• 検索結果がありません。

What's JINKENシリーズ ハンセン病と人権

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "What's JINKENシリーズ ハンセン病と人権"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

財団法人 人権教育啓発推進センター

S 42

ハンセン病

人権

Hansen's Disease and Human Rights

ハンセン病

人権

Hansen's Disease and Human Rights

ハンセン病

人権

Hansen's Disease and Human Rights

2010(平成22)年2月発行 ◆ 定価350円(本体334円) 〒105-0012 東京都港区芝大門2-10-12 KDX 芝大門ビル4F TEL:03-5777-1918(制作) 03-5777-1916(販売) FAX:03-5777-1803 ホームページ:http://www.jinken.or.jp

財団法人 人権教育啓発推進センター

印刷には大豆油インクを使用しています。 このパンフレットは古紙を配合した紙を使用しています。 ←折り位置 0925083 人権センター様/ハンセン病と人権 表紙 1-4 

C

M

Y

K

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(2)

←折り位置 0925083 人権センター様/ハンセン病と人権 表紙 2-3 

C

M

Y

K

26

はじめに

         人の世には

         山を越え

         河を渡っても

         辿りつけない

         ふる里がある

伊藤赤人      

 伊藤赤人さんは、自らの意思や希望に反して、東京の郊外にあるハンセン病療

養所(多磨全 生 園)に隔離され、家族や親しい人たちが住む“ふる里”へは、二度と

帰ることができないという悲しい境遇を、冒頭に掲げた「五 行 歌」という形式の詩

に託しました。

 70年近い昔、やはり多磨全生園に入所させられた平沢保治さんは、1995(平成7)

年、

「私にとって世界一」という最愛のお母さんを亡くしましたが、その臨終に立ち

会うこともできなかったどころか、死の知らせさえ1週間後になって聞かされま

した。望郷の思いが抑えきれなくなった平沢さんは、2008(平成20)年、ついに

ふる里に帰り、母校で講演を行いました。

 「おかえりなさい、平沢さん」

「また来てください」。平沢さんは、子どもたちの

大歓迎を受け、

「地球上で一番遠かった故郷」に帰ることができたうれしさがこみ上

げてくる一方で、

「親族が来てくれなかった悔しさ」を強く感じたといいます。

 なぜ、こんな悲しいことが、起きてしまったのでしょうか――まず、皆さんと、

なぜ、言われない偏見や差別が生まれ、今日にまでそれが根強く残されてきたの

かを、考えるところから始めましょう。

協力

国立ハンセン病資料館

財団法人笹川記念保健協力財団

日本財団

石井 則久

(国立感染症研究所ハンセン病研究センターセンター長)

神 美知宏

(全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長) ※敬称略 多磨全生園の桜 多磨全生園では、地域の人たちとともに、毎年園内でお花見会が行わ れています。また、ハンセン病療養所がたどってきた人権侵害の歴史 を後世に伝えようと、「人権の森」を残す取り組みが行われています。地 元、東京都東村山市議会は「いのちとこころの人権の森宣言」を採択し ています。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(3)

目 次

はじめに

1 ハンセン病は人権問題

ハンセン病はこんな病気 なぜ、偏見や差別が根強く残ったのか? 見過ごされてきた問題 ハンセン病問題は、もう解決したのでは?

2 差別そして隔離

虫の病、風の病 業病と血筋――鎌倉時代ごろから江戸時代 感染症であり、遺伝病でもあるという差別 隔離へ

3 隔離

隔離政策 無癩県運動 <コラム>療養所のくらし

4 人間回復への動き

「らい予防法」の廃止 3地裁で起こされた「ハンセン病訴訟」 ハンセン病問題検証会議 <コラム>ハンセン病問題基本法

5 療養所はいま

1

3

  4    

5

    6  

7

     8

9

    10  

11

6 ハンセン病の制圧を目指して

1万人に患者1人未満 協力して効果的な方法を実践 早期診断、早期治療により障害を防ぐ 国際的なネットワーク

7 国連の場で、差別撤廃決議へ

人権理事会で撤廃決議を採択 原則・ガイドラインを策定する国際会議

8 ハンセン病を生きてきた人たちの声

偏見 差別のない世界を

ハンセン病をめぐる動き

日本のハンセン病関連年表

ハンセン病問題の解決の

促進に関する法律

(抜粋) (ハンセン病問題基本法)

おわりに

13

    14  

15

  16

17

19

21

23

25

この冊子は、ユニバーサルフォント(どなたにも読みやすい文字)を使用しています。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(4)

 ハンセン病は、らい菌によって起こる感染症です。主に末まっしょうしんけい梢神経や皮 膚、眼などが侵されます。らい菌は、結けっ核かく菌などと同じ仲間のバクテリ アですが、菌自体の毒性は少なく、感染力もたいへん弱いので、抵抗力 があまりない幼児期に、たくさんの菌に、繰り返し触れる機会でもなけ れば、ほとんど感染することはなく、たとえ感染しても自然に治り発病 はまれです。  今はリファンピシンなどの複数の薬を使って治療(多たざいへいようりょうほう剤併用療法)す れば、確実に治せる病気となっています。 3

ハンセン病はこんな病気

診察の様子。末梢神経が侵され るため、診察方法として感覚が あるかないかを、羽根やペンな どで触れて調べています。 (写真提供:(財)笹川記念保健協力財 団「世界のハンセン病」より)  1943(昭和18)年、アメリ カで、プロミンという薬が作 られました。プロミンは、結 核の薬として開発されました が、結核にはあまり効き目が なく、ハンセン病の治療薬と して大きな効果があることが わ か り ま し た。1946(昭 和 21)年には、日本でも、薬学 者の石いし館だて守もり三ぞうがこの薬の合成 に成功し、ハンセン病は治・せ・ る・ 病気になりました。日本で プロミン治療が本格的に始ま ったのは、療養所入所者によ るプロミン獲得運動を経た、 1949(昭和24)年のことでし た。

プロミン

国の控訴断念を受けて、喜び合うハンセン病訴訟の原告団 2001年5月23日/東京・霞ヶ関の弁護士会館で (写真提供:中日新聞社〔2001年5月24日1面〕より)

1

ハンセン病は人権問題

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(5)

1 ハンセン病は人権問題 4  ハンセン病で末梢神経が侵されると、知覚のまひが起こるため、痛み や熱さが感じられず、傷ややけどが重症になって潰かい瘍ようができることがあ ります。皮膚に結けっ節せつというできものが現れるのも、この病気の特徴の一 つです。目、耳、鼻、口、手足など、顔や体の極端な変形、感染するこ とへの恐怖、治らない病気だという誤解、さらに、業ごう病びょう(5ページ参照) という昔からの迷信などが重なって、ハンセン病への偏見や差別が生ま れ、それが長い間、根強く残されてきたと考えられます。  ハンセン病問題を生み出した最大の原因は、感染した人たちを、法律 によって制度的に、強制隔離してきたことです。  ハンセン病は感染力が非常に弱いので、通院で治療することができる 病気です。それにもかかわらず法律は、感染を予防することなどを理由 に、すべての患者を療養所に隔離することを定め、病気が治ったときに 退所する規定すらありませんでした。  2001(平成13)年、熊本地方裁判所が言い渡した、「らい予防法」違い憲けん 国 こっ 家か賠ばいしょう償請せいきゅう求訴そ訟しょう(ハンセン病訴訟)の判決は、ハンセン病の人を隔離 する必要がないことは、遅くとも1960(昭和35)年には分かっていたの に、法律を廃止して政策を転換しなかったことは、基本的人権を定めた 憲法に違反していると述べています。  法律の廃止や政策の転換が遅れた背景には、社会に根強く残っている ハンセン病への偏見、差別がありました。偏見、差別が社会全体の動き を妨げ、ハンセン病問題を解決しようとする流れが、生まれなかったと 考えられます。  熊本地裁判決を経て、国の責任が明確にされました。  しかし、偏見や差別は、それを引き起こすもととなった法の廃止や政 策の転換によって、ただちになくなるというものではありません。差別 意識から生じる人権問題の解決のためには、私たち一人ひとりが、心の 問題として、それに取り組まなければなりません。  

なぜ、偏見や差別が根強く残ったのか?

見過ごされてきた問題

ハンセン病問題は、もう解決したのでは?

 ハンセン病療養所から、病 気が治って社会復帰した人た ちは、差別や偏見を避けよう と、“退所者”であることを隠 し続けました。  “退所者”だった作家の冬ふゆ敏とし 之 ゆき は、「ハンセン病療養所時代 の空白を、いかに埋めるかと いう苦心もあった。私はあり もしない会社を書き、それを 倒産させたり、くびになった という架空の経歴を、履歴書 の中に書きつらねた」と、小 説「街の中で」で記していま す。 冬敏之の作品集『ハンセン病療 養所』(壺こちゅう中庵あん書房)。

架空の履歴書

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(6)

 ハンセン病は昔、らい(癩らい)と呼ばれました。らい(癩)という言葉は、長 い歴史の中で、偏見や差別を伴って使われてきた経緯があり、今はハン セン病と呼ばれています。(らい菌の発見者ハンセンは右ページに紹介)  約1,200年前に書かれた本には、らいは、体の中の「虫」が引き起こす 病気だと記されています。また、この病気は、良くない「風」に当たると かかる、とも思われていました。  ハンセン病は、病気の本人やその人の先祖が、仏の教えに背いたから なる病気(業ごう病びょう)とも言い伝えられました。そのため、仏教の僧侶が、ら いの人たち(ハンセン病患者)に救済活動をすることもありました。  人々の生活の変化とともに、感染力が弱いハンセン病は、濃厚な接触 をした家族などの間でしか感染しなくなりました。そのため、ますます 業病の血筋の病気と見なされ、 その一族が差別され ました。

2

5

虫の病、風の病

差別そして隔離

業病と血筋 

――鎌倉時代ごろから江戸時代

「一いっ遍ぺん上人絵伝」巻第7 円伊作(国宝) 一 遍(1239 〜 1289)は、 当 事、 偏 見や差別の対象となっていた「ハンセ ン病患者」も同じように信者と見な し、布教の対象としました。ここには、 寺を囲う塀の軒下で物乞いをする姿 が描かれています。(東京国立博物館 所蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/) 鎌 倉 時 代 の 僧 侶、 忍にんしょう性(1217 〜 1303)によって奈良に創設された北きた 山 やま 十 じゅう 八 はち 間 けん 戸どは、「ハンセン病患者」を 救済するための施設。現在見られる 建物(写真)は、江戸時代に再建され たものです。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(7)

2 差別そして隔離  ハンセンがらい菌を発見し、感染症であることが分かったハンセン病 は、感染力がとても強い病気だと誤解されたため、感染することを恐れ た人たちによって、ハンセン病の人たちや家族は、社会から疎外される など、差別の対象とされました。  その一方でこの頃、海外から日本に「メンデルの法則」やダーウィンの 「進化論」など、遺伝に関する知識がもたらされると、かつて血筋の病 気だと考えられていたハンセン病は、「やはり遺伝の病気に違いない」と、 誤って考える人も現れました。  感染と遺伝はまったく別のものであるにもかかわらず、日本ではハン セン病が「感染症であり、遺伝病でもある」という理由により差別される こともあったのです。  明治時代になっても、「ハンセン病患者」は、偏見や差別を受けながら 各地を放浪したり、都市のスラム、神社や寺の周辺などに集まってくら していました。また、漢方医や仏教の僧侶、当時、日本にやってきて布 教活動をしていたキリスト教の神父や宣教師などが、救済のために開い た施設に入り、生活を始めた人たちもいました。  しかし、1907(明治40)年には、「癩予防ニ関スル件」という法律が制 定され、その後90年近く、ハンセン病の人を強制的に、療養所に収容 (隔離)する政策が始まったのです。   6

感染症であり、遺伝病でもあるという差別

隔離へ

「癩予防ニ関スル件」によってできた 療養所、第一区連合府県立全ぜん生せい病院 (現・国立療養所多た磨ま全ぜんしょう生園えん)開院当 時の正門。地元の村会議員や職員、そ の他の関係者たちが集まっています。

消毒の朝に

起こった悲劇

 1873(明治6)年、アルマ ウェル・ハンセンがらい菌を 発見し、この菌がハンセン病 の原因であることが突き止め られました。病名はハンセン の名に由来しています。   ハ ン セ ン は、1841(天 保 12)年、ノルウェーのベルゲ ンに生まれた医学者です。ク リスティニアで医学を学び、 ベルゲンのハンセン病療養所 の医員になり、らい菌を発見 しました。

らい菌を発見した

ハンセン

アルマウェル・ハンセン(1841 -1912)

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(8)

 1907(明治40)年に制定された「癩らい予防ニ関スル件」という法律は、放 浪していたり、経済的に恵まれないハンセン病の人を、療養所に隔離す ることを規定していましたが、療養所に隔離された人に対し適当な救護 者が見つかった場合には、その扶養義務者に引き取ってもらうことが、条 文で定められていました。しかし、「癩予防ニ関スル件」はその後、1931 (昭和6)年に「癩予防法(旧法)」に改正され、すべてのハンセン病の人 を隔離する法律へと変えられていったのです。  1953(昭和28)年に制定された「らい予防法(新法)」が隔離政策を継 続し、この三代にわたる法律によって、「強制隔離」の規定が受け継がれ ました。   ●1907(明治40)年 「癩予防ニ関スル件」制定   ●1931(昭和 6 )年 「癩予防法(旧法)」制定   ●1953(昭和28)年 「らい予防法(新法)」制定  「癩予防法(旧法)」に改正されてから、すべての道府県(「東京都」は当時 「東京府」)から、ハンセン病の人を療養所へ隔離することによって、“一 掃する”というスローガンを掲げた無らい県運動が展開されました。  この運動により、ハセン病患者は、いったんハンセン病であると診断 されると、療養所に入所せざるを得ない状況に追い込まれていきました。

3

7

隔離政策

隔離

無癩県運動

1940(昭和15)年、熊本の本ほんみょう妙 寺じの近くにあった集落でくらして いたハンセン病の人たち118人は、 まるで犯罪者であるかのように 「検挙」され、トラックに乗せられ て、強制的に療養所に入所させら れました。  1951(昭和26)年、中部地 方のある村に住む青年がハン セン病にかかっていることが 分かりました。保健所の職員 が消毒に行くことになってい た日の朝、家族全員が自殺し ているのが見つかりました。 その家では、ハンセン病患者 を出したことが近所の人に知 られることを恐れ、「消毒は延 ばしてくれ」と頼んでいまし た。遺書には「伝染する病気 であってみれば止やむを得な い。とりわけ遺伝説の高い現 実では」と記されていました。

消毒の朝に

起こった悲劇

ハンセン病の人は、療養所に連 れてこられるときも、他の乗客 と同じ車両ではなく、貨物列車 のような特別車両に乗せられま した。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(9)

3 隔離  1929(昭和4)年に改正された「癩らい予防ニ関スル件」により、国立療養所の設置が決まりました。退 所の自由について公式に表明されたことはありませんが、1950年代後半から、入所者の社会復帰が 始まりました。しかし、退所者の中には社会の根強い偏見・差別に耐えかね、再び療養所に入所して くる人もいました。ハンセン病療養所のくらしは時代により変わりましたが、医療機関と生活の場が 一緒になっていたことが、他の病気の療養所には見られない特徴です。 8

療 養 所 の く ら し

■ 

園券

 ハンセン病療養所では、入所してきた人が持っているお金を「患者保管 金」として全部預かり、その代わりに、真ちゅうの板や紙などでできた「園 券(園内通用券)」が渡されました。園券は、一般社会から隔絶された療養 所の中の売店などでしか使えませんでした。園券には、一銭や十銭、十 円、五十円などの額面が記載されていました。

■ 

断種

 ハンセン病療養所では、男性の入所者が結婚するときは、生殖機能を 断つ手術、断だん種しゅが求められたり、妊娠している女性には堕だ胎たいが強制され ました。それは、人間の尊厳を踏みにじる重大な人権侵害でした。

■ 

監房(監禁室)

 かつて療養所の「所長」には、懲ちょう戒かい検束権が認められていて、裁判を経 ずに「特別病室」という名の監房(監禁室)に、入所者を入れることができ ました。特に栗くりゅう生楽らく泉せん園えんにあった重監房には、全国の療養所から、運営 に批判的な入所者などが連れてこられましたが、待遇はとても過酷で、監 禁中に亡くなる人もいたほどです。

ハンセン病療養所では、入所者がさまざまな仕事に就かされました。

ハンセン病療養所では、入所者がさまざまな仕事に就かされました。

入所者による道路造り。1933(昭 和8)年頃。(長島愛生園) 洗濯して再利用する包帯を巻き取 る作業をしている入所者。1937(昭 和12)年頃(全生病院 現多た磨ま全ぜんしょう生 園 えん )  末まっしょうしんけい梢神経が侵され無感覚部があるような病人も、労働をさせられ、病 気が悪化して亡くなった方が大勢いました。 (1929年~ 1950年代) 園券 大 おお 島 しま 青 せい 松 しょう 園 えん の監房の内部 (写真:太田昭生氏「魂の島・大島」より)

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(10)

 戦後、「癩らい予防法(旧法)」に代わり、引き続きハンセン病の人たちの隔 離を規定した「らい予防法(新法)」(1953〔昭和28〕年)が制定されまし た。  医学の進歩でハンセン病は治る病気になり、医学的知識が広がって患 者の隔離は必要ないことが分かってからも、この法律は40年以上、廃止 されることはありませんでした。  1994(平成6)年ごろ、全国ハンセン病患者協議会(全患協・現全国ハ ンセン病療養所入所者協議会〔全療協〕)の粘り強い運動が実を結び、ハ ンセン病療養所の所長連盟や日本らい学会による「らい予防法」廃止要 求が、厚生省(当時)を動かすことになりました。1996(平成8)年、よ うやく「らい予防法の廃止に関する法律」が制定され、「らい予防法」はな くなりました。  「らい予防法」は廃止されましたが、国の法的な責任は、まったくあい まいなままで、当時の厚生大臣が、法律の「見直しが遅れた」ことを謝罪 しただけでした。  そこで、ハンセン病療養所の入所者と、その退所者を原告として、1998 (平成10)年から1999(平成11)年にかけて、熊本、東京、岡山の3つ の地方裁判所で、「ハンセン病訴訟」が相次いで起こされました。この裁 判で原告は、「らい予防法」が基本的人権を尊重する日本国憲法に違反し ていたと主張し、ハンセン病療養所入所者と退所者への損害賠償を求め ました。  3つの「訴訟」の先頭を切って、熊本地裁が2001(平成13)年、原告勝 訴の判決を言い渡しました。この判決の後、総理大臣談話をふまえ、「ハ ンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」(ハン セン病補償法)が制定されるなど、訴訟への参加、不参加を問わない統 一的な対応が行われ、問題の全面的な解 決を図るための施策が講じられました。  裁判を経て、法的な解決は図られまし たが、心の問題としての偏見や差別は、 社会から完全に解消したわけではありま せんでした。いまだに、多くの療養所の 入所者やその退所者は、根強い偏見や差 別により、故郷に帰ることもできないで いるのが現状です。

4

9

「らい予防法」の廃止

 2003(平成15)年、九州の あるホテルが、「ふるさと訪問 事業注」の参加者に対し、「他の 客に迷惑がかかるから」とい う理由で、宿泊を拒否する事 件が起きました。  ハンセン病は通常の宿泊や 飲食などで感染することはな いので「伝染性の疾病」には当 たりませんし、このとき宿泊 することになっていたのはハ ンセン病が完治した人たちな ので、宿泊を拒否することは、 「宿泊させる義務」を定めた旅 館業法違反であるとともに、 人権侵害の疑いもありまし た。  ハンセン病問題解決に向 け、いっそうの啓発の必要性 を物語る出来事でした。 注 「ふるさと訪問事業」 ハンセン病療養所の入所者や社 会復帰した退所者は、なお偏見 や差別により、自由に故郷に帰 れないという現実があります。 そこで、都道府県などが出身者 を“ふるさと”に招待する、「ふる さと訪問事業」を実施していま す。 

—偏見や差別は解消していない—

元患者の宿泊拒否事件

人間回復への動き

3地裁で起こされた「ハンセン病訴訟」

2001(平成13)年5月23 日、小泉首相(当時)は 控訴をするか否かの最 終判断をする直前、面 会を求めてきたハンセ ン病訴訟原告代表の元 患 者9人 と、 首 相 官 邸 で会いました。 (写真提供:共同通信社)

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(11)

4 人間回復への動き  2002(平成14)年から、ハンセン病訴訟の原告団が国に求めていた 「ハンセン病問題に関する事実検証調査事業」(ハンセン病検証会議)が 行われてきた結果、入所者や退所者の人たちの想像を絶する悲惨な差別 の実態が、次第に明らかにされてきました。  これらの結果が明らかになるにつれ、これまでハンセン病問題を知ら なかった一般市民の中からも、ハンセン病問題の解消に向け法律の制定 を求める声が上がり、法律制定に署名した人の数はわずか10か月で93 万人以上にもおよびました。   こうして、国の責務として、過去のハンセン病政策による被害の原状回 復を目指し、2008(平成20)年に「ハンセン病問題の解決の促進に関す る法律」(ハンセン病問題基本法)が成立し、翌年4月1日施行されました。 10

ハンセン病問題検証会議

 ハンセン病問題基本法の基本理念は、以下の通りです。 ①ハンセン病に対する偏見・差別の除去ならびにハンセン病患者であった者およびその家族の名誉の回復。 ②入所者等がその居住するハンセン病療養所でたとえ一人になっても社会の中で生活するのと遜そん色しょくのない 生活および医療が保障され、安心して暮らせるようにするとともに、地域社会においてハンセン病療養 所が開かれた役割を果たすこと。 ③ハンセン病患者であった者が社会に復帰することを支援し、かつ、社会内で生活することを終生にわたっ て援助すること。  「ハンセン病問題基本法」はこのように、ハンセン病への偏見や差別を解消し、療養所の入所者や退所者が、 安心して老後の生活を送れるようにすることを目指しています。入所者にとっては、療養所こそが生活の場 であり、入所者のくらしの安心のために、療養所がこれからも機能を果たしていくことが望まれています。  入所者の平均年齢は、2010(平成22)年現在80歳 を超えました。高齢化が進む療養所を残すためには、 その門戸を開放し、地域医療の拠点として利用して もらうということも考えられます。例えば、沖縄県の 宮古島にある宮古南静園や、鹿児島県の奄美和光園 などでは、地域住民のための外来診療が行われてい ます。  療養所を地域の人たちが利用できるようになれば、 入所者は「療養所にいながらの社会復帰」をすること もできるでしょう。

ハ ン セ ン 病 問 題 基 本 法

全国で最も南にある療養所の宮古南静園

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(12)

 多た磨ま全ぜんしょう生園えんは、第二次世界大戦後もしばらく、高さ3メートルほど のヒイラギの生垣が、敷地の周囲をびっしりと取り巻いていました。今 はこの生垣も低く刈り込まれ、視界をさえぎるものはなくなりました。  長なが島しま愛あい生せい園えんと邑お久く光こうみょう明園えんがある、瀬戸内海に浮かぶ長島の西の端と 本州を隔てる狭い海峡は、わずか30メートルの距離もありません。しか し、本州との間にようやく邑久長島大橋が架けられたのは、長島愛生園 が設置された1930(昭和5)年から、実に58年後の1988(昭和63)年の ことでした。この橋は、隔離政策のさまざまな意味を問い直す象徴的な 存在になったので、「人間回復の橋」と呼ばれています。  入所者が高齢化した今、療養所を今後、どう活用していくかの模索が 続いています。

5

11

療養所はいま

 多磨全生園の敷地に隣接す る国立ハンセン病資料館は、 かつての高松宮記念ハンセン 病資料館を拡充し、国立に移 管された施設で、ハンセン病 に関する記録や資料が多く集 められ、一般に公開されてい ます。また、資料館と隣り合 う国立感染症研究所ハンセン 病研究センターでは、ハンセ ン病についての学術的な研究 が行われています。その他の 療養所にも、たどってきた歴 史を伝えるための案内板や、 入所者の人たちや関係者の、 文学碑や顕彰碑などが立てら れているところもあります。 東京都東村山市にある、国立ハ ンセン病資料館。

国立ハンセン病

資料館

長島愛生園と邑久光明園のある長島と本州を結ぶ、邑久長島大橋の架橋工事完成間近の ころの様子。 多磨全生園のヒイラギの生垣(1935〔昭和10〕年ごろ)。 ヒイラギの葉の縁には鋭いとげのような突起がありま すが、高さ3メートルにも及んでいた生垣は、入所者 が外へ脱走するのを防ぐ“檻おり”の役割も果たしていまし た。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(13)

●沖縄愛楽園(沖縄県) ●宮古南静園(沖縄県) ●多磨全生園(東京都) ●駿河療養所(静岡県) ◆神山復生病院(静岡県) ●邑久光明園(岡山県) ●大島青松園(香川県) ●菊池恵楓園(熊本県) ●星塚敬愛園(鹿児島県) ◆待労院診療所(熊本県)

全国のハンセン病療養所

●松丘保養園(青森県)まつおかほようえん 入所者数141名 ●東北新生園(宮城県)とうほくしんせいえん 入所者数136名 ●栗生楽泉園(群馬県)くりゅうらくせんえん 入所者数159名 ●長島愛生園(岡山県)ながしまあいせいえん 入所者数356名 おくこうみょうえん 入所者数205名 おおしませいしょうえん 入所者数120名 きくちけいふうえん 入所者数405名 たいろういんしんりょうじょ 入所者数8名 こうやまふくせいびょういん 入所者数8名 おきなわあいらくえん 入所者数264名 みやこなんせいえん 入所者数87名 ほしづかけいあいえん 入所者数242名 ●奄美和光園(鹿児島県)あまみわこうえん 入所者数51名 たまぜんしょうえん 入所者数297名 するがりょうようじょ 入所者数105名 ●国立療養所 ◆私立療養所/入所者数は平成21年5月1日現在 菊きくちけいふうえん池恵楓園の桜 療養所が設置された明治時代から植え続けられ、今では500本ほどが咲き誇る。  ハンセン病療養所の入所者 や、社会復帰した人たちの中 には、自らの苦悩を芸術に結 晶させる文芸活動を行った人 たちが多く、文学賞受賞作品 も生まれています。小説家で は、北ほうじょう條民たみ雄お や宮みや島じま俊とし夫お、 冬 ふゆ 敏 とし 之 ゆき 、島しま比ひ呂ろ志し、歌人の島しま 田だしゃく尺草そう、明あか石し海かい人じん、伊い藤とう保たもつ、 津つ田だ治はる子こ、金キム夏ハ日イル、俳人では 村 むら 越 こし 化か石せき、詩人では志し樹き逸いつ 馬ま、塔とう和かず子こ、香か山やま末すえ子こなど、 数多くの人たちがいます。 北條民雄『いのちの初夜』

心の叫びを伝える

文学

5 療養所はいま 12

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(14)

 日本では現在、ハンセン病を発病する人はほとんどいません。しかし、 世界にはなおハンセン病と診断される人が年間で約25万人います。  世界保健機関(WHO)は1991(平成3)年、第44回総会で、公衆衛生 上の問題としてのハンセン病制圧を「人口1万人当たり患者数が1人未 満になること」と定義し、2000(平成12)年までに世界レベルでハンセ ン病を制圧することを決議し、そのとおり達成されました。  その後、WHOは制圧目標を国レベルに変更し、2009(平成21)年は じめの時点で世界の制圧未達成国は、ブラジル、ネパール、東ティモー ルの3カ国です。  ハンセン病制圧目標が決められたことにより、ハンセン病の患者が確 認されている国の政府は、ハンセン病対策を国の政策の上位に位置づ け、必要な予算と人材を投入しました。  ハンセン病問題に取り組んできたNGOも、政府やWHOと協力して、 効果的な活動をしています。

6

13

1万人に患者1人未満

ハンセン病の制圧を

目指して

協力して効果的な方法を実践

ブラジル ネパール 東ティモール 制圧未達成国 国名 登録患者数  2009年初頭(人) 登録患者数の割合人口1万人当たり(人) 新規患者数 2008年(人) ブラジル 41,817 2.1 38,914 ネパール 3,644 1.2 4,708 東ティモール 144 1.3 154 ハンセン病制圧未達成国とは、登録患者数の割合が、人口1万人当たり1人以上の国のことを言います。 (登録患者数の割合は、WHOおよび国連経済社会局の統計データより算出)

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(15)

6 ハンセン病制圧を目指して  WHOによると、1985(昭和60)~2008(平成20)年の間に、約1,600 万人の人たちが、多たざいへいようりょうほう剤併用療法によってハンセン病から回復しました。 ハンセン病は、発病後治療を開始するま でに長い時間が過ぎると、障害が残るこ とがありますが(4ページ参照)、今では、 発病後に早期診断され、多剤併用療法で 治療することにより、かつてのような障 害が残ることなく治療することが可能と なっています。   世界では、現在でもハンセン病にかかる人が出ています。その病気の 制圧と、ハンセン病にかかわる社会問題、さらに人権問題解決のため、 国内外でさまざまな組織が活躍しています。  日本では、1974(昭和49)年に設立された(財)笹川記念保健協力財 団が、WHOや世界救らい団体連合(ILEP)※注と協力して、世界のハンセ ン病問題に取り組んでいます。(財)笹川記念保健協力財団は、医療支援 と併せて、ハンセン病回復者やその家族の経済的な自立や教育、人権や 尊厳の回復など社会問題にも力を注いでいます。  また、毎年1月最終日曜日の「世界ハンセン病の日」には、日本財団のイ ニシアチブにより世界に対し「グローバル・アピール」を発表しています。  1994(平成6)年には、これまで自らの経験を語ることができなかった ハンセン病の回復者たちが集まり、ブラジルで開催された国際セミナー でIDEA(共生・尊厳・経済自立のための国際ネットワーク)を設立しまし た。IDEAは世界で初めての回復者による国際的なネットワークを持つ NGOで、日本を含めた30カ国以上に活動の拠点を持ち、活動していま す。 14

早期診断、早期治療により障害を防ぐ

国際的なネットワーク

多剤併用療法による治療の指導の模様 (写真提供:(財)笹川記念保健協力財団「世界のハ ンセン病」より) ※注 1966(昭和41)年に、世界各国でハンセン病問題に取り組む国際団体(「救らい団 体」)が効率的に支援することを目的として、ヨーロッパで組織されました。 ILEPの加盟国は、各国の保健行政を行う官庁や、その国で活動する他のNGOと 協力して、医療従事者のトレーニングや患者のリハビリテーションなど、医療面 と啓発教育など社会面での活動を支えています。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(16)

 2008(平成20)年6月、スイスのジュネーブで行われた国連の第8回 人権理事会で、日本が主提案国(59カ国が共同提案国)となって提出した 「ハンセン病患者・回復者そしてその家族に対する差別の撤廃決議」(ハ ンセン病差別撤廃決議)が、全会一致で採択されました。この決議は、 2004(平成16)~ 2006(平成18)年の間に、国連人権理事会諮問委員 会の前身の国連人権小委員会に3回提出された、ハンセン病問題に関す る決議を受けて採択されました。

7

15

人権理事会で撤廃決議を採択

国連の場で、

差別撤廃決議へ

ハンセン病差別撤廃決議

   決議の主な内容は、 ①ハンセン病差別問題は、重大な人権問題であると 各国が認識すること ②各国政府がハンセン病に関する差別をなくすため の措置を取ることを要請する ③国連人権高等弁務官事務所による、ハンセン病差 別問題に関する人権教育・啓発活動の要請 ④国連人権高等弁務官事務所に、各国のハンセン病 差別問題に関する取り組みを調査し、情報を収集す ることを要請する――などです。

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(17)

7 国連の場で、差別撤廃決議へ  2009(平成21)年1月、ジュネーブで、ハンセン病差別撤廃のための 原則・ガイドライン策定に向けて、国連主催による「ハンセン病撤廃に関 する国際会議」が開催されました。この会議には各国の国連代表部や、ハ ンセン病問題に取り組むNGOの代表や回復者など約90名が参加しま した。日本政府は開会式で声明を発表したほか、日本の施策について発 言を行うなど、積極的に会議に参加しました。  原則・ガイドラインの策定は、国連人権理事会諮問委員会委員の坂元 茂樹神戸大学大学院法学研究科教授が担当し、2009(平成21)年9月の 人権理事会に素案が提出されました。さらに専門家や当事者などの意見 を参考にしながら十分検討を重ねまとめられた最終案は、2010(平成 22)年9月の人権理事会に再提出される予定です。日本政府は、原則・ガ イドライン策定後のフォローアップ作業についても尽力するとの見解を 表明しています。 16  日本政府は、ハンセン病問 題に関する検証会議などを通 じて明らかにされた、過去の ハンセン病政策の歴史を踏ま え、日本と世界の回復者を含 むハンセン病の人たちに対す る、偏見や差別を解消する取 り組みを行っています。  2007(平成19)年には、そ の取り組みの一環として、か ねてよりWHOハンセン病制 圧大使であり、ハンセン病問 題に広い知識をもって、その 解決に向けて活動してきた日 本財団の笹ささ川かわ陽よう平へい会長に、「ハ ンセン病人権啓発大使」を委 嘱しました。

「ハンセン病

人権啓発大使」を委嘱

「ハンセン病差別撤廃に関する国際会議」で声明を発表する笹川陽平ハンセン病人権啓発 大使(写真中央/写真提供:日本財団)

原則・ガイドラインを策定する国際会議

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(18)

◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆  Aさんは、義姉(夫の姉)が無理やり堕胎させら れたことを話しました。  「看護婦が胎児を取り上げてお盆に乗せ、夫の 姉に見せたそうです。義姉は『かわいかったよ』と 言っていました。男の子だったということです。看 護婦は、動いている胎児に大きなガーゼを掛ける と、『はい、終わりましたよ』と言って、その子をど こかに持っていったそうです」 17  ある療養所では、女性が生活する大部屋に、男 性が通う生活を強いられたそうです。Bさんの証 言です。  「あまり言いたくないことですが、惨めな結婚生 活でした。14畳の部屋に12人ほどの女性が生活 していて、そこに男性が泊まりにくるという状況 でした」  Cさんは、小学3年生になる春に、ハンセン病と診断され、祖母から引き離されて、 療養所に“収容”されました。  駅ごとに“お召し列車”(ハンセン病患者専用の車両を、収容される人たちはそう呼 んだ)の中をのぞく人びとの好奇の目を避けるため、祖母のひざに頭を埋めての長い旅 を経て、さらに港から船で療養所へ運ばれました。  少年少女舎では、同じように家族から引き離された子どもたちとの共同生活でした。  Cさんが唯一心のよりどころとしていた祖母はやがて亡くなりましたが、親せきは 彼女が葬儀に参列することを嫌い、死後1カ月を経て、初めてその事実を知らされま した。  その後、Cさんは入籍しないまま、療養所で結婚しました。彼女は2度妊娠し、2 度とも堕胎させられたそうです。

家族から引き離され、

その死も知らされなかった

8

ハンセン病を

生きてきた人たちの声

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(19)

◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ 8 ハンセン病を生きてきた人たちの声 18  社会からの目が届きにくい、隔絶された療養所では、患 者は格好の実験材料でもありました。  Dさんは、“収容”される前に、病状が悪化して鼻が陥没 し、髪の毛も大半が失われました。  鼻び梁りょうの形成手術を希望した彼に、療養所の医師は、残っ ている鼻をそぎ落とし、胸から移植した肉などで新たな鼻 を造るという、手術を強行したそうです。1回の手術で体 重は20キロも減少し、移植された樹脂から感染して、結局、 鼻梁はすべて失われました。  その影響で視力も失われ、起き上がることができなくな り、それ以来、Dさんは、療養所のベッドの上で生活して います。  入所者の自殺は、日常的な出来事でした。  「園内放送で、誰それさんが戻ってきませんのでお捜しく ださい、という連絡があると、『ああ、もう自殺したんだな』 というのは、すぐに分かりました。しょっちゅう、そういう 放送がありましたから」とEさんは語りました。  高らかに鳴らされるサイレンにより、入所者は、また自 殺者が出たことを知らされました。少年少女舎の子どもた ちまでが駆り出されて、遺体を捜しに出掛けたそうです。

鳴らされるサイレンで、

自殺者が出たことを知らされた

 一度、ハンセン病と診断されると、たとえ社会復帰しても、その呪縛から逃れられ ませんでした。  Fさんは、ハンセン病の治療を受けたのは1年半だけで、その後医師からは、治療 の必要はないと言われていました。それにもかかわらず、Fさんは「らい予防法」が廃 止されるまで、ずっと療養所に籍を置いていました。  「妻の家族も、もし私の住民票を見たら、そこが療養所だということは、すぐに分 かってしまうのです。その事実が消えることはありません」と、Fさんは語りました。 子どもたちが共同生活を送った多磨全生園の 少年少女舎。(大正12年に建てられた) (ハンセン病訴訟で裁判所に提出された原告の証言より)

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(20)

世界人権宣言・第1条 19  2001(平成13)年から、中国南部の広東省で、 ハンセン病の人たちが集まってくらしている定着 村に、日本と韓国の大学生のグループが滞在し、 水道の延長工事や住宅の修繕など、生活環境の改 善を行うワークキャンプを実施しています。こう した活動は、長い間、社会から隔絶されていたハ ンセン病の人たちに対する、周辺の村に住む人た ちの意識も変え始めています。また、日韓の学生

私たち一人ひとりがかかわることが大切

偏見 差別の

が地元の中国人学生にワークキャンプへの参加を 呼びかけ、これに賛同する中国の学生の数も増え 続け、2004(平成16)年には、ハンセン病に取り 組む中国の学生グループ「JIA:家」も生まれまし た。ワークキャンプに参加した若者たちの活動は 国を越えて広がり、差別を乗り越える新たな動き となっています。

 今こそ一歩を踏み出そう。社会のハンセン病に対す

る無知を変えていくのは他の誰でもない、この私たち

なのだ。この一介の人間にしか見えない私たちが、そ

れぞれの国で、そして世界で、どれほどのことをやり

とげてきたのか、世界に知らしめようじゃないか。

エルネスト・カバノス・ジュニアさん(フィリピン)

 ハンセン病回復者にとって、医学的に治癒するだけ

では、必ずしも元通りの生活には戻れません。人間が

誇りを持って生きていくために必要な社会的、経済的

な地位が確立されるまでは、ハンセン病が本当に治癒

したとはいえません。

P.K.ゴパールさん(インド)

国を越えて広がる学生の活動

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(21)

 東京・東村山市にある国立療養所多た磨ま全ぜんしょう生園えんで は、設立以来一世紀にわたって生長してきた樹木 や、古い建物などを、ハンセン病療養所がたどっ てきた人権侵害の歴史を後世に伝える“負の遺産” として遺す取り組みが、入所者自治会を中心とし て進められてきました。この「人権の森」構想は、地 元、東村山市議会で2009(平成21)年9月、「いのち とこころの人権の森宣言」として採択されました。

私たち一人ひとりがかかわることが大切

偏見 差別のない世界を 20  多磨全生園の自然や施設を「国民共有の財産とし て未来に受け継ぐ」ことをうたった宣言採択後、議 会の壇上に立った同園入所者自治会長の佐さ川がわ修おさむさ んは、「20年たったら、(入所者は)ほとんどいなく なるかもしれない。それでも人権の森、史跡を残し、 市民の憩いの場としてほしい」と呼びかけました。

 官民一体となって全国的に進められた「無らい県運動」によっ

てふる里を追われ、3万人以上の患者が療養所に強制隔離された。

これまでに25,300人が納得のいかない人生を終え、その60%の

遺骨が家族に引き取られることなく療養所の納骨堂に眠っている。

まだ解決すべき喫緊の課題は多く、私たちの運動は終わることが

ない。人間回復の道は遠く、人権も尊厳も、まだ回復していない

からだ。しかし、私たちに残された時間はもうない。

こう

 美

ひろ

さん(日本)

 必ず明るい未来が近いうちに訪れるでしょう。皆さ

んと一緒ならば、自分たちに自信と誇りを持って歩く

ことができます。さあ、私たちと一緒に、ハンセン病

に対する偏見のない世界を築こうではないですか。

馮 可騰さん(中国)

ない世界を

フェン・ケーテン

人権の森

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(22)

21

ハンセン病をめぐる動き

日本のハンセン病関連年表

ハンセン病にかかわる社会の動き ハンセン病にかかわる法律・行政の動き 1872 (明治5) 明治政府は、ロシア皇太子アレクセイ来日の前日、ン病浮浪患者」約300人を、東京・本郷の加賀邸跡の空き長「ハンセ 屋に収容 アルマウェル・ハンセンが、らい菌を発見 1873 (明治6) 漢方医の後ご藤とうしょう昌文ぶんが、東京・柏かしわ木ぎ成なる子こ町に、 日本初のハンセン病専門病院、起き廃はい病院を設立する。(明治8)1875 草津でハンセン病患者の湯とう治じ場ばを、一般客が利用する 草津本町から分離して移設、湯ゆ之の沢さわ集落がつくられる(明治20)1887 フランス人神父のテスト・ウィードが、 御殿場郊外の富ふ士じ岡おか村に神こう山やま復ふく生せい病院を設立(明治22)1889 アメリカ人女性宣教師ヤングマンが、東京・目黒に 目黒慰い廃はい園えんを設立(明治27)1894 イギリス人女性宣教師のハンナ・リデルが、 熊本・立たつ田た山麓に回かいしゅん春病院を設立(明治28)1895 ベルリンで「第一回国際癩会議」が開かれ、 日本から土と肥い慶けい三ぞうらが出席(明治30)1897 フランス人カトリック宣教師のジョン・メリー・コールが、 熊本に琵び琶わ崎ざき待たい労ろう病院を設立(明治31)1898 東京市養育院の院長渋しぶ沢さわえい栄一いちが、東京市養育院内に、 ハンセン病患者のための回春病室を開設(明治32)1899 日蓮宗僧侶の綱つな脇わきりゅう龍妙みょうが、身延山に身延深じんきょう敬病院を設立(明治39)1906 1907 (明治40) 1909 (明治42)連合府県立病院(療養所)を、全国5カ所にそれぞれ設立 1916 (大正5)「癩予防ニ関スル件」が改正され、療養所の長に入所者に対する懲戒検束権が認められる 日本の植民地だった朝鮮に、小しょう鹿ろく島とう慈じ恵けいびょう病院いん(現・ソロク ト更正園)が設立される イギリス人宣教師のコーンウォール・リーが、 草津に聖バルナバ医院を設立 (大正6)1917 日本癩学会が設立される 1928 (昭和3) 1930 (昭和5) 長島に全国で最初の国立癩療養所、長島愛生園が設立される 台湾の台北に台湾総督府立楽らく生せい院いんが設立される 1931 (昭和6)「癩予防ニ関スル件」が改正され、すべてのハンセン病患者 を隔離の対象とする「癩予防法」が施行される 1936 (昭和11)「無癩県運動」が本格化する 1938 (昭和13)栗 く 生 りゅう 楽 らく 泉 せん 園 えん 内に、重監房が設置される 1930 (昭和5) 1931 (昭和6)  救済と隔離、否定された尊厳と、 それを回復しようとしてきた歴史に は、無数の人びとの苦悩と献身があ りました。 法律「癩らい予防ニ関スル件」が制定される 「癩予防法」が制定される

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

(23)

ハンセン病をめぐる動き 22 ハンセン病にかかわる社会の動き ハンセン病にかかわる法律・行政の動き 1939 (昭和14) 満州(現・中国東北地方)の鉄山領県に満州国立同 どう 康 こう 院 いん が設 立される 1940 (昭和15) 熊本の本妙寺の近くにあったハンセン病患者の集落が警 察によって解散させられ、患者は各療養所に分散収容さ れる 1941 (昭和16) 連合府県立病院を国立療養所に移管 アメリカの医師ファジェが、新薬プロミンのハンセン病 治療への有効性を発表 (昭和18)1943 石館守三が、プロミンの合成に成功 1946 (昭和21) 全国癩療養所患者協議会(現・全国ハンセン病療養所入 所者協議会〔全療協〕)が設立される (昭和26)1951 1953 (昭和28) 「癩予防法」が改正され、引き続きハンセン病患者の隔離 を規定した「らい予防法」が施行される 長 なが 島 しま 愛 あい 生 せい 園 えん 内に、全国の療養所入所者が進学する、邑久 高校新にい良ら田だ教室が設置される この頃から、入所者の社会復帰が始まる 1955 (昭和30) 邑お久く長島大橋が開通する (昭和63)1988 日本らい学会が、「らい予防法」の廃止を求める統一見解 をまとめる (平成7)1995 1996 (平成8)「らい予防法」が廃止される 熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟(ハン セン病訴訟)が提起される (平成10)1998 東京地裁、岡山地裁でも、ハンセン病訴訟が提起される (平成11)1999 2001 (平成13) 熊本地裁で、ハンセン病訴訟に対する原告勝訴判決が言 い渡される。小こいずみ泉じゅん純一いち郎ろう首相(当時)が「総理大臣談話」 を発表して、国は控訴しないことを決めたので、判決が 確定。 「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関 する法律」が制定される。 2002 (平成14) ハンセン病問題に関する事実検証調査事業(ハンセン病検 証会議)が開始され、2003年に最終報告をまとめた 2008 (平成20) 国連人権理事会でハンセン病差別撤廃決議が採択される 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法 律」(ハンセン病問題基本法)が制定される 「らい予防法の廃止に関する法律」が制定さ れる 「らい予防法」が制定される

******************

******************

******************

*無断転用・転載はご遠慮ください*

<本冊子に関するお問い合わせ先>

人権ライブラリー

(公財)人権教育啓発推進センター

TEL

03-5777-1919

Eメール [email protected]

******************

******************

******************

参照

関連したドキュメント

こうしゅう、 しんせん、 ふぉーしゃん、 とんがん、 けいしゅう、 ちゅうざん、

けいさん たす ひく かける わる せいすう しょうすう ぶんすう ながさ めんせき たいせき

てい おん しょう う こう おん た う たい へい よう がん しき き こう. ほ にゅうるい は ちゅうるい りょうせい るい こんちゅうるい

非営利 ひ え い り 活動 かつどう 法人 ほうじん はかた夢 ゆめ 松原 まつばら の会 かい (福岡県福岡市).

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

Esta lição trata do uso de ~とき para dar conselhos relacionados a doenças e saúde, como qual remédio tomar para qual sintoma e o que fazer quando não se sentir bem.. -

3月 がつ を迎え むか 、昨年 さくねん の 4月 がつ 頃 ころ に比べる くら と食べる た 量 りょう も増え ふ 、心 こころ も体 からだ も大きく おお 成長 せいちょう

のニーズを伝え、そんなにたぶんこうしてほしいねんみたいな話しを具体的にしてるわけではない し、まぁそのあとは