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の成果計算論 一名日貨幣資本維持思考のひとこま−

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(1)

383   − 3β −  

リ ーガーー  の成果計算論   

一名日貨幣資本維持思考のひとこま−  

馬 場 理 代  

Ⅰ は じめに  

欝1次世界大戦後1b年の間に,ドイツでは私経済学から経常経済学へという   移行がみられた。リーガー・の主著「私経済学入門」(Rieger,Wilhelm:Einfii−  

hrungin die Privatwirtsqhaftslehre,Niirnberg1928)が公刊されたの   は,すでにその移行の終わらんとする1928年のことである。敢えてふたたび  

●●●  

私経済学の名を掲げ,当時支配的なりし経営経済学に.挑戦したリーガーの主張   が,経営経済学の提唱者から驚きの冒をもって迎えられたことほ想像に難くな   い。ワルプのつぎの書評ほ,このことを如実に物語っている。すなわち,この  

(1)  

書物ほ.,「−・般に行な●ゎれている傾向にまっこ.うから対決し」,そのため「朽ちた  

(2) 頭脳や頑固な人々牢対して旋風を巻き起こした」と。それは,ま′さに「反対者力  

(3)  

の番(Buch eines Opponenten)」であった。そして,かかるリpガー・私経済   学ほ;経営経済学の本質と課題をめぐ  っていわゆる第2次方法論争を呼び起こ  

し,その史的展開のひとこまを色彩ることとなったのである。   

しかしながら,経営経済学の領域から離れ,ひとたびリーガーの会計学説に  目を移せば,必ずしも,その存在が正当に.意義づけられているとはいえ.ない。も  

ともと,彼の会計学説は,「形式甲声よび実質的側面に関する貸借対照表の解明  

(4)  

を,それに.改革的提案を結びつけることなく与えようとする」ものであった。そ   のために.;リー・ガーほ企業計算の太質を尋ね,それが貨幣計算(Geldrechflung)  

(1)(2)Walb,E・:BesprechungvonRieger,W坤elm,Einfiihrungin diePrivatwir−  

tschaftslehre,N枇flberg1928,in ZfhF22(1928)Jg.,S.511.  

(3)ebenda.  

(4)Rieger,W.:a.a.0.,S.203.   

(2)

第43巻 第4一弓  

ー・36 −   384  

であることから,全体貸借対偲衷の絶対的央実性と中間貸借対照麦の港然性を   結論づけたのである。かかる企業計算の解明に.よって,以来リーガ−−は,典型   的な貨幣計算論者としていわゆる名目貨幣資本維持思考の代表者であるとみな  

●●●●  

されてきたのである。名目貨幣資本維持の立場が長き会計学の伝統であっでみ   れば,そ・してまた価格変動や貨幣価値変動の現実の下でその妥当性が問われる   のであって−みれほ,リ−ガー・の立論にはひときわ興味深いものがある。しかし,  

($)  

われわれは,あくまでも他の見解を排するリL−・ガー・の主張から,名目簸幣資本  

●●、●●●  

維持観がそれらを凌駕する因由たるものを遂ぞ見出しえ/ていないのである。  

●●   

名目貨幣資本維持思考の根拠を求めて,いま−一度,リーガーの企業成果計算   論を跡づけてみたい。そうしてもしも彼の.立論がその根拠たりえないとすれ   ば,このことを招来せしめたゆえんに触れて−みたい。本稿ほ,リー・ガーの主著  

●●●  

「私経済学入門」を中心紅して,かかる考察を試みんとするものである。  

ⅠⅠ企業成果計算の背景   

リーガーが企業計算を解明するに・あたって出発点として小とる根本恩考ほ,「計   弊制度ほ.全体経済の制度から規定されるのであって,個々の企業やその経営に  

く6) よって\規定されるのではない」という思考である。換言すれば,リーガーほ.,資  

本主義経済および資本主義的企業の本貿に基づいそ企業計静を解明しようとす   るのである。したがって,リーガー・の企業計算に対する見解を跡づけるために   は,どうしてもその資本主義経済観に触れないわけにはいかないこととなる。  

●●●●●●●  

リL−・ガーほ,現在の資本主義経済と本質的に異なる経済として自給白足経済   を考え,これと対比させて資本主義経済の考察を進める。   

自給自足経済の下では,自己の欲望充足のための生産が目的とされ,自己消   費を白己生産に適応させねばならない。それゆえ,個々の経済主体の下に生産  

(5)Rieger,W.:SchmalenbachsDynamischeBilanz−Eine kritischeUntersuchung,  

Stuttgart1936とRieger,W.:Die orgaムische Tageswertbilanz,inArchiv fiir    Sozialwissenschaften64(1930)Bd。,S.136u154の中たみられるり・−ガ.のVユマ−V    ンバッノ、批判やシュミ.ット批判は,確かに辛辣である。  

(6)Rieger,W.:a.a.0ト,S.181.   

(3)

385   リーガーの成果計算論  

ーー37 −〟  

と消費とが統合され,各経済主体ほそれぞれ経済的独立性を保っていた。たと   え交換が行なわれたとしても,それはけっして不可欠なものではなく,攣なる   必需品に対する補足にすぎなかったのである。しかるに.,人間の欲望の増大や   多様化に.つれて,孤立的な自己生産だけでは欲望のすべてを満たすこ.とができ   なくなったために.,他の多くの生産を必要とするようになった。そこで,各経   済主体は,自己の欲望だけのためというより,主として他のそれが要求するあ  

る特定財の生産に専念するよう紅なる。ここ.に,いわゆる分業の発達と,それ   に.伴う生産の専門化がみられるのである。このような生産の専門化ほ,必然的   に・また技術の改良を促して,遂把機械を中やとする大壷生産が行なわれるよう   になる。リー・ガーの指摘をまつまでもなく,現在の′資本主義経済は.まさにその   大患生産の段階なのである占   

ここでわれわれは,このような資本主義経済における生産と自給自足経済に   おけるそれとの相異がもたらす経済状態の変革に注目せねばならない。分業が   発達し,生産が専門的に高度化してくると,消費と生産とほ分離せざるをえな  

くなるが,そこでほ自己の欲望を満たすために.,必然的に相互交換(gegense−  

itiger Austausch)が行なわれなければならないこととなる。しかし,生産の   専門化がさらに高度化すると,財貨と財貨と 

る。そこで,この困難を克服し,交換の必要性に.答えるため紅,・一般的な受鋸   性を葡する交換敗の導入が要請される。それに.よって,各経済主体は,自己の   生産した財卑まずこの交換財と交換し,それを媒介に・しで最終的に自己の欲す  

る財を入手しうるに.至るのである。   

では,この−・般的な交換財は何かといえば,いうまでもなく,それは貨幣に   他ならない。い、まや交換財としての貨幣さえ取得しておれば,いつでも欲望の   充足が可能となる。かくして,生産はもっばら貨幣との交換,すなわち販売を   めざして行なわれ,市場・貨幣経済(Markトund Geldwirtschaft)が登場す   るのである。そこでは,経済主体ほ.,単に生産するに・とどまらず,市場におい   て販売し貨幣を獲得してほじめて,自らの目的を達成することができる。した   がって,ここでは,もっぱら貨幣獲得への努力が支配的となるのである。   

(4)

貨43巻 幾年弓  

u− 3鳩 一−・   386  

リ・−・ガー・は,自給自足経済の下でほ起こりえないかかる貨幣猿得の努力をも  

(7) って,資本主義経済への「改革の決定点」と魂なす。掩場・貨幣経済こそ,自  

給自足経済と本質的に兵なる資本主義経済の叫・大特徴を形成するというのであ   る。  

以上のようなヅ−・ガーの資本主義経済観の展開から,われわれほ,リ−ガー  が自給自足経済下における経済思考と資本主義経済下に.おけるそれとを峻別し   ていることを知る。すなわち,経済とは,本来人間の欲望充足のうちにJ存在す   るのであるが,日給自足経済に.あってほ,生産することがすなわち経済するこ   とであった。しかし,資本主義経済に」おいてほ,欲望充足のために貨幣が社得   されなければならず,経済することは貨幣にかかわることでなけれ咋二ならな   い。リーガーはつぎのよう一紅述べている。「今日の分業経済において経済する  

こ.とは,単なる財貨の生産,猛得または管理以外のなにものかが意味されるの   でなければならない。‥…り・小・一生産の目的意識的な遂行,全体機構への組入れが   ほじめて生産をして経済たらしめる。そして,かかる組入れほ,今日では,貨   幣を介して生ずるので,すなわち現代ほ完成した貨幣経済であるので,『経済   する』という言葉の内容は,ただ単に・,全体のうちにあって個々の経済単位を   規制するとこ.ろの財務や貨幣の問題の特異性からのみ導かれうるのである。か  

くして,経済はすべて,貨幣濫つらなる(inGeld ausmiinden)ものでなけれ  

(8) ばならない」と。   

もちろん,このようにいったからといって,リーガ−ほ,財貨の生産や管理   の必要性とか重要性を否定するのではない。ただ「それに方向を与えるもの,  

すなわちそれを経済たらしめるものが考えられねばならない,というのであ   る。それが欲望の目的追求性であり,この欲望は共同体への貨幣的つらなりに   よってはじめで可能である。貨幣がなく,収入がなければ経営ほ持続すること  

(9)  

ができげ,生産を維持することができないからである」。  

(7)Rieger,W.:a.a.0い,S.1.  

L8)Rieger,Wh:a.a.0け,S.34 

t9)ebenda.   

(5)

リーガ−の成果計算論   ・−− β9 −   

387  

このようにして,リーガ一によれば,資本主義経済の下でほ,生産それ自体   がただちに経済であるのではなく,それを規制する経済概念すなわち貨幣に導   かれて,生産ほはじめて経済となる。ここで,経済の概念を貨幣に求めるかか   る見解には問題があるとしても,われわれは.,確かに.,リ、−ガーのこの経済観   が彼の企業計算に対する所説の基盤を形成していることを認めないわけにはい   かないのである。というのは,リ−・ガーほ,上記のようにして経済と生産の関   係を説いて経済概念を明らかにした後で,この解釈を押し進めて企業と経営と  

ゐ概念規定に移るからである。自給自足経済から資本主義経済になって−,生産   が貨幣獲得の攣なる手段でしかなくなると,そこにこの生産を貨幣獲得の手段  

とする組織体として企業が登場する。企業とは「経済生活における活動を通し   て,貨幣獲得一一ここでは.利益と呼ばれる−を獲得するための設備(Vera一  

(1(〉)  

nstaltung)」に他ならないのである。  

リーガーによれほ,かくして,企業は根源的に.1つの経済理念,すなわち利   益を求める構成体であることになるbこ.れに対して,経営はこの理念が実現さ   れる技術的基礎ないし具体的現象に他ならない。「経常自体ほ,一般に・なんら経   済的なものではなく,……‥  ‥経営ほ本来の意味においてなんら経済を営まない  

(11) という主張がなされる」のである。経営ほそれをもって経済されるものであ  

り,経済の客体でとそあれ主体でほない。この意味で,企業は資本主義経済と   ともに.生まれたその最たる代表者であり,経営は人間がこの世に生存するかぎ   りなんらかの形でつねに存卑するものである。それゆえ,企業は社会主義経済  

(12)  

では存在しないが,経営は社会主義経済にも引き継がれるのである。   

確かに,資本主義経済に.おいてほ,企業は技術的施設としての経営をその中   

(10)Rieger,W.:a.a..0,.,S.44 

(11)Rieger,W :a.a 0小,S・33 

舶)リーガ−が,経営経済学の支配するただなかで,敢えて−ふたたび私経済学を提唱した    ことは既述のとおりであるが,それは,このように企業と経営とを峻別することに由来  

、するといえる。リ−ガ一においては,経営とは;どこまでも体制を越えた生産技術的問    題であり,企業は,利益追求という経済理念紅導かれたものとされるのである0リ一−ガ  

一私経済学が経済学たら々とするかぎり,その対象を経営にではなく,企業に求めたの    は,けだし当然のことであろう。確かに,「統一朋な経営経済学というものは存在しない   

し,また存在.L,えない」(Rieger,W一:a・a・0い,S・32一)のである。   

(6)

第43巻 第4弓   388   ー・4〝−  

に有しているが,それは経営による生産をその直接的目的とするからではな   く,経営による生産を通じて貨幣の獲得を達鼠できるからである。企業と経営   との関係は.,つぎのように.表現できるであろう,「企業とほ・…・・・・・・包括的概念で   あり,それは経営に加うる軋郷導理念を包含する。この郷導理念は利益追求の  

(18■)  

努力である」と。逆にいえば,「経営は企業の技術的な基盤(GIundlage),基底  

(Substrat),乗物(Vehikel)であるにすぎない。それは,企菓が自己を顔   し,その利益へと方向づけられた意思に対して−表現を与えかつ行為に移すため   に,企業が整え必要とする技術的な装置(Eimichtungen)であり設備(.Ver−  

(14)  

anstaltung)である」。それゆえに.,経営のみが自己の意思で活動することは許   されず,つねに・利益追求すなわち貨幣獲得という縛導琴念が経営活動を方向づ   けるのである。  

リ−・ガ−は,以上のようにして企業と経営とを峻別するが,われわれほ,こ   こでさら鱒・,その企業が自己完了的なものとして私的に.把えられていることを  

●●●●● 

●◆  

指摘しておかねばならない。このことほ,つぎの叙述から明らかである。すな   わち,「企業の目的は………  利益の狸得であり,しかも企業者のためのそれで   あるにすぎない。企業が全体経済の枠内払おいて引き受ける任務あるいは活動   ほ,企業に.とってあるいはより確実に.は企業者にとってほ,ただ単に目的紅対  

(1∂) する手段にすぎない」と。  

リ・−ガ一によ.れは,企業者は企幾の担い手であり,企業を介して利益を追求   する単数または複数の自然人あるいは法人である。利益追求の当然の帰結とし  

て,企業者は資本を調達提供して,第1次的に.危険を負担しなければならな   い。リーガ一に.おいては,企業者たる特質(Unternehmerqualit翫)は自ら企   業活動に携わっているか否かに.ほかかわらない。したがって,もちろん,「老練  

(16)  

なる支配人を企業者と称することを考えることはできない.」のである。  

113)Rieger,W小:a.a.0 ,S小40.  

(14)ebenda.  

(15)Rieger,W:a.a.0.,S.44.  

(16)Rieger,W.:a.a.0,S.12生 

(7)

リ−ガ−の成果計算論   一 々J− 

389  

(17)  かくして,とく紅「資本意義的企業の完成された形態」たる株式会社に.おけ  

る企業者は何人かと問えば,「株主が株式会社の担当者であると考えられねばな  

(1寧)  

らない見解を確保するものである」という答が得られる。株主は資本を謝達し   第1次的軋危険を負担.して,利益の配当を受けるからに他ならない。ただこの   場合において㌧注意すべきことほ,ここに.企菜者すなわち株主とほ,個々の株主  

(einzelner Aktionar)でほな( て株主の全体(Gesamtheit der Aktionare)  

であるということである0それは,個々の個人と㌧て−ではなく,企業を担う資   本力の代表者としての株主団(Aktionarschaft)である。したがって,企業者   たる特質は個々の株主に対して与え.られるのではなく,株主全体のみがこの名   称を得ることになる。個々の株主がいかなる動機から,またどんなに.短期間加   入しようとも,それに.かかわりなく株主団は企業自体と同様に持続的である  あろう。そして,このようか、わば匿名の団体たる株主団が企業の担い手とし   て登場すると,企業とその担い手との間のいっさいの人間関係は排除され,企   兼は個々の株主の個人的運命から解放されることになる。株式会社を人的企実   に・対する資本的企業の最も完成された形態と称するリ」−ガ一にとってほ,かか   る企業者概念こ.そ最もふさわしいものであるといえるであろう。   

周知のように・,社会的生産を営む企業は,もともと二重の性格を有し,企業  

●●●  

者の利益を目的とする点では私的であるが,その及ぶ効果に.ついては社会的で   ある。しかる紅,り一−ガー・に.おいてほ,上記のように.して企柴者の目的を企業   の目的紅置き換えることに・よって,企業が全く私的にかつ自己完了的紅把えら   れるのである。企業者目的と企業目的とが等しいという前提にたつこのような   私的な企業観は,「見えざる手」に導かれる「予定調和」の経済社会を母胎とす   るものである。したがって,それには1つの枠・−すなわちバ/エーー・ンブルーク  

く19)       (印) の指摘のように,この前提は19性紀の個人主義的完全競争資本主義の下紅おい  

(用 Rieger,.W.:a.a.0,S.109.  

(18)Rieger,W.:a.a.0い,S.124.  

(19)Sch6npflug,F・:Betriebswirtschaftslehre,MethodenundHauptstr6mpngen。2.   

erW・AufllVOn Das Methodenprobleminder Einz巨1wirtschaftslehre,Stuttgart   1933 ,herausgegeb.von Hans Seischab,Stuttgart1954,Sり392−395 

捌 これほ,ゾンバルトのいわゆる高度資本主義そある。   

(8)

舘43巻 飴4弓  

・−42」−   390  

てのみ妥当するという枠−が科せられているといわねばならない。しかし,  

それにもかかわらずこの前提ほ,以下にみるように,リー・ガーの企業成果計算   論に色濃く反映されていくこ′とになるのである。  

ⅠⅠⅠ企業成果計算の特質  

それでほいったい,リーガー・においては,企業成果計算は具体的隼はいかに  特質づけられるのであろうか。   

資本主義経済すなわち貨幣経済ゐ下でほ,「すべての企業について−それが   技術的 

(21)  

(Geldumwandlung叩rOZeβ)ということ」であ、る。企業は屑度貨幣形態に倒   適せんが窄めに貨幣形態を放棄するのであり,そレて貨輝から余剰貨幣が生ず   べきである。貨幣思考的企業にとって問題となるのほ,いつの場合にもただ単  

紅貨幣獲得のみである。  

したがって,貨幣経済下においてほ,財貨が市場から企業へ入り来る場合に  も,また企業から市場へ出て行く場合にも,つねに貨幣すなわち価格という針   の孔(Nade16hr des Geldes,der Preise)を通らねばならないし,そうでな  

めど  

ければ企業の計算の問題とはなりえない。企業把.とって,貨幣計算.以外の考恩 ●●●●●●●●●  

はすぺて無縁であり,企業計算ほ貨幣計算の域把.終始するのである。 

●●●●●●  ●●●●●●●●●   

かくして,われわれは,つぎのよ.うなリーガーの言葉紅出会う。すなわら,  

「企業の決定的な計算(ausschlaggebendeRechnung)Nそれは成果を表示  

(22)  

する−一々㌫ ただ単に貨幣計算たりうるだけである」と。かかる企業計穿の療   貿づけほ,資本主義的企業の貨幣経済における存在に着目して,企業の計算は   貨幣経済制度に制約されていると考えるリー・ガーの見解の当然の帰結紅他なら   ない。   

このようにり−ガ・一によると,企業の計算ほあくまでも貨幣計算の域紅終始  

位1)Rieger,W.:a…a.0りS。157.、  

ez2)Rieger,W.:a。a.0.,S小183.   

(9)

\  

・−〃β −・  

リーガーの成果計静論   391  

することになるが,ではiそ・の貨幣計算とほいかなるものであろうか0 いま   こ.とを明白ならしめるために,リーガーゐ簿記に対する所説について若干考   察することにする。なぜなら,リーガ−・は,「簿記はすべて純粋なる貨幣計算  

● ● ● ● ● ● ● ●  

(23)  

(reine Geldrechnnug)である」と規定しているからである。  

リー・ガ一によれば,簿記ほ,商品や原材料,機械等が「■貨幣で費させるもの  

(WaSSie kosteninGeld)とそれらが貨幣でもたらすもの(wassie bringen  

(24)  

in Geld)」に.よって構成されている。「したがって,商品や原材料,機械自体が   簿記の中に現われるのではなくて,それらの価格(P工・ei畠),すなわちそれらを  

取得することによって惹起された原価(K6sten),一まさしく貨幣費用(geldliche   Aufwendungen)が簿記の中に現われるのである。そしてゝ これに貨幣収益  

(26)  

(geldlicheErtrage)が対応して償われる」。「勘定について,それが収入と支   出(EinnahmenundAusgaben)を含むともいわれるであろうが,このこと   はここでほ避けられる。さもないと現金(baresGeld)という観念が押しかけ  

(26) るから」である。簿記に・あっては,「けっしてつねに具体的な支払手段(Konk−  

rete zahlurlgSmittel)が問題なのではなくて,ただ単に・絶えず貨幣で引算さ  

(27)  

れる(in Geld rechnen)にすぎない」d その結果,リー・ガL−は,かかる簿記   を一・つの抽象的貨幣計算(eine abstrakte Geldrechnung)と称するのである。  

●●●●●●●   

以上のリーグ−の説明から,さしあたっては,彼の想定する貨幣計算とは,  

いわゆる現金による収入・支出計算ではなくて,貨幣費用・貨幣収益計算であ  

●●●●  

るといえそ・うである。ところが,ここで,1つの問題が生ずる∂なぜなら,リ   ーガー・は,「企業の計算に・おいては,それは2つの要素,すなわ 

(28)  

あるいほ同じことであるが貨幣収益と貨幣費用のみから成立しうる」と述べて   いるからである。いったい,リーガ一においては,収入および支出はいかなる  

C23)Rieger,W.:a.a.0一,S.212.傍点引用者。  

(鋤 Rieger,W.:a.a.0…,SJ190・  

C5)ebenda.  

C26)Rieger,W.:a.a.0.,S.191.  

(27)ebenda.  

Rieger,W.:a.a.0‖,S.183.   

(10)

辣43巻 貨4ぢ  

−・尋4 −  392  

ものと解され,貨幣収益および貨幣費用とほ何を意味するのであろうか。われ   われにほ収入わよび支出がリー・ガ一に.あっ壱は二義的に用いられているように  

●●●  

思われる。すなわち,収入および支出ほ,−・方でほ現金収入および現金支出   f(bare Einnahmen und Ausgaben)と解され,他方でほ貨幣金額(Geldbetq   Iage一)の入および出と解されていると考えられる。そして,貨幣収益および貨  

幣費用とはまさしくこの後者の収入および支出に他ならない,とわれわれは恩  

(ごl))  

うのである。だから,収益および費用概念ほ,リーガーにおいてほ,財貨の価   値にかかわるのでほなくて,もっぱら財貨から得られたあるいは財貨に.投ぜら  

(こiO)  

れた貨幣巌が意味されるわけである。   

かくして,り一一升ー・払おいて貨幣計算とは,概念上現金計穿とは異なる貨幣   金額の計算が想定されていることが明らかになる。それは,貨幣収益ないし貨   幣費用に等しい収入・支出計算であり,いわば抽象的貨幣計算に他ならない。  

●●●●●●●  

以上紅よって,企業計静を樽贋づける貨幣計算とはいかなるものであるかに   ついて触れたが,企業計静が貨幣計算として特質づけられるからにほ,企業計  

●●●  

算の根本問題を形成する企業成果計算もまた,けっしてこの例外をなすもので   

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●     ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  

ほありえない。そこでつぎ軋,その特質にかなう貨幣計算としての企業成果計  

●●○●●● 

●●●  

算が,いったいどのように.行なわれるぺきかという問題紅ついて明らかに.して   みることにしょう。  

リ−・ガ一によると,資本主義的企業においてほ,営業の出発点は貨幣の費消  

(Aufwendungenin Geld)であり,その終結は貨幣の収入(Einnahmein  

C9)かかる費用概念は,「収支的彗用概念」(pagatorischer Kostenbegri董f)として特徴    づけられ,リーガーの流れを組むリンノ、ルトやフエッチル査どに.よって「名目主義者の   

費用概念」として再認識されつつある。また最近では,この「収支的費用概念」が彼ら    と流れを異庭するコツホ紅よって問題視され,いわゆる費用概念論争を惹起したことは   

周知のとおりである。(Vgl.Linhardt,Hい:Kosten und Kostenlehre,in Angriff    und Abwehrim Kampf um die Betriebswirtschaftslehre,Berlin1963,S.22ff.   

Fettel,J.:Marktpreis und Kostenpreis,2.Aufl ,Meisenheim am Glan1962.   

Ders.:Ein BeitIag Zur Diskussioniiber denl(ostenbegriff,in ZfB29(1959)J罫、,   

S.567ff.undKoch,H。:ZtlrDiskussiondberdenKostenbegriff,in ZfhFIO(1958)  

JgりS.355ff.DeIS.:Grundprobleme delKostenrechnung,K61n/Opladen1966.)  

(30)岩田巌教授ほ,ワルプの費用・収益概念に鑑みて,このような対立を明確に浮き彫り    に.している。(岩田厳著『利潤計算原理』272−284頁。)   

(11)

リーガーの成果計界論  

393    ー・45・−  

(31)  

Geld)である。すなわち,「取引は,支出から,支出を越えて.,収入町立ち至る」  

のである。その間において商品在高等の価値物として存在するものほすべて,  

乗り越えられ処分されなければならず,全営業ほ貨幣生成(Geldwerdung)  

の過程とみなされる。「経営的出来事のすぺてほ,個別的にもまた全体として  

(32)  

も,貨幣生成への成熟(Geldwerdung EntgegenIeifen)に.すぎない」のであ   る。しかるに,いわゆる継続企業紅おいてほ,1つの営業が片付いても,また   新しい部分営業が始められ,絶えず個別的な営業が同時に.あい並んで行なわれ   る。支出の全部または・一部ほ未だ回収貨幣の状態に到達せず,たとえば,設   備,原材料,単製品,製品,有価証券,特許権等々の形態紅とどまるのであ   る。その結果,継続企業にあってほ,其の意味の決欝(Abscbluβ)は不可能で   あり,したがってまた企業成果の決定も不可能となる。そ・れらは,投入貨幣と   回収貨幣との比較に.よる貨幣計算によってのみ行なわれうるからである。ジ⊥  

●●  

ガ一にあっては,「この貨幣の余剰こそ企業の成果に他ならない(dieses Mehr  

(33)  

an Geldistihr Erfolg)」。  

リーガL一によると,1た女たますべての個別的な営業か同時に終わり貨幣に立   ち至っているとしても,なお,正しい企業成果の決定ほありえ.ない。なぜなら,  

●●  

すぐつぎの瞬間に.は経営はあらためて馳け出し,営業が再開されるからであ   る。その麒,「なるはど,・一・連の部分営業ほおそらくすでに一・定の成果に到達し  

ているが,新た紅危険が負担され,そのこ.とを通じて以前の諸取引の成果も脅  

(34) かされる」のである。このような状態でほ,「最線的な成果(endgultigesEr虚血  

(36)  

ebnis)紅ついて語ることは,差し控えねばならないであろう」。   

かくして,いわゆる継続企業紅おいては,全営業が完了し経営が活動を究極   的に停止した解散状態匿おいて−はじめて,すなわち全支出がふたたび貨幣収入   に立ち至ったときにはじめて決算も可能となること紅なる。正しい企業成果の  

0‖,S.203,  

a a a a   

W W W W  

Ri Ri Ri Ri   eb  

a   

a.0.,S.213.  

a.0..,S.179.  

0.,S,205,   

(12)

策43巻 寛4号  

394  

−46−  

決定のための前提ほ,計鈴に庖いて「もほや収入の見込みも支出の見込みもあ  

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  

(3(∋)  

りえ.ない」ということであるム企業成果の決定ほ,より.正確に.ほ「金的かつ確  

… ●  

(37)  

定的な貨幣形態(restloserunddefinitiverGeldzustand)」に.おし 

(こ;S)  

ねばならない。かかる状態において行なわれる決算のみが,企業に・おける本来   の決算(eigentlicherAbschluβ)であり,有機的疲弊(organischerAbschluQ)  

●●●●●  

であって,轟実の決算(Wahrer Abschluβ)と.称されうるのである。   

しかしながら,企業紅おいてこ.のような決算が可能であるのは,いうまでも   なく全体計算(Totalrechnung)の場合に,限られる。企業が終末を迎えたとき  

●●●●  

にのみ,営業がすべて完了し,全支出と全収入,そ・れゆえに投入貨幣と回収貨   幣が確定するからである。いま,この全体計算についてみてみると,全体計算   では.,最初の貨幣投入(Einsatzin Geld)と最終の貨幣在高(Bestand an   Geld)とを比較する要があるだけである。もらきん企業者の追加払込や個人引   出ほ㌧顧慮されるが,そうすれほ,貨幣剰余(Mehr an Geld)が利益(Gewinn)  

を意味し,不足分(Weniger)が損失(Verlust)を表示することになる。ノリ   ーガーの掲げるつぎのような簡単なシューマが,全体計算のすべてを明らかに   するであろう。  

全 体 計 算  

現在の貨幣在高  1,000   当初の払込   700    利   益   300  

1,000   

けれども,いか紅全体計静が真実の決算であり,それのみが企業成果を決定   しうるに.しても,現実に.おいてそのような全体計算は不可能である。全体計算   がどのような性質のものであろうと,企業は全体計算をまちえないし,またそ   伽)ebenda.傍点引用者。  

椚 ebenda.  

㈹lエンゲルほ,このことを「最終的貨幣性のメルクマール(叩erkmalder endgtiltigen   

Geldlichkeit)」と称する。(Engel,D.:Wilhelm Riegers Theorie des,heutigen    Wertes und sein System der Privatwirtschaftslehre,BerliI】1965,S.43.)   

(13)

リーガーの成果計算論   ー 47 −⊥  

395  

れを必要としないからである。企業者ほ,生存のために企発から所得を引き出  さなければならず,また税金も納付しなければならない。「そ・こで,いまや,生   活においてそうした計算ないしそれ紅類した計算のため紅,他ならず年度が承   認された基礎を形成するゆえに.−−給料,税金,家賃,利子等ほ,通常,年額   紅より算定されるから鵬,企業においてもまた,年度貸借対照表(Jall工es−  

bilanz)として知られるところの年度的中間決算ないし部分決算(.iahrliche  

(39)  

Zwischen−Oder Teilabrechnung)がh・般に行なわれるようになった」のであ   る。   

しかしながら,年度計算は部分計算であり中間計算であるから,そこに.おい  

●●●●  

て真実の決算がなされるほずはない。既述のように,継続企業にあっては,中   間時点では営業ほ.未完了であり,投入貨幣は回収貨幣に至らずに他の価値物が   存在するからである。リーガーにおいて唯一・の真実にして有機的な決算」はどこ   までも全体計算であり,もともと中間計算は経営の預かりしらない(betrieb−  

●●●●  

sfeindlich)ものである。しかし,それにもかかわらず年度計算が要求され,  

現紅年度決算が行なわれているからにほ,この慣行を「企業の存続申は決算は   存在しえないという先はど述べた見解と調和させることを試みなければ奉らな  

(40)  

い」。そして,こ.の調和は,リ−・ガ一においてほ,年度決算を「不可欠の擬制  

●●  

(。nentbehrlicheFi加)」と攻なすこ.とによって行なわれるのである。中間   計算はどこまでも擬制決算(fingierte Abschluβ)の域にとどまらねばなら  

●●●●  

ず,それは単なる蒼然計算(Wahrscheinlichkeitsrechnung)紅すぎない。  

●●●●   

それでほいったい,リーガー払おいてどのような擬制が行なわれるのであろ  

●●  

うか。つぎに.このことについて触れてみることに.しよう。  

決算にあって問題となるのは,決算日までに・企業がギれはどの支出をなし,  

いかはどの収入を得ているのかということである。だが,中間決算では,これ   らの金額が確定されるだけでは十分でなく,それらがどの程度に.当該年度紅帰   C;9)Rieger,W.:a.a.0りS.208.  

(40)ebenda.  

姐)Rieger,W.:a.a.On,209.傍点引用者。   

(14)

第43巻 貨4弓  

ー 48 u仙   396  

属するかということが問題である。というのほ,「未だなお成熟していない費用   や,未だなお対応する収入に.達していない費用がなされているし,また逆に∴,  

(42)  

未だなお得るに値しでいない収入が得られている」からである。   

かくして,中間決算の場合に.ほ,年度末に収入ならびに.支出が追加される要   がある。そして,そ・のため紅中間貸借対照表(ZwischenbilanZ)が必要となる   のである。そこでほ,未着の項目を計算に.算入することによって,1つの擬制   された全体計算(einefingierteせotalrechnung)が成立する。もちろん,追  

●●●●●●●  

加収入ならびに∴追加支出の大きさほ.,経営活動がさらに継続して行くため,現   実には確定し難い。けれども,擬制された決算ほ,あたかも企業が終わったか  

●●  

のように,未着め収入および支出を決定しようと試みるのである。すなわち,  

「年度貸借対照表上に.おいて,擬制された清算(vorgetauschte Liquidation)  

● ●         (43) が,しかも事業継続の仮定の下で行なわれるのである」。「決算をなさんとする  

場合,われわれは,なお期待されるべき収入ならびになお行なわれるべき支出を   簿記に算入することによって,現在までに行なわれた収入・支出計算を補足す   ることに着手することができる。その際,このような計算部分で終わるところ   のq−・種の全体計算(eine Art Totalrechnung)が生ずる。最初の費用,すな  

●●●  

わち資本投入から出発して,そ・れは,その年庭中のすぺての真正の収入と支   出を包含し,その、上にその年度末に.計算上虚構された収入が加わる。したが   って,年度貸借対照表は,真実と詩の混合(einGemisch,VOnWahrheitund  

=  ●  ◆  ●  ●   ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  

(44)  

Dichtung)である」こ. 

いま,このような決算の理解を助け,中間貸借対照表の姿を浮き彫りに.・する   ため紅,リーガーの示す簿記上の処理についてご概観しておこ.う。  

いうまセもなく,其正の滑算に.あっては,全在高が貨幣に転化され,全債務   も清算される。これ紅対↓て,中間貸借対照表紅おいてほ,′このような目的の   ため把新たに設けられる勘定すなわち残高勘定(Bilanzkonto)紅よって,簿   匝2)Rieger,W.:a.a.0.,S.211.  

僻)Rieger,W。:a.a.0、,S.212.傍点引用者。  

(44)ebenda.傍点引用者。   

(15)

リーガーの成果討争論  

397    ー 49 −  

記技術的整理が行なわれるのである。貪正の締切に.おけると同様に,その年度   末に・なお期待されるぺき収益ならびになお遂行されるべき費用が,残高勘定に  

よって割算される。したがって−,残高勘定ほ,1つの−−−・一一擬制された−,・・一・現金  

●●●  

勘定(ein(fingiertes)Kassenkonto)の性格を有する。左側に.は,個々の勘定   から収益が記帳され,右側に.は,それに.対応する費用が記帳されるのである。  

すなわち,残高勘定の内容ほつぎのようになる。  

残高勘定=清算現金勘定   期 末 収 益  

現   金 から   商   品 〝   有 価 証 券 〝   機   械 〝  

等 々  

期 末 費 用   買 掛 金 へ   手   形 〝  

等 々   

こ.れに対して,個々の反対勘定である売掛金勘定,買掛金勘定および機械勘   定の例を示すとつぎのようになる。  

掛   金  

諸 口  

へ(年度中の真正収益)  

残 高 〝(年度末の擬制収益)  

商品から(年度中の亮正費用)  

】  

買   掛   金  

諸口から(年度中の轟正費用)商品 へ(年度末の真・正収益)  

残高 〝(年度末の擬制費用)   

(16)

貸43巻 簡4号    機   械  

398   

−・50 −・・  

残高へ(年度末の擬制収益)  

損益 〝(年度中の蔑正収益)  

諸口から(年度中の真正費用)  

売掛金勘定と買掛金勘定は,擬制費用またほ擬制収益の取入れによって相殺  ●● 

●●  

されるが,機械勘定は相殺されない。機械勘定は,年度中に生じた商品勘定へ   の移行を記入しなければならない記帳が欠けているからである0そこで,この   ような不履行が,年度全体として補充ぎれなければならないことになる。この   ような項目は損益勘定へ導かれるが,こうすることによってもその意味紅は何   の変化も生じない。そ・の結果,機械勘定ほ上のようになるのである。   

さて,このようにみてくると,中間計算における擬制とほ事業継続の仮定の   下における清算の擬制であり,中間計穿とはかくして成立する擬制された全   体計算であることが明らかに.なる。しかも,このような擬制された全体計算   ほ,いうまでもなく中間貸借対照表上で行なわれるのである。リー・ガ一による   と,貸借対照表とほ1つの中間計算に他ならず,その具象物にすぎないのであ  

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●   ●  ●  ●  

る。  

ⅠⅤ 名目貨幣資本維持思考の基調  

前節において,われわれほ,企業成果計算とほどこまでも貨幣計算でなけれ   ほならず,貨幣余剰こそ企業成果紅他ならないこと,したがってまた企業成果   の決定は投入貨幣と回収貨幣との比較によって行なわれねばならないことを明  

●●  

らかにしてきた。   

しかしながら,ここでわれわれほ,なお問題が未解決のままに現されている  

●●  

ことを指摘しなければならない。確かに,投入貨幣と回収貨幣との差額たる貨   幣余剰が企業成果であり,しかも「その貨幣が,概念上,変動可能性のかなた   

(如) に.ある」とすれば,企業成果計算ほ単なる投入貨幣と回収貨幣との比較に・よっ  

●  ●  

(45)Rieger,W.:a.a.OI,S.203′   

(17)

リーガーの成.果計静論  

399    ー 5ユ ー・・  

て行なわれるに.ちがいない。けれども,でほ.いったい,なぜに.貨幣余剰がその   まま企業成果となり,かつまた貨幣に.ほ.変動可能性がないとされるのであろう   か。このことについては,まだなんら明らかに.されていないのである。リ−ガ   ー・の名目貨幣資本維持(nominelle Geldkapitalerhaltung)説の根拠は,実は,  

かかる考察の中に」求められねばならないであろう。そ・こ.で,以下においてこれ   らのことについて論ずるこ.とにする。   

まず,前者の問題点であるが,結論からいえば,それほ,リーガーにおける   私的企業観に由来していると思われる。既述のように,リーガーは企業を私的  

●●●●●  

に自己完了的なものとして把え,企業者の目的をもって企業の目的に層き換え   る。まさに,「企業の目的ほ……  利益の獲得であり,しかも企業者のためのそ  

●●●●  

れであるにすぎない.」のである。   

こ.こに企業者とはいわゆる株主を意味するが,かかる「企業者にとってほ,  

単に貨幣の投入(geldlicher Einsatz)に基づいて−,一個々に.そしてまた全   体として−一測定された貨幣による決定(Erfolgin Geld)がつねに成果を下  

(46)  

す」のは自明のことである。企業者目的とは貨幣余剰の獲得に他ならず,かつ   それが企業目的であるというからには,貨幣余剰が企業成果となるのはけだし   当然のことといえるであろう。「企業は,企業者紅対して利益を達成するため   に創設されたのである。企業者が,彼の活動がどの程度成果を与えられたかを   知ろうと欲するのは当然である。この目的のために.彼ほなんらかの性質の計算  

(47) を行なわねばならない」とリーガーはいうが,私的企業の立場にたつならば,  

企業成果計算はまさに上の「■なんらかの性質の計算.」を意味することに・なるの   である。   

さてつぎほ,後者の問題点であるが,これは,リ−ガーの貨幣観に.依拠しで  

●●●  

いるといえるであろう。しかし, 

大嘘とともに発生したドイツの大インフレニジョンと1924年に復活した金本位   制度という経済的背景を知る要がある。そこで,つぎにそうした背景について   郎)Rieger,W.:a.a.Ou,S.179.  

(47)Rieger,W.;a.a.0.,S.203.   

(18)

第43巻 寛4雪  

−− 52−   400  

概観してみることにする。   

ドイツに.おいては,1870年以前には銀本位制度が採用されていたといわれ   る。ところが,普仏戦争の勝利によって−1871年から73年に支払われた50倍フラ   ンにのばるフランスの対独賠償金を基盤紅して1871年に金本位制度に移行し   た。従来の銭貨幣本位ターレル(Tbale工)に代わって−,金紅よる新貨幣単位マ   ルク(Ma工k)が採用されたのである。(1ター・レル=3マルク,金対銀の比価   は15.5対1。)そ・の後1914年に.第1次世界大戦が開始されるとともに,全世界を   通じて金本位制度は崩壊し,10年間にわたって紙幣インフレー・ジョンと物価体   系の混乱が生じたのである。第1次世界大戦中および大戦後におけるドイツの  

(4S)  

マルク・インフレ㌧一づ/ヨンの状況ほ,つぎの諸表から明らかであろう。  

(49〉 (貨1表)  

ド イ ツ の 物 価  

紙幣計算卸売物価指数(各月平均1913=1)  

1916弓19171191811919119201王921′11922 弓  1923   年次岳1914   1915  

;芸:芸岳 …;二言  

、二  

−二  

一  

こ・−・  

2・呵3  

2.3514  

1.49ぎ 1.51〜 2.03  

*=百分  ¢=十億   極捌 このインフレーレヨン紅ついて,片野一都博士ほ,貨幣減価速度の観点からつぎの3   

期紅分けておられる。(片野−・郎著『貨幣価値変動会計』4貰。)   

第1期1914年から1921年半ばまでの停滞的インフレ・−ション期    第2期1921年半ばから1922年半ば頃までめ漸進的インフレージョン期    劣3期1922年半ばから1923年末紅至る加速度的インフレーショソ期  

㈹ C・B・チエ竺」−ニ著,東京銀行集会所調査課抄訳『独逸インフレ−シヲンの解剖』458    貴。   

(19)

リ−ガー・の成果封弟論  

401   −53 −  

(50)  

(第2表) ライヒスパンク紙幣流通高(各月末単位=十億紙幣マルク)   

−∴・− 1こり・11ゝり三て 1日−; いiT hlト 1リ1リ 1こ・ごIIlミ・さ11リニ  

1月   2月   3月   4月   5月  

2.1   2.0   2..4  

2.1   2.0  

1,984    3,513    5,518    6,546   8,564   17,291   45,594   663 *  

28,229 *  

2ハ5¢   

400.3¢   

496.5¢  

 ̄:一 二 三、  

…雲i2:芸 8月l4.2   12。5   12..7   13.6  

15.3   16.7   18.6   22.2  

;・‡三‥ ̄  

*=■百万の自乗(1,000,0002)¢=百万の三乗(1,000,0008)  

金マルクに対する紙幣マルクの換筆率(各月平均)  

¢ニ百:方  

¢¢=十億   

(50)Cl.B小チ.ユローニ箸,。.免京銀行集会所調査課抄訳『髄掲割457貢0  

(51)同上。  

(20)

幾43巻 弟4宅  

・−β4・−   402   

インフレ−ジョンがマルクの計算機能を破壊する事態に達したのほ,1922年   単は以後1年単の期間であった。大戦の勃発した1914年から1918年の終戦をへ  

て21年上半期に至る欝1期に.おいては,物価の勝負は極めてゆるやかであり,  

21年6月の物価は戦前1913年基準の13倍強にすぎない。また21年下半期から22   年上半期に.至るインフレーション第2期においては,物価は算術級数的に上   進したが,22年6月における物価ほ基準年次に比べてなお70倍であった。しか  

し,爾後23年末に.至る第3期に入るや,事態は急激に悪化し物価は幾何級数的  

に.奔騰した。すなわち,22年12月軋は1,475倍,23年6月には19,385倍,12月   紅は実に.1,262,000,000,000倍という天文学的数字を示している。。なかんず  

く,最後の半年間における通貨価値の低落ぶりは急流落下の超急ピッチを示し   た。たとえば,23年8月の1紙幣マルクの価値ほ4カ月後め1紙幣マルクに比   べて約百万倍に相当しているのである。貨幣の計算機能は完全に破壊され,ま  

(52)  

さに・貨幣経済崩壊の危険に当面したのであった¢   

こうして11923年10月に.至り,ドイツの貨幣的混乱は遂紅そ・の極に・達した。  

そこで,同月15日ドイツレンチン銀行が設立され,11月11日からレンチン・マ   ルクが流通し始めたが,・そ・のためさしも猛威をたくましくしたマルク・インフ   レ−ジョンも,遂に.鎮静するにJ至ったのである。1レンチン・マルクの価値は  

1金マルクとして声明された。ただし,このレンチン了マルクの価値ほ法律を   以て公式に規定されたのではなく,レンチン・マルク所有者に.対し,500レン   チソ・マルクに.つき額面500金マルクのレンチン証券と交換するという声明に   基づいて,間接的に屈ま一つたのである。レンチン・マルアと紙幣マルクとの換   算率ほ ,t司年11片20日のドル相場,1ドル4兆2千億紙幣マルクに基づき1金   マルクは1兆紙幣マルク,したがって1レンチン・マルク=1兆紙幣マルクと   定められた。爾後,紙幣マルクの対内価値および対外価値は多少の消長ほあ?  

たが,大体この線に安定するに至ったのである。そして,翌1924年8月30日に   新貨幣法が発布され,これに.基づいて10月11日新通貨ライヒス・マルクが発行  

された。旧紙幣マルクほ1兆紙幣マルクにつき1ライヒス・マルクの比率で,   

(5か片野一・郎著『前掲古』4−8克。   

(21)

リ叫ガーの成果計算論  

403    ーββ・・−  

また,レ∵/テン・マルクは1レ′ンテン・マルクに.つき1ライヒス・マルクの比   率で流通界から引き揚げられ,25年5日以降ほ旧紙幣は法貨たるの性質を失な  

(∂3)  

ったのである。このように.して,ドイツほ1924年に.至って,普仏戦争以来の金   本位制皮を回復した。   

さて,リーガーがその成果計算論を展開したのは,他ならず,上記のインフ   レー・ジョンの停止後紅回復された金本位制皮の下に飼いでである。それゆえ,  

リーガーが,金本位制度に.支えられた貨幣観の立場にたち,そのような貨幣観  

●●●●●●●●●●●●●●  

に基づいて自らの成果計算論を展開したのは,けだし自然の成行きであった。  

リーガーはつぎのよ.うに述べている,「−あらゆる商品ほそれが具体的紅どのよう   な性質のものであろうとも,マルク,そ・れゆえに.間接的には金に基づいて評価  

(541  

される。それらすべてほノ,つねに.ある特定遍の金と等置される.」と。   

けれども,このような貨幣観に・たつと,貨幣価値・一億の前提をおかなければ,  

貨幣計算は.そもそも成り立ちえないことになる。金本位制度の下でほ,貨幣は  

●●●●  

金とみなされ,金の−・定量に.−・定額の価格が付せられて価格基準が与えられ  

る。当時のドイツに・おいてほ,1ライヒス・マルクはキログラムの金硝  

しいと法定されてV、たが,それ紅よってすべての価格は,当該■財貨の特定畳が   どれはどの金の重さと同視されるかを表現していることになる。そこでは,数   限りない質的相異を示している諸財貨紅つし、てその質的なもの(Qualitatives)  

を量的なもの(Quantitatives)に.換静し,そうすることによってこれを計算可   能化せしめることに,貨幣計算の本質が求められる。貨幣計算は,いわば「優  

(55)  

面下の金の盈計算(verkappte Mengenrechnungin Gold)」紅他ならないの   である。   

しかしト貨幣計算に.おいて貿が患に換算され,それが金の畳計算たりうるた   めに.は,逆に価、格単位と金重畳との関係がh・・・・・定でなければならない。貨幣価値   変動に対する私的修正ほ,この関係を無視することに他ならず,その瘍合にほ  脚 片野一・郎著『前掲苔』凱−82貢。  

64)Rieger,W.:Das WertprobieminderAbschreibung,in Magaz王nder Wirtsch・   

aft Nr.2(1929),S小43  65)ebenda.   

(22)

・−β6 −一   第43巻 箆4号   404  

貨幣計算胞.ほもはや計算可能性が存しない。リー・ガーが金本位制度に.支え.られ   た貨幣観にたら,貨幣計算を金の盈計静たらしめるかぎり,かくして「貨幣ほ変   動可能性のかなた紅なければならないことになる。  

1マルクほ一一  

r−1キログラムの金は2790マルクに等しい。これは逆に,   ぅ  

キログラムの金に等しいということである。この関係が,中央の発券銀行の政   策によって保持されるかぎり,貨幣価値の固定性(Festigkeit desGeldwertes)  

(68)  

に.ほ少しの疑いの余地もない」のである。「貨幣計算がなされようとする場合,  

至上ないし不可欠の前提ほ.,貨幣価値において起こ.りうべき変動を故意に.無視  

(57)  

し,貨幣価値を指針一・水準で,つね紅永遠なものとみなすことである」。その結   鼠 金本低利度が存続するかぎり,貨幣価値修正ほ.,貨幣計簸に敵対■す−る概命  

(geldrechnungsfeindlicheVorste11ungen)とされるのである。   

しかしながら,金本位制皮の下であると否とを問わず,もちろん貨幣価値の   変動ほ発生する。その場合に,金重患と価格単位との蘭係がなお−・走であるな  

らば,名目上すなわち法律上の価格基準と事実上のそれとの間に帝離が生ずる   こ.と紅なる。いわゆる金紋の帝離がこれであるが,このことに.ついて,リーガ   ー・ほ,回復され正常に磯絶するようになった金本位制度の下では,法律上の追   認が必要なかぎりスムーズに・なされると考える。そして,もしも法律上価格基モ   準が変更されるならば,貨幣計算も修正がなされればよいのであつて,かかる   修正によってほ.,計算の継続性(Kontinuitat der Rechnung)ほ.損傷されな   いとする。すなわち,全体計算についていうならば,「必ずしも,企業の全存  

続期間中,同一・の本位が支配するこ.とを意味する必要はない。というのは,本   位の変動ほ,必ずしも,計算の継続性を止揚しないからである。そ・の変動が秩   序よく行なわれるならば,『回帰的連結(rekurrenter AnschlqP)』が保証され  

(58)  

ており,かくして間断なく継続する計算の可能性も保証されている」と考える   のである。  

(56)Rieger!W小:Einfiihrtmgin diePrivatwirtschaftsiehre,S.256−257 

(57)Rieger,Wい:a.a.0,S.253 

(58)Rieger,W :aa.0,S.206 

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