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実践記録にみるその対抗関係

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実践記録にみるその対抗関係

田久保 清 志

第1章日本の近代化と家族制度イデオロギー 第2章 日本的和の世界の原理とその精神        (以上前稿)

第3章集団づくりの展開と日本的和の世界の改変  第1節 集団づくりとは何か

 第2節学級開きと班長選出  第3節 方針で競う係活動  第4節 教師と班長会の対決  第5節 ボスグループに対する追求        (以上本稿)

第4章集団づくりの人民主権的発想

〈はじめに〉

 前稿では、全生研の集団づくりの理論の思想性と、そ の現代的意義の究明を課題として、日本の近代化過程の 特殊性、とりわけ戦前の家族制度と家族主義的社会構成 における人間形成に焦点をあて、集団づくりと対抗的な 関係にあると考えられる「日本的和の世界」を、以下の 5つの精神的特徴をもつ人間類型として確定する作業を 行なった。ω

 すなわち、①権威による支配の容認と、権威への無条 件的服従、および下級の者への恣意・傲慢。②自己の内 発的な判断に基づいた主体的行動の欠如と、それに由来 する個人的責任感の欠如。③既存秩序への批判・背反の タブーと和の遵守、および現実変革への傍観と忍従の精 神。④公私の混同と、恥の意識に基づく外面道徳。⑤親 分子分的結合への欲求と、その他の集団(身内でない 者)に対する「よそ者」意識   がそれである。

 私は、集団づくりによる変革主体形成には、対「前近 代」と対「近代」という2つの異なる歴史的課題への挑 戦が、その指導技術体系において同時に内包されている

と考えるものであり、この点を追求することによって、

すでに確立された指導技術体系の歴史的意味を再検討し、

その今日的意義を把捉する視座を獲得することができる のではないかと考える。そして、このような集団づくり の2重の歴史的性格のうち、まず前者の対「前近代」性 に注目し、それを日本的和の世界との対抗性として考察

しようとするものである。

 そのためには前稿の序で述べたように、本来なら現時 点での日本的和の世界の具体的諸相を、戦後日本の社会 変動、とりわけ高度経済成長による日本的和の世界の変 容を通じて明らかにする必要があるが、②本稿ではその 変容の指標となる上記の人間類型を、日本的和の世界の 原型としていったん措定し、まずそれとの対抗関係にお いて集団づくりがどのように立ち現れ、それをどのよう に改変していくのかを考察する。

 その際、後にも触れるが、本来集団づくりの理論は、

日本的な精神風土との対抗・克服を主たる目的として構 築されてきたものではなく、それに固有の目的と指導技 術をもっている。それゆえ日本的和の世界の改変は、集 団づくりにおいて直接意図した結果としてなされるとい うよりも、むしろ固有の目的追求の際に派生する、いわ ば意図せざる結果として現われてくるように見える。

 従ってその改変過程を明らかにするには、この面での 集団づくり研究が、いまだ未開拓であるという先行研究 状況からしても、(3)まず集団づくりの実践において、その 改変過程がどのように現われているのかを実際に確認す る作業が必要である。この作業のために本稿では、実践 記録の分析という方法をとり、それによって従来断片的 な示唆にとどまっていた集団づくり研究の新たな視座の 可能性を、できるだけ具体的に提示することを目指すも のである。

第3章 集団づくりの展開と日本的和の

     世界の改変

第1節 集団づくりとは何か

 実践記録の分析に入る前に、あらかじめ集団づくりと は何かということについて述べておこう。集団づくりの 理論書である『学級集団づくり入門第2版』ωは、集団づ

くりを次のように規定している。

 集団づくりとは、「民主的な集団とはなにかというこ

とを理論的・実践的に明らかにしつつ、民主的集団を築

き出す営みのなかで子どもの民主的人格を形成しようと

いう教育方法論」(p.50)のことであり、より具体的に言

えば「集団内外の反集団的・非民主的なちからの支配に

(2)

対抗して、民主的な集団としての意志とちからとを自覚 的に発揮し、行使することを教える教育的営み」(p.52)

のことである。

 したがって集団づくりは、その取りくむ主要対象に よって学級集団づくり、全校集団づくり、あるいは教師 集団づくりなどと呼称されるが、それらは当面する集団 内部だけでなく、同時に集団の外部にも民主的集団を築 き出そうとするものである。

 ここでいう民主的集団とは「民主集中制を組織原則と し、単一の目的にむかって統一的に行動する自治的集団 である」とされ、その内実を「集団がみずからを指導し、

みずからを統制する(内に向かっては自主管理として、

外に向かっては自主的行動力として現われ、両者は相互 に移行しあう)ちから」にあるとしている。そして、こ のちからを備えた民主的集団に学級集団を高めていくた めに「その外側から指導を入れていく」ものとして教師 の存在を位置付けている(以上p.56)。

  (ここにはすでに、前稿で分析の前提とした「近代主 義」的立場とは異質の論理がみられるが、(5}その考察は次 章に譲り、今は日本的和の世界との対置において検討を

進めよう。)

 このような教師の指導性の重視は、集団づくりに顕著 な特徴のひとつであるが、実はこの点にこそ集団づくり が日本的和の世界との対抗関係に立ち得る根拠がある。

かつて家本芳郎は「よりあい的段階とは、日本的な精神 風土にまみれた集団的段階なのであり、そこを切り開い ていくためには、何よりも教師が、この日本的風土をき びしく切り裂いていかなくてはならない」(6)と述べたこ とがあるが、私もまた集団づくりにおいて教師の指導性 と日本的和の世界は、鋭角的な角度で対立すると考える。

 従って本稿では数多くの実践記録の中から、教師の指 導性を最も明確に描き込んだものとして、坂本泰造(全 生研常任委員)の実践記録r学級の主人公はぼくらだ』

(埼玉県の公立小学校4年生の1974年の実践)に注目し、

これを検討対象に取り上げる。ω

 全生研は1980年の時点で、従来発表された実践記録に は「ある限られた期間の、それも限られたテーマによる 記録はあっても、少なくとも1年間を通しての学級集団 づくりの総体を明らかにしたような記録はほとんどな い」⑧として、新たに小・中学の学年別に1年間を通じた 実践記録を刊行しているが、坂本の実践記録はそれらと 比較しても、①教師の具体的な指導とそれによる子ども の変化が明瞭に記され、②1年間の学級集団の発展過程 が明確な順次性と見通しのもとに描かれている点におい て、とりわけすぐれていると思われる。この②は、集団

づくり実践の進展に伴う日本的和の世界の改変過程を、

一応の順次性において提示可能とする点で重要な意味を もつものである。

 以下本稿では『学級の主人公はぼくらだ』から、4つ の場面を取り出して考察する。

第2節 学級開きと班長選出

 日本的和の世界との対抗的性格は、集団づくりの最初 の実践の場である学級開きにおいて、その基盤が形成さ

れる。

 坂本は、学級開きを、事前の正確な子ども把握(特に 核的存在の子どもの予想)→子どもの意欲と主体性を喚 起する演出→班長立候補への呼びかけ→班長選出過程に おける民主主義の端緒的指導、という順序で進めている が、ここでは特に、新しい学級生活を主体的に創造しよ うとする意欲をこそ、教師が子どもたちに求めている点 に注目しよう。

 坂本は学級開きに、あざやかな色紙が舞い、風船がは じけ、ハトが飛び出すというくす玉を持ち込み、明るく 活動的な集団のトーンを学級の中に形成しつつ、学級通 信を手に、みんなで力を合わせること、ひとりひとりを 大切にすることを呼びかける。新しい学級の気風を教師 が明快に演出することによって、学級開きは子どもたち の様々な不安や希望を、学級生活の創造主体としての意 欲や意志に転化させる場として機能する。

 その一端は、坂本がひとりひとりに握手をする場面で、

学級の核的存在として期待する2人の生徒とのやりとり にもうかがえる。「一緒にがんばろう」と言われ「一緒 に?」と聞き返す谷口に、坂本が「そうだ。君の力が欲       ゆ しいんだ。やってくれるか!?」と言うと、谷口が顔を真 赤にして「ハイ!」と答える場面(p.25)、また、「可奈 子さん。4年2組を日本一素晴らしいクラスにしよう な」「ウン。あたしたちね、リレーでも何でもビリだった んだよ。いやんなっちゃった」「でも今年は違うそ」「ウ ン、今年は違う」と可奈子が言う場面(p.25)がそれで

ある。

 子どもたちの反応を確かめ班長への立候補を呼びかけ る場面では、より明確に子どもたちの意欲を求めている。

「班長は やる気 のあるやつがなれ。(中略)自信のな いやつは、先生が教えるから大丈夫。  いっちょう班の ためにやったるで という気があれば十分だ。」(pp.26−

27)事前に学級の核として予想した子どもの顔を見すえ

て語りかけると、(9)「可奈子、谷口、直子は、うれしそう

にうなずいた。池上は、びっくりしたような顔で、私の

顔をなめるようにしてみていた」(p.27)という。

(3)

 今日でもなお多くの学校で、班長という役職は、単な る雑役かさらには教師の下請役人として子どもたちに忌 避され、班長選出時にはしばしばその押しつけ合いがく

り返されている。そして無責任な推薦をはじめとして、

時には集団的威圧のもとに、一見民主的な多数決という 形式的手続きによって班長は選出されている。こうして 本来、民主主義教育の一貫に位置付けられるはずの班長 選出過程は、むしろ子どもたちを日本的和の世界の住人

として定着させる機能を果たしているのである。

 このように見ると、集団づくりにおいてやがて班長会 を軸に、子どもたち自身の手に学級の主導権を返してい くためにこそ、教師の指導性を萌確に貫いて学級開きと 班長選出に取り組む際、坂本が何よりも子どもたちの

「やる気」を求めている点が重要な意味をもってくる。

 つまり、集団づくりはこのような意欲と主体性の喚起 によって、日本的和の世界との対抗関係に立ち始めるも のと考えられる。その意味で班長選出とは、集団づくり が日本的和の世界に打ち込む最初のくさびである。

 名簿順に5つの班をつくると、2班は男子が予想外の 大塚の立候補に加えて、女子は2人が立候補。「直子は、

みんなの了解も得ないのに、トコトコと黒板に出てきて、

自分の名前を、他の子よりずっと大きく書いた。特に色 チョークを使った。私は、なるほど、直子らしいと思っ た。ところが、そこへ1人の女の子がすごい剣幕で走り より、rまだ、決まってないんだからねッ!』と直子の書 いた字を手で消し、直子の顔に自分の顔をつきつけて 怒った。かおるだ。ここにも、民主主義があった。」(p.

27)

 この2人にじゃんけんによる決着を指示して拒否され た大塚は、その代わりにどんな班をつくるか言ってみる

ことを提案する。直子は「私は班長になって、みんなの 面倒をよく見ます。そして活発な班にして、何でも優秀 な班にするようがんばります」と言い、かおるは「私は、

勉強のできない子に、よく教えます。それから、暴力は 絶対にふるいません。明るく強い班にします。国語が得 意なので、国語をよく教えます」という。結局、5対4 の小差で班長は直子に決まるのだが、ここで見落しては ならないことは、班長に選ぼれる者も選ぶ者も、まだ不 確かではあっても自分自身の考えに基づいて、主体的な 価値判断と行動の選択を始めているということである。

暗黙の合意や安易な多数決からは、5対4という採決は 出てこない。選ぶ者と選ぼれる者との間には一種の契約 的な関係が生じ、それに基づく個人的責任意識の萌芽が 生まれるのである。

 坂本は、班長の選出にはドラマがあるという。「その

子がどのような世界とやる気をもって班長にふみ切って 出てくるのか。また、まわりの子は、どのような価値観 をもってその子を選出するのか。そこには、人間のナマ の姿、人間の価値観、リーダー観、集団観が確かにぶつ かりあい、みがかれあているのだ。」(p.30)そしてこの

ドラマはまた、集団づくりの世界が日本的和の世界の中 に立ち現われ、日本的和の世界をその内部から変革して いく最初のドラマでもあるのである。やる気さえあれば よいという坂本の指導は、周囲の目を気にして失敗を恐 れ、恥じるような意識から子どもたちを解放し、2班の 直子とかおるの争いに見られるように班長に立候補する 老は、班の「和」を抜け出て、どちらの所信表明(=指 導方針)がよりすぐれたものであるかを競いつつ、新た な自己像と班の未来像とを思い描き、それによって不確 かではあっても、所与の現実世界の変革への第1歩を踏 み出すのである。

 しかし、それはまだ班長立候補者を中心に一部の子ど もたちのドラマではあっても、学級集団全体を揺り動か すようなドラマにはなりえていない。だから教師は、学 級開きで組織した班と班長会とに当面の指導を集中し、

具体的な行動提起をしつつ集団づくりを展開するのだが、

それによって日本的和の世界との対抗関係もまた深めら れていくことになる。坂本実践において、それは次にと

りあげる係活動をめぐる学級総会の場面に現れる。㈹

第3節 方針で競う係活動

 坂本学級は、学級総会を最高決定機関として、そのも とに5つの班と班長会を、その両翼に自主的な自治活動 のための日直と、創造的な文化活動のための係活動とを 位置付けている。学級開きから1週間後、最初の係活動

であるうたこえ係の獲得をめぐって学級総会が行われて

いる。

 3・4・5班がやぶれ、1班と2班の争いになると坂 本は1班の後に行き、方針内容をめぐる議論を組織する べく指導。1班は2班の歌の単純な繰り返しがつまらな いと批判。2班の反論と、それに対する1班の再反論の 場面である。「2班・直子rでもねっ。面白いんじゃない ですかっ。それにねっ、私達は、初めはやさしい歌を指 導して、それからね、 若者たち を指導する。順をよ

く考えているんです』(強い拍手)[中略] 1班・可奈 子『私達の教える 森のクマさん はね、ほらいいです か。前を歌う人とか、追いかけて歌うとかして、工夫し て歌って面白いんじゃないですか。だから私達は断然!

1班の方針の方がいいと思います。』(拍手)[中略コ加奈

子『あの、私達は、そんな簡単な歌覚えても、つまりま

(4)

せん!私達1班は、いいですか、 森のクマさん と 秩父音頭 の歌と踊りも指導します』(1班と1班を 支持する班『いいそ!!』と圧倒的な拍手)2班、黙る。

ここまで、1班が有利。」(pp.45−47)

 曲目の魅力と価値をめぐる論争、発言者への支持の拍 手や声援にみられる、子どもたちの意欲と主体的な姿勢 に着目して実践の展開をとらえ返しておこう。

 坂本は、学級にうたこえ係を導入するにあたって、ま ずみずから率先して子どもたちの前で歌い、みんなで歌 うことの楽しさを実感させようとしている。1週間ほど たつと「子どもたちは、休み時間、昼食の時など思わず

口ずさむほどのってきた。 先生、今度はどんな歌 うちのお母さん、私が歌ったら知っているって と話 しかけて」(p.37)くるようになったという。歌うことが 子どもたち自身の楽しみになってきたとき、坂本は次の

ような提案をする。

 うたこえ係をつくる方針案  てい案者 先生  一、ねらい

  (イ)歌をいっぽい知り、明るく楽しい学級にするた    め

  (ロ)みんなで元気にそろって歌い、班や学級の ま    とまり をつくるため

 二、うたこえ係の活動期間は、四月十五日から四月三   十日までの十五日間とする。

 三、この係は、立候補制で、次の活動をする。

  (イ)この期間に、二曲、教える。歌は、明るくて、

   おもしろくて、体を動かすようなものがいい。

  (ロ)歌は、毎日、帰りの会で教える。

  (ハ)おぼえた歌は、小さいノート(歌集帳)に書か    せ、いままでおぼえた歌を、五曲から七曲にふや    す。少しずつつみあげて、四年生が終わるまでに    四十曲おぼえるようにする。

  (二)班きょうそうで「うたこえ大会」を一回ひらく。

   くわしくは、班長会で考える。

   ●い つ……○月○日 ○曜日第○時    ●ところ……*くふうする

四、十五日間がすぎたら「うたこえ係の活動のまと   め」を学級総会にてい案し、その活動をみとめるか、

  みとめないか決める。また、ほめることをおおいに  する。

五、うたこえ係の活動に問題があったときは、途中で  交代の提案をし、係を奪うことができる。

六、その他

   うたこえ係に、多くの班が立候補したときは、方  針をのべて、係の奪いあいで決める。また、一つの

班しか立候補しないときは、その班は方針をつくり、

学級が認めるかどうかをきいて決める。

 教師が方針案を成文化するのは、①学級の集団的行動 を正確に行なわせ、②学級の目的を明示して集中的な取

り組みをさせ、③後の正確な総括を可能にさせるため、

とされている。(11)提案の中で特に提案者「先生」と明記す るのは、やがて学級総会の原案提出権を教師から、教師 と班長会→班長会→班集団→個人へと、その権利行使能 力を伴なわせつつ本来あるべき個々人の手に返すことを 予定して、(12》その時点での学級の主導権の所在を示して おくためである。

 坂本の提案に意欲をみせる子どもたちは、各班で方針 づくりに取り組む。坂本は各班に「よし、いいアイデア だ」「それ、いつやるの?」と、班の力量に見合った魅力 的で具体的な方針になるよう助言をしている。この方針 作成作業は、班という小集団を媒介にして子どもたちの

自他認識や集団認識を促す作用をもち、それによって子 どもたちは、自分の班を中心に相互の個性や力量の認識 を深めていく。各班は「それぞれ工夫した方針をひっさ げ、休み時間になると自慢しあい、また、ある方針は

『秘密』にして意気ごんだ」(p.42)という。

 このように教師は、方針作成過程を通じて子どもたち の意欲を学級生活の創造に結びつけ、各方針に基づく確 実な学級総会討議に彼らの主体性を発揮させていく。方 針発表の練習を終え、「これでいただきさ。早く学級総 会来ないかな」「先生さ、早く学級総会やっちまおうよ」

という1班の次のような方針(曲目選択と表彰に工夫を こらしている)は、学級生活に参加し創造しようとする 彼らなりの具体的構想の表現である。

 うたこえ係の方針    てい案者 一班

 わたしたちが、うたこえ係になったら、次のことをし

ます。

 一、十五日間に、歌を二曲教えます。教える歌は、

 ●「森のクマさん」……手びょうしをいれて、からだ   も動かして、おもしろい歌です。指導する人は、由   美さんと北山くん。

 ●「秩父音頭」……歌とおどりも教えます。少しむず   かしいけど、楽しいです。指導する人は、加奈子さ   んと池上くん。班へ指導にいくときは、班の人を分   たんして、行かせます。

 ●うたとおどりの指導は、帰りの会のときにやります。

 ●おぼえた歌は、朝、自習のとき歌集帳に書かせます。

二、「うたこえ・おどり」大会を、一回ひらきます。

(5)

●い つ……四月二十五日木曜日 第五時間目

●どこで……体育館

●やるものは、おぼえた歌「森のクマさん」を班でう  たう。おどりは、班でおどり、そのあと全体でおど

 る。

●ひょうか……先生と班長会で行なう。

《歌・みるところ》

 (イ)大きい声で元気に歌っていたか。

 (ロ)みんな、そろっていたか。

《おどり・みるところ》

 (イ)大きい動作で、元気におどっていたか。

 (ロ)みんな、そろっていたか。

これで、点をつける。

●賞状……ゆうしょうした班には、賞状とメダルをひ  とりひとりの首にさげてあげます。ビリ班にも、小  さい賞状をあげます。

●ビリ班ヘ……大会が終わった日、加奈子さんと田村  くんで、こんどビリにならないよう指導します。

 一方、2班は屋外の森にテープをはりめぐらし、きれ いに飾りつけをして大会を開き、美しい楯を授与すると いう魅力的な方針を打ち出していた。

 学級総会の場面に戻ろう。坂本は討議を、①方針内容 をめぐる問題、②各班のまとまりと班長の指導性の問題 の2点に集中させ、1班有利の情勢を巻き返すため2班 の後ろへ行って助言。4班が2班の楯を評価して応援す ると、2班が再び元気になる。「2班・大塚『それに ねっ、1班のねっ、あんな小さいメダルより、こお一ん なでかくて、きれいな楯の方がいいです!』(拍手。池 上、加奈子、振り返ってあわてる)[中略]2班・直子

『2班は、本当は、みんなにあげる楯は、まだ半分しか 作ってなくて、さっき見せなかったけど(さっきのは、

       

見本)すご一くきれいな、この楯をあげるんです!』高 く上げ、左から右へ、ゆっくり見せる。数人、思わず

『ワーヅ!いい』と絶叫。1班『良くない!』2・4班

『いい!!』(3班、5班にも一緒に叫んでいる者もいる)

3・5班『良くない!』2・4班と3班、5班の一部

rいい!!』2班の直子が、本番の楯を見せてから盛り返 す。五分と五分。」(pp.47−48)

 この後、遅れた班への指導の有無が論議され、2班が それを方針に明記していないことを、1班から動かしが たい事実として指摘される。公約としての方針のあり方 が議論され、最終的にうたこえ係は1班が獲得している。

 以上の過程においてまず第1に指摘すべきは、うたこ え係を獲得しようと努力する子どもたちの能動性である。

彼らはみずから積極的に立候補し、係の遂行に責任意識 を持ち始めている。それは拮抗していた議論に決着をつ けた可奈子の発言、「方針に書いていなければ、やるか

も知れないし、やらないかも知れないんですよ(中略)

私達は、さっき方針でちゃんと言ったから、ちゃんとや ります!」(pp.49−50)にも見てとれる。方針の公約問題 が討議の動向を決定づけ、集団から委託される活動の責 任を明確にすることが、議論の決着をつけているのであ

る。

 またそれに加えて、採決に敗れた班への坂本の励まし とリコールの指導、「今日、惜しくも負けた班は、落とさ れた理由を考え、今度の時、それを生かせ!このくらい のことで、へこたれるみんなだとは思わない!」「いい か、みんな、1班の活動に問題があったら、すぐにいつ でもやめさせ、自分たちの班で、うたこえ係をとれ!」

(p.51)という指導が、係を獲得した班の責任意識をよ り強め、敗れた班にはその総括と再挑戦への意欲を高め ている。敗れた班は「よおし!」と意気込み、学級のボ ス、藤永は「オーバーにも、手につばをペッペッとひっ かけて、『負けるもんか』」(p.51)と意欲を示しているの である。

 第2に、方針作成から学級総会の過程は、同時にまた 既存秩序への批判のタブーや和の遵守、現実変革への諦 観といった日本的和の世界からも子どもたちを離反させ ていく過程である。すでに述べたように方針作成過程は 子どもの自他認識を発達させ、学級生活の未来像を心の 中にイメージさせる役割を果たすものであるが、総会討 議はその認識を確かにし、未来像の構想を集団的に錬磨 する役割を果たしている。各班の総力をあげた討議を、

坂本は方針内容と班の団結をあぐる論争に組織し、どの 班の方針が現在の学級を発展させ豊かにするかを論議さ せることによって、全学級的に集団の将来像のイメージ を高めていく。輪唱のできる歌や踊りを取り入れるのか どうか、うたこえ大会の会場設定はどうか、授与する賞 はメダルか楯か、遅れた班にはどうするのか、学級生活 をより豊かに創造するための具体的な論点として、ひと

りひとりにその判断と選択が問われていくのである。

 第3に、以上のような実質を備えた討議によって決定 されたうたこえ係は、学級の最高決定機関である学級総 会によってその権限を公的に委託されたのであり、この 過程を通じて子どもたちは、「公」としての学級集団と

「私」としての班の区別を学んでいく。(14)採決後に可奈子 が自分から前に出て「私達は、みんなに約束したことを

しっかりやります!みんなも協力して下さい!」(p.51)

と宣言しているが、それは「公」に対する「私」の責任

(6)

表明と、「私」に対する「公」の協力を要請したものとみ ることができる。

 以上のことがらを、前節の考察と合わせて考えると、

まず班長立候補者を中心に学級生活創造の意欲と主体性 のくさびによって切り口をつけられた日本的和の世界は、

教師の指導に支えられてより多くの子どもたちがその意 欲的主体的姿勢を高め、各班が学級総会で論争する段階 に至ると、その切り口が次第に日本的和の世界の内部に 拡大しつつあることが理解できよう。班長選出から方針 で競う係活動への実践展開において、日本的和の世界は その②から③、④へと、徐々にその亀裂を深めていくと 考えられる。

第4節 教師と班長会の対決

 学級の総力をあげて1ヵ月にわたる、登校拒否児への 取りくみを終えて迎えた7月、坂本は、班長立候補制に よって新たに選出された班長会を、名実ともに学級の指 導者集団にひき上げ、学級集団の自己指導を確立させよ

うとする。

 そのために坂本は、それまで自分が教師として掌握し ていた原案提出権を、班長会に移行させることを企図す る。坂本学級においては、それまでの諸活動を通じて学 級総会こそが学級集団の意思決定の場であり、その決定 に基づいて班を単位として活動することが教えられてき た。だから学級総会へ原案を提出する権限を持つ者は、

学級を指導する者としての権威をも持っている。

 したがって、原案提出権の教師から班長会への移行は、

絶対視されていた教師の権威を班長会が相対化してとら え、教師の直接的な指導から班長会を自立させる機能を 果たす。坂本は学級集団の自治を確立させる上で原案提 出権の安易な譲渡を戒め、まだ未熟な班長会の自覚と団 結を求めて班長会との対決をも辞さず、敢えて教師の手 から学級の自治をたたかいとらせようとする。そして学 級の発展状況を考え、その対決の契機を整頓の乱れてき たロッカーの自主管理問題に求めている。

 必要時以外はすべての用具を入れておく生徒用の個人 ロッカーから乱雑に投げ込まれた物がはみ出し、付近の 通行にも障害となってきたため、坂本はロッカー自主管 理を提案する。本稿の紙数の都合上、教師原案は紹介で きないが、重要な点は1週間の期間中に、各班の「ミス を許してもらいたい人数」と学級全体でのミスの人数を 明記していることである。(原案の第4項目)、前者は各 班長の現実認識よりも多目の人数を示して班長たちへの 挑発的な問題提起とし、後者は自分の班に目が向きがち な班長に、学級全体を指導対象とする自覚を促すことを

目的にしている。さらに、ロヅカー管理のテスト期間を 設けて、教師が「よく管理の仕方を教えてからみんなに 譲り渡す」という、教師の恣意的な管理を認める第6項 目を入れ、教師原案が通過してしまった場合には、実際 にこの規定をきわめて恣意的に発動させ、決定すること の重要性を子どもたちに自覚させるのだという(pp.163

−165)。

 自治をめぐる対決は、班長会への提示と学級総会の2 つの場面で行なわれている。班長たちは、坂本がロッ カーの現状を指摘し、第4項目の提案に入ると騒ぎだす。

「教師r1班は、ええと3人!』谷口・直子『ええっ。

どうしてですか!』他の班長rいいそ!』(笑いながら拍 手。自分の班のことでないので気持ち良さそう)」(p.16 8)坂本は、ともすれば従来通り教師原案を受け入れて しまいそうな班長会に、丹念に原案による揺さぶりをか けていく。やがて可奈子が教師原案の不条理に気付く。

 「加奈子『おかしいよ、先生!アッ、先生に質問、先 生!先生に質問!』教師r最後まで、聞け!』加奈子

『聞くことないもん、ねっ!』加奈子は谷口のところへ 走って行って、耳うちした。谷口は、私の顔をチラッと 見て そうだ とうなずいた。加奈子『あんたたち、先 生は、あたしたちをバカにしているんだからねっ。なに

よ、これ!』(pp.169−170)

 憤激した可奈子に指摘されて気付いた班長たちは、坂 本の提案が終わると一斉に反論の挙手。教師原案の ミ

スを許してもらいたい人数 に非難は集中する。だが、

坂本はロッカーの現実を指さして断固拒否。加奈子が言 う。「『それじゃ、いいです1私たち、先生の原案に修正 案を出します!』谷口・美江子『修正案を出そう!』加 奈子rそれにね、先生、あそこの6番(6項目のこと)

は、全部けずる提案を出しますからね』(中略)まだ何も 書いていない小黒板を持って、教室の隅ヘドカドカと班 長会は移動し出す。(中略)教師『分裂だな』班長たち振 り返って『ウン、分裂』と力を入れて言った。」(pp.173

−174)

 この場面に見られるように、集団づくりにおいて教師 は、集団自治の確立を目的とする場面では一見きわめて 硬質的で冷然とした態度をとることがある。それは、た

とえ教師と生徒といえども、学級の主人公は生徒自身で あり、本来教師は学級集団の自治にとって外部の存在で あるという自戒の念に基づくものである。

 そんな教師の態度に「先生は敵か味方か」とくやしが る谷口に、「先生は私達を育ててくれたんだから味方」

という由美。「何言ってるのよ、由美ちゃんは!あれは

味方のやることじゃ絶対にない!私達をばかにしている

(7)

ことなんだからねっ」と怒る可奈子(p.159)。これらの 場面や、班長たちが「ウン、分裂」と言って離れていく 場面は、教師の指導下にありつつもなお班長会が、教師 の指導を直接的に受容することをやめ、教師の役割を相 対化しつつ、学級の指導者集団としての自覚と認識を深 めていく、集団づくり実践の飛躍的局面をよく示してい

る。

 一方学級総会当日、班長会はみずからの修正案に賛成 するよう各班で説得活動を行なうが、可奈子や谷口がい る2つの班以外では、班の意思を統一できない。坂本は 安易な妥協を避けて、総会討議では教師原案を支持する 者に助言して回り、学級の主導権争いを組織する。班長 会修正案のミス人数が実行可能かどうか、班ごとに具体 名をあげて指摘されると教室は騒然となる。最後の場面 に注目しよう。

 「塚原『僕は玲子さんもミスすると思います。1回か 2回……』子どもたち『玲子さん、早く言ってやれ!』

腕を持って立ち上がらせる。いったん立ち、また座って しまう。班長の直子に言われてまた立つ。急にシーンと する。集中している子どもたちの目が光った。玲子『私 も……(子どもたち、力を入れてウン、ウソとうなずき ながら応援。なかなか言えない)できます!』子どもた ち、ほっとして『そうれ見ろ!!』と拍手。加奈子『玲子 ちゃんだって、できますって言ってるんです。ビリ班に は、班長会が必ず取り組むから、人数は10人でできま す』(『そうだ1!』と強く拍手)」(pp.183)

 無口で身の回りの管理がよくできないという玲子が、

集団のちからに支えられて「できます!」と立ち上がっ た時、「教師」という権威によって自明視されていた坂 本の独占的な原案提出権は、その不条理に対抗して修正 案を提出した班長会に移行され、学級集団は班長会修正 案によるロッカー自主管理を決定する。全班賛成によっ て班長会修正案を採択すると、子どもたちは「ウォーッ

!!」と立って拍手し、班長たちは「めちゃくちゃに、近 くの者と握手してはねあがった」(p.184)という。以後 坂本の権威は、単に教師という立場に由来する絶対性を 失い、班長会と共にどちらがより正しく学級集団を把握 し、より豊かに発展させる指導をし得るか、その力量を 競いつつ、指導者として権威を発揮していくことになる。

 このようにして、班長選出から方針で競う係活動への 実践展開によって日本的和の世界を切り開いてきた集団 づくりは、ここに至って権威的な支配とそれへの無条件 的服従という、日本的和の世界①からの離脱に力点がう つり、それが②、③、④へと波及していくように見える。

 すなわち、第1に「教師」という絶対的権威とそれへ

の無条件的服従の隷属性を自覚した班長会は、みずから に集団の意思とちからを結集させ、班の遅れた者をもそ の内部に一員として位置付けながら、学級全体の利益と 誇りを担って存在し始める。その班長会はまた、学級成 員ひとりひとりの内発的な判断によって支えられ、逆に ひとりひとりが判断の責任を自覚することによって、学 級の主導権を班長会に行使させるのである。

 第2に、教師主導の既存秩序に対する班長会の批判と 対決は、安易な妥協を許さない白熱した討議によって、

道徳主義的な集団の和や横暴な教師の指導への忍従を克 服して、現実の変革を志向する。ミスをする人数をめぐ る応酬は、子どもたちに学級の自主管理能力についての 自覚的な認識を迫り、自己管理能力の不十分な者に対す る集団的な援助・指導の課題を明らかにし、その取り組 みを確認させていく。谷口が「佐藤くんがロッカーにし まうとき、僕がついていって指導します」(p.180)とこ たえているように、自己管理能力の不十分さは、恥ずべ きこととして個々人に問われるのではなく、その問題に どう取り組むかという、班と学級の問題として問われて いる。自分にもできると言い切った玲子の発言や、班長 会としての取り組みを表明した加奈子の発言は、そのこ

とをよく示している。

 では、残る日本的和の世界⑤「親分子分的結合への欲 求と、その他の集団(身内でない者)に対する『よそ 者』意識」はどのように組みかえられていくのか。

 すでに教師原案に対抗する中で、各班の利害を越えて 学級集団全体の利害のもとに結集し始めた班長会は、狭 い身内意識を克服し、親分子分的結合の世界を乗り越え つつあるかに見える。しかし一方、ひとたび学級の先進 部分としての班長会から目を離してみれば、そこにはな お強固にボス支配を形成しているグループが存在する。

日本的和の世界⑤の変革は、こうして確立した班長会と ボスグループとの対決を通して行なわれていく。

第5節 ボスゲループに対する追求

 藤永を中心とするボスグループと班長会との対決は、

①暴力事件を契機とするボスグループに対する追求、② 学級行事での文化活動の内容をめぐる、文化的な価値の 争い、の2つの場面によって行なわれている。これらは いずれも、2学期の学級行事である学期じまいの班長会 提案に端を発するものである。

 その日の朝、班長会が小黒板に原案を書き出したとき、

「こんなの、面白かアねえや。この前のようなのがい い」と藤永が難くせをつけ、第1の子分である竹井や取

り巻きたちが「反対!反対!学期じまいなんかぶっつぶ

(8)

せ」と騒ぎ出して、班長たちとのつかみ合いになってし まう。「反対だったら、修正案、出せばいいじゃないの よ」と言う班長(由美)に、「何だ、おまえッ!班長だか らって、いばるなッ。態度が大きいそ」とからんだ藤永 は、「班長会は、バカ豚ばかりのくせに、生意気言う なッ」と由美の胸を突き、押し合いになって小黒板もろ

とも倒れてしまう。

 こうしてその日の朝の会は、はからずも藤永グループ の暴力行為を追求する機運を持つことになる。しかし、

このような偶然の機会は、多くの場合学級集団として立 ち上がることができないために不発に終わり、そのため にむしろ逆にボスグループの強大な力を子どもたちに見 せつけ、暴力支配を黙認し、それに服従するような学級 の雰囲気をつくり出してしまう。rr僕は、暴力はふるっ ていません。ええと、学期じまいのことは言いました。

言いましたよ。そう思ったから、そう言ったんです。

思ったことを言って、どこが悪いんですか!』藤永は、

ふてくされた。(中略)藤永は、谷口をぐっとにらみつ け、ガタンと間のぬけた座り方をした。その、タイミン グをはずした動作に、竹井、野原など8、9人がへっと 歯を出して笑い合った。」(pp.214−215)

 学年No.1のボスとして名高い藤永の態度におじけつい た子どもたちも、坂本の挑発的な指導を契機に、谷口と 可奈子を中心に団結し始め、まず彼らをみんなの前に立 たせることに成功する。一向にたじろぐ様子もなく、暴 力の事実を認めようとしない藤永たちに、追求は一進一 退をくり返すが、「暴力、ふるったじゃないか!」「ふる いません!!」「ふるいました!!」という激しい応酬の中 で、追求する側の勢力が増大してくる。この時、坂本が 具体的に理非を明らかにするために、証拠を出すように 指示。由美の首にミミズばれの傷が見つかり、それを突 きつけられると藤永は、「後ろへ下がりながらコクンと

うなずいた。しかし竹井、木下たちが首をひねった。千 津子『竹井くんも木下くんもみんなやったんだよ。ずる いよ!』」議長が目撃者を求めると「『証人になります』

加奈子がまず立った。そして振り返り 立て立て とい うように手のひらを上にあげた。r私も証人になりま す!』数人立つ。r証人です!!』r私もその時なぐられま した!!』現場に居合わせた者全部(学級の2/3)が立っ た。竹井らは、まぶしいような顔で立っている者を見つ

めた。」(pp.230−231)

 追求は集団の名誉を傷つける者や、利益を踏みにじる 老に対してなされるが、事実の指摘と暴露によって討議 を組み、無関心層をも巻き込んで、やがて最もおとなし く被害に耐えていた者が立ち上がるときに成功するので

あり、集団はその内部の力関係を変革していく。㈹上の 場面に見られるように、追求は追求される側だけでなく、

むしろ追求する側の子どもたちに、集団の誇りと名誉の ために団結し行動することの意味を教えるものであり、

それによって学級の正義と民主主義を確固たるものにし ようとするものである。そのちからを学級集団が獲得し えた時、ボスグループを真に学級の仲間として迎え入れ ることが可能になる。

 こうして、暴力的なボスグループへの服従を、班長会 を中心とする学級集団の団結によって克服していこうと する時、子どもたちはもはや日本的和の世界の住人でい ることはできない。そしてその力を結集して民主主義実 現のために行使する時、日本的和の世界もまた、追求す る側・される側の双方においてより劇的に変革されてい

くと考えられる。この追求の場面では、藤永グループの 親分子分的結合や徒党的な身内意識の変化は必ずしも明 瞭ではないが、これに続くもう一つの実践の場面では、

親分子分的な結合を指摘されている。

 坂本は、暴力問題を真に解決するには、班長会が「バ カ豚」と呼ばれたことの意味を、学級として深く掘り下 げていく必要があると考え、テレビ番組の物まねをやり たがっているボスグループと、これまでの学級の歩みを 父母の前で演じたいと考える班長会との相違を、学級総 会の場に班長会原案とボスグループの修正案との対決と いう構図で組織し、両者を実際にその場で試演させるこ とによって、学級の文化についての価値判断の場を設定

している。

 藤永グループのドタバタ劇のくり返しに飽きてきた子 どもたちは、谷口の「シーン!!」という合図(口を閉ざ して拒否の意思表示)を聞いて、全員が「シーン!!」と 言って静まり返り、出てきた藤永達に一斉挙手。その中 で次のような批判がされている。「加奈子『竹井君や木 下君なんか、バカなんじゃないんですか。藤永くんにう どん粉投げられたり、セキしたり、たたかれたり、奴隷 みたいでした!』(『そうだ!!』強い拍手)木下『でも、

笑わせる劇だから……。みんなが笑っていたからいい。

美江子さんも笑っていました。』美江子、驚いた顔で立 つ。立つ時谷口から 軽蔑、軽蔑 と助言される。美江 子rあれは、軽蔑の笑いです!!』」(pp.246−247)

 坂本の実践記録は、追求と文化的価値の争いをめぐっ て記されているため、藤永グループ内部の具体的な変化 を十分に確認することはできないが、この2つの実践場 面は、学級集団の自治の確立・文化性の錬磨と同時に、

集団づくりがボスグループに顕著な親分子分的な結合と

対抗関係に立ち、その身内意識やよそ者意識も含めて、

(9)

それらの民主的転換を迫るものとして理解されうる可能 性を示している。こうして集団づくりは、強制と服従に よって結合されている関係を、集団自治の確立に伴って 仲間として相互に認め合い、尊重し合う関係へと組みか えつつ、閉鎖的な身内意識を、民主的で共同的な意識へ と転換させる役割を果たすものと考えられるのである。

〈おわりに〉

 以上の考察から一般的な結論を下すことはできないが、

坂本実践の場合⑤学級開きと班長選出→⑤係決定の学級 総会→⑤教師と班長会の主導権争い→⑥ボスグループの 追求、という4つの実践展開場面は、⑤学級生活創造の 意欲と主体性による日本的和の世界への切りこみ→⑤意 欲と主体性の具体化と集団的錬磨による日本的和の世界

②③④の亀裂の深化→⑤教師の権威の相対化による日本 的和の世界の世界①からの離脱と②③④への波及→④ボ スグループの追求による日本的和の世界⑤の組みかえ、

として解釈することができる。

 本稿のこの結論は、一つの仮説的提示以上の意味を持 ち得るものではないが、少なくとも学級の主導権の所在 を指標とした集団づくり実践の発展過程が、同時にまた 日本的和の世界の改変過程として把握し得る可能性を 持っていることは示し得たのではないかと思う。この点 を全生研と集団づくりの形成・発展過程に即して、理論 的にも歴史的にも追求していくことが今後の課題となる。

 一方これまでにも指摘してきたように、集団づくりは 本来、日本的和の世界との対抗を直接的な課題として形 成されたものではない。集団づくりは、そもそも「民主 的社会・集団では、管理・運営に参加する権限はすべて の成員に属し、そのための基礎的諸能力=基礎的統治能 力の獲得は、成員のすべてに保障される」(17}ことが不可 欠でありながら、今日の日本の社会的現実がそのあるべ

き当然の姿からほど遠いことを深く自覚し、それを克服 するための民主的な諸能力の国民的育成を直接の目的と するものであった。その中でも、特に次のような能力の 育成の必要が重要視されている。すなわち、今日まで大 衆に与えられることのなかった民主的諸能力である、

「仲間に働きかけたり組織したりする能力、集団の意思 を形成し行動を統制する能力、集団の見通しを立てたり 総括したりする能力、総じていえば集団を民主的に管理

・運営し、集団のちからを集団の内外に対して行使する

能力」(18》がそれである。

 このように見てくると、集団づくりが日本的和の世界 との対抗的性格を内に含みもちつつも、本来の目的はそ れと異なる論理   現代資本主義国家における労働者

階級の論理を含んで設定されていることが推測されよう。

今日の高度に発達した独占資本主義国家であるわが国に おいて、民主主義実現のための運動と理念が「市民的自 立と社会的・階級的連帯との達成という課題に集約され

る」(19}こと、言いかえれば「近代の原理である市民性を貫 徹することによって近代を超え、現代の原理である階級 性を貫徹することによって現代を超える」(2°)という2つ の課題の同時的進行に求められるとすれば、教育実践と しての集団づくりは、この歴史的課題の実現に寄与しう る可能性を方法技術に内包していると、私は考えるもの

である。

 集団づくりのもつこの2重の側面   それを集団づ くりの対前近代性と対近代性として   特に後者に焦 点を当て、それを集団づくりにおける決定と選出の論理 に即して次章「集団づくりの人民主権的発想」で考察す る。そうしてこそ、集団づくりによる日本的和の世界の 改変過程は、民主的な契約に基づく新たな公共的世界の 創造過程としてとらえ直すことができ、先に述べた2つ の歴史的課題の同時的進行の、学校教育における可能態 を、そこに見い出すことができるだろう。

(1)拙稿「集団づくりと日本的和の世界(1)」東京都立大  学教育学研究室r教育科学研究』第7号、1988年

(2) これについては別稿を用意したい。私は、前稿で検  討対象とした戦前日本における人間形成の主要な場で  ある「家」と「村」は、戦後において、とりわけ高度  経済成長を通じてその座を「企業」と「学校」に奪わ  れたと考えている。したがって日本的和の世界は戦後  においても単純に解消・衰退の道をたどるのではなく、

  家と村 から 企業と学校 への転換に適合的な形  態に改変され、ある面では一層増幅されて今日に至っ  ていると考えている。

(3)前項でも指摘したように、唯一の先行研究としては  川上信夫の『生活指導と集団づくり』があるが、日本  的和の世界の内容説明を、歴史的・社会的な論証抜き  で行なっている点に根本的な難点がある。それゆえ、

 班づくりの論理と日本的和の世界の対抗性に関する考

 察も部分的には興味深い内容を含んでいるが、全体と

 して論述に説得を欠く展開になっている。また、集団

 づくりと日本的精神風土との異質性をしばしば示唆し

 てきた竹内常一は、日本の団体の天皇制的体質として

 以下の3点を指摘したことがあるが、その歴史的・社

 会的根拠は示されていない。①和の精神という言葉に

 見られるような著しい同調的傾向、②誰かわからぬ匿

 名の権威に対する忠誠および権力迎合的傾向、③仲間

(10)

 うちでない者に対する排外性ないし迫害性(竹内r学  級集団づくりの方法と課題』民衆社、1980年pp.107−

 108)日本的精神風土ないし日本的和の世界という用  語は、上記両者以外にも『生活指導』誌上での使用が  見い出されるが、いずれもその体系的説明や客観的論  証がされていないため、示唆的な指摘ないしは断片的  な言及にとどまっており、全生研においてもこの分野  の研究はいまだ未開拓のまま残されている。

(4)全生研常任委員会『学級集団づくり入門第2版』

 1971年、明治図書。

(5)よく知られているように、集団づくりは集団の発展  段階を集団の主導権の所在によって、次の3段階に区  分している。①よりあい的段階……集団が外側のちか  ら、主に教師の権威によって支配され、支えられてい  る段階。②前期的段階……①の段階で生まれ、確かめ  られてきた核(集団の核的存在である生徒)のちから  に支えられている段階。この段階で集団は自主的集団  としての実質を獲得する。③後期的段階……集団の全  成員の団結の力が集団を支えている段階。   学級  集団づくりはこの発展法則に基づいて構想され、班・

 核・討議づくりという3つの方法的側面から構成され  る(詳細は前掲書参照)。集団の主導権の所在による  発展段階区分が、「近代主義」的論理とは異質な独自  の今日的意義を持つことについては、次章で詳しく論  及する。

(6)家本芳郎「主張 内なる『日本人』とたたかおう」

 (r生活指導』第171号、1972年9月)

(7)坂本泰造『学級の主人公はぼくらだ』(明治図書、

 1976年)坂本は本書の主眼を「学級集団づくりにおけ  る教師の指導性」におき、「自治的文化的な、生き生き  した学級集団をつくっていくために、教師は、どのよ  うな見通しで、いつ、どこで、誰に、どう指導し、何  を実現していくのか」(p。1)を詳しく書き込もうと  したと述べている。なお本書は、前進的な集団活動を  学級に持ちこみ、教師みずからその先頭に立って活動  や仕事のもつ前進的で快活な調子を引き出すことにお  いて「感情的な面での学級集団のトーンを見事に切り  かえることに成功している実践」(全生研第17回大会  基調提案、1977年)として評価され、また「さまざま  な個性や能力をもった子どもが登場し、ぶつかりあい

励ましあいながらひとりひとりの子どもが学級の『主  人公』に成長してゆく過程が生き生きと描かれてい  る」(碓井琴夫r教育実践の創造に学ぶ   戦後教育  実践記録史』日本教育新聞社、1982年、p.369)と評  されている。

(8)服部潔、他編『集団づくりによる学級改造』全9冊  の「まえがき」明治図書、1980年。

(9)坂本は担任決定(学級開き3日前)後、学籍簿や身  体検査簿から子どもの各種記録・情報を集め、前担任  や他の教師からの評価も交えて、ひとりひとりの子ど  ものイメージを具体的に把握しようとしている。

⑩ 坂本の学級集団づくりの基本構想と、その中でのう  たこえ係の位置付けについては、『学級の主人公はぼ  くらだ』pp,32−36を、また1年間の実践計画について  は巻末の年間計画表を参照されたい。

⑪ 家本芳郎編r係活動の指導』明治図書、1974年、p.

 57。本書第3章「係活動の指導をどうすすめるか」は、

 坂本泰造の執筆によるものであり、ここで坂本はr学  級の主人公はぼくらだ』のうたこえ係をあぐる学級総  会を具体的事例として、自らが行なった各場面での指  導の目的と方法について、場面を追って詳しく提示し  ている。その意味で、本書は坂本の実践記録を素材と  して教師の指導性を解説した、教師用の指導書でもあ  る。なお、私はかつて、この坂本の実践に多くを学び  ながら、地域子ども学校で小学5年生の学級集団づく  りに取りくんだことがある。(その実践記録は、東京  都立大学山住正己ゼミレポート集『碑』第7号に記

働 全生研常任委員会編『原案づくりと学級総会』明治  図書、1980年、p.29。本書第2章「原案をどうつくる  か」も坂本泰造執筆の部分であり、上記(10)と同様の  性格をもっている。

a$ 前掲『係活動の指導』p.66

a4 竹内常一は集団づくりにおける公と私に関して、集       の

 団の討議による意志決定は「民主的な契約に基づいて  公の世界を確立すること」であり、私的個人としての  子ども把握を前提として、集団づくりは「管理主義と  いう権力的な『公』、つまりr官』にかえて民主的な公  の世界をつくり出そうとする」と述べている。(竹内  r生活指導と教科外教育』民衆社、1980年、p.157、16  0)なお、学級総会では班1票制による採決方法がと  られているが、それは一般の多数決に見られる、数の  力による決定とその決定の無責任性に対する批判を基  礎にしており、特によりあい的段階においては、決定  に際して「集団の意志を結集し、これを集団のちから  として表現していかなければならないこと、しかも、

 その全過程に対して集団は責任を負わなければならな

 いこと   集団で決定することの重み   を徹底

 的に教えることを企図した」(前掲r学級集団づくり

 入門第2版』p.151)ものとされている。ただし、坂本

(11)

 実践では班内の意志決定過程は描かれていない。

ag追求の詳細については、同前pp.166−168

㈹ 特にボスグループに限らず、一般に集団づくりにお  いては、班の共同的な活動と生活を通じて子どもたち  は、「一部の者には『身内』としてなれ合い、他の者は  『他人』として見て関心を示さないという閉鎖的な交  わり方や、自分本位的に利益を追求して『身内』には  甘え、他人には敵対するという利己的な交わり方を克  服していくことを求められる」(竹内、前掲p.164)と  の指摘がある。この身内・他人意識はまた親分子分的  な結合と親和的関係にあり(日本的和の世界⑤)、そ  れはおそらく思春期以降の中学・高校段階で、地下組  織的な非行グループに顕著に現われるのではないかと  思われる。この点、学年や発達段階の異なる実践記録  の比較検討を試みる必要がある。

aの 前掲『学級集団づくり入門第2版』p.26

⑱ 同前p.27

⑲ 吉崎祥司「民主主義と人格形成」『唯物論研究』第2  号、1980年、汐文社p.110

②① 石井伸男「歴史と個人」『現代のための哲学1人間』

 青木書店、1981年、p.188

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