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天職 としての教職
19
世紀 イギ リス教育史研究 その
2の
5上 野 耕三郎
道徳環境論 とモニ トリア リズム
19
世紀 の公教育 の立役者 ケイ・シャ トル ワースは,その書名 が示 す とお り, 公教育 のエ ポ ック ・メ‑ キ ングな四時期 を, それぞれ 自 らの活動 と重ねて論 述す る形式 を とった 『 公教育 の四時期』 を著 してい る
。かれ はそのなかで第 一期
(1832年か ら
1839年 まで) を顧 み, こんな こ とを書 いてい る
。00
「かれ ら ( 学校 の推進者 た ち‑‑・ 引用者注)は生徒 を教育 す る前 に,野蛮
0
000
で
(uncivilized),無知 な大衆 をまず最初 に教育
(train)し,訓練 しな けれ ばな らなか った。 とい うの も, これ らのひ とび とは自分 た ちの子 どもたち
000
0をたいへん幼 い ときか ら働 かせ, い くぶ ん 自分 た ちのみだ らな
(sensual ) 欲望 に溺 れ,子 どもの教育 にはまった く無 関心で あるか らで あ る。 その よ うな生徒 は学校 に不規 則 に しか 出席 しない‑ 気 ま ぐれ に学校 をか え る
‑ た とえ強情 で はな く,暴 れ るこ とが ないに して も,無知 で, しつ け ら れてお らず,愚鈍 で,怠慢 で, わが ままで ある
。かれ らは学校 の秩序 を乱 す張本人 であ る。かれ らは教 師が背負わね ばな らぬ重荷 である
。家庭 での 子 どもたちの教育 によって教師 は手助 けされ る ことはない。 とい うの も, 家庭 で は子 どもた ちは放 っておかれ,あ るい は手荒 く扱 われ るか らで ある。
た とえ学校 に通 って さて も,だ らしな く, ぼろぼ ろの服 を着 て,汚 く,脂 従 しない。しか もかれ らはしば しばず る休 み をし,‑‑使 い走 りや子守,な
00000
()ん らかの家事 をす るため に しば しば抜 け出す。結局,バ ーバ リズム
(Barba‑000000000( )0
rism)
と学校 は戦争状態 にあ る
。この戦争 で は学校 が勝利 を占めるであろ
人 文 研 究 第
90輯
う
。しか し成功 す るた めには時間が不可欠 な要素 であ る( 1 ) 。」
すで に他 の ところで少 し触 れたが( 2 )
,1830年代 にか まびす し く論 じられた く 教育 ) 請議 は,法律 や行政が具体 的 に抱 えていた教育 固有 の問題 か ら派生 し た もので はない。 そ うで はな く,く 教育 )とい うことばを どの ように編 み上 げ てい くかが時代 の焦点 であった。 とい うの も
,30,40 年代 には く 教育)とい うことばは人々 にあ る一定 の共通 したイメー ジを喚起 す るこ とが なか ったの で ある
。だか らこそ,( 教育)とい うことばに どの ような意志,欲望,期待 な どを込 めて語 るか をめ ぐって,激 しいせ めぎあいが演 じられ ていたので ある。
言 い換 えれ ば,( 教育)言説 を どの ように編 み上 げてい くか をめ ぐる俄烈 な争 いが ここに現 出 していたので ある。
どうい うことか とい うと,人々 に よって語 られ てい る く教育) は通常考 え られてい るように現実 自体 に よって直接 に規定 された り, それ を直接反映 し た もので はない。規定関係 の方 向が逆 なので ある。「 言説 は彼 らが話 してい る 対 象 をシステマ テ ィックに形成 す る実践 で あ る。‑‑言説 は対 象 につ いてで はない。 す なわ ち,言説 は対 象 を認知 す るので はな く, それ らを形づ くるの で あ り, そ うす る ことのなかで,言説が それ らを作 りだ した とい うことを隠 して しまう
(3) 。」とすれ ば,く 教育 )とい う (ことば)が どの ような教育 ( 現実〉
を編 み上 げてい くのか。 それが その時代 の緊要 の課題 となっていったので あ る。現実 とい うカオスのなかか らあ る一 断面 を切 り取 り, こ とばへ とのせ る ことによって,人 々 に対 して現実 を見 るた めのあ る視 角 を押 しつ ける争 いが そ こで は演 じられていたので ある
。言 い換 えれ ば,く 教育〉とい うことばに ど
(i)JamesKay‑Shuttleworth,FourPeriodsofPublicEducationasreviewedin l83211839‑1846‑1862,1862(rep.1973),p.177.
(2
)拙稿 「イデオロギー としての,あるいは言説 としての く 教育)をめ ぐって‑
19
世紀イギ リス教育史研究‑ 」小樽商科大学 『 人文研究』第
83輯
,1992年.
(3
)フーコー,北山晴‑訳「 真理 と権力」,桑田穫彰他編『ミシェル・フーコー
1926‑ 1984』所収,新評論,1
984,84頁。
天職 としての教職
3の ような支配的意味 を押 しつ け, どの ような意味 を排除 させ るかの争 い,す なわち 「 真理 の体制」 を構築す ることをめ ぐっての争 いであった。 これ はさ まざまな階級,権力 の関係 を内包 させた 「 意味表出の政治」 とも言 えよう。
ケイの叙述 に もどるな らば,社会現象 とい うカオスのなかか ら,貧民大衆 による騒擾,犯罪,貧困 とい うような問題 を拾 い上 げ, それ らの問題 を貧民 大衆 の 「みだ らな欲望」, 「 野蛮」,「 バーバ リズム」とい う境で語 り,「 バ ーバ リズム」 と 「 学校」 とを関連づ けて 〈 教育〉 とい う物語 を編 み上 げることが めざされていた。それ は現実 を映 した もの とい うよ りも,なによ りもまず もっ て ( 真理 の体制〉‑く 学校)の義 の主張であ り,学校 はいか に して組織 され る べ きかについての強 い主張であった。 ここで語 られてい ることは知識 の きわ めて特殊 な体制 であ り, その言説 は権力関係 の能動的な所産で あった。
この く 教育)言説の編 み上 げに どの ような階級,権力が どの ような形 で関 わったのだ ろうか。 あるいは時代 の支配的言説が どの ように影響 を及 ぼ した のだ ろうか。 それ らを跡づ け, その疑 問 に こた えるのに充分 な ものはい まの ところ筆者 は もちあわせ ていない。 だが, その ような言説が編 み上 げ られ る 過程 で,社会問題 ( 社会的騒擾,犯罪,貧困な ど)を契機 として
,19世紀前 半 に本格 的 に展開 された労働者大衆 にたいす る管理統治網 の整備 が果た した 役割 は無視 で きないであろう
。1830年代以降,都 市の労働者大衆 の 「 得体 の 知れなさ」 を調査,監視 す るために,官民 を問わず さまざ まな人々や機 関が 精力的 に労働者大衆 と接触 し,あ らゆる情報が収集 され るようになった。「 統 計 の時代」 の到来 を象徴 す る統計協会が各地 に組織 され,おびただ しい数 に のぼるブルーブ ックな どの報告書類が刊行 されたの は, この管理統治網 の整 備 の前堤 で もあ り,結果 で もあった。
ケイの く 教育〉言説 もこの統治 メカニズムの整備 と無関係 で はない。 かれ
は救貧法補助委員 な どの仕事 に携わ るなかで, それ以前の く 教育)言説 とは
性格 を異 にす るものへ と自らの言説 を編 み直 していったのであ る。く 道徳環境
論〉 とも名 づ ける ことので きる この言説 は,社会的騒擾,犯罪,救貧 の問題
を労働者貧民 の ( 道徳〉 の問題 に ことよせつつ語 ってゆ く。教育 に対 す る財
4
人 文 研 究 第
90輯
政 的援助 は,他 の支 出‑ 救貧費 ,犯罪者処罰 のた めの費 用 な ど‑ を抑 え る ことにな る, とい う統治 にかかわ る ( 教育 〉言説 が,民衆教育 の提 唱者 ・ 推進者 た ちのあいだで共有 され る ようにな って くる。 こうして, あ りとあ ら
ゆ る問題 を ( 道徳 〉 とい うことばで くくり, すべ ての社 会現象 を ( 教 育〉 と い う物語 に投 げ込 み,( 教育 )万能論 が熱 く語 られたのが
,30年代 だ とも言 え な くはない。
( 道徳環境 論)のなかで は,学校 は子 どもた ち を望 ま しい道徳 環境 で囲 い込 む もので あった。 そ して その中心 に位置 す る こ とを求 め られた教 師 ( 志望者) は,「 無 知 の悲惨 さ とそれ に付 随す る悪徳 か ら,その卑 しい階級 を救 うことを 手助 けす るのが主要 なかれ らの栄誉 で あ る‑‑‑。 さ もしい 目的へ と導 くよ う な商業社 会 での個人 的 な競争 の影響 か ら,かれ らを引 き離 す ことが望 ま しい。
不安 定 で悲惨 な大衆 の困窮 のすがた をかれ らに提 示 し, そ して大衆 の精神 的 そ して道徳 的病弊
(diseases)を癒 そ う とす る博愛精神 をかれ らに吹 き込 む こ
とが望 ま しい
(4)。」こう熱 く語 られ る
1830,40年代 の教 師像 の詳細 へ と踏 み入 る前 に, ここで はそれ以 前 の メカニズ ム, す なわ ちモニ トリアル ・システム が いか な る途 を辿 ったか につ いて,簡 単 に触 れてお く必 要が あ ろ う。
モニ トリアル ・システム は, その創始者 そ して そのマニ ュアルが措 くとこ ろで は きわ めて整 序 された メカニズムで あった。 だが実際 にはそれが その ま ま実地 に移 され,定着 したわ けで はな い。その システム は
1830年代 には時 の 権 力 に よって職烈 な批判 が加 え られ る ことにな るが, その シス テムが対 象 と
した労働 者貧民 か らもさまざ まな形 の抵抗 に出会 っていた。 あ る教育調査者 は, モニ トリアル ・システム を採用 してい る学校 に通 った子 どもた ち に実際 にイ ンタ ビュー を試 み, マニ ュアル とは裏腹 に子 どもた ちが まった くなに も 学 んで ない こ とを暴 いてみせ てい る
。それ らの証 言 はフー コー描 くところの
「 微視 的物理学
(5)」には程 遠 いモニ トリア リズムの実際 の姿,綻 びを見 せ て く
(4)JamesKay‑Shuttleworth,̀FirstReportontheTrainingSchoolatBatter‑ sea',inFourPeriods・
・ ・ ・ ・
・,p.309.(5
)邦訳 『 監獄 の誕生
』144貢。
天職 としての教職
れ る。
5
「トーマス・ ベ ネ ッ ト
,15歳 ‑‑‑読 み書 きはで きない。
1年 と半年 は ピサ マズ タウンのペ リー ス トリー トの無償学校 に通 った。『そ こで はな に も学 ば なか った。一 団の少年たちが ぼ くたち を教 える ことになっていたが,かれ らはいつ も遊 んでい るか,無駄話 をしていた。マ スター に不満 を漏 らせ ば, かれ らはあ らゆる ことについて責 めたて, な に もしないの に殴 る。』かれが 言 うには,規則正 し く出席 した し
,30分 も遅刻 したの は
3度以上 ないが, 遅刻 を理 由にたいへ ん殴 られた。 かれ ( ベ ネ ッ ト) は学校 に通 ってい る と
き
,a,
b,
ab, そ して
2音節 の ことば以上 に進 む ことはなか った
。」「ウイ リアム ・バ ー トン,
13歳 ‑‑読 み書 きで きない。‑‑かつ てチ ャー ルズス トリー トのエルサ レム ス クール とい う名 前 の国民協会 系 の学校 に 通 った
。200人 の少年 と
300人 の少女 が在籍 していた と思 うが,長期 間 は通 わなか った。『とい うの も少年たちが教 えることになっていたか らである。』
『 かれ らはいつ も林檎 や な にか をよ こす ことを要求 していた。 そ うしな い と, え こひい きして くれ ない し, チケ ッ トも くれ なか った。 かれ らはいつ もマスターにわれわれの ことを告 げ口 し,おか げでな に もしないの に殴 ら れた。 かれ らが もの をよ こす よ うに要求 した, とマスター に訴 えて も, そ んな ことは信 じて もらえないので,無駄 であ った。 マスター はぼ くたちの 手 をしば しば打 った。 あ る日なに もしないの に打 たれたので,母親 が その 学校 にはぼ くを通 わせ ない ことに した。
』」「トーマス・シェフ ア‑ ド,
14歳,‑‑ヰ ヤンバ ー ウェルの私営学校 に
12か月間通 い,読 み書 きを学 んだ‑‑。ニ ューイ ン トンの国民協会 系 の学校 に通 ったが, それ も
2週間だ けで あった。 とい うの もひ どい学校 だ ったか らで あった。
『 少年た ちが教 える』こ とになっていた
。その うちの何人 か は背丈 はかれ 自身の半分 しかなか った。 自分 の方が優 れたモニ ター になっただ ろうに.
『 学 んだの はが ら くたで あった。 街頭 での方が もっ とましな ことを学 べたで
人 文 研 究 第
90 輯あ ろうO そのほか に も,モニ ター に何 か を差 し出せ ば,課業 は免除 して く れたが, そ うしな けれ ば,教 師 の ところへ と連 れていかれ,ひ どくむち打 たれた。
』(6)」擬 制 的 家 父 長 と して の教 師
将来 を担 う子 どもたちが都市 の この劣悪 な る環境 の もとにおかれ る限 り, 現世代 のお となた ちの「 頑廃」は拡大再生産 され るだ けであ る。く道徳環境論)
に立脚 す るか ぎ り, この伝染性 を もつ 「 退嬰 的」で 「 危険 な」階級,「 犠 れた」
都市 の街頭,そ して労働者 階級 の生活圏
(7)か ら,子 どもたち を隔離 し,「 望 ま しい」環境 に囲い込 む こ とが要請 され る。 この囲い込 み地 こそが学校 で あっ た。 そ こで こそ労働者階級 の子 どもた ちはその地位 にふ さわ しい道徳 的,宗 教 的義務 を身 につ け,社会秩 序 内にその席 を占め るこ ととな るはずで あった。
この統治 メカニズム としての学校 のなかで,演ず ることを期待 された く 教 師〉性 とはいったい どの ような もので あったのか。 この ことを中心 に据 えて, みてい くことにす る。
まず第一 に,と くに被救済民 を対象 とした ときには,「賢明 なるそ して愛情 ある親 が一人 前 の生活 を送 れ るように と子 どもたち を準備 させ るように,教 師 はすべての 自然 な情愛 か ら見捨 て られた子 どもた ちを育 て る ことに快活 に 専念 す る
(8)」べ きであった。親権 を濫用 し,あ るい は放棄 して しまった親 の代 哩
(in locoparentis),第二 の親 としてその代役 を演 じる ことが教 師 には強
(6
)
̀SchoolsfortheIndustriousClasses',inCent71alSocietyofEducation,1838 (rep.1968),pp.365‑367.(7
)その影響 ははか りしれないほどのもので,ウイ) レグ‑スピンもス トウも「 数の シンパシー」が学校 さえも無化 してしまう潜在的力をもっていることを充分に認 識 していた。(
DavidStow,TheTrainingSystem‑‑,pp.
80‑81,拙稿 「 微視の 権力 としての学校‑
19世紀イギ リス教育史研究 その
2の
2‑ 」小樽商科 大学 『 人文研究』第
85韓,1
993年,2
8‑29頁参照。
(8)JamesKay‑Shuttleworth,̀FirstReportontheTrainingSchoolatBatter‑ sea',inFourPeriods
・ ・ ・ ・ ・
・,p.300.天職 としての教職
7く求 め られた
(9)。 同様 な主張 は この時代 の 「 教 師」論 の底 に共通 して流れてい る もので\ ある
。oo0 OO0OO
「それぞれ の教師 はかれ の まわ りの子 どもたちに とって は親 であった。学 校 は睦 まじい家族 に似 ていた( 1 0 ) 。」
00く )0000000000
「 男女教師 は家族 の親 として振舞 うことが その システムの運 営 に本 質 的 な ことで ある
(ll)。」「ウェス トミンス ター ・レビューの
46号 で ヒクス ン氏 は次 の ように述 べ てい る
。『 ‑・ ‑かれ ( ぺ スタロ ッテ‑‑引用者注)の主要 な原則 は次 の よう
○ な もので ある。心 は怖 れで はな く愛情 に よって治 め られ るべ きで あ る。教
0 0く )00 0000000000C IO
師 は恐怖 の専制 主で はな く愛情 あ る親 にな らな くて はな らない。・ ・ ‑‑彼 は また こう主張 してい る
。子 どもの愛情 を得 るこ とので きない者 は誰 で も子 どもに宗教 の初歩 さえ も教 える こともで きない。 とい うのは人 に対 す る愛 情 な くして神 に対 す る愛情 はないか らで ある。』 (
12)」「かれ ( フェレンベル ク‑‑・ 引用者注)は, 国家 は家族 の一般化 した もの で あ り,従属 そ して相互 の依存 と愛情 とい う同 じ原則 を もってい る, とみ
0000000000000
な してい る。‑・ ‑かれ は家族原理 が学校 にい きわた る ことを願 った。家族原 理 は学校 が助 け,補助 し,発展 させ る もので あ り,破壊 し,なお ざ りに し, 退廃 させ るもので はない( 1 3 ) 。」
社会が文化 的な変容 に直面 してい る ときには, しば しば こうい う言説 が幅 を きかすが,学校 は しば しば家族 とのアナ ロジー, 「 理想 的」家族 に模 されて 語 られてい る
。言 うな らば学校 は擬制 的家族 で あった。 それ も家父長的 な擬
(9)
MCCE,1
846,Vol.
2,p.108,MCCE,1
839‑40,p.75.( 1 0)MCCE,1
842‑1843,p.252.(ll)Jelinger
C
.Symons,TacticsjTortheTimes‑・ ・
・,p.121. (12)Ibid.,p.195.(13)A.I.N.Byron
,
WhatdeFellenberghasdoneforEducation,p.89.β
人 文 研 究 第
90 輯制 的家族 で あった。学校 が擬制 的家族 た る, その起源 を辿れ ば,二 つの こと に行 き当た るで あろう。ひ とつ は
19世紀 の中産 階級 の理想化 された家庭教育 で あ り, 「 かれが心 に抱 くように といわれて い るモ デル は きちん とした家庭
(awell‑regulatedfamily)で ある
。そ こで は服従 と良 き振 る舞 いが,強制 や 怖 れか らで はな く,愛情 か ら, そ して模範 の影響 そ して良心の規律 か ら流れ 出 るようにつ くられていた
(14)。」「きちん とした学校 で は親 はきちん とした家 族 のイメー ジを学校 にみ る( 1 5 ) 。 」もうひ とつ は,眼前 で展 開す る都市現象 に翻 弄 され る観察者 た ちが,一時代 前の農民 の家庭 に郷愁 を こめて読 み込 んだ教 育 イメー ジで あ ろう。農民た ちが その家庭 や農作業 のなかで, その子 どもた ちにたい して用 いた, 自然で,強制 的でない生活教育 で あろう。ペ スタロ ツ チ, フェレンベル クそ してヴェル リらの大陸 の教育思想 ・実践家 の試行 がイ ギ リスに紹介 され,民衆教育 のモデル を提供 したの も, この こ とと深 く関連 してい るで あろ う
。つ ま り親 の務 め とそれ に付随す る徳 や機能 を 「 欠落 」 さ せた労働者貧民 の生活圏 に とってかわ って,家父長 的擬制家族 ‑学校 を提供 す る ことが求 め られていたので ある。言わず もが なの ことであ るが,労働者 貧民 の家庭 が 「 崩壊
」し,教育機能が 「 欠落」していた, とい うので はない。
あ くまで もそれ らは編 み出 された言説 であ り,ここで は触 れ る余裕 が ないが, その言説 の もとでの実践 は,現実 の場一一‑ 教室‑ でずれ をひ きお こしたで あろ うことは想像 に難 くない。
家父長的家族 を模 した学校 で は, 教師 は父親 で あ り,あ くまで も男性 で あっ た。だが,女性教師 の果 たす役菩拍ミ なか ったわ けで はない。「 母性愛 の果 たす べ き役割 にはた くさんの機会が ある。男性 はせいぜ いそのちん けな模倣者 で しか ない。活動的で知性 あ る女性 は学校 の仕事 の上 で は男性 の役 に立 つ付届 品 とな るこ とはけっ して否定 で きない。幼児学校 で は男性 の威信 あ る存在 が
(14)MCCE,1842143,p.556,SeeMCCE,1845,Vol
.
2,p.162. (15)MCCE,1840‑41,p.219,SeeMCCE,1848,Vol.
1,p.13.天職 としての教職
9よ り必須 で あ る( 1 6 )
。」男性教 師 は父親 で あ り,知 的部分 を担 当 し,女性 教 師 は 母親 で あ り,教職 の母性 的部 分 ともい うべ き,た とえば 「 清潔 さ, こぎれ い さそ して こまや か さに精 出す
(17)」べ きで あ る, とい うような教職 にお ける性 別分業論 が提 唱 されて い る。 だか らス トウ も言 ってい る
。「父親 と母親 の家族秩 序 にな らって,あ らゆ る年少 そ して幼児教育 学校 の 長 には男性 が な るべ きで あ る。 そ して可能 な らば教 師 の妻 あ るい は姉妹 が ア シス タ ン トにな るべ きで あ る。家族制 度 を学校 に導入 しよう とす る提 案 は,家庭 にお ける教育 を超 克 す る もので はないが, それ を援助 し強化 す る もので あ る
(18)。」教 師が親 の代 理 とい う重責 を担 うものな らば,その ような規定 の もとで は, 教職 はか な り特殊 な性格 を帯 び るで あ ろ う
。家族 を家族 た らしめてい る もの
を夫婦 関係 を核 とす る性 で あ る とすれ ば,家族 は情 愛 をその核 に して成立 し て い る こ とは確 かであ ろ う。 この場 合,情 愛 の対 象 は無 限定 なひ ろが りを も つ はず もな く, その対 象 は個 々 の特定 の個 人, た とえば 「わが子」 とい うよ うに, きわ めて限定 された ものであ る。 す なわ ち, そ こでの情 愛 とい うの は 本 質的 に匿名 のマス
(mass)を対 象 とした もので はな く,個々 のひ と りひ と
(16)SamuelWilderspin,TheInfantSystem・
・ ・ ‑
・,pp.111‑112,SeeReport1835, 報告
,Q1296‑(17)SamuelWilderspin,EarlyDisciplineinillustrated・
・ ‑
・,p.117.(18)DavidStow,Supplementt
o‑. ・
・,p.19.(19)
もちろん知識 ・ 技能の伝授たる知育が重視 されていなかった,と言 っているの ではない。モニ トリアル・ メソッドの もとではその創始者たちの主張 とは裏腹 に, 子 どもたちが まった く何 も学んでいなかった事実が暴 かれる一万
,30年代以降
の理論では,子 どもが知識 を 「 理解」す ることが強調 され,そのために新たなメ ソッドも考案 されている。だが,知育 はそれだけで自立す るというようりも,徳 育の問題がそれに色濃 く影 を落 としている点 にこそこの期の特徴があろう。 拙稿
「 微視の権力 としての学校‑
19世紀イギ リス教育史研究 その
2の
2‑ 」参
照。「 先生,教師,教育者等々のいかなる名称で呼 ばれようとも,教職が公教育
の系の中で考察 されなければならな くなった近代 においては 「 教員」と呼ばれ る
10
人 文 研
究第
90輯
りを気 にか ける類 の もので あ る
。言 うまで もな く, その気 にか ける とい うこ とは,知識 ・技能 の教授 とい う ことを媒 介 とした ドライな社会 的関係 とは性 質 を異 にす る もので あった( 1 9 ) 。ひ とた び こうい う情 愛 が教 師 と生徒 との あい だ を結 びつ けれ ば,両者 の関係 の質 は必然 的 に濃密 にな らざるを得 ない。契 約 的 な社会 関係 とは異 な り, きわ めて情 愛 的密度 の濃 い関係 で は,両者 は融 け合 い一体化 し,教 師 は生徒 の問題 を も自 らの こととして引 き受 け,他人 の 踏 み込 む こ とので きない関係 をかた ちづ くる ことにな る
。「 教 師が感 じる第 ‑ の大 きな困難 は他人 の振 舞 い に対 す るあ る種 の道徳
●●● ●
的責任感 で あ る。生徒 が何 か悪 さをすれ ば, それ に対 してかれ はほ とん ど 個人 的 な責任 を感 じる。 かれが その仕事 に飽 きて,生徒 の ことを しば ら く 忘 れ よ う と, あ る日の午後 に外 を歩 いてい る ときに,野蛮 な うるさい喧嘩
を してい る, あ るい は何 らか の悪 さを して い る一群 の子 どもた ち に出会 う
●●
と,かれ の心 は沈 む。‑‑かれ は責任 を感 じ,実際 かれ は責任 を持 つ
。かれ の生徒 が無秩 序 あ るい は怠惰 , あ るい は怠 け者, あ るい は喧嘩好 きだ と,
●●●●●●●●●●●●
まるで 自分 が実際 の違反者 の ように, 自分 自身が責 め られてい るように感 じる
。‑‑
●
■●●●●●● ●●●●●●●●●●
他 の人 の罪 に対 す るほ とん ど道徳 的責任 とい う この感 情 は,絶 えざ る重 荷 で あ る。教 師 は生徒 の前 で はそれか らいつ も逃 れ る ことはで きない。けっ
して切 り離 すべ きで ない し, そ うしよう と思 って も切 り離 す こ とがで きな
のが最 も適切であろう。‑‑・ これは教師 と生徒 との関係が即物的な知識 ・技能の 教授 を媒介 に成立 しているのに, 教育者 は本来 そのような関係なしに教育者の一 方的, 自己犠牲的な,相手 に対する献身 を本質 としていることを意味 している。
‑‑近代国家の教員 ( 養成)政策 は, この教育者的側面 を公的レヴェルでシステ
ム化するという課題 をもつ ものである。 世俗的な専門知識や技能の教授 という側
面 は教育者的側面 と衝突 しそれを消去 しないか,またはそれを補完するもの とな
るかぎり養成政策の対象 となるのである
。」 ( 世界教育史体系 『 教員史 』 ( 賛藤新
治執筆部分)
,78‑79貢。)
天職 としての教職
llい秤 によって,道徳 的責任 は教 師 を生徒 に結 びつ けてい る。‑=‑私 は教 師 と 生徒 との道徳 的関係 に較 べ る ことので きる もの は,親 と子 どもとの関係 を 除いて他 にない と思 う
(20 ) 。」
親子 の情愛 とい う杵 が とりもつ教 師 と生徒 との関係 は無機質 で ドライな も ので はな く, きわ めて個人的,人格 的な もので あった。 それ は師弟関係 と呼 ぶ にふ さわ しい もので あった。 だか ら 「ひ ょっ こ りや って きた観察者 には, それ ら ( ス トウの トレーニ ング ・システム‑‑引用者注) はシステム とい う 外観 を とってい るように見 えるが,切 り離 され,バ ラバ ラにされ る と, それ
●●
らはそれ 自体 で はな くなって しまう
。特 に訓練 されていない男女教師 によっ てなされ る とよけい にそ うな る
(21 ) 。」一時代前 のモニ トリアル ・システム はマ スの教育 を基本 に据 えてお り,教師 はその システムのなかの一部 品 と化 す こ
とによって,初 めてその システム は作動 したので あ る。 だが, モニ トリア リ ズムの批半拍ゝら出発 す る
30,40年代 の教育論 で は教 師 には人格 ・ 人柄 が不可 欠 であ り, それ な くしては学校教育 は無 に帰 して しまうもので あった。 だか
○⊂ )0000000000 らこう強調 され る。「 子 どもた ちを教育 す るには,個々の個人 の こころに対 す
0000000
00000000
る個人 的 な働 きか けを ともなった,子 どもたちに対 す る教養 あ る教師 の働 き 0000000000000000000000000 か けが必須 であ る。子 どもの こころ と教師 の こころ との単独 のふれ あいが な
0000000 けれ ばな らない( 2 2 ) 。」
個 人 化 す る まな ざ しを もつ 教 師
教 師 と生徒 との関係 を親子関係 になぞ らえる前提 か ら出発す るな らば,教 師 の まなざ しはマスで はな く特定 の対 象 に収欽 す る とい う限定性 を特徴 とす る
。したが って,生徒 にたいす る教師 の まなざ しは, さまざ まな点で きわ め
(20)JacobAbbott,TheTeacher・・
・ ・ ・
・,pp.19121.
(21)DavidStow,TheT71ainingSystem‑
‑
・,pAl .
(22)MCCE,1845,Vol. 1
,p.247.12
人 文 研
究 第 90 輯て きめ細 やか さを増 してい る。 教 師の この まなざ しはよ りパ ー ソナル な側面, 生徒 の 〈個人性 )く内面性 )く気質)へ の注視 を強 める傾 きを もってい るこ と
は論 を侯 たない。
「 教職 の第二 の大 きな困難 は,その仕事 にいそ しんでい る間,かれ の関心
○■●●●●●●■●●●●■●●●●●■●■●●●
を注 ぎ世話 をす る対 象がた いへん多岐で ある ことであ る
。かれの生徒 は個 人 であ り, そ してクラス分 けによって,最 もシステム化 された こ とがで き
oO C IO OOO 0O OO0 O0O 0O OO0 O る こ とに もか かわ らず,生徒 は大部 分 は個 人 として世 話 され るべ きで あ
⊂〉
る
(23)。」0
00000000000 0000⊂ )0000000
「 個人 の振舞 い を日々観察 し,注意 を怠 らない ようにす る。それ はかれ ら の過 ち を叱責 し, あ るい は罰 す るた めで はな く,かれ らの性格 を理解す る
ことを可能 にす るた めで あ る。
私が述 べた その ような生徒層 の気質 と性格 を理解す る とい うことは, か れ らの違反 の どれ も気づかれず に,罰せ られ ないです まされ るこ とが ない 0⊂ )0( )00 ように,学校 内で監視 す る ことを意味す るので はない。私 は性格 の もっ と
0000000000( ⊃000
深 い完全 な検討 を意 図 している
。あ らゆ る少年 はかれの気質 と性格 の内部 に,自分 自身で気 づ いている し,プライ ドを持 っている良 き もの を何 か持 っ ている。 それが何 か探 せ。 とい うの はそれが礎 にな り, その上 に教育 の上 部構造 が樹立 で きるか らで\ ある
(24 ) 。 」
( )00く )0
「 教 師の仕事 は授業 中で もそれ以外 で も子 どもた ちの気質や性 向 を学 び, 注意深 く子 どもたちを見守 り,不適切 な傾 向 を排 除 し,奨励 し,諸費 し, 勧 告 し, かれ らを訓練 す る ことで ある。 この ことのみが教育 である。 そ し
て男女教員が この ことをな さないな らば, かれ らはその職 には不適格 であ る
(25)。」(23)JacobAbbott
,
op.cit.,p.21
. (24)Lbid.,pp.1581159.(25)MCCE,1848150,Vol
.
1,p.108.天職 としての教職
13い まや個 々 の生徒 の 「 気質 と性 格 」 へ と教 師 の まな ざ しを くい込 ます こ と な くして教育 を語 る こ とはで きな くな った。対 象 はマ ス としての生 徒 で はな く,個 々 の生徒 の内面奥 深 くへ と,教 師 の まな ざ しは深 く分 け入 って い くの で あ る
。ひ とこ とで言 えば, 生徒 をマ ス として扱 うシステム の教 師 か ら, 生 徒 を く 個 人 〉 として扱 う人格 的教 師 へ の転 回が ここにみ られ るので あ る。
(道徳環境 論 〉の拾頭 そ して労働 者 貧 民 か らの抵 抗 に よるシステム の破産 を 眼 の あた りに して,モニ トリア リズム にた いす る職 烈 な批判 を展 開 した 30 年 代 以 降 の理 論 は, 「言説上 」 は く個人 〉 ‑ と錘 鉛 を垂 らす傾 きを強 めて い く。
言 わず もが な の こ とで はあ るが, な に も 3 0 年代以 降 の ( 教 育 〉あ るい は (教 節)論 が それ以 前 の もの に較 べ優 れ て い る, とい うよ うな倫 理 的 な価値判 断 をす る こ とが ここで の主眼 で はない
(26)。 そ うで はな くて, そ うい う( 個 人性 〉 が なぜ, どの ような過 程 で産 出 され た のか, とい う問 い に こそ筆 者 の関心 は あ る。
この よ うに生 徒個 々 の内面 へ の注視 を深 め る教 師像 は
,19世 紀 中盤 に入 っ て も衰 える ど ころか, よ り明瞭 にな って くるので はなか ろ うか
。19世 紀後 半
(26)
イギ リスの
19世紀の教員史 を概観 し,斎藤 は書 いている。「中産階級の立場か ら見 て,民衆教育 は常 に 「 民衆教育」の境界 を越 えてはな らぬのであるか ら, そ の直接の担い手たる 「 教員」において この二つの契機 は教員概念の抜 き差 しな ら ぬ要因 として同時的に存在 していることが強調 されねばな らぬ。 一方のです ぎは 他方 によってチ ェックされねばな らぬか らである
。それゆえ「 教師の人格的な資 質 ・教養」 を積極面 とおいて 「 専門的知識 ・技能」の即物 的側面 を克服 さるべ き もの として とらえる方法 において,逆 に 「 専門的知識 ・ 技能」の成立 をもって 「 近 代教員養成学校 の起点 として説明する方法」において, またわが国の教員養成史 の先行諸研究 にほぼ共通 して見 られ る師範教育 ( 職業教育)対反師範教育 ( 一般 教養),そ して師範教育内での知識技能伝達の教師対徳 ある教師 とい う図式 に浴 いて,それが教員養成の歴史的諸局面 を捕捉 し,そこでの教師のあ り方 を批判す るににきわめて有効 な ものであることは否定で きない。教員 ( 養成)史がす ぐれ て現代的課題 にかかわっていることか らして当然な ことであろう。しか し同時 に 考 えられることは,イギ リスの場合,近代教員の誕生 とそれ を規定 している民衆 教育の問題性がそれ によって どれだ け明 らかにされ るかは疑 問である といえよ
う
。」 (『 教員史
』89‑90頁)斉藤 はたいへん丁寧 な ものの言い方 をしているが, あ
まりにも「 教育学」的な倫理的判断が先験的 に研究 をも支配 しているのであれば,
それ をいったん廃棄 してみることも必要なのではなか ろうか。
14
人 文 研
究 第 90 輯の教師指導書か ら該 当す る箇所 をい くつか拾 い上 げてみる。 た とえば, ロス は教授法 を内容 に重点 を置 いた方法である客観 メソッ ド
(objectivemethod)と,生徒 に重点 を置 いた方法で ある主観 メソッ ド
(subjectivemethod)とに
●
●分 け,後者 は 「 教 えるべ き対象
(subject),すなわち生徒 の性格 についての知
● 識 を も持 っていなければな らない。 そ して実際 に授業 に応用で きる知識 が主
●●●●●
観 メ ソッ ド
(subjectivemethod)と呼 ばれ る
(27)」と主張す る
。さらに 「 生徒 の性格 に対す る最 も正 しい, そ して鋭 い心理学的洞察 を持 ってい る者が最良 の初等教員 となる( 2 8 ) 」べ きである, と論 を展開す る
。またテ‑ トは 「これ らの ( 教育 にかんす る.‥..引用者注)事実 を発見す るためには立法家や学校運営者 に頼 るべ きで はない し,学校 を訪 れた人々の 性急な印象 に頼 りす ぎるべ きで もない。私たちが主 として頼 るべ きは実陛の 教師の働 きであ り, さまざまな教授様式 の もとで能力が 自己成長 す るの と同 00( )00000000000000000000 0000 000 樵,生徒 の能力の発達 を注視 す るのは教 師の仕事で ある。すなわち,事実 を
000 000000 0000000000OO0OO0a0
0収集 し,観察 を記録 し, そ して実験 を始 めるのは教 師の仕事 である
(29)」と言 う
。教師 は子 どもたちを 〈 注視〉 し,事実の収集,観察記録,実験 のプロセ スを通 し,生徒 の能力 を対象化す ることに努 めなけれ ばな らない。だか ら「 学 校 の教室 は教 師の実験室であ り, スタジオである
。すなわち,教師 を とり囲 んでい る少年たちは教師 の省察 と実験 の対象であ り, その大 きな目的 は少年 たちの知的そ して道徳的改善 で ある
(30)。 」 もち ろん監視 の まなざ しは教室 に
とどまらない
。「 献身的な教師の仕事 は授業時間では終 わ るべ きで はない‑
子 どもの内部 にある感情 の偏愛や ほ とばし りは,教師が良 きものあるい は役 だつ ものの発達 を奨励 し助長す るために, そ して悪 い ものあるい は危険 な も のを圧 し, あるいは正 当なチ ャンネルへ と導 くように,遊 んでい る ときに教 師 は注視すべ きであ る
(31)。」まさに学校 は一大実験場 と化すのである。この実
(27)(28)William Ross,TheTeacher'sManualofMethod・‑・・・,1858,p.68.
(29)ThomasTate,Thephilosophyofeducation;or,theprinciplesandpractice ofteaching,1885(secondAmerican edition,firsted.1854?)ppA5146.
( 30)
Zbid"p.57.( 31)
1bid"p.59.天職 としての教職
15験場 の主 は教師で あ る
。かれ は常 にそ こに とどま り,子 どもたちの一挙手一 投足 も見逃 す まい と, まな ざ しを子 どもた ちに注 ぐ。事実 の収集,観察記録 の累積,記録 の分析 とい う過程 を通 して,子 どもた ちの差異 は対 象化 され, 客観化 され てゆ くであ ろ う
.この過程 で一体 どの よ うな知 が産 み出 され たの だ ろ うか。 そ して その知 が主体化 ( 服従化) といか に絡 み合 ってい るのか,
とい う問題 をつ きつ けて くるが, それ に答 えるには まだ言説 そ してメカニズ ムの編棒 した道 を通 らな けれ ばな らないで あ ろう。とりあ えず,ここで はく 個 人性 )く内面性 )く 気質) といった ものが大 き く浮 かび上 が って きた を指摘 し
てお くに とどめる。
とすれ ば,( 個人性 )(内面性 )(気質〉とい うもの と相 いれ ない体罰 は,脇 へ と追 いや られ る ことにな るの もまた当然 で\ ある
。「自尊心 を傷 つ け るよ うなあ るい は報復 的 な性格 の罰 は用 い られ る こ と はないで あろう。恥辱感 は絶 えるこ とが ない‑‑0
体罰 を用 い る ことはたいへ ん害が ある ものであ る
。それ はすべての元気 の よい子 どもたちによって最 も敏感 に不名誉 が感 じられ るばか りでな く, 懲罰 的精神 をいつ も巻 き起 こし,教 師の影響 を無化 して しまう( 3 2
)。」000000000
「 幼児学校 の男女教員 の・ ‑‑重大 な 目的 は,すべ ての奴隷 的怖 れ を払 いの 00000000 000000000000
ける ことによって,子 どもたちの愛 を勝 ち とる ことで ある。子 どもたちは, 最 も愛情 ある手段 によって, ‑‑ 祝切 な ことばばか りでな く,た くさんの こ
(32)MaryCarpenter,Reformato町 Schools・・.‑,p.87.
(33)SamuelWilderspin,TheInfantSystem
・ ・ ・ ・ ・
・,pp.82183.テ‑ トもこう述べている。
「 教師は怖れではな く愛の原則 によって生徒 を治めるべきである, と私たち の一般的原理のコロラリー として述べた。
学校内での支配的原則は愛であるべきである。 規律 を確立するための最初の ステップとして,教師はその生徒を愛すべきである。生徒たちを愛せ よ. ′ こ の毅雑な都市の汚 らしい街路から集 まってきたぼろをまとった, 浮浪児のよう な少年たちを,紳士然 とした,きれいに装 った教師が愛すことができるのか ?
‑‑愛が常に愛 を生むように,もし教師がその生徒 を本当に愛 しているのなら
16
人 文 研 究 第
90輯
とば よ りも子 ど もに影 響 を与 え る親 切 な行 動 に よって‑ 自分 た ちの幸 せ を望 んで い る人 物 として,教 師 を見 なす よ うに導 か れ る。‥.‥ 幼 児学 校 の シス テム の根 本 的原則 は愛情 で あ り, それ に代 わ る もの は他 に はな い。 あ な たが子 ど もた ち を愛 して い る こ とを,教 師 に対 して もお互 い に対 して も 愛 情 が愛 情 を産 む こ とを子 ど もた ち に理 解 させ な さい( 3 3 ) 。」
子 ど もの 「 性 格 と気 質 」 の 観 察 者
く個 々 ) の子 ど もの く内面 ) (気 質 〉 へ と錘 鉛 を垂 らす こ とな くして は魂 の 救 済 はあ り得 な い。 した が って, そ こへ と到達 しな い表 層 的 な方法 で あ る体 罰 は教育 効 果 が まった くない ど ころか ,逆効 果 をお よぽす もの として, 排 除 され るので あ る
。「 愛 す る こ と」 は あ くまで も
「個 人 」の 「内面 」の問題 で あ り,それ を根幹 に据 えた方法 として非 強制 的 な方 法 が推 奨 され るわ けで あ る
。ば,生徒たちはそれ に応 えて教師 を愛す るであろう。生徒たちが教師 を愛す る な らば,生徒たちは教師 を喜 ばせ よう とし,教師 に痛 みを与 えるような ことを す るの を避 けようとす る。この ように教師の意志 は学校 のルール とな り,生徒 たちが愛す るそして尊敬す る人々 を自然 と模倣 す るので, 教師の性格 は学校 の 法 となる
。」 (ThomasTate,
oP.cit.,pp.141‑142.)「 愛 は私たちの自然 のなかで最 も強力 な原則である‑ 愛 は天国 を治 めてい る。 とい うの も神が愛であるか らである。 ‑ それ は地獄 を天国に変 え,地球 を太古のパ ラダイスにか える。この原則が学校 で充分 に展開 されれ ば,子 ども は罰 を恐れた り,褒賞 を期待す るがゆえで はな く,それを愛す るがゆえにその 義務 を果たす。
怖 れは学校 内で支配的原則 になるべ きではない。 子 どもたちが主 として罰 を 怖れて治 め られているところでは,どの ような学校 も健康 な状態で はない。怖
れ は弱 くす るパ ッシ ョンで ある‑ 知性 を麻療 させ る‑ 少年 たちを うそつ き,奴隷,偽善者 にす る‑ 怖れ は人間 を善 なるものにか き立 てる最後 のそ し て最低 の動機である。監獄 と絞首台 は不幸 な者 を脅 し,犯罪 を犯す ことか ら道 徳的類廃 の最低 の深 さへ と沈 める。罰 は悪徳 の進歩 をチェ ックす る,しか し徳 の原則 を育 てることはで きない。・ ‑‑この ように罰が蔓延 す る こと, あるいは 教師の奴隷的怖れ は,学校 内で は管理 ミス と不安定 さを示す もので ある
。・‑‑
‑‑‑罰 を加 える場合で も,教師 は違反者 に対 す る愛 によって駆 り立 て られて いることを示すべ きである。ほ とん どの場合,犯罪 は自身の罰 を持 ち出すの と 同様若 い犯罪者 はその過 ちの結果 に苦 しんだのち,自 らを矯正 す るようにさせ
られ る
。」( 1 bi d.
,pp.142‑144)天職 としての教職
17愛 す ることは筈 とは相 いれない。魂 の救済 は表層的な ことで は済 まされ ない。
それ は生徒個 々 の内面 にまで入 り込 む ことな くして は成 り立 つ ことはない。
教 師 はかれ 自身 か ら湊 みで る人柄 の影 響 で子 ど もた ち を感 化 す るので あっ て,子 どもたちは筈 による痛 み よ りも,教 師か ら認 め られ,賞賛 され ること がかれの心 の勲章 とな るようにすべ きで あ る。だか ら教 師 は こうあ らね ばな らない,と諭 され る。「あなたの生徒 にあなたがかれ らの友達 で ある ことを確 信 させ るように しなさい。 ‑ す なわち,あなた はかれ らの進歩 をめ ざ し,か れ らが良 くな る ことを望 んで い る ことを。‑‑ あなた 自身 の安楽 さで はな く 生徒 の幸 せ に対 してたいへん配慮 してい る ことを示す こ とによってその こ と を証 明 しなけれ ばな らない。簡 単 に言 えばかれ らを愛 しな さい,そ うすれ ば, かれ らを統治す るの にたいへ ん効 果 が あ るで あ ろ う( 3 4 ) 。」一見非 の うち どこ ろのない もの言 いだが,生徒 の視点 か らこれ を眺 めてみ る とどうな るのであ ろ うか。教 師‑ 生徒 とい う上下関係 の もとで は,個々の生徒が魂 の救済者 た る教 師 に よって対 象化 され るその過程 は, た とえ方法が非強制 的 な ものであ れ,一面 で は当の生徒 たちに とって は自らが トー タル に監視 され捕捉 され る 過程 で もあった。生徒 に とって非強制 的な方法で あ る とはい え, とい うよ り もそ うで あるが ゆえ と言 うべ きか,子 どもの心 に教 師 の まなざ しは深 く浸透 してゆ く。その深 さが深 いほ ど,生徒 の差異が浮 き彫 りにされ,( 個人性〉(内 面〉く 気質〉が浮かび上が って くる。 とい うよ りも編 み出 されて くる。
かつて筆者 は この期 の学校 を 「 道徳学校( 3 5 ) 」 と特徴 づ けた ことが あ るが, それ を支 えた教育学 は,子 ど もの 「 性格 と気質
」を尊重 す る ことによってモ ニ トリア リズム を克服 しよう とす る もので あった。 その ような教育学 の旗手 のひ とりス トウは言 う
。子 どもの 「 性格 と気質」を把捉 す るた めには,「 教師 と親 は子 どもたちの信頼 を得た いな らば, 自分 た ちがかつてそ うで あった よ
(34)HenryDunn,PopularEducation
‑‑,p.
30.(35)
拙稿
「「 道徳学校」の誕生‑ ヴィク トリア朝初期英国の民衆学校の構造
‑」 ,
『 近代 教育 の史 的展 開 』 ( 紫峰図書)所収,昭和 63年。
18
人 文 研 究 第
90輯
うに,遊 びや娯楽 を一緒 になって楽 しむ ことによって,子 どもになることで 00000000 ある
。その ように子 どもの立場 に立 つ ことな くして,本 当の性格 と気質 の完 全 な知識 は得 ることがで きない
(36)。」ス トウや ケイ らの構想 す る学校空 間で は, ギ ャレリー,遊 び場 そ して教室 は欠 くべか らざる ものであった。 ケイが 主導す る枢密院教育委員会 も校舎,学校空間の改革 にの りだ したのだが,ギ ャ
0 レ リーは知識の追究 を魅力的 にす る こともさることなが ら, その空間 は 「 生
oO0O00000000000( )○○000 000000000000 徒 との道徳 的関係 を育 て ることをも可能 に した。生徒 は規律 の家父長的性格
00000 0000000000000000000000000000 か ら生 じる,尊敬 は もち ろんの こと愛情 を持 って生徒 は教師 をみ ることを学
( 〕
ぶ。理解 と同様 にシンパ シーが喚起 され る ことが重要で あるすべての レッス ンは,数百人 の子 どもたちでいっぱい になった学校 の大 きなホール
(hall)で よ ワも,独立 した部屋
(apartment)で よ り印象的な方法で教師 によって伝 え 00く )0000 られ るべ きである。 その ようなアレンジメ ン トな くして は,教授 のあ らゆる
00 0000(
⊃000( )0
組織
(tissue)に道徳教育
(training)を織 り込 む枢密院委員会 のデザイ ンは 満た されなかったであ ろう
(37)。」壁 な どで仕切 られた独立 した教室 は他 の学 級 の授業 による物音 を遮 断 し,静粛 な空間 をつ くり出 し,生徒が教育 内容 を 深 く理解す ることを可能 にさせた。 そればか りで はな く,独立 した教室 はモ ニ トリアル ・システムの形式的秩序 に代わって,生徒 と教師 との関係 の質 を よ り精微 にし,安定化 させ,か くして教師の人格的影響 をひ とりひ とりの子 どもたちの心 の奥底 に まで渉 み通 らせ る こ とを も可能 に させ る もので あっ た。
とくに遊 び場 は非強制 的方法 による人間形成空間 として誼 いあげ られた。
000000000000000000000000000 0000
「 遊 び場 は子 どもたちの本 当の生活がみ られ る主要な場 である。‑‑かれ らの 000000000000000( つ0
0本 当の性格 と気質があ らわれ る場 で あ る
(38)。」子 どもたち は遊 び場 での さま
(36)DavidStow,TheTrainingSystem
・ ・ ・ . ・
・,p.151・152,SeeDavidStow,MoralT
rainmg・ ・ ・ ・ ・
・,p.1 3.
(3
7
)JamesKay‑Shuttleworth,EExplanationsofMeasuresof1839',in Four Periods・・・‑
・,p.253.(38)DavidStow,TheTrainingSystem・