ラパムの向上』の第1章をめぐって―
著者 石渡 周二
雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー
ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru
巻 3
号 1
ページ 1‑7
発行年 2009‑03‑24
その他のタイトル Behind A Success Story ―An Essay on The Rise of Silas Lapham―
URL http://hdl.handle.net/10723/3194
「成功物語」の陰に落ちた主人公
『サイラス・ラパムの向上』の第 1 章をめぐって
石 渡 周 二
よく言われるように,かのジェーン・オースチ ン のPrideand Prejudiceは 冒 頭 に ,・Itisa truthuniversallyacknowledged,thatasingle maninpossessionofagoodfortunemustbe inwantofawife....・「どこででも真理であると 認められていることだが,財産をもった独身の男 ならお嫁さんを探しているに違いない云々」とあ り(1),それに惹きつけられた読者はページを読み 進めていって,物語の展開と最後の結末をある満 足感をもって迎えるのだが,その体験を思い起こ させるような魅力がWilliam DeanHowellsの TheRiseofSilasLapham『サイラス・ラパム の向上』(1885)の書き出しの第1章にはある。
その魅力とはまさに力であって,読み手は作品の 導入部として主人公の輪郭を描くために作者ハウェ ルズの用意したさまざまな仕掛けを意識させられ ることなくページを捲っていくことになる。主人 公は新聞記者から取材を受けるのだが,そのイン タビューの様子と記者が書き上げた記事を絡ませ た初めの章で,主人公の人となりはもちろん,ヴァー モント州の山奥から出てきた農夫出身の平凡な男 が東部の「首都」たるボストンでペンキ製造によっ て成功をおさめた経緯が余すところなく紹介され る。が,同時に成功者として主人公が現在抱える 問題が提示される。作品がその問題を扱うことに なるのは当然である。
この作品の主人公は事業の成功によって富を手
にし,アメリカ合衆国のなかでも指折りの歴史あ る都市の社交界に打って出ようとするが,思いが けない経済的破綻に直面し,その打開を図ろうと するものの,他人を踏み台にすることを潔しとせ ず,自ら破産の道を選ぶことで倫理的な向上を得 るという物語とされてきた。南北戦争後,アメリ カの生き馬の目をも抜くような産業資本主義勃興 期にあって,倫理に適う道を選択することによっ てあえて経済的破滅を招き,上流階級に成り上が ることは叶わなかったが,精神は真の「紳士」と して故郷ヴァーモントの山間で恬淡として余生を 送るというのである。邦題も通説に従って『サイ ラス・ラパムの向上』と,経済的には失敗しても 高邁な身の振り方を選択した結果,倫理的には向 上したという対比を示唆するものとされている。
とすれば,これは美談を語った小説ということ になる。「アメリカの作家は[中略]よりアメリ カ的な現実である人生のより微笑ましい面に関心 をいだくものだ」(2)という言葉を残しているハウェ ルズは晩年,次世代の若い作家・批評家から生温 い,社会の暗い面・矛盾から目を背けていると批 判されることになるが(3),「アメリカもまんざら ではない」という気分を表出するために美談を用 意したとあれば,それもむべなるかなである。し かしこれほど『サイラス・ラパムの向上』の読後 感と異なるものはない。1882年に発表したA ModernInstance『現代のありありふれた事例』
で,世に先駆けて離婚を正面からとり上げ,アメ リカ社会にとって離婚問題が実は当時のアメリカ にとって大きな社会問題となっていることを知ら しめたハウェルズである。「より微笑ましい面」
に目を向ける云々は,美談を披露するための遁辞 ではないだろう。『サイラス・ラパムの向上』を 失われていくアメリカ,その一面に対する挽歌と して読んでみたいと思う。
Ⅰ
作品の冒頭で「さあ,入ってくれ」と,サイラ ス・ラパムは「確たるボストン人(・SolidMen ofBoston・)」という連載記事の取材のために会 社を訪れた新聞記者を大声で迎えるが(4),これは 読者を招き入れる言葉でもある。主人公を人物紹 介記事の当事者にして,物語を始める第1章でそ の取材と記事とを組み合わせるという仕掛けを用 いて作者は主人公の素性と境遇を手際よく差し出 し,読者に主人公への関心を否が応でも掻き立て るための入り口になっているからである。しかも,
この取材をしているのはハウェルズが数年前に発 表した『現代のあるありふれた事例』で登場人物 として重要な役割を演じたBartleyHubbardで あり,そのバートリー・ハバードが,本作では慇 懃無礼で才走った若いジャーナリストとして登場 する。『現代のあるありふれた事例』でギャンブ ル絡みで人の金に手をつけた揚句,妻子を放擲し,
西部の田舎町でちゃらんぽらんな記事を書いて恨 みをかい銃殺されるバートリーの仕事振りを読者 は改めて身近に知るという趣向だが,バートリー を持ち出すことで作者が狙ったのはそれだけが理 由ではないようだ。語り手はバートリーの取材メ モに詳細に書き込まれたラパムの身体的特徴を紹 介し,ラパムがバートリーの巧みな誘いと誘導に
促されて自らの生い立ちを語るところを描写して いく。要所,要所に記事として掲載された文章が 差し挟まれていて叙述にメリハリを与えてゆく。
これによって,語り手はリアリズム小説の規範に 則ってその存在をあからさまに突出させることな く物語の展開に必要な詳細を提示することが可能 になる。が,記者としてのバートリーの効用はそ れだけでは終わらない。端役とはいえ,なかなか 重要な役目を果たしているのだ。実は尊大で人を 人とも思っていないのに目端を利かせて取材対象 を意のままに思うままに翻弄しているつもりのバー トリーに愚直に対応するラパムの姿を描写するこ とで,ラパムの人となりが鮮やかに浮かび上がっ てくるのである。
「確たるボストン人」は地元の有力新聞のひと つ『ボストン・イヴェント』紙の連載で,主人公 サイラス・ラパムがこうしたタイトルをもった記 事の取材対象になっているということは,ラパム がボストン社会で有力者,少なくとも近年の目覚 ましい活躍・飛躍故に成功者として世間の耳目を 集めていて,ひとかどの人物として認識されよう としていることに他ならない。ラパムの場合,ペ ンキ製造で成功を収めて富をなしたことが与って 取材となったことを読者はすぐに知らされる。ラ パムはカーネギーでもロックフェラーでもないが,
ひとつの事業の成功させた実業家であることには 違いない。一代で財をなした成金である。
取材に応じたラパムもそれを十分承知している。
最初のシーンは象徴的で,来訪したバートリーに 声をかけながらも待たせたまま,それを気にかけ ずに仕事を続け,いざ相対したときには,掛けて いた回転イスから腰を上げることなく単刀直入に 用件に入るのである。事業の成功で得た「資産の ことに触れないでこちらの半生を語ったのでは話 にならんだろう」(5)と語るラパムは,事業に成
功し,ひとつの頂点に上った者の達成感と優越感 に満ち,これ以上「上がる」必要を感じていない ことを示しているかのようだ。ラパムは絶頂期に あったのだ。ラパムの問題はある頂点に立った成 金の問題である。
バートリーにとって,ラパムという成功長者は あかぬけしない山育ち丸出しの成り上り者であり,
笑い物とする格好のえじきである。この自堕落な 人物に主人公ラパムに対して否定的な判断をさせ ることで,作者はラパムに対して好意的な見方を するよう読者を誘導する仕掛けになっている。し かもラパムをどう見るかという問いを改めて章の 末尾において,あたかも再確認を読者に迫ってい るかのようである。このインタビューと連載記事 の章の終り間際に以下のような記述がある。
途中ラパムのことをしたたかあざけりながら ペンを進めて記事を書き上げるとバートリーは
[妻の]マーシャのもとへ家路についたが,相 変わらずラパムのことを思い起こしては失笑し ていた。田舎者の単細胞ぶりがおかしくて仕方 がなかったのである。(21)
「田舎者の単細胞ぶり」 と, 原文ではrustic simplicityとなっているところだが,これがま さに作者の仕掛けの趣向であって,あのバートリー がそう評価しているのだ,と語りの中にさりげな く差し挟んでいる。バートリーの裁きをそのまま 受け入れて良いのだろうかと,問いかける仕組み になっている。引用に続くのが,帰宅したバート リーと妻マーシャMarciaがラパムをめぐって正 反対の評価をする場面である。「田舎者の単細胞」
と切り捨てられた人物に対する評価が逆転し,同 じrusticsimplicityという表現を用いたとすれ
ば,全く正反対の解釈,「無骨だが篤実であるこ と」を指す可能性があることを示唆するのが,
「あの人は良い人よ(agoodman)」(23)とい うマーシャの反応である。
マーシャはバートリーがややもすると取材対象 を侮って密かに小馬鹿にした記事を書く傾向があ ることをかねてから承知していた。帰宅した夫が
「馬鹿オヤジ(anoldfool)」のことを口にする ことを聞きとがめ,それがラパムのことであるの を知ったマーシャは,ラパムにはそうした仕打ち をしないよう懇願している。ラパムが自らの伴侶 パーシスPersisにちなんで名付けた新製品の家 庭用セットをバートリーの帰宅に合わせるかのよ うに届けていて,マーシャがラパムを憎からず思 うのは当然といえば当然なのだが,それはこの際 無視してよいだろう。マーシャとバートリーの結 婚生活の陰りは,ラパムの気配りと妻に対する配 慮に感心する素地をマーシャの胸に生じさせてい たからである。案の定,マーシャの懸念に思いの 至らない,「あの男にバレルようなことは何も書 いていない[から大丈夫だ]」(23)というバート リーの返答で第1章は終わっている。筆を抑えた とはいうものの,バートリーの執筆した記事には ラパムを揶揄し,見くびるための当てこすりが含 まれた代物だったのだ。
Ⅱ
自堕落で高慢な男ではあったが,この初めの章 の叙述はバートリーの判断にも根拠がないわけで はないことも示されている。これもまた,作者の もくろみの一環であるのは言うまでもない。全面 的に信頼するわけにはいかない証言者バートリー の見方を通して,判断する者が誰であれ,成り上 り者としてラパムが直面している問題をあぶり出
「成功物語」の陰に落ちた主人公
すのである。
確かにラパムは成功者だった。物語の端緒は 1875年に設定されているので(4),1820年生れ のラパムは55歳,過酸化鉄を十分に含んだ鉱石 を主成分にしたラパムのペンキは粘着力・耐水力・
耐火力に優れ,酸にも強く,南米を始め,中国・
オーストラリア・フランス・イタリアにまで販路 を広げようとしている。南北戦争前にペンキの事 業を始める前に結婚した妻との間に2人の年頃の 娘に恵まれ,駿馬にひかせた馬車でドライヴする のを趣味に豊かな生活を送っていた。サウスエン ドのナンキーンスクエアに12年間住み慣れた家 があった。家族はまだ伝えていなかったが,ラパ ムは新興の高級住宅地バックベイ(BackBay) に土地を購入していて,そこに家を建てることを 考え始めていた。
しかし,ラパムは成り上り者でもあった。作者 は,もちろん,そこに至るまでの道は決して平ら ではなく……と,叩き上げの典型としてラパムを 描く。ラパムはカナダとの国境に近いヴァーモン ト州ラムバーヴィルの農家の生れ(町役場の改築 をする際に,ラパムが用意したかなりの寄付に対 する謝意として町議会は決議して町名をラパムに 改めた)。一時は西部へも出たが,3ヶ月でUター ンしてラムバーヴィルに戻り,今度は幌馬車の御 者として懸命に働き,自分で馬車を数台もって営 業をするようになった。そのうち,居酒屋にも手 を広げ,しばらくして学校の教師をしていた女性 と出会い,それが妻のパーシスだった。
ペンキの製造を始めたのもそうした苦労の中で 生まれた節約心の賜物だった。サイラス・ラパム がまだ子供のころ,父親が家にある大木の根元に 鉱石が埋もれているのを発見していた。父親はこ れを何とか製品化しようとあれやこれや試みては
いたが,資金もそして需要も見込めず,放棄して いたのをサイラス少年は憶えていた。居酒屋にペ ンキを塗る必要が出て,金を使いたくないと思っ たときに思い起こしたのがこの鉱石の件で,試し てみると意外に品質の良いペンキになった。改め て専門家の鑑定を受けると,瓢箪から駒のように,
その品質について太鼓判を押されたのである。こ れはいける,とばかりに全財産をこれにつぎ込ん でペンキ製造業に転じると近隣の評判を呼び,こ れからという時に南北戦争を迎えた。
戦時はペンキにとっては販売拡張の好機となる はずだった。が,ラパムには政府関係に何らコネ がない。事業の停滞を目の当たりにして志願する ことにし,従軍。ペンキ業は妻パーシスに委ねら れた。大きな戦闘に出たとき,危ういところを戦 友が身代わりになって負傷しながらも命拾いをし たが,膝には今も銃弾が残っている。
復員すると以前にましてペンキ製造に打ち込ん でみたが,そのうち状況がすっかり変わってきた ことに気づいた。家族経営の小規模自営業では事 業自体が成り立たなくなっていた。稼業として共 に携わってきたパーシスの強い勧めがあり,共同 経営者を得て資本を大きくすることで危機を乗り 切ることができた。この提携は1~2年で解消し たものの,南北戦争後の産業景気を受けて,事業 は伸長を重ねて今日を迎えていた。ラパムが絶大 な自信を寄せているペンキは自らの存在自体と切 り離すことのできないものとなっていた。
バートリーの予断と偏見に満ちた品定めと語り 手の用いた誘導を排除してラパムに関する「事実」
をまとめると以上のようになるが,そうした事実 のなかに実業家として成り上がったラパムが抱え た問題が含まれている。ひとつはラパムの事業に 関わることであり,もうひとつはラパムと家族の 対社会関係に絡んでいる。作品は縦糸としてラパ
ムの経済的破綻に至る経緯をおき,縦糸として,
共同経営者として一時期,明らかにペンキ製造・
販売の事業発展に貢献しながら投機家に身を落と しているミルトン・ロジャーズMiltonRogers との関わり,そして上の娘ペネロピPenelopeの 結婚話(これには妹アイリーンIreneが絡んだ三 角関係が織り込まれている)をおいて展開してゆ く。ロジャーズとの関係は経営者ラパムの失敗に 直接関係しているだけにより重要だろう。
共同経営者の一件を語るときのラパムの様子か ら,これがラパムの弱点となっていることにバー トリーが気づくところを語り手は用意している。
前述したように,南北戦争から復員したラパムは 健気に留守を守っていた妻パーシスから家業を引 き継ぐが,戦後のアメリカ社会の変貌に翻弄され る。「自分が別世界に帰ってきたことがわかった んだ。小規模の態勢でやっていけた時代は過去の ものになっていたし,この国が再び元に戻ること はないと思う」(16)と認識し,時代の流れにのっ て事業規模拡大する要性を十分理解していたラパ ムだったが,自分のペンキに人の手が触れるのを 受け入れることができない。ラパムにとってペン キは「自分自身の血」(16)という以外に譬えよ うのないものだったからだ。それでも結局,提携 のパートナーを受け入れた。熱心にそうするよう 説くパーシスの願いを聞き入れた形になった。し かし,関係は長く続かなかった。
「[その男は]金は十分もっていた」とラパム はタメ息を抑えながら話を続けた。「だが,ペ ンキのことは何もわかっていなかった。一緒に やったのは1年か2年だった。で,それで提携 は解消した」。[中略](17)[ロジャーズとはやっ ていけないと判断したラパムが,ロジャーズに
事業を買い取るか,提携をなかったことにする か,ロジャーズに迫ったことを物語の展開の中 で知ることになるが,提携解消を選んだロジャー ズは投資分に加えて何がしかの金を受け取って いた。]
この件を顔をしかめがら語るラパムの様子から,
「これこそ二度とは触れてはいけない点だ,と記 憶の中に痛いところある者だけがもつ共感能力に よって直感」(17)するバートリーを描くことで,
このロジャーズとのことが作品の上で大きな問題 になることを語り手は示唆する。確かに,ロジャー ズとの関係を断ち切れないまま,ずるずると深み にはまり,結果的にラパムは破綻を迎えることに なる。
バートリーはラパムにペンキに傾注するあまり 反社会的行為もはばからない傾向があることを指 摘しているが,誰もが肯かざるを得ないラパムの 欠点の暴露である。かつてアメリカでは建物の屋 根や側面はもちろん丘陵地帯の適当な岩石や崖を 使った商業広告が広く行われていたが,物語の設 定された時代前後から景観を貶めるものとして批 判を集めるようになっていた。現代の言葉でいえ ば,環境問題への意識が高まってきたのである。
この種の広告の資材となっているペンキ製造者と して,また現に広告を出している側の人間として ラパムはこの批判に耳を貸さない。インタビュー の中でラパムは,自然を愛好することにかけては 人後に落ちないが,「景色は人間のために造られ ているのであって,人間が景色のためにあるわけ じゃない」(15)と言って憚らなかった。バート リーには,それ見たことかと,小躍りせんばかり の発言であったのは確かだが,前述したような連 載記事「確たるボストン人」の性格から記者は
「良識の制約(thelimitationsofdecency)」
「成功物語」の陰に落ちた主人公
(22)を超えないことが課せられていて,登場人 物をあからさまに非難の対象にすることはできな い。この点はラパムのような人物をなめ切ってい たバートリーも取材中はもちろんのこと,記事の 執筆の際も,罵倒し嘲笑いたい欲求を抑えながら 皮肉と当てつけに欲求不満のはけ口を見出す他な かったのである。
ラパムの社会との関係は景観を台無しにする広 告に限らない。ラパムの家はサウスエンドのナン キーンスクエア(theNankeenSquare)にある と記事で紹介されるが,これはラパムがペンキの 事業以外に社会との接点をほとんどもたなかった 象徴だろう。サウスエンドは港に隣接した地域で,
富裕階層が住むところではなく,財を成したラパ ムの一家は場違いなことに気づきもせずに生活し ていたことが2章に入ると,早速明らかにされる。
この家をラパムは12年前に,サウスエンドが流 行遅れの地域であることを悟った元の持ち主があ わてて新興高級住宅地バックベイに移るにあたっ て格安で譲り受け,以来住み続けていたのである
(24)。その間,家族の誰も何の不便も感じること もなく,疑問も持たずに暮らしてきた。しかもラ パムは社交嫌いで通っていたし,妻のパーシスも 田舎育ちそのままに都会ボストン風に人と交わる 術を持たなかったため,「ボストンで,夫がこれ だけ事業に成功しているというのに,ラパム家の 人々には社交生活というものがなかった」。
移ってきたばかりの頃は,ラパムは仕事を軌 道に乗せるのに懸命だったし,妻は節約を心が けた。思いもよらないことに,お金がどっと入っ てくるようになったので妻は節約する必要がな くなった。すると,お金をどうすればよいのか,
わからなくなった。馬にある程度費やすことが できたので,ラパムはそこに使った。妻は高価
でかなり趣味の悪い衣装とぜいたくな家具や調 度品につぎ込んだ。(25)
その結果,ラパム家の人々は自分たちだけでい わば自己完結した生活を送っていたのであった。
それも,
ラパム家の人間たちがお高くとまっていたか らではなく,一部の家庭に見られるように自分 たちのやり方にそれなりに満足していたのであ る。家族が互いに向けた愛情の強さがまさに世 間の様子を知る妨げになっていた。互いのため に着飾り,自分たちが喜ぶために家の中を整え ていた。(27)
ラパム家が社会に対して閉じていたのはラパム の内面の反映であるのはいうまでもないだろう。
方言交じりの言葉を気にすることもなく使い続け たことも(5),そして,何としてでも避けようとし た共同経営に追い込まれた時も,ほんの一時のこ とにしてさっさと解消してしまったのも同じ心根 から出たものである。娘のアイリーンがボストン の旧家コーリCorey家の息子Tomと誤解をし ながら交際を始めると最初に直面したのが自分た ちより上の階層の人々と付き合い方を知らないと いうことだった。この件に関して物語の展開の上 はかなり喜劇的な場面が続出することになる。
Ⅲ
ハウェルズが異なる階層出身の人々を交錯させ たことの意味は大きい。トムからラパムの経営す るペンキ会社に入るつもりだ,と打ち明けられる と,父親のブロムフィールドBromfieldは懸念 を抱きながら,「最近は新興成金が私たちと同等
になっている。金で即座に社会的地位が買えるの だ」(64) というが,RevuedesDeuxMondes
『現代評論』誌を愛読する皮肉好きの口から出て いることを思い起こせば,そうではないといって いるのは明らかだ。何より,実業界で成した富を もってすればコーリたちの一角を占めるかもしれ ないと望みをかけたラパムが身をもって体験した のがまさにそのことだった。上流社会は富という 入場料の他に,育ち方や知性といった,金なしに は育むことはできないが,金では秤にかけられな いものを求める。それは文化的資本ともいうべき もので,美術や文学に対する批評眼であり,適切 なマナーや服装のセンスなども含まれる。作品の 中でラパムたちが繰り広げるドタバタ喜劇の多く はラパム家の面々がそうしたことに通じていない からだった。
しかし,この作品はそこでは終わっていないよ うだ。「現在,疑うことができないのは,金が前 面に出てきていることだ。金は現代のロマンスだ し,詩だ。何よりも想像力をかきたてるものだ」
(64)というブロムフィールドの言葉は,そうし た時代を否定したいという,時代に対する違和感 の表明だろう。
そういえば,ボストンでの失敗の後,故郷に戻っ たラパムの落ち着きぶりはどうだろう。「後悔す ることはないのか」と尋ねられたラパムはこう答 える。
「自分がしたこととはとても思えないですよ」
とラパムは答えた。「あれは自分のために開け られていた穴で,そこから抜け出てきたように
感じることがある。[中略]割にあったかどう かはわからないが,自分がやったとすれば,今 一度すっかり同じようにやることになれば,や らなければならないんではないかと思う」。
(365)
自分の本来所属すべきところで穏やかな日々を 送る者の言葉であろう。
注
(1) JaneAustin,PrideandPrejudice,ed.with introduction by Frank Bradbrook(Oxford:
OxfordUniversityPress,1986),p.3.
(2) William DeanHowells,Criticism andFiction and Other Essays,ed.Clara Marburg and RudolfKirk(New York:New YorkUniversity Press),p.62.
(3) H.L.Menckenはその筆頭である。1930年,
米国作家として初めてノーベル賞作家となった SinclairLewisが受賞講演の中で,アメリカ文 学の新しい展開を阻んだ旧弊の作家としてハウェ ルズを酷評したことはよく知られている。
(4) William DeanHowells,ed.KermitVander- bilt,TheRiseofSilasLapham(New York:Vi- kingPenguin,1986),p.3.以下,TheRiseof SilasLaphamからの引用は引用末尾の括弧を使っ て該当ページを示す(このペンギン版は1971年 に出版されたIndianaUniversityPress版の復 刻版である)。
(5) ラパムの使う言語については別稿が必要であろ う。ここでは,作中で終始一貫して非標準的な英 語を話しているのはラパムだけであることを指摘 しておく。言い換えれば,記述がそのようになさ れているわけで,作者の意図が感じられるところ である。cf.ElsaNettels,Language,Race,and SocialClassinHowells・sAmerica(Lexington:
theUniversity PressofKentucky),pp.144 152.
「成功物語」の陰に落ちた主人公