損盆計算書の経営管理的意義
一損益計算書の重要性に関する一考察一可
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一 は し が き 今世紀に入って以来企業の財務諸表は、その形式、内容共に可成りの変化をとげ、従ってこれがその目的、その機・能に おいても著しい発展を呈したことは周知の通りであるが、就中、損益計算書の発展、即ち財務諸表の中に占める損益計算 書の地位、その意義、その重要性については顕著なる動向が見られた処である。 此の発展、此の動向の最も重要なる基盤と成るものは、云うまでもなく会計理論における動的論的見解である。 即ち第一にはドイツにおける会計理論の発展の中に見られる処であって、今世紀の初期に既に動的論的構想想を発芽さ せ、その理論.的展開として第↓尊大戦後の一九一九年に﹁動的貸借対照表論﹂を公刊して、会計学における損益計算的理 論体系を確立したシュマーレンバソバ︵国■ ωoぽ目P9一〇巳ご撃Oげ︶の見解である。山下教授も指摘しておられる如く、﹁会計学にお ける基本的な思考としての損益計算的見解が一貫した理論体系をもって前面に明確に押し出され、⋮⋮かくて損益計算的 理論体系が朋示されて、そこには損益計算中心の動的会計観が見事に結実するに至っている﹂のは、シュマーレンバソバ の理論である。 第二にはアメリカにおける会計理論の展開の中に特記される処であって、シュマーレンバッハの動的理論展開より約二 損益計算書の経営管理的意義 一=損益計算書の経営管理的意義 二二 十年おくれて、漸く一九四〇年に﹁会社会計基準序説﹂を公刊して、会計理論学界にも実務界にも多大の関心をひいたペ イトン︵﹂署■b¶頃即けO昌︶及びリトルトン︵b.Q.目籠2葺︶の見解である。此の見解はその主流においては全くドイツにおける シュマーレンバッハの動的理論と同一思考であり、木村教授も指摘しておられる如く、﹁損益計算中心の構造であること と、原価主義会計であることの二点において、理論の論理的構造や経路は別として、全く動的論と同じである。⋮⋮﹂ア メリカにおけるこの動的論的見解の展開は、ドイツにおける損益計算理論体系に比較すれば必ずしも優位の列に在るとは 言い得ないが、しかし乍ら損益計算の論理的構造を眺むるに、努力と成果の対比としての費用と牧益との対比を損益計算 における基本的思考となし、従って会計学における費用牧益対応の原則を確立して、損益計算中心主義の理論体系を築き 上げているのである。 会計学における以上二つの大きな理論的展開は、必ずしも会計理論分野における問題提起と成るばかりでなく、会計実 務界においても或いは又広く経済社会全般にわたって可成りの注目されるべき問題を惹起せしめる処となった訳である。 此の事実は会計学の学問的、科学的性格の一つを採って考えても明白なる処であるが、更に我女の研究室をして単なる ﹁紙の墓場﹂たらしめないで、此の科学の生きた真実の研究所となすべきことを考えても容易に理解出来る処である。 さて両理論の発展を考察するに当っては、先ずその歴史性とそれが占める時代の経済社会的諸条件に注目しなければな らない。更に動的理論の基本的思考たる損益計算的患考そのものにその考察を向けなければならないが、此処ではこれが 一連の考察は他日を期することとする。ただ我汝が当面の問題としたいのは、損益計算的理論構造の発展につれて、その 基本的思考たる損益計算、損益計算制度と、その終局の目標としての成果の表示たる損益勘定、損益計算書との関連が如 何に成るかと云うことである。即ち会計理論並びに実務において損益計算が以前より重要視されるに至ったことは、本来 の経営計算制度においては財産計算も勿論重要ではあるが、更にそれ以上に損益計算の重要なる意義が認識された結果で
ある。従って企業の財務諸表の中で特に本来の経営計算制度の立瘍からは、貸借対照表よりも損益計算書が重要視される に至ったのである。此処に先ず財務諸表の中に占める損益計算書の地位、その重要性について考察する必要がある。これ と関連して損益計算書それ自体についても、本来の経営計算制度の立揚から今一度吟味すべき毅階に至るであろう。即ち 損要計算書の本質、その基本的要素、その本来の任務、使命について考察されなければならない。 本小稿においてはこれらが諸問題を、主としてアメリカにおいて損益計算書の意義をその巡察の対象とする若干の論文 に見出しつつ、これら問題の整理を試みるものである。 ①国●oQ9ヨ普g訂・銅U冒餌旨一。・げ①里昼農℃扁b島ごおお. ② 山下勝治、会計学に於けるケルナーシューレ、神戸大学会計学研究会編﹁シュマーレンバソバ研究﹂五−六頁。 ︵国民経済雑誌、 神戸大学経済経営学会、第八八巻、第五号、シュマーレンバッハ特集号、一i二頁︶ 山下教授は此処では表題の如く会計学におけるケルン学派を究明し、従ってケルン学派の確立に最も意義ある理論家を二入上げて おられる。即ち言うまでもなく、シュマーレンバリハとワルプである。然も此の動的理論の先駆者であり、このケルン学派の確立者 としての中心は、他ならぬシュマーレンバッハであることを重ねて述べておられる。 ③司・唐雰8b§創b.ρ目算一g。野卜pぎ書。身亀8弓。O。暮。蚕8b。8冒浮言09貯昌鴛歩お合9 ④木村和三郎、シュマーレンバッハ動的論とペイトン、リトルトンの損益計算論、上掲書、﹁シュマーレンバッハ研究﹂こ三−一 一五頁。 ⑤土岐政蔵、シュマーレンバッハ先生の生涯、︵シュマーレンバッハ著、土岐政蔵訳、﹁十一版・動的貸借対照表論﹂附録、二五一頁。 二 会計の発展と損益計算書 ﹁会計学という科学は近代の発展産物である。これはその系統をパチオリにひくけれども、会計の技術︵9嘱汁 O﹄ 働OOO島暉酔ω︶ が実際の経営状態に適応することによって会計学は洗練されて来たのである。﹂マーフィー︵寓﹄●寓霞もξ︶はその会計学 損益計算書の経営管理的意嚢 ご三
損益計算書の経営管理的意義 二四 原典の冒頭において此の様に述べているが、更に.続けて、﹁会社の経営組織が益汝複雑に成るに従って会計学に対するそ の需要と、財務報告の要請とを満たす為に、会計学は方法論的に改善されて、徐汝にその学問的分析と科学的研究が与え られて来たのである﹂と言っている。換言すれば、此の事実はメイ︵O●ρ寓翅︶も指摘している如く、﹁財務会計は近代 的な科学的研究の下にある技術であり、その実務は新しい専門職業に成っている。⋮⋮云うまでもなく財務会計の重要性 とその使命は、その経済社会的関係において見出されなければならない﹂ものである。 財務会計の発展を考察するに際してメイは更に次の様に述べている。﹁今日の経済社会において会計の占める分野の極 めて重要なることは今更言を重ねるまでもないが、会計に関する古血題は、その法律的要因、経済社会的要因、及び政治規 制的要因等から惹起される場合が極めて多い。・⋮:﹂ 従ってメイにおいては、財務会計の重要なる意義としてその報告 的機能並びに報告的目的が意識されている。そして会計は結局、利益の測定をその過程とするものであって、例えば会計 が政府諸団体によって政策の道具として利用される場合には、それが常識的に、正当に、賢明に利用され、その結果調和 が乱されない様に留意すべきであるとする。勿論財務会計の発展において注目す、、へき二点として、貸借対照表から損益計 算書への重要性の移行と、損益計算における損益要素の分析研究︵罎琴げ罎。器訟㊦胃。巨護磐9蓄冴臥蚕①①冨犀①募。。亀一ま。崔。︶ ︵費用牧益対応の原則︶とが指摘されている。しかしその結論として、財務会計の発展は経済社会的に多くの分野からの 協調と親和を要請し、従ってこの発展の可能性とその限界を、財務会計のもつ報告的機能に帰着せしめようとしているも のと思われる。 財務会計のもつ報告的機能には通常経営外部への報告的機能が考えられるけれども、これに対して時には、財務会計の もつ経営内部の報告的機能が意識される必要がある。岩田教授も指摘しておられる如く、 霧8巷江おと器づ。葺編は本 来異質的なものである。前者は通常経営管理上の意義がより強いものであり、後者はこれに対して経営外部報告的意義が
強調されている。従って財務諸表は通常後者においてより一層意義が認められ、財務会計の発展もこの方向において跡付 けられているであろう。しかし乍らお葛註薦の中にも内部用のお葛a薦、 即ち経営管理上の任務を多分に包含する財 務諸表も必要となるであろう。少くともこれは損益計算書においてその意義が見出されなければならない。会計実務にお いては既にこれが附属明細表を設けることによって或る程度までその目的が達成されている場合もある。 通例損益計算書は財務諸表の中において財務会計の立場から、主として報告的機能の観点から分析されるのであるが、 これとは別に損益計算書自体の内容吟味から同一の課題が提起されることがある。即ち報告的任務を主とする財務諸表の 中において、損益計算書がその中心的重要性を占めるに至っていることは前にも見たが、﹁経済活.動の複雑化及び企業の 発展に伴って、これら諸表のもつ機能、形式自体について内在的に多くの問題が生じ、これら諸表自体の発展が老えられ る、、へきことは当然である。⋮⋮﹂かような観点から損益計算書のもつ機能に附加的意義を考慮しつつ、更には損益計算理 論体系における企業利益の概念に再吟味を加えつつ、損益計算書自体に内包されている諸問題の考察に当ったものとし て、第一には、アメリカ会計士協会会計手続委員会の損益計算書小委員会が、当該損益計算書について爾多くの欠陥を認 識し、これが解決或いは改善に向って一つの報告書として研究結果を公表している。そして第二には、同じく会計手続委 員会から公刊されたる幾つかの会計研究公報︵b。8⋮鉱護菊。。・。胃診切‘︸§ロコ・︶の中で、特に損益計算書の吟味に関するもの を抽出し、これが損益計算書の意義においてその考察を試みているベイリー ︵φ.]︶.切9目O図︶の論交に注目しなければなら ない。しかし乍らその前に平絹は先ず、かような問題提起に至るまでの諸条件を若干歴皮的に、会計諸般の事情から概観 したいのである。 ①oΩ。ぎけ豊響㌶臼ひ⊇ωぽ臣8。毒口謬塑巳跨鼠自宗”巴一け巴ξ嵩﹄■冒母君ざやN. ② O.○.寓暫ざト9ぎユ¢掌くΦ喝ド㊤属鼠巴bo8肩口窪碗肋已富触身受99卜08瓢暮騨琴ざb=曇日↑ 損益計算書の経営管理的意義 6轟9℃℃.δN一=り. 二五
損益計算書の経営管理的意義 ご六 国ぎ窪9舘霧8目試口σ舜δ含。自。魁①目胃ρ謎鷲蓉賦。①節目Φ竃鷲再論臨8∵::・として小節を続けていく。 ③岩田巖、最近における決算報告書の傾向、簿記、第六巻、第七号、四i=一頁。 ④大塚俊郎、資金計算体系の発展と損益計算体系、国民経済雑誌、神戸大学経済経営学会、第九〇巻、第四号、二七頁。 大塚助教授においては表題の如く、損益計算体系の吟昧から資金計算体系を展開し、従って主として損益計算書の機能に比較しつ つ資金表の発展が考察されている。我々においては未だ展開的思考に進まず、損益計算書自体に滞って、損益計算書の機能的吟味か らその考察に向っている。即ち本来の経営計算制度の観点から先ず分析したいのである。 ⑤ 冒蓼籠①き冷酷霞b・ρ。㊤。隔窪ΦH琴。営。o。け暮。日8甘 bゆ書。騨。h夢Φ望σ8巨岩雰①。。p芸Φぎ8旨ΦoQぴ讐Φ目Φ暮け。け密○。目邑算8 0鋒bo8目暮ぎ駒℃きoa母①o馬酔ぎb白Φ臨畠昌H塁寓言叶①o馬bo8q二二9。・聖日落﹄o昌巨巴。隔b80こ口$凄ざ oロob言8び霞 お轟9 bb。P8− MO9 ︵以下この小委員会を弓冨の喜8琶巳暮の㊦と略記する。︶ この報告書については寓■国■冒霞9ざ。や。鷲鼻唱ニミ.及び大塚助教授による上掲論文、三〇一三三頁にその紹介がある。 ⑥ Ω8轟①∪●bJ巴δざ﹃冨ぎ。器霧討㎎ω鐸津津。き80㎞け冨コ8目Φω窮鼠9器暮、噌犀①qo霞b舘。陶b。8d結きQ団’蜀昌遷尾蟹 お轟。。曽bサδ 一δe 三 損益計算制度の確立 一九三〇年に﹁会計職務全般にわたって致命的重要なる事項について調査研究をなし、その報告をなすべく﹂アメリカ 会計士協会から特別委員会が任命された。続いて三年後には更に、会計理論、会計原則の発展に関する特別研究委員会が 各種分野の代表者を含めて構成された。周知の様に、此の頃の経済情勢は、大恐慌の後をうけて恐慌期並びに恐慌後の産 業界の合理化高揚時代であり、此の事情は、丁度ドイツにおける第一次大戦後のそれに類似する点が多い。即ち此の時に おいて会計がその機能的に極めて重要視されたのであり、アメリカでは更に附加的要件として、株式会社制度の発展に際 して産業界と一般大衆との間は株式証券を媒介として一層緊密に成り、特に産業界の一般経済社会に及ぼす影響を考慮し て、先ず証券取引法並びに証券取引委員会が設立され、従ってこれらの連結帯の任務或いはその調整はす、、へて会計によっ
てなされた。かような意味からも特にアメリカにおいては会計の一般経済社会的意義が認識されたものと云えるであろ う。此の様な経済諸条件を背景幕として一九三四年には、アメリカ会計士協会は﹁会計五原則﹂によって広く会計と法律 との調整を意とし、株式会社会計の監査問題に触れたのである。 かくして前述の二つの特別委員会は幾多の重要な問題に遭遇しつつ、年代的に一九三六年までその活躍を続け、多くの 業績を残して来た。これとは別に会計理論、学界の面では、一九三五年に研究学会を申事に再発足したアメリカ会計学会 は、内外の情勢からその翌年に﹁会計原則試案﹂を公表し、後の会計原則、会計基準の発展に大いに貢献する処となっ た。又、一九三七年には会計士協会において前述の二つの特別委員会の任務を負って、新しく会計実務並びに会計理論、 学界の両代表者を含めて会計手続委員会が発足した。此の委員会の最初の会議に当りメイ︵Φ●O唱華箋︶は研究機関の進 む、、へき方向を明示して、次の如く述べている。﹁財務会計においては利益の決定、表示が最も重要.な問題であることを前 提におかねばならない。従って本来貸借対照表に関心をもっていた伝統的会計観から離脱して、現下の情勢においては、 牧益力の指標︵帥σq鉱q。ざΦ霞巳獲8嚇。一身︶としての損益勘定に特別の注意が向けられねばならない。﹂ この点にこそ財務 会計の発展、そして会計学の進展による財産計算的思考から損益計算的思老への重大な変革、改善があり、本来の企業会 計の機能も明確にされて来たのである。 続いて一九三八年には、企業利益の決定に関して本質的問題である資本と利益の区分問題を第↓に取り上げ、これを明 確にして先の会計五原則に体系を与えて、会計諸原則を網羅しようと試みた処の﹁S・H・M会計原則﹂が公表された。 此処では特に会計における保守主義が重要視されていた。その後一九四〇年には前にも述べたペイトン及びリトルトンの 動的論的見解が﹁会社会計基準序説﹂として公刊された。此処では主として一九三六年の会計原則試案の解説の意味もあ って、会計基準並びに会計原則の本質的要素である基礎概念を明確にすることに努力が向けられた。本稿の始めにも述べ 損益計算書の経営管理的意義 二七
損益計算書の経営管理的意嚢 二八 た如く、此処にはアメリカにおける動的論的理論の展開が考察され、損益計算中心の理論構造が築き上げられているもの と云わねばならない。当該問題に関してペイトン及びリトルトンの説述せる処を聴いてみよう。 ﹁ある会社の期間純益及びその確実な牧益力水準を知ることが関係者すべてにとって如何に重要であるかは、どんなに 強調しても誇張に過ぎない。それ故に実業家や公共会計士達が近年ますます損益計算書に重点を置くに至ったことーー利 益に関する報告書が貸借対照表に代って関心の的となって来たこと一も驚くには当らない。その上、以前は貸借対照表 が主として信用上の目的の為に財政状況を示すものと考えられていたが、現在の傾向として、此の対照表が期闇利益測定 の手続と不可分のものと目されていることも顕著な事実である。﹂更に、﹁昔の損益計算書は資産の活用から生ずるすべ ての変化を報告した。しかし現在の実務では、損益計算書の形式、内容そしてその機能に改善が附加されて、企業の当期 の牧益力並びに将来の経営指針を明かにし、又強調しようとする努力が重ねられている﹂と。 アメリカ会計学会では続いて一九四一年と四八年にそれぞれ会社財務諸表の基礎をなす﹁会計原則﹂及び﹁会計諸概念 と諸基準﹂を公表して、会計原則の発展に貴重なる貢献を残した。これらは何れも一九三六年の﹁会計原則試案﹂の改訂 の意味もあるが、主として前者では理論的展開が進められ、後者ではより実際的な考察が附加されて、その結果、専ら会 計処理の基本的準則並びに基準の確立に意義が向けられたものと推測出来る。この閤の情勢について特に会計学の研究分 野から会計諸団体による会計学の癸展を考察したヅラソコヴィソチ︵o冨艮窃円■圏9爵。法話︶の論⋮文を眺めてみよう。 彼によれば先ず会計の研究は二つの方向に分れ、一つは過去の会計及び現在の会計を問題にするものと、他は会計が将 来如何に在る、、へきかを問題にする態度である。勿論会計はリトルトンも指摘している様に、﹁時代の必要に応じて時代の 環境の中に芽を発したものであって、その時代の環境に適応して生長し発展をとげて来たものである。﹂従って此の会計の 研究は正しく此の様な意識に基付いて進められねばならない。更に会計は投資家及び経営管理者のための道且ハ︵僧・鶏註8
零亀。庸昌運馨。議了動巨儒コ遇2器碁︶であると認識し、従って財務報告の要請の変化が同時に会計の発展と成って現れることを 述べている。此の様な事情における会計研究に最も重要なる要件として、会計実務の多様性を可及的縮減せしめてその統 一化を計画することであると強調した。これは換言すれば、一連の会計原則、会計基準の研究に相通ずるものである。 彼はアメリカにおける会計研究団体として、会計士協会、原価会計士協会及び会計学会の三つを上げ、そのうち会計士 協会と会計学会の研究方向には何か共通の目標が存することを認めるが、しかしその研究接近方法においては、前者が所 謂帰納的接近方法であるに対して、後者は演繹的接近方法を主としていることを指摘する。従って此の事情から周知の様 に、前者には実務家的精神が、後者には理論家的精神が見られる訳である。叉、原価会計士協.会は、より良き会計慣習の 生きた展開を基本愚考として研究接近したのであると云う。かくしてす、、へての研究成果は、会計に与えられた経済赴.会的 意義において見出されている訳である。 ①b円8蜜訟く①望算§。暮。隔卜箋8葺養写ぎ。邑。のヒ[。二百○。巷。鐸δ開−。︸∪。蓋樋日冨b言。昏碧卜。。。彗中萱駐の8貯葛⇒樋おω9 ② 寓.国.寓鴛℃ずざ。マ。詳℃や↓㎝■ ③臣望暮①暮Φ暮。隔宥8章畝pαq中三鼠号。・樋ξ望巳舘ω、雪暮陶芭9聾魁蜜8弓ρ 此の頃の事情並びに所謂会計原則論争を惹起せる諸問題とその経過については、黒沢教授の﹁近代会計学﹂を参照せられたい。 ④甫.b’団暮露雪幽b.O.臣三一9。量b冒冒貯。含。鉱書け。Q。著。轟言b日豊暮貯σq轟け巨費乙。・、︸卜.卜:6阜9薯色。。iδゴ中島 省吾訳、 ﹁会社会計基準序説﹂一六九一一七〇頁。 ⑤名・卜■℃鉾舅p。口山︸O.且算一g§噛巨皇b.δO.邦訳、一七二一一七四頁。 ﹁昔の損益計算書﹂については、中島助教授の註もある通り、原文では、。蜀へ。ざ。・ωきqσq舘⇔ω冨8ヨ窪け.、と成っている。中島助教 授によれば、これは期問純益の計算と特に区別して、すべての利得と損失とを報告したものを指していると解し得る。従って現代で は、℃唇協詳餌⇔qご霧。・ω富言目①冒酬と云う言葉も既に古く、アメリカの企業会計においては、H⇔8巨Φω鐙け①目㊦暮と云う言葉が全く支配 的に成っている。更に大塚助教授によれば、 ︵上掲論交、四〇頁︶近時においては、○聴運脚夷oQ$言匿Φ愚なる語を使用する会社が 多くなっているのであって、これは単なる用語、術語の問題に終るのでなく、財務報告内容が変化するにつれて企業会計にも、特に 損益計算書の経営管理的意義 二九
損益計算書の経営管理的意義 三〇 損益計算書においてその形式、内容、そしてその機能において積極的な発展、展開が要請されて来た事情が理解出来るのである。 ⑥b。8目註蓄写巨。覧。ωd民①三覧薦○。巷。轟け①コβ導量︸oQけ登霞①暮伊映b.トこお至● b。8量隊養○。β。ε富導q望き塗巳ω d昌側霞ぐぼσqOo巷。轟け①国汀㊤b魚巴幹餌ひ。露g駐”b﹁臣・b.、お心cQ. 乙れらの詳細なる考察については、明確なる説述のある黒沢教授の上掲書を参照せられたい。 ⑦O冨幕。。円.圏暮ぎ乱魯鴇b。8導けば。9国霧。宥。﹃6冨円賃器b。。。盲鍵暮9q舅①お㎝ご題■一一。。. 此の論文は一九五一年三月二三日に弓の図p亜b霧鉱口において開かれた社会科学学会の総会席上で発表されたものの要旨である。ヅ ラッコヴイッチ教授は当時C・P・Aの目①釜。。璽b寒湿昌支部長の要職に在り、春日露塵大学の会計学の教職にも在って、会計理 論、実務の両面に精通せる会計研究者である。 ⑧ b’○.ビ騨二①8軍b舘。三口けぽσq国く。品題。p円。お09おω曾サω①ド 片野一郎訳、 ﹁リトルトン会計発達史﹂四九一頁。 四 経営管H理的見解の展開 以上の様な推移を経て一九四五年に、会計手続委員会の損益計算書小委員会から﹁損益計算書の性格と目的﹂と題する 研究報告書が公表された。これは損益計算書の形式的考察はともかく、その実質的分析に主眼を置き、財務諸表の中で中 心的重要性をもつ損益計算書に再吟味を加えたものである。即ち損益計算書が現代の会計の発展のうちにあって、如何な る意義を有しているか、叉貸借対照表に代うるに損益計算書をより重要視する傾向において、此の損益計算書には如何な る目的、如何なる機能が附与されているかの諸問題を投げかけたことにおいて注目すべきであると思う。 ② 先ずその要点を概観するに、第一に、一定期聞の計算結果よりも数年闇の結果を観察することに重点をおかねばならな い。第二に、表示された純利益金の額よりも、その純利益の額の決定に際して当該期聞の利益から除外されたる項目に注 意すべきである。第三に、表示されたる当該期闇の純利益に対して、如何なる利益概念︵σ。曾霞巴8琴の営。馬二二暮。巳Φ︶を 以て判断することが実際上効果があるかを決定すること。そして第四に、損益計算書において経常の利益勘定から除外さ
れて、臨時的区分叉は剰余金勘定に記載されることのある項目について、かくすべき為の諸条件を明確にすることであ る。 第一の主張は数期間の成果の分析の必要性を説いたもので、必然的に継続企業︵的O目冒σq OObOO居昌︶の前提をおいて成果比 較、経営比較の範疇にまで押し進めんとしたものである。言うまでもなく経済することは比較することであり、経営計算 制度はすべての比較思考から構成されている。シュマーレンバッハも重ねて指摘している様に、﹁経営上の年次成果を測 定するためには絶対的な尺度︵bぴoqO]嵩汁05Q 言即。慶。優︶が願望されるであろう。しかし乍ら実際上はかような数字は極めて稀にし か用いられないし、又作ることも出来ないのである。かかる尺度的数字が欠如する揚合には、同じ種類の経営を相互に比 較し得るならば、経営威果の測定には大きな意義を有するであろう。﹂又、﹁特に経営経過の測定並びに経営過程の管理に は、多くの膚合時問比較︵国の詳く①お︸Φざげ︶が最上の手段と成るであろう。⋮⋮﹂かくしてその絶対的数値よりも相対的数値 による比較思考が、特に経営比較においては重要視される訳である。小委員会の主張は主として投資家に向って強調され ていることであるが、彼らがその損益計算書から会社の経営能率を判断すべき指針を得ようとし、そして会社の回顧的、 未来的牧益力の指標を見出さんとする時、それは最も重要なる要件と成るであろう。 第二の点以下は概括的にみて企業利益の決定並びに表示の問題に帰着する。その主張は、経営実体︵葺陰。濱¢葺ξ︶の 概念を前提にして、費用牧益対応の原則をその基盤にするものと思う。即ち利益の概念が異なる立揚から、叉種汝の目的 から規定されることがある。此の場合にその損益計算書はそれぞれ異質的なものと成り、諸種の目的の為に諸種の利益概 念が設けられることに成る。此処に実際上損益計算書について多くの問題が提起される源泉がある。我汝の立場として は、これら問題に対して本来の損益計算の意義を認識して、経営実体の観点から考察しなければならない。例えば﹁会計 理論における最近の発展﹂と題する中で、.ヘイトンが彼自身以前からの・王張であった経営実体説を取り上げ、会計理論に 損益計算書の経営管理的意義 ==
損益計算書の経営管理的意義 三二 おいてそれが如何に展開されていくかについて説述せる処を聴こう。 彼は先ず、会計は周知の如く経営活動の分野において開花せるものであって、特に企業経営の道具︵け。巳亀被く寡き墓ア 器。。㎝㊦暮①唇勢Φ︶として見られるに至っていることを述べ、極く最近に至って経営会計には顕著なる制度上の味︵葭葺〒 ぎ轟=黒く霞︶が附与されたと云う。即ちこれは会計理論における最近の進展として、財産計算的見解︵企業主体説における所 有主計算︶︵胃。鷲㎞Φ蜜q臣鼻。翠蓋︶という狭い限界から解放されて、損益計算的見解︵企業実体説における経営会計︶ ︵薯誓Φ。。砿 9①暮Φ暮密・零8§試・σq︶という広い分野に進んだことを意味するものである。此の事象は云うまでもなく会計理論におけ る企業実体説の導入であり、その展開である。そして此の概念の理解が他ならぬ経営管理的見解の展開︵q㊦<Φξ器暮亀 聾Φ巨窪撰9巴唱。論叢く冨名︶を促進せしめたものとして彼は例えば、最近の原価会計の分野の発展を促進せしめる一つの 有効な手段と成ったことを述べている。此の論理の展開は必然的に継続企業の前提をも理解することに成るであろう。そ して経営活動を絶えざる活動の流れとして認識し利益測定並びに利益報告にますます考慮が傾けられて来た事実は、正し く企業経営の勢力︵企業実体観の理解︶を表明するものであり、従ってこれは経営管理的見解の展開を意宣するものと考え られるであろう。 ①日冨oQ多8崔巨算。ρ。で■葺;薯■PO﹂iPOc。. ②日冨の喜8日巨蓑①少謹創、ウn8・ウ下国・言三二ざ琶.鼻圃℃・三ト 大塚俊郎、上掲論文、三〇頁。 ③国.の島琶普Φ暮器﹃∪冒餌巨誘ぽbj貯嵩、=卜罵一闇oQ面N.土岐政蔵訳、﹁十一版・動的貸借対照表論﹂三一頁。 ④薯曾高寄8髪切Φ$暮四巳℃目。。・暮註奉∪Φ毒ざb日①昏ωぎb。8毒麟墓門冨。長戸団帥署9。巳O壁含g。望ぎ亀。隔切塁ぎΦω。・臣動昆巳馨− 轟筥。詳 富強ぽ霧ω國Φω魯圏。げGoε巳塾−宕。.悼9旨聖。げお轟9℃や 一一一⑩◎ 嵐¶国.旨霞bロ¥ 琶■色ごbb.nQQfω9 五損益計算書の機能的吟味
損益計算書の重要性に関して、損益計算書自体の実質的吟味が極めて重要に成って来たことは前にも述べたが、その︸ つの例として、比較愚考に基付く比較損益計算書が財務諸表の中で注目される処と成って来た。これは前述の損益計算書 小委員会の報告の第]の点であって、此処に再産する迄もない処である。 その第二の動きとして損益計算書の実質を規定する二つの基礎概念の議論がある。云う迄もなく当期業績主義と包括主 義である。損益計算は当該期間の純成果を出すことを目的とし、企業のある期聞の純成果は当該期閤の費用と牧益から計 算されることは周知の通りであるが、本来の損益計算はあくまで当該期間に帰属する費用と牧益の計算であって、費用牧 益対応の原則を基礎にして当期業績主義によるものでなければならない。しかし損益計算には継続性の原則が作用して、 前期に所属すべき費用と牧益も此の期に計算され、当該期聞に発生あるいは実現した費用、牧益が包括的に損益計算に入 れられることと成る。此の場合には﹁当該期聞の経営活動の損益が正確に示されないことと成り、その期間に固有の経常 反覆的な費用、牧益と、臨時の、期間外の費用、牧益が、同一期間の損益計算に混在することと成る。⋮⋮⋮その結果は ゆ 経営損益判定の材料として甚だ不明瞭と成り、企業の経済性が歪められることと成る。﹂ 従ってこれを是正するために、 ﹁当期の業績にかかる費用、贈爵を可及的正確に計算して、継続性から由来するその期聞外の費用、牧益を別に計算し、 そして継続性を遮断して比較性を守ることが経営経済上必要と成る。﹂かくして﹁期間損益計算が、包括主義の幼稚なる 計算から当期業績主義の計算に進歩せる結果、そこには合理的なる損益計算に一つの期を劃することに成ったものと言え る。⋮⋮⋮﹂ 我が企業会計原則も利益剰余金計算を別個に計算することを規定しているのは、此の趣旨からである。 これらの実質的吟味を前述の会計研究公報を通じて成しとげ、その結果、損益計算書についてその目的あるいはその機 能を明確にし、かくして損益計算書の重要なる意義を強調している立場として、ベイリーの見解がある。 彼は先ず最近の会計学における基本的傾向として損益計算書の意義の重要性を指摘し、これは貸借対照表から損益計算 損益計算書の経営管理的意義 三三
損益計算書の経営管理的意義 三四 書への重要性の移行であり、即ち会社財務事情の表現において、損益計算書の方が貸借対照表より以上に効果があること の認識に他ならないと云う。、そして此の事実は独り企業経済社会において意義が存するのみならず、広く社会機構全般に わたって会計の発展を立証するものであり、従って会計の側から見れば、或る種の圧ヵ活動︵冒筍ξ㊤琶。鷲①。。・霞㊦︶が附加 されたことになる。然も此の無形の強調が年汝増加していることは疑いを入れない処である。此の損益計算書強調の圧力 は一体、損益計算書の基本目的あるいは基本原理に如何なる意義をもって来るであろうか。 ⑦ 例えば此の問題を実証的に取り上げたグレゴリー︵国Oぴの周↑ 目闘。 Φ弓OσqO同ヤ︶も指摘している様に、近年確かに損益計算書が 重要視されて来ているが、実際にそれが理論通りに進んでいないのであって、此処に損益計算書に関して再吟味が要請さ れる訳である。そこでベイリーはまた云う。﹁本来会計は、経営の活動進歩並びにそこから生れる経當成果を説明する任 務があるのは勿論である。しかし会計の唯一の適応性は将来に関する眺望︵け冨。乱彊轟畔。p夢Φ員。。・暮。誘隔。目黒①h暮霞①︶ ⑨ に在る﹂と。 ⑩ かくして彼は亥の如き五つの問題を提起している。 日 損益計算書の経営外部者への有効性。 口 損益計算書の純利益明確表示の責任。 ⇔ 経営能率の指標として、又経営の収益性に関する判断の基礎として、損益計算書の再吟味。 ㈲ 損益計算書と当該年度の経済諸条件との関係。 ㈲ 会計実務の多様性を縮減せしむべき方向。 先ず彼は経営外部者︵ワ例O昌IH昌ω一q①目︶を定義して、ブランキー︵宮巨弩望繕置①︶の二 口早を引用し、﹁経営外部者、即ち財 ⑳ 務諸表を読む入は、聴衆︵塑d﹁魁哺Φ冨OΦ︶であるはずであって、監査入︵きqぎ邑ではない⋮⋮⋮﹂と云う。そして会計報告書 全般が殆んど経営内部者の為に準備されているがために、本来の公開性の原則が充分に意義がないとするっ勿論此の公開
性の原則は、同時に公正表示の原則を意味するものである。次に第二の点については、云う迄もなく当期業績主義に基付 く見解を採り、損益計算書は一定期闇の経営活動の成果を表示するものであって、これこそ経営管理のための報告書でも あり、同時に叉、将来的な投資家への報告でもあると云う。純利益の明確表示については、先ずその利益概念が吟味され ねばならない。即ち利益の測定が早くから問題に上り乍ら、今日も依然として根本的な問題として課されている。これは 財務諸表における損益計算書の重要性が、正に企業利益の問題の意義を示すものであって、リトルトンも指摘している様 に﹁支払能力よりもむしろ企業利益を重要視する近代の傾向は、経営管理者が貸借対照表を通じて報告する要町よりも、 損益計算書を通じて報告をなす場合の方がより秀れていることを暗示する﹂のである。叉此の傾向は同時に、﹁損益計算 書の使命が最終的な純利益の額を示すことではなくて、正に経営活動の流れにおける努力としての費用と、成果としての 牧益の実質的内容を物語ること﹂を意味するのであろう。 第三の点は彼が此の論文において最も強調している処であり、﹁会計が国民経済のうちで現代的意義を有しているの は、正に損益計算書の持つかような任務が可及的充分に達成されて始めて言い得ることである。﹂これこそ損益計算書の 経営管理的任務であり、使命である。従って経営経過の管理統制が損益計算書の目的であり、同時に重要な機能と成る訳 である。これがために彼はその必須条件として、更に第四の点並びに第五の点を指摘している。即ち、損益計算書とその 経済諸条件との関係は、全く経営比較の問題として我汝が既に注目して来た処である。叉会計実務の多様性については、 実務界は勿論のこと、理論研究分野においても前述の如く顕著なる努力が払われて、会計諸基準並びに諸概念の明確化に 進んでいる。これは本小稿の第三節において概観した処である。 要するに彼が云う様に、﹁損益計算書の最大効用を求めんとすれば、二つの条件、即ち一つは体系的な会計基準︵損益計 ⑰ 算体系に基付いたもの︶の確立と、他は︵それによる︶会計実務の統一がなしとげられねぽならない。﹂これは決して二つの 損益計算書の経営管理的意義 三五
損益計算書の経営管理的意義 − 三六 条件ではない。損益計算書が本来の機能を充分に発揮して、従って会計が本来的に企業経営の計算制度たり得るための一 つの重要なる基車田であると云わねばならない。此の時同時に、 一般経済社会における会計の意義も向上され、又、会計自 ⑱ 体の発展も期待され得る訳である。 ①国■りQ島崇巴。星芒F騨﹄.○、ω面需隔.邦訳、四六頁以下。同﹁動的貸借対照表論﹂︵七転訳︶九四頁以下。土岐政蔵著、﹁損 益計算﹂一八七頁以下。 此の問題については既に極めて多くの文献が見られる処である。 ②、③、④,土岐政蔵、上掲書、一九〇i一九一頁。 ⑤ O.O●bご巴冨ざ。サ鼠ρ ベイワーは此の論文において、損益計算書の重要性の意義を考察するに当って以下の様な五つの基本問題を提出し、此の諸問題の 吟味にアメリカ会計士協会が如何なる努力を続けているか、あるいは如何なる貢献があるかを述べんとしているものと思う。彼は詳 細に会計研究公報を取り上げて説述しているが、我々は此処で会計研究公報の一々を眺める紙数は持たない。何れ他日を期すること にする。 ’ ⑥幹∪.bゴ艶㊦ざ筐創こ℃■δ。冒﹄.冒霞冨ざε■§二心二九。。。 ⑦切。び①含即穿縄。崎、切。Q①⇒酔○鶉豆㊦ωぼO。巷。轟け①b箋日舞開8自白ざ幹。爵ぎ冠Φ量弓匿き霞う落幕b。8蓉↑窒。¥宕9①日げ霞 一鴇N噛bb.ωo。m一ω⑩cD. ⑧Φ■∪﹁野蕾ざ。亨葺二b二〇● ⑨≧雲霞卜監Φ窃Φ9℃塞。⇔ひ一∪電話。乞Φ嘉b醜Φ団員㎎聾㊦等。ω。暮薮8砦q角岩Φ巷引け註89聞一罫饗追撃口重Φ降ジ昭ず。軸8巨筥 o南卜。。8目冨塁ざ裳8Φ日ぴΦ圏6ω9bやωωOiω章. 2 ﹁会計そして会計士は本来的に予想屋︵出O目ΦO餌。◎けΦ国︶ではない。⋮⋮経営活動から生ずる將来的結果を予想したり、経営の状態に関 して將来院に推察することは、会計のもつ機能には含まれない。会計は本来経営活動の実際の成果を可及的に正確に記録し、報告す ることにその機能が存する。⋮⋮﹂ 卜邑Φ窃魯はかように云っているか、その結論は別としても、此処にも当該問題の提起される発 芽を感ずる。
⑩9賢bd餌 ①ざ8●簿‘b●ξ ⑪冨﹄■寓自b身、。や鼻こΨ一お■ ⑫阪本安一、公開性の原則、会計学辞典、神戸大学会計学研究室編、二七三頁。 ⑬卜.9匿琶Φざ崇GQ貯ζ9=器9b。8毒菖護門冨。奨”︸︸跨℃6σ9や曽■ ⑭鋭ρ=註露8、謬3も引蓉■ ⑯O。∪・弓d巨曙層。マ。詳二薯二。。i夢 ⑯頃の魯巨巴①暮塞貫鉾穿○・℃ωoα■ωcDiム9邦訳、三〇i三四頁。 経営経過の管理統制機能については.既に我々は主として月次損益計算の問題を中心にして、 ドイツにおける経営管理的思考を若干 老察した。拙稿.月次損益計算の理論的性格について、 ︵シュマーレンバッハの理論を中心に︶.彦根論叢.第二八号。同、純粋経営 成果の抽出把握について、 ︵月次損益計算の経営管理使命から︶、彦根論叢、第三〇号。 ⑰O●u■ヒd巴Φざ8.簿■、琶二憶i蚕 ⑱O.∪.切昌畠し三〇●、娼二⑩’ 六 む す び 以上において意識は、会計の発展が損益計算書の意義に如何なる影響を与えつつあるかを考察するに際しての諸問題を 見て来た。即ち、会計理論における動的論的見解の展開が、必然的に損益計算制度の確立を意味し、そしてこれは、財務 諸表における損益計算書の重要性を高揚するところと成った。特にアメリカにおいては此の傾向が会計実務界に発芽して おり、却ち近代的資本主義経済の極度の発展は先ずその産業界から飛火して、その隆盛、発展の中に会計は意識的に、あ るいは無意識的に導入され、これが株式会社制度の展開を通じて、会計に対する経済社会的意義の蚊頭と成って来たので ある。 損益計算書の経営管理的意義 三七
損益計算書の経営管理的意義 三八 6 これは云う迄もなく、財務諸表に関する問題と研究である。しかし乍ら財務諸表に関してかような飛来的問題の提起に は多くの疑問が内包され、その本質的、実質的問題と研究に喰い込まなければならなかった。此の問の事情は、主として アメリカ会計士協会の一連の研究とその努力を考察する時、容易に理解出来る訳である。そして所謂会計原則論争なる経 過を経て、会計実務と会計理論の調和が結実され、会計諸基準並びに諸概念の示す処となったのである。しかし多くの問 題の中でも特に企業利益に関する分析、研究は、ますますその重要性を増し、此の利益概念、利益測定並びにその表示の 問題は、本来会計全般の注目すべき点ではあるけれども、就中、損益計算、損益計算書を通じて一連の問題を提起する源 泉と成った。即ちそれは他ならぬ損益計算書に関する実質的吟味であり、機能的分析の聞題である。 その基礎理論には、前にも述べた如く、会計における企業実体説の展開があり、これは即ち経営管理的見解の展開でも ある。此処に我汝は会計理論における動的論的見解の展開が、実際には損益計算書を通じて経営管理的見解の展開と成っ たものと信ずる。換言すれば、損益計算書が貸借対照表に代って財務諸表のうちで優位を占めるに至った事実は、それが 本来の機能的意義における重要性であって、本来の経営計算制度におけるその理解に依るものではなかろうか。従ってそ れは単なる財務報告形式における重要性のみならず、損益計算書の経営管理的意義における重要性でなければならない。 これは確かに会計の発展の過程において一つの期を劃するものではあるが、又同時に損益計算書に関する実質的吟味を通 じて、企業経営の計算制度としての会計に、新しい経済社会的意義を理解することに成るであろう。 かくして我汝は損益計算書の意義を通じて当該問題に間する考察に際して、その経済諸条件を理解しつつ、問題の所在 を分析しこれらが問題の整理を試みた訳であるが、回顧的にそれは単なる問題の提起に終ったおそれがある。就中、損益 計算書の実質的吟味において、我汝の基本間題とする経営利益の分析、理解を次の機会にゆずらねばならぬことは、誠に 不備である。これらが補填と研究は他日を期することとする。 ︵一九五六,七.二五︶