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園 部 裕 子

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81巻 第4 20093 101‑121

西アフリカの移民「志願者」による 越境と

EU

の共通移民政策

― ス ペ イ ン 領 セ ウ タ , メ リ リ ヤ , カ ナ リ ア 諸 島 を め ぐ る 攻 防 ー 一 一

園 部 裕 子

1.  は じ め に

(!) 

2000年以降,ヨーロソパ大陸とアフリカ大陸の「国境」を「非合法的」に越 境しようと試みる人の流れが後を絶たない。一般的なイメージでは, 2つの大 陸の「境界」を越えるには,地中海を横断しなければならないように思われる。

だがここにも,ヨーロyパ列強によるアフリカ大陸の支配と分割の遺産があ る。地図上ではほとんど目立たないが,アフリカ大陸の沿岸にも,またアフリ カ大陸の上にも,歴とした「ヨーロッパ」領内であるスペイン領の「飛び地 (enclave)」が存在する。アフリカ大陸上にあるのは,セウタ,メリリャとい う地中海岸のモロソコ領土上に点在する「飛び地」である。またアフリカ大陸 沿岸に存在するスペイン領には,モロソコの占領地赤道サハラ沿岸に位置する カナリア諸島がある。さらに,リビアーイタリア国境, 2004年にEUに加盟 し最南端の「国境」地帯となったマルタでも,「志願者」の標着が増加してい る。移民「志願者」たちは,このアフリカ大陸にもっとも近い「ヨーロッパ」

を目指して,陸路で,あるいは海路で,「渡し屋」と呼ばれる移住介助人グル ープの手を使って「旅」に出る。

(1)  Carling (2007 b) 1951年 の ジ ュ ネ ー ヴ 条 約 で は , 庇 護 申 請 を 目 的 と す る 場 合 に は 法 に 基 づ い た 方 法 に よ ら な い 入 国 が 認 め ら れ て い る こ と を 指 摘 し て い る 。 西 ア フ リ カ か らの移住には経済的な理由による移民と,紛争を理由とするいわゆる難民も含まれてい る 。 し た が っ て , こ こ で 検 討 す る 越 境 を 試 み る す べ て の 人 が 法 に 則 っ て い な い と は 断 定 できないことに留意したい。

(2)

‑102‑ 香川大学経済論叢 640 

近年,こうしたアフリカ大陸からの移住の流れは急増しつつある。これを問 題視するヨーロ)パ連合(以下, EU),特にフランス政府が中心となって,ア フリカ大陸と地理的に隣接する加盟国沿岸において「非合法」移民に対する「砦」

(2) 

を形成するため, 2005年に「国境」警備担当庁「FRONTEX」を設立するなど 対策を打ち出している。ヨーロッパ側は,移民を流出させているとして北アフリ

力や西アフリカ諸国に対する圧力を高め,これらの国々からは,ヨーロソパの

「国境」を送出国内に「外部化」する動きであるとして猛反発が起こっている。

本論は,ヨーロソパーアフリカ「国境」をめぐる攻防の実態を,アフリカ大 陸からヨーロッパヘの越境経路に焦点をあてて分析し,それに対する EUの共 通移民政策の方向性を探る試みである。アフリカ大陸の中でも北アフリカのマ グレブ諸国(モロ)コ,アルジェリア,チュニジア)と屈別してサブサハラ・

(3) 

アフリカと呼ばれるサハラ以南,特にフランス語圏西アフリカ出身者に注目 2000年以降に増加しつつある越境の方法を明らかにする。

一般に「移民」とは,受入国ですでに労働あるいは生活している人のことを 呼ぶが,ここで越境を試みる人々は,最終目的地をヨーロッパと仮定すると,

未だにそうした「移民」の地位にあるとはいえない。ところが,サブサハラ・

アフリカを出てマグレブ諸国に入国し,ヨーロソパヘの越境の機会をうかがう 人々は,すでに出身国には居住していない。チャンスを狙う間にマグレブ諸国 で生活のために労働し,そのままそこに定住してしまう事例も少なくない。彼 らは結果的には移民になるかもしれないが,その過程では未だに移民を「志願」

しているに過ぎない。そこでここでは,故郷を離れ,国境を越え,さらにヨー ロッパヘの越境を目指すこれらの人々を,移民「志願者」と呼ぶことにする。

ヨーロソパヘの越境には先述のようにスペイン領以外にも,イタリア,マル

(2)  FRONIEXは,フランス語で「外部境界」を意味するfrontii:reexterieureの頭文字をとっ た名称である。その目的は国境警備を通じて加盟国市民の自由と安全を守ることである とされている (http://wwwfrontex europa eu/)

(3)  そのため本論では,北アフリカ諸国をマグレブと呼び,サブサハラ,アフリカを単に アフリカと呼ぶことにする。両者は,統計などではアフリカと一括して表されることも ある点に留意したい。

(3)

タ,さらに南アフリカのマダガスカルに近いコモロ諸島などが入り口となって

(4) 

いる。ここでは事例を限定し,アフリカ大陸と距離的に近い位置にあるヨー 口;;パ,つまりモロッコ領土に近接するスペイン領の「飛び地」,そしてモロッ コ沿岸にあるスペイン領カナリア諸島への越境について検討する。

2000年代に建設ブームだったスペインは,多数の労働者を必要とし,これ らの領土に上陸する「非合法」移民を一定の条件下で拘束するものの,最終的 には本土へ移送し解放するという事実上の受け入れ政策をとってきた。そのた めマグレブ諸国からは,すでに 1990年代に,地中海を越えてヨーロッパ領へ の越境を試みる移民志願者が増加していた。 2000年代に入って新たに,サブ サハラ・アフリカからの志顧者が急増する。ギニア,カメルーン,ニジェー ル,マリ,セネガルから,ヨーロ;;パヘのトランジ;;ト"ゾーンであるマグレ ブ諸国,さらにリビア,あるいは「エルドラド」スペイン領を目指して,毎年 数万人規模の志願者が越境を試みるようになった。当初はモロッコ領に隣接す るスペイン領セウタ,メリリャを目指す陸路からの越境が中心だったが,以下 に述べるように, 2005年以降はカナリア諸島をめざす海からの越境経路が主 流となっている。

こうしたハイ,,リスクな越境には,「渡し屋」と呼ばれ,越境の手段を提供 する組織の存在がカギとなる。移住を支援する「渡し屋」は世界中に存在して いる。「渡し」の実態調査は緒に就いたばかりだが,ここでは西アフリカのマ

(5) 

リ共和国における現地調査をもとに,西アフリカで羨望の的となっている「エ ルドラド」ヨーロ;;パの表象がどのようなものなのか,また「渡し屋」の実態 がどのようなものかを考察したい。

(4)  地理的にはコモロ諸島の一部であるマイヨ;;トは,マダガスカルとともにフランスの 植民地支配下にあったが, 1975年の独克に際する住民投票でマイヨ;;ト島だけがフラン ス領への残留を決定したため,この島だけがヨーロ;;パ領になった。そのためコモロ諸 島の他の島との間の経済格差が拡大し, マイヨ;;トヘの「非合法」入国が増加している。

(5)  筆者はフランスでの移民女性団体の実態調査とあわせて,西アフリカでもマリを中心 として定期的に社会調査を行ってきた。以下の記述のもととなった現地調査は, 2005 7 8月に4週間, 200512 20061月 に2週間, 20067 8月 に3 200612 20071月に3週間, 20083月に2週間,行った。

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‑]04‑ 香川大学経済論叢 642 

以下ではまず,西アフリカにおいて,「エルドラド」として描かれる「ヨー ロッパ」の表象について検討し,出稼ぎや移住が若者たちにとって人生のス テップとして捉えられていることを明らかにする。次に, 2000年以降のアフ リカ大陸からヨーロッパヘの越境の実態を分析する。最初に報道および先行研 究を参考に, 2005年の飛び地への越境の実態を明らかにする。次に,セネガ ルヘの5年間の出稼ぎの間,カナリア諸島への越境を夢見で情報収集していた というマリ人男性への聞き取りとカナリア諸島側の報道をもとに,海からの越 境の実態を明らかにする。最後に,スペインを始めとするヨーロソパがこうし たアフリカ移民の排除,あるいは締め出しを意図して繰り広げられる「国境の 外部化」と新しい移民政策の傾向を検討する。

2. ア フ リ カ か ら ヨ ー ロ ッ パ ヘ の 移 民 の 傾 向

2.  1 アフリカにおけるヨーロッパの表象

まず,西アフリカにおいて,ヨーロソパはどのようなものとして伝えられ,

人々の目にどのような地として映っているのだろうか。先にヨーロソパが「エ ルドラド」として描かれていると述べたが,西アフリカの人々にとって,ヨー ロソパは,さまざまな工業製品の溢れる豊かな社会に他ならない。その豊かさ は,現地社会では,絶対的な格差として体感される。というのは,西アフリカ では,車や電気製品などの工業製品はもちろん,鉛筆やノートといった軽工業 産品に至るまで,アフリカ大陸内では工業化の進んだコート"ジボワールやナ イジェリアといった国の製品が出回る以外,多くがフランスやイタリアなどヨ ーロソパから流れてくるものだからだ。

近年では,中国からの衣料品や,プラスチック製品,バイクや車などがそれ に加わっているのも事実である。調査を行ったマリでも,安価な既製品を売る 首都バマコ市中心部の市場では,売られている商品のほとんどが中国製だっ た。マリではお茶を沸かして飲むことが人々の日常生活に欠かせないコミュニ ケーションの場として定着しているが,そのお茶道具も,小さなポソトから茶 葉そのものまでが中国からの輸入品である。

(5)

しかしやはり現地の人々の間で,一生に一度はフランスやヨーロッパヘ行っ てみたいという夢が共有されているのも事実である。そしてヨーロッパヘ行け ば仕事などいくらでも見つかるのだろうというのが,一般的な認識である。実 際に 1ヶ月でも出かけようものなら,直ちに一財産を稼いで帰って来るものと 想像される。手ぶらで帰ることは「一家の恥」であり,村の笑いものになるこ とを意味する。財産になるのは,例えば,出身村に家を建てるか事業を興すた めの資金,あるいは身を起こすための学歴である。

物に溢れた,立身出世を可能にする地としてのヨーロッパという表象は,移 民たち自身のふるまいによって一層ゆるぎないものとされていく。フランスに 在住する移民自身も,一度移住した人間はなんらかの財を獲得してからでない と,帰国するものではないと考えている。移民は,自分たちがヨーロ)パで 被っている差別や屈辱については伏せ,ヨーロッパは何不自由なく暮らせる素 晴らしい所だということしか語ろうとしない。

パリに移住し,仲介者として活動していたマリ出身のある女性移民は,一時 帰郷の際には,自分と子ども 3人の旅費に最低2千ユーロ,家族への電気製品 などの土産代に2千ユーロ,滞在中に家族の生活費すべてを賄うために2千ユ ーロ,計6千ユーロが必要だと見積もっていた。ところが当時,彼女は失業中 で,家族手当など月 800ユーロの収入で子ともを養っていたため,そのような 帰郷の資金を蓄える余裕などなかった。

筆者がマリで訪問した彼女の兄弟2人は,マリの地方都市で看護士や医師と して働くエリートだったが,そうした恨帯でも,家族を養うためには主食にす る粟の畑を耕す必要があった。彼らは国際電話で頻繁に連絡を取っていたが,

フランスの姉は失業中の生活の様子を語らないため,兄弟たちは作業に必要な トラソクや肥料を賭入する資金,バイクなどを買ってくれるよう彼女に頼んで いた。

このように期待をかける故郷の家族と,それに応えようとする移民自身の間 で「エルドラド」としてのヨーロソパのイメージは増長され,それがさらに移 住を動機づけることになる。

(6)

‑106‑ 香川大学経済論叢 644 

「エルドラド」ヨーロッパの姿は,西アフリカの映画や小説といったさまざ まな媒体のなかにも見いだすことができる。セネガルの著名な映画監督で,植 民地支配や西アフリカの腐敗した国家についての批判的な作品群で知られるセ ンベーヌ・ウスマンは,映画『モーラーデ』 (Sembene2004)で,フランスで 働いている移民を,外界の息吹をもたらす存在として登場させている。

出身村への彼の久しぶりの帰郷は,まさに「一旗揚げた」,英雄の「凱旋」と して描かれる。彼の車の上には電気製品の箱が山のように積まれている。車か ら降りた彼は,祝辞を述べる楽師らに札束を握らせる。足下には,村の女性た ちが身につけていた布が敷かれ,彼はまるで赤絨毯のように敷かれた布地の上 を自宅に入っていく。その後に続くのは,高々と掲げられる旅行鞄と,フラン スから持ち帰ったテレビやビデオの箱である。彼が自宅の庭に建てるパラボ ラ・アンテナは,ヨーロッパの工業製品や技術革新の象徴であるばかりでな く,移民生活そのもの一世界のどこにいても,パラボラ・アンテナで自国 の情報をキャ;;チする移動する民としての―を表象してもいる。

しかしながら,ヨーロ;;パで失業や差別に喘ぐ移民たちにとって,このよう な凱旋は容易には果たせない。センベーヌが皮肉を込めて描写する移民の姿 は,すでに現実の移民たちにとっても銀幕の中の夢と化しているのである。

2.2  1990年代以降の移住の傾向

西アフリカでは,移住は歴史的に人々の生活に根ざしてきた。サハラ砂漠に 住むトウアレグ族は隊商交易の伝統をもち,西アフリカと中近東の間で,金や 塩の交易を担ってきた。 DeHaars  (2008 : 15)は,こうした西アフリカの移住 の伝統は,ヨーロ Jパ諸国による植民地化とアフリカ分割,近代国家の設立と 国境線の導入によって崩壊したという。だが今日でも,西アフリカでは国境を 越えた移住労働が人々の生計手段の一つとして確立されているといってよい。

この地方の移民送出国マリ,チャド ニンエール,ブルキナ・ファソで 1970年代から80年代にかけて続いた干ばつが,農業や畜産業に甚大なダ メージを与えた。農業生産の停滞に加え,それに代わる賃金屈用を提供するエ

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業部門が発達していないことも,さらに移住労働を促進する原因となってきた (Arthur 1991 : 75)

移住とまでいかずとも,国境を越えた商業活動は,男性に限らず多くの女性 が行っていることである。筆者がパリで行った聞き取りでは,マリで高校を卒 業し,ある小さな企業で会計の仕事をしていたことがあるというバマコ出身の 36歳の女性が,国境を越えた商業経験について語ってくれた。彼女は,マリ

とベナン,セネガルなど周辺国の間を行き来して商売をしていた。マリでカリ

(6)  (7) 

テ・バターやコラの実を什入れ,鉄道でバマコからセネガルの首都ダカ・ールや 南セネガルの中心地ジガンジョールヘ行き,卸業者に売る。そして現地では魚 の乾物を什入れて貨物にし,マリヘ持ち帰って売るのである。こうした国境を 越えた商業活動を行う女性は,西アフリカでは珍しくない(小川2005)

しかしこうした移住や国境を越えた商業活動はおもにアフリカ大陸上に留ま るものであり,ヨーロッパヘの移住が企図されるには,さらにプッシュ要因が 必要である。 1990年代にアフリカ大陸からヨーロソパヘの移住が増加した理 由について, DeHaars  (2006)はリビアの対外政策の転換と西アフリカの政局 変遷を挙げている。国連安全保障理事会が1992年から2000年までリビアに通 商禁止令を出したことから,アラビア諸国からの支援を受けられなくなったリ

ビアは「パン・アフリカ主義」政策をとり,サブサハラ・アフリカからの労働 者を受け入れるようになった。このことが,これらの地域からリビアに向かう ためのサハラ越えの経路が組織化される契機となった。

次に, 1997年のコンゴ共和国におけるモブツ政権崩壊,さらに 1991年から

(6)  カリテ バター(英語ではシア バダー)は,カリテの木の実から採れる油脂のこと。

カリテの木は,サハラ砂漠と熱帯雨林地区の間にあるサヘル地帯の東西に,ベルト状に 分布し生育,世界で他に生育地区のない希少品種である。樹齢30‑50年を超えないと 実を付けず,植林もできない質重な木で,実から採れる油脂は,食用油や石瞼の材料に なるほか,皮膚の治療薬,赤ん坊のマッサージなどにも用いられる。大悩の実を集め,

油脂を採る作業工程には大変な労働力を必要とするが,伝統的に女性の仕事である。近 年,ヨーロソパや日本の化粧品産業がこのカリテに注目するようになっている。

(7)  コラの実は,特に高齢者が好む嗜好品。熱帯雨林地方でしか採れないため費重で,表 敬訪問や結婚申し込みの贈り物として用いられることもある。

(8)

‑108‑ 香川大学経済論叢 646 

2001年のシェラ・レオネ内戦, 1989‑1996年 お よ び1999‑2003年のリ ベリア内戦により,この地域からの移住の流れが活発になる。また, 1999 のコート・ジボワールでの内戦勃発と経済破綻は,それまで移民受入国として 重要な地位にあったコート,・ジボワールヘの移住労働が不可能になり,それに 代わる移住先が西アフリカに存在しないため,北アフリカヘの移住をさらに増 加させる要因になったという。

ただしCarling (2007 a:  13)は,紛争の存在だけをもって移住動機を示すこ とはできないとしている。 Carlingの分析では, 2003年にカナリア諸島とジブ ラルタル海峡に到着したサブサハラ・アフリカ出身者のうち,過去5年間に紛 争が起こった国の出身者は,わずかに12‑24%だけである。特にマリやセネ ガルなど紛争が起こっていない国からの移住の背景には,先述のように,気候

(8) 

変動や自然災害による農業不振,国内の絶対的貧困と雇用労働市場の低迷や,

帰国者がもたらす「エルドラド」としてのヨーロ;;パ観など,さまざまな要因 があると考えられる。

3.  さまざまな越境

(9) 

3.  1 サハラ越えとスペイン領「飛び地」

アフリカ各地から北上する移住者の流れは,当初,陸上経路からが主流だっ た。サハラ砂漠を横断するには,いくつかの中継地が存在する。図 lは西アフ リカの越境ルートを示している。越境)レートの主なものには,ニジェールのア ガデズからアルジェリアのタマンラセソトに入り,そこからアルジェリア北部 またはモロソコに抜けるルート,あるいはマリ東部のガオからテソサリヘ抜 け,アルジェリア国境に沿って北上しモロソコヘ抜けるルートがある。また近 年では,モーリタニアも重要な越境ルートとなっている (Baet Choplin 2005)

(8)  西アフリカでは近年,温暖化による砂漠化と干ばつが深刻な上, 2004 2005年に は移動性砂漠バ)夕が大晟発生し,アルジェリア,セネガルから中東ヨルダンにかけて 農業に大きな被害が出ている。

(9)  以下の越境についての記述は断りがない限り,フランス紙LeMondeおよびLiberation の報道による。

(9)

See inset maps for details in  the Gibraltar area  and the Canary Islands 

Scale  500 km 

Madeira  (Portugal) .̲,.

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Routesof unauthorized entry to Spain △ Points of assembly and waiting  Transit routes from West Africa 必 #Moroccan defensive berm  Departure areas of pateras/zadiacs  ((SIVE coverage 

二噂;に打ば~c;:,~:~e::os 』I二芯霊芯;芯悶~ction

1 アフリカ大陸からスペインヘの「非合法」越境ルート (Carling2007 a) 

これらの現代版「隊商交易」)レートは, 20世紀後半に西アフリカ地域が経 験した干ばつ,内戦,サハラ砂漠北部と南部との発展の差などを背景に,生活 難に陥った遊牧民族を主体として,中継地から中継地へのルートを切り開くか たちで形成されてきた (Bredeloupet Pliez 2005)。中継都市では,移民志願者 用のキャンプや商店が営まれ,「渡し屋」が北アフリカヘのトラック輸送を組

(10) 

織するなど,越境を支える「インフォーマル」経済が栄えている。これらの移 住ビジネスは,砂漠のオアシス都市で暮らす住民にとって,ほとんど唯一の現

(10)

‑110‑ 香川大学経済論叢 648 

(11) 

金収入手段になりつつある。

このようにマリは西アフリカの移民送出国だが,同時に,ブルキナ・ファソ やニジェール,あるいはさらに南の国々からの志願者が通過するトランジット 国になっている。マグレブ地方のモロッコやアルジェリアが,スペインヘの移 民送出国であると同時に,サブサハラ,,アフリカ諸国からの移民のトランジッ

ト国になっているのと同様の地位にあるといえる。

ところでヨーロッパとアフリカとの間の距離は,もっとも接近するジブラル タル海峡においては,わずか14キロ余りである。 2005年までアフリカ大陸か らもっとも近いヨーロッパの「玄関口」と考えられていたのは,このジブラル タル海峡に近いスペインの「飛び地」,セウタとメリリャだった。その海峡を 目指して,まさに地獄絵の攻防が繰り広げられた。

セウタはアフリカ大陸側のジブラルタル海峡のすぐ隣に,メリリャはその東 側に位置するスペイン領である。自治都市であるセウタは,アフリカ大陸にあ

りながらユーロ通貨圏にも統合された,「ヨーロッパ連合」の一端である。

そのアフリカ大陸上にあるヨーロソパの小さな「玄関口」は,鉄条網で囲ま れている。西アフリカの国々からヨーロッパを目指す人々は,マリ領内からト ラソクを乗り継いで,難関のサハラ砂漠を越える。運良くアルジェリア領を抜 けた暁には,モロソコに入り,セウタ,メリリャを見下ろす山林に身を潜めて

「境界」を越える機会を窺った。セウタ,メリリャ付近には,こうした移住待 機者が隠れ住む森があり,そこで多くの人々が粗末なキャンプを張って生活し ていた。

2005928日の夜更け, 500人の移民志願者たちは,手作りの梯子を用 意し,見張りが手薄になる夜更けを狙って,まさに身一つでその「エルドラド」

(10)  「義務教育」を受けられない子どもが多数を占め,「フォーマル」な労働市場にすら到 達できず,独自の方法で生計を立てることが西アフリカ社会の大多数の人々にとっての 生き残り戦略であることを考えると, どのような活動が「フォーマル」で, どのような 活動が「インフォーマル」か,などという区別は,用をなさない。

(11)  IRIN, le  16 octobre 2008, NIGER Le transport des clandestins traver:s  les  montagnes,  un commerce de plus en plus juteux

(11)

目指して疾走した。セウタは,モロ;;コとスペインの「国境」である。ところ が,モロッコ側の国境警備隊が,鉄条網を越えようともがく志願者たちに向け て発砲し,少なくとも 5人の死者が出た。また,鉄条網には危険な有刺鉄線が 張りめぐらされていたが,志願者たちは手袋も着けずにこれを越えようとした ため,多数の負傷者が出た。 10月にはもう一つの「飛び地」メリリャで,同 じ く モ ロ ッ コ 国 境 警 備 隊 の 発 砲 に よ り 越 境 を 試 み た6人 の 志 願 者 が 死 亡 855人もの逮捕者が出た。

また同じ時期,メリリャ付近におけるモロ;;コ側の哨戒の結果, 220人の志 願者が逮捕されている。さらにモロ;;コ警備隊がセウタ,メリリャから退去さ せた移民志願者たちをトラ;;クに乗せてアルジェリア国境付近の砂漠地帯まで 連行し,水も食料も与えずに置き去りにするという事件も起こり,現地で救出 に当たった「国境なき医師団」や「SOSラシズモ」などのNGOが非難声明を 発表した。国連難民高等事務所 (UNHCR)はこれらの越境者のなかに「本物 の難民」か含まれていないかどうか調査団を派遣し,アナン国連事務総長(当 時)も遺憾の意を表明するなど,アフリカーヨーロ;;パ越境者の存在は喫緊の 問題となった。この2つの事件をきっかけに,サハラ越えに対するアルジェリ ア国境警察の警備も強化される。アルジェリア側が志願者たちを取り締まらず やり過ごしていることをモロ;;コ政府が批判したためである。

こうした数々の事件から,セウタとメリリャというヨーロッパの 2つの「玄

(12) 

関」は,志願者たちの間ではプール語で「強い男」を意味する「ゴルグ」と呼 ばれるようになった。スペイン側はセウタやメリリャを取り囲む鉄柵の高さを

(!3) 

次第に高くしていったため,ヨーロッパの「新しい鉄のカーテン」と皮肉られ るようになった。

(12)  プール語は,西アフリカに広く居住する遊牧民族であるプール人の言語で,複数の民 族の間で使われる媒介言語でもあるため, プール人に限らず話者が多い。西アフリカ各 地から集まった志願者の間でも共通語として使われていると考えられる。

(13)  Meurop(2006)によると,現在,セウタおよびメリリャ国境の壁の高さは 6メート ルに達している。

(12)

‑112‑ 香川大学経済論叢 650 

3.2  海からの「越境」

しかしアフリカ大陸のそばにある「ヨーロッパ」は,飛び地だけではない。

陸路が閉ざされれば,今度は海上である。目指すのは,イタリア南端のシチリ アやマルタ島など地中海側の「境界」と,モロ;;コ対岸にある「ヨーロッパ」,

スペイン領のカナリア諸島である。海からの越境には,大西洋岸沿いの中継地 が使われる。まずサハラ越えの中継国マリのカイユからセネガルの首都ダカー ルヘ,または北上して西サハラヘ抜け,そこからカナリア諸島を目指す)レート がある。あるいはダカールから直接,カナリア諸島をめざすルートもある。

「飛び地」が閉ざされた2005年末以降,北アフリカで足止めされた多くの志 願者が,大西洋岸の中継地から,モーターを付けただけの小舟を操る「渡し屋 (Passeurs)」を使ってカナリア諸島を目指すようになった。 2006年に増加した この海からの越境は,イタリア側には22,016人,カナリア諸島にはたどり着 いただけでも 31,200人と,記録のある 2002年の9,926人に比べて3倍に達し (LeMonde, le 5 mai 2007)

この海からの「越境」を何度も考えたという,マリ人青年アマドゥに話を聞

(14) 

いた。アマドゥは,マリの故郷の村を離れ, 5年にわたってセネガルで出稼ぎ 生活を続ける中で,ヨーロ;;パに渡る可能性を探っていた。

アマドゥによると,渡しは組織的に行われる。「渡し屋」は,セネガルの海 辺の村の漁師たちである。彼らはカナリア諸島までの「海の道」を知っている。

「渡し」の料金は一人30万フラン・セーファー,日本円にして約76千円で ある。マリの地方の小村で小学校教員の月給が3万フラン・セーファー程度で あることを考えると,これは10ヶ月分の大金に相当する。舟に乗れるのは一 度に llO人から 120人である。「渡し屋」のボスは,一舟につき300万フラン・

セーファーを獲得して初めて準備ができる。舟を造り,漕ぎ手である漁師への 支払いをし, 9日分の軽食と飲み水を舟に積む支度金にするのである。 9 は,カナリア諸島までの「旅」にかかる正確な日数である。出発の日が近づく

(14)  筆者による聞き取り, 2008316日。アマドゥは筆者が滞在したモプチ地方のあ る村の住人である。名前は仮名である。

(13)

と,「渡し屋」はとにかく人数を稼ぐため,「渡し」の料金を下げ始める。人々 はその時を待ち,「渡し」の料金は,最後は5,000フラン"セーファーにまで 値崩れするという。そうして110人から 120人の乗船者が決まる。

「渡し」は,「非合法的」な越境において世界各地で用いられている手段であ Guilmotoet Sandron (2003)は,世界各地の「渡し」の価格相場を比較し ている。表1のように, 2000年頃のモロッコからスペインヘの越境の平均価 格は750アメリカ・ドルであり,アマドゥのいう値段とほぽ同水準であること

1 2000年頃の「非合法的」渡しの平均価格(アメリカ・ドル)

(Guilmoto et Sandron 2003) 

出発地 目的地 価 格

アフガニスタン イギリス 6,000  アルバニア イタリア 2,000  バングラデシュ ドイ;; 5,000  中 国 イギリス 45,000 

中 国 アメリカ合衆国 35,000  20,000から60,000と幅は広い 中 国 東 欧 12,000 

中 国 香 港 300  鞄 の 中 に 隠 れ る 方 法 中 国 日 本 12,000 

キューバ アメリカ合衆国

8,000  マイアミ在住の家族による支払い

(マイアミ)

フランス イギリス 600 

フランス イギリス 2,800  「安全な」越境 香 港 アメリカ合衆国(ロサンゼルス) 60,000  最 高 価 格

インド アメリカ合衆国 20,000  1998 3年 間 で7,000人 の 移 民 を 渡 した21人の渡し屋の逮捕

イラク イギリス 6,000 

モロッコ スペイン 750 

メキシコ アメリカ合衆国 150  国境の越境 メキシコ アメリカ合衆国 450  サン アントニオ メキシコ アメリカ合衆国 700  ロサンゼルス フィリピン クウェート 3,000 

スリランカ フランス 7,000 

3,000  世 界 平 均 価 格

(14)

‑]]4‑ 香川大学経済論叢 652 

が分かる。世界的な相場からすると非常に低価格であるが,カナリア諸島への

「旅」が軽装備なカヤックで9日にも及び, しかも以下で見るように命にも関 わる危険を伴うものであること,またおもな「顧客」であるサブサハラ・アフ リカ出身者の収入水準に比べれぱ高額であることなどを考えると,妥当だとい える。

乗船者の多くはマリ,ブルキナ ファソ,ニジェールなと,西アフリカ内陸 部の国からはるばるセネガルまでやってくる。当然,海を初めて見る人間も,

多い。「病気,目眩―一度も舟に乗ったことがなかった船客たちは,たちま ち船酔いに苦しむことになる。少しでも病気になった者はどんどん,舟から突 き落とされていく」,とアマドゥは言う。ぎゅうぎゅう詰めの船上で,少しで も場所を確保するためである。もちろん体調が少しでも悪いと,ほとんど飲み 水だけで,灼熱の太陽が照りつける小舟に揺られて9日間を乗り越えるのは,

不可能である。

舟の上には最初から, 9日分の水と軽食しか積まれていない。セネガル海岸 からカナリア諸島まで行くのにかかる日数は,きっかり 9日だからである。「渡 し屋」は「海の道」を知っているとはいえ,嵐や波の変化により,「道」を見 失うことも,もちろんある。もし9日目に辿り着かなかったら,それは,迷っ たということである。後は,ただ舟に揺られて死を待つだけである。

セウタ,メリリャ,カナリア諸島と,ヨーロソパの「玄関」を目指す人々の 間では,パスポートを持って行ってはならないというのが,常識中の常識であ る。最後まで持っていた身分証の類はすべて,海に捨てる。なぜなら,運良く

「ヨーロソパ」に上陸できた暁には,スペイン当局の尋問が待っているからで ある。そこで決して自分の身分を明かしてはならない。名前,出身村が分から なくとも,国籍が分かった時点で,その国に向けて退去させられるからであ る。マリ人であっても,セネガルヘ向けて送還されるとアマドゥはいう。だか ら皆,身分証を捨てるのである。アマドゥは, もし,あちらでの連絡先がある 場合でも,電話番号は頭にたたき込むか,小さなメモに書いてそれをベルトの 裏に隠すのだといった。

(15)

ところが,漁師の「渡し屋」たちは,パスポートを持って「旅」に出る。彼 らの「旅」は「渡す」ことが目的であって,移住ではない。彼らは,次なる什 事のために,セネガルに帰ってこなければならないのである。帰りの旅は,危 険な海路からは行わない。取り調べに際して彼らは進んで身分を明かし,喜ん で国外退去を受け入れ,スペイン政府がチャーターする飛行機に乗って凱旋す る。そして,また仕事に取りかかるのである。

しかしアマドゥは結局,「旅」には出なかった。 5年間,ほとんど音信不通 だった家族の住む村に,ある日突然,帰ってきた。長らく実家に行っていた妻 5歳になる小さな娘も,相前後して村に戻ってきた。出稼ぎの終わりの頃,

彼はセネガルの小さな農場で働いていた。畑で人参を栽培し,収穫ごとの儲け は労働者の頭数で割って分配されるという什事だった。そこで一緒に働き,同 じ部屋に寝泊まりして親しくしていた友人が,「旅」に出かけ,命を落とした のである。怖くなったアマドゥは,「旅」を実行に移さなかった。

4.  ヨーロッパ連合による越境防止策

4.  1 スペイン政府の抑止策

アフリカからの越境者の増加に対して,スペイン政府は数々の抑止策を打ち 出している。まず国境管理手段として,人間とモーターの接近を捉えるレーダ

(15) 

ーと,夜間でも撮影できる赤外線カメラを組み合わせたシステム「SIVE」を 設置した。 2004年時点ですでに稼働しているシステムは,スペイン領南岸,

ジブラルタル海峡から大西洋側にかけだ海岸線沿いと,カナリア諸島の本島フ エルテヴェンチュラのアフリカ側海岸である (Carling2007 c)。それ以外の海 岸線沿いにも,順次同じシステムが設置される予定になっている。

他方で,小舟による越境は常に危険を伴っている。 20075月には, 3 間で430人の移民がカナリア諸島に, 6月には380人がイタリア沿岸の島とマ ルタ島に到着した。だが,当然その背後には,数百人とも言われる脱落者,死

(15)  SIVEは,対外普備総合システム (Le systeme mtegre de vigilance exteneme)の略称。

(16)

‑116‑ 香川大学経済論叢 654 

(16) 

者がいると考えられる。セネガルの海岸には,アマドゥの友人のように「旅」

の途中で命を落とした若い元志願者たちの遺体が打ち上げられる。

命をかけた冒険を諦めさせるため,スペイン政府は20079月からセネガ ルでテレビ・コマーシャルを流し始めた (LeMonde, le 20 septemb1e 2007) ある母親の顔がクローズアップされ,涙ながらに自分の一人息子を失った経緯 を語る。語りの途中で画面に映る,海岸の岩場に打ち上げられた息子の遺体の 実写シーンが衝撃的である。コマーシャルの最後には,セネガルのみならずヨ ーロ;;パでも絶大な人気と影響力を誇る歌手,ユッスー・ンドゥールも「命を 無駄にするな,君はアフリカの未来なのだから」と呼びかける。

いったい若者たちは,なぜこんな危険を冒してまで,スペイン領を目指そう とするのだろう。それには,スペインの移民受け入れ政策が関係している。か つてフランスやドイツなど,より豊かな西ヨーロ;;パ諸国への移民送出国だっ たスペインは, 1990年代以降,ヨーロ;;パ最大の移民受入国に転換してい る。また,ヨーロッパ連合の最南端に位置していることから,受入国であると 同時に,アフリカ出身者たちがより北方の国々を目指す際の「トランジット」

国でもある。

カナリア諸島に上陸した移民たちは,海岸で待機する国際赤十字社メンバー に保護され,収容施設に入れられる。そこで拘留を経た後,身元を頑なに隠し 通すことができたら,国外退去にならない。スペインの移民法では,移民は 40日間だけ拘束される。その間に出国地や経由地なと]出身が明らかになら なかった場合は,釈放されなければならないことになっているからである。移 民はスペイン本土へ送られ,受け入れ先の団体でわずかな生活費を受けとった 後,スペインの街で自由の身になる。セネガル側の志願者たちの間でも当然,

この情報は流布し,「越境」の際の心得は事細かに伝達されている。

(16)  参考までに, Pugh(2004)は 1996年から 1999年までの4年間にスペイン領海で死亡 した人の数は286人,救出された人の数は274人と集計している。この数字にはモロソ コ領海やアフリカ沿岸における死者が含まれていないので,越境者と遭難者,死者の正 確な数は不明である。

(17)

さらにスペイン政府は近年,超過滞在者の一斉正規化も行っている。 2005 年の2月には, 20048月以降にスペインに滞在していた565,000人の超

(17) 

過滞在者が正規化されている。スペイン政府は,正規化を一回に限定すると明 言したが,一国の正規化は将来的に他の加盟国にも影響が及ぶ可能性があるた

(18) 

め,加盟各国からは強い非難と懸念が表明された。

こうした事実上,「非合法」移民の入国を許可するスペイン政府の対応に対 し,フランス政府が中心となって,ヨーロ;;パ全体の「非合法移民」対策の調 和を呼びかけた。また,スペイン政府もモロ;;コ政府と共同で国境警備の強化 に努めると共に, EUに対して共同で対策に当たるよう要請した。モロ;;コ側 では,メリリャ国境周囲に深さ 3メートルの堀と壁を新たに設置するなど,ヨ ーロ;;パの「城塞化」が内部からも外部からも進んでいる。

4.2  ヨーロッパの「国境」管理と移民政策

ヨーロッパとアフリカの「国境」をめぐるこうした攻防は,実際には,ヨー ロソパ「内部」と「外部」との線引きの明確化を意味している。また,ヨーロッ パ統合の深化が,対外政策の連携という新しい局面に踏み出しつつあることを 示している。セウタ・メリリャの事件以降,第一の国境の線引きは国境管理の 強化と警備の「外部化」に,第二の政策連携は,移民の「選別法」に見られる ようになる。

EU199910月にフィンランドのタンペレで開かれたヨーロッパ理事会 EU共通移民政策の基本方針に合意して以来,共通の移民政策を模索してき 2000年代には,上記のような「非合法」的な越境者の増加に伴い,共通 移民政策の具体化が急務となった。 2004年にはハーグ・プログラムにより基 本方針が再確認され, 2010年までの安全保障・自由政策の一環として移民政

(17)  申請者の半数近くが中南米出身者で,北アフリカでは12%のモロ;;コ出身者が含まれ ているのが最も多い。

(18)  その理由は後述のように,長期滞在移民に EU共通資格を認めることがすでに検討さ れていたからである。

参照

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