序 文
現在のわが国の細菌性赤痢は主として輸入感染 症の一つと認識されており,多くの症例は軽症〜
中等症の下痢を発症し,重症例や死亡例をみるこ とはきわめて稀である.今回,著者らは最近の海 外渡航歴を有さず,感染経路が不明だった高齢者 の細菌性赤痢の死亡例を経験した.
症 例
症例:71 歳,男性.
主訴:下痢,意識障害.
食 物 摂 取 歴:平 成 13 年 2 月 25 日 夕 食 は 刺 身
(青柳,鮪) と牛肉,翌 26 日朝食はパン,チーズ.
既往歴:28 歳,肺結核.66 歳,心筋梗塞 (経皮 的冠動脈拡張術施行) .70 歳 (平成 12 年 2 月) ,右 上葉肺癌 (他院にて放射線併用化学療法を施行後,
右上葉切除術を施行) .
現病歴:平成 13 年 1 月歩行障害を契機に転移 性脳腫瘍と診断され,放射線療法をうけた.歩行 障害は改善し,その後は自宅療養中であった.特 に海外渡航歴はない. 同年 2 月 26 日昼頃から十数 回に及ぶ水様性下痢が出現した.27 日明け方より 血便となり,軽度意識混濁も認めたため,救急車 にて都立駒込病院を受診した. 午前 9 時 10 分受診 時,意識混濁,血圧測定困難であった.酸素投与,
末梢静脈ラインを確保し,酢酸リンゲル液の急速 輸液で,9 時 33 分血圧は触診で 54mmHg,酸素飽
和度 99% となり,意識も徐々に改善した.粘血便 を失禁していたため,便培養の検体を採取した.
尿道カテーテルを留置したが,尿量は 30cc のみで あった.心電図は洞調律で,II,III,aVF に 0.8 mm の ST 上昇を認めたが,心臓超音波検査上壁 運動の低下は認めず,駆出率は 50%,トロポニン T 定性試験も陰性,CK は 2,496 IU
!l,CK-MB は 1%(37 IU
!l)であった.輸液にドーパミンを併用 し,収縮期圧 82mmHg まで上昇,同日 11 時 5 分 入院した. 家族に下痢を発症した者はいなかった.
入院時身体所見:体温は 36.2℃,脈拍 110! 分・
整,血圧はドーパミン 3
µg
!kg
!hr 投与下で収縮期 血圧が 80mmHg,呼吸数 20 回
!分であった.酸素 5l
!分投与下で酸素飽和度 96% であった.嗜眠傾 向であったが,対光反射は両側とも異常はなく,
神経学的に異常所見は認めなかった.皮膚は両側 大腿外側を中心に皮膚色は暗紫色,チアノーゼ様 であり,末梢冷感は著明であった.結膜に軽度貧 血を認めた.頸静脈怒張,リンパ節の腫大は認め ず,胸腹部に特に異常所見を認めなかった.鼠径,
内頚動脈触知は可能であるが,上下肢とも末梢動 脈触診は不可であった.全経過中けいれんはまっ たく認めなかった.
外来受診
!入院時検査所見(Table 1)
尿検査では蛋白尿を,尿沈査にて赤血球を認め た.血算ではリンパ球が 160
!mm
3と著しい減少を 示し,細胞性免疫低下の存在が考えられた.入院 後もリンパ球数は 76
!mm
3と低値が続いた.また Hb 13.0g! dl,T-bil 0.8mg! dl と溶血性貧血は証明
急速な経過を辿り死亡した赤痢菌感染症の 1 例
東京都立駒込病院総合診療科1),同 感染症科2)
今村 茂樹
1)岡本 朋
1)増田 剛太
2)(平成 14 年 3 月 11 日受付)
(平成 14 年 4 月 10 日受理)
別刷請求先:(〒330―8503)埼玉県さいたま市天沼町1―847 自治医大付属大宮医療センター総合診療科
今村 茂樹
Key words: shigellosis, hemolytic uremic syndrome, compromised host 466
感染症学雑誌 第76巻 第 6 号
Table 1 Laboratory findings at first visit
37 IU/l ALP
Urinarysis:
1,579 IU/l CK
1.021 specific gravity
22 IU/l CK-MB
3 + protein
mg/dl 50.9 CRP
− sugar
mEq/l 137 Na
/HPF 3 + RBC
mEq/l 5.7 K
3―5 /HPF WBC
mEq/l 98 Cl
Peripheral blood:
mg/dl 7.3 Ca
4,000 /µl WBC
mg/dl 9.4 IP
4.0 % Myelo
mg/dl 51 BUN
22.0 % Meta
mg/dl 2.7 Cre
38.0 % St
mg/dl 10.5 UA
28.0 % Seg
mg/dl 237 T-cho
3.0 % Lym
63 g/dl Glu
5.0 % Mono
s(83%)
13.8 PT
417 × 104 /µl RBC
33.4 s aPTT
13.0 g/dl Hb
mg/dl 462 Fib
37.2 % Ht
µg/ml 7.4 FDP
8.8 × 104 /µl Plt
ng/ml 11,000 Myoglobin Biochemistry:
Bloodgas(O2 5L mask); 5.1 g/dl
TP
7.36 pH
2.9 g/dl Alb
mmHg 29.0 PCO2
0.8 mg/dl T-bil
mmHg 166 58 IU/l PO2
AST
mmol/l 17.0 44 IU/l HCO3
ALT
mmol/l
− 7.1 375 IU/l BE
LDH
されなかったが,Plt 8.8 万! mm
3と血小板減少,
BUN 51mg
!dl,Cre 2.7mg
!dl,K 5.7mEq
!lと急性 腎不全を示唆する成績を得た.末梢血スメア標本 には破砕赤血球を認めた.腹部超音波検査では肝 臓,脾臓,膵臓,腎臓に特に異常所見はなく,上 腸間膜動脈(SMA),上腸間膜静脈(SMV)の血 流は保たれており,明らかな血栓は認められな かった.
入院後経過:循環動態の安定を目標に補液,
ドーパミン投与,代謝性アシドーシスは重炭酸で 補正し,急性腸炎に対しては抗生物質(セフメタ ゾール)を開始し,入院後意識障害は会話が可能 なまでに回復したものの,無尿の状態が続き,循 環動態が不安定なまま,午後 6 時 1 分心肺停止と なり,同日死亡を確認した.後日便培養にて赤痢
菌
Shigella flexneri2a を検出した.腸管出血性大腸
菌 は 検 出 さ れ な か っ た.血 清 中 shiga like toxin も検出されなかった.血液培養は外来で施行した 1 回のみであったが陰性であった.
考 察
本症例は水様性下痢で発症し,出血性腸炎に,
急性循環不全,急性腎不全の状態で搬入され,発 症から約 30 時間後に死に至るという非常に急速 な経過をたどり,死亡後に判明した糞便培養成績 により赤痢菌感染症と診断された症例である.
本症例は外来搬入時急性循環不全の状態であっ たが, 心筋梗塞等の心原性ショックは否定された.
す な わ ち 心 電 図 上 II,III,aVF に 0.8mm の ST 上昇を認めたものの,トロポニン T 定性試験も陰 性で
1),外来施行時と入院後の CK-MB 間に変化 が乏しいこと,心臓超音波検査上壁運動の低下を 認めなかったこと,などの理由による.したがっ て下痢による脱水が循環不全の原因と考えられる が,さらに急性腎不全を併発していた.
細菌性赤痢は,近年の日本では年間患者数は 1,300 人程度(罹患率人口 10 万人対 1. この数値は アメーバ赤痢を含む) ,死亡数は 3 人前後(細菌 性・アメーバ赤痢を合算したもので, 内訳は不明)
であり,赤痢による死亡例は稀
2)とされる.また剖 検例において細菌性赤痢を指摘されたのは 1995 年〜1999 年の 5 年間で 1 例のみであった
3).
本症例の糞便培養からは
S. flexneri2a が検出さ れたが,この症例には最近の海外渡航歴もなく,
また同居している家族の便培養はすべて陰性であ り,感染経路は不明であった.しかし,刺身等の 冷凍食品には近年輸入品が多いことが挙げられ,
本症例でも購入した食品から感染した可能性が否 定できなかった
4).
本症例は受診時,すなわち発症 21 時間後,すで に急性腎不全の状態にあり,しかも血小板数 7.6 万! mm
3と低値であった.血小板数はその数時間 後には 8.8 万
!mm
3と低値で,フィブリノーゲンは 462mg
!dl と高値を示し,FDP 7.4
µg
!ml と増加し て お ら ず,い わ ゆ る 播 種 性 血 管 内 凝 固 症 候 群
(DIC) は否定的で,さらに DIC 診断基準上も 3 点
(基礎疾患 1 点,臓器症状 1 点,血小板 1 点)と DIC は否定的であった
5).
一方急性腎不全で血小板減少を来たし,末梢血 スメアで破砕赤血球を認めたことから,溶血性尿 毒症症候群(HUS)を併発した急性下痢症であっ
致死的細菌性赤痢の 1 例 467
平成14年 6 月20日
た可能性も考えた
6).
しかし細菌性赤痢に併発する HUS は,
S. dysen-teriae
による重篤な大腸炎から数日の経過で HUS
におちいるとする報告
7)はあるが, 本症例は原因菌
が
S. flexneriであり,文献からは HUS を併発した
可能性は低いと考える.
赤痢菌感染症の死亡原因は文献によると,低栄 養状態(標準体重の 70% 以下) ,血管内虚脱(脱 水) ,敗血症,DIC の合併等との関連が報告され る
8).Michael L らは,死亡危険因子として 1 歳以 下,意識レベルの低下 (昏睡,嗜眠) ,血小板減少
(Plt 10 万
!mm
3以下) ,低蛋白血症(TP 5g
!dl 以 下)をあげている
9).本症例において DIC は診断 基準を満たさず, 血液培養検査では陰性であった.
しかし脈拍が 90
!分以上,呼吸数 20
!分以上,桿状 球が 10% 以上であることから全身性炎症反応症 候群と診断できる
10).その原因として感染症が第 一に考えられることから,本症例は敗血症であっ た可能性が高い.
赤痢菌による敗血症症例は,本症例のように意 識障害を伴い,短時間の経過で死に至る症例は少 なく,多くは発熱,下痢,血便等の症状で,数日 以上の経過を辿り,軽快する
11)〜15).
以上から敗血症のみならず,高度の脱水,低栄 養状態,低蛋白血症などの要因も経過に大きな影 響を与えたと考えられた.
急速な経過をたどった赤痢については,往年の 疫痢という疾患が鑑別対象になる.疫痢は 3〜5 歳前後の小児にみられる赤痢の特異な病型で,短 時日中に経過する重篤な疾患であった
16)17).注目 すべきは 1945〜1947 年の疫痢 180 例のうち赤痢 菌検出例は 88 例,志賀 2 例,フレキシネル 37 例,
ソンネ 35 例と赤痢菌検出例の中ではフレキシネ ル(S. flexneri )がもっとも多かった点である
17).無 論,成人(高齢者)症例である本例と往年の小児 中心の疫痢との異同を短絡的に論ずることはでき
ないが,
S. flexneriを検出した本症例の臨床像には
突然起こる高熱,けいれん等の症状を認めなかっ たが, 意識障害を伴い, 非常に急速な経過をたどっ た点で類似しており興味深い.
M. Prokocrimer ら は 担 癌 患 者,compromised
host では赤痢菌感染症が増悪する可能性がある と報告をしており
18),高齢者,糖尿病
12),肝癌
13), 肝硬変
19)を基礎疾患にもつ症例にも赤痢による死 亡報告例がある.
本症例は肺癌に対して術前の放射線化学療法を 行った高齢者であり,右上葉切除術をうけ,さら に脳転移をきたした後放射線治療が施され,自宅 静養中に発症した.老齢に加え,放射線療法や抗 癌剤により免疫能低下状態となり,また外来受診 時の検査成績でリンパ球数 160
!mm
3と著しいリ ンパ球減少を認めたことからも細胞性免疫の低下 状態にあったことが示唆され,易感染状態が進行 し, 重篤な経過をたどった可能性が否定できない.
本症例では剖検を施行できなかったため,死亡 原因を確定することはできなかったが,高齢者担 癌患者という compromised host に発症した致死 的細菌性赤痢という稀な病態と認識したため報告 した.
本論文の要旨は,第 494 回日本内科学会関東地方会(平 成 13 年 10 月 13 日,東京)にて発表した.
文 献
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A Fatal Case of Shigellosis in an Elderly Patient
Shigeki IMAMURA
1), Tomomi OKAMOTO
1)& Gohta MASUDA
2)Departments of Integrated Medicine1)and Infectious Diseases, Tokyo Metropolitan Komagome Hospital, Tokyo, Japan2)
A 71 year-old male, with no recent history of travelling abroad and a past history of lung cancer two years prior to presentation, which had been successfully treated, developed a sudden onset of watery diarrhea more than ten times a day on February 26, 2001, which gradually became bloody.
The next day he visited the Department of Integrated Medicine of the Tokyo Metropolitan Koma- gome Hospital by ambulance because his conciousness was deteriorating and he was hospitalized. He was hypotensive on admission, and a dopamine preparation was used throughout. The peripheral WBC was 3,800
!µl and the lymphocyte count was 76
!µl which thus suggested the presence of cellu- lar immune suppression. HIV was nottested. He died seven hours after admission. His stool culture yielded a growth of
Shigella flexneri2a, and a blood culture on admission was sterile. No verocyte toxin-producing
Esherichia coliwas not detected. The causes of death in cases with shigellosis have been reported in the literature to be an electrolyte imbalance , septicemia and disseminated in- travasucular coagulation(DIC)in developed countries. Our present case was considered to be a de- bilitated patient complicated with hemolytic uremic syndrome due to an infection with
Shigellabacte- ria which resulted in death despite performing intensive treatments.
〔J.J.A. Inf. D. 76:466〜469, 2002〕
致死的細菌性赤痢の 1 例 469
平成14年 6 月20日