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バ テ レン追放令再考

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弘前大学教育学部研究紀要 クロスロード 第 2 号 ( 2 0 0 0 年 1 2 月): 1 ‑7 CROS S ROADS.Fa c .o fEdu c . .Hl r O S a k lUni v . ,2 ( De c.2 0 0 0).1 ‑7

バ テ レン追放令再考

Se c o ndTho ug ht so ft heDe po r t a t i o nOr de rofJ e s ui t s

安 野 真 幸*

Mas a k iANNO

【 梗 概】

「 バテ レン追放令」の理解のためにはフロイス訳文は役に立たないこと。第三粂冒頭部分の分析がポイン ト となること。 この部分は関白政権内部での重臣たちと秀吉 との意見の対立を反映 していること。以上三点を 明らかに した。

【 キーワー ド】

バテ レン追放令,関白政権, イエズス会士の二枚舌

は じ め に

現在 「 バテ レン追放令」と言い習わされている天正十五年六月十九 日付けの 「 定」五 ヵ条の内,特に第三条 の冒頭部分の解釈は難解である。 ところでこの文書については,同時代人の イエズス会士フロイスによるポ ル トガル語訳文がある。 しか しこのフロイス訳文は以下述べる理 由で, この文書の理解には意味がないと思 われる。それゆえここでは,フロイス訳文ではなく,原文書に近いと思われ る松浦文書に基づ き,第三条の 解読を試み ることで バテ レン追放令全体の理解に迫 って行きたい。難解なところをあいまいに したままで は, この文書の真の理解には辿 り着けないと思うか らである。

松田毅‑氏は1 9 77年に出版されたフロイス 『日本史 1 』の訳注1 )で , 「 この第三条の 日本文の解釈はきわめ て難 しく,従来,明確に現代 日本語に訳 した方はいないはずである」と述べている。第三条冒頭部分について も ,C. R . ボクサー教授 と A. ボスカロ女 史のそれぞれの英訳を掲げて.「 両者は主語を異に している. これ は原文が難解であることを物語 る」と して,フロイス訳文そのものの難解さを述べている。 またその文体につ いても , 「 十六世紀の古いポル トガル文であ り,現代のポル トガル人にも理解 し難い」と述べて翻訳の困難さ, 原文の難解さを特に強調 している。

確かに. 私の持 っている現代ポル トガル語の辞書にも出ていない言葉が使用されてお り,フロイス訳文の難 解さは理解できる。 しか し松田氏は , 「この禁制文を当時秀吉か ら受理 し,確実に側近の 日本人か ら解説 して もらってポル トガル語に訳 したフロイスの文書はきわめて重要祝されねばならない。換言すればフロイスの 解釈は当時の 日本人の解釈であるか らである」 と してフロイス文書の重要性を主張 している。 しか し私はこ の主張には反対である。 フロイスが歴史の当事者と して,事柄に強 く関わ っていたことが,かえって事柄の 冷静で正確な理解を妨げたと思うか らである。

§ 1 フロイス訳文の問題点

バテ レン追放令をフロイスは 「 天下の主の定め」 と してポル トガル語に翻訳 した。 このフロイスのポル ト ガル語訳文を.さらに村上直次郎 ・松田毅‑の両氏は 日本語に重訳 したが,その 日本語訳をそれぞれ順 に掲げ ると,次のようになる。

*弘前大学教育学部社 会科教室 D e pa r t me ntofSo ci a l St udl eS ,Fa c ul t yofEduca t l O n,Hi r os a kiLT ni ve r s i t y

(2)

2 安 野 真 幸

【 村上直次郎訳 】 2

天下の君の決定

第一 日本は神々の国である。キ リシタンの国よりバー ドレ達が悪魔の教えを説 くために来た ことは甚だ悪 いことである。

第二 彼等は当 日本の諸国に来 り,諸人をその宗 旨に改宗せ しめ,神と仏の殿堂を破壊 したが,か くの如き は今までか って人の見たることも聞きたることもないことである。天下の君が国 ・村 ・町及び収入を人々 に与へ るはただその当時のためのみであ って,彼等は天下の法律及び決定に完全に服従すべ きである。一 般人民の右に焦 した擾乱をなすは罰すべ きことである。

第三 天下の君がも しキ リシタンの意向に従ひ,バー ドレ達がその宗派について前に述べたとは りに行ふ こ とをよ しとすれば,それは 日本の法律を破るものである。 これは甚だ悪 しきことである故,バー ドレ等は 日本の地に留 まるべか らずと定める。 この故に今日より二十 日以内にそのことを処理 し,己の国に帰るべ きである。 も しこの期間に彼等に害を加へ る者があれば,罰を受 くるであらう

第四 帆船は商業のために来るものである故,全 く違 ったもので.その業を行ふ ことを許され る。

第五 今後当地に来る者は商人のみならず,インドより来るい

なる者も,神 と仏の教えに妨害を加へねは 自由に日本に来ることを得 る。 右告知す。

天正十五年六月十九 日

【 松田毅‑訳】 3.

天下の主の定め

一, 日本は神々の国なるにより,キ リシタン国より悪魔の教えを説 くために ( 伴天連たち)が渡来 したこと ははなはだ しい悪事である。

二, これ らの者 ( 伴天連たち)は 日本の諸国諸領に来た り,その宗派の信徒を作 り,神や仏の寺院を破壊す るが,かかることは 日本においていまだか って見聞せざるところである。天下の主が,人々に国,町.村, および封禄を与えるのは.その当座限 りのものである。彼 らは天下の法.ならびに定めを寸分も曲げるこ となく遵守すべきである。 しかるに民衆が,かかる ( 寺院の破壊など)騒擾をなすは,これ処罰に価す る。

三 も し天下の君が,キ リシタンの意向に従 って伴天連たちがその高尚な知恵の法をもって振舞 うのを善 し とす るならば,〔 先に述べた ごとく〕彼 ら ( 伴天連 ら)は 日本の法を破ることになる。 しか してそれははな はだ不正なことであるか ら,予は伴天連が 日本に留 まってはならぬと定める。 よって今 日より二十 日以内 に,彼 らは身辺を処理 し,自国に帰るべきである。 も しこの期間中に彼 らに対 して害を加える者があれば, 罰せ られ るであろう

四.( ポル トガル)船が商取引に来るのは,それとは大いに異なることゆえ,なん らの妨げなく,それ ( 取引 き)を許され る。

五,今後,商人に限 らず, インドか ら来るいかなる人 々も,神と仏の教えを妨害せぬ限 り, 自由に 日本に来 ることが出来る。 以上告知す る。

天正十五年第六月十九 日

以上二つの 日本語訳文を瞥見 して明 らかなことは,次の二点である。第‑点は,第一条,第二条.第三条 の対象を総てバテ レンと していること。第二点は,フロ イスは第三条冒頭部分を正 しく理解 していないこ と。 これである。第三条でバテ レン追放令が出されたとの前提に立ては 第一条,第二条のフロイスの理解 はそれなりに合理的である。 しか しこのような合理的理解によって,第三条の冒頭部分の解釈はないが しろ にされて しまった。第一点についても,私の分析が成 り立つ と仮定す ると.少なくとも第二条の対象は 「 給 人」であ って 「 バテ レン」ではないはずである。

この議論に入るために,第二条を次のように A・B・C に三分解 しよう。

A 其国郡之者を近付門徒にな し 神社仏閣を打破之由 前代未聞候。

B 国郡在所知行等給人に被下候儀者 当座之事候。

(3)

バテ レン追放令再考

C 天下 よ りの御法度を相守 諸事可得其意処 下 々と して猿義 曲事事。

3

フロイスの理解 とわれわれの理解が異 なるのは , Bの 「 給 人」を,漠然 と 「 人々」と訳 し,「 秀吉か ら国郡 在所知行等を給 っている人」す なわち 「 秀吉家臣」と明確に限定 していないこと。 C の 「 下 々」に関 しても, 私は 「 天下 よりの御法度を相守 諸事可得其意処」は 「 給人」に対す るものであ り,そ こか ら,この 「 下 々」

には 「 給人」が含 まれ 場合によ っては 「 バテ レン」 も含 まれ ると思うのに, フロイスは 「 下々」を 「 一般 人民 」 「 民衆」と明確 に限定 し,寺社の破壊 を行 なうのは彼 ら 「 一般人民 」 「 民衆」だと断定 し,「 給人」であ るキ リシタン大名を免罪 している。

また A の 「 其国郡之者を近付門徒 にな し 神社仏閣を打破」 る主体を 「 バテ レン」 とす ることにより,第 三条冒頭部分の固有の意味が判 らな くなり,結果的に第三条を正確 に理解す ることが出来 なくな っていると 思われ る。 「 神社仏閣を打破」る主体が 「 給人」であるのは ,B か らも明らかであるが,さらにこの 「 定」第 二条が次に掲 げる前 日の 「 覚」の第二条,第三条の圧縮型であることにもよ っている。対応 しているところ をアンダーラ インで示す と,次のようになろう

一 国郡在所 ヲ御扶持二被遣候を,其知行中之寺庵百姓以下ヲ 心 さ しも無之処 押付而給人伴天連門徒二 可成 由申 理不尽二成候段 曲事候事。

‑ 其国郡在所知行之儀 給人二被下候事ハ当座之事二候 給人ハかは り候 といへ共 百姓ハ不替 もの候条 理不尽之儀何かに付て於有之ハ 給 人ヲ曲事可被仰 出候間可成其意候事

これ よ り先,フロイスの 『日本年報 』 4 1によれは サ ンチ ャゴの祝 日の前夜,高山右近を追放 に処 した後, 夜遅 く秀吉の使者が コエ リュを詰問 して,仏教諸派 との融和,強制改宗 と神社仏閣破壊の禁止を強 く迫 った のに対 して, コエ リュは次のように述べている。

強制 してキ リシタンとなす ことは我等の習慣で もな く, また これを した ことはない。‑‑‑バー ドレ達は 権力を有せざる故,たとへ希望 しても強制す ることはで きない。 また 日本人を強制す るものは彼等 に説 く 教えが真理であることで, これに動か されてキ リシタンとなるのである。彼等は神仏の教えによって救を 得 られぬことを悟 り. 自ら社寺を破壊 し,その跡 にデウスの聖堂を建てたのである。

松E E ] 毅‑氏はフロイス 『日本史 lJ 15 ‑の訳注において,イエズス会の非公開性の報告書である巡察師 り リ ニア‑ ノの報告をい くつ も引 き.「 フロイスが記 しているコエ リユの談話は事実 に反す ることが判 る」と して いる。宗教改革期の ドイツにおいて,民衆の信仰が新教か旧教かは領主の決定 によった。 日本においてもこ れ と同様,上か らの布教,強制改宗がなされた ことは云 うまで もない。む しろここで注 目すべ きことは, イ エ ズス会士たちは 日本人たちに道理 に基づ いた真理を語 り,真理を悟 った 日本人たちが彼等自身の判断で寺 社の破壊 を行 なったと している点である。

M. フ‑ コ‑は 「 牧人 ‑司祭型権力 」6 ) と云 う言葉を使い, イェズス会士たちを含む司祭一般の持 っていた 権力を,… 群れを導き,群れの在 り方を規定す る特殊 な権力"と定義 している。彼 らは 「 権力を持 っていない」

のではなく,特殊な権力の行使者であ った。それ ゆえ ここでは,寺社の破壊が必要だと群れ に指示 しておき なが ら,指示 した ことは総て真理や正義であるか らと して,その結果引き起 こされた事柄 に対 し, 自己の責 任を認めようとはせず.実際に寺社を焼 き討ち しているのは民衆であ り, 自分の手は汚れていないと してい るイエズス会士たちの姿を指摘す ることができよう

フロイス訳文の第三条ではこの コエ リュの物言いはさらに拡大 し,( バテ レンたちの振 る舞 いはキ リシタン

の意向に従 っているのだ) とな っている。群れを導いておきなが ら,群れの行 くままに牧人は振 る舞 ってい

るのだと しているのである。 これは 「 定」の 日本語理解 と して間違 いなばか りか, 自らの行ないは常 に正義

であ り, 「 よ り大いなる神の栄光のために」 という正 しい 目的に基づいていると して.常 に自己を正統化 し,

結果に責任を取 ろうと しない不誠実な態度である。 これでは イエズス会士たちが 「 二枚舌,陰謀を企む.腹

黒い」 などと云われても,仕方がないであろう

(4)

安 野 直 幸

§2 第三条冒頭部分の分析

第三条の冒頭には 「 伴天連其知恵之法を以 心さ し次第二檀那を持候 と被思召候へハ,如右 目域之仏法を 相破事曲事侯条‑・ ‑」 とある。 「 思 し召される」主体は敬語の用法か ら考えて = 秀吉" とす ると, 「 伴天連其 知恵之法を以 心 さ し次第二檀那を持候」の部分は秀吉の考えた事柄.その内容 となる。 「 被思召候へハ」の 部分も.平戸の松浦家文書を見る限 りでは 「 被思召上=公Jとあ り ,「 候へハ」が一番 自然な読みだと しても

「 上ハ」の可能性 も捨て切れない。 「 候ハハ」が … 未定条件 'を表 し 「ます ならば」の意味なのに対 し.「 候へ ハ」は = 確定条件' 'を表 し 「ますか ら 」 の意という。

「 上ハ」なら当然 ̀ ● 確定条件日を表 していることになる 。 それゆえ く秀吉様は今 「 伴天連・ ・ ・ ‑」とお考え写 すか ら 「 如右 目域之仏法を相破事曲事候条‑‑ ‑」)と続 くことになる。 また 「 曲事侯条」以下ではバテ レンの 日本か らの追放を命 じている。つ まり 「 曲事候条」までの部分はバテ レン追放 についての理由の陳述で , 「 如 右」とは,右に書かれた第二条を指 し,「目域之仏法を相破事曲事候」は第二条の 「 神社仏閣を打破之由,節 代未聞候」を言い直 したものである。それゆえ第三条は 「 伴天連‑ ‑」 と云う秀吉の考えと,第二条を根拠

にバテ レン追放を命 じたものとなる 。

松浦家文書を見る限 りでは.この文書には秀吉の朱印は押されていないが,本来正文には秀吉朱印があ っ たと思われ この五 ヵ条か らなる 「 バテ レン追放令」は秀吉の法令で,その中にさらに秀吉の考えが記 され ているとなるのだが,このことはどう考えれば良いのだろうか。 「 伴天連 ・ ‑‑ 」の部分は,五 ヵ条か らなる本 法令全体の中で また第三条の中でどう位置付けられ るべきものなのだろううか。本法令全体を今仮に 「 地 の文」とす ると,「 地の文」は秀吉政権全体の意志の表明で 冒頭の 「 伴天連‑‑‑」の部分は秀吉の個人的な 考えを記 した 「 引用文」 と考えて良いのだろうか。

そこで思い付 くのが.前 日の 「 覚」である。既に明らかに したように.この 「 覚 」 , さらには当該 「 定」の 背後には,秀吉の政権内部におけるキ リシタン覚の高山右近 と施薬院徳運を中心 とす る重臣たちとの権力闘 争があ った。徳運は比叡山出身の僧侶で 信長によって焼 き討ちされた比叡山の再建を行なった後 , 「 施薬院」

という古代律令制の官職に任 じられた人物で,当時の舶来文化キ リシタンに対立す る. 日本の伝統文化の権 化の立場にある人物であ った。 ここか ら 「 地の文」を作 ったのは.施薬院を中心とす る重臣たちと秀吉の合 議の場,= 秀吉の御前会議日 と想像 される。

§3 第一条 ・第二条の論理

想像を達 しくす ることが許され るなら,キ リス ト教を 「 邪法」 と断定 した第一条,キ リシタン大名の行い を否定す る第二条は共に. 施薬院を中心 とす る重臣たちの主導によって作成され,秀吉 も合意 して法令となっ たものであ り,次に秀吉か ら 「 伴天連‑・ ・ ・ ・ 」 の発言があ ったとなろう。 もちろん,第一条か ら論理必然的に 第三条のバテ レン追放が導 き出されるということも考え られ るが,権力闘争を勝ち抜いた施薬院たちにとっ てみれば,高山右近を中心 とす るキ リシタン覚の排除を確定す る第二条の制定 こそが先決で 第一条はその ための前置きであったと考え られ る。

第一条には 「日本ハ神国たる処 きりしたん国より邪法を授候儀,太以不可然候事」 とある。 「日本ハ神国」

の部分を,フロイスは 「日本は神 々の国」 と理解 している。現在の 日本語の感覚では.明治以後プロテスタ ン トがキ リス ト教の 「ゴッド」を 「 神」 と翻訳 したので イエズス会士たちの広めた 「 デウス」は 「 神」 と なろう。 この 「 キ リス ト教の神」という理解を前提 とすると,「日本ハ神国」の部分は 「日本はキ リス ト教の 神‑デウス以外の神のいる国」 となり, 「 きりしたん国」 と対立 したものとなろう。 ここか ら 「 豊国大明神」

が考えられた りも しよう。

しか しこの考えは間違 っている。ザ ビェルは来 日当時 「 デウス」を 「 大 日」 と翻訳 して布教活動を開始 し たが.誤 りに気付き,以後は原語主義を採 り 「 デウス」で通 してきた。後に秀吉は 「 新八幡 」 と言い出 した とか,死んで 「 豊国大明神」に和 られたと しても,だか らこれ も,とはならないか らである 。 後の在 り方か ら,前の在 り方を読み解 こうとす るのは,精神の怠惰である。 人はその時その時を生きているのであ り,時 と共に変わ り得るものだか らである。問われなければならないのは,天正十五年六月に九州博多で秀吉政権 が考えた 「 神国」 とは何かである。

や まと言葉の 「 カ ミ」について,本居宣長が 『古事記伝」 ]で云うところを聞こう。(カ ミとは古の御輿等に

(5)

バ テ レン追放 令再考 5

見えたる天地のもろもろの神たちを始めて,共を柁れ る社に座す御霊をも申 し, また人はさらにも云ず,鳥 獣草木のた ぐひ海山など,そのほか何にまれ 尋常 ならずす ぐれたる徳のあ りて,か しこき物をカミとは云 なり)とある。鎌 田東二氏も第三の意味を採 り ( 神道の 「 神」という語は存在様態への敬称)と している 7) 。 それゆえ,この場合の 「 神国」とは ( 優れた徳のある畏き国)の意味で 「 きりしたん国」に対 して御国 自慢 的に自惚れているのだと思われ る。

「日本ハ神国」との秀吉政権の主張には (日本は天皇のいる優れた国)の意味が含 まれていた。その理由は 第二条にある。 これは前 日の 「 覚」の第二,第三条を一つに纏めたもので , 「 国郡在所知行等給人に被下候儀 者当座之事」 とか 「 覚」第三条の 「 給人ハかはり候 といへ共,百姓ハ不替 もの」は中世の在地領主制に代わ り,近世領主の 「 鉢植え」の原則を述べたものだが,その背後には古代律令制下の国司制度や,百姓を 「 オ オ ミタカラ」と呼んだ古代の再確認があり,第二条には く 天皇の支配 していた古代こそが平和な日本であ り, それを復活 させ るのだ) との主張が隠されている。

「 四海波静かにて.天下治 まる御代なれば。 」 この言葉は中世芸能の世界でよ く唱えられた祝詞である。 こ れは現実の戦国の世に対 して,人々の平和への希求,天皇の支配 した古代への憧れを示 している。 このこと はイエズス会士たちの記 した 日本の歴史か らも確かめることが出来る。ザ ビェルやワ 7 )ニア‑ ノが記 してい るものは大筋同 じで,(昔 日本は,内裏とよばれ る王が全国を支配 し,平和で安定 していたが,あるときか ら 戦いが始 まり,以来戦争は止む ことなく続 き,現代にいた った) というものである。関白政権 とは, このよ

うな民衆の希望に応えようとす る面を持 っていた。

このバテ レン追放令は天正十五年の九州御動座,島津征伐の直後.九州博多で出されたものである。藤木 久志氏 8) が述べているように,そもそも九州御動座の大義名分は島津氏に天皇の意志である 「 惣無事令」を守 らせ ることにあ った。天皇の権威の利用に過 ぎないとは言え,九州御動座の最終的な根拠が天皇の意志に あ ったのだか ら,第二条において 「 給人に被下候儀者当座之事」 と命令 している背後にも,天皇の下にある 関白政権の姿を見て取 ることが出来よう。それゆえ第一.第二条の背後には,天皇‑関白という論理があ り,

これを主張 した人は施薬院徳運 と してよいだろう。

第‑条が施薬院によって主張 され,制定 されたと考えると,(日本の伝統文化 こそがすぼ らしいもので 今 流行 っている舶来文化のキ リシタンは間違 っている)との彼の声が聞こえて くるように思われ る。 「日本ハ神 国」の主張は (日本は伝統文化のあるすぼらしい国)ということで,この中には く 天皇の支配す る国‑日本, 天下人である秀吉の権限の根拠には関白の官職がある)の意味が含 まれていると思われる。

§4 イエズス会士の二枚舌

と,すれば,( 天皇‑関白という論理に基づいて,キ リシタン党を排除すればことは終わ りだとならない。

一番悪いのはバテ レンだ) と秀吉が主張 したところに第三条の問題があるとなろう。 「 伴天連其知恵之法を 以.心 さ し次第二檀那を持候」 とは,キ リシタン大名の禁止 ・統制をいくら行なっても,バテ レンは 「 知恵 之法を以,J L、 さ し次第二」キ リシタン大名たちを 「 檀那」にす るので 根本原因であるバテ レンを放置 して おけば,第二条で述べた問題は今後も起 こらざるを得ないのだと主張 しているのである。 このような理解と フロイスの 『日本年報』 とは一致す るところがある。

少 し長いがフロイスの 『日本年報』の関係す る部分 9) を全文引用 しよう。

右近殿が追放され, ビセプロピンシャルのパ‑ジ レが厳 しい命令を伝へ られた夜が過ぎて,翌 日使徒サ

ンチ ャゴの祝 日に,関白殿は起 きて前夜 と同 じく激怒 し居 り.多数の貴族の前でわが聖教ならびにバー ド

レに対 し罵言の言を放ち , 「 この教えは悪魔の教で一切の幸福 を破壊す るものである. またバー ドレ達は大

なる欺隔者で 教を説 くを口実 として人を集め,後に日本において大なる変革を起 さんために来たもので

ある。彼 らは絞滑に して博識の人であ り,穏やかな言葉 と人を欺 く議論をもって 日本人の心を引付け,多

数の大身及び貴族を欺いた。 も し智慮な くば彼 自身欺かれたであ らう。バー ドレ等が巧妙なる言葉 と尤 ら

しき理論のもとに欺臓を隠 したことを初めて発見 したのは彼で,も し彼等の企図を抑圧せざれは 大坂の

坊主が一向宗を説 くといふ 口実のもとに多数の人を集めた後,領主を殺 してその地を収め,大なる領主と

なって.天下の君である信長を大いに苦 しめた如 くなるであ らう。バー ドレ等は大坂の坊主の如 く下味の

(6)

安 野 異 辛

人のみを引付ず. E ]本の頭立 った領主及び貴族を引付 くる故, 自ら領主となることは容易で,大坂の坊主 よりも更に危険である。彼等はキ リシタンとなった者を団結せ しめ,キ リシタンは皆バー ドレを尊敬 し心 服 してゐる故,時を待 って天下の君に叛起す ることは容易であ り,大なる戦争が起 こり, 日本はこれに苦

しむであらう」 と言 った。

「 使徒サ ンチ ャゴの祝 日」とは1 587 年 7 月2 5 日で 日本暦では天正十五年六月二十 日なのだが,既に述べた ように,キ リス ト教徒たちにとって 「 勝利の 日」であるサ ンチ ャゴの祝 日にとんでもないことが起こったと して,バテ レン追放令発布の意外性を強調す るためにフロイスは意図的にこの 日が選んだのであ り.本当は

‑ 目前の 「 定」の発布 された六月十九 日だと思う。 またフロイスの記録では.多数の貴族たちを前に して秀 吉が演説を しているように記されているが , 「 定」を作成す るための御前会議についての噂をフロイスがこの ように記 したものであろう。

第三条の 「 伴天連其知恵之法を以 心さ し次第二檀那を持候」の言葉のうち,アンダーラインの の部 分は 「 知恵之法を以」 に対応 し, の部分は主体が変わ っているが,内容的には 「 心さ し次第ニ」 に対応 していよう。 なお,アンダーラインの や の部分が , 「イエ ズス会士的」の意味と して辞書にまで載 っ ている 「 欺隔,絞滑,二枚舌.腹黒い,陰険」等 々, イエズス会士たちに対 して投げかけられた悪評と一致

していることは興味深い。 これ らの悪評はヨーロッパにおける彼等の活躍の結果なのだ 1 0 ' が,これ と同 じこ とを秀吉も気がっいたと しているのである。

イエズス会士たちは 「 より大いなる神の栄光のために」をスローガンと し.聖なる目的のために様 々な人 物に身をやつ し,どんな困難な状況にも突き進んでい った男らしい男と して有名ではあるが.他方そのあま りにも政治主義的な. 目的のためには手段を選ばない在 り方が嫌われ 日本社会か ら排除されたばか りでは なく, ヨーロッパの絶対主義国家か らも排斥され イエズス会は一時解散 させ られた歴史を持 っているので ある。

§5 九州の新 しい勢力地図

アンダーラインの の部分には,秀吉がそのことに初めて気がついたのだと して得意げな様子が記され ている。 これより先,天正十三年三月ガスパ ・コエ リヨ等宣教師一行が大坂域内で秀吉 と謁 見 した際,九州 の国分の方針が語 られ 大原則は大友 ・島津 ・毛利の三氏への分割で キ リシタン大名の高山右近,小西立 佐には肥前を.長崎の港はコエ リヨの支配す るイエズス会の教会に与えるなどの話が出たとフロイスは記 し ている。その時の コエ リヨは,禅宗の僧侶 とよく似た服装を してお り,信仰を広めることに専念す る人物 と 見えたはずである。

しか し博多での再開の際には,九州の地のキ リシタン一校の力を誇示すべ く,彼は軍船のフスタ船に乗 り 軍人である提督の服装を していた。 これを見て秀吉は 「 バー ドレ達は欺隔者で,教を説 くを口実 と して人を 集め,後に日本において大なる変革を起 こさんために来たものである 。 」 「 バー ドレ等は自ら領主 となること は容易で 大坂の坊主よりも更に危険である。彼等は時を待 って天下の君に叛起す ることは容易であ り,大 なる戦争が起 こり, 日本はこれに苦 しむであろう」と感 じたのである。 目的のためには手段を選ばないイエ ズス会の在 り方に秀吉 も気がっいたのではあるまいか。

このことと,第三条の秀吉の言葉の 「 引用文」 とが対応 していよう

なお,「 大坂の坊主 」 「 一向宗」の件 は前 日の 「 覚」の後半に対応 してお り,前 日に徳運たちが述べたことを,秀吉は自分が気がっいたことと し て鶴鵡返 しに述べたことになる。 ところで 御前会議の中で秀吉が初めて イエズス会の欺隔,絞滑などに気 がっいたと して第三条が成立 したとすれば その政治的な意味は何かが次に問わなければならない。私はキ リシタン党の上にいるバテ レンの追放を命 じたことで 高山右近以外のキ リシタン党に対す る追及をかわそ うとす る,秀吉の政治手法があ ったと思う。

「 分割 して統治せよ」ではないが,秀吉の家臣団統制の方法は,対立させ,忠誠を競い合わせ ることにあ っ

た。そもそもこのバテ レン追放令は,天正十五年の九州御動座,島津征伐の後の九州国分の一環 と して存在

している。九州御動座,島津征伐の前に九州国分の原則は大友 ・島津 ・毛利の三氏に伝えられ.島津征伐は

島津氏が秀吉の裁定案に従わないことを理由に行なわれたのであるか ら,予めの方針に従 うのが筋というも

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バテ レン追放 令再考 7

のであろう。 しか し高山右近 はキ リス ト教の信仰を捨てないことを理 由に改易 とな り, イエズス会士たちは 国外追放 となり,教会領長崎は関所 とな った。

ア ンチ ・キ リシ タンの島津氏を征伐す るために,五畿 内のキ リシタン大名はもとより九州のキ リシタン大 名たちが総て秀吉の九州御動座 に協力 し,教会領長崎のフスタ船 まで動員 して,その結果が右近 の改易,バ テ レンの追放 なのだか ら, イエズス会士で な くとも衝撃的な結果 と云 う しか ない。 このように政権 内部のバ ランスが大 き く揺 らいだとき,秀吉は政権 の重心が これ以上大 き く揺れ ることを嫌 ったのであ る。その結果 九州は,翌天正十六年 の佐 々成政 の失脚後は,朝鮮の役の際の小西行長 に率い られたキ リシタン大 名たちと, 加藤清正に率 い られたア ンチ ・キ リシタン大 名たちが互いに対立,競合す る世界 とな った。

( 1 ) 松 田毅‑他訳 フロイス 『日本史 1』 中央公論社 1 9 7 7 年 ( 以下前掲書 と略す) 3 3 4 頁 ( 2 ) 村上直次郎訳 『イエ ズス会 日本年報 下』雄松堂書店 1 9 6 9 年 新異国叢書 2 3 3 頁

( 3 ) 前掲書 3 2 9 頁 引用 に当 り,第 2 条の 「 当時」 を 「 当座」 に改めた。

( 4) 村上直次郎訳 『日本年報 下 』 2 2 8 頁 ( 5 ) 前掲書 3 3 4 頁

( 6 ) M. 7‑ コ‑ 渡辺守章 『 哲学の舞台』朝 日出版社 1 9 8 3 年

( 7 ) 2 0 0 0 年 7 月 4 日 「 朝 日新聞 」 「こころ」欄 菅原伸郎 「ゴッ ド」 の誤訳が原因 ? 神社 本庁が 「 神の国」

発言で反論 変化 した神観念

( 8 ) 藤木久志 『 豊 臣平和令 と戦国社会』東京大学出版会 1 9 8 5 年 ( 9 ) 前掲書 2 3 2 頁 「 」 ア ンダーラインは引用 者。

q O ) 中村雄二郎 『 パ スカルとその時代 』 東京大学 出版会 1 9 6 5 年

参照

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