流通組織網の形成は農産品と非農産品とでは異なり、また農産品流通網に おいても、輸出作物と国内消費向け作物とではその流通経路の形成過程は異 なる。同様に輸出作物においても、非アフリカ人或いはエステートによって 生産された産物と、アフリカ人小農によって生産された産物とでは、(少な くとも1967年までは)流通経路は異なっていた。
農産品の流通組織の変遷は大きく二期に区分できる。それは、71〜75年の 流通組織の再編成の期間をはさんだその前後である。75年以降の流通組織の 詳細は資料並びに文献の欠如のために省き、71〜75年の再編成期までを概観 すると、これをまた三期に区分することができる。それらは、独立以前の流 通を担っていたアジア人商人に対し、アフリカ人による換金作物の奨励とア フリカナイゼーションの過程を経て協同体(1)が形成される一方、輸出の国家 管理という目的で設立されるマーケティングボードと合体し、「三段階」シ ステムの形成期とみなされる独立前、そのシステムが強化される1961〜69年 の完成期、及びそのシステムの崩壊期である71〜75年の構造改革期である。
一方、工業品の流通組織は独立までは全く民間私的部門による取引に任せ
流通組織の変遷:タンザニア農産品 生産者価格政策 1969/70〜1979/80年
中 島 章 子 *
*福岡大学経済学部
(本稿は筆者の修士論文の第2章である。)
− 1 −
( 1 )
られていた。独立以後の流通網の変遷は三期に区分されるが、その年代区分 は農産品の場合とは異なる。独立以降1967年までは第一期とみなされ、公共 部門の投資促進機関等の設立により間接的な流通組織への介入が行われる。
67年には国家交易公社(State Trading Corporation)の設立による非農産品の 公的流通組織が形成され、以後72年の地方分権化までを第二期とみなせる。
次に、国家交易公社から州交易公社へ重点の移動の生じるのが第三期である。
第一節 協同体(1)と三段階流通システムの成立
(1)協同体運動の形成
タンザニアの独立前後の人口構成を見ると人口に占める非アフリカ人の比 率を知ることができる。アジア人は数的にはさほど多くないが、経済的には 商業部門に重要な位置を占めていた。例えば、卸売り及び小売り合計の全商 人数48.535人中、アフリカ人は34.381名非アフリカ人は14.154名であったが、
後者は全取引額の2/3を取扱っていたことが1961年のサーベイで明らかにさ れている(2)。アジア人を総じて商業資本家階級と総称するシブジは、その根 拠を、①アジア人の間にも所得階層の分離、職業の分化は見られるが、その 所得階級層間、職業間移動率が高く、②商業資本と直接・間接の血縁関係等
表〔201〕 タンガニーカの人種別人口成長
(1910−1967)
Year African Asian European 1910 4, 700 8. 7 3. 7 1920 4, 900 9. 7 5. 3 1931 5, 800 32. 0 8. 2 1940 6, 500 34. 0 9. 1 1950 7, 700 76. 8 14. 9 1958 8, 700 95. 5 20. 6 1967 11, 482 105. 0 16. 9
〔出所〕Rweyemamu (1973), p.2
− 2 −
( 2 )
の関係を持ち、商業資本としての利益を共有し、経済活動の基盤が商業にあ ること、③他の階級やグループとの接触において植民地政府と生産者の間に 位置し、ひとつのアジア人共同体として機能している点に求めている(3)。
アジア人が商業部門において支配的(4)となった背景は、アフリカ人が主に バーター取引を行っていたからではなく(5)、植民地政府がアフリカ人の商取 引行為の許可を容易に認可しなかったことと、アフリカ人には600シリング 以上の信用取引行為を禁じていたという政策的、歴史的なものである(6)。
換金作物生産を通じて獲得、蓄積した資金を用いて、商業部門へ進出した アフリカ人商人の発生と、実現した余剰の配分をめぐるアジアとの利害対立 からの、アフリカ人換金作物生産者の利害を代表する流通機関の設立の要求 とが結合したのが、協同体運動である。協同体運動自体は1930年代より始ま るが、1950年代の一次産品ブームと国内交通網の拡大はアフリカ人の換金作 物生産の増大をもたらした。さらに、当時の独立運動、民族主義の高揚と相 俟ってその運動も拡大した。拡大の様相は表〔202〕で明らかであろう。例 えば、スクマランドの綿販売においては、「アジア人支配下の独占買付け機
表〔202〕 タンガニーカにおける 協同組織の発展
年次 登録協同組織数
1949 79
1952 172
1957 474
1958 546
1959 617
1960 691
1967 857
〔出所〕吉田昌夫(1969),p.72第4表
Saul, J. (1970), p.206
(註)吉田昌夫氏は協同組合も協同組織もひとまとめに協同組合としておられる。
1952年と1967年の数値はソールによるもので、それは協同組織数と明示して あるので、その区別に従った。
流通組織の変遷(中島) − 3 −
( 3 )
構の下での法的、あるいは腐敗や不正という非合法的な手段を用いた生産者 からの搾取への不満」(7)を反映して、協同体の取扱い比率は1953年には全集 荷高の13%であったのが、1956年には60%へ、そして、1959年には100%へ と成長するのである(8)。なお、スクマランドにおいてはこのような協同体が 連合し、ポール・ボマーニの指導の下に1955年にはヴィクトリア協合組合総 連合会(
Victoria Federation of Co-operative Unions
,略してVFCU
)が結成さ れた。1956年には、最初のアフリカ人所有の繰綿工場を新設し(9)、1958年に は一工場、1960年にはさらに四工場を増設し、1965年までには全収穫高の65%の原綿を繰るところとなった(10)。
さて、協同体の運動は、民族運動の担い手であり、アフリカナイゼーショ ンの一翼を担い、その指導者の内
TANU
指導者となる人物が輩出するのは 事実である(11)。しかし、協同体の性格は、タンザニア国内の農業の不均等 な発展を反映して、必ずしも一様なものではなかった。例えば、ブコバやキ リマンジャロにおいては富農層(Kulak)が抬頭していたがそれを背景に、換金作物の集荷を端緒とした協同体は、必ずしも零細農に基盤を置いた
TANU
を支持したわけではなかった。換金作物の生産地域の偏在ならびにそ の発展度の違いは、その生産者の利害を代表する協同体を地域主義においら ざるを得なかった。同時に、植民地政府の下で、交通網は不均等に発達し、かつ全体の発達度は低い状態で、互いに有機的な国民経済の形成がなされず、
また、部族・首族制が残存していた情況下では、協同体が部族主義(tribal-
ism
)(12)に陥るのもやむを得なかった(13)。(2)マーケティングボード制の導入
一方、植民地統治下の第二次世界大戦時に英連邦相互間、及び英国への物 資の流通を確保する目的で、一括購入制度(bulk purchase)が導入された。
この制度を保障する組織として導入されたのがマーケティングボードである。
− 4 −
( 4 )
生産者
協同組織 協同組合
各マーケティング
! ボード
#%
コーポラディブズ ソサイティ
"
$&
!#
%
コーポラディブズ ユニオン
"
$&
農務省の管轄下に、各々の産品毎に物資の流通を独占的に管理するマーケ ティングボードが設立され、実際の取引きには代理者がボードから指定され た。この経緯は、吉田昌夫氏の一連の研究に詳しいので、詳述は避ける。こ の組織は独立後も継承される。
(3)三段階流通システムの成立
さて、1961年の独立に伴い、農産品の集荷はすべて協同体が取扱うことが 法律で定められた。これは、民間商業資本から農民を保護する目的であると 同時に、当時のタンザニア政府と
TANU
が、協同体運動をその農村開発の礎 とみなしていたことを表す(14)。さらに、1967年の社会主義化の宣言により民間農産品流通網はすべて消滅 せられることとなる(15)。
この協同体と各マーケティングボードとの結合で形成される三段階流通シ ステムは以下のように図解できる。
(a)輸出作物の場合
各マーケティングボードには、タンザニアコーヒーボード、リントアンド シードマーケティングボード、タバコボード、サイザルマーケティングボー ド、除虫菊ボード、砂糖ボード、及びタンザニア茶ボードがある。なお、輸 出作物のカシューナッツは、まず国家農産品ボード(National Agricultural Ex-
port Corporation
)が購入し、GAPEX
が輸出する。国内消費向け作物は、輸出作物同様に協同体を通じ、国家農産品ボード
(NAPB)が購入する。なお、国内消費向け作物が輸出される場合は、さら に
GAPEX(General Agricultural Export Corporation)を通す。
流通組織の変遷(中島) − 5 −
( 5 )
生産者
協同組織 協同組合
国家農産品ボード
(NAPB)
!#
%
コーポラディブズ ソサイティ
"
$&
!#
%
コーポラディブズ ユニオン
"
$&
オイルシード(ひまわり、ごま、ピーナッツ他)
穀物 (メイズ、小麦、米他)
(b)国内消費向け作物の場合
第二節 三段階流通システムへの批判
さて、以上の協同体とマーケティングボードによる流通組織への批判は、
早くも1966年頃より現われ始め、その批判は、汚職等の腐敗、高い流通コス ト、生産者価格に地域格差のある点、及び余剰金の処分に対する批判、の四 つに要約できよう。
(1)汚職等の腐敗
1966年の、協同体とマーケティングボードに対する大統領特別委員会調査 報告は、協同体管理職の能力欠如、具体的には会計簿の不記載、不正、資金 の私物化、悪質融資等と、恣意的な管理者の選挙や職員解雇を行ったり、融 資借入金を返済しないといった協同体員自体の責任・無理解を挙げ(16)、協 同体会計の汚職や不正の事実を指摘している。翌1967年には大統領自身が、
「もしも、農業生産の基本的構造が資本主義であるならば、販売協同体は生 産者の合同の利益を代表するという意味で、社会主義的組織であるとしても 資本主義に貢献することとなる」(17)として、協同体構成員の階層分化、及び 個人的農業生産(18)に問題の基本的原因を求めた(19)。さらに1971年には、協 同体食糧及び農務大臣のブライスソンは、協同体がその廃絶を目的とした中 間商人に今や成り代わっている、とまで発言するに到った(20)。
これら一連の言動の背景には、1967年の社会主義化の宣言、ウジャマー村 開発への動きがあり、問題は、換金作物の集荷・販売組織としての協同体と、
− 6 −
( 6 )
生産共同体を指向するウジャマー村との連繋、あるいは対立であった。
(2)非効率と高い流通コスト
さて、批判の第二番目は非効率によるところの高い流通コストである。流 通部門の独占の下で、実現した輸出価格から流通経費を差し引いて生産者に 支払うという価格決定の下では、流通部門にその経費を節約するというイン センティブは働かない。生産者、あるいは協同体は、マーケティングボード の公示生産者価格に対し、何らかの「圧力」を加えるか、あるいはより報酬 の高い生産物に生産をシフトさせるか、国境を越えて密売するか、仮に闇市 場がより高い生産者価格を与えればそこに売るかの手段しかない。後者二つ の選択は非合法である。次稿の表〔304〕で伺えるように、コーヒーと茶以 外の収益性は殆んど一様であり、コーヒーと茶の栽培できる地域は限られて いることから、換金作物を代替する可能性も小さかったことが判る。流通コ ストの高さの一例を
NAPB
のメイズの場合と、他の非穀物の場合において表〔203〕に示す。
表〔203〕 輸出作物とメイズにおける流通マージン 〔単位:%〕
1964/
1965 1965/
1966 1966/
1967 1967/
1968 1968/
1969 1969/
1970 1970/
1971 1971/
1972 マイルドアラビカ
コーヒー
n.a
275 146 150 153 140 86 63 ハードアラビカコーヒー 2 37 32 60 45 170 −64 109
ロブスタコーヒー 80 85 77 65 24 116 28 65
綿 73 62 79 92 73 66 89 119
カシューナッツ 53 54 46 56 68 56 32 40
除虫菊 227 215 315 269 312 356 313 311
メイズ 103 86 93 79 79 100 77 84
〔出所〕Odegaard, (1974) Sehedule, No.1., Temu, P,, (1975) Table 8, p.81.
(註)この流通マージンは,協同体のそれと,マーケティングボードの両方を含む。
算出方法は,(ボードの販売価格−生産者価格)/生産者価格
流通組織の変遷(中島) − 7 −
( 7 )
さらに、この流通マージンを協同体のそれとマーケティングボードのそれ に、メイズの場合に限ってみると、マークアップ率では協同体の方が高かっ たことが判る(表〔204〕参照)。
クリーゼル等の行ったミシガン大学関係者の調査報告書は、協同体を通じ ての流通コストが規模の経済、即ち収穫逓増の性格をもつことを明らかにし た。さらにこの研究を引き継いだマーケティング開発局(Marketing Develop-
ment Bureau)の研究は、その高い不変費用の原因が不正融資や融資の不返
表〔204〕 メイズの価格構造 1964−1974
年 度 1964 1965 1966 1967 1968 1969
生産者価格 29 26 28 27 29 29
ボードの購入価格
(セント/kg) 39 36 39 40 44 44 ボードの販売価格
(セント/kg) 49 53 52 52 52 52 協同体マークアップ率
(%) 34 38 39 48 52 52
NAPB
マークアップ率(%) 26 47 33 30 18 18
総マークアップ率
(%) 69 103 86 93 79 79
年 度 1970 1971 1972 1973
Average
生産者価格 26 26 25 26 27
ボードの購入価格
(セント/kg) 39 39 34 41 40 ボードの販売価格
(セント/kg) 52 46 46 48 50 協同体マークアップ率
(%) 50 50 36 58 48
NAPB
マークアップ率(%) 33 18 35 17 25
総マークアップ率
(%) 100 77 84 85 85
(註)年度は前年7月1日〜当該年6月30日。
生産者価格は、アルーシャ,ドドマ,イリンガ,キリマンジャロ,モロゴロの平均価格。
〔出所〕
P. Temu (1975), p.81,
第8表。− 8 −
( 8 )
済等にあたることを明らかにした(21)。
(3)地域格差の拡大
批判の第三点は、この流通組織下では、各協同組合が自由にその流通費用 を算出し、各協同組織へ生産者価格を支払ったため、また、各協同組織の流 通コストも異なったために、生産者価格に地域格差が生じたことである。す でに説明した通り、交通網が不均等に発達した状況で輸送コストを各協同組 合が負担したことは、より交通アクセス度の低い地域ほど生産者価格が低く なることを意味した。より発展度の低い地域では賃金コストが安く、その地 域で産出される財の価格も低いので、各目所得が低くても物価も同じ程度低 ければ、実質所得は低くはないかもしれない。しかし、輸入財や各地域で産 出された財に対する購買力は小さく、かつ、域外で産出された財の消費がゼ ロということがない限り、やはり地域格差は拡大する。これが批判の第三点 である。
表〔205〕 農産品流通の平均費用
CASHEW COTTON COFFEE MAIZE
Volume Handled
(tons)
Cost per Ton
% Decrease
Cost per Ton
% Decrease
Cost per Ton
% Decrease
Cost per Ton
% Decrease
200 105 − 140 − 140 − 73 −
400 54 49 77 45 90 34 47 36
600 38 30 61 21 64 29 33 30
800 30 21 55 10 56 12 27 18
1, 000 27 10 53 4 53 5 22. 5 17
1, 200 26 4 52 2 52 2 19 16
1, 400 25 4 51 2 51 2 17 11
Source : Michigan Study. Quoted in M. D. B. (1974) p.23. Kriesel (1970), p.71.
流通組織の変遷(中島) − 9 −
( 9 )
(4)余剰の処分
第四番目の批判は、流通組織網の蓄積した余剰の処分に対して行なわれた。
前述のビクトリア協同組合総連合会のような集荷農産品関連産業への投資例 としては、キリマンジャロの
KNCU
(Kilimanjaro Native Co-operative Union
) によるコーヒー加工工場の設立例もある。マーケティングボードの余剰利用 としては、集荷産品への関連投資、あるいは融資が挙げられる。例えば、リ ントアンドシードマーケティングボードがビクトリア協同組合総連合会へ融 資したのは好例である。しかしながら、一方で、余剰金の処分に対する不正や不良融資が行われた 事実や、KNCUによるホテル建設のように、経済全体の投資可能な余剰金 に制約のある段階で、その投資が妥当なものであるか批判の対象となった例 もある。同時に、換金作物栽培地域に発達した協同体が、ウジャマー建設に
生産者価格の地域格差 表〔206〕 メイズ(Ⅰ、Ⅱ級混合品種)
協同組合 年次 65/66 66/67 67/68 68/69 69/70 70/71 71/72 72/73 73/74
リンディ州協同組合 27 20 20 20 16 20 20 20 35 キゴマ州協同組合 24 25 25 25 25 26 25
n.a. n.a.
KNCU
(キリマンジャロ) 30 30 30 30 28 28 28 26 31ARCU
(アルーシャ) 26 26 29 29 29 26 26 25 35〔単位:キログラム当りセント表示〕
表〔207〕 コーヒー(アラビカパーチメント*) 協同組合 年次 65/66 66/67 67/68 68/69 69/70 70/71
KNCU
216 298 268 233 440 412ARCU
362 298 296 241 421 418キゴマ州協同組合 221 221 221 221 221
n.a.
*先渡しと後払いの合計 〔単位:キログラム当りセント表示〕
〔出所〕Odegaard (1974), Annex Table No.Ⅲ‐
1 and No.Ⅱ‐ 1
より−10−
( 10 )
積極的にその余剰を振り向けたか否かも問題であった。
第三節 三段階流通システムの解体
第二節で展開された批判を受けて、1972年から1976年は流通機構の制度改 革期とみなせる。まず、1973年には国家農産品ボード(
NAPB
)が国家製粉 会社(National Milling Corporation)へ組織替えされる。そして、1972年から 1976年までの間に各マーケティングボードは各作物オーソリティーへと合理 化される。1972年の地方分権化の影響で、輸入品と工業製品の流通を取仕 切っていた国家交易公社(State Trading Corporation)が国内交易ボード(Boardof Internal Trade
)に改変され、かつ各州の州交易公社がSTC
から独立し、各々独立の組織として機能することになり、消費財の販売経路の改変が行わ れた(22)。
1973年から76年の間のウジャマー集村化の達成の後、村ではマドゥカ ショップ(Maduka shop)が操業を開始し、農村部の協同体所有や私有の小 売店、及び末端の農産品集荷組織に代替することとなり、1975年にはすべて の協同組織が廃止された。マドゥカショップの設立数は1976年12月で300戸 から1977年3月には3,284戸へと急増し、当時のウジャマー村の40%に開店 した(23)。引き続いて、卸売組織を形成していた協同組織が全廃せられた。
表〔208〕 タンガニーカの協同組織の余剰金
年次 拠出資本金 貯蓄及び余剰金
1949 78,019 276,040 1957 207,310 1,961,270 1958 228,250 2,264,562 1959 248,662 2,617,615 1960 249,195 3,019,811
〔出所〕吉田昌夫(1969)p.72第4表 〔単位:ポンド〕
流通組織の変遷(中島) −11−
( 11 )
即ち、協同体は協同組織も協同組合も全廃され、代わりに農村部ではマドゥ カショップが代替する一方、マーケティングボードもすべて廃止され各作物 オーソリティーが取って代わるのである。
第二節で述べた三段階流通システムへの批判が、この流通組織の改変の根 拠を与えたことは明らかである。では、上述の批判点は改善されたのであろ うか。
まず、第一点の汚職や腐敗であるが、ジョン・ソールは、1966年前後より 協同体運動に政府が介入し始めた時点から、政府の介入の根拠となった協同 体の腐敗は認めながらも、政府が介入することで改善できるという根拠は見 出せないとしている(24)。流通組織は農業から非農業への「余剰」の移転機 関である。あるいは、流通コストという名目で生産者価格を抑えている搾取 機関であるとも言えよう。搾取機関である以上、腐敗すること、即ち生産者 の利益を代表しないのは、それは如何なる行政改革を行っても相対的あるい は短期的には改善されても、抜本的には改善し得ない基本的な特質であった。
第二点の高い流通コストの問題であるが、これは一概には言えない。メイ ズの1974年の価格構成で見ると、国家製粉公社(
NMC
)の流通マージンは 65.3%であり、国家農産品ボード(NAPB)時代の平均85%よりは改善して いる(25)。しかし、一方コーヒーの場合その流通コストは、1976年のマーケ ティングボードからコーヒーオーソリティーへの改革後はより増大している(表〔209〕参照)。
第三点の地域格差の除去であるが、まず、商業部門の公営企業の利潤の動 きを見ると、改革後の利潤/売り上げ比率は増大していることが判る(26)。し かし、その余剰の処分内容に関しては不明である。
−12−
( 12 )
第四節 結語にかえて
本稿を要約し、前稿のフローチャートとの関連から、流通組織の変遷を位 置づけてみる。
(1)協同体は、アジア人商人資本からアフリカ人換金作物生産者がその利 害を守る運動として発展した。
表〔209〕 コーヒー所得の構成(1962/63〜1978/79)
Source
Producer Earnings
(%)
Marketing and Proc- essing costs(%)
Government Earnings
(Export Tax)(%)
Mbilinyi
*(1974)
p. 54
Ellis and Hanak
(1980)
p. 13
Mbilinyi Ellis
**Mbilinyi Ellis
1962/63 93 7
1963/64 94 5 2
1964/65 88 5 8
1965/66 84 7 10
1966/67 83 7 10
1967/68 81 9 10
1968/69 81 9 10
1969/70 82 80. 7 8 11. 1 10 8. 2
1970/71 78. 5 11. 7 9. 8
1971/72 79. 3 11. 5 9. 3
1972/73 72. 1 10. 0 17. 9
1973/74 60. 6 9. 6 29. 8
1974/75 72. 4 11. 7 16. 0
1975/76 69. 1 12. 0 18. 9
1976/77 48. 2 8. 2 43. 5
1977/78 46. 2 12. 1 41. 7
1978/79 45. 5 17. 4 36. 6
(註)*
Mbilinyi
の生産者には協同組織の流通コストを含む。**タンザニアコーヒーボートとタンザニアコーヒーオーソリティーの流通コスト及 び控除分、1975/76年までの協同組織及び協同組織税と75/76年以降の村税を含む。
〔出所〕Nakajima, A., Price Stabilization with Reference to Coffee and Tanzania,サセックス 大学修士論文、p.108.
流通組織の変遷(中島) −13−
( 13 )
(2)一方のマーケティングボードは、歴史的には生産量の確保を目的とし て形成された組織である。
(3)協同体とマーケティングボードによる三段階流通システムに対しては、
余剰の処分をめぐっての会計上の汚職・不正等、高い流通コストと生産 者価格の地域格差、協同体投資が社会的に適切かの点から批判された。
(4)上記の批判を受けて、1975−76年にはすべての協同組合及び協同組織 が廃止される。一方、マーケティングボードは各作物のオーソリティー に取って代わられ、それは輸出作物生産に対し、より直接的な生産管理 を行うこととなった(27)。
(5)以上の流通組織の変遷は、農業余剰の搾取、あるいは移転経路である 商業部門に対するアフリカ人あるいは公共部門の管理強化の過程と把え ることができる。そして、三段階システムの崩壊は、一方では集村化に よって形成された各村に余剰処分を委ねる動きであり、一方のマーケ ティングボードからオーソリティーへの改革は、輸出作物に対する生産 管理の強化と、政府あるいは公共部門の流通部門への介入の強化の過程 と解せる。
(6)構造改革後の流通コストが改善したとは一概には言えない。
〔註〕
(1)Cooperative Union を協同組合、Cooperative Society(Primary Cooperative)を 協同組織と訳し、その両方を意味する Cooperatives は協同体と訳す。
(2) Shivji, I. (1975), p.42.
(3)Ibid, pp.45 ‐ 48.
(4)「支配的」という言葉は、(!)商取引に占める比重が大きいこと、(")商取 引規模の規制により、アフリカ人は相対的に小売業が多く、アジア人は卸売 が多かったために、そこには或る支配−被支配の関係が起こり得た、の二重 の意味で用いている。
(5)Rweyemamu, J. (1973), pp.28 ‐ 29.
−14−
( 14 )
Accessibility
Least Greatest
0 km 200
(6) Ibid, p.29.
(7) Shivji, I. (1975), p.67 における Maguire, Towards ‘Uhuru’ in Sukumaland : A Study of Micropolitics in Tanzania, 1945 ‐ 59,ハーバード大学博士論文(1966)
より引用。
(8)Shivij, I. (1975), p.67.
(9)吉田昌夫(1969),p. 72.
(10)Shivji, I. (1975), p.68.
(11)吉田昌夫(1969),p. 71.
(12)協同組合と富農、及び富農と TANU の関係、そして協同組合の地域主義・部 族主義に関しては、 Shivji, I. (1975), p.58.
(13)交通網の末発達、及びその不均等な発達は下図参照。
(註)地図は港、鉄道の連絡駅、鉄道・道路の接続点、異なる質の道路や空港等への近接度を 示す指標に基く。
〔出所〕O’connor (1971), p.268第
20
図図〔201〕 東アフリカの交通網へのアクセス度
流通組織の変遷(中島) −15−
( 15 )
(14) Katabaruki (1976), p.5. Sadleir, T. R., The Cooperative Movement in Tanganyika よりの孫引き。
(15)Ibid., p.16.
(16)吉田昌夫(1969),p. 81.
(17)Nyerere, J. K. (1967) よりの引用.Saul, J. (1972), p.287.
(18)個々の構成員の意識のあり方も一要因となり得るだろう。
(19)Saul, J. (1970), pp.206 ‐ 208.
(20)Saul, J. (1972), pp.292 ‐ 293.
(21) M. D. B. (1974)
(22) Katabaruki (1976), pp.34 ‐ 35.
(23)Hyden, G. (1980), pp.132.
(24)Saul, J. (1970), pp.209.
(25)I. L. O. (1978), p.66.
(26)Tanzania, The United Republic of. (1977b) 参照のこと。
(27)Katabaruki (1976), p.33.
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