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自由と自然の両立 : 生世界からの解明

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(1)

自由と自然の両立 : 生世界からの解明

著者 工藤 和男

雑誌名 文化學年報

号 62

ページ 31‑47

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027726

(2)

自由と自然の両立 : 生世界からの解明

著者 工藤,和男

雑誌名 文化學年報

号 62

ページ 31‑47

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027726

(3)

自 由 と 自 然 の 両 立

│ 生 世 界 か ら の 解

工 明

藤 和 男

アウ グス ティ ヌス が人 間の 悪の 原因 を自 由意 志に 措定 した 時か ら︑ はた して 人間 に自 由が 成立 する のか どう か︑ 神の 摂 理な いし は自 然の 必然 性と 自由 とが 両立 する かど うか

︑と い う 問い は 今 なお 哲 学 の 未解 決 の 課題 で あ り続 け て い る︒ 必 然と 自由 の両 立論 をめ ぐる 論争 であ る︒ 一般 に自 由は

︑意 志の 次元 での それ

︵別 意 志 可能 性

︶か ら︑ 行 為の 次 元 で のそ れ

︵別 行 為可 能 性︶

︑ それ ら を 否 定す る 固い 決定 論で もな お余 地を 認め られ るそ れ︵ 必然 性の 洞察 によ る自 由︶ まで

︑多 様な 意味 で主 張さ れる

︒後 二者 は原 理 的に 決定 論に 還元 する 立場 なの で︑ 先の 論争 で問 題に なる のは 意志 の自 由で ある

!

︒ 本 論で は こ の問 題 を︑ 自 由の 成 立 す る世 界 と 自然 と の 両 立と い う 論点 か ら 検討 し た い︵ 以 下本 稿 で は断 り の な い 限 り

︑自 然は 近代 科学 が描 く必 然性 の支 配す る物 質的 自 然 を意 味 す る︶

︒実 践 を 倫 理学 的 に 考察 す る 場合

︑自 由 は 仮 説的 に せよ 前提 され てい る︒ 自然 が因 果的 に決 定さ れた 世界 であ ると して も︑ 自由 の成 立す る世 界は それ とは 別に 想定 され る

︒問 題は この 二つ の世 界が どの よう に関 係す るか であ り︑ この よう な問 題状 況を 明白 に際 立た せた のが カン トの 第三 ア ンチ ノミ ーで ある

︒ カ ント の 場 合︑ 決定 論 的 な自 然 も 自 由の 世 界 も背 理 法 的 に肯 定 さ れ︑ それ ぞ れ 現 象 界

︵感 性 界

︶と 物 自 体 界

︵知 性 界

︶に 割り 当て られ る︒ カン トは

︑こ の二 つの 世界 を別 に存 在す るの では なく

︑同 一の 世界 を二 重の 観点 から 捉え たも

― 31 ―

(4)

の だと 解し た︒ この 二重 観点 説は

︑こ れま での 諸哲 学の なか で︑ 自由 と自 然の 両立 論を 世界 のあ り方 から 考え る最 も理 に かな った 解釈 の方 向を 示し てい ると 私は 考え る︒ しか し︑ 残念 なが らカ ント はう まく 関係 づけ られ なか った

︒ いっ たい 二つ の世 界は どう 関係 する のか

︒カ ント は︑ 人間 は二 つの 世界 に足 をつ けて おり

︑理 性的 存在 者と して 知性 界 にあ ると 同時 に動 物と して 感性 界に もあ ると 言う

︒そ れは どの よう にし てな のか

︒こ れを 解明 でき なけ れば

︑結 局は 不 可解 な二 世界 説に 帰着 する ので はな いだ ろう か︒ この 問 題 に本 論 は いさ さ か の 考察 を つ け加 え よ うと 思 う

︒そ れ は︑ フ ッサ ール の生 世界 の概 念を 媒介 にす る道 であ る︒ 現象 学は この 両立 論に どう 寄与 しう るの か︒ 本論 はま ず︑ カン トが 自由 を自 然の 法則 性と は別 な 法 則性 の 下 にあ る 世 界 の姿 と し て捉 え た こと を 示 し︵ 一︶

︑ 次に フ ッサ ール の生 世界 から 自然 がど のよ うに 理念 化 し て抽 出 さ れる か を 考 察す る

︵二

︶︒ 続 いて

︑自 由 の 世界 も ま た 別の 抽 出に よっ て成 立す るこ とを 論じ

︵三

︶︑ 最 後に 人間 が生 きる 上 で不 可 欠 の二 種 類 の 原理 的 な 問い が 生 世界 か ら の 多様 な 世界 の成 立を 必然 なら しめ てい るこ とを 論じ たい

︵四

︶︒ こ の 論考 は 分 量の 関 係 で 粗い 構 想 に止 ま ら ざる を え な いけ れ ども

︑最 小限

︑私 たち の生 き方 がそ のつ ど対 応し た世 界を 成立 させ てい ると いう 全般 的な コペ ルニ クス 的転 回に よる 新 たな 両立 論を 示す こと はで きる であ ろう

︒ 一︑ 自 由 によ る 因 果性 人間

には 自由 があ るか に関 して は︑ アウ グス ティ ヌス 以来 中世 には ボエ ティ ウス から ヴァ ラへ の多 彩な 議論 があ った し

︑近 代へ の移 行期 にも エラ スム スと ルタ ーの 自由 論争 があ った

!

︒近 代 に 入る と

︑自 由 意志 を 否 定す る ホ ッ ブズ

︑ヒ ュ ー ム︑ そ して 決 定 論の 最 右 翼 と言 う べ きス ピ ノ ザと

︑自 由 意 志 を認 め る デカ ル ト︑ ラ イプ ニ ッ ツ など の 議 論 が 続 く が

︑そ の後

︑自 然や 物質 世界 の決 定論 的な 説明 は︑ 神の 摂理 から 自然 科学 的世 界像 の因 果的 決定 論に 替わ られ る"

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 32 ―

(5)

この 自然 法則 に基 づく 因果 決定 論の 最も ポピ ュラ ーな 描像 は﹁ ラプ ラス の魔

﹂で ある

︒ち ょう ど今 から 二百 年前 フラ ン スの 自然 科学 者ラ プラ スは

︑あ る瞬 間の 自然 のす べて の力 とす べて の存 在物 の状 況を 知っ てい てそ の情 報を 分析 する 能 力の 知性

︵デ ーモ ン︶ がい ると すれ ば︑

﹁ この 知性 にと っ て不 確 か なも の は 一 つも な い であ ろ う し︑ その 目 に は 未来 も 過去 と同 様 に 現 存す る こ とで あ ろ う﹂! と 想 定し た

︒こ の よう な 近 代的 決 定 論 に自 由 を 対置 し た のが

︑ラ プ ラ ス と同 時 代の

︵そ して 太陽 系成 立の 星雲 説の 提唱 者と して 並び 称せ られ る︶ カン トで ある

︒ 決定 論に 対し て自 由を 立論 する それ まで のほ とん どの 思想 家は

︑必 然的 自然 と別 に自 由の 可能 な世 界を 想定 する 世界 の 二分 法に よる 解決 を試 みた と言 える であ ろう

︒そ し て その 多 く は︑ 自然 の 必 然 性に 拘 束 され な い﹁ 強 制か ら の 解 放﹂ や

﹁無 法則 性﹂

B 475

︶ の内 に消 極的 に自 由を 立言 しよ うと する もの であ った

︒ この よう な方 向に 対し て︑ カン トは むし ろ自 然の 因果 性と は 別 次元 に 積 極的 に 自 由 の因 果 性 を打 ち 立 てよ う と し た︒ 彼 は︑ ヴォ ルフ 学派 や道 徳感 情説 に影 響を 受け てい た初 期か らも 一貫 して

︑自 由を 自然 法則 性︵ 必然 性︶ から 逃れ ると し ても 決し て偶 然や 無差 別の 自由 とし て捉 える こと はな かっ た︒ 彼に とっ て自 由は やは り必 然的 なも ので あっ て︑ 恣意 的 偶然 的な もの では ない

︒こ れ が﹁ 自 由の 法 則﹂

︑﹁ 精 神 的 法則

﹂と い う 考 え方 で あ り︑ 批判 期 の﹁ 自 己 立法

﹂︑

﹁ 自 律﹂ に 直結 する

︒こ こで

︑高 田純 が指 摘す るよ うに

︑﹁ 意 志が 行 為を 自 発 的に 開 始 す るこ と と︑ 意 志が 法 則 に従 う こ と とが 対 立せ ずに

︑結 合す る﹂"

の であ る︒ それ では

︑自 由の 因果 性と 自然 の因 果性 はど のよ うに 両立 する ので あろ うか

︒こ の関 係は

︑両 立と いう 言葉 が誤 導し が ち な 同一 世 界 に並 立 す る 二つ の 部 分で は な い︒ その こ と は カン ト の 二重 観 点 説と 呼 ぶ べ きも の に よっ て 明 らか に な る

︒カ ント は﹃ 純粋 理性 批判

﹄の 第二 版序 文 で︑ 形 而上 学 の 新た な 実 験 的方 法 に 関し て

︑﹁ 同 じ諸 対 象 が︑

⁝⁝ 二 つの 異 なっ た観 点か ら考 察さ れう る﹂

BX IX A nm .

︶と いう 見方 を提 示し

︑意 志は 現象 にお いて は自 由で はな いが

︑物 自体 に 属す るも のと して は自 由で あり

B XXVII − VIII

︶︑ 前者 が自 然︵ 感性 界︶ につ いて の理 論的 認識

︑後 者が 知 性 界 につ

― 33 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(6)

い ての 実践 的認 識で ある

BI X − X

︶︑ と述 べる

"

︒す なわ ち︑ 同!!!!! が 理論 的に は自 然と し て︑ 実 践的 に は 自 由の 世 界と して 成立 する とい う考 え方 であ る︒ こう して 二つ の因 果性 を可 能に する 二重 性は 確保 され るが

︑こ れで は没 交渉 の二 世界 説に 逆戻 りを して しま うの では な い か︒ 中 島義 道 は︑ こ れを 現 実 的 行為 の 成 立す る

﹁で あ る﹂ 世界 と 可 能 的行 為 の 成 立 す る

﹁べ き で あ る

﹂世 界 と し て

︑﹁ べ し﹂ とい う原 因は 現実 的な 行為 とし て実 現し ない 場合 で も知 性 界 にお い て は 可能 的 な 結果 を 生 み出 し て い るは ず であ る︑ と解 する

#

︒カ ント が︑

﹁︿ べ し﹀ は︑ 自然 全体 には 登場 して こな いあ る 種 の必 然 性 およ び 諸 根拠 の 結 合 を表 現 して いる

﹂︵

B 575

︶と 述べ ると おり であ る︒ だが

︑こ れで は自 然因 果性 と自 由の 因果 性と の没 交渉 な並 行論 であ る︒ しか しカ ント は他 方で

︑二 つの 因果 性が 交差 する かの よ う にも 論 を 進め る

︒現 実 に 起っ た 行 為を 結 果 とし て 見 る と︑ 同 一の

﹁こ の結 果は

︑そ の知 性的 原因 に関 して は自 由と みな され うる が︑ 同時 に現 象に 関し ては 自然 因果 性に 従っ て現 象 から 生じ た結 果と みな され うる

﹂︵

B 565

︶︒ そ して この 二重 観点 にお いて 両因 果性 は同 等で はな い︒ 自然 は﹁ 欲す る﹂ を 生み 出せ ても

﹁べ し﹂ は生 み出 せな い︵

B 576

︶が

︑逆 に﹁ べし

﹂は 自然 の内 に結 果を 生み 出 せ るの で あ る︒ で はど の よう にし てか

︒ カン トは

︑主 観の もつ 諸潜 在性 を﹁ 性格

﹂と 呼び

︑人 間が 理性 的存 在者 とし ては 知性 的︵ 超越 論的

︶性 格︑ 動物 とし て は経 験的 性格 をも って いる と考 える

︒感 性界 にお ける 行為 は経 験的 性格 によ って 規定 され てい るが

︑そ の性 格は 知性 的 性格 が現 象し たも ので ある

︒﹁ 前 者︹ 経験 的性 格︺ の超 越論 的原 因で ある 知性 的性 格

﹂︵

B 574

︶は 道 徳法 則 に 則 った 理 性的 意志 の﹁ べし

﹂で あり

︑こ れが 経験 的性 格を 媒介 にし て感 性界 にお ける 現実 の行 為を 生み 出す

︑と 言う

︒こ の見 解 は︑ 二重 観点 によ るい わば 表裏 一体 の二 世界 が経 験的 性格 とい う一 点を 通じ て︑ しか も知 性界 の原 因か ら感 性界 の結 果 へと いう 一方 向の 別種 の第 三の 因果 関係 をも つ︑ とい うこ とを 意味 して いる

︒こ れで は︑ ちょ うど 物心 二元 論を 関係 づ けよ うと した デカ ルト のあ の﹁ 松果 腺﹂ と同 様の 不可 解さ では なか ろう か︒

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 34 ―

(7)

では

︑ど のよ うに 理解 した らよ いの か︒ 以上 の二 重観 点か らの 二世 界を

︑そ れが どの よう に私 たち に現 出す るか とい う 論点 から もう 一度 考察 して みよ う︒ その ため に︑ 私は フッ サー ルの 生世 界概 念を 出発 点に 据え るこ とに する

︒ 二︑ 生 世 界か ら の 科学 的 自 然の 成 立 フッ

サー ルは 最晩 年の 著作

﹃ヨ ーロ ッパ 諸学 問の 危機 と超 越論 的現 象学

﹄︵ 以 下﹃ 危機

﹄︶ で︑ 近代 自然 科学 が人 間の 生 きる 現実 や日 常と の関 係を 離れ

︑そ の成 果に 立脚 する 自然

︵科 学︶ 主義 がこ の日 常の 世界 に本 来そ の説 明図 式で しか な かっ た科 学的 世界 像を すり 替え て唯 一の 実在 とし てし まっ た結 果︑ 学問 をも 包含 する 人間 の生 全般 が方 向定 位や 意味 づ けを 失っ て危 機に 面す るこ とに なっ たと 述 べ る︵

﹃危 機

﹄第 一 部参 照

︒彼 は︑ 科 学 その も の が危 機 的 状況 に あ る とは 見 てい ない

︶︒ そ して

︑こ の危 機を 脱す るた めに

︑も う 一度 学 問 の問 い が 発 せら れ る 地盤 で あ る﹁ 唯一 現 実 的 で︑ 現実 に 知覚 的に 与え られ

︑実 際経 験さ れ︑ 経験 され うる 世界

﹂︵

VI 49

︶に 戻っ て︑ そこ から 学問 やそ の他 の人 間の 営為 を捉 え なお そう と考 える

︒し かし

︑こ の日 常に 戻る こと が自 然的 態度 のま まで は再 び同 じ誤 り︵ 自然 主義 的解 釈︶ を繰 り返 す の で︑ 現 象学 的 還 元と い う 方 法に よ っ て日 常 世 界を そ の 現 れ方

︑与 え ら れ方 か ら 新た に 見 な おす こ と を 提 唱 し︵

VI

§38

︶︑ その よう に反 省的 に捉 えな おさ れた 世界 を生 世界

Lebenswelt

︶ と術 語づ けた

︒ 生世 界は その 現れ 方か ら見 られ てい るよ うに 私に 主観 的直 観的 に現 れて いる 世界 であ る︒ 人間 の生 のす べて の前 提で あ り出 発点 にな るの がこ の世 界で あり

︑お よそ 私の 意識 しう る意 味の 宇宙 であ るが

︑正 確に はす べて の意 味が その 現れ 方 から 成立 して ゆく 過程 を含 めて 捉え られ てい る︒ それ は︑ 哲学 の最 も確 実な

﹁は じま り﹂ かつ 地盤 であ り︑ やが て私 た ちに 共通 な世 界も 活動 も科 学の 高次 な世 界さ えも そこ から 相互 主観 的に 構成 され てゆ くよ うな 土台 であ る︒ フッ サー ル は︑ 厳密 な現 象学 とし ては 生世 界か らそ の構 成の はた らき であ る超 越論 的主 観性 にま で遡 って 考察 する こと を要 求し

― 35 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(8)

た が︑ その 両者 は志 向的 な相 関の 下で 捉え ねば なら ない から

︑現 象学 的主 題領 域と して は生 世界

世 界生

︵超 越論 的主 観 性︶ とい う一 体の もの であ る︒ 生世 界は

︑科 学的 客観 的世 界と の対 比で

﹁原 理的 な直 観 可能 性 の 宇宙

﹂︵

VI 130

︶ とし て 導 入さ れ る が︑ さ らに

﹁具 体 的な 生世 界は

︿学 問的 に真 の﹀ 世界 にと って 根拠 づけ る地 盤で ある と同 時に その 独自 の普 遍的 な具 体態 にお いて はこ れ を包 含す る﹂

VI 134

︶と して

︑そ こか ら構 成さ れた 客観 まで 流入 する 意 識宇 宙 を 意味 す る︒ も ちろ ん

︑自 然 科 学の 抽 象的 な理 論や 数式 化さ れた 世界 像が その まま で流 入す るの では なく

︑生 世界 的に 直観 可能 な形 に変 換さ れて その 内実 に な る ので あ る"

︒ 現 象学 の 反 省次 元 で の 生世 界 は︑ 私 にと っ て のそ の つ ど の日 常 的 な生 世 界 をい わ ば

﹁表 面﹂ と し︑ 超 越論 的還 元後 に洞 察さ れる 世界 生︵ 超越 論的 主観 性︶ をい わば

﹁深 層﹂ とす る︑ 生の 全領 域を 指し てい る#

︒ それ は︑ よく そう 誤解 され がち な感 覚与 件の 世界 では ない

︒私 たち は世 界を 見る こと を学 んで 成長 する が︑ その つど 生 世界 は私 にと って 知覚 的言 語的 に分 節化 され てお り︑ 文化 的社 会的 な意 味の 世界

︑つ まり つね にす でに 相互 主観 的世 界 とな って いる

︒す なわ ち︑ 私個 人に とっ ての みの 世界 では ある が︑ 他人 のも のの 見方 や伝 統的 な価 値観 まで もが 混入 し てし まっ てい るの であ る︒ 私は この よう な生 世界 から 絶 え ず新 た に 世界 を 構 成 する が

︑こ れ は再 び 沈 殿し て 生 世 界︑ む し ろ 正確 に は 深層 と し て の世 界 生 に入 り 込 む︒ それ は あ ら ゆる 意 味 形態 を 形 成す る 精 神 的な 質 料 と な る︒

﹁そ れ は︑ ま った く純 粋に 主観 的な 現象 であ るが

︑し かし

︑例 えば 単な る感 覚与 件の 心理 物理 的な 経過 とい う事 実性 では なく

︑本 質 必然 的に 意味 形態 を構 成す る機 能を 行う 精神 的な 経過 であ る︒ しか しそ れ︹ 機能

︺は この こと をそ のつ ど精 神的

︿質 料

﹀か ら行 うが

︑こ れは 繰り 返し 本質 必然 的に 精神 的形 態と して

︑構 成さ れた もの とし て︑ すべ ての 新た に生 成し た形 態 が質 料に なり

︑そ れゆ え形 態形 成の ため に機 能す るべ く︑ 証示 され る﹂

VI 114

︶︒ フッ サー ルは

︑﹃ 危 機﹄ に先 だっ て一 九一

〇│ 二〇 年 代に 当 時 のド イ ツ 哲 学界 の 動 きに 連 動 して 自 然︵ 科 学︶ と 精神

︵科 学︶ と の対 比 に よる 諸 考 察 を行 っ て おり

︑そ の 成 果が 遺 稿 で ある

﹃イ デ ー ン

!

﹄第 三 部の 精 神 世 界 論 に 示 さ れ る︒

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 36 ―

(9)

フ ッサ ール によ れば

︑自 然は 自然 主義 的態 度に 相関 して

︑精 神世 界は 人格 主義 的態 度に 相関 して 成立 する が︑ 単な る並 行 論で はな い︒

﹁ 自然 主義 的態 度は 人格 主義 的態 度に 従 属し

︑抽 象 に よっ て

︑あ る い はむ し ろ 人格 的 自 我の 忘 却 に よっ て

︑一 種の 自立 性を 獲得 し︑ それ と同 時に 自分 の世 界で ある 自然 を不 当に 絶対 化す る﹂

IV 183

︶︒ 自 然は 自然 主義 的態 度 によ る抽 出体 であ り︑ 最終 的に は直 観化 され て精 神世 界に 包含 され る︒ この 精神 世界 がや がて

﹃危 機﹄ で意 識宇 宙で あ る生 世界 とし て規 定さ れる こと にな るの であ る︒ ここ で着 目す べき 論点 は︑ 精神 世界 を支 配す る﹁ 動機 づけ の法 則﹂ で ある

︒こ れ は︑

Weil-So

﹂ 連 関で あ り

︑目 的・ 手 段︑ 理由

・帰 結︑ 原因

・結 果な どと して 多様 に精 神世 界内 の 出来 事 を 関係 づ け てい る

IV 229

︶︒ 例 え ば︑ 私 た ちは 収 穫を 思い 描い て畑 を耕 すが

︑そ の耕 すこ との 理由

︑目 的で ある 収穫 はま だた だ思 われ ただ けの 意味

︑価 値で あり

︑動 機 に関 して

﹁そ れが 現実 性と いう 意味 をも つか 否か は本 質的 区別 をな さな い﹂

IV 232

︶︒ 自 然の 因果 性は この 動機 づけ の 内か ら物 理的 実在 者同 士の 関係 を抽 出し たも のに すぎ ない

︒し たが って

︑動 機づ けは より 広く

︑言 わば アリ スト テレ ス の四 原因 説や ライ プニ ッツ の充 足理 由律 まで 包含 して おり

︑そ の内 の作 動因 以外 を捨 てて 物理 的自 然を 独立 させ た近 代 自然 科学 から

︑も う一 度現 に与 えら れて いる 世界 の因 果性 に戻 ろう とす る捉 え直 しを 示し てい るの であ る︒ この よう な 抽 出 が﹃ 危機

﹄で も

︑動 機 づけ を 言 い なお し た﹁ 直 観的 環 境 の普 遍 的 因 果様 式

﹂︵

VI 29

︶ から の

﹁実 在 的 因 果 的 関 係

﹂︵

VI 31

︶ への 精密 化︑ 理念 化と して 描か れる

︒ 動機 づけ は精 神世 界す なわ ち生 世界 のあ らゆ る意 味構 成を 支配 して いる が︑ フッ サー ルは その すべ てに 理性 のは たら き を見 てい る︒ 能動 的な 動機 づけ を﹁ 理性 の動 機づ け︵

Vernunftmotivation

︶﹂

IV 220

︶ と呼 ぶだ けで なく

︑受 動的 な動 機 づ け であ る

﹁連 合︵

Assoziation

︶﹂ もま た

︑生 世 界 の﹁ 表面

﹂で は 類 似性 に 従 って

︵色 や 音 な ど の

︶体 験 な い し 内 容 が 結合 する 自然 傾向 性で はあ るが

︑﹁ 深 層﹂ から 見れ ば﹁ 以 前の 理 性 作用

︑理 性 能 作か ら な る︿ 沈 殿﹀

﹂︵

IV 223

︶ つま り 理性 の能 作で ある

︒﹃ 危 機﹄ では これ が︑ 生世 界で 二重 に 機能 す る 理性 と し て︑ 一 方は 明 確 な自 覚 の もと に 規 範 的法

― 37 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(10)

則 にお いて 自己 を展 開す る﹂

VI 105

︶理 性︑ 他方 は﹁ 感性 的与 件を 常に 合理 化 し︑ いつ も す でに 合 理 化し て し ま って い る理 性﹂

VI 97

︶と して 説明 され てい る"

︒ この 自覚 的能 動的 な理 性機 能こ そが

﹁す べて の理 論的 生や 実践 的生 の⁝

⁝原 地盤 で理 念化 とし て働 き︑ 幾何 学的 な理 念 的形 象 を 生み 出 す 根源 的 に 意味 付 与 す る能 作

﹂︵

VI 49

︶ であ る

︒近 代 自然 科 学 は その 理 念 的形 象 で ある 物 質 的 自然 を

︑原 地盤 であ る生 世界 を説 明し 精密 に予 見す るた めの 方 法 図式 と し て生 み 出 し たの で あ る︒ ここ で 構 成さ れ た 自 然︑ フ ッサ ール が直 観不 可能 な﹁ 理念 の衣

﹂﹁ 記 号の 衣﹂

VI 52

︶と 読ん だ自 然は

︑生 世 界か ら 最 高度 に 抽 象化 さ れ た 世界 で あっ て︑ まさ しく これ こそ が必 然性 の支 配す る決 定論 的な 描像 であ った ので ある

︒ 三︑ 自 然 と精 神 お よび 自 由 自然

が生 世界 から の抽 出体 であ ると すれ ば︑ それ では 自由 の世 界は どこ に位 置づ けら れる ので あろ うか

︒ フッ サー ルに おい て︑ 精神 世界 は自 然と 違っ て︑ 抽出 体と 言う より もす べて の生 の地 盤と して 自然 をも 包括 する よう な 優位 をも って おり

︑そ れは

﹃危 機﹄ での 生世 界論 とし て明 確に なっ た︒ しか し︑ 生世 界は その まま 自由 の世 界︑ カン ト が自 律的 意志 の自 由が 切り 開く 世界 とし て描 いた

﹁知 性界

﹂と 言え るで あろ うか

︒こ の問 題は

︑再 び先 述の

﹃イ デー ン

!

﹄ の人 格主 義的 態度

︑な らび に受 動的 動機 づけ と能 動的 動機 づけ の関 係を 手が かり に考 える こと がで きる

︒ 自然 は自 然主 義的 態度 に対 して

︑精 神世 界は 人格 主義 的態 度に 対し て成 立す る︒ 両態 度は とも に︑ 目の 前の 世界 が総 じ て実 在す ると いう 世界 信念 を基 本と する 自然 的態 度の 一部 であ るが

︑ち ょう ど受 動的 動機 づけ を土 台と する 能動 的動 機 づけ のよ うに

︑理 性の 関与 が強 まる こと を示 して いる

︒す なわ ち自 然的 態度 に成 立す る意 味宇 宙の 中か ら︑ 自然 主義 的 態度 は数 量化 可能 な物 質的 実在 的側 面に 焦点 を当 て︑ 人格 主義 的態 度は 自他 の人 格的 意味 に焦 点を 当て て︑ その 内容

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 38 ―

(11)

を 能動 的に 抽出 する ので ある

︒ ただ し︑ 自然 と精 神世 界と はそ の資 格に 非対 称性 が存 する

︒自 然は 非常 に高 度な 理論 化に よっ て﹁ 理念 の衣

﹂と して 生 世界 から 切り 離さ れう るが

︑精 神世 界は 生世 界か ら不 可分 であ り︑ ただ その つど より 理性 的洞 察的 に人 格的 意味 を高 次 化す るそ の方 向性 を示 して いる に過 ぎな い!

︒ 自然 が生 世界 をも っぱ ら物 の世 界 へ と捉 え て いっ た 先 に成 立 す る 究極 の 理念 世界 であ って この 概念 をも たな い民 族や 文化 もあ るの に対 して

︑精 神世 界は 多様 な段 階で はあ れ︑ これ をも たな い 文化 や時 代は 考え られ ない

︒ し かし

︑精 神 世 界が 人 格 主義 的 態 度 に相 関 的 に捉 え ら れ てい る よ うに

︑こ れ は カン ト の 道 徳世 界 と 重な る 側 面 を も ち

︑そ れゆ え︑ 自然 との 両立 問題 が同 様に 生じ うる

︒こ れを 生世 界︑ 精神 世界

︑自 由の 世界 の異 同か ら見 てゆ こう

︒ 生世 界か ら精 神世 界が 成立 し︑ 特に 道徳 およ び倫 理が 主題 化さ れる こと は︑ 自然 の成 立と 同様 に一 種の 抽出 と考 える こ とが でき る︒ 物質 的意 味と 精神 的意 味の 混融 した 生世 界の 中で 人格 主義 的に 人間 的共 生に 関わ る意 味が 抽出 され

︑さ ら に﹁ すべ きで ある

﹂が 自覚 され て実 践的 価値 と当 為が 洞察 され るこ とに なる

︑そ のよ うな 理念 化で ある

︒カ ント も感 性 的選 択意 志か ら定 言命 法に よる 意志 への

︑超 越論 的自 由か ら実 践的 自由 への 高次 化を 描い てい た︒ それ はフ ッサ ール の 場合

︑理 性の 動機 づけ を﹁ 立場 をと るこ とに よる 立場 をと るこ と︵

Stellungnehmen

︶﹂

IV 220

︶︑

Weil-So

﹂ とし て洞 察 的 に 自 覚 す る こ と で あ る︒

﹁ 理 性 の 自 律︑ 人 格 的 主 観 の

︿自 由﹀ は⁝

⁝私 自 ら 決 断 す る と い う こ と に 存 す る﹂

IV

269

︶︒ この 倫理 的な 高次 の精 神世 界こ そが まさ に自 由の 法則

︵能 動的 動機 づけ の法 則︶ の支 配す るカ ント のい わゆ る知 性 界に 他な らな い︒ ただ し︑ この 最高 次の 倫理 的世 界か ら物 質的 意味 も含 む生 世界 まで 戻っ てゆ くそ のど の段 階で も決 定論 の問 題は 起ら な い︒ なぜ なら

︑そ こで の物 質は 厳密 な自 然概 念で はな く︑ むし ろ精 神的 意味 にま とわ れて おり

︑自 由と 矛盾 する 必然 性 はも たな いか らで ある

︒し かも

︑フ ッサ ール の精 神世 界も また 偶然 や無 差別 の自 由に では なく

︑受 動的 段階 から 能動

― 39 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(12)

的 段階 まで 終始 動機 づけ の法 則に 支配 され てい るの であ る︒ さ らに

︑高 次 の 自由 意 志 は動 機 づ け によ っ て 行為 を 生 じ︑ 生 世界 的 な 物質 世 界 にも 結 果 を 引き 起 こ す

︒こ の こ と に は

︑カ ント の二 律背 反的 な二 つ世 界の 因果 関 係に あ っ た不 可 解 さは ま っ た くな い

︒そ も そも

︑異 質 な 道 徳世 界

﹁す べ きで ある

﹂世 界︶ と自 然︵

﹁で ある

﹂世 界︶ とを 因果 関係 で結 びつ ける こと はは じめ から 不可 能で あっ たの であ り︑

﹁実 在的 因果 法則

﹂は 自然 にし か妥 当し な い︒ した が っ て︑ あの 不 可 解 な関 係 は︑ 生 世界

︵精 神 世 界︶ 的な 物 質 あ るい は 自然 と︑ 科学 的に 理念 化さ れた 物質 ある いは 自然 との 混同 に由 来す るの であ る︒ カン トの 議論 は︑ 異質 な世 界の 並行 論 を説 くと きは 後者 を︑

﹁ べし

﹂が 感性 界の 原因 とな ると 説く とき は前 者を 前提 して いた と考 えら れる

︒ カン トや その 他の 哲学 者た ちが 気づ くべ きで あっ たの は︑ 自然 と自 由の 世界 がと もに 抽出 され 構成 され た世 界で ある こ とで ある

︒﹁ で ある

﹂事 実へ と抽 出さ れた 世界 と﹁ すべ き であ る

﹂価 値 や当 為 へ と 抽出 さ れ た世 界 に 直接 の 関 係 を導 入 する こと がで きな いの は当 然で ある

︒そ して

︑こ のこ とは 昔か ら︑ 事実 から 価値 は導 出で きな いと いう

﹁ヒ ュー ムの 法 則﹂ とし て知 られ てい る︒ 彼は

﹃人 間本 性論

﹄第 三篇 第一 部第 一節 で﹁ この

︿べ き﹀ や︿ べき でな い﹀ はあ る新 しい 関 係︑ 断言 を表 して おり

︑こ れを 考察 し説 明す べき こと が︑ 同時 に︑ この 新し い関 係が どの よう にそ れと まっ たく 異な る

︹︿ で ある

﹀や

︿で ない

﹀と いう

︺別 の関 係か らの 導出 で あり う る か︑ それ は ま る で考 え ら れな い よ うな こ と で はあ る が︑ その 理 由 を 示す べ き こと が 必 要で あ る

! と 述 べ る︒ ここ で 不 可能 と さ れ た事 実 と 価値 の 混 交は ま た 一 般に

︑ム ー アの 指摘 した

︑﹁ 善 い﹂ とい う道 徳的 価値 を自 然的 対象 や超 自 然的 対 象 のよ う な 非 道徳 的 属 性で 定 義 した り 記 述 した り する

﹁自 然主 義的 誤謬

﹂と も結 びつ けて 解さ れて いる

"

︒ しか し︑ ヒュ ーム やム ーア にも それ を解 決し よう とす る議 論に も総 じて

︑事 実や 自然 の概 念の 混乱 が入 り込 んで いる と 思わ れる

︒﹁ べ きで ある

﹂当 為を 導出 しよ うと する 試 みと し て 例え ば

︑坂 本 百 大の

︑事 実 か ら当 為 を 導出 す る 三 段論 法

﹁今

︑水 が飲 みた い︵ 事実

︶︑ 最 も近 くに ある 飲み 水は あの 井戸 にあ る︵ 戦略

︶︑ なら ば︑ あの 井戸 に行 くべ きだ

︵当

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 40 ―

(13)

︶﹂!

︑ ある いは

︑沢 田允 茂の 方式

﹁で ある

︵事 実︶

↓善 い︵ 条 件 の事 実 確 認と 推 薦︶

↓し よ う と思 う

︵意 図

︶↓ すべ き だ

︵当 為︶

↓ せよ

︵命 令

︶﹂"

を 見 てみ よ う︒ 坂 本 は小 前 提 の戦 略 を︑ 沢 田は 善 い と いう 事 実 確認 か ら 行為 へ の 出 力 転 換 を関 係づ けの 鍵と 論じ てい るが

︑そ の論 法/ 方式 自体 に誤 りは ない

︒だ が︑ そも そも 最初 の﹁ 事実

﹂が 生世 界的 な事 実 であ り︑ はじ めか ら価 値や 当為 を含 んだ 概念 であ るこ とに 気づ いて いな い︒ 坂本 の例 で言 えば

︑日 常的 な欲 求と いう 事 実は 両立 が問 題と され る場 合の 自然 の事 実で はな い︒ なぜ なら

︑す でに この 水は 海水 や泥 水で はな く︑ のど の乾 いた 人 間が 飲む べき 水と して 価値 づけ られ てい るか らで ある

︒つ まり 自然 に 属 す る非 直 観 的な H

O で はな い

︒沢 田 の 場合 も

︑生 世界 では

﹁で ある

﹂と

﹁善 い﹂ は通 常一 体化 して

︵現 に沢 田も 善い を事 実確 認と して

︶お り︑ その 分離 は反 省の 次 元で のみ 可能 なの であ る︒ それ ゆえ この 論法

/方 式は はじ めか ら価 値や 当為 の混 融し た生 世界 ない しは 精神 世界 のレ ヴ ェル での 推論 であ り︑ 異質 の世 界の 導出 とは 認め られ ない

︒他 方︑ ヒュ ーム やム ーア では

︑価 値や 当為 と区 別さ れた 事 実は 理念 化さ れた 自然 の︵ いわ ゆる 裸の

︶事 実で ある か︑ 少な くと も生 世界 から は相 当程 度に 反省 的に 分離 され た事 実 を想 定し てい るの で︑ そこ から 直接 に価 値を 導出 でき ない のは 定義 上の 当然 のこ とな ので ある

︒ すな わち

︑非 両立 論で 論じ られ る自 然あ るい は事 実は 生世 界か ら抽 出さ れ切 り離 され てし まっ た異 質な 理念 的形 象で あ る

︒そ れ に対 し て 両立 論 で 論 じら れ る 自然 あ る いは 事 実 は 自由 と 同 質の 価 値 や当 為 の 混 融し た 生 世界 的 な 概念 で あ り

︑は じめ から 自由 の成 立す る世 界に 属し てい る

︒こ こ では

︑欲 求 や 欲望 に 従 う だけ の 低 次の 自 由 から

﹁べ き で あ る﹂ 高 次の 自由 まで を︑ 理性 の関 与な いし は洞 察の 深化 が規 定し てい るの であ る︒ 四︑ 立 法 的な 生 と して の 自 由 事実

と価 値の 混融 した 生世 界か らや がて 自然 と自 由の 世界 へと 異質 的に 理念 化し てゆ く出 発点 には

︑世 界へ と問 いか

― 41 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(14)

け る 私 たち 人 間 の二 種 類 の 根本 的 な 関心 方 向 があ る で あ ろう

︒そ れ は︑

﹁ 生き た い﹂ に 直結 す る 関 心 と

︑﹁ よ く 生 き た い

﹂に 関わ る関 心で ある

︒前 者は

﹁何 で あ るか

﹂﹁ 何 が ある か

﹂と い う 事実 へ の 問い と な り︑ 後者 は

﹁何 を 望 むか

﹂と い う価 値へ の問 いと なる

︒ 事実 への 問い は︑ まず は生 存欲 求に 関わ って

︑食 べら れる かど うか

︑危 険か どう か︑ など の関 心を 土台 に︑ やが て博 物 誌的 な知 識へ と発 展し

︑純 粋な 知的 好奇 心と 結び つい てい わゆ る﹁ 裸の 事実

﹂に まで 到達 する

︒注 意す べき は︑ 生世 界 的な 事実 は︑ 例え ば﹁ 食べ られ る﹂ がす でに 栄養 的価 値に よっ て捉 えら れて いる よう に︑ 価値 に裏 打ち され てい るこ と であ る︒ これ が一 切の 価値 を剥 奪し た自 然︑ 物質 的事 実に まで 理念 化す るの は︑ 第二 性質 を排 除し て第 一性 質だ けを 抽 出し よう と自 覚し た近 代自 然科 学を 待た ねば なら なか った

︒フ ッサ ール も﹃ 危機

﹄第 九節 で近 代科 学の 意図 をガ リレ イ 一人 に仮 託し て︑

﹁ 生き る﹂ に結 合し てい た古 代の 測量 術か ら純 粋幾 何学 への 理念 化と して 描い てい る︒ 他方

︑価 値へ の問 いに はも ちろ ん倫 理的 なも のだ けで は な く︑ 例え ば 芸 術的 な 価 値 やそ の 他 の価 値 へ の関 心 も あ る︒

﹁私 たち は自 分の 内に

︑一 定の 職業 的な 態度 でも って 特 殊な

︿職 業 時 間﹀ をも つ よ う な特 殊 で 習慣 的 な 関心 方 向 を 創設 す る﹂

IV 139

︶︒ 例 えば 靴屋 の関 心は 良い 靴を いか に上 手に つく るか とい う問 いに 向う だろ う︒ した がっ て︑ 価値 への 問 いに よっ て生 世界 から 抽出 され る特 殊な 職業 時 間に 対 応 する

﹁特 殊 世 界︵

Sonderwelt

︶﹂

VI 460

︶と し て は︑ 道 徳世 界 だけ でな く︑ 芸術 や宗 教︑ さら に細 かく 別れ る文 化領 域や 職業 ごと の関 心領 域が 際限 なく 成立 しう るの であ る︒ 生世 界は もと もと

︑そ のつ どの 関心 に応 じて 多様 な意 味内 容が 中心 から 周囲 へと 広が る周 囲世 界と いう 構造 をも って い る︒ この 言わ ば関 心の 広が りの 範囲 が一 定の 時間 の幅 をも って その つど の特 殊世 界を 形づ くる

︒そ れら は︑ 刻々 と変 化 しう る流 動的 な世 界で ある が︑ 継続 的に 一定 の関 心と 結合 して つね に立 ち戻 るこ との でき る比 較的 安定 した 世界 もあ る

︒最 高次 の理 念で ある 自然 や規 範と して 拘束 力を もつ 道徳 世界 など はそ れで ある

︒自 然は 一定 の関 心に 枠づ けら れな が らも

︑そ の内 部に 中心 と周 囲と いう 構造

︵パ ース ペク ティ ヴ︶ をも たな い非 常に 特殊 な理 念世 界で ある

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 42 ―

(15)

生世 界は

︑私 にと って あら かじ めす でに 意味 に満 ちて いる 世界 であ るが

︑あ らゆ る実 践的 活動 の土 台と して

︑倫 理的 観 点 に 照ら せ ば 多く の 意 味 がい わ ば 善悪 無 記 に留 ま っ て いる

︒し か し それ は 私 にと っ て

︑ち ょ うど 言 語 学 で 言 う

﹁喃 語

﹂が 徐々 に特 定の 言語 の音 韻と して 固定 化す るよ うに

︑特 定の 共同 体︑ 文化 にお いて 基本 的な 道徳 的価 値を 帯び た意 味 世界 とし て構 成さ れて

︑私 の生 世界 は物 心が つい たと きに はも う慣 習的 道徳 的な

﹁文 化的 周囲 世界

﹂︵

I 160

︶ に なっ て いる

︒こ の意 味で

︑生 世界 はつ ねに すで に道 徳的 な世 界で ある

︒ しか し︑ この 道徳 世界 は︑

﹁ 何を 望む か﹂ とい う価 値の 問 いに 貫 か れて い る と は言 え

︑低 次 の欲 求 や 欲望 の ま ま に生 き てい る前 道徳 的段 階か ら︑ 外的 な規 範に 従う だけ のカ ント のい わゆ る適 法性 の段 階︑ さら に自 律に 基づ く定 言命 法に 則 った 道徳 性の 段階 にい たる まで の︑ フッ サー ルで 言う 理性 的洞 察の 多様 な強 度を もつ

︒フ ッサ ール は一 九二

〇│ 二四 年 の﹃ 倫理 学入 門﹄ 講義 の第 二節 で﹁ 道徳

﹂と

﹁倫 理﹂ を区 別し てい る︒ 道徳 は隣 人愛 など の慣 習的 内容 に関 わり

︑倫 理 は﹁ 為す べき こと

das G esollte

︶﹂

︑実 践理 性の 絶対 的要 求に 関わ る︵

XXXVII 10 − 11

︶︑ と

︒前 者は カン トの 適法 性︑ 後 者は 道徳 性に 対応 して いる と言 って よい

︒ した がっ て︑ 本稿 本来 の主 題で ある 意志 の自 由な いし は自 律は この フッ サー ルの 言う 意味 での

﹁倫 理﹂ ない しは カン ト の道 徳性 の領 分で 初め て問 題と なる

︒﹁ 道 徳﹂ の段 階や 適 法性 の 段 階で は

︑仮 に 意 志が 決 定 論的 に 規 定さ れ て い たと し ても

︵ヒ ュー ムや 経験 主義 の見 解の よう に︶ 行為 の自 由は 考え うる から であ る︒ そし て道 徳と 区別 され た倫 理は これ ま で論 じて きた よう に︑ 洞察 的な 能動 的動 機づ けに よる 意志 決定 のな され る段 階で あり

︑明 らか に生 世界 や低 次の 精神 世 界か ら屹 立す る高 次に 理念 化さ れた 世界 であ る!

︒ 私は ここ に︑ カン トが 決定 論的 自然 と相 容れ ない もの とし て対 置せ ざる を得 なか った 理念 とし ての 自由 の世 界が はじ め て浮 かび 上が って くる と考 える ので ある

︒生 世界 では 物質 も決 定論 的に 規定 され てい ない のと 同様 に︑ 精神 もま た本 来 の自 由の 世界 にま で高 まっ ては いな い︒

﹁ 為す べ きこ と

﹂の 洞 察︑ 自覚 が

︑す な わ ち自 己 立 法が は じ めて 自 由 の 世界

― 43 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(16)

を 切り 開く ので ある

︒し かし フッ サー ルの 場合

︑こ の洞 察︑ 自己 立法 は実 は︑ 到達 され た高 次段 階と して 固定 的に 捉え う るも ので はな く︑ より 理性 的に なる とい う生 成の 方向 性と して しか 可能 では ない であ ろう

︒ 一九 二二 年冬 学期 の﹃ 哲学 入門

﹄の 第一 部で は︑ 実証 科学 のみ なら ず芸 術や 道徳 を含 むあ らゆ る実 践に 働く 理性 を探 究 する 普遍 的な 学問 論つ まり 理性 論が ある べき 哲学 であ ると し︑ 人間 の理 性的 実践 は﹁ 認識 志向

︑美 的志 向︑ 道徳 的志 向 など の充 実﹂

XXXV 43

︶ を﹁ 幸福

Glückseligkeit

︶﹂

﹁ 浄福

Seligkeit

︶﹂ と いう 理念 とし ても めざ し てい る と 述 べる

︵第 六節

︶︒ 人生 全体 にわ たる 完全 な充 実と して の浄 福は 不 可 能で あ る が︑

﹁真 に 人 間 的な 仕 方 で生 き る 真正 な 善 き 人間 性 とい う理 想﹂ は﹁ 無限 なも のの 中に ある 理念 であ り︑ それ は︑ いか なる 静態 的な 最終 状態 でも 実現 され えず

︑意 識さ れ

︑意 識 的 に働 き か け︑ した が っ て 真に 人 間 的な 生 に 合理 的 な 自 己統 御 と 自己 形 成 を与 え る に 違い な い 理念 的 な 極 星

Leitstern

︶な の で ある

﹂︵

XXXV 45

︶︒ し た が って

︑理 念 へ の無 限 の 接 近と い う 仕方 で し か 理 性 的 な 生 は 考 え ら れ ず︑

﹁す べて の自 我生 は意 志的 な努 力へ と移 行し うる 努力 であ る﹂

XXXV 40

︶︒ 以上 のこ とを 吉川 孝は

︑同 じく 二〇 年代 のい わゆ る﹁

﹃ 改造

﹄論 文﹂ や﹁ 生の 価値

︑世 界の 価値

︒道 徳︵ 徳︶ と幸 福﹂ な どの 論文 を使 って

︑フ ッサ ール 倫理 学の

﹁世 界の 価値 から 生の 価値 へ﹂ の 発 展と し て 指摘 し て いる

!

す な わ ち 既存 の 価値 の最 善を 洞察 せよ とい う定 言命 法か ら最 善の 生き 方を せよ とい う定 言命 法へ の転 換で ある

︒ こう して

︑フ ッサ ール の自 己立 法は

︑つ ねに 真正 な善 き人 間性 に向 かう こと に努 力せ よ︑ より 理性 的に 生き よ︑ とい う

︑ま さに 決定 論を 無意 味︑ 無効 にす る命 令に なる

︒な ぜな ら︑ 自由 が世 界の 中に ある かな いか では なく

︑何 を望 むか と いう 問い に自 分の 善き 人間 性を 望む とい う形 で応 えよ うと する こと こそ が自 由だ から であ る︒ すな わち

︑生 世界 に対 し て そ のよ う に 自己 立 法 す ると い う 生き 方 の 中に は じ め て自 由 は 成立 す る ので あ っ て︑ そ のよ う に 意志

︵倫 理 的 に 志 向

︶し な け れば 自 由 は端 的 に な いの で あ る︒ カン ト も﹃ 実 践理 性 批 判﹄ で こう 言 っ てい る

︒自 由 と い う 理 性 の 事 実 は

﹁純 粋理 性が それ を通 して 自ら を根 源的 に立 法的 であ る︵ 私は この よう に欲 し︑ この よう に 命じ る

︶と 告 げ る﹂

V3 1

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 44 ―

(17)

も ので ある

︑と

︒ 結

語 こう

して

︑な ぜ自 然と 自由 との 両立 が日 常世 界で はほ とん ど問 題視 され ず︑ 他方 で理 論的 に探 究し 始め ると にわ かに 証 明も 反証 もで きな い難 問に なる のか

︑が 明ら かに なっ た︒ それ は︑ 本来 両世 界の 要素 を含 む生 世界 とい う地 盤が 通常 の 実 践 世界 で あ り︑ 非両 立 論 は 高度 に 理 念化 さ れ た特 殊 世 界 同士 の 関 係だ か ら であ る

︒こ う 考 える と

︑フ ッ サ ー ル が

﹃危 機﹄ で指 摘し た生 世界 から 切り 離さ れて しま う とい う 理 念的 自 然︵ 科 学︶ の 危う さ は︑ 理 念的 な 自 由の 世 界 に 対し て も注 意さ れね ばな らな い︒

﹁ 倫理

﹂と して の理 念的 自 由は ま さ に﹁ 道徳

﹂と し て の 精神 世 界 そし て 生 世界 に 関 与 しな い まま であ れば 空虚 だか らで ある

︒﹁ 極 星﹂ はつ ねに 最善 の生 き方 への 道を 実!!!! と導 いて いる ので ある

︒ 註 カ ン ト の 著 作 か ら の 引 用 は ア カ デ ミ ー 版 の 巻 数 と 頁 数 を

︑ た だ し

﹃ 純 粋 理 性 批 判

﹄ だ け は B 版 の 頁 数 を 文 中 に 記 す

︒ フ ッ サ ー ル の 著 作 か ら の 引 用 も 同 様 に 全 集 版

︵Husserliana

︶ の 巻 数 と 頁 数 を 文 中 に 記 す

"

T. ホ ン デ リ ッ ク

﹃ あ な た は 自 由 で す か

﹄︵ 松 田 克 進 訳

︑ 法 政 大 学 出 版 局

︑ 一 九 九 六 年

︶︑ 成 田 和 信

﹃ 責 任 と 自 由

﹄︵ 勁 草 書 房

︑ 二

〇 四 年

︶ 参 照

# ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス

﹃ 自 由 意 志 論

﹄︵ 今 泉 三 良

/ 井 澤 彌 男 訳

︑ 創 造 社

︑ 一 九 七 三 年

︶︑ ボ エ テ ィ ウ ス

﹃ 哲 学 の 慰 め

﹄︵ 畠 中 尚 志 訳

︑ 岩 波 文 庫

︑ 一 九 三 八 年

︶︑ 片 山 洋 之 介

﹁ ヴ ァ ラ

﹃ 自 由 意 志 に つ い て の 対 話

﹄﹂

︵ 小 倉 志 祥 編

﹃ 近 代 人 の 原 像

﹄ 弘 文 堂

︑ 一 九 八

〇 年

︶ 参 照

$ 高 田 純

﹃ カ ン ト 実 践 哲 学 と イ ギ リ ス 道 徳 哲 学

│ カ ン ト

・ ヒ ュ ー ム

・ ス ミ ス

﹄︵ 梓 出 版 社

︑ 二

〇 一 二 年

︶ 参 照

― 45 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

(18)

! ラ プ ラ ス

﹃ 確 率 の 哲 学 的 試 論

﹄︵ 内 井 惣 七 訳

︑ 岩 波 文 庫

︑ 一 九 九 七 年

︶ 一

〇 頁

"

高 田 純

︑ 前 掲 書

︑ 三 六 頁

# 感 性 界 と 知 性 界 に 対 応 す る 現 象 と 物 自 体 の 位 置 づ け に 関 し て は

︑ 研 究 史 の 上 で も

︑ 物 自 体 を 認 識 論 的 に 限 界 概 念 と 見 る

︑ あ る い は 存 在 論 的 に 実 体 化 す る 考 え 方 も あ る が

︑ こ こ で は 超 越 論 的 に 同 一 世 界 に つ い て の 二 重 の 観 点 と 捉 え る

︒Vgl.,Dalbosco,C.

A.,DingansichundErscheinung:PerspektivendestranszendentalenIdealismusbeiKant,Königshausen&Neumann,2002,p.25−26.

$ 中 島 義 道

﹃ 悪 へ の 自 由

│ カ ン ト 倫 理 学 の 深 層 文 法

﹄ 勁 草 書 房

︑ 二

〇 一 一 年

︑ 一

〇 五 頁 以 下 参 照

︒ 中 島 は

︑ 錯 綜 す る カ ン ト の 叙 述 を 分 析 し て

︑ 独 立 し た 二 世 界 説 で 説 明 で き る 責 任 論 的 解 釈 と

︑ 自 由 か ら 自 然 へ の 関 与 を 主 張 す る 実 在 論 的 解 釈 と が 成 立 す る こ と を 指 摘 す る

%

﹁ 当 然

︑ 数 学 的 あ る い は 自 然 科 学 的 な

︿ モ デ ル

﹀ と い う 仕 方 で の 理 念 の

︿ 直 観 化

﹀ は 例 え ば 客 観 的 な も の 自 体 の 直 観 で は な く

︑ 生 世 界 的 な 直 観 で あ る

﹂︵VI132

︶︒

&

﹃ 危 機

﹄ 第 三 二 節 参 照

︒ 私 た ち の 自 然 な 生 の 根 底 に は

﹁ 深 層 の 次 元

︑ そ こ で は 表 面 の 世 界 が そ の 単 な る 投 影 で あ る よ う な 次 元

︵VI121

︶ が 隠 れ て い る

︑ と フ ッ サ ー ル は 指 摘 す る

︒ ' フ ッ サ ー ル は 理 性 と 知 性 を 区 別 せ ず

︑ あ る 箇 所 で は

﹁ 二 重 の 働 き を す る 理 性

﹂︑ 他 の 箇 所 で は

﹁ 二 重 の 働 き を す る 知 性

﹂ と し て 説 明 し て い る

︒ こ こ で は 能 動 的 な 働 き は 簡 潔 な 知 性 の 説 明 か ら 引 用 し た

︒ ( ラ ン ト グ レ ー ベ は

︑ 人 格 主 義 的 態 度 は 本 来 選 択 さ れ る よ う な 態 度 で は な く

︑ 世 界 を 直 接 所 有 す る 原 初 的 な あ り 方 で あ る

︑ と さ え 述 べ て い る

rnomenologie,in:DeWPegderPhänomenologie,härlsVglund.,SeinsregionenresegionaleOntologieninHusS.155

︶. )tu1888,.,P.UdorxfO,reNaD.numaHofeticeaTrA,Humep.469.

* ム ー ア

﹃ 倫 理 学 原 理

﹄︵ 深 谷 昭 三 訳

︑ 三 和 書 房

︑ 一 九 七 三 年

︶ 一 七 頁 以 下 参 照

︒ + 坂 本 百 大

﹁ 人 間 機 械 論 の 哲 学

﹂︵ 日 本 哲 学 会

﹃ 哲 学

﹄ 二 二

︑ 一 九 七 二 年

︶ 三 八 頁

︒ た だ し 大 前 提 の

﹁︵ 目 的

︶﹂ を こ こ で は 二 年 後 の 対 談 で 再 現 さ れ た 際 の

﹁︵ 事 実

︶﹂ に 替 え た

︵ 山 内 恭 彦 ほ か

﹃ 悪 と 死= 倫 理 の 課 題

﹄ 二 玄 社

︑ 一 九 七 四 年

︑ 一 五 一 頁 参 照

︶︒ , 沢 田 允 茂

﹃ 言 語 と 人 間

﹄ 講 談 社 学 術 文 庫

︑ 一 九 八 九 年

︑ 一 二 二

一 二 三 頁 参 照

︒ 沢 田 の こ こ で の 方 式 は 以 前 の

﹁ ミ ク ロ 倫 理 学 と マ ク ロ 倫 理 学

﹂︵ 三 田 哲 学 会

﹃ 哲 学

﹄ 第 五 六 集

︑ 一 九 七

〇 年

︶ で の 三 段 論 法 を 発 展 さ せ た も の で あ る

︒ - こ の よ う な 高 次 の 倫 理 的 世 界 と し て は 当 然

︑ 倫 理 的 な 人 格 共 同 体 の 構 成 を 考 慮 し な け れ ば な ら な い が

︑ 本 稿 で は 紙 幅 の 関 係 で ま っ た く 触 れ ら れ な か っ た

︒ 私 は

︑ こ れ に つ い て は 展 望 的 試 論 で は あ る が 以 前 に

﹁ フ ッ サ ー ル に お け る 人 格 的 世 界 の 構 想

﹂︵ S

自由と自然の両立−生世界からの解明 ― 46 ―

(19)

P D

﹃ 同 志 社 哲 学 年 報

﹄ 特 別 号

︑ 一 九 九 五 年

︶ を 著 し た こ と が あ る

! 吉 川 孝

﹃ フ ッ サ ー ル の 倫 理 学

﹄︵ 知 泉 書 院

︑ 二

〇 一 一 年

︶ 第 九 章 参 照

― 47 ― 自由と自然の両立−生世界からの解明

参照

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