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古典芸能の未来一ワークショップ「日本の古典芸能と

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古典芸能の未来一ワークショップ「日本の古典芸能と 東京近郊に残る伝統芸能の伝承」を終えて-

安藤俊次 平野丼ちえ子

今回のワークショップの趣旨

人間環境学部の「ワークショップ」で「日本 の古典芸能と東京近郊に残る伝統芸能の伝承」

を取り上げることの意義の一つに、経済優先で 突っ走る時代に、人文的諸価値が果たすカウン ターウエイト(釣合い重り)の役割が挙げられ よう。特に、学部設立の骨子たる「人間」と

「環境」の「人間」を考えれば、人文科学的諸 価値の持つ意味が重要であることは論を待たな

い。

古典芸能を厳密に定義することはここではで きないが、成立時期が江戸あるいはそれ以前の 時代であることが一応の目安となる。「江戸」

はブームになって既に久しい。日本を知るには

「江戸を知れ」と言われることもある。更に、

「江戸」がリサイクルという面でもほぼ理想的 な環境社会であったこともかなり知られるよう になった。西洋の産業革命から始まった経済優 先の影響を殆ど受けなかった「江戸」が資源の 大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄と無 縁であるだけでなく対極にあるのは当然だろ

う。

「江戸」の教養・娯楽であった古典芸能を学 ぶことにはその時代の人々の生活・心情を知 り、現代人との違いを知る上で極めて意義深い ことだと思われる。そのために、ただ外から眺 めているのではなく、実際にそれぞれの芸能に 携わっている人々から直接話を聞き、実演に接 し、できれば参加もする「ワークショップ」は 最適の形式だろう。

どの古典芸能も程度の差こそあれ、伝承とい う困難な問題を抱えている。これを考えること は、現代の日本人の心情のあり方、今後の行方 を考えることにもなろう。また、町ぐるみ、あ るいはグループとして伝承に取り組んでいる地

域の伝統芸能は、その地域の人と人との触れ合 いなど、地域社会のありかたのヒントを与えて くれるだろう。

準備

古典芸能には、言うまでもなく、多種多様の 分野が存在する。その内で、12回分の分野を選 択することは極めて難しい。そこで、取り上げ たい分野の内、時間の制限もあり、実際上、直 接ないしは間接的に講師を依頼できるかどうか がかなり大きな要素となった。結果として、

「秋川農村歌舞伎」、「説経節」、「落語」、「女流 義太夫」、「江戸写し絵」、「蝋子」、「八王子車人 形」を安藤が、「事」、「着物」、「能」を平野井 が、「歌舞伎」は二人が担当することとなった。

全体のスケジュール調整は安藤が行った。「事」

と「能」については東京芸術大学の成田英明助 教授、「歌舞伎」については舞台創造研究所の 竹柴源一氏、「落語」についてはジュゲムスマ イルズの大野善弘氏の全面的協力を得ることが できた。快諾を戴いた講師の方々を始め、協力 戴いた方々に、改めて、深く感謝したい。なお、

「歌舞伎」の中村京蔵丈、「落語」の初音家左橋 師匠は、法政大学のOB・である。

会場(教室)はスカイホールという最適の場 所を全回確保することに努めた(事務の協力を 得)が、種々の事情により、内4回は大教室を 利用せざるを得なかった。大教室は、特に舞台 (高さ、広さ)と音響(マイク、スピーカーの 性能も含め)の点で満足というには程遠かった。

会場に加え、着替え、準備のための控え室の確 保も不可欠で、大教室の場合はこの点でも問題 が残った。

とまれ、4月14日、コーディネーターとして は、講座準備の不備への不安を含め、講師の先

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生とお会いするまで、冷や冷やの連続の幕開け となった。

(安藤俊次)

自然描写を大事にする」(いずれも、感想レポ ートに記された印象に残った増渕先生の言葉か ら)などといった言葉が受講生の耳に残ったよ

うだ。

「事」の材料は、最良は会津の桐で、厳しい 自然、風雪に耐えたものが木目が詰まっていて 美しく、音も良い、楽器全体が龍に見立てられ ていて、部分部分には「龍」の字のついたもの が多いという話も興味深かった。

第1回4月14日掌(山田流)

講師:東京芸術大学邦楽科教授・掌演奏家・作 曲家増渕任一朗氏

@スカイホール

講師の増渕先生は、東京芸術大学音楽学部邦 楽科山田流箏曲専攻を卒業、同大学院音楽研究 科修士課程を終了、現在同邦楽科教授を務め、

後進の指導にあたっていられる。専門領域は、

「山田流箏曲(箏歌・事・三絃)演奏実技及び 研究、古典曲・近代曲・現代曲の演奏と事を主 にする声楽・器楽の創作演奏」で、国内はもち ろん、海外でも広く活躍されている。

当初、事の生演奏と実技指導も予定していた が、諸々の事情により、実現しなかった。これ は、事という楽器の運搬・調絃、またその演奏 等に関して、コーディネーター側の甘い判断に 拠ることが大きい。増渕先牟粒ぴに受講生にお 詫びする。

講義は、音階、発声、演奏技法、伝来・発展 の歴史、流派の違い、楽器「事」の構造・材料、

それに付属品として柱化)、絃、義爪等につ いて順次説明がなされた。なお、一般には「こ と」は、「琴」と記されるが、「事(そう)」と

「琴(きん)」とは別種で、「事」と記すのが正

しい。

奈良時代に中国から伝来した「事」が如何に 日本独特のものに発展してきたか、日本独自の 音階(5音)とは、山田流・生田流の演奏技法 等の違い、演奏における心樹えの大事さ等々、

優しいながら噛んで含めるような増渕先生の口 調は受講生にとって十分な説得力を持ったらし い。特に、「正座・正装(黒紋付に袴)は楽器 と聴き手に対する礼儀である」、「箏の演奏にお いては時と場所により演奏の仕方を変えて最良 の音を奏でる」、「邦楽は、間や空間が一瞬で処 理される」、「集中するために単旋律で演奏しな いと良さがでない」、「作品は心のノートだと思 っている」、「音の文学性を大切にし、単旋律に こだわっている」、「邦楽は自然と共にあって、

■お$の外■

ヒエーーョb急

「音楽環境のために鎌倉に住んだ」増渕先生 だが、同時に日本人の生活環境が自然からどん どん離れて行き、その分日本人の心が邦楽から 離れて行く、「日本人は自然の中に生きていて、

自然の音を出したり描写したり出来ていた。し かし、現在の環境では日本人が持っていた鋭い 感覚が果たして持てるのか疑問である」ともお っしゃる。実際、邦楽全体の伝承にとって、生 活環境の変化、洋楽一辺倒の若者の音楽志向、

困難な問題はたくさんある。何しろ、正座、着 物さえ日常から遠いものとなり、邦楽はCD、販 売店では「純邦楽」と分類され、ほんの片隅に しか置かれていない、いやそのコーナーさえな い店が多いのだから。

続いて、ビデオによる鑑賞に移った。古典曲

「秋風の曲」と増渕先生御自身の創作曲「ゆく らゆくら」。学生の特に若い世代のものには、

事を聴くのが初めてで、西洋音楽に慣れている 耳にはテンポ(間)、メロディー(旋律)とも 最初違和感を感じたようだ。当方の心配、ある いは予想した通り、舟を漕ぐ姿がちらほら見ら れたが、これに対する増渕先生のお言葉には受 講生全員がほっとしたようだった。曰く、「箏 などの演奏は不眠症の人にも大変効果的である ため、今日もたくさんの人がうとうとと眠り始 めてましたね」、と。レポートにも、「次第に慣 れると日本の音楽の「安らぎ」を感じた」とい

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う感想が際立った。古典曲と創作曲では、後者 のほうにより親近感を覚えたというのが、やは り多かった。「古典」と「新作」、どの分野(後 の「落語」で取り上げられる)でも、古典芸能 の伝承に関わる問題ではある。

終始、「筆」の演奏家・作曲家として穏やか な物腰・口調の増渕先生から、「以前、野球を やっていた」という思い掛けない話が聞けた。

その野球をやっていたのが、「演奏する際の右 手のスナップ、柔軟さに役に立った」と知って、

更に驚いた。おまけに、「野球で知ったチーム ワークの重要さが合奏にもそのまま応用でき た」という。まさに、演奏家ならではの実感だ ろう。

南アフリカでの公演では、現地の人々が熱心 に聞き入ってくれたという体験談には熱がこも っていた。これに関連しての学生の質問に「事 自体が神です」という答えは、ことのほか受講 生の印象に深く残ったようだ。芸術家増渕任一 朗としての面目趨如の一言だと言えよう。この ワークショップでは、「日本の古典芸能」」の-

分野として「事」を取り上げたが、「事」は

「芸術」とすべきかもしれない。増渕先生のお 話に、芸術家を見ていた受講生も多かっただろ う。ただ、日本には伝統的に「芸能」と「芸術」

の区別は付けにくい。「芸術」は西洋的な概念 なのだろう。

ワークショップ第1回「事」を通して、「日 本人の本来持つ自然に対する繊細な感性を感じ ることができた」(複数のレポート)なら、コ ーディネーターとしてもこれ以上嬉しいことは ない。増渕先生の言葉「バッハが生まれた頃日 本ではどのような音楽家が生まれ、どのような 音楽を奏でたか、そのようなちょっとしたアプ ローチが出来るだけでも、日本の音楽へと目が 向けられると思う。日本人が、自分たちの文化 の中から見いだせる、日本人としての感受性と いうものがあるはずです」(先生のHPから)を もって、第1回の締め括りとしたい。

(安藤俊次)

@スカイホール

講師の中村又蔵氏は、歌舞伎役者としてユニ ークな経歴をお持ちである。歌舞伎役者は皆そ の道の家に生まれ育った人ばかりだと思ってい た受講生も少なからずいたようだ。

中村又薮(二代目)丈

立役、国立劇場養成課講師、元昭和音楽大 学講師。昭和8年生。本名、伊藤進、屋号

「播磨屋」。上智大学文学部新聞学科(昭和33 年)卒、昭和37年8代目坂東三津五郎に師事、

同年6月東京宝塚劇場「義経千本桜」の軍兵 で初舞台。2代目中村又五郎門下に移り、名 題試験に合格して昭和42年2代目中村又蔵を 襲名。ハワイ大学、ミュンヘン大学などで英 語で歌舞伎講義・指導を行う。

著書に「知らざぁ言って聞かせやしよう」、

「KABUKIBACKSndhGE,ONSDdLGE」(英文)、

「マタやんの肩のこらない<歌舞伎」入門 花道・六法・やぶにらみ」など。

昭和38年「木遣り」で芸術祭賞奨励賞(レ コード部門)、昭和39年「国性爺」の虎で菊 田一夫演劇賞、昭和54年『子午線の祀り」の 梶原景時で第21回毎日演劇賞団体賞、平成5 年歌舞伎を海外に紹介した功績に対し上智大 学コムソフイア賞。(「テレビ・タレント人名 事典第4版」日本アゾシエーツ、「かぶき手帖』

2001年版より抜粋)

午前、午後とも歌舞伎座に出演中で、その間 を縫って駆けつけて頂いた。講義は、「おはよ う御座います」という、又蔵氏の元気な大きな 声で始まった。着物・袴・白足袋姿と良く通る 声、ホール全体に緊張感が走ったようだった。

養成課で初めに教えるのは挨拶、作法で、役者 にとって特に遅刻は厳禁、30分前には楽屋に入 らないと代役を立てられる。「おはよう御座い ます」の挨拶も、「おはやくお着きで良かった」

という意味で、朝、昼、夕、晩、時に関わらず 交わされるという話に納得。

下手から出て、お辞儀の仕方、その際の目と 手の位置、座り方、立ち方、すり足での歩き方、

背筋のピンと真っ直ぐな姿勢等の実演に、一同 感心。頭から足の先まで全神経を集中させた動 きは、さすがに鍛えられた美しさ。現代ではも 第2回4月21日歌舞伎I(立役)

講師:歌舞伎役者中村又蔵丈

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役の独占や、楽屋での部屋の相違等、厳然とし てある家柄重視に疑問を感じたこともあった が、世襲制の宣伝効果も大きい、海外公演をす る内に、海外ならば家柄に関係なく主役もでき るし、英語・独語などで表現することもでき、

世襲制も気にならなくなった」と、本音を窺う ことができた。海外での公演・指導を続けられ ているのも、「それだけのものが歌舞伎にある からだろう」とも。

うめったに見られなくなってしまったものだけ に、受講生の視線が集中する。「腰を入れる」

とか「ケツの穴を閉める」という言葉にcenter ofthebodyやcloseyouranalという英語が混じ る。外国で研修指導をなさっている経験を面白 く語って下さる。

続いて、「傾く(かぶく)」という言葉から始 まった歌舞伎の歴史、始祖「阿国歌舞伎」にお ける歌舞伎音楽の始まりは、能の四拍子=笛・

小鼓・大鼓・太鼓。ここで、基本となる四拍子 の表と裏の拍子の取り方の指導を受ける。又蔵 氏の力の入った掛け声に手拍子が響く。「阿国 歌舞伎」から三味線の加わった「女(遊女)歌 舞伎」、「若衆歌舞伎」、それから現代につなが る「野郎歌舞伎」へ。三味線音楽の特色の説明 も加わる。女方の発生から、その笑い方、歩き 方、肩の線の出し方、胸の張り方、手の表現の 実演、長唄「末広狩」を使った8拍子に基づく 拍子指導、まさしくワークショップという名に

ふさわしい講義となった。 そのほか、大名題の方々が流行に敏感で、外 国語に精通している人もいるという意外な裏 話、また御自身が遅刻して、廻りの人達に蕎麦 を配ったという失敗談も聞くことができた。蕎 麦を配るのが失敗したときのペナルティーなの だそうだ。

又蔵氏の気さくな人柄からか、歌舞伎に対す る「高級娯楽」、「知識がなければ見ていても詰 まらない」、「言葉が難しくて分らない」、「敷居 が高い」、「静かに見なければならない」といっ た先入観が払拭されたという感想が多かった。

そのうえで「私達観客は…歌舞伎を鑑賞して 何かを学ぼうとするのではなく、まずは歌舞伎 を感じること、楽しむこと、そして参加するこ とにより本当の意味での歌舞伎の良さ、古典芸 能の奥深さを知ることが出来るということに気 付かされた、そもそも歌舞伎は江戸庶民の娯楽 であったわけだから…楽しんだ者勝ちという 発想が非常に大切であると言える」という感想 が今回のワークショップの要約となるだろう か。また、「歌舞伎入門と又蔵氏の生き方を学 んだ」という感想もあった。

環境や国際化の問題に直接結び付ける意図 は、コーディネーター側にはなかったけれども、

同じく長唄「藤娘」による女方舞踊の実演。

「歌舞伎舞踊の場合は写実ではない、何かを感 じ取ってもらえればいい」とおっしゃる。

更に、浄瑠璃(語りもの)義太夫、常磐津、清 元、新内の説明から常磐津舞踊「将門」の実演、

科白入りで迫力ある演技を目の当たりにするこ とができた。

最後に質疑応答。世襲・家柄についての質問 には、歌舞伎の世界に入った頃は「家柄による

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た首都東京で推一の農村歌舞伎の伝統継承を 目指して「秋川子供歌舞伎」が発足、平成5 年10月のTAMAアリーナ旗揚げ公演を皮切り

に、今日まで24回の公演を重ねる。

平成9年からは「あきる野座」という座名 を使用、大人歌舞伎の活動も本格的にスター ト、子供歌舞伎と一緒に平成9年8月に旗揚 げ公演。

平成12年3月、「東京都指定無形氏俗丈化 財」に認定される。

現在100余名の保存会員と、園児から小・

中・高・大学生、さらには70歳過ぎまで釣90 名の座員を擁し、役者・チョポ・下座・舞 台・道具・衣装・かつらなどの全てにわたっ て「オール自前公演」のできる一座に成長、

知名度も年毎に高まる。(平成13年8月12日、

保谷こもれぴホールでの「東急夏のイベント 秋川歌舞伎あきる野座西東京市公演」プログ

ラムより抜粋)

発足から現在に至るまでの苦労は-通りでは ない。

二宮神社に奉仕する神楽師たちによって始め られた農村歌舞伎「二宮歌舞伎」は、大正時代 に全盛を誇ったものの太平洋戦争の激化の中で 急速に衰退、上演は絶えていた。ただ、かつて の一座の座長栗沢一男(芸名、二代目市川増三 郎)氏の許には古い衣裳・かつら・道具が良好 な状態で保存されていたこと、栗沢氏が20もの 演目、その科白、振り、義太夫など、すべてを 記憶していたことが復活に大いに役立ったとい う。それでも、完全な上演までは、役者の演 技・科白はもとより、衣裳・かつら・道具、チ ョポ(義太夫の太夫と三味線)、下座音楽(長 唄三味線など)、ツケ等々、勉強・習得すべき

ことは多い。何しろ歌舞伎は総合舞台芸能なの だから。演技・科白は栗沢氏と小学校の先生方、

チョポは藻汐会、下座音楽は長唄の師匠、それ ぞれの指導を受ける一方、衣裳・かつら・道具 は父母、市職員が見学、勉強、努力、工夫して 作り上げる。

一方、種々の準備、上演に尋常でない費用が 掛かるのも歌舞伎である。この財政上の問題も 前途に大きく立ちはだかった。しかし、秋川市

「人々が歌舞伎等を鑑賞して、心にゆとりを持

つことで、環境に対する温かい心が育つことに 期待できるのではないか」、「歌舞伎を楽しむこ とで…感受性豊かな人間になることもこれか らの社会で環境問題を考える人間には非常に重 要なことではないか」、「環境問題ももっと視野 を広く持ち解決策を見出すのが難しいと嘆いて ばかりでなく違う世界より又違った様々なこと を吸収して解決していく方法もあるということ を教えて頂いた」、「日本の進むべき道が議論さ れている今、私達は、過去の日本人がどのよう に何を見、選び、残してきたかを改めて知る必 要があるのではないか」、「私達(若い世代)が もっと日本の文化を理解し、その魅力を十分味 わうことが出来、その文化に誇りを持てれば、

「アメリカン・コンプレックス」から少しは脱 することが出来るのではないか」、「国際化が叫 ばれている今こそ、日本の文化を良く知ること が大事ではないか」等々の意見が寄せられたこ とを追記しておく。

(安藤俊次)

第3回5月12日秋川農村歌舞伎(東京都指 定無形民俗文化財)

講師:あきる野座座員有志(代表成迫政則氏)

@511教室

スカイホールが使えず、511番大教室での講 演・実演となった。「あきる野座」の解説、役 者、狂言作者・演出、舞台・道具方、着付け・

衣裳方、かつら等、それぞれの担当者、総勢11 人が参加してくれた。11時前には、車での第一 陣が到着。早速教室の下見と、設営が始まった。

舞台(教壇)上手(向かって右)に椅子、テー ブルを置き、下栫えした役者二人(高校3年生 の女子)の化粧を、解説と同時進行の形で見せ て行こうという趣向。

著者からの簡単な紹介のあと、「あきる野座」

の運営を担当の成迫政則氏の同座誕生のいきさ つ、現状等の説明があった。

「あぎる野座」について

平成4年9月から始まった学校5日制を受 けて、校外における児童生徒の健全育成の一 環として、また併せて、明治の末項より輿っ

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(当時)、「TAMAらいふ21協会」等の助成によ り、この難関も切り抜け、舞台も「菅生組み立 て舞台」の協力で漸く復活上演の運びとなった。

以上を要約して、「天の時(学校5日制、秋 川市市制20周年、TAMAらいふ21)、地の利 (二宮地区会館、二宮考古館など)、人の和(師 匠、先生、父母、保存会、行政などの輪)がピ ッタリ合って、復活、伝承にこぎつけられた」

と、成迫氏は語る。以来、「すべて自前」をほ ぼ達成しているのは、驚くべきことだと言える。

次いで、市職員の関谷学氏から、かつら作成 の裏話があった。かつらは最初は購入したが、

やはり費用が掛かるため自分で作ろうと決心。

作るといっても、もちろん経験はない。台座、

髪の毛の材料、植付け、何も知らず、行き当た りの美容院に飛び込んだこともある。試行錯誤 を繰り返し、何とか自分で作れるようになった という。「特に興味深かったのは、かつら制作 の苦労話だった。」(感想レポートより)

く、大歌舞伎はもちろん、地芝居でも上演され る機会の多い、いわば地芝居の定番。それから、

「絵本大功記発端松永弾正首塚の場」と「絵 本大功記序段勅使饗応の場」。これらは、他 に似た内容のものはあるものの、殆どが野口氏 の創作になるものだという。「二段目」も今で は当初より内容が膨らまされている。野口氏は 言う、「残されているもの、大歌舞伎でやるも のを、そのまま演るのではなく、あきる野座に 合った形で演るべきだ」と。現在、「義経千本 桜鳥居前」、『菅原伝授手習鑑四段目寺子屋 の場」に挑戦中と聞く。野口氏の浴衣の尻を端 折り、帯に小道具の刀を差した姿は著者達の世 代の子供の頃を思い出させ、印象的。

この間に、役者二人の化粧が終わり、着付 け・かつら付けが始まる。何人かの女性(殆ど が役者方の小・中・高校生の母親)による着付 け・かつら付けが手際良く終わると、立派な姿 の武智光秀(=明智光秀)と、艶やかな姿の阿 能の局(小田春永=織田信長、の奥方)が出来 上がった。

さらに、野口裕教氏の演出・台本作成の話。

野口氏は、栗沢元座長、渡部雅彦教諭(説経節 薩摩小若太夫)から演技指導・演出を引き継ぎ、

尾上紋昇を襲名、根っからの歌舞伎好きで、歌 舞伎通、その詳しい知識を元に、「あきる野座」

にふさわしい演技指導を行い、また、演目の拡 充を実践している。

「あきる野座」が最初に取り組んだ演目は、

「絵本太功記二段目本能寺の場」。これは、大 歌舞伎でも他の地芝居でも現在はまず舞台に掛 けることのない、恐らく「あきる野座」にしか 残っていないと思われる演目である。続いて、

「絵本太功記十段目尼ヶ崎閑居の場」。前者と 異なり、「絵本大功記」の中でも最も人気が高

衣裳も当初は助成金で購入したが、その後は 見よう見真似で「手作り」に挑戦、苦労の甲斐 あってこれも「自前」を達成。ただ、絹は高価 なため綿にする、すると重いのだそうだ。「歌 舞伎の化粧ができる過程が見られたのは興味深 かった。」

野口氏の『絵本大功記序段勅使饗応の場」

の簡単な説明があり、舞台、大道具が揃わない のは残念だが、武智光秀を森蘭丸(野口氏)が 打櫛する場面が実演された。阿能の局(戸田彩 子さん)は、ツケに廻る゜武智光秀役の高校3 年生の女生徒(北田干裕さん)の、それとは思

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自然に親しむことが出来るのは、とても羨まし い」、「とてもなつかしいような私たちの暮らし にもとても密接ななにかを感じた」、「何より心 温まる時間を過ごせた」、「子供たちが中心で演 じられる地方歌舞伎にはどこか温かみがあり、

芝居の原点があるような気がする」、「皆で作り 上げることや、お金のない不便さ、お金のなさ を補うために一所懸命アイデアを出す楽しさや 辛さを思い出してより身近に感じた」、「大歌舞 伎も原点はこのような感じだったのであろうと いう想像へ結びつけることが出来て良かった」

等々、「歌舞伎界の「ベンチャー企業」だ」と いうのまで。

他にも、ただ「秋川歌舞伎という東京に存在 する地芝居があったのは驚き」、「最初から最後 まで、びっくりさせられっぱなし」、「日本の古 典文化を継承することの難しさとその意義を感 じた」というもの。国際化や環境問題との絡み では、「自分たちの国を理解することも大切で あると感じた。このような、母国を理解した者 が海外に学びに行って初めて、日本という国を 他国に理解してもらえるのではないかと考え た」、「今まであった現状を守っていくためには みんなで協力して解決していく姿勢がなければ 決して良い方向へは進まないと思う。それがこ れからの環境問題を考えていく上で重要な点で あると私は思う」など。素朴な(?)ところで、

「わたしもおしろい塗って見たかったかナー。」

最後は「太功記十段目』のビデオ鑑賞だった が、時間がなく、「もっとちゃんと見たかった」

という恨みが残った。とはいえ、このワークシ ョップは公演鑑賞の手引きでもあるのだから、

多くの学生が言っているように「機会があった ら是非観に行きたい」と思ってもらえればそれ で役目はほぼ達成したと言って良いだろう。但

し、本当に観に行ってくれれば、だが。

後日、8月12日、著者は、保谷こもれぴホー ルにて「東急夏のイベント秋川歌舞伎あきる 野座西東京市公演」を鑑賞した。演目は、「絵 本太功記発端・序段・二段目j・小・中・高 校生、高専生、専門校生、それに大人も混じっ ての大一座の熱演、回を重ねる毎に進歩の跡が 見られた。。「二段目」最後の場面の軍兵には、

われぬ堂々とした演技、凛と響く科白、翌週回 収した学生の感想にも感心、感動した旨のもの が多かった。「私より一つ年下の女の子二人が 目の前でだんだん役者になっていく姿は目に見 えない「霊」みたいなものをまとっていくよう で不思議な感じがした」、「歌舞伎の科白は言葉 が難しい上に独特の抑揚があって、演じるのは 大変そうだ。衣裳の重さにも驚いた私と同年な のにすごいと思った」、「とてもチャーミングな

「光秀」だった。」

全体の感想としては、「あきる野座」のかた がたの「復活」、「手作り」等への熱意、チーム ワークを称えるもの、「舞台装置を始め、衣裳、

かつら等もすべて手作りというのはすばらし い」、「立派なことであると同じに、夢のある舞 台に注ぎ込んでいる何か熱いものを見た思いが した」、「「手作り」、『人の和(同じ地に住み、

同じ空気と水の元で生活している)」を充分感 じさせてくれた」、「皆の顔に誇り」、地域、世 代に関するもの、「地域の文化を守ることは地 域住民を大切にすること」、「役を演じる子供た ちも、その親も、地域の住人達で育ててきた

「あきるの座」を誇りに思っているようで羨ま しかった」、「「あきるの座」に関わっている子 供たちは、普通の人に比べて二倍、三倍もいい 学習をしていると思う。it》のを大切に思うこと や、役を演じる楽しさや、道具を創る歓びは皆 目に見えないものだけれど、きっと肌で感じて いることだと思う」、「単に伝統文化の継承とい う面に止まらず、世代を超えた交流の機会や、

親子間の信頼の形成、地域内の結束等、多様で 幅広い効果をもたらすのではないか」、「今後の 地域運営のあり方の手本」、「古くからあるこの ような各地域文化の保存、維持の大切さを改め て感じた」、「地域の人の団結力」、「大人から子 供達へ伝えられる地方歌舞伎を通して「人の心」

が育成されていると感じた」、「「地域」や「親 子」の関係の良い例を見せてもらった」、「生涯 学習や地域のコミュニティー的な観点からもす ごいことだと感じた」等々、また、農村歌舞伎 の親しみやすさについてのもの、「何事も、見 物している人より、見られる側、参加者側のほ うが、ず-つと楽しいものだ。……日本文化に

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就学前の幼児まで出て、満場の微笑を誘った。

花道沿いの壁には花台(祝儀を書き出し貼った もの)、舞台に投げられるお捻り、いかにも地 芝居らしい雰囲気の横溢した舞台だった。

(安藤俊次)

いうことだったが、日本人の着物に対する思い が象徴された民謡、童話、和歌などの文学的な 話題や、振袖・留袖の由来、黒と白の色に対す る現代の誤解、お端折りとお引き摺りの関係、

浴衣の歴史など、印象的で興味深いお話の連続

だった。

文学的な話題として筆者の印象に残ったの は、「木曽節」、「夕鶴」そして額田王の万葉集 の歌についてのお話だった。「木曽節」の「寒 い仕事の中乗りさんにせめて袷を着せてやりた い」という意味の歌詞と「夕鶴」のあまりにも 有名な鶴の恩返しの物語は、高価な日常品であ った着物に寄せて、温かいまたは切実な思いを 描いたものである。「夕鶴」の話をされながら

「話しながら僕がグッときててはいかんのです が」などとおっしゃる語り口がとても素直で、

受講者もきっとお話に引き込まれていったので はないだろうか。また、額田王が天武天皇に宛 てて送った歌「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野 守は見ずや君が袖ふる」では、「袖ふる」とい う行為に、相手に自分の気持ちを送る、または 相手の気持ちを自分に呼ぶ、という意味がある ということも解説していただいた。長い布には、

命、魂または神様が宿っている、と考え、これ を特別視する傾向は、日本に限られたことでは

ないようだ。

振袖は、未婚女性の第一礼装であるが、かつ ては、結婚するともう男の心を呼ぶ必要が無い ので、袖を詰める、つまり既婚女性の第一礼装 の留袖にした。現在、留袖は、振袖とはまった く別物と考えられているが、かつては新調して 銚えるものではなかったのである。だから振袖 も元はすべて黒だった。きわめて合理的な発想 である。「こういうリサイクル発想はすばらし い。ものを大切にする日本の心を大切にした い。」(受講者レポートより)

色彩のシンボリズムは、常に親しみやすい話 題であるが、黒と白の誤解に興味を持った受講 者が大変多かった。喪服の黒と白無垢やウェデ ィングドレスの白から、短絡的に黒がお悔やみ、

白がお祝いと考える傾向が定着しているが、日 本古来、お祝いの色は黒、お悔やみの色は白で あった。それが、明治維新後、西洋文化の考え 第4回5月19日伝統衣装としての着物

講師:株式会社ゑり善社長亀井邦彦氏

@835教室

今回は、日本の伝統芸能に因んで、伝統衣装 としての「着物」について、京呉服の老舗ゑり 善の亀井邦彦社長に、お話と着付けのデモンス

トレーションをしていただいた。

「僕の夢は日本中を着物姿でいっぱいにする こと」という亀井社長は、最初に「今日の講義 の目的は、着物についての知識を学んでいただ くということではありません。日本人の温かい 心を宿した着物を身近に感じてほしいんです。

細かい知識の話は全部忘れてしまっても、一度 着物きてみたいなあ、という今日の感想を思い 出してもらえたらそれが一番です。」(以下、亀 井氏の京ことばを正しく表記することは筆者に は限界があるので、標準化させていただく)と 受講者をリラックスさせてくださった。また、

社長としての多忙なスケジュールをこなしなが ら、丁寧なサマリーと興味深い図版や新聞記事 を豊富に準備してくださったばかりか、さすが 老舗の御主人と思わせる品格あふれる美しい着 物姿とおっとりした京ことばが印象的で、法政 大学の-階段教室に非日常の空気が漂った。1 年365日のうち350日くらいは着物で通しておら れるそうだ。

「細かい知識の話は忘れてしまっても…」と

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pしようものなら、昔から着ている人たちに、

まったく若い奴はだらしがない、と陰口を言わ れそうだ。私の周りのお年寄り達は、テレビの 中の着物姿にまで文句を言っていたりする。こ れじゃ恐くて着られません。」きっと身近に着 物のことを何でも相談できるお年寄りがいたら いいのだろう。「核家族になり教えてくれるお 年寄りが身近にいない。着物は親から子へと伝 えていく文化なのだろう。着方や手入れを教え ながらしつけをする、家庭内コミュニケーショ ンがあったら良いのに」という鋭いコメントが あった。実は、筆者は某着物学校で師範の看板 を取得したが、頻繁に展示会が行なわれて先生 が指導と販売を兼ねているから、どことなく殺 伐としていて居心地は良くない。着物を敬遠す る理由のひとつに、着方を習いに行くと着物の 押し売りをされそうで恐い、というのがあると 思う。教える側としての良識をもってもらいた いものだ。

呉服業界のアンケートによると、若い人が着 物を着ない具体的理由は、値段が高い、自分で 着られない、着ていく場所が無い、の3つが多 いそうである。受講者のレポートにもこのあた りに言及しているものが多かったが、評価は大 きく2つに分かれた6-方は、「値段・着方・手 入れの点で、手ごろな着物を考案して欲しい」

という改革希望派で、もう一方は、「高価で手 がかかるからこそ、その非日常性を堪能したい し、着物を買ってくれたり譲ってくれたりした 親や二十近い工程の分業の丹念な手仕事を誇り としている戦人さんたちに思いを馳せながら、

手入れに時を費やして着物にこめられた心を大 切にしたい」というものだ。「まずは手入れと 着方の楽な浴衣から」と勧めてくださった亀井 社長の話に水をさすようだが、筆者は完全に後 者である。すべてが手作業で作られる着物は、

どうしてもいいものは値段が張るし、美しく着 るためには練習と時間が必要だ。一口に浴衣と いっても、知識の無い外国人が日本のお土産に 買って帰るようなけばけばしい安物から、白地 に藍の単色使いが粋なやや高級な綿紹の浴衣ま である。綿紹のものは小紋に近い着方をするの だ。呉服屋の展示会には何度か足を運んでいる 方とごたまぜになったのだそうだ。婚礼の白無

垢が、嫁ぐときに-度死んで、迎えられた家で 新しい命を生き始めることを意味する、という 厳粛さに感動した受講者コメントが多かった。

お色直しには、死装束の白の次に血の気を表す 赤い色を着て、最後に本来の慶事の黒を着用し て落ち着く、という意味があるのだそうだ。

「単なるファッションショーではないんです。」

(亀井社長)

お端折りとお引き摺りも着物独特の合理的な 発想を物語っている。昔は、布団ではなく着物 を着て寝ていたため、体をすっぽり榎うための お端折りの遊びが必要だったのである。花嫁衣 裳の着付けには、お端折りが無く、裾に綿が入 っている。これは、すぐに相手と床入りができ ることを表す。露骨な表現のようだが、子孫の 繁栄、命の輪廻を神聖なものと考えた証しであ

ろう。

最近、花火大会などで浴衣を着る若い女性が 増えているので、次の浴衣の歴史のお話は興味 をもち易かったのではないか。もとは、湯上り の水気を拭き取るための「湯帷子」という麻地 の着物が江戸時代に木綿になり、湯屋で間違わ れないように、名前やしるしをつけるようにな った。これが徐々にさまざまな柄を生む端緒に なったのである。浴衣柄に因んで、市川団十郎 家の「かまわぬ」柄は、歌舞伎十八番狂言を演 じる許可を求めての挨拶に対する返礼の印だっ たというお話もあり、ワークショップ各回の横 のつながりをつけていただいた感じだ。

最後は、今日の呉服事情について。和装業界 は30年間斜陽産業だとのこと。着物を堅苦しく 感じて敬遠する原因は、しきたりや約束事の多

さと着方のむずかしさにある。これについて亀 井社長は、「本来決まりごとは、お客さんが安 心して集い楽しめるためにあるのです。呉服屋 のひとりよがりになってはいけません。日常生 活の中で気楽に着物を楽しんでください」とお っしゃった。

ただ、問題は、呉服屋さんの理解ではなく、

初心者が着物を着た際に遭遇する「着物通」の 態度かもしれない。受講者レポートに次のよう なものがあった。「きっと自己流で着てウロウ

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が、やはりいいものは相応の値段がする。しか しそれが出来上がるまでの沢山の職人さんたち の努力を考えると、致し方ないと思う。中には 作家の名前だけで高いものもあるから、要は見 る目を養って値段に見合った好みの品を銚える ことであろう。若い人が押し売りを恐れずに反 物を見る目を養える場があったらよいのに、と 思う。着物づくりは完全分業であるため、生産 量が落ちると職人さんが食べていけなくなり、

後継者を残さなくなる。日本人にしか似合わな いあの美しい着物が失われないよう願ってい る。

実は、受講者レポートで一番多かったコメン トが亀井社長の着物姿のカッコ良さについての ものだった。商売とはいえ、日頃から着物を愛 で親しんでいるからこその風情であろう。講義 後の男性普段着の着付けには、自分の愛してや まない着物を若い人に着せてあげたいという素 直な厚意が感じられて、微笑ましかった。

節の会からの持ち込みで、舞台設営。説経節の 会の会員と学生の協力を得る。

説経節全般、ならびに薩摩派、三味線音楽の 簡単な解説を著者が行う。三味線音楽の場合、

語りものと唄ものの二つの系統に分かれるが、

説経節は、義太夫などと同じ語りものに属する。

語りものと唄もののの違いは、簡単には物語 (ストーリー)性のあるなしで、語りものでは 地の文章を科白双方を太夫が語る。「歌舞伎」、

「女流義太夫」、「離子」、「八王子車人形」との 関連もあるので、語りもの、唄ものの代表的な ものの系譜と、説経節の歴史の概略を、ここに 掲げておく。説経節はもちろん、三味線音楽も 一般には馴染みが薄いだろうから。

浄瑠璃(語り)

(中世の語り物・浄瑠璃)→(三味線渡来=16 世紀半ば→浄瑠璃の三味線音楽化)

一中節→豊後節→常磐津節(歌舞伎)

→富本節→清元節(歌舞伎)

→新内節

→宮薗節 河東節

義太夫節(人形芝居文楽・歌舞伎)

(説経)-説経節(近世に三味線音楽化・

説経人形芝居)・・・説経節(幕末に復活)

地唄

長唄(歌舞伎)→荻江節

端唄(はうた)-俗曲一都々逸にど いつ)→「寄席音曲」

→小唄

→うた沢 (平野井ちえ子)

第5回5月26日薩摩派説経節(東京都指定 無形民俗文化財)

講師:説経節の会・薩摩小若太夫氏(太夫)、

京屋波氏(三味線)、薩摩雛太夫氏(黒衣)

@835教室

今回もスカイホールが使えず、835番教室で の講演・実演となった。

山台は机4脚、毛藍、座布団、金屏風は説経

説経節の歴史[概略]

語り物。鎌倉末から室町初期の頃仏教界の節 付け説教(節談説教)から派生した民間芸能。

(1)門説経、歌説経の放浪芸の系統と、(2)

小屋掛け興行の説経座の系統と二種類があっ た。(2)の系統の説経の全盛期は、寛永 (1624~必)から万治・寛文(1658~73)。多

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約40分演奏が終わり、改めて演奏者の紹介。

薩摩小若太夫:本名=渡部雅彦・説経節薩摩 派浄瑠璃方、平成11年彦太夫を名乗る。平成 13年五代目小若太夫を襲名。説経節の会(東 京都無形文化財保持団体)会員。あきる野市 内の小学校に教員として勤務する傍ら、地元 の「秋川歌舞伎あきる野座」(第3回ワーク ショップ参照)の設立に尽力、長唄を杵屋徳 波師匠に師事、同座の下座の指導、義太夫の 三味線方も勤める。平成4年から同じく京屋 波師(杵屋徳波)に就いて説経節を始め、10 代目若太夫、11代目、12代目など、古老が相 次いで亡くなる中、唯一の継承者として研鍛 を重ね、平成11年には「葛の葉.二度の子別 れ」で八王子車人形西川古柳座(第12回ワー クショップ出講予定)と約20年ぶりの共演を 成功させる。その古柳座とは定期公演、また、

江戸写し絵(第10回ワークショップ出講予定)

との共演、上演の絶えた台本の節付、弾き語 りなど、意欲的な活動を展開。

京屋波:本名=赤羽英子・説経節薩摩派三味 線方、平成11年京屋波を名乗る。説経節の会

(東京都無形文化財保持団体)会員。子供の頃 より清元・事・長唄を習う。また、国立劇場 の第4期「寄席磯子研修生」修了。長唄三味 線方師範(杵屋徳波)。八王子車人形西川古 柳座や江戸写し絵との共演等で小若太夫の三 味線方を勤める一方、説経節48節を譜面化、

現在若手三味線方の指導にも尽力。また、

「あきる野座」では、下座の三味線の指導も 行う。

薩摩雛太夫:本名、栗田健作・説経節薩摩派 浄瑠璃方、平成11年薩摩雛太夫を名乗る。新 聞社社員。長唄三味線歴5年、説経節太夫歴 3年。現在、小若太夫について、太夫の修行

中。

インタビュー形式での話に、小若太夫氏から は説経節を始めた経緯、「古典芸能のことは何 も知らなかったが、子供向けの古典の本を読ん で初めて古典は面白いと思った」ことなど、波 氏からは三味線のこと、太夫との息の合わせ方、

「邦楽はアバウト」など、雛太夫氏からは説経 語りの面白さ、音の取り方の難しさなどが語ら くの演目の中で「刈萱(かるかや)川信徳丸」

「小栗判官」「三荘(さんしよう)太夫」「梵 天国」が五説経とされたが、享保(1716-36)

のころ「刈萱」『三荘太夫」のほかは『愛識 若川信田妻」「梅若」が入れ替わって五説経 といわれたという。宝永・正徳(1704~16)

ごろ人気を失い、早く衰退した。しかし、江 戸において、放浪芸の系統から祭文として命 脈を保ってきた説経を巧みに利用して寛政・

享和(1789-1804)のころに再興した一派が あった。薩摩派、若松派はその系統である。

(関山和夫、「日本大百科全書」小学館より抜 粋)

続いて、薩摩小若太夫氏の語り、京屋波氏の 三味線、薩摩雛太夫氏の口上・ツケその他で

「日高川入相櫻(ひだかがわいりあいざくら)」

の演奏に入る(その前に演目の解説)。

「日高111入相櫻」[梗概]

僧安珍に恋焦がれる紀伊の国真那古の長者 の娘清姫は、逃げる安珍を、半狂乱になって 追い掛ける。安珍は日高川の向こう岸の道成 寺へ逃げ込み、釣り鐘の中へかくまってもら う。日高川の渡し場まで来た清姫は、逆巻い て流れる川を前にして思案にくれ、思い余っ て川へ身を躍らせる。清姫の額には角が生え、

身は蛇身となって川を泳ぎ切り、難なく道成 寺へ辿り着き門内へ入り、安珍の隠れている 釣鐘に、自らの蛇身で幾重にも巻きつき、口 炎を吹き掛け、安珍を釣鐘諸共黒焦げに焼き 尽くしてしまう。(多摩の歴史・文化・自然 環境研究会編「日本文化の伏流民衆芸能 説経節集」1997・法政大学多摩地域研究セン

ターより抜粋)

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れた゜

続いて三味線の実技指導。二人の学生が弾き 方を教わった。途中、蟻の先が欠けるハプニン グも。もっとたくさんの受講生に触れてもらい たかったが、ここでも時間の壁が。

感想は、1.説経節そのもののこと2.語り と三味線のこと3.ストーリーの内容4.

「言葉」に関すること5.三味線という楽器に ついて6.演者への関心、に大別できる。

1.では、まず、日頃馴染みのある「説教」と いう言葉から思っていたものとの違いを意外に 感じた受講生が多かった。また、説経節はもち ろん、語りもの(浄瑠璃)自体が大半の受講生 にとって初めて聴く芸能であり、「梗概や台本 なしではストーリーが分らない」、「義太夫、常 磐津、清元、新内などとの違いが分らない」の は当然だろう。しかし、「歌舞伎I」のときと 同様、ここでも「分るより感じる」が第一だろう。

2.では、「太夫の声の張り、声の変化、三味 線の音色などに圧倒された」、「息の合った太夫 と三味線」、「三味線の持つ流麗な音色に惹かれ た」、「節と三味線との微妙な掛け合いの心地よ さに新鮮な喜びを感じた」、「語りが一人で何役 も演じ分け、本当に何人もの登場人物が生き生 きとしていて情感がこもっていたのが印象的」、

「最後の語りに凄みを感じた」、「清姫の哀れさ が良く伝わってきた」、「三味線の役割から相手 を立てる重要さを学んだ」等、「惹き込まれた」

という感想が圧倒的だった。

3.では、「安珍・清姫伝説」を知っている人 が比較的少なく、その「ドラマティックな筋」

に「恋の執念」や「理不尽さ」を感じたという 感想があった。

4.では、「まるで生き物のように多彩な表情 を見せる日本語のありようと向き合って、江戸 時代この説経節を娯楽として楽しんだ民衆、つ まり私達の祖先達のことを思った」、「英語など、

海外の言語が生活に広く浸透し、その使用の必 要性も高まっている現代にこそ、自国の言語日 本語を単なる道具よりももう一段格の高い言語 として付き合ってゆくべきなのかもしれない」

等、「言葉の面白さ」に触れた感想がいくつか 見られた。

5.三味線も、実際に見たり聴いたりするのは 初めて、という人が多く、その楽器そのものや 音色に関心を抱いたという感想が多かった。

「日本人の持っている本来の「自然の音色」を 感じ取る感性をもっと大事にするべきだ」とい う意見、また「世の中の流れが、この三味線に しっくりとくるように、ゆったりと流れてくれ たら良いのに」という意見まであった。実際に 三味線指導を受けた学生からは、当然ながら

「難しい」、「貴重な体験が出来た」という感想 があった。

6.では、演者の「キャラクターが実に魅力的」

で、「本職を持ちながら説経節に打ち込む情熱」

を称えるものが数通見られた。

全体としては、今回は素浄瑠璃(人形芝居な どの地方化かた)ではなく)だったため、

「ラジオドラマのよう」、「映像のないミュージ カル」で、「想像する楽しさ」に言及したもの、

「自分の頭の中でその光景をイメージすること が出来た」、こんな風に「聴覚によってその世 界を理解することが非常に大切ではないか」、

逆に、「映像がないので詰まらない、現代にあ まり合っていないのではないか」という正直な

(?)意見もあった。「紙芝居を思い出した」と いう感想が何通もあったのが目を引いた。「庶 民のエネルギー、生活を楽しむ方法を思い知ら された」という感想と裏腹に、「日本人の宗教 心・信仰心が薄いのは、仏教から出た説教をエ ンターテイメントにしてしまった説経節にも原 因がある」という異色の感想もあった。

最後に、伝統芸能全般について、「伝統芸能 は現代においては既に異文化であり、私達にと っては外国同然の世界のような気がする。しか し、少し接点が出来た」、「伝統芸能はもっと気 楽に憤れ親しんでよいものではないか、生活の 中に何らかの形で取り入れることが出来たら素 晴らしい」、「伝統芸能は人から人へ伝えられて いくもの」等の感想を追加しておく。

(安藤俊次)

第6回6月2日歌舞伎Ⅱ(女方の魅力)

講師:歌舞伎役者中村京蔵丈

@スカイホール

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法政を卒業後、国立劇場歌舞伎養成所に入学さ れた。養成所では、中村又五郎丈に師事するが、

同期の入学者の半数が修業の厳しさに耐えられ ず、養成所を去って行ったという。養成所卒業 後は、1年間のフリーの実地訓練を経て、以前 より大好きだった中村雀右衛門丈の門下に入る ことができた。

「どんなお役が好きですか?」という筆者の 問いに、「制約のある世を突破していく役が好 きですね。たとえば「妹背山婦女庭訓」のお三 輪とか。まだやったことは無いのですが。」と 答えられた。伝統芸能の世界でのご自身の生き 方に重なるところがあるのだろうか。受講者の レポートにも、制約の中で自分の本当に好きな ことを大切にし精進を重ねてきた京蔵丈の生き 方に感動したというコメントが大変多かった。

これは、受講者の多くが自分の進路について悩 みを抱えているためであろう。とくに、仕事に つきながらも大学で学ぶ決断をしてきた社会人 学生に多かった反応である。

実は、筆者が是非とも語っていただきたいと 希望していたのが、次の他ジャンルや海外との 交流についてである。たとえば、三島由紀夫

「近代能楽集」の「卒塔婆小町」や「班女」で は、京蔵丈が女方で主演、新劇の女優と性を逆 転させての試みを行なっておられるし、郡司正 勝作・演出の「沙羅女急々の段(さろめきゅう

きゅうのだん)」という、ワイノレドの「サロメ」

とベケットの「ゴドーを待ちながら」の2つの モチーフを融合させた舞台では、サロメを女方 で演じ、日米での公演が話題になった。同じく 米国での公演が注目されたガルシア・ロルカ原 作の「血の婚礼」では、フラメンコダンサーと 競演し、自ら振り付けも担当されている。こう したいわば「他流試合」は、京蔵丈にとってど ういう意味をもつのだろうか?「歌舞伎の伝統 のすばらしさはもちろんですが、これを守るだ けではなく、時代の移り変わりに応じて新しい 展開も必要なのではないでしょうか。女方をベ ースにして新しいことができないか、それを考 えていきたいと思います.」(京蔵丈)

「血の婚礼」サンフランシスコ公演について は、演技についての大変興味深いお話が伺えた。

今期のワークショップで歌舞伎の役者さんを お招きするのは、4月19日の中村又蔵丈に続き 2回目だ。今回は、なんと法政大学のOBで、

テレビコマーシャル「勘定奉行」でおなじみの、

女方中村京蔵丈である。インターネットにアク セスすれば、京蔵丈の超豪華公式ホームページ (http://www・kabukinejp/kyozo/ノが拝見でき るので、プロフィールはごく簡単に紹介してお こう。1979年法政大学文学部日本文学科卒業後、

1980年国立劇場歌舞伎俳優養成所に入学。2年 間の研修を経て、4代目中村雀右衛門門下とな り、中村京蔵を名乗る。毎月の歌舞伎公演はも とより、新派や新劇などの他ジャンルとの競演 により、女方の可能性を多彩に膨らませている。

海外公演にも積極的に参加し、舞台を通した国 際交流に貢献している。1994年名題昇進。

授業は、次の順序で行なわれた。1.京蔵丈 と安藤・平野井両教員による座談会。2.京蔵 丈によるワークショップ:女方所作の実技指導 と「助六由縁江戸桜」から傾城揚巻の「悪態の 初音」実演と解説。3.素踊りでの実演「藤音 頭』。4.質疑応答。

座談会では、歌舞伎との出会い、歌舞伎界で のキャリア、他ジャンルや海外との交流、役者

としての信条などについてお話を伺った。

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あさまのお

芝居好きのおぱあさまのおかげで早くから歌 舞伎の色彩や音のリズムに心をゆさぶられてい たという京蔵丈。小学校6年生で日本舞踊を習 い始め、こんなに好きな歌舞伎の舞台に自分も 立ちたいと考えるようになったという。法政大 学在学中は、もちろん「歌舞伎研究会」に所属。

世に知られるこの世界の「門閥制度」のため、

一度は諦めようとしたものの、思い絶ちがたく、

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「海外の演劇人と仕事をする場合、先方の歌舞 伎に対する期待として、荒事、隈取り、六法な どの誇張表現を好む傾向があります。しかし、

私は、人の心の壁を丁寧に演じる、歌舞伎演技 の心理表現を強調してみました。その結果、歌 舞伎にもスタニスラフスキーがある!という驚 きの声をいただきました。」演劇という総合芸 術の中で、ジャンルや国境を越えた心の交流の もとに、1つの作品を創り上げていく。筆者は、

その現場の最先端で活躍できる京蔵丈が、とて も羨ましかった。

インタビュー最後には、役者修業について語 ってくださった。「国立劇場歌舞伎養成所のカ リキュラムには、演技、長唄、義太夫、お茶、

琴、立ち廻り、お花、日舞とたくさんの習い事 があるのですが、それに加えて、私は、五感を 磨く、ということを大切にしたいと考えていま す。五感を磨いて、人間としてのベースをきち んとすることが、どの世界でも大切なのではな いでしょうか。映画やお芝居を見たり、花を愛 でたり、風を感じたり、おいしいものを食べた り、泣いたり、笑ったり、怒ったり。怒ること も大切だと思います。」ここでは、「五感を磨く」

という言葉が印象に残ったという学生がとても 多かった。「女方所作のワークショップや素踊 りでの藤音頭実演で見せていただいた表情やし ぐさから、日常生活で常に五感を磨いておられ るからこそ醸し出される人間性の深みのような ものを感じることができ、感動しました。技術 だけではないのですね。」(受講者レポートより)

また、自分を指さすしぐさを年齢別に、解説.

ご指導いただいた。女方の台詞については、実 は当日授業の直前になって急遅お願いしてみた のだが、ご快諾いただき、しかも見事な胸の透 くような傾城揚巻の「悪態の初音」をご披露い ただいた。これは、「助六曲輪初桜」で傾城揚 巻が髭の意休という敵役に自分の間夫助六を侮 辱されてやりかえす見せ場、聴きどころなのだ が、怒りをあらわ(こしつつも、傾城の貫禄、品 格、恋人への愛情が表現されねばならない重要 な台詞である。筆者は、同じステージの上で拝 聴していて、仕事を忘れて嬉しくなってしまっ た。体にしみわたるようだった。

さて、この次が「ワークショップ」の醍醐味 のはずだった。京蔵丈の指導のもとに、「泣き 方」、「笑い方」の例を体験するコーナーとなっ たのだが、難しいのか、恥ずかしいのか、今ひ とつ受講者全体から気合いが感じられなかった のが、残念だった。体験してこそ、ワークショ

ップですぞ。こういうとき指導する側はとても 困るものだが、京蔵丈は「窮屈な表現ですし、

普段お使いにはなりませんですからね」とやさ しくフォローしてくださったばかりか、少しで も日常生活に役に立つ型として、正座姿勢から の美しいお辞儀のしかたを教えてくださった。

せめてこのくらいは、思い出して練習したいと ころだ。

インタビュー・所作指導とお疲れのところ を、最後に「藤音頭」の素踊りをご披露いただ いた。これは、「藤娘」の一節で、藤の根に酒 を注ぐと花がよく育つという伝説に基づき、恋 しい男を思って初めてお酒を呑んだ処女の風情 を唄った曲である。化粧も衣裳も鬘もつけずに、

扇子1本のみを小道具としての踊りであるが、

装飾の豪華さに眩惑されずに、素の肉体表現を 鑑賞できる大変賛沢なひとときであった。所作 解説を踏まえて、研ぎ澄まされた一挙一動を堪 能できたのではないだろうか。

最後の質問コーナーに移る前に、受講者のレ ポートから、女方の表現について考えた面白い コメントを紹介しておこう。女子学生によるレ ポートの多くが、京蔵丈の表現する女性の美し さに感心しているが、その魅力を踏まえたうえ

i'聯i罰MIM

女方所作の実技指導は、女方の姿勢と歩き方 に始まり、泣き方と悔しさの表現を、お姫さま、

武家の女房、町家の女房、遊女などの身分別に、

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生たちと一緒に学んでみようという思いがあっ てのことだった。

準備の段階からとまどいの連続だった.法政 には有名な能楽研究所があり、組み立て式の能 舞台を所有しているものの、実際に使用すると なると、数十万円の組み立て費用がかかる。今 年3月に実現した大蔵流茂山家の狂言公演は、

人間環境学部の設立記念行事であったため、こ の本格的能舞台を使用することができたが、今 回の企画は、あくまで学部の前期授業の1回分 であり、予算の面でも労力の面でも、限られた 状況での演能とならざるを得なかった。槍の舞 台の夢は消え、日頃スカイホールのイベントで 使用している簡易ステージを何台も組み合わせ た簡略なものになってしまった。

それでも、講師の先生方に充実した授業をし で、次のように述べた人がいる。「女方のイメ

ージが、女性らしさの固定観念を作り上げたこ とを、半ば複雑な思いでとらえることとなった。

ああ、私は男性の演じる女性像に振り回され、

それに近づく努力を求められているのか…。ど ことなくシャクである。」

質疑応答のコーナーでは、衣裳の価値、名題 試験、国立劇場歌舞伎養成所の入学試験、最後 に歌舞伎への外国人参加の可能性について質問 があった。現場の第一線の実1情を伺えた貴重な 体験だったのではないだろうか。

今回の受講者レポートを読んでいると、ワー クショップの内容もさることながら、京蔵丈の 生き方.お人柄に心を打たれたというレポート が、非常に多かった.中には、ワークショップ の内容にはほとんど触れず、自分の生き方につ いての悩みや展望を切々と訴えている人もい た。門閥制度に諦めず、好きな道を一心に歩ん できた京蔵丈・勘定奉行のCMでは、精惇な立 ち役ぶりを披露しておられるが、ホームページ で拝見する美しい女方は、可憐で愛くるしく、

この日の素顔の京蔵さんは、慎重に言葉を選ば れる誠実で温厚な紳士だった。

何かを諦めそうになったとき、こんな立派な OBの背中を見つめて、元気になれる人も多い のではないだろうか。

(平野井ちえ子) ていただいて、本当にうれしかった。武田孝史 先生は、宝生流の役者さんで、当日ご協力いた だいたお弟子さん達も、年は若いけれど、皆さ ん宝生流のプロの役者さんだった。これから宝 生能楽堂へ行って本格的な演能に触れようとい う人のために、この日の出演者のお名前を挙げ ておく。装束附けの手さばきが鮮やかだった野 月聡さんは、芸大の非常勤講師。「羽衣」の天 女を舞ってくださった薮克徳さん、装束附けと 地謡の亀井雄二さんと東川尚史さんは、芸大の 学部4年生。武田先生の貫禄ある凛々しいお姿 もさることながら、受講者と同じ世代の役者さ んたちの出演で、能が身近に感じられたのでは ないか、と喜んでいる。

授業は、次の順序で行なわれた。1.能の見 方についての講義。2.「羽衣」の天女の装束附

け。3.「羽衣」の実演。4.質疑応答。

第7回6月9日能(宝生流)

講師:東京藝術大学助教授武田孝史氏

@スカイホール

実を言うと、この回の能の企画にはとりわけ 思い入れがあった。物心ついた頃から、歌舞伎 の美に魅せられていた筆者であったが、「能は 難しく眠いもの」という先入観があり、薪能の ような独特の場の雰囲気があってやっと起きて いられる、という低次元の観客であった。学生 時代、恩師より、「英文科であっても、演劇を 学ぶからには、歌舞伎も能もバレエもオペラも、

すべて学ぶよう心がけなさい。」と教えられ、

努力を試みたものの、なかなか手のつかなかっ たのが、能だった。このワークショップの企画 の段階で能にこだわったのは、これを機会に学

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61 てゐる。だから機能というふことは、物理的性質を示すだけではない。それは心理的機 能をも有たねばならない。 (柳 1941b: 307-308)

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