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イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題 : William Wordsworthの『逍遥』を中心に

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イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題 : William Wordsworthの『逍遥』を中心に

著者 金津 和美

雑誌名 主流

号 74

ページ 41‑57

発行年 2012‑11‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015244

(2)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題

‑ William Wordsworthの 『 遣 遥 』 を 中 心 に

William Wordsworth and Scotland:  Scotland Glorified in TheExcursion 

金 津 和 美

I.序

41 

J ames Thomsonの風景詩.J ames Macphersonの『オシアン詩j(The  Works of Ossiαn).  Robert Burnsの民謡など.18世紀を通じてスコットラ ンドの文人によって数々の詩作品が生み出された.また,それとともにス コットランドは多くのイギリス・ロマン派文学者の詩的想像力を掻きたて,

しばしば詩的テーマとして取り上げられている.William Wordsworthも, スコットランドを好んで、詩的題材として扱った詩人の一人である.1803年 の夏,妹DmhyS.T.Coleridgeとともにスコットランドを訪れ,その 道中において.Wordsworthの代表作とされる数々の珠玉の作品が書かれ た. ['訪れざるヤロー

J

(Yarrow Unvisited"). ['訪れしヤロー

J

(Yarrow  Visited").  ['再遊のヤロー

J

(Yarrow Revisited")といった「ヤロー河三 部作」にも見られるように,スコットランドはWordsworthにとって生涯,

詩的象徴として意味深い場所であり続けた.さらに,スコットランドへの 言及が興味深い作品のーっとして.Wordsworthの長編詩『遺遥j(The  Excursion)が挙げられる.

1707年の統合法以降.18世紀を通じてイングランドとスコットランドの 統合は困難な問題であり続け,その解決にはBritishnessという新しい国家

(3)

42 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題,‑William Wordsworthのf遁遥jを中心に一

的価値観の創出と Scottishnessという民族的アイデンテイティーの再定義 が必要とされた.近代英国について考えるとき常に立ち現れてくる国境とい う問題は,イギリス・ロマン派文学を考察する場合にも同様に魅力的な論点、

を提供してくれる.本論ではWordsworthの『遁遥jに 注 目 し こ の 作 品 においてスコットランドという地域がいかに表象されているか,また,当時 のスコットランド問題がいかなる意義を持っていたかという聞いを検証す る.そうすることでイギリス・ロマン派文学において見え隠れしつつ存在し てきた国境という問題を浮き彫りにすることを試みたい.

n .   r

遺 遥 』 と ス コ ッ ト ラ ン ド

『遺遥』は, Coleridgeに 完 成 を 誓 っ た 壮 大 な 叙 事 詩 『 隠 士 JI(The  Recluse)の一部として,生前に出版された唯一の長編詩である.同じく『隠 士

J

の一部として執筆された『序曲JI(The丹elude)がWordsworth自身 の半生を題材にした自伝的叙事詩であったのに対し,

r

遺遥』は主に登場す る四人の人物一一詩人 (thePoet) ,旅商人 (theWanderer),孤独者 (the So1itary),牧師 (thePastor)一ーによる対話詩となっている.注目すべき は,湖水地方を舞台とするこれらの四人の対話において,その中心を占める 二人の重要な人物,旅商人と孤独者がいずれもスコットランドに生まれ育っ た人物として描かれていることである.旅商人については,

r

アトルの山で 彼は生まれた

J

( Among the hills of Athol he was born" 1: 112)と,スコッ

トランドのPerthshireの山岳地帯の名が挙げられ,その豊かな自然との一 体感の中で育くまれた心身の成長の物語が語られる.また,孤独者につい ては,

r

彼は今そこに仮住いをしていますが,私と同じく/スコットランド の荒野の, /低い家柄の出身であり

J

(Though now sojourning there, he,  like myself, / Sprang from a stock oflowly parentage / Among the wilds of  Scotland" II:  171‑73)と,旅商人とよく似た生い立ちを持つものとして描か

(4)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題,‑William Wordsworthのii11遥jを中心に‑43 

れ,高い理想、を抱くものの,やがて現実に裏切られ,失意に陥る身の上が語 られている.

Judson Stanley Lyonによれば.

r

遁遥』執筆の目的の一つは「スコッ トランドを讃えること J(toglori

f Y  

Scotland" 66)であったという.Wordsworth  にとって,スコットランドを身近に感じ,讃えるようになったのは.1803  年夏のスコットランド旅行でWalterScottと初めて出会い,友情を培った

ことが直接のきっかけとされる.しかし LyonはWordsworthの晩年の逸 話を引用し (66).それよりはるか以前の幼少期からスコットランドが Wordsworthにとって魅力的な土地であったこと,さらには.Scottを始め とするスコットランド詩人たちが「柱々にして人間性のみを歌うのに対して」

(66).  Wordsworthは『遁遥』において,この土地の精神性に目を向け.

I

今 まで誰も Lてこなかったほど素晴らしくスコットランドの精神生活

J

(66)  を描こうとしていたと示唆している.

Wordsworthの故郷Westmoreland及 びCumberlandは,スコットラン ドと国境を接し.13世紀にEdward1世のスコットランド遠征を始めとし て,長きにわたり国境戦争の舞台であった.特に湖水地方に残るジャコバイ

ト(スチュアート家支持者)の反乱の記憶は,幼少期のWordsworthにとっ ても無縁のものではなかったらしい.

r

遣遥j 第六巻において,牧師は他の 三人の登場人物とともに教会墓地を巡り 友人としてともに眠る二人の男の 物語について語っている.一人は,スコットランドの部族長で,ジャコバイ トの反乱に参戦して敗走した後,海外の逃亡先から帰国して湖水地方に身を 寄せた男である.もう一人は,イングランド南部出身のハノーヴァ一家支持 者で,政界で成功する野心を抱いたものの失脚し,やはり湖水地方を隠居の 地と定めた.

I

熱烈なスチュアート家支持者とむっつりとしたハノーヴァ一 家支持者

J

("flaming Jacobite / And sullen Hanoverian[" VI: 474‑75)とい うこの「三人の豪胆な闘士

J

(日TOdoughty Champions" VI: 474)は湖水 地方で出会い,異なる信条ゆえの葛藤を乗り越えて友情を深め,死後はとも

(5)

44 イギリス・ロマン派におけるスコ7トランド問題‑William Wordsworthのfjji遥jを中心に

に二人がよく訪れた擦の木のもとに葬られることになる.この物語の出典は,

Wordsworthが少年時代を過ごしたHawksheadの下宿の女主人司Tson夫 人から聞かされた「スチュアート家支持者の Drummondとホイッグ党支持 者VandeputJ(Lyon 49)というこ人の人物についての実話とされているが,

党派を超えて友情を育み,

I

ある精神J(One Spirit" VI: 496)の働きによっ て結びつけられた二人の友人の物語は,確かにLyonが指摘するように,

Wordsworthが子供時代に魅了されたスコットランドの精神性を表す逸話の ーっとして考えることができるだろう

しかしここであえて注目したいのは,このスチュアート家支持者とハ ノーヴァ一家支持者の友愛の物語が,

r

遁遥J初版とほぼ同時期に出版され たロマン派を代表するもう一つの大作, Walter Scottの『ウェイヴァリーJ

(Wtαverley)においても中心的テーマとして描かれているということである.

1814年7月7日,

r

遣遥』に先立つこと約一月前に出版された『ウェイヴア リ‑.1は,イングランド青年の主人公EdwardWaverleyとハイランド族長 Fer♂1S M'Ivorとの友情の物語であり,主人公Edwardがジャコバイトの反 乱に巻き込まれ,その挫折を経て,ハノーヴァ一家支持者へと転身,成長し ていく物語である 出版後,厳しい批判に晒され,売り上げも果々しくなかっ た『遺遥j とは対照的に, Scottの処女小説『ウェイヴァリ ‑j は世に送り 出されるとともに出版界に大きな衝撃を与え,詩の時代の終罵を告げたと言 われるほどのイギリス・ロマン派文学史上の問題作となった.Wordsworth  が『ウェイヴァリー』を読んだのは1815年2月18日ごろと推定されること からも (Wu186), 

r

遺遥』と『ウェイヴァリ ‑j というこつの大作が,ほ ほ同時期に出版されたことは偶然にほかならない.だが,この偶然が生まれ た背景を探ることにはいささか興味をひかれるような気がする.特にスコッ

トランドとイングランドの融和のテーマは,

r

遁遥』においても,スコット ランド生まれの旅商人と孤独者,そして,湖水地方に住まう詩人や牧師とい う四人の登場人物の友情の物語として,作品の根底にあることを考えれば,

(6)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題 William Wordsworthのf遁遥Jを中心に 45 

『遁遥』と『ウェイヴアリー』という二つの作品がほぼ同時期に出版された ことに,単なる偶然以上の意味があると想像することもできるように思われ るのだ. したがって,次に『遣遥』執筆から出版当時におけるスコットラン

ド問題の位置付けを確認することから始めてみたい.

盟副スコットランド問題と愛国心

『迫遥』はWordsworthが生涯にわたって挑み続けた大作『隠士

J

の一部 であったことからも,その執筆は非常に複雑な過程を経ている.初期には『廃 屋 j(Ruined Cottαge), または『行商人.!(Peddler)という作品として書 き始められ,幾度も中断の時期を経ながら,加筆と推献が重ねられた 草稿 を遡ると, 1798年のAlfoxdenNotebook (DC MS.14)を出発点として,お よそ十数年をかけて完成されたことになる.この長く複雑な執筆過程におい て,旅商人と孤独者が,いずれもスコットランドを故郷に持つ人物として描 かれるようになるのは, 1809年12月から 1812年3月に書かれた草稿DC MS.71においてである また, DrummondとVandeputというこ人の男た ちの友情の逸話を含む『遣遥』第六巻も,同じく 1809年以降に書かれたも のと考えられる.

では, 1809 ~ 1812年という時期が,

r

遺遥』の執筆背景としていかなる 意味を持つのか.すでに述べたように, 1707年の統合法成立以後も,長期 に渡って,スコットランドはイングランド人にとって同国内の異国であり続 けた.特にイングランドとの統合に積極的で文明的な低地地方とは対照的に,

スコットランド高地地方には古くからの封建制に従う非文明的な部族社会が 色濃く残っていた.そのため 17日年, 1745年のジャコバイトの反乱を経て,

イギリス政府が着手したのは,スチュアート家支持者が根強く残る高地地方 部族社会の解体である 部族社会の伝統を象徴するキルトやパグパイプは禁 止され,ゲール語に変わる英語教育の普及が推進されるなど,軍事的,経済的,

(7)

46 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題‑WiIliam Wordsworthの随遥jを中心にー

文化的次元に渡るイングランドへの馴化政策が実行された.しかし 1756 年からアメリカを舞台としたフランスとの植民地戦争(七年戦争)が始まる

と,イギリス政府は軍事力調達のために,スコットランド高地地方に目を向 けるようになる.以来,スコットランド人(特にハイランド兵)は,数々の 植民地戦争の前線で戦い,大英帝国を支える愛国者として肯定的に評価され

るようになっていく.

この傾向は,フランス革命の勃発とともに始まった一連の対仏戦争におい て一層,顕著となる.この時期, 1801年のアイルランドとの統合法の成立 に伴うカトリック開放論議などにより,イギリスは国内外において新たな他 者と向き合う必要に迫られていた それとともに,それまでスコットランド 問題の中心にあったスチュアート家支持者への警戒心は,もはやイギリス立 憲体制を脅かす大事とはみなされず,次第に歴史的過去として忘れ去られて いく.むしろスコットランドは,フランス革命戦争,ナポレオン戦争と続く 戦時において,イギリス人としての愛国心を統合の理念とともに再構築し 体現したという点で象徴的な意義を持つようになる.確かにフランス革命期 において,スコットランドでもエデインパラ,グラスゴー,パースを拠点と して急進主義運動が過熱したこともあった「ロンドン通信協会

J

を設立し 大逆罪に問われたThomasHardyを始めとして,多くのスコットランド出 身の活動家がイギ、リス急進主義運動の推進力となっていたのは事実である.

しかし,一方で,スコットランドは,当時の内務大臣HenryDundasの権 力基盤として保守主義の求心力が強く,急進主義運動に対して徹底的な対応 を行い,鎮静化に成功していたさらに,一度,戦況が悪化して,フランス 軍による侵略の危機にさらされると,それまで革命思想に共鳴していた者も 含めて,一斉に多くが従軍を志願し愛国の徒として戦地へ赴いたのである.

フランス革命戦争やナポレオン戦争に出兵したスコットランド人の数は,人 口に比して著しい.ある統計によれば,全人口の15%を占めるに過ぎない にもかかわらず, 1797年では全志願兵の36.4%, 1801年では21.6%,1804 

(8)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題 William Wordsworthの[遺遥jを中心に‑47 

年では16.7%にのぼる兵士がスコットランドから志願したという (Pentland 146) . しかも,政府は1797年に,より徴兵率を上げるために民兵法 (Militia Act)の施行を試みたが,一般民衆による大規模な暴動が起こり失敗した.

すなわち,一般民衆はあくまでも地域の支援に支えられた自発的な志願によ る従軍を求めたのであり,一連の暴動はスコットランドにおいて(スチュ アート家支持者にみられる盲目的愛国主義でもなく,ハノーヴァー家支持者 たちが疑われる祖国への背信で、もない),人民の自由と秩序に基づく新たな 愛国意識が芽生えつつあったことを示している.

さらに,愛国者,愛国精神という問題は『遺遥』の執筆時期において,大 きな社会的関心の一つでもあった.

r

遁遥』が大きく加筆され始めた1809年 の前年, 1808年にナポレオン戦争は新たな局面を迎える.イギリスへの大 陸封鎖を完成するため,ナポレオンは兄ジョセフをスペイン王位につけた が,同年5月,マドリッドで始まった反乱は各地に拡大し,スペイン人民が 全国的規模で決起するに至った.半島人民を支持して,イギリス政府がA.

Welles1ey (のちのWellington公)率いる軍隊をスペインに派遣したことに より,いわゆる半島戦争が始まったが,これはまたナポレオンの没落の始ま りでもあった.こういった時代背景を考えると,

r

誼遥j の執筆は,ナポレ オン政権の末期,国内外で愛国心について議論されることが多い時期にあっ たことは間違いない.実際,半島戦争においてイギリス軍はリスボン解放を 目前にして,シントラでフランス軍との休戦協定を結び,イギリス国民の怒 りと失望を買うことになる.ナポレオンからヨーロッパを解放するという期 待を背負って派遣されたイギリス軍は,国益のためにその大義を果たすこと なく退却し祖国のために立ち上がった半島人民の愛国心を探聞したのだと 厳しく批判された

Wordsworthも同じく,シントラ協定締結に激しく憤った一人である.

1809年5月には,

r

シントラ協定論

J

(The Convention of Cintrα)を出版し,

半島戦争を国益のための戦略的戦争ではなく,自由と正義,愛国心を守るた

(9)

48 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題‑WilJiam Wordsworthの[遺遥Jを中心にー

めの戦いと位置づけて,協定に反対する世論を喚起しようと試みている.こ のように『シントラ協定論』の出版とほぼ同時期において,

B

宜遥』の草稿 が大きく加筆され,スコットランドのイメージが書き加えられたことを考え れば,二つの作品に共通する愛国のテ}マを読み取ることは可能で、あろう.

『シントラ協定論j と『遁遥j においてWordsworthは,愛国心を踏みにじ られたスペイン半島人民とは対照的に,スコットランド人民が体現する愛国 心をイギリスが守るべき自由と正義の象徴として「賞賛

J

(glorifyつ す る 必要があったと考えられる (Wordsworth,The Prose Works 361) , 

IV, ス コ ッ ト ラ ン ド 問 題 と 文 学 都 市 エ テεィンパラ

Wordsworthにとって半島戦争は,スコットランドを愛国心,愛国者を体 現する豊かな詩的イメージの源泉として再評価するきっかけとなった. しか しながら,半島戦争が重要で、あるのは大陸との政治的局面においてのみなら ず,この戦争がイギリス出版文化史においても一つの転換点であったという 事実も忘れてはならない.1808年10月号に掲載されたDonPedro Cevallos  による書評において,

r

エデインパラ評論』誌 (TheEdinburgh Review)  は半島人民の蜂起を全面的に肯定したばかりではなく,フランス革命以来の 自由と愛国精神の再燃であると高く賞賛した.そして,シントラ協定による イギリス軍の撤退は,イギリス政府の少数独裁制の誤りの象被であるとし て,国内での改革運動の必要とその正当性を主張したのである.急進主義ホ イッグとしての政治的立場を前面に示した『エデインパラ評論』誌の半島 戦争論は,イギリス文壇において大きな波紋を呼び,数々の論議を生んだ.

Wordsworthの『シントラ協定論

J

は勿論その一つであり, Coleridgeも雑 誌『朋友j(The Friend)において活発に半島戦争について論じ,

r

エデイ

ンパラ評論』誌への反論を企てた (Coleman).さらに, Walter Scottは半 島戦争論争をきっかけに『エデインパラ評論

J

誌から離反し,続く 1809年

(10)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題一WilliamWordsworthのf遺遥Jを中心に 49 

には対抗誌『四季評論』誌 (TheQuαrterly Review)を創刊することで,

r

デインパラ評論』誌の攻撃に応えたのである.

Francis J efferyによって1802年に創刊された新進気鋭の文芸誌『エデイ ンパラ評論』誌は,当時としては破格の原稿料を執筆者に支払い,書評に取 り上げる作品についても執筆者の判断に委ねる自由な編集方針を貫くことで 大きな成功を収めた.創刊当時, Scottは『エデインパラ評論

J

誌の編集方 針に共感し, しばしば投稿もしていたが,半島戦争論争をきっかけとして 挟を分かち, William Giffordを編集者, John Murrayを出版者として『四 季評論』誌の立ち上げに関わった.

r

四季評論』誌は,基本的には『エデイ

ンパラ評論』誌の編集方針を継承したが,同時に 当時の外務大臣であった George Canningを始めとして多くの政府高官を支持者に持ち,その豊かな 人脈と情報の確かさを頼りとして,文芸誌として高い品位と権威を主張した いわば新興ジャーナリズムの自由主義を表明する『エデインパラ評論』誌,

そして,保守党政権の機関文芸誌としての権威を誇る『四季評論

J

誌という

二大文芸誌の影響力のもとにイギリス文壇が再編されていったのである.そ して,これらのスコットランドと関わりの深い文芸誌の台頭は,

I

近代のア テネ」と賞賛される文学都市エデインパラの繁栄の象徴でもあった

すなわち,

r

遣遥』の執筆から出版にかけての時期は,文学都市エデイン パラの形成期にあたり,その中心には文豪WalterScottの活躍があった.

言葉を変えれば,当時のWordsworthにとって,スコットランド問題はス コット問題として捉えられていたと言うこともできるかもしれない.事実,

Scottは『最後の吟遊詩人の歌j(The Lay of the Lαst Minstrel: 1805) , 

r

マー

ミオンj(Mαrmion: 1808), 

j r

湖上の美人j(The Lαdy ofthe Lα加:1810)な ど次々と長編恋愛詩を発表し,独自の詩的潮流を築き,新たな読者層を形 成していた.しかしその一方で, Scottの流行は詩文学の大衆化であると

して厳しい批判の対象となった例えば, George Gordon Byronが調刺詩

『イングランドの詩人たちとスコットランドの批評家たちj(English Bαrds 

(11)

50 イギリス・ロマン派仁おけるスコットランド問題,‑William Wordsworthの

n

jを中心仁一

αnd Scotch Reviewers: 1809)において,エデイシパラ文壇を槍玉に挙げる とともに,その矛先をScottにも向けて, r詩歌の息子たちが商売に身を落 とせば/月桂樹は枯れて,昔の栄誉も色謎せる

J

(when the sons of song  descend to trade

,  / 

Their bays are sear

, 

their former laurels fade" 

n .  

75‑76)  と榔撤したことはよく知られている.また, Wordsworth自身も rScottの 人気の秘密は,百万人が一度に理解できるような,思想の卑俗さにある

J

(九.

the secret of Scott's popularity is the vulgarity of his conceptions

, 

which  the million can at once comprehend" Gill 459)と述べて, Scottによる文 学の大衆化に懸念を表している.

このように見てみると,Wordsworthの『遺遥』とScottの『ウェイヴアリ

‑ J

は,いずれも当時の政治的,文化的問題に対して等しく,または異なる立場 から応えるために書かれた作品であると考えることができるだろう.まず,

これら二つの作品はナポレオン戦争末期におけるさまざまな論争の結実とし て,イングランドとスコットランドの融和のテーマを共有しそれぞれの愛 国観,または,国家共同体像を描き出した作品として共通性を持つ. しかし 一方で、,

r

遺遥』は対話詩, wウェイヴァリー

J

は小説という異なる文学形式 を用い,それぞれに文学の大衆化という問題に異なる姿勢で応答しているこ とがわかる. したがって,最後にこれらの点をより明らかにするために,二 つの作品を比較検討することで, Wordsworthがいかにスコット問題を含む 当時のスコットランド問題を捉え,乗り越えようとしていたのかを確認する ことで本論を締め括りたい.

v .   r

遁 遥

J

と『ウェイヴ、ァリ‑.1

Scottが詩を捨て,小説『ウェイヴアリ

‑ J

を出版したことは,文学都市 エデインパラで顕著となりつつあった文学の大衆化を決定的にする出来事で あった.Wordsworthはこういった現状を懸念し,批判的で、あり続けたが,

(12)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題一WilIiamWordsworthのf遁遥Jを中心に 51 

しかしながら,

r

迫遥jという作品において, Wordsworthもまた新たな文

学読者層を形成しようと試みていたと考えることもできるようだ.従来,

r

遣 遥』はその語りの単調さ,冗長さが批判されてきた.四人の登場人物がいず れも詩人Wordsworthの伝記的一側面を代表しそれぞれの語りが最終的 には一つの独自的な声として収殺され,哲学的内省へと導いていく詩的構造 を備えていることから,

r

遺遥』はWordsworthのEgotismを象概する作品 として受け止められことが一般的であった.しかし昨今,コーネル版『遁 遥』の編者の一人SallyBushellは, Wordsworthが草稿段階においていか に孤独者の人物像を差異化することによって劇的効果を高めようとしたの か,その過程を分析し『遺遥』における劇的効果の再評価を行っている.

Bushell は, Wordsworthが『遺遥

J

を劇詩として「類似性のみならず相違 性にも気を配り,語りの声の違いを明らかにするよう試みている

J

(67)と 論じ,さらに,

r

遁遥』を劇的効果に基づいて読者の参加と交流を求める「遂 行的

J

(冶erformative"85)な意図を持つ哲学詩として定義している.

こ の よ う な 先 行 研 究 の 指 摘 を 考 慮 に い れ れ ば , Scottの み な ら ず Wordsworthもともに新たな丈学読者層を形成する必要性を共通認識として いたと言えるようだ¥1814年4月にナポレオンが退位し,ナポレオン戦争 の終結とともに国家意識が高揚するなか,戦後復興に向けての新たな社会秩 序の構築が必要とされた.ナポレオン戦争終結後,ほほ同時期に出版された

『ウェイヴァリー』と『遁遥』は,いずれも戦後の新たな読者に語りかける 声を模索し実践する作品として世に送り出されたと考えることができるで あろう (Sutherland172‑73). 

しかしながら.

r

ウェイヴァリー』と『遁遥j の両作品によって提示され る愛国者像や共同体像には,僅かながら相違があり,おそらくそこにScott とWordsworthとの根源的な違いを見ることができるのではないだろうか.

歴史小説『ウェイヴァリー』は,主人公EdwardWaverおyの成長の過程 を綴った教養小説である.詩的興味から高地地方を訪れ,ジャコバイト反乱

(13)

52 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題 William Wordsworthのf遁遥jを中心に一

軍に加担していく Edwardは,やがて現実の厳しさに直面して絶望を味わ う.Derbyでの戦いに敗れて敗走していくジャコバイト軍から逸れて一人さ 迷い,湖水地方で助けられたEdwardは,湖水地方の人々の優しさにふれ て心身ともに人間らしさを取り戻し「人生のロマンスは終わり,今やその 本当の歴史が始まった

J

(the romance of his life was ended, and that its  real history had now commenced" 283)と,人間的な成長を確信する.教 養小説の主人公Edwardは,最終的にいわば歴史的主体主して成長し,

つの時代の終罵を見届けるとともに,新たな時代の構築に携わっていく.湖 水地方を後にしたEdwardは,ジャコバイト軍の長Fer♂1SMac‑Ivorの最 期を看取り,その妹Floraに別れを告げるためCarlisleに向かう.そして,

同じく反乱に加わったために没収されたBradwardine男爵の地所Tully‑ Veolanを買い戻して美しく改修しその娘Roseを花嫁に迎えるのである.

EdwardとRβseの結婚という結末に,イングランドとスコットランドの統 合 (Union)のテ)マを読み取ることは妥当であろう.Edwardの成長が体 現する歴史観とは,このように未来構築的な歴史観であり,それはスコット

ランド啓蒙主義が表明するホイッグ的進歩史観と同質のものである(Kidd 226, Trumpener 137‑42, Duncan 135‑38).つまり,スコットランド啓蒙主 義を代表する思想家AdamSmithが,狩猟,牧畜,農耕,商業という四つ の文明進化の過程を挙げているように,文明の直親的な進化を肯定する進歩 史観にしたがって.EdwardとRoseの結婚は,イングランドとスコットラ

ンドの統合によって象徴される近代を用意する舞台となる.さらにまた,こ のような近代肯定的な歴史観においては,前近代的な過去は惜しまれなが らも乗り越えられ,忘れ去られることが歴史的必然とされる.それゆえに,

Edwardは高地地方の封建主義的部族社会を代表する FergusやFloraに対 して,この上もない愛着と敬意を抱きつつも決別しなければならないのであ る.

一方.Wordsworthの『遺遥

J

において,このような進歩的歴史観は見ら

(14)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題‑WilIiam Wordsworthの『迫遥Jを中心に‑53 

れない.そもそも『ウェイヴァリ ‑j とは異なり,四人の対話によって構成 されるこの作品には,確たる結末さえ用意されていない.旅商人,牧師,詩 人の三人は,対話を通じて孤独者を失意から救い,その懐疑心を解こうと試 みるが,彼らの聞に温かい友情が結ばれるものの,最終的に孤独者は「いつ か夏の一日

J

(another summer's day" IX: 776)に再会することを約束して 三人と別れ,一人家路に着くのである.そし‑C,彼らとの対話によって本当 に孤独者が救われたのかどうかについては,

1

私の将来の仕事はこうした事 柄を語らずに終わることはないだろう

J

(This"IMy future Labours may  not leave untold" IX: 792‑95)という語り手 (1詩人J)の言葉によって,そ の期待が語られるものの,それは「もし楽しい希望がこれまでのように,

/真面目な歌を鼓舞し優しい心が過去を慈しみ,I高遇な精神が過去を認 めるならば

J

(if de1ightfu1 hopes, as heretofore, IInspire the serious song,  and gentle Hearts / Cherish, and lofty Minds approve the past" IX: 792 94)という仮定によって,極めて暖昧な未来として暗示されるに止まっている

さらに,ここでいう「優しい心」によって慈しまれ,

1

高遁な精神

J

によっ て認められるべき「過去」は,ホイッグ的進歩史観にみられるような直線的 進化の一過程として乗り越えられ,忘れ去られるべき過去ではないことは明 らかだ.むしろ,それは人々の共感の対象として分かち合われ,人々の希望 が「真面目な歌

J

を紡ぐ場として受け継がれるような,品在を生き続ける「過 去」に他ならない.それゆえに「優しい心

J

1

高遇な精神」を体現する人物 として旅商人は,自然の中で愛を育み 共感する主体として描かれる.旅商 人は「自然と/誠実な考え方に調和されて,人間に対して/共感を持つよう になり,何処へ行っても/人々のあらゆる楽しみや あらゆる耐えている苦

しみにも/敏感であった

J

(by Nature tuned I And constant disposition of  his thoughts I To sympathy with Man

, 

he was alive I To all that was  e吋oyedwhere'er he went; I And all that was endured" 1:  39195)と語られ,

また,

1

彼は被の見た苦しむ人々と/苦しみを分かち合うゆとり

J

(He 

(15)

54 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題‑William Wordsworlh の r~遥j を中心に

could αlford to suffer / With those whom he saw suffer" 1:  399‑400)を持つ 人物であると描かれている.そして,このように「多くの家族の歴史

J

(The  History of many Families" 1:  406)を知ることで,旅商人は自らの共感を通

して「人々や人々の習慣や喜ぴ, /そして彼らの仕事や,情熱や,感情につ いて/多くのものを見

J

(可nuchdid he see of Men, / Their manners, their  enjoyment, and pursuits, / Their passions, and their fee1ings" 1:  370‑72),  分かち合うようになるのである.すなわち,旅商人にとって「多くの家族の 歴史」は,すでに今ない過去ではない.むしろそこにこそ「心の中の本質的 であり,永遠に存在する感情

J

(、hieflythose / Essential and eternal in  the heart" 1: 372‑73)が息づくような,今を生き,また永遠に生き続ける遺 産として受け継がれるべき「過去」なのである.

共感によって繋がれるWordsworthの超越的な歴史観を考えれば,

r

遁遥』

において孤独者の魂の救済というテーマに結末が与えられなかったことにも 説明がつくように思われる.つまり,孤独者の失意の物語は,読者によって 共感され,分かち合われるべき「過去」である.それゆえに,孤独者の魂の 救済は,四人の登場人物の対話や説得によってもたらされるのではなく,こ の物語を読む読者の共感によってもたらされるべきものとなる.読者が共感 を通して孤独者の失意を分かち合うことによって,この対話詩を中心として 共感の場が生じ,読者はそこに「生命は愛であり, /不滅で、あり,人間の存 在は愛であり, /その要素は不滅であること

J

(Men convinced / That Life  is Love and Immortality

,  / 

The Being one

, 

and one the Element." V: 1007‑ 9)というこの作品に通底するテーマを確信するよう導かれるのだ.

VI. まとめ

一連の対仏戦争の終結後,スコットランドでは従軍した兵士たちの愛国心 と功績を讃えるため,国家記念碑 (National Monument)の建設が企画さ

(16)

イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題‑WilIiam Wordsworthの『遺遥jを中心に‑55 

れた.予算の都合で結局は完成されなかったが,スコットランド人の愛国心 の象概として,今でもエデインパラのCaltonHill山頂にそびえている.さ らにまた,人々を慰霊する記念碑的作品といえば.

r

遁遥』もまたそうとい

えるのではないだろうか.実際,あらゆる魂が自然の力によって慰められる わけではないとする孤独者の懐疑に対して.

r

生命は愛であり .I不滅であり,

人間の存在は愛であり • Iその要素は不滅である」と説く牧師の一節には,

注として『墓碑銘論j(Essα:y upon Epitα'Ph)が添えられており,共同体の 中心にあって,その歴史的記憶を紡ぐ場として記念碑が果たす象観的役割に ついて論じられている.だとすれば.

r

遺遥』は『墓碑銘論

J

の実践として,

湖水地方という自然に刻まれた墓碑銘そのものとして書かれた作品といえる だろう.死者を弔う記念碑的作品として.

r

遁遥』はWordsworth自身の愛 国者観,人民観をテーマとして取り扱った作品であり,その歴史的背景から 当時のスコットランドが多くの詩的イメージをWordsworthに提供したの である.

しかし一方で,文学都市エデインパラに開花した新たな出版文化に対し て.Wordsworthが違和感を抱き続け,その絶大な影響力を懸念していたこ ともすでに述べたとおりである.19世紀初頭 Wordsworthにとって,スコッ トランドは魅力的であるとともに越えがたい文学的国境であった.Scottが もたらした文学の大衆化は,そもそも文学は誰のためのものなのかという,

イギリス・ロマン派が直面せざるをえない切実な間いを突きつけた.

r

遺遥』

は,こういった聞いに対するWordsworth独自の回答であり,スコットラ ンド啓蒙主義が提供する近代的文学観への挑戦で、あったそして,そのよう に考えるならば. w迫遥』執筆の目的は.Lyonが指摘するように,単に「ス コットランドを讃えること

J

だけにあったのではない.むしろスコットラン ドを超克すること,すなわちスコットランドの啓蒙主義的近代を乗り越える ことにこそ,真の意図があったのではないかと思われる.

(17)

56 イギリス・ロマン派におけるスコットランド問題←WiIliamWordsworth の r~遥J を中心にー

本論は第152図関西コールリッジ研究会例会(20111126於同志社大学) での発表原稿を加筆e修正したものである.

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参照

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