論 説
日本復帰と二つの「議会」
-権力移行期における琉球政府立法院と沖縄県議会-
黒 柳 保 則
目次 はじめに
1. 復帰時の琉球政府 2 . 復帰時の琉球政府立法院 3 . 復帰時の沖縄県 4 . 復帰時の沖縄県議会 おわりに
はじめに
日 本 復 帰 前 後 と い う 権 力 移 行 期 1) における、琉 球 政 府 と 沖 縄 県 と い う 二 つ の 自 治 組 織 の 「議 会 」 は、 そ れぞ れ琉 球政 府 立 法 院 と 沖 縄 県 議 会 で あ っ た。
本 稿 に お い て は 、 こ の 時 期 の 立 法 院 と 県 議 会 の あ り よ う を 、 主と して制 度 の 側 面 か ら 比 較 検 討 す る 。 そ の 際 、立 法 過 程 を め ぐ る 「讓 会 」 と 「行 政 」 (復 帰 前 に お け る 琉 球 政 府 の 場 合 は 立 法 院 と 行 政 府 、 復 帰 後 に お け る 沖 縄 県 の 場 合 は 県 議 会 と 県 庁 ) と の 関 係 性 を 中 心 的 な 課 題 と し て 分 析 し た い 。
1)「日本復帰前後という権力移行期」は、 「琉球」の日本復帰 が 1972年5月15日になされた こと から、 日本の会計年度の1971年 度 と 1972年 度 に あ た る 1 9 71 年 4 月 1日 ~1973年 3月 31日 の 計 2 年としたい。復 帰 の 日 で あ る 5 月1 5 日は、1972年 1 月 6 ~ 7 日に開催された日米首脳会談に おいて、佐藤栄作首 相 と リ チ ャ ー ド ・ニ ク ソ ン (Richard M. Nixon) 大統領によって決定さ れたものだ。 そもそも、日 本 側 (沖縄側)は日本の会計年度の開始日である4 月 1 日を、米国側 は 米 国 や 「琉球」の会計年度の開始日である7 月 1 日を、それぞれ主張していた。 あいだを取っ た 格 好 と な っ た 5 月1 5 日は、復 帰 準備 にあたっていた現場の声も反映されていたようで、 「か ろうじて間に合うだろう」 という日程であったという。 詳しくは、軽 部 謙 介 『ドキュメント沖 縄 経 済 処 分 -密約とドル回収-』岩波書店、2012年、 170— 171、2 3 5 — 236頁を参照のこと。
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それを以って、立法院から県 議 会 に何が引き継がれ何が引き継がれなかっ たのか、 す な わ ち 両 者 の 連 続 と 非 連 続 を 検 討 す る た め の 基 礎 作 業 と す る 。
こ の 場 合 の権力 移 行 と は 、米 国 が 1 95 2 年 4 月 2 8 日 に 発 効 し た 「サンフラ ンシスコ講和条約」第 3 条 に よ っ て 「琉 球 」 の 統 治 権 2)(「行 政 、 立 法及 び 司 法 上 の 権 力 の 全 部 及 び 一 部 を 行 使 す る 権 利 」) を 得 た も の の 1972年 5 月 1 5 日 に 発 効 し た 「沖 縄 返 還 協 定 」 第 1 条 に よ っ て そ れ を 放 棄 し 、 日本が同 協 定 同 条 に よ っ て 「琉 球 」の 統 治 権 (「行 政 、立法 及 び 司 法 上 の す べ て の 権 利 を 行 使 す る た め の 完 全 な 権 能 及 び 責任」) を 引 き 受 け た こ と を 指 す 。
そ れ は 、 極 度 の 時 間 的 な 制 約 の な か で 、2 0年 に わ た っ て 存 続 し た 琉 球 政 府 の 制 度 を 、 明 確 に 日 時 を 決 め て 、 日 本 の そ れ に 「完 全かつ瞬時に融合さ せ 」3)て 統 治 権 を 移 行 さ せ 、 沖 縄 県 の 発 足 に 至 ら し め る と い う 誠 に 大 が か
りなものであった。
そ れ だ け に 、 1 9 6 7 年 1 1 月 1 5 日 の 「佐 藤 ・ジョンソン共同声明」 以降 に 本 格 化 し たその準備には、 琉 球 政 府 側 も 日 本 側 も 多 大 な リ ソ ー ス を 注 ぎ 込 ん だ。 「そ の 事 務 の 煩 雑 さ と 事 務 量 の 多 さ 、 そ し て そ の 事 務 の 特 異 性 か ら み て、 こ れまで 我 が 国 が 全 く 経 験 し た こ と の な い 、 ま さ し く 人 跡未踏 の 分野 で ある」4 ) とされ る 所 以 で ある。 しかも、 「時間の 極 度の制 約 の な か で 進 め
られた」5) ものだ。
このように、権 力 移 行 は 、単 な る 「政 権 の 移 行 」、すな わ ち 与 党 か ら 与 党 へ の 「政 権 継 承 」 や 与 党 か ら 野 党 へ の 「政 権 移 行 」 で は な い 。
言 わ ば 国 と 県 の 二 重 性 を 持 っ て い た 琉 球 政 府 を 、 組 織 的 ・人 的 ・機能的 に 日 本 の そ れ に 組 み 込 む べ く 、 国 や 県 (ごく一部は市町村や公共的団体に も) に分けて、 自 治 体 と し て の 沖 縄 県 を 発 足 さ せ た の で あ る 。
立 法 院 は 国 の 議 会 と し て の 位 置 づ け を 与 え ら れ て お り 、 議 員 の 待 遇も そ
2 ) 通 常 は 統 治 権 で は な く 「施 政 権 」 が 用 い ら れ る よ う で あ る 。 し か し 、 「施 政 権 」 は 信 託 統 治 を 前 提 と し た タ ー ム で あ り 、 「サ ン フ ラ ン シ ス コ 講 和 条 約 」 第 3 条 の 提 案 が 米 国 に よ っ て な さ れ 、「琉 球 」が 国 連 の 信 託 統 治 下 に 置 か れ る 可 能 性 は 殆 ど な か っ た 。 事 実 そ の ま ま 日 本 に 復 帰 し て い る 。 従 っ て 、 本 稿 に お い て は 「統 治 権 」 を 用 い た い 。
3 ) 櫻 井 溥 『沖 縄 祖 国 復 帰 物 語 』 大 蔵 省 印 刷 局 、 1999年 、 123頁 。 4 ) 櫻 井 ・同 上 書 12 2 頁
5 ) 瀬 長 浩 『世 が わ り の 記 録 -復 帰 対 策 作 業 の 総 括 -』 若 夏 社 、 1 985年 、 16頁 。
れ に 相 当 す る も の で あ っ た が 、 あ え な く 自 治 体 の 議 会 と し て の 県 議 会 と な っ て し ま っ た 。
日 本 復 帰 前 後 と い う 権 力 移 行 期 の 立 法 院 や 県 議 会 に つ い て の 先 行 業 績 は 少 な い 。2 0 1 4 年 3 月 2 0 日 の 第 3 巻 発 行 に て 完 結 し た 『沖 縄 県 議 会 史 』全22 巻 に お い て は 、 立 法 院 に つ い て の 通 史 は 第 3 巻 、 史料 は 第 21巻で扱 わ れて いる。 しかし、 県 議 会 に つ い て は 扱 わ れ て い な い 。
1 . 復帰時の琉球政府
復 帰 時 の 琉 球 政 府 は 、 1 9 5 2 年 4 月 1 日 の 発 足 後 20年 余 が 経 過 し て お り 、 琉 球 列 島 米 国 民 政 府 (U S C A R ) 6) な る 「軍 人 に 率 い ら れ た 民 政 府 」 という 矛 盾 し た 統 治 組 織 の 下 に 置 か れ て い た 。U S C A R には、 発 足 当 初は と り わ け 強 く そ の 桎 梏 に 苦 し め ら れ た が 、 復 帰 が 近 づ く に つ れ て そ れ も 薄 れ て 行 っ た と 言 え る 。
琉 球 政 府 に は 、概 ね U S C A R の 組 織に 対 応 す る 部 局 が 置 か れ る と い っ た 形 で 、そ の 影 響 力 が 浸 透 し や す い 構 造 に な っ て い た 。しかし、20年 余 の 間 に、立 法 ・行 政 ・司 法 の 三 権 が 揃 っ た 「政 府 」として、1962年 度 か ら 日 本 政 府 援 助 が 本 格 化 し た 後 も 変 わ ら ぬ 慢 性 的 な 財 政 難 に 悩 み な が ら も 、7)国の 事 務 に 相 当 す る も の を 含 め た 、 膨 大 な 業 務 を 着 実 に 遂 行 し た 実 績 が あ る 。
琉 球 政 府 の 根 拠 法 は 、 「琉 球 」 の 「基 本 法 」8)で あ る 米 国 の 「大統 領 行 政
6) U S C A R (United States Civil Administration of th e R y u k y u Islands) は、 1950年 12月 1 5 日 の 設 立 か ら 1957年 6月 30日 ま で は 米 国 極 東 軍 司 令 官 が 兼 任 し た 琉 球 民 政 長 官 (実務は琉球 軍司令官が兼任した民政副長官によって担われた) を、1957年 7月 1日 か ら 復 帰 前 日 の 1972年 5 月1 4 日までは在 沖 米陸軍 司 令官が 兼 任 した 琉 球列 島 高 等 弁務 官を 、 それぞれトップに戴い た。 高等弁務官については、大 田 昌 秀 『沖 縄 の 帝 王 高等弁務官』 朝日文庫、 1996年、及び宮 城悦二 郎 『為 政 者 た ち の 証 言 占領27年』 ひるぎ社、 1993年を参照のこと。
7 ) 琉球政府の財政については、池 宮 城 秀 正 『琉球列島における公共部門の経済活動』 同文舘出 版、2009年を参照のこと。
8 ) 復 帰 前 の 「琉球」 は、 日 米 琉 の 法 が 複 雑 に 入 り 組 ん で 存 在 す る と い う 「雑居」 状態にあっ た。復帰時に有効であったのは、 ① 平 時 国 際 法 ・条約、 ②大統領の行政命令、③米国議会が沖 縄に関して制定した法律、 ④ 布 告 ・布 令 ・指令、⑤ 琉 球 政 府 の 制 定 す る 立 法 (立 法 ・行 政 ・司 法の各機関の制定する規則を含む)、⑥各市町村の制定する条例、⑦旧日本法である。 国の基本
的な統治機構とその形態は憲法によって定められるが、「琉球」においてはそれが制定されるこ
とはなかった。 よって、 そ れ に あ た る も の を 「基本法」 としたい。詳しくは、垣 花 豊 順 「米国 の沖縄統治に関する基本法の変遷とその特質」 (宮 里 政 玄 編 『戦 後 沖 縄 の 政 治 と 法 19 45 -1 97 2 年』 東京大学出版会、 1975年所収) 同書3 2 5 - 3 5 8 頁を参照のこと。
命 令 第 10713号 」、す な わ ち 1 9 5 7 年 6 月 5 日 の 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命令」9)第 5 節 ~第 10節)、1952年 2月 29日 の 米 国 民 政 府 布 告 第 13号 「琉 球 政 府 の 設 立 」、 そ し て 同 日 の 米 国 民 政 府 布 令 第 6 8 号 「琉 球 政 府 章 典 」 で あった。 「琉 球 政 府 の 設 立 」は 「琉 球 政 府 章 典 」 と一体をなしていると言え るものだ。
「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」、 「琉 球 政 府 の 設 立 」、 そ し て 「琉球 政 府 章 典 」 は、 琉球 政 府 に お け る 三 権 の 所 在 や そ れ を 担 う 組 織 の あ り よ う を 定 め た 条 項 に つ い て 、 内 容 的 に 重 な っ て い る 部 分 が 多 か っ た 。 「琉 球 政 府 の 設 立 」 と 「琉 球 政 府 章 典 」 では、 前 者 の 方 が 綱 領 的 で あ っ て 、 後者の 方 が 組 織 や 運 営 に つ い て の 詳 細 を 定 め て い る 。
琉 球 政 府 そ の も の の 位 置 づ け は 、 「琉 球 政 府 の 設 立 」の み に見ら れ 、その 第 2 条 に お い て 、 「琉 球 政 府 は 琉 球 に お け る 政 治 の 全 権 を 行 う こ と が で き る。 但 し 、 琉 球 列 島 米 国 民 政 府 の 布 告 、 布 令 、 及 び 指 令 に 従 う 」 とある。
なお、 これらの法には、 琉 球 政 府 に お け る 三 権 の 所 在 や そ れ を 担 う 組 織 以 外 に つ い て の 定 め も あ っ た 。 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」 第 12 節 (1 2 「条」 に 相当 す る が 、ArticleではなくS e c t i o n と表 記されており、
「節」 と訳される) や 「琉 球 政 府 の 設 立 」 第 6 条 に は 住 民 の基本 的 自由 を 保 障 す る 旨 が 定 め ら れ て い る 。 また、「琉 球 政 府 章 典 」第 1 条 に は 琉 球 政 府 の 管 轄区域が 、 第 2 章 (第 3 条 ~第 6 条) に は 住 民 の 権 利 ・義 務 が 、 さら に 第 6 章 (第 31条 ~第 34条) に は 市 町 村 と の 関 係 が 定 め ら れ て い た の だ 。
このように、 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」、 「琉 球 政 府 の 設 立 」、
9 ) 琉 球 政 府 法 務 局 編 『琉 球 現 行 法 規 総 覧 基 本 法 立 法 院 行 政 一 般 - (I ) - - 1 ( I ) -』
第 一 法 規 、 1971年 、 11— 15頁 。 琉 球 政 府 『公 報 』 1971年 10月 29日 、 1 4 - 1 5 頁 。 以 下 で 掲 げ る 復 帰 前 の 法 は 全 て 『琉 球 現 行 法 規 総 覧 』 に 基 づ い て い る 。 こ の 『琉 球 現 行 法 規 総 覧 』 は 加 除 式 で 、本 稿 で は 1 9 7 2年 5月 22日 に 加 除 整 理 作 業 が 行 わ れ た も の を 用 い た 。 復 帰 時 ま で の 改 正 が 反 映 さ れ て い な い と こ ろ も あ る の で 、 そ の 場 合 に は こ の 注 の よ う に 琉 球 政 府 の 『公 報 』 で 補 っ て い る 。 な お 、 「琉 球 」 の 「基 本 法 」 に は 、 こ の 他 に 、 米 国 議 会 に お い て 1 9 6 0 年 7 月 1 2 日 に 議 決 さ れ た 「プ ラ イ ス 法 」, す な わ ち 「琉 球 列 島 に お け る 経 済 的 、 社 会 的 発 展 の 促 進 に 関 す る 法 律 」 も あ る 。 こ の 法 律 は 経 済 援 助 法 案 と し て 知 ら れ て い る が 、 第 1 条 で 米 国 の 「琉 球 」 統 治 の 基 本 原 則 を 定 め て お り 、 ま た 第 6 条 で 米 国 法 は 「琉 球 」 に 対 し て 特 別 の 定 め が な い 限 り 適 用 さ れ な い と し て い る と い っ た こ と か ら 、「基 本 法 」で あ る と 捉 え る こ と が で き よ う 。 制 定 機 関 は 米 国 議 会 で あ っ て 、法 的 に は 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」以 上 に 重 要 で あ る と の 指 摘 も あ る 。 詳 し く は 垣 花 「米 国 の 沖 縄 統 治 に 関 す る 基 本 法 の 変 遷 と そ の 特 質 」 (宮 里 編 ・前 掲 注 8 『戦 後 沖 縄 の 政 治 と 法 1 9 4 5 — 1 9 7 2 年 』 所 収 ) 同 書 3 5 4 — 3 5 7 頁 を 参 照 の こ と 。
そ し て 「琉 球 政 府 章 典 」 は、 内 容 的 に 屋 上 屋 を 重 ね る 感 が あ る も の の 、 そ れ ぞ れ 改 正 を 繰 り 返 し つ つ 復 帰 ま で 存 続 し て い る 。
ところで、 琉 球 政 府 は 、 法 人 格 を 持 つ 統 治 団 体 (住 民 団 体 ) としての性 格 と 、 「琉 球 」を 統 治 す る た め の 組 織 (統 治 組 織 ) という二重性を有してい た。 例 え ば 、 「琉 球 政 府 章 典 」第 2 条 に お い て 「琉 球 政 府 の 首 都 は 那 覇 市 で ある」 と 定 め て い る の は 前 者 の 意 味 で あ ろ う し 、 立 法 院 ・行 政 府 ・裁 判 所 を 念 頭 に 「琉 球 政 府 」 と 表 現 す る 場 合 に は 後 者 の 意 味 で あ ろ う 。10)本稿で 取 り 上 げ る の は 、後 者 の 側 面 で あ る 。
琉 球 政 府 の 上 部 に は U S C A R が あ っ た が 、そ れ を 率 い て い た の は 米 国 陸 軍 中 将 で あ る ジ ェ ー ム ズ ・B ・ ラ ン パ ー ト (J a m e s B. L a m p e r t )11)高等弁 務 官 で あ っ た 。
高 等 弁 務 官 は 、 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」 第 11節 (a)12)にお いて、「安 全 保 障 の た め に 欠 く べ か ら ざ る 必 要 が あ る と き は 、琉 球列島にお け る す べ て の 権 限 を 全 面 的 あ る い は 部 分 的 に 自 ら 行 う こ と が で き る 」 と定 められた。 また、「琉 球 列 島 の 安 全 、琉 球 列 島 に つ い て の 外 国 及 び 国 際 機 構 との関係、 合 衆 国 の 対 外 関 係 又 は 合 衆 国 若 し く は そ の 国 民 の 安 全 、 財 産 若 し く は利害に関して、 直 接 間 接 に 重 大 な 影 響 が あ る と 認 め る と き は 」、 「す ベ て の 立 法 案 、そ の 一 部 又 は そ の 中 の 一 部 分 を 拒 否 」す る こ と 、 「すべての 立 法 、 そ の 一 部 又 は そ の 中 の 一 部 分 を 制 定 後 、4 5 日以内に無効」 にするこ と、 全 て の 公 務 員 を 罷 免 す る こ と 、 あ る い は 刑 の 執 行 を 延期し た り減刑 し た り 恩 赦 し た り す る こ と が 可 能 だ っ た の で あ る 。
また、「琉 球 政 府 の 設 立 」第 7 条 に は 、法 令 規 則 の 施 行 を 拒 否 し 、禁 止 し 、
10) 仲 地 博 「第 2 章 琉 球 政 府 か ら 何 を 学 ぶ か 」 (沖 縄 県 道 州 制 懇 話 会 編 『沖 縄 の 「特 例 型 」 道 州 制 の 諸 課 題 に 関 す る 調 査 研 究 (社 ) 沖 縄 県 対 米 請 求 権 事 業 協 会 ・助 成 シ リ ー ズN o.39』 沖 縄 道 州 制 懇 話 会 、 2010 年 所 収 ) 同書4 1 、4 7 頁 。
11) ラ ン パ ー ト に つ い て は 、大 田 ・前 掲 注 6 『沖 縄 の 帝 王 高 等 弁 務 官 』 3 7 9 - 4 1 6 頁 , 及 び 宮 城 ・ 前 掲 注 6 『為 政 者 た ち の 証 言 占 領2 7 年 』 1 9 1 - 2 2 7 頁 を 参 照 の こ と 。 な お , 歴 代 の 高 等 弁 務 官 は 、 全 て 米 国 陸 軍 中 将 で あ っ た 。
12) こ こ で 掲 げ る 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」 第 11節 (a) の 内 容 は 、 1 9 6 2 年 3 月 1 9 日 の 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」 の 改 正 に よ る も の で あ る 。 こ の 改 正 は 、 大 統 領 行 政 命 令 第 1 10 10 号 、す な わ ち 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 第 10713号 を 改 正 す る 行 政 命 令 」 が 出 さ れ た こ と を 指 す 。 な お 、 こ の 改 正 は 同 日 の 「ケ ネ デ ィ 声 明 」 に よ っ て 明 ら か に さ れ た 。
沖 縄 法 学 第 4 4 号 (2015)
又 は 停 止 し 自 ら 適 当 と 認 め る 法 令 規 則 の 公 布 を 命 じ 、及 び 「琉 球 」におけ る 全権限 の一部又は全部を自ら行使する権利を持つことが規定されていた。
後 か ら 出 さ れ た 「基 本 法 」 で あ る 前 者 に は 、 権 限の行 使 に つ い て 一 定 の 条 件 が 付 け ら れ 、 先 に 出 さ れ た 布 告 と い う 法 体 系 に お い て 前 者 の 下 に 位 置 づ け ら れ る 後 者 に は 、 そ の よ う な 条 件 が な い 。 も ち ろ んこれ ら はそれ ぞ れ 有 効 で あ る が 、 布 告 よ り も 上 に 位 置 づ け ら れ る 「基 本 法 」 ということで、
前 者 が 優 先 さ れ る の で あ ろ う 。 何 れ に し て も 強 大 な 権 限 を 持 っ て い た の で あ る。
このように、 「沖 縄 の 帝 王 」 と も 言 う べ き 存 在 で あ っ た 高 等 弁 務 官 は 、そ の 他 に 「琉 球 米 陸 軍 司 令 官 」「米 太 平 洋 区 域 司 令 部 の 地 域 代 表 と し て 沖 縄 駐 留 米 軍 (陸 ・海 ・空 ・海 兵 )」 の調整役」 及 び 「米 第 九 陸 軍 司 令 官 」 を兼任
しており、 「四つ の 帽 子 」 を被っ て い た と 言 え る 。13)
こ の よ う な 権 限 を 持 つ ラ ン パ ー ト 高 等 弁 務 官 で あ っ た が 、 日本復帰や自 治 権 拡 大 を 目 指 し た 住 民 運 動 の 積 み 重 ね を 背 景 と し て 、 復帰時 に は強権 を 振 る う こ と は 事 実 上 で き な く な っ て い た こ と を 指 摘 し て お き た い 。
U S C A R の 下 に 置 か れ た 琉 球 政 府 で あ っ た が 、 米 国 流 の 厳 格 な 権 力 分 立 制 を 取 り 、 立 法 ・行 政 ・司 法 の 三 権 を 有 し て い た 。
まず、 立 法 権 は 琉 球 政 府 立 法 院 が 担 っ て お り 、 議 長 は 自 由 民 主 党 沖 縄 県 連 合 会 の 星 克 14)で あ る 。 1 9 5 2 年 3 月 2 日 の 第 1 回総選挙いらい公選であっ た。 行 政 主 席 が 公 選 と な る ま で の 16年 8 ヵ 月 の あ い だ 唯 一 の 住 民 代 表 で あって、 正 し く 「自治の砦 」 で あ っ た と 言 え る 。
そ れ か ら 、 行 政 権 は 琉 球 政 府 行 政 府 が 担 っ て お り 、 行 政 主 席 は 革 新 系 無 所 属 の 屋 良 朝 苗 15)で あ る 。 1968年 11月 10日 に な っ て よ う や く 公 選 と な っ たが、 こ れ は 1950年 9月 17日 に 沖 縄 ・宮 古 ・八 重 山 に お い て そ れ ぞ れ の 群 島 知 事 選 が 行 わ れ て 以 来 の 首 長 選 だ っ た 。
13) 大 田 ・前 掲 注6 『沖 縄 の 帝 王 高等弁務官』27頁。
14) 星克については、沖 縄 県 議 会 事 務 局 編 『沖 縄 県 議 会 史 第二二巻 資 料編1 9 議員名鑑』 沖縄 県議会、2007年、192頁を参照のこと。
15) 屋良朝苗については、屋 良 朝 苗 『屋良朝苗回顧録』朝日新聞社、1977年、及び、 同 『激動八 年 -屋良朝苗回顧録-』 沖縄タイムス社、1985年を参照のこと。
さらに、 司 法 権 は 琉 球 高 等 裁 判 所 を 始 め と す る 二 審制の 裁 判 所 が 担 っ て お り 、 そ の 最 高 責 任 者 で あ る 同 裁 判 所 の 首 席 判 事 は 平 田 清 祐 16)で ある。
なお、 立 法 院 と 行 政 府 は 那 覇 市 泉 崎 に 、 琉 球 高 等 裁 判 所 は 同 市 樋 川 に 置 か れ た が 、 そ れ ぞ れ の 庁 舎 は 同 じ 建 物 に は な く 別 々 に な っ て い た 。 その点 で も 、 米 国 の 影 響 や 権 力 分 立 の 厳 格 さ が 見 て 取 れ る 。17)
2 . 復帰時の琉球政府立法院
復 帰 時 の 琉 球 政 府 に お い て 立 法 を 担 っ た の は 、琉 球 政 府 立 法 院 だ っ た 。 前 身 で あ る 琉 球 臨 時 中 央 政 府 の 立 法 府 と 同 様 、 日本語では立法院、英語で は legislatureである。臨時中央政府を創設する際には、米軍側から日本 の都道府県議会と同じa s s e m b l y という案も出されたが、 「自ら法律をつ くるという機能」を 「十分に表現」するためlegislatureにしてもらい、
そ の 訳 を 「琉 球 」側 で 立 法 院 に し た と い う 。18)立 法 院 の 根 拠 法 は 、 「琉球列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」 (第 6 節 ・第 7 節)、 「琉 球 政 府 の 設 立 」 (第 3 条)、 「琉 球 政 府 章 典 」 (第 4 章 、す な わ ち 第 18条 ~第 28条)、 そ し て 1953年 立 法 第 5 号 「立 法 院 法 」 で ある 。
こ の う ち の 「立 法 院 法 」 は、 昭和2 2年 法 律 第 79号 「国会法」 をモデルに したもの だ。 また、 「立 法 院 法 」 に 関 連 し て 、 1955年 6月 14日 議 決 の 立 法 院 規 則 第 1 号 「立 法 院 規 則 」 があ る。 これは、 衆 参 両 院 の 規則を も とにし た もの だ 。
立 法 院 の 位 置 づ け は 、「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」第 6 節 ・第 7 節 に あ る 。 前 者 に お い て は 「琉 球 政 府 の 立 法 権 は 、 一 院 制の 立 法 府 に 属 す る」、後 者 に お い て は 「立 法 府 は 、対 内 的 に 適 用 さ れ る す べ て の 立 法 事 項 に つ い て の み 、 立 法 権 を 行 使 す る こ と が で き る 」 と 規 定されていた。
そ し て 、 権 能 は 、 「琉 球 政 府 の 設 立 」 第 3 条 に あ る 。 ここでは、 「琉球政
16) 平 田 清 祐 に つ い て は 、 平 田 清 祐 『首 席 判 事 物 語 』 私 家 版 、 1 990年 を 参 照 の こ と 。
17) U S C A R は 1 9 6 8 年 1 月 8 日 に 牧 港 補 給 地 区 へ 移 っ た が 、そ れ ま で は 那 覇 市 泉 崎 の 4 階 建 て で 1 ・2 階 に 行 政 府 の 入 っ て い る ビ ル の 3 ・ 4 階 を 使 用 し て い た 。 こ の 移 動 は 、U S C A R と行政 府 、 ひ い て は 琉 球 政 府 と の 力 関 係 の 変 化 を 反 映 し て い る よ う で 興 味 深 い 。
18)「城 間 盛 善 」 (沖 縄 タ イ ム ス 社 編 『私 の 戦 後 史 第 6 集 』 沖 縄 タ イ ム ス 社 、 19 82 年 所 収 ) 同書 295-296頁 。
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府 の 立 法 権 は 琉 球 住 民 の 選 挙 し た 立 法 院 に 属 す る 。 立 法 院 は 琉 球 政 府 の 行 政 機 関 及 び 司 法 機 関 か ら 独 立 し て 、 そ の 立 法 権 を 行 う 。 立 法 院 は 、 一般租 税 、 関税、 分 担 金 、 消 費 税 の 賦 課 徴 収 及 び 琉 球 内 の 他 の 行 政 団 体 に 対 す る 補 助 金 の 交 付 を 含 む 琉 球 政 府 の 権 能 を 実 施 す る に 必 要 適 切 な す べ て の 立 法 を行う」 と規定さ れ て い た 。 人 事 か ら 予 算 、 庁 舎 管 理 ま で 、 行 政 府 や 琉 球 高 等 裁 判 所 と は 別 個 で あ っ た 19)ことも指 摘し てお き た い。
立 法 院 議 員 の 選 挙 権 は 、 「琉 球 に 引 き 続 き 三 箇 月 以 来 住 所 を 有 す る 年 令 満 二 十 年 以 上 の 琉 球 住 民 」が有 し、被 選 挙 権 は 、 「選 挙 権 を 有 す る 年 令 満 二 十 五 年 以 上 の 者 で 、 一 市 町 村 の 区 域 内 に 、 五年 以 上 本 籍 を 有 す る 者 又 は 引 き 続 き 三 箇 月 以 来 住 所 を 有 す る 者 」 が 「そ の 市 町 村 の 区 域 の 属 す る 選 挙 区 において」有し た 。 選 挙 制 度 は 1954年 3月 14日 の 第 2 回 総選挙 か ら小選 挙 区 制 と な っ て お り 、 定 数 は 1965年 11月 14日 の 第 7 回 総 選 挙 か ら 3 2 名であ る。 議 員 の 任 期 は 3 年 で あ る も の の 、1968年 11月 10日 の 第 8 回総選挙にて 選 出 さ れ た 議 員 が 、 1971年 9月 10日 の 大 統 領 行 政 命 令 第 11618号 、 すなわ ち 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 第 10713号 を 更 に 改 正 す る 行 政 命 令 」 に よ っ て 復 帰 ま で 務 め た 。
復 帰 時 の 勢 力 分 布 は 、 定数32 名 の う ち 、 自由民 主 党 沖 縄 県 連 合 会 19名、
沖 縄 社 会 大 衆 党 8 名、 日 本 社 会 党 沖 縄 県 本 部 2 名、 沖 縄 人 民 党 2 名、 保守 系 無 所 属 1 名、 及 び 革 新 系 無 所 属 1 名 で あ る 。20)多 数 野 党 で あ る 自 民 党 沖 縄 県 連 が 、議 長 に 星 克 を 、そ し て 副 議 長 に 伊 藝 徳 一21)を出して、正 副 議 長 を 独 占し ていた。
また、議 会 制 度 は 一 院 制 を 採 用 し て お り 、定 例 会 は 1959年 か ら 2 月 1 日 に 招 集 さ れていた 。 会 期 は 1 5 0 日である。
組 織 に つ い て は 、 議 長 の も と に 本 会 議 や 委 員 会 が 置 か れ て い た 。 委員会 は、常 任 委 員 会 と 特 別 委 員 会 に 分 か れ て お り 、前 者 は 議 会 運 営 ・行 政 法 務 ・
19)「元 ・県 議 会 事 務 局 長 真 喜 屋 実 顕 氏 」 (仲 地 博 ・前 津 榮 健 『聞 き 書 き お き な わ 自 治 物 語 Ⅱ』
沖 縄 県 町 村 会 、2014年 所 収 ) 同 書379頁 。
20) 沖 縄 戦 後 選 挙 史 編 集 委 員 会 編 『沖 縄 戦 後 選 挙 史 第 二 巻 』 沖 縄 県 町 村 会 、1984年 、949-959 頁 。
21) 伊 藝 徳一につい て は 、 沖 縄 県 議 会 事 務 局 編 ・前 掲 注1 4『沖 縄 県 議 会 史 第 二 二 巻 資 料 編19 議 員 名 鑑 』48頁 を 参 照 の こ と 。
内 政 ・文 教 社 会 ・経 済 工 務 ・予 算 決 算 の 六 つ 、 後 者 は 軍 関 係 問 題 (第 4 回 議 会 〈定 例 〉 中 で あ る 1954年 4月 14日 に 軍 使 用 土 地 特 別 委 員 会 が 設 置 さ れ て か ら 名 称 を 変 え つ つ 断 続 的 に 維 持 さ れ た も の )・復 帰 対 策 問 題 (第4 2 回 議 会 〈定例〉 中 で あ る 1970年 4月 3日 に 設 置 さ れ て か ら 断 続 的 に 維 持 さ れ たもの) の二つ で ある 。22) 23
立 法 院 事 務 局 は 、議 長 の も と に 事 務 局 長 が 置 か れ 、総 務 部 ・議事記 録 部 ・ 法 制 部 の 3 部 制 が 取 ら れ た 。 総 務 部 と 議 事 記 録 部 に は そ れ ぞ れ 3 課 (前者 は総務 課 、 経 理 課 、 及 び 管 理 課 、 後 者 は 議 事 課 、 記 録 第 一 課 、 及び 記 録 第 二 課 ) が、 法 制 部 に は 1 課 (立 法 考 査 課 ) 1 室 (法 制 室 ) が あ り、 議 会 運 営 委 員 会 以 外 の 各 常 任 委 員 会 に は 、 調 査 室 が 置 か れ て 、 そ れ ぞ れ 職 員 が 7 名 程 お り (室長、専 門 調 査 員 、立 法 調 査 官 〈複 数 〉、法 制 職 、及 び 事 務 職 )、
調 査 の み な ら ず 運 営 も 行 っ た 。23)
調 査 室 の 職 員 は 、 行 政 府 の 職 員 と 共 に 法 案 の 下 調 べ を 行 な い 、 委員長に 報 告 し た 。 常 任 委 員 会 で は 、 委 員 長 が 大 き な 役 割 を 果 た し て お り 、 委員会 で の 審 査 報 告 書 を 基 に 、 本 会 議 で 質 疑 応 答 を こ な さ ね ば な ら な か っ た 。24)
立 法 院 で 作 ら れ た 法 の 名 称 を 立 法 と い う 。 立 法 過 程 は 次 の よ う な も の で、 琉 球 政 府 が 米 国 流 の 厳 格 な 権 力 分 立 制 度 を 採 用 し て い る こ と か ら 、 議 員 に 立 法 案 や 予 算 案 (予 算 案 も 立 法 案 の 扱 い だ っ た ) の提出権が専属して いた。25)
行 政 主 席 や 琉 球 高 等 裁 判 所 首 席 判 事 は 、 立法 院議 長 に対 し て 立 法 勧 告 を
22) 照屋榮一 『沖縄行政機構変遷史』 私家版、 1 9 8 4 年、177頁。琉球政府立法院事務局議事課編
『議 会 時 報 第27号』 琉 球政府立法院事務局、 1972年、21頁。 沖 縄 県 議 会 事 務 局 調 査 課 編 『立 法院誌』沖縄県議会事務局、1973年、 196、206, 208頁。 なお、復 帰 前 における最後の議会は、
1 972年 2月 1日 か ら 復 帰 前 日 で あ る 5 月1 4 日までの1 0 4 日間を会期とする第4 9 回 議 会 (定例)
であった。 この議会では、 立 法 調 査 事 件 2 件が審議未了となり、 屋良行政主席からの立法勧告 18件のうち17件 が 発 議 さ れ 1 件が審議未了となった。 発議されたのは19件で、内訳は立法勧告 によるものが17件、委 員 会 独自の も の と議員によるものがそれぞれ1 件となっており、全て可 決されている。
23) 琉 球 政 府 立 法 院 事 務 局 編 『立法院のしおり』 琉球政府立法院事務局、 1969年、28頁。 「元 ・ 県 議 会 事 務 局 長 真 喜 屋 実 顕 氏 」(仲 地 他 ・前掲注1 9 『聞 き 書 き おきなわ 自治 物語 Ⅱ』)同書374 頁。
24) 「元 ・県 議 会 事 務 局 長 真喜屋実顕氏」 (仲 地 他 ・同上書所収) 同書3 7 4 — 377頁。
25) 宮 城 進 「琉球政府立法院の機能と成果」 (議 会 政 治 研 究 会 編 『議 会 政 治 研 究 No.25』議会政治 研究会、 1993年所収) 同誌5 5 - 5 6 頁。
行 な う こ と し か で き ず 、 そ の 場 合 ま ず 委 員 会 に 付 託 さ れ る 。26)立 法 勧 告 書 に は 参 考 案 が 付 さ れ て お り 、 当 該 の 委 員 会 で 立 法 の 必 要 が あ る と 認 め る 場 合 は 、 委 員 長 名 で 立 法 案 を 提 出 し た が 、 立 法 の 必 要 が な い と 決 定 し た 場 合 は、 そ の 旨 を 委 員 長 が 本 会 議 に お い て 報 告 し た 。 委 員 会 と し て の 提 出 に 至 らない場合には、 議 員 の 提 出 に し た こ と も あ っ た と い う 。27)
立 法 案 は 、議 員 が 提 出 す る に し ろ 、委 員 長 名 で 委 員 会 が 提 出 す る に し ろ 、 そ の 後 は 本 会 議 中 心 の 読 会 制 、 立 法院の 場 合は三 読 会 制 に て 議 事 が 進 め ら れ た 。28)
議 事 を 行 な う の に 必 要 な 定 足 数 は 「総 議 員 の 過 半 数 」 で、 立法 案 は 出 席 議 員 の 過 半 数 を も っ て 議 決 さ れ た 。 第 一 読 会 に お い て は 、 発 議 者 か ら の 提 案 理 由 の 説 明 等 の 後 、 一 般 的 な 質 疑 を し て 委 員 会 に 付 託 し た 。 第二読会に お い て は 、 委 員 長 や 少 数 意 見 者 か ら 報 告 が あ り 、 修 正 案の 説 明 や 質 疑 を し た。 第 三 読 会 に お い て は 、 討 論 や 採 決 を す る が 、 第一読 会 や第二 読 会で も そ の 段 階 で 終 結 す る か ど う か の 採 決 を し た 。29)
立 法 案 が 可 決 さ れ れ ば 議 長 か ら 行 政 主 席 に 送 付 さ れ 、 否 決 さ れ れ ば 廃 案 となる。 立 法 案 は 行 政 主 席 が 承 認 の う え 署 名 し な い と 成 立 、 すな わ ち 立 法 とはならない。 送 付 さ れ た 立 法 案 の 扱 い は 、 議 会 が 開 会 中 か 閉 会 中 か で 異 な った。
ま ず は 開 会中 であ る。 この場合、 行 政 主 席 が 送 付 さ れ た 立 法 案 を 承 認 す る場合は、 署 名 を 経 て 公 布 さ れ た 。 送 付 さ れ た 立 法 案 に 異 議 が あ れ ば 、 行 政 主 席 は 理 由 を 付 し て 1 5 日 以 内 に 立 法 院 に 返 送 す る こ と と な っ て い た 。
26) 琉 球 政 府 立 法 院 事 務 局 編 ・前 掲 注 2 3 『立 法 院 の し お り 』 19頁 。
27) 「冨 名 腰 朝 栄 氏 (元 立 法 院 事 務 局 総 務 部 長 ・元 沖 縄 県 議 会 事 務 局 長 ) の 証 言 」 (2 0 1 4 年 1 1 月 1 日)。 な お 、所 管 委 員 会 に 付 託 さ れ た 立 法 勧 告 が 会 期 中 に 処 理 で き ず 、か つ 立 法 の 必 要 が あ る と 認 め ら れ れ ば 、「立 法 調 査 事 件 」と し て 当 該 委 員 会 の 閉 会 中 継 続 審 査 に 回 さ れ た 。 閉 会 中 継 続 審 査 に お い て 立 法 の 必 要 が 認 め ら れ れ ば 、 後 会 に お い て 、 委 員 長 名 で 立 法 案 が 提 出 さ れ る か 、 改 め て 「立 法 調 査 事 件 」 と し て 所 管 委 員 会 に 付 託 さ れ 、 認 め ら れ な け れ ば 、 委 員 長 が 本 会 議 で そ の 旨 を 報 告 し た 。 改 め て 付 託 さ れ た 所 管 委 員 会 で 立 法 の 必 要 が 認 め ら れ れ ば 、 委 員 長 名 で 立 法 案 が 提 出 さ れ る か 、 さ ら に 当 該 委 員 会 の 閉 会 中 継 続 審 査 に 回 さ れ 、 認 め ら れ な け れ ば 、 委 員 長 が 本 会 議 で そ の 旨 を 報 告 し た 。
28) 琉 球 政 府 立 法 院 事 務 局 編 ・前 掲 注 2 3 『立 法 院 の し お り 』 19頁 。
29) 琉 球 政 府 立 法 院 事 務 局 編 ・同 上 誌 2 0 頁 。 「元 ・県 議 会 事 務 局 長 真 喜 屋 実 顕 氏 」 (仲 地 他 ・前 掲 注 1 9 『聞 き 書 き お き な わ 自 治 物 語 Ⅱ』) 同書3 7 8 頁 。
これが拒 否権の 行 使 に よ る 再 議 で 、 出 席 議 員 の 3 分 の 2 の多数で再可決さ れ た 場 合 に は 公 布 さ れ る が 、 否 決 の 場 合 に は 廃 案 と な っ た 。 立法 案 を 送 付 後 1 5 日 以 内 に 承 認 も 返 送 も し な い 時 に は 立 法 と な り 公 布 さ れ た 。
次 に 議 会 閉 会 中 で あ る 。 この場合、 た と え 行 政 主 席 に 異 議 が あ っ て も 立 法 院 へ の 返 送 が 妨 げ ら れ て し ま う 。 ゆえに、 承 認 す る 場 合 は 、 立 法 案 の 送 付 を受けた 後4 5 日以内に 署名 すれ ば公 布さ れ、 承 認 し な い 場 合 は 、廃案と なった。30)
成 立 し た 立 法 は 、 高 等 弁 務 官 に よ っ て 米 国 国 防 長 官 に 報 告 さ れ 、 国防長 官 に よ っ て さ ら に 米 国 議 会 に 報 告 さ れ た 。 立 法 は 米 国 議 会 ま で 行 っ て い た のである。31)
U S C A R に よ る 立 法 過 程 へ の 関 与 ・干 渉 は 、 行 政 主 席 か ら 議 長 へ の 立 法 勧 告 (立 法 勧 告 書 と 参 考 案 の 提 出 ) の 前 (事 前 調 整 )、 署 名 の 前 (事 後 調 整 ・高 等 弁 務 官 に よ る 拒 否 権 行 使 )、 署 名 の 後 (高 等 弁 務 官 に よ る 拒 否 権 行 使 ) そ し て 審 議 の 途 中 に あ っ た 。32)しかし、 こ れ ら の う ち の 事 前 調 整 と 事 後 調 整 に つ い て は 、 1 9 6 7 年 1 1 月 1 5 日 の 「佐 藤 ・ジ ョ ン ソン 共 同 声 明 」 にお い て 復 帰 が 事 実 上 決 定 し て か ら 緩 め ら れ 、 復 帰 時 に は 屋 良 行 政 主 席 が 「こ の 制 度 を 事 実 上 ボ イ コ ッ ト し て 」 いた、 という。33)
ところで、立 法 院 に は 、 「強 い 立 法 院 」 と 「弱 い 立 法 院 」 と言うべき二 面
30) 琉 球 政府立法院事務局編・同上誌同頁。 なお、 1 9 6 2 年 3 月 1 9 日 の 「琉球列島の管理に関する 行政命令」 の改正、 す な わ ち大統 領 行 政命 令第11010号が出されたことによって、そ の 第 9 章 に規定されていた高等弁務官の再可決法案承認権が廃止された。 それまでは、行政主席によっ て再議に付されたものの、 立 法 院 の 3 分 の 2 によって再可決された法案は、 高等弁務官に送付 され、 承認しない場合は返送することによって廃案にすることができたのである。 詳しくは、
宮 里 政 玄 『日 米 関 係 と 沖 縄 1 9 4 5 - 1 9 7 2 』 岩波書店、2000年 、2 1 8 - 2 1 9 頁を参照のこと。
31) 久 貝 良 順 「戦 後沖縄 における法体系の整備-登 記 簿 ・戸 籍 薄を 含め て-」 (沖縄大学法学会
『沖大法学』第 9 号、 1990年所収) 同書89頁。
32) 行 政 主 席 とU S C A Rと の 立 法 案 の 事 前 ・事後調整は、琉球臨時中央政 府時 代で ある 1951年 6 月 7 日の米国民政府訓令第30号 「臨時中央政府の立法手続き」、 す な わ ち 「ルイス書簡」 を 根拠としていた。 また、 そ の 就 任 前 に こ の 事 前 ・事後調整が大きく政治問題化した松 岡 保 行 政主席時代に、米琉合同法案審査委員会が設置され、1 9 6 5 年 9 月 1 日 に 第 1 回委員会の開催を みている。 これにより法案調整の大幅な簡素化が図られ、その後、行政府の立法勧告はかなり ス ム ー ズ に 運 ば れ る よ う に な っ た と い う 。 詳 し く は 宮 良 用 英 『琉 球 政 府 の 時 代 -松 岡 施 政
( 1 9 6 4 - 1967年) を中心に-』私家版、2005年 、39頁を参照のこと。
33) 池 宮 城 ・前 掲 注 7 『琉球列島における公共部門の経済活動』3 0 — 3 1頁。永 井 幹 久 「沖縄の国 政参加」 (国 立 国 会 図 書 館 調 査 立 法 考 査 局 編 『沖縄復帰の基本問題』、 国立国会図書館、1971年 所収) 同書68頁。
性 が あ っ た と 指 摘 さ れ て い る 。34)前 者 の 面 と し て は 、 次 の よ う な 事 柄 を 挙 げ る こ と が で き る の で は な い だ ろ う か 。
まず、 「琉 球 列 島 の 管 理 に 関 す る 行 政 命 令 」、 「琉 球 政 府 の 設 立 」、 そして
「琉 球 政 府 章 典 」 に よ っ て 対 内 的 に 適 用 さ れ る 全 て の 立 法 事 項 に つ い て 立 法 権 を 行 使 で き た 。 議 員 に 立 法 案 の 提 出 権 が 専 属 し て い た こ と も 挙 げ ら れ る。 行 政 主 席 や 琉 球 高 等 裁 判 所 首 席 判 事 は 立 法 院 議 長 に 対 し て 立 法 勧 告 を 行 な う に 止 ま り 、 立 法 勧 告 書 と 参 考 案 を 提 示 し た が 、 立 法 院 の 側 で 取 捨 選 択 し た り 修 正 し た り で き た 。
そ し て 、 行 政 主 席 は 、 定 例 会 ご と に 行 わ れ る 行 政 主 席 メ ッ セ ー ジ の 朗 読 以 外 で 立 法 院 に 出 席 す る こ と は 基 本 的 に な く 、35)議 場 に 自 ら の 席 は な い 。 行 政 府 職 員 は 、 本 会 議 に は 参 加 で き ず 、 委 員 会 に は 参 考 人 と し て 出 席 可 能 で あ っ た 。 立 法 院 事 務 局 は 、 職 員 を 独 自 に 採 用 し て い て 規 模 も 大 き く 、 組 織 も 充 実 し て い た と 言 え る 。 職 員 は 定 員 122名、 実 数 110名 で 、 3 部 8 課
(室) を擁し、 1957年 以 降 、 参 議 院 に て 3 ヵ月 の 研 修 を 実 施 し て い た 。 また、俸 給 月 額 と し て 、議 長 に は 行 政 主 席 の 額 (6 6 0 ドル=20万 3280円 ) に 相 当 す る 額 、 副 議 長 に は 行 政 副 主 席 の 額 (5 6 0 ドル=17万 2480円 ) に相 当 す る 額 、 そ し て 議 員 に は 局 長 の 額 に 1 0 ド ル を 加 え た 額 (4 9 0 ドル=15万 9 20円) が そ れ ぞ れ 支 給 さ れ て い る (当 時 は 1 ドル=3 0 8 円)。
さらに、各 議 員 に は 個 室 、専 用 車 、そ し て 1 名 の 専 属 秘 書 が つ い た ほ か 、 不 逮 捕 特 権 や 議 院 内 で の 発 言 ・表 決 の 無 答 責 が 認 め ら れ て お り 、 国会議員 に 相 当 す る 待 遇 が 与 え ら れ て い た と 言 え る 。
立 法 院 は 、 存 続 し た 2 0 年 余 の 間 に 第 1 回 議 会 (定 例 ) か ら 第 4 9 回 議 会 (定例) ま で を積 み 重 ね 、2373件 の 立 法 を 行 な い 343件 の 決 議 を 行 な っ た 。 2373件 に の ぼ る 立 法 の 内 訳 は 、予算法6 2 8 件 、既 存 法 の 改 正 法 1157件、日本
34) 豊 見 山 和 美 「琉球政府立法院制度の沿革」 (沖 縄 国 際 大 学 沖 縄 法 政 研 究 所 『沖縄法政研究』
第 16号、2014年 3 月所収) 同誌2 0 3 — 204頁。
35) 屋良行政主席は、予算連合審査会に限られたが、立法院にも積極的に出席した。 予算連合審 査会は、 予算の重要性から全議員を審議に参画させる目的で、 予算決算委員会が他の委員会と ともに開催したものである。詳しくは、 宮 城 「琉 球 政府立法院の機能と成果」 (議会政治研究 会 編 ・前掲注2 5 『議 会 政 治 研 究 No.25』所収) 同誌57、 59頁を参照のこと。
法 と 同 じ 名 称 を 持 つ か 、 名 称 は 違 っ て も 準 拠 法 が 分 か る 法 4 6 3 件 、 及 び そ の他125件 と な っ て い る 。36)
後 者 の 面 と し て は 、 次 の よ う な 事 柄 を 挙 げ る こ と が で き る の で は な い だ ろうか。 琉 球 政 府 そ の も の が U S C A R の布告、布 令 、及 び 指令に従うもの とされていた。 高 等 弁 務 官 は 「す べ て の 立 法 案 、 そ の 一 部 又 は そ の 中 の 一 部 分 を 拒 否 」 す る こ と や 「す べ て の 立 法 、 そ の一部 又 はそ の 中 の 一 部 分 を 制定後4 5 日以内に無効」 に す る 権 利 を 持 っ て い た 。
こ う し た 拒 否 権 が 行 使 さ れ た 顕 著 な 例 と し て 、 後 の 高 等 弁 務 官 で あ る 民 政 副 長 官 に よ る も の で は あ る が 、1958年 4月 1日 に 施 行 さ れ た 立 法 の 教 育 四 法 (「教 育 基 本 法 」 「学 校 教 育 法 」 「教 育 委 員 会 法 」 「社 会 教 育 法 」) を挙げ る こ とが できる。
教 育 四 法 は 一 体 の も の と し て 捉 え ら れ て 審 議 の う え 、第 7 回 議 会 (臨時)
中 で あ る 1956年 1月 30日 と 第 8 回 議 会 (定例 ) 中 で あ る 同 年 9 月1 5 日にそ れ ぞ れ 立 法 院 で 可 決 さ れ た 。 し かし、 二 度 と も ジ ェー ム ズ ,E ・ ムー ア ( J a m e s E. M o o r e )37)民 政 副 長 官 か ら の 書 簡 で 承 認 し な い 旨が通知された ことを受けて、議 会 閉 会 中 の た め に 、當 間 重 剛 行 政 主 席 が 署 名 し な い こ と に よ って廃 案 と な っ た 。 そ し て 、第 1 0回 議 会 (定 例 ) 中であ る 1957年 9 月 2 5 日 に なさ れた三 度 目 の 可決 で 、高 等弁 務官 とな ったムーアの承認が漸く 得 ら れ た の で あ る 。
承 認 で き な い 理 由 は い く つ も 挙 げ ら れ た が 、 内実としては教育四法のう ち の 教 育 基 本 法 の 前 文 に 立 法 院 に よ っ て 加 え ら れ た 、「日本国民として」と の 文 言 だ っ た と い う 。
教 育 四 法 の 他 に も 民 政 副 長 官 や 高 等 弁 務 官 が 拒 否 権 を 行 使 し た ケ ー ス は いく つ も あ り 、概 ね 次 の 三 つ の パ タ ー ン に 分 類 す る こ と が で き る 。 まず、
37) 川 手 摂 「琉 球 政 府 の 行 政 に お け る 『日 本 と の 連 続 性 』 -公 務 員 制 度 ・人 事 制 度 を 中 心 に -」
(沖 縄 国 際 大 学 沖 縄 法 政 研 究 所 ・前 掲 注 3 4 『沖 縄 法 政 研 究 』 第 16号 所 収 ) 同 誌 211頁 。 2 0 年 余 り の 間 に お い て 4 6 3 件 に の ぼ っ た 日 本 法 に 準 じ る 法 整 備 は 、 住 民 運 動 と し て の 日 本 復 帰 運 動 と 軌 を 一 に し た 、 「もう一つの復 帰 運 動 」 と 言 え る 。
37) ム ー ア については、大 田 ・前 掲 注 6 『沖 縄 の 帝 王 高 等 弁 務 官 』 1 2 8 - 1 5 4 頁 、 及 び 宮 城 ・前 掲 注 6 『為 政 者 た ち の 証 言 占領2 7 年 』4 5 - 6 1 頁 を 参 照 の こ と 。
直 接 立 法 院 に 拒 否 す る 旨 の 書 簡 を 送 付 す る こ と が あ っ た 。 そ れ か ら 、立法 院 が 制 定 し た 立 法 (行 政 主 席 が 署 名 公 布 し た も の を 含 む ) に代えて、 自ら 布 告 や 布 令 を 公 布 す る と い う こ と も な さ れ て い た 。 さら に行政主席に指示 して、 先 に 述 べ た 拒 否 権 を 行 使 さ せ 送 付 さ れ た 立 法 案 を 再 議 に か け る こ と もあった。3 8 )理 由 の は っ き り し て い る 拒 否 権 行 使 の 事 例 と し て 4 3 件の 記 録 が 残 さ れ て い る 。39)
3. 復帰時の沖縄県
琉 球 政 府 は 1972年 5月 14日 ま で 存 続 し 、沖 縄 県 は 日 本 に 復 帰 し た 5 月15 日 に発 足し た。復 帰 時 に お け る 沖 縄 県 の 根 拠 法 は 、昭和22 年 法 律 第 6 7 号 「地 方 自 治 法 」40)で、こ れ は 「日本国憲法」に 代 表 さ れ る 「戦 後 改 革 」の成果の一つ で あ る 。「地 方 自 治 法 」には、総 則 、住 民 、条 例 及 び 規 則 、選 挙 、直 接 請 求 、議 会 、 執 行 機 関 、給 与 そ の 他 の 給 付 、財 務 、公 の 施 設 、国 と 地 方 公 共 団 体 と の 関 係 及 び 地 方 公 共 団 体 相 互 の 関 係 、大 都 市 に 関 す る 特 例 、特 別 区 、地 方 公 共 団 体 の 組 合 、財 産 区 、あ る い は 地 方 開 発 事 業 団 と い っ た 事 柄 が 規 定 さ れ て い た 。
沖 縄 県 の 位 置 づ け は 、「地 方 自 治 法 」第 2 条 第 2 項 ・第 6 項 に あ っ た 。 前 者 に お い て は 「普 通 地 方 公 共 団 体 は 、 そ の 公 共 事 務 及 び 法 律 又 は こ れ に 基 く 政 令 に よ り 普 通 地 方 公 共 団 体 に 属 す る も の の 外 、 そ の区 域内お ける その 他 の 行 政 事 務 で 国 の 事 務 に 属 し な い も の を 処 理 す る 」 とされ、 後者におい て は 「都 道 府 県 は 、市 町 村 を 包 括 す る 広 域 の 地 方 公 共 団 体 と し て 、 (…)広 域 に わ た る も の 、 統 一 的 な 処 理 を 必 要 と す る も の 、 市 町 村 に 関 す る 連 絡 調 整 に 関 す る も の 及 び 一 般 の 市 町 村 が 処 理 す る こ と が 不 適 当 で あ る と 認 め ら れ る 程 度 の 規 模 の も の を 処 理 す る 」 とされている。 他 県 と 同 様 の 位 置 づ け で あ っ て 、 沖 縄 県 の み の 特 別 な も の で は な い 。
38) 宮 城 「琉 球 政 府 立 法 院 の 機 能 と 成 果 」 (議 会 政 治 研 究 会 編 ・前 掲 注 2 5 『議 会 政 治 研 究 NO.25 』 所 収 ) 同 誌 5 7 - 5 8 頁 。
39) 「拒 否 立 法 案 理 由 集 」 (立 法 院 議 事 記 録 部 議 事 課 編 『第 一 回 議 会 -第 四 一 回 議 会 資 料I (改 訂 版 )』 立 法 院 事 務 局 、 1 969 年 〈?〉 所 収 ) 同 誌 1 0 1 - 1 24頁 。 沖 縄 県 議 会 事 務 局 編 『沖 縄 県 議 会 史 第 三 巻 通 史 編 3 』 沖 縄 県 議 会 、 2 0 1 4 年 、 2 5 — 2 7 頁 。
40) 復 帰 時 の 地 方 自 治 法 と 沖 縄 復 帰 特 別 措 置 法 の 条 文 は 、 我 妻 栄 他 編 『六 法 全 書 昭 和 4 8 年 版 』 有 斐 閣 、 1 97 3年 に 拠 っ た 。
そ れ で は 、 復 帰 時 の 沖 縄 県 や そ れ を 取 り 巻 く 状 況 を 確 認 し よ う 。 沖縄に は、 U S C A R に 取 っ て 代 わ る か の よ う に 、 日本政府として はそれ ま で前例 の な い 総 合 出 先 機 関 と し て 、 総 理 府 に 属 す る 沖 縄 開 発 庁 の 地 方 支 分 部 局 で あ る 沖 縄 総 合 事 務 局 が 置 か れ た 。41)もちろん、 沖 縄 総 合 事 務 局 は U S C A R とは 性格が異なるが、 集 権 的 な 日 本 政 府 の 意 思 を 沖 縄 に お い て 体 現 す る も の と し て 活 動 し た の で あ る 。
沖 縄 は 、 沖 縄 開 発 庁 や 沖 縄 総 合 事 務 局 を 主 体 と し 、 昭和4 6 年 法 律 第 131 号 「沖 縄 振 興 開 発 特 別 措 置 法 」 を柱と する 、 「沖 縄 振 興 開 発 体 制 」42)に組み 込 ま れ た 。 これを 支 え る 強 力 な ツ ー ル が 、 沖 縄 振 興 予 算 で あ る 。 この体制 において、 県 庁 を 始 め と す る 沖 縄 側 は 、 客 体 の 位 置 に 止 ま っ た 。
ところで、 沖 縄 県 も 、 法 人 格 を 持 つ 統 治 団 体 (住 民 団 体 ) としての性格 と、沖 縄 を 統 治 す る た め の 組 織 (統 治 組 織 )と いう 二重性 を 有して い る。 本 稿 で 取 り 上 げ る の は 、 や は り 後 者 の 側 面 で あ る 。
沖 縄 県 は 、 二 元 代 表 制 の も と で 、 言 わ ば 大 統 領 制 をベースに議院内閣制 を 加味し た も の と な っ た 。 厳 格 な 権 力 分 立 制 を 取 ら ず 、立 法 (議 決 )・行政
(執行) の二 権 を 有 す る の み で あ る 。43)
まず、 立 法 (議 決 ) 権 は 沖 縄 県 議 会 が 担 っ て お り 、 昭和4 6 年 法 律 第 129 号 「沖 縄 復 帰 特 別 措 置 法 」 第 5 条 第 2 項 に よ っ て 、 復 帰 時 の 立 法 院 議 員 が
「み なす 議 員 」 とされた。 最 後 の 立 法 院 議 長 で あ っ た 星 克 は こ れ に 伴 っ て
「み なす 議 長 」 となり、 引 き 続 き 議 長 職 に 留 ま っ た 。 1972年 6月 25日 に 復 帰 後 に お け る 初 の 県 議 選 が 行 わ れ 、 そ の 結 果 、 星 克 に 代 わ っ て 復 帰 後 二 代 目の議長には、 沖 縄 社 会 大 衆 党 の 平 良 幸 市 44)が 就 任 し た 。
そ れ か ら 、 行 政 (執 行 ) 権 は 沖 縄 県 庁 が 担 っ て お り 、 こ ち ら も 「沖 縄 復 帰 特 別 措 法 」 第 5 条 第 2 項 に よ っ て 行 政 主 席 が 「み なす 知 事 」 とされた。
41) 櫻 井 ・前 掲 注 3 『沖縄祖国復帰物語』2 6 4 — 266頁。
42) 「沖縄振興開発体制」については、佐 道 明 広 『沖縄現代政 治 史- 「自立」 をめぐる攻防-』 吉 田書店、2014年、及 び 島 袋 純 『「沖縄振興体制」 を 問う-壊された自治とその再生に向けて-』
法律文化社、2014年 を参照のこと。
43) 沖 縄 県 の 立 法 (議決)・行 政 (執行) の二権の概要については、 照 屋 ・前掲注2 2 『沖縄行政 機構変遷史』 179— 185頁を参照のこと。
44) 平良幸市については、 平 良 幸 市 回 想 録 刊 行 委 員 会 編 『土 着 の 人 -平 良幸市小伝-』 私家版、
1994年 を参照のこと。