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明治初期の幼稚園論についての研究

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(1)

明治初期の幼稚園論についての研究

(その1)

正 章

 明治5年公布の「学制」は学令前の幼児の保育について規定している。しか し,それは全文109ヵ条中ただ1条の規程「第22章 幼稚小学ハ男女ノ子弟6才 迄ノモノ小学二入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」があるだけであり,かつこの規程が

フラソスの育幼院の規程をただ形骸的に翻訳したものにすぎないとの考察を試        (1)

みたが,必ずしも断定し得るに至っていない。この幼稚小学が今日のいわゆる 幼稚園と同様の内容をもつものであったか,或はイギリス流の幼児学校を範に        (2)

とったものであるかについても,単なる指摘の域を出ていない。

 果してわが国における幼稚園は何処にその範を求めて成立し,また発達の契 機を形作ったのであろうか。従来の保育史研究は,明治9年に創立されたわが

国最初の国立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園の保育内容がフレーベ ルの恩物を重視しており,またそれがフレーベル保育法直伝のドイツ婦人を首 席保母として出発することなどにより,「大体二於テドイツノフレーベルノ法則

        (3)

二拠リタルモノナリ」という性格づけを試みている。たしかに,この時期に おける幼稚園論では,翻訳調のいわゆるフレーベルの恩物論が幼稚園論の全般 を蔽っているようにみえる。ただ,明治14年附属幼稚園の保育内容が改訂さ れ,また明治15年文部省が幼稚園を裕福な家庭の子女だけでなく貧民力役者の 子女のためにも開設したいとの通達を出すなどに至っては,必ずしもさきの翻

     (4)

訳調幼稚園論をもって律することはできないと考えられる。また,ここに見出 されるフレーベルの恩物論は果してドイツにおけるフレーベルの根本思想その ものから展開されてきたものといえるのであろうか。本論は,論究の対象を明

(2)

治14年までの幼稚園論に限定し,かつその幼稚園論が如何なる系路を経,また 何れの国からわが国に移入されたものであるかについて考察することを課題と

したい。

 まつ第1に,この時期における幼稚園論は他の教育問題一般におけると同様 に,先進諸国における幼稚園についての紹介が主要な内容となっている。また,

その発表の形体は,海外視察者による幼稚園についての見聞記的なものと,外 国幼稚園書の翻訳が主なものとなっている。前者には,

 田中不二麿,理事功程全15巻 明治6年  近藤真i琴,子育の巻 明治8年

 目賀田種太郎,セソトルイス府幼稚園明治8年  田中不二麿,米国百年期博覧会教育報告 明治9年  懊国博覧会事務局 懊国博覧会報告書 明治8年

などがあり,後者には,

 桑田親五,幼稚園明治9年  関信三,幼稚園記 明治9年

 東京女子師範学校附属幼稚園,幼稚園恩物図形 明治11年  関信三,幼稚園法二十遊嬉,明治12年

 文部省雑誌・教育雑誌中掲載,諸訳文

などがある。

1 外国幼稚園についての見聞記

 田中不二麿の見聞記外国の幼稚園についての見聞が収録されているものの なかでもっとも古いと思われるものは,田中不二麿の理事功程である。理事功 程は文部大薫田中が明治4年11月岩倉具視全権大使一行に理事官として同行

し,アメリカを始めとしてヨーロッパ諸国を視察し,明治6年3月帰国した後,

参考に供すべきものを上申進呈したところを集録して,同年12月から明治8年 9月までに15冊にまとめて刊行したものである。この一行に課せられた視察廉        (5)

施の細目のなかに,「各国救育諸規則」がか二げられており,官民学校・貿易

(3)

学校・諸芸術学校・病院と並んで「育幼院・体裁現二行ハルル景況トヲ親見,之 ヲ我国二採用シテ施設スベキ方法」を視察してくることを任務としていた。こ れは,「学制」制定以前に,すでに学令前幼児の保育施設について外国にならお

うとするまでに,この分野に対する視野の開かれていたことを示すものともい えよう。しかし,この視察廉施にしたがって行動すべき田中の視察予定項目の なかには,大学・中学校・小学校・女学校・博物館・図書館・病院・貧院・亜       (6)

院・盲院が列挙されてはいるが,育幼院の文字を見出すことはできない。事 実,視察報告の理事功程にも,小学校・中学校・大学・教育財政についての記 述が多く,学令前の幼児教育に関するものは決して多くない,したがって,こ の時期における田中の教育構想のなかには,学令前幼児の保育に関するものは ほとんどなきにひとしいものであったというべきであろう。

 理事功程「仏国」の部の第3冊に,「幼稚学校」のことが,「公私幼稚学校ハ 齢2年ヨリ7年迄ノ稚児ヲ入レ其知識ト身体トニ応ジテ之ヲ教育スル為メニ 設クル者ナリ」という1855年の勅令「公私幼稚学校ノ事」と,1855の決定「公 立幼稚学校内ノ規則」全63章が詳細に記述されているが,これも幼稚学校に対 する積極的な関心からの成果ではなく,仏国学制全般に対する詳細な記述に伴 う偶然の結果にすぎない。スイス,ベルギー,オランダ,デンマーク,ロシヤ の部では学令前の幼児教育についてはいっさいふれておらず,イギリス,ドイ

ツの部が取上げられたものは主として両親ともに労働に従事する幼児のための 託児所的性格の施設に関するものであり,幼稚園についてはドイツにおいて僅       (7)

かのものが開設されているにすぎないことが記されているのみである。

 また,田中が当時におけるアメリカの教育事情によく通じていたものの1人 であったことと,田中自身が言明していることなどによって,明治8年前述の        (8 

附属幼稚園が開設されたとき,その範がアメリカの幼稚園に求められたことが 認められている。しかし,明治8年以前において,田中がアメリカの幼稚園に

ついて詳細な論述を試みたものはなく,この理事功程のなかでもアメリカの部 の本文中には全くふれていない。あえて,幼稚園に関するものを見出そうとす るならば,アメリカの部の巻尾に一覧とされいる「各州学校統計表,1870年」

(4)

のなかに,学令が4才に始まる州と5才に始まる州との区別がなされて,それ によってわが国における学令前の幼児がすでに彼地で教育されているというこ

とを示しているものをあげることができるのみである。

 田中の幼稚園についての論述は,明治11年1月刊行の田中の著作「米国百年 期博覧会教育報告  」のなかに始めて見出される。この書は,明治9年アメ

リカのブイラデルフイアが開かれたアメリカ合衆国独立百年記念万国博覧会で の,教育の部でみた各国出品の展示物から,とくにアメリカの教育についてそ の内容,印象を田中がまとめたものである。そのなかのミゾーリ州の教育事情

についての記述の部には,田中自身がハリス(Harris, W. T.,1835−1909),プ

ロー iBlow, S. E.,1843〜1916)など当時アメリカの幼稚園運動の指導的人物

       (9 と会し,幼稚園の意義について説明を受けたことが記されおり,また別に1章

      (10)

を幼稚園のために設けている。ここでは,幼稚園がフレーベルの精神にもとつ いて,唱歌・体操,恩物などによって幼児を遊嬉させるものであることを認め,

その成果の大きいことを専門家の意見を引用して明らかにしている。その所論 は,当時のわが国の幼稚園手講者関信三にも影響を及ぼしたとも裁られ留  このようにみてくるならば,田中の幼稚園に対する認識は,明治9年末以降

であって,田中自身による述懐の客観性は,伊沢修二の愛知師範学校il鱗蔦幼稚       (12)

園の明治7年開設についての述懐同様必ずしも信頼し得るものとはいえない。

田中のアメリカにおける教育に対する理解は単に彼自身の視察見学旅行による ものにもとつくとは限らない。田中は,明治6年6月から明治11年11刀まで文 部省最高の指導者として当時の教育行政の枢機に参与していたアメリカ人ダヴ ッド・モルレー(Murray, D,1830〜1905)と格別親交があり,彼からアメリカ における幼稚園について何らかの情報を得ていたであろうことは推察される。

しかし,モルレーがわが国の教育について建設的改良方策を公式な文書として 示唆したものといわれる申報には,就学前の幼児教育に関するものはいっさい 認められず,田中がハリスなどからえたすべての公立小学校に幼稚園を附属さ せようとする幼稚園論をもっていたとは考えられない。かくて,明治初年の幼 稚園論のなかで,田中の明治9年におけるアメリカ幼稚園の見聞は,彼の当時

(5)

における行政的立場からも1つの大きな部門をしめるものとなったといえよ

う。

 近藤真琴の見聞記 田中不二磨の見聞記のほか,この時期において外国の就 学前保育施設についての見聞を集録し刊行したものに,近藤真琴の「子育の巻」

がある。これは,明治6年5月から同年11月までオーストリヤの首府ウィーン で開かれた懊国博覧会のなかで,政府派遣事務官近藤真琴が主として幼児教育

      (13)

に関してみてきたところを紹介したものである。しかし,同書の前半に説明さ れている育幼院は,「わつかの乳母にて数十人の子どもを預って終日働らく母 親から足手まといになる乳幼児を保護しようとするものであって,就学前の幼 児教育施設ではない。また同書の後半に博覧会事務官・仏語通弁列品所詰和田 収蔵のドイツでの幼稚園見聞記が集録されているが,その内容は恩物と手技と を中心とする保育が画かれているのみで,フレーベルがMenschenerziehung 1826,Padagogik des Kindergartensなどで明らかにしている幼児教育の基 本理念については一顧も与えられていない。

 近藤は帰国後,この博覧会での育幼院・幼童教育の事などの見聞にもとつい て,彼の主宰する攻玉塾に育幼院を開設しようとした。種々実行上の困難があ

ってその実現をみることはできなかったが,この見聞は後日幼稚園が開設され

       (14)

発達するに当って影響を与えたものと思われる。懊国博覧会の「教育普施ノ方

案報告書」に,

  「該国(筆者註・独逸国)二於ケルヤ童子園ノ設アリテ未ダ就学セザルノ童子ヲ教フ

 其方徒ラニ解シ難キノ文字ヲ以テスルノ旧風ヲ廃シ却テ戯嬉中二在リテ童子ノ心意ヲ

 娯マシメ其間能ク教訓ノ意ヲ偶シテ以テ之ガ天性良知ヲ発揚セシム…・・

 我政府夙二教育ノ緊要ナルヲ解シ文部ノー省ヲ置キテ学制ノ百般ヲ掌ラシメ大中小学  校皆既ニー定ノ制アリ 然リト難モ或ハ実際二適セザルモノアリ 或ハ全ク設立ヲ欠

  クモノアリ……天下万民ヲシテ教育ノ各人二必要ナルヲ解シ其業二応ジテ実用ノ学ヲ

       (15 

 務メシムルヲ以テ主トシ先ツ童子園ヲ設クベシ」

 とあることは,幼児教育施設の必要性を極めて早い時期に政府・世論に提起 したものであり,その影響するところの一端を示すものといえよう。またここ には,換国文部卿から贈られた「独逸国学制論」の訳書が別冊にて刊行され,

(6)

そのなかの幼稚園についての救述には,次の1文の如く,フレーベルの幼児教 育の根本原理の一端が, Menschenerziehung(ここでは,これを「教人論」

と訳していると思われる)にあることを知っているようにうかがわれる。

「童子園ハ学問ヲ教ユルノ地二非ス 唯児子ヲ養育シテ後日就学二適セシムルノ地ト 知ルベシ ソノ年令ノ多少二応スル作業運動ヲ為サシメテ以テ身体ノ勢力健康ヲ起シ 其ノ良否ノ発スルヲ察シテ漸々世間ノ百物ヲ示シ 易ヨリ難二及ヒ浅ヨリ深二入リ 以テ其心術ノ智ヲ長スルナリ 小児ハ自然身ヲ運動セソトスルノ情アルガ故二此天然

ノ情ヲ達セシメンカ為メ去来進退ノ行動ヲ為サシメ 歌吟或ハ楽器ヲ以テソノ節度ヲ 調和ス 歌中ニハ修身ノ意ヲ寓シ小児之ヲ吟スル事久シキニ随ヒ知ラス識ラス記憶二 浸入シテ徳行ノ根子ヲ植ルナリ 「フレーベル」ノ教児ノ為メ発明シタル千方万術モ 要スルニ其主意ハ此大基則二外ナラス 同氏ノ教児法ノ大本ハ小児生育シテ身ヲ動シ 言ヲ発シ事ヲ為スニ至ルニ随ヒ 漸々外二見ル所ノ情意ト好尚トヲ熟察スルニ在リ 同氏ノ著述セル「教人論」中二云フアリ 天然ノ感覚ハ泉ノ始メテ達スル如ク 其力 活溌ナレバ之二杵フベカラズ宜ク之ヲ利用スベシ故二善ク之ヲ観察引導シ之ヲシ       (16)

テ乾澗スルニ至ラシムペカラズ」

 しかし,ここでも,フレーベルの恩物,手技の使用が幼稚園における保育内

      (17)

容の主たるものである如き指摘があり,それが

  Kommt, Lasst uns unsern Kindern leben!Ein Ganzes von Spiel−und BeschAf−

 tigungskasten fUr Kindheit und Jugend. Zur Pflege des Famielienlebens durch  Pflege des Kindertuns und des Beschtiftigungstriebes der Jugend. Gar hoher Sinn

      (18)

 Iiegt oft im kindischen Spiel,

 というフレーベルの厳密な恩物理論にもとつくことは問われないまXとなっ ている。ただ,もしフレーベルの根本思想を明らかにしようとすれば,それを 求めるためフレーベル自身の著作にふれ得ることを知っていたことは見逃し得 ない重大なことがらと思われる。

 目賀田種太郎の監督雑報 明治8年7月在米留学生の監督としてアメリカに 派遣されていた目賀田種太郎は,アメリカの教育事情やアメリカにおいて発表

されている教育論文の内容を文部省に紹介しているが,明治11年1月29日付教 育雑誌に「セントスイス府幼稚園」と題して,次のような紹介文(全文)を郵

送により掲載している。

(7)

 「幼稚園ヲ設立シテ公学ノ基礎トスルニ妨碍ヲナスモノハ其費ノ大ナルニアリト錐セ  ソトルイス府ニテハ教員等ノ篤志二因テ此妨碍ナク幼稚園ヲ盛ニスルヲ得タリ 今ヲ

 距ル4年前幼稚園教科二精達セル1女教員無給ニテ若干ノ少婦二該科ヲ教へ 又同府  ノ公学ニテ幼稚園ノ教科ヲ施セシガ大二其効アリテ1874年ノ秋又2校ヲ開設シ現今府  中二該科ヲ教フルノ公学校ニシテ生徒ノ全数1300人二上レリ 此諸校々長ノ給料ハ1

 ケ年500ドルナリト錐其教員100名ハ右教科演習志願或ハ篤志ヲ以テ全ク無給=テ教授

 セリ

  然レトモ校費亦寡シトセザレバ之ヲ維持スルノ方法按ゼザル可ラズ 因テ其謝金ヲ

 払ヒ得ルノ両親ヨリ各生毎期1ドルノ教料ヲ納メシニ此法頗ル其宜ヲアラバセリ 同

 府督学ハルリス氏ノ報告二相当ノ教員ヲ用ヒ幼稚園ヲ設立セバ其成果ハ幼児ノ健康ヲ  保全シ 精神ヲ敏捷ニシ手ノ用法ヲ善良ニシ測定力ヲ快速ニシ及善良ナル行状ヲ見ル  ニ至ルト云ヘリ

  同府公学局二於テモ此成果ヲ最賞讃セリ 而シテ公学二該科ノ盛二行ハルルハ他府

 ノ未ダ及ブ所ニアラザルナリ 是皆前二記セル女教員ブロー氏ノ功労二依ル 其府ハ  ルリス氏二告グル報二同府二於ケル「ヘレス」校ハ最モ久シキ間該科ヲ試ミシ処ニシ  テ 此校ヨリ他ノ公学二入ル幼児ヲ見ルニ何レモ校則二傾順シテ善良敏捷ノ生徒タリ  又算術・図引・天然学二秀ツト云ヘリ・…

  斯ノ如ク幼児二其心思ノ善良健康無病・慣習二規矩アルヲ致サシムルハ「フレーベ

 ル」法ノ幼稚園ヲ以テ最良トスト云フ

  今セソトルイス・例二随ヒ・レ・他府・公rt,;伝播セハ其献ナラント聞ケリ幼

 稚園ハ善キ社会ノ種ヲ登ラス所ナリト云フベシ」

 ここにおいても,当時のアメリカにおける幼稚園の実際がブロー派のフレー ベル主義によって特色づけられていることを知ることができ,その影響をわが 国の幼稚園が受けたであろうことが理解される。

 以上,今日までに把握された,明治初期における外国の幼稚園についての主 要な見聞記を一瞥する場合,簡詳の別はあるが主要な欧米各国の学令前の幼児 保育施設についての一応の知識のえられていたこと,そのなかでアメリカの幼 稚園に関するものが他国のそれに関するものより詳細にわたっていたことを明

らかにすることができた。

2 外国幼稚園書の翻訳

この時期における外国幼稚園書のうち翻訳された主要なものは,さきにかか

(8)

げた如くである。これらは何れも単行本としての体裁を整えたものであるが,

それ以前およびそれらと同じ時期に,外国幼稚園書の紹介が少なからず訳文と して印刷されている。「内外教育二関スル方法,論説等ヲ輯メテ刷出スルモノ」

として文部省から刊行されていた文部省雑誌,教育雑誌のなかに,外国教育書 の抄訳による外国教育事情の紹介が試みられているが,外国幼稚園に関する外 国書からの紹介文を一覧にすれぼ次の如くである。

 文部省雑誌掲載のもの

1. 明治7年12.月28日

2.明治8年2月14日

教育雑誌掲載のもの

345ρ0

明治9年5月15日 同      上 同      上

明治10年1月20日

7. 明治10年3月10日 8. 明治10年3月27日

9. 明治10年6月30日

10.明治10年11月10日

11.明治11年2月21日

12.明治11年9月30日

13.明治11年12月27日

14.明治11年12月27日

15,明治12年10月20日

   (20)

幼稚園ノ説米国教育寮年報書抄訳第27号

幼稚園・児童看護舎・幼稚学舎,独乙教育書摘訳 第3号

ドウアイ氏幼稚園論ノ概旨,中村正直訳稿 第4号

フレーベル氏幼稚園論ノ概旨,中村正直訳稿 第4号 幼稚園ノ要用ヲ論ズ 服部一三誌 第4号

教育トハ何ヲ謂フカノ問(イ・ステイゼル氏著述「幼稚園教 育初歩」抄訳)米国教育雑誌抄,江木高遠訳 第24号

幼稚園,独逸教育書抄,近藤鎮三訳 第29号

教師二緊要ナル性質,米国ヘンリー・バーナルド氏学校論抄 江木高遠訳 第31号

比利時国安都厄比府府幼稚院ノ景況,米国スクール・ボード

・コnニクル号新誌抄,今村忠成訳 第37号

手ノ使用及遊戯ノ論,マリパプカル・パンチエー女著 仏国 教師必携抄,小野清照訳 第48号

遊戯ノ性質ヲ論ズ ヰルセム・チイ・ハルス氏ノ説,米国新 英倫教育新誌抄,海老名晋訳 第58号

巴里府万国博覧会教育会議問題(第2部・幼稚ノ教育法及保

健法)仏国駐在文部大書記官九鬼隆一申報二係ル 第78号 仏国丈学博士 大学助教大学区名誉監督 アソリヨ氏教育新 聞紙抄訳 九鬼隆一申報二係ル 第86号

幼稚園ハ理学技芸,其他百般事業ノ初歩タルヲ論ズ,ルイス ヴイル府 セラー・エス・ヒギンス女述 多久乾一郎訳 第 幼稚園ノ賞罰法ヲ論ズ,幼稚園監察論抄,シユプロウ・ルメ ルシエー氏述,伊東平蔵訳 第108号

86号

(9)

 今は,それぞれの内容を詳論することをさけるが,ただこれらの紹介文中第 1のものは,エリザベス・ピーボデイ(Peabody, E,)のものを訳したもので,

幼稚園の大旨が3つに要約され,また幼稚園の日課が例示されておるなどから みるとき,さきの附属幼稚園の開設に当って直接参考となったとものとも考え られる。また,これらの紹介文中ドイツ語による書物からの翻訳は第2と第7 との2つのみであり,かつ第2のものは幼稚園という見出しがあるだけで内容 の説明は一一語も存しない。この一覧によっても,そのほとんどすべてがアメリ カの書物によるものであって,フランス語による書物のものがこれに次いでい

ることが明らかである。

 次に,単行本としての翻訳書中最初のものは,明治9年1月上巻刊行の桑田 親五訳「幼稚園」である。この書の構成の概略については倉橋惣三らの「日本 幼稚園史」にふれられている。しかし,その書の原典が何であるかについては,

      (21)

ただ「英国ロンゲ氏著せる英国幼稚園と題する英文の書」と記してあるのみで,

明らかにされていない。この書の原典は,当時アメリカにおいても数多くなが        (22)

った幼稚園書のなかで,注目されるべき4つのなかの1つにあげられていたロ ンジ夫妻共著の次の書物である。

  Johann and Bertha Ronge, A Practical Guide to the English Kindergarten  (Children/s garden), for the use of Mothers, Governeses, and Infant Teachers:

 being An exposition of Fr6bel s system of Infant training:accompanied by a  variety of Instructive and Amusing games, and industrial and gymnastic exercises,

 also numerous songs set to music, and arranged for the exercises,

 単に「幼稚園案内」とせず,煩項な説明文を表題に附していることによって,

原典は,との書物がフレーベルの幼児教育の真精神をもって家庭教育と保育と を改革しようとすることを明らかにしていた。にもかXわらず,訳書はこうし た説明文をすべて省略し,のみならず,その序文においても,そうした趣旨を 明らかにしたところを削除し,この書物をもっぱら既成もしくは開設される幼       (23)

稚園教師用の参考書のみにとどまらせようとしている如くである。

 この点に関して,倉橋惣三らの前述の文献は重大な誤まりをおかしている。

(10)

すなわち,倉橋らは,「幼稚園」上巻の総論の部を

 「訳者桑田氏の幼児教育についての意見であって,……総論は訳文ではな く,全く桑田氏の意図から出たもので,当時に於てかうした訳書をなす程の識        (24)

者として,氏独持の意見があらはれている」としているが,総論の部は原典の Introductionとほぼ同文であって,訳文といわねばならない。参考のため,

その冒頭の文を掲載すれば,訳文,原典は次の如くである。

 訳書,「古より6才以上の幼童を教へ育つる方法に於ては代々に意を用いさせられ,

殊に御一新以来其道大いに開け学校の設盛にして,かくの文明の世とは成りたれど

も,5才以下の幼稚き時に其能力を導く方法に於てはなおいまだ備らず,人の幼き時 は事物に感ずる事深き故にすべて見聞くことも心に止りてながく忘れぬものなれば,

其6才以上になるを待ちて始めて教うるよりは其最も幼き時より教うるを以て大に効

ありとす 今世上の母乳母などの子を遊ばするを見るに,其室には学問の助となるよ

うに道理をこめたる器もなくして 只商売に用いる物か或は既に形の成り上りたる玩 器等を授くるのみなれば いかで其子の智を開くことを得んや 是誠に惜むべし よ

りて今世上の稚児を何もみな同じく接遇て其智を開かしむる方法をここに示さむと

す」

 原典

 Infant Training has been, until now, less cultivated than School Education;

and the civilizatuin of our century, so mnch praised, hat not yet paid that

attention to this subject which is needed, if we would fulfil sincerely our duty to

our children and the rising generation. The more tender the age of children the more importomt is their development, because impressions are then more deep and lastlng. Mothers has been left without the assistance of science in their nurseries, and have been compelled to accept such playthings as accident and trade have afforded, without any principle and organization. Indeed, look into the nurseries and see how the children are generally treated!

 「幼稚園」についで刊行された翻訳書は関信三訳の「幼稚園記」である。こ の書の原典がDouaiとMiss Peabody両人の著書であることは倉橋らの指摘 する如くである。すなわち,「幼稚園記」の第1巻から第3巻までは,

  Douai, Adolf, The Kindergarten. A Manual for the Introduction of Fr6bel/s

 System of Primary Educatien into Public Schools;and for the Use of Mothers

 and Private Teachers,1872.

(11)

 の訳であり,第4巻(附録)は,

 Miss Peabody, Kindergarten Guide,

 の訳のように思われる。これら両著は何れもRonge夫妻の前著同様当時の アメリカの幼稚園界において注目されていたことが指摘されている。後述する 如く,当時すでに他に多くのアメリカ書が入手されていたにもかかわらず,

とくにえらんで,アメリカにおいて珍重されていたと思われる著書が訳されて いることは,更に一考を要すると思われる。何故ならば,この時期に紹介され た外国の教育関係書の多くは,単に語学に堪能なひとがその書物のもつ価値如        (26)

何を吟味することなく,無批判に直訳されていたといわれているからである。

幼稚園書に関する限り,何らかの選書が行われたのであろうか。もし,訳すべ き原典を選択したとするならば,その衝に当ったひとは誰であろうか。

 第3に,明治11年11月刊行の東京女子師範学校附属幼稚園製造の「幼稚園恩 物図形」は,士太牙氏著となっている。これは,フレーベルの恩物を図形は,

士太牙氏,サイデル氏,スミッド氏,ゴリトアマ,ウヰーブ氏などの人名をあ       (27)

げて,それぞれのひとの創案したものを集大成したもののようにみられる。士 太牙氏は,19世紀後半におけるアメリカでの幼稚園の発達のために,幼稚園書 を出版するよう尽力した功労者E. Steigerであり,ニユーヨークに居住して,

当時すでに,Knidergarten Gifts and Occupation Materialとして,第1恩 物から第20恩物までを製造し,その使用書とともに販売していたもののようで

 (28)

ある。サイデル氏,スミッド氏,ゴリトアヌの各々の労作の内容は明らかで ないが,ウヰーブ氏は彼自身恩物の使用法を図解した次の著書を公刊してい

る。

  Wiebe E, The Paradise of chil dhood:amanual for self−instruction in Frie−

 drich Fr6bel s educational Principles, and a practical Guide to Kinder−Gartners.

 with seventy−four plates of illustrations,1869.

 かくて,「幼稚園恩物図形」はすべてアメリカにおいて用いられている恩物 図形についてのアメリカ書からの翻案というべきものであろう。

 最後に,明治12年3月刊行の関信三纂輯の「幼稚園二十遊嬉」は,「幼稚園

(12)

恩物図形」と同様に,1外国書の翻訳書とは必ずしも確定できない。海後宗臣       (29)

も「如何なる原本によったか今明かではない」と述べてはいるが,おそらく英 語本の原本を訳述したものと思われると指摘している。海後氏はこのことの根 拠として,「当時幼稚園の参考書となっていたロンドソのフレーベル協会長エ

ミリー・シレフ氏の著はした幼稚園論(Essays and Lectures of the Kinde−

rgarten:Principles of Frbbel!s System,1883)」の附録に集録されているフ

レーベル恩物の目録とその説明のための図が,幼稚園法二十遊嬉の図と極めて

       (30)

類似していることをあげている。しかし,幼稚園法二十遊嬉の図と類似してい る図は,Schirrefの著書よりも9年前に刊行されている,

  Payne,エ, Fr6bel and the Kindergarten System of Elementary Education;A  lecture delivered at the college of preceptors at London, on the 25 th of February,

 1874.

の末尾に集録されている,

 An illustrated catalogue of kindergarten gifts and occupational material

のなかにも見出される。かつ,恩物の使用法についての説明も,例えば,第1 恩物6球法について「幼稚園法二十遊嬉」は,

 「幼稚のこの恩物を玩弄とき各球の彩色を見わけしめ,或は其釣紐にて之を 彼処此処とゆり動かして前後左右上下の方向を示し,且つこの遊嬉法に依て手

      (31)

や腕の運動を練習せしむ」

 とあるのは,Payneの前著に,

  The First Gift. For the youngest children:Six soft Balls of various colors.

 Aim:to teach color(Primary−red, blue, yellow−and secondary or mixed−green,

 violet, orenge)and direction (forward and backward, right and left, up and

       (32)

 down);to train the eye;to exercise the hands, arms, and feet in various plays.

 とあるのとほぼ同様であり,また関信三自身の筆になると思われる同書の

「総論」中には,

  「合衆国ノ幼稚園主唱者ペイソ氏曽テ日ク 布列別(フレベル)氏ハ幼稚ノ能力及  ヒ気力二於テ世人ノ微弱ニシテ用ルニ足ラスト度外視シテ省セサルモノヲ特二必要ナ  ル有為物ト転用シ且ツ幼稚ノ天然自由ノ精神ヲ膏二強圧セサルノミナラス却テ其自由

(13)

      (33)

 精神ヲ開誘シ以テ教育上ノ要具タラシメ遂二其目的ヲ達スルノ大教育者ナリト」

 と,Payneの論説から影響を受けていることを明らかにしている。これによ って「幼稚園二十遊嬉」の出典を推論するならば,Payne:の前書を出版し,多

くのSteiger!s Kindergarten Seriesを刊行していたニユーヨークのSteiger からの恩物書のなかに,見出し得ると思われる。

 以上,この時期における外国幼稚園書の翻訳書4点について,その原典が何 であるかを考察してきた。その何れもが,たとえ出版がイギリスでのものであ

っても,一一ixにアメリカにおいて当時注目されていたと思われる幼稚園であっ たことが明らかとなった。また,これら4点の翻訳書中2点の訳者関信三は,

明治5年9月から同7年はじめまで西欧視察の仏教団体の1員として欧米を旅

 (34)

行し,帰国後は当時稀な語学の達人として東京女子師範学校英語教師として採・

        (35)

用されたひとである。明治9年11月東京女子師範学校に附属幼稚園が開設され るとともに初代監事(園長)となったが,それ以前就中洋行中果して欧米の幼 児教育について学び見識を広めたかどうか,また何故に初代園長に任命された か,その事情を詳細にすることはできない。ただ,関がその堪能な英語の読解 力によって,幼稚園についての英語書を次々と読み,とくにアメリカの幼稚園 についての文献から多くのことを学んだことが想像される。明治11年12月,

「幼稚園創立法」と題した小論中に,E. Steigerの「販売書i籍中最モ要用ナル モノヲ抜記シ且ツ其書目ヲ直訳シ併セテ著述者及ビ其定価ヲ示シ以テ本邦幼稚 園創立者参観ノ便二供ス」と述べたものは,次の如くであって,そのすべては

英語書である。

◎キンドルガーテソ 幼稚園 ダウエイ氏著 幼稚園記ノ原本

 フレベルス・キソドルガーテン・オッキュペーショソス・布列別法幼稚園課・ダウ  エイ氏著

◎キンドルガーテン・カルチュール 幼稚園養育法 へP・ルマン氏著

◎キンドルガーテソ・トーイス 幼稚園玩器 ホッフマソ氏著

 キソドルガーテソ・ガイド 幼稚園案内 クロー一スベルト氏及ジョン・クロース氏  同著

 ライムス・エソド・テールス 試賦及小説 クリーガ氏著

(14)

 チャイルド 幼稚説 クリーガ氏著

 ライフ・オブ・フレベル 布列別伝 クリーガ氏著

 キンドルガーテン・ガイド 幼稚園案内 マーン女及ピ・一ボデイ女氏同著

◎プレイス・フオワ・ゼ・キソドルガーテン 幼稚園用遊嬉 ノア氏著

◎キンドルガーテソ・システム 幼稚園法制 ペーン氏著

 サェソス・エソド・アート・オフ・エヂュケーショソ 教育芸学 ペーン氏著  エヂュケーショソ・オフ・ゼ・キンドルガーテソ 幼稚園教育 ピP−一ボデイ女氏著  エヂュケーション・オフ・ゼ・ノ・一ルスリー 育嬰房教育 ピーボデイ女氏著  プレイス・エンド・ソングス 遊嬉及謡歌 ピーボデイ女氏著

◎イソグリシ・キソドルガーテン 英国幼稚園 ジョハネス氏及ベルサ・ロソジ氏同

 著

◎パラダイス・オフ・チャイルドフード 幼令学園 ウヰーブ氏著

 ヒソツ・ヲン・イソトローヂウシング・オフ・キソドルガーテソ・システム 幼稚

 園法制普及説 ベイレe−一 tc著

 ポピュラル・テールス 通俗小説 グリス氏著

 ミL一ジック・フォワ・ゼ・キソドルガーテン 幼稚園用楽譜 ヒヤウヲルド氏著

 キソドルガーテン・メッセソジェル 幼稚園報信者 ピーボデイ女氏著

 ハウ・ツー・トレイソ・ヤソグ・アイス・エソド・イヤルス 幼稚耳目練習如何  ロツス氏著

◎クレイム・オフ・フレベル・システム 布列別法制要問 セレフ氏著  インプルーブメソト・オフ・ゼ・センセス 諸官進歩

 シッキスチー・キソドルガーテン・ソソグス・エンド・ゲームス 幼稚園用60謡歌  及遊戯 ベーレー女氏及ミカエル女氏同著

 ヘソドブック・フォワ・チーチョル・オフ・インフワント・スクール 幼稚学校教  師用袖珍書

 レミニセンセス・オフ・フレベル 布列別記念録 マーン女氏及ピーボデイ女氏同  著

 上記書名の左に◎印を附してあるものは,この論文が発表されたときすでに

       (37)

国内にその原典そのものが移入されていたものである。しかし,果して当時,

わが国に入ってきていた外国幼稚園書は,英語書のみに限られていたのであろ うか。ドイツ語書・フランス語書からの翻訳書は見出せないが,ドイツ語・フ ラソス語による原典が1冊もわが国には入っていなかったと断言できるとは限 らない。わたしは偶然の機会に,この当時,英語書よりもドイツ語書に多くの

(15)

幼稚園,フレーベルに関する文献がわが国に入っていたことを発見し得た。

3 翻訳されなかった外国語幼稚園書

 国立国会図書館蔵書中,幼稚園に関する外国書でこの時期に入手されていた と思われるものが82点である。その内訳を,英語書・ドイツ語書・フランス語 書によって分類すれば,ドイツ語書が全体の約65%を占めてもっとも多く,英 語書がこれにつぎ,フランス語書は僅かではあるが入手されている。また,こ れらの書物が何時購入されたものであるか,その購入時期を,各書物中に捺印 されている公印によって検討し,判明したところによって分類すれば,明治10 年代のものがもつとも多く,明治12年代のものがこれにつぎ,明治13年代,明 治14年代のものは各1,2冊となっている。捺印によってその購入時期が判明

しないが,原典が明治14年(1881年)以前に刊行されており,あるいは明治14 年までに購入されたのではないかと思われるものが11冊ある。これらの分類を 一覧にすれば次の表の如くである。

嬬劃独語劃仏塾

明治10年代購入のもの

明治12年代購入のもの

明治13年代購入のもの

明治14年代購入のもの

購入年は判明しないが,出版年 が明治14年以前のもの

冊     10

数 46 0 56

番号 ・〜・・23〜681

冊数

6 2 4 12

糞・・一・669−7・77−8・t

冊数

0

1

0

1

番号

71

冊数

2 0 0 2

番    17〜18 号

冊数

4 5 2 11

番    19〜22    72〜76

81〜82

冊数 22 54

6

82

また82冊の著者,書名,発行年を,書かれている言葉,購入時期によって分

(16)

類し列挙すれば,下の「明治初年購入外国幼稚園書目録」の如くである。表中 各購入年欄の番号欄には,目録中各書物に附してある1連番号の号数を示すi数

が記されている。

 これの書物によって一瞥すれぽ,この時期にすでにきわめて多くのドイツ語 による幼稚園書がわが国に入っていたことが明らかである。とくに,Langeの

フレーベル全集2冊が購入されており,フレーベルの Die Padagogik des

Kindergartens, Gedanken Fr6bel!s Uber das Spiel und Spielgegenstande

des Kindes もドイツ語原典から直接理解できる状態におかれていたというこ とができる。にもかかわらず,翻訳された外国幼稚園のすべてが英語書に限ら れていたことは,さきにもふれた当時の幼稚園界の指導者関信三が,英語には通 じていたがドイツ語に明るくなかったことに,その一因が横わっているように 思われる。また,この時期に購入されたドイツ語の幼稚園書も必ずしもドイツ 国から直接購入したものではなく,むしろアメリカにおいて印刷され,販売さ れていたものをアメリカから購入したものと思われる。しかし,このことは,

ここに一覧とした書名中ドイツ語のもの54冊中42冊が,さきに記したPayne の文献末尾のKindergarten Literature中にかかげられており,かつそれらの 文献がニユーヨークのESteigerから出版されていることからの推論にすぎ ない。誰が,如何なる動機からこれらの書物をわが国にもたらしたか。こうし たことの解明は,何故このときフレーベルの, Mutter und Koselieder・・Die Menschenerziehung カミ入手されなかったかをただし,かつそのことから,当 時におけるわが国のフレーベル主義ないしフレーベルの恩物論の特長を明確に する一一助ともなり得ると思われる。また,このためには,当時におする外国と

くにアメリカ以外の幼児教育施設の保育の実際と幼児教育論をアメリカのそれ らと比較し,幼児教育を教育機関として受入れる場合の社会的基盤についての 考察が必要であろう。これらについて次の機会に論究することとしたい。

       明治初年購入外国幼稚園書目録

1 英語書

        (38)

 。明治10年公布のもの

(17)

1

2

3456

789

 10.

o明治12年公布のもの

11.

12.

13.

14.

15.

16.

Beale, A。 C,, Fr6bel reading primer;or, Reading on natural principles for kindergarten and infant schools.1886.

Douai, A., Kindergarten;manual for the instruction of Fr6bel/s system of primary education.1872.

Hailman, W. W., Kindergarten culture in the family and kindergarten.1873.

Hoffmann, A., Kindergarten toys and how to use them.1874.

AKindergartner, Play and songs for kindergarten and family,1874.

Mann, mrs. H. and Elizabeth P. Peaboody, Moral culture of infancy and kindergarten guide, with music for the plays,1876.

Noa, miss Henrietta, Plays for the kindergarten,1873.

Wiebe, E, Paradise of childhood:practical guide to kindergartners.

Borschitzky, J. F., Kindergarten−Lieder with german and english words,

Peabody, E. P., Lectures on the nursery and kindergarten,1875.

Guany, Kindergarten Practice, Part 1. Fr6bel s first gifts,1877.

Heerwart, E., Easy course of drawing for use in the kindergarten,1878.

Hughes, J., Kindergarten, its place and purpose,1877.

Kraus−Boelte, M., Kindergarten and mission of woman,1877.

Payne,]., Fr6bel and kindergarten system of elementary edre.cation,1874.

Shirreff, miss. E., Claim of Fr6bel s system to be called new education,1877.

o明治14年公布のもの

 17.Lawrie, J. S., Kindergarten manual of Fr6bel!s method of training children

   from 3 to 7 years of age,?

 18.Ronge, J., Practical guide to english kindergarten,1877.

o入手時期は判明しないが,出版年が明治14年以前のもの

 19.?,Kirdergarten engrafted on the american public school system,1877.

20.Manning, E. A., Kindergarten training,1876.

21.?,Kindergarten Gifts and occupational material,1874.

22.United States Bureau of Education, The Kindergarten,

   ation,1872.

  ドイツ語書

its circular of inform.

o明治10年交付のもの

 23.Altrmtiller, E., BIUthen aus dem Garten der Kindheit, Uber Entwicklung     der Seele des Kindes,1867.

  24.Barth, E., Bilder aus den Kindergarten fUr MUtter und Erziehe血nen,1873.

(18)

      ■

33.Derselbe, Fr. Fr6bel/s Beschtiftigungen fUr das vorschulpflichtige Alter,1874.

      

34.Derselbe, Uber BegrUndung, Einrichtung und Verwaltung ron Kinderg翫ten,

   1873.

       り 

35.Derselbe, Uber Fr. FrObel〆s Erziehungsweise,1866.

36.Grossmanl1, J, Das Fr6bel/sche Erziehungssystem auf der Basis mathematischer    Grundformen,1873.

37.Gruber, J., Die P銭dagogik des Kindergartens und der Bewahranstalt,1873,

38.Hanschmann, A. B., Das System des Kindergartens nach Fr6bel,1874.

39。Hoffmann, A., Vortrag lider Fr6bel/sche Kindergarten, ihre erziehliche und

   sittlich−religi6se Bedeutung,1874.

40,Hoffmann, P. E. L., Der Kindergarten in der Familie nach dem Fr6bel/schen    System,1867.      

41.Jilling, L, Die organische Verbindung des Kindergartens mit der Schule,

   1875.

42.Issing, L. Volkskindergarten oder Bewahanstalt?,1876.

43.K6hler, A., Die Bewegungsspiele des Kindergartens, nebst einem Anfange    von Ball−, Kugel und Baulindern,1875.

44.Derselbe, Der Kindergarten in seinem Wesen dargestellt,1868.

45.Derselbe, Die Praxis des Kindergartens, theoretisch−praktische Anleitung zum    Gebrauche der Fr6bel/schen Erziehungs−und Bildungsmittel in Haus, Kinderg−

   arten und Schule,1874.

25,Breymann, H., Die Grundz廿ge der Ideen Fr. FrQbel s angewendet auf Kinde.

   rstufe und Kindergarten,1872.

26.B廿hlmann, J., Friedrich Fr6bel und der Kindergarten f廿r Eltern, Kinderfre−

   unde und Lehrer,1871.

27.D/Gers, von, Der Kinder−Adovokat,1868.

28.Fischer, A.S., Anregung zur Errichtung eines Bildungskurses f廿r Gefilfinnen    an Bewahranstalten, Bonnen und Kindermtidchen,1868.

29.Derselbe, Der Kindergarten, threoretisch−praktisches Handbuch,1873.

30.F61sing J・, Zur Reform der Kleinkinderschule, Beiblatter zu den Erziehungs

   stoffen, 1861.

31.Fr6be1, Fr., Friedrich Fr6be1 s Kindergarten, Ein Weihnachtsangcdinde f廿r    gebildete Frauen,1860.

32.Goldmann, H., Der Kindergarten, Handbuch der Fr6】elichcn Erziehungsme−

  thode, Spielgaben and Besch琶ftigungen,1874

(19)

46.Derselbe, Die neue Erziehung, Grundz廿ge der p聾dagogischen Ideen Fr6bel s    und deren Anwendung in Familie, Kindergarten und Schule,1874.

47.Derselbe, Die Bewegungsspiele des Kindergartens,1872.

48.Derselbe, Das Fr6bel/sche Tafelblatt als Anschaungs・−und Verste}lungsmittel

   f茸r die SchUler der beiden ersten Schuljtihre,1872.

49.Lange., W., Friedrich Fr6bel/s gesammelte Ptidagogische Schriften,1862.

50.Lange, W., Wilhelm Middendorff臼ber die Kindergtirten,1861.

51.Loehe, W., Von Kleinkinderschulen, ein Dictat fUr die Diaconissensch廿1eri,

   nnen von Neuendettelsau,1868.

52.Marenholz Btilow, B, v,, Die Arbeit und die neue Erziehung nach Fr6bePs    Methode,1875.

53.Morgenstern, L., Der Kindergarten und die Schule und in welcher Weise ist    die organische Verbindung zwischen beiden herzustellel1?1874.

54.Derselbe, Das Paradies der Kindheit, eine AusfUhrliche Anleitung ftir MUtter    und Erzieherinnen. Friedrich Fr6bel s Spie1−Beschtiftgungen in Haus und    Kindergarten,1871.

55.Naveau, Th., Erztihl−Buch fUr Haus und Kindergarten,1860.

56.Derselbe, Der Kindergarten und seine Erziehungsmittel fUr Jedermann fasslich

   dargestelle,1868.

57.Derselbe, Spiele, Lieder und Verse ftir Kindergarten, Elementarclasse und   Familie,1873.

58.

59.

   Derselbe, Die Kindergarten,1hre Ursprung und Wesen,1871.

   Piepenberger, H., Die Fr6be1/schen Kindergtirten, drei Vortrtige, gehalten im    ptidagogischen Verein zu schwerin,1870.

60.P6scbe, H., Friedrich Frδbel s entwickelnd−erziehende Menschenbildung als    System,1862.

61.Derselbe, Friedrich Fr6bel/s entwickelnd−erziehende Menschenbildung,2Bde,

   1859−60.

62.Rotter, R., Die Bildung von Kindergtirtnerinnen,1876.

63.Seidel, Fr., Katechismus der Kindergtirtnerei,1875.

64.Seyd1er, R.0., Die Mittel der Kindergarten−Erziehung, Zweck, Bedeutung    und Anmerkung desselben,1867.

65.Steinacker, E., Friedrich Fr6bel und der Volkskindergarten,1872.

66.Wellaner, J., Vber Kleinkindererziehung, mit besonderer Rticksicht auf die

   Fr6bel/schen Kindergarten und Anwendung im St. Gallischen Waisenhause,

(20)

    1869.

67.Wiebe, E., Wesen und Wirksamkeit des Kindergartens,1872.

68.Wiedemann, G., Kindergarten, ein BedUrfniss der Gegenwart,1868.

o明治12年公布のもの

 69.Hunter, Thomas, Kindergarten in Amerika, Entstehung, Wesen, Bedeutung     und Erziehungsmittel des Fr6bel schen System und seine Anwendung auf     hiesige Verhaltnisse,1872.

 70.Reffelt, H., Die Einordnung des Kindergartens in das Schulwesen der Gem−

    einde nach H. Goldammer mit RUcksicht auf Amerikanische Verhtiltnisse

    dargestellt,1874.

o明治13年公布のもの

 71.Schmid, Ein Kindergartchen,?.

c入手時期は判明しないが,出版年が明治14年以前のもの

 72.Goldmanner, H., Kindergarten und die Bedeutung des kindlichen Spiels von     B,v. Malenholz−BUIow,1869.

皿  フランス…翫童

o明治12年公布のもの

77.Mme Fanny Ch, Delon, Exercices et travaux pour les enfants selon la methode

    et les proc6d6s de Pestalozzi et de Fr6bel,1873.

78.Pape−Carpanter, Mme., Conseils sur la direction des salles d asile,1872.

79.Pape−Carpanter, Mme., Enseignement pratique dans les salles d asile,1877.

 80.Rendu, E., Guide des salles d asile,1860.

。入手時期は判明しないが出版年が明治14年以前のもの

81.Montermault, Mme., Nouveau manual des Comit6s locaux de patronage et

    directrices des salles d!asile,1876.

82.Journal des salles d/asile, Ami de 1!enfance,1860.

73.Malenholz−Btilow, B. v., Erinnerungen an Friedrich Fr6be1,1876.

74.P6scbe, H., Die Ball−und Turn Spiele Fr量edrich Fr6bels, f廿r Haus,

   Kindergarten und Schule,1869.

75,Rovoth, E, Die mathelnatische Formenlehre der Fr6bel schen Spiele−und    Beschtiftigungsmittel ftir Kindergtirtenerinnen und zum Verstandniss der    Fr6be1/schen Ptidagogik 1866.

76,Seydler, R. O., Das Wesen des Kindergartens, Vortrag gehalten in Auftrage    des Wiener Volkserziehungsvereins,1869.

         口口日      .

(21)

註(1)拙稿,学制にあらわれた幼児教育制度,雑誌「幼児の教育」第60巻第12号 64〜67頁   昭和36年

 (2)森岡常蔵,わが国幼稚園の発達一国民教育奨励会編纂・教育50年史所収350頁大正   11年

 津布楽喜代治,明治初期における幼稚園制度の発達過程一教育史研究会編,教育史研

  究第5号所収,1957年

 (3)文部省第7年報 明治12年

 (4)拙稿,明治10年代の幼児教育関係法,雑誌「幼児の教育」第61巻第3号 63〜72頁   昭和37年

 (5)尾形裕康,西洋教育移入ノ方途,47頁 昭和36年

 (6)同上,48〜49頁

 (7)田中不二麿,理事功程第3冊,7頁,明治6年

  同上,第9冊,7〜8頁明治8年

 (8)田中不二麿,教育理ミ談,開国50年史所収 733頁  ⑨同上,米国百年期博覧会教育報告巻二6頁,明治11年

 ⑩同上 27頁〜33頁

 ⑪田中の記した一文「学監ハリス氏日ク幼稚園ヲ設ケ其得失ヲ経験スル事僅二数年ナ

   リト難モ成跡ノ美ナル大イニ望外二出テ公学校ノ教師ハ皆公立幼稚園ノ設ケアラソ

  事ヲ欲セリ是レ他ナシ幼稚園ヨリ公学校二進級セシ生従ハ学業進歩ノ速ナル行状ノ   正シキ他ノ生徒ノ比二非ラス故二公立幼稚園ヲ設クルハ却テ公学費用ヲ減スルノー   助ナリト」は関信三の「幼稚園創立法」(教育雑誌第84号・9頁明治11年12月)に

  全文ほとんど同じように掲載されている。

 ⑫伊沢修二,幼稚園の一新紀元,京阪神連合保育雑誌 明治40年12月号所収,このこ

   とについては,雑誌「幼児の教育」第60巻第4号に「伊沢修二の保育施設」として

  論究してある。

 ⑬その主要な部分は,倉橋惣三,新庄よしこ,日本幼稚園史に掲載されている。同書

  第3篇第3章

 ⑭攻玉社90年史,15頁 昭和28年

 ㈲懊国博覧会事務局,懊国博覧会報告書明治8年  ⑯同上,独逸国学制論,12〜13頁 明治8年

 ⑰同上,14〜15頁

 ⑱Fr6bel/s Theorie des Spiels I s.15.

 ⑲教育雑誌第55号 1〜3頁,明治11年

 ⑳津守真外共著,幼稚園の歴史190頁の註1.には,明治8年7月の設立伺に幼稚園の

   語が始めてみえるように記されているが,もし,単に「幼稚園」という言葉の使用

(22)

  された時を指摘するのであれぽ,この時までさかのぼるべきであろう。

⑳倉橋惣三外,日本幼稚園史,103頁,昭和11年

⑳Vandelwalker, N. C., The kindergarten in american education,1913 p.35.

㈲Ronge. J, alld B., A practical guide to english kindergarten;introduction.

㈱倉橋惣三外,前掲書,357頁

⑳Vandlwalker, ditto. p.35

㈲尾形裕康,前掲書,161頁

鋤同書は芦屋女子短期大学教授竹村一氏が所蔵しておられる。研究に当って閲読する  機会をいただいた。

㈱P・y…J・・F・6b・1・nd ki・d・・g・・t…y・t・m・f・1・m・nt・・y・d・・ati・n,1874,宋尾

 の諸目録による。

㈲海後宗臣,幼稚園法二十遊嬉解題,明治文化全集教育篇所収 43頁

㈹同上,なお,この点については,海後宗臣編「日米文化交渉史第3巻,宗教・教育  篇」昭和31年の第6節・幼児保育の方法にも詳しい。

⑳関信三,幼稚園法二十遊嬉,7頁 明治12年,

㈱Payne, J,, ditto.

㈲関信三,前掲書,4頁

㈲津守真,関信三の幼稚園紹介,雑誌「幼児の教育」第61巻第2号 61頁,昭和37年

㈲倉橋惣三外,前掲書338頁

㈹関信三,幼稚園創立法前掲 註11参照)21頁

㈱このことは,次の「3.醗訳されなかった外国語幼稚園書」の項において知られる。

㈹この目録中,明治……年「公布」という表記が用いてあるものは,各書物中に「明

治…敏部省公制との朱印の捺してあるもので・これは・当時の「鞘博物館」

 が新たに書物を登録する場合,文部省が公布するという組織になっていたものと思

 われ,したがって,この公布年によってそれらの書物が国内に所在し始めた時期を

 ほぼ推定できる。

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