一
群 馬 県 に 於 け る 初 誕 生 儀 礼
近藤直也
一︑はじめに
これまで︑東北各県の初誕生儀礼の中から︑一歳未満で歩いた子供に注目し︑そこでどのような対処がなされて
きたかという点に関して︑詳細に検討し︑若干の考察を加えてきた︒関東地方も︑東北地方と同様に︑一ブロック
として纏めようと試みたが︑意外に資料が多く︑茨城・栃木両県だけで予定の紙数が尽きたため︑両者を一括して
一つの論稿とした︒さらに︑群馬県下の資料に至っては管見の及ぶ範囲に於ても全体で五九例に達し︑関東ブロッ
クで一括するにはとても資料が多すぎるため︑ここに稿を改め︑資料紹介と共にじっくりとその儀礼の意味内容に
関して考察を加えたいと考えている︒
二︑事例研究
1︑前橋市城南・誕生までに歩くと餅を搗いて︑背負わせて転がす︒歩かない場合は赤飯をふかすだけでよい︵下
大島︶︒誕生餅をつき︵丸い白いアンピン餅︶五・六個重箱に入れ︑畳の上で赤坊に背負わせる︒五つ入れて背
二
負えるのは早生だという︒歩けなければ実家にもっていく家もある︵下大屋︶︒誕生餅をついて子供に背負わせ
る︵東大室︶︒初の誕生日には餅をついて子供に背負せる︒子どもは歩けないからころんで餅をつぶす︒この時
の餅はつぶれるほどよいといわれた︵西大室︶︒餅を搗いて背負わせる︵笂井︶︒餅を搗いて背負わせてつぶす︒
昔はお誕生に歩いた子は少ない︵小屋原︶︒歩ければ餅をついて実家に連れて行くが︑この日転ぶまで餅を背負
わせる︒歩けない子にはぼた餅を作って足元に投げつける︵富田︶︒誕生日に実家より下駄又はぞうりが届けら
れる︵今井︶︒誕生日には赤飯かもちを作った︒これをもって子どもは母親の里方へお客に行った︒里方からは︑
はきものが祝いとしてとどけられた︒誕生までに歩けると︑里方へもちをもっていった︒歩けない場合には赤飯
程度︒誕生日には︑子どもに誕生もちを背負わせた︒むかしは︑誕生日にあるけるのはすくなかった︵二之宮︶︒
初誕生の日には︑もちをついて誕生日に歩けばもちを背負わせる︒力だめしというが︑昔の子はなかなか歩かな
かった︵新井︶︒
2︑前橋市・誕生餅はまるいあん入りのもので︑大きくしたほうがよいといって︑ふつうのあん餅より大きめにつ
くった︒この餅を力餅といい︑紅白の餅をつくった︒この餅は︑誕生祝いをもらった家に配った︒一五コほどを
重箱に入れて持って行った︒親類へは二五コ︑里へは三〇コほど持って行った︒子供を箕の中に入れて立たせて
おいて︑あんぴんを紙に包んで︑子供の尻をはたいた︒その餅は家の者が食べた︒入れもののおかえしとして大
豆とか小豆を入れてよこした︒これはまめに育つようにということであった︒近所の人からは︑誕生祝いとして︑
靴とか下駄をもらった︵総社︶︒誕生祝いのとき︑誕生餅をついて︑近所の人を招待したり︑親類へ餅をくばっ
たりした︒餅つきには親類の者が手伝いに来てついてくれた︒三本杵でつき︑はじめは両親のそろっている者が
ついた︒誕生餅は︑大きく育つようにと︑大きくまるめろといったり︑あまくみられないようにと︑塩あんの餅
をつくった︒また餅は紅白につくった︒近所の人はお金を持ってよばれて来た︒子供には餅を風呂敷に包んで背
負わせた︒なお︑餅を配ると︑そのおかえしとして子供がまめに育つようにと︑重箱に大豆とか小豆を入れてよ
こした︒親類からは︑このあとで︑誕生祝いは﹁足の祝い﹂だからといって︑靴とか下駄などの履物を贈ってく
三 れた︒この辺では︑誕生の祝いをていねいにするのは長男とか長女の場合だけで︑そのあとの子供については簡
単にすませるのが例であるという︵江田町︶︒
3︑高崎市 かみ上 こ小 ばな塙 まち町・子供の第一回目の誕生日には︑近所中が集まって早朝から三本杵で餅をつき︑大きな餅をそ
の子供の尻に打ちつけて誕生祝いをする︒早熟な子は餅を背負って歩いた︒
4︑高崎市・箕の中にあん餅を二つならべておいて︑足で踏むようにして︑餅を子供の年の数︵数え二歳で二コ︶
だけ︑尻にあててやった︒その餅は︑子供を守りする人が食べるものといっている︵小八木町︶︒初誕生には紅
白の餅︵あん餅︶をついて祝うが︑この餅を五つほど風呂敷に包んで子供に背負わせ︑また子供の尻に餅をあて︑
それをうち中で食べた︒餅は一五コ重箱に入れてお産見舞をもらった家に配った︒親戚からはあとで履物が贈ら
れた︵下大島町︶︒また︑餅を背負わせて箕の中に立たせ︑箕の中においた餅の上に尻餅をつかせるところもあ
る︒この日近しい人をよんで御馳走をしたり︑ウブギをもらった家に餅をくばったりした︒誕生祝いは長男長女
だけにしている︵井野町︶︒
5︑富岡市大島・餅をつき︑里の親や仲人を招き︑誕生祝いをする︒箕の上に子供をたたせ︑餅を尻に打ちつけ︑
その餅を母親が食べる︒
6︑渋川市・生児が始めて迎えた誕生日には誕生餅をついた︒砂糖のような甘味は全然中味に入れないで︑いくら
かしょっぱい塩のあんこを入れて作った︒甘味をつけると﹁人間が甘くなり意気地がなくなって人から馬鹿にさ
れるといった︒この餅を仏壇や神棚・氏神様にお供えして︑誕生祝いをする︒餅をついたときにひとうすの餅を
六二・三個位に丸めて︑出来上ったこの餅を風呂敷に包み︑幼児の背中に背負わせて︑箕の中に立たせ﹁ホレ立
テ︑ホレ立テ︑ホレ歩ケ︑ホレ歩ケ﹂などと言いながら︑餅を尻にぶっつけたりした︒また大黒柱につかまらせ
て歩かせたりした︒出産祝いをくれた親類や近所の人とか︑取り上げ婆さんなどの家には︑一五から二〇個位の
数の餅を重箱に入れて配った︒誕生餅をもらった家では︑お返しとして重箱の中に大豆やあずき︑そのほかの豆
類などを入れて返した︒また履き物などを返した家もまれにはあった︒
四 7︑渋川市 あり有 ま馬・餅をついて︑子供にそれを背負わせるまねをした︒あんは子供が甘くみられないようにと甘いあ
んの他に塩あんをつくった︒この日お祝いをもらった家に餅を配る︒
8︑渋川市行幸田・誕生祝いには餅をついて祝った︒紅白の餅をつくって︑中には塩あんを入れた︒この餅はふつ
うの大福より大きめにつくった︒このとき︑箕の中に一升桝を伏せて置いて︑その上にあかんぼうを立たせて︑
うちの年寄りの人が支えていた︒あかんぼうの尻に紙をあてておいて︑餅︵五つか七つ︶でうちの者がたたいた︒
その餅を紙にくるんで︑おくばりの餅に加えて︑嫁の里とか近しい人のところに配った︒餅は出産祝いをもらっ
たところへ配るが︑餅の数は一五コとか一七コ重箱に入れて配った︒近しい人のところへは余計にやった︒おか
えしは重箱に大豆とか小豆を入れてよこした︒これは子供がまめに育つようにということであった︒また︑初誕
生の祝いとして︑丈夫に育つようにと︑履物を贈ってくれた︒嫁の里からは服などを贈ってくれた︒
9︑伊勢崎市上之宮町・今の子供みたいに昔の子は︑お誕生を迎えても歩く子は少なくほとんどハイハイ程度であっ
た︒だから歩けなければ赤飯を炊き︑歩ければ餅をついて背負わせたりしたぐらいである︒
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︑伊勢崎市三和町・初めての年には歩けても歩けなくても餅をつき︑アンピンをこしらえた︒歩ける子にはアンピン餅一一とか一三の奇数にして風呂敷に包んでしょわせた︒あまり多くしょえない方がよいといって︑つっこ
ろがす︒昔の子は歩くのも最近の子より遅く︑誕生に歩ける子供は少なくて︑歩けると早すぎるといってつっこ
ろがす︒親元からは男の子には下駄︑女の子には赤い鼻緒の草履を祝いにくれた︒餅も親元へやる程度で近所の
人でも来れば﹁今日は○○のたんじょう︵誕生︶なんだがん︑餅したから食ってくんねえかィ﹂といって食べて
もらう︵堤原︶︒
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︑伊勢崎市波志江町・誕生祝いには赤飯を炊き母親の里・親戚・隣近所の家へ届けた︒初誕生までに歩き始めた子供には誕生餅を背負わせた︒この餅については﹁五合炊き﹂︑﹁一升炊き﹂あるいは﹁アンピン餅をいくつ﹂と︑
それぞれの家で異なっている︒﹁一升餅を背負わせて歩かせないようにする﹂︑﹁餅を背負わせてもつぶれないと
きはわざと倒す﹂といわれる一方で︑一歩でも多く歩けば喜び︑子供には軽い餅を背負わせたという人もいる︒
五 また︑餅をいくつ︵何合︶背負ったかを報告するために︑その餅を母親の里へ持っていったこともある︒お返し
に着物や履物を贈られたという︒初誕生後に歩き始める子が多かったが︑この場合は特別の祝いはしない︒
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︑伊勢崎市安堀町・誕生餅はあん餅にした︒この餅を重箱に入れて風呂敷に包んで子供に背負わせた︒子供がこのとき歩くとつっころがした︒誕生祝いは内祝いであったので︑それほど沢山の餅はつかず︑嫁の里にやった程
度であった︒このとき歩けない場合には︑赤飯にすることもあった︒
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︑伊勢崎市美茂呂町・誕生餅はあん餅にしてこれを風呂敷に包んで子供に背負わせた︒背負った餅はうち中の者が食べた︒誕生餅は親戚などに配った︒なお︑ここでも誕生前に歩けない子供には餅をついてやらなかった︒
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︑沼田市池田・誕生餅は一升餅といって︑一升の米をついてつくった餅を︑二つにしてかさねにするとか︑小さくいくつかにまるめた︒これを風呂敷に包んで子供に背負わせた︒この餅はあとで家の者が食べた︒あん餅︵紅
白につくるのがふつう︶をべつにつくって︑仲人・近しい人・嫁の里に重箱などに入れて配った︒これはお産見
舞をもらった家に配ることになっている︒誕生餅を配ると︑お祝いとして︑履くもの︵もとは下駄とか草履︑現
在は靴下など︶を贈ってくれる︒なお︑誕生餅は最近では略式として︑のし餅︵きり餅︶にしている家もある︒
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︑藤岡市日野・初誕生の祝いとして︵あん餅︶をついて︑お産見舞をもらった家へ配った︒ていねいな家では︑この日嫁の里の親と仲人をよんで御馳走をした︒里の親と仲人はお祝いを包んで持って来た︒二人には餅を持た
せてやった︒お配りする餅は︑大きくつくった場合には五つとか七つ︑やや小さくつくった場合には一一コとか
一三コを重箱に入れて配った︒入れもんがえしとして豆を入れてよこした︒これは子供が丈夫に育つようにとい
う意味であった︒この日︑子供には︑うちのおばあさんなどが︑尻をまくって誕生餅を一つぶつけてやった︒ま
た︑子供には誕生餅を一つか二つ風呂敷に包んで背負わせた︒餅を背負って︑一歩でも歩ければその子は力持ち
だといった︒餅を一つ背負って歩けば米が一俵背負える力があり︑二つ背負えば二俵かつげる力持ちになれると
いった︒その餅は背負った子供に食べさせたり︑うちの者が分けて食べたりした︒子供はこの日母親につれられ
てムラの鎮守様におまいりをした︒嫁の里とか近い親戚からは︑あとでお祝いとして靴などが贈られた︒また︑