〔翻 訳〕
避 妊, 中絶と社 会主
義
政権
(1
'(
中東 欧 ・ ロ シ ア)
産児制限の カ テギリ
ー
区分と,そ れ ら が政 治 的に意 味するもの
原著 者
:
ダグ・
ステンヴオ ル(Dr
). / 翻 訳者:
岩本 美 砂 子ベ ルゲン
大 学 (ノ ル ウ
ェ ー)
要約
こ の
報 告で は, ロ
シア , ポ ー ラン
ド, ル
ー マ
ニア
とい
っ た中 東 欧に お ける産 児 制 限に関 する政 策 を 検 討 する。 社 会 主 義 政 権の
時 期とその
終 蔦 後の
両 方で の
中 絶や避 妊の
政 策お よ び そ れ らをめぐる語 り 方 を 見るこ
と に よっ て,
社 会 主 義か ら自 由 主 義‑の
移 行が,
産 児 制 限 政 策に ど れくらい
影 響し た かを 論じ たい
。 さら に,
社 会 主 義 政 権の
時 期とその
終 竃 後の
産 児 制 限が ど
の
よう な もの
であっ た か,
またあるの
か は,
西 欧での
政 策 をめぐる論 議と対 照さ せ て,
全て の
国や文 化の
独 特の
背 景の
中での こ
うい
っ た事柄に関 する暗黙の
前 提が,
「
自 然の 」 もの
で はな く 「
人為の 」 も
の
である とい
うこ
とを 暴 く 目 的で利 用さ れ る。 分 析の
焦 点は特に,
「
避 妊」
と「
中 絶」
との
区 別や, これ ら 2 つ のカ テゴ
リ ー が持つ ,
望 ましさ,
ゴ
リ ー が持つ ,
望 ましさ,
望 ましく なさ
の
評 定に当て ら れ る。 その
た め,
特 定の
事柄が「
避 妊」
と「
中 絶」 の どちら に区 分さ れ るべ
きか につ い て の , い
わ ば 「
縄 張 り 争い 」 の幾つ
かの
例 を挙 げてい
きたい
。
つ
かの
例 を挙 げてい
きたい
。(
1 3 1
)序 文
現 在
の
大 半の
西 欧 諸 国で
は,
カソ
リッ
クを 国 教とするア
イル
ラン
ドを 例 外と し て,
「
避 妊」
と「
中 絶」
とい
う2つ の概 念に関 する,
望 まし さ /
望 ましく なさ につ い て のある ひ とつ の区 別の
方 法が拡が っ て い
る。 つ
ま
りt
つ の区 別の
方 法が拡が っ て い
る。 つ
ま りt
「
避 妊」
は出 産 を 防 ぐた めの
責任があり 正 統 なやり 方とされ る 一 方,
「
中絶」
は,
避 妊が失 敗し たり 個々 の
妊 娠 を 重 大 問 題とする よう な 他の
特 別の
事情があっ たり する場 合の
必 要 悪か,
ど んな 場 合でも(あるい
は 幾つ
かの
場 合に おける) 正 統 性の
ない
単 純 な 悪と見 なさ れて いる。
誰でもが
「
中絶」
を 受 けら れ る とい
うこ
と に反 対 する人々
は,
現 代 的「
避 妊」
( 2)
に
つ い
て,
少々 の
例 外はあるもの の , まれ に し か同じ ように
強くは反 対しない
。 また,
誰で
もが 「
中 絶」
を 受 けら れ る とい
うこ
と に
賛 成 する人々
でも,
「
中絶」
が重 大 な 問題で はな く,
出 産 を 避 ける た め に 最 初に取るべ
き 手段で
ある(こ
れ が「
避 妊」
と して
用い
ら れ るべ
きだ)と論 じ る
こ
と は,
まれで
ある。こ の
望 ましさ/ 望 ましく なさの
区 別の
仕 方は,
今日の
西 欧での
産 児 制 限 をめぐる語 り 方に おい
て有 力で
あ り,
ま たこ こ
数 十 年,
有 力で
あっ た。し か しなが ら
,
わ れ わ れの
歴 史の
大 部 分に おい て , こ の こと は普 通で
はなか っ た し,
世 界の
他の
地 域で は,
や はり 定 着し てい
ない
。 こ の
独 特
の
産 児 制 限の
問 題 化に は暗 黙の
前 提があるの
で,
それ らを 明ら か にする た め に, こ の報 告で は歴 史 的 な視 角 を もっ て,
中 東 欧の
産 児 制 限政 策と
それ らをめぐる語 り 方とを 提 示し てい
く。 社 会 主 義 政 権の
もとで
は,
産
児 制 限 政 策は,
相 対 的に正 続 な「
避 妊」
と相 対 的に誤っ たもの
と し ての
「
中 絶」
とい
う 望 まし さ / 望 ましく なさの
区 別に は,
基づ いて い
なかっ
た。
現 代 的 避 妊 方 法が発 見 され たり 大 量 生 産さ れ たり する 以前に
「
中絶」
が
「
請 求 あ り 次 第に」
実 施さ れて いたこ
と は,
「
中絶」
が産 児 制 限の
第 一 (1 3 2
)避 軌 中絶
と
社 会主
義 政権 ( 中 東 欧・ ロシ ア)
の
選 択 肢と し て頼ら れ るこ
とを 帰 結し た (St
lo u
ka
l 1 9 99)。 避 妊リン
グ
や ピル
と い
っ た特に女 性が取 り うる 「
避 妊」
方 法は,
自然に反し,
非 効
率 的で , そし て / また は危 険である と考 えら れ るこ
と が多かっ た。 共 産
党 政 権は,
現 代 的 「
避 妊」
方 法の
知 識 を 広めなかっ た し, こ
うし た 「
避
妊」
方 法はまっ たく 入 手できず,
そ し て 1 9 70 年 代 中盤か ら は,
実 際の
と
こ
と が多かっ た。 共 産 党 政 権は,
現 代 的「
避 妊」
方 法の
知 識 を 広めなかっ た し, こ
こ
ろ ピル
が禁じ ら れ てい
た (U nit ed Na t
io n s
2 00 2)。学 者や観 察 家 達は
,
多 くの
中 東 欧 諸 国に おい
て,
工業 化さ れ た世 界の
他
の
どこ
に比べ
ても 高い
中 絶 比 率や低い
避 妊の
水 準と, こ の間題に関し
て,
西 欧で行わ れ てい
る よう な 望 まし さ / 望 ましく な さの
議 論が存 在し
てい
ない こと とを 指 摘し てきた (Ro
n 1 9 93) 。 中東 欧 諸 国の
社 会 主 義 政
権は,
中 絶 を 重 大 な 問 題と し て扱わなかっ たの
で はない
が,
西 欧と は異
なる やり 方で
問 題 化して い
たの
だ。
o
n 1 9 93) 。 中東 欧 諸 国の
社 会 主 義 政 権は,
中 絶 を 重 大 な 問 題と し て扱わなかっ たの
で はない
が,
西 欧と は異 なる やり 方で
問 題 化して い
こ の
報 告の
前 半で は,
社 会 主 義 政 権の
時 期とその
終 蕃 彼の
両 方で , ロ
シ
ア , ポ ー ラン
ド, ル
ー マ
ニア
での
避 妊と中 絶に関する政 治 を 見る。 論 じ たい こと は,
第1 にこ
れ らの
国々 の間での
違い
は何かで
あ り,
第2 に
共 通 点は何か である。 第3 に現 在と過 去の
産 児 制 限 政 策に関して , こ
れ
らの
国々
と多 くの
西 欧諸 国で
は何が違っ てい
るの
か,
そして
最 後にこ
れ
らの
国々 の
産 児 制 限 政 策が,
社 会 主 義 政 権の
崩 壊に よっ て い
か に影 響さ
れ た か,
につ い
て論じ たい
。
の
違い
は何かで
あ り,
第2 に 共 通 点は何か である。 第3 に現 在と過 去の
産 児 制 限 政 策に関して , こ
れ らの
国々
と多 くの
西 欧諸 国で
は何が違っ てい
るの
か,
そして
最 後にこ
れ らの
国々 の
産 児 制 限 政 策が,
社 会 主 義 政 権の
崩 壊に よって い
こ の
報 告の
後 半で
は,
特に「
避 妊」
と「
中 絶」 の交 差 ない
し 「
境 界 地
帯」
につ い
て論 じ たい
。 つ
ま りt
避 妊リン
グ や 「 モ ー ニ ング ・ ア フ
タ ー ・
ピル 」
ニ ング ・ ア フ
タ ー ・
ピル 」
̀ 3)
や月 経 除 去( 4) と
い
っ たある種 特 別 な 現 象 ない
し テ クノ ロ ジ ー
が,
「
避 妊」
と「
中絶」 の い
ずれ に区 分さ れ るべ
きか や,
その
区別が政 策 にもた らす 帰 結につ い
て論じ る。色
々
な 国や地 域 を 歴 史 的に 比較 するこ
と に よって , そし て 「
避 妊」
と
「
中 絶」
との
問の 「グレ
ー ゾ ー ン 」 の
幾つ
かの
特 定の
例 を取 り上げるこ
と に よっ て , 異 なる民 族 的,
地 域 的背 景に おける産 児 制 限の
政 治 的 問 題
(1 3 3
)
,
地 域 的背 景に おける産 児 制 限の
政 治 的 問 題 (1 3 3
)と し て
の
扱い
を,
「
自 然の 」 もの で
な く 「
人為の 」 もの
と し て浮か び 上 が
ら せ たい の で
ある。
の
と し て浮か び 上 が ら せ たい の で
こ の
報 告の
目 的は,
何かの
進歩とい
う 物 差し に よっ て,
国々
や政 策 を ラン
ク付 け するこ
と に はない
。 そ うで はな くて , 産 児 制 限 を 問 題にする
やり 方の
違い
を,
より 深め て理 解し たい の で
あ り,
さ ら に政 策 選 択や リ ブロ
ダ ク ティ
ブ ・ ラ イツ
に重 要 な 影 響 を 持つ
かも知れない ,
し ば し ば暗 黙で隠さ れ てい
る幾つ
かの
前 提 を,
それ と して
認 識し たい のである。 産
児 制 限の
領 域に おける考 え 方 を構 築 する異 なっ た やり 方が,
国家と社 会
に関するそれぞれの
異 なっ た捉 え 方に対 応し てい
る。 こ の
報 告は,
異 な
る イ デ オロ
ギ ー の
中で, い
か に出 産 ・ 避 妊 ・ 中 絶に関する政 治(リ ブロ
ダ ク テ
ィ
ブ ・ ポ リ ティ ックス
) が機 能して いるの
か, つ
ま り 例 えば人口
増 加 を 推 進 するの
か阻 止 するの
か,
男 女の
差 異 を 増や そうとするの
か減
じ ようとするの
か,
あるい
は社 会の
基 本 的 単 位 を 個 人にするの
か社 会に
するの
か とい
っ たこ
とを,
論じ てい
くの で
ある。
の
か, つ
ま り 例 えば人口 増 加 を 推 進 するの
か阻 止 するの
か,
男 女の
差 異 を 増や そうとするの
か減 じ ようとするの
か,
あるい
は社 会の
基 本 的 単 位 を 個 人にするの
か社 会に するの
か とい
っ たこ
とを,
論じ てい
くの で
ある。社会主義 政権の時期と その終蔦後の中東欧に お け る産 児 制 限
ソ
連は,
1 92 0 年に,
世 界 最 初に,
請 求 あ り 次 第の
中 絶 を 導 入し た。 1 9 30 年 代 中 盤以降の
中 絶の
再 犯 罪 化の
後.ス
タ ー リン の
死 後の
1 9 5 5 年になっ
て , 中絶は再び請 求 あ り 次 第 可 能になっ た。 同じ時 期に,
他の
多
くの
中 東 欧 諸 国が,
す ぐに(ブル
ガ リア , チェ コ ス ロ バ
キア , ル
ー マ ニ
コ ス ロ バ
ア , ポ ー ラン
ド,
ハ ン
ガ リ ー)t
あるい
は ゆ っく りと(ユ
ー ゴ ス
ラ ビ ア,
東ドイ
ツ
)こ
れ に続い
た。こ の
ように して , ソ
連と大 半の
社 会 主 義 諸 国 で は,
中絶は現 代 的 避 妊 方 法に先ん じ て,
容 易に受 けら れ る ようになった。 ハ
ン
ガ リ ー と東ドイツ
に おい
ての
み,
1 97 0 年 代以降,
ピル
や避 妊リン
グの
よう な 現 代 的 避 妊 方 法がある程 度 用い
ら れ てい
た (Z ie
lin a
ka
避 妊, 中 絶
と
社 会主
義政
権 ( 中東 欧・ロ シ ア
) 1 9 8 7)( 5)。 西 欧や北 米で避 妊リン
グ や経口避 妊 薬ピル
が急 速に使わ れ る ようになっ た 1 9 6 0 年 代7 0 年 代
の
間,
大 半の
中 東 欧 政 権は,
産 児 制 限の
手 段と し て,
直 接 的 ない
し間接 的に,
避 妊より も 中絶 を推 奨し てい
た。 避 妊は,
中 絶より も「
自 然に反し」 ,
潜 在 的に女 性に とっ て危 険だ と言わ れ てい
た(Ku
lc
zy cki 1 9 9 9)̀ 6 '。 西 欧や北 米に比べ
て,
中 絶は頻 繁であっ た
し,
日本 を 含む幾つ
かの
工業 化さ れ た諸 国の
み が,
同様の
中 絶 率 を 示し
た (St
lo u
ka
l 1 9 9 9)。
1 99 0 年 前 後
の
大 き な政 治 的 社 会 的 変 革の
後,
産 児 制 限の
第1の
選 択 肢 と し ての
中 絶‑の
依 存は,
有 力 な ま まで
あっ た。 ハン
ガ リ ー,
リ トア
ニア , チェ コ
共 和 国, ス ロ バ
キア
共 和 国,
東ドイツ
とい
っ た国々 で , こ の
間 題 をめぐっ て政 治 的 紛争が存 在し た が
,
中 絶 政 策は相 対 的に許 容 的で あ り 続 けた(Ku
lc
zy cki 1 99 9,
Flo o
d 20 02)。 ル
ー マ
ニ ア , ブル
ガ リア , ア
ル バ ニ ア
とい
っ た,
自 由 化以前に中 絶に制 限 的 な 政 策 をと る政 権があっ
ル
ガ リア , ア
ル バ ニ ア
とい
っ た,
自 由 化以前に中 絶に制 限 的 な 政 策 をと る政 権があっ
た国
々
で は,
法 律は より 緩や か になっ た。こ
うし た許 容 的 な 政 策の
実 質 的 な 例 外 を なし たの
は ポ ー ラン
ドで
あ り,
1 9 9 0 年代 を 通じ て,
強 くて
継 続し た政 治 的 紛 争が,
ポ ー ラン
ド に おける過 去の
体 制やヨ
ーロ ッ パ の全
域 (こ こ
でも, アイル
ラン
ド は例 外である) の
双 方と比べ て ,
産 児 制 限
ル
ラン
ド は例 外である)の
双 方と比べ て ,
産 児 制 限に制 約 的 な 体 制‑ と
つ
ながっ てい
っ た。社 会 主 義 政 権
の
間の
中 絶の
実 際の
数に関し て は ひ どく 不 正 確で はある けれ ど,
1 99 0 年 以 降,
中 絶は,
数の
上で
も,
生 殖 年 齢( 7 ) にある女 性 数と 比べ
た「
中絶 率」 でも,
死 産でない
出産と比し ての
中 絶の
率(「
中絶 比」
)
でも 少 な く なっ
て いる。 言 葉 を 代 える と,
出 産の
数 自 体が大 幅に減 少し
てい
る が,
中 絶の
数はそれ以上 に減って いるの で
ある。 にもか か わ らず,
の で
ある。 にもか か わ らず,
大 半
の
中 東 欧 諸 国で
は,
とりわけロ シ アとル
ー マ
ニ ア
で は,
世 界の
他の
どこ
より も,
中 絶が優 先さ れ る度 合い
が い
まだ に高い
。 例 えば 20 0 4 年
に は, ロ
シア で の
推 測さ れ る 「
中 絶 比」
は, ノ ルウェ ー の
よう な平 均 的
西 欧 諸 国より も5 倍 も 多い
。 1 00 の
死 産でない
出 産に対し, ノ ルウェ ー
の
よう な平 均 的 西 欧 諸 国より も5 倍 も 多い
。 1 00の
死 産でない
出 産に対し, ノ ルウェ ー
で の
中 絶が 2 5 であるの
に, ロ
シア で
は 13 0で
ある。今日
の
中東 欧の
産 児 制 限 政 策は,
社 会 主 義 政 権 下で出 産の
制 限が問 題 と さ れ かつ
取 り扱わ れて
きた やり 方や と関 係づ
けら れ る。 筆 者は,
中 東 欧の
文 脈に おける最 も異 なっ た ケ ース
を 扱 うた め に,
3つ の国 を 選 択し
た。 つ
ま りt ロ
シア
と ポ ー ラン
ド とル
ー マ ニ
ア が,
社 会 主 義 政 権の
時期
とその
終 蔦 後の
3 つ の歴 史 的 な 産 児 制 限 政 策パ
タ ー ン
を 代 表して い
る。
パ
タ ーン
を 代 表して い
ロ シ アは,
1 9 50 年 代以降避 妊より も 中絶に許 容 的 な,
中 東 欧 諸 国の
原
型 を なし てい
る。 ポ ー ラ ン
ド とル
ー マ ニ アは,
中 東 欧の
例 外と し て措か
れて
きた。 ポー ラン
ドで
は,
社 会 主 義 政 権に おける許 容 的 政 策か ら,
自
由 化以降は制 約 的 政 策に変 化し て おり, ル ー マ ニ アは,
社 会 主義 政 権 下
,
中 東 欧の
例 外と し て措か れて
きた。 ポー ラン
ドで
は,
社 会 主 義 政 権に おける許 容 的 政 策か ら,
自 由 化以降は制 約 的 政 策に変 化し て おり, ル ー マ ニ アは,
社 会 主義 政 権 下
,
社 会 主義 政 権 下で , 1 95 0 年 代 遅 くか ら 6 0 年 代 初めの
短い
許 容 政 策の
後,
制 限 的 な 政 策
を 取っ て
おり,
1 9 89 年の
社 会 主 義 政 権の
崩壊 後,
許 容 的 政 策に変 化し た。
社 会 主 義 政 権
の
時 期と その
終 竃 後の
3つ の 国々
を比 較し て検 討 するこ
と は,
多 様 な 背 景に おける中 絶 政 策か ら分 析に必 要 な距 離 を 得る た め に・
また様々
な 国に おける議 論の
なかの
暗 黙の
諸 前 提 を 明る み に出 す (「
自
然 な」
もの
でな く 「
人 為の 」
もの
と し て)こ
と に資 する た め に,
有 益 な 対 比 を 提 供 する だ ろう。ロシア
マ ルクス
・ レ
ー ニ ン主 義に従 え ば,
中 絶は資 本 主 義 的 生 産 構 造に よ っ
て生み出さ れ た社 会 的 悪であっ た。 19 1 7 年の ロ シ ア
革 命は,
制 約 的 産 児
制 限 政 策( 8 ) を 廃 止 するこ
とを 目指して
おり,
新しい ソビエ
ト社 会に おい
,
中 絶は資 本 主 義 的 生 産 構 造に よ っ て生み出さ れ た社 会 的 悪であっ た。 19 1 7 年の ロ シ ア
革 命は,
制 約 的 産 児 制 限 政 策( 8 ) を 廃 止 するこ
とを 目指して
おり,
新しい ソビエ
ト社 会に おい
て
は,
その
必 要性がな く なるの
だ か ら,
し だい
に消 滅 する だ ろうと論じ ら れ た (L e nin 1 91 3)。 1 9 20 年に は,
中 絶 を 医 師に よ っ て
公 立 病 院に お
い
て無 料で行わ れ る ようにする,
特 別 法が施 行さ れ た。 同 時に, こ の新
法は,
医 師で
か 、者に よ って
行わ れ る手 術や,
私 的に利 潤 を 目 的と し た
避妊, 中 絶
と
社 会主
義政
権 ( 中 東 欧・ ロシ ア)
中絶 を 犯 罪と し た( その
た め,
産 婆か ら は中 絶の
実 施 権が奪わ れ た)。 中
絶は,
引 き 続 きブル
ジョ ワ
的社会 構 造や家 族の パ
タ ーン
が残 存して いる
が故の
悪 一 但し,
必 要 悪と見 なさ れて いた。 マ ル
クス
・ レ
ー ニ ン
主 義
マ ル
の
想 定は,
中絶の
必 要 性は,
新 しい ソビエ
ト社 会に おい
て次 第に消 滅 す
る,
とい
う もの で
あっ た。
し か しなが ら
, ソビエ
トの
女 性 達は中 絶 を 受 け続 けた。 最 初は手 術は
すべ
て無 料であっ た が,
1 9 20 年 代の
間に中 絶 実 施の
た めの
ガ イ ド ラ イ ン
が変 更さ れ,
何 人かの
女 性 達は手 術の
た め に支 払い
を 強い
ら れ る ように
なっ た。 妊 娠3 ケ
月 までを 原 則と し,
妊 娠の
継 続に よ っ て
女 性の
生 命が
脅か さ れ る場 合の
み が例 外,
とい
う 時 期の
制 限 も課 され る ようにな り,
中 絶と中 絶
の
間に は 6ケ
月お かな くて
はならな く なっ た。 1 9 2 8 年以降,
女 性 達は妊 娠 を 中 止し た後
,
3 日間は病 院に留 まる ように強い
ら れ た (z
ie
lins
ka
1 9 87)。1 9 36 年に は
,
出 産 を 奨 励 するス
タ ー リン
政 権に よっ て,
妊 娠の
継 続や 出 産が妊 婦の
生 命か健 康に吾がある場 合や深 刻 な 遺 伝 的 問 題がある場 令 を 除い
て,
中 絶が再び犯 罪と さ れ た。 その
法 律に は,
資 本 主 義 的 な 抑 圧 は終 毒し たの
だ か ら,
中 絶はもは や必 要 ない
と書い
てあっ た。つ
ま り,
女 性 達は全 き 平 等 を 獲 得し た
の
であ りt
それ ゆえに「
将 来へ
の危 憤 なし に,
新しい
世 代 を 産み育て る とい
う,
偉 大で責 任あ る義 務 を 果たす」 こ
と が できる とい
うの
である(Zie
lin s
ka
1 9 8 7,
2 5 3 ペ
ー ジ か ら引 用)。 さ
ら に
,
中 絶は女 性 達に と っ て大 き な 健 康 被 害 を 及ぼ し,
それ ゆえに禁 止 さ れな くて はならない ,
と論じ ら れ た。1 9 20 年 代 後 半 まで は