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へーゲルの『法哲学』 : その成立の背景(8):「懐疑主義の哲学との関係」(前篇)

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(1)へーゲルの『法哲学』―― その成立の背景(8) : 「懐疑主義の哲学との関係」 (前篇) 下城 一. Eine Untersuchung der Rechtsphilosopie Hegels ―― Über die Hintergründe des Zustandekommen der Rechtsphilosophie Hegels(8): Verhältniss des Skepticismus zur Philosopohie. 横浜国立大学教育人間科学部紀要Ⅲ(社会科学)No.17 別冊. Reprinted from THE SOCIAL SCIENCES Journal of the College of Education and Human Sciences Yokohama National University No.17, FEBRUARY, 2015.

(2) 19. の. ―― の. の. の. 8. との. Eine Untersuchung der Rechtsphilosopie Hegels ―― Über die Hintergründe des Zustandekommen der Rechtsphilosophie Hegels(8): Verhältniss des Skepticismus zur Philosopohie. 1801 リンの ン か の の ェ は、10 には の とシェリングの の 、 の ェ の 、 論 1 論 。 の後 は、 に ェ で と て 、 の 、 れずシェリングと で 、 2 に論 る。 11 には、 1 に の に いて は るか 02 1 、 2 には 2 に、 の との ―― の に いて、 の と 3 の との 論 と る。 の の が の の 論である と る 論 は、後 、 の にあ て 、 ン 1830、 §39 で、 の 論と て が される 、 が されて される の の に 、 の のと て ―― と ては ―― の と て参照が れ とで れる4。 に 論 で され 、 の の と ての る は、 論 1807 で の の の の 論と て され、 の後 グ ン 1817 で、 の の と て と て される 5 、 の 想 の で されて 論 である 。が か 、 の は、 と 論 1831 、 では、 の の と て、 1812 16 では てい の参照 、 論 て の の 論 に えて る の と ての の の の 、 の 論 か 6 に える 。 に ての 観の され ると か 、 の に る の 論の ―― 論 の ―― が れると である。 か 、 論 で 起される の の と ての の の は、 に の ェ に て が Ⅰ、 は の である、 は の GW. 227 に いて、 に されてい とで ある。と れ 、 の 想の は、 論 で される の に て、 の に れる え れ い。 の の と は、 論 1802 2 でに の と の の 想 る。 で え 1801 5 7 に され と される のシェリングの の 論 の が に 1.

(3) . 20. て れて. る であるが、 と て ―― との れてい い. 論 の 論 では に ――. 史に る 想 がシェリング に れ い ン. とる。. 論 の. 論 に. と 想. 論 の の は、 ン か ン の 論 て シ ェ ―― の (1801) の である。 は、 ている。. の に る の 1792 ―― の 論 の. シ ェ が、 ン 、とり ン の 論にとり に て、 ン シ に は、 論 の に て の に さ と て ている . 197. 、 の 、 の. ン てか 、 の. の 。 で. シ シ ェ Gottlob Ernst Schulze,1761-1833 の 論 の は の に れてい 。 の か は、 の に る され で る の ての のに 、 か とい の る KdtP.Ⅰ,21 。 るに、 の えて、 の に、 の の 論 るとい 論 は、 い、 シ ェは 。 シ ェは、 の のと 。 の の に る のと て え れていると の のの は、 が い てい る。とい の 、 の の に る のと て え れている のは、 の で ているが えに、 は の のの 、 の の い に、 いか である KdtP,Ⅰ,51 の、 の の にシ ェは、 の にと て、 の の 問題に 。 が であり、 であり、 の るのは、 と えに、 が れの ると の の 、 て れに て されると の の と に り、あるいは され のに いて ている の に る りに いてである KdtP,Ⅰ,68 。シ ェは、 観 と れに る の 観 の て の と る 、 と と と て の の か る。 と、 れに て さ れ ている との は、 に て である KdtP, Ⅰ,69 。 であれ 、 が 論 の に て の論 の起 、 の の る には、 れ れは て 、 の と との 、 と との れ い GW は、シ ェの問題 起の に照 る 、 か ず と い。 に て、 と の 、 れに て の る とは、 とい で い ibid. と い、 の 題が の える のである と ている。 が、シ ェ が 論 ―― 、シェリング、 ―― に の にと ず、 れ えて、 の 観に る と て起 されている と る があると える である。 2.

(4) 21. は. が. る。. に いて である の と されるのが. に れている は が、 の に て、あり か である ibid. 。. 後に かに る に、 に に は、 で か い と、 が である の の ―― 史 史 と ―― の か ている。. のに ず、 りの れ. の え が 、と る とに て、 観、 いては の 観. ェが 1792 、 の ―― は ェ の て され の基 に いて。 に の に る の て で の と のは、 ン の の と れてい ン Karl Leonhald Reinhoidt,1758-1823 の であ 。 ン は の の れ での の 1970 で、 ン に り、 ―― に いて は、 観に て、 観と 観か され、か に れる Beyträge,Ⅰ.167 ―― れ が の であると る てい 。 て、シ. に. とい は の. は. の は、 の 、 の に て基 づ であり、 に いて、 が. る る。 れる と て基 づ る。 る である FdpW.80 。. ン は ン が れ ては は である KdrV, B75 と 観 、 観は に る であると て Beyträge,Ⅰ.233 れ ン に て 観と て え 。が、 か ン に て えれ 、 観 では は い。 観に ては が される で、 され のと て されるのでは いか である Beyträge,Ⅰ.236 。 か 、 観が の に されて が るか、 の は には い、とい のが の ン である。 れ え は に え れ の の の の と るのである。 は、 の に る。 の ると 、 の と. の 論が される の の であり、基 であ に る と て想 される 観と 観とに る 、 の の基 である Beyträge,Ⅰ.280 。. シ て. ェか れ ン が の に の れ に え と ず の と のは で る。 か 、 り の とるシ ェか れ 、 ン は、 の が る の での の 、 観 観の に づ とい の 、 の に と て の てい いと か え か Aenesidemus,85f. 。 の え い る が えて で 論 に想 の の ―― と は、 る 、 に いて 観と 観に れ、か か される の に ると の のである、 て の に いて、 の の ると の のに いて、あ る に て るに い い の の とである Beyträge,Ⅰ.175f. ―― 、シ ェの の であ 。 シ ェは の の に て の に 3.

(5) . 22. てい 。 ている 、 と されると の さ の が に ている とい の Aenesidemus,348 、 の と の は、 の に の に て て 、シ ェは る。 えてシ ェは ン の が、 の ては に ず、 えに は ではありえ い、と てい Aenesidemus,60 。 ン. の. は、. リ リに である りの の て ン が か 、 と に いて ている の と ての の の のであ 。 れ 、 ン 、観 論論 は の 論 てい 。 ン は 。 え 、 と 、 と の に いて問 と、 る 観 に いて、 観、 の る の、 の 観は て のか 問 と KdrV,A.393 は、 、 る 、 る の 、 と て てい い に いて、 にが かの と ていると い か、さ の に てる Blendwerk KdrV,A.395 、に い て 。とり 観 論は、 のの は、 の か 論 る と がで る である KdrV,A.398 とい とるが、 れ である と ン は の で る。 され い のの に かか ず て ている、 論 観 論の は、 ン に れ 論 論 て ているが、 ン は の 論 観 論と 、 て 論 に と に KdrV,A.368 。 ン は 。 観 論が想 のは、 の は であ て、 は の か 論され のに い、とい とである。 か 、 え れ か され 論 る は に である に、 れは の い で か い。 、 が て に て が、 の に ている と あるか である KdrV,B.276 。 観 論が ている ン は、 の 論 に、 の. か. 論. 論の か 論 観 論と. の の の る が ているとい 、 る、とはいえ KdrV,B.275 。 ン の の. の. の え、 と. ン は の とい で の ―― のは. の. い. に 論の る。. る と に され. 観 論 が 起 が 論 論に い で、 ―― の に か のに 論. る のと 、. るのは、 の. にある。 の ―― い。. が である. は ン の に る. 観 論の 、 の の と て、 り が、 の の 、 Thathandlung ―― に て、 の 論 であ 。 (1794)で は 。. の 起 て は、 か の. れ とい. ての の であ 。 4. 題に が. と れ. が 、 の. に. の いのは、.

(6) 23. に 論 題 シ ェが に 起 では 、 る 題である。 の 題は、 に るのでは 、 に Thathandlung れ い (GA.Ⅰ-2,46)。. では い。 Thatsache るので. に いて 観 観に れる が、 観 観 に る と 、 では い、 と ン に Beyträge,Ⅰ.173 、 ェは 観 観の の て てい Aenesidemus,90 。 での のシ ェ は、 の と 、 シ ェ と て えて 論 と る GA.Ⅰ-2,46 、 ン が の と て いでい の 論 の に、 は、 ン の に る とに て、 論 に る の 、 の の の か に る とで に 、 の の 論 論に る て の 論 論 のである。 の、 シ. 観、 は、 観に て え れるのでは 、 て される。 観、 は に る のである。 と とが るのは、 が れ に れるか に の では、 と は、 る のと される のと て、 い。 観、 されは い る の と とは、いか る か ていて、 て される とは い GA.Ⅰ-2,48 に、 に れ 、 に、 ン 論 観 論 ン の と て、 の か てい のは ―― に シングとの に る の の 、 る とに る 論論 起 Friedrich Heinrich Jacobi,1743-1819 であ 。 に いての は観 論と は ン の 論 観 論 て の に 。. 観に の で い。 に るに 観、 と て. に 論. 論. る に. (1785)で ェ か 1799 ――. 1787 で. 論 が の と、 、 の か と と の のは、 論 観 論 にと ては で か い。 れ の は、 の に ている の、 いは が ているか れ いと の のに いては、 てい いとい のである Hume,216f. に れ 、 ン は の の は、 る であ て、 の の リ と とは、 て の で か い と て が 、 、 の さ る が、 の の で か い の に 観 であり が 、 れに 論 か Etwas が と て て いる と想 ているとされる Hume,234 。 に 観 の が Hume,223. の. 観. と に. てでは 、 るとい. は、 ン ン に 論に てい 。. と て、 が、 の. る。 る. え. 5. の の. の に いての にあるか である. 、. の の. え.

(7) . 24. は. 。. が基づいているのは、 ン が の の では 、 れ る あり 、 れ が に て されるあり であるのは かである。 は るが、 の い は の に かに る とは である。 か ている と る はある。 か 、 の の は とい 、 が に いて ている であ る。 の に は が に て れ のであ て、 の れ の は、 のの と の のの と 想 の か る、とい と か て、 に れ い Hume,47f. えているのは の である、 は る。 に て え れている とに て て 観 論は、 ン の と り いの のと て、 の に いて る Hume,52 、 は の の 、 の に てい のであ 。 の. が. り、 ン が で 論 観 論に る 観 論の 想 の で、 論 は かれ 。 の と える 、 のシ ェ 論 の の 題が、 ン 論 観 論との にあり、 ン に る の え 、か の ―― シェリングに る の り え え が ―― の の 、 の の論 に で て の に て るか、が 論 の の 題とい とに る。 論 に て され の論 は るか の で は、 の に の てい 。 てあの に は の の る にあれ. シ. 論 の ェ. のか がい ず に え のか、 て ン は、 に いて 論 る とがで る とい 、 に 題 い れ か のか GW. ,185. と の. の と. シ. ェ 論 の に され 論 は、 のシ ェの に が ている に える。 か 、 の の はあ で 、 の の の問題 と 観か の のであ 。 論 で、シ ェが 論 論 る に の の に、 史 の 、 の の との の る があると は、 てシ ェ 論 の の 論の に る。 ずシ ェが、 の の と て 、 の であるはずの が、 の で れず、 の に ている の は に いに あ て り の に の え と る いか る い る 、 の とか か りの て、 の とが か れ 。 、 には て いとい と、 に る は てある に ているとい ととが、 の の の に るはずであるとい とである GW. 197f. 、と のに は、後に される 論の 題 の さ が に、シ 6.

(8) 25. ェ. れ での 論 に 影響 て り、の ず の 論 いに えているとい とは、 る は に あては るはずとい と が ている GW. 198 。が、 深 れ 、シ ェが と ている には て い と る 論 の が、 ン が ン の リ リに である りの の の に て に され 、 り の 観 論の に れ のである とは、 に て れる。 て さに は、 論 論 で、 ン の の リ リに である りの の の に が 、 に の 興 の てい のであ 。 の の に る に は の に ていると てい 。 シ ェが、 れ で の か 、 にと て と に い る か でいる に え と の 、 の る とに の り と て 。 か 、 の の る 、とり れが れか る て る と ―― 、 の に いての の の に る ての が て て る と ―― に て、 の は の されて のである GW. 198 と の て ―― の とい には、 リン て には、 か ると があ はず が ―― は、 の は に る では い と に ibid. 、 で 、 に い で 、 ている は、 れは では い、と り てて る ibid. 。 の で は、 の 観 歴 る。 影響. 、 は、 いに論 ている に ―― が と論 ていると には、 論 は であるが ―― に いては ている。 は の のあ る て り、論 あ ていると か は され い GW. 199 が に、 の ン の 観 論の の え、 に シェリングの に が て の と る 、 の 観 観に ている と とさ る が、 の の 7 は 論 の えるに て 、 の 観 観が の の のであるかは、 でのシ ェに る か る とがで る。 論 では に で か とい シ ェに、 か で とが え る であると り が 、 は、 リシ の に る 、 の と ての の 、 れ での と の が のは と の か であり、 の は 、 が に いて される の が り いか、 り いか とい に い とい ibid. 。 シ ェの か かの の か い と が ibid. は、シ ェが 論 の と て か いと 、 か に り かれていると ている との に てい 。 の の の るシ ェの の 論 に る がシ ェの ている であると が GW. 200 は、シ ェが に 論 るに ―― と の て ―― 論 と ている と 、シ ェが の 論 に基づいて に ている とに る。 シ ェは 。. 7.

(9) . 26. 、 は と で. のは、. る. の の. は 観に ての か、 の か、あるいは と の のいずれかである。 れ に る の に れ 、 の の に さ る とはで い 、 の か る い ibid.. が である。 で でに、シ ibid.. の. に. ェ は. 、. リ. に. の. リ. とは. てい. が の 論 の 想 の 観 か のか、 る り が、 の は であると 、 の か される の は の であると る が、後に る に、 リ か に の に り ―― の ず ン で の と で ―― シ ェの との に て は、 ず のシ ェの 問 と 。 は、 の に 、 の は、 ン の 論 22 の い が されている と るの れてい い ibid. 。 か は、シ ェの の に て、シ ェが に 論 の に る。シ ェに れ 論 とは、 が の に ていると の ての の か に いて の である GW. 201 。 ン に ずる 論 の の に る の は、 の りである。 か の の のとい が り の が 、シ ェ は 、 の の に ると の 、 り か に る の、 に に ている の と える。 に いては、 に る り される の の のは え れてい い。 の に いて れるのは の影 であり、 の影 の 後に され で るはずの の が、 に り される であ る と ibid. シ. ェの 論 の が、 ン 論 観 論に であ と れ 、 で て い り、 観 論 に さえている り、 かに れは り ェが 論 の て、 題 の い されるのであり が の に いる 題、 か の 論であり、かの され の か されている と と 、 は、は の れ り で と て 、 る ibid. 。 り、. る問題 の が ン の で か い。シ に て の が が、 の と は、 か れ りと、 である と ン. の には、 が の か のと い の と て て り、 は の の 後に、 の である 、 の えている と て、 り り と ている、と シ ェ は い である。 の、 の シ ェ は、 の の の のと て か い か れ い。 の ン は、 リ にと ては に る。シ ェ に いては、 が リ に 、 ンに え るとい とは てい いが、 に、 とい ンが に に て て、. 8.

(10) 27. ibid.. ているの. であれ か 、 さは、シ に、 れ での との い、 に は る。 の の て、 の. に 想 、 る 後に と か. のと に、 れで シ ェが て に 観 論の ン 論 観 論 る の 観 であ 。. ェに 論 と さ か 。 て れは の に いて され. に ていると想 される の が る。 の の に いての と る の にと いのである ibid.. と る は、 論 の 論 の の に. が り. とに る の の 論と ての の とが、 のと シ ェに て 起されてい 。 論、 れ 、 の は で る のでは い。. の の は、 に、 え ていか い と て されていると にある 。 か 、 の の に え れている のの は、 い る のである 51 。 とい のは、 れが の に ている 、 の のと 、 の いえ いか である。 が て の に とと に え れている の の と 、 の は い であり、 ての は の と れ い。 の が、 に て され、 かにされる ので ある GW. 202 が である. の で. 観 観との ェが、あ る。. シ ェの の で て れる。 さに、 で り、シ の の問題である。 に と とい の と で に る の の. ている とで、 が 論 ェが て、 に る の ン に 、シ い のは に りであ. とが. が. 論 、 され で ているに いと ェ が る ての のに て、 の 、 る にで ている に れていると て るシ 、 の は、 ず、 である。 か 、 あ る の が され で ているに い の とい され あり ているとい とは、 れ とい と 味 ているか である ibid. て. の のである と が の は か と るシ ェに 、 の は、 いえ い のと る の ン の ン リ の て. 論が. の. は、シ 論 り り. はは. の基 り. ェの. Kriterium は ている。. る の る のとは、 9. シ と ェに. ていると る 、 は である。とい のは、 と ては のでは い. の に る。 の 、 論 に て のいい に であり が の に か り 。 は の に 。. 、. ン である 、と れ れ.

(11) . 28. ン. シ ン である、と れ れは る が て には 観 の に る 。とい のは、 とは であり、 か れは シ ェ が の に いての のでは い の い の にあるとい と の か 、 れに いては れ 、 8 の あり いか ある 。 は 、 されえ の のである の に て Zweifel い とい の いるのは、 味が に れて て、 で い 。 は、あ る に い え り ず、 て れ に と 。 て に いて、 の に いて される とと の の と 、 に て か れ い、 は は あり ある と て か れ い、と のである GW. 204f. は の. は. あり ある と れ いとい の が の に え れる。 の えての の 、とい の の 観 観が では りと されているのである。 れ 、 の の である に の のの れ 味 る い Zweifel とい てるのは では い、と が ている とは ― ― 後の 論 に る る の と る 、 に後 に ての の り て ―― されて いて い9。 る のが の のの れ であり が 、 れは の い であ て い の い のであるか 、 れに の えて とが である。 が問題に て のは、 の 後の れ では 、 であり、 の が の である ―― ン ―― れが の のの れ と される は である、と は 。シ ェが に、 が のは、 て の 後にある され であ と るのに 、 は、 が、 は は ある あり、 い い とい と 、は の 後に かれて ある の に か とい のは GW. 205 の 10 の 観に での である 。後の りで は の に てい る。 の 論 とは 味 ているのか。 の とい のが いとい との に 、 論 があるのでは い か GW. 210 。 り て え 、 の りの の は、 の 論 ―― 題の ン の と る、 の 論 ―― に に えている。シ ェの 論 の が、 の 後に れ 想 、 れ 論 る 論 の る のであるのに 、 の の問題 に て て、 れ の と て が の 起 ているか で ある。とはいえ、 の 論は、後論での の ―― 題論 に で、 の 論の り え る ―― い。 は か が、 れに て シ で の に ェ に る が されている。 シ ェ て の. シ て. ェ に れ ているあ. の ェは の に は. 題の. 、. 、. の か。 は い、 想. に、 に. の に る 史 て 論 が にシ の 問題. る。. リシ の る 問の 10. いの. にと て ての であ とい. に とは、.

(12) 29. が えて、. の いの の起 てい か と ている。 れに は、 の には、あ る の 起 、 の にと て の いが されてい か 。 え の に、 の いの てに て るに の 問が、 は の の に か のである 。 ―― の はシ ェの い の 、 れと の との に かに ている GW. 205 れる り、シ ェが の か のと に 味 のと る は、 興 い の かれてい 。 れは さに、 ン の が、 ン が 、 に いて、 論 観 論と て が に 論と て て とと の ン の 基 づ ン の の は 観が る の に の れ てい 。 の に に ―― 論 ―― であ とは に の に て、 は る。 と、 の の かに、 の に る 問と てある、とい のである。 で い に の 、 の と の か され、 て 観 である にと ている GW. 205f. が に である、とい のが の 観に る であ 。 はシ ェの い 論 えて ン が に でいる。. 、 論. の て の に の 基 づ の 、 の ている。 て の は と て、 て、 の の て か のが 。. あ る は、 れ の 、 、 の るが、 の 、 に. の か る の. に、. は、 では の であるが、 に いて ると には 観 の は りえ いの か 、 問 とは の で の であると いえ 。 か 、 は 、 の ている。 れ の 問のあか さ 論と る の いの に て、 の い い と てい であ GW. 206. 論 で の 観. て 、 論 の か. が 論. ので か いとい に る の 論 には る いが、 の に、 の 観 、 ン 論 に る の てが てい とい て では い。 か は の と の に 。 れ て は、シ ェ 論 の に る 、 論 れ の に る 、 れに ての の 観の る り に てい 。 は. か 、 、 る の のと て る か さ い の え は、 の の では である。 の れ 、シ ェ と の が る 論と て か の のの に、 の 味での が い されるのである。 と との の は りさ れ 、 、 があ る の. と か い. 11.

(13) . 30. と に て り、 が て る で 論で いが えに に で ある が るとい と か れ 、 の歴史の の の は て と 。 る えでの 、 論に てでは 、 に ての の の 、 論 では い の 、 り に て の のの ―― れ の の シ ェ が と ている のである GW. 206. 論と. の の. が. の. 論. と 論の. に ていると て は、 史 の に てい 。 いて、 でさえ の と る があ と 、 ―― され のとの は て れ の に の えているの である と は ている GW. 207 ―― は、 るに、 が ている れ の は、 の は に ず えて いるとい と いてい のである とい ibid. 。 て は の に 。 り れ の の は、 の の え い 、 シ れ い のと 、かの 問 の が の と の に れて り、 れ に て ある ibid. に は、. の. され のは て、 て の ェ が では の の ―― に ていると の、 れ の の り に ので. ―― えて 史の 論に いて てい 。. ンの り に は か。 れは、かの ているのである。 の ンの のと て り、 か 、 り、 いは ―― のでは 、 の に の のである ibid.. に. てで. ――. され、 る の の 、 に る の 、か は、 の える ―― は る と て り、 、 の 観 り るの が て に る とに か. れる り、 ン の の 、 と が 、 は の、 観 歴 、 の と る 観 ている。 論、 観 ―― のと て り、 か る と て り、 、 、 り、 いは の 観 り る ―― は、 ン か て れ のでは 、 にシ ェが 問 の る のであり、 の 、 に か い。 は、 の後、 論 で り の の て る が、 り て え 、 に れ り、 の 論 の され の は ン であり、 で ン の 起 と る の が いに され るに かか ず、基 には、 論 観 論と ての 12.

(14) 31. 論の. に れる れているのに. 、 ン の、 の い11。. 観 の. の. に れは. の に で ている の は、 にはあ る の の に とがで る。 の はあ る の か である。 ている る 題に いて 、 の 題で されている 、 の 題に れている り て、 れ の の の えて れ 、 れ の は いに されてい り、 いは いに り で されてい り る、とい とが かに るに い い。 てい い 、 の 題は 題では 、 題とい とに GW. 208 題の される に いて、 の ン と で は、 て の いに 。 に て い に、 の の に いて、 での いて される の は、 であると え れる。 にの に、 の が ン が に る と 、 観の ―― ―― に か である。 題の 起 て の にと る 観、 観の ているのが、 論 に い に か い。 の て、 る 論 に とが、 の の ン であ 。 が る の とは、 に れ い、 の の か える、 れ の の である。 で が 、Ⅰ は の である。 は の GW. 227 は、 の 観に に のと が てい と てい る。 は の の で ている。 とは、 が の に の、 の が ると て か え れ い の、と る 。 ―― か 、 とか とかい は、 に てい る のが される とに ての る である。 は と 、 いに ている。 は と る とに ての 、 され るので ある。 が の のと て されて される 、 の は で り、 は に いて に されている。あるいは の の 題は、 は の であ て、 では い と ているが、 の 題は、 と とい ている。とい のは、 の 題は、 、 と に と えているが、 は、 とあい る りでの の か である GW. 208 の. が え 、 は れが 、 論 に る であると る。 と は と ては に て いて、 の 、 は、 ―― に て、 か はありえ い のであり ―― に、 は に いて、 か る 、 に されてい が 、か に されている。 、 が の である とい 、 とい の に の が るとい の か 、 と とい 、 か は が い、 る ン と て は のであり、 の と て は と とい 、あい る と ては て のであ り、 は、 の ン の に て、 のと て る とが である と ているのである ―― が では い、と ている と が ている に 13.

(15) . 32. が である。 に れ の、 い と て、シ ェの の 後に れ 想 る とは 、 の の 観 に て る とがで る ―― 。 論、 の 、 が に とい のでは 、 の 題の 後に、 の 興 あ 観に る 想の 問題 起 て の 想 に か い とは、 い。 り れは、 に り 、 の、シ ェ で 起 る の の い ― ― いては の に り に る の 興 が 、 の に いては に れ て ン ―― に る であるのに い。 は る。 に いては と の ン に である。 は と、 り は の と の のと て されているのである。 題 は て の に る あい 題に され る。 え 、 は で ある、と は で い。 は である、と で い、 である、と で い。 は るに ては、 は Form との に いての されるのに、 に いては は と の のと て される の か 、 の は て とに る 。 題の に いて、 いか る に 、 れと の が される とい の が、 に れている。 が て、い る は、 にと ては、 る と てい い。 に、あ る 題は、 の に れ 、 に る の れ いのである。 題が に のに いとい と は、 か れ 、 の 題と に る 題が に されずに、 の 題の が されている、とい と 味 る。 が て のと て るとい とは、 れ に りと とい と 味 ているの である。 ―― の は て て り、 に ている。 が て、 と え で 、 に の て、 か で る とがで るのである GW. 208f. の る。. は の え 題 の て て、 に される 題に て 、 が る れと の が され れ い。 れ が か て に る であ て 、 に、 題、 の は、 に る の れ いのである ―― で れ に、シ ェが で ン の て、 題と る に 、 り であると の て、 が で、 は のであり では い、と り とに る、 の ての 、 の り え に る と がで る ―― 12。 は、シ ェ の と て、 の に て が 、 の 、 の に、 の の に て ているのである。 の か える の の が ン 論 観 論の り えに る とは、 で り には い であ 。 か て、 の と る の と り い と るシ ェに て、 が史 て の るのは、 の の の 観か れ であ 。 か 、 は、 に、 が の ている と り 、 14.

(16) 33. れが 論と と での であり に れ ので は いと て、 の に ている GW. 212f. 。 ンが であ か かに いては、 の れ の に いては論 があ と 13 に の るが 、 は ている と いて て いる GW. 211 。とり は、 に と ている と、 る 、 の 論 に れて、 に る に と 、 の にあるシ ェ の 史 の ―― にではあれ ―― て いる GW. 214 。 とは、 に れ て い が、後に が て、 の さ に る に て、 が か 史 の 問題に てい では 、 れ えて、 の てに れる 問題に てい ると との と る 。 の で、 は が 起 、 題の の に る。 の が、 の 観に とづ のである とは で い。 さて、 の が れ で てい か の は、あ る が に であるのと に、 の の のの 論 ている。 の は の が の に れている のの かさ 、 の える。 の の の に、 が える のは て さ れ、 の ての の に、 に て され シ の が るのである GW. 214 が る 17 の の 、 が のは の 10 であると て、 は、 ず れ で れ が の の シ ェ に 、 に る観 であると て る。 1 の に る 、2 れ れの 、3 の 、4 の 、5 の 、6 れに て には のは え れ い 、7 の の 、8 、 ての のは の のとの に いての る 、9 に起 るか、 に起 いか 、10 、 、 、 、 観の GW. 215 。 の 8 に いて、 は、 の れが と に る のであるとの が 、 ン ている。. い. の と、 と. の. は、 れ 、 る ているのである. さ あ り、 は の には ―― て、 の いが、 の の、 、 、 れ の の が ―― が に いに 。 のと に される る。 て、 の が. のは の ibid.. に は. て の のに て されているとい の のとの に いての ると. の 10 の が ―― シ る のでは い と 論 、 の. に. ェ に. 。. て ず、 ず では で、 の 、 いは の ―― れは の の のが あるいは と れる の の、 で る の、 の と て る ている。 の 10 の は に て、 のか 。 り、 は の れ の のは いに ているに かか ず、 て る に ているとい と、 の の のの ン か 、 は、 のが では い と は に る の と とがで る。とい のは、 える 、 り の の が の で 15.

(17) . 34. れ いか である。 て の は、 の とい に い て、 り ず の の の の に て る の 。 あるいは、 の のに、 ての の は の の て る のであるとい と、 て の の には の いと い と に ている の のに る である GW. 215f. の が され、 に される。とは え、 が 論 れ い て、 題の れる と 、 は. れる. が は. の と て てい と. る。. に いては、 のに て、 と 論が て り、 の は に のに て ている。 れに て、 の に て 、 の 論は され、 の は か のである とい の は、 る の 論 である と る。 は の の ン と 、 の の 論 るか である。 、 の 論とは、 の 、 、 の の ―― の では は れ る に ず、 の て の の に か ている ―― と て、 の に れ に 、 れ に て の が、 れに て、 の の にさ に深 の り でいる のあり ている。 れに 、 は に てと て、 の に て ているが、 に に て いる。とい のは、 にと ては、 の のが か のでは 、 のの の の が か か であ る GW. 216 の. に る の. の. 、 れは の に. の 、 と て のにと ての 題の に て る とに る. のと て る の か る。 、 で か に、 では てありえ い。 が ン てい が 、 に と ての の に いて、 は. は. る。 れに. は、あ か が か が ているかの に、 る に いて と る と て、 の に れ る とい と い。 ―― の で り される が、 れに いて てい い に いて に ると の の 、 は、 に いて、 り る。 の にと て に の、 か の、 の、 で い り る のと て ている の 、 の は の か のである。 に て、 に て、 る に と、 え が る に とは、 の の の 論 え い ていると が い でい とか とかに る の に て、あの 14 のである ibid. 。 、. れる り、 に る. の. の のの の ―― に の の 、 に の が 観 史とい での、 と の され 、 るとい 、 の 論 観 観の る。 16. ―― とり の て、 る の のにと る えず、歴 の が の の であ に る とがで.

(18) 35. と て、 に い の にあ ての、 の に いて、 は、 れ の である の のの に てとれる の である、と ている GW. 217 。 が か 、 で されている 論は、 に され 論 の に ているであ か。 と の は 論 に で ていると て 、 の史 いて され 、 のの 基 と る歴史 論に いて、 に 論 論 れているか かは、後論 か い。 は て 、 の 後 の いて、 て に いての る。. ン か の. は は. に. い. に り、 A、. に と Bと て. る。 に. 。 Kant’s gesammelte Schriften. Herausgegeben von der Kӧniglich Preuβischen Akademie der Wissenschaften. か の は に り、 に、 GW と 、 。 Gesammelte Werke. In Verbindung mit der Deutschen Forschungs gemeinschaft herausgegeben von der Nordrhein-Westfälischen Akademie der Wissenschaften und der Künste. Aenesidemus: G.E.Schulze, Aenesidemus oder über die Fundamente der von dem Herrn Prof. Reinhold in Jena gelieferten Elementar-Philosophie,1792 (Aetas Kantiana 240) Beyträge K.L.Reinhold, Beyträge der Berichtigung bisheriger Mißverstandnisse der Philosophie.Bd.Ⅰ, (1790),(Meiner) FdpW:K.L.Reinhold,Über das Fundament des philosophischen Wissens.(Felix Meiner) GA:J.G.Fichte,Gesamtausgabe der Beyerischen Akademie der Wissenschaften. (F.Frommann) KdtP.Ⅰ:G.E.Schulze,Kritik der theoretischen Philosophie.(Aetas Kantiana 244) Schelling:F.W.J.Schelling,Historische-Kritische Ausgabe.(Frommann) 1. 2. の. の. の 6 7 論 、後 No.15, 2013, s19-43 No.16,2014,s27-45. 、参照。 1800 11 のシェリングに ェ の で が の の か の 問 が と り て れ る えず 、 の 想は と、 て に の と る か と と て ェ の と 、 か の とシェリングの の に る が と て て が、 ェ の の 想 と、 れ の の 想 との に る で 、 て の に る とが の 想 の に いて である とは り で い。 が と り て れ とい と の の が、興 て れでは 、 に てか ン 論 え 、 基 に基づ であ とは、 の の の 6 7 論 、後 で かに が、の ず、1800 後の論 の て 、 がれて リ の と の は 1800 に て れて り、 論 の起 に 後 て リ の の れて 17.

(19) . 36. 3. 4 5. 6. いる。1799 か され と されている 論 の は 1803 で 。 が り て れ とい が 興の で い とは で いが、 に の の と て想 されてい が の のであ か るにあ り、 ェ に る にの るので 、 の 想 に る とが である。 さ あ り、 リ の と の の 、 に て起 され 論 の に いては、 、 の の の 4 5 リ の と の (1)(2)( No.13,14, 2011,s.41-62 ,2012, s.17-49 参照。 シェリングと て され は、1803 シェリングが に て ェ とに り、 2 3 の て る。 は、 1 1 、 2 の の論 の か、1802 2 1 に と は ン 、 、 の とい れ の の に る 観 の 、 2 2 に の い の 、 1803 の 3 に の後 ている。 (GW.XX.77) Enzyklopädie §39. 後 6 参照。 は に の の 歴史 、 れが の のであるが えに、 に れ いとい 味 で、 の と て 。 か 、 に と の歴史とは、 である に、 では の の の である。 論 、 のあ る いて される である り、 の の る Glockner.Bd. 48f は てい 論 の 1831 に は 後 、 の の と てい の の の て の に 。 の と る ン 、 、 1807 。 の の は の に されるであ には い りである。 の て のとされてい の の に い て、 で てい の に て 論 が の りに、 は の後、 の ン 、 は の ている GWXXI.9 。 れる り、 の の の と れ る え に え 、 、 論 参照 、 て、 は 論 論 論 に いて での の参照 て 、 て ン 、 、 §61 の参照 る に て いる GWXXI.53 。 の ン 論 ―― 論 と る ―― で は、 の の のあり と て、 る の 、 論 、 、 に て、 れに る の と て、 の 、論 のの は、 論に いてでは 論 の のの で されるのが で ある と ている 65、GW.XX.107 。 に、 論 で参照 、 の と ての の るに り は、 78 で、 と に想 されて の の のの の が の に、 の てい 。 の ての いて される と ての 論は、 の の の さ てる の 論には る 。 か 論は か である かりでは 、 の で ある。とい のは、 が て される に る のは れ の の の 18.

(20) 37. か である。 の 論は 、 に に、 て 問 に、 て て、 れ え れ のと て り れ る い。 の され 論の は、 には てに る が、 い 、 てに る が で り、 てに る が とい のと である。 の は、 か え 、 に いとい さ え れ 、 て て、 の り の る が れている とに て、 の に て の は に と りるのであ る . 90f. 、 かに 論 の、 の と ての る の かの に れる の であるが、 、 論 で かに る に、 に シ ェの の に、 の え が で であり、か 、 の 、 の ずに に る 史 の は、 と り か の と では い。 えて の に るとはいえ、 り後 の が 想 に る のと えるか かは る。 の 観の と る である。 論 にあ ての、 に の の 問題 る 論 の問題に いては、 の 論 参照。 論 1812 1977 467 602 7 は の の 、 ェ での て り、 の 論 、 、 の に てい る 1801~1806 。 ェ 想 とされる の が後に、 論 ン と て の の る とに る。 8 ン 22 。Sextus Empiricus: Outlines of Pyrronism. (Loeb Classical Library 273)p.115 9 Vgl.Hegel Enzyklopädie §81,Zusats, Geshichite der Philosophie:Werke in 20 Bänden, Suhrkamp. ,s.371 10 て での 論が、 に 論 の に ての の 論 ン 論 観 論の と りえているか、 が る の は か、に いては、 、 で論 る。 11 後論で る り、 論 でシ ェの 観 が ―― の る で、シ ェと に の は る GW. 234f. ―― は、 ン の に り、 ン と で る 、 れが で ると れ の であると て、 ている。 れは、 の 、 が の に い て ている の えて 、 の る に 、 る である。 れ の の は ン の の に いて に て れるが、 の の の 、とり に いて は り で れている。 か 、 の に て てはいる のの、 の りと に て とい のが ン の である。 が て、 れ れは ン の に える の る がある。 は、 に て に さ れる のの てとれ る の 、い は、 の て の である GW. 235 12 の の後、 は、 に リの論 に 。 と る に論 が と る リ 想 の の影響に いては、後論で れる。 13 ン と る の での論 が、 の の リシ ―― とり 、 ン、 リ の 、 れ え ン 、 に で る リシ に る 19.

(21) . 38. 14. ―― に基づいているかは、興味深い問題である。とりあえず、後論参照。 シェリングの歴史観の影響が想起される。後論参照。 Vgl.Schelling:Ⅰ-4,190. 20.

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