野 呂 栄 太
ー・i・日本資本主義の史的展開1
工 問題の所在
Ⅱ ﹁日本資本主義発達史﹂ の論理構造
Ⅱ ﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂の論理構造
Ⅳ むすび−意義と連繋
Ⅰ 問題 の 所在 山
本 義 彦
野呂栄太郎は︑マルクス主義の方法にもとづくさいしょの日本資本主義研究家であり︑その研究内容は今日︑けっして
古びたものではなく︑多くの点で︑研究上の起点=原点となっている︒かれの歴史研究の姿勢は︑本稿においてくわしく
みるように︑たんに懐古趣味のそれではなく︑当面する日本資本主義の諸矛盾とその解決の展望をあきらかにする︑とい
う強烈な実践感覚にうらうちされた研究態度であったといえよう︒このような解釈の見地を厳しく排し変革的視点に立っ
て日本資本主義の展開過程を研究する︑という姿勢に︑学ぶべき多くのものがあると同時に︑今一つ忘れることのできな
野呂栄太郎論
二一 五
野呂栄太郎論 二一六
い問題として︑かれの理論的達成が︑そのどの研究に多くの示唆を与えてきたことである︒戦前︑戦後を通じて︑科学的
な日本研究の土台石となったとされる﹃日本資本主義発達史講座﹄︵岩波書店︑一九三二年︶と﹁日本資本主義論争﹂は︑野
呂栄太郎の研究活動ののちにあらわれたものであるが︑これらの中の多くの論点が︑すでに野呂の研究業績のうちにみら
れる︑という事実が注目されねばならない︒また野呂が猪俣津南雄と争った﹁現段階論争﹂にも﹁日本資本主義論争﹂の
重要ないくつかの論点が登場しているのである︒﹁講座派﹂理論とよばれるものは︑山田盛太郎氏の﹃日本資本主義分析﹄
︵岩波書店︑一九三四年︶ をもって代表されているのが通例である︒わたくしもこの通例の考え方がいちおう妥当なものと
みなしているが︑同時に︑先に示したような関連から︑野呂栄太郎の理論的達成が︑﹁講座﹂派の理論内容恥酎那Pして
の位置を占めるものともいわなければならない︒
本稿では上に述べてきたような野呂栄太郎の研究方法と成果から︑今日において︑どのような点を学ぶべきかを明らか
にする目的のもとに︑まず︑﹁日本資本主義発達史﹂︵一九二七年一−三月脱稿︶および﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂
︵一九二七−二九年執筆︶の二論作を検討対象とし︑かつその〝日本資本主義の史的展開〟の側面に限って考察を加えること
としたい︒〝史的展開″に限る︑といっても︑もともと野呂は現段階把握︵1変革の現実的コースの確定︶のために︑それを
行っているのであるから︑機械的に︑〝史的展開″を〝現段階″と切り離して︑その論理の道すじを︑とらえることは戒
しめなければならないが︑必要なかぎりで〝現段階″にふれつつ︑またべつの機会にこの側面の検討を行うことにして︑
議論の便宜上︑〝史的展開″に限定する︒
また︑以上の検討過程を通して︑﹁日本資本主義発達史﹂と﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂の二つの論文の相互
の関連性についてもあきらかにしたい︒それは︑野呂栄太郎がその日本資本主義研究をいかに深化させていったかをあと
つけることとなるのであり︑また同時に︑それは︑さいしょの論文からつぎの論文にどのような点がひきつがれたか︑さ
らに﹁変更﹂が加えられていったか︑をもあきらかにする作業となるであろう︒この点は︑野呂栄太郎の所説の理論内容
を正確につかむ上で︑避けて通ることのできない問題ともなっている現状にかんがみて︑ふれておく必要があると考える︒
︵1︶ 明治維新変革の性格︑天皇制国家論︑地租改正・寄生地主制の基太的性格︑当面する︵一九二〇年代末から三〇年代初頭︶変革の性
格︑など︑いずれの論点をとりあげても︑三〇年代の﹁講座派﹂理論の骨格がすでに野呂において登場しており︑とりわけそれは︑
猪俣津南雄との論争において鮮やかにあらわれているのである︒たとえば﹁猪俣津南雄氏著﹃現代日本ブルジョアジーの政治的地位﹄
を評す﹂︵一九二九年︶︑﹁日本における土地所有関係について﹂︵一九二九年︶は︑この論争の序曲をなしており︑主として地主制論︑
それにもとづく天皇制国家論が展開されている︒この点は小島恒久﹁日本資本主義論争の背景と展開﹂︵﹃日本の国家独占資本主義﹄
上︑河出書房新社︑一九七〇年所収︶︑二一ページも指摘するとおりである︒
︵2︶ この二論文はそれぞれ野呂栄太郎著﹃日本資本主義発達史﹄ ︵鉄塔書院︑一九三〇年二月刊︶所収の第一編第二部および第三編の
二つである︒本稿ではそれを﹃野呂栄太郎全集﹄上︑新日本出版社︑一九六五年に拠って引くこととする︒なお﹁歴史的諸条件﹂の
執筆時期を一九二七−二九年としたのは︑かれの前書きが︑この論文は﹁すでに︑一九二七年末に︑いちおう脱稿してあった﹂が︑
コミンテルンの﹁日本に関するテーゼ﹂が二七年七月に採択され︑二八年二月﹁インプレコール﹂に公刊されたことから︑その第四
章以下を再検討し︑﹁さらに精細に展開し﹂︑その作業が︑病気により妨げられるに至る二九年二月まで継続された旨を︑伝えている
ことによる︒
︵3︶ ここではつぎのようないくつかの指摘を顧慮している︒Ⅲ﹁明治維新絶対主義論の理論的基礎を確立した講座派のオルグである野
呂氏が︑右にあげた有名な論文︹﹃日本資本主義発達史﹄︺ で明治維新ブルジョア革命論を主張している︑などというと︑多くの人は
耳をうたがうかもしれないが︑たとえばつぎの文章をみよ︒﹃明治維新は︑明かに政治革命であると共に︑また広汎にして徹底せる
社会革命であった︒それは︑決して一般に理解せられるが如く︑単なる王政復古ではなくして︑資本家と資本家的地主とを支配者た
る地位につかしむるための強力的社会変革であった︒﹄明瞭無比なブルジョア革命論ではないか︒なお野呂氏は︑維新における革命の
基礎は﹃土地の封建的領有の廃止と資本家的私有権の確認とであった︒﹄ともかいている︒⁝⁝しかし︑野呂氏は︑﹃二七年テーゼ﹄
のでたあとでかいた﹃日本資本主義発達の歴史的条件﹄という論文では︑右に引用した文章をつぎのように訂正している︒﹃明治維新
は︑明かに強力的社会革命であったと共に ー 否︑あったが故に︑また広汎なる社会変革であった︒それは︑一般に理解せらるるが如く
野呂栄太郎論
二 一
七
野呂栄太郎論 二六
単なる王政復古でもなければ︑あるいはまた︑封建的支配階級間の政権争奪に過ぎないのでもない︒といって︑明治維新が︑直ちに︑
ブルジョア革命−有産者団の政権掌握!を意味するものでなかったことは勿論である︒それは︑たしかに旧封建的生産関係に対
して︑資本家的生産関係の支配的展開への︑従ってまた︑旧封建的支配者に対して︑資本家および資本家的地主の支配権確立への端
緒を形成する所の︑劃期的社会変革であった︒﹄さきに引用した簡明勤直な文章にくらべて︑何とサンタンたる悪文ではないか︒すぐ
れて﹃党派的﹄な人ならば︑そこに思想の﹃発展﹄をみるのかもしれないが︑私はそこに国膜的協力による思想の発展ではなく︑国
際的権力︹コ︑︑︑ンテルンのこと・i引用者︺の圧迫による思想的転向に近いものを感じる︒大事な背骨がポッキリ折れている︒﹂︵上
山 春
平 ﹁
思 想
に お
け る
﹃ 平
和 的
共 存
﹄ の
問 題
﹂ 岩
波 講
座 ﹃
現 代
思 想
﹄ 刀
﹃ 現
代 日
本 の
思 想
﹄ ︑
所 収
︑ 一
九 五
七 年
︑ 二
三 六
− 二
三 七
ペ ー
ジ︶ 似﹁とくに指摘しておきたいのは︑︹﹃発達史﹄では︺明治政府の﹃専制的絶対的性質﹄が︑一方ではその主要な担い手である
武家や公家の意識形態の封建性にもとめられ︑他方ではわが国の産業革命の特質にもとめられている点である︒この点が第二論文
︹﹃諸条件﹄︺では根本的に修正され︑明治絶対主義権力の物質的基礎が︑地主制の封建的搾取関係にもとめられている︒/この論点の
変化が︑コ︑︑︑ンテルンの﹃二七年テーゼ﹄の発表におうところが大きいことは第二論文の﹃まえがき﹄に明記されている︒﹂︵上山春
平 ﹁
野 呂
栄 太
郎 ﹃
日 本
資 本
主 義
発 達
史 ﹄
﹂ 桑
原 武
夫 編
﹃ 日
本 の
名 著
﹄ ︑
中 央
公 論
社 ︑
一 九
六 二
年 ︑
二 〇
一 ペ
ー ジ
︶
畑 ﹁
こ の
︹ 二
七 年
︺
テーゼを野呂は︑絶対不可謬のものとして受取った︒そのため第三論文︹﹃諸条件﹄︺には︑このテーゼに合わせようとした野呂の苦
心のあとがはっきりよみとれる︒封建性が強調されだすのである⁝⁝︒結果的にはこの裏聾で尊敬すべき英才が︑スターリン体制の
確立に至るクレムリン内のどす黒い権力闘争の波に翻弄され︑いたましい喜劇の主役を演じたことになる︒﹂︵日高晋﹁野呂栄太郎著
冒本資本主義発達史﹄﹂シリーズ〝百年の名著〟︑朝日新聞︑一九六七年十二月八日付け︶ ㈲﹁野呂の所説は︑その研究者によって
しばしば指摘されているように︑時期によって一定の相違をもっているが︑概括的にいって前期の論文ほど日本資本主義における封
建性の指摘が少ない︒⁝⁝そうした﹃風にそよぐ葦﹄のいたましい軌跡が野呂理論の歴史であったということができるだろう﹂ ︵小
島 恒
久 ﹁
日 本
資 本
主 義
論 争
の 背
景 と
展 開
﹂ ︑
前 掲
書 ︑
所 収
︑ 一
九 ︑
二 一
ペ ー
ジ ︶
︒
ここに引いた四つの指摘はいずれも︑野呂栄太郎の党派的忠誠心が︑初期の柔軟な科学的見地を歪曲・修正していく要因となって
いる︑ということを示そうとするものである︒あるいみで︑野呂の立場をカリカチュアライズし︑かれの日本資本主義論そのものの
検討を行おうとしない倣慢な姿勢は︑けっかとして︑日本資本主義研究の創始者から学ぶべきものをも学びえないであろう︒むろん︑
こう述べたからといって︑野呂をすべて正しいとする盲目的立場に立つものではない︒わたくしの意図はひきだすべき成果と問題点
をも真筆にひき出そうとしない偏狭な立場から解放されて︑世にいわれるこのような野呂の﹁変節﹂なるものの実態を︑かれの論理
にそくしてひき出し︑その本質的意味を問い直そうとするところにある︒
∬
﹁ 日 本 資 本 主 義 発 達 史
﹂ の 論 理 構 造
﹁日本資本主義発達史﹂において展開された︑日本資本主義の基本矛盾の把握を︑まず見ることにしよう︒この論
文の全般的な特徴は︑当面する日本資本主義︵一九二〇年代末から三〇年代初頭︶の基本矛盾の把握のためには︑特殊日本的
近代の出発の特質を解明する必要がある︑との立場にもとづいているとみられる点である︒そのために﹁明治維新の変
革﹂︑﹁わが国における産業革命﹂︑﹁わが産業革命の特徴とその政治的︑社会的反映﹂の三つの課題が究明されている︒
∽ ﹁明治維新の変革﹂ではその前提として﹁意識革命の進展と外患﹂がまず示され︑封建制の下での三つの矛盾︵①
﹁土地の所有権が最高の所有権者から順次にヨリ下の占有者すなわちヨリ直接なる土地の占有者に⁝移行するの必然性﹂のなかに︑④﹁封
建的搾取関係そのもの﹂のなかに︑④﹁商工業の地方化すなわち普遍化﹂のなかに︑存在する︶ の展開過程が江戸幕藩体制の危機=
その体制変革を惹起せしめることを指摘する︒むろん︑これらの矛盾が同等の力︑レベルにおいて顕現するものではなく︑
農民︑町人の矛盾認識の不足とは対照的に︑下級武士の意識性の深化が特徴的であった︑とする ︵農民︑町人の消極的なが
らの叛乱状態が﹁多少とも意識的に封建的身分関係そのものの素乱に役だった﹂事実は看過しえない︶︒この内部矛盾の﹁革命的爆発
の直接の導火線﹂1これこそ欧米資本主義国との接触であった︒
討幕論は﹁中央集権的民族国家﹂の建設の予図を導くものとなる︒ そこでは尊王論︑壊夷論がいずれも討幕論に︑そして
〔3〕
ではこのような諸要因の作用によってもたらされた﹁明治革命の意義および特殊性﹂は何であったのか︑これが第
野呂栄太郎論
二一 九
野 呂 栄 太 郎 論 二 二
〇
二の課題である︒この課題を野呂栄太郎は︑土地所有形態の変革−地租改正・秩禄処分に着目して︑解明する︒﹁明治維
新は︑明らかに政治革命であるとともに︑また広範にして徹底せる社会革命であった︒それは︑けっして一般に理解せら
れるがごとく︑たんなる王政復古ではなくして︑資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につかしむるための強力的社
会変革であった︒﹂−1冒頭のこの句は︑明治維新の基本的性格を﹁資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につか﹂せ
るための﹁変革﹂と断定することによって︑そのブルジョア的性格を表現している︒明治維新﹁変革﹂のブルジョア的性
格は︑同時に︑典型的なブルジョア革命とはつぎのようにその過程を異にしている︒
﹁封建制度に内在せる三個の本質的矛盾は︑その発展の過程において︑ついにそれぞれ封建武士ことに非職あるいは薄禄
の士︑農民および町人のあいだに反封建的意識を醸成するにいたったが︑なかんずく下級武士のそれは︑もっとも顕著な
る意識革命にまで発展し︑先進資本主義国との外交紛糾を機会に︑本質的には反動的ではあるが反封建的意識においては
革命的なるもう一つの不平〜すなち王朝時代の遺物たる公家一派の不平− を利用することによって︑ついに明治革命
の物質的力たるにいたった︒明治維新が︑反動的なる公家と︑同様に本質的には封建意識を脱却しえない武家との意識的
協力によって遂行せられたということは︑後述すべき他のもう一つの理由と相まって︑わが政治的組識がながく今日にい
たるまで反動的専制的絶対的性質を揚棄しえないゆえんである﹂︒この﹁反動的専制的﹂政治権力が︑ブルジョア的変革と
しての明治維新の阻害物ではなく︑むしろその強力な推進者であったことは︑つぎにつづく文言が︑これを示している︒
すなわち︑﹁しかしながら︑このことはけっしてわが資本主義経済の発達を阻害しなかったばかりでなく︑かえってその
専制的政治的権力は︑封建的生産方法の資本主義的生産方法への転化過程を温室的に助長し︑かつその推移を促進するこ
とによって︑わが国をして資本主義国としてのおどろくべき飛躍発展を可能にした︒だが︑このことは︑独立生産者から
生産手段と生活資料とを包括的に簑奪して︑これを余剰価値搾取の手段たる資本に転化することによってのみ︑容易に
せられたことはもちろんである︒﹂
以上の変革を達成するものは﹁封建的身分の制度の廃止と私有権の完全なる立法的確認﹂にあった︒さてこの﹁封建的
身分制度の廃止﹂の物質的な力は秩禄処分にもとめられるが︑秩禄処分にあたって採られた﹁公債証書をもって一時代的
代償を給与した﹂ことは特別の意味を有する︒貨幣の資本化 − ﹁封建的搾取階級を資本家的搾取階級たらしむべく発行
せられた﹂−1﹁かくて諸侯および堂上公卿よりなる四百八十六家の華族なるものは︑もはや単なる封建的残存勢力でも
王朝時代の遺物でもなくして︑まったくの近世的貨幣資本家になりきってしまっていたことを知らなければならぬ︒﹂
秩禄処分 − 公債賦与というこの形式は︑﹁わが政治的組織︹の︺今日にいたるまで︹の︺反動的専制的絶対的性質﹂︑
﹁専制的政治的権力﹂の階級的本質を確定した︒すなわち︑その﹁近世的貨幣資本家﹂的本質︑これである︒いわく︑﹁皇
室の藩屏をもって任じているわが国の華族のこの特質を明確に認識しておくことは︑わが国における二院制度の本質およ
び意義︑ならびに議会開設以来今日にいたるまでの貴衆両院の関係はなかんずく金融寡頭政治を特徴とする帝国主義的発
展段階に達せる最近において貴族院−1とくに旧領主の華族と多額納税議員とよりなる研究会の少数幹部が政機にたいす
る寡頭的支配権を把握するにいたれる理由等々を理解すべき解決のかざを得ることになるであろう︒﹂
﹁私有権の完全なる立法的確認﹂ − ﹁土地の封建的領有の廃止と資本家的私有権の確認﹂の過程についてみておこう︒
明治元年十二月の﹁王政復古の大号令にさいしての土地の私有権承認 − 藩籍奉還・廃藩置県1土地売買解禁︵明治五年
二月︶ 1−明治八年五月の土地の分割・兼併制限解除︑土地の抵当入れ・小作地化の許可︑のコースでもって﹁土地の所
有は完全に資本主義的搾取の手段と化し︑しかもそれは資本一般と等しくしだいに少数者の所有に兼併せらるるいたった
のである﹂︒この傾向を促進したものは﹁従来収穫高に応じて定めたる地租額を一定して年々同一の額を納めしめたること
および地租の米納を改めて金納としたる﹂地租改正令にはかならない︒
野呂栄太郎論
二二 一
野呂栄太郎論
二 二
二
この措置の結果︑とりわけ明治十三︑四年前後を転期に広範に形成された地主・小作関係における小作農民には嘉が
国独特のものがあり︑そしてこの特殊性はわが資本主義の発展および変革の過程において重要なる意義を有する︒﹂
地租改正は妄で資本家的地主の存在を可能ならしめたが︑他方で﹁耕作権の不安定︑諸種の入り会い権の没収﹂﹁資
本主義的価格変動のもっとも不利なる影響﹂をうけ﹁封建的訣求﹂から自由たりえない﹁小作農や小農民﹂を形成したの
である︒また﹁明治維新の変革によってわが農業技術のうえにはなんら取り立てていうほどの革命的変革はみられなか
った︒⁝⁝したがって︑明治以降におけるわが農業経営は︑いぜん封建的小規模経営にとどまり︑ただますます集約化さ
れたにすぎなかった︒しかるに︑上述のどとく︑封建的所有関係そのものだけは革命的に根本からくつがえされ︑資本主
義的所有関係がこれにかわったのである︒ここにわが農業の特殊性があり︑わが資本主義の発達および変革の過程にお
ける農業の特別なる重要性がひそむ︒ことにこの特殊性は︑帝国主義的発達段階に達し︑国家資本主義のトラストの形成
をとげ︑階級対立が先鋭化するとともに︑決定的な意義を有するにいたる︒﹂﹁要するに︑明治維新の変革の結果︑わが農
民なかんずく小作農は︑封建的諌求と資本家的搾取との最悪なる桓桔のもとに坤吟すべく﹁解放﹂せられたのである﹂︒
小作農のこのような二重性は︑地主の二重性とも符合する︒すなわち︑自由民権の主張者がブルジョアジーでなく地主
階級であり︑しかも同時に不平士族とも手を結ぶ︑またやがて﹁専制的絶対的勢力と荷合﹂し︑﹁最近にいたって完全に
金融資本の寡頭的支配下に従属﹂している事実︑11これらはその二重性を示すものである︒
以上︑明治維新変革の基本的性格と意義についての理解を︑かなり詳細に︑そのコンテキストにもとづいて追求した︒
ここでそれらについて︑わたくしなりの要約を与えておきたい︒困明治の土地変革は︑土地の封建的領有を廃絶し︑その
資本制的領有を確定したものであり︑同時に展開された秩禄処分は︑封建的特権階級︵搾取者︶の資本家的搾取者への転化
を導いたものである︒囲またこうして土地は完全に資本主義的搾取手段に転化することにより地主の資本家的地主への転
化をもたらす一方︑農業の経営形態は依然として封建的小規模経営におしとどめられ︑地主・小作関係では現物小作料が
徴収されるなど︑封建的支配形態が残存した︒こうして地主は現物小作料徴収の面では封建的搾取者としての︑また徴収
した現物の販売の面では︑資本家的利得への関心を払う者としての二重性を帯びるに至った︒榊この二重化された搾取機
構は︑帝国主義段階︑国家資本主義トラスト段階ではいっそう激烈・苛烈なものとして農民におそいかかっている︒
は つぎに︑第二項﹁わが国における産業革命﹂および第三項﹁わが産業革命の特徴とその政治的︑社会的反映﹂の項
にあらわれている野呂の日本資本主義認識をたしかめておくことにしよう︒そのさい︑かれの﹁産業革命﹂観︑すなわち
﹁マンチェスター的の−軽工業中心の−蒸汽力の産業革命⁝⁝バーミンガム的の1−重工業中心の!電力の産業革
命⁝⁝両発展段階はだいたい日露戦争を画期としている﹂との日本における産業革命の二段階説についてではなく︑産業
革命の進展が︑日本資本主義の体制的確立︵支配階級形成︑同時に賃労働力群の編成︶にいかなる作用と特色を帯びさせるも
のとなったか︑についての理解に重点をおくことにしたい︒
﹁幕末においてすでに︑二︑三の進取的雄藩が新機械工業を輸入し︑新時代の先縦をなしたが︑明治革命により統一政
府の成立するとともに︑欧米の先進技術とこれに対応する生産様式および経済組織とは民業の保護誘舵を目的とする新政
府により組織的計画的に輸入せられた︒⁝⁚諸種の封建的制限の撤廃をはじめとして︑地租改正を枢軸とする租税制度の
確立も秩禄公債の発行も︑一に新工業制度の発展のためであったと言いうる︒﹂
みられるように︑野呂は︑日本の資本主義化とは﹁欧米先進資本主義国のあらたなる生産様式の採用﹂により強行され
たものであり︑ここにいう﹁生産様式﹂とは︑生産制度︑生産技術を含む広い意味で使われている︒また﹁旧来の随習を
破り﹂﹁知識を世界に求むる﹂との革命原則は﹁産業上においてもっともよく通用され︑わが資本主義的商品生産・の発達
は温室的に育成され︑革命的に助長された﹂と指摘する︒そのあと︑野呂の筆は︑旧来の産業と移植産業における資本主
野呂栄太郎論
二 二
三
野 呂 栄 太 郎 論 一 三 四
義の進行の差異︑重工業と軽工業の産業革命にはたす役割の段階的相異︑それらの一定の統計的立証を行っている︒
凹 第二の項が産業革命の産業上におけるあらわれとその特質を叙述したものといいうるならば︑第三の項は︑その階級
的意義にふれたものといってよかろう︒日本の産業革命はつぎのような特質をもつとされる︒﹁封建的生産様式の揚乗せ
られざるものある反面において︑早くも高度の資本主義的生産様式が採用され︑各種の産業間および企業間に調和しがた
き生産様式の不均衡−対立1を生じたことである︒そしてそのことは︑一面においてわが資本主義の急速なる発展の
条件の一つであったとともに︑また他面においていまやわが資本主義の急速なる没落の一原因たらんとしているところの
ものなのである︒﹂この不均衡を示すものとしてあげられる第一のものは︑﹁農業における封建的生産︹=﹁依然︑封建的小
規模経営のもとにあった﹂︺と資本主義的所有︹=﹁土地はまったく資本主義的所有に転化された﹂︺との矛盾﹂である︒
また﹁わが国の産業革命は︑専制政府の保護誘酸のもとに温室的に助長せられたのであるが︑それはまた後進資本主義
国としては−なかんずく商業資本の発達不じゅうぶんにして商業資本と工業資本との発達が短期間にわずかに前後し
て︑あるいはほとんど同時に発達した︑国としてはー絶対に必要であったのである︒そしてこの過程において専制的絶
対勢力は完全にブルジョア化してしまったので︑新興大ブルジョアジーとしては獲得しなければならぬ政治上の自由の必
要を感じなかったのである︒⁝⁝すでに世界資本主義は自由主義的発展の頂点をすぎて独占資本主義的発展段階への発達
の過渡を強く踏みだしていたのである︒しかも他方資本主義的収奪が進行し︑中小農の没落と小作農の増加とが顕著にな
るとともに︑地主︑ことに大地主は農民としてよりも産業資本家としてヨリ多くの共通利害を有するようになった﹂︒こ
の長い引用に示されていることは︑わが国の資本主義化には︑絶対専制勢力の上からの誘導が不可欠であったこと︑この
専制勢力自体がまたブルジョア化しているので︑ブルジョアジーにとって︑古典的に想定されるような敵対物ではなくな
り︑その専制力がブルジョア的発展の政治的支柱としての意味をもつ︑との示唆であろう︒
産業革命の﹁不均衡﹂を示すものとしてあげられる第二は︑﹁農業生産11封建的生産様式11と︑工業生産−1資本
主義的工場生産−との矛盾﹂であり︑これは第一の矛盾のように︑産業革命の進行とともに﹁資本家地主にかんするか
ぎり︑姫桔たることをやめる﹂ものとは根本的に異なり︑なんら揚棄されえないものであって︑ここに﹁地主と商工資本
家との妥協荷翫﹂が必至ならしめられた︑というのである︒この必至性は︑嘉で﹁国際資本主義的競争の緊張﹂︑他方
で﹁国内無産階級台頭の気運﹂により根拠づけられる︒
かくしていちおうの要約〜﹁わが国は︑その急速なる産業革命の進展にもかかわらず1いな︑むしろあまりに急激
なる産業革命の跳躍的発展のゆえに︑かえって〜竜末も絶対的専制政治形態を投棄することはできなかった︒のみなら
ず︑⁝⁝それは︑産業革命の結果︑新興商工資本家と地主との新たなる勢力均衡のうえに新たなる安定をえることになっ
たのである︒もちろん︑かかる安定は︑相矛盾する生産様式のうえに⁝⁝たもたれていたのであるから︑⁝⁝当然動揺を
まぬかれなかった︒大正二年および十三年の第一次および第二次護憲運動のどときこれであるが︑⁚⁝・たえず内部的変質
をとげつつ今日にいたり︑いまやまったく藻抜けの殻となった残骸を︑最後に金融寡頭政治の城砦として提供せんとしつ
つあるのである︒﹂ ついで︑かれの分析は︑日本ブルジョアジーの階級的覚醒の弱さ︵それは﹁温室的助長﹂と結びついてい
る︶と︑これに対する労働者︑農民の自覚の先行性の意味に向けられている︒そしてさいごにわが国資本主義分析に必要
とされた認識は﹁世界資本主義的連鎖の一環として﹂︑これにわが国の諸条件がいかにからみあい︑﹁いかなる具体的発展
形態をとったか﹂を洞察することであった︑としめくくっている︒
以上のような歴史的性格を帯びた日本資本主義の諸矛盾は︑侶原始生産業︵農業︑林業︑牧畜業︑鉱業等々︶と工業の生産
力発達の不均衡の加速度的増大︑㈱各種工業生産力︑生産様式問の発達の不均衡の増大︑㈱主要生産部門における技術構
成の相対的低位性と価値構成の高度化︵有機的構成の高度化︶による利潤率の低下に要約され︑これらの諸矛盾は︑帝国主
野呂栄太郎論
一三 五
野 呂 栄 太 郎 論 一 三 六
義転化の主動因︑﹁満州﹂の特殊利益拡張欲に展開する原因ともなり︑終極的には﹁国家資本主義トラストの形成ととも
に金融寡頭支配ははじまり︑ファシスト的独裁がブルジョア議会主義に代わる﹂ことも展望される︒ここに野呂は︑これ
らのブルジョア的﹁解決﹂にたいして︑その根本的揚棄=﹁革命﹂を一般的に対置する︒
︵ 1
︶
﹁ 日
本 資
本 主
義 発
達 史
﹂ ︵
以 下
必 要
に お
う じ
て ﹁
発 達
史 ﹂
と 略
記 ︶
︑ ﹃
野 呂
栄 太
郎 全
集 ﹄
上 ︵
以 下
︑ ﹃
全 集
﹄ 上
︑ と
略 記
︶ ︑
新 日
本 出
版
社︑一九六五年︑空−五二ページ︒この三つの矛盾は︑それぞれ﹁割拠の形勢と下克上の観念﹂︵五二ページ︶︑﹁武士の窮乏と交 互的に加重せられたる苛赦誅求と封建的弾圧︑⁝農民の窮乏とその反抗とを激成﹂︵五三ページ︶︑﹁徳川氏制覇の集権的封建制度⁝
′ ̄ヽ ( ( ( (
6 5 4 3 2
) ) ) ) )
そのもの⁝と相いれない﹂︵五四ページ︶状況を生み出す︑と主張されている︒
同 上
︑ 五
五 ペ
ー ジ
︒
同上︑五六ページ︒ ・
同 上
︑ 五
六 ペ
ー ジ
︒
同 上
︑ 五
八 ペ
ー ジ
︒
同上︑五八−五九ページ︒ここにいう﹁もう一つの理由﹂とは︑上山氏も指摘されているように︑﹁急速な産業革命のために政府
′【ヽ ( ( ( (
1110 9 8 7
) ) ) ) )
一−九二ページを参照せよ︒ 本の名著﹄所収論文︑二〇〇−二〇一ページ︶にはかならない︒野呂じしんのことばとしては︑﹃全集﹄上︑八八ページ︑および九 るために︑地主と商工資本家の妥協が成立し︑政府が両者の勢力均衡のうえに安定を得ることができたこと﹂︵上山春平︑前掲︑r日 の保護政策が必要とされたこと︑さらに︑産業革命の結果あらわになった国際資本主義的競争の緊張と国内無産階級の拾頭に対処す
同 上
︑ 五
九 ペ
ー ジ
︒
同 上
︒
同 上
︑
同 上
︑
同 上
︑
て い
る ︑
六一ページ︒
六一ページ︒
六二 ペー ジ︒
新しい支配者として登場せしめられた︑諸侯︑堂上公卿は︑秩禄処分によって︑近代的な貨幣資本家に転化し
との理解は重要であろう︒支配階級は︑古い衣をまとってはいるが︑実に︑ブルジョア化している︑という認識/
本格的強行に転じた松方財政の始期とも対応して︑興味ある事実である︒つまり︑日本の近代社会の妄柱たる地主制が江戸幕琵
制のうちに胚胎したもののたんなる継承形態ではなく︑まさに資本主義の形成との連繋において︑出現したことを意味するからであ
り︑また︑松方財政が︑条約改正への志向を当面棚上げし対外従属のコースを選択した→で︑自生的な資本主義的発展の要素を圧服
してゆく過程において︑この地主制が展開してゆくからである︒
︵17︶同上︑六五ページ︒地租改正が土地の私的所有権の確認=資至義的領有としての意義をもつ︑と高く評価してきた野呂が︑ここ
で︑もう一つの側面として︑小作農︑小農民の﹁封建的課求﹂への制縛をとらえているところに注目されたい︒
︵18︶同上︑六千六六ページ︒日本資本主義の発展の全過程における農業の特別の蔓性の強調−1﹁講座派﹂理論のプロトタイプ︒
︵崇同上︑六六ページ︒わが国農業の特殊性の意識は︑野呂のこの処女論文でじつに強烈であり︑地租改正そのもののうちにその特殊
性の原基をみ︑帝国主義段階では︑そのいっそうの展開=拡大・先鋭化をとらえていることは注目される︒
︵巴同上︑七八ページ︒なお︑野呂の産業革命論︵二段階説︶は︑そのど︑技術主義的理解に傾斜している︑と批判されているところ
である︒山田﹃日本資本主義分析﹄における産業革命=産業資本の確立論は︑第Ⅰ部門︵生産手段生産︶の生産の見透しの確立とし
ての位置をもつ旋盤の国内製作の開始︵完〇五年︶をもって主張され︑一国再生産の自立的展開の形成に力点をおくものであった︒
これにたいして︑大内力﹃日本経済論﹄上︑東京大学出版会︑完六二年では︑綿糸紡績業の自立的展開=再生産循環の起動力・基
軸としての確立︵一八九〇年代︶をもって︑産葦命と主張されている︒今日まで︑いちおう産業革命論は︑野呂︑山田︑大内の三
氏の考え方が有力である︒
︵22︶同上︑六九ページ︒
︵23︶同上︑六八ページ︒ ︵12︶︵13︶︵14︶︵15︶︵16︶
同 上
︑ 六
二 ペ
ー ジ
︒
同 上
︒
同 上
︑ 六
二 −
六 三
ペ ー
ジ ︒
同 上
︑ 六
三 ペ
ー ジ
︒ 同上︑六五ページ︒地租改正令ののち︑地主・小作関係が︑明治十三・四年前後を境に形成された︑という理解は︑本源的嘉の
■ r l ヽ
■
\
. 一
野呂栄太郎論
二 二
七
野呂栄太郎論
一三 八
︵2 4︶ 同上
︑七 一ペ ージ
︒
︵2 5︶ 同上
︑七 二− 八五 ペー ジ︒ ここ でも
︑日 本の 資本 主義 化が
︑上 から
︵= 政府
︶﹁ 温室 的に 育成 され
︑革 命的 に助 長さ れた
﹂と いう 特徴 が強 調さ れて いる こと に︑ 注目 すべ きで あろ う︒
︵2 6︶ 同上
︑八 六ペ ージ
︒
︵2 7︶ 同上
︑八 六ペ ージ
︒こ の矛 盾は
︑そ の後 つぎ のよ うな 過程 をた どり
︑解 消さ れえ ない もの とな った
︒す なわ ち︑
﹁農 業上 にお ける 生産 様式 と所 有関 係と の矛 盾は
︑産 業革 命の 進展 とと もに
︑資 本家 地主 にか んす るか ぎり
︑桂 倍た るこ とを やめ てか えっ て飽 くこ と なき 搾取 の自 由を 保証 する こと にな った
︒そ れは 一方
︑直 接に は小 作農 にた いす る強 搾に より
︑他 方︑ 間接 には 労働 者に たい する 産 業資 本家 の搾 取に 協力 する こと によ って のみ 可能 にせ られ たの であ る︒ だが この ため に︑ 農業 生産 1封 建的 生産 様式
−と
︑工 業 生産
−資 本主 義的 工場 生産
−と の矛 盾は 亮も 揚棄 され はし なか った
﹂︵ 同上
︑九 一ペ ージ
︶︒ ここ にみ られ るよ うに
︑野 呂の 矛盾 理解 は︑ たん に資 本主 義の 下に おけ る農 工間 不均 衡と いう 一般 理論 を事 実に さが し求 める とい う立 場と は無 縁で あっ て︑ この 一般 性 が︑ 日本 では いか なる 特殊 形態 をと って 現わ れて いる か︑ とい う立 場で あっ た︒ そし て︑ 資本 主義 的工 業と 資本 主義 的農 業と の不 均 衡で はな く︑ 資本 主義 的工 業と 封建 制的 農業 との 不均 衡を 探り 出し たの であ る︒
︵2 8
︶同 上︑ 八八
−八 九ペ ージ
︒
︵2 9︶ 専制 勢力 のブ ルジ ョア 化に つい ては つぎ のよ うに も明 言さ れて いる
︒﹁ 従来 商工 資本 家の パト ロン たり し閥 族お よび 官僚 が日 清戦 争か らか えっ て三 井三 菱な ど大 資本 家の 偶偏 にす ぎな くな った
﹂︵ 同上
︑九 一ペ ージ
︶︒ そこ に﹁ 閥族 およ び官 僚﹂ の保 持し てい る絶 対主 義的 専制 的国 家の 形態 が︑ 巨大 ブル ジョ アジ ーの 支配 のた めの 背骨 とし て活 用さ れう る条 件が 存在 して いる ので ある
︒だ から
︑ 野呂 にあ って は︑ けっ かと して
︑絶 対主 義と 資本 主義 発展 とは 基本 的に 矛盾 する もの とは 理解 され てい ない こと があ きら かで あろ う︒
︵3 0︶ 同上
︑九 一ペ ージ
︒
( ( ′ヽ
33 32 31
) ) )
同 上
︒
同上︑九二ページ︒この点についてはなお前の注︵6︶︵27︶を参照せよ︒
同上︑九三ページ︒ここでは︑注︵29︶において︑絶対主義と資本主義の発展とは矛盾なきものと野呂が把握していたと評したに
もかかわらず︑﹁産業革命の結果︑新興商工資本家と地主との新たなる勢力均衡のうえに新たなる安定﹂を絶対主義の国家が獲得し
た︑と明言されているように︑オーソドックスな均衡論的絶対主義論︵この点︑Ⅱ注︵27︶を参照せよ︶の見地への傾斜がみられると
いえよう︒とはいえ︑ここでもう一つ注目したいのは︑﹁まったく藻抜けの殻となった残骸﹂たる﹁絶対的専制政治形態﹂を﹁金融
寡頭政治の城砦﹂ とさせていっている︑という事実認識であろう︒天皇制国家は︑資本主義展開の諸階梯に適合して︑その性格を
﹁変質﹂させているという立場は︑つぎの事情からみて︑ユニークなものであろう︒つまり当時のマルクス主義国家論の日本での具
体化の基準はおよそつぎのようなものであったから︒﹁封建制度の残存物は今日猶お国家の機構において優位を占めており︑国家機
関は︑猶お商工ブルジョアジーの一定部分と︑大地主とからなるブロックの手に握られている︒国家権力の半封建的特性は︑元老
が憲法において占める重要な︑かつ指導的な役割によって鮮明に示されている︒﹂ ここに﹁天皇の政府の顕覆及び君主制の廃止を掲
げ︑かつ︑普通選挙獲得の闘争を﹂︑﹁最大限皮の勢力を集中﹂するための第一の課題としなければならない︵﹁日本共産党綱領草案
︵一九二二年︶﹂石堂清倫・山辺健太郎編﹃コミンテルン日本にかんするテーゼ集﹄青木文庫︑一九六一年︑五−六ページ︶︒
︵34︶ 同上︑九七−九八ページ︒﹁世界資本主義的連鎖の一環﹂としての日本資本主義との把握については︑つぎの章であらためて検討
し た
い ︒
︵35︶ 同上︑九九−一〇一ページ︒この展望のなかで︑とりわけ︑現段階の諸矛盾の体制側からする狂暴な﹁解決﹂形態がファシズムで
あることを指摘している点に︑野呂の現実認識の鋭さをみることができるであろう︒かれがこのような展望を与えたのちに決定され
ている﹁日本に関する決議﹂ ︵二七年テーゼ︶では︑ファシズムの危険について何らふれるところはない︵イタリアのファシズムが
存在しているというのに!︶︒もっともかれのファシズム展望が︑いかなる反ファシズム闘争の提起をなしえたか︑については議論
の余地のあるところであり︑とりわけ︑三二年テーゼ段階では︑そのテーゼの指示により︑忠実に﹁社会ファシズム﹂論︑社会民主
主義=ファシスト論を主張し︑有効な左翼的統一をかちとることはできなかったのである︒このような実践的弱点にもかかわらず︑
かれがファシズム展望を与えたこと自体︑成果であろう︒
Ⅷ
﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂ の論理構造
〔1〕
っぎに﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂において展開された野呂栄太郎の日本資本主義の基本矛盾の把握を整
野呂栄太郎論
二 二
九
野呂栄太郎論 一四〇 理してみることにしよう︒ここでは︑とくにさきの ﹁日本資本主義発達史﹂ ︵以下︑﹁発達史﹂と略記︶ との関連において︑
どのような観点や方法が継承され︑あるいは﹁変更﹂ が加えられているか︑それはまたどのような根拠にもとづくものか︑
をあきらかにするための準備としたい︒
さいしょに︑本論文の全般的特徴を二︑三指摘しておきたい︒その一つは︑野呂が日本資本主義の史的展開を解明する
にあたって︑あくまでマルクス ﹃資本論﹄に依拠し ︵一部に機械的適用や誤った推論も含むが︶︑資本制生産の法則的展開に
っいてのマルクスの指示を︑日本の現実においても見すえる立場に立っており︑また︑のちに述べるように︑日本的な独
白の近代化が︑資本主義化と帝国主義化の重層的展開のうちにとらえられることを検出し︑そのいみからレーニン﹃帝国
主義論﹄の論理にも依拠したことである︒第二に︑すでに﹁発達史﹂ の中でも知られるごとく︑かれの直面した日本資本
主義の現状の理解︑これを通しての現状の変革への理論の創造をめざすべく︑研究を行う意図を表明していることである︒
この視点は︑かれが主宰した︑後の集団的労作たる﹃日本資本主義発達史講座﹄︵一九三二年︶の﹁趣意書﹂にも︑かれ自身
によって盛られた内容でもある︒第三に︑本論文の前がきに記されているように︑コミンテルンの﹁日本に関するテーゼ﹂
の発表︵二七年七月採用︑二八年二月﹃インプレコール﹄掲載︶とそれをめぐる論争の展開の中で︑すでに脱稿された部分の再
検討をはかっていることである︒この部分が︑第二次大戦後の野呂栄太郎評価と深くかかわっている︒この点については︑
つぎのⅣにおいて考察するつもりである︒
ここでひとことつけ加えておきたいのは︑第二の点にかんしてである︒野呂の意図にそくして︑現状分析のための史的
研究というかれの方法を尊重すれば︑かれが同じ前がきで述べたように︑史的分析にもとづく現状把握は︑この論文の一
っぉいてつぎに配列されている﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂や︑関連の現状を考察した諸論文の内容をも︑検討する
必要があるはずである︒野呂栄太郎論を日本資本主義研究の方法論確立の視点から展開する場合︑この点はまったく道理
にかなったことであろう︒本稿では︑Ⅰに示したような論点の解明という限定と紙幅の都合により︑現状把握の側面にか
んする検討を省き︑続稿にゆずることにする︒
さいどに︑ここに分析をこころみる論文の構成を示しておきたい︒それは︑﹁発達史﹂の分析をこころみた分量に比し
て︑約二倍という大部なものなのでアウトラインをあらかじめ示しておくことが考察に便利であるからである︒﹁一
序論 資本家的生産関係発達史展開の端初﹂﹁二 日本における資本主義発達の画期的段階としての明治変革の意義﹂﹁三
封建的身分制度の廃除−﹁階級対立の単純化﹂−資本家および資本家的地主の解放条件﹂ ﹁四 資本の原始的蓄積−なか
んずく農民からの土地収奪の過程−資本家的搾取条件の発達﹂﹁五 資本家的生産様式の発達とその特質﹂︒以上の五章が
その目次であり︑さきに示したコミンテルン・テーゼとの関連での再検討部分とは四章以下のことで︑そのため︑この部
分は詳細をきわめ︑三章までで三〇数ページの分量に比べ︑八〇数ページにもおよんでいる︒
∽ ﹁日本における資本家的生産関係発達の歴史は︑まず︑明治維新の変革を契機とする︑封建的搾取の資本家的搾取
への転化の過程︑なかんずく農民からの土地収奪の過程の︑分析︑展開をもって始められるべきであろう﹂ − これがマ
ルクス﹃資本論﹄本源的蓄積の章︵資本関係の創成︶に学んだ︑野呂の維新変革研究の立場である︒ついで︑﹁明治維新の
革命的意義﹂﹁明治変革の推進力﹂﹁明治維新の変革は日本資本主義をいかに特徴づけたか?﹂の三点の分析が行なわれて
い る
﹁明治維新は︑あきらかに強力的政治革命であったとともに−いな︑あったがゆえに︑また広範なる社会変革であった︒ ︒
/それは︑一般に理解せらるるがごとく︑単なる王政復古でもなければ︑あるいはまた︑封建的支配階級間の政権争奪に
すぎないのでもない︒といって︑明治維新が︑ただちにブルジョア革命−有産者団の政権掌握1を意味するものでなかっ
たことはもちろんである︒/それは︑たしかに旧封建的生産関係にたいして︑資本家的生産関係の支配的展開への︑した
野呂栄太郎論 一四一
野 呂 栄 太 郎 論 一 四 二
がってまた︑旧封建的支配者にたいして︑資本家および﹁資本家的﹂地主の支配権確立への︑端初を形成するところの︑画
期 的
社 会
変 革
で あ
っ た
﹂ ︵
傍 点
は 原
著 者
の も
の ︶
︒
われわれは︑野呂のこの表現に︑明治維新をブルジョア変革的性格ととらえつつも︑ブルジョアジーの権力掌握を結果
するものでなかった︑という特殊性の強調を︑みることができよう︒﹁資本家的生産関係の支配的展開への⁝端初﹂にそ
︵7
︶