翻刻﹃雪梅芳譚犬の草紙﹄
︵十︶
肥
留
川
嘉
子
隅
田
三
鈴
凡 例 一 、﹁翻刻 ﹃雪梅芳譚犬の草紙﹄ ︵九 ︶ ﹂ ︵ ﹃ 光華日本文学﹄第十八号 、平成二十二年十月︶の後を承けて 、京都光華 女子大学図書館蔵 ﹃雪梅芳譚犬の草紙﹄の ﹁五編下﹂を 、図版を掲げつつ翻刻する 。 合巻 ﹃雪梅芳譚犬の草紙﹄ については、 ﹁初編上﹂の翻刻を掲載した﹃光華日本文学﹄第十二号の﹁凡例﹂を参照いただきたい。 一 、翻刻の方針のみあらためて掲出する。 1、図版は各丁見開きを一面とし、丁付けにより﹁一ウ、二オ﹂のように示す。 2、 本文翻刻は、やはり︹一ウー二オ︺のように冠し、改行位置は/で示し、丁移りは ]で示すが、書入れに ついては丁付けにこだわらない。 5960 3、 一面が二枚の絵組から成る場合、翻刻の方のみ半丁ごとに分離する。 4、原文はできる限りそのままとするが、漢字仮名とも、異体字、略体字は現行のものに改めた。 5、 読みやすくするため 、句読点を補い ︵ただし 、序文の句点は原文のままとし 、その旨を断わった︶ 、会話文 については﹁ ﹂を、会話中の会話文には ﹁ ﹂ を補った。原文にある﹁ は ﹃ に改めた︵原文の ﹂あるい は ﹄ は、 ﹄ とした︶ 。さらに仮名を適宜、漢字に置き換え、その場合もとの仮名をルビに移した。 6、 原文の振り仮名は 、右と区別するために ︵ ︶に入れた 。ただし 、袋 ・表紙および序文等 、一部原文のまま の振り仮名に︵ ︶をつけなかったところがある。その場合は、その旨を断わった。 7、書入れは本文のあとへ一段下げて、文意の通り易い順に記した。 8、本文中にある読み進めるための合印については、すべて ● で統一した。 9、 ﹁初編下﹂に至って出てきた 、本文中の ○ ︵段落を改める意識で使用されている模様︶は 、その位置にその まま翻刻した。 一 、末尾に 、 前号までに倣って 、﹁五編下﹂に出るもののみながら 、登場人物名 ︵まれに地名もある︶と 、 元の読 本﹃南総里見八犬伝﹄の相当する名称との、対照表を付した。
61 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) ︹原表紙︺ ︵振り仮名は原文のまま︶ 雪 梅/芳 譚 犬 の草 紙 /一名八犬傳 一陽齋豊國画 蔦吉板 五編下 ︹原表紙見返し︺ いぬの/さう/し 五編/下帙 笠亭仙果鈔録 一陽齋豊國画 紅英堂梓 図版 1 五編上原裏表紙(色刷)、五編下原表紙(色刷)
62 ︹十一オ︺ 三 二の巻 つゞき 斯 ゝりければ 、結 城 にて討 /死 したり し者 共の子 供 、孫 等 を/召 し出 だされ 、親 の忠 義 を 賞 美 /あつて家 を興 させ給 ひければ 、非 義 六/ ﹁時 を得 たり﹂と喜 び、 鎌 倉へ/馳 せ参 じ、 大 須 賀 正作 が姉 娘 /の婿 の由 申上 げ、 恩 賞 を/請 ひけるが 、 偽 りならねど非 義 六は/武 士 になすべき人柄 ならず と、/村 長に取 り立 て給 ひ、刀 /差 すこと許 されて、 八丁四反 の/地 所 を賜 ひ、 ﹁ 陣 代 ぢん だい 大ぎし/ひやうゑ のじようが下 知 を承 けて務 めよ﹂と仰 せ/に、非 義 六 勇 み立 ち、帰 るとそのまゝ家 建 て広 げ、/冠 木門 さへ 厳 めしく構 へて 、下人 げ にん を七八人/召 し使 ひつゝ身を /高 ぶり、人 を見 /下 し百 姓 を/はや責 め徴 りて/ 利 欲 を事 ゝし 、/人は憎 めど ● ● 仕 合 せの/良 きに 任 /せて物 /ともせず、/親 に不 孝 の/瓶 ざゝ等 は/ 斯 く成 り出 づるに/引 き替 へて、磐 作/は信 濃なる/ 千 曲 の出 湯 に/至 り着 き、 湯 /治 の験 は速 /やかに 図版 2 原表紙見返し(色刷)、十一オ
63 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) て/手 傷 は/癒 えしが 、/如 何にせん/腓 の/筋 / の/縮 /み/しか、足 /の/運 び/自 由 /ならず。/ 縦 しや/少 しの/悩 み/なく/ても/ つぎへ ︹十一ウ︱十二オ︺ つゞき 猶 武 蔵へは帰 り難 しと 、この里 に留 まりて兎 角 する間 に/年 も変 はりぬ。次 の年 は秋 かけて四月頃 より瘧 をわづ/らひ 、また一 年を空 しく暮 らし 、三 年 に及 びて身 に付 けし/蓄 へも皆 尽 き果 てぬ 。まこ とや此 処に足 を留 めし/時 よりして、大須 賀 の名 字 を 隠 して ヽ を加 へ/犬 い ぬ 須 賀 と名 乗 りしが 、﹁ この頃 聞 けば鎌 倉は/元 の主 君の御 若君、再 び主 と/定 ま り給 ひ、 忠 死 の子 孫 を召 さるゝ/由 。恩 賞 望 む心 はなけれど、/預 かり申す村 雨の御 太 刀を返 し/ 奉 り、たんゑもんの討 死の/由 も申 して、身 の収 まりは /君 の仰 せに任 すべく、片 時/忘 れぬ母 人にも疾 く行 きて/御 目 にかゝり 、不 孝 の罪 も詫 び/たし﹂とて 、 足 の痛 みは猶 去 らず/片 〳〵 方は足 萎 へとなりて旅 路 は便 /なけれど 、杖 と明 日香の肩 を力 に 、 八月/信 濃を 図版 3 十一ウ、十二オ
64 立 ち出 でゝ 、十月の末 辛 うじて/武 蔵の国 ゝ至 り着 きぬ 。まだ我 が村 へは/入 らざれど 、心 許 なさ先 に立 ち、 / ﹃正作 といふ人の/母 とむす/めは 、大須 賀 に/住 まひして/今 も猶 /変 はることも ● ● あらずや﹂と所 の/人 に問 ひければ 、よく知 り/ゐて答 へて言 ふ。 ﹃ そ の 娘 は/非 義 六といふ婿 取 つて 、その/婿 は鎌 倉殿からお/取 り 立 て、 今 村 長と/威 を振 るひ 、また/その母 御 は/前 の/年 /患 う/て/死 な/れた﹂ト/聞 いて二 人はお/ど ろき嘆 き、 元 来/心 の合 はぬ姉 、うか〳〵/訪 ふも思 慮 なしと 、/大須 賀 /村 /へは/帰 り/ても/まづ/我 が 家 へは/足 も/向 けず。/以 前 より心 安 き/人を訪 ねて身 の上 も/詳 しく語 りて、 猶 細 かに/姉 夫 婦の不 行 跡 、] 今 見 る如 く語 るを聞 ゝ 、/母 の末 期 も推 し量 り/遺 恨 遣 る方 なかりしが 、/磐 作は此 処彼 処歩 /きて村 の人を語 / らひ 、﹁ 姉 夫 婦とは/一 つに暮 らす/心 もなければ/許 しもせじ 。されども/親 の墓 所 /離 るゝ/心 は/あら/ ざれば 、/兎 も角 もして我 〳〵/を此 処に住 ませて賜 /はれ﹂と他 事 /なく言 ふに 、/強 きを/挫 き/弱 きを助 く るあ/づま人 、 ﹁ 憎 さも憎 /き非 義 六が横 柄/面 の面 当てに 、 これ/みよがしに磐 作 /殿 を取 り持 つて/進 ぜう﹂ と二人が言 へば/三人四人、何 時しか大勢 /心 を合 はせ、非 義 六が/屋 敷 の南 、 つぎへ ︹十二ウ︱十三オ︺ つゞ/き /やゝ/隔 /たりて空 家あれば/﹁これ究 竟 ﹂と其 処を/繕 ひ、二 人の者 を/此 処に住 ませ、耕 さね ども/貸 し代 にて夫 婦が食 ひもし/着 るほどの田 畑 を買 ひて/これを与 へ、 磐 作田/と呼 びなしつ 。/両 人 はそ の/情 けを/喜 び、 / 磐 作は/子 供 を/集 め、 読 み書 きを導 き/教 へ、 明 日香は綿 摘 み ] 衣 縫 ふこと 、女 子 供 に/指 南 して 、養 はるゝ恩 を/謝 すれば 、其 をまたたゞには置 かぬも/人 情 、時 〳〵の畑 物 /心 〳〵に贈 りな どし 、親 切を/尽 くしければ 、磐 作は村 /内 の者 と仲 良 く、 余 /れりといふにはあらねど不 自 由 /なく無 事 に月 日 を送 るにも 、 /寺 参 りの行 き来 /なんどに非 義 六夫 /婦 に会 ふこと/あれども 、/彼 もあち/らを向 きて/過 ぎ我
65 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) も/物 言 ふ心 もなく 、/況 して彼 処へ足 /踏 みする 心 は更 に/なかりけり 。非 義 六は生 /死 だに確 かに 知 られぬ/磐 作が 、帰 り来 るさへ嬉 しく/なきに 、 村 人の贔 屓強 く世 話 を/するのを見 聞 くにつけ、憎 ゝ 妬 く腹 /立 ゝしく、また磐 作が我 が方 へ疎 〳〵しきを / 散 〴 〵 誹 り て 、﹁ 一 丁 足 ら ず の 所 に 住 み / 姉 、 姉 婿の敷 居 も跨 がず、礼 儀 も/法 も知 らぬ奴 ﹂と、非 義 六、瓶 ざゝ談 合し/人をして磐 作が方 へ遣 はし言 は せけるは、 / ﹃ 村 長殿 ゝ御 上 様 から弟 御 の● ] ● 磐 作 殿 へ、 使 ひのため参 りました 。 ﹁ 母 /様 の長 患 ひ、 何 不 足 なく介 抱し、御 遺 言/故 是 非 もなく非 義 六殿 を 呼 び迎 へ、 絶 えたる家 を/興 したは村 中 の人が証 人 。それに其 方は/討 死もしかねて戦 の場 を逃 れ、 遠 くに隠 れて/大 切な親 の死 に目 に会 ひもせず、世 間 が広 く/なつたとて女を連 れてうろ〳〵と帰 つて来 て、人を騙 し/養 ひ受 けて恥 とも思 はず 、姉 の/所 へ顔 出 しもせぬは/人たる道 知 らず。此 方の/人は大 須 賀 氏 の相 続/人 なり 、村 長なり 。/兄 弟 の誼 みは /格 別、 長 に無 礼 を/する者 はこの村 には/置 き難 図版 4 十二ウ、十三オ
66 し。心 得 /違 ひを後 悔 し/謝 つてくれば/その分 、さもなくは/立 所 に立 ち/退 け ﹂ との 仰 り/つけ﹂と言 は するを聞 ゝ/終 はり、磐 作はあざ/けり笑 ひ、 ﹃時 刻 遅 れて/若 君達、父 の命 を救 /はぬは是 非 もなきことながら、 当 の/敵 をその場 で討 ち取 り、 御 首/共 ゝ隠 し参 らせ 、親 の許 しし/妻 に会 ひ 、 それより千 曲 にて傷 の/療 治 。 重 なる病 に力 なく ]三 年 は他 国 に暮 らししが 、夢 にも/知 らぬ母 御 の御 病 死 。その/不 孝 は/言 ふ由 /なけ/ れど 、/予 て/よく/知 る/姉 の/不 身 持 ち。 / 姉 婿は/また何 /ほどの ● ] ● 手 柄 を/してか/今 の/立 身。 / これは我 が知 ら/ざること 。主 /君 の形 見 ]の御 佩 刀/村 雨/丸 は/此 処にあれ/ど 、 ● ●/鎌 /倉 /殿 へ/持 参 /せぬも/姉 と威 勢 /を争 はぬ/磐 作が/心 の潔 白 。/されどもおこ/なひ穢 れたる/二 人に物 /言 ふ心 は /なし。いよ〳〵/当 所に/置 かじと/ならば つぎへ ︹十三ウ︱十四オ︺ つゞき 鎌 倉/殿 へ訴 へ/出 で、御 裁 /許 を受 け/申さん。/返 答は/この/通 り﹂と/言 ひ放 /たれて/使 ひは /帰 り 、その由 /告 ぐれば非 義 /六 、瓶 ざゝ 、/呆 れ返 /りてはら/わたを扱 くが/如 く口 惜 し/けれど 、またふ た/たび言 ふ由 /なければ 、呟 く/のみにてさて止 みつ 。/○それより/ 十 年 余 りを/経 てまた鎌 倉に/事 起 こ り 、/左 /兵 /衛 /督 /成 /氏 /朝 臣/管 領 /のりたゞを/誅 せられ 、 /のりたゞ 弟 /ふさあきらに鎌 倉を /追 はれ給 ひ、 下 総許 我 へ/落 ち行 き給 ひ、 猶 も/戦 は鎮 まらず 。 斯 ゝることを/聞 くにつけても 、 片 足萎 へた る/磐 作は 、たゞ口 惜 しく思 ふ/のみ 、 力 無 ければ思 ひ絶 えつ 。● ● されば明 日香を/娶 りてより 、男 /の子 二 人まで生 ませ/けれども皆 育 ゝず 。/夫 婦三十の齢 も/越 え、 ま た 子 も無 ければ/夫 も嘆 き妻 も/憂 ひて 、程 遠 からぬ/滝 の川の弁 財/天 にこの頃 明 日香は/願 立 てして 、﹁子 を一 人授 け給 へ﹂と/三 年 が間 一 日も/欠 ゝ さず朝 毎に/詣 でけるが 、時 に/長禄 ちやう ろく 三年 /九月二 十日/余 りの/月 白 を/ ﹁はや夜 明 け/そ﹂と時 を/違 へ、
67 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) 夜 更 け/に例 の/参 詣し 、/帰 り来 れ/とも ● ] ● 夜 は猶 明 けず。/庚 申塚の/辺 りにしてふと/見 返 れ ば、背 は黒 く/四 つ足 白 き犬 の/子の、捨 てられたる と思 し/くて人恋 しけに裳 裾 に纏 ひ/逐 へども逐 へど も離 れねば 、可 愛く/なりて立 ち止 まり 、﹃ 犬 は数 多 子を/生 むもの 。その子も必 ずよく/育 てば 、生 ま れ子 の枕 には犬 /張 子 を呪 ひに据 ゑて置 くこと/の あり。見 れば雄 犬 で愛 らしや。/子をば欲 しがる矢 先 にて 、見 捨 てゝ/行 くは気 がゝりなり 。養 はばや﹂ と/抱 き取 る。 こ の 時 、南 の空 より/して 紫 の雲 舞 ひ下 がり 、いと/美 しき異 形 の女 、黒 斑 の/犬 に乗 り、やう〳〵土 に近 づき給 ふ。/日本 に ほん の衣 服 は 召 し給 へど 、寺 の ● ● 天 井 、欄 間 などの天 /人 と い ふ も の に 似 た り 。 明 日 香 は / 自 然 と 頭 下 が り 、 敬 ひ/申 せば打 ち招 き、 手 に持 つ/珠 を授 け給 ふ。 ﹁あら有 /難 や﹂と手 を差 し伸 べ受 けたる/珠 は、 手 の股 潜 りて/犬 の子の片 方に落 ちぬ。/珠 拾 はんとす る / ほ ど に、 姫 神の/御 姿 は雲 に隠 れて/見 えずな りぬ 。明 日香は/御 跡伏 し拝 み、 / 夢 見 しやうなる 図版 5 十三ウ、十四オ
68 心 地/して珠 を探 せど 、ある/ことなし 。心 は済 ま ねど/是 非 もなく、犬 掻 き抱 /きて家 に帰 り、怪 しき /姫 の御 形 、弁 /財 天 とも思 はれ/ねど 、﹁ 斯 様 〳 〵 の つぎへ ︹十四ウ︱十五オ︺ つゞき ことありし﹂と夫 に語 れば 、磐 作喜 び、 / ﹃仏 の化 身 か仙 人か 、兎 にも角 にも不 思 議 の/示 現 、 願 望 成 就 の験 ならん 。/授 かりし珠 の失 せしは 心 /がゝりのやうなれど 、それも定 めて/後 〳〵に 思 ひ合 はすることあるべし 。 /我 が家 代々 だい 〳〵 戌 い ぬ の 字 を名 乗 りに/用 ゐて 、戍 が通 り 名 。その上 /不 意 に名 字 さへ犬 須 賀 と/呼 び変 へしに、其 方が拝 みし/ 姫 神も犬 に召 されて/おはししのみか、また犬 の/子 を拾 ひ得 たる 。斯 くまで/犬 に縁 ある/こと 、● ● 不 思 議 と/いふも/愚 かなり。/その子 犬 /をも大 / 事 にかけ、/いよ〳〵/信 〴〵 心怠 るまし。/必 ず良 き こと/あらんずらん﹂と言 ひ/聞 かせしが、果 たして /程 なく明 日香は身 /籠 り、次 の年 七月/戌 の日、平 図版 6 十四ウ、十五オ
69 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) らかに玉 の/男 子子 /生 み落 とし 、/喜 び/勇 /み/て/育 ]つるに 、/前 〴〵とは/事 変 はりいと/健 やかに /生 ひ立 つにぞ 、/ ﹁さては彼 の姫 /神 の賜 ひし/子 種 に違 ひはあら/じ﹂と猶 弁 天へも/御 礼 を申 し 、﹁子を/ 育 て/かぬる/者 は 、 /女の子 は/● ●男 に/作 り、 男 の子は女に/拵 へ育 つるときはよく育 つと 、/人言 ひ 慣 はすことなれば 、然 様 にすべし﹂と/明 日香の言 ふに 、磐 作もその意 に任 せ、 / ま た﹁ 人 の身 の栄 耀 栄 華も甚 だ/しきは衰 へやすし 。細 く長 きを/目 出 度 しと寿 くこともあるなれば 、お/なじ千 歳 を契 る竹 にも 、篠 は竿 も /葉 も細 し 。されば 、この子 を篠 児と呼 ばん 。/篠 児よ〳〵﹂と呼 び慣 れて 、女仕 立 ての着 物 を/着 せ 、よろづ 女 々 しく育 つれども 、骨 組 み/強 く大 柄 に て、 顔 貌 美 しけれど/つゆばかりも女めかず 、 幼 きよりはや/弓 を 引 き、太 刀 打 ち、馬 乗 ることを/好 めば、父 は心 に深 く喜 び/数 〳〵武 芸 を教 ふるほどに、 つぎへ ︹十五ウ︱十六オ︺ つゞき いと疾 く/覚 えて心 /様 騒 がし/からず 。 事 能 く/弁 へ、 親 孝 〳〵 行の/心 深 く、 友 達と/争 はず 。斯 ゝ れば/親 の寵 愛 は/何 ゝ例 ふる/ものもなし 。 ] 弓 、木 /刀 は/兎 も/角 も、 流 石に/馬 は飼 はざれば 、/庚 申 塚 にて/拾 ひ上 げし/犬 は年 経 て● ] ●大 きく/なり、身 内 /黒 く四 つ/足 のみ/雪 の如 くに/白 ければ、/四 つ 白 の/馬 になぞ/らへ人の名 な /めかしてこの/犬 を 、 よ四郎/とぞ名 付 けたる 。/それをば馬 の代 はりに/して 縄 手 綱 口 に/食 ませ 、誰 教 へねど/その乗 り様 /自 然 と法 に/適 へるは/物 ゝ憑 きて/教 ふる/如 く、 親 は/更 な り、 辺 り/の人〳〵褒 めのゝ/しる者 も多 く 、 /またその姿 女にて/そのする業 の勇 み/猛 きを可 笑しと/笑 ふ 者 もあり 。/まことや篠 児が三ツ/四ツの頃 、辺 りの ]人の寄 り集 ひ/目 覚 ましきまで/奔 走するを 、例 の/見 聞 ゝて非 義 六、 瓶 / ざ ゝ、 生 憎二 人が/仲 にも子は無 し 、 /これさへ妬 くうら/やましさに 、﹁ としま/さゑもん の/一 族/ねりま/へいざゑ/もんの/●
70 四 ●家 来 なに/がしの娘 /にて 、 四十二/の二ツ子 / なれば/ ﹁ 一 生 /不 通 の約 束/にて 、 筋 目 宜 しき/ 所 あらば養 ひ/娘 にやりたし ﹂ との/ことぞ﹂と 仲 立 つ人の/あれば 、これ幸 ひと/貰 ひ受 け、 名 を はま/次郎と付 けたりけり 。﹁ 磐 作は/武 士 に似 合 は ず折 角の男 の子 を/女 に拵 へ 、 その名 さへ篠 児と は/男 にあらう名 か。 此 方の子 は女でも / 小 さい内 だに男 めかし 、 育 / つるこそ心 地 よ け れ ﹂と 、斯 ゝる ● ● 名をさへ名 乗 らせけるな り 。 ︹十六ウ︱十七オ︺ つゞき ○篠 児九ツの秋 の頃 、母 の明 日香は心 地/優 れず病 の床 に打 ち臥 ししが 、針 も薬 も/効 ゝ目 な く、日を重 ぬるに従 ひて、ひた弱 りに弱 り/行 きぬ。 磐 作夜 もろく〳〵寝 ず、 思 ひを苦 しめ/心 を痛 め、 篠 児は殊 更案 じ惑 ひ、 日 毎 に医 者 の/元 へ通 ひ、 薬 図版 7 十五ウ、十六オ
71 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) を勧 め腰 をさすり 、病 の紛 るゝ/こともやと面 白 可 笑しき物 語 、言 葉 静 かに/語 るうち 、思 はず含 む 目 の涙 、年 端 もゆかぬ/子心 に斯 くまで孝 行 〳〵 尽 くす かと、なか〳〵/母 の胸 板 は張 り裂 くばかりに悲 しき を、 / 互 ひに隠 して何 気 なく見 するぞ/親 子 の誠 な る。 何 時もの如 く今 朝も/はや篠 児は薬 を取 りに行 きし。あ/とに磐 作病 人 の枕 /近 くへ火 鉢 を引 き寄 せ、面 白/からぬ小 鍋 立 て、白 粥の下 消 え/がちの火 を熾 さんと 、はた〳〵と鳴 らす/扇 も半 開 き。 花 の 蕾 の幼 /子 の帰 らぬうちは ﹁途 中で怪 我 はせずや﹂ と/待 つにつけ、明 日香は重 き頭 を擡 げ、 ﹃御 御 足 の /まゝならぬ上 に男 の身 で竈 働 き、 お 気 の/毒 で 見 る目 も辛 し 。 それに篠 児があの孝 〳〵 行。 夫 ゝ/子 供 の嬉 しい介 抱、 死 んでも心 残 りはない 。/申 し子 と は言 ひながら、二 つや三 つの頃 よりも/年 にも似 合 は ぬ賢 さ、 利 根 さ 。 また若 死 でも/しはせぬかと 、定 まる命 で育 ゝぬならば 、私 が/寿 命 と取 り替 へて 賜 はれかしと 、滝 の川/弁 天様へ日 頃 の願 ひ。 そ の 験 か虫 気 も/なく 、疱 瘡も遊 んで済 まし 、子 供 の/ 図版 8 十六ウ、十七オ
72 厄 といふ年 の七 つも一 昨年無 事 で越 し、] も う 大 丈 夫 なその嬉 しさ 。存 らへ/難 きあの子 の命 、延 ばして貰 うた /ものならば 、今 年死 ぬのは/予 ての覚 悟 。薬 飲 んだも/願 立 てした神 仏 へは/すまねども 、 御 前 と篠 児が/ 折 角の親 切を無 に/せぬばかり 。斯 う言 ひ出 しては/今 日からは 、薬 を止 めに致 /しませう 。御 前 こそ精 出 し/ て御 御 足 の療 治 して 、/お忠 実で篠 児を育 てゝた/まへ﹂と言 ふも苦 しき息 /遣 ひ。 ﹃ 子 ほど可 愛いものは/なし 。 生 死 が名 代 で/済 むなら 、世 間 に子を亡 く/する親 のあらう筈 も/なし 。そんな愚 痴 を思 う/て居 るから 、気 か ら落 ちて/病 が治 らぬ 。母 が/なくては子は育 ゝぬ 。不 味/くとも先 づこの粥 でも/我 慢 してたんと食 し、 / 薬 も飲 みやれ﹂と磐 /作 は、 障 子 を開 けて/門 打 ち眺 め、 ﹃ 余 り/篠 児が帰 りが遅 い。 何 処に/道 草食 うて居 る やら 。/はて不 思 議 な、 縁 端に/薬 の通 ひ箱 はあり 。● ]● そんなら何 ぞ面 白い/物 を途 中 で見 つけた故 、 /流 石に薬 は取 つて来 て此 処へ置 くと/また駆 け出 し、 遊 びに行 つたもの/でもあらう﹂ ﹃ 昼 になつたら/お腹 ゞ 空 いて 、屹 度帰 るで]御 座 りませう﹂とそのまゝ/おきしが 、八 つも過 ぎ七 つに/なつても帰 り来 ず。 只 /事 なら じと心 騒 ぎ、 /﹁ 日 の 短 き時 には/あれど 、 背 戸 の榎 の/影 もなし 。もう/黄 昏に程 も/あらじ 。其 処らまで /出 かけて見 ん﹂と 、/杖 に縋 つて/磐 作は/門 の敷 居 /を跨 ぐ/ところへ 、/背 戸 対 ひ/なる百 /姓 沼 田助 、 /魚 籠と釣 竿/一 つにたづ/さへ 、 篠 児が手 を/引 き入 り来 り、 /﹃ 定 めて案 /じて御 座 つた/らう 。 働 く/ば かりも知 恵 /がないと、今 日は/朝 から神 谷/川へ雑 魚 を つぎへ ︹十七ウ︱十八オ︺ つゞき 釣 りに/行 つた帰 り、 / 滝 の川を/通 つた/ところ 、此 処の/息 子が/不 動 の/滝 に水 垢 離/取 つて拝 ん で/居 た。 体 は/凍 えて息 は/絶 え〴〵 、 肝 の/潰 れまいものか 。/早 〳〵滝 から/引 き出 して 、/寺 へ行 つて /坊 様と/寄 つて/集 つて/藁 火 で/暖 め 、/薬 だの何 /だのと大 騒 ぎ/でやつと生 かした 。/温 かな飯 も/
73 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) 食 はせ 、それから/訳 を尋 ねたら 、/ ﹁ 母 様の患 ひ が/治 したいから/あゝした ﹂ と、] 二 十 四 孝 の/ 氷 にも/勝 つた/滝 の/● ●荒 行 /と 、坊 様も/ 感 心/して、/頼 みも/せぬに/御 祈 祷 /の/御 札 や /御 封 を/下 さつ/たも 、/孝 〳〵 行の/そこが/威 徳 。 /● ●/此 程の孝 〳〵 行を/余 所目 に し て、 神 仏 の/役 目 が何 で立 つものぞ 。/母 御 の本 復屹 度/請 け合 ひ。 コレ息 子、/この雑 魚焼 いておませう/から、明 日は 早 く/遊 びに来 い 。 これ病 /人 に気 をつけて 、用 が /あるなら竹 法 螺を吹 いて/俺 をば呼 ぶがよい。遠 / 慮 は要 らぬ﹂と沼 田助 は/一 人喋 つて帰 り/行 く。 磐 作 ﹁ さては﹂と/打 ち驚 き 、/そのまゝ我 が子 の /肩 に掛 ゝり/框 に/ つぎへ ︹十八ウ︱十九オ︺ つゞき /手 を掛 け/漸 く/上 がり 、/明 日香にも /其 の由 を/語 れば呆 /れて篠 児を/引 き/寄 せ、/ 暫 /し/なみ/だに/噎 せ / び し が、 /﹃ 孝 /行 〳〵 / 尽 く/すも/程 が/ある 。 /もしも/死 んだら/親 図版 9 十七ウ、十八オ
74 〳〵は、何 /楽 しみに生 きて/居 やう。孝 が/却 つて 不 孝 と/なる。其 の/所 を]弁 へ/よ﹂と諭 /せば 篠 児は/涙 ぐみ、/﹃もうあんな/ことしますまい。 /堪 忍して下 /さりませ 。今 朝/医 者 様 から/帰 つ た時 、御 ふた/りの話 をば/ふつと障 子 の/外 で 聞 ゝ、 私 の/命 を延 べるため/母 様は願 立 て/し て、それで今 度 は/助 かるまいと 仰 つ/たのが勿 体 なく 、親 様に/利 生 があらば 私 にも/ある筈 と、 母 様の信 仰/なさるゝ滝 の川へそのまゝ駆 け/行 き、 ﹁ 私 の命 を召 され/母 の病 を治 させ給 へ﹂ と/ 一 心に祈 つて居 たが、どうなつたか後 は/知 らず。一 度 は死 んだで御 座 りませう。沼 田助 /御 爺 に見 つけら れ、 妨 げされたは念 願 の/叶 はぬ故 かと気 にかゝ り、 私 は苦 労 でなりませぬ﹂と 、 /目 を押 し拭 へば 磐 作は 、﹃ 篠 児、 出 来したり 、我 が子 なり 。/周公旦 しうこう たん も成王 せい わう の病 に代 はるべきことを神 に/祈 りし 例 もあれど 、実 にその験 あらば● ] ● 忠 ある家 来 、孝 あ る 子、 誰 /あつてその君 、その親 、病 の/ 床 に喪 ふべき。それを/祈 るが人 の真 実。賞 美 /す 図版 10 十八ウ、十九オ
75 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) べきは勿 論ながら 、/汝 はその才 大 人に/勝 れば 、此 等 の/道 理 を心 /得 よ﹂と言 ひ/聞 かせたる/事 の序 で、 /結 城 /落 ちの/始 め/より/父 の忠 /死 、我 が身 の/漂 泊、 / 母 の/明 日香/神 に祈 り 、/姫 神に/会 ひ犬 を /養 ひ、 / 篠 児ゝ生 まれし/ことまでを/詳 しく語 り/聞 かせ/ければ 、/篠 児は ] 心 に/締 めて/忘 れず 。/ ﹁彼 の姫 /神 より/賜 ひし/珠 、その/まゝ失 せ/しはいと/口 惜 し。 / 再 び手 に入 る/こともや﹂と神 に/ 仏 に祈 り/けれと 、時 /至 らねば/験 も見 えず 。/○斯 くて十日/余 りを経 て 、/明 日香は四十三才/にて遂 に 黄 泉路 /に赴 きけり 。/神 仏 の力 にも/命 ばかりは取 り留 め難 きか 、/磐 作、 篠 児が愁 傷 は/くだ〳〵しけ れば少 しも書 ゝず 。/村 の誰 彼 集 まりて/費 えを厭 はず棺 を買 ひ、 / 見 苦 しからず野 辺 送 りし 、/磐 作が母 の塚 の側 らに/埋 みけり。 ︹十九ウ︱二十オ︺ ○昨 日や今 日と明 日香のこと忘 るゝ隙 はあらねども 、/涙 の内 に月 日も経 ち、 何 時しか三 年 を経 たりけるが 、/ 篠 児は母 に別 れてよりいとゞ一 人の親 に仕 へ、 孝 〳〵 行/類 もあらざれば 、元 来片 足不 自 由 なる/磐 作は妻 に離 れ、 片 手 も捥 がれし心 地ながら 、/我 が子 の人に秀 でたるその賢 さと孝 〳〵 行に 、末 /頼 もしく思 ふものから 、年 〴〵に 身 の弱 くなり 、 /まだ五十にも足 らずして 、歯 も抜 け鬢 も白 髪がちに/健 やかなる日は稀 なれば 、手 習 ひ子 供 を集 めんも/物 騒 がしとてこれを否 みつ 。さらばとて村 人の/養 ひを徒 らに受 けて暮 らすも本 意 ならずと 、心 /爽 やかなる折 節、 日 照 り、 水 入 り、 飢 饉 の手 当 て 、/田 畑 の耕 作、 蚕 養 の仕 方 、未 だ人の思 ひ寄 らぬ/利 方 を誰 にも 分 かるやうに 、詳 しく仮 名 にて書 き記 し/老分 らう ぶん の者 に贈 り、 養 ひの恩 に報 ゆるに 、/各 〳〵これを読 み浮 かめ 、 ﹁大須 賀 氏 は武 芸 の達 者、 /手 も見 事 ぞとは思 ひしが、 斯 様 のことさへその家 で/育 ちてそれを家 業 にする我 〳〵が、 ゆめ些 か/心 付 かぬ様 〴〵の仕 方 を、 斯 くまで能 く心 得 、/惜 しまず我 等 に伝 授さるゝは 、 二 人とは世 に/有
76 り難 き 侍 なるを 、今 に未 だ立 身/出 世 をせられぬ は、 天 道様 もちと手 抜 け﹂と褒 める/やら嘆 くやら 、 互 ひに写 して仮 初 めの人には見 せず/隠 し置 くを、非 義 六は聞 ゝつけて 、﹁ 見 せよ﹂と言 へども 、憎 がりて /事 に託 け早 くも貸 せねば 、非 義 六は打 ち腹 立 ち、 /﹃鍬 柄 執 りしこともなき痩 せ浪 人の/腰 抜 けが、何 を知 つてどのやうな/ことを書 いたか 、笑 ひたさに ﹁ 見 せろ ﹂ と/言 ふのに貸 せぬも幸 せ。 見 るも生 /半 暇 潰 し﹂と誹 るものから ] 心 には妬 ましきこと限 り なし。 /非 義 六夫 婦はあくまでも心 様 は/僻 めども、 立 てたる見 識あらざれば、/人 真 似することしば〳〵 なり 。磐 /作 が飼 ひ犬 のよ四郎は 、生 まれしより/ 十二年 を経 し古 犬なれども、歯 並 /み毛 の艶 若 きに劣 らず、力 /強 く勢 ひ猛 く、村 内の/犬 一 つとしてこ れに怖 ぢぬは/無 かりけり。非 義 六これをうら/やみ て、しば〳〵強 き犬 を/飼 へども、皆 よ四郎に噛 み/ 伏 せられ 、必 ず負 けて/片 端 となり 、軈 て死 ぬるも /多 ければ、怒 りに堪 へかね/数 多の人して棒 尽 くめ に/遭 はすれど、逸 早 く逃 げ去 つて/一 棒 も受 けざれ 図版 11 十九ウ、二十オ
77 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) ば、 非 義 六も力 /尽 き、 今 は犬 飼 ふことを止 め、 ﹁ 世 に犬 /はかり騒 がしく 、 禍 〳〵しきものは/なし 。昔 は知 らず 、今 時の犬 は/物 だに食 はすれば 、盗 人にもよく/尾 ゝ振 れば 、糞 に背 戸 をば汚 さるゝ/ばかりで犬 は無 益 の もの 。猫 こそ/人 は飼 ふべけれ 。食 ひ物 、着 物 、屋 財 /家 財 傷 をつけても手 に余 る/鼠 を捕 るもの他 には無 し。 /その上 目 玉 で時 を告 げれば、/釣 鐘も時 計も要 らず。さて/犬 なとゝ事 変はり、物 静 かに● ●優 方にて、いと/ 愛 らしきもの/なれば 、はま次郎が/手 遊 びにもなりて 、/彼 さへ喜 ばん﹂と 、/俄 に猫 子を求 め/しに雉 毛 な るを/一 つ得 たり 。﹁ 磐 作の/犬 の名 をよ四郎といふなれば 、/我 が猫 は雉 毛 故 き次郎と/定 むべし 。き次 よ〳〵﹂ と我 も呼 び、 / 人 にも言 はせて 、首 玉にも照 鑑 殿 ゝ光 さへ/添 へて威 勢 を張 らせても 、畜 生 は弁 へなく 、 ● ●春 の半 ばも/過 ぎゆけば 、盛 り時 /とて友 猫と妻 /争 ひの/果 て〳〵は 、/挑 み/唸 り/噛 み/合 ひ/つゝ 、 /或 る/時 /き次 は/沼 田/助 が/厠 /の/屋 根 に/挑 み/居 て、/友 /猫 に/追 ひ詰 め/られ、/ つぎへ ︹二十ウ︺ つゞき ころ〳〵〳〵と磐 作が庭 に/落 つれば 、側 らに腹 這 ひ伏 したる/よ四郎は 、見 つけてついと立 ち上 がり 、 /噛 み倒 さんと飛 びかゝれば 、き次郎は/驚 きながら爪 を以 て/よ四郎が鼻 柱 を/掻 き破 らんと 、その/勢 ひ は鋭 けれど/物 とも思 はぬ/よ四郎は 、猫 の/左 の耳 を/銜 へ一 振 り/振 れば 、耳 元/よりふつつりと/掻 き切 れたり 。/命 限 りに/外 の方 へ逃 ぐるを/よ四郎追 つかけて 、 /氏 神の社 の/辺 り川ある所 に/追 ひ詰 めたり 。 この/続 きは第六編 目 。/まづ五編 は/目 出 度 し/〳〵〳〵〳〵。 ○一寸御披 露 申上候 御薬 白 粉/白芙蓉/一包/三十六文
78 御薬 薄 化 粧 /曙 の冨 士 /一包 三十六文 御襟 白 粉/ぱつちり 一包/四十八文 右は/中橋 /南傳馬/丁/一丁目/蔦 屋吉蔵/方 に て/売 り広 め/申候。/外々の品とは/違 ひ、極上 製ニ/御坐候間、/御用被/仰付/可被下候。 仙果鈔録 豐國画 ︹原裏表紙見返し︺ 嘉/永/六/癸/丑/春/新/鐫/目/錄 大 晦 日 曙 草 紙 十九編/廿編 京山作/芳綱画 連 理翅 山 雞奇 縁 三編/四編 西馬補/芳綱画 八 犬 傳 犬 の草 紙 廿四編/ヨリ/三十編 マ/デ 仙果錄 / 豊國画/國貞画 松 浦船 水 棹 婦 言 初/二/三 仙果錄 /國芳画 御 贄 美 少 年 始 八編/九編 一九錄 /國綱画 図版 12 二十ウ、原裏表紙見返し
79 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) 八 重 撫 子累 物 語 初/二/三 仙果錄/國貞画 俠 客 傳 摸 略説 八編/九編/十編 西馬譯/國輝画 /國綱画 花 蓑 笠 梅 雅物 語 初/二/三 西馬譯/國輝画 嶋 巡 浪 間朝 日 奈 五編/六編 種員譯/國輝画 春 柳 錦 花 皿 五編/大尾 一九録/芳綱画 盬 屋 /文 正 古 今 草 紙合 九編/十編 仙果作/國輝画 東都南傳馬町一丁目/ 地本 錦繪 問屋蔦屋吉蔵板 登場人物一覧︵五編下︶ 次に﹃雪梅芳譚犬の草紙﹄五編下の登場人物名をか かげ ︵読み仮名 ・ 漢字とも表記は原文のまま︶ 、その 下の ︻ ︼に 、相当する ﹃南総里見八犬伝﹄の登場人 物︵その他︶の名を示す。 大 須 賀 磐 作一 戍︻大 塚番 作一 戍︼ 図版 13 五編下原裏表紙(色刷)、六編上原表紙(色刷)
80 大 須 賀 正 作 と後妻との間の子。美濃国垂 井︻樽 井︼にて、主君足利持 氏の遺児春 王 ・安 王と父との三つの首 を奪取した後 、信濃国木 曾 の御 坂 まで逃げ延びる 。そこで明 日香と出会い夫婦となり 、傷養生のため一時信濃 国千 曲 に身を寄せて、 その頃姓を犬 須 賀 ︻犬 塚︼ と改めた。故郷武蔵国豊 島 の郡 大 須 賀 ︻大 塚︼ に戻ってから、 明日香との間に一子篠 児を設ける。 大 須 賀 正 作 参 戍 ︻大 塚 匠 作 三 戍 ︼ 足利持氏の家臣で、持氏の公達春王 ・ 安王の傅。磐作の父。春王 ・ 安王の処刑の場に躍り込み、敵を取ったが、 その直後に自分も討たれた。生前、 主君から預かった宝刀村 雨丸を、 子の磐作に託していた。会話にのみ登場。 明 日香︻手 束 ︼ 御坂に住んでいた 、ゐのだんゑもんなほひでの娘 。磐作の妻となり 、足萎えとなった夫を助けて千曲から磐作 の故郷大須賀へと移り住み、十年余り経って一子篠児を授かるが、篠児が九歳の秋に四十三歳で亡くなる。 ゐのだんゑもんなほひで︻井 丹 三直 秀︼ 足利持氏の恩顧の武士。明日香の父。結 城の合戦にて討死するが 、生前大須賀正作と 、互いの娘 、息子を娶せ ようと約束していた。磐作の想念にのみ登場。 左 兵 衛 督 成 氏︻左 兵 衛 督 成 氏︼ 足利持氏の末子で、春王・安王の弟。幼名永 壽王︻永 壽 王 ︼。 一旦鎌倉府の主に返り咲いたが、 関東管領のりたゞ
81 翻刻『雪梅芳譚犬の草紙』(十) を誅したため、のりたゞの弟ふさあきらに鎌倉から追い出され、下総国許 我 へと逃れた。 瓶 ざゝ︻龜 篠 ︼ 大須賀正作と前妻との間の娘 。磐作の腹違いの姉 。父と弟が結城の合戦に出征した後 、 残された継母の看病を 怠り、死後の葬送もそこそこに、予て言い交わしていた、やゝ山非 義 六を引き入れて婿とする。 やゝ山非 義 六︻彌 々 山 蟇 六 ︼ 瓶ざゝの婿となって 、鎌倉に返り咲いた成氏が結城の忠臣の子孫を召し出して報償した時 、大須賀正作の姉娘 の婿と言い立てて立身し、大須賀村の村長となる。 大ぎしひやうゑのじよう︻大 石兵 衛 尉 ︼ 磐作の故郷の大須賀辺りを統括する陣代。会話にのみ登場。 のりたゞ︻憲 忠 ︼ 関東管領。成氏に誅せられた。 ふさあきら︻房 顕 ︼ のりたゞの弟。兄のりたゞを誅した成氏を、鎌倉から追い出した。
82 犬 須 賀 篠 児︻犬 塚信 乃戌 孝︼ 磐作 ・明日香の子 。 篠児の前に生まれた二人の男子がいずれも夭折したことから 、丈夫に成長するようにと 、 名前から衣服まで総じて女の子のように育てられた。五編上の挿絵の書入れには、 ﹁犬 須 賀 信 乃﹂とある。 はま次郎︻濱 路 ︼ としまさゑもん︻豊 嶋 左衛門︼の一族、ねりまへいざゑもん︻練 馬 平左衛門︼ の家臣なにがしの娘だが、 非義六 ・ 瓶ざゝの養女となる。五編上の挿絵の書入れには、 ﹁破 魔 児 ﹂とある。 よ四郎︻與 四 郎 ︼ 磐作の飼い犬。 黒犬だが四足だけ白い。 子犬のとき庚申塚の前に捨てられていたのを、 滝 の川弁 財天︻瀧 の川 な る辨 才天︼に申し子のため参詣した帰り道の明日香に拾われ、その後生まれた篠児と共に育つ。 き次 郎︻紀 二 郎 ︼ 非義六、瓶ざゝの飼い猫。