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海外における日本古典文学、芸能

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海外における日本古典文学、芸能

秋期大会シンポジウム特集

JCulP 発足記念「グローバル化する日本文化」

海外における日本古典文学、芸能

高井 詩穂

 海外ではどのような時に日本古典文学や芸能に触れることができるのでしょう か。今日は私の経験を踏まえ、特にアメリカを中心に、日本古典文学や芸能がど のように紹介されているかについてお話させていただきます。

 まず、一般教養があり日本には特別な興味はないアメリカ人がどのような時に 日本古典文学や芸能に触れるのか考えた時、いくつかの可能性が思い浮かびまし た。高校や大学で受ける一般教養科目の一貫として、大都市の日本古典芸能の公 演として、日本祭りなどを通して、また

PBS

Discovery Channel

などの世界の 文化を紹介するテレビプログラムを通してなどです。中でも今日は、北米におけ る「世界文学」の中でとりあげられる日本の古典と、日本古典芸能の海外公演と いう2つの例を紹介し、日本側や日本の専門家側からの発信と海外側からの受容 の両面から日本文化の世界の中での意味合いや役割について考えてみます。

 アメリカの高校や大学では一般教養や英文学、比較文学の授業の一貫として

World Literature

(世界文学)」という授業が教えられています。日本専攻でない

学生には、この授業を通して日本古典に出会うという人も多いです。実際私が大 学で教えた学生にも、「世界文学」を通して『源氏物語』を読んだと言っていた 人がいました。そこでまず、「世界文学」の授業のテキストとして使われること が多い『世界文学作品集(アンソロジー)』をご紹介し、その中で日本古典文学 がどのような位置づけになっているのかを見ていきます。なお、「世界文学」と いう概念や、日本文学、特に近現代文学の『世界文学アンソロジー』の中にお ける位置づけに関しては、秋草俊一郎氏が東京大学出版会『

UP

』の「二一世紀  世界文学カノンのゆくえ」という連載(2014年6月号より隔月、全6回)で考察 されています。

 世界文学の授業でテキストとして初期の頃から使われてきたのは

The Norton Anthology of World Masterpieces

です。このアンソロジーは1956年に2巻セットで出 版され、その後改版が重ねられましたが、副題の

Literature of Western Culture

が示す通り、これは主に西洋文学の代表作を収めた作品集でした。1973年の第3 版以降1985年の第5版までは

Masterpieces of the Orient

が姉妹編として出版されま

二〇〇

(2)

その他の文学という考え方を反映するものでした。

 これが変化したのは1990年代です。ポストモダニズム理論、フェミニズム批 評などの台頭により、西洋中心主義的な正典(カノン)が問い直されるように なる中で、ノートンからも1995年に非西洋作品を多く収めた拡大版が出版され ました。その後、新たな「世界文学」のコンセプトを反映したアンソロジーが 出版されるようになりました。名前も2002年に

Anthology of World Masterpieces

Anthology of World Literature

に変わり、装い新たに、大幅に拡大した6冊版とし

て出版されました。2003年には同様の『ベッドフォード世界文学アンソロジー』

が、2004年には『ロングマン世界文学アンソロジー』が出版され、「世界文学」

の授業で使われるテキストの候補の顔ぶれが一新されました。現在ではロングマ ンとノートンが順調に改版を重ねています。ロングマンは2009年に第2版を出版 し、ノートンからは2012年に第3版、2018年には第4版が出版される予定です。

 それではここで、この現在の「世界文学」の枠組みの中での日本古典文学の位 置づけ、また、改訂を重ねる中での変化について、ノートン版とロングマン版を 中心にご紹介したいと思います。まずアンソロジーの基本的構造ですが、ノート ンもロングマンも同様に、西洋の歴史の時代区分に従って

A

から

F

の6巻で出版 されています。

A

古代(100年以前)、

B

中世(100年から1500年まで)、

C

前近代

(1500年から1650年まで)、

D

17−18世紀、

E

19世紀、

F

20世紀です。その場合、日 本の奈良時代から室町時代は

B

に、江戸時代は主に

D

に分類されるので、日本の 古典は主に

B

D

の2巻に収録されることになります。

 各社それぞれの特徴もあります。ノートンが主に時代と国順に分けて作品を収 録しているのに対し、ロングマンは編者による作品の組み合わせの提案を反映し ているのが特徴的です。

Perspectives

(視点)

Resonances

(共鳴)

Crosscurrents

(逆流、非主流)というテーマから、様々な、地域や時代を超えた組み合わせを も提案しています。これは編者のハーバード大学教授デービッド・ダムロッシュ 氏の「世界文学」の考え方を体現するものだと言えるでしょう。

 表1は、各社最新版のそれぞれの巻に収められている日本文学作品をまとめ たものです。先ほど申し上げた通り、日本の作品は主に

B

D

に収められていま すが、

C

に入っているものもあります。まず第2巻(

B

)を見て行きましょう。

両社とも、『万葉集』から始まり、特に和歌や貴族文学を中心に、日本の学校の 古典の授業などでも学習されるような主要な作品が時代順に多く収められてい ます。また、テーマという観点で見ると、ロングマン版では例えば『源氏物語』

Resonances

(共鳴)として『紫式部日記』や『更級日記』、『源氏物語』のパロ

ディとしての「虫愛づる姫君」を収録し、ジャンルや時代を超えた『源氏物語』

一九九

(3)

海外における日本古典文学、芸能

とつながる文学を並べて読むことが提案されています。そうすることによって、

これまで世界文学の作品集には入ることがなかったような作品も、メジャーな作 品との関連性から無理なく収録されるようになっています。また、昔からのカノ ンである『源氏物語』の理解や読みも、他の関連作品を読むことによって深まる でしょう。その他、

Perspectives

(視点)では宮廷の女性文学、その

Crosscurrents

(逆流)として軍記物が紹介されています。ここで見て分かるように、テーマに 基づいて様々な取り合わせを提案するロングマン版でも、中世以前の文学に関し ては地域別にまとまり、テーマの組み合わせは主に地域の中に限られています。

 それでは第3巻(

C

)、第4巻(

D

)を見てみましょう。第2巻と比べると作品 数は少なく、また、特にノートン版では、和歌に変わって俳句の占める割合が大 きいです。また、テーマという観点から見ると、ノートン第3版では地域を超え た「東アジアの演劇」を第3巻(2018年刊行予定の第4版では第4巻)に並べて 収録しています。これに関しては後ほどお話します。ロングマン版では近世以降 では地域を超えた組み合わせが混在し、「世界文学」作品集であるということをよ り強く感じさせられる並びとなっています。例えば井原西鶴の『好色一代女』は、

Liberty and Libertines

(自由と放蕩)というテーマの中で、ヨーロッパやアジアの

他の恋愛や自由をテーマにする作品(ロチェスター伯ジョン・ウィルモットの『理 性と人間への諷刺(

Satyr against Reason and Mankind

)』やイライザ・ヘイウッド の短編『ファントミナ、または迷路の恋(

Fantomina; or Love in a Maze

)』、ジャ ン・ジャック・ルソーの『社会契約論』など)と並んで収められています。ノー トンのように日本の他の近世作品と並べて収録するのと比べると、「日本の近世」

という個別の文脈からは離れますが、同時代に類似テーマを扱った他文化の作品 と並べることにより、日本古典に初めて触れる北米の学生でも受け入れやすい構 造になっています。また、日本に興味のある学生や研究者の立場からも、超域的 な新しい角度が提案されており、非常に興味深い並びになっています。

[表1]

ノートン第3版(2012) ロングマン第2版(2009)

B Japan s Classical Age

『万葉集』舒明天皇、額田王、柿本人麻 呂、大伴旅人、山上憶良

菅原道真

『古今和歌集』仮名序、在原元方、在原行 平、源宗于、紀貫之、遍昭、藤原敏行、

壬生忠岑、小野小町、凡河内躬恒、

竉(うつく)

Japan

『万葉集』 雄略天皇、舒明天皇、額田王、

柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良 紫式部『源氏物語』

Resonances『紫式部日記』、

藤原孝標女『更級日記』、

『堤中納言物語』より「虫愛づる姫君」

一九八

(4)

清少納言『枕草子』

紫式部『源氏物語』

鴨長明『方丈記』

吉田兼行『徒然草』→第4版では削除

『平家物語』

Perspectives: Courtly Women 小野小町 和歌道綱母『蜻蛉日記』

清少納言『枕草子』

Crosscurrents

『平家物語』

世阿弥『敦盛』

『松風』

Resonance

狂言『附子』(初版ではDに収録)

C East Asian Drama 世阿弥『敦盛』

(孔尚任『桃花扇』)

近松門左衛門『心中天網島』(浄瑠璃)

(『春香歌』)

→第4版ではDに収録。

なし

D Literature of Early Modern East Asia 井原西鶴『好色一代女』

俳句 

北村季吟、松尾芭蕉『奥の細道』、

森川許六、与謝蕪村

近松門左衛門『心中天網島』

Resonance穂積以貫『難波土産』

Perspectives: Journeys in Search of the Self 松尾芭蕉『奥の細道』

Perspectives: Liberty and Libertines 井原西鶴『好色一代女』

 続いて近現代文学作品の収録状況もご紹介します。表2をご覧ください。近世 までとは異なり、ノートン版でも超域的な収録がなされていることが分かりま す。日本文学作品も他国の同時代や同テーマの作品と並べられています。また、

あまりノートン版とロングマン版の選出作品が重ならず、特にノートン版の収録 作品は古典と比べて格段に少なくなります。さらに、古典では和歌や俳句重視 だったノートン版ですが、近現代の和歌や詩は全く収録されておらず、ロングマ ン版でも詩は一作品のみです。

 このような違いに加えて、この表を見て日本で教育を受けた方ならすぐ気づく であろうことは、日本の有名作家や作品とのズレです。先ほどの由尾先生の話と 重なりますが、収録作品の中に漱石のものはありません。漱石も鷗外もいませ ん。ただし、由尾先生が紹介した日本の人気作家の三島や川端は入っています。

これに対して、ノートン版第6巻に収録されている久志富佐子にご注目下さい。

おそらくみなさんの中にもこの作家をご存知の方は少ないのではないでしょう

一九七

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海外における日本古典文学、芸能

か。実はこの作家は、表3から分かるように、ノートン版の第2版から第3版に 改版された際に加えられた作家です。小島信夫の「アメリカン・スクール」に代 わって大江健三郎とともに収録されました。2018年に予定されている改版ではさ らに谷崎の作品が削られますが、久志富佐子の作品は残されます。

[表2]

ノートン第3版(2012) ロングマン第2版(2009)

E Realism Across the World

樋口一葉「わかれ道」 Perspectives: Occidentalism ̶ Europe Through Foreign Eyes

服部撫松『東京新繁昌記』

岡倉覚三 The Cup of Humanity from The Book of Tea

石川啄木「ローマ字日記」(Resonances to ドストエフスキー『地下室の手記』)

樋口一葉「わかれ道」

F Modernity and Modernism, 1900-1945 谷崎純一郎「刺青」

芥川龍之介「藪の中」

川端康成「伊豆の踊子」

久志富佐子「滅びゆく琉球女の手記」「『滅 びゆく琉球女の手記』についての釈明文」

Contemporary World Literature 大江健三郎「頭のいい『雨の木』」

Perspectives: The Art of the Manifesto 横光利一「新感覚論」

芥川龍之介「羅生門」「藪の中」「或旧友 へ送る手記」

Perspectives: Echoes of War

与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」

三島由紀夫「憂国」

Perspectives: Literature, Technology, and Media

村上春樹「TVピープル」

[表3]

ノートン第2版(2002) ノートン第3版(2012)

E 樋口一葉「たけくらべ」 樋口一葉「わかれ道」

F 谷崎純一郎「陰翳礼讃」

川端康成「雪国」

小島信夫「アメリカン・スクール」

谷崎純一郎「刺青」(第4版では削除)

芥川龍之介「藪の中」

川端康成「伊豆の踊子」

久志富佐子「滅びゆく琉球女の手記」「『滅 びゆく琉球女の手記』についての釈明文」

大江健三郎「頭のいい『雨の木』」

一九六

(6)

録から漏れるのはなぜでしょうか。それは、『世界文学アンソロジー』の中では、

日本はダイバーシティ(多様性)を担う役割を負っていることを示していると考 えられます。久志富佐子は女性であるだけではなく沖縄の作家であり、性と民族 の二重のマイノリティーの役割を持ちえます。『世界文学アンソロジー』の多様性 を高めるため、日本の中でもさらにマイナーな作家が採用されやすいのではない でしょうか。秋草俊一郎氏が前述の連載でも指摘されているように、シェークス ピアのような西洋で有名な作者を削ってマイノリティ作家を収録することは難し くても、漱石のような日本(あるいはアジア)で有名な作者を削ることは北米の アンソロジーでは比較的容易なのでしょう。また、鷗外や漱石のような西洋の影 響を受けた近現代作家より、樋口一葉のような「日本独自の」「純粋な」作家や作 品が採用されやすいようです。

 日本のアンソロジーの多様性を担う役割を如実に表しているのが古典と近現代 の採用状況と表紙絵の選択です。先ほど申し上げた通り、日本の文学作品の収録 状況は、近現代に比べて古典が多いです。また、男性作者の多い江戸時代よりも 女性作者の多い平安時代の方が収録作品は多くなります。表紙も、ノートン版の 第4巻は歌麿の美人画、ロングマン版の第2巻は平安時代の女性作者の肖像が選 ばれています。1990年代以前の西洋中心主義的な「世界文学」では完全な他者で あった日本ですが、多文化主義的な考えを反映した「世界文学」の中でも、エキ ゾチックでマイノリティーだという役割は多かれ少なかれ担わされています。

 その一方で、初期の世界文学作品集の収録作品と比べると、ノートンもロング マンも日本専門の研究者を編者に迎えている影響から、単純に既存の有名作品を 収めるのではなく、比較文学的視点や日本文学研究の現状を反映させた収録内容 になっています。ノートン版では、アジア文学の編者が第2版と第3版で中国文 学のスティーブン・オーウェン氏から和漢比較文学者のヴィーブケ・デーネーケ 氏に交替した結果、表4のように、平安時代の和歌、漢詩の収録が飛躍的に増え ました。特に菅原道真の収録は氏の専門を反映しているのでしょう。また、ロン グマン版で『源氏物語』の

Resonances

が充実しているのも、編者ハルオ・シラネ 氏の『源氏物語』への深い造詣が反映されていると考えられます。

[表4]

ノートン第2版(2002) ノートン第3版(2012)

B Japan s Classical Age

『万葉集』柿本人麻呂、大伴旅人

『古今和歌集』紀貫之、伊勢、在原業平、

Japan s Classical Age

『万葉集』舒明天皇、額田王、柿本人麻呂、

大伴旅人、山上憶良

一九五

(7)

海外における日本古典文学、芸能 紀友則、小野小町、清原深養父、素性法師、

源宗于、藤原興風、遍昭、壬生忠岑 清少納言『枕草子』

紫式部『源氏物語』

『平家物語』

菅原道真

『古今和歌集』仮名序、在原元方、在原行平、

源宗于、紀貫之、遍昭、藤原敏行、壬生忠 岑、小野小町、凡河内躬恒、竉(うつく)

紀貫之『土佐日記』

清少納言『枕草子』

紫式部『源氏物語』

鴨長明『方丈記』

吉田兼行『徒然草』→第4版では削除

『平家物語』

C なし East Asian Drama

世阿弥『敦盛』

(孔尚任『桃花扇』)

近松門左衛門『心中天網島』(浄瑠璃)

(『春香歌』)→第4版ではDに収録 D 能『白楽天』『敦盛』『道成寺』

Literature of Early Modern East Asia 井原西鶴『好色五人女』

松尾芭蕉『奥の細道』

上田秋成『雨月物語』

Literature of Early Modern East Asia 井原西鶴『好色一代女』

俳句 北村季吟、松尾芭蕉『奥の細道』、

森川許六、与謝蕪村

 ここで、現在の『世界文学アンソロジー』の問題点を一点指摘させていただき ます。それは、実用的な問題です。元々『世界文学アンソロジー』というのは、

高校や大学の1学期で学習する「世界文学」の授業の教科書を想定して出版され ています。しかし、1990年代以前まで多くても2巻だったものが6巻になったこ とによって、アンソロジーを全て1学期で取り扱うことは不可能になりました。

「世界文学」として古典から現代までを扱う授業の教科書として使われる場合、

多くの収録作品の中から1学期で読むことができる作品を教師が選ぶことになり ます。日本が専門ではない教師が教える場合は、結局『世界文学アンソロジー』

が拡大する以前から有名だった『源氏物語』や俳句などが取り上げられることが 多いのではないでしょうか。実際、「世界文学」の授業をとった学生に聞いた際 には、『源氏物語』と俳句以外に触れたという人はほとんどいませんでした。

 実際このような授業を通して日本に興味を持った学生が日本文学の授業を取る こともあります。ただ、古典重視でエキゾチックなイメージが強い世界アンソロ ジーの中の日本文学と、日本文学を中心にした授業を比べると、求められている 内容が異なります。日本文学の授業では、ただ古典だけを教えるということはま ずなく、古典から現代のつながりや、世界との共通点、関連性を踏まえた比較が 行われます。つまり、従来の「伝統」や「和」といった固定的なイメージにとら われない、世界の中に自然に位置する日本です。古典の授業でも、現代の映画や

一九四

(8)

議論されます。

 今までずっと「日本古典文学」が主に『世界文学アンソロジー』でどう位置づ けられているのかという話をしてきましたが、残りの時間でもうひとつのテーマ である「古典芸能」の位置づけについて触れたいと思います。まず『世界文学ア ンソロジー』の中でどのように収録されているのか、改めて見てみましょう。表 1と表4をご覧ください。どちらのアンソロジーも能と人形浄瑠璃は収録してい ますが、どちらも位置がまだ確定していないことに気づきます。ノートン版では 2002年版には4巻目に能が3作品収録されているのに対し、2012年版には能が1 作品に減り、近松の心中物が加わり、3巻目に「東アジアの演劇」として中国 の『桃花扇』と韓国の『春香歌』とともに収録されています。いずれの場合もあ まり前後の作品とのつながりは強く見られませんが、2012年版は「演劇」という ジャンルを強く意識させる構成になっており、東アジアの他の作品との比較も促 す形になっています。それに比べてロングマンは、初版では能と狂言を4巻に収 録していたのが、第2版では2巻に移動しています。もちろん単純にページ数の 関係だったのかもしれませんが、4巻にある場合には能の直後に置かれることで 演劇というくくりが強く意識され、2巻にある場合には「中世」という時代や

『平家物語』とのつながりが強く意識されるのではないでしょうか。少し広げて 考えると、これは古典芸能が文学としても演劇としても捉えられうるという問題 につながっていると思います。『世界文学アンソロジー』という枠組みの中では、

演じられてきた作品としての古典芸能ではなく、読んで鑑賞する文学としての古 典芸能という理解は当然できるものでしょう。しかし、『世界文学アンソロジー』

という枠組みを超えて日本古典芸能を考える際には、生きた芸能として、演じら れている舞台も踏まえて教えることはかなり有用な方法でもあります。

 アメリカで古典芸能を教える場合、私は

Languages, Literatures, and Cultures

(言 語文学文化)という学科で日本や文学に興味のある学生に主に教えていました

が、

Theater Department

(演劇学科)で日本のことを全く知らない演劇分野の専

門の学生に教える場合もあります。いずれの場合も、テキストを黙読するだけで はスピードや音楽、視覚情報など何も分からないので、画像や映像を見せること は非常に役に立ちます。また、学生と実際に朗読したり、動いたりすることもあ りました。そうすることによって、当時演じられて大衆に受け入れられていた古 典芸能を身近なものとして捉えることができます。以前私が教えた古典芸能の授 業では、期末のレポートの代わりに実際に能、狂言、文楽、歌舞伎などを一部制 作して演じてもらいました。制作を念頭に作品分析をすることで、文学作品であ れば読み飛ばしてしまいがちなト書きや衣装、音楽などにも注意を払ってもらえ

一九三

(9)

海外における日本古典文学、芸能

たと思います。ハワイ大学やポートランド州立大学などでは、学生による本格的 な歌舞伎や能の発表会などもあります。限られた場所ではありますが、このよう な活動が盛んな大学やその街では日本の古典芸能はより身近なものになっている と思います。

 大学から外に目を向けると、アメリカで日本古典芸能に触れる機会は一般の人 にもあります。大学内外で日本祭りが行われることも多く、そのような場所では 太鼓や落語などのパフォーマンスが行われます。また、さらに大都市になると、

日本からの海外公演が行われることもあります。特別日本に興味のない人でも、

演劇に興味がある人は海外公演で日本の古典芸能に触れる場合もあると思いま す。最後にほんの少しだけ、海外公演の傾向について大まかに紹介したいと思い ます。

 海外公演は戦前の歌舞伎に始まり、能、文楽も積極的に継続して行われていま す。近年は特に歌舞伎が盛んです。そこで面白いのは、この歌舞伎の海外公演 に『世界文学アンソロジー』と類似した変化が見られることです。以前は「伝統 的な正当な歌舞伎」を伝えようという、文化交流や紹介の一貫としての海外公演 が行われていました。受け取る側も「他者」の伝統芸能を鑑賞する、という立 場で、そこには明確な溝があったと思います。それはこの1982年7月1日付の ニューヨーク・タイムズの新聞評

The Grand Kabuki, which opened Tuesday night at the Metropolitan Opera House for a two-week run, is likely to seem an alien world to

Western eyes

(2週間の予定で火曜の夜にメトロポリタン・オペラハウスで開幕

した大歌舞伎は西洋の目には異世界に映るだろう)にも表れています。それに 対し、特に2004年の18代目中村勘三郎のニューヨーク平成中村座以降は、エン ターテイメント性を全面に出し、生きた演劇として楽しんでもらおうという海 外公演の試みが多くなりました。2015年、16年には、7代目市川染五郎(現10 代目松本幸四郎)がラスベガスでプロジェクションマップを使った歌舞伎を行 いました。当時、2015年5月7日の

LA

タイムズの新聞評がこちらです。

Think of kabuki as a Cirque du Soleil-type performance, complete with dramatic makeup,

costumes and performances.

(歌舞伎とは、ドラマチックなメイクとコスチューム

と演技を兼ね備えた、シルク・ド・ソレイユのような興行だとお考え下さい。)

新しい歌舞伎海外興行の意図を組んだ新聞評で、歌舞伎はシルク・ド・ソレイユ と比較されています。歌舞伎を他者として受け止めた1982年の新聞評とは対照的 に、古典や日本特異の伝統芸能ではない、世界のエンターテインメントを楽しみ に行く、という態度が反映されています。

 今までのことをまとめると、全体的に、「グローバル化する」日本文化を考え た場合、『世界文学アンソロジー』のように従来のようなユニークでエキゾチッ

一九二

(10)

は90年代や2000年前半くらいにより強く見られると思います。その一方で、これ からの「グローバル化」を考えた時、日本を必ずしも特異なものとして考えず、

古典と現代とのつながり、日本と世界とのつながりを考え、世界と自然に対話す る日本古典文化・日本文化が有るのではないかと思います。日本が特異なもので はなく世界の中で普通のものとして位置づけられる、その一般化の過程がグロー バリゼーションなのではないでしょうか。

一九一

参照

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