史料紹介 明治三年「糺邪下問日誌」 : 福岡藩預 かり浦上キリシタンからの聞き取り
著者 鷺山 智英
雑誌名 人間文化研究所年報
号 30
ページ 79‑96
発行年 2019‑08‑31
URL http://id.nii.ac.jp/1219/00001007/
史 料 紹 介 明 治 三 年 ﹁ 糺 邪 下 問 日 誌 ﹂
〜 福 岡 藩 預 か り 浦 上 キ リ シ タ ン か ら の 聞 き 取 り 〜
鷺 山 智 英
﹁ 糾 邪 下 問日 誌
﹂ と 表題 が あ る 長帳
︵ 長 帳 A
︶が 一 冊 と
︑表 題 な し の 長 帳
︵ 長 帳B
︶ が 一 冊の 二 冊 で 一組 に な っ て いる
︒ 長 帳 Aは 取 り 調 べ を し た こ とを ま と め た形 で 作 成 され て い る
︒ 長帳 B は 取 り調 べ 中 に 記 述 し た も のだ と 思 わ れる
︒ 長
崎 で は 慶応 三
︵ 一 八六 七
︶ 年 に多 数 の か く れキ リ シ タ ンが 明 治 政 府 に よ っ て 逮捕 さ れ
︑ 全国 各 地 に 流 配さ れ た
︒ いわ ゆ る
﹁ 浦上 四 番 崩 れ
﹂ と 呼 ば れる も の で ある
︒ こ こ で 紹 介す る 史 料
﹁糺 邪 下 問 日 誌﹂ は
︑ そ の浦 上 四 番 崩れ で
︑ 福 岡 藩 に 預 け られ た キ リ シタ ン
︵ 邪 徒
︶を 改 宗 さ せる た め に 真宗 僧 侶 が 聞 き 取 り を した 記 録 を 書き 付 け た も ので あ る
︒ この 史 料 が 真宗 僧 侶 の 手 に な る こ と は
︑ 長 帳 Bの 末 尾 に
﹁ 萬 行 寺 様
﹂や
﹁︵ 七 里
︶ 恒 順 大 法 梁
﹂ と 記 さ れて い る こ とに よ り 推 測 でき る
︒ 福 岡 藩 に 預け ら れ た キリ シ タ ン の 教諭 に つ い ては
︑ 拙 論
﹁ 明治 二 年 福 岡 藩 の キ リシ タ ン 預 かり
︱ 真 宗 僧 侶に よ る 教 諭を め ぐ っ て
︱﹂
︵﹃ 福
岡 地 方 史研 究 会 会 報
﹄ 号
・ 一 九九 五 年
︶ に おい て
︑ 地 元福 岡 の 史 料 で あ る
﹃ 見 聞 略 記
﹄︵ 高 田 茂 廣 校 訂
・ 海 鳥 社
・ 一 九 八 九 年
︶ お よ び 本 願 寺 史 料 研 究 所 所 蔵 の
﹁ 筑 前 諸 記
﹂︵ 福 岡 藩 の 真 宗 寺 院 と 本 願 寺 と の 書 簡 記 録
︶な ど の 記 述を も と に 論述 し て い る
︒ 福 岡 藩 には 明 治 二
︵一 八 六 九
︶年 一 二 月 に 二百 三 十 四 名の キ リ シ タ ン が 送 ら れて き て い る︒ キ リ シ タン は 源 光 院 とい う 廃 寺 に収 容 さ れ た が
︑ 翌 年 三月 に は 山 口藩 へ 全 員 移送 さ れ て お り︑ 福 岡 藩 での 滞 在 は 大 変 短 い も ので あ っ た
︒ 真 宗 僧 侶が キ リ シ タン へ の 教 諭を 福 岡 藩 へ 申し 出 て い るの は 明 治 三 年 二 月 で あ る
︒そ の 時 の 願 書 に
﹁邪 徒 改 正 箇 条 書
﹂︵
﹁ 筑 前 諸 記
﹂︶ と い う 具 体的 な 取 り 組み の 内 容 を 添え て い る が︑ 大 変 興 味 深い も の な の で 紹 介 して お こ う
︒ 邪徒
改 正 箇 条書 一 邪 徒 之迷 執 浅 深 等尋 問 支 度 候 事
七九
右 者 彼 邪 徒固 執 す る 所由
︑ 猶 邪 宗之 意 趣 等 色 々訊 問 支 度
︑譬 者 病 根 を 熟 察 不 仕候 而 者 保 薬之 応 験 無 之︑ 配 剤 之 加 減難 斗
︑ 篤 と診 脈 仕 候 上 取 掛 リ 申度 候
︑ 此 義者 初 ニ い たし 申 度 候 事 一 墨 刑 御 取 斗御 願 申 上 ル事 右 者 重 き 御制 禁 相 犯 候罪 科
︑ 且 者以 来 捨 邪 皈 正之 結 縁 ニ も相 成 可 申 歟 ニ も 奉 存候 ハ
︑ 人 別背 中 ニ 六 字 名号 入 墨 之 刑罪 御 取 斗 御願 申 上 候 事
︑ 猶 又 万一 牢 を 破 リ出 奔 抔 仕 候 節ハ よ き 目 印ニ も 相 成 可申 候 事 一 衣 食 住 ニ 付褒 貶 支 度 候事 右 ハ 人 別 取調 子 か ゝ り浅 入 之 者 ハ 別牢 ニ 移 し
︑再 三 説 諭 ニも 及 ひ
︑ 強 而 念 仏 又ハ 礼 仏 等 為致 申 度
︑ 仮 初ニ 而 も 念 仏等 い た し 候者 ハ 是 迄 一 日 ニ 弐 合之 飯 米 ハ 三合 ニ も 仕 リ
︑菜 も 此 に 準し
︑ 寒 中 なれ ハ 蒲 団 等 ニ 而 も 与施 へ
︑ 暑 中な れ 者 蚊 帳 等ニ 而 も 施 し候 ハ ゝ 自 分今 日 之 活 命 ニ 引 さ れ︑ 自 然 と 改心 之 心 持 ニ 相成 可 申 歟
︑又 深 入 固 執 之者 ハ 衣 食 と も 相 滅し
︑ 是 迄 弐合 之 粮 米 は 壱合 ニ 仕 リ
︑勿 論 蒲 団 等 も相 施 さ す
︑難 義 為 致候 ハ ゝ 是 亦活 命 ニ 相 拘リ 候 義 ニ 付
︑自 然 ハ 悔 憎 可仕 歟
︑ 此 等 ハ 外 より 之 計 略 ニ而 内 々 ハ 専 ら破 邪 之 教 諭可 仕 候 事 右 ニ 付 牢 舎在 来 之 外
︑別 牢 四 ケ 所 ニ支 度
︑ 尤 只今 二 ケ 所 空 牢有 之 分 ニ 而 御 仕 切可 被 下 候
︑右 者 改 正 仕 替リ 浅 入 之 者男 女 共 別 牢 所替 為 致 度
︑ 尚 又 深入 固 執 之 者男 女 共 是 亦 別而 難 義 な る牢 ニ 所 替 為 致度
︑ 如 此 深 入 之 者在 来 之 牢 ニ引 戻 し 候 而 ハい ま た 改 正仕 掛 リ 不 申 分之 防 リ ニ 相 成 申
︑尚 又 改 正 取 掛リ 候 浅 入 之者 も 在 来 之牢 ニ 引 戻 し 候ハ ゝ
︑ 是 亦 仲 間 迷執 之 毒 気 吹 込ミ 候 而 ハ 同気 相 扶 改 心運 方 不 弁 利 ニ御 座 候 事
一 教 諭 筋 之事 右 者 破 邪顕 正 之 次 第ニ 支 度
︑ 譬者 飽 食 之 者 ハ如 何 な る 美食 を 施 す と も 食 せ さる か 如 く
︑邪 毒 満 腹 いた し 候 得 ハ
︑先 彼 か 邪 毒を 抜 キ
︑ 而 し て 正 法を 与 へ 可 申︑ 於 中 木 石之 如 キ 愚 婦 も有 之 候 得 ハ︑ 容 易 ニ ハ 調 子 難 届︑ 素 ヨ リ 木石 を 相 手 ニ 教諭 仕 覚 悟 ニ而 十 分 尽 力支 度
︑ 固 執 之 魁 た る者 を 改 心 之見 込 難 相 立 候得 共
︑ 月 を重 ね 手 を 終て も 屈 伏 為 致 度 奉 存候 事 一 幼 弱 養 育之 事 右 者 十 七才 已 下 之 者ハ 邪 毒 も 有 之間 敷 歟
︑ 乳呑 子 者 邪 徒之 両 親 を 遠 ケ
︑ 別 乳ニ 而 養 育 為致 候 ハ ゝ 良 民ニ も 相 成 可申 乎
︑ 尚 又右 幼 弱 之 父 母 親 子 之恩 愛 よ り 改心 者 仕 間 敷 乎ニ 奉 存 候 一 警 衛 役 並賄 方 一 致 ニ申 合 仕 候 事 右 者 改 心褒 貶 之 取 斗も 有 之 候 得 ハ︑ 一 致 ニ 申合 不 仕 候 而 ハ不 弁 利 之 義 も 相 起リ 可 申 乎 ニ奉 存 候 一 旧 源 光 院出 入 鑑 札 拾枚 申 請 度 候 事 右 者 為 教諭
︑ 人 選 ニ而 差 起 候 節
︑右 鑑 札 目 当ニ 而 出 入 候 様御 掛 リ 御 役 筋 江 御引 合 被 成 置被 下 度 候 事 一 教 諭 之 節︑ 御 役 人 御立 合 被 下 候 度候 事 右 者 当 日御 警 衛 之 御役 ヨ リ 御 立 合被 下 候 様 御願 申 上 候
︑ 尤邪 徒 之 情 ニ 依 リ 御立 合 被 下 候て 却 而 不 便 利之 儀 も 可 有之 哉 ニ 被 存 候得 ハ
︑ 時 ニ 応 し て出 役 可 被 下候 事 一 取 調 子 教諭 之 場 所 申受 候 事 右 者 牢 中ニ 而 ハ 甚 不弁 利
︑ 当 院 内ニ 而 一 間 御渡 被 下 度 候 事
八〇
一 愈 改 心 仕 候目 当 之 者 之事 右 者 真 実 より 聞 法 随 喜之 挙 動 を 以て 目 当 ニ 仕 候事 右
ケ 条 之 外御 伺 申 上 度義 も 御 座 候得 共
︑ 取 掛 リ現 業 相 見 定メ 候 上 ニ 而
︑ 又 々 御願 申 上 ル 義も 可 有 御 座候
︑ 何 様 右 拙策 御 取 捨 奉願 候 已 上 午 二 月 福
岡 藩 は 預か っ た キ リシ タ ン を 改宗 さ せ る た めに 教 諭 を おこ な う 予 定 は な か っ たよ う で あ る︒ そ れ は お そら く 短 期 間で 山 口 藩 へ移 送 さ せ る こ と が 予 定さ れ て い たか ら で は な いか と 思 わ れる
︒ 実 際 真宗 僧 侶 が 願 い 出 る ま で神 道 に よ る教 諭 も お こ なわ れ て い なっ か た よ うで あ る
︒ そ の よ う な 中で の 真 宗 僧侶 に よ る 教 諭の 願 い 出 に対 し て
︑ 福岡 藩 は キ リ シ タ ン の 内男 子 三 十 七名 の み を 許 可し た
︒ こ の三 十 七 名 は信 仰 心 が 篤 い 者 だ っ た︒
﹁ 筑 前 諸 記﹂ で は 教 諭 の実 態 に つ い ては 具 体 的 に述 べ ら れ てお ら ず
︑ 教 諭 の 結 果 とし て
︑ 山 口藩 へ の 移 送 前に 五 名 が 改宗 の 兆 し が でて き た と の み 記 述 され て い る
︒ 今 回 紹 介 する
﹁ 糺 邪 下問 日 誌
﹂ に は︑ 真 宗 僧 侶が 実 際 に キ リシ タ ン と 面 会 し
︑個 別 に 聞 き 取 っ た 内 容 な ど が 記 録 さ れ て い る
︒﹁ 邪 徒 改 正 箇条 書
﹂ の 冒頭 に も
﹁ 邪徒 之 迷 執 浅 深等 尋 問 支 度候 事
﹂ と 書 き上 げ て いる よ う に
︑最 初 は 一 人一 人 に 面 会 して 聞 き 取 りを し て い る
︒ 家 族 構 成 やキ リ ス ト 教の 教 義 に つ いて
︑ ま た 入信 し て の 年 数な ど を 聞き 取 っ て いる
︒ 聞 き 取 りの 記 録 は 三月 十 三 日 から 十 六 日 ま で残 さ れ
て お り
︑ 全部 で 十 六 名で あ る
︒ 例 え ば
︑市 右 衛 門
︵二 十 六 才
︶は
﹁ 入 宗 三 年程
︑ 然 レ ドモ 聞 ク 事 ハ 壱 ケ 月 ニ 二度 三 度 ナ リ﹂ と あ り
︑他 に 記 述 も ない の で あ まり 信 仰 に 熱 心 で は な い様 子 が 読 み取 れ る
︒ 市右 衛 門 は
﹁ 正徳 寺 門 徒 ナリ
﹂ と の 記 述 が あ る
︒檀 那 寺 が 真宗 の 場 合 のみ 寺 号 が 記 して あ る
︒ ま た
︑ 春 五 郎
︵ 二 十 五 才
︶の 記 述 に は
︑﹁ 両 親 ハ 此 宗 門 ニ 入 ラ ス シ テ 竹 ノ ク ボニ 有 リ
︑ 外ニ 兄 弟 モ 此 宗ニ 入 ラ ス
﹂と あ り
︑ 一家 全 員 が 入 信 し て い た訳 で は な いこ と が 知 れ る︒ 春 五 郎 も正 徳 寺 の 門徒 と 記 述 が あ る
︒ 教 義 に つい て は
︑ 平左 衛 門
︵ 二 十二 才
︶ の 記述 が 詳 し い︒ 僧 侶 が 聞 く こ と に いろ ん な こ とを 答 え て い るよ う だ
︒ その 中 で
︑ 生ま れ た 子 が 三 日 目 に 洗 礼 を 受 け る こ と を 話 し た く だ り で︑
﹁ 生 レ 子 モ 罪 ア ル ト 云 ハ
︑ 元 祖 ノ罪 ト 云 カ アル
︑ 其 元 祖 罪ト ハ
︑ テ ーウ ス カ 土 ニテ コ シ ラ ヘ タ
︑ ア タ ン・ エ バ 后 ニ罪 ツ ク ル
︑ 夫レ カ 元 祖 ノ罪 ト 云 モ ノ︑ 夫 レ ヲ 三 日 目 ニ ユ ルシ テ モ ロ フ﹂ と ア ダ ム とイ ブ の 原 罪の こ と を 述 べて い る
︒ ま た
︑圓 蔵
︵ 二 十八 才
︶ や 卯 一︵ 二 十 二 才︶ は 入 信 時 の儀 式 に つ い て く わ しく 述 べ て いる
︒ 亀 蔵 は トン タ ク の 日に つ い て 述 べて い る
︒ 流 配 され た こ と につ い て
︑ 日 本政 府 は キ リス ト 教 を 禁 制し て い る の に
︑ な ぜ掟 を 破 っ てま で キ リ シ タン で い る のか
︑ や め れ ば故 郷 へ も 帰 れ る ぞ
︑と い う 僧 侶 の問 い か け なの か
︑ 団 平︵ 二 十 二 才
︶は
﹁ 此 宗 門 ノ 事 ニ ツイ テ ハ 王 法 ニ背 キ テ 宜 シ︑ 外 ノ 事 ハ相 ナ ラ ス
﹂ と述 べ
︑ 万 吉
︵ 五 十 六才
︶は
﹁ 四 年 前ニ 改 心 い たし
︑ サ ウ スレ ハ 如 此 ニ 成ル 事 ナ シ
﹂
﹁ 何 分 ア ニ マ カ デ ー ウ ス ニ ス キ テ ヲ ル 故 ニ
﹂﹁ 親 ヤ 禁 帝 様 ノ 右 ニ 行 ト 八一