タイで働くCLM諸国の外国人労働者に関する調査報
告 ──境域で生きるカンボジア人を事例として─
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著者
鈴木 佑記, 貝吹 一成
雑誌名
アジア文化研究所研究年報
号
50
ページ
339(8)-335(12)
発行年
2016-02-29
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010878/
タイで働く CLM 諸国の外国人労働者に関する調査報告
──境域で生きるカンボジア人を事例として──
鈴 木 佑 記・貝 吹 一 成
Ⅰ はじめに 本稿の目的は,タイにおける CLM(カンボジア,ラオス,ミャンマー)諸国出身労働者(以下, CLM 労働者)の位置づけを明らかにしたうえで,境域(1) で生きるカンボジア人の生活スタイルに ついて,現地調査をもとに報告することである。取り上げるのは,タイのアランヤプラテートとカ ンボジアのポイペトの間にある国境をまたいで生活するカンボジア人である。 タイにおける CLM 労働者の歴史は古い。ターヴィエル(Terwiel)が収集・整理した,外国人 訪問者シューマン(Schuurman)が残したバンコク人口の推計値によると,1828年のバンコクに は41万人が暮らしており,そのうちラオ(ラオス)人が1万6千人,ビルマ(ミャンマー)人が2 千人,カンボジア人が2千5百人いたという[Terwiel 1989]。それから約200年が経った現在, 2015年10月の外国人労働者管理事務所による統計では,タイで働く CLM 労働者は120万人を越え ている[OFWA 2015]。また,ある試算では,2014年にはタイで,ラオス人が約27万人,ミャンマー 人が約170万人,カンボジア人が約80万人働いていたという[堀間・水谷 2015:34]。ただし,こ の数値はタイ政府が把握している労働者数であり,不法に滞在して働く人びとを加えると,300万 人を越えると考えられる。2015年10月時点のタイにおける労働人口総数は約3847万人なので,13人 に一人の割合で CLM 出身者がタイで働いていることになる。 本稿ではまず,タイにおける外国人労働者流入の歴史的変遷をたどる。次に,調査地アランヤプ ラテート・ロンクルア市場で働くカンボジア人について,調査データをもとに提示する。最後に, 日常的に境域を跨いで生活するカンボジア人の未来ついて考えてみたい。 Ⅱ 外国人労働者流入の歴史的変遷 タイの経済発展には,外国人労働者の存在が必要不可欠であった。従来のタイでは,1990年代初 頭まで非熟練外国人労働者の受け入れを認めておらず,むしろタイから他国へと労働力を送り出す 動きが盛んであった。しかし,経済が発展していくにつれて,非熟練分野における労働者不足が深 刻化していった。また,経済界から政府への要請もあり,タイは外国人労働者の受け入れ国へと体 制を転換していった。1992年,まずミャンマー国籍の在タイ労働者に労働許可を与えた。その後, 1996年にはラオス人とカンボジア人にも同様の措置をとった。しかし,この措置は立法化を伴わな い,閣議決定による措置であった。またこの措置では,申請が複雑なため,正式な労働許可を取得 せずに働く不法外国人労働者が多い状況になっていた。 (1)ここでいう境域とは,「国家の最周辺部かつ国境地帯という地理的空間と同時に,国家と社会,優位民族とマイノ リティ,国民と非国籍保有者など,複数の異なるシステム,アクターが日常的に接し,交渉・拮抗しあう社会空 間」を指す[長津 2010:473]。アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ タイで働く CLM 諸国の外国人労働者に関する調査報告──境域で生きるカンボジア人を事例として── そこで,1996年以降,タイ政府は,CLM 労働者に対してより寛容な政策を採用していく。1996年, 1998年に採用された「寛容政策」では,外国人労働者の正確な数を把握して,労働者を組織化し管 理しようと試みた。しかし,1997年に起こったタイの経済危機により,多くのタイ人労働者を解雇・ 失業させるに至った。この際に1996年以降の寛容政策がタイ人労働者にとって悪影響を及ぼして いった。タイにおける経済危機によって,企業はより安価な労働者として CLM 労働者を雇うよう になったのである。特にレストランや屋台,クリーニング屋などのサービス業に多くみられたとい う[Kuwinpant 2005]。 それまでに行った政策は,タイ政府が独自で行っていたため,外国人労働者の登録制度としては 不十分であった。タイ政府は送り出し国である CLM 諸国の各政府との間に非熟練労働者の雇用を 認める何らかの取り決めを交わす必要に迫られた。そこで,タイ政府は CLM に対して労働省を正 式な窓口に指定し,新規の外国人労働者の斡旋や雇用を行うようになる。さらに2002年10月にラオ ス労働省,翌年の2003年5月にカンボジア社会問題省と,そして同年の2003年6月にミャンマー労 働省とタイ労働省雇用局間で MOU,「Memorandum of Understanding on Cooperation in the Employment of Wokers(労働者雇用協力に関する覚書)」に署名した。 この MOU には,①政府間交渉による雇用,②雇用期間終了後の適切な帰国と問題があった場合 の実行性ある共生送還措置,③労働者が享受すべき権利の保証,④雇用主との紛争処理,⑤不法入 国・不法労働の防止について各々手続きが示されている。また,各国の所掌官庁を通した雇用のみ が認められ,タイへの入国から出身国への帰国に至る全過程で,タイとの労働者の出身国政府双方 が国家として責任を負うものである,と明記されている。MOU に則ってタイ国内で就労する場合, 労働者は自国を離れるまでに8つのプロレスを踏み,実際に労働を開始した後も2年が経過した際 に継続して就労を希望する際には再度申請を行う必要がある。労働可能時間は最長4年で,帰国後 3年間はタイ国内での再就労は禁止されている。全24条からなる MOU の骨子は大筋で共通してい るが,カンボジア及びミャンマー政府と結んだ MOU に比して,ラオス政府とのそれは条文や必要 とされる手続きにおいていく分簡潔である。タイ労働省雇用局のホームページには,タイ人雇用主 向けに労働者受け入れまでの手順や必要な書類等が詳しく記載されている。それに加えて,既に不 法入国,不法滞在,不法就労している CLM 労働者の合法化にも着手した。それまでは,労働者の 出身国に関する証明については,口頭を基本にして,自己申告を認めていたが,2003年以降は出身 国政府による国籍証明,渡航文書の提出を義務化した[竹口 2011]。 このように,合法的に CLM 労働者を受け入れる体制を整えてきたタイであるが,正式に合法化 されたのが,外国人就労法を改正した2008 年のことである。改正法の14条,MOU 規 定の6条件は以下の通りである。①タイに 国境を接する国の出身であり且つ当該国の 国籍を有すること,②パスポートまたはそ れに代わる書類を有すること,③特定業種 に特定期間従事すること,④労働許可証を 有すること,⑤政府公定費用を支払うこ と,⑥就労場所・就労期間・業務内容・雇 用主は当局が決定すること。現在,タイに は,合法,半合法,不法の大きく分けて3 つのタイプの CLM 労働者が存在すること になる(図1)。 図1 タイにおける外国人労働者の位置づけ([竹 口 2014]をもとに鈴木作成)
アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ Ⅲ アランヤプラテート・ロンクルア市場で働くカンボジア人 調査は,2015年8月7日と8日の二日間実施した。アランヤプラテートは,バンコクから東方に 約300キロメートル離れた場所に位置している。この地は,ポルポト政権時代(1975∼1979年)には, カンボジアから避難する人びとで溢れかえっていた。その後,カンボジアの政情が落ち着き,イン フラ整備が整い,カンボジアが経済成長するとともに,アランヤプラテートは物流の一大通過地点 として成長してきた。現在では,メコン圏経済回廊の南部経済回廊にも組み込まれている。タイの 経済特区(SEZ)の一つであり,外資系の企業が続々と進出し始めている,今後さらなる経済発展 が見込まれる地域である。 このアランヤプラテートには,ロンク ルア市場という,主に古着を扱う巨大市 場が存在する。約20ヘクタールある広い 敷地を徒歩で移動するのは大変であり, 市 場 を 訪 れ る バ イ ヤ ー は バ イ ク や 貸 出 カート(ゴルフ場で使用される移動手段) で移動している。このロンクルア市場で 働くのはほぼすべてがカンボジア人であ る。 ロンクルア市場とその周辺で働くカン ボ ジ ア 人 の 業 種 は 3 つ に わ け ら れ る。 (1)物資運搬,(2)古着関連(縫製, 加工,アイロンがけ,販売),(3)ビザ 取得関連(写真撮影,発行代行)である。いずれも1月の稼ぎは4∼6000バーツ(約1.2∼1.8万円) である。これら3分野の職種に就いている人たちに共通しているのは,一日の生活スタイルである。 彼らはカンボジア・ポイペト近郊に暮らしており,毎朝イミグレーションを通過してアランヤプラ テートに入り,ロンクルア市場で仕事をして,夕方にアランヤプラテートからポイペトに帰るとい う生活をくり返している。彼らは皆,イミグレーションカードを所持している(写真1)。このカー ドが,14条の MOU 規定であげられている,パスポートに代わる書類にあたる。カードの下部には タイ語で,「このカードは,朝7時から夜8時までの間,ロンクルア市場においてのみ有効である」 と記載されている。毎朝,彼らはイミグレーションオフィスにこのカードを提示し,10バーツを支 払うことで国境を越えることが許されている。今回聞き取り調査を実施できたのは,ビザ取得の発 行を代行するカンボジア人労働者である。字数制限の都合上,聞き取りをした三人のうち,一人の 事例のみを紹介するにとどめたい。 ペン氏(36歳) カンボジア・バタンバン出身。父親はポルポト政権時に避難民としてアメリカに渡り,そこで逝 去した。母親はまだ幼かった子どもたちとともにカンボジアに残り,農業で生計を立てていた。現 在は,ポイペト近郊に小屋を建て,そこに母を連れてきて妻と3人で暮らしている。30歳の妻は, ポイペトにあるカジノのディーラーとして働いており,月に5000バーツ(約15,000円)稼いでいる。 ペン氏の月収も5000バーツなので,一家で10000バーツの収入となる。ペン氏によるとこの額は, 一般のカンボジア人の家庭よりも高い収入であるという。39歳の兄は,アランヤプラテートから約 120キロメートル南下した場所にあるバンレームという,タイ・カンボジア国境地帯で物資(特に 写真1 イミグレーションカード(鈴木撮影)
アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ タイで働く CLM 諸国の外国人労働者に関する調査報告──境域で生きるカンボジア人を事例として── 野菜)の運搬業をして働い ている。 ペ ン 氏 が ア ラ ン ヤ プ ラ テートでビザ代行業につく までの職歴は次の通りであ る。22歳までバタンバンで 母の仕事(農業)を手伝っ ていたが,友人に誘われて バンコクで働くことを決心 した。その際に,借金をし てブローカーに約7万バー ツ(21万円)渡した。そう して,バンコク近郊にある 電線をつくる工場で単純労 働に就いた。会社から宿泊 場所として提供された約4 平米(約2.5畳)の部屋を, 3人のカンボジア人と共有していた。月収は3,500バーツ(約10,500円)であった。給料が少ないの で5か月で辞めて,そこで知り合いになったカンボジア人の友人に誘われ,チャチュンサオ県バン パコン地区(漁港)の倉庫で船の荷下ろしの仕事を2か月間行った。給料は日当制で,一日180バー ツ(約540円)であった。給料は電線工場より高かったが,体力がもたなかった。その後,ポイペ トに暮らすようになり,カンボジア人の友人に誘われて,アランヤプラテートでビザ発行代行業を するようになった。 IV おわりに 本稿では,ペン氏の事例のみの紹介となったが,他にも二人のビザ発行代行業に従事するカンボ ジア人労働者に聞き取り調査を実施した。三人に共通していたことは,アランヤプラテートで働く 理由を「お金が稼げるから」と答えた点にある。彼らが居を構えているのは,カンボジアである。 カンボジアで働くよりもより多くの額を稼ぐことのできるタイで働きながら,生活費のために金銭 を使用するのは,ほぼすべてカンボジアにおいてである。より多い収入を得て,より安い物価の地 で現金を使うという彼らの生活スタイルは,国境を比較的簡単に越えることのできるポイペト近郊 に暮らし,国境のすぐそばにアランヤプラテート・ロンクルア市場という働く場所が存在するから 成立している。彼らの生活スタイルの最大の特徴は,日常生活のなかでポイペト─アランヤプラ テートという境域をまたいで生きている点にある。しかしこの境域は現在,メコン圏経済回廊の通 過点として,また経済特区として企業が進出を続けており,今後さらなる開発が推し進められるこ とが予想される。彼らが起居している場所の地価が上昇し,大資本を持つ企業によってこの境域一 帯が占有される日もそう遠い未来のことではなさそうである。その時,彼らの生活スタイルは大き な変化を迫られるであろう。制約のある条件下で同じ場所で働き続けるのだろうか,あるいは,新 たな境域を見出すのだろうか,今後も彼らの動向に注視していきたい。 図2 ペン氏の家系図(鈴木作成)
アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ 参考文献・Web 堀間洋平・水谷俊博 2015 「タイの CLM 労働者の実態」『ジェトロセンサー』11月号,34-35頁。 Kuwinpant Preecha(田村隆悟訳) 2005 「タイへの国境を越える移動:ビルマ,ラオス,カンボジアからの労働移民に対する政策と その実践」『社会学雑誌』(神戸大学社会学研究会)22:22-35頁。 長津一史 2010 「開発と国境:マレーシア境域における海サマ社会の再編とゆらぎ」長津一史・加藤剛編『開 発の社会史:東南アジアにみるジェンダー・マイノリティ・境域の動態』風響社,473-517頁。 竹口美久 2011 「タイにおける外国人労働者受容の制度的変遷」『南方文化』38,89-108頁。 2014 「タイの外国人労働者(1):誰なのか,どこにいるのか」『タイ国情報』5月号,79-87頁。 Terwiel, B. J.
1989. Through Travellers’ Eyes: An Approach to Early Nineteenth-century Thai History. Bangkok: Editions Duang Kamol.
山田美和
2014 「タイにおける移民労働者受け入れ政策の現状と課題:メコン地域の中心として」山田美和 編『東アジアにおける移民労働者の法制度』アジア経済研究所,141-177頁。
NSC[National Statistical Offi ce, Ministry of Information and Communication Technology]HP http://web.nso.go.th/en/survey/data_survey/191158_summary_October58.pdf( 最 終 閲 覧 日:
2015年11月29日)
OFWA[Offi ce of Foreign Workers Administration]HP