事物の区別について
‑ トマ ス ・ア ク ィ ナ ス 『神 学 大 全 』 第 Ⅰ部 , 第
47 問題 ‑
飯 塚 知 敬
Ont heDi s t i nc t i o no fThi ngs
‑
ThomasAqui na s: s ummat he ol o g2 ae I
,q.47
‑To mo yos hiI I ZUKA
は じめ に
トマ ス ・ア ク ィナスは 『神学 大全』 (1)第
47
問題 で,事物 の区別di s t i nc t i or e r um
につ いて一般的 に論 じて い る。 これは事物 の神 か らの流 出 としての創造c r ea t i o
について論 じ られ る過程 で,事物 の区別di s t i nc t i o
と不均等性i nae qua l i t as
な どが直接 ,神 に由来 す る のか どうかが問題 とされてい るのであ る。この第4 7
問題は以下の三 つの項 か らな ってい る。第 1項
Ut r um r e r un mul t i dut oe tdi s t i nc t i os i taDe o.
事物 の多数性や区別 は神 に由来す るのであ るか。
第
2
項Ut r um i na e qua l i t a sr e r un s i taDe o.
事物 の不均等性 は神 に由来 す るのであ るか。
第
3
項Ut r um s i tunusmundust ant um.
ただ一 つの世界が存在 す るのであ るか。
この世界 におけ る事物 が多であ るこ と,つま り多様 な種 に分 かたれ, さ らに個体 として も種 々であ るこ とは我 々に とって 自明の ことであ る。 トマ スは この第
47
問題 において, こ の世界 におけ る事物の多様性 ,区別 な どを前提 した上で,その多様性 ,区別 が直接神 に由 来す るこ とを明 らかに しよう としている。 それはその こ とが彼 の創造論 と深 い関係を持 つ ため と考 え られ る。第 1項 においては事物 の区別.,多様性 が直接 に神 に由来す ることが一般的 に論証 され る。
第
2
項 においては区別 の一種 としての不均等性i na e qua l i t a s
もまた神 に直接 由来 している こ とが示 され る。 そ して第3
項 では世界の‑性 が示 され るが, これ もこの世界の事物 が互 いに一 つの秩序 に よって秩序づけ られてい ることか ら論証 され る。 この小論 においては多 様 な内容 に関わ るこの第4 7
問題 について, トマスの項の順序 に従いなが ら考察 し,彼の創 造論 の理解 を深め る と同時 に世 界の‑性の問題 について も理解 を深めたい。第一章 事物の区別 は直接神 に由来 す る。
第
1
項での異論 は3
つ提 出 されてい るが,いずれ も‑ な る神 と結果 としての事物 の持 つ 多様性 とが矛盾 しないか とい うこ とを問題 とす る ものであ る。 これ らの異論 に対す る トマ スの基本的 な答 えは第一異論解答 にあ るように,神の ように意志的な能動者 は,知性的形 相 を通 して働 くのであ り,神の知性 が同時 に多を認識 す るこ とと,神 自身の単純性 とは矛 盾 しない とい うものであ る。しか し, この世界の多様 な事物 を原因す るこ とと神の単純性 とが直接 には矛盾 しない と して もそれな ら何故 ,単純 であ り‑ であ る神 か ら多 な る事物 が生 じなければな らないのか, とい う理 由は明 らかではない。本文 において トマ スは先ず,事物 が区別 されてあ るこ との 理 由について,それまでの主要 な
3
つの説 明を挙 げそれ らをいずれ も退けてい る。 それ ら の説 明は事物の区別 の理 由を直接神 にではな く,被造物 自身の うち に求め ようとす るもの であ る。① 第 1の説は この世界の事物 の多様性 の原 因をマテ リアに帰 す る ものであ り,それはデ モ ク リ トスを始め とす る古代の 自然学者 たちの説 であ った とす る。
(彰 第2の説 はマテ リア と能動者の両者 に事物の区別 の原因 を帰 す る説で, これを トマス はアナ クサ ゴラスの説 だ とす る。 トマスは この説 を知性 がマ テ リアに混合 していた もの を引 き出す こ とに よ り事物の区別 が生 じる とす る, と解釈 してい る。
(丑 第
3
の説 は神 か ら産 出された第二原因 としての能動者 が次 々 とそれ以下の能動者 を産 出す る とい う新 プラ トン主義的な説 明であ り, トマスは これをアヴ ィセンナの説 として い る。次 にそれぞれの説 に対 す る トマスの批判 について考 えてみ よう。
① の説 に対 して。 この説 だ とマテ リアの運動 によって区別 が生 じる。 そ して 自然学者たち は事物 の区別は偶然の所産 だ とした と トマスは述 べている。
(彰の説 に対 して. この説 に対 して トマスは二 つの理 由を挙げて批判 してい る。第一 の批判 はマテ リアの内に区別 が見 られたのだ とす る と, さ らにその区別 の理 由を求めなければな らない。マ テ リアを創 ったのは神なのだか ら,何故神 がマ テ リアの内にその ような区別 を 置 く必要があ ったの かを説 明すべ きだ と考 え る。 また第二の批判 はマ テ リアの内に区別 の 原 因を求め るべ きではない とす る ものであ る。マ テ リアの内に区別があ るのは,形相が区 別 されてあ るか らであ り,「マテ リアのために形相 があ るのではな く,形相 のため にマ テ リアがあ る」(2)と トマスは主張 す る。 だか ら事物 に区別 が存在 す る こ との理 由を求め る ためには,何故種 々の形相 があ るのかを知 るべ きであ り,従 って形相 を与 える原因 につい て,それ らの区別の理 由を求めなければな らない こ とにな る。
(彰の説 に対 してO この説 では神 か ら事物 が段階的 に産 出されて くる とされ る.先ず,神 が 自己 自身 を認識 す るこ とによ り第一知性実体 が産 出され る。 これは神 に よ り創 られた もの なので,存在 と本質の複合 を含 み,従 って可能態 を持 つ。被造物 であ るこの第一知性実体 が第一原因を認識 す るこ とに よ り第二実体 を生み,また可能態 に在 る限 りでの 自己を認識 す る ことに よ り天体 を産 出す る。 また現実態 に在 る限 りでの 自己を認識す るこ とに よ り世 界霊 を生 じる。 この ような説 に対 して トマスは二 つの点 で批判す る。第一 の批判 は被造物
が事物 を創造 す る こ とは 出来 ない とす る批判 であ る。天体や知性実体 な ど,生成 消滅 す る こ との ない被造物 は創造 に よって しか存在 す る こ とがで きない。 アヴ ィセンナの説 ではそ れを被造物 が産 出 した こ とにな るがそれは不 可能 であ る と トマ スは考 え る。 また第二 の批 判 は この ように段階的 に事物 が産 出 されて い くこ とで種 々の事物 が生 じる と説 明 された と
して も,事物 の区別 は何故必要 であ ったの か とい うこ との説 明 にはな らない とい う もので あ る。何故 な ら,神 が直接 原 因 して い るのは最初 の第一知性実体 のみであ り,それ以下 の 事物 の産 出は神 の‑ な る意 図
i nt e nt i o
に基 づ くわけではない。 す る と, この世 界の 内に事 物 の 区別 が 見 られ るの は複 数 の能 動 因 に よる多 くの原 因 がた また ま合流 した結 果 で あ っ て,従 ってそれ らは偶 然 の結 果だ とい うこ とにな る。 そ して世 界 は種 々の事物 か ら構 成 さ れ る こ とで,その完 全性 を得 て い る ように思 われ るが, これは偶 然 に過 ぎない とい うこ と にな って しま う。この章 の始 め に,神 自身 は単純 であ り‑ であ るが,知性 的形 相 を通 して働 くのであ るか ら,神 自身 の単純 性 と結果 におけ る多様性 とは必 ず しも矛盾 しない こ とを見た。 しか し, それだけでは何故 , この世 界 に事物 の区別が見 られ るの か についての積極 的 な説 明 とはな り得 なか った。 また これまで見 て きた ように,その説 明を被道 的事物 その ものの うち に求 め よう として も,多様 な事物 の存在 を前提 した上 で,それぞれの事物 にそれぞれの 多様 な 質料 因や能動 国の系列 を配 す るだけであ り, これでは事物 が相互 に異 な って い るのは偶 然 の結果 だ とい うこ とにな り,そ もそ も何故 この世 界 に事物 の 多様性 が存在 しなければ な ら ないの か とい うこ とに対 す る積極的 な理 由 とはな らな か ったのであ る。 けれ ども, トマ ス の この ような批判 は トマ ス 自身 の創造論 の立場 か ら出て くる批判 であ る とい うこ ともで き るであ ろ う。 つま り, トマ スが この世 界の事物 について神 が直接 にその存在 を原 因 して い る とす るため に,その 多様性 その ものが偶 然 ではな く,神 の配慮 に基 づ くとい う見方 が生 じて くるのであ る。
トマ スは創造 の前提 に立 って, この世 界 の多様性 に積極的 な理 由を与 え よう とす る。 そ れは区別
di s t i nc i t o
の存在 す る理 由,つ ま り区別 が存在 す る こ との 目的 因 を考察 す る こ と にな る。 今 ,A
とB
の事物 があ る とす る。 トマ スの創造論 の立場 に立 つ と,それ らは存在 す る以前 に神 に よってそれ らの本質 や,それ らの付帯性 が互 い に対比 的 に捉 え られ,両者 が一定 の関係 において秩序 づけ られてあ る こ とが認識 された上 で,神 に よってそれぞれが それ らの存在 において産 出 され る とい うこ とにな るであ ろ う。神 はA
とB
とを種 において 同一 にす る こ ともで きたはずであ る。 また世 界の一切 を同一 に産 出す る こ とも可能 であ っ たはずであ る。 それゆ え トマ スは この世 界の区別 の存在 根拠 を神 の世 界 の産 出の 目的 そのものの 内に求 め よう とす る。
それでは何故神 は世 界 を産 出 したの か。 それは神 が被造物 に 自分 の善性
boni t as
を伝 え るためであ り,被造物 を通 して神 の善性 を再現 re pr ae s ent ar e
す るためであ る とす る。 (3)神 の善性 自身 は一 に して単純 で あるが,その ような善性 を再現 す るため には被造物 は逆 に 多に して多様 であ る こ とが必要 であ ったのであ る。 それぞれ に よって補 完 し合 い,全体 と しての世 界が他 のな に よ りも, 神の善性 を よ り完全 に分有 し,再 現 して い る と トマ スは結 論 す る。
この ように トマ スは この世 界 の事物 の多様性 の理 由を,神の善性 を再 現 す るためであ る と説 明 す る。 そ れ は 第 二 異 論 解 答 に あ る よ うに , この世 界 の 事 物 が神 を そ の範 型
ex‑
e mpl a r
としてその本質 に類似化 されてい るか らであ る と言 え る。 神の本質は善性 と同様 , それ 自身 としては一 に して単純 であ るが,同時 に無限 で多様 な形相 を生 み出 してい る。 だ か らこの世界の多様性 はそれ らの形相の無限の 内容 に類似化 され るのであ るが,同時 にま た神の本質 は‑ なのだか らこの世界 の事物 も多様 であ る と同時 に神の意 図に よって‑性 を 持 ってい るはずであ る。 この こ とは第3項 で論 じられ るが, この ような世界の事物 の多様 性 と‑性 の問題 は,神 におけ る‑ とその力におけ る多 とに対応 してい る と考 え られ る。従 って, トマスが この世界 におけ る事物 の多様性 を問題 とす る時 ,それは単 に多様性 ,区別 性 だけを問題 としてい るのではな くて,同時 に世界の‑性 を問題 としてい るこ とが理解 さ れて くる。何故な ら, トマスが ここで問題 としている多様性 とは個 々の事物 が多様 であ る と同時 に全体 が意 図において‑ である こ とが前提 されてい るような多様性 ,区別性 だか ら であ る。 その意味 では この世界の多様性 と‑性 の問題 は,少な くとも トマスにおいては神 に よるこの世界の創造 とい うこ とが前提 され るこ とに よって,生 じて きているこ とにな る。第二章 事物 の不均等性 は直接神 に由来す る。
続 く,第
2
項 においては事物の不均等i nae qua l i t as
が直接神 に由来 す るのか どうかが問 われてい るO不均等 とは区別di s t i nc t i o
の一種 であ る と考 え られ るO それゆえ第1
項 で事 物 の区別 が直接神 に由来 す るこ とが示 されたのだか ら,不均等性 も神 に直接 由来 す る とし て よいはずであ る。実際 この第2
項 において, トマスはその ように結論 している。しか し, 彼 が ここで不均等性 について改めて論 じてい る理 由の一 つは,それがア リス トテ レスのいう 「配分の正義」 の問題 と関わ っているか らであ る。第三異論 において提 出されてい るよ うに不均等 な もの に対 して不均等 な もの を与 える ところに配分の正義 は成立 す る。 ところ が トマスの創造論 にたつ と,神 が無 か らい きな り多様 な,区別 された事物 を創造 す るので あ る。 それ らの多様性 の理 由は第 1項 で述べ られた ように,全体 として神の‑ な る善性 を 再現す るため と説 明 されたが, しか しその結果 として個 々の事物 はい きな り不均等な状態 に置 かれて産 出されてい るのであ る。 それゆ えそれぞれの事物 に とっては何故 自分 が優劣 の秩序 においてその与 え られた位置 に置 かれたのか理 由が分 か らないはずであろ う。 その 意味 では この問題 も トマ スの創造諭 の立場 に よって生 じて来 た問題 だ とい うこ ともで き
る。
こうした問題 を説 明す るために神 は最初すべての事物 を等 しい もの として創 った とす る 立場 があ った こ とを トマスは本文 で紹 介 してい る。 それは例 えば次の ようなオ リゲネスの 説 であ る。 オ リゲネスは この世界の事物 の区別 を善 と悪 の二 つの対立 す る原理 か ら説 明 し
ようとす るマニ教的な立場 を排除 しよう として,神 は始 めすべての もの を等 しい もの とし て創造 した と考 えた。 それ らは始め同一の理性的被造物 であ った。 ところが彼等 は 自由意 志 に基づ いて,あ る もの どもはそれぞれの程度 に応 じて神へ と向 き返 り,あ る もの どもは またそれぞれの程度 に応 じて神 か ら離反 した。 そ こで被造物相互 に区別 が生 じた。
神へ と向かった理性的被造物 はそれぞれの功績 の程度 に従 って,一定の階層 を形成 す る 天使 として高め られた。他方 ,神 か ら離反 した理性的被造物 はそれぞれの罪 の程度 に従 っ て種 々の物体 と結合 された。 これが物体 が創造 され,相違 してい る ことの原因であ る とオ
リゲ ネ スは主張 した とす る。
第 1項 との関連 でみ る と, この説 も世 界の事物 の区別の理 由を被造物 の 内に見出そ う と す る ものであ る と言 え る。 そ して神 か らの距離 に事物 の区別 の理 由を求 め よう とす る点 で は先 の アヴ ィセ ンナの説 に似 てい る。 ただ神 か らの距離 の相違 を被造物 の 自由意志 に基 づ かせ る点が異 な る と見 る こ とがで きる。
ところで トマ スは このオ リゲネ スの説 を次の よ うに批判 して い る。 この立場 では物体 の 産 出は神 か ら離反 した理性 的被造物 を罰 す るためだ とい うこ とにな り,物体の存在 には消 極 的 な意味 しか与 え られない こ とにな る。しか し,トマ スは第 1項 で神 が この世 界 を産 出 し たの はあ くまで も被道 的世 界 において神 の善性 を再現 す るためだ としたのであ った。彼 は
『創 世 記 』の 「神 が造 った す べ て の物 を 見 られ た ところ,そ れ は ,は な は だ 良 か ったQJ(4)
とい う言葉 を挙 げ て , この オ リゲ ネ スの説 に反 対 す る。 また ア ウグ スチ ィヌスの 『神 国 論 』(5)か らの引用 を行 って , も しもこの物 体 的世 界 の あ り方 が個 々の理性 的被造 物 の 自 由意志 の選択 に基 づいて形 成 された とすれば,例 えば この世 界 に太陽 が 1つであ る とい う こ とも神 が予 め世 界の全体 の善 さを考慮 して決定 した こ とではな く,単 にそれぞれの理性 的被造物 の選択 の結果 に よるだけの,偶 然の結果 とな って しま うだ ろ う としてい る。
ここでの トマ スの批 判 を改 め て考 えて見 よう。 トマ スが何故事物 の区別 , ここでは不均 等性 であ るが,の原 因を被造物 に求 めず に直接 神 に求 め よう として い るか とい う と,それ は この第
2
項 におけ るオ リゲ ネ スの場 合の ように, イ) 一つには神 か らの隔 た りで事物 の 相互 の区別の原 因 を説 明 しよ う とす る と,物 体的 な ものが悪 の意味 を帯 びて くる こ とであ る。 しか し, トマ スは この世 界の区別 が も とも と神 の善性 を再 現 す るための もの であ り, どの事物 も神 の一定 の善性 を再現 す るために産 出 されて い る とす るのであ り,従 って この ような説 を退 けなければ な らな い。 ロ) また もう一 つ には この世 界 のあ り方 が神 の予 め定 め られた‑ な る意 図 に基 づ いた ものでな くて,単 な る被造 的 な諸原 因の偶然 の結果 に過 ぎ な くな る とい うものであ る。だか ら逆 に言 うな ら トマ スの説,つ ま りこの世 界の事物 の区別 を直接 神 に由来 す る とす る立場 は,その こ とに よって , この世 界のすべての事物 は予 め神 がその‑ な る意 図 におい てすべて を見通 し,それ らを相互 に秩序づけて おいた配慮 に基 づ く結果 なのであ り,従 っ て決 して偶 然の結果 ではない こ と (ロ) に対 す る批判) を基礎 づけ る ものであ り, また多 様 な事物 か らな る世 界が,‑ な る意 図 に基づ き,‑ な る秩序 に基 づ いて配 置 され,存在 を 与 え られて い る こ とに よ り, それぞれがそれぞれの善性 に基 づいて世 界の完全性 ,‑性 に 貢献 してい る こ と (イ) に対 す る批判 ) を基礎 づ け る もの としてあ る と考 える こ とがで き よう。 つ ま り先 の イ) とロ) とを批判 す るため には この世 界の事物 の区別 を直接神 に由来 す る としなければな らない必 然性 があ った と考 え られ るのであ る。
それゆ え本文 の トマ スの説 明は (6)先 ず事物 の区別 が,形 相 な い し種
s peci es
に基 づ く もの と,マ テ リア に由来 す る もの があ る こ とを述 べ,後者 は前者 の ため にあ る とす る。 例 えば不 可減 的 な存在 は 自 らの種 を維持 す るため に一 つの個 体 で十 分 であ るが,可減的 な存 在 はその種 が維持 され るため に多数 の個 体 を必要 とす るのであ って,数 的な相違 は種 ,形 相 の違 い に基 づ いて い る。 ところで この形 相 に基 づ く相違 においては,それぞれの形 相 が 段階的 に不均等性 を帯 び てい る。例 えば元素 ,植物 ,動 物 ,な どの ようにそれぞれ完全性 において一定 の段階 を形成 して い る。 これ らの完全性 の段階 は世 界の全体 としての完全性のためであ り,それを原 因 してい るのは神である とす る。 つま り例 えば,世界 が単一 の種 か らで きてお り,一 つの善性 しか示 さない場合
と
,多様 な種 を含みそれ らが種 々の段階の 善性 を示 す場合 といずれが世界 として完全であ るか といえば,後者 であ る と トマスは考 える。
だか らこの世界 に事物 の相違 が認 め られ るのは,第 1項 において見た ようにその ことに よ り神の善性 がで きるだけ再現 され るためであ る と説 明 されたのであるが,その こ とは世 界 を中心 に して考 えてみ る と,世界の内にで きるだけ多様 な善性 が存在 し, しか もその こ
とに よ り,世界が世界 として最善の完全性 を持 つ ように神が予 め配慮 した とい うこ とにな るであ ろう。
それゆえ第一異論 において問題 とされてい るように,最善の者 は最善の物 を結果す るは ずであ る。 ところが結果 としての最善の物の うちには各部分の優劣 はないはずであ る,何 故 な らそ こにおいては全てが最善 なのだか らとい う異論 に対 して, トマスは次の ように答 えてい る。(7)最善 の者 は最善 の物 を導 き出す。 しか し最善 の物 においてはそれ らの どの 部分 も最善 であるべ きではない。各部分 が全体 への対比 において最善の物 であ るようにす るのが最善の者のや り方 であ る と。例 えば動物 を最善 にす る場合 には,全体の完全性 に対 応 して, 日の部分 は 目の部分の,その他 の部分 はその部分 に相応 しいそれぞれの高貴 さを 持 つべ きなのであ り,すべてが同一 の高貴 さを持 つべ きではないのであ る。
だか らこの解答 か ら理解 され ることは,先 にロ) として挙 げた ように世界の完全性 とい うのは全体のすべての存在 が予め互 いに対比 され,秩序 づけ らわた もの として‑ な る意 図 の基 に産 出 され ることが必要 であ るこ と。そのため には神 に よって この世 界がその区別 に おいて,つ ま り一定の秩序 に よって秩序 づけ らた もの として直接 に産 出 され るこ とが必要 だ った とい うこ とであ る。
最後 に先の第三異論 の解答 を検討 してみ よう。これは配分の正義 に基づ くものであ った。
配分の正義 においては不均等 な ものに対 して不均等 な ものを与 える ところに正義 が成立 す る。 ところが神 は無 か ら各事物 を不均等 の状態 に産 出 した とす る と, もとも と不均等でな い もの にい きな り不均等 な もの として産 出 した こ とにな り, これは配分の正義 に反 す るよ うに思 われ る。
これ に対 して トマスの立場 か らは次の ように答 え られ よう。予め各部分が存在 して,そ れ らに何 かの相違 があ る場合 には,それ らに対 して相応 しい もの を与 える ところに配分 の 正義は成 り立 つ。 しか し,創造の場合は各部分 とい うものは予 め存在 していたわけではな か った。 だ か ら,各部分 に相違 が与 え られ るのは全体 の完全性 の ためであ る。 (8)全体 の 完全性 のためにそれ らは相違 した もの として産 出 されたのであ り,それ らの各存在 が書 き
ものであ るように,それ らの特殊性 も全体の完全性 のために善 きもの として産 出されてい るのであ る。
つま りこの世界の事物 が予 め神 の‑ な る意 図に基 づいて産 出されて きた とい うことは, それぞれが始め か ら世界の‑性 と完全性 の中で一定の役割 を果たすべ きもの として,その 特殊性 において産 出されてい る と トマスは考 える。 だか らイ) において見た ように,物体 的 な ものは決 して無条件 に他の事物 との比較 において産 出されてい るのではな く,世界全 体 の完全性 とい う目的 に応 じた もの として一定の特質を持 つ もの として産 出 されているの であ る。
だか ら, トマ スは存在の種 々なる段階 を世界 とい う‑ なる全体の中でそれぞれが全体の 完全性 のために一定の役割を果たすべ き存在 として理解 しよう としている。 それは イ)で の考 え方 の ように神 とい うものを非質料的 な もの,純粋形相の極限 と捉 え,そ こか らの隔 た りの根拠 をマテ リア性 に置 くこ とに よ り,各存在の優 劣の段階 を理解 しようとす るので はな くて,先 ず各事物 がそ こに属す る世 界の‑性 を前提 し,その‑な る世界の完全性 のた めに一定の役割 を果 たす もの として,機能的な意味でそれぞれの存在 の段階 が理解 されて い るのであ る。 この見方 ではた とえマテ リアで もそれが世界の完全性 のために一定の働 き を行 う以上は書 き物 といわなければな らないであ ろ う。
第三章 ただ一つの世界 しか存在 しない。
第
3
項 では第一異論や第二異論 におけ るように,次の ような疑問が提 出 されてい る。 つ ま り,神の力が無限 であ る以上,神が世 界を複数個作 るこ とは可能 である としなければな らない。 同時 に もしも世界を 1個創 るこ とが善 い こ とだ とすれば更 に2
個,3
個 と創 るこ との方が よ り善 い こ とではないだ ろうか。 それな ら神 が 1個 の世界 しか創 らなか った とす るよ り,複数個創 った とす る方が よ り合理的ではないだろ うか。しか し, この疑 問については世 界が数 において増加す ることが単純 に善 い こ となのか と い う批判が提 出され る。 トマ スが第二異論解答 において述べてい るように, もしも1個 よ りも2個の方が よ り善 い とす るな ら,更 に 3個の万 が 2個 よ りもよ り善 い こ とにな り,吹 々 と進行 して,結局神は無限個の世界 を創 るこ とにな って しま うであろ う。 これでは現実 の行為の 目的 とはな り得 ないであろう。
けれ どもこの解答におけ る説 明に よって,数的 に多い方 が単純 に よ り善 い とす る立場 は 退 け られ るが,世 界は何故 1個 しかないのか とい うことは説 明で きない。 しか しここで ト マ スが主張 しよう とす る‑性 の根拠 は世 界 が秩序 において‑ であ るこ とであ る。(9)トマ スは本文 で,世 界を秩序づけ る知恵 を措定 しなかった人 々,世界の結果 を偶然 による とし た人 々が複数の世 界を措定 で きたのであ る と述べている。 そ して例 えばデモ ク リ トスは こ の世界 をア トムの集合 に よってで きた としているので,他の無数 の世界 も同様 にア トムの 集 合か らで きてい る とい う見解 にな った としてい るのであ る。
トマスは この世界におけ る秩序の‑性 か ら世界の‑性 を論証 してい るのであ るが, この 世 界の‑性 とい う前提 に立 つ こ とで,同時 にア リス トテ レス以来の旧い世 界像 をその まま 踏襲 している。第三異論解答 にあるように,今 日の世界像 か らすれば誤 りであ る説 明 も行 ってい る。 つま り,すべての 「土」 は世界の中心へ と集 まって くるのだか らこの世界以外 に他の 「土」はあ りえない とす る ものであ る。
しか し, トマ スが考 えてい るこの世 界の‑性の根拠 は この ような旧い世界像 に基づ くも のではなかった。これまで見て きた ようにそれは この世 界が,‑ な る神 に よって創造 され, 神 の‑ なる意 図に基づいて秩序づけ られているこ とにあ ったのであ る。 その ことは第
2
項 においてみた ように この世界のそれぞれの事物 が この世 界の完全性 に対応す る形 で,予 め 神 に よ り機能的 に配慮 され整 え られた形 で産 出されてい るこ とを意味 していた。 だか ら世 界が神 におけ る‑ な る意図に基づいてお り,それぞれの事物 はその意 図に対 して内的 に整え られている とい う思想 は,その意 図を人間が色 々に構想 す るこ とに よって,世界の一元 的な理解 へ と向かわせ るものであ った と考 え られ る。先 に見た ように この世界の事物 の区 別 を この世界 か ら説 明 しようとす る限 り,この世界の多様性 は偶然 として しか理解 されず,
この世界の多様性 その ものか らこの世界の一元的 な説 明を構築 す るこ とにはな らなかった であろ う。
また世界の存在の多様性の根拠 を純粋形相 としての神 か らの隔た りとして説 明 し, この 世界の事物の区別の根拠 を神 か らの絶対的な距離 に求め るのではな く, この世界の‑性 に それぞれの仕方 で与 ってい ることか ら説 明 しようとす る トマスの立場 に立 って こそ, この 世界 を この世界 か ら統一的に説 明 しよう とす る立場 が生 じて きたのではないか。その意味 では トマスの創造論 に基づ く事物 の区別の解釈 は新 しい世界像 の構築 を促 した と言 うこ と がで きるのではないだろうか。
考察のまとめ
最後 に これ までの各章での考察の要点 を挙げ るこ とで考察の ま とめ としたい。
第一章。 この世界の事物 が多様 であ る とい うこ とを トマスの創造論 の立ち場 に立 って考 える と,神 が多様 な世界全体 を‑ な る意図の も とに産 出 した とい うこ とであ り,従 って こ の世界の多様 なる結果 は決 して単 な る偶然 ではあ り得 ない とい うこ とであ る。 また神 が産 出の始 めか ら世 界を多様 な もの として意図 していたのはその こ とに よ り神の善性 を被進的 世界 において よ り多 く再現す るためであ った。
第二章。 この世界 におけ る事物の多様性 は神の善性 を よ り多 く再現 す るために神 に よっ て予 め意図 された ものであ り,従 って,事物の多様性 を神 か らの隔た りとい う仕方 で消極 的 に説 明す るこ とは トマスの立場 に合致 しない ものであ った。 そ して この世界の多様性 を トマスの ように積極的 に捉 えるため には, この世 界の結果が単 に偶然 に よる ものではな く て,神の‑ な る秩序 に従 って,‑ な る世界 として完全性 を 目指 す もの として理解 され るこ
とが必要 であ った。
第三章。 トマスは この世界 を‑ な る世界 として捉 えるがその‑性は神 に よって世界 が‑
なる秩序 に基づいている とい うこ とによるものであ った。 この世界の多様性 の も とには‑
な る神の意 図があ り, この世界の多様性は決 して偶然ではない。 そ して この世 界 において それぞれの事物 が一定の特殊性 を持 ってい るのは‑ な る世界 との内定 な関わ りを持 つ もの であ り,それ らを考察す るこ とで新 たに‑ なる世界像 を構築す るこ とへ と促 す ものであ っ た と考 え られ る。 しか し トマスの世界の解釈 が新 しい世界像の構築 と具体的 に どの ように 関わ ったのかの検討 は今後の課題 としたい。
註 1)テキス トはマ リエ ッチ版 を使用 した。
2)S.T.q.47,a.1,C.quiamateriaestpropterformam,etnoneconverso.
3)ibid.C.Produxitenim resinesseproptersuam bonitatem communicandam creaturis,etper
easrepraesentandam.
4)『創世 記』 1‑31日本聖 書協 会訳 に よる。 トマ スの テキ ス トではViditDeuscunctaquaefecerat,et erantvaldebon且.
5)Augustinus,deCiv̲DeiⅥ.C.2,3 6)S.T.I,q.47,a.2C.
7)ibid.ad 1,optimiagentisestprOduceretotum effectum optimum:non tamen quod quamlibet partem totiusfaciatoptimam simpliciter,sedoptimam secundum proportionem ad totum:
8)ibid.ad 3,Sed in constitutiorLererum nOn eStinaequalitaspartium perquamcumqueinae‑
qualitatem praecedentem velmeritorum veletiam dispositionismateriae;sed propterperfctio‑
nem totius.
9)S.T. I,q.47,a.3,C.Mundusenim isteunusdiciturunitateordinis,secundum quod quaedam adaliaordinantur.