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アジアの独立運動

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【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

2006年発行版 新編新しい社会歴史

記述 ポイント

韓国併合

「1910年、韓国は日本に併合されました。日本は、朝鮮総督府を設置して、武力を 背景とした植民地支配をおし進めました。学校では朝鮮史を教えることを禁じ、日 本史や日本語を教えて、日本人に同化させる教育を行いました。

写真「朝鮮総督府と朝鮮王朝時代の王宮」「総督府を取りこわしたあとに復元された門」

「日本語で授業を受ける朝鮮の子どもたち」

アジアの独立運動

「ソウルで独立をめざす知識人や学生らが・・・独立運動な短期間に朝鮮全土に広 がりました。朝鮮総督府は武力でこれを鎮圧する一方、これまでの武断的な支配 をゆるめる姿勢を示したため、朝鮮の近代化を求める動きが活発になりました」

中国の5・4運動、朝鮮の3・1独立運動、インドでの非暴力運動などを同じ章で取り扱って いる。関連資料:5:4運動の写真、コラム「インターナショナリスト柳宋悦」では3・1独立運 動に共感した日本人を紹介。本文や脚注で日本に対する民族運動が中国や朝鮮の近代 化を促した面を評価している。

満州事変

「現地の軍部は、1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破し、そ れを機に軍事行動を開始しました」

日本軍の陰謀についてはあっさりとした記述で、曖昧。

日中戦争

「1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で起こった日中両国軍の武力衝突により、日 中戦争が始まりました」

宣戦布告がなく、なし崩し的に始まったことについては触れていない。関連写真:らくだで 物資を運ぶ日本兵(日本軍が物資不足や補給手段に困っていたことを表現)

南京虐殺

「日本軍は同年末に首都南京を占領しました。その課程で、女性や子どもをふくむ 中国人を大量に殺害しました(南京事件)」「脚注:この事件は、南京大虐殺として 国際的に非難されたましたが、国民には知らされませんでした」

関連写真「南京陥落を祝う人たち」

真珠湾

「1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まりました」 関連写真:「真珠湾攻撃」(炎上する軍艦)

都市空襲

「アメリカ軍は、経済的打撃をあたえ、戦争に早く勝つため、大都市を空襲しまし た」「1944年には、サイパン島が陥落して本土への空襲が激化し、特に、1945年3 月の東京大空襲では、8万人以上の市民が犠牲となり、100万人の人びとが焼け 出されました。」

関連資料なし

沖縄戦

「1945年3月、アメリカ軍は沖縄に上陸し、激しい戦闘が行われました。沖縄の人 びとは、子どもや学生をふくめて、多くの犠牲者を出しました」「写真脚注:この戦 争での沖縄県民の犠牲者は、県出身の兵士もふくめると、当時の沖縄県の人口 のおよそ4分の1に当たる、12万人以上と推定されています」

写真「火炎放射器で攻撃するアメリカ軍」

広島・長崎

「アメリカは、原子爆弾を8月6日広島に、9日長崎に投下しました。」 関連写真「一瞬にして廃墟となった広島(ドーム)」「脚注:投下から数年以内に、広島市で は約20万人以上、長崎市では約14万人以上の人びとの生命がうばわれたと推定されて います」

その他

「日本が侵略した東アジアや東南アジアでは、戦場で死んだり、労働に借り出され たりして、女性や子どもをふくめて、一般の人びとにも、多くの犠牲者を出しまし た。いっぽう、日本に連れてこられて、意思に反して働かされた朝鮮人、中国人な どもおり、その労働条件は過酷で、賃金も低く、きわめてきびしい生活をしいるもの でした」

関連写真「徴発されて鉄道工事に従事する住民」(写真脚注:タイからビルマに軍需物資を 運ぶための鉄道の建設では、現地の住民や捕虜が働かされ、数万人の死者が出たとい われます)、「日本軍による犠牲者の記念碑」(写真脚注:シンガポールでは、多くの中国 系市民などが、日本軍に非協力的だとして殺害されました)

(2)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

大阪書籍 中学社会歴史的分野 占有率:15.4%

記述 関連資料・備考

韓国併合

「日本は、朝鮮の外交権をうばい、韓国統監府をおき、さらに内政権もにぎって・・・

日本は1910年、軍隊の力を背景にして朝鮮を植民地にしました。これを韓国併合 といいます。」

安重根、抵抗運動の弾圧、政治活動の禁止、新聞発行の制限、強制的な皇民化政策に ついて説明。関連資料:「朝鮮総督府」「日本語で授業を受ける朝鮮の子どもたち」写真、

啄木の短歌「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く」

アジアの独立運動

「1929年に日本人学生の侮辱的な言動に抗議して光州学生事件が起こり、翌年、

対戦でも霧社という地域の住民が労役に反対して、日本人の警察や学校をおそい ました」

満州事変

「1931年9月、満州に配置されていた日本軍は、奉天付近で鉄道線路を爆破し、こ れを中国側の行動として出兵し、やがて満州全土を占領しました」

日本の陰謀であったことを明確に記述している。関連資料:「満州についての新聞報道」、

地図「満州の鉄道の利権と満州事変」、写真「満州伊で開拓を進める日本の農民」コラム で「満州を日本の領土にしないほうがよい」と論じた石橋湛山の説を紹介。

日中戦争

「1937年7月、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突する事件が起こりまし た。現地では停戦協定が結ばれたにもかかわらず、日本政府の方針が定まらな かったこともあって、戦火は上海にも広がり、宣戦布告もないままに全面的な日中 戦争が始まりました。」

写真「中国大陸を進軍する日本兵」、地図「日本の中国侵略」、「盧溝橋事件についてー 日本と中国の見解の違い」と題して、蒋介石の日本の内閣書記官長の談話を紹介

南京虐殺

「12月に占領した首都南京では、捕虜のほか、婦女子をふくむ多数の住民を殺害 しました(南京事件)」「脚注:南京事件は、日本ではその事実を知らされず、戦後 の極東国際軍事裁判で、その規模や犠牲者の実態が始めて明らかにされました。

ただ 被害者数については さまざまな調査や研究が行われていて確定されてい

写真「南京の陥落を祝う街のようす」

真珠湾

「、1941年12月8日、ひそかに開戦の準備をしていた日本軍は、イギリス領のマ レー半島に上陸し、ハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を奇襲して太平洋戦 争が始まりました」

脚注:「この戦争を、当時、日本政府は、日中戦争をふくめて「大東亜戦争」とよびました。

現在では、戦場となった地域から、「アジア太平洋戦争」というよび方もされています。」

写真「真珠湾攻撃」 写真脚注:日本の交渉打ち切りの通告が遅れたため、この攻撃はア メリカの国民を団結させ、「リメンバー・パールハーバー」が合言葉になりました。

都市空襲

「1944年7月、サイパン島の日本軍が全滅して連合国軍に占領されると、大型爆撃 機による大規模な日本本土への空襲が始まりました。1945年3月、東京では焼夷 弾による無差別爆撃を受け、一般市民を中心に一夜で約10万人が犠牲になりまし た。」

資料「空襲を受けた主な都市と死者数」(広島、長崎の原爆被害者も含まれている)、写真

「東京大空襲で避難する人々」、脚注で焼夷弾について説明。

沖縄戦

「1945年3月、連合国軍は沖縄に上陸を始めました。日本軍は沖縄を本土の防壁 として、中学生や女学生までを兵士や従軍看護婦に動員し、住民もまきこんで戦 いました。沖縄の南部は焼き尽くされ、6月には日本軍の組織的な抵抗が終わりま したが、集団自決を迫られた人々もあり、沖縄県民の4人に1人が犠牲になるとい う 悲惨な結果になりました」

写真「沖縄で捕虜となった少年兵」、脚注:犠牲者数は、病死者や餓死者をふくめると、軍 人・軍属(ひめゆり部隊や健児隊に動員された中学生・女学生もふくむ)に住民を合わせ て、12万人以上と推定されています。この犠牲者数は、本土からの兵士の犠牲者数を大 きく上回りました。

広島・長崎

「アメリカは、戦後の世界でソ連に対して優位に立つことなどを意図して、1945年8 月6日、広島に世界で最初の原子爆弾を投下し、9日には長崎にも投下しました。

両市とも、数千度の高熱と猛烈な爆風を受けて一瞬のうちに壊滅し、大量の放射 線を浴びました 犠牲者数は 数週間 うちに 広島 万人 長崎 万人に達

写真「被爆直後の広島市のようす」、資料「原爆による広島市と長崎市の被害」、「第二次 世界大戦での主な国の犠牲者数」→原爆被害について詳しく記述し、犠牲者が市民で あったことを強調。一方で、全世界の犠牲者数を統計的に示して、メガデスの相対化を

図 る

(3)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

日本書籍新社 わたしたちの中学社会−歴史的分野− 占有率:11.8%

記述 関連資料・備考

アジアの独立運動

「日本の植民地支配に苦しんでいた朝鮮の人々も独立を求めて立ち上がった」「日 本は軍隊を派遣し、きびしい弾圧を加えた(脚注:死者8000人)」

3・1独立運動、5・4運動について、地図1枚、写真3枚、脚注などで詳しく述べている。

満州事変

「1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を自分たちの手で爆破 した。そしてこれを中国軍のしわざだとして、事前の計画にしたがってただちに軍 事行動に移り・・・」「日本があやつる「満州国」を建国」

日本の陰謀であったことを明確に記述している。

日中戦争

「盧溝橋で日本軍と中国軍との衝突がおこり、宣戦布告もないまま、日本は中国と の全面戦争をはじめた」

南京虐殺

「日本軍は首都南京を占領したが、そのさい、20万人ともいわれる捕虜や民間人 を殺害し、暴行や略奪もあとをたたなかったため、きびしい国際的非難をあびた

(南京事件)」「脚注:殺害された中国人の数については、さまざまな説がある」

ビジュアル資料はなし。「三光作戦」についての脚注あり。

真珠湾

「戦争で手に入れた権益を失うことをおそれた日本政府はひそかに開戦を決意 し、1941年12月8日、・・・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争がはじまっ た」

脚注で、日本は「大東亜戦争」、アメリカは「太平洋戦争」という名称を使っていたが、昨今 は中国等での激しい戦闘を重視して「アジア太平洋戦争」という呼び方が使われているこ とに触れている。

都市空襲

「アメリカ軍は、はじめは軍需工業地帯を目標にしていたが、しだいに年への無差 別爆撃に戦法を切りかえ、3月10日の東京大空襲では10万人もの死者が出た。さ らに、空襲は地方都市にまで拡大していったため、交通は止まり、生産は激減し、

国民の繊維もしだいにおとろえていった。」

沖縄戦

「1945年4月にはアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、県民もまきこんだはげしい戦闘 が行われ、県民の犠牲者は12万人にものぼった。また、日本軍にスパイ容疑で殺 されたり「集団自決」を強制されたりした人々もあった。」「脚注:軍は民間人の降伏 も許さず、手榴弾を配るなどして集団的な自殺を強制した。」

写真「目のうつろな少女」

広島・長崎

「アメリカは、8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾を投下して、いっしゅん のうちに街を完全に破壊した。」「脚注:1950年末までの死者は、広島20万人、長 崎10万人にのぼった。原爆投下には、戦後の世界で、ソ連に対して優位に立つと いうねらいもあった。」

対ソ原爆外交説の紹介。また「さらに深める学習:広島・長崎への道」で、ゲルニカ→重慶

→東京大空襲における無差別爆撃を紹介し、広島・長崎への原爆投下は無差別爆撃を 極端にまで推し進めたもの、という解釈を呈示している。「考えてみましょう、調べてみま しょう:あなたは、これらの無差別爆撃についてどう考えますか」

その他

「さらに深める学習:まぼろしの大東亜共栄圏」→シンガポールでの華人大虐殺、

泰緬鉄道、バターン死の行進、朝鮮中国強制連行について詳しく述べている。「考 えてみましょう、調べてみましょう:アジア各国の教科書では、戦時中のことはどの ように書かれているのでしょう」

従軍慰安婦については非常に曖昧な記述(軍の要請によって、日本軍兵士のために朝鮮 などアジアの各地から若い女性が集められ、戦場に送られました)。

「さらに深める学習:敵の顔、人間の顔」→戦中のプロパガンダについて、一方で 敵国に向けられた人間としての温かな視点についても紹介。「考えてみましょう、

調べてみましょう:たがいに戦った国々の間では、戦後も感情的なしこりや反発が 残るものです。それを乗り越えるためには、何が必要なのでしょうか」

(4)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

教育出版 中学社会歴史−未来をみつめて 占有率:11.8%

記述 関連資料・備考

韓国併合

「日本は、武力を背景に韓国を保護国とし、韓国の外交権をうばって統監府をおき ました。」「日本は韓国の抵抗をおさえて・・・韓国を植民地都市(韓国併合)、韓国 を朝鮮とあらため、朝鮮総督府をおいて支配しました」「朝鮮人の権利や自由はき びしく制限されました。朝鮮人の学校では、日本語や日本の歴史、修身が教えら れるようになりました」

「保護国から植民地へ」と題して、韓国併合と辛亥革命に対して詳しく記述。関連資料:朝 鮮で使用された日本語の歴史教科書、日本語授業の様子、韓国皇太子と伊藤博文の2 ショット写真。義兵の写真。脚注でこの時期に朝鮮で手都度や農業用水等の施設の整備 が進んだことに触れている。

満州事変

「1931年9月、満州に駐留していた日本軍は、奉天の郊外で、南満州鉄道の線路 を爆破しました。そして、日本軍は、これを中国側がしたことして攻撃をはじめまし

日本の陰謀であったことを明確に記述している。関連資料:「満州は日本の生命線」と報じ る新聞、「満蒙開拓青少年義勇軍」の写真

日中戦争

「1937年7月、中国の北京の郊外で日中両軍の衝突がおこったのをきっかけに、

日中戦争がはじまりました」「宣戦布告をしないままに、日本は次々に戦線を拡大

地図「日中戦争の広がり」

南京虐殺

「同年12月、中国の首都南京を占領しました。このとき、日本軍は混乱のなかで、

多数の捕虜や住民を殺害して、国際的に非難を受けました(南京事件)」「脚注:こ のことは当時、国民には知らされていませんでした。国民がこのことを知ったのは 第2次世界大戦後でした」

関連資料:「南京占領にわく銀座の街」の写真

真珠湾

「12月8日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し て、太平洋戦争がはじまりました」「脚注:政府は「大東亜共栄圏」を建設するため の戦争だと主張し、この戦争を「大東亜戦争」と呼びました」

関連資料:「日本軍の真珠湾攻撃で炎上するアメリカの戦艦」戦艦アリゾナの残がいが眠 るアリゾナ・メモリアル」

都市空襲

「1944年7月、日本を直接爆撃できる距離にあるサイパン島がアメリカに占領され ました。これ以後、日本の多くの都市や軍事施設は、はげしい空襲にさらされまし た。特に、1945年3月10日の東京大空襲では、一夜で約10万人の人々が犠牲に なり、多くの人々が焼け出されました」

関連資料:「東京大空襲の焼け跡」(脚注:「午前零時から2時間以上にわたり、アメリカの B29爆撃機が100機以上来襲し、十数万発といわれる爆弾を投下していきました。東京は 下町を中心に家屋の約40%が焼けたと言われています」

沖縄戦

「1945年3月にはアメリカ軍が沖縄に上陸しました。沖縄では、中学生や女学生を ふくむ多くの県民が守備隊に配置されるなど、はげしい戦闘にまきこまれました。

沖縄戦では、当時約60万人運の県民のうち、死者が12万人以上を数え、戦闘は 日本の降伏後も1ヶ月近くつづきました」

写真「アメリカ軍による洞窟への火炎放射」「ひめゆりの塔」(脚注:看護活動を行っていた

「ひめゆり学徒隊」が、地下壕で飢えや自決のために亡くなっていったことを追悼してつく られたものです)

広島・長崎

「アメリカは、戦後のソ連より優位に立つねらいもあって、8月6日広島に、8月9日 長崎に、原子爆弾(原爆)を投下しました。死者は被爆後の死者をふくめて広島 が、20万人以上、長崎が10万人以上におよび、街は廃墟になりました。」

対ソ原爆外交説の紹介。関連資料:写真「原子爆弾の被害にあった広島(ドーム)」「長崎 に投下された原子爆弾(きのこ雲)」。沖縄と原爆、中国残留孤児、シベリア抑留という一 連の流れを「おびただしい死者たちの上に」という章で説明している。同じ章で、解放に沸 くソウルの様子も紹介している(「1945年8月15日のソウル」)

その他

「アウシュヴィッツのユダヤ人」という章をたてて、第2次世界大戦の起源について 詳しく紹介。

関連資料:「連行されるユダヤ人」「アウシュヴィッツ強制収容所」「ロンドン空爆」「ヒト ラー・ユーゲント一行の来日」の写真。「働けば自由になる」、人種差別主義、負の遺産な どについて説明

「長い間、欧米諸国の植民地とされてきたアジアの人々は、日本軍に期待をしまし た。しかし、占領地では、住民にっきびしい労働をさせたり、戦争に必要な物資を 取り立てたりすることもありました。」

写真「泰緬鉄道建設にかり出された現地の人々」

「やってみよう!:第二次世界大戦の犠牲者は全世界でどのくらいか調べ、今の日 本の人口と比べてみよう」

(5)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

清水書院 新中学校歴史改訂版−日本の歴史と世界− 占有率:2.4%

記述 関連資料・備考

韓国併合

「韓国に関しては、欧米の強国の支持を得たうえで1905年に保護国とした。外交権 をうばい、統監をおいて内政の監督もはかった。これに対し、韓国民ははげしく抵 抗し、独立運動家の安重根が初代統監の伊藤博文を暗殺した。その翌年1910 年、日本は韓国併合を強行した」

アジアの独立運動

「日本は朝鮮総督府をおき、台湾と似た統治をおこなったが、古い歴史を誇る朝鮮 の人びとは抵抗をつづけ、1919年にはもとの皇帝の死去を機に独立運動を展開し て、日本のきびしい弾圧を受けた。」

3・1独立運動の地図1枚、レリーフの写真(柳寛順)

満州事変

「日本は大陸での日本の勢力を失うことをおそれ、中国山東省に出兵した」「日本 の軍隊は、藩陽付近の鉄道の一部をみずから爆破して戦争のきっかけをつくり、

中国軍を攻撃してたちまち全満州を占領した」「国内の新聞などもこうした軍部のう ごきを大々的に報道し、国民の多くはこれを熱狂的に支持した」

日本の陰謀であったことを明確に記述している。

日中戦争

「満州国の実権をにぎった日本の軍部は、さらに華北を侵略した。」

南京虐殺

「日本軍は占領した地域で物資や労働力を徴発し、食料などもその地で確保し た。このため物資の略奪・放火・虐殺などの行為もしばしば発生した。とくに南京占 領にさいしては、捕虜・武器をすてた兵士、老人・女性・子どもまで含めた民衆を無 差別に殺害した。戦士した兵士もあわせたこのときの死者の数は、多数にのぼる と推定されている。諸外国は、この南京大虐殺事件を強く非難したが、当時の日 本人のほとんどはこの事実さえ知らなかった。こうした日本軍の行為は、中国民衆 の日本への抵抗や憎悪をいっそう強めることとなった。」

「日本軍と中国民衆」というコラムで詳しく記述。

真珠湾

「1941年12月8日、日本海軍はアメリカのハワイにある真珠湾を奇襲し、またそれ よりさきに、東南アジアでは陸軍がマレー半島に上陸を開始した。」「日本の軍部・

政府は、日本の経済力や国際情勢をしっかりと判断できず、中国だけでなく、アメリ カ・イギリスも敵に回した戦争をはじめたのである」

写真は「インドシナ進駐」と「真珠湾攻撃」

都市空襲

「1944年末から、アメリカ軍の日本本土空襲が本格化し、全国の100近い都市が爆 撃された。1945年3月10日の東京大空襲では約10万もの人びとが姓名をうばわれ た。」

「深める歴史」の中で東京大空襲の写真とともに、全国で約20万人が犠牲となり、240万 戸の家屋が損失したと紹介。また、「戦争の被害〜手記や体験記などから「そのころ」をさ ぐろう」というコラムでも東京大空襲の手記を紹介。共に、原爆の被害とセットで紹介して

沖縄戦

「1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し、はげしい戦闘ののち、6月にこ れを占領した。沖縄戦では住民の12万人以上が犠牲となった。」「写真脚注:県民 の犠牲者のなかには、非戦闘員の人びとが多かった。なかには、強制されて集団 自決した人もいた。」

写真「白旗をかかげる少女」 「深める歴史:戦争と民衆と」の中で東京大空襲、沖縄、原 爆、満州からの逃避行を説明。「国内では最後でもっともはげしい戦場となった沖縄、原 爆が落とされた広島・長崎でもたくさんの人々がなくなっています。」「戦争の悲惨さ、平和 のたいせつさを伝える場所を調べてみよう」の中で平和の礎を紹介。日本唯一の地上戦 の場所であること、軍人より一般住民の死者がはるかに上回っていること、国籍・立場を 問わず犠牲者全ての名が刻まれていることなどを紹介している。

広島・長崎

「アメリカは戦争の早期終結を名目に、ソ連に対抗する目的もあって、1945年8月6 日に広島、9日には長崎に原子爆弾を投下した。原爆は、一瞬のうちに両都市を 壊滅させ、二十数万もの生命をうばった」「脚注:原爆の投下時に広島市にいた約 35万人が放射能に被ばくした。長崎でも27万人が被ばくしたと推定されている。」「

対ソ原爆外交説の紹介。見返しに関連写真、同じページに写真「原爆投下直後の広島」

(相生橋で撮られた有名なもの)。「深める歴史:戦争と民衆と」の中で「日本国民も被害者 となった」と題して東京大空襲、沖縄、原爆、満州からの逃避行を説明。写真「原爆によっ て被災した浦上天主堂」(脚注:1945年8月9日、原爆が長崎市の浦上地区に投下され、6

−7万人が死亡したと推定されています」「戦争の悲惨さ、平和のたいせつさを伝える場所 を調べてみよう」というコラムで、原爆ドーム、広島平和祈念資料館、長崎原爆資料館を 紹介

その他

「コラム:戦時下の朝鮮」→「総督府は日本語の使用を強制し、伝統的な姓名にか えて日本式の氏名をつくらせて、公的な場ではこれを使わせるようにし、神社への 参拝も義務付けた。・・・長い歴史をもつ朝鮮の文化や社会を根本から破壊するも のであり、朝鮮の人びとは深いいきどおりをもった。」

従軍慰安婦については非常に曖昧な記述(軍の要請によって、日本軍兵士のために朝鮮 などアジアの各地から若い女性が集められ、戦場に送られました)。

「深める歴史10:戦争と民衆と」 この中で、日本が植民地や占領下の民衆に略奪・暴行を行い、強制労働・徴兵・強制連 行を行ったこと、こうした問題に対して戦後補償の課題が残っていること、日本の民衆も 空襲や沖縄戦、原爆、満州などで犠牲になったことを詳しく説明している。従軍慰安婦に ついては「過酷な労働を強いられたりしたのは男性だけでなく、女性も含まれていました」

という記述にとどまる。

(6)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

帝国書院 社会科中学生の歴史−日本の歩みと世界の動き− 占有率:14.2%

記述 ポイント

韓国併合

「日本は韓国の植民地化を進め、陸軍・海軍の軍備を増強させ・・1910年、日本は 韓国を併合して、植民地としました。朝鮮総督府をおいて支配を開始し、韓国を朝 鮮と改め、首都漢城も京城と名をかえさせました。

写真「朝鮮の王宮前に建てられた朝鮮総督府」「東京で撮影された韓国皇太子と伊藤博 文」、石川啄木の短歌と初代朝鮮総督の短歌の比較、地図「日本の韓国併合に対する朝 鮮民衆の抵抗運動」、コラム「韓国の教科書に見る安重根」では、日本では暗殺者である 安が韓国では民族的英雄であることが紹介されている。コラム「ネルーが娘に語った歴 史」では、日本の朝鮮侵略についてのネルーの発言を紹介している。

アジアの独立運動 満州事変

「中国は、日本の中国での権益の中心であった、南満州鉄道に並行する鉄道を建 設しようとしました。この動きに対し、「満州」にいた日本軍は、1931年9月、南満州 鉄道の奉天付近で爆破事件を起こし(柳条湖事件)、これを中国側のしたこととし て攻撃をはじめ、「満州」全体を占領しました」

関連資料「1931年の新聞記事」(日本民族の血と汗の結晶!特殊権益 断じて侵略を許 さず)、写真「旧関東軍司令部(長春)」

日中戦争

「1937年7月、北京郊外で日中両軍が衝突した盧溝橋事件をきっかけに、日中戦 争が始まりました」

宣戦布告がなく、なし崩し的に始まったことについては触れていない。関連地図:日中戦 争

南京虐殺

「日本軍は中国の南部からも侵攻し、上海や、当時首都であった南京を占領しまし た。南京では、兵士だけでなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、諸外 国から「日本軍の蛮行」と非難されました(南京大虐殺)。しかし、このことは、日本 国民には知らされていませんでした」

「南京大虐殺」という言葉を使用。

真珠湾

「1941年12月、日本軍はイギリス領であったマレー半島に上陸する一方、これと並 行してハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を奇襲しました。日本は、アメリカ・

イギリスに宣戦し、太平洋戦争(アジア太平洋戦争)が始まりました」

関連写真:「真珠欄攻撃」(炎上する軍艦)、脚注:戦争中、日本は大東亜共栄圏をつくる 目標から、大東亜戦争とよんでいました。太平洋戦争は本来アメリカ側が用いた呼び方 で、近年は、アジアも戦場であったことから、アジア太平洋戦争ともよばれています。

都市空襲

「南洋群島のサイパン島がアメリカ軍によって占領されると、ここを基地として日本 本土の爆撃も行われるようになりました」、資料「日本本土への空襲」:アメリカの 日本本土への空襲は、はじめは夜間に工場をねらっての爆撃でしたが、のちには 焼夷弾を使って都市を焼き払うようになりました。・・・」

地図「全国の空襲の被害」を用いて、東京大空襲を始めとする全国の空襲を説明。広島・

長崎も含んで記述。

沖縄戦

非常に詳しいので略 コラム「戦場となった沖縄」では1Pを使って詳しく沖縄戦を記述。写真「火炎放射器を使う アメリカ兵」、「ふりそそぐ砲弾でつくられた穴」、「平和の礎」(脚注:国籍を問わず沖縄戦 で亡くなった23万人の名前が刻まれています。一部の遺族は刻まれることをこばみ、空白 のままです)、地図「沖縄で行われた地上戦」、資料「記録に残る家族たち」(南風原町の

広島・長崎

「戦争の早期終結を望むアメリカは、8月6日に広島に、8月9日長崎に原子爆弾を 投下しました。1945年8月6日午前8時15分に投下された一発の原子爆弾により、

14万人もの人が殺され、広島市の中心部は壊滅しました。そのときに生き残った 人々も、放射能の後遺症などによって苦しみ、その後も死者は増え、5年後の1950 年までに死者の数は20万人以上に達したといわれています。長崎でも、1945年末 までに7万人を数える死者を出しています。」

関連写真「原爆によって崩壊した広島市内」(ドーム)、地図「原爆の被災の範囲」(広島)、

コラムと資料「ある少女の日記」(広島第1県女の森脇瑶子さんの記録)、原爆の関連年表 (マンハッタン計画〜)、やってみよう「アメリカはなぜ原爆を使ったのか、その理由をいくつ かあげてみよう」

その他

「第五章:植民地の支配と抵抗」 中国での抗日運動や、植民地における日本の弾圧とそれに対する抵抗運動について、資 料を用いて詳しく説明している。関連資料:写真「朝鮮神宮」、「民家にえがかれた抗日へ のよびかけ」、「日本語を学ぶニューギニアの人々」。コラム「外国の教科書が教える日本 の支配」では、インドネシアの教科書の一部を紹介し、日本の略奪についての記述を掲載

その他

「第8章:それぞれの敗戦と「戦後」の出発」:「日本の植民地とされた朝鮮や台湾、

日本軍に占領されていた中国や東南アジアの人々は、解放を喜びました」「日本が 占領したアジアや太平洋の地域の人々にも多くの人的・物的な損害をあたえまし

敗戦と戦後を一連の流れに位置付けているのが特徴。シベリア抑留や中国残留日本孤 児についても記述。関連資料:コラム「それぞれの敗戦」、資料「第2次世界大戦の犠牲者 数」、写真「敗戦をつげるラジオを聞く人々」

その他

「挑戦!:戦時下の資料を読んで」⇒「人々はなぜ戦争をささえ続けたのでしょう か。戦争に疑問をいだかなかったのでしょうか」、資料1「戦時下の人々は戦争を どのように考えていたのだろう」、資料2「子ども用の絵本などはどのような内容 だったのだろう」、資料3「戦時下の報道はどうだったのだろう」

雑誌「少年倶楽部」に寄せられた小学5年生の作文、絵本「日本再生桃太郎」、アニメ「桃 太郎海の神兵」、ミッドウェー海戦に関する日米の報道記事の比較。発禁になった毎日新 聞の記事などの資料を用いて、戦時下のプロパガンダについて考えさせる構成となって いる。

(7)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

日本文教出版 中学生の社会化歴史−日本の歩みと世界− 占有率:1.4%

記述 ポイント

韓国併合

「日本は韓国を保護国とし、統監府をおいて、内政の実権・・・日本をにぎり、韓国 の軍隊を解散させた。日本は、反日抗争を軍隊と警察の力でおさえ、1910年、韓 国を日本の領土に日本に併合し(韓国併合)、朝鮮とよんで、植民地として支配し た。朝鮮の人々は、祖国を失い、同化を強制され、満州や日本への移住を余儀な

写真「朝鮮の学校での日本語の授業」(脚注:日本語を強制して、日本に同化させようとし た)、統計「朝鮮の小学校における授業時間」、写真「安重根」(脚注:韓国では「救国の英 雄」とされ、ソウル南山に記念館が建てられている。)

満州事変

「1931年9月、関東軍は、奉天(藩陽)付近で南満州鉄道を爆破し(柳条湖事件)、

これを中国軍のしわざとして戦争をはじめ、満州を占領した。これを満州事変とい い、いわゆる日中15年戦争となっていった。」

日本軍の陰謀であることを明示。15年戦争という言葉を紹介している唯一の教科書。関 連写真「満州国の建設」、「満州の開拓」、「リットン調査団」

日中戦争

「1937年7月、ペキン(北京)郊外の盧溝橋で、華北に駐屯していた日本軍は、中国 軍と衝突した。これをきっかけに、日中戦争が始まった。日本の戦線は、中国の主 要都市をはじめ、各地に広がっていった。」

宣戦布告がなく、なし崩し的に始まったことについては触れていない。関連写真:「日中両 軍が衝突した盧溝橋」

南京虐殺

「日本軍は、ナンキン占領のとき、大ぜいの中国民衆を殺し(南京虐殺事件)、国 際的に非難されたが、日本の国民には知らされなかった」

関連写真「日本軍のナンキン入城」。「南京虐殺事件」という言葉を使っている。

真珠湾

「1941年12月8日、陸軍は、イギリス領マレー半島の北部に上陸をはじめ、海軍 は、ハワイの真珠湾を奇襲した。この日、日本は、アメリカ・イギリスに宣戦し、太 平洋戦争が始まりました」

関連写真:「マレー半島に兵を進める日本軍」「日本軍の攻撃で炎上するアメリカの軍艦」

→マレー半島進軍を並列に取り扱っている唯一の教科書

都市空襲

「1944年にサイパン島が、翌年硫黄島がうばわれると、日本の多くの都市や軍事 施設は空襲にさらされた」「1945年3月になると、、東京をはじめ、重要都市への大 規模な空襲がはじまり・・・」

絵「東京大空襲」(脚注:1945年3月10日、アメリカ軍の爆撃機が、東京を空襲した。約8万 人がなくなり、26万前後の家屋が焼失した」〜「沖縄・広島・長崎」という章立ての中で、東 京大空襲も敗戦に至る過程として紹介している。

沖縄戦

「・・・沖縄では、アメリカ軍とのはげしい地上戦が3ヶ月にわたってつづいた。この 戦闘には、多くの中学生や女学生も加わり、敗退する中で集団自決した住民もい た。激戦の末、沖縄は占領され、日本の敗戦は決定的となった」

写真「アメリカ軍の沖縄上陸」(脚注:沖縄戦での死者は20万人を数え、日本軍兵士9万人 のほか、沖縄の一般住民9万人あまりが犠牲になったといわれる」

広島・長崎

「アメリカは、孤立しても戦いつづける日本に対して、8月6日に広島、ついで9日に は長崎に、原子爆弾を投下した。アメリカが原子爆弾を用いたのは、戦後の世界 で、ソ連に対して優位に立とうとするねらいがあったからだともいわれている」

関連写真「被爆直後の広島市(左−原爆ドーム)と長崎市(右−浦上天主堂)」(脚注:原 子爆弾によって、広島では約14万人、長崎では約7万人の人命が失われたといわれ、放 射能をあびて、いまなお苦しんでいる人が多い」、コラム「見て・感じて・つかむ歴史:平和 の尊さ」の中で「原爆の図」(丸木夫妻)を紹介。

その他

「植民地の台湾や朝鮮では、兵士の募集がはじまった。宮城や神社に向かってお がまされ、また、固有の姓名を日本式に変えさせられた(創氏改名)。植民地の 人々は、戦争下にあって、「天皇の民」にふさわしい、皇国の臣民となるように同化

関連写真「台湾での徴兵検査のようす」「朝鮮神宮」

「コラム:女性と子どもの歴史」:少国民の生活:陸海軍は、不足する戦力を補うた め、少年飛行兵制度をつくり、全国の中学校へ人数を割り当て、少年兵志願者を つのりました。大量に速成された「若鷲」は、出撃すれば二度ともどることができな い神風特別攻撃隊などに参加し、多くが戦死しました。

「日本の戦争とアジアの人々」:「日本は、この戦争を、欧米の植民地からアジアの 民族を解放するための戦争と位置付け、大東亜戦争とよんだ。しかし、植民地の 独立を認めず、占領下の住民を労務者として徴発した。朝鮮から約70万、中国か ら約4万の人々が労働力不足をおぎなうために日本に連れてこられ、炭鉱などで 過酷な労働に従事させられた。東南アジアの占領地では、日本軍が、食料や資源 など戦争に必要な物資を取り立て、住民にきびしい労働を強制した。」

写真「シンガポールで日本軍に虐殺された中国系住民の慰霊碑」

「この日は、日本の植民地であった台湾や朝鮮、日本に占領された中国などの 人々にとって、民族解放の日となった。いっぽう、満州などにいた日本人は、飢え になやまされながら、日本に帰るべく、苦しい日々を強いられた。日本の降伏に よって、第2次世界大戦は終結し、満州事変から15年に及んだ日本と中国との戦

写真「独立を祝う朝鮮の人々」、統計「第2次世界大戦の被害」(連合国・枢軸国別の兵力・

死傷者・戦費の比較)

コラム「見て・感じて・つかむ歴史:平和の尊さ」→「ゲルニカ」(ピカソ)、「アウシュ ヴィッツ」、「エルベの誓い」、「農夫のなげき」、「鋤鍬捨てて」、「原爆の図」等の絵 や写真を紹介

(8)

【資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述】

扶桑社 改訂版新しい歴史教科書中学社会 占有率:0.4%

記述 ポイント

韓国併合

「日本韓国に統監府を置いて支配を強めていった。欧米列強は・・・自国の植民地 や勢力圏の支配を日本が認めることなどと引きかえに、日本が韓国を影響下にお さめることに異議をとなえなかった。日本政府は、日本の安全と満州の権益を防衛 するために、韓国の併合が必要であると考えた。1910年、日本は武力を背景に韓 国内の反対をおさえて、併合を断行した。・・・植民地政策の一環として、鉄道・灌 漑の使節を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した。」

写真「朝鮮総督府の建物」、「韓国服の伊藤博文」、「人物コラム:八田輿一」で、台湾総督 府において台湾の灌漑施設工事に挑み、台湾の人々に感謝された人物を紹介し、植民 地下で日本が貢献したこともあったことを併せて紹介している。

アジアの独立運動

「(中国の排日運動について)暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の 影響も受け、過激な性格を帯びるようになった」

資料「中国の情勢についての米外交官マクマリーの見解」の中で、中国人の暴力性につ いての他国の批判を紹介している。

満州事変

「1931年9月、関東軍は奉天(現在の藩陽)郊外の柳条湖で、満鉄の線路を爆破 し、これを中国側のしわざだとして、満鉄沿線都市を占領した」「その後、日本と中 国とのあいだで停戦協定が結ばれ、満州国は、五族協和、王道楽土建設のス ローガンのもと、日本の重工業の進出などにより経済成長をとげ、中国人などの 著しい人口流入もあった」

写真「南満州鉄道」、地図「満州事変満州国の建国」、写真「リットン調査団」

日中戦争

「1937年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが 発砲する事件がおきた。これをきっかけに、翌日には中国軍と戦闘状態になっ た。・・・こうして、以後8年間にわたる日中戦争が始まった」

宣戦布告がなく、なし崩し的に始まったことについては触れていない。関連写真:「盧溝 橋」「市街戦で破壊される上海市内」

南京虐殺

「日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏するだろうと考え、12 月、南京を占領した」脚注「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷 者が出た(南京事件)。なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の 上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。」

「軍民」という曖昧な記述。データの信憑性にも疑問を呈示。

真珠湾

「1941年12月8日、日本海軍はアメリカのハワイにある真珠湾基地を空襲し、アメリ カ太平洋艦隊に全滅に近い打撃をあたえた」、「アメリカ政府は、日本の交渉打ち 切りの通告が真珠湾攻撃よりも遅れたのは、卑劣な「だまし討ち」であると自国民 に宣伝した。日本の真珠湾攻撃は軍事的には成功したが、今まで戦争に反対して いたアメリカ国民を「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、対日戦争に団結さ せる結果をもたらした」

関連写真:「ハワイの真珠欄攻撃」〜「奇襲」でなく「空襲」と記述している唯一の教科書。

「だまし討ち」は米国のプロパガンダだとして紹介している。

都市空襲

「1944年7発、日本の委任統治領だったマリアナ諸島の一つのサイパン島が陥落 し、制空権をにぎった米軍は、同年末から爆撃機B29による日本本土への空襲を 開始した。・・・1945年3月10日には、東京大空襲が行われ、一夜にして約10万人 の市民が命を失った」

写真「東京大空襲の惨状」(脚注:米軍は、東西5km、南北6kmの区域内に焼夷弾を落と し、火の壁で人々の退路を断って爆撃した。

沖縄戦

「4月、米軍は沖縄に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9 万4千人を出す戦闘の末、2ヵ月半のちに沖縄を占領した」

関連資料なし。沖縄に関する記述が少ない。

広島・長崎

「日本政府は、対日参戦をひそかに決めていたソ連に、そうとは知らずに連合国と の講和の仲介を求めた。ポツダム宣言が発表されると、鈴木貫太郎首相や主要な 閣僚は、条件付きの降伏要求であることに着目し、これを受諾する方向に傾いた。

しかし、陸軍は反対し、本土決戦を主張してゆずらなかった。政府はしばらくソ連 の仲介の返答を待つことにした。そのあいだに、8月6日、アメリカは世界最初の原 子爆弾を広島に投下した。…8日、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告 し、翌日、満州に侵攻してきた。また同日、アメリカは長崎にも原爆を投下した。」

関連写真「広島に投下された原子爆弾(きのこ雲)」、資料「日本を壊滅から救ったアメリカ の外交官」ではポツダム宣言の作成にあたって親日派のグルー国務次官が果たした役割 について紹介してある。〜原爆をソ連の侵攻とからめて記述してあるのが特徴

その他

「この戦争は、戦場となったアジア諸地域の人々に大きな損害と苦しみを与えた。

とくに中国の兵士や民衆には、日本軍の侵攻により多数の犠牲者が出た・・・日本 の南方進出は、もともと資源の獲得を目的としたものだったが、アジア諸国で始 まっていた独立の動きを早める一つのきっかけともなった」

関連写真「日本の占領統治(フィリピンでの日本語学習の様子」、コラム「アジアの人々を 奮い立たせた日本の行動」、「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」の中で、

欧米列強の支配に苦しむアジアの人々が日本の進軍を喜んだ側面もあったことを紹介。

写真資料「出撃する特攻隊」

(9)

資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述

1966年検定/1968年発行

記述 関連資料・備考

韓国併合

「ポーツマス条約によって、日本の韓国に対する指導的な立場がみとめられたので、

日露戦争ののち、日本は韓国を保護国として、外交と内政を監督することにした。こ れに対して、韓国人の間にはげしい反対運動がおこったが、日本は1910年、ついに 韓国を併合した。」

写真「伊藤博文と韓国皇太子」(脚注:初代の韓国統監になった伊藤は、韓国の一青 年にハルビン駅頭で暗殺された。翌年、日本は韓国を併合した」

アジアの独立運動

写真「五・四運動」(脚注:講和会議で、山東半島のドイツの権益を日本にわたすこと がきまると、1915年5月4日、北京の学生を中心にして、これに反対する民族運動が おこり、民衆に支持されて各地に広がった」

中国の5・4運動とインドでの非暴力運動を並列に扱っている。パリ講和会議と民族 自決主義との関連のみで、日本に対して、という記述はない。また、朝鮮の3・1独立 運動についての記述もない。

満州事変

「こうしたなかで、日本の陸軍は、1931年鉄道爆破事件をきっかけにして、奉天(藩 陽)の近くで国民政府軍と戦いを始めた。政府は事件の大きくなるのをおさえようとし たが、軍部は政府の方針を無視して満州を占領した。」

日本軍の陰謀については記述なし。関連写真「出征する日本軍と当時の新聞記事

(満州は日本の生命線)」

日中戦争

「こうして、華北ではげしく対抗するようになった日中両軍は、1937年7月、北京郊外 で衝突した。これをきっかけにして日本軍は急速に戦線を広げた。政府は不拡大の 方針をとなえたが、戦いはたちまち華北一帯にひろがり、戦火はやがて上海にもおよ んだ。これを日華事変とよんでいある。」

「日華事変」という呼称を使用。盧溝橋事件については記述無し。地図:日華事変

南京虐殺

「日本軍は半年の間に華北を占領し、さらに南京をおとしいれた」 記述はなし

真珠湾

「これまでの例をやぶって現役の軍人東条英機が首相となり、軍人内閣を組織した。

この内閣のもとでひそかに開戦が決定され、12月8日、合衆国の海軍基地ハワイの 真珠湾に奇襲がおこなわれ、合衆国・イギリス・オランダに対する宣戦が布告され た 」

関連写真:「開戦」(炎上する軍艦と新聞記事)(脚注:12月8日朝、日本軍はハワイの 軍港に停泊中の合衆国艦隊を奇襲した)

都市空襲

「【太平洋戦争のなりゆき】合衆国軍は、サイパン島を基地にして日本本土の空襲を はじめ・・・」「東京や大阪をはじめ、おもな都市に対する空襲がはげしくなった。」

写真「焼け野が原の東京(脚注:サイパン島が占領されると、本土空襲がはげしくなっ た。多くの都市は爆撃にうちひしがれ、美しかった国土は荒廃した」

沖縄戦

「合衆国軍は、サイパン島を基地にして日本本土の空襲をはじめ、翌年、ついに沖縄 が戦場となった」

関連資料なし

広島・長崎

「日本はこれ(ポツダム宣言)をうけるかどうかためらっていたが、合衆国は8月6日、

原子爆弾を広島に投下した。ソ連も8日、日本に宣戦を布告して、満州に侵入した。

ついで9日には、長崎にも原子爆弾がおとされた。

関連写真「焼土と化した広島」(ドームの写真と新聞記事)脚注:「この建物の真上に おとされた一発の原子爆弾で、当時の広島の人口約40万人のうち、約2分の1の人 命は一瞬の内にうばわれた。戦後後遺症による被害は今日もなおつづいている。」

〜統計数字が現在のものより多い(年内に死んだ人が14万人、5年後までで20万人 というのが現在の統計)

戦後(核関連)

「広島と長崎に投下された原子爆弾は、その威力があまりにも大きかったので、原子 爆弾の使用はもちろん、その製造を禁止することは世界の人々の心からの願いで あった。しかし、・・・原子爆弾よりもはるかに強力な水素爆弾が完成した。・・・いっぽ うでは、原水爆の製造と実験の禁止を要求する運動は全世界にひろまり、1959年に は、国際連合でも全面完全軍縮を決議した、また、…1963年部分的核実験停止条約 を結んだ。」

写真「原水爆禁止世界大会」(脚注:原水爆禁止の訴えは世界にひろがった。写真 は、1955年広島で開かれた第一回大会)、脚注「1945年3月、合衆国が南太平洋でお こなった水爆実験で、日本の漁船が「死の灰」をかぶったことは、水爆のおそろしさを 世界の人々にじっさいに知らせた。

むすび

「永久の平和をうちたてることは、じっさいにはむずかしいことである。しかし、日本は 世界最初の原爆被災国であることも考えて、しんぼう強く平和の達成につとめなけれ ばならない。それには、まずおたがいの人権を重んじ、相手の立場を尊重する民主 主義をいっそう発達させ、心から平和を愛する国に育てあげることがたいせつであ る」

(10)

資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述

1968年検定/1969年発行 改訂 新しい社会2

記述 関連資料・備考

韓国併合

「ポーツマス条約によって、韓国に対する日本の優越的な立場が認められたので日 露戦争ののち、日本は韓国の外交と内政とを監督することにした.その後、1910年、

韓国の間におこったはげしい反対をおしきって、日本は韓国を併合した。」

写真伊藤博文と韓国皇太子伊藤博文」〜前回版とほとんど変化なし

満州事変

「こうしたなかで、満州にいた日本軍(関東軍)は、1931年、奉天(藩陽)の郊外で鉄道 爆破事件をおこし、これをきっかけにして中国の軍隊と戦いを始めた。陸軍は政府の 方針を無視して戦線を広げ、満州を占領した。これを満州事変という。」

写真「満州事変を報じる新聞」

日中戦争

「こうしたなかで、華北で対立していた日中両軍は、ついに1937年7月、北京郊外で衝 突した。政府は、はじめは不拡大の方針を唱えたが、戦線はたちまち華北一帯に広 げられ、戦火はやがて上海にもおよんだ。これを日華事変という。」

66年版からほとんど変更なし

南京虐殺

「日本軍は半年の間に華北を占領し、さらに南京をおとしいれた」 66年版からほとんど変更なし

真珠湾

「外交交渉が進まないまま、1941年12月8日、日本海軍の航空隊が合衆国の海軍基 地であるハワイの真珠湾を奇襲して、ここに太平洋戦争が始まった。」

関連写真:「開戦」(炎上する軍艦と新聞記事)(脚注:12月8日朝、日本軍はハワイの 軍港に停泊中の合衆国艦隊を攻撃した)、「脚注:日本は、合衆国・イギリス・オラン ダに宣戦し、この戦争を、日華事変をも含めて、大東亜戦争と名付けた」〜「太平洋 戦争」について明確に記述。

都市空襲

1944年。サイパン島を占領した合衆国軍は、ここを基地にして日本本土の空襲を始 め、翌年には、東京・大阪をはじめ、おもな都市が焼け野が原となった。」

写真「焼け野が原の東京(脚注:サイパン島が占領されると、本土空襲がはげしくなっ た。多くの都市は爆撃にうちひしがれ、美しかった国土は荒廃した」

沖縄戦

「太平洋戦線では、マッカーサーの率いる合衆国軍が、フィリピンからさらに北上し て、ついに沖縄が戦場となり、本土への空襲も強まった。」

関連資料なし

広島・長崎

「日本政府が、ポツダム宣言を受け入れるか戦争をつづけるか、きめかねているうち に、合衆国は、8月6日、世界最初の原子爆弾を広島に投下した。ソ連も日ソ中立条 約を無視して、8日、日本に宣戦し、満州に攻め込んできた。合衆国は、9日、長崎に も原子爆弾を投下した。

関連写真「焼土と化した広島」(ドームの写真と新聞記事)脚注:「この建物の真上に おとされた一発の原子爆弾で、当時の広島の人口約40万人のうち、約2分の1の人 命は一瞬の内にうばわれた。戦後後遺症による被害は今日もなおつづいている。」

〜66年版と殆ど変化無し。

戦後(核関連)

「広島と長崎に投下された原子爆弾は、おそろしい被害をもたらしたので、これを知っ た世界の人々は、その使用はもちろん、その製造も禁止することを心から願った。し かし、・・・1949年には、ソ連も原子爆弾をもっていることが明らかにされた。そして、

1952年に合衆国が水素爆弾の実験に成功すると、ソ連も翌年に水爆の保有を発表 した。…世界には、そののちも、人々を不安におとしいれる事件(脚注:ハンガリー動 乱、スエズ侵攻、キューバ危機)がたびたびおこった。」

写真「「原爆の子」の像」(脚注:これには、「これはぼくらのさけびです。これはわたし たちの祈りです。世界平和を築くための」ときざまれている。原爆ドームが左後方に みえる。)、写真「部分的核実験禁止条約の調印式」

むすび

「永久の平和をうちたてることは、今日ではむずかしいことのようにみえる。しかし、日 本は世界最初の原爆被災国であるから、日本人は、平和がいかにたいせつである かを痛切に感じている。わたしたちは、おたがいの人権を重んじ、相手の立場を尊重 する民主主義をいっそう発達させ、心から平和を愛する国に日本を育てあげよう。そ れとともに、世界のすべての国々との間に理解を深め、人類全体の幸福をめざして 努力していこう」

(11)

資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述

1978年検定/1979年発行 新しい社会 歴史的分野

記述 関連資料・備考

見返し資料

「原子爆弾の惨禍」:原子爆弾の恐ろしさ、被害者の痛ましさを世界の人々伝え、再 びこうした惨禍がおきぬよう祈りつつ描かれた、「原爆の図」(丸木位里、俊 画 埼玉 県 丸木美術館蔵)

韓国併合

「ポーツマス条約によって、韓国に対する日本の優越的な立場が認められると、日本 は韓国の外交権を管理し、統監府を置いて内政・警察を支配した。これに対して、朝 鮮全土ではげしい抵抗運動がおこったが、日本は軍隊を出してこれを鎮圧した。さら に、1910年、韓国を日本に併合する条約に調印させ、朝鮮を植民地とした」「日本は 朝鮮を植民地にすると、土地調査を行い、そのため多くの朝鮮人が土地に対する権 利を失った。・・・朝鮮人の民族としての自覚をなくして、日本に同化させようとした。そ のいっぽう、日本人の間には朝鮮人をさげすむ意識が強められていった」

写真「韓国皇太子と伊藤博文」(脚注:韓国皇太子に日本の服装をさせている。伊藤 は統監府が置かれると、初代の統監になった)〜同じ写真ながら、脚注が全く変化。

写真「朝鮮の児童への同化教育」〜初登場。→韓国併合に関する記述が全面的に 詳しくなっている。負の部分について記述。

アジアの独立運動

「朝鮮では、1919年3月1日、京城(ソウル)で「独立万歳」をさけぶ示威運動がおこっ た(三・一運動)。この運動は、日本の植民地支配に苦しめられていた民衆の共感を よんで、各地に広がったが、日本の軍隊と警察とによって、鎮圧された」

関連地図「三・一運動」〜中国の五・四運動についての記述もある。

満州事変

「1931年9月18日、満州にいた日本軍は、奉天(藩陽)の郊外で鉄道爆破事件をおこ し、これをきっかけにして中国の軍隊と戦いを始めた。政府は初め戦いを拡大しない 方針を示したが、陸軍はこれを無視して戦線を広げ、満州を占領した。これを満州事 変という。」

写真「満州事変を報じる新聞」

日中戦争

「華北で対立していた日中両軍は、ついに1937年7月、北京郊外で衝突した。政府 は、はじめは不拡大の方針を唱えたが、戦線はたちまち華北一帯に広げられ、戦火 はやがて上海にもおよんだ。こうして日中戦争が始まった。」

地図「日中戦争」、日華事変→日中戦争に呼称が変更。

南京虐殺

「日本軍は半年の間に華北を占領し、さらに南京を攻めとって、各地で多くの中国民 衆の生命を奪い、その生活に大きな損害をあたえた。」「脚注:南京に入城した日本 軍は、その直後に、婦女子、子ども、武器を捨てた兵士や平服の兵士をふくむおびた だしい数の中国人を殺傷した。この事件は、南京虐殺として諸外国から非難をあび たが、日本の一般国民は、その事実を知らされなかった。」

南京虐殺についての記述が急激に変化

アジア民衆の弾圧

「さらに多数の朝鮮人や、中国人までも強制的に連れてきて、ひどい条件のもとで炭 鉱などの重労働に従事させた」

真珠湾

「日米交渉が進まないまま、1941年12月8日、日本海軍の航空部隊が、ハワイの真 珠湾にあるアメリカ軍の基地を奇襲して、ここに太平洋戦争が始まった。」「脚注:日 本は、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦し、この戦争を、日中戦争をも含めて、大東 亜戦争と名付けた」

関連写真:「開戦」(炎上する軍艦の遠景)(脚注:日本軍はアメリカの太平洋艦隊を奇 襲して大打撃をあたえた。「真珠湾を忘れるな」というのがアメリカ国民の合言葉と なったといわれる。)

都市空襲

1944年になると、アメリカ軍は、サイパン島を占領し、ここから日本本土の空襲を始 め、翌年には、東京・大阪をはじめ、おもな都市が焼け野が原となった。」

写真「焼け野が原の東京」(脚注:東京だけで約90万戸の家が焼かれ、被災者は310 万に達した。とくに、1945年3月10日の東京空襲では、約10万の人々が生命を失い、

100万の人々が家を失ったといわれる)

沖縄戦

「太平洋戦線では、アメリカ軍が、フィリピンを取りもどし、さらに北上して、1945年に はついに沖縄が戦場となった。戦場となった沖縄では、およそ9万もの兵士と、15万も の一般民衆が死んだ。」

コラム「戦争と国民生活」の中で、「沖縄県史、沖縄戦記録1」から資料を紹介。「沖縄 の戦いでは、中学校や高等女学校などの生徒たち約2000名が、男子は兵士として、

女子は看護婦として、戦いに参加し、その約半数が死亡した」と記述。

(12)

資料1:東京書籍『中学校 新しい社会 歴史』におけるアジア・太平洋戦争の記述

広島・長崎

「アメリカは、8月6日、世界最初の原子爆弾を広島に投下した。ソ連も8日、ヤルタ協 定に基づき、日ソ中立条約を無視して日本に宣戦し、満州に攻め込んできた。アメリ カは9日、長崎にも原子爆弾を投下した。」「原子爆弾によって、広島では約20万以 上、長崎では約10万以上の人の生命が奪われた。高熱を爆風によるぎせい者だけ でなく、放射能を浴びた人々の多くは数週間以内に死亡した。さらに、その後20年以 上にわたり新たに発病・死亡する人々が続いている。こうした原爆後遺症による被害 は、核兵器の恐ろしさをいまも人々に示している」

関連写真「一瞬にして廃虚となった広島」(ドームの写真)、資料「爆心からの距離に よる広島の被害状況」

戦後(核関連)

「1949年、ソ連が原子爆弾を所有し、アメリカの核兵器独占が破れると、さらに強力な 水素爆弾をめぐって米ソの核実験競争が行われ、核兵器が大量に生産されるように なった。・・・1950年、世界の各地からストックホルムに集まった各国の代表者は、核 兵器の製造・使用禁止を世界の人々に強く訴え、冷戦下の平和運動に大きな役割を 果たした。このようななかで、1954年、太平洋上で行われたアメリカの核実験によっ て、日本の漁船が「死の灰」を浴び、乗組員が死亡する事件が起きた。これをきっか けにして、世界で原爆の被害を受けたただ一つの国である日本国民の間に、原水爆 禁止運動がもりあがった。そして、日本の訴えが世界の各国にも影響をあたえた。

写真「「原爆の子」の像」、「水爆実験とその影響」(脚注:アメリカの核実験によって、

放射能に汚染された魚がとれ、人々の不安が高まった。右は、これに対し、核実験水 域でとれたものではないことを強調する魚の小売店)、キューバミサイル危機やそれ に続く部分的核実験禁止条約、核兵器拡散防止条約についても説明

戦後(補償関連)

「日本は、過去に、戦争を通じて中国国民に重大な損害をあたえたことを深く反省 し、・・・」

むすび

「永久の平和をうちたてることは、きわめてむずかしいことである。しかし、世界で原 爆の被害を受けたただ一つの国である日本の国民は、平和がいかにたいせつであ るかを痛切に感じている。わたしたちは、過去の歴史に学んで、未来の平和な日本、

そして世界をつくりあげるために、互いの人権を重んじ、相手の立場を尊重する民主 主義をいっそう発達させよう。」

1981年検定/1982年発行 新しい社会 歴史的分野

→1978年検定版から下記を除いてほとんど変更なし

記述 ポイント

沖縄戦

「この戦争は、ことばでは言い表せないほど、悲惨なぎせい者が出た。軍人ばかりで なく、中学校、女学校の生徒もいっぱんの人々とともに戦った。鉄血勤皇隊、ひめゆ り隊などがそれである、そして多くの人々が戦死したり、みずから命を絶ったりした。」

「自由研究のページ」で沖縄戦について、戦後の復帰運動や基地問題とも関連づけ て詳しい記述がなされている。写真「ひめゆりの塔」「各県の慰霊塔」

戦後(核関連)

記述は前回版とほぼ同じ 資料「ストックホルム世界平和大会のポスター」、写真「水爆実験」(脚注:太平洋上の ビキニ環礁でおこなわれた。このとき、「第五福竜丸」の乗組員が、放射能に汚染さ れた灰を浴びた)

戦後(補償関連)

「在日韓国人・朝鮮人に対する偏見や民族差別、さらにはアイヌ系住民に対する社 会生活のなかでの差別をなくすことも、早急に解決をせまられている課題である」

むすび

「世界で、原爆の被害を受けたただ一つの国である日本の国民は、平和がいかにた いせつであるかを痛切に感じている。わたしたちは、「全世界の国民が、ひとしく恐怖 と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」(日本国憲法前文)ことのできる世界をつ くりあげるために、過去の歴史に学びながら歩んでいこう」

参照

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