I55ゑあはせのうた
三こそI和本︑国本﹁この﹂︒蓬本に拠り改
む︒ この1国本なし︒
夕四一遇1国本.遇﹂ |ふぢなみの下第六l和本︑国本なし︒目
録に拠り補ふ︒
たかつかさ︵倫子︶はらたちながたかまつ︵明子︶はら二鷹司殿塗御腹の君達の御流れは︑みな申侍ぬ︒高松の御腹︑堀川の右大臣をとよりむね三たまたてまつたますゑ武頼宗のおと茸こそ︑関白にはなり給はざりしかども︑女御奉りなどし給ひ︑末たちちかくらゐたか凸ご︾﹄み麓う︵退長︶の君達も︑近くまで位高くをはする︑あまた聞ゑ給しか︒このおと蛍︑御堂の第5
字
﹄
ばぁにしたかあ色らむすめこの御子におはす︒御母︑西の宮左大臣高明のをと蛍の御女也︒永承二年八月一
たまとしかたま日︑内大臣に也給ふ︒御年五十四︒大将もとのまシに兼け給ひき︒康平三年に︑
としgこ右大臣に也給き︒御年七十三と聞ゑき︒みらむかしはよつらゆきかねもりおほゐ︵傾宗︶和寄の道︑昔にも恥ぢずをはしき︒奇詠みは︑貫之︑兼盛︑堀川の大殿︑千載四クいだひときの一遇とかや︑ある人侍ける︒申出したる人は︑へ聞麓侍らず︒御集にもすぐれ皿おほ怠こいぐちはなたる奇多く間ゑ︑撰集にもあまた入り給へり︒いたく人の口ならし侍御寄は︑花︑もみぢたなぱたちどりかずしgこなかうたくち紅葉︑七夕︑千鳥など︑数知らず聞え侍めり︒中にも恋の歌は︑いたく人の口ず 一ふぢなみの下第六
ゑあはせのうた
ふぢなみの下第六Z56
二中納言l和本︑国本﹁中納﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
三をはせl和本︑国本﹁をせ﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒ |ごすざく院1国本﹁故すざく院﹂ おほみよたまさみにもし侍︑多く見え給へり︒﹁恋はうらなき﹂など詠み給えるぞかし︒此御
さき奇のさまは︑めづらしき心を先にし給えるなるべし︒そち︵伊周︶をとぎむすめはらたち一ごすざくたてまつ帥の内の大臣︑御女の御腹に君達あまたおはしき︒後朱雀院の御時︑女御奉り
まいれいけいでむ︵延子︶みかどたまさとに参り給へりし︑麗景殿の女御と申なるべし︒帝かくれさせ給ひて後︑里にまか
いうをはぎとしをり出で給へりけるに︑植ゑ置き給へりける萩を︑又の年の秋︑人の折りて侍りけ5
みよるを見給て︑詠み給ける︒こぞいろこはぎなみだあめあき去年よりも色こそ濃けれ萩の花涙の雨のか愛る秋には
うひめ︵正子︶かもgこその女御の生みたてまつり給へりける姫宮︑賀茂のいっきと聞ゑ給き︒この宮うさたまがはさとよな簿か絵合し給しに︑﹁卯の花咲ける玉川の里﹂シ相模が詠めるは︑名高き奇に侍るめ
皮いり︒三君は︑後三条院の春宮と申し時︑御息所に参り給へりき︒このをと函の太叩かねより二は上すゑ郎にては︑兼頼の中納言おはしき︒御母女御のひとつ御はらから︑いと末のはか三つぎとしいゑおほみやみぎをとⅣ八︑しきも︑をはせぬなるべし︒次には右大臣俊家のをと函︑大宮の右の大臣と
● ぬ 琶 一
﹄
すゑ打ほさか間へ給き︒この御末多く栄え給めり︒こむねとしはぁたかくにむすめみちその御子は宗俊の大納言︑御母宇治の大納言隆国の女なり︒管絃の道すぐれて
ときみつふえふさなら麓いじさてうにうてうをはしけり︒時光といふ生の笛吹に習ひ給けるに︑大食調の入調を︑いまノ︑と焔としそしまほどあめふくらやみよいて︑年へて教へ申さ賀りける程に︑雨かぎりなく降りて︑暗闇しげかりける夜出
さこよひをしで来て︑﹁今宵かのもの教へたてまつらむ﹂と申ければ︑いぶかりて︑とくノー︑
I57ゑあはせのうた
こみみやうぷ1国本﹁み名やうぷ﹂
三とI和本︑国本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ 一ぞ1国本なし︒ とのきごくでむとのたまひけるを︑﹁殿シうちにては︑をのづから聞く人も侍らむ︒大極殿へわうしおよともたらせ給へ﹂といひければ︑さらに牛など取り寄せてをはしけるに︑﹁御供には︑
ときみつまいみのかささ人侍らでありなむ︒時光ひとり参らむ﹂とて︑簑笠着てなむありける︒
ごくでむつざまつといだ大極殿にをはしたるに︑﹁なをおぼつかなく侍﹂とて︑続松取り出して︑さら
みはしらみのきたたれみにともして見ければ︑柱に簑着たるもの塾立ち侍ありけり︒﹁かれは誰ぞ﹂と問5たけよしなのよをしま一ひければ︑﹁武能﹂と名告りければ︑さればこそとて︑その夜は教へ申さでぞ︑かへをしきこ帰りにけると申人もありき・又かばかり心ざしありとて︑教へけりとも聞え侍り
き︒それはひがごとにや侍けむ︒
たけよしみちずたれたれならかの武能もその道の上手なりけるに︑誰にかをはしけむ︑一の人の﹁誰に習ひぁたまほうしたるぞ﹂と問はせ給ひければ︑﹁道のものにもあらぬ法師ばら︑よくならひたる川
つたと息みつでしものありけるになむ伝へて侍﹂と申ければ︑﹁なを時光が弟子になるべきなり﹂おほこみみやうぷかいゑまいと仰せうけ給はりて︑御名簿書きて︑それが家にいたりて︑﹁それがし参り﹂と
いどみよい
いはせければ︑挑みて︑年来かやうにも見えぬものとて︒をどろきて呼び入れけ
ときみつはなちでふえたけよしにはれば︑時光が放出に︑笛つくろひてゐたりけるに︑武能庭にゐてのぼらざりけれそでひとのおほば︑袖のはた引き︑のぼせて︑﹁いか茸﹂と問ひければ︑﹁殿シ仰せにて︑御弟脂
まい三なら子に参りたるなり﹂といへば︑いと心ゆきて︑﹁なにをか習ひ給べき﹂といふに︑
麓いじ8てうにうてうし材もたま﹁大食調の入調なむ︑まだ知らぬものにて︑うけたまはらむと思ふ給ふ﹂などい
ふぢなみの下第六I詔
三なシたり1和本︑国本︑蓬本﹁な塗た﹂︒
板本に拠り補ふ︒ 一をとざl和本︑国本﹁をと﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒二上ず1国本﹁上首﹂ あぜら︵宗俊︶さねっなはかせむすめはらむれた武按察の御子には︑備中守実綱といひし博士の女の腹に︑右大臣宗忠のをとぎ︑ほりかはひだりをとま︵俊房︶むすめはらをとゞむねすけちか又堀河の左の大臣の御女の腹に︑太上の大臣宗輔など︑近くまでをはしき︒右のをとぎなかさいばら二ずつれ大臣は中の御門のをと蛍とて︑催馬楽の上手にをはして︑御遊には常に拍子とり
給けり︒
ざへ三雄シたりふみつく御才もをはして︑尚歯会とて︑年老たる時の詩つくりの七人あつまりて︑文作
をこなからくにか舞こなたまる事行ひ給ひき︒唐国塗︑白楽天ぞ序書き給て︑行ひ給へりける︒此国には︑是
くはふたおびきこちか加へて︑三度になりけり︑唐国には二度とて︑まさりたる事にて聞へ侍しに︑近 たらうさむさとまへわらはをしふに︑けしきかはりて︑太郎にて侍ける公里が前なりけるを︑﹁この童に教へ侍のちさづ封ぽよりて後にこそ︑こと人には授けたてまつらめ︒是はたちまちに思し寄るまじきこ
ったと﹂易いひければ︑﹁この君伝へられむこと︑たちまちの事にあらじ﹂とて︑名ぷとかへいとしふかき簿取り返て︑帰り出で蚤︑年へける後︑心深くうか蛍ひて︑聞かむとする也けり︒むかししふかさづ︵宗俊︶昔のもの鴬師は︑かくなむ心深くて︑たはやすくも授けざりける︒その大納言は︑5
みちさやうに道をたしなみて︑やむごとなくなむをはしける︒
から人のあそび
10
I59から人のあそび
二御とも人1国本﹁御ともの人﹂
三から1国本﹁かう﹂
四も1国本なし︒
五も1国本﹁もち﹂ |のI和本︑国本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ わたからをこなわたきく渡りたる唐人の︑又後に行ひたる︑もて渡りたりけるとぞ聞蔓侍し︒年の老た
つくあそたびるを上薦にて︑庭にゐならびて︑詩作りなど︑遊ぶことにぞはくなる︒この度は︑みさまきのかみためやすをきな一つぎ︵宗忠︶諸陵頭為康といふ翁︑一座にて︑その次に︑このをとぎ大納言とてをはしけむ︒
とうあそびいとやさしく侍にし︒蔵人の頭よりはじめて︑殿上人垣下して︑唐人の遊のごとことみく︑この世の事騨も見えざりけり︒5
おとふとむれすけおほBそとⅣふえたまふる弟の宗輔の太政大臣は︑笛をぞきはめ給へりける︒あまり心ぱへ古めきて︑こ よひときくぽうたむつくたの世の人にたがひ給へりけり︒菊や︑牡丹など︑めでたくおほきに作り立てシ︑
このもたてまつよえうじたま好み持ち︑院にも奉りなどして︑こと入︲︑の世の用事など︑いと申給ふとなりけ
あし二ともをまをもり︑あまり足ぞはやくおはすとて︑御供人も追ひつき申さ蟹りける︒思ひかけぬことあちさむしこのか三からかみみとぬ事は︑蜂といひて︑人刺す虫をなむ好みて飼ひ給ける︒唐なる紙などに蜜塗りて︑皿
些ごシ四ときあそさ捧げてありき給へば︑いくらともなく飛び来て︑遊びけれど︑つゅ刺したてまつあしたかつのみじかはねまだらなよめしる事せざりけり︒足高に︑角短︑羽斑などいふ名つけて︑呼ばれければ︑召にしきしきむたがひて︑聞夢知りてなむ来っ塗群れゐける︒
具〃へ五さだをさなめ上などいふ人も︑いとも定め給はざりけるにや︑幼き女のわらはべをぞ︑あま
ふしした御ふところには伏せてをはしける︒知り給所より︑なにもて来らむとも知り給応あづあいはで︑預かりたるものなど︑取り出づる事あれば︑﹁こはいづこなりつるぞ﹂など
よをや︵宗俊︶いひて︑世によろこび給けりとぞ︒親は大臣にもなり給はざりしかども︑この
1
ふぢなみの下第六 Zm
七ことはりl和本︑国本﹁ことははり﹂︒蓬本に拠り改む︒ 六おとな和本︑国本﹁な﹂︒蓬本に拠り補
b◎
b心 五こぁろみ1国本﹁ころみ﹂ 二あまりl和本︑国本﹁あままり﹂︒蓬本に
拠り改む︒三に1国本﹁と﹂
四したしきl和本︑国本﹁したしたき﹂︒蓬本に拠り改む︒ |みの勤守1国本﹁美の少守﹂ ふたりたか二人は︑高くいたり給へりき︒︵宗忠︶こむねよしきこたま一みの動むすめ中御門のをとぎの御子は︑宗能の内大臣と聞え給ふ︒美濃守行房の女にやをは
じぐしすこすらむ︒大臣も辞湧給て︑御髪をろして︑まだをはすとぞうけ給はる︒少しをと
よわかかむだちめなしき人だにこの世にはをはせず︑いかなるにか︑若き人のみ上達部どもにもをよやとせ二のこ三はする世に︑八年にやあまり給ぬらむ︑ひとり残り給へるにこそ︒宰相の中将な5
ほどうちなをしゆる四したど申し程に︑内に直衣許さりてをはしけるとかや︒讃岐の御門の御時︑御身親し
かむ鱈ちめをもgこき上達部にもをはせぬに︑思ひかけずなど聞えき︒わきの関白かな︑ぞあざける
人などをはしけるとかや︒おほかたは事にあきらかに︑はかん︑しくをはして︑
たま御さかしらなども︑し給へばなるべし︒
マ﹄シ﹄をさなみかどつれ五こぁろいやすき事なれども︑幼くをはします帝︑常には五節の帳台の試みに︑出でさせ川みかど六いさし給事まれなるに︑讃岐の帝おとなにならせ給て︑はじめて出でさせ給しに︑御指
ぬgもむおさめどのおもあられぢくわむもむ貫︑なにの紋といふ事も︑納殿崖蔵人おぼつかなく思へるに︑﹁鍍地に粟の紋ぞ
とうことかし﹂などぞ︑蔵人の頭にをはしける時︑の給などして︑さやうの事あきらかに
みかどさしぬきたてまつひと泌せひとたびをはしき︒帝の御指貫奉ることは︑一年にた函一度ぞおはしませば︑おぼっかな
打も七︵宗能︶さいばらこゑく思へる︒ことはりなるべし︒このおと蛍も︑催馬楽の上手にをはして︑御声め喝こぞうながざねむすめはら︵宗家︶でたくをはすと︒その御子は︑贈左大臣長実の女の御腹に︑中納言とておはすと
ぞ︒
16I
から人のあそび︵宗忠︶をとゞこむねなりせうふむねしげ右の大臣の御子には︑又左大弁宰相宗成とてをはしき︒又刑部の少輔宗重とて︑ぴはひよるかはら琵琶弾き給人をはしける︒なにごとの侍りけるにか︑夜河原にて︑はかなくなり
かたきも給にけり︒いかなる敵を持ち給へりけるにか︒また山階寺に︑覚晴僧都と申しも︑をなはら皆同じ御腹なるべし︒その僧都こそ︑すぐれたる智者にをはすとうけ給はりしか︒
のりとむねすけをほきをとぎ法もよく説き給とて︑鳥羽院などにても︑御講つとめ給ひき︒宗輔の太政大臣の5こさき︵俊通﹀ふえをやとの御子は︑前の中納言兵部卿と申とかや︒笛も︑親の殿ばかりはをはせずやあらむ︑
ふ・吹き給ふとぞ︒︵俊家︶をとまきむだぢもるかぬこ︵家輔︶大宮の右の大臣の君達あまたをはしき︒宰相の中将師兼と申も︑その御子に少
をとふともととしすけのぷなりgこ将をはしき︒宰相の弟に︑基俊の前の左衛門の佐と申しは︑下野の守順業と聞え
むすめはらすけよつく色言や﹄し女の腹にやをはしけむ︒その左衛門の佐は︑奇詠み詩作りにておはすと聞え侍加
しが︑さばかりの人の︑五位にてやみ給ひしこそくちをしく︒あまりすぐれて︑
にいはもしみづよ人似ぬ事などのけにやありけむ・﹁岩漏る清水いくむすびしっ﹂など詠み給へるなぁをきない毎宮や﹂ぞかし︒九十許までをはしき︒七の翁にも入り給へりけるとぞ聞へ侍し︒山の座
毎査や﹂︵俊家︶︵子と︶gこ主寛慶と聞へしも︑大宮のおと蛍の御事ぞ聞えし︒大乗房とや申けむ︒
ふぢなみの下第六 I"
|申し1国本﹁申しここうせl和本︑国本﹁う﹂︒蓬本に拠り補ふ︒ すゑこむねみち︵俊家︶どのこ末の子にやをはしけむ︑大納言宗通の民部卿と申しこそ︑大宮殿シ御子には︑
すゑさかあこむねと堅きめき給しか︒末もひろく栄へ給へり︒白川院をぼえにをはしき︒阿古
gこうたよよ丸大納言とぞ聞え給ひし︒歌などもをかしぐ詠み給ひけるにこそ︒行尊僧正の夜
ゐとこわすよむかし居して︑独鈷忘れ侍りける︑っかはすとて詠み給へるこそ︑いと昔の心ちして︑5
くさまくらとこけさを草枕さこそかりねの床ならめ今朝しも起きて返べしやはかへをとき返しは劣りけるにや︑え聞曇侍らざりき︒
きむ麓ちあきすえむすめはらをほの鐘みちふゑその君達︑顕季の三位の女の腹に多くをはしき︒信通の宰相の中将と申し︑笛
ふ
し
︽
ぬ写︾﹄むさよく吹き給けり︒是も世をぼえをはすと聞え給ひき︒白川の院の︑殿上人に武者さうずくしげめゆいすいかむ色やなぐひをの装束せさせて︑御覧じけるに︑滋目結の水干着て︑胡錬負ひ給へりけるこそ︑咽
しなともきみあるじ品のすぐれてをはし蔓にや︑ことひとは供人のやうにて︑この君こそ主などいは
二うむやうにおはしける︑と人の申し︑ひがごとにや︒わらはやみして失せ給にける
きしやまひつれきとぞ聞堅侍りし︒いと人の死なぬ病とこそ常は聞蚤侍に︒すゑもの︵宗通︶うほどおほかたはこの御末︑御物易けのこはくをはするにや︒民部卿の失せ給ける程 たびねのとこ
la3たびねのとこ
ニまさしくも1国本﹁まさししく﹂ 一のたまはせl和本︑国本﹁のたませ﹂︒蓬本に拠り楠ふ︒ まさにも︑﹁家正がありつるは︑まだあるか﹂などのたまはせければ︑﹁さも侍らず︒
としはかなくなりて︑年へ侍にしものは︑いかでか侍らむ﹂など︑人申ければ︑﹁う二いゑまさやかきて︑まさしくもありつるものを﹂とのたまひけるは︑その家正といふが︑をやゆづところとおもほどよせぷみたてまつあづ親の譲りたる所を取り給けるを︑からく思ひける程に︑﹁寄文を奉れ︑預けむ﹂
たてまつあづきこと侍ければ︑よるこびて奉りけれど︑預からざりけるとぞ聞え侍し︒5
まさきこきこ
︵ 僧 通
︶
家正とは︑さねしげとて︑式部の大輔とか聞ゆるが︑をぢになむ聞えし︒故宰
う︵宗通︶とのさぷらい相の失せ給けるにも︑﹁卿の殿をはしまされば︑侍はむとて﹂などいひて︑出で
きところむすめたづい簿かへきこ来たりけるとかや︒さてその所は︑女尋ね出して︑返さるなど聞え侍し︒後はい
はぺか蛍侍りけむ・︵俊家︶どのものこれならず︑大宮の大臣殿騨物あけなどいふものも侍なり︒年老たりける僧の皿
しところさまた虫いひく知る所侍けるを︑それも妨げ給ければ︑参りて︑中門の郎に︑つとめてより日暮いゑっ︵宗通︶る塾までゐたりけれど︑家人も御けしきにやよりけむ︑申も継がざりけるを︑民
ぞさなわかぎみあそそう部卿の幼くて︑うつくしき若君の︑遊びありき給に︑この僧のいとをしく︑つく鉢とのいだか︑と居りければ︑とぶらひて︑﹁われ申さむ﹂とて︑殿に申給ければ︑人出し
とところうたて問はせ給けるに︑﹁しか入︲︑の所の事︑訴へ申侍﹂と申ければ︑そのよしある唱
一﹄し﹄いだ事など︑こまかにいひ出し給けるを︑﹁事はりの侍らむは︑とかく申べくも侍ら
しひきしいのちたず︒年来も知るべくてこそは︑久しく知り侍らめ︒なにかは申べからず︒命の絶
ふぢなみの下第六Z64
|伊よ国本﹁伊与﹂
むねみちこれみちその宗通の大納言の次郎にをはせし︑太上大臣伊通のをとどをはしき︒詩など脚
つくてかかむだらめ作り給かた︑いとよくおはしけり︒手もよく書き給けり︒よき上達部にてをはし
よむ﹂△秒をりけるに︑あまりいちはやくて︑世のものいひにてをはしける︒篭りゐ給へりし折ごかうみへむも︑御幸など見給て︑﹁百大夫変じて︑百殿上人になりにけり﹂などのたまひ︑
こもくるよことえぽうし又﹁寵りゐたるは苦しからねど︑世にまじろはまほしき事は︑人のいたく烏帽子 え侍なむずる事のかなしく﹂と申けれど︑いはれのあればとて︑かなひ侍ざりけいのらたわかぎみなさければ︑﹁いかにも命絶え侍なむとす︒た賀し若君をば︑情をはしませば︑まもりものいたてまつらむ﹂と申けれど︑それも物蚤けに出でけるを︑﹁まもらむといひしは﹂
ちざをもなどありければ︑﹁さ申契り思ふ給れば︑まもりたてまつるに︑そのゆかりと思
まいよによりて︑をのづから参り寄るなり﹂とぞいひける︒5︵信通︶包むだちもとたかむすめはらゆきみちきこ宰相の中将の君達は︑基隆の三位の女の腹に︑行通の中将と聞え給し︑っかさ
じほうしばら︵僧経︶ふたも辞塗給へりし︑法師になりてをはすとぞ︒事腹のいまひとりをはすとかや︒こ
り−よgこな人ながら伊予の入道を聞え給こそ︑思ひかけぬやうなる御名シるべし︒
ゆみのね
1節ゆみのね
二をもl和本﹁も﹂︒国本︑蓬本に拠り補ふ︒ |も1国本なし︒ しりたかゆ一おもよにの尻の高くあげたるに︑うなじのくぼに結ひてむとも思ふなり﹂など︑世に似ぬのぷよりかみむさのちぞこなみゃうにのたまひけり︒又信頼の衛門の督︑武者をこして後︑除目行へりし︑見給
ゐぞほころては︑﹁など井はっかさもならぬにかあらむ︒井こそ人は多く殺したれ﹂など︑
かやうのことをのみ︑のたまふ人になむおはしける︒
幸﹄JU寵りゐ給し事は︑宰相にをはせしに︑﹁われより上薦四人中納言になれるに︑5
のこわれひとり残り︑たとひ上薦なりとも︑後に宰相になりたる人もあり︒われこそかみ二なるべきに︑ひとりならず﹂とて︑宰相をも︑兵衛の督をも︑中宮の権大夫をも︑たてまつひきこも
︾
﹄
みな奉りて︑久しく寵り給へりき︒人に越えられたる事もなし︒ことひとならば︑はらたこもためみち寺﹄さてもをはすべけれど︑腹立ちて龍り給へりしに︑為通の宰相︑太郎子にをはせ
ほど︵伊通︶をとゞし︑讃岐の御門に御をぼえにほはせし程に︑太上の大臣︑前の宰相にて︑成もか叩
へらで︑中納言になり給にき︒かむ稽場めれいき陣の座の除目に︑上達部になる例︑これやはじめて侍りけむとぞ聞易はべりし︒︵崇徳︶︵鳥羽︶︵忠通︶葛ぽ内より院に申させ給︑﹁はからはせ給へと︑関白に仰せられよ﹂など申させ給け
きそく
︵ 忠 通
︶
るにや︒さまで御気色あしくもなかりければ︑さなどせさせ給を︑法性寺のをとことたび武関白にて︑あるまじき事塾︑度ノ︑申させ給ければ︑いつとなくしぶらせ給け晦たびつかひを虫へをこなれど︑度/︑御使ありて︑陣の座にて︑中納言に成給にけり︒御前にて行はる巽
除目にこそ︑上達部はなさるなるに︑是よりはじまりて︑このごろは︑さてなさ
ふぢなみの下第六I"
二かちにこむ1国本﹁かちかこんか﹂ |はさりがたくl和本﹁さはりがたく﹂︒国本︑蓬本に拠り改む︒ ■客や﹄ニグヘとの一る蔓とぞ聞え侍る︒上の御せうとなれば︑殿にはさりがたくをはすべけれど︑例
一﹄し﹄なき事塾申させ給けるにこそ︒
か へ
いこもげくるまやぶ司ども返したてまつりて︑入り篭り給ける時︑積榔毛の車破りて︑家の前の大おほちとい湾やうしなせちゑ宮をもての大路に取り出して︑焼き失ひ給ければ︑節会の日にて侍けるとかや︒二かちこむすいかむさぬgさて褐に紺の水干とかに︑くれなゐの衣とか着て︑馬にて川尻へ︑かねとかいふ5
すあそびのがり︑をはしける道に︑鳥羽の楼なむ過ぎ給ける︒﹁かくて年月をわた
︵東成︶せうそこりて︑ありかむとなむ思﹂と︑院の御おぼえなりし中納言に消息し給ければ︑さおぽまかみかどもと思しめしけれど︑うち任せてもえなくて︑帝のせさせ給ありさまなりけるな
るべし︒
前の宰相にて︑中納言になる例無ことなれど︑隆国の宇治に篭りゐて︑前の中皿
納言より︑大納言に成たる事の︑なぞらへっべきよりてぞ︑なり給ける︒宰相︑
まづかへしなさむと︑御けしきありけるをば︑さてはありかむとてもなかりけれ
●﹄し﹄︵雅定︶ば︑かたき事なれど侍けるなるべし︒さて入龍給し時︑中の院の大将︑まだ中納
をりゆみかたてまつかへ言など申し折にや︑その弓を借り給へりけるが︑っかさ奉りて︑返し申給とて︑
とめせてならあづさゆみね十年あまり手慣したりし梓弓かへすにつけて音ぞなかれける5
か へ
と侍ける返しに︑中の院︑おもすあづさゆみよさりとても思ひな捨てそ梓弓ひきかへす世もありもこそすれ
I67ゆみのね
四太上のをとぎ1国本﹁太政のをと〆﹂ この1国本なし︒三めI和本︑国本なし︒蓬本︑新古今和歌
集に拠り補ふ︒
五御こ1国本﹁御こは﹂ |かたき−和本︑国本﹁かたきき﹂︒蓬本に
拠り改む︒ かみと侍りけるかひありて︑衛門の督になり給へりき︒︵伊通︶むすめ︵星子︶まいささ色たみかどこのをと蛍︑近衛の御門の御時︑御女女御に参り給へりし︑后に立ち給て︑帝
ぐし︵忠通︶どのかくれさせ給にしかば︑御髪をろし給てけり︑九条の院とぞ申なる︒法性寺殿巽こまい
︾
﹄
なささg御子とて参り給へれど︑まことにはこの御子なれば︑いとめでたき御名シリ︒后
たむすめ|ことには立ち給へど︑院の御女︑一の人のなどならねば︑かたき事にぞ侍なる︒御み5
めも御けはいも︑いとらうある人になむおはすとて︑鳥羽の院も︑いとありがた
々しとしくとぞほめさせ給ける︒近衛の御門かくれさせ給て︑御髪をろし給て︑又の年五二たてまつ月の五日の日︑皇嘉門の院に奉らせ給ける︑
ぐさたもとむかしこあやめ草ひきたがへたる快には昔を恋ふるねぞか夢りける
かへその御返し︑0
をなたもといろ三かはさもこそは同じ快の色ならめ変らぬねをもかけてけるかな
﹄ 克 画 や
﹄
と侍りけるとぞ聞え侍し︒四︵伊通︶ぞとまたらう︵為通︶う太上の大臣の太郎にてをはせし︑宰相とて失せ給にき︒その宰相は︑次郎が大おほぢ︵宗通︶どのじたぎみわらはなこ郎にをはすとて︑祖父の大納言殿︑次太君と童名つけ申給けり︒その宰相の御子
やすみち︵成通︶こは︑このごろ泰通の少将と申なる︑侍従の大納言子にし給てをはしけり︒またも賜五こまうあ8たかむすめ御子をはすとぞ︒伊実の中納言と申し塗︒其母従三位玄子︑顕隆の中納言の女の
はらぱらあに︵為通︶あにをとうと腹にて︑むかひ腹とて︑むねとし給しかば︑兄の宰相よりもときめき給︒兄弟み
ふぢなみの下第六I鈴
|かんだちめl和本︑国本﹁かたちめ﹂︒蓬
本に拠り補ふ︒
︵宗通︶なりみちかの九条の民部卿の四郎にやをはしけむ︑侍従の大納言成通と申しこそ︑よる
のうおほgこふえうた■ご︾﹄いまやうづのこと︑能多く聞え給しか︒笛︑歌︑詩など︑その聞えをはしき︑今様うたひ
たぐひまりあしむかし︾﹄し﹄給こと︑類なき人にをはしき︑又鞠足にをはする事も︑昔もありがたき事になむ皿
場からいたままりか侍ける︒おほかたことに力入れ給へるさま︑ゆ愛しくをはしけり︒鞠も千日欠易いまやうごぱむごいしかぞをさうぞく打ぴずならし給けり︒今様も︑碁盤に碁石百数へ置きて︑うるはしく装束し給て︑帯
とみのりしなをなうた凸凹あかぞなども解かで︑﹁尺迦の御法は品か︑に﹂といふ同じ歌を︑一夜に百かへり数え
たまて︑百夜うたひ給ひなどしけり︒ ふゑふふたり︵伊通︶どのさ怠な笛をぞ吹き給し︑二人ながら大臣殿より先にかくれ給にき︒
これざねこ︵滴通﹀︵伊輔︶むねみち伊実の中納言の子に︑少将︑侍従など申てをはすなり︑宗通の大納言の三郎に
すゑみぁのかみふみしたまことぴはて︑季通前の備後守とてをはしき︒書のかたも知り給へりけり︒箏の琴︑琵琶な
すけたまど︑ならびなくすぐれてをはしけるを︑兵衛の佐より四位し給ひて︑この御中に
坐ん薦ちめ
上達部にもなり給ざりしこそくちをしく︒さやうの道のすぐれ給へるにつけても︑5いろすぐ色めき過し給へりけるにや︒
かりがね
Imか り がね
|﹁あまり﹂より一七○頁一六行﹁侍ける﹂まで︑和本︑国本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ むまのかは馬に乗り給をすぐれてをはしけり︒白川の御幸に︑馬の川にふしたりけるに︑
くらうへたぬ鞍の上にすぐに立ち給て︑露濡れたる所をはせざりけるも︑ことひとならば︑水
いはやわざにこそはうち入れられましか︒おほかた早業をさへならびなくし給ければ︑そり
くつかうらむほこざうへたまくるままへうしろついぢかへりたる沓はきて︑高欄の矛木の上あゆみ給ひ︑車の前後︑築地のうらうへ︑と蛍こほる所をはせざりけり︒5
いた心匡や﹄あまりに到らぬくまもおはせざりければ︑宮内卿有賢と聞えられし人のもとな
よるかよりける女房に︑しのびて夜/\さまをやつして通ひ給けるを︑さぶらひども︑いつぽねいおもいうふかなるものシふの局へ入るにかと思ひて︑うか蛍ひて︑あしたに出でんを打ち伏
したくおもなげれいせんといひ︑支度しあへりければ︑女房いみじく思ひ歎きて︑例の日暮にければ︑
なかたくるおはしたりけるに︑泣くノ︑この次第を語りければ︑﹁いと武苦しかるまじき事加
や﹄いなり︒きと帰来ん﹂とて︑出で給にけり︒
女房のいへるごとくに︑門どもさしまはして︑さきか︑にも似ずきびしげなりかたついぢこければ︑人なかりける方の築地を︑やす〆︑と越えておはしにけり︒女房はかく
きかへおもほどふくろ聞塾ておはしぬれば︑又はよも帰り給はじと思ひける程に︑とばかりありて︑袋
てもついぢこかへいを手づから持ちて︑又築地を越えて帰り入り給ひけり︒5
いあしたには︑このさぷらひども︑いづら#︑とそ易めきあひたるに︑日さし出
いたまつえもうふ嵐うづるまで出で給はざりければ︑さぶらひども︑杖など持ちて︑打ち伏せんずる設
ふぢなみの下第六1m
一ヱハ九頁六行﹁あまりに﹂より﹁侍ける﹂
まで︑和本︑国本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ めおりゑぽしけをして︑目をつけあへりけるに︑ことの外に日たかくなりて︑まづ折烏帽子のさgい漣つぎかさすいかんそでい潜先をさし出し給けり︒次に柿の水干の袖のはしをさし出されければ︑あはすでに
ほどあたくついだゑんとて︑をのノー︑すみやきあへりける程に︑その後︑新らしき沓をさし出して︑縁
をほどなそしをりさしぬきに置き給ひけり︒こはいかにと見る程に︑いときよらかなる直衣に︑織物の指貫
動につちひざつ着て︑あゆみいで給ひければ︑このさぶらひども逃げまどひ︑土をとりて膝を突5
くつおたいうしろまいつぼねきけり︒沓をはきて︑庭に下りて︑北の対の後をあゆみ参りければ︑局#︑たて
さは騒ぎけり︒いそいさうぞく中門の廊にのぼり給けるに︑宮内卿もたシずみありかれける︒急ぎ入りて装束
いや﹂し︾さはぺぉことして︑出であひまうされて︑﹁こはいかなる事にか﹂と騒ぎければ︑﹁別の事に
ときかようふは侍らず︒日ごろ女房のもとへ時か︲︑しのびて通ひ侍つるを︑さぶらひの打ち伏︑
まいせんと申よしうけたまはりて︑其をこたり申さんとてなん参りつる﹂と侍ければ︑
さはとびぺち宮内卿おほきに騒ぎて︑﹁この科はいか芦あがひ侍べき﹂と申されければ︑﹁別
たまはいの御あがひ侍るまじ︒かの女房を賜りて︑出で侍らん﹂とありければ︑左右なき
こととまうぐい事にて︑御車どもの人などは︑かちにて門の外に設けたりければ︑具して出で給
けり︒女房︑さぶらひ︑すべて家のうちこぞりて︑めづらかなることにてぞ侍け喝
つ︵︺◎からくにわか唐国易江都王と申けむ人も︑かくやをはしけむ︑おほかたは心若くをはして︑
I刀か り がね
七なりみち1国本﹁なかみち﹂ 六こ聾ろへ−国本﹁ころへ﹂ こすきものl和本︑国本﹁すむもの﹂︒蓬本
に拠り改む︒
五しばしl和本﹁しばしはし﹂︒国本︒蓬本
に拠り改む︒ 三けるl和本︑国本﹁けける﹂︒蓬本に拠り
改む︒
四なりみち1国本﹁なかみち﹂ |給1国本﹁給ひ﹂ むこ韓りてうど式︾しいだずしわらははじめて人の婿にをはしける折も︑調度の厨子かき出して︑呪師の童の御をぼえ
かもまうでぴらうあをなるに給などし給けり︒上達部になり給ても︑賀茂詣に︑横榔に青すだれかけな
このどし給︑しめたる事にはあらねど︑さやうに好み給けるなるべし︒わか二なだか若くより︑左の中将とて︑すきもの︑やさしき殿上人︑名高きにてをはしき︒
くもうへ五節などは︑雲の上︑皆そのまシなるやうにぞ侍ける︒いづれの年にか︑五節に5
とうまうた蔵人の頭たちの舞ひ給はざりければ︑殿上人たちはやみて︑いかにぞゃ︑歌#︑三かみきむゆ息ひとおもてひ給けるに︑右兵衛の督公行の︑別当の兵衛祐などや申けむ︑その人を表にをした四なりみらとう立てシ︑成通の中将かくれて︑うたひ給けるを︑頭の弁うれへ申されたりければ︑
をり五こもたまその折こそ︑御かしこまりにてぞ︑しばし寵りゐ給へりしかば︑白川の院には︑
なかいる御いとをしみの人にてをはしき︒殿上人の中に︑た蛍ひとり色ゆるさりてをはす刈
舞壱一﹄とぞ聞え給ひし︒ゆきふりかりきたま六こあろへ轌ほき雪降の御幸に︑ひきわたの狩衣着給へりとて︑心得ぬ事に仰せらると聞鱈給て︑
すけとをけぴゐしわらはちかつか資遠とて侍りし検非違使の︑まだ童にて︑御前にも近く使はせ給しに︑﹁わび申
gいだ七なりみ場よし聞かせまいらせよ﹂との給ければ︑はかなくうち出して︑﹁成通こそ︑ひき
幸﹄上﹄わたの事かしこまり申さぷらへ﹂と申たりければ︑あしよしの御けしきはなくてβ
gくわいおぼこのゑうすもの﹁まことに奇怪なり﹂とぞ仰せられける︒近衛のすけなどは︑かとり︑薄物など︑
いろもみぢそをも花の色︑紅葉のかたなど︑染めつけらるべかりけるを︑ひきわたあら?︑しく思
ふぢなみの下第六I瘤
二いる1国本﹁いか﹂ 一いふl和本︑国本﹁い﹂︒蓬本に拠り補ふ︒ ほしめしけるにや︒さぬさくらひよだいよ讃岐の院位の御時︑十五首の奇︑人か︑に詠ませ給けるに︑述懐といふ題詠み
給とて︑しらかはながたれくし白河の流れをたのむ心をば誰かは汲みてそらに知るべき
かう打もなみ鱈と講ぜられける時︑むしろこぞりて︑あはれと思ひあへりけり︒涙ぐむ人もあり5
うたよかへかりけるとかや︒おほかた歌なむども︑をかしぐ詠み給き︒帰る雁の奇に︑
こゑしそらかへかり声せずはいかで知らまし春霞へだつる空に帰る雁がね
よきこうたむまなど詠み給へるも︑きよくに聞え侍り︒恋の歌ども︑﹁恋せよとても生れざりけ
ふしらゆきおもいだきこり﹂︑又﹁降る白雪の奇もなく﹂なども︑わが心より思ひ出し給へるべし︑と聞えていとをかしぐ︒O
えなかなりはかせかた詩なども︑よく心得給へりけるなるべし︒左大弁の宰相顕業といふ博士の語ら
きつくいみ〃れけるは︑﹁詩の事などいはる勢聞けば︑﹃なにがし千里なども作りたる︑優に
きこすぞよ聞えて︑心澄むわざになむある︒万里といふになりぬれば︑又いふにも及ばず﹄
けうなどある︑いと興あり﹂とぞ侍りける︒ねなしらかは一ことあまり音泣きやうにぞおはしける︒鳥羽にて︑白河の院︑やぶさめといふ事御脂
たきぐちいあに覧じけるに︑滝口なにがしとかいふもの︑射むとしけるに︑兄湧て︑つはものシ
一一まとたみをとうといあにおぼえある家のものにて侍るなるが︑的立てけるを見給て︑﹁弟の射るに︑兄の
I窓か り がね
こども1国本﹁ど﹂三ふきI和本︑国本﹁ふ﹂︒蓬本に拠り補ふ︒
四をはせI和本︑国本﹁をせ﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
五皆I和本︑国本﹁み皆﹂︒蓬本に拠り改む︒ 一とてl和本︑国本﹁にて﹂︒蓬本に拠り改
む︒ まとた一な︵長実︶ゆさかね的立てによるか︒いとやさしき事なり﹂とて泣き給ければ︑二条の輔は︑﹁行兼
いgむかねまとたことがやぶさめ射むに︑公兼が的立てむ︑あはれなるべき事かは﹂とぞ侍ける︒また
むさうたよあそさしぬ9せぱみある源氏の武者の︑やさしく歌詠み︑遊びなどしけるに︑指貫のくシリの狭く見
えければ︑﹁をのづからの事もあらぱ︑さは︑きとあげむずるか﹂などいひて︑なみだみゐでらやま掌しほうけう涙ぐみ給けり︒また三井寺に侍ける山伏の︑法橋になりけるとかたらひ給ても︑5やまぶしみおほみねすがた三山伏ゆかしくは︑それがしを見よ﹂なむどいふらむこそ︑大峯の姿ゆかしけれ﹂
α否︾﹄などいひても︑うちしぐれ給けりと聞え給ひき︒やすき事も︑ものをほむる心ち
にて︑かくなむをはしける︒
をとうとしげみらgこにかよその弟の按察大納言重通と聞え給ひしは︑みめなどは︑似通ひ給へりけるが︑
すこのういま少しにほひありて︑あいづかはしきやうにをはしける︒いと能などをはせね加二ふえ程びわひ︵忠通︶つれしたさぷらとのども︑生の笛吹き︑琵琶弾き給き︒法性寺殿にぞ︑常は親しく侍ひ給けるに︑殿
すのちかも此大納言も︑過ぎておはする後など︑なつかしくさとかほる香ぞをはしける︒かほるふたり匂兵部卿︑薫大将など︑おぼえ給けるなるべし︒この二人の大納言たち︑御子も四五こやしなをはせで︑皆人の子をぞ養ひ給ける︒
15
ふぢなみの下第六IW
たかまつはらよしのぷ閑院の東宮の大夫と申も︑高松の御腹なり︒贈太政大臣能信と申︒白河の院の韓ほぢ︵茂子︶をやむすめ御祖父︑贈皇大后宮の御親にて︑まことの御女にこそおはしまされど︑いとやむ
とのつくたまかたはるとどとなし︒この殿は︑詩なども作らせ給ひけるとて︑人の語り侍しは︑﹁春に富
かうぺあたしるg︑わすふみめる山の月は頭に当りて白し﹂とかやぞ聞農侍しが︑まだ忘れ侍らぬ︒これは文5麓いつくゴカムなを題にて作り給へるに︑呉漢とかいふ人とぞいひし︒所の名易どをも︑さすがに
たどたどしくなむ申塗︒又御寄もうけ給はりき︒
か玄みてらくもりなき鏡の光ますノ︑に照さむ影にかくれざらめや
しらかはいせたゆふよ
か へ
ぬ客︾﹄と︑白河の院の御ことを︑伊勢大輔が詠み侍ける︑その御返りとぞ聞え侍し︒ひとはらにわじちか白河院一つ御腹の御いもうとは︑仁和寺の一品の宮とて︑近くまでをはしまし皿
ソウうときぐしき︒聡子の内親王と申なるべし︒後三条の院失せさせ給ひし時︑その日御髪をろ
すくらゐさせ給て︑仁和寺に住ませ給き︒さてをはしまし愛かども︑年ごとに︑っかさ位
たまはいサーたまなど賜らせ給き︒その御をと壁に︑伊勢のいっきにておはせし︑三品し給へりき︒
■写や﹂ひぐちさいつぎかも力俊子の内親王と聞へき︒樋口の斎宮と申なるべし︒次に賀茂のいっき︑佳子の内 ますみのかげ
Iだますみのかげ
二おとど1国本﹁をとど﹂ 一をはせ1国本﹁おはせ﹂ ■壱一﹂とみ親王と聞え給し︑御なやみによりて︑延久四年七月にまかで給き︑富の少路の斎
しはすい院とぞ申めりし︒斎宮は師走に出で給き︒
トクそなそのをとうとにて︑篤子の内親王と申しも︑みな同じ御はらからなり︒はじめ
たたまをなとしう延久元年︑賀茂のいっきに立ち給ひて︑同じ年五月に︑院失せさせ給にしかば︑
さきみふ前の斎院にておはしまし塾に︑むばの女院の御ゆづりにて︑准后御封など給はら5
たまほどほりかはきさきたたまみかどせ給へりし程に︑堀河の御かどの御時︑后に立ち給ひき︒帝よりは御年ことのほ
ようたはぺかにをとなにをはしましければ︑世にうたふ歌など侍りけるとかや︒︵能侭︶どのこ−謎ひ春宮の大夫殿は︑まことの御子もをはせねど︑三条の内大臣能長のをと茸の甥
や﹄ほりかは︵頼宗︶こにをはするをぞ︑子にしたてまつり給へりける︒まことには︑堀河殿の御子にお
は勘どの︵伊聞︶むすめうち二おと玄︵能長︶はす︒御母︑これも帥殿鼻御女なり︒この内の大臣の御子は︑中納言基長と申しⅢナリむすめはらこは︑贈三位済政の女の腹の子なり︒弾正の尹になり給へりしかぱ︑尹の中納言と
でら︵適覚︶ぞ申し︒三井寺に僧都とて︑御子をはすとぞ︒
むすめ尹の中納言のをとうと︑大蔵卿長忠と申おはしき︒母︑昭登の親王の女なり︒
ほど大弁の宰相より︑中納言になりておはせし程に︑中納言をたてまつりて︑われは
こ︵能忠︶大蔵卿になり︑子は弁になされ侍き︒この大蔵卿をば︑石山の弁とぞ申めりし︒喝かもかぎゆめみ賀茂にぞ限りなくつかうまつられし︑中納言までと︑夢にも見られたりけるとか
や︒
ふぢなみの下第六I"
四内親王l和本︑国本﹁親王﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
五にてl和本︑国本﹁て﹂︒蓬本に拠り補ふ︒ 二おと武1国本﹁をと〆﹂三かうぶりl和本﹁かうぶりき﹂︒国本︑蓬
本に拠り改む︒ 一に1国本なし︒
や
﹄
よした宏つくその子は︑左少弁能忠と申シ︑詩などよく作り給︒心さとき人になむをはしけ
わかうありいゑきこ幸﹂おなる︒若くてとく失せ給ひにき︒小将の入道有家と聞えし人の子に︑この弁の同じ
なほどいの名つきたるが︑わづらひける程に︑公伊法印といふ人に祈りをつけたりけるが︑おななとかよとか同じ名にて︑取り替へられたるとぞ︑世には申あえりし︒その取り替へられ人は︑
︵ 長 忠
︶
まだおはすとか︒大蔵卿のをとうとに︑山の座主仁豪と申もおはしき︒南勝房と5
ふたりぞ申めりし︒又律師などいひて︑二人ばかりをはしき︒又四位の侍従宗信と申も
垂否や﹂こ一にわじ聞へき︒その子には︑仁和寺に禎喜僧正とて︑東寺の長吏にて︑このごろおはす
とぞ︒︵基長︶おなはら︵能長︶こむすめ尹の中納言の同じ腹におはせし︑三条のおとぎの御女は︑白河院︑東宮におはと倉みやすgこくらゐつ
一 一 一
しまし瑳時︑御息所と聞へ給し︒御門位に即かせ給て︑延久五年︑女御の宣旨か脚
色こをむなみやうのちまいうぶり給き︒道子の女御と聞へき・女宮生みたてまつりて後︑内へも参り給はず
むすめ四五なりにけり︒承香殿の女御とや申けむ︒御女の善子の内親王︑伊勢にいっきにて
くだぐう下り給しに︑具したてまつりてぞおはしける︒七十にあまりて失せ給き︒この女
な御は︑又なにとかや申御名をはしき︒︵能侭︶舞なたかまつ︵明子︶はらあきのぷ春宮大夫の御をとふとは︑同じ高松の御腹の︑無勤寺の馬のかみの入道顕信の喝
会︾︾﹂そうなよをぼひえ君と聞へ給し︒僧の御名は長禅とぞ申なる︒十八にて︑この世思しすてシ︑比叡
︾
﹄ 4 画
︾
むかしがたりの山に寵らせ給し︑たふとくあはれになど︑ことをろかなり︒昔の物語どもにこ
I77ますみのかげ
|伊よかみ1国本﹁伊与かみ﹂ くかへながいゑたかまつまかに侍れど︑さのみやは繰り返し申侍らむ︒長家の民部卿と申も︑やがて高松
はらにはしもみよの御腹なり︒御野どもこそうけ給はりし︒﹁庭しろたえの霜と見えつとなど詠
さみ給へるも︑この御寄とこそ聞塗侍しか︒ただいゑすけいゑはェみこの大納言の御子に︑忠家の大納言︑祐家の中納言など申てをはしき︒母︑美のあかみもとさ麓むすめもとた衣とした式ふたり濃守基貞の女とぞ︒大納言の御子にては︑基忠︑俊忠二人の中納言おはしき︒そ5つねすけはらとした白よきこれは経輔の大納言の御女の御腹なり︒俊忠の中納言は︑それも奇詠み給と聞へ給
をとこよきき︒堀河の院の御時︑男女のふみかはしにも︑詠み給へるとぞ聞易侍しか︒その
gみた式なり息こ中納言の君たちは︑民部大輔忠成と間へ給し︒
あさひろ一よかみむすめはら又顕広の三位とてもおはすなり︒伊予守敦家の女の腹とぞ︒その三位の御寄も︑
うたgさぬこのごろの上手におはすとかや︒歌の判などし給とこそ聞易侍れ︒この三位︑讃叩
gみかどくらゐのち岐の御時︑殿上人におはしけるが︑帝位をり給て後︑院の殿上をし給はざりけれ
ば︑
かすみなげ雲井よりなれし山路をいまさらに霞へだて塗歎くころかな
よかへおほと詠みて︑女房につけてたてまつられ侍ければ︑御返しはなくて︑やがて殿上仰
くれませくだされけるとぞ︑撰集には︑﹁あやしやなにの暮を待つらむ﹂とかやいふ寄略
いあに︵快修﹀よたまgこぞ入り侍ける︒その兄塗︑山の大僧正とて︑経たうとく読み給ふおはすと聞へ給︒
ふぢなみの下第六I沼
二御おやl国本﹁御をや﹂ 一後朱雀l和本﹁御朱雀﹂︒国本︑蓬本に拠
り改む︒ は刀かたよ御門︑関白につぎたてまつりては︑御母方の君達こそ︑みな世にしかるべき人︵師輔︶なか︵離家︶にてはおはすめれ・九条殿の御子の中に︑三郎にをはしましらは︑関白たえずせ
︵公季︶おほさをとますゑさせ給︒十郎にあまり給へりし︑閑院の太政大臣の末こそ︑関白をし給はねども︑おほぢありさまうちっ蛍き御かどの御祖父にて︑さるべき人々おはすめれば︑その御有様申さむ5
は聾かたとて︑まず御かどの御母方を申っずけ侍なり︒おほぢほりかはどの︵基経︶おほぢ朱雀︑村上の御祖父は︑堀河殿︒冷泉院︑円融院の御祖父は︑九条殿︒花山の︵伊尹︶︵兼家︶は︑一条殿︒一条院︑三条院のは︑東三条殿︒後一条院︑後朱雀︑後冷泉院︑こおほぢみ鱈う︵迦長︶みかどほりかはどのひとの三代の御祖父は︑御堂の入道殿︒この十代の帝は︑照宣公と申堀河殿易一つ御
すゑ
末なり︒0
はぁかた︵三条︶むまごは塗み麓う後三条院こそ︑母方も御かどの御孫にをはしませど︑御母陽明門の院は︑御堂むまごひとながおほぢ︵能旧︶打なの御孫におはしませば︑一つ御流れ也︒白河の院の御祖父︑閑院の東宮大夫同じながニおやかみ怠むなりをななが流れにをはしますを︑まことの御親は︑閑院の左兵衛の督公成︑この同じ御流れ
すゑをと塗︵公季︶すゑなれど︑東三条殿の御末にはおはせで︑その御弟の閑院のをとずの御末なり︒こ・ 竹のよ
1忽竹の よ
おほきぞと愛むまご︵公成︶かみすゑおほの閑院の太政大臣の御孫にをはせし︑左兵衛の督の御末︑うちっ茸き御門の御祖
ぢかみさねすゑをほ父にをはす︒この公成の左兵衛の督の御子︑按察の大納言実季は︑鳥羽院の御祖
ぢ父なり︒つれひらむすめはらこの大納言の太郎には︑東宮の大夫公実と申き︒経平の大弐の女の腹におはす︒
わかよgこふゑふことひみめもきょらに︑和歌などよく詠み給と聞へ給き︒笛吹き︑琴弾きなどはし給は5こうぱいみちのくにがみまふゑこしことづめざりけれど︑紅梅の陸奥紙に巻きたる笛︑腰にさして︑琴爪おほしてぞおはしけ
ゆふる︒ことひとのさやうにせば︑あざけるべきに︑よくなり給ぬるは︑とがなく優
みにぞ見え侍ける︒
わかほどむまぱたずよ若くおはしける程にや︑右近の馬場にほと易ぎす尋ねに︑夜をこめてをはしたざうしきぐたなりければ︑女房車の雑色一人具したる︒さきに立てりけるに︑ほとシぎすも鳴か加あゆほどくひなたぁで︑やう?︑明け行く程に︑水鶏の叩きければ︑かの車より︑まくひなたぁいかにせむ待たぬ水鶏は叩く也
そくといひ送り侍ければ︑
山ほと塾ぎすか巽らましかばかへぞむなたれゆりはなとぞつけて帰り給にける︒女は誰にかありけむ︑百合花にやとぞうけ給はりし︒晦
よいかにもやさしく侍けることかな︒この世には︑さやうの事ありがたくぞあるく
よお臆gこき︒詠み給へる寄多かる中に︑いとやさしく聞へ侍しは︑