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漢化のメカニズム ―クヴァラン族の事例から―

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漢化のメカニズム ―クヴァラン族の事例から―

著者 清水 純

雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊

巻 014

ページ 299‑328

発行年 1991‑03‑29

その他のタイトル The Mechanism of Kavalan Sinicization: A Case Study

URL http://doi.org/10.15021/00003622

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清水  漢化 のメカニズム

メ カ ニ ズ ク ヴ ァ ラ ン族 の 事 例 か ら一

清    水      純*

1.序

2・  ク ヴ ァ ラ ン族 概 略 3・ パ リ リン儀 礼 4.位 牌 祭 祀 の受 容

5.  クヴ ァラ ン族 の ア イデ ンテ ィテ ィ 6・  クヴ ァラ ン族 の村 落 統合 と宗 教 7.  漢 族研 究 へ の展 望

1.序

  漢 族 社 会 の 人 類 学 的研 究 に お い て 見 逃 さ れが ちで あ った テ ー マの1つ は,漢 族 に 同 化 され た 諸 民 族 が 漢族 文 化 ・社 会 に 残 した 影 響 の 有 無 に 関 す る問 題 で あ った 。 こ の 問 題 が 注 目 され に くか った 理 由 と して は,こ れ まで の 研究 が も っぱ ら漢 族 社 会全 体 に共 通 す る要 素 の 抽 出 とモ デル 化 に力 を注 ぐ傾 向が あ った 事情 があ る。 しか し,漢 族 文化

・社 会 は 共 通 性 を持 つ と同時 に,そ れ ぞ れの 地 域 に よ って 幅広 い 多 様 性 を 内 包す る。

そ の 地 域 的 多 様 性 を理 解 し,考 察 す る た めに は,漢 化 とい うプ ロセス を 経 て 漢族 の 中 に 吸 収 され て い った先 住 民 文 化 ・社会 の側 に も,分 析 の視 点 を 置 くこ とが 不 可欠 な要 件 で あ る。

  そ こで 本 稿 に お いて 筆 者 は,非 漢 民族 の 漢 化 に 関 す る1つ の 事 例 を 取 り上 げ,彼 固有 の 漢 化 の メカ ニ ズ ム を探 る試 み を行 な う。 この分 析 の 過程 で は,非 漢 民 族 の 固有 文 化 ・社 会 の 特 性 が どの よ うに 漢 族 文 化 の 受容,あ るい は 受容 の 拒 否 に 機 能 して きた か が 論 点 とな る。 筆 者 は この 考 察 を 通 じて,一 般 に 「漢 化 」 と い う言 葉 で ひ とま と め に 表 現 され る現象 の 中に も,固 有 文化 の側 の 条 件 や 特 性に よ って,さ まざ ま な様 相 が 現 わ れ る こ とを指 摘 した い。 そ して,従 来 の 家 族 ・親 族,あ る い は村 落 構 成 の 研究 の 視 点 だ け で は捉 え きれ な い,漢 族 の地 域 的 特性 の 問 題 へ の ア プ ロー チの 可 能性 を示 唆 す る こ とが で きれ ば,当 面 の 目的 は達 せ られた と考 えて い る。

  こ こで 筆者 が 取 り上 げ るの は,過 去2世 紀 に わ た る漢 化 の歴 史 を持 つ 台 湾 の 平 地 原

*国 立民族学博物館研究協 力者

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国立民族学博物 館研究報告別冊  14号 住 民 クヴ ァ ラ ン族 で あ る。 筆 者 は1984年 末 か ら1986年 春 まで,東 海 岸 に所 在 す る クヴ ァ ラ ン族 の 村 落に お いて 実地 調 査 を 行 な った。 本 稿 で 分 析 の 対 象 と す る の は,そ の と きに 得 た 調 査 デ0タ で あ る。

  ク ヴ ァラ ン族 の 文化 ・社 会 の 研 究 が 上 に述 べ た 目的 の た め に 有効 で あ る理 由 と して は,ま ず 第1に,漢 化 が 進 ん で は い る もの の クヴ ァ ラ ン族 固 有 の 特 性 を 保 つて い る人 々が 今 日な お0部 に 残 って い る こ と,第2に,そ の0方 で 彼 らの人 口の 多 くを 吸収 し て成 立 した 漢 族 社会 が,台 湾 の 他 の 地 域 の 漢族 社 会 と比 べ て 歴 史 的 に新 し く,し か も 地 理 的 に は や や 離 れて 存 在 す る こ とで あ る。

  筆 者 の 実 地 調 査 は,前 者,す な わ ち漢 族 社会 に埋 没 せ ず,今 日な お 固有 文化 を残 す 人 々の も とで行 な わ れた もの で あ る。 考察 の 順 序 と して は,固 有 文 化 の 漢 化 に関 す る 分 析 を まず 示 した 上で,そ の 結 果 を参 考 に しなが ら,ク ヴ ァラ ン族 を 同化 ・吸収 して 成 立 した 漢 族 社会 の 特性 につ いて 議 論 を 進 め るこ とに した い。

2.ク ヴ ァ ラ ン 族 概 略

  台 湾 原 住 民 クヴ ァ ラ ン族 は,東 海岸 沿岸 地 域 に分 散 して居 住 す る オ0ス トロ ネ シア 語 族 に 属 す る人 々で あ る。 彼 らは 清 朝 に よ る台 湾 統 治 時 代 以来,漢 族 へ の 同化 の 道 を 歩 み,原 住 民 の 中で も漢 化 の 進 ん だ人 々 と して,生 蕃 に対 して熟 蕃,あ る い は高 砂 族

に対 して 平 埴 族 と い う名 称 で 呼 ば れて きた種 族 の う ちの1つ で あ る。

【歴史 】

  ク ヴ ァラ ン族 は,17世 紀 頃 に は 台湾 北 東部 に 開 け た 宜 蘭 平 野 に40余 りの 村 落 を形 成 して 居 住 して い た。 彼 らは この 当時,台 湾 北部 に拠 点 を 築 い た ス ペ イ ン人 と,続 いて ス ペ イ ンの 勢力 を台 湾 か ら追 い 出 した オ ラ ンダ人 と接 触 す る。 オ ラ ンダ は原 住 民 か ら 徴 税 して い た こ と もあ って,ク ヴ ァラ ン族 の 戸 口 調査 表 を 今 日 まで 残 して い る[中 村 1936,1937,1938,1951]。 そ の 後 鄭 成功 が オ ラ ンダ を 破 って か らは台 湾 への 漢 族 の 移 民 が 急 増 しは じめた 。 しか し,こ れ は 主 に西 海岸 地 域で の ことで あ り,ク ヴ ァラ ン 族 が 住 む 宜 蘭 平 野で入 植 が 始 ま ったの は,西 海 岸 よ りは るか に 遅 れて18世 紀 末 の こ と で あ る[伊 能  1904:167‑168,1911:172‑174;彦  1982:43‑46]。

  18世 紀 末 に宜 蘭 平 野 が 清 朝 の 版 図に 入 った と き,こ の 地 域 に は36の 原 住 民 部落 が あ った と記録 され て い る[伊 能  1904:131‑133]。17世 紀 の 段 階 で ク ヴ ァ ラ ン族 は す で に 稲作 を行 な って い た が[伊 能  1904:56],漢 族移 民 の 影 響 を 受 けて18世 紀 末 頃 か ら,生 産性 の 高 い灌 瀧 水稲 耕 作 の 技 術 を 急 速 に 受容 して い った もの と思 わ れ る。

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清水  漢化のメカニズム

  同時 に 言 語 や 習俗 も漢 族 化 が 進 み,福 建 系 の 漢 族 に 同化 され て い った。 その 一 方 で 土 地 を め ぐる トラブ ル が起 こ り,さ ま ざ ま な手 段 で 漢族 に土 地 を 奪 わ れ る ことが 多 く

な った。 宜 蘭 平 野 開拓 の初 期 に は,武 力 を背 景 に漢 族 が 土地 を 占拠 して い ったが,宜 蘭 が 平定 され た 後 で は,土 地 取 引を利 用 した り,農 民 同士 の いや が らせ に よ るな ど し て 漢族 移 民 の 勢 力 が 拡大 し,そ の 結 果 クヴ ァ ラ ン族 は次 第 に土 地 を 手 放 して,他 の 土 地 へ移 り住 む よ うに な った ので あ る。 クヴ ァ ラ ン族 の 移 動 は 山脚 地 帯 へ向 か う流 れ と, 海岸 沿 い に南 下 す る 流 れ との2つ の 流 れ が あ った[根 岸  1933:525‑538]。

  南 下 した 人 々は 花 蓮市 郊 外 に 「加 礼 宛 庄 」 を 建て て,0大 勢 力 を 保 っ た[伊 能 1904:303‑305]。 しか しそ の 後,花 蓮 方 面 に も漢 族移 民 が 大 挙 して 押 し寄せ た た め, ク ヴ ァラ ン族 との 緊 張 関 係 が生 まれ,1878年 に は,加 礼 宛 庄 の クヴ ァ ラ ン族 と漢 族 と の 間 に武 力抗 争 が 起 こ り,清 朝 の軍 隊 に よ って 反 乱 と して 鎮 圧 され た の で あ る[伊 能 1904:618‑619]。 これ を 契 機 と して ク ヴ ァラ ン族 は さ らに 南 下,分 散 し,平 地 の少 な い海 岸 沿 い に点 在 す る ア ミ族 の 部落 に 雑 居 す るよ うに な った 。

  その 際 の移 動 は数 家 族単 位 の ば らば らな もの で あ り,そ の 後 は大 きな勢 力 を 形 成 す る まで に は い た らず,ア ミ族 との雑 居 や 通 婚 の 結 果,全 体 と して 見 れ ば漢 化 ば か りで な くア ミ族化 の 傾 向 もた ど って い る。1895年 に 日本 に よ る統 治 が 開 始 され て 以 後 は,

クヴ ァラ ン族 の住 む多 種 族 雑 居 の地 域 は行 政 の 管 理 下 に 置 か れ,異 種 族 との 抗 争 や 大 規 摸 な移 動 はな くな った 。 戦 後 も種族 の 移 動 は特 に な い。 したが って,現 在 の ク ヴ ァ

ラ ン族 の分 布 は ほぼ1878年 以 来 の もの で あ る。

  な お,宜 蘭 平 野 に 残留 した 人 々は,混 血 や漢 化 が進 ん で 固 有文 化 を 消失 させ て い っ た。 彼 らは原 住 民 と して差 別 され るの を嫌 つて,表 向 きは 漢 族 と して生 活 して い る。

新 社 村 】

  次 に,筆 者 の 調 査地 で あ る新 社 村 に つ い て,そ の概 略 を 説 明 して お こう。

  新 社 村 は花 蓮 県 豊 浜 郷の1村 落 で あ る。 太 平 洋岸 に散 在 す るわず が な 平地 の1つ に 立地 して い る。 海 岸 山脈 の東 斜 面が 急 激 に 海 に 向 か って 落 ち込 ん で い るの で,平 坦 な 土 地 は海岸 段 丘 上 に で きた 集落 の周 りに 少 しあ るだ け と な って い る。 た だ,こ の 辺 に は大 小 の渓 流が 流 れ て い るた め,水 量 は豊 か で,急 斜面 が多 い なが ら も,水 田 を作 る 条 件 を 充 た して い る。

  新 社 村 は,南 下 した ク ヴ ァラ ン族 が 住 み着 い た 村 の う ちで は今 日 まで 最大 の規 模 を 保 って きた 。1985年 現 在,行 政 村 と して の 新 社 村 全 体 で200戸 余 り,人 口 は約1,200人

で あ る。 た だ,こ の 中に は比 較 的 新 しい ア ミ族 の 移 民部 落 が2つ,漢 族 の 移 民部 落 が 1つ 含 まれ て い る。 ク ヴ ァ ラ ン族 の集 中 して い る地 域 は,行 政 的 に 区 画 され た 新 社 村

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国立民族学博物館研究 報告別冊  14号 の 中央 に あ る集 落 群で,こ れが 村 人 に と って の 狭 義 の 、「薪社 」 と な って い る。 クヴ ァ ラ ン族 が集 中 して 住 む この地 域 に つい て 見 れ ば,人 口は約500人 で,こ の う ち クヴ ァ ラ ン族 の子 孫 は2百 数 十 人 程 度 を数 え る。 この う ち純 血 の ク ヴ ァ ラ ン族 と思わ れ る者 はわ ず か 数人 の みで あ り,あ との 人 々は さ ま ざ ま な割合 で,ア ミ族,ま た は別 種の 平 捕 族(ヴ ァサ イ系 の トル ビア ワ ン族,シ ラヤ系 の タ ガ ブ ラ ン族)や,さ らに は漢 族 な ど と混 血 して い る。

  新 社 村 の 住 民 は,ク ヴ ァ ラ ン族 の ほか は大 部 分 が ア ミ族 で あ る。 ア ミ族 以 外 で は・

外省 人(中 国大 陸生 ま れの 漢 族)や 福 建系 漢 族,客 家 系 漢 族 な ど が若 干 数 居 住 し,ク ヴ ナ ラ ン族 と結婚 して い る者 もい る。 新 社村 で は,漢 族 は絶 対 多数 で は な く,日 常生 活 に お け る漢 族 との 直 接接 触 や その 社会 的 交 際 を通 じて の 影 響 は 絶大 と はい え な い・

  これ らの 複 雑 な種 族構 成 と混血 の 現 状 は言 語 に も反 映 して い る。 まず,ク ヴ ァラ ン 族 の年 配者 は ク ヴ ァラ ン語 を 日常 的に 用 い,こ の ほか台 湾 語,日 本 語 を話 す こ とが で き るが,北 京 語 は片 言 程 度 しか話 せ ない 。年 齢 が 若 くな る ほ ど ク ヴ ァ ラ ン語,台 湾 語 ・ 日本 語 は 下手 に な り,代 わ りに 学校 で 習 った 北 京 語 が 上手 に な る。片 言 の ア ミ語 を 話 せ る人 も多 い 。 一方,ア ミ族 の 人 々は,ク ヴ ァラ ン族 と結婚 して い る者 を 除 け ば,ク

ヴ ァ ラ ン語 が ほ とん ど わか らない 。漢 族 の 場 合 は ク ヴ ァラ ン族 と結 婚 して いて もク ヴ ァ ラ ン語 を 話 せ る人 は少 ない 。 また,新 社 村 か ら一 歩 外 に 出 ると ク ヴ ァラ ン語 は通 用 しな くな る。 この よ うな言 語 状 況 は,海 岸 地 方 に おい て クヴ ァ ラ ン族 が マ イ ノ リテ ィ で あ る ことに 由来 す る。

  と こ ろで,新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 の 姓 に つ いて 若 干 述 べ て お きた い。 戦 後 は ア ミ族 な どの 原 住民 の 改 姓 名 が 行 な わ れ,戸 籍 上 は 種族 固有 の 名 前 で は な く,す べ て 中国 式 の 漢字 姓 名 を用 い る よ うに 改 め られ た 。 しか し,ク ヴ ァ ラ ン族 な どの 平地 原 住 民 は・

す で に 清 朝時 代 以 来 固有 の 名前 の ほ か に漢 字 姓 名 を持 って いた 。 日本 統 治時 代 の 戸 籍 に は この姓 名が 登 記 され て い る。 姓 名の う ち名 は 固 有 名の 音 を漢 字(台 湾 語 読 み)で 表記 した もの も少 な くない が(例 え ば,ア バ ス → 阿末,ク ラ ウ→亀 劉,な ど),姓 本 来 持 って い な か った た め,清 朝 か ら与 え られ た 姓 を 用 い て い る。 新 社 村 で見 られ る ク ヴ ァラ ン族 の 姓 と して は,李,林,朱,溜 が 最 も多 く,こ れに 加 え て 察,戴,許, 借,呉 な どが あ る。 この うち 「楷 」 姓 は,19世 紀 末 に台 湾 北 部 で キ リス ト教 の 伝 道 に 携 わ った マ ッカ イ博 士(Dr.  J.A.  Mackay)(中 国語 表記;馬 僧)に 由来 す る とい わ れ

る。

家 族 】

  クヴ ァ ラ ン語 で は,家 族 はサ ル ッパ ワ ン(salgppawan)と い う言 葉 で 表 わ され る。

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清水  漢化 の メカニズム

これ は,直 訳 す る と 「1つ の 家 屋 の 人 々」 とい う意 味 に な る。 こ れ を定 義 づ け る と, 同 じ家 屋 に居 住 し,同 じ竈 で 作 った食 事 を一 緒 に 食 べ,日 常 の経 済 活 動 を共 同 で行 な

う親 族 の 人 々の ことで あ る。 サ ル ッパ ワ ン家 族 は,典 型 的 に は3世 代 を 含 む。 クヴ ァ 表1  婚姻時の居住形態の変化(1)

      (単位 は件数)

劫 居住矧 妻方居住婚

1905〜1914 24 22

1915〜1924 12 11

1925〜1934 16 16

1935〜1944 18 13

1945〜1954 14 6

1955〜1965 23 17

1966〜1975 19 7

1976〜1985¶ 18 7

計1・441g9

表2  婚姻 時 の居住 形 態 の変 化(2)         (単位 はパ ーセ ン ト)

度{夫 据 住矧 妻方居儲

1905〜1914 52.1 47.9

1915〜1924 52.1 47.9

1925〜1934 50.0 50.0

1935〜1944 57.9 42.1

1945〜1954 69.9 30.1

1955〜1965 57.4 42.6

1966〜1975 73.0 27.0

1976〜1985 72.0 28.0

備考:た だ し表1・2と も結婚後村内に居住 した夫婦 についての数値       表3  村外婚 出者を含む近年の婚姻時の居住形態

グ ラ フ1  婚 姻 形 態 の変 化(1905〜1985年)

303

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国立民族学博物館研究報 告別冊  14号 ラ ン族 の 結婚 後 の 居 住 は夫 方 また は妻 方 で あ つて,ど ち らに な るか は当 事者 お よ び そ の 家族 の 都合 で 決 め られ る。 日本統 治時 代 に は,夫 方,妻 方 の 比 率 は夫方 が や や多 い ものの お よそ 半 々に近 い数 値で あ った が,戦 後 は次 第 に夫 方 居 住 が増 加 して,現 在で は,結 婚 後 村 内に住 む夫 婦 の ほ ぼ8割,ま た婚 出者 も含 めれ ば,新 婚 夫婦 の約9割 夫方 居 住 とな って い る(表1,表2,表3お よ び グ ラ フ1参 照)。

  伝 統 的 観 念 で は,結 婚 後 若 夫 婦 は ど ち らか一 方 の 親 の家 に住 み,そ こで 子 供 を生 む。

サ ル ッパ ワ ン家族 の成 員 権 は,出 生 した サル ッパ ワ ンに お いて 与 え られ る。 た だ し, 他 の サル ッパ ワ ンへ婚 入 した り,養 子 に な った り した 場合 に は,生 家 の 親 の財 産相 続 権 は失 わ れ る。 つ ま り生 家 に 残 つて配 偶 者 を迎 え た もの だ けが 権 利 を 維 持 す るの で あ る。

  ク ヴ ァ ラ ン族 は大 家 族 主 義 で は な いの で,生 家 に 残 って 配 偶者 を 迎 え た子 供 も,何 年 か た つ と分 出 して 新 しい サ ル ッパ ワ ンが 独 立 す る ことに な る。 そ して,最 終 的 に は

1人 の 子 供夫 婦 が 老 父 母 の 面 倒 を見 れ ば よい と考 え られ て い る。 親 の 面 倒 を見 るの は 息 子 で も娘 で もよい と され る。 最近 で は夫 方居 住 婚 の 増 加 に よ り,息 子 が生 家 に 残 っ て 親 を扶 養 す る よ うに な って きた。

  財 産分 け は分 出の 際 に は 行 な われ ず,老 父母 の亡 くな る前 後 に 行 な う。 近 年 の 変 化 と して 男子 が 生 家 に 残 って嫁 を 迎 え る よ うに な った た め,今 後 は財 産 相続 は 男子 中心 に 変 化 して い くこ とが 推 測 さ れ る。

  夫方 居 住婚 や男 子 相 続 の 増 加 な ど,近 年 の 変 化 は漢 族 社 会 の 価 値 観 に 影 響 さ れ て い る よ うに見 え る。 しか しこれ らの変 化 は,必 ず し も漢 族 の 父 系 出 自観 念,す な わ ち祖 先 中心 的で 男 性 成 員 の み を 通 じて 継 承 され る累 積 的 な系 譜 観 念 の 受 容 を 意 味 す る もの で はな い。 入 々の 基本 的 な双 方 的親 族 関 係観 念 に ほとん ど変 化 が な い こと につ いて は, 後 述の 祖 先 祭 祀 儀 礼 の 考察 を通 じて 明 らか に す る ことに な る。

【親 族 】

    ク ヴ ァ ラ ン族 社会 は,伝 統 的 に双 方 的(bzlateral)な 原 理 に 基 づ く社 会 で あ る。

シ ンセ キ は 「ク ナ ソ ワニ」 とい う言 葉 で 表 わ さ れ るが,こ れ は個 人 を 中心 と して み た キ ン ドレ ッ ド(kindred)を 示 す言 葉 で あ る。 クナ ソ ワニの 血 縁 は,男,女 いず れ か0 方 を選 ばず に た ど られ,ま た 父 方,母 方 の いず れ に も片 寄 らな い。

  クナ ソ ワニ は シンセ キ を 表わ す カ テ ゴ リーで あ って,集 団 で は な いの で,関 係 が 遠 くな る と次 第 に 忘 れ られ て い く傾 向 が あ る。 新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 は,サ ル ッパ ワ ン 家 族 を 越 え る範 囲で 親 族 集 団 を 形 成 しな い。

  クナ ソワ ニの 平 均 的 な広 さの範 囲 は,第3イ トコ程 度 ま でで あ る。 クナ ソ ワ ニは 禁

304

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清水  漢化の メカニズム

婚 の 対 象 と な る。 つ ま りパ ー ソ ナ ル ・キ ン ドレ ッ ドは 外 婚 カ テ ゴ リー な の で あ る。 こ の 点 を,同 じ よ う に 双 方 的 な 原 理 に 基 づ く ボ ル ネ オ の イ バ ン 族 の 社 会 と 比 較 して み る と 相 違 点 が は っ き り す る。 イ バ ン 族 社 会 で は イ ト コ 結 婚 が 好 ま れ るの で,そ の 結 果, 夫 と 妻 の パ ー ソ ナ ル ・キ ン ド レ ッ ドの 範 囲 が も と も と あ る程 度 重 複 す る こ と に な る。

す る と ・ そ の 子 供 の 世 代 で は,個 人 を 基 点 と した 血 縁 者 の ネ ッ トワ ー ク が さ らに 重 複, 強 化 さ れ る の で,イ ト コ と の 結 婚 は 放 っ て お け ば 拡 散 し て い く双 方 的 血 縁 者 を 再 び 結 集 させ る 契 機 に な る[FREEMAN  l960:75‑76]。 一 方 ク ヴ ァ ラ ン 族 は,イ トコ 婚 が 禁 じ ら れ て い る た め に 夫 と 妻 の パ ー ソ ナ ル ・キ ン ド レ ッ ドの 範 囲 が 重 複 す る こ と は ほ と ん ど な く,そ の 結 果,親 族 の ネ ッ トワ ー ク は 世 代 を 経 る に つ れ て 重 複 す る こ と な く 次 第 に 拡 散 し,関 係 も 薄 れ て い く。 この た め に,親 族 関 係 は イ バ ン族 社 会 ほ ど 濃 密 な つ な が りを も た ら す こ と は な い 。

  この よ う に,キ ン ド レ ッ ドが 拡 散 して い く社 会 で は,親 族 関 係 の ネ ッ トワ ー ク は 強 化 さ れ に く く,社 会 生 活 上 の さ ま ざ ま な 活 動 を 組 織 す る た め の 強 力 な 基 盤 を 提 供 しに

くい と い う こ と が で き る 。

3.パ リ リ ン 儀 礼

  戦 後,キ リス ト教 が 普 及 して以 後 の 新 社村 で は,伝 統 的 な宗 教 が 衰 退 し,各 種 の 儀 礼 の行 な わ れ る頻 度 も,参 加 者 も年 々少 な くな って きて い る。 しか し,唯 一今 日に 至 る まで,ク ヴ ァ ラ ン族 の 子孫 た ちの 各 世 帯 に お いて,根 強 く継 承 され て い る儀 礼 が あ る。 そ れ が,ク ヴ ァラ ン族の 祖 先 を 祀 るパ リ リン儀 礼 で あ る。 彼 らの 間 で は,キ リス ト教 徒 に な って もま だ この儀 礼 を行 な う人 々 が 多 く,パ リ リン儀 礼 はい わ ば ク ヴ ァラ ン族 で あ る ことの ア イ デ ンテ ィテ ィと深 く関 わ って い る と見 る ことが で き る。

  まず,パ リ リン儀 礼 の や り方 につ いて 簡単 に説 明 しよ う。パ リ リン儀 礼 は農 暦 の 新 年 の2,3日 前(旧 暦12月27、8日 頃)に 行 な われ る。 パ リ リン儀 礼 の 日が クヴ ァ ラ

ン族 に と って は新 年 の 第1日 に な る。 この 日の 真 夜 中頃,各 家 庭 で は家 族 の各 成 員 が 台所 の 竈の そば に 集 ま る。 この 日,こ の 時刻 に,自 分 た ちの祖 先 の 霊 魂 が子 孫 の も と を 訪 れ て くるの で,子 孫 た ち は祖 霊 に 供 物 を捧 げ,新 年 の 挨拶 を す る とい う儀 礼 で あ る。

  台所 の竈 の 上 や 窓 枠 に小 さ な木 の 板 切 れを 置 き,そ の 上に 盃 を2つ 載 せ る。 これ が 祖 先 に捧 げ る供 物 の容 器 と な る。 供 物 は,台 湾 人 の正 月 用 の 甘 餅 と紅 白2種 類 の 酒 で

あ る。 伝 統 的 に は 甘餅 で はな くモ チ米 の握 り飯 で あ った と思 わ れ る。

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国立民族学博物館研究報告別冊  14号   家 族 は1人 ず つ 順 番 に,甘 餅 を1切 れ持 って,米 粒大 に ちぎ りなが ら板 の 上に 置 い て 祖 先 に 捧 げ た り,酒 を 盃 に 注 い だ り しなが ら祖先 に 向 か って 祈 る。 祈 りの 文 句 は次 の ような もの で あ る。

  今 日 は新年 だ か ら ご先 祖 に 捧 げ る食 べ 物 と酒 が あ りま す。 皆 さん 来 て食 べて くだ さい。 ど うか 私達 が 病気 にか か らな い よ う に,家 族 の 健康 を守 って くだ さい。 金 もう け を させ て くだ さい。

  捧 げお わ る と自分 も甘餅 を 食 べ,酒 を飲 ん で,祖 先 と共 に食 べ た こ とを 表現 す る。

これ は,台 所 に 集 ま った 家 族 全 員 が1人 ず つ 順 番 に 行 な う もの で あ り,だ れ か1人 が 家 族全 員 を 代 表 す る とい う こ とは な い。 た だ し,さ まざ ま な理 由で そ の場 に い ない 人 人,例 え ば 出稼 ぎ先 か らまだ 帰 って こな い人 な どの分 は,だ れ かが 代 理 を す る。 こ う して 家族 成 員 全 員 が祖 先 に対 して 供 物 を捧 げた とい う形式 を貫 くと こ ろに 特徴 が あ る の で あ る。

  また,祈 りの言 葉 を 唱 え る際に は祖 先 の 名前 を呼 ぶ。 基 本 的 に はパ リ リ ン儀 礼 に招 待 すべ き祖 先 は,自 己 を 中心 と して,父 方,母 方 の 双方 に広 が るす べて の 祖 先 で あ る。

しか し,関 係 が遠 くな るにつ れ て 忘 れ られ て い く傾 向が あ るの で,実 際 に 名前 を 思 い 出せ る範 囲 は か な り狭 くな る。 大 体,祖 父 母 の 世代 ぐ らい まで で あ る。 そ れ以 外 の 祖 先 に つ い て は,身 近 な祖 先 の う ちの1人 に 向 か って,名 前 の わ か らな い ほ かの 祖 先 た ち も全 部 一緒 に連 れ て くる よ うに と頼 む こ とに よ って名 前 を 呼 ぷ 手 間 を省 く。 この よ う に して 父方 ・母 方 に連 な るす べて の 祖先 が,個 別 の名 前 や 自 己 との 関係 性 を 記 憶 す る必 要 の な い ま ま に,観 念 上 は 網羅 され る こ とに な る。

  ま た同 じ家 族 内 で も,夫,妻,そ の子 供 で は,名 前 を 呼 ぶ対 象 が 違 って くる。 各 自

図1  あ る夫 婦 のパ リ リン儀 礼

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清 水  漢 化 の メ カ ニ ズ ム

は 自 己を 中 心 と した 父方 ・母 方 双 方 に広 が る祖 先 を 呼 び,そ れに 加 え て 姻 戚の ご く一 部 の 祖 先 を 呼 ぶ の で,夫 と妻,そ の 子 供で は,範 囲 にず れ が生 じる こ とに な る。 この ず れ は,各 個 人 の パ ー ソナル ・キ ン ドレ ッ ドの ず れ と対 応 す るこ とに な る。

  これ に関 して,あ る夫婦 がパ リ リン儀 礼 で 呼ん だ祖先 と系 譜 関係 の 例 を 図1に 示 し て あ る。

  (0)の 母 ラカ ウは ア ミ族 だ った こと もあ り,母 方 の シ ンセ キ とは 日頃 親 戚付 き合 い もな か った。 その た め(B)は 亡 くな った祖 先 の 名 前 を 知 らな いか ら,呼 ぱ な くて も い い」 と述 べ て い る。

  実 際 に名 前 を 呼 ば れ る範 囲 を見 る と,自 分 か ら直 接 遡 る祖先(父 母,祖 父 母)だ け で は な く,そ の 祖 先 達 の キ ョウダ ィ(オ ジ,オ バ)な ど も含 ま れ る。 この こ とか ら, 名前 を 呼ば れ る人 々は,生 前,個 人 か ら見 て ク ナ ソワニ と言 え る間 柄 だ った 人 々を 意 味す る。 つ ま り,理 念 的 に は双 方 的 なす べて の 祖 先 を 祀 るの が パ リ リン儀 礼 だ が,名 前 を 呼 ば れ るの は 主 と して 各 個 人 め キ ン ドレ ッ ドの 範 囲 の死 者 であ る と見 る こ とが で き る。

  ク ヴ ァラ ン語 の ク ナ ソ ワニ は姻 戚 も含 むが,姻 戚 に つ い て は,自 分 の 配 偶 者 が 主 に 呼 び掛 け るの で,自 分 は その ご く一 部 の 祖先 にだ け呼 び 掛 け れ ば よい 。

  以 上 の こ とか らわか る ク ヴ ァラ ン族 の パ リリ ン儀 礼 の 特徴 は次 の とお りで あ る。

a)エ ゴ 中心 的(ego‑centred)な 構 造 を 持 つ。 家 族 が 竈 を 中心 に ひ と ま と ま りに な っ     て 儀 礼 の単 位 を 形 成 す るが,各 自 が順 番 に 捧 げ物 を す る こ とか らわか る よ うに,     最 終 的 な単 位 は家 族 で は な く個 人で あ る。

b)各 家族 成 員 に と って 自 己を 中心 と して み た 双方 的(bilateral)に 広 が る 祖 先 が 対     象 とな る。 しか し,理 念 的 に はす べ て の 祖 先 が祭 祀 の 対 象 で あ りな が ら,遠 い 祖     先 の名 前 は忘 れ られ る こ とを前 提 とす る。 した が って 世代 を越 え た祖 先 の 累 積 と     い う観 念 の 発 達 は見 られ な い。

  と こ ろで,パ リ リン儀 礼 に も変 則 性が 表わ れ る ことが あ る。 例 え ば,漢 族 や ア ミ族 な ど,異 な る種 族 の 婚 入 者 が い る場合 で あ る。婚 入者光 ち は》 クヴ ァ ラ ン族 で あ る婚 家 の祖 先 の た めに パ リ リン儀 礼に 付 き合 って 参加 す るが,自 己の祖 先 た ちに は この よ うな祭 祀 の や り方 は 通用 しな いの で,自 分 の祖 先 名 は呼 ば な い。 この よ う な場 合 に パ

リ リン儀 礼 で 祀 る祖先 に偏 りが生 じ,双 方 性 の 原 則 が崩 れ る こ とに な る。

  しか し,婚 入 者 が ほか の 種族 の 場 合,彼 らな りの祖 先 祭 祀 を 別 個 に行 な う ことは 許 容 され る。 ク ヴ ァ ラン族 の観 念で は,す べ て の個 人 は 自 己に 連 な る祖 先 を す べ て 祀 る べ きで あ る,と され るか らで あ る。 ア ミ族 に は農 暦 新 年 の 儀 礼 は な いが,祈 疇 師 を 呼

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国立民族 学博物館研究報告別冊  14号 ん で祖 先 祭 祀 を す る こ とが あ る。 ま た,配 偶 者 が 漢 族 で あ った場 合 や,漢 族 の 信 仰 を 受 容 した 原住 民 だ った 場合 に は,漢 族 固 有 の年 末 年 始 の 拝 礼 を別 に行 な う。 そ して, そ の 間 に生 まれ た 混血 の子 孫 は,基 本 的 に,父 方,母 方 の 異 な る種類 の 祖 先 祭 祀 を両 方 と も受 け継 ぐこ とに な る。 この 意 味 に お いて は,ク ヴ ァラ ン族 の親 族 関 係 観 念 は異 種 族 結 婚 に よ って も基 本 的 に変 化 して い な い と い え る。

  そ の1つ の 例 と な る の が,ト ル ビア ワ ン族 の パ リ リン儀 礼 の 継 承 で あ る[清 水 1988:242‑243]。 純 粋 の トル ビア ワ ン族 は,死 に 絶 えて か らす で に 久 し く,ト ル ビア ワ ン語 を 話 せ る者 も,今 や1人 もい ない が,そ の子 孫 とさ れ る人 々は,現 在 で も トル ビア ワ ン族 独 特の パ リリン儀 礼 を別 個 に行 な って い る。 トル ビア ワ ン族 の パ リ リン儀 礼 は,ク ヴ ァラ ン族の それ よ り も1日 後 れ の 日の午 前 中 か ら昼 に か けて行 なわ れ,捧' げ物 は,ク ヴ ァ ラ ン族 と同 様 に,甘 餅 と酒 の ほか,モ チ ゴ メ御 飯 とニ ワ ト リの 内臓2, 3種 類 を 含 む。

  トル ビア ワ ン族 の 祭 祀 集 団の 集 団 構 成 は クヴ プ ラ ン族 よ りや や大 き く,サ ル ッパ ワ ンが2つ か3つ ぐ らい合 併 した もの で あ る。 クヴ ァ ラ ン族 と トル ビア ワ ン族 を祖 先 に 持 つ 人 た ちは,ま ず ク ヴ ァラ ン族 の パ リ リン儀 礼 を,前 の 日 にサ ル ッパ ワ ン単 位 で済 ませ て しま って か ら,次 の 日に 幾つ か の サ ル ッパ ワ ンが合 同 で トル ビァ ワ ン族 の 儀 礼 を 行 な う。

  祖 先 の だれ か が トル ビァ ワ ン族で あ った とい う こ とが は っ き り記 憶 され て い る間 は, な るべ く トル ビア ワ ン族 の 方 式 の パ リ リン儀 礼 を 行 な う こ とが 望 ま しい と され る。 ト ル ビア ワ ン族 の 場合 に は,生 家 に残 って 配 偶 者 を 迎 え た 人 々に よ って 固有 の儀 礼 が 強

固 に守 られ て い る傾 向 があ る。 そ れ に対 して ク ヴ ァラ ン族 の 場合 は,新 社 村 内で は婚 入,婚 出に よ る差 異 は ほ とん ど見 られ な い。

  と こ ろで,異 種 族 結婚 が 頻 度 を 増 して くる と,ク ヴ ァ ラ ン族 と トル ビア ワ ン族,漢 族 な ど の幾 つ か の 祖 先祭 祀 が1つ の サル ッパ ワ ンの 中に 並存 す る よ う に な る。 混 血 の 子 孫 は これ らを す べ て 自分 に 連 な る義務 と して 並 行 して 引 き受 け る こ とに な るの で 次 第 に煩 雑 に な って くる。 その 場 合 に,取 捨 選 択 して どれ か を 省 略 す る こと は可 能で あ る。 トル ビア ワ ン族 の や り方 は面 倒 なの で ク ヴ ァラ ン族 式 や 漢 族式 に合 併 した と い う 例 が若 干 あ る。 ま た は,祖 先 が 漢族 の 祭 祀 形 式 に 慣 れ て い た の で パ リ リン儀 礼の ほ う は省 略 す る,と い う場合 もあ る。 しか し,全 体 と して み る と,複 数 の祖 先 祭 祀 を な る べ く並 行 して 実 行 しよ うとす る姿 勢 が窺 え る。

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清水  漢化 のメカニズム

4.位 牌祭 祀 の 受容

  次 に,漢 族 の 伝 統 的 な位 牌 祭 祀 の 受容 の 問題 を 取 り上 げて み た い。 位 牌 祭 祀 は 漢 族 固有 の 観 念 に 基 づ い て 発達 して きた 習俗 で あ るが,こ れ が 文 化 的 基盤 の 異 な る クヴ ァ ラ ン族 社会 に 受 容 され る と どの よ うに 変 容す るか を 見 て い くこ とにす る。

  台 湾 原 住 民 の 位 牌祭 祀 受容 の 問 題 は,す で に末 成 道 男 が プユ マ 族 につ いて の 研 究 で 試 みて い るの で[末 成  1983],こ こで は 漢族 だ けで な くプユ マ 族 も比較 の対 象 に し

な が ら話 を 進 めて い きた い と思 う。

  新 社 村 に は,漢 族 式 の祭 壇 を設 けた り,位 牌 を 置 いた り,年 中 行 事 と して 漢 族 固 有 の神 様 を 礼 拝 した りす る世 帯 が あ る。 これ らの 世 帯 は漢 化 が 比 較 的 進 んで い る とい う ことが で き る。 た だ,祀 り方 を細 か く観 察 して み る と,漢 族 と異 な る点 が 幾つ か 表わ れ て い る。 そ の 相 違 点 は 漢族 の 祖 先 祭 祀 の 根 幹 と関 わ る矛盾 か ら生 ま れ る もの で あ る。

そ こで,次 に これ を具 体 的 に検 討 して い くこ とに す る。

  新 社 村の 中 で構 成 員 に ク ヴ ァラ ン族 を 含 む 世帯 は約70戸 で あ るが,そ の大 部 分 は キ リス ト教 徒 で あ る。 漢 族 と同 じ仏 教 信 仰 は その う ちの19世 帯,す な わ ち,4分 の1余 りで あ る。 た だ しこ の 中で 位 牌 を 作 つて祀 って い る の は9世 帯 で,残 りは位 牌 を 作 っ て い ない。 さて,位 牌 を 持 って い る9世 帯 の う ち,複 数 の祖 先 の 位 牌 が あ るの は3世 帯 だ けで,し か も遡 つて も祖 父母 の 世 代 までの 位牌 に 限 られ てい た 。 残 りの6世 帯 で

は,あ る1人 の 祖先 の た あ の位 牌 が あ るの み だ った。 そ して その 世 代 深 度 は浅 く,祖 父 母 よ り遡 る こと は な い。 ほか の 祖 先 に 対 して は,位 牌 の代 わ りに 線 香 を 立て るた め の 香 炉 を 代 用 す る こと もあ る し,な に も用 意 しな い 場合 もあ る。

  これ らの 結 果 を見 る と,ク ヴ ァラ ン族 の 過去2世 紀 に わ た る漢 化 の 歴 史 か ら予 想 さ れ る よ り も,は るか に位 牌祭 祀 の普 及度 は 低 く,世 代 深 度 も浅 い とい うの が まず 第1 の印 象 で あ る。 これ は 末 成の 調 査 した プユ マ族 と比較 して も言 え る こ とで あ る。

  仏 教 信 仰 の 世 帯 の う ち,残 りの10世 帯 は祖先 の 位 牌 を全 く持 た な い が,香 炉 で 代 用 す る世 帯 もあ った 。 そ の ほ か の世 帯 で は 漢 族 の 祭 祀 を 行 な うと きに 家 の 外 に供 物 台 を しつ らえ て,戸 外 に 向 か つて祖 霊 を 呼 ん で 祀 る。 新 社 村 で見 るか ぎ り位 牌 を作 る こ と は 流行 して い な い と言 え よ う。 祖 先 の名 前 を記 して 保 管 す る こと は彼 らの 志 向性 と合 致 しな い よ う に思 わ れ る。

  この よ うな 現 象 は,末 成 の 調 査 した プユ マ 族 の 村 に お い て位 牌 を設 置す る世帯 が 最 近15年 間 に増 加 しつ つ あ るの と は対 照 的 で あ る。

  末 成 の 調 査 に よれ ば,1968年 に は150世 帯 の5分 の1余 りの 世 帯 に 位 牌 が あ ったの 309

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国立民族学博物館研究報告別冊   14号 に対 し,1983年 に は さ らに増 加 して,そ れ まで漢 族 式 の 位 牌 や 祭 壇 の 導 入に 抵 抗 感 を 示 して いた 世帯 も位 牌 を 置 くよ うに な り,カ ト リック系 の 信者 や 元 キ リス ト教 徒 の 中 に も位牌 を 新 た に設 置 す る もの が あ る,と い う。 そ して 今 後 の見 通 し として は,長 老 教 の 熱心 な信 者,ま た は 本 家 に位 牌 の あ る者 を 除 い て,そ の 村 の ほと ん どの 世 帯 で 正 庁 に 位牌 を 置 くよ うに な るの で は ない か と推測 して い る[末 成  1983:136]。

  これ に 対 して新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 の 場 合 は ど うか とい う と,少 な くと もプ ユ マ族 の よ うな 積極 的 な位 牌 祭 祀 の 導 入 は,過 去 に お い て は起 こ った こ とが な か った。 その 一 方,漢 族 式の 年 中行 事 は 日本 時代 か ら盛 ん に 行 な わ れ,線 香 を持 って 神 様 を 祀 る世 帯 は少 な くな か った 。 また,モ チ ゴ メで つ くる儀 礼 用食 品 は人 気 があ り,端 午 節 に綜 を食 べた り,冬 至の 日に 団子 汁 を 作 った り,正 月 に 甘 餅 を 作 った りす る習 慣 は,断 絶 す るこ と な く続 い て い る。 キ リス ト教 に 改宗 した人 々の 間 で も季 節の 食 品 と して 重 視 され て い る。

  また,彼 らは伝 統 的 に墓 場 を怖 れ る気 持 ちが 強 く,死 者 を埋 葬 した後 は2度 と近 づ か ない よ うに して い た に もか か わ らず,近 年 で は漢 族 と同 じよ うに 清 明節 に幕 参 りを す る習慣 が定 着 し,キ リス ト教 徒 も含 めて この 日に墓 参 を す る よ うに な った。

  この よ うに新 社 の ク ヴ ァラ ン族 は 決 して 漢 化 して こなか った わ けで は な い。 た だ, 位 牌 の 導 入 とい う側 面 に 限 って み る とほ とん ど積極 性 が見 られ ない の で あ る。

  そ こで この理 由を 明 らか に す るた めに,位 牌 を有 す る世 帯 に つ いて 導 入 の 契 機 を 探 つて み る こ とに す る。 新 社 で 位 牌 を祀 つてい る世帯 の う ち戦 前 か ら位 牌 を 持 つて い た の は3世 帯 で,い ず れ も先 祖 が 新 社 村 に 入 植 して きた 時 点で か な り漢 化 して い た クヴ ァラ ン族 で あ った。 残 りの 世 帯 は戦 後 に 位牌 を作 る よ うに な った。 その 契 機 は,漢 族 も し くは漢 化 の 進 ん だ ほかの 種 族 出 身者 と婚 姻 を結 ん だ こ とに よ って,配 偶 者 の 影 響 で 配 偶者 や その 祖 先 を 祀 るよ うに な った もの で あ る。 この よ うに 祖先 祭祀 の漢 化 の プ

ロセス に お い て婚 姻 が 与 え て きた影 響 は 少 な くな い ので あ る。

  と ころ で,位 牌 祭 祀 の 受 容 に 果 た した 婚 姻 の 重要 性 につ い て見 る と き,注 意す べ き 点 は,ク ヴ ァ ラ ン族 の 祖 先 祭 祀 の継 承 に関 す る固 有 の規 範 にの っと って い る ことで あ る。 パ リ リン儀 礼 の説 明で も述 べ た よ うに,彼 らは す べ て の個 人 が 自 己の 責 任 に お い て,自 分 に 連 な る 父方,母 方 の すべ て の祖 先 を 祀 るべ きで あ る,と 考 え て い る。 そ こ で,同 じパ リ リン儀 礼 の 際 に も夫 と妻 は それ ぞれ 異 な る範 囲 の祖 先 に供 物 を食 べ させ

る し,異 種 族 と結婚 した 場合 に は,配 偶者 が 自分 の 種 族 の や り方 で祖 先 に ご馳 走 を食 べ させ る行 為 を 許 容 す るの で あ る。 した が って位 牌 祭 祀 を 行 な う漢族 と結 婚 す れ ば, そ れ を契 機 に 位 牌 祭 祀 が 導 入 され るの で あ る。

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清水  漢 化のメカニズム

  そ こで 新社 村 の 事 例 を も う0度 振 り返 って み る と,位 牌 を 置 い て い る世 帯 で もパ リ リ ン儀 礼 は並 行 して 行 な わ れ て い る,と い う事 実 が 明 らかに な る。 そ して その 場 合 に は ・ パ リリ ン儀 礼 の 対象 とな るの は クヴ ァラ ン族 の祖 先 た ちで あ り,漢 族 式 の祖 先 祭 祀 の対 象 に は な らな い ことが 多 い。 も ちろ ん漢 化 した クヴ ァラ ン族 が 祖 先 で あ る幾つ か の ケ ー スで は 同 じ祖先 に対 し て両 方 の 祭祀 を行 な って 祀 る こ とに な る。 しか し一般 に は ・ ク ヴ ァ ラ ン族 の祭 祀 に 慣 れ て い た ク ヴ ァラ ン族 の祖 先 に は ク ヴ ァ ラン族 式 の パ リ リン・ 漢 族の 祭 祀 形 式 に 慣 れ て い た祖 先 に は 漢 族 の祭 祀 を 行 な う とい う ように 使 い 分 けを す るこ と が多 い。

  次 に位牌 の 置 き方 に つ い て み る と,漢 族 の 家 屋 の 場合,入 口を 入 って す ぐの 部 屋 は 正 庁 とか,大 庁 と呼 ば れ,神 様 と祖 先 を 祀 る祭 壇 を 備 えて い る。 祭 壇 上 の壁 に は神 様 の 像 を描 いた 絵 が 懸 け られ,壇 上に は神 像 や線 香 を 立て る香炉,燭 台 な ど の祭 祀 用 具

が置 か れ て い る。 位 牌 も この祭 壇 の 上に 置 か れ る。

  クヴ ァ ラ ン族 の 家 屋 もお お よ そ似 た よ うな構 造 を持 ち,正 庁 に 当 た る部 屋 が あ って, 客 間兼 居 間 に な って い る。 この 部 屋 に祭 壇 や位 牌 の 棚 な どが設 け られ て い る。 しか し, 位 牌 の 置 き方,複 数 の位 牌 の 区分 の 仕 方 な どに 漢 族 の 規 範 か らの逸 脱 が あ る こ とがわ か る。 そ れ を 以 下 に 列挙 して み る。

  まず 第1の 例 は,赤 ん 坊 の と きに死 亡 した 女 の 子 の 位牌 が その 家 の 祖 先 と共 に 祀 ら れ て い る,と い う もの で あ る。 漢族 の場 合,女 子 は い ずれ 他 家 に 嫁 に 行 くべ き存 在 で あ り・ 未婚 で 亡 くな って も正 庁 で祀 るに は 当た らな い。 また,男 子 の 場合 で さえ,幼 時 に死 ん だ 場合,位 牌 を祀 るべ き対 象 とは な らな い。 何 代 か た って,子 孫 に崇 りを も た ら した 場合 に 限 つて 例 外 的 に祀 る こ とは あ る が,そ れ で も家 族 の位 牌 と一 緒 の 位 牌 箱 に入 れ る こ とは ま ず な い[WOLF  1978:147‑148;陳 〔祥 水〕1973:144]。

  と こ ろが,新 社 村 の事 例で は,崇 りが あ った わ けで もな い の に,赤 ん坊 の 位 牌 を 作 って家 族 の 位 牌 箱 に 入れ て 祀 つて い る。

  また,も う1つ の 例で は,婿 入 り して きた父 親 の姓 を 受 け継 いだ 息 子 の1人 が,若 くして 亡 くな った た め,位 牌 を 作 つて 正庁 の祭 壇 の 上に,姓 の 異 な る母 親 の 祖先 の位 牌 と共 に 並 べ られ て い る とい う もの で あ る。

  漢 族 な らば,婚 入 して きた 男 性 や その 姓 を 継 承 した子 供 は,婚 家 の 祖先 とは見 な さ れ な い ので,位 牌 の 置 き方 もは っ き り区別 す るの が普 通 で あ る。 姓 の 異 な る祖 先 の 位 牌 は ・台 湾 の漢 族 の 慣 習 に 従 え ば,台 所 とかJ軒 下 な ど,正 庁 とは 別 の 場 所 に 目立 た な い よ うに 置 く。 さ もな け れ ば,正 庁 に 置 く場合 で も,祭 壇 とは 別 の 棚 を作 って 置 い た りす る。 また,同 じ祭 壇 上に 置 く場合 で も位 牌 と位 牌 の 間 に 仕 切 を 立 て る,と い う 311

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国立民族学博物館研究報告別冊   14号

図2  察家 の位牌の祖先

よ うに して 区 別 だけ は は っき りさせ る[WoLF  l978:155;AHERN  1973:130;陳

〔祥 水〕  1973:150]。

  父 系 原理 を貫 く漢 族 に と って は,姓 の 異 な る婚 入 男性 と その 子孫 は 異 な る親 族 集 団 に 属 す るこ と に な るか ら,区 別す るの は 当然 で あ る。 一 方,ク ヴ ァ ラ ン族 は父 系 の み を た ど ると い う よ うな 単 系 的 な 出 自観 念 を 持 た な い ので,こ の よ うな ケ ー スで も区分 の 必 要 性 は全 く感 じな い。 そ こで,こ の 違 いが,位 牌 の並 べ方 の 違 い と して形 の 上 に

表わ れ て くる こと に な る。

  第3番 目の 例 で は,婚 入 した 男 性 とそ の姓 を継 い だ 息子 との2人 の位 牌 が,妻 の位 牌 と 同 じ位 牌 箱 に 納 め られ て い る,と い う もの で あ る。 これ は前 の事 例 よ りも さ らに 姓 の違 いに 対 して 無 頓 着で あ る と いえ るが,さ らに その ほか に,婚 入 男 性 が亡 くな っ た後 で未 亡 人 と な った 女 性 と内縁 関係 を 持 った 男性 の 位 牌 まで が 一 緒 に 納 め られ て い る(図2参 照)。      '

  こ うい う納 め方 は漢 族 で は まず あ りえな い と思 わ れ る が,位 牌 の 管 理 を して い る世 帯 主 は,母 の 内縁 の夫 は 自分 に と って 実 生 活 上の 父 で あ った人 だ か ら母 の 位 牌 と一 緒 に して い る,と 述 べ てい た 。 位牌 の納 め方 が 違 うの で は な い か との 筆 者 の 質 問 に対 し て は,指 摘 の 意 味 が よ く理解 で きな い とい う反 応 を示 し,位 牌 の 納 め方 が 間 違 つて い

る,と い う意 識 を も ってい な い こ とが わか る。

  この 場 合 に も,自 己に連 な る祖 先 は分 け 隔 て な く祀 る もの だ とい う ク ヴ ァラ ン族 の 祖 先 観 が 強 く働 い て い る と言 うこ とが で き る。

  ま た,こ の 世 帯 で は,2つ の 位 牌 箱 を 置 い て,合 計8人 の 祖 先 の位 牌 を4つ ず つ に 分 け て納 め て いた が,こ の分 け方 その もの に も特 徴 があ る。 細 か い 説 明 は省 略す る こ とに して,そ の 特徴 を 一 言 で 表現 す れ ば,父 系 原 理 に 基づ く漢 族 の 位牌 分 けの ル ール 312

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清水  漢化の メカニズム

に従 って い る とい う よ りは,む しろ,ク ヴ ァラ ン族 の サ ル ッパ ワ ン家 族 の 一 部 が分 出 して独 立 す る とい う形 態に よ く似 て い る。 さ らに,位 牌 管理 者 で あ る世 帯 主 は,2つ の う ち片 方 の 位 牌 箱 の祖 先(戴 姓)か らは,姓 も財 産 も分 与 され て い ない。 そ れ で も, 正 庁 に祀 る こ とに は な ん ら疑 問 を 感 じて い ない 。

  合 計8人 の 祖 先 の 位牌 を祀 つて い るの は新 社 村 で は この 世帯 だ けで あ り,し か も世 帯 主 は,自 分 の 血 筋 は 福 建人 で あ る と述 べ て い るに もか か わ らず,漢 族 とは 全 くあ い 容 れ な い考 え方 に 基 づ い た位 牌 祭 祀 の 形 態 を 取 ってい るの で あ る。

  も う1つ 例 を 挙 げ る と,位 牌 代 わ りの 香炉 を祀 つて い るあ る世 帯 で は,父 親 の 姓 の 継 承者 で は ない 娘 が 管 理 し,ま だ生 存 して い る母 親 や,姓 の 継承 者 で あ る その 息 子 は,

自分 達の と こ ろ に香 炉 を 引 き受 け る気 配 が な い。 父親 が亡 くな った 後,母 親 の 健 康 上 の 理 由 と,弟 は幼 す ぎて 祭 祀 がで きない とい う理 由 か ら,結 婚 して分 出 してい た 娘 が 預 って以 来,そ の ま まに な って い るの で あ る。

  で は,こ の母 親 と息 子 は 故 人 に対 す る祭 祀 義務 を全 く怠 って い るの か とい う と,そ うで は な い。 パ リ リ ン儀 礼の と きに は必 ず 名前 を 呼 ん で供 物 を 捧 げ て い るの で,ク ァラ ン族 と しての 祭 祀 義 務 は 怠 らず に遵 守 して い る とい え る。 この よ うに,伝 統 的 な パ リリン儀 礼 が行 な われ 続 け て い るか ぎ り,そ して 固 有の 祖 先 観 が 変 化 しな い か ぎ り, 香炉 を 位牌 の代 用 に して も,ぜ ひ と も自分 の 手 元 で 管 理 しな けれ ば とい う義 務 感 は 強

く意 識 され に くい。

  以 上の よ うな逸 脱 が,絶 対 数 の少 な い事 例 の 中 に 散 見 され る こ とに つ い て考 え て み た い と思 う。 これ らの逸 脱 は,漢 族 の 習俗 の 単 な る知 識 不足 とい う よ りは,ク ヴ ァ ラ ン族 の伝 統 的 祖 先 観 と,漢 族 の 祖 先観 との矛 盾 か ら生 じた もの,つ ま り2つ の 社会 の 基本 的 な相 違 を 反 映 した もの とい う こ とがで きる。

  漢 族 の位 牌 祭 祀 の 最 も基本 と な る点 は,父 系 原 理 に従 って,人 の 後 を継 ぐこ と,祖 先 に 対す る祭 祀 の義 務 を 受 け継 ぐこ と,財 産 を 受 け継 ぐこ と,と い う もの で あ る。 こ れ らの要 素 が 不可分 の もの として 意識 され て い る と ころ に 特徴 が あ る[滋 賀  1963:

ll9‑120ユo

  これ に 対 して ク ヴ ァラ ン族 の血 縁 原 理 で は,必 ず 父 方 ・母 方 双 方 の祖 先 が た ど られ, 父 方 だ け を た ど る こ とは な い。 ま た,財 産 を 継 承 す る ことは 祭 祀 義 務 を継 承 す る こ と と表 裏 一 体 で は な い。 この違 い は漢 族 と ク ヴ ァラ ン族 の間 で は 決 定 的で あ る。

  姓 の 継 承 と財 産 の継 承 に限 って は,ク ヴ ァラ ン族 の 間で も一 体 化 して 考 え る傾 向 は あ る。 実 際,キ ョウダ イの う ちの あ る子 供 は父 の 姓 と財 産 を継 承 し,別 の 子供 は母 の 財 産 と母 の 姓 を 継 承 した,と い う例 が 幾 つ か見 られ るの で あ る。

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国立民族学博物 館研究報告別冊  14号

  しか し,祖 先 の 祭 祀 義 務 とな る と,こ れ とは全 く無 関 係 で あ る。 父の 姓 と財 産 を 引 き継 い だ 子供 で も,母 の姓 と財 産 を 引 き継 い だ子 供 で も,ひ と し く父方,母 方 双 方 の 祖 先 を祀 る こ とが 当然 とさ れ て い る。 の み な らず,生 家 の 財 産相 続の 権 利 を 失 った婚 出子 女 も,パ リリン儀 礼 の 際に は 生 家 の 祖 先 の 名前 を呼 ん で 祀 る。 この よ うに 祖先 祭 祀 と財 産相 続 とは,ク ヴ ァ ラ ン族 の 伝 統 社会 で は全 く接 点 を 持 た な い別 次 元 の 問題 と

して 存在 す るの で あ る。

  クヴ ァ ラ ン族 の 祖先 祭祀 の義 務 は血 縁 の あ る な し とい う事 実 に よ って決 ま る。 この 点 につ い て は プユ マ族 の場 合 と も異 な って い る。 プユ マ 族 の 場合 に は,祭 祀 の 義 務 は,

出 自様式 と同様 に 財 産相 続 と も関 わ りを 持 つ もの と して 捉 え られ て い る。 末 成 の分 析 に よ ると,プ ユマ 族 で は位 牌 の 継 承 が 財 産共 有 体 と して の 家 族 と強 く結 びつ い て い る [末 成  1970:108]。

  プユ マ族 もク ヴ ァ ラ ン族 も祖 先 の た ど り方 は単 系 的 で は な く,ま た,累 積 的 祖 先 観 を 持 た な い こ と も共 通 だ が,位 牌 の 受 容 とい う場 面 に お い て全 く達 った現 象 が 現 わ れ て い る。 プ ユ マ族 で は位 牌 祭 祀 が15年 の 間 に増 加 し,ク ヴ ァ ラ ン族 で は ほとん ど増 え て い な い。 この 違 い が 出て くる理 由を 考 え て み る と,プ ユ マ 族 が 比較 的容 易 に 位 牌 祭 祀 を 受容 した背 景 に は,固 有 の 観 念 を 大 き く変 化 させ な くて も漢 族 の位 牌 祭 祀 と財 産 相 続 との結 びつ きを 理 解 す る ことが で きた とい う事 実が 浮 か び上 が って くる。

  一 方,ク ヴ ァ ラ ン族 は,祭 祀 継 承 と財 産相 続 のつ なが りを 固 有 観 念 の枠 に よ って は 全 く理解 で きな いた め,い ま だ に積 極 的 に 受容 し て い ない とい う ことが 言 え そ うで あ る。 クヴ ァ ラ ン族 の 場合,固 有 の 観 念 が 根 底 か ら変 化 しな い か ぎ り位 牌 祭 祀 の 受 容 は 今 後 もあ ま り増 え ない と思 わ れ る。

  この 問題 の最 後 に,漢 族 の位 牌 祭 祀 を 受 容 した クヴ ァラ ン族 の 側 の 意識 につ い て も う0度 ま と め て お きた い 。位 牌 祭 祀 を 受 け入 れ た世 帯 で は,自 分 が 漢族 だ か ら受 容 し た の だ とい う意 識 を 持 つ者 も持 た ない 者 もあ り0定 し ない が,い ず れ も習 俗 の 受 容 に 際 して は,身 近 な漢 族 か ら詳 しい や り方 を 聞 い て学 習 し てい る。 した が って,意 識 の 上 で は正 し く位 牌 祭 祀 を 取 り入 れ た と考 え て お り,逸 脱 して い るとは 思 つてい な い。

筆者 が 「逸 脱 」 とい う表 現 を使 った の は,調 査者 の側 か ら見 ての ことで あ る。

  つ ま り彼 ら自身 は,祭 祀 用 具 を 取 り揃 え て 所定 の 祭 日に 形 式 ど お りの 礼 拝 を す る, とい う こと さ え充 た され て いれ ば,漢 族 の 習俗 を 受容 した こ とに な る と考 え てい る。

本 来 の 位牌 祭 祀 の 背 景 に,父 系 血 縁 原 理 を 基 本 と し,財 産 の 継承 と結 びつ く漢 族 独 自 の 観 念 が あ る こ と まで は認 識 され て い な い ので あ る。 ク ヴ ァラ ン族 に と って の位 牌 祭 祀 の 実 体 と は,固 有 の祖 先 観 の 枠 組 に 沿 つて,モ ノ と形 式 を 受 け入 れ る こ とで しか な 314

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清 水  漢 化 の メカ ニ ズ ム

い と い え る。 こ の よ う な こ と か ら,ク ヴ ァ ラ ン族 の 漢 化 の メ カ ニ ズ ム に お い て は,固 有 の 観 念 の 枠 組 が 果 た し た 役 割 は 少 な か ら ぬ もの が あ っ た こ と が わ か る 。

5.ク ヴ ァ ラ ン 族 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ

  次 に・ クヴ ァ ラ ン族 の 自 己 意識 と双 方 的親 族 観 念 の 関 係 に つ い て,筆 者 の 考 察 を ま と めて お きた い。

  新 社 村 の クヴ ァラ ン族 の子 孫 た ちは,自 分 た ちの こ とを クヴ ァラ ン族 と認 め て い る。

これ は新 社 村 の ク ヴ ァラ ン族 の 置か れ て きた 特 殊 状 況 を 反 映 す る もの で あ って,一 般 に,熟 蕃 とか,平 塙 族 と呼 ば れ る種 族 の子 孫 た ちは,自 ら漢族 以外 の 存 在 で あ ると は 認 め た が らな いの が 普 通 で あ る。

  この こと は,宜 蘭 平 野 に残 った ク ヴ ァラ ン族 の 子 孫 た ち と比 べ て みて もわ か る。 筆 者 が 出会 った 宜 蘭 の クヴ ァ ラ ン族 の 婦 人 は,周 囲 の 漢 族 に対 して は漢 族 で ない こ とを 隠 して い る,と 述 べ て い た。 もし漢 族 で な い とわ か る と,「 蕃 人 」(台 湾 語 で 「蕃仔 」)

と言 われ て蔑 まれ るか らだ と い う。 しか し,「 自分 た ちは 正 し くは 平哺 族 で あ って, 山 に 住 む蕃 人 な ど と一緒 に して も らい た くない の に,漢 族 は,蕃 人 と平哺 族 の違 い が わ か らな いの で,自 分 た ちが 漢族 で は ない と 知 る と,『 蕃 仔』 だ と思 って 侮 蔑 す る」

と述べ て い る。

  宜 蘭で 筆 者 が 出会 った 平哺 族 の 人 々は,い ず れ も 自分 た ちの 種族 の 名 称 を忘 れ て い た が,平 哺 族 で あ る とい うこ と だ けは 記 憶 して い た 。 そ して い ずれ も,平 哺 族 は 「 仔 」 で は な い,と い う意 識 を 強 く持 って い る。 また 新 社 村 で も,ク ヴ ァ ラ ン族 は蕃 人 で は な い,と い う共 通 の 意識 があ った。

  これ は清 朝 時 代 か ら 日本時 代 を 通 じての 行 政 的 種 族 区分 に 大 き く影 響 を 受 け た考 え 方 で あ る。 特 に,日 本 時代 の 戸 籍 の 作 成 が直 接 的 に 関 係 して い る とい え る。 平地 の 漢 化 した原 住 民 は,平 」甫族,あ るい は 熟 蕃 と して 戸 籍 に 記 載 され,漢 字 の 姓 名 が記 され る。 一 方,漢 化 して い な か った 人 々は,高 砂 族,も し くは生 蕃 とい う記 載 に な って い て,漢 字 の姓 名は な く,片 仮 名で 名前 だけが 記 され て い る。

  この よ うな違 い は 平捕 族 自身 に は は っ き り意 識 され て い た。 また,文 化 一社 会 的 に 見 て高 砂 族 と 自分 た ちとの 間 に は違 い が あ る こ と も認 識 して い た わ けで,漢 族 と異 な ら ない生 活 習慣 に 基 づ い て 同 じ平 地 で生 活 を営 ん で い る自分 た ちは,山 の 高 砂 族 と は 文 化 的 に全 く異 な る存 在 で あ ると 意識 して きた 。

  これ に対 して漢 族 の ほ うで は,福 建 人 と客 家 人 に つ い て は 漢 族の サ ブ グル ー プと し 315

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国立民族学博物館研究報告別冊  14号 表4  漢族 と平塙族の種族区分意識

漢族の種駆 分餓i平 埴族の種駆 分騰 漢    族 漢    平 捕

高 砂

浦 族 砂 族

表5  クヴ ァ ラ ン族 の 種 族認 識 クヴ ァ ラ ン語 に よ る呼称1 一般的種族区分

toloko?(タ ロ コ) ア タ ヤル 族

kizaya?(キ ザ ヤ) ア ミ族

iwatan(イ ワ タ ン) ブ ヌ ン族

tagabulan(タ ガ ブ ラ ン) シ ラヤ系 平哺 族 kovalan(ク ヴ ァ ラ ン)ま た ク ヴ ァ ラ ン はkaliawan(加 礼 宛)

tOEobuan(ト ロ ブ ア ン) ヴ ァサ イ系

平塘 族 トル ビア ワ ン

busus(ボ ソ ス) 福建系漢族

ga勾ai?(ガ イ ガ イ) 客家系漢族

ho  31am(ホ ラ ム) 外省人

jippun(ジ ツプ ン) 日本人

て 認 め るが,熟 蕃 に つ い て は 非 漢 民 族 と して,生 蕃 す な わ ち狭 義 の 高 砂 族 と一 緒 に1つ に ま とめ,蕃 仔 の カ テ ゴ リーに 区分 して い る。

  この よ うな漢 族 と平 哺 族 の もつ 意 識 の 上 での 区分 の 相 違 を,表4 で 表示 して み た。

  さて,話 題 を再 び新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 に戻 そ う。 彼 らは,自 分 の 種 族 名 を認 識 し,隠 そ う と しな い 点 で,漢 族 社 会 の 中 に埋 没 して い る ほか の 平哺 族 とは だい ぶ 状 況 が 異 な って い る。 これ は 主 に,新 社 とそ の 周辺 地 域 で は,漢 族 が 絶 対 多数 を 占 め るエス ニ ック ・グル ー プで は な い,と い う 多種 族 雑 居 の 環 境 に よ って 保 たれ て きた もの と 思 われ る。 クヴ ァ ラ ン族 の 主 な 種 族認 識 を 表5に 示 す 。

  クヴ ァラ ン族 は,こ れ らが い ず れ も文 化 一社会 的 に見 て 異 な る種 族 で あ る こと を歴 史 的 に認 識 して きた。 それ に加 え て,行 政 上の 生 蕃 と熟 蕃 の 区分 を も取 り入 れ て,自 分 た ちは生 蕃 よ りは 文化 的 水準 が 高 く,漢 族 よ りは 劣 る,と い う 中間 的 な 自 らの 位 置 づ け を与 え て きた の で あ る。

  戦 後 に な る と中 華 民 国政 府 の もとで新 しい種 族 区分 が設 け られ,か つ て の 高 砂 族 は 山地 山胞 と平地 山 胞に 区 分 され た。 そ の際,平 埴 族 は 平地 山胞 に な る こ と も,平 地 人 と して 登 録 す る こ と も可 能 で あ った が,新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 の 人 々の 大 部分 は 平 地 山胞 の 身分 を 取得 した 。 そ れ に付 随す る 政府 か らの 財 政援 助 な どを 期 待 して の こ とで あ る。 平 地 人 登録 に切 り替 えて,漢 族 と して の 体 裁 を 整 え た い とす る人 々 は,新 社 で はあ ま り多 くな い。

  新 社 の 特殊 な環 境 の もとで は,彼 らは これ ま で漢 族 で あ りた い とか,原 住 民で あ る こ とを ひた す ら隠 した い とい う強 い欲 求 を 持 つ こと な く,原 住 民 クヴ ァ ラ ン族 と して 生 活 して きた。 この よ う な 自 己意 識が 基 本 に あ るこ とは,新 社 村 の クヴ ァ ラ ン族 の 社

会 ・文化 変容 を考 察 す る上 で,特 に注 意 す べ き要 素 の1つ で あ る。

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参照

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