Kyushu University Institutional Repository
世界的貧困とグローバルな正義の基礎(2・完)
小園, 栄作
九州 ⼤ 学 ⼤ 学院法学府 : 博 ⼠ 後期課程(法哲学)
https://doi.org/10.15017/4492906
出版情報:九大法学. 121, pp.1-60, 2021-09-30. 九大法学会 バージョン:
権利関係:
世界的貧困とグローバルな正義の基礎
(2・完)
小 園 栄 作
序論
第1章 世界的貧困への分配的正義アプローチ 第1節 シンガーの積極的援助義務論
第1項 初期シンガーのラディカルな援助義務 第2項 後期シンガーの穏当な援助義務論 第3項 積極的義務論の可能性と限界 第2節 ロールズの契約論的義務 第1項 ロールズの国内的正義論 第2項 ロールズの国際的正義論 第3項 第8原理の援助義務批判
第4項 ケイパビリティ・アプローチの観点 第3節 ミラーのナショナリズム論
第1項 ネーションとしての責任 第2項 結果責任と救済責任
第3項 正義のズレ (以上120号)
第2章 世界的貧困への匡正的正義アプローチ
第1節 ポッゲの中核的主張―根源的不平等と3つの不正 第1項 暴力的な歴史
第2項 天然資源からの補償なき排除 第3項 グローバルな制度的秩序
第2節 ポッゲのグローバルな制度的秩序の改革案 第1項 主権の垂直的分散
第2項 国際資源特権および国際借入特権改革
第3項 グローバル資源配当 第4項 医薬品特許改革
第3節 ポッゲのグローバルな正義論の批判的再検討 第1項 強いテーゼの経験的立証不足批判 第2項 証拠の優位と強いテーゼの実践的意義 第3項 人権および加害に関する概念的批判
第4項 制度的アプローチにおける人権の射程と不正なグローバルな制 度的秩序の押し付けによる加害
第5項 民主制基底的な改革案の実現可能性への異論 第6項 正当な資源取引の条件―民主的正統性 結論
引用・参考文献一覧 (以上本号)
第2章 世界的貧困への匡正的正義アプローチ
第1章では、富裕先進諸国の我々がなぜ貧しい人々に対する責任を負っ ているのかという問題に理論的回答を与えようと試みるさまざまな哲学 的立場について考察した。我々が享受する「絶対的豊かさ」とグローバ ルな貧者が被る「絶対的貧困」との間にある非対称的状況を前提として、
我々が貧しい人々の困窮を大きな犠牲を伴うことなく緩和することがで きるならば、我々は道徳的にそうするべきであるとシンガーは主張する。
積極的援助義務を擁護するシンガーの見解は、彼が目指した慈善と義務 に関する我々の通常の道徳的思考枠組みに対するラディカルな修正を擁 護するには至らなかった。シンガーと同様の功利主義者であればあるい はそれは受け容れられるかもしれないが、通常、積極的義務は、消極的 義務が正義の義務として我々の行動に対して持ちうる規範的拘束力を持っ ていないのである。
また、契約論的な概念的諸装置を用いて我々が遵守すべき正義原理を 導出したロールズのアプローチは、原初状態での仮想的な契約に基づく 合意から我々がそれらの正義原理を遵守する義務を基礎づけている。し かし、『諸人民の法』においてロールズは国内的正義と国際的正義の間の 二重基準を適切に正当化しておらず、そこで提示される第8原理の援助 義務はグローバルな正義原理が要請してしかるべき内容との著しい乖離 があり、グローバルな経済的制度に対する制約としては不適切であった。
さらに、ミラーは、世界的貧困問題をグローバルな正義の問題として 認識し、ネーションとしての責任という観点から我々のそれらの問題に 対する責任がどのようなものかを論じた。富裕先進諸国の我々の救済責 任が我々の結果責任によってどの程度まで規定されるのかという問題の 結論については留保しつつも、あらゆる人間は基本的ニーズに基づいて 特定される人間らしい最低限の生活のための条件としての基本的人権を
(1)
要求することができると主張した。しかし、ミラーは、彼自身が擁護す るナショナル・アイデンティティの観念を中心とするネーションとして の責任が惹起する問題とグローバルな貧者に対する正義の問題との間の ズレを黙過することによって、そのような正義の義務を形骸化していた。
本章では、これらの従来のアプローチが取りこぼしてきた問題点を掬 い上げつつ、我々の貧しい人々への義務を道徳的に最小限の前提に基づ いて擁護することで、さまざまな道徳的前提を持つ人々を説得すること を試みるトマス・ポッゲのグローバルな正義に関する理論について検討 する。ポッゲは、既存のグローバルな制度的秩序―国際的承認慣行や 国際的貿易、金融、銀行、および資源採集などを規制する諸ルールおよ び諸条約などから成る―は、予見可能かつ回避可能な広範な人権の欠 損の発生と持続に寄与する著しく不正義なものであると主張する。それ らの秩序の形成および維持に積極的に加担することによって、我々富裕 先進諸国はグローバルな貧者に対する消極的義務に違反しており、した がって、我々にはそれらの人権侵害に対して補償し、グローバルな制度 的秩序がそのような人権侵害を伴わないものとなるように改革する責任 があると論じている。
第1節 ポッゲの中核的主張―根源的不平等と3つの不正 第1項 暴力的な歴史
我々が現在生きている世界で持続している貧困は酸鼻を極めている。
2013年において、7億6,600万人が1日1.9ドル未満で生活する極度の貧困 状態にある。そして、そのうち3億8,500万人は子どもである。栄養不良 によって、5歳未満の子どもの45% が死亡している。グローバルな貧者 が被っているこの「絶対的貧困」は、貧しい人々の生存の機会のあらゆ る側面を蝕み、自力で抜け出すことを困難にしている。対照的に、先進 国の我々が享受している「絶対的豊かさ」は、絶対的貧困からそれらの 貧しい人々を救済するために犠牲を払った後でも十分に豊かな暮らしを
(2)
維持することを可能にする程のものである。
このような著しく非対称的な世界的貧困の現状をポッゲは、トマス・
ネーゲルにならって「根源的不平等(radical inequality)」と呼んでいる。
しかしながら、現在のこのような根源的不平等の存在がいかに悲惨で唾 棄すべきものであろうとも、それが存在するという事実から直ちに我々 が貧しい人々に対して消極的義務に違反しているということにはならな い。なぜなら、それらの貧困は、国際社会における公正な経済競争のルー ルに基づく行動の帰結であったり、純粋に貧困諸国の政府による政治的・
経済的政策の失敗であったり、自然災害などに起因するものであったり する可能性があるからである。とはいえ、富裕先進諸国の我々は貧困諸 国の貧しい人々に対する消極的義務に違反して彼らに危害を加えており、
それゆえ自らの加害に対する補償責任を負うという見解は、ある意味で は馴染みのあるものである。というのも、現在、政治的および経済的に 安定した(多くは民主制の)先進諸国の豊かさと政治的にも経済的にも不 安定で(しばしば抑圧的で権威主義的支配が布かれる)途上国の貧困との間 の非対称性は、古くは植民地時代の残虐な歴史にさかのぼる我々の征服、
政治的および経済的抑圧、天然資源の略奪、奴隷化、およびジェノサイ ドなどに起因するという、いわゆる従属理論に基づく議論はこれまでも 盛んに行われきたからである。根源的不平等がその起源において我々の 恐るべき歴史的な行いに起因するという事実は否定しがたい。植民地支 配によるいわゆる第三世界の人々への我々の権利侵害の因果関係の複雑 性、植民地支配がなくともそれらの人々は飢えていただろうという反実 仮想的な議論、あるいは、むしろ植民地支配は一部の国に便益をもたら しさえしたという主張によっては、我々のこの「暴力的な歴史の影響」
に基づく不正義は正当化されないとポッゲは主張する。
第2項 天然資源からの補償なき排除
この意味で我々が現状を放置することは不正義であるが、ポッゲは単
(3)
に我々の醜悪な歴史的事実に基づいてグローバルな貧困に対する我々の 責任を論じているのではなく、さらに2つのアプローチを提示している。
1つは、「自然資源の使用からの補償なき排除」である。ポッゲは、富裕 諸国の人々および貧困諸国統治エリートの両者(「グローバル・エリート」)
が、天然資源の大部分を専有する一方で、グローバルな貧者がそれらの 天然資源の使用から何の補償もなく排除されている現在の状況は著しく 不均等であるという。
ポッゲは、このような現状の天然資源専有を擁護する典型的な見解は ジョン・ロックによる「所有権」正当化に関する議論に明確に表現され ていると述べている。ロックによれば、資源の正当な所有は、「少なくと も、共有物として他人にも十分な善きものが残されている場合」(いわゆ る「ロック的但し書き」が充たされている場合)に限られる。しかし、この 但し書きは普遍的合意によって停止されることがある。つまり、人類が 共存するためのルール(この場合上記の「ロック的但し書き」)は、万人が 以前のルールよりも新しいルールの下で、暮らし向きが良くなるという ことに合理的に合意できる場合には変更されてもよく、ロックは貨幣の 発明によって第1の但し書が停止されることはこの条件を充たしている と考えていた(ロック曰く、「広大で実り多い領地を持つ王が、イングランド の日雇労働者より貧しいものを食べ、貧弱な家に住み、粗末な服を着ているの である」)。
しかし、あらゆる物が誰かに所有される世界に生まれ落ち、教育や雇 用機会の不遇のために極限の生存状態で生きる人々にとって、「現行の専 有や汚染のルール下にあるすべての人がロック的但し書のある場合の誰 よりも恵まれているなどということは事実ではない」のであり、彼らが
「資源の応分のシェア」から排除されているならば、我々は現行の制度の 持続に加担することによって、「正義の消極的義務を侵害していることに なるのである」とポッゲは主張する。
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)
第3項 グローバルな制度的秩序
もう1つのアプローチは、「共通の社会的諸制度の影響」である。現 在、世界では経済のグローバル化が急速に進んでいる。国際貿易、金融、
資源採取、環境保護、知的財産権などを規制する諸ルールや諸条約によっ て我々の超国家的な相互作用および国内的相互作用が規制されるように なっており、それらは各国の経済成長やグローバルな経済的利益の配分 に影響を及ぼしている。また、そのようなグローバルな制度的秩序の形 成によって各国間のグローバルな(経済的)相互依存性が非常に増大し ている。そのような相互依存性の増大によって、グローバルな制度的秩 序が一国の制度や政策に影響を及ぼすだけでなく、影響力のある一部の 国々の制度や政策が力のない国々の制度や政策に影響を及ぼすことにも なる。したがって、我々は「グローバルな秩序と国際的に深甚な因果的 効果を及ぼす他の社会制度に関する道徳的判断の基礎としてすべての人 が受容できる単一で普遍的な正義の基準を強く求めなければならないは ずである」とポッゲは主張する。
ポッゲによれば、この普遍的正義の基準は、国際社会に割拠する多種 多様な国々がそれら独自のより具体的な善の構想やより理想的な正義の 基準を追求する上で中核となる条件を十全に、そしてそれのみを含むも のでなければならない。そして、そのような国際的に承認可能な中核的 な普遍的正義の基準は、人権によって最もよく定式化されると主張する。
ポッゲがそのような正義の基準と考える人権の具体的な内容に触れる前 に、彼の特殊な人権解釈について瞥見しておきたい。
ポッゲは、人権を諸個人や政府などの集合的主体の個別具体的な行動 に対する道徳的制約として理解する「相互行為的理解」と、人権を「第 一義的には強制力をもった社会制度に対する要求として、二義的にはそ の制度を支持する人々に対する要求として見なされるべき」だとする「制 度的理解」とを区別し、後者の見方を擁護する。前者は、人権を侵害し ない責任が直接的に諸個人や政府などの集合的主体にあると考える。そ
(9)
(10)
(11)
(12)
(13)
れに対して、後者は、ある社会的諸制度の下で暮らす諸個人や政府の責 任は、それらの主体が加担する当該諸制度が人権の対象へのアクセスを 保障することを担保するという社会全体で共有された間接的責任である と考える。したがって、制度的理解において人権侵害を構成するのは、
ある制度的秩序が人権の対象へのアクセスを保障していない場合である。
この人権の制度的理解に基づいて、あらゆる制度的秩序は、無理なく可 能である限り、そのような人権の対象へのアクセスを保障するように設 計されるべきであるとポッゲは主張する。そして、そのような人権侵害 を伴う制度の維持に加担するすべての人に対して、それらの制度が人権 の対象へのアクセスを保障することができるように改革する道徳的責任 を負うと主張する。
ポッゲが、個々の具体的な人権侵害に対して直接的に行為主体に責任 を課す相互行為的理解よりも一見すると回りくどい制度的理解を用いる ことには理由がある。人権の制度的理解に基づけば、諸個人や政府など の主体は、自身が直接的には関与していないと見なす人権侵害に対して も消極的義務に違反していると考えられるからである。ポッゲは、これ らを区別することの含意を「奴隷にされない人権(a human right not to be
enslaved)」を例にして説明している。諸個人がこの権利によって相互に
制約される相互行為的理解では、奴隷でも奴隷所有者でもない第三者に とって、奴隷状態の人々を保護する積極的義務がない限り、それらの奴 隷に対して何ら責任を持たない。しかし、繰り返し述べているように、
そのような積極的義務の規範的拘束力は消極的義務ほど強くはない。こ れに対して、「制度的見解においては、奴隷制を承認し執行する制度的秩 序の維持に加担している人々は、―たとえ自身では奴隷を所有しなく ても―、奴隷の保護や制度改革の推進に向かって努力をしない限りは、
奴隷制に協力し、消極的義務に違反していると見なされる」のである。
ポッゲにとって、人権とは、あらゆる制度的秩序に対して課される道 徳的制約であり、「人権を規定するということは、それが無理なく可能で
(14)
(15)
(16)
(17)
ある限り、強制力を伴ういかなる社会制度もその影響を受けるあらゆる 人間がXへの確実なアクセスを持つように設計される〔べきだ〕という 要求を含意する」。そして、さまざまな個人的・倫理的・文化的価値の多 元性と両立する中核的普遍的正義の基準としての人権には、自らの善き 生に関する構想を発展させたり、価値あると認める生活を送ったり、多 種多様な情報やその媒体へアクセスしたり、異質な他者と交流したりす るための「思想信条の自由」および包括的な社会的諸制度の形成・管理・
運用に参加するための「政治参加への自由」が前提として含まれる。そ の他にも、「基礎的な基本財」として「身体的安全性、生活必需品(食べ もの・飲みもの・衣類・住居・基本的医療)、移動や行為の自由、ならびに 基本的な教育や経済活動への参加」などがある。そして、ポッゲは、あ らゆる制度的秩序が中核的な普遍的正義の基準として保障すべきこれら の人権の対象への確実なアクセスは、量的、質的、および確率論(proba-
bilistic)―人権の対象へのアクセスの保障の程度が下回ってはならない
閾値― 的に一定限度までであり、「人間が本当に必要とするのは、こ れらすべての財についての最小限で適切な取り分への確実なアクセス」
であるとしている。
ここでポッゲは、これらの人権の対象への「最小限で適切な取り分へ の確実なアクセス」を保障している制度的秩序が完全な正義を実現して いると述べているのではない。彼は、国際的に是認されるべき基本的正 義の基準を人権によって定式化し、それらを強制力のあるあらゆる制度 に対する道徳的制約として課すことによって、それらの人権を当該制度 の影響を受けるすべての人間に保障していないあらゆる制度は不正義で あると主張しているのである。そして、ポッゲによれば、その形成と維 持に富裕先進諸国の我々が圧倒的な影響力を有する既存のグローバルな 制度的秩序は、予見可能かつ回避可能な大規模の人権侵害をもたらして おり、著しく不正義である。我々は、それらの制度的秩序に(それがも たらす人権侵害に対して何の補償もすることなく)参加することによって、
(18)
(19)
(20)
当該制度下で人権を蹂躙されているグローバルな貧者に対して(彼らに 対する消極的義務に違反して)危害を加えている。したがって、我々はそ れらの人権侵害に対して補償し、グローバルな制度的秩序を適切なかた ちへと改革する責任を負うのである。そして、グローバルな貧困の大部 分は、実行可能かつ政治的にも現実的かつ富裕先進諸国に対して僅かな 負担を課すに過ぎない既存のグローバルな制度的秩序の改革によって、
緩和されうるのである。
ポッゲは、自身のこの中核的な主張に反論する人々によって展開され る、グローバルな貧困に対する我々の責任回避を正当化する最も精巧か つ広範に普及する論法を、「弁明的ナショナリズム」と呼ぶ。弁明的ナ ショナリストによれば、現在のグローバルな貧困は、貧しい人々の大多 数が所属する諸国家の圧政的な権威主義的支配者が維持する諸制度、政 府の政治的・経済的諸政策の失敗、当該国家の歴史的、文化的、地理的 要因を含むナショナルな諸要因によって十全に説明することができると いう。したがって、それらの貧困に対する責任は、当該諸国家自身に第 一義的に課されるものであり、我々が彼らに負っているのはせいぜい積 極的義務のみである(そして、そのような積極的義務の不履行、および積極 的義務に基づく貧しい人々への援助が十分でないこと、あるいはそれがうまく いっていないということに関して我々は非難されえない)と考えられる。
既存のグローバルな制度的秩序の下でも、一部の国々は経済成長に成 功する一方で、他の国々はそうではないという観測可能な経済発展実績 の差異という事実に基づいて貧困の原因を説明する弁明的ナショナリズ ムには確かに説得力がある。しかし、ポッゲは、弁明的ナショナリズム が、国内的要因による貧困分析に専心する結果として、それらの国内的 要因がグローバルな要因によって影響を受けるという点を看過しており、
一面的な見解であると指摘する。弁明的ナショナリズムの説明では、貧 困諸国で貧困を発生させているとされるさまざまな国内的要因は、異な るグローバルな秩序の下では現在のような規模での貧困を発生させなかっ
(21)
たかもしれないという可能性を無視し、また、なぜそれらの国内的要因 が貧困を発生させているのかという問題に対して適切な説明を与えられ ていない。グローバルなシステムによってさまざまな相互作用が規制さ れ、グローバルな経済的相互依存性が増大している現在の世界では、世 界的貧困について考える際に、このグローバルな要因による影響を考慮 することが決定的に重要なのである。というのも、我々が交渉資源や能 力の圧倒的な優位さによって甚大な影響力を及ぼすことで我々の都合の いいように形成され運用されるグローバルな制度的諸要因は、「特定の 国々や世界全体における深刻な貧困の持続に相当な寄与をする可能性が ある」からである。そして、我々が大規模な人権の欠損に大いに寄与す るグローバルな制度的秩序に参加することによって、貧しい人々に対す る消極的義務に違反しているのであれば、特別な紐帯に依拠して特別な 義務を互いに有する同胞を優先する「論理」をもっともらしく正当化す ることは困難である。
そこで、既存のグローバルな制度的秩序が不正義であり、我々はその ような不正義に対する責任を負っているというポッゲの主張が妥当であ るためには、我々が加担している制度的秩序のグローバルな貧者に対す る加害性が決定的に重要になる。ポッゲがそのような加害性の典型的な 例として挙げるのが、WTO規則およびTRIPS協定などを含む国際貿易 レジームである。WTO規則においては、富裕先進諸国が、貧困諸国の
「最もよく競争できる分野」における製品を「不公平に安い」と見なして
「反ダンピング税」を課すことを許すことによって、結果的に富裕先進諸 国間でかけられる平均4倍の関税がそれらの国々が貧困諸国から輸入す る廉価な製品に対して課されることとなった。それに加えて、富裕先進 諸国では自国の農業や繊維産業を保護するために多額の補助金を供出し ており、そのような保護主義的貿易制限によって貧困諸国に対して厖大 な貿易上の逸失利益がもたらされている―UNCTADはそのような貿 易障壁がなかった場合に2005年において貧困諸国は約7,000億ドル多く輸
(22)
(23)
出できただろうと推定している。さらに、WTOが設立されたウルグア イラウンドで合意された協定には、「知的財産権に関する貿易関連の側面 に関する協定」(TRIPS)が含まれており、それによって、医薬品の特許 保有者が彼らの開発した医薬品に対して限界生産費用をはるかに超えた 価格に設定する独占価格設定権力を長期間にわたって付与することを可 能にした。それだけでなく、それらの医薬品のジェネリック版を製造す ることを妨害するさまざまな行為を許すことを通して、貧しい人々が予 防および治療可能な疾病を防ぐための医薬品へのアクセスを妨害してい る。それらの医薬品へのアクセスの欠如は、毎年数百万人の早死にをも たらしており、それらの健康上の不利益を被る人々の比重が女性や子ど もに極端に偏っている「グローバルな疾病負荷(global burden of disease)」
(GBD)は深刻な問題になっている。
このように我々が貧困諸国に押し付けるグローバルな経済的制度がそ れらの国の貧しい人々に対する広範な人権の欠損を生みだしているとい う問題に加えて、我々の国際承認慣行が、貧困諸国での貧困発生原因と して頻繁に槍玉に挙げられる当該諸国の腐敗した権威主義的体制や政治 経済的制度の持続に影響を及ぼしていることをポッゲは剔抉する。現在 の国際社会では、ある国の領土において実効的支配を確立する個人や集 団は、そのような支配の正統性にかかわらず、当該領土の資源を自由に 売り払うことができるだけでなく、当該人民の名義で国際社会から借款 することができる正統な統治者として承認されている。これらは、ポッ ゲが国際資源特権および国際借入特権と呼ぶものである。ポッゲによれ ば、これらの特権の特筆すべき特徴は、ある国家で権柄をふるう政府は、
その政府がどのようにして権力の座に就いたか、それらの政府がどのよ うにそれらの権力を行使しているか、そして彼らがどの程度の当該国人 民からの支持を獲得しているかなどの正統性の有無の問題にかかわらず、
当該国の領土から採取される資源に対する合法的な「所有権」および諸 外国から借入する権能を付与される点にある。
(24)
(25)
(26)
かてて加えて、グローバリゼーションの進展によってグローバルな貿 易、金融、知的財産権、および資源採取などを統制する諸ルールおよび 諸条約が形成されることによって、各国間の相互依存性が増大した結果 として、先進諸国の大量消費が大いに寄与している環境汚染、地球温暖 化問題、および資源の枯渇による国境を越えた外部不経済の影響はそれ らに対処する能力を欠く貧困諸国に皺寄せされている。これらのグロー バルな制度的秩序やグローバルな相互依存性の増大がもたらす貧困諸国 への影響は、世界的貧困に対する我々の責任回避を正当化しようとする 人々が好んで用いる弁明的ナショナリズムの説明がいかに偏頗であるか を示している。したがって、「豊かな国々の市民および政府は、現行のグ ローバル経済秩序を押し付けることによって深刻な貧困の持続におおい に加担しているのであり、ゆえにそれに対する制度上の道徳的責任を分 有している」のであるとポッゲは主張する。
我々の不正義の根拠としてポッゲが示す3つのアプローチ ―暴力的 な歴史、自然資源からの補償なき排除、および共通の社会的諸制度の影 響―は、我々が現在の世界的貧困問題を自らにとって何ら重大な道徳 的関心事ではないとして放擲することはグローバルな貧者に危害を加え ることになるということを示している。
ポッゲによれば、グローバルな貧困の発生に寄与するこれらの問題を 大幅に改善する改革案は実行可能かつ政治的に現実的であり、富裕先進 諸国の我々に僅かな負担を課すだけである。次節では、ポッゲが提示し ているこれらの改革案を敷衍する。
第2節 ポッゲのグローバルな制度的秩序の改革案 第1項 主権の垂直的分散
第1に、現在の国際貿易レジームは、当該体制を形成する国際的交渉 プロセスにおいて交渉資源に富みかつ交渉のノウハウを知悉している先 進諸国側が自らに都合のいいように規制のルールを変更する、いわゆる
(27)
(28)
「規制の虜」やそれらの国々の影響力のあるロビー団体の圧力によって非 常に歪められている。それによって、先進諸国は途上国からの廉価な輸 入製品に対して自国産業を保護するために関税や補助金などの保護主義 的政策を実施することが可能であり、その結果として、貧困途上国は厖 大な不利益を被っている。このような交渉力の著しい非対称性によって 実質的に貧困諸国が国際的な政治参加から排除されているという状況の 改革に向けたアプローチの1つとしてポッゲが提案しているのが、主権 の垂直的分散による多層的秩序の実現である。
現在の国際社会において主権は国家に高度に集約されている。主権の 垂直的分散とは、主権を上方向への集権化と下方向への分権化によって、
国家が伝統的に担ってきた統治の役割および個人が忠誠を誓う政治的単 位を「地元コミュニティ、町村、群、州、国家、地域、世界といった単 位に幅広く分散」させることである。グローバル化の1つの影響として、
グローバルな制度的秩序が形成され、この制度的秩序の下で科学技術の 発展と相俟ってグローバルな相互依存性が増大している。したがって、
グローバルな制度的秩序の形成およびグローバルな相互依存性の影響の 増大は、当該秩序の下で影響を被る個人(グローバルな貧者)をこれらの 問題を統制する国際的な政治的決定から排除してはならないということ を意味している。そして、関連のある個人の政治参加の機会平等への人 権は、主権の上向きの集権化を要求する。ポッゲによれば、「この要求 は、国家間の自由交渉によってその秩序のデザインが決定されているう ちは満たされない。というのも、多くの人々が国内における実効的な政 治参加から排除されているかぎり、また、多くの国々が弱すぎて交渉結 果に大きな影響を与えられない(例えば、WTOの状況)かぎり、そのよ うな交渉が機会平等の原則を満たすことはないからである」。
ポッゲは、主権の垂直的分散化による政治単位の多層的秩序を実現す るために必要となる地理的境界線の引き直しを統制する次の2つの手続 的原理を提示している。すなわち、互いに受け入れることを歓迎し合っ
(29)
(30)
(31)
ている隣接する領域の住民が多数決の手続きを通して合意に至った場合 には新たな政治的単位を形成できるということ、および同一領域内の住 民が十分に多数の場合には多数決の手続きを通して新たな政治的単位を 形成することができるということである。関係する個人がこれらの原理 に従って、自律的な決定によって政治的単位を新たに形成することで実 現する、主権が垂直的に分散された多層的秩序においては、集権化によっ て、個人が強制力を伴う形で影響を受ける決定過程からの排除回避を可 能にする。
第2項 国際資源特権および国際借入特権改革
第2に、現在の国際社会では、国家の代表者に国際借入特権および国 際資源特権などを付与する国際的承認慣行によって、抑圧的かつ腐敗し た権威主義的支配を目論む簒奪者に権謀術数をめぐらして権力の座を奪 おうとするインセンティブを与えている。そこで、国際的借入特権およ び国際資源特権を掘り崩すためにポッゲが提案している改革案が、権威 主義的政権を打倒することに成功した後の「成熟途上民主制国家(fledg-
ling democracy)」が主体となって行う憲法改正である。
ポッゲがここで提案している憲法改正案は、非民主的な政権奪取のイ ンセンティブを低減させ、他の権威主義的簒奪者による民主制政権転覆 の予防を容易にするための取り組みである。この憲法改正条項は、「未来 の非立憲的政府―我々の民主的な憲法に反して権力を奪取し行使する であろう支配者―が招いた負債は公的支出から支払われてはならない ことを要求する」。この改正条項によって、民主的正統性のない政権によ る借入の負債返済を拒否する旨を事前に潜在的な債権者に対して通告す る。そして、当該債権者は、それらの権威主義的政権を打倒することに 成功した成熟途上民主国家の政府が前政権の負債を拒否するだろうとい うことを明確に推測することが可能になる。そうすることで、たとえ権 威主義的支配者がクーデター行って政権の座に就いたとしても、国際借
(32)
(33)
(34)
入特権を行使することが困難になると予想される。もし権威主義的簒奪 者が改正条項を一時的に停止したとしても、復活後の成熟途上民主政府 はそのような憲法中断の非合法性を理由に負債を拒絶することができる。
しかし、この改正条項は、権威主義的政府と成熟途上民主政府の線引 きの難しさのゆえに前者の借入能力だけでなく後者の借入能力も低めて しまう可能性がある。したがって、ポッゲは、成熟途上民主制の政府は、
民主的な憲法に基づいて統治されている政権かどうかの迅速かつ有権的 判断を公に外的な主体に対して委任することを提案する。これは、「海外 在住で評判がよく独立しており、我々の憲法や政治体系をきちんと理解 し、ある特定の集団が政治権力を獲得し行使することが憲法に即して正 当か否かを判断する能力のある」数人の法学者で構成される「国際民主 制パネル」を設立することで実現できる。
それでもなお、外国の銀行は、憲法改正を行った成熟途上民主政府を 権威主義的簒奪者がクーデターなどによって転覆した後に、それらの簒 奪者が前政権の負債を拒む可能性を憂慮するかもしれない。その場合、
この改正条項を採用するあらゆる政府への貸し付けを拒否することで、
成熟途上民主国家の借入能力を蝕むかもしれない。この問題に対処する ために、ポッゲは非立憲的支配者が支払いを拒否した負債を肩代わりす る(そしてその後、民主制が復活した場合にはそれらの政権は負債を返済する 義務を負う)「国際民主制貸付補償基金(an International Democratic Loan
Guarantee Fund)」を創設することを提案する。この基金が信用を得るた
めには、債務返済のための資金が十分に確保できていなければならない。
そのためには、富裕先進諸国が大半を占める既に成熟した民主制国家か らの資金供出を必要とするが、ポッゲによれば、これらの国家が寄金に 資金援助する責任は正義に悖るグローバルな制度的秩序の押し付けに加 担することによって消極的義務に違反することだけから生じるのではな い。それに加えて、国際社会の多くの国家が民主化された安定した社会 を樹立し、当該諸国内部の紛争、内戦、テロ、および難民問題などの頻
(35)
度の減少がもたらす世界的な平和の利益によっても正当化されうるので ある。
第3項 グローバル資源配当
また、以上の改革案と関連しており、前節で論じた我々の不正義の根 拠としてポッゲが示す「自然資源からの補償なき排除」に対する改革案 としてポッゲが提示する改革案に、「グローバル資源配当(Global Resource
Dividend)」(GRD)がある。GRDは、グローバル・エリートが資源の大
部分を所有することによってその使用から不当に排除されているグロー バルな貧者に対して、「あらゆる有限な自然資源における一定の持分
〔stake〕」を保障するように現行のリバタリアン的私的所有権に制約を加 える。これによって、現行の国家の当該国領土内の埋蔵資源の採取およ び使用権が干渉を受けるということはない。資源―GRDの適用対象 資源には石油や石炭などの消耗資源以外に、汚染物質排出のための空気 および水、あるいは農場、牧場、および建築用地などの土地なども含ま れる―が使用された場合に、当該資源の有する経済的価値の一定の配 当が貧しい人々に対する相応のシェアとして与えられることとなる。そ して、それらの配当は、貧しい人々の基本的ニーズを充たすことによっ て彼ら自身の境遇改善や自己利益の自律的追求を可能にすることを目標 としている。
GRDの配当金は、当初は資源保有国の採取企業によって負担され、さ まざまな流通過程を経て最終的に市場で当該資源が使用された製品を購 入する消費者が支払うことになる。ポッゲによれば、GRDの目標に照ら して、配当の目標額を先述した世界銀行の報告書における貧困ギャップ を補うことが可能な約5,000億ドルを上限として設定し、対象資源を石油 にした場合に、バレルあたり3ドルのGRDで―これによって石油製 品の価格がガロンあたり7セント上昇する―目標配当金額の3分の1 を賄うことができる。このようなGRDによる現状の改革を通して、「少
(36)
(37)
数の資源および汚染源から十分な歳入をまかなうことによって世界の飢 餓を2、3年のうちに緩和することは―我々のグローバル経済秩序に 対する大幅な変更なしに―明らかに可能」であるとポッゲは述べてい る。
第4項 医薬品特許改革
最後に、現行のTRIPS協定の下で保護されている医薬品の特許は、グ ローバルな貧者の必須医薬品へのアクセスを妨害することによって、予 防可能かつ治療可能な疾病による早死にあるいは苦痛もたらしている。
そして、それらの病気による死亡率および罹患率は、とりわけ、黒人、
女性および子どもの間で著しく高いというグローバルな疾病負荷(GBD)
の問題が生じている。この現行の特許制度がもたらすGBDを改善する ためにポッゲが提案しているのが、GBD特許制度である。ウルグアイラ ウンドにおけるTRIPS協定への合意の最も顕著な特徴は、それによって、
医薬品の特許保有者が、開発した新薬に対して、限界生産費用よりもき わめて高額な価格を設定する独占価格設定権力を付与する点にある。そ れによって、価格が高騰した医薬品に対して貧しい人々は手が出せなく なる。加えて、現行の特許制度は、製薬開発企業が新薬を開発する際に 用いた研究手段および治験データなどに対するジェネリック薬品開発企 業のアクセスを禁止ないし制限することが可能であり、それによって貧 しい人々は安価なジェネリック医薬品へのアクセスも奪われてしまって いる。また、TRIPS協定の下で許されている行為に対してさえ、特許保 有者からの妨害にさらされている。例えば、緊急事態の際に政府が特許 で保護されている発明品の価格を強制的に値下げする強制ライセンスの 実施は富裕先進諸国の製薬企業によってしばしば阻止されてきた。
こうした独占特許制度は、正当化されうるのだろうか?現行の制度を 擁護する一般的な見解は、独占特許によって生み出された知的成果を保 護することは、さらなる知的イノベーションを動機づけることに裨益す
(38)
(39)
(40)
るため有益であるというものである。しかしながら、ポッゲはこれに対 して次のように批判する。すなわち、現行の特許制度が製薬企業に新薬 を開発するインセンティブを与えるのは、その開発の成功の期待便益が、
開発に必要な費用を上回る場合だけである。そのため、製薬企業は、開 発した薬品の潜在的消費者(先進諸国の豊かな市民)のニーズに沿った医 薬品(脱毛およびニキビ治療薬あるいはがん治療薬など)を開発する強いイ ンセンティブにさらされる一方で、たとえ需要が多くとも購入能力を持 たない貧しい人々が罹患するマラリアや結核などに対する新薬を開発す るインセンティブに動機づけられることはないのである。
GBD特許とは、現行の特許制度が製薬企業に対して与えるこのよう負 のインセンティブを改善するためにポッゲが提案する新たな特許制度で ある。これは現行の特許制度はそのままに、潜在的特許取得者に対する 新たな選択肢として加えられる。GBD特許保有者は既存の特許制度の下 での独占価格設定権力を放棄する代わりに、GBD特許(適用対象となる のは必須医薬品に限られる)を保有する医薬品の使用によって、対象疾病 の死亡率や罹患率の緩和された場合に、GBDの軽減への貢献度に応じて 定期的に報酬が与えられるというものである。GBD特許が適用された医 薬品は、公共財として扱われることになる。すなわち、あらゆる製造者 は、特許保有者に対して使用許可を求めることあるいは使用料を支払う ことなく当該新薬を製造することが可能となる。このオープン・アクセ スによって、ジェネリック薬品の製薬企業は新薬と同質の薬効を有する より安価な新薬の開発に着手することが可能となり、貧しい人々の必須 医薬品へのアクセスが改善される。翻って、そのようなGBDの緩和は GBD特許保有者に報酬を与えるため、GBD特許制度の下では現行制度 とは異なって、特許保有者が限界生産費用よりも異常に高額な価格設定 をする必要も、他のジェネリック医薬品企業の製造を阻止する必要もな い(むしろ、それらを奨励する)。
ここまで素描してきた諸々の改革案は、主権を垂直に分散化すること
によって、あるいは民主的な憲法改正によって、あるいは資源の使用か ら不当に排除されるグローバルな貧者に対して資源価値の応分のシェア を保障することによって、あるいは必須医薬品の開発を奨励する報酬制 度を創設することによって、グローバルな貧者が被る深刻な困窮状態を 僅かなコスト―高所得諸国のGNIのおよそ1% ―で解消すること が可能であることを示唆している。我々が負っているのは積極的義務で はなく、それよりも規範的拘束力がはるかに強い消極的義務であるとい うことに鑑みれば、我々にはこの改革を実行すべき強力な道徳的理由が あるのである。
第3節 ポッゲのグローバルな正義論の批判的再検討
本章第1節および第2節では、世界的貧困の問題に対して従来の正義 論のアプローチとは異なるアプローチを強力に展開するポッゲのグロー バルな正義理論の中核的主張とその理論に基づいて彼が提唱するグロー バルな制度的秩序の具体的な改革案について述べてきた。これまで見て きたようなポッゲの主張は明らかに多くの人が諸手を挙げて賛意を示す という類のものではない。むしろ実際には、グローバルな制度的秩序が もたらす不正義は「豊かな国々の富裕な市民(および、ほとんどの貧しい 国々の政治的・経済的な『エリート』)が関与している大規模な犯罪を示し ている」というポッゲの言説に対して、我々は心理的反発を覚えるだろ う。確かに、絶対的貧困に苦しむ人々と比べれば我々は豊かな生活を送っ ていると言えるが、我々が生きている社会にも政治的・経済的・社会的 諸問題が山のようにある。そのような諸々の問題を抱えながら日常生活 に鞅掌している我々が一体全体どうやって世界の貧しい人々に危害を加 えているというのだろうか?
しかし、我々はこの直感的な心理的反発を乗り越えて、世界的貧困に 対するポッゲの見解をより冷静に受け止める必要がある。近年の急速な グローバル化によって我々人類の生活はより緊密に結びつくようになっ
(41)
た。政治的・経済的・軍事的に力のある富裕な国々が形成するグローバ ルな制度的秩序の影響だけでなく、それらの国々の国内的政治経済政策 や市民の行動の影響もグローバルな相互依存が増大するにつれて大きく なっている。それゆえ、我々は遠くの見知らぬ他者と道徳的にまったく の無関係であると確言できなくなっているのである。
本節では、ポッゲの主張を真摯に考慮する際に、それがどのような問 題を孕んでいるのかを批判的に検討する。我々は次のような問題に直面 するだろう。第1に、グローバルな制度は実際にポッゲが主張するよう な意味で不正であり、そして我々はそれらを押し付けることによって貧 しい人々に道徳的かつ因果的に責任を負うのかというポッゲの規範的主 張に関する問題である。第2に、グローバルな正義論を展開する上でポッ ゲが用いる人権や危害の概念は適切かという概念的または理論的問題で ある。最後に、大規模かつ日常的に持続する今日の世界的貧困に甚大な 影響を及ぼしているグローバルな制度的秩序を改革するためのポッゲの 改革案は実際に実行可能かという実践的問題である。
第1項 強いテーゼの経験的立証不足批判
ポッゲの主張のなかでも、とりわけ、議論が紛糾するのはグローバル な制度的秩序と世界的貧困との加害的因果関係に関する主張である。現 在の貧困諸国における貧しい人々の欠乏は当該国の政治経済的諸制度お よび政策、文化的、歴史的、および地理的諸要因などによって完全に説 明できるとする弁明的ナショナリストの主張にみられるように、現行の グローバルな制度的秩序が貧困の発生に大いに影響を及ぼしているとい うポッゲの主張に対する懐疑は根が深い。
ジョシュア・コーエンは、弁明的ナショナリズムとは異なるベクトル から、ポッゲのグローバルな制度的秩序の加害性に関する主張を論駁し ようと試みている。彼は「グローバルな貧困問題の大部分は富裕層の所 得におけるせいぜい僅かな減少を伴うグローバルな秩序における些細な
(42)
変更によって除去されるだろう」というポッゲの中核的主張を「強いテー ゼ(Strong Thesis)」と呼ぶ。そして、これが利用可能な経験的根拠によっ て裏付けられていないことを指摘する。したがって、コーエンにとって、
大部分の世界的貧困の発生に大いに寄与するグローバルな制度的秩序の 押し付けに加担することによって富裕先進諸国の我々が貧しい人々に危 害を加えているのではないかというポッゲの提起する哲学的問題は、実 践的問題にとっては本質的ではなく、「道徳的不名誉から生じる神学的逸 脱」である。コーエンは強いテーゼに代わって、「一部のグローバルな貧 困は、それ自体では深刻な道徳的損害をもたらしてはいないグローバル なルールにおける変更によって除去されるだろう」という「通例テーゼ
(Conventional Thesis)」と彼が呼ぶものをより論争の余地がなくかつ実践 的に重要な見解として擁護している。
コーエンは、ポッゲと同様に、貧困の原因分析に関する「純粋国内貧 困テーゼ(Purely Domestic Poverty Thesis)」(PDPT)は明らかに間違って いると考えている。PDPTとは、グローバルな制度秩序が深刻な貧困の 発生に影響を及ぼすということを否定する人々が用いる見解であり、貧 困を国内的あるいは地域的諸要因のみに言及することによって説明しよ うとする(典型的な例は、国家の繁栄の失敗をある国の政治的文化の拙劣さ のみに帰するロールズの説明にみられる)。しかしその一方で、コーエンは 国際社会で影響力のある富裕先進諸国の我々が形成・維持するグローバ ルな制度的秩序が貧困の発生に多大な影響を及ぼしているというポッゲ の見解は立証された事実に基づいておらず、誇張であると批判する。コー エンの強いテーゼに対する批判の主眼は、グローバルな制度的秩序にお ける改革の貧困削減効果の過大評価にある。世界的貧困の大部分の除去 はグローバルな制度的秩序における実行可能かつ政治的にも現実的な些 細な変更によって可能であり、それらは改革の主体たる富裕先進諸国の 我々の所得における僅かな減少を要求するに過ぎないというポッゲの主 張は、コーエンによれば、単に自明ではないというより、むしろ、疑わ
(43)
(44)
(45)
(46)
(47)
しい主張なのである。なぜなら、確かに、「農業および製造業における貿 易障壁の完全な撤廃は発展途上国に220億ドルの利益をもたらすだろう」
が、「大部分の直接的利益は極度の貧困者および最も貧しい国々にもたら されるのではなく、例えば、ブラジルの綿輸出業者やアルゼンチンの牛 輸出業者にもたらされる」のであり、極度の貧困の緩和への直接的貢献 は極僅かだろうからである。
世界的貧困の発生原因に関するグローバルな要因と国内的要因の影響 関係として次のような関係が考えられる。第1に、グローバルな要因と 国内的要因が共同的に現在の極度の貧困を発生させているとする「結合 的影響(Combined Effects)」がある(コーエンの通例テーゼはこれと親和的 である)。この観点からは、貧困の原因分析をする際に、「国内およびグ ローバルな要因の双方、つまり、法の支配、体制のタイプ、1人当たり の所得、資源の依存性、(何らかの方法で測定される)グローバルな貿易の 開放性、グローバルな援助約束額、債務返済に関するグローバルな規範 の厳格さ」などの多様な変数に焦点を当てることが重要であると考えら れる。
第2に、「独立的影響(Independent Effects)」がある。これによれば、
「国内的諸条件およびグローバルなルールの双方は完全かつ独立に貧困率 における国家横断的または国際的ヴァリエーションに対して責任がある。
つまり、いずれか片方における変更はある国における極度の貧困を緩和 するのに十分であった(し十分である)だろう」と考えられる。したがっ て、我々は世界的貧困に対処する際にどちらか一方の要因(例えば、貧困 諸国の腐敗した体制、あるいは世界の貧しい人々の必須医薬品や資源へのアク セス権)を改善するだけで十分であるということになる。
第3に、貧困諸国の国内的要因の拙劣さは概ねグローバルな要因によっ て説明できるとする「内因的諸制度(Endogenous Institutions)」である。
つまり、これによれば、貧困諸国の国内的要因の拙劣さ―「粗末に定 められた財産権、公職に対する制限または説明責任の欠如、限定的な紛
(48)
(49)
(50)
争解決能力、および社会的流動性への厳格な制限」―は、グローバル な要因が国内的要因に及ぼす多大な影響によって説明できる。たとえポッ ゲがPDPTの説明に対して譲歩し、貧困が国内的要因によって十全に説 明されるという見解を受け容れるとしても、独立的影響および内因的諸 制度の観点からグローバルな要因は依然として貧困の原因およびその緩 和策として重要だと主張することは論理的に可能である。
しかしながら、コーエンは強いテーゼにおいて、世界的貧困の大部分 は劣悪な国内的要因がそのまま変更されなかったとしても、グローバル な制度的秩序が適切に変更されたなら回避されるだろうという独立的影 響の観点からポッゲが行う主張には全く根拠がないと論難している。な ぜなら、「独立的影響のこの主張は、経験的問題として、グローバルな要 因の影響を媒介する国内的諸条件の重要性を考慮すると、極端に信じが たい。例えば、保健、教育、および雇用創出を考えてみよう。国内的諸 制度における変更からまったく独立して機能するグローバルなルールに おける変更を通して大規模かつ持続可能な貧困削減効果を支持するケー スを見出すのは困難」だからである。
とはいえ、強いテーゼにおけるポッゲの主要な主張は(独立的影響では なく)内因的諸制度に関係している。そして、国際資源特権および国際 借入特権に関するポッゲの説明は、現在の世界的貧困の大部分はグロー バルな制度的秩序における変更によって緩和することができるだろうと いう主張を支持する際に有益であるように思える。資源が潤沢な貧困諸 国における経済的繁栄の阻害(資源の呪い)や腐敗しや政治経済的諸制度 や民主的不安定などの問題はこれらの特権と密接に結びついていると説 明されうるのである。
例えば、レイフ・ウェナー(Leif Wenar)はある国の被統治者が当該国 資源の所有者であるという基本的考えに基づいて、統治者たる政府が資 源の所有者たる国民にまったく説明責任〔accountability〕を果たさない かたちで天然資源を取引する場合―そのような判断は、政治的および
(51)
(52)
市民的自由を格付けするアメリカ合衆国のNGOフリーダム・ハウスの スコアに基づいて行われる―、当該資源を採取する企業およびそれら を使用した製品を購入する消費者は盗品を扱っているとみなさると主張 する。ウェナーの最小限の説明責任に関する合意された基準は、不正な 資源取引を抑制するインセンティブを与えるだろう。
しかし、コーエンは、このようなグローバルな制度的改革が国内的貧 困を緩和するということに反対する。というのも、それらの改革は、(1)
現在の説明責任を伴わない国々(例えば、サウジアラビア、シリア、キュー バなど)の多くにおいては極度の貧困が問題になっておらず、改革によ る制裁が貧困緩和に関して無意味であるということ、また(2)極度の貧 困の大部分が存在する国々(例えば、インド、ナイジェリア、バングラデ シュなど)はそもそも説明責任条件を充たしているということ、そして
(3)説明責任基準以下の水準にある国が、僅かに基準以上の水準に移行 したとしてもそのような改革がもたらす貧困緩和の効果が非常に疑わし いということなどのさまざまな問題を孕んでいるからである。
コーエンは、世界的に深刻な貧困の原因とその制度的改革に関してグ ローバルな要因を強調する強いテーゼがその妥当性を証明するためには、
「独裁者が天然資源のコントロールの期待利益にどれくらい敏感なのか、
グローバルなルールの変更に伴ってどれくらいそのような期待利率が変 化するのか、そして成長率および貧困率がどれくらい規定されている条 件を充たすことに依存しているのかを知る必要があるだろう」と主張す る。そして、強いテーゼを主張するポッゲはそのような経験的論拠を示 していない。たとえ貧困諸国の国内的要因が重要な貧困の発生において 大きな役割を果たすとしても、強いテーゼが独立的影響および内因的諸 制度の観点からグローバルな要因の重要性を強調するのは論理的には正 しいが、それらが実際に貧困を発生させているということを経験的に立 証することが重要なのであり、ポッゲはその点で不十分であるとコーエ ンは述べている。
(53)
(54)
グローバルな制度的秩序の改革の貧困緩和効果に対する懐疑をコーエ ンは次のように著している。すなわち、1980年以降に「現実のグローバ ルなルールの下での中国やインドでは極度の貧困は数百万減少した。ど のような代替的ルールや政策の下でそれがもっと減少しただろうか?」
と。グローバルな制度的改革の貧困緩和の効果を大きく過大評価するこ とは我々が本当に貧困を緩和するためには実践的に何に取り組むべきか ということに関する重要な問題から我々の目を逸らしてしまうのである。
以上のような強いテーゼとは対称的に、通例テーゼはより論争の余地 がない主張に基づいているとコーエンは主張する。グローバルな制度的 秩序における改革が一部の世界的貧困を緩和するということを否定する のは合理的ではないとする通例テーゼは、PDPTのように国内的要因の みに偏ることも、強いテーゼのようにグローバルな要因に偏ることもせ ず、双方の要因を結合的影響の観点から分析することによって得られる 経験的根拠に基づいて貧困問題に対処することができるのである。
第2項 証拠の優位と強いテーゼの実践的意義
大部分の深刻な貧困はグローバルな秩序における些細な変更(および それに伴う富裕先進諸国の所得における僅かな減少)によって削減されるだ ろうという強いテーゼは、グローバルな制度的秩序およびその改革の影 響に関する主張を経験的に立証できていないために非常に疑わしい。そ のため、コーエンは強いテーゼを「受け容れる理由が見つからない」と 述べている。ポッゲによれば、『世界的貧困と人権』で示したグローバル な制度的秩序の世界的貧困に対する加害的因果関係を示す証拠は確かに 強いテーゼについて決定的な判断を可能にするものではない。しかし、
「既存の証拠の優位〔preponderance〕は強いテーゼを否定するよりも支 持している」ということを示すことによって、次の2つの実践的目標に 資することにあったと述べている。すなわち、(1)従来の社会科学にお ける貧困研究が盲目的に局地的要因の分析へと偏っていたために、その
(55)
(56)
(57)
(58)
ような研究偏向を有する研究者を警醒し、強いテーゼに関する追加的な 証拠を引き出すように勧説することである。そして、(2)「富裕諸国の市 民および政策決定者にグローバルな制度改革に政治的支持を与え、グロー バルな制度的仕組みが為す深刻な貧困の持続への相当な寄与に対する彼 らの責任のシェアを補償するよう促すことである」。
我々が直面している世界的貧困に関しては、もしこの証拠の優位が存 在するなら、「富裕諸国の良心的な市民は、あたかもそれが正しいもので あるかのように、行動するべきであるだろう。というのも、世界の貧し い人々に対して我々が行う加害を過小評価することの帰結は、過大評価 の帰結が我々にとってそうであるよりも、よりいっそう重大だからであ る。特定の科学的文脈では、それを支持する証拠の優位を持つに過ぎな い仮説は拒否することが適切かもしれない。我々が検討しているような 実践的文脈では、そのような拒否は、非常に反道徳的であるだろう」と ポッゲは主張する。
では、実際にポッゲが『世界的貧困と人権』で強いテーゼを支持する 根拠として示したものは、強いテーゼを否定するよりも支持するような 証拠の優位を示しているのだろうか?まず、ポッゲは、強いテーゼの主 張に関して厳格な経験的立証不足を批判するコーエン自身が、信頼でき る論拠を示すことなくWTO体制下における保護主義的政策の貧困に対 する寄与に関するポッゲの主張の根拠を過小評価していることを指摘す る。ポッゲは『世界的貧困と人権』で現在のWTO規則の下での富裕先 進諸国の保護主義的貿易が貧困諸国に厖大な逸失利益(およそ7,000億ド ル)を生じさせているという根拠としてUNCTADの報告書を援用して いる。一方で、「世界銀行の推定によれば、農業と製造業における貿易障 壁の完全な撤廃は発展途上国に220億ドルの利益をもたらすだろう。極度 の貧困の結果的な減少〔dent〕は、かなり小さいだろう。というのも、
大部分の直接的利益は極度の貧困者および最も貧しい国々にでもたらさ れるのではなく、例えば、ブラジルの綿輸出業者やアルゼンチンの牛輸
(59)
(60)
出業者にもたらされるからである」とコーエンは述べている。彼は「文 書化して公表していない」この220億ドルという数値の出所として「未完 のPowerPoint資料」を示している。
また、コーエンは、強いテーゼを批判する際に、保護主義的貿易政策 に対してとは異なり、ポッゲがグローバルな制度的秩序の改革案として 提示するグローバル資源配当やGBD特許改革に関してはほとんど言及 していない。貧しい人々の天然資源からの排除や独占特許による必須医 薬品へのアクセスからの排除は、現行のグローバルな制度的秩序の下で 偶然にそのように規制されているのではない。例えば、「アメリカ合衆国 のような富裕諸国は、世界人口の少数派―富裕諸国の市民および低開 発諸国のエリート―が相互に同意可能な条件で天然資源を効率的に専 有することを可能にする一方で、その便益から世界人口の大部分を排除 することで、GRDが与えようとする影響とまさに正反対の影響を与える 資源採取に関する国際的同意および司法手続きの修正を積極的に追求し てきた」のである。そして、グローバルな秩序における貧困緩和のため のこれらの改革に必要とされるコストは決して富裕先進諸国の人々にとっ て大きな負担ではないということもポッゲは示している。すなわち、世 界銀行は、「13億7,700万の人々が2005年にその年の購買力評価で1日1.25 ドルの国際的貧困線未満で― 平均で30% この貧困線を下回って― 生活し続けていたと報告している。彼らの全体的不足は、2005年の購買 力評価でグローバルなGDPの0.33% になる。それは、現在の為替レート で、760億ドル(これは世界所得(全GDPの合計)のおよそ0.17% またはグ ローバルな世帯所得の0.28%)にほぼ等しかった」。
さらに、1988年から2002年にかけて急速に増大したグローバルな経済 的不平等を考慮すると、世界の豊かな人々にとって世界の貧しい人々を 貧困から保護するための改革をするコストがいかに僅かであるかが明確 である。世界人口を20のグループ(20分位点)に分類したときに、該当期 間中に「最高20分位点が新たに獲得したグローバル世帯所得の6% は、
(61)
(62)
(63)
(64)
(1.25ドル国際貧困線未満の)極度の貧困状態で生きている人々の不足額全 体を半減するのに必要とされるだろうグローバルな世帯所得の0.14% の 42倍である」。
これらの証拠の優位を考慮すると、グローバルな制度的秩序が先進諸 国の所得の僅かな減少を伴う改革によって世界的貧困を大幅に緩和する ことができるだろうという強いテーゼは、まさに字義通りに「大胆な」
主張をしているわけではない。むしろ、それに対する信頼できる反対証 拠を示すことなく、「グローバルな制度的秩序がそれ自体では世界的貧困 に寄与しておらず、その変更は一部の世界的貧困を緩和するに過ぎない」
という通例テーゼを擁護しながら、強いテーゼを否定するコーエンの主 張こそ「大胆」であると言えるだろう。
第3項 人権および加害の概念的批判
グローバルな制度的秩序の貧困に対する加害的因果関係の経験的事実 の立証不足を主張することによって富裕先進諸国が消極的義務違反に基 づく世界的貧困に対する責任を有するというポッゲの規範的主張に異議 を唱えたコーエンとは異なり、コク・チョア・タン(Kok-Chor Tan)は、
ポッゲが『世界的貧困と人権』で展開した制度的アプローチにおける人 権および危害の概念を批判的に検討し、それらの概念的枠組みの明確化 を勧説している。
ポッゲに対するタンの第1の批判は、ポッゲの制度的理解における人 権の射程に関係する。ポッゲの人権に対する制度的アプローチは、(1)
人権侵害は国家の制度およびその機関(政府)によってなされるもので あるということ(「政府による軽視(official disrespect)」)、そして(2)人権 を互いに要求することができるのは共通の社会的秩序に参加している人 間であることという2つの意味で制度的である。タンは後者の点に批判 の焦点を当てる。彼によれば、人権を共通の社会的秩序に服す人々が互 いに対して行う要求と理解するポッゲの制度的アプローチには、「致命的
(65)
(66)
(67)