ー ス トリアで は,自 己活動 ,合 科教授 ,郷 土化が カ リキ ュ ラ ム を構. でほとんどすでにある知識 を移動 させ るだけであった 授業が,探 求へ と変 わ り,知 識 を消化 し,問 題 を克服. 成す る原理 とす る こ とが , フォル クス シュ ー レの レー. す る授業へ と変 わってい くことである」. アプラ ンに明記 された。 そ の 中 で 中心教科 とされたの. 労作教育 の実践 が,問 題解決型 の授業 を志向 していた. が 「 郷 土 ・生 活 科 (Hcimat・ Lebenskunde)」. こと,そ の授業 を構成で きる教師の力量が大 きな課題. (以 下. D。. ,. 郷土科 )で あ る。. ここか ら ,. であ ったことが分 かる。. 戦 間期 の郷土科 の カ リキ ュ ラム に貢献 した人物が バ. (3)イ ンタビュー記録 に見 る労作教育の実践. ッテ イス タ (Ludwig Battista,1880-1951)で あ る。 彼 に よれ ば ,郷 土 科 は「地理 」「博 物 」「生 活 」「歴 史」. 次に,こ の学校改革 を生徒 として経験 した人物 のイ. の 4要 素 か らなる。 一 単元 は この 4要 素 か らで きるだ. ンタビュー記録 か ら,労 作教育実践 の実態 を見てみた. け まんべ んな く内容が構 成 され ,通 常 ,3-4週 間 をか. いH)。. 表 2 バ ッテイスタの「郷上 の絵」による郷土科 カリキュラム 週. 2週 3週. 6週. 教室 ,学 校 ,生 徒 の 住居 か ら見 える太陽 の位置 の観 察。 この 観察 は次週 も継続 さ れ る。. 地理 的郷土科. 歴 史的郷土科. 博 物 的郷土科. 生活的郷土科. (1)新 しい学級 (2)秋 の花 で教室 を (3)教 室 の平面 図 (4)教 室 か ら見 える. 飾る. (5)秋 の葉が語 る も. 太陽. (6)校 舎 (7)学 校 の周辺 生徒 の住居 の場所 住居 区域 台所 の観 察. ォルクスシュー レ第 3学 年). 郷土科 の教育 内容 の 4要 素. 授 業過程 観 察課題. 0 居 “. 5週. Ⅱ  我 が家 に て. 4週. I  再び学校 で. 1,旦. 新学期. 単元. (フ. ((6)の 内容 に 学 校 に出入 りす る人 々 に つい て も含 まれ る). ((6)の 内 容 に は歴 の 史 も含 む。校 舎 の歴 史). わた した ちの住 窓辺 の花 家 につい て. 薄暗 い 地下室 お母 さんの なベ. (3)家 に必要 な さま ざまな もの。故 人 を しのぶ. (7)家 の 歴 史 ― 家 紋 ,家 に伝 わ る話 J“ α ι (Battista,G貌 ル″ルカ ぁS.62-63.を もとに筆者が加 筆修 正 。).

(4) 甲南女子大学研 究紀要 第 47号. 人間科学編. (20H年 3月. ). 1930年 10月 に,新 しい学校 が完 成 した。 この 近代. 教材教具が準備 されて い た ことが わか る。 ヒンケ ルは. 的 な建物 に は フ ォル ク ス シュ ー レ (4学 級 ,男 女 共. 続 くイ ン タ ビューの 中で ,実 験学校 な らで はの想 い 出. (H学 級 ,女 子 の み )が 入. と して ,世 界各国 か ら参観者 が 多 く訪 れた こ とを回顧. る こ とに な った 。 ナ トル プ通 りに面 して い た こ とか. して い る。その中で ,日 本や韓 国か らの参観者 もあ っ. ら,こ の学校 は「ナ トルプシュー レ」 の愛称 で 親 しま. た こ と,彼 らが授 業 を何時間 も参観 し,そ の 間 にメモ. れ ,学 校改革 の 象徴 と して の役割 を果 たす こ とになっ. を取 った り静か に話 し合 った りして い た こ とを語 って. た。. い る12。. 学 )と ハ ウプ トシ ュー レ. 1924年 生 まれの ラ イム ン ト 0ヒ ンケ ル は ,1930年 ナ トルプシュー レの 開校 と同時 にフ ォル クスシュー レ. 3.第 二次世界大戦後の労作教育. に入学 した。敗戦後 ,教 師 とな り,フ ォル クスシ ュー. 一 「陶冶学校」 と「労作学校」の違 い 一. レの校長 を務 めた人物 で あ る。 彼 は 自分 の学校 時代 を. (1)労 作教育 の継承. 次 の ように振 り返 ってい る。. 第二 次世 界大戦 中,ナ チ ス ・ ドイツに併合 され消滅 クラ スの メンバ ーはほ とん ど変 わるこ とがあ りま せんで した。 さま ざまな社会階層 の子 どもたちが来 てい ま した。裕福 なユ ダヤ人の織物商 人 の息 子 の横 に は,洗 濯女 の息子 がい る とい ったよ うに,失 業者 や失業保 険 を受 け取 る資格 を失 った者 の子 どもたち が大勢 い ま した。 ある い はまた,女 中や料理 人の子 どもたち,車 を所有 す る博士 の子 どもは,保 護施設 か ら通 って くる子 どもの横 に座 って い ま した。 〔 中 略〕子 どもた ちの願 い はよ く考慮 されて い ま した。 貧 しい子 どもも裕福 な子 どもも,お やつの時間 か ら 昼食 の 時間 まで,教 室 はいつ もに ぎや かで した。 今 で も時 々 この ときの級友 と会 うこ とがあ ります が,彼 らの意見 はほ とん どが学校 へ 行 くの が楽 しか. ったとい うものです。学校では一度 も「退屈」 した ことはありませんで した。授業 はわかりやす く,常 によ く準備がされてお り,生 活 に密着 したものであ ったため,興 味 がわきま した。掲示板があり,壁 に は絵画 がかけられ,模 型やスライ ドや映画, ラジオ の時 間 もあ りま した。 〔 中略〕 当然 の ことなが ら ,. 教師 も生徒 もやる気に満 ちていま した。生徒同士 の 話 し合 い ,生 徒 に よ る計 画 的 な共 同作 業 ,秩 序 あ る 興 味 深 い 授 業 や遠 足 な どが あ りま した。. して い た オース トリアは,敗 戦後 ,第 二 共和 国 と して 国 を再建す るこ とになった。 そ こで取 り組 まれた教育 改革 の キ ー ワ ー ドが 「 陶冶学校 」 (BildungSschule)で あ った。 この 概 念 は,「 労作学校 と共 同体 学校 の 統合 を表現 した もの 」 と定 義 され たい。 陶 冶 学 校 の 目的 も含 め て ,よ り詳細 に い えば次の ようになる。「 陶冶学校 の 概 念 には,学 校届1新 の授業 と訓 育 の傾 向 (労 作学校 と 共 同体学校 を指す :引 用者注 )の 統合がそ の言葉 の 中 に見 出 され る。 そ の言葉 は あ らゆる点 で ,学 校 生活 の 領域 にお けるす べ ての教育 学 的行為 を含 んで い る。 そ の教育 目的は,調 和 の とれた人格 の形成 で あ る。 その 中 で精神形成 ,道 徳的 な物 の考 え方 ,行 動 的 な人格 を ‖ 相対 的 な構造 と して形成す る (傍 点原著 )」 '。. 別の表現 では,「 労作学校 と共同体学校 の確かな存 続 は,陶 冶学校 のための前提 である。『陶冶学校』 と い う包括的な概念 は,労 作学校 と共同体学校 を含んで い る」 (傍 点引用者 )と されるい この「存続」 とい )。. うことばが示す通 り,陶 冶学校 は,戦 間期オース トリ アの労作学校 と共同体学校 を継続的に導入 し,そ れ ら を統 合 した概念 だ とい うこ とを意味 して い る。 そ の こ との ひ とつ の証 明 と して,戦 後 オース トリアの レーア プ ラ ン (Lchrplan:日 本 の 学 習 指 導 要 領 に相 当す る) 耐 は戦 間期 の ものが ほぼその ま まの形 で 継 承 され た 。. この イ ン タ ビュー か らは,ま ず ,オ ース トリアの学. それ は労作教育 に よる戦 間期 の改革が あ る程 度評価 さ. 校改革 が ,先 述 の とお り,す べ ての社会階級 の 子 ども. れた こ とを意味 して い るだろ う。 ただ し,陶 冶学校 を. を対 象 に して い た こ とが わか る。次 に,授 業 の 詳細 な. 主張す る論者 た ちは,こ の新 しい 原理 で もって教育学. 様 子 は描 か れ て い な い もの の ,子 ど もの 活動 を重 視. 的お よび文化 的 な進歩 を示 し,ま た,新 しい 時代 の要. し,生 活 に密着 した授業が行 われて い た ことを読 み取 るこ とがで きる。 また ,改 革 の 成熟期 に新設 された モ. 求 に一般 的 な実現可能性 をで きるだけ証明 しなければ 口)。 な らな い と考 えて い た 戦 後 の 改 革 の 当事 者 た ち. デル校 な らで はの充実 した教育施設 (セ ン トラル ヒー. は ,戦 間期 の 改革 に従事 して い た ものが多 くい たが. テ ィ ングや プール,学 校菜 園な どもあ った)や 豊富 な. 彼 らにお い て も戦 間期 の労作教育 とは異 なる もの を理. ,.

(5) 伊藤実歩子 :オ ース トリアにお ける労作教育実践 の歴 史. た労作教育 に対 して ,陶 冶学校 で は,生 活 に接 近 した. 論 的実践 的 に提示 しよ う と して い たのであ る。. 内容 に加 え,書 物 (学 問 )に 接 近で きる内容 (文 化 的. (2)陶 冶学校 と労作学 校 の違 い. 内容 )も 労作教育 に よって学校 が 保 障す る こ とで ,対. 陶冶学校 の 教 育 方 法 と して は労作 教 育 が 選 択 され. 立す る二つの 内容 を統一す る こ とが 強調 された。. た。 これ につい ては,戦 間期 の学校改革 に関 わ り,ま た 戦 後 の 改 革 に も加 わ っ た シ ュ ネ ル (Hermann. 4.陶 冶 学 校 の カ リ キ ュ ラ ム と 実 践. Schnell,1914-2003)が 次 の よ うに述 べ て い る。 戦 間 期 の 学校 改 革以来 ,古 い 訓練 学校 (Drillschule)や 学 習学校 (Lernschule)の 方 法 に対 して ,労 作 の 原則. ,. (1)陶 冶学校 の カ リキュラム それ で は,中 等教育段 階 の教育 内容 として何 が選択. 共 同体 の原則 が一般 的 にな り,戦 間期 の レー アプラ ン. され るべ きなの だ ろ うか。『陶冶学 校 へ の 道』 (1954. の原則 に対 して も,ま た労作教育お よび労作共 同体 の. 年 )を 著 した ヴ イ タク (Augst Witak)は ,中 等 教 育. や り方 に対 して も,戦 後 ,教 育現場 の受 け入れ に問題. 段 階 を陶冶学校 とす るため に,教 科 内容 の新 しい価値 づ け と選択が何 よ りも重 要 だ と したか。 その ため ,以. はなか った。 つ ま り,戦 間期 の労作教育 の 実践 は,教 育現場 の「意識 の 変革」 を戦後 に もた らして い たので ある蟷 また,シ ュ ネ ル と同様 ,戦 後 に再 度改革 に携. sprinzip)と 進 化 論 (Entwicklungsgedanke/Evolutions―. わ る よ う に な った フル トミ ュ ラ ー (Carl Furtmuller,. gedankc)の 視 点か らカ リキ ュ ラムの編成 を主張 した。. 1880-1951)は ,陶 冶学校 の 方法 と して ,労 作 教育 を. ① 合科教授 の 原理 によるカ リキュラム編成 の事例. )。. 採用 したの は,「 (戦 間期 の一― 引用者注 )方 法 の刷新. 下 の よ う に合 科 教 授 (Gesamtuntericht/Konzentration―. ヴイタクは,10-14歳. (ハ. ウプ トシュー レ)段 階に. は,純 粋 な教育 学 的意義 を超 えて ,す べ ての社 会 階級. は,教 科別 に分けられた授業 の実質的な再編成 と新 し. の子 どもたちが授業 にお い て本 当 に同 じ条 件 の もとに. い方向付 けが必要だ と主張 した。具体的には,初 等教. おかれ る とい う社 会 的 な意義 を持 っていた」か らだ と 述 べ て い る口。. 育段階の合科教授 のように有用で好 ましい各教科 の調 整 と相 関が考慮 されるべ きだ とい う。そ の例 として. で は,陶 冶学校 と労作 学校 の違 い は どこにあ るのだ. 「文化科 (Kulturkundc)」 として実践 されたカ リキ ュ. ろ うか。 レーア プラ ンの継承 に見 られ る よ うに,戦 間. ラムの一部 を次のように示 してい る。. 期 の もの を戦 後 に持 って きた とい う事実 で はその違 い 表. を明確 にで きない 。結論 か らい えば,そ の違 い は,教 育対 象 と教育 内容 ,と りわけその編成原理 にあ る。 まず ,教 育対象 につい てであ る。戦 間期 オ ース トリ アの学校 改革 では,上 述 の イ ン タビュ ー にあ った よ う. 3. 文 化 科 の カ リキ ュ ラ ム23). 生活空 間 ―天体 と しての地球 一居住 一地下資源 一労働 一衣服 ―貨幣 一交通 ―食物 一人間の 身体 ―学校 ―共 同体 の生 活 ― 自由 な生 活 の 保 障 … (続 く). に,労 働者 の子 どもたちに も等 しく教育機会 を与 える ための義務教育 の単線化 (統 一 学校改革 とい う)と 労. このような教科内容 の配列 は,従 来の教科教授 シス. 作教育 に よる教育 内容 と方法 の抜本 的 な改 革 が 目指 さ. テムでは全 くつ なが らないが,一 方でハ ウプ トシュー. れ ,初 等教育段 階で は あ る程 度 の 成功 を収 めた。 陶冶. レ段階の学 ぶ内容 として必要なものであるとヴイタク. 学校 の理 念 で も,こ れは変 わってい ない 。 ただ し,陶. は主張 した。教科教授 をこの ような内容に「集中」 さ. 冶学校 で は,そ の労作教育 を,百 科全書 的 で古 い学習. せ ることは,表 面的にではな く,で きるだけ内的な統. 学校 のや り方 に拘泥 し続 けて い る中等教 育段 階 に も適. 一性 と全体性 を重視 しなければならない。その ような. 用す るべ きだ と強調 した ところに,ま ず戦 間期 とは異. 教科内容 の選択 によって,子 どもには,小 さなものの. なる点が あ る20。. 中に全体 を見る,広 い視野で見通す,そ の見通 しの中. 次 に教 育 内容 に関 しては,労 作教育 での「生 活 に接. で小 さな自己の存在 を客観視す るとい う力が形成 され. 近す る」 とい う郷土化 の 原則 に依拠 しなが ら,陶 冶学. る。つ ま り,「 考 え方の力 (ka■ der Gesinnung)」. 校 にお い ては「表面 的 な 日常 の興味 に終始す るこ とな. 形成 されるとい うのである. く,発 達段 階 に応 じた現代 の精神 的あ るい は社会 的問 劉)よ 題 へ の 関与 を取 り扱 う」 うな教 育 内容 の と らえ な. ②進化論 の原理によるカ リキュラム編成の事例. が. 20。. 次 にヴイタクは,上 述 の よ うな教科 内容 を内的 に. お しを行 わな けれ ばな らない と した。す なわち,活 動. 「集中」 させ るためには,進 化論 (発 生学 )を 普遍 の. 主義 に終始 し,必 要 な知識 を獲 得 で きない と批 判 され. 原理 として教材 の選択 を行 う必要がある とした。 フォ.

(6) 甲南女子大学研 究紀要 第 47号. 人間科学編. (20H年 3月. ). ル クス シ ュー レで は この 原理が既 に取 り入 れ られて い. で きない か らであ る。 そ こで ,教 科 間 の 関係 にお い て. るが ,学 年が 上が るに従 い複雑 な事 象 や領域 に も適用. 合科 の 原理 を保持 しつつ ,教 科 内容 の 選 別 の 原理 に. され るべ きだ とヴ イタクは主張 す る。 そ して発 達段. 進化論が採用 された と考 え られ る。. ,. 階 ,発 生過程 ,発 展過程 を子 どもた ちが明確 に認識す るため には ,「 ○○ か ら○○ へ (Vom。 … zum。 _)」. (2)陶 冶学校 の 実践. とい う形 で教科 内容 を編成す るこ とが よい と した。す. で は,陶 冶学校 で は実際 に どの よ うな実践 が行 われ. べ ての事 象 ,す べ ての生物 ,と りわけ人間 の偉業す べ. て い たの だろ うか。 ヴ イタクは,最 も有意義 な授業形. て はその生成過程があ り,そ の こ とに子 どもは強 い興 味 を持 つ か らであ る。 なお ,学 年 ご とに,教 科 ご とに. 態 と して 「 グ ル ー プ学 習 (Gruppenarbeit)」 を あ げ たり これは陶冶学校 を構 成す る共 同体学校 の機 能 に. この ような発達 (発 展 )の 系列 に従 った内容 を編成す. 相 当す る。 ヴ イタクに よれば,こ れ まで グル ー プ学習. )。. は,「 表面 的 に理解 され た り,無 目的 に使用 され て き. 2,。. るこ とがで きる. た」 が ,陶 冶学校 で は ,「 学級 の グル ー プ別知 的共 同 表 4 進化論 に基 づい たテ ーマ 例. 作業」 を最 良 の形 と し,次 の よ うに述 べ て い る。 グル ー プ学習 の 中 での生徒 ら しさとい うの は,授 業. 卵 か ら蝶 へ /穀 物 か らパ ンヘ /鉱 石 か ら鎌 へ /水 車 か らター ビンヘ /丸 木舟か ら大航海 へ /風 よけ か ら超高層 ビルヘ /漁 村 か ら大都 会 へ /パ ピルス か ら印刷 された本 へ /仇 討 ちか ら陪審裁判所 へ / 民族 の敵対 関係 か ら民族共 同体 へ /権 力 国家 か ら 社 会 国家 へ … (続 く). で出 された学級共通 の 課題 に従事す る中で ,実 例 を探 求す る,あ る事 実 を調査す る,小 さな作 品 を制作 す る とい う活動 にお い て 表現 され る (表. 5,二 つ の段 階 の. また この よ うな活動 は,新 しい ことに取 り組 んだ. 1)。. り,学 習 した こ と を使 っ た りす る こ とに も役 立 つ. し,意 義 づ け,選 択す るの は,真 の 陶冶学校 とい うも. ,二 つ の 導 入可 能性 の a)と b))。 グル ー プ学 習 のや り方 として は,第 一 に,す べ ての グル ー プが 同 じ 作業課題 を発表す る,同 じ問題 を克服す る (同 ,二 つ のや り方 の a)),第 二 に,各 グル ー プが 学級 の 共通 の 問題 の 部分別 のテー マ に取 り組 む (同 ,b))方 法 が あ る。 この グル ー プ学習 で重 要 な の は ,3つ の グル ー プ に分かれての活動 を,常 に必ず作業 の 成果 を学級 で報. のが ,若 者 や次 の世代 を内面的 な矛盾 ,自 己喪失 ,不. 告す る こ とにつ なげる ことで あ る。そ してそ の成果 は. 安 ,悲 観 的 な見解 を持 った り目的 を喪失 した りす る危. 毎 回 ,学 級 の 対話 の 中 で批 判 的 に再検 討 され る (同. 険か ら守 るためなの だ とい う 。. 二つの段 階 の 2)30。 グル ー プ学習 が ,単 なる学習形態. この 進化論 の 原則 に基 づ け ば ,合 科教授 の 原理 は. ,. 即物 的 ,心 理学 的 ,あ るい は倫理 学 的 に働 くので はな く,生 物学 ,人 類学 ,文 化 史,精 神科学 な ど人間の生 活 に関わる知識 を,自 然 と生 命 の統 一 的 な全体 の 中 に 20。. 人間 を位 置付 け る よ う に配 置す る よ うに作 用 す る. ヴ ィ タクは ,こ の よ う に教 育 内容 を価 値 づ け ,精 査. 2刀. 戦 間期 の 改革で は,そ の対象 が フ ォル クスシュー レ に限定 された こと もあ って ,郷 土化 の 原則が教科 内容 の編 成原理 の ひ とつ であ った。郷土科 とい うカ リキ ユ ラムの 中心教科が ,村 か ら都市 へ と広が る よ うに同心 円拡大方式 で内容が編成 された。 しか し,中 等教育段 階 に必要 な知識 は郷土化 の 原則 で は不 十分 であ る。 つ ま り,ヴ イタクは教科教育 の解体 を考 えて い たわけで はない 。実際 ,戦 後 の ハ ウプ トシ ュー レの カ リキ ュラ ムで は,中 心教科 は設定 されず ,一 般 的 な教科が配 当 ¨ 時 間 と と もに提 示 され て い るの み で あ る 。 す な わ. (同. ,. の ひ とつ ではな く,一 斉学習 とのセ ッ トで位 置付 け ら れて い る ことが 特徴 的 で あ る。 表 5 学級のグループ別知的共同作業 としてのグループ学習 原則 的 に常 に授業過程 の二 つ の段 階 1.探 究 ,調 査 ,制 作活動 (3つ の グル ー プにわかれて) 2.報 告 ,検 査 ,討 論活動 (学 級全員 で) :. 二つの や り左. 二つの導 入可 能性. a)競 争 的 に (作 業 は同 じ)a)作 業 の際 b)使 用 の 際 b)作 業 ご とに. ち,ヴ イタクは,初 等教育段 階 の郷土科 の よ うに,カ リキ ュ ラムの 中心教科 を中等教育段 階 で設 定す る こ と. それゆえ もちろん,陶 冶学校 の実践 にお い て グル ー. を想定 して い たので はな く,郷 土科 が他 の教科 と関連. プ学習 だけが行 われて い たわけで はない 。 グル ー プ学. し合 って い た よ うに,中 等教育 の各教科 の相 関 を教科. 習 を陶冶学校 の最 良 の方法 と しなが らも,自 習 (Stillar_. 内容 の選択 か ら考 えるべ きだ と した。事 象 が複雑 ,抽. beit),発 表 (Schulergesprach,unterichtsgesprach),討. 象化 し,生 活 の延長 だけで はその仕組 みや原理 を説明. 論 (Diskussion)な どの方法 も重 視 され て い た。 しか.

(7) 伊藤実歩子 :オ ース トリアにおける労作教育実践 の歴 史. しこれ らの作業は,グ ルー プ学習 を構成するための要. 23. 連 し,実 践 されて い たのであ る。. 素的な位置づ けであ った (グ ループ学習 の前後 いずれ に も置かれる可能性がある)。 なお,こ こで検討 した. 5。. お わ りに. ものに限 らず,グ ループ学習その ものについては,ヴ 本稿 で は ,1920年 代 の オ ー ス トリア の 学校 改 革 を. ィタク以外の論者 も中等教育段階の教育方法 として主 張 してい ることか ら,教 育現場へ の普及 もある程度あ った もの と思われる引. 基本 に,そ こで展 開 された労作教 育 の 実践 が ,戦 後 の. 学習 の方法にグルー プを導入す るとい うこと,ま た. 自の教育実践 につ なが っていつたか とい うことに焦点. )。. ここで提示 されたその具体的な方法に目新 しいことが あま りない とい うことは否 めない。 しか し,戦 間期 の 共同体教育 (学 校 )が 労作学校 の延長線上 としての も. 改革 において どの ように継承 され,陶 冶学校 として独 をあてて考察 した。 戦間期 の労作学校 と比較す ると,ま ず,そ の教育対 象 が中等教育段階に及んだ ことを確認 した。それは. ,. ,陶 冶学校 においては. 労働者 の子 どもたちに教育 を保障 した戦間期 の労作教. グループ学習 をその最良の方法 として 明確 に位置付. 育がある程度評価 されていたことを意味 してお り,中. け,そ の詳細 まで言及 した ことに大 きな違 いがある。. 等教育 にそれを拡大することで,労 作教育 を社会階層 や学校種 を問わない普遍 の教育方法 としたのである。. のであ ったことに比較す ると. 3つ. さらに言 えば,戦 間期 の共同体 の取 り組み は,そ の理 論的実践的支柱 であ ったブルガーに依拠 していたため に,彼 の労作 の定義である「精神的 ・身体的活動」で. それは,ま た単 にカリキュラムや教育方法 の改革 とい. ある労作 (作 業)を グルー プで行 うとい うことに強調. 及 によって,戦 前 か ら問題視 され (現 在 で も教育格差. 点が置かれていたが,陶 冶学校 での共同体 は,「 知的. の問題 としてある)分 岐型 の教育制度 に代わ り単線型. 作業」に重点を移 してい ると思われる。それは,先 述. の教育制度 (統 一学校 )の 改革 を視野に入れた もので ある ことは言 うまで もない。 フル トミュラーのことば. したように,一 斉学習 とのセ ッ トとしてのグループ学. う意味 だけでな く,学 校段階 を問わない労作教育 の普. 的な概念 を教科 ごとに学習す る中等教育段階を対象 に. を借 りれ ば,「 陶冶学校 の概念 の主要 な意義は,グ ル ープに応 じた「教育」 の課題 ではな く,す べ ての学校. していたため,作 業その ものだけでな く,そ れを批判. 種お よび学校段階 に共通に統一 的な教育 に基 づいた理. 的に考察する,学 級全体 で対話する ことが必要 だとみ. 念 の課題」 であつたか らである. 習 の位置づ けにも表れてい る。陶冶学校 が,よ り抽象. 30。. なされた。そ して この ような方法が,カ リキュラムの. 次に,陶 冶学校 のカリキユラムでは,郷 土化 に代わ. 編成 と相互関連す る ことで ,陶 冶学校 の 目的であ る. り進化論がその編成原理 に採用 され,ま たその方法 と. 「精神形成,道 徳的な物 の考 え方,行 動的な人格 を相対. してはグルー プ学習が最良の方法 として提示 された。. 的な構造 として形成する」 ことにつ ながるのである。. 教科 を超 えた内容 を合科の原則で編成 し,そ れを進化. 上述の教科内容 の編成原理 と合 わせ ,グ ルー プ学習. 論 によつて配列する ことで,統 一 的で科学的な内容 を. の導入 は,中 等教育 の教師 にもある程度イ ンパ ク トの. 中等教育段階の子 どもたちが獲得で きる ように したの. ある教育方法 の転換 であ った。伊1え ば,あ る歴史の教. である。. 師は,陶 冶学校 の理念 に基づいた授業改革に取 り組 ん. もちろん,現 代 では,ヴ イタクのような進化論ある. だことを報告す る論文 の 中で,「 歴 史の授業 における. い は文明史観 に対 しては多 くの疑問や批判が提出され. 教科 内容 の選択 は,『 なぜ (そ の 内容 を選 択 す るの. てお り,全 面的に了承 で きる ものではない。ただ し. か)?』 『何 のために. とい う問い に常に関連 してい る。 これは もちろん歴史. 労作学校 と共同体学校 の統合概念 である陶冶学校 の実 践 にお い て (少 な くともカ リキ ュ ラムの編成 にお い. の授業 だけが抱 える問題ではな く,ど の教科 の教師 も. て)こ のような原則が提 出された とい うことは,自 己. 抱える問題である。それゆえ,内 容 の選択 の際 だけで. 活動 ,合 科教授 ,郷 土化 の原則 に基づいていた戦間期 以降の労作教育論 の展開 として注 目すべ きところであ. (そ の内容 を選択するのか)?』. な く,そ の方法の選択 ,と りわけ教師 として,教 育者. ,. として何 をするか とい う選択 で もある (括 弧内 は引用 者 Jと 科内容 の選択 は教育方法 の選択 の問題 で. ろ う。 また,中 等教育段階の子 どもたちが抱 える問題. もある ことを認識 してい る。. する とい う論 は,学 校 と社会 を接続するカリキユ ラム. )」. ,教. 「労作学校 と共同体学校 の統合」 とされた陶冶学校 で,教 育内容 の選択 と教育方法 の改革 はこのように関. を,「 考 え方の力」 の育成 としてカリキユ ラム に内包 の問題,あ るい はそれを包括する現代 の若者論 と重ね 合わせて も非常 に興味深 い ものである。.

(8) 甲南女子大学研究紀要第 47号. 冒頭 で述 べ た よ うに,現 在 ,オ ース トリアを含 む ド. 人間科学編 (20H年 3月. ). に 関 す る 一 考 察 ― ル ー トヴ ィ ヒ ・ バ ッテ ィ ス タの 理 論. イツ語 圏 は,PISAに よる学力低 下 問題 へ の 対 策 と し. と実 践 に焦 点 を あ て て 一」. て ,教 育 ス タンダー ドの導入 が試み られて い る。 しか. 究 科 紀 要』 第. しなが ら,本 稿 で検討 した よ うに,オ ース トリアには. もの で あ る。 Ludwig Battista,Gttβ ″ルカ ″. の歴 史か ら ドイッ語 圏 にはテ ス ト文化 ,言 い か えれば. Grり 3S″ グち. 教育方法か ら見れ ば,現 在急速 にすすめ られて い る教 育 ス タ ンダー ドの「〇年生 まで に∼ がで きる」 とい う リス ト型到達 目標 は現状 と相容 れ ない ものの よ うに思 われ る。 しか しなが ら,PIsAに 代表 され る 国際学 力 調査 は,各 国 の教育政策 に大 きな影響 を持 ち,そ の存 在 を無視 して改革 を進 めて い くこ とは もはやで きない 状 況 にあ る。 また仮 にその 影響 を最小 限 に見積 もって も,教 育 とい う営 みか ら評 価 とい う視 点 を切 り離す こ とはで きない 。今後 は,オ ース トリア労作教育 の伝統 にお い て ,評 価 は どの よ うに取 り扱 われて きた の か. 京 都 大 学 大 学 院教 育 学研. と。 なお ,本 稿 で 参 照 した バ ッテ ィス タの 著 作 は 次 の. 労作教育 の 実践 にお い て歴 史的蓄積が あ る。加 えてそ 評価 の 文化 が 存在 しない 。労作教育 の カ リキ ュ ラムや. (『. 50号 ,2004年 ,pp.186-199)を 参 照 の こ. `jSι. α′ 。Ejれ. `j“. rル rグ. g―. "セ. ιだ′ ι ′ル. j“ α jθ ′ ん しれグ′. bθ sθ ん グ. rR夕 εお 力′αげ グj`1々 滋αι ′ れJss`. `れ. ιrrJε 力′jれ グιr υれ′. `れ. j′. jθ. `″. “. Wi`れ s, Schulbuchervcrlag Wien, 1918.. 10)Eduard Burger,Attθ ックグαgθ gjた. G`ε 力jθ ん′ ι一κrj′ jた 一W`g―. j′. ″ιjS夕 κg,Wilhelnn EngelⅡlann,1914,S.556。. 11)Eva Tcsar(Hrsg。 ),〃 クκグ. `α. グ. ′ α′ ′ ′ αg, `4 Sc力 “ S.231-232.. IBё. ィ グj`Bα れたErjκ んιr"ん gι καん. hlau Verlag Wien Kё ln Weilnar, 1992,. 12)Ebenda,S.232-233 13)Hermann schnell,3j′ グ′4g」 ソοιjた. グ θθ れR9,“ bι jた `rz″. jれ. j′. J′. Europaverlag Wien Ziirich, 1993,S.101.. 14)Augst Whak,Dι r ttg z“ r. gsscん J`, Oster_ BJι ご れ “ “ reichischer Bundesverlag ir Unterricht, Wissenschaft und. Kunst, 1954,S。 7-8.. 15)Ebenda,S。 7. ,. また今後 どの よ うに扱 われ るべ きなのか 考察 して い き た い。. 16)詳 細 は ,拙 稿 「 戦 後 オ ー ス トリア の 教 育 実 践 に 関 す る一 考 察 -1920年 代 の 労 作 教 育 の 『伝 統 』―」『 甲南 女 人 間科 学 編 』 第. 子大学 研 究紀 要. 46号 ,2010年 を参 照. の こ と。. 17)Ebenda,S.8.. )王. 1)拙 稿 「 オー ス トリアの場 合 一PISA以 後 の学 力 向 上 政 策 一」松 下佳 代編著 『(新 しい 能力 )は 教 育 を変 え るか 一学 力 ・ リテ ラ シ ー ・ コ ン ピテ ンシー ー』 ミネル ヴ ア. 18)SchneH,3Jι グ れg,ρ θ′Jた j′. jれ. “. jた ι κ R9“ わ′. グι″Z″. g Bildungsschule, JErzjθ 力 れ “. ιrrjθ たち 1947, S。 れグ 3‐′ “. ‐ j` 20)Hans Fischl, Sc力 ′ιdor“ D`“ θた ′. 第 19号 ,2009年 ,pp.27-36。. 21)carl Furtmuller, Arbeitsschule―. (お よび嶼 太利 )に 於 け る合 科 教 授. 626.. 22)Witak,D`r Wθ g 23)Ebenda,S.38.. jε. “`77g`sc力. 力′. `,. “. rj′ jsc力 θDθ g― た. Juventa Weinheiln und Miinchen,. 1996,. 4)拙 著 『戦 問期 オ ー ス トリアの学 校 改 革 一労 作 教 育 の 理論 と実 践 ―』 東信堂 ,2010年 。 5)ヘ ルマ ン・ ノー ル著 ,平 野 正 久 ,大 久 保 智 ,山 元 雅 弘著訳 『 ドイツの新教 育運動』 明治 図書 ,1987年 ,pp. 130-144。. `jrsscカ. skritik Wicn, 1990,S。. 38. 39.. Jι. “. ,S.32.. 27)Ebenda,S.33-34. 28)L`力 ′ T″ れ`ノ ンrグ j`〃 α″ρなθカノ`れ. И97η ′ ιjれ θrrソ θれ `“ “ /J々 ヽ ′ θr Faグ r“ s, Verlag fur Jugend und Volk,Wien, 1947.. 29)表 記 の 通. j′. り,グ ル ー プ 学 習 の 原 語 に は ,`arbeit'が 含. まれ て い る。 この ドイ ツ語 を こ れ ま で 筆 者 の 研 究 で は ほ とん ど「 労 作 」 と訳 して きた 。 しか しな が ら ,本 稿. (改 版 )』 玉 川 大 学 出版. 音5, 1951年 , pp.236-237。. 7)Bernd Hackl,Djι ハル. 24)Ebenda,S。 25)Ebenda,S。. z′ r Bj′ あ れ gssc力. 26)Ebenda,S.33.. S.255。. 6)小 林 澄 兄 『労 作 教 育 思 想 史. Gemeinschaftsschule―. Bildungsschule,(Manuskript),S.2。. や 田花為 雄 「独 逸教材 統合 史概 説 」『教 育思潮研 究』 第. `. 625-. れグ Osた r″ jθ λ “ “ ノ9ゴ 8-ノ 95θ , Verlag Jungbrunnen, 1950,S.154.. の現状 」『教 育思潮研 究』 第 4巻 第 1輯 ,1940年 ,p.65. 14巻 第 1輯 ,1940年 ,pp.37-38な ど。 3)Jurgen oelkers,Rψ ″ ραグαgθ gjた Ejη. 96.. 19)Carl Furtmuller, Arbeitsschule― Gemeinschaftschule―. 書 房 ,2010年 ,pp.203-227,拙 稿 「 オ ー ス トリアの教 育 ス タ ンダー ド試 行 に関す る一 考察 一PISAに よって変 容 す る教 育実 践 の 実 態 ―」『教 育 目標 ・評 価 学 会紀 要』. 2)上 村福 幸 「独 逸. S。. `j′. の 文 脈 に お い て は 後 述 の とお り,授 業 形 態 の ひ と つ と して グ ル ー プ に よ る 知 的 領 域 の 「 学 習 」 を意 図 す る も. ノι ,Verlag mr Gesellschai―. 93.. 8)具 体 的 に は ,労 作 教 育 の 実 践 的段 階 とい う三 段 階 か らな る教授 学 を提 示 して い た。拙 著 『戦 間期 オ ー ス ト リアの学 校 改 革 ―労 作 教 育 の理 論 と実 践 一』 東 信 堂. ,. 2010年 , pp.86-91。. 9)バ ッテ イス タの郷 土 科 カ リキ ュ ラ ムの 詳細 に関 して は,拙 稿 「 戦 間期 オ ー ス トリアの郷 土 科 カ リキ ュ ラ ム. の で あ るた め ,「 グル ー プ学 習 」 とい う訳 語 をあ て た。. 30)Whak,s.65-67(表 5も. 含 む ).. 31)Anton Simonic,Volksschule und Mittelschule,Albe■ Krassnigg,Anton Simonic(Hrg。 ),Ettjθ 力 れg“ れグ びれ′ ι. r―. rjε. “ たちOsterrcichscher]Bundesverlag,Wien, 1951,S.87.. 32)拙 著 『戦 間 期 オ ー ス. トリ ア の 学 校 改 革 一労 作 教 育 の. 理 論 と実践 一』 東 信 堂 ,pp.106-108。. 33)Anna Janda, Geschichtsunterricht im Dienste der.

(9) 伊藤 実歩子 :オ ース トリアにお け る労作教育実践 の歴 史 Bildungsschule,Albert]陥 rassnigg,Anton Simonic(Hrg。 Erぇ j`ん 況 んg. ),. "れ グ 5‐′ ιrrjε んち C)stereichscher Bundesverlag,. Wien, 1951,S。 191.. *本 稿 は,科 学研究費補助金. 25. 34)Carl Furtmuller,Bildungsgendanke und Schulgestaltung, Jι んグ Ettjι カタκg, Ostereichischer Bundesverlag,Ver― “ “ lag fur Jugend und Volk, 1951,S.14-15.. Sc力. (若 手研究 (B)課 題研究番号 21730652「 ドイツ語圏における学力向上政策 に関す る総合的研 0研 究 した ものである。 究」 )の 助成 を受け調査.

(10)

参照

関連したドキュメント

話教育実践を分析、検証している。このような二つの会話教育実践では、学習者の支援の

 さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

(2)特定死因を除去した場合の平均余命の延び

学校の PC などにソフトのインストールを禁じていることがある そのため絵本を内蔵した iPad

としても極少数である︒そしてこのような区分は困難で相対的かつ不明確な区分となりがちである︒したがってその